しんの米国神学生日記
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私のほうは、夏の講習がとりあえず終わり、一息ついています。想ったより、(授業終了後の)“宿題”が少なくてよかったです。最近、新しく信徒になったご婦人のためにちょっと悩んでいます。彼女を励ますことのむずかしさを感じ、また己の信仰の弱さに自己嫌悪し、神学校のカウンセリングも受けました。相談者として、“共感”する度合いのむずかしさ・・・。昔、カール・ロジャースという心理学者が“患者中心セラピー”というものを唱えましたが、プロ的に相談にのって、悩んでいる人をよい方向へ導くというのは、本当にむずかしい。まぁ、私はカウンセラーではないので、祈りと奉仕によってしか、他者を助けることはできないと解っているつもりなのですが・・・(使徒6:4)。そんななかで、パウロのいう、「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」(2コリ11:29)というのは、励まされるというか、ホッとします。ちょっとだけ、パウロの労苦を味わっているのかな。“共感”して、真剣に祈ることが求められているのかもしれない。牧師という仕事は、多くの人の心のケアをするとか、説教や聖書研究の準備とか、その他の“雑業”(主よ、失敬!)がかぎりなくあるのでしょうね。要領の悪い私なんかには、教会の要求どおりにしようと想ったら、3ヶ月ももたないと想います。牧会者として、教会という“組織”を考えるとき、モーセの義父のことばを思い出します。「このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれない」(出エジ18:18)。“長老”を立てて、役割を分担させる、ということなのか。エトロの助言を、実践的にどうアプライするのかが、解らないのだけど・・・。いまデボーションで、ルカ15:11からの「放蕩息子のたとえ」を翻訳しています。物語の中心テーマは、御父の慈愛。御父のいつくしみとは、英語では、“loving-kindness”という、なんと欲張ったことば! “愛して、かつ親切で”みたいな・・・。でも、子供をいとおしく想う、”親父愛“かも。この夏、『出エジプト記』と『詩編』で、ヘブライ語の“ヘセッド”ということばを学んだけれど、それも御父のいつくしみと訳すらしい(出エジ34:6、詩編6:5)。最大級の親父愛とは、「神はその独り子をお与えになったほど」(ヨハネ3:16)の愛。先の「放蕩息子」では、“屠られた肥えた子牛”がイエスなのかもしれない(ルカ15:23、30)。昨日、日本の政治について聞きたくて、北海道の親父に電話しました。元ジャーナリストとしての視点から色々教わり、興味深かったのはよかったのです。が最近の親父は、“さくらんぼ・ジャム”製作に凝ってるとか。なんとまぁ、あま~いご趣味で。お酒飲みで辛党の親父だったはずが・・・。あまいジャムをトーストに付けて食べてる親父の姿を想像すると、ちょっと笑ってしまいます。
2005年08月10日
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