★スーパーマン★好きだ★ 0
プロット「イケメン」 0
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新東京国際空港を飛び立った鉄の鳥は、十三時間あまりでミラノのマルペンサ空港に到着した。ミラノになったのは、もちろんコモ湖の彼の別荘に近いからだ。 英語も危ないが、イタリア語はボンジョルノくらいしかわからないので、アカネはリューとマッチオからはぐれないように慎重についていった。しかも海外旅行ははじめてだ。せめて、日本語の通じる香港やハワイで、練習をしていればよかったと思った。 二人がすることをまねしながら、なんとか入国審査や税関をクリアできた。自分のパスポートを初めて外国人のおじさんに見られたときは、どういう反応をされるかと心配になった。しかしあっというまに審査はおわった。三十二才の姉とは違って、厚化粧ではないので、クレームがつくことはないだろう。パック旅行ではないので添乗員も、現地係員もいない。頼れるのはリューたちだけだ。 自分の荷物を受け取って、二人についてゆく。リューはおろおろしているアカネを見守りながら、的確にアドバイスをくれた。「ちょっとメールを見たいんだ」 そういって三人は、インターネットのできるカフェに向かった。 小さなノート型パソコンを開けて、メールをチェックしている。(リュー、気をつけろ。我々は狙われている サエキ)(七月二五日、ヴェネツィアのアカデミア美術館の水上バス乗り場で待っている、アンドレ) 「ヴェネツィア」気になった。ミラノからだとかなりある。空路でなければ向かえない。アンドレはフランス人だ。なぜイタリアに帰ってくるのか? こうして約一時間後に、マッチオが呼んでいた車に乗り込んで、マルペンサ空港を離れた。真っ白なリムジンがやってきたときには、逃げ出したい気分になった。通信販売で買った、情けないワンピースを着ている自分が、あまりにも惨めだ。人間に貴賎がなくても、貧富の差があると、惨めになるものだ。日本に帰ったらもうペンパルはやめようかと思う。普通の男に恋をして、普通の幸せで満足するべきなのだろう。 マッチオによると空港からミラノ市内まででも、六十キロもあるらしい。コモ湖は四十五キロだという。アルプスの南山麓に隣接していて、美しい湖水が広がっているらしい。期待と不安入り交じっている。期待はお金持ちの別荘に泊まれること、不安は自分とは世界が違うのではということ。不安になるたびに、リューのエメラルドのリングを見てしまう。いまは風光明媚な湖畔と貴族たちの瀟洒な別荘のエレガントなイメージを思い浮べながら、リューの横顔を眺めていることにした。 快調にリムジンは走ってゆき、ミラノに到着した。「ここで食事をしていこう」 リューの提案で、小さなリストランテに入った。「よかった。ここで。落ち着くわ」 いきなりゴージャスな場所だとひいてしまう。初めての海外旅行。これくらいでいい。「今夜はもっとご馳走を用意させておくよ。だから昼は軽く食べてくれ」 それでもパスタは山盛りだし、ジェラートも美味だったが、かなり甘かった。それでもミラノの街角で、こうして食事をしていることは、ほんの三日前まで想像もできなかった。しかも懸賞に当たったように、全額出してくれる人がいる。懸賞ではスプーン一本当たったことがないから、奇跡のようなことなのだ。(まるで天国みたい) アカネにとって、イタリアは月の裏側だった。映画やテレビで見るだけの、二次元の世界だった。 そしてエスコートしてくれるのは、金持ちで用心棒を連れているイタリアンガイだ。しばらくは夢見ごこちでいられるらしい。 食事がすんで外に出ると、映画で見たものと同じ風景が広がっている。さっき食べたジェラートの甘さが、まだ舌のうえに残っていた。(いまここでキスをしたら、ジェラートの味がするのね) 妄想が広がりすぎて、パンクしそうだ。「ここで待っていてくれ。ちょっと失礼するよ。」 リューが一人で角を曲がっていった。マッチオのような武骨な男と二人きりで残された。 レストランの前に小さなイスが二つ置いてあったので、腰をかけた。(オネェに借りてきて、もっといい服、着てきたらよかった。こんな安物じゃミジメ) 餞別でもらったお金で、リューと並んで歩いても似合う服を、買おうと思った。旅行だからと、どうでもいい服を着たのはまずかった。鏡を見ていたら、アイラインがにじんでいたので、気になった。マスカラであげたまつ毛も、下がってきたような気がする。無理をしてでも、五千円のまつ毛パーマをかけてくればよかったと後悔した。 マッチオはイライラして、タバコを噛んでいたが、決まったようにタバコを拳でつかんでつぶした。「わたしも、失礼します。ここから絶対に動かないように」 しばらくして、マッチオも行ってしまった。 異国なのに、アカネは一人置いていかれてしまった。 エスコートをしてくれるナイトは、誰もいない。 リューは記憶にあった花屋で、花を選んでいた。イタリアの街を歩くのは二年ぶりだ。彼にとってはなつかしいが恐ろしい、そんな場所なのだ。「それとそれで、花束を作ってくれ。若い女性に贈るから」 すぐに花束ができあがった。さっきのレストランへと向かう。 Syusyu! リューは殺気を感じた。音はしなかったが、これはサイレンサー付きの銃なのだ。(狙われている) Syusyu! 三発目と四発目が炸裂する瞬間に、リューは身をひるがえしてかわした。 石畳の狂暴な歩道を転がって、暗殺者の居場所を探していた。 五発目を恐れて、路上駐車の車の影に隠れた。 めりこんだ玉から推理し、南西方向からと解答を出して、視線をレーザーのように飛ばした。 頬が痛い。かすったらしい。指先でぬぐったら、鮮血で染まった。 すでに花束はリューの肩でつぶされて、砕けてしまった。 耳をすませた。「ボス。大丈夫か」「マッチオ、気をつけろ。銃撃されている!」「ボス逃げろ。俺に任せておけ」「俺はアカネのところへいく。心配だ」 またあいつらだ。いつもいつも俺につきまとう。心の安寧を得られたのは、アメリカでの日々だけだ。たしかにEUよりは治安が悪いと言われるが、狙われるのは自分ではない。しかしここでは自分自身がいつも標的になるのだ。やはりアカネを連れてきたのは間違いだった。 石畳を蹴って走ってゆく。記憶をたどりながら歩いたので、少し遠くまで来すぎたようだ。アカネが心配だった。 Gyuuuuuuuun! Kiiiiiii!(車だ!)今度は殺人マシンの登場だ。 取って返して、逆方向へと走った。レストランへ向かうとアカネを巻き込むことになる。 背後を見ると、車は一直線にリューに向かって突っ込んでくる。全速力で走ったが、それでも限界だった。 やられる! 声なき声で叫んだ。 死に際に浮かんだのは、イタリアまで連れてきたペンパルのことだった。いつも死を意識するほどの恐ろしい場所だった。けれども唯一の愛しい故郷だった。ふるさとは?と聞かれたら、かならずここだと答えるだろう。 Kiiiiiiiiiiiiii! タイヤがうなる高音がしていた。中耳まで入り込み、鼓膜を振動させている。耳が痛いほどの、悲鳴だった。 身を隠しながらふりかえると、車がスピンしていた。 数百年もの歴史を持つ世界遺産のような建築物の谷間で、何度も蛇行し、三十メートルも滑って最後にはクラッシュした。 歴史的価値のあるミラノのホテルの脇に、暗殺者のマシンは激突していた。ドライバーの正体を確かめようとして、リューはゆっくりと近づいてみた。運転席にはフィルムがはってあるようだが、すでに半分砕けていて、車内をのぞくことができた。 ドライバーは運転席にうつぶせになっていた。車はボンネットの部分がつぶれていたが、はさまれてはいないようだった。人が来る前にドライバーの顔を見るために、頭をつかんで上げた。知らない男だった。しかしアジア系の顔だったので、どこかで雇った傭兵か殺し屋なのだろう。安心と不安が同時にやってきて、押しつぶされそうだ。それでも立直って、その場をすぐに離れようとした。「!」 車のフロントガラスを見ると銃弾の痕があった。もう一度殺し屋の顔を見ると、真ん中を撃ち抜かれていた。すぐに辺りを見回して、人の気配を探った。レーザーのような視線をスコープ代わりにして、リューは何かを探していた。「ボス、大丈夫か?」「マッチオ、オマエがやったのか?」「ノ。俺はいまボスをみつけた所だ」「殺し屋だ。しかしこの殺し屋を殺したヤツがどこかにいる」 マッチオは箱に入ったような空を見上げて、第二の暗殺者を探した。しかし気配はない。「事故だ」「どうした?」「ウェ、めちゃくちゃだ」 野次馬が集まり始めた。石畳と歴史的建造物にメカニックのクラッシュは似合わない。「アカネの所へ戻ろう。このことは彼女には話すな」「わかったボス」
2011.10.14
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世界の果てなどないのだと、空を飛んでいると思うものだ。たった数時間前まで下町にいたのに、もう空の上だった。マッチオがリムジンを飛ばして、わずかの時間で新東京国際空港に着いた。レンタカーを返して、二時間後にはミラノ、マルペンサ空港へと向かっていた。 わずか半日の準備で、イタリアに出発することができたのは、まったく海外旅行の予定もないのに、家族全員でパスポートをとっていたためだった。新婚旅行で使うわといった姉にのせられたためだったが、まだその姉は独身だ。しかし今はこうして姉に感謝している。準備はなんでもしておくものだ。思い立ったらすぐに行動が起こせる。最初の旅行はきっとハワイだと思っていたけれど、一度目はバリで、二度目はペンパルとのイタリア旅行だった。昨日会ったばかり、しかもイタリア人のメンズとだ。このことは彼女にとっては、一生に一度の大事件だ。 今アカネはガイドブックを読みながら、ファーストクラスの座席に座っている。本によると、イタリアに入るにはローマから入る便とミラノから入る便があるらしい。イタリアが初めてであれば、比較的街が小さくて治安のいいミラノがいいと書いてある。買物がしたければ、最後はミラノにして買物ざんまいがいいらしい。買物中心のネタは、さすがに買物好きの日本人向きだ。 アカネは沖縄旅行以来の空の旅だった。あのときはエコノミーで、パック旅行だったから、客室乗務員に迎えられた瞬間にぞっとした。あの座席のつまり方は、乗り合いバスよりも最悪だった。もちろんバスは立っても乗ることができるが、旅客機は全員席に座るわけだから、空間が少ないのも無理はなかった。けれども初めての空の旅が、息の詰まるようなシートだったのだから、彼女の落胆は大きかった。庶民は悲しいものだ。 その時も、降りるときに初めてファーストクラスを通り、そのゆとりの違いにさらにショックを受けた。あの場所でゆるりと旅をするのは、一部の選ばれた客だけなのだ。自分は一生あの場所に案内され、フランス料理のような機内食を食べることはないと信じていた。それは絶望にも似た淋しい気分だった。 それが今、アカネはファーストクラスに座っている。座っているというよりは寝そべっているというほどの、ゆとりがある。たっぷりリクライニングしても、誰も文句を言わない。気を使わないから気楽だ。まっすぐにすると、まるでSFに出てくるようなベッドになった。背もたれがヘッドボードになっていて、優しく視線をさえぎってくれた。たしかファーストクラスは、成田パリ間で片道三十万くらいすると聞いたことがある。思わず、三十万もあれば何が買えるかなと想像してみたものだ。庶民はやはり三十万円は浮かして、オプショナルツアーをいくつも楽しむだろう。片道三十万円ということは、リューは三人分の九十万円を払うことになるのだ。庶民は想像だけで、ぞっとした。もちろんファーストクラスの正確な航空運賃は知らない。それが庶民だ。調べようとしたこともない。 ガイドブックを一通り見てしまうと、退屈してきた。ミールサービスは終わったばかりだ。説明書を読みながら、あらゆるサービスを試してみた。ゲームにオーディオ、お代わり、映画鑑賞。まだ見ていなかった最新の映画があったので、ラッキーと思う。もう乗ることはないと思い、何度も席をリクライニングしてみた。がくんと落ちて動かなくなった。「お客さま、何かわからないことがあれば、御呼びください」「はーい」 リクライニングはいじくり回して、なんとか直った。もしこんな高級シートを壊したら、いくら請求されるのだろうと思うと、血の気がひいた。 客室乗務員の接客態度も、エコノミーよりは丁寧なような気がした。何十万円もするのだから、同じではないだろう。旅費は僕がみんな持つよといったリューの言葉ですぐに想像したのは、びっちり詰まった座席にリューとマッチオに挟まれて、トイレはどうしようかという不安だった。水物は一滴も飲まないで、イタリアまで頑張ろうかと思っていたぐらいだ。 なのに一人掛けのような座席に、三人が少し離れて座っている。リューはアメリカのボストンからもずっとそうだったのか、当たり前のようにくつろいで座っていた。慣れているのか、アカネのように何度も装備をいじくったりはしない。この場所にふさわしい威厳のある落ち着きだ。エメラルドのメンズリング、さりげなく着こなしている高級スーツ。自分とは違う世界の人間なのだと思い知らされた。 これでは母親の言うとおりに開放的になって、メイクラブだなんて絶望的だと思えた。リューはコモの別荘でも、多くの召使たちにかしずかれているのだろう。かしずく客室乗務員たち、かしずく召使たち。彼は特別な人間だった。 ただのベンパルなのに、イタリアまでついてくるのではなかったと後悔していたが、他の女の子でもリューに誘われればついてきただろうと思う。それほど、彼の誘惑を振り切るのは難しい。「どうしたんだ? 乗り心地がよくない?」「い、いいえ。バスより混んでるエコノミーの方が乗りなれていたから、ちょっとドキドキしちゃって。初めてなの、ファーストクラスだなんて」「そうか。ごめん。マッチオはいつもここばかり取ってくるから。向こうがよかったのなら、そうすればよかった」「あ、そういうわけじゃ。ホントは一度は座ってみたかったの。でもあたしにはふさわしくないって感じがしてる」「そんなことはない。人間には貴賎はないんだ。誰でもここに座る権利がある。ふさわしいとかふさわしくないとか、そんなことを気にすることはないよ」「そ、そうよね。あたしだって、一生に一度くらいいいわよね。オカネないけど」「君は何も気にしないでいい。ぼくがついているから」 (ついている)それは何よりも心強い言葉だった。やっぱり女はまわりくどい言い方よりも、こんな直接的な言葉に感動してしまう。意外に女は単純なのかもしれない。「たしかにぼくたちは手紙だけの世界でつながっていただけだった。けれども誰にも話せないことも話すことができた。二人はお互いが親友であり、カウンセラーだったと思うんだ。少なくとも僕にとってはそうだったよ」「リュー、あたしでよかったら、また何でも相談してね」 彼は静かにうなずいた。笑っているような悲しいような、そんな顔だった。 男の表情からすべてを読み取ることができるほど、アカネは経験が豊富ではなかった。つまりもてなかったのだ。地味目の容貌がいつも彼女を臆病にさせていた。 なのにリューには冗舌になっている。これほど異性に対しておしゃべりになれるとは思ってもいなかった。しかも、モデルのような容貌と体躯の、三日前に出会ったばかりの男にだ。「イタリアのどこでも、君が好きなところを案内してあげよう。美術館でもショップでも、なんでもいい。十一時間の空の旅で、ゆっくりと考えておけばいいよ」「ありがと」 男は、女の希望をできるだけかなえてやろうと思っていた。皮肉なことだが、マフィアの親族である彼には、それだけのことができるほどの資産があった。抗争に巻き込まれ暗殺された父親からの信託財産だ。十八になったらもらえることになっていて、そして十八才になって相続した。だからファーストクラスくらいは大したことではない。 だがそれと引き替えに、いつも暗殺に怯えていた。「でも初めてだから、きっとありきたりの観光コースになっちゃう。トレビの泉とか、ボッティチェリの「春」も見たい。ヴェネツィアのカーニバルが見てみたかったけど、時期じゃないわね」「また来ればいい。案内するよ。特別席をとってあげよう」「そうね。でももう来られないと思うの。だからゴンドラでヴェネツィア観光だけでもしたい」 強引に連れてきてしまった日本人のペンパルは、何か話すたびに目を輝かせている。リューがかなえてやったすべてのことに、感動しているのだろう。「イタリアは南北に長いから、気候もさまざまだ。冬はミラノは寒いし、霧もでる。ローマは秋に雨が多く、カサが必要だ。ヴェネツィアでは、高潮が要注意だ。一日の気温差が激しいところもある。長いところは日本に似てるね」「やっぱり、イタリアなら絵画よね。あたしはキリスト教徒じゃないけど、宗教画って好き。目の保養になるでしょ。毎日日本でチャラチャラした青春してるから、神々しいものに憧れるのかな」(目の保養)で思い浮かんだ。そうリューも目の保養になる。 昨日の彼はTシャツ一枚だったのに、今度はぴしっとしたスーツに着替えていて、別人のようだ。アカネはそれからずっと戸惑っていた。何年も文通をしてきたが、自分が知っているのは彼の一部なのだと気づいた。リューは、いかにもファーストクラスの乗客にふさわしい上質な男だった。アカネはというと、化粧を念入りにして、姉からの借り物のワンピースで、ゴージャスな女をささやかに演出することしかできない。 空は遥か彼方まで続いている。眼下にはシベリアが見えていた。旅客機の小さな窓の中では、世界は一つにしか見えない。 二人の間の見えない壁も、ここでは障害ではなくなっていた。 アカネのささやかな恋は、この旅行を最後に終わる。 今は隣にリューが座っている、それだけでいい。
2011.10.14
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鎌倉からマッチオの運転するリムジンは、東京に向けて快走していた。行きとは違って、気がゆるんで静かな気分だ。 アカネはこれまでの興奮状態から、神経が安静している。もう何かに襲われることもないだろう。たとえ襲われてもリューが防いでくれる。静にリューの腕にもたれかかっていた。リューの指のメンズリングのエメラルドが、アカネのいまの静寂な気分のように、厳かな輝きを放っていた。「僕はこれからイタリアに帰るよ。早く母を探したいから」 リューの母親が生きていて、イタリアにいるという情報を追い掛けて、リューはイタリアに向かうことになった。「君は気づいただろうけど、俺の父親はマフィアで、母親はヤクザの娘だった。俺はイタリアでマフィアの息子として育った。伯父はアメリカとイタリアの両方を仕切っている」「なんとなく、わかってた」「つまり、血に塗れた家柄なのさ。俺は呪われた血脈と呼んでいる。マフィアはイタリアとアメリカに存在している秘密犯罪組織だ。この言葉はアラビア語がイタリア方言化したものだと言われている。もともとシチリアが発祥で、外国支配に対する自衛組織に起源があると言われていた。歴史はほぼ二百年、政治経済に食い込んで巨大な利権を手にしている。EUの統合で、ヨーロッパ諸国から嫌われているんだ。色々と秘密組織があってね。俺でもまだよくわからない。イタリアマフィアとはそれを総称していて、構成員は二万人近くいるよ。自営業のオヤジまでもが構成員という街もある。アメリカのマフィアはイタリア人の移民によって作られた秘密犯罪組織だ。ここも歴史は長いよ。それがギャングとなって、暗黒街をしきっている。色々オキテもあってね、破れば家族も殺されてしまう。利権のためには手段を選ばない凶暴性もある。俺は関わりたくはないが、ファミリーの一員で、抜けることは難しい。死なないかぎりね」「つらいのね。だから学者になりたいのね」「どこでも、一人で生きていけるようにね。いつか、ファミリーを捨ててやる」 それ以上何も聞けなくなった。彼女はもちろん悪人が嫌いだ。ヤクザ映画も嫌いだ。女はきっと生む性として、悪人は嫌いなのだと思う。 それでもリューだけは違う。彼はきっと善人だ。出会ったばかりだが、手紙のなかの彼は高潔な男だった。「せっかく日本に来てくれたのに、もう帰っちゃうの?」「また来年、桜を見るために来るよ。今年は見逃してしまったから。一度見てみたかったのにね残念だった。そうだ、よかったらアカネも来ないか?」「え? イタリアに?」「そうだよ。コモに別荘があるから、そこでバカンスを過ごせばいい。他の街にも俺の家がある」「イタリア・・・・・ね。いいな」 アカネはときめいた。まだ海外旅行は、バリしか行っていない。高校の卒業旅行は沖縄だった。アジア以外の国に、就職活動前に行っておきたいと思っていた。そんなところにいきなりイタリア行きの話が舞い込んできた。しかもイタリアンボーイのリューと。しかも別荘でのバカンスまでついている。「い、行きたいけど、庶民には高嶺の花よ。エベレストから飛び降りる勇気があっても、いま海外旅行は無理。バイト代かき集めても、片道も出ない」「旅費は気にしないでいい。ぼくがすべてもつから。一緒にバカンスを楽しもう」「!」 なんというチャンス。なんというハッピーデイ。コモというのはコモ湖のことだろう。知識だけはあった。ないのは金だけだった。 別荘地としてのコモは日本でも有名だ。ヨーロッパ中の選りすぐられた富豪たちの別荘があるのだろう。日本で言えば、箱根の芦の湖の湖畔に、城のような別荘の建物を増やしたような風景だ。「急で悪いけど、明日の朝出発だ。いいね」 リューは強引だったが、アカネはうなずいていた。今は夏休み。 まだバイトのあてもない。(ひと夏の恋というのもいいじゃない) 実家の深川に戻ると、母親はリューからの土産を抱きしめて礼を言っていた。姉たちもブランドのスカーフやバッグに飛び上がっている。彼女たちはいつもアウトレットで三流品を買うのだが、リューが手土産として持参したのは、免税店での一流品ばかりだ。「どうして、高級ブランドのバッグを買ってきてくれたの?」「マッチオに、日本人はヨーロッパのブランドが好きだって聞いたよ。喜んでもらえてよかった」「マッチオでも日本人のブランド好きを知ってるのね。恥ずかしい」「あのお母さん、アカネさんを連れてイタリアに行きたいと思っていますが、よろしいでしょうか?」「イタリア?」 母の真子はアカネがキッチンにやってきたときに、耳打ちしてきた。「リューってコ、気が利くわね」「そんなもので飛び上がっちゃって、恥ずかしくないの?」「どうして? うれしいでしょ。あんただって、プラダのトートほしがってたじゃない? ねぇ、イタリアについていくんだって。行ってきな。避妊しないでさ、みんなあげちゃって孫の顔早く見せておくれ。まるで婚前旅行だね」「おかあさん!」「いーじゃない。だってもう上の子たちは手遅れで、絶望的だしさ。あんただけが、あたしの希望の星なの」「リューはただのペンパルだって」「わかんないわよ。バカンスは人を開放的にするんじゃないの? 私生児でも母子家庭でも何でもあたしがまとめて面倒みてあげるから、遠慮しないでいくところまでいっといで」「何考えてんのよ。そ、そんなことばかりいって」「誘われたらどこまでもいっちゃってもいいから」「え~」「孫の世話がしたいわ」母親はスキップをして浮かれている。 リューを子種にして、孫の顔をみようという魂胆らしい「なんですって、アカネ、イタリアに行くんだって。いいな」「イタリアの男は手が早いから、すぐに孫を連れて帰ってくるわよ」「キャー! ステキ」「ここまで強引にしなくちゃ孫の顔を見られないからといった。あのこはまだ二十才だし、あんたたちはもう、語るも恐ろしい年だから。あたしゃ何でもやるわよ」「あーひどい。あたしたちだってまだまだ生めるわよね」 三人の姉たちは三十二才を筆頭にまだ結婚していない。「あ、すぐに準備しなくちゃ。トランクどこだっけ? おねーちゃん、ヴィトンのトランク貸して」「イヤよ、ヨーロッパじゃ、トランクってよく行方不明になるんだって。スーパーで安いの買えば」 こうして、急遽決まったイタリア旅行への出発準備が始まった。(ひと夏の恋か。いままで何度海にいっても、ナンパされなかったけど、今度はホンモノかもね)(今まで生きてきて、いちばん最高の夏になりそう)
2011.10.14
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鎌倉からマッチオの運転するリムジンは、東京に向けて快走していた。行きとは違って、気がゆるんで静かな気分だ。 アカネはこれまでの興奮状態から、神経が安静している。もう何かに襲われることもないだろう。たとえ襲われてもリューが防いでくれる。静にリューの腕にもたれかかっていた。リューの指のメンズリングのエメラルドが、アカネのいまの静寂な気分のように、厳かな輝きを放っていた。「僕はこれからイタリアに帰るよ。早く母を探したいから」 リューの母親が生きていて、イタリアにいるという情報を追い掛けて、リューはイタリアに向かうことになった。「君は気づいただろうけど、俺の父親はマフィアで、母親はヤクザの娘だった。俺はイタリアでマフィアの息子として育った。伯父はアメリカとイタリアの両方を仕切っている」「なんとなく、わかってた」「つまり、血に塗れた家柄なのさ。俺は呪われた血脈と呼んでいる。マフィアはイタリアとアメリカに存在している秘密犯罪組織だ。この言葉はアラビア語がイタリア方言化したものだと言われている。もともとシチリアが発祥で、外国支配に対する自衛組織に起源があると言われていた。歴史はほぼ二百年、政治経済に食い込んで巨大な利権を手にしている。EUの統合で、ヨーロッパ諸国から嫌われているんだ。色々と秘密組織があってね。俺でもまだよくわからない。イタリアマフィアとはそれを総称していて、構成員は二万人近くいるよ。自営業のオヤジまでもが構成員という街もある。アメリカのマフィアはイタリア人の移民によって作られた秘密犯罪組織だ。ここも歴史は長いよ。それがギャングとなって、暗黒街をしきっている。色々オキテもあってね、破れば家族も殺されてしまう。利権のためには手段を選ばない凶暴性もある。俺は関わりたくはないが、ファミリーの一員で、抜けることは難しい。死なないかぎりね」「つらいのね。だから学者になりたいのね」「どこでも、一人で生きていけるようにね。いつか、ファミリーを捨ててやる」 それ以上何も聞けなくなった。彼女はもちろん悪人が嫌いだ。ヤクザ映画も嫌いだ。女はきっと生む性として、悪人は嫌いなのだと思う。 それでもリューだけは違う。彼はきっと善人だ。出会ったばかりだが、手紙のなかの彼は高潔な男だった。「せっかく日本に来てくれたのに、もう帰っちゃうの?」「また来年、桜を見るために来るよ。今年は見逃してしまったから。一度見てみたかったのにね残念だった。そうだ、よかったらアカネも来ないか?」「え? イタリアに?」「そうだよ。コモに別荘があるから、そこでバカンスを過ごせばいい。他の街にも俺の家がある」「イタリア・・・・・ね。いいな」 アカネはときめいた。まだ海外旅行は、バリしか行っていない。高校の卒業旅行は沖縄だった。アジア以外の国に、就職活動前に行っておきたいと思っていた。そんなところにいきなりイタリア行きの話が舞い込んできた。しかもイタリアンボーイのリューと。しかも別荘でのバカンスまでついている。「い、行きたいけど、庶民には高嶺の花よ。エベレストから飛び降りる勇気があっても、いま海外旅行は無理。バイト代かき集めても、片道も出ない」「旅費は気にしないでいい。ぼくがすべてもつから。一緒にバカンスを楽しもう」「!」 なんというチャンス。なんというハッピーデイ。コモというのはコモ湖のことだろう。知識だけはあった。ないのは金だけだった。 別荘地としてのコモは日本でも有名だ。ヨーロッパ中の選りすぐられた富豪たちの別荘があるのだろう。日本で言えば、箱根の芦の湖の湖畔に、城のような別荘の建物を増やしたような風景だ。「急で悪いけど、明日の朝出発だ。いいね」 リューは強引だったが、アカネはうなずいていた。今は夏休み。 まだバイトのあてもない。(ひと夏の恋というのもいいじゃない) 実家の深川に戻ると、母親はリューからの土産を抱きしめて礼を言っていた。姉たちもブランドのスカーフやバッグに飛び上がっている。彼女たちはいつもアウトレットで三流品を買うのだが、リューが手土産として持参したのは、免税店での一流品ばかりだ。「どうして、高級ブランドのバッグを買ってきてくれたの?」「マッチオに、日本人はヨーロッパのブランドが好きだって聞いたよ。喜んでもらえてよかった」「マッチオでも日本人のブランド好きを知ってるのね。恥ずかしい」「あのお母さん、アカネさんを連れてイタリアに行きたいと思っていますが、よろしいでしょうか?」「イタリア?」 母の真子はアカネがキッチンにやってきたときに、耳打ちしてきた。「リューってコ、気が利くわね」「そんなもので飛び上がっちゃって、恥ずかしくないの?」「どうして? うれしいでしょ。あんただって、プラダのトートほしがってたじゃない? ねぇ、イタリアについていくんだって。行ってきな。避妊しないでさ、みんなあげちゃって孫の顔早く見せておくれ。まるで婚前旅行だね」「おかあさん!」「いーじゃない。だってもう上の子たちは手遅れで、絶望的だしさ。あんただけが、あたしの希望の星なの」「リューはただのペンパルだって」「わかんないわよ。バカンスは人を開放的にするんじゃないの? 私生児でも母子家庭でも何でもあたしがまとめて面倒みてあげるから、遠慮しないでいくところまでいっといで」「何考えてんのよ。そ、そんなことばかりいって」「誘われたらどこまでもいっちゃってもいいから」「え~」「孫の世話がしたいわ」母親はスキップをして浮かれている。 リューを子種にして、孫の顔をみようという魂胆らしい「なんですって、アカネ、イタリアに行くんだって。いいな」「イタリアの男は手が早いから、すぐに孫を連れて帰ってくるわよ」「キャー! ステキ」「ここまで強引にしなくちゃ孫の顔を見られないからといった。あのこはまだ二十才だし、あんたたちはもう、語るも恐ろしい年だから。あたしゃ何でもやるわよ」「あーひどい。あたしたちだってまだまだ生めるわよね」 三人の姉たちは三十二才を筆頭にまだ結婚していない。「あ、すぐに準備しなくちゃ。トランクどこだっけ? おねーちゃん、ヴィトンのトランク貸して」「イヤよ、ヨーロッパじゃ、トランクってよく行方不明になるんだって。スーパーで安いの買えば」 こうして、急遽決まったイタリア旅行への出発準備が始まった。(ひと夏の恋か。いままで何度海にいっても、ナンパされなかったけど、今度はホンモノかもね)(今まで生きてきて、いちばん最高の夏になりそう)
2011.10.14
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成田から延々と走って鎌倉へとやってきた。鎌倉へは宝くじを買う前に、毎年母親が銭洗い弁天に来ている。もう十年以上になるがまだ当たらない。信心が足りないらしい。 やっと動悸がおさまってきた。茜は胸を押さえた。リューともっと話がしたいが命が惜しいので、このまま下町の実家に戻りたいと思った。 まもなくしてここが祖父の家だと言って、リューは車を止めさせた。そこは鎌倉の住宅らしく、大きな門構えに白壁で取り囲まれ、屋敷といった風情だった。純和風の風格は、まるで京都の寺院を思い起させた。緑豊かな場所なので、ゆったりとした気分でいられた。「すごい。大きな家」 茜は白壁をたどっていって、端を探していたが湾曲していて見えなくなっていた。あたしは帰りますとはっきり言えればよかったが、鎌倉から一人で帰るのは辛い。そしてそんな勇気もない。まだリューとの時間も足りなかった。 そうしているとすでに二メートル以上もある門の扉が開いていた。時代劇の大名屋敷のようだ。立派な門を入る時に表札を見ると「金城」と書いてあった。門を一歩入って足が止まった。「いらっしゃいませ。アメリカからよくいらっしゃいました。お疲れ様でした」 ずらりと並んだ男達が一斉に唱和していた。そのほとんどがスーツをぴしりと着ている。年令が若い者ほど色が派手だ。しかし一分の乱れもなく声はぴたりと合っていた。茜はその光景にピンときた。(ヤクザだ)はじめて生のヤクザを見た。もちろんすれ違った事はあるだろうが気づかないものだ。今ではヤクザは印も付けずに、スマートに生きている。深くつき合わなければわからないものだ。 リューとマッチオは全く動じる事なく、奥へと案内する男について行った。落ち着かないのは茜だけだ。若い連中が頭を下げて、すべてをしきっているようなので、かなりの上位幹部らしい。成り行きで茜はついていった。 一番奥の座敷に通された。ここまでの道程はまるで、映画のなかのワンシーンのようだった。典型的な日本家屋なので、外に向かって延々と続く廊下があった。長身のリューとマッチオは頭上の障害物をかなり気にしている。油断をしたら痛い目に遭うだろう。 茶が運ばれてきて、まもなく老人が入ってきた。老人といってもその眼光はまだ現役だという主張があった。リューもマッチオも和室には慣れていないはずなのに、正座をして待っていた。「よく来たな」「はじめてお目にかかります。リュー・ボルチェリーノです」 そういって正座をしたまま、頭を下げた。日本流のあいさつで返答する。リューの日本語は流暢だった。彼は五ヶ国語が堪能だと言っていた。「よく見るとミホにも似ておる。イタリアに留学させたミホとミケーロが、結婚するとやってきたときはびっくりしたがな。こっちはヤクザの娘。あっちはマフィアの息子。似ているが非なるものだった」 孫と祖父の再会は冷めていて 茜は妙な気分だった。これがリューのやり方なのだと思っ た。男というものは、あまり感情で行動しないのだろう。「カタギの男との結婚を望んでいて渋るワシに、ミケーロは彼の仕切る麻薬のルートを五年間貸与するという条件を提示してきた。それと引き替えに娘をくれとな。結局娘の強い意志と、麻薬ルートの魅力に折れて二人の結婚を認めた。マフィアじゃが、きちんと筋を通す所が気に入った」 ヤクザの筋ってと、茜は勝手に突っ込みを入れたかったが、恐いので小さくなっていた。目立って吊し上げられたくはない。「その二人がアメリカで暗殺された時は、もう気が狂いそうだった。しかしお前という孫がいる」「お前はボルチェリーノを継ぐのか?」「ボスの伯父が今病気療養中ですが、もうまもなくだそうです」「そうか、こっちは気にしなくてもいい。跡目は若がしらに継がせる」「俺も年だ。お前にはずっと言えなかったが、今言っておく」「何ですか?」「お前の母親は生きている」「!」「重傷だった怪我の治療を終えた後、危険だったのでしばらくは日本で療養させた。そのあとイタリアに戻り、レストランを経営している日本人と結婚した。あいつは夫が死んで、イタリアに帰るのは辛いと言っていたのに、やはりお前のそばにいたかったのだろう」「そうか。・・・・・・生きて。でも俺はずっと孤独だったのに。支えてほしかった」「この世界は厳しい。常に非情でいなければ、組織を守れない。だからお前を愛情深い男ではなく、冷徹な男にするためにワシがアドバイスをした。イタリアでは聖母がイエス・キリストを慈しんだように、母親は息子を大事にしすぎるからな。それにもうミホをマフィアの抗争に巻き込みたくなかった」「ご期待にこたえて非情な男になれたかどうかは判りませんが、今まで無事に生きてきました。おかあさんを守りたいというあなたの意志も判ります」「噂によると、伯父のカルロスの息子とその愛人がお前を狙っているらしいな。あの女は息子に継がせたいらしいという。今考えればお前もワシが引き取っておればよかった」「俺を殺したい奴は山ほどいる。ボスのイスがほしければやるのに」「ではまずイタリアに帰れ。一度は母親に会え。すぐに手紙を持ってこさせる」
2011.10.14
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三人の乗り込んだレンタカーは、東京都内へと向かっていた。マッチオが国際免許で運転し、リューと茜は後に並んで座っている。 彼らが借りた車は高級外車だった。初めての乗り心地に茜は尻で跳ねていたが、すぐにリューの視線を感じて静かになった。「日本語で話してもいいのね?」「OK」「ここだけの話だけど、文通が続いたのあなただけだったの」「俺も君だけだよ。ドイツと南米とフランスのペンパルがいたよ」「すごいのね」「語学の勉強のためさ。それで読み書きを学んだ。でもみんなそれぞれの生活に忙しくなって自然消滅さ」「同じだわ。あたしも根室と沖縄のコとは自然消滅。続いているのはあなただけ」「君とは初めて会ったような気がしない」「本当ね。あなたが日本語上手だから」「君との文通のおかげだ」 茜はそのムードに酔ってしまい、無意識リューの手を握ってしまった。 「君の家にお邪魔したいけど、その前に行きたい所がある」「うちなんてとっても小さくて、結婚していない姉達がまだゴロゴロしてるの。きっとあなただったら頭打っちゃうわ」「大丈夫、俺は半分日本人なんだ。母親が鎌倉の出身だ。だから日本家屋には憧れていたよ。でも泊めてくれとは言わない。ホテルをアメリカから予約してあるから」「よかった。うちは五人がひしめいてるの。これからどこに行くの?」「鎌倉。そこに祖父がいる。一度、挨拶をしたい。マッチオは世界中で生きてきたが、日本で判らない事があったら教えてやってほしい」(日本の祖父に会う)リューは文通相手の茜に会う事以外に、そんな目的があったのだ。彼は文通で、両親がアメリカで暗殺されたと書いてきた。それでアメリカという所はなんて恐い所なのだろうと思ったほどだ 茜の左側に座っているリューは、若者らしい姿だがどこか彼女の知っている男友達とは全く違っていた。彼が送ってきた写真は、コモ湖の自宅の前だと説明書きがしててあった。その自宅は、どう見ても(邸宅)だったのだが。 プロに手入れをされた長い指には、大きなエメラルドがはめこまれたメンズリング。多分、彼は特別な人間なのだ。まるで王室にいるようなハイソサエティの人間なのだ。だからいつもマッチオのようなボディガードをいつも従えている。 下町に住む庶民の茜が、いつまでも一緒にいるような男ではない。いつかペンパルでもなくなるのだと茜は思った。 成田から車だと、鎌倉までかなり距離がある。観光ガイドには駐車場が少なく、道も狭いので鉄道を使うようにと薦めていた。アカネは、東京や横浜の風景にすでに飽きてしまっていた。郊外へと出てきたので車もずいぶん少なくなった。 リューには手紙以外の事で訊いてみたい事が沢山あったが、車のシートの両側に離れて座っていると、おしゃべりをする雰囲気ではない。リューはリューで太平洋の風景を漁るように眺めている。暫くするとのどかな風景が続き始めた。やっと鎌倉まで来たのだ。 しかし目的地はもっと先のようだ。海岸が見えてきてかなり淋しくなってきた。地方道というものだろうか。「あのリュー。なんだか緊張してない?」「どうして判ったんだ? そう俺は緊張しているよ。祖父には会った事がないし、それに」「それに?」「家族の事でゴタゴタしていて、いつも緊張している」「そう、大変ね。うちも姉がみんなうちにいるから毎朝パニックだけど。あなたの家は特別な家なんでしょうね」「そういえば君に手紙で色々相談したよな。手紙だと何でも書けるんだ。両親のいない俺には、手紙は心の拠り所だった」「そう」茜は照れた。ここまではっきりと言われると、居心地が悪い。 彼はずっと東洋の女の子に憧れていたとい言っていたので、もしかしたら国境を超えた恋になるのかもと想像して喜んでいた。 baribaribaribari! 強烈なエンジン音が耳に飛び込んできた。耳鳴りがしている。「何?」「何だ?」 マッチオもリューも三人が一斉に耳を澄ませて、音の出所を探り始めた。全神経が聴覚に集まるようだ。「上よ!」「空だ!」 リューがウインドーを開けて、空を見上げた。風が一気に飛び込んで来る。茜は目と口を閉じた。髪がかき乱される。何度も顔を叩かれ、頭を押さえた。 ローターの作り出す風と潮風で嵐のようになっている。「マッチオ、上だ。上にヘリがいるぞ」 リューがそう叫んだ次の瞬間に衝撃で車が飛び上がった。続けて二度揺れた。まるで地震の地響きだ。といっても地震体験車でしか知らないのだが。「攻撃されている。ヤツラは上から手榴弾を落としている!」 リューが叫んだ。茜は「シュリュウダン」という言葉が、すぐに想像できた。戦争物の映画にはよく出て来る。実物は見た事がないが、たしかピンという物を抜いて投げると爆発するものだ。 車が右に左に激しく揺さ振られた。対向車と危なっかしくすれ違う。マッチオの巧みなドライヴィングテクニックで、衝撃で飛び上がった車はすぐに安定した。片側はすでに崖になっている。 茜は高級車の乗り心地に浮かれて、シートベルトを締め忘れていたので、何度も変化する遠心力で揺さ振られ、ドアに体をぶつけそうになった。しかしぶつからずに済んだのは、リューがしっかりと支えてくれたからだ。シートやドアに代わりに激しくぶつかっているのはリューだった。彼は強い打ち身もあまり堪えていないようだった。「アカネ、シートベルトをしろ!」「マッチオ、お前は車を安定させろ」 リューが茜をベルトで固定すると、体が左右に投げ出される事はなかった。 リューは体を固定するために、ベルトを歯で咬んだまま、手荷物で車に持ち込んだケースを開けた。中にはずらりと刀剣が並んでいる。「どうやって持ち込んだの!」「オモチャさ。アメリカのキャラクターの武器で、日本の会社に売り込みに来たのだと言った。隠さずに見せておけばまず大丈夫。アメリカではもめたけど、機内持ち込みじゃないから」 窓はまだ開けっ放しになっているので、まだ嵐のような海風が飛び込んで来る。三人とも髪はすでにザンバラだ。 リューは手慣れた手つきで武器を組み立てた。オモチャだった刀剣はあっというまに、武器へと変わっていった。それは見事な変化だった。それにワイヤーを取り付ける。太くはないがそれなりに強いらしい。そしてそれを銃のような形のものに据え付けた。「それってただのオモチャじゃないのね」 そうきいたら、リューはにやりと笑った。「最近はセキュリティが厳しいからね。でも身を守るものは必要だ。こっちの発射装置もバラせばただのステーショナリーに見える。少なくとも今まではバレなかった」 リューは窓から身を乗り出すと、ヘリを見上げていた。すでに上半身が外へ出ている。走行が不安定なので、マッチオがしくじればガードレールにぶつかりそうだ。「気をつけて!」茜は叫ぶ事が、精一杯だった。彼の生きてきた世界は手紙の中でしか知らないが、見当がついていた。 リューは手榴弾をつぎつぎと落として来るヘリに、小さな照準器を合わせた。小さいがレーザースコープ付きなので、レーザーが標的を確実に捉えてくれる。 風と振動で髪も半身も激しく揺さ振られていた。それでも彼の顔はポーカーフェイスだった。この非日常的な状況よりも、そんなリューの平静さの方が茜は恐ろしかった。「行け!」 リューが叫んだ瞬間に、彼の武器からあの刀剣が飛んでいった。 まがい物でない本物の発射音だった。武器というよりも重火器の音に近い。茜は耳を塞いだ。まもなく上空で音が止まった。窓から空を見上げる。するとあの刀剣はヘリの足に食らい付いていた。「よし、いいぞ。マッチオ、揺さ振ってやれ!」「オーケー!」 マッチオは勢い良く車を揺さ振った。その度に投げ出されそうになったが、ヘリのパイロットも焦っているのか、手榴弾は落ちてこなくなった。「いいぞ! もっと振ってやれ」 リューはすでに勝ちどきの声を上げていた。彼には勝算があった。 この先には地図によるとアレがあると彼は思った。「行け! フルパワーだ!」 エンジンが唸り声を上げた。茜が伏せていた顔を上げると、正面に真っ黒な口を開けたトンネルが現れた。視界が黒い穴に吸い込まれた数秒後爆音がした。地響きでまた車は揺さ振られたが、リューが支えてくれた。 Gannganngann! トンネルの表面が破壊され、固めていた多数のコンクリートの破片が背後から飛び込んできた。小さな破片が車を直撃し、上下に揺さ振られた。「やったぞ」リューは歓声を上げた。「もう大丈夫だ」 茜はリューに支えられながらも、ここにいてもいいのだろうかと思っていた。突然どこかに投げ出されたような気分だ。「ヘリコプターなんて、日本で人殺しに使えるの?」「あれは組み立て式のヘリね。プロフェッショナルな殺し屋なら、飛ばせる」 マッチオが答えた。「組み立て式? 恐い」 車の外に目をやると、海が地平線まで広がっている。無垢な目撃者は何事もなかったかのように、美しい景観を演出していた。
2011.10.14
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東京の下町はいつも賑やかだ。商店街はいつも人がそぞろ歩き、車や主婦ご愛用の自転車が行き交っている。それを避けながら買物をする事もささやかなスリルだ。ここは長年住んでいる老人達や、住みつき始めた学生達が入り乱れている。それが下町の隠れた活力なのだろう。 三島茜はそわそわしていた。まだ朝の七時だが、もうすぐ出かけなければならない。女ばかり四人の姉妹と母親で、押しくらマンジュウ状態で各自の食事を作っていた。パン食の者、和食の者、サラダだけの者が好き勝手に作るのだ。 だから、いつもキッチンは混んでいる。長年母子家庭で、母親がこれだけはといって朝食を作ってきたが、あまりにもあれが嫌、これが嫌、それはダメでこれにしてという娘達のリクエストに耐えかねて、セルフサービスとなった。もう十年近く、この戦国状態は続いていた。 五穀米を炊いた者、お気にいりのパンを買って来る者、純和風の定食を作る者と好みは完全に別れていた。美容と健康のためという事では一致していたが、いつも母親が嘆いている。「もう、ジャマよ。できたんなら早く食べれば」「お茶飲みたいのよ」「あたしはサラダをヨーグルトだけなんだから、先にやらせてよ。あー、あたしのヨーグルト誰か食べたわね。二百円払ってよ」「あんた達はなんて贅沢なんだろうね。あたし達の頃は食べられるだけ幸せなのに」 茜も自分のために、インスタントラーメンを作りたかったが、出遅れたので二口のコンロは空いていない。「おねー、高給取りなんだから、早く出てけば。あたしは学生だからビンボーなのよ」「自立の前に、いい加減結婚しておくれよ。バツイチでもバツニでも何でもいいじゃない」「でもやっぱり順番だもんね。でも茜の方が早かったりして。だって今日あのペンパルを迎えにいくんでしょ。イタリア人って手が早いのよね」「急ぐのは美奈子、咲子、洋子だよ。全くあんた達って、年を考えるともう恐ろしいったら」「ま、いいじゃん。いつまでも五人で暮らしてたら」「ねー!」「あたしはリストラされたら結婚するわ」「それじゃ手遅れだろ」「茜、早く食べて出なきゃダメなんじゃないの」「どうしよう、会いたいけど会うの恐い」「ペンフレって根室のコ? それとも沖縄のコ?」「どっちも半年しか続かなかったの。来るのはイタリアのコよ。男の子」「あんたイタリア語できないでしょ。エーゴだって、これはペンですしか言えなかったのに」「今はもう少しマシよ。バリだって行ったんだから」「日本語でやってたの。彼が勉強したいからって」「そういえば聞いた事あったわね。今時メールだってあるのに、手紙だなんてめずらしいイタリア人もいるんだなって。まだ続いてたんだ」「本当に来るみたい。メールに今日の午後二時だって」「いいじゃん、プラダのバッグでもお土産にもらえば? あ、今はグッチかな。それとも」「だってあたし、文通始めたときに写真送ったんだけど、それに可愛いチャイドルの写真送ちゃったんだ」「そりゃヤバイよね。チャイドルほど可愛くないもん」「あーあ、ヤバイい。相手はどうなの?」「これ六年前の写真」「やっぱかわいいイタリアンボーイだわ」 豪邸の前にすらりとした少年が立っている。少年といっても、そのルックスから見るとすでに青年だ。背後に映っている屋敷が、彼の家なのかどうかも気になった。だとしたらかなりの金持ちだ。「あーあ、どうしよう。もういかないと間に合わない」「成田まで時間かかるよ。ま、いっちょ覚悟を決めて行ってきな!」 独身貴族を楽しみすぎている姉達に、背中を押された。覚悟は決まった。 彼が茜を見てショックを受けたら、ごめんなさいをするつもりだ。最近はメールの時代なので、それに代えようと言ったのだが、彼は読み書きの勉強になるので手紙の方がいいといった。そのときはそうかと納得したが、よく考えたらメールだって読み書きの勉強はできる。英語やイタリア語のメールソフトしかないのだろうか。 手紙には真実だけを書いたのではなかった。バレるのが恐いので会うのは恐いが、到着日を知ってしまったので、迎えにいかないわけにもいかず、ドキドキしながら成田空港に向かった。 成田空港の街頭テレビで、アメリカ、マサチューセッツ工科大学に留学中の日本人、名古屋緑区出身の佐伯京助さんがエヴァーグレイス国立公園内にレンタカーを置いたまま行方不明と報道していた。佐伯さんはビル・ゲイツ氏を尊敬しておりITエリートを目指していて、勉強中でしたと報告していた。失踪寸前に恋人と止まっていたモーテルが爆発した事から、事件に巻き込まれた可能性があるという事で、フロリダ州の警察が捜査中ですと報道していた。 確かリューも、同じ大学だったようなと思ったが、それどころではない。初対面のペンパルにちょっとでもマシなように見せようとして、何度も化粧室に行っては化粧を直す。かわいいチャイドルの写真はまずかった。もうあれから何年も経っているが、今度は売れっ子アイドルの写真でごまかそうとしていた。どうせ外国人には日本人は同じように見えると思っていた。しかしその矢先に彼は日本で会いたいと言ってきた。これで誤魔化せなくなった。「あー、眉の長さが違う」「このルージュの色、去年のだった」 「ストッキング電線いってる」「まつげパーマしてくればよかった。もっと大きな目に見えたのに。あー、マスカラとれてる。爪も磨いてくればよかった」 すでにパニックだ。この日のためにワンピースを新調したかったが、ダメだった。姉のブランドのワンピースを三千円で借りてきた。去年からねだっていたが、もらえなかった花柄のドレスだ。姉達はかわいい妹からも金を取る浅ましい女だった。「初めましてはなんだっけ? ヘロー。あ、英語だ。ボンジョルノ? 何か違う」「ボーノはおいしいで、カーロは高い。あ、女の頭は買物用語ばかり! ペルファボーレって何だっけ?」 一年前から買物に行くために、イタリア語の勉強を始めたが、大学生はコンパにバイトと忙しい。覚えたのは買物に必要な言葉だけだ。 リュー・ボルチェリーノは今アメリカに留学中のはずだった。ここ三年間はアメリカから手紙が来ていた。 電光掲示板を見ると、飛行機は時間通りに着いたらしい。いいよな悪いような複雑な気分だ。せっかく成田まで来たがこのまま逃げてしまいたい。彼には、赤い表紙の本を胸元で持っていますと言った。まるでチンプなラブストーリーだ。 会いたいような恐いような複雑な気分で、くるくると回りながら乗降客を眺めていた。赤い表紙のマンガを胸の前で抱きしめている妙な女を、彼らは不審な視線で見ている。回りすぎて目が回った。その拍子に体が揺れて、何かにぶつかった。倒れそうな体を何かが支えている。「すいません、すいません」「君、アカネ?」「は?」 見上げるとずっと上の方に顔があった。きれいな日本語だが、その顔は日本人ではなかった。美術室にあった顔だけの彫像を彷彿とさせた。「ソーリー、ソーリー!」跳ねるように避けて、慌てて態勢を整えた。「はじめまして、リュー・ボルチェリーノです。今アメリカから着きました」 茜の目の前にモデルのように立っていた男は、確かにペンフレンドだった。昔交換した写真の中の少年が、さらに大人っぽくなってそこにいる。彼は風のように現れて、訛のないきれいな日本語で話しかけてきた。バランス良く発達した肩の筋肉が逆三角の体躯を形作り、その姿態はオニキスカラーの衣装で包まれていた。白い顔にさり気なくかかるその髪はハニーブラウンで、光が当たると黄金色に輝いている。黒曜石のようなジャケットに白いシャツ。清潔で簡潔。上級な男だった。「あ、あなたがリューさん?」「こっちの大男は相棒のマッチオ・ティティアーノ」 紹介された大男は、子供のように素直に頭を下げた。「ヨロシク、アカネ。俺はボスに付いているのが仕事」外国人独特の抑揚がある。偽物の中国人の話術のように面白い。緊張でノドが詰まって、何も言えない。「よ、よろしくお願いします。あの、日本語でもいいですか?」「どうぞ」「ヨロシク」「!」 いきなり大男が抱きついてきたので、茜は仰天した。小さな心臓が口から飛び出すかと思ったほどだ。外国式に抱きつかれる事に、小心者の日本人は仰天するばかりだ。両頬にキスをされなくて良かった。「こら、マッチオ。彼女が驚いてる。日本人は慣れていないよ。その挨拶はやめろ」 ファンタジーの世界からやって来たようなペンフレンドが大男を調教している。成田に降り立ったリューは、無愛想な男を連れて日本に来ていた。その男マッチオはその体躯に似合わずやたらと腰が低い。リューはカジュアルな格好をしているのに、マッチオは黒のスーツを着ていて颯爽としていた。そしてリューの事をボスと呼んでいる。その逆転している関係に茜は戸惑っていた。しかしラフな格好をしていても、遙々とアメリカからやってきたイタリア人の男は、その姿勢の良さや物腰が洗練されており上流階級の男のように思われた。 彼は手紙で、アメリカでコンピューターサイエンスを学んでいると教えてくれた。マサチューセッツ工科大学。茜にはまるで舌を噛みそうな大学だったが、友達に聞いたらかなりハイレベルの学校らしい。「行こうか」 そう言ってトランクを運んでいる男を女は眺めていた。その形の良い長い指は女に魔法をかけている。
2011.10.14
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リューは一人でレストルームに行った。子供の頃はどこへ行くのにもマッチオがついてきたが、今は独り立ちさせてくれた。それは彼が一人でも、身の危険を察知できるようになったからだろう。 鏡を見ると、不思議な顔が映っていた。彼はイタリア人だが、その顔は東洋人の雰囲気もあった。それは父親がイタリア人で、母親が日本人であったからだ。純血のイタリア人にも見えるが、濃厚でない骨格が東洋人を思わせるのだ。女みたいに柔だと言われたが、嫌いではない。どちらかといえば気に入っている。しかし自分の出所をもっと探りたいという熱い欲求は自分でも止められない。満開の桜を見たいと思うのも、日本人の血統のせいなのだろうか。 水でザバザバと顔を洗うと、心の奥まで清浄になった気がした。こうして醜い血縁まで洗い流せればいいのだが。いつかマフィアの血統を葬り去ってしまいたい。時折見える白い額には逆十字の跡がある。ある男に付けられた印だ。(まるで牛馬の焼印ように、あいつは俺に印をつけた。俺が悪の種であるかのように、烙印を入れた) これから憧れの日本に向かう。桜は見られないが、血統の出所に降り立ってみたいと思っていた。(三島茜)ふと思い立って、封筒から写真を出してみた。これは子供の頃に交換したものだ。 何年か前に写真を交換しただけで今の顔は知らない。文通を始めた頃は、お互いまだ子供だった。確かもう二十才だ。大学生だと書いてあった。休学して留学したいらしい。ボストンでいいなら力になってやろう。ケンブリッジの対岸だ。あの街はいい街だ。東海岸の街で、ニューヨークにも近い。十七世紀初頭にピューリタン達が作った。周辺にはアメリカ先住民達が住んでいた。アメリカ独立の舞台で、旧市街には赤レンガの建物が見られる。 ウオーターフロントは開発が進み、新旧の眺めを楽しめる。ニューヨークよりは地味だが、六十もの大学があるし、オーケストラもあるしオペラも盛んだ。ボストン美術館は日本美術のコレクションで有名だ。そこへ何度も足を運び、自分の原点を探したものだ。 リューははっとした。鏡を見ている自分の背後にいつの間にか男が立っていた。ただ者ではないと直感で判った。気配を消して、リューの背後に立つ事ができる。マッチオに、ボスはまだ修業が足りないと言われるだろう。 動くか動かずに様子を見るか迷った。鏡に映っていた男を、肩ごしに観察した。見た雰囲気はレザーのジャケットとズボンをいて、チンピラといった感じだった。腕の骸骨の刺青が見えており正業に就いていないように思われた。もちろん背広を着た紳士でも、暗殺者の変装の可能性もあった。油断は禁物だ。一瞬でも気を抜いたら命はない。 リューは頭の先から爪先までの皮膚をアンテナのようにして、男の動きやその思考まで探ろうとしていた。銃を抜いてすぐにトリガーを引くのか、それとも巨大なナイフを取り出し急所を一突きにしようとするのか。 だが男はすぐに歩きだし、準備をすると用を足し始めた。ただの空港利用者だったらしい。人畜無害の庶民だ。アメリカでは何故かすぐに身構えてしまう。いきなり撃たれる事も珍しくはない。石橋は水陸両用車で渡るように、常に警報を鳴らすようにしている。男が殺人者ではないようなので胸をなでおろした。こういう事でも小さな幸せを感じる。男はすべてを済ませると、リューを不審そうに眺めて静かに出ていった。 胸ポケットに入れていたパスポートを取り出す。変色した写真がず何年も挟んである。そこには家族が三人で写っていた。その頃父親と母親は生きていたが、この写真を撮ってまもなく、父親のミケーロ・ボルチェリーノは殺された。もう八年近く前になる。招待されたパーティに向かう途中で、銃弾を浴びせられて殺されたのだ。母親もその場で巻き添えになったらしい。それからずっと孤独だった。 殺気が走った。振り返ろうとした瞬間に、首が強く絞まった。「!」マッチオを呼ぼうとしたが、すでに喉はかたく絞まっている。唸る事さえできなかった。背後にはリューよりも長身で肉厚の男がピタリと立っている。唸るような胸板の動きが殺意の電波となり、背後からピリピリと伝わってきた。冷えた汗が背中をたらたらと流れて来る。何度も死神には会っているが、必ず返り討ちにしてきた。しかし保安システムが整っている空港で襲撃されたのは初めてだった。 「お前を殺せと言われた」「!」「あれはどこだ?」「?」 何度も肘や足をつかって、撃退しようとした。だがそれくらいではびくともしない。テクニックと残忍さはないが、力だけはあるらしい。リューは記憶の海を高速で探っていた。「俺を殺したい奴は山ほどいる。誰に依頼された?」「リチャードか、それともカロリーナか? 誰の刺客だ?」 男のすするような息が聞こえただけで、返答はなかった。 こうなれば後は気合いだ。一瞬にして犯人の後襟首をつかみ、膝を曲げ、柔道の背負い投げの要領で、男を背負って床に叩きつけた。一瞬で決まった。だが勝ったわけではない。 男はすぐに態勢を整えると刃物を取り出した。銀色の凶器がリューの喉元に突きつけられていた。しかし男がプロフェッショナルでなかったのが幸いだった。リューでも避ける事ができるほど、男の攻撃は頼りなかった。しかしいつまでもこんな所でやりあってるヒマはない。カタをつけなければ。焦っていた。 大きな衝撃音がして、警備員達が飛び込んできた。たぶん監視カメラの異常を見つけたのだろう。もっと早く来てくれればよかったのにと思った。おかげで気に入っていたジャケットに、大穴が開いた。「大丈夫ですか?」「あぁ、早く捕まえてくれ」「犯人に告ぐ、すぐに凶器を捨てて両手を上げなさい」 警備員達が男を包囲し、説得していた。リューはそれさえも悠長に思えた。さっさと片付けてしまえばいいのにと腹を立てていた。「ナイフを捨てろ。逃げられないぞ」 飛行機への搭乗時刻が迫っていた。ここまで来たのだ、ニューヨーク行きのシャトル便に乗りたい。リューは警備員達の視線を避けて、静かにレストルームを出た。彼らの視線は犯罪者に釘づけになっている。被害者がいなくなっても気づかないようだった。そのまま何食わぬ顔をして搭乗ゲートへと向かった。 マッチオがいた。イライラして待っていた。「ボス、遅い。長すぎる」「免税品を見てたんだよ。ニューヨークで彼女への土産を探すよ。何がいいかな」「女、プレゼント好きね。絶対喜ぶ。日本人、ブランド大好きね。イタリアでもいつも買い込む。スカーフにバッグ、女は好き」「じゃあ、それにしよう」 こうして、リューとマッチオはローガン空港を離陸した。イタリアから、ケンブリッジにやってきた頃を思い出した。ニューヨークを経由して、成田の新東京国際空港に向かう。 ニューヨークには、ジョン・F・ケネディ国際空港とニューアーク国際空港がある。 リューには、殺人の依頼者の見当がついていた。いつもの事だ。跡目争いは。だからマッチオがリューについている。彼は秘書兼教育係だがボディガードでもある。 どうすればこの流血闘争から逃れられるのか。このまま人知れず消えてしまいたい。ボルチェリーノの名を捨てられればどんなにいいだろう。 だが待てよと思った。あいつは「あれはどこだ?」と訊いてきた。「あれ」とは何だ。「あれ」とは? 判らない事ばかりだ。日本に着けば初めてペンペルと会えるというのに、何者かによっていい気分が台無しにされた。 小さな窓から果てしない青空が微笑んでいる。いつも自然は優しい。何一つ責める事なく見守ってくれる。 こうしていても、ちぎれ雲を降りしきるような満開の桜に見立てるのは、どこかで日本人の遺伝子が疼いているのだろうか。(俺の孤独な魂は、いつもあの雲のように、漂流している。どこへたどり着くのだろうか)(女の胸の中か、それとも血の海なのか)
2011.10.14
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一台のリムジンが学園都市ケンブリッジから、ボストン港に浮かぶローガン空港へと向かっていた。ローガン空港は、五つのターミナルを持つ近代的な空港だ。 このネイビーブルーのリムジンには二人の男が乗っていた。一人は二十代前半。もう一人は三十代後半だ。若い男はリュー・ボルチェリーノ。手入れの行き届いたブラウンカラーの髪を、肩まで伸ばしていた。服装は、黒シャツにジーンズにジャケットとあっさりとしている。カジュアルさを好むが、その指にはメンズものの指輪があった。インクルージョンの少ないエメラルドが、その存在感を示していた。イタリアからの留学生で、今はマサチューセッツ工科大学でコンピューターサイエンスを学んでいた。マサチューセッツ工科大学は、優秀なエンジニアや科学者を輩出している。 もう一人の男はがっしりとしていてボクサーのようだ。いつもリューの後をついて回っているボディガードのような男だった。彼はその体躯をいつも黒いスーツで包んでいた。靴も、曇り一つなく研かれている。睨みを効かせるためにいつもサングラスをかけていた。どんな眼をしているのか、彼のボスでさえ忘れてしまっていた。彼は自分の役割をしっかりと肝に命じていて、ボスをつかず離れず見守っている。その鍛えられた拳は、殴った相手を即死させるほどのパワーがあった。 リューは疲れていた。前日まで課題のレポートに追われていて、眠ったのは朝の四時だった。厳しい課題をこなさないと卒業ができないアメリカでの大学生活はかなりハードだ。 空港までの道程で飛び込んで来る日差しが、車内に陽だまりを作っていた。陽だまりに身を委ねながら、彼は浅い眠りに落ちて入った。子供の頃から暗殺に怯えていた。こうして無防備に眠れる場所は用心棒のマッチオの隣だけだ。今まで生きてこられた事が奇跡だった。 こうして眠ってしまうと純白の意識の中に、いつもあの悪夢がやって来る。(忘れるなリュー。お前もマフィアの血族。悪意の化身だ)(一人だけ善良を気取るな。お前も宿命からは逃れられない)(ほら、こうして印をくれてやろう。お前の胸と額に、悪意の刻印を付けてやる) 男は首に凶器を突き付け殺意を剥出しにし、恐怖で凍り付いていた胸に男は何かを刻んだ。刺青ではなかった。 誰一人いない孤独な部屋で、世界から見離されていた。男の殺意にアンティークな家具たちも震えている。無防備で無力。男はそんな世界の支配者だった。無敵で無情な悪意だった。(ほら、もう一つ) 悪意は、少年リューの前髪をかき上げると、さらに握りこんだ凶器で刻印を刻んだ。 破裂するような痛みが、頭部を切り裂いていった。「やめろ!」リューは現実に戻ってきた。「ボス、どうした?」中世の甲冑のような武骨な男が覗き込んできた。「呪いのような悪夢を見ただけさ。十数年とりつかれていると気が狂いそうだ。眠る事さえも恐ろしい」 リューは髪をかき上げて、指先で現実の悪夢を確かめた。感知しなかった刻印の感触が、指先の皮膚に伝わって来る。そう夢ではない。現実だ。あれからずっとここに存在している。逆十字の刻印。反キリスト。反逆の印。悪意の刻印だ。神の存在を信じぬ者には似合っているが、あの時の痛みと敗北感は、生涯忘れえぬ恐怖だった。「ボス、俺がついてる。いい夢を見ろ」マッチオは主人を励ますように肩を叩いてきた。「日本へ行って、輝くような桜を見る事ができれば、悪夢を振り払う事ができるのかもしれない」「ボス、すべての手配は終わっている。あとは空港でチェックインするだけ。搭乗券とクレームタグを受け取ればOKだ」「確か日本への直航便はなかったはずだ」「ニューヨーク経由で手続きをした」「わかった。ありがとう」「例のペンパルには報せたのか?」「あぁ、成田まで来てくれるそうだ。今回だけは急いでいたのでメールを使った」「彼女との文通は長いね、ボス。一番気に入ってるのか?」「他にも、フランスや南米のペンパルと文通していたけど、みんな途切れてしまった。日本の三島茜とだけ続いたよ。彼女には何でも打ち明けられた。屋敷での孤独感や淋しさを何でも話す事ができた。彼女も、姉妹達や友人との葛藤を打ち明けてくれた。何千キロ離れていても、会った事がなくても、彼女は俺の親友だった」「孤独な子供がぬいぐるみの代わりに持ったのが、手紙だっただけだ。レトロだが人間的だろ。血なまぐさい世界の監獄のような場所で狂わないために、俺には必要だった」「ボスはずっと孤独だった。でも俺もいる。心配ない」「ありがとう。君は最高の友人だ。MITでも友人が沢山できたが弱みは見せられない。どこかで構えてしまうのは俺の悪いクセだ。あぁ、日本へ行くのが楽しみだな。桜が見たいよ。満開の桜が」(リュー、あなたは日本の桜が好きだと書いていましたね。いつか春に満開の桜らを見にきてください。そしてあなたに桜吹雪を見せてあげたい) リューは、胸ポケットに忍ばせておいた手紙を指先で触った。「ボス、もう桜の時期は終わってる。桜は四月だ」「そうだった、淋しいな。一度見てみたかった。花が雪のように舞う桜の大木を」「日本、歴史ある。美しいもの、他にも沢山ある」「そうだな」 ローガン空港にタクシーは到着して、二人はチェックインカウンターへと向かった。荷物をX線に通して搭乗券を受け取った。まだ時間があったが、中で待つ事にする。「顔を洗って来る」「大丈夫か?」「俺はもう二十一だぞ」 リューが合図をするとマッチオはうなずいた。マッチオは子供の頃からリューに付いている教育係だ。世の中の事はすべて彼から教わった。卑屈にならずに済んだのも、彼のおかげだった。リューのためにマッチオなどんな事でも答えてくれたし、見せてもくれた。言葉はなくとも、視線だけで相手の心を察する事ができる。二人は、それほど父子以上に絆が強かった。
2011.10.14
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スーツに身を包んだ男達が止まった車から下りてきたので、佐伯は車を急発進させた。うまくまいたと思ったのに、彼らは容赦なく追って来る。まるで鷹の目を持っているかのように佐伯を探索していた。すでに、オーランドからかなり離れてマイアミ迄来ていた。この辺りは車が多い。暗殺者達もおいそれとは手を出せないようだ。やったと思った。緩やかな渋滞もある。渋滞に紛れ込めば、やつらは車を見失うだろう。しかし佐伯はある事に気づいた。リゾート地でオープンカーは目立ちすぎた。リゾート気分にこだわらず普通車にしておけばよかったと、佐伯は思った。 二人の男達はマイク付きのイヤホンをしていた。ターゲットの情報は逐一送られてきていた。情報が来るたびに男達はにやりとした。もう敵は手のなかだ。手にとるように動きが判る。地の果てに逃げようと、地下に逃げようと捕捉できた。 渋滞に巻き込まれている佐伯の車は、ずっと捕捉されていた。追跡者の車は後方三百メートルの位置にいた。肉眼では全く見えないが、手元のモニターには映像が送られてきている。佐伯がイライラしながら、渋滞の渦にいた。 渋滞がとけて佐伯の車は、快調に走りだした。大西洋を望みながら走れば、いいドライブのはずなのだが、今は追われている身だ。しかも相手はすでにジャニファーを殺している。 それでも男達は追って来る。佐伯は不慣れな道を、ただ猛然と飛ばしていた。カーチェイスもした。爆弾も仕掛けられた。次は? たしかこの先は、エヴァーグレイズとかいう国立公園だったはずだと佐伯は思った。フロリダには遊びにきたが、そんな湿原地帯に行くつもりはなかった。フロリダ半島の最先端にある。そういえば、世界遺産になっているとガイドブックにあった。大きさは東京都の二倍以上だった。強大な水溜まりのような湿地帯。どこか羨ましくもある。動植物も豊富で、ワニやマナティーが有名だ。追われていなければ、エアボートでスリリングな体験をしてみてもよかった。どうして非常事態なのに、悠長な観光気分が抜けないのかと思う。 緊張が続くと人は、白昼夢のなかに花園を見てしまうものだ。無罪の逃亡者は観光ではなく追跡者の恐怖から、世界遺産へと追い込まれていた。「捕捉しました。ただいま、サエキはエヴァーグレイズ国立公園に向かっています」「見失うな」「大丈夫。衛星からの映像はクリアです」 佐伯の車の後を追っているのは、白のセダンだが、その五百メートル後に怪しげなワゴン車が追っていた。遥か宇宙の上空から追跡しているのだ。何度見失っても、追ってこられたのはこのためだ。「あいつら、どこまでひつこいんだ。このノートブックがほしけりゃくれてやるのに」 とうとうカーチェイスのようになった。セダンは車にぶつけて来る。何度もヘッドをうちつけて、脅しにかかってきた。まるでワナに追い込んだ獲物をいたぶるようにだ。背後から強烈な衝撃が襲って来る。中耳にまで食い込んで来るようだ。「やめろ、やめろ。俺は何もしてないぞ」 それでも謎の暗殺者は容赦しない。映画の中で、殺されゆく被害者達の恐怖が、佐伯にも想像できた。 車線をはみ出した車は、対抗車と接触しそうになり、佐伯は急ハンドルを切った。断末魔のようなタイヤの摩擦音が鼓膜を震わせた。耳を閉じたかった。辛うじて対抗車をよけたが、高速道から外れ、脇道に乗り上げてしまった。勢いがついた車は軽業師のように横転した。佐伯はシートベルトをしていたので怪我はなかった。真横には湿地の一部が口を開けている。場所はフロリダ。アリゲーター達の天国だ。湿地帯では彼らが待っている。意を決して、ベルトを外すと命を賭けるつもりで外へ飛び出した。脇にはコンピューターを抱えていた。浅い湿地を踏みながら逃げた。男達も車を置いて追いかけて来る。執拗な追跡だ。「サエキは止まりました。車をおいて移動している模様。大丈夫。馬鹿な男だ。徒歩なら逃げられない。仕留めたも同然だ」 すでに佐伯の足取りは鈍かった。恋人を殺され執拗に追われ、疲労が激しかった。鞭で打たれたような体は、鉛を背負ったように重い。車を捨てて湿地へと来てしまった事は、愚かな事だった。しかし空白になった思考は、佐伯を湿地へと追い込んでいった。 動物達のたてる音が、全方位から容赦なく耳元に届いて来る。鳥のはばたき、泣き声。アリゲーターが獲物を捕らえる音かもしれないし、獲物を飲み込む音かもしれない。 青空の下の世界なのに、閉ざされた密室で聞かされているかのようだ。 それでも見知らぬ追っ手から逃れるために、佐伯は湿地帯の深部へ入り込んでいった。 小さな点だった男達は次第に近づいて来る。地獄からの呼び声が聞こえてきた。はじけるような音が二回した。佐伯が胸を見ると、鮮血がにじみ出てきた。撃たれたのだ。撃たれたという感覚を銃社会とは無縁だった佐伯は今実感していた。痛みを感じていたのだが、どこかでもう楽になれるのだという快楽が誘惑していた。さっさと殺されてしまえば、悪夢から解放されるのだから。 追跡者の男達の足元の湿原には、絶命した東洋人が浮いていた。遠方で様子を窺っていたアリゲーターが、見知らぬ男達の様子を観察している。早く食いたい、食ってもいいのか。湿地独特の植物の茎の隙間から、その情容赦のない瞳孔を動かしていた。「念のために銃弾を取出し、ワニに食わせろ」 男達は横転した車からノートブックを取出し、ディスクが入っていないかを確かめた。何もないと判ると、佐伯のバッグの中身をぶちまけた。バッグに、それは入っていた。「OK。任務完了」 口元のマイクを通して、闇の深部にいるボスに伝えられた。 湿原の奥深く、噛み砕く鈍い音が聞こえてくる。アリゲーターの食欲は旺盛だった。
2011.10.14
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「流星の挽歌」2 宮部みゆきさんとか、室井さんとか、篠田さんも編集者を呼ぶ小説教室に通っていたらしい。室井さんは純文学作家と結婚したので、作家の家族枠も使えるけど、離婚なさったから、お子さんも作家の家族枠が使えるのでしょうか。うらやましいです。(中島らもさんの娘さんもデビューしたし。他にも兄妹作家とか普通にいるよう。吉行さんところとか) 教室の募集には編集者が来ますとは書いてなかったはず。生徒さんのブログを見ないとわからないんですよね。○○文学全集に収録します(笑) アフリカで生まれた人類は、二大陸を渡りこの大陸に辿り着いた。今は第二の支配者が国を建国し、現在にいたっている。 この大陸でその恋人達は楽しんでいた。スポーツカータイプのレンタカーを飛ばし、オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートからホテルへと急いでいる。リゾートの傍のホテルには空きがなかった。ここは治安がいいので、オープンカーも気持ちがいい。オーランドはフロリダ半島の真ん中に位置し、南部の田舎街から今は世界の羨望の的のリゾート地だ。夏はかなり蒸し暑い。そういう所は日本に似ていた。二人はマサチューセッツ州ケンブリッジからオーランドに遊びに来た。昨日着いてチェックインはすでにしてある。 男は佐伯京助。マサチューセッツ工科大学の留学生だ。リゾート地なので、それに合うように、アロハで決めてきたがどこか浮いていた。ズボンはもちろんハーフパンツだ。日本とは違い、遊ぶ時は思いっきりカジュアルにするのがアメリカ流だ。リゾートで長ズボンをはいているのは日本人くらいだ。大人になると、足を出して遊ぶ事に慣れていないからだろう。佐伯でさえ、リゾートはみんなハワイだと思い込んでいる。オーランドで遊んだ後はマイアミまでレンタカーを飛ばし、大西洋を眺めながら、最先端のキーウエストへ行くのが予定だ。セブン・マイルズ・ブリッジを車で走るのが夢だ。海を渡っているようで、爽快な気分にさせてくれるだろう。 とにかく今は、ルックスだけの女と楽しもうというのが、日本からの留学生、佐伯京介の本音だった。「ねぇ、ちょっとあのアウトレットショップに寄って行こうよ」 美人に胸を寄せられるとたまらない。男は幼児のように言いなりだ。素直にいいよといって、パーキングに車を滑り込ませた。リゾートだけあって、このような大型ショップが沢山ある。 ジェニファーは佐伯が金を渡すとうれしそうに笑って、手を振りながら店に入っていった。佐伯の金が目当ての所もあるが、自分も彼女とのセックスを楽しんでいるから、女の買い物もいいだろうと思った。 佐伯はアイスを食べながら、日本での奄美大島と同じ緯度の青空を愛しく眺めていた。コバルトブルーの空とナイスバディでブロンドの恋人、エリートとしての将来。佐伯は最高のバカンスだと思った。 視覚の中の空が急展開し、佐伯はいきなり車の影に叩きつけられた。悲鳴も出なかった。「お前、佐伯だな。お前がゲームを作ったのか?」「え? なんだ。強盗か? 金ならやる。出すよ」「死ね」「どうして? 助けてくれ!」 男は持っていたナイフを突き刺そうとしたが、柔道をやっていた佐伯は何とかかわせた。少年野球チームにもいたので、動体視力にも自信がある。子供の頃から、あれこれとやりすぎているのが日本人の悪い所だ。役にも立つが一番にもならない。「キョウスケ、どうしたの!」 ジェニファーの悲鳴が効いたのか、警備員が二人やってきた。男はひらりと身をかわすと、佐伯の車を乗り越えて逃げてゆく。あっという間に姿が見えなくなった。反対側から近寄ってきたワゴン車に飛び乗ったのだろう。「大丈夫、大丈夫」 ジェニファーは佐伯を介抱しようとしていた。体もいいが、気持ちも優しいんだと佐伯は思った。「大丈夫、強盗だよ。でも何もとられなかった」 警備員にももういいからと言って、そのまま帰る事にした。ポリスの所に行くのも面倒くさいし、せっかくリゾート地に来たのに、気分が台無しになる。「今夜はホテルでゆっくり過ごそうよ」 ジェニファーが頷いたので、車に乗り込んだ。警備員も客が気にしないので、無理強いはしないらしい。さっさと諦めて戻ってい行った。 台無しになったリゾート気分を引き戻すように、佐伯は思いっきりエンジンをふかした。そのまま快調に車を飛ばす。 暫くすると大きなエンジン音が背後に迫って来ていた。強烈な存在感。ミラーで確認するとすぐ後につけてきていた。日本でも、ヤンキーと呼ばれる若者たちがよくする事だ。 Gan! Guan! しかし今度は音がした瞬間に車が飛び上がった。ぶつけられている。強盗に殺されかけた後なので、男佐伯また死の恐怖を感じていた。 Gan! Guan! また大きく飛び上がった。二度、三度。四度。「何、これ! 殺されるわ!」「俺達何かヤバイ事したか? 何もしてないよな? ここは南部だから、日本人は嫌われているんだろうか。それともホームビデオを作ったのが悪いのか、ウォークマンを作ったのが気に障ったのか。やっぱりジャップが美人とデートしているのが、気に障ったのかな」「ここはリゾート地よ。関係ないわよ。たぶんね」 身の危険を感じて、恐怖と戦っていた。その時、警察車両がトラックの後方に迫っている事をミラーで確認した。助かった、そう思った。しかしトラックは全くスピードを落とさないようだ。 Gan! Gan! また跳ね上がった。自分達のホテルが見えた。トラックを振り切るためにそこへ飛び込んだ。確認すると、トラックは猛スピードで通り過ぎていった。「よかった。からかわれただけなんだろう」「悪趣味だわ」 ジェニファーは買物した物をしっかりと抱き締めて、憤慨している。「俺は車をいい場所に止めて来るから、君はモーテルのオヤジにカギを借りて、部屋に行っておいてくれ」「オーケー」 恋人は佐伯をとりこにした腰をふりながら、ハイヒールの音を軽快にならしている。やはり美人の恋人はいい。目の保養を男にさせてくれるだけで、美人は存在価値があるのだ。 佐伯は車をおいて部屋へと向かっていた。ジェニファーは部屋に入ってみると、ベッドの上に箱が置いてあった。きれいな包装紙で包装してある。モーテルのオヤジの差し入れだろうか。何となくく浮き浮きした気分になって、走って行って箱を開けた。 佐伯は巨大な音と共に突き上げられた。地面から飛び上がり叩きつけられた。続いて雨霰のように小さくなった残骸が空から降り注いできた。腕や肩、頭部にも容赦なく降って来る。「何だ!」モーテルの建物を視界にとらえると、すでに残骸になっていた。ジェニファーが入っていったはずの、自分の部屋は消滅していた。まだ宇宙人が攻めて来て、上空から破壊していったと思えた方が信じられたくらいだ。不幸はいきなりやって来て、突然終わった。「ジェニファー!」 瓦礫をかき分けて彼女を探そうと駆けよった。すると肩を叩く者がいた。振り返ると男が二人立っていた。「サエキ、PCはどこだ?」「何? なんだって?」 男達は威圧的だった。もちろん日本人の佐伯より、二まわりほどでかいという事もあったが、リゾート地にふさわしくない服装だった。サングラスに背広で、びしりとしていた。ただそのスーツが麻のような軽い物であるだけだ。どう見てもリゾートに遊びに来ているとは思えない。任務を遂行中といった威圧感を持っていた。「PCなんの事だ? ケンブリッジのアパートに置いてきた。持っていない」「持ってない?」「俺はリゾートに来たんだぞ」 男達が反復したすきに、佐伯は二人を擦り抜けた。全力で走って車に飛び乗った。非常時に、オープンカーは便利だ。ジュンコはダッシュボードに仕舞ってある。 思い切って道路を走って行った。何度も対抗車にぶつかりそうになる。その度に悲鳴のような音がした。 明日は何も起こらなければ、恋人とウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートとユニバーサル・オーランド・リゾートで楽しむはずだった。まだユニバーサルとディズニーの一部しか楽しんでいない。ディズニー・アニマルキングダムとMGMスタジオに行っていない。サファリで動物を見て、沢山のアトラクションを楽しむ予定だったのだ。なのに妙な殺し屋の登場で狂ってしまい、しかも恋人は爆死させられてしまった。 日本からアメリカに留学してきて、三年。飛び級はできなかったが、たっぷりとコンピューターサイエンスを学んだ。世界の頭脳を目指そうとする若者達と出会い、自由闊達に未来のIT社会について議論を重ねた。日本に戻れば、最高の企業に勤め、最高の仕事ができたはずだった。それとも起業して、ベンチャー企業の社長になろうかと思案していたというのに、どうしてこんな事になったのだ。 何故ここまで執拗に追われるのか判らなかった。待てよ、そういえば強盗が何か言った。そう、そうだ、お前がソフトを作ったのか?と言った。意味がよく判らなかったが、今ピンときた。ソフトだ。男は助手席に投げ入れた、愛用のノートブックを見た。ジュンコと呼んで可愛がっている。初恋の先生の名前だ。まさか、ソフトの事を知っている者が、他にいたとは。あれは俺達四人だけで作った物だ。ただの卒業制作だった。 酒を飲みふざけながら愉快に楽しく作ってみた。自分達が遊びたいゲームを作ってみたというそんな気分で作っただけだった。誰か裏切り者がいたのだろうか。通報したやつが。いたとしたらそれは誰だ。誰。ドイツ人かそれともあのイタリア人か。それともフランス人か。男の思考の中で、その問いは何度も繰り返された。 全速力で走る。男達は見えない。もしかしたらうまくまけたのかもしれない。ジャニファーは生きているだろうか。生きていたとしたら佐伯が一人だけで逃げた事を怒っているだろうか。となると、二人の仲はもう終わりだ。しかしまだやる事はあった。ジュンコを開いて立ち上げた。そのあいだに通信機能を準備した。こうすれば仲間に報せる事ができるはずだ。「リュー、気をつけろ。俺達は狙われている」 焦っていたが、伝えたい事はすべて書き込んだ。キーボードを叩くのは慣れている。打ち込むとすぐに送信した。そしてバッグの中のディスクを確認した。ディスクがすべての元凶かもしれない。早く廃棄しなければ。 後方支援のワゴン車の中の男達は、懸命に佐伯の車を探していた。高度百キロメートル上空から、オーランドの市街地の俯瞰の映像が次々と送られてきている。「いました。発見しました。佐伯です。今は車を止めて何かをしているようです。判りました。ノートブックを使っているようです。仲間に報せているのかもしれない」「大丈夫だ。この作戦では四班に別れている。すでにターゲットを捕捉している。あとは時間の問題だ」 蒸し暑いワゴン車のなかで二人の男は、モニターを見ていた。「資料によると最大のターゲットはあの男だな。あれは難しいぞ。どうするつもりだ」「任せてください。我々はプロ中のプロです。相手が誰であろうと必ず処理します。今までの仕事でそれは証明済みのはずですが。障害が高ければ高いほどやりがいがあります。結果は必ず出しますよ」「このAチームの処理も、すぐに終わりますよ。我々は砂漠の鼠の穴だって、見つける事も可能です」「我々には宇宙の眼がついている。その眼は偵察や監視をし軍事的情報収集をし、軍事行動の統制支援もしている。いざとなれば、宇宙から敵を破壊でき、昼夜、気象、地形に影響を受ける事なく、全地球規模で寿命が尽きるまで、永続的に任務を果たす事ができる。高度数百キロメートルを飛び、その解像力一メートル以下という抜群の能力で、地表の広範囲な捜索と精密な偵察を行い、早期警戒用や遠距離通信にも活躍する」「キラーはそれこそ神の代理人だ。指令を出せば、あらゆるものを破壊する」「便利な世の中だ。我々はメカによって神になった。何かを殺すも生かすも気まぐれにやれる。宇宙人が今やって来ても勝てるような気がする」
2011.10.14
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ボルチェリーノ家は呪われていた。 組織のナンバーツーであったミケーロ・ボルチェリーノとその妻ミホ・ボルチェリーノは招待された富豪のパーティへと向かっていた。誕生日や記念日には必ずそういったイベントをするのが、上流階級の決まりごとだ。強大なプライドのために多額の金を費やす。 十二月の季節らしく、雪で広大な富豪の所領は覆われていた。吹雪というほどでもないが雪は間断なく降り続いている。広大な敷地の真ん中に自然を支配するかのように建立されていた屋敷から、上級な音楽が流れて来る。前後にはボディガード代わりの部下が乗り込んでいるリムジンが、二人を守るように走っていた。「なんだ!」 突然前方に火が走った。視界がオレンジ色に焼き染められ、視力を失った。衝突を避け急ブレーキをかけたリムジンが、激しく回転し森の大木に衝突した。クラッシュした瞬間にさらに横転し、道路から投げ出された。何度も回転しシェイクされバウンドし、雪の中にめりこんだ。その衝撃で、新雪がはじけ矢のように空中へと散っていった。リムジンは大破し、ありとあらゆる部品が夜空へと飛び上がりそして落ちてきて、雪にブスブスと突き刺さってゆく。 後続のリムジンも同じように転がってきた。破裂したような小さな音が、何度も聞こえている。銃撃だ。素人ではなかったミケーロにはすぐに判った。屋敷に作った射撃場で訓練をしているし、マシンガンのような銃器も扱った事がある。長すぎた高級なコートの裾をたくし上げると、脱出を急いだ。「ミホ、急げ、爆発するぞ」 リムジンの乗客は命からがら這い出すと、新雪の中を四つんばいになって逃げ出そうとしていた。這い出してすぐに妻を探す。頭を車に突っ込み女の腕を見つけた。そして渾身の力で引きずり出す。部下達のリムジンもやられている以上、助けは期待できない。ここは一人でやらねばならないと彼は思った。何て事だ、油断した。こんな時に襲撃されるとは。息子を置いてきてよかった。「ミホ、しっかりしろ。目をさませ」男は妻の頬を何度も叩いて、正気にさせようとした。いつまでもこうしていては、すぐにやられてしまう。動物の子供が生まれ落ちてすぐに立ち上がり走るように、態勢を整えなければならないと思っていた。「あなた、あたし達どうしたの?」「襲撃されたんだ。すぐに走るんだ。見つかるぞ」「!」殺気だ。背後に立っている大男が、ミケーロとミホを見ていた。闇の中の闇色の男。まるで死神だ。横転したリムジンのヘッドライトの太陽のような純白の世界で、巨大な死神の影が二人を眺めている。「お、お前は誰だ? 組織の裏切り者か?」「・・・・・・・」 Batubuatubatubatu! ミケーロは衝撃を確かめようとして、視線を落した。指の先が赤黒く染まっている。 痛みが遅れてやって来て致命傷を負った事に気づいた。「BYE」 Batubatubatubatubatubatu! さらに撃ち込まれて視線を動かすと、死神の銃口は愛しい女を指していた。「や、やめろ」 狂気に気づいて、ミホは雪のなかを走ろうとした。足を飲み込まれそうになりながら、ミホは泳ぐように逃れようとしていた。ミホの生への渇望を深い雪が阻んでいる。雪は無邪気に殺人者の共犯者となっていた。 Batubatubatu!「ミホ!」 女は雪の中の深紅の湖で溺れている。飛び散った血潮が周りの雪を、美しい血模様で飾り立てていた。女の最後の仕事だった。それだけが女が人間であった事を語っていた。「お前ももう死ぬ」「たのむ、息子だけは助けてくれ。リューだけは殺さないでくれ。俺達だけで十分だろう?」 妻を失ったばかりの瀕死の男は、残してきた一粒種の事を思っていた。たった一人の愛しい子。この世に一人だけ残してゆく事が残念でならなかった。男の特殊な世界であの子が生きていけるのだろうか。守護者がいないという孤独と恐怖に、一人で戦ってゆけるのだろうか。特殊な能力でもあれば、最後の言葉をあの子に送ってやりたい。「さぁ、それはどうかな。血脈は完全に断たねばならない。禍根は断っておくのが生き残る術だ」「たの、む。子供だけは殺すな。息子だけ、は」 Batubatubatubatu!「さっさと死ね。往生際が悪い」そうして暗殺者が鉄の狂気をホルダーに納めると、彼の部下達が走ってきた。雪が深くかなり足をとられているが、彼らは一流だった。太く逞しい体躯で、難なく追い付いてきた。雪の対策のために、防寒防水が完全なゴム製のスーツを着ていた。闇色のそれは、純白の雪の中で宇宙のように不気味に光っている。ブラックホールへと人間達を誘うかのようだ。ありとあらゆる暗殺術を身につけ、依頼者の依頼を完璧にこなしてきた悪意の化身だった。「上もすべて片付けたぞ。大した事はなかった。一人残らず蜂の巣にしてやった」「いや、まだガキが残っている。こいつの血脈はすべて断つ」 暗殺者は完全なる悪意だった。情をひと欠片も持ち合わせていない。男の暗殺計画は完璧であったが、すぐに成し遂げられる事はなかった。それでも男は諦めなかった。諦めの悪さだけは恐竜並みだったが、頭脳は明晰、慎重で欲深く狡猾だった。
2011.10.14
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