★スーパーマン★好きだ★ 0
プロット「イケメン」 0
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「ここらしいわよ」 如月家は長屋の端の家だった。なぜか懐かしい雰囲気の露地がある。細やかな庭も持たない者たちが、小さな鉢をいくつも置いている。「ムスコの知り合い? 孫、のトモダチかいな。どうぞ上がってください」 すぐに出てきた老人は、明快に笑って中に入れてくれた。小さな痩せた男だった。あのビセイネンとは似ても似つかない小さな老人だ。きっと血はひいているが、遺伝子は出なかったのだろう。「あのぅ、あたくし足が悪くて、イスの方がいいのですが?」「わかりました。ではこのイスにどうぞ」 老人は台所から持ってきたらしいダイニングのイスを勧めてくれた。車椅子は玄関においてメイに肩を貸してもらいながら、そのイスに座った。どこの家庭にでもあるライフスタイルの変化で使わなくなった半端なイスらしい。埃で座面が真っ白になっていた。「あ、ムスコは今、出ておりますが、くつろいで下さい」「お構いなく」老人は藍子とは違い、足腰も健康なようだ。足取りも軽く、すぐに台所から茶を入れて持ってきた。「うつにはコーシーのようなコウキュウ品はありませんでな。お茶でいいでしょうかな?」「はい、お構いなく」もちろんただの好奇心でやって来たのだ。丁重にもてなされるほどの客ではない。「あたし、昼から授業があるから帰りたいんよね」「え、じゃあ、いいわよ。タクシー会社に電話をして一人で帰るから」 ミチルは老人同士のまったりとした会話に付き合っていられないといった顔をしている。二人の会話は退屈な教授の講義並みに、つまらないのだ。一秒でも早くこのジゴクから抜け出したいと思っている。「アキラさんとはいつから一緒にお住みになっているのですか?」「うーん、ムスコとはずっと一緒に住んどるよ」「そうですか」 もう少しこの老人が若ければ、再婚相手の対象者になっただろうが、まだ二十数年も一緒にいたくはないタイプだ。恋愛感情は抜きにしても、ずっと一緒にいてもいいと思えなければ、夫婦でいるのは不可能だ。「あ、あの、先ほどはムスコさんとおっしゃいましたか?」「そうだよ。辰弥はムスコ」「あの、アキラさんでは?」「ムスコだよォ。辰弥はムスコ。そういえば五年前に死んだような気もしてきた、なぁ。結婚もでけんまま死んでもたな。アイツ可哀相にワシに似て、チビで冴えん男だったからなぁ」「死んだ?」「確か、孫と一緒に交通事故で死んだわいな」 如月晃の祖父は、すでに痴呆が始まっている老人なのだ。しかもアキラは孫ではないのかもしれない。もちろん痴呆老人の言うことなど、どこまで真実かは判らないのだが。 藍子は視界を広げてみた。すると吸い込まれるようにしてそこに仏壇が入ってきた。大事に飾られている遺影。たしかに息子の年令らしい中年と中学生くらいの子供が映っている。 老人がトイレに立ったすきに、仏壇を物色したら、確かに息子は如月辰弥とあった。 ではあの如月晃は誰なのか。ヘルパー登録くらいでは、大した身元確認もないだろう。 本人が「如月晃」です、祖父と一緒に鍵野町に住んでいますと申請すれば、きっとそれが通るのだ。公務員でさえ、学歴を偽ってもバレないでいたくらいだ。孫の戸籍謄本でも住民票でも、ボケ老人を上手く扱えば、手に入れられたかもしれない。「・・・・・・藍子さん」 背後からテノールの心地よい声が聞こえてきた。それはまるで、教会で聞く賛美歌のように反響していた。「アキラ、さん。いえ、如月さん?」 ビセイネンが笑っている。身元不明、正体不明の如月晃。「あなたは誰なんですか?」「覚えていないんですね?」 アキラは美しく笑った。 彼のその美しさ、神々しさにやはり見覚えがあった。あぁ、あなた、あなたは、その日本人離れしたほほ笑みは、まるで彫像のような・・・・・・。
2013.03.02
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「アイシテル」7 あのビセイネンは必ず一分足りとも遅れなかった。いつもぴったりとホーンを鳴らしてくる。それよりも藍子はカレの声を聞くのが朝の唯一の楽しみだった。「おはようございます」「今日はいつもの掃除に加えて、窓拭きなどをご依頼でしたね」 カレは働き者だ。もちろんケアプランに沿ってやっているだけなのだが、藍子にはトクベツに思えた。「一昨日から寝たきりの老人の夜の介護に行っておりました。夜中に下着やおムツを取り替えるんです。施設なら夜勤のヘルパーがやるのでしょうが、自宅での介護は大変ですよね」「他にも行っているのね」「もちろんです。片桐様のお宅は二日おきですから」 アタシのカレが他の女の世話をしている。アタシの王子さまがアタシ以外の女を知っている。そう思ったら妙に腹が立ってきた。「アキラ、じゃないヘルパーの如月さんをあたしの担当から外してくださいな」「どうしてでしょうか?」「あ、あの」 嫉妬だ。アキラが他の女の尻を拭いているなんて許せなかった。他の女のパンツを替えているなんて絶対に許せない。「前にも言いましたように、ただ今人手不足ですので少々のことは我慢して頂かないと」「でも、ヘルパーを選ぶ権利はこちらにあるわけですよね」「カレはヘルパーとしては優秀で、しかも対応がいいので引っ張り蛸だったんですよ。けれどカタギリさまの介護には男性の方がよいと判断したので、彼の勤務を無理遣りに調整して派遣したのですが、もう一度考えて頂けないでしょうか?」「わ、わかりました」 またもや片桐藍子は引き下がってしまった。本当はアキラを離したくない。アキラを他の女に見せたくない。「あのぅ、如月さんは一体どういう方なのでしょうか?」「どういうと言いますと?」「つまりどこに住んでいて、どのような経歴の方なのでしょうか?」「ヘルパーについての詳細な情報はお教えできませんが、鍵野町に祖父と住んでいると言っておりました。ですからそういうご年令の方々のお役に立ちたいという志のようでした」「そ、う」 カギノチョウ。心にメモった。アキラの秘密を一つ手に入れた。「えー、また付き合うの?」藍子はミチルをまた携帯電話で呼び出した。 もうおばさんの相手はこりごりといった顔をしていた。「この前は如月さんを幼馴染みのスパイみたいに言うし、今度は何?」 姪のミチルも、さすがにヘソ曲りの藍子にまいっているようだ。それでも藍子は容赦せずに、探偵ごっこを始めようとしていた。「おばさん、もうすぐ、寝たきりで悪口ばかり聞こえている老人だって言われちゃうわよ」「いやぁね。まだ老人じゃないわ」「もうすぐよ。もうすぐ」 藍子から逃げ出したくて、ミチルは嫌われるようなことを平気で言ってくる。「だからヘルパーに探り入れてないで、リハビリに励んだら。一人で家を歩いてみるとか、二階に上がってみるとか、そんなことからでも始めたらいいのに」「明日からちゃんとするから、今日は付き合ってよ」 藍子はなんとかミチルを説得すると、鍵野町へと向かった。タクシーで行けば五つ向こうの町だった。「ね、おばさん、ヘルパーの住所を突き止めてどうするの?」「年が合うし、いい青年だから、あなたにどうかなって思ってね。身元調査よ」「えェ? たしかにハンサムだけど、ちょっとクール過ぎてとっつきにくいのようね。性格も○らしいけど、近寄りがたいカンジなんよ」「そうかしら?」 まだ若いミチルにはアキラの良さは判らないのよと藍子は思った。ビセイネンはアタシにだけ優しいんだからと一人で喜んでいた。 藍子は何とかミチルに、アキラの家を尋ねるための動機を知られないように必死だった。老いらくの恋による好奇心だとバレたら、あの息子たちに筒抜けになる。息子たちの高笑いが今から聞こえてくる。「この辺りに如月さんってお宅はありますか?」「如月さん? うーん、あのうちだったかな」 ミチルに探偵のように聞き込みをさせた。歩いている人間を片っ端から呼び止めて、如月家を探索させた。すると二十分くらいで知っているという主婦を見つけることができた。
2013.03.02
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「アイシテル」6「え、アキラ君の伯父さんを知っているって?」 携帯電話で呼びつけたミチルに、藍子は冷凍だった高級ケーキとコーヒーでもてなした。今、姪にへそを曲げられると、どうにもこうにもならない。息子たちは空の向こうだ。 スイーツで若い女をてなづけられる。ミチルは菓子のオマケを見つけた子供のように、ケーキを眺めていた。「えぇそう。きっとあの人の甥だと思うやけど。今では年賀状を交換し合うだけの仲だけど、きっとあたしをからかってやろうとして差し向けたんよ」「差し向けた? とうとう呆けたん?」 とうとう、ミチルは寝たきりにボケが加わってどうにもならんわといった顔をしている、「スパイ映画じゃあるまいし。あたしだって学生なんだから授業があるん。単位を取らないと大学を卒業できないの」 ミチルは、ケイタイの番号を教えるんじゃなかったというような顔をしていた。「だからその男の所へ行って、しっぺ返しをしてやりたいん。だからついていってちょうだい。おこづかい五千円あげるから」 藍子はあの手この手で若者を手なづけようとしていた。年をとるとずる賢くなる。「今どき五千円で飛び付く子供なんていないで」 可愛い姪は、なんでもはっきり言う。にらむように口を曲げた。「じゃあ、八千円にしてあげる」「アキラくんに連れていってもらえば?」 藍子がビセイネンに会いたいのを、見透かしたように姪は言った。「カレは今日休みやし、黒幕のオジサンとこに行くのを知ったら、きっとバツが悪いと思うよ」「黒幕って。じゃ、仕方がないわね」やっと姪が折れた。ワコウドを手なづけるのは難しい。「タクシーでいいから」 藍子はアキラに見覚えがあった。どこで会ったかは覚えていないが、たしかに会ったことがあるのだ。それはきっとカレの伯父にあたる男が幼馴染みで、似ているからだと思った。 最近のタクシードライバーはヘルパー二級を持っていることが多いので、藍子を丁寧に乗せてくれた。けれども、あのビセイネンにお姫さまダッコをしてもらうコトにはかなわない。 幼馴染みの家は、子供の頃に住んでいた祖父母の家の近所だった。といっても農家だったのでご近所とは数百メートルも離れていた。鏡のような水田が、まるで檻のように、築八十八年の家を取り囲んでいた。どこにでもある典型的な農家の造りで、南側に大きな窓が連なり、縁側がある。そこに誰かが座っていて、まどろんでいる。視界を広げると豊かな緑陰が水田と家を包み込み、穏やかに癒している。 確かに、緑を眺めることは爽快だ。ずっといると退屈かもしれないが、時折見つめるにはちょうどいい。 あの幼馴染みはあの頃は鹿児島出身の母親似の美少年だったが、たぶん今は・・・・・・。あのはっきりとした顔立ちはどうなっているだろう。「あ、あ、藍子ちゃん。そうか、久しぶりやな」 立派なオジさんになっていた。顔は日に焼けこんがりと小麦色になり、筋肉が作り出した深いミゾが笑うたびに口の回りに現われている。紅顔の美少年もすでにオヤジ世代。歳月をは恐ろしいと藍子は思った。「そう三十六年ぶりくらい? あたしが引っ越ししちゃったから、それっきりやね」「君が両親の離婚で、祖父母のうちのあるここにやって来たとき、都会から可愛いコが来たなって思ったけど、そうでもなかった」「それってどういうこと? そんなに可愛くなかったってこと?」 藍子は持って生まれた気の強さで、言い返した。「ハハハ。そういうことかな。都会から来たコは垢抜けて見えるからな」 頭皮が透けて見えるようになった幼馴染は、容赦がなかった。言いたいことを行ってしまうと、豪快に声を上げて笑った。「で、あなたが差し向けた甥ごさん、よく働いているわよ」「甥?」「ヘルパーのアキラくんよ。あなたに何となく似ていたから、きっとそうだと思ったのよ」 幼馴染は目を丸くしていた。「からかってやろうと思ったんじゃないの? 幼馴染みのアタシが寝た切きり寸前だから」 さぁ、白状しなさいと藍子は強気で探りを入れた。「寝たきり寸前? だから車椅子で来たやな?」 さらに不思議そうな顔をして、藍子がボケ老人になったのではないかというような顔をしていた。「じゃ、アタシの怪我のこと知らなかったの?」「当たり前だろ。年賀状には書いてなかったじゃないか。その後だったんだろ、怪我をしたのはさ?」 そうだった。骨折したのは二ヵ月前の三月末だ。年賀状には書いていない。藍子はあっと思った。思い違いだ。「じゃ、どこで会ったのかしらね」 謎は解けなかった。
2013.03.02
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なんかコメディのような香りもしますね(笑)アイコがとっても滑稽デス。いつか行く道を想定して書いてみました(笑) 「アイシテル」5 駅前はすでに通勤通学の波が消え、穏やかになっていた。晃は軽やかに藍子の車椅子を押してゆく。金属の音だけが、内耳に届いてくる。 駅に着くと最近の駅にはエレベーターがあるので、簡単にホームに上がることができた。藍子は胸を張っていた。見てみて、あたしの晃よ。カ・レ・シよ。ステキでしょ。今はアタシだけのもの。誰にも渡さない。「電車が列車が来ましたよ」 晃は巧みに車椅子を操って、緩やかに車内へと藍子を導いた。それはまったく危うさを感じさせない動きであった。「車椅子の扱い、上手やね」「プロですから」「ヘルパーのお給料って高いの? ウワサじゃ、ハードな割に安いって聞いたけど」「そうですね、男が一生の仕事として選ぶには安いかもしれません。家族を養うには足りないかもしれませんね」「じゃあ、どうして?」「お姫さまを守るため」「え?」「ただ単に、こうしたお手伝いが好きなだけですよ」「そう」 三十分ほどで病院の最寄り駅に着いた。長身の男と車椅子の女。美青年と初老の女。藍子たちはただでさえ目立っていた。「あたしたちってどういう風に見えているかしらね?」「孫とおばあちゃんかしらね」「さぁ、恋人同士には見えないでしょうか?」「ふふふ」 このビセイネンは女をあしらうのが上手い。いや人を傷つけず、過大な期待をさせない会話が上手いのだ。こういう男はもてる。しかし女を傷つけることはないが、夢を見せることもしない。だがいずれは、こういう男が一番残酷なのだと気付くだろう。「片桐さん、お入り下さい」「はい」 藍子を呼びにきた若い看護師は、藍子の背後に寄り添うように立っていた如月晃と目が合うと、跳ねるように飛びのいた。「あ、あなたは片桐さんのお孫さんですか?」「違います!」 藍子は怒鳴った。孫、孫。違う、晃は晃は孫なんかじゃない。アタシの恋人、アタシのナイト。そう言いたかったが、最後は羞恥心が掛け金をかけた。「ハンサムでしょ。あたしのヘルパーさんよ。力持ちで優しいんやから」「そうですか。うらやましいですね」 本当に羨ましそうな顔をしている。藍子は胸を張った。今、アキラはワタシだけのもの。ワタシだけのビセイネン。誰にもあげない。 バリアーがあるのなら、ビセイネンと自分の回りだけを囲ってしまいたい。美人の看護師には気をつけねばならない。「では、片桐さん。わたしはここで待っておりますので、リハビリ頑張って下さい」「ありがとう」 看護師が車椅子を押してくれたので、ビセイネンは一歩下がって手を振ってくれた。 藍子も手を振った。まるで恋人同士みたい? そう見えたらウレシイ。藍子は夢見ごこちだった。 リハビリ室に入ると、奥から待ってましたとばかりに理学療法士の男がやって来て、藍子を静かに立たせてくれた。「片桐さん、いいですか、骨折治療の後のリハビリは重要です。これをやらなければ、一生動けなくなりますよ。いいですね?」「は、い」「まずは軽いストレッチです。藍子をお手本にマネをして下さい」 イッチニッサンシイッチニッサンシという療法士の掛け声にあわせて、藍子は久しぶりに体を動かした。ベッドでも両足を上下に動かしたり、トイレに一人で行ってみたりとリハビリはしていたのだが、在宅になってからリハビリに専念することになった。「では次に、座ったままこのボールを膝にはさんで足を上下に上げ下げしてください。はい、イッチニイッチニイッチニイッチニ」 どうして療法士はあのビセイネンではないのかと、藍子はフマンに思っていた。苦虫を噛み潰したような中年の顔を眺めていては、やる気も起こらない。「次は片足づつ上げて下げて、上げて下げてを繰り返して下さい」「は、い」ビセイネンがいないと淋しい。ビセイネンがいないのでやる気が出ない。藍子のテンションは下がりまくりだ。「はい、次はイスから立って、座って、立って、座ってを繰り返して下さい」「次は平行棒につかまっての伝え歩きです。はい、初めて下さい」 療法士はどんどん課題を与えていった。藍子は目が回ってきた。早く(あたしの)ビセイネンに会って、ハグがしたいと密かに思っていた。「在宅でも、腕の力が落ちています。ヘルパーに介助されているとますます弱くなります。それ以上弱らないように、二キロのダンベルを上げてください。いいですね。高齢になると恐ろしいほど、下り坂を転がるようにして体力筋力共に落ちていきます。ですから少しでも予防するために、筋力の維持管理を心がけましょう」「は、い」キンリョクイジ、筋トレ、それはマッチョな男がすることだと思っていた。 こうして藍子のリハビリは続けられた。「えー、男のヘルパー? いいのか? 恥ずかしくないのか?」 ヘルパーが来たことを国際電話で長男に報告すると、反応が悪かった。勉強に集中させるために家の手伝いを何一つさせなかったことが悪かったのか、今でも「風呂、食う、寝る」しか言わないと嫁がグチをこぼしていた。 欧米諸国では料理のできない夫は離婚されるという。藍子はしまったと思った。母親のカイゴをさせるために、スパルタ教育で、息子に家事手伝いを仕込んでおけはよかったと後悔していた。「あ、でも、オムツを替えてもらうわけじゃないし、それに」「それに?」 ビセイネンだからと口走りそうになったが、言葉を飲み込んだ。いい年をして息子に、ビセイネンのヘルパーに欲情しているとは思われたくはない。五十を越えた母親が老いらくの恋などと、笑い話のネタにされたくはない。 息子が声を上げて高笑いしている姿が想像できた。腹が立った。けれども、経過報告はしておいた。「俺が国際電話でお手伝いサービスに抗議の電話をしてやるよ。女性の介護に男とは何事だってね」「やめてよ!」「え?」「あたしたいいって言っているんだから! 今のうちに、お世辞の一つでも言っておかないと、あの鬼嫁にシモの世話をしてもらえないかもよ」
2013.02.24
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「アイシテル」4pipipipipipipipi。「こんにちは。こちらは嬉野お手伝いサービスです」「あ、はい」 午後六時を過ぎて、さっそくケアステーションから電話があった。様子を聞きたいのだろうと藍子は思った。 車椅子から転げ落ちないように慎重に車を転がして、子機を取った。「片桐さま、今日あの派遣いたしましたヘルパーは、いかがでしょうか?」「あ、あの。そのぅ、たしかによく気が付く方ですが」 まだ迷っている。たしかに離したくないほどのビセイネンだ。ずっと傍において眺めていたい。でもこのままでは、オボレテしまう。「あの、やっぱり女性の方に替えてくれへん?」「女性がいいのですか?」「そうです!」「どういう所がお気に召さないのでしょうか?」「あ、あの、ステキな方ですけど、やはり女性の方が気兼ねがなくって」「しかしながら、ただ今人手不足ですので、しばらくは如月晃でお願いいたします。よろしいですね」「あ、はい」 強く出られない所が藍子の欠点だ。押し切られると成すがままになってしまう。 この時、電話の向こうにいるのが如月晃本人であったことに、藍子は気付かなかった。 (きっと連れにくるから、ここでずっと待っていて。きっと。どこにも行かない) そう誓いあったのは、どのくらい前であったのだろう。藍子は目を閉じた。 思い出すだけで、目頭が熱くなる。目が痛い。いま心から泣いている。数十年時折みる夢のなかで、いつも藍子は泣いていた。何かを忘れている。 暁光がカーテンの隙間から忍んできて藍子を暖めていた。雀の小さな声がして一人きりになった家主を気遣っているように思えた。目覚ましが不要になったのは、結婚して夫の弁当を作るようになってからだ。習慣になると機械よりも先に目覚めてしまう。人間は訓練されると何よりも正確になれるものだ。ホーンの音でさらに目が覚めた。「おはようございます」 折り目正しい藍子の騎士(ナイト)がやって来た。もちろん時間通り、午前八時半ぴったりだった。 ホーンの後に、低音の軽やかな声が聞こえてきた。藍子はベッドの脇にあるインターホーンに手を伸ばして答えた。「今は、二階の寝室よ。渡してあったカギで開けて入って」「わかりました」 耳をすましているとカギが開けられる音がして、晃が入ってきたことが判った。藍子は、まるでストーカーのように耳をすましていた。一段目、二段目、三段目、四段目、五段目、六段目、七段目、八段目、九段目、十段目、十一段目。十二段目。十三段目。十四段目。 晃が発する音。一挙手一投足が藍子の語感を刺激している。どんな音でもビセイネンンの音ならトクベツに聞こえる。優雅で軽やかな晃の音。 グチが多く可愛くなくなった息子の音ではない。いい子だが機関銃のようにうるさいミチルの音でもない。まるで俳優のような、ギリシアの神が天空から降臨してきたかのようなビセイネンの音。 藍子のために、藍子のためだけに晃は天上からやって来たのだと藍子は思いたかった。「お食事の下準備をしてきました。すぐに仕上げますので、お待ちください」 「は、い」「あのぅ、その前に二階から降ろしてくれる?」 二階のベッドから声を張り上げて叫んだ。「わかりました」 きっぱりとした凛々しい物言いが、ビセイネンをさらに魅力的に見せていた。軽快に階段をかけ上がってくる音がして、(イトシイ)晃が二階へとやって来た。「片桐さん、入ってもよろしいでしょうか?」「ど、どうぞ」 マジャマの衿元がはだけていないかを確かめた。これでも乙女だ。若い男に柔肌を見せるわけにはいかない。せめて八十才を越えて、ボケて完全に寝たきりになるまでは見せまいと藍子は誓っていた。「おはようございます。すぐにお着替えを始めますか?」「は、い。よろしくお願いいたします。今日はそこに掛けてあるワンピースにします」 藍子は歩けないわけではなかった。なんとか伝い歩きはできる。ただムリをしたくないだけだった。「このワンピースですね。わかりました」 晃はベッドに座っている藍子の布団をゆっくりと上げ畳むと、藍子の両足をそっと支えてくるりと回しながら、床に付けた。まだコルセットをしている足。醜い足。よろよろとしている皮膚が、まるで作りもののミイラのように見せていた。「恥ずかしいわ、こんな足を見られて」「大丈夫ですよ。すぐに治りますよ」 そういう意味ではなかったのだが、晃はするりと答えた。無難な言い方だ。さすがはケアステーションの所長が無理遣り置いていっただけはある。客あしらいが上手いのだろう。しかもビセイネンだ。ウレシイ。「下着の方のお着替えはご自分でなさいますか?」「は、はい」「いいえ。着替えさせて下さい!」「わかりました」 晃はベッドの脇においてあったスリップを渡してくれた。藍子はパジャマのボタンを外すとスリップを頭から被った。 胸が見えた瞬間に、貧相であった乳房がシワっぽくないか気になって確認した。大丈夫、まだそれほど酷くない。こういう時貧乳であったことが幸いしているのか、まだ酷い形でもない。 アキラに見られる時間をできるだけ短くするようにして、慌ててブラジャーをかぶった。 続いて首の所にあったスリップを下まで被ろうとしたが、上手く被れなかったので、喘いでいた。「大丈夫ですか?」「あ、ちょっと手伝ってくれる?」「わかりました」 晃が両手を添えて手伝ってくれた。物怖じもせずに、手を添えてくれた。「あ」 晃の指がスリップと一緒に、藍子の脇腹のあたりを軽やかに滑っていった。緩やかに優雅に。藍子には特別に感じられた。 彫像のようなアキラ。ギリシアの神々のように美しいアキラ。藍子に重なるようにして、アキラの肢体が躍動している。皮膚の感度が高まり、特に堅くなった左右の胸筋が、ゆっくりと蠢動しているのを感じていた。藍子の背中を、皮膚や筋肉の微動が優しく暖めている。 藍子は晃に気付かれないようにしながら、指先を晃の背中に回した。撫でるように触ると、晃が応えてくれたように感じた。「あ」 このままこのベットの上で晃を愛してしまいたい。このまま晃のすべてをはぎ取って、彫像のような肉体を愛したい。 あと二十才でも若ければ、このビセイネンを誘惑したことだろう。夫がいても、夫が死んでいなくても、カレを絶望的に愛したい。「いいわ」 女の下着の扱いに慣れているのだろうかと藍子は思った。アタシのビセイネンが若い女の着替えを手伝っている、他の女の裸を見ている。そう思ったら、火山が噴火する寸前のように頭に血が上ってきた。「慣れているのね? 他の女にもこうしてるの?」「え?」「何でもないわ」 年がいもなくつまらないことに怒ってしまった。ヘルパーなのだから、他の女の裸くらい何度も見ているだろう。若い恋人だっているに違いない。老いらくの恋。自覚はある。けれど、押さえられない。「では、ワンピースを着ましょうか」そういうと晃はワンピースのファスナーを下げて渡しくくれた。そして藍子はそれをまた頭から被った。「腕を入れましょうか?」「だ、大丈夫。自分でできるわ」 少し苦戦はしたが、何とかワンピースを着ることができた。「あの、ストッキングを取ってくれる?」「わかりました」 晃はまだ未使用の靴下をパッケージから取り出すと、はきやすいようにたくしあげてくれた。「ひ、一人ではムリみたいやわ」「それでは、手伝いましょう」 一人でやりたい。けれど、ビセイネンに履かせてほしい。ビセイネンがどうやって履かせてくれるのかをずっと見ていたい。 二人で一緒に靴下をはく。足先からゆっくりと晃が靴下を差し入れてくれた。足の先でビセイネンの指がなめらかに滑ってゆく。白く長い指が藍子の足を軽くなでている。くすぐったい。ウレシイ。 晃の肩が何度も藍子の髪に触れた。数センチ、視線のすぐ先にギリシアの神々のような晃の顔がある。軽やかなウエーブを描く前髪が、晃の動きに合わせて揺れ動いている。 膝上までのストッキングはすぐに足におさまった。そのすぐ上には醜いコルセットがある。(アイシテル)「え? 何か言った?」「いえ、何も」 如月晃が彫像のような頭部を振った。(ずっとずっとこの瞬間を待っていた)「え? また何か言った?」「いいえ」 ビセイネンは優雅に首を振った。形の良い唇がゆっくりと動いている。「イヤだわ。あたし、幻聴が聞こえるわ。自分の都合のいい幻聴が。歳のせいかしら? もしかして痴呆症? 入院している間に痴呆になったのかも」「誰でもそういう時がありますよ。他人のグチでさえ妙な意味に聞こえるものです」「そう、やね」 藍子は恥ずかしそうに顔を赤らめて、晃から視線をはずした。視線をはずした瞬間に妙なものを見たと思った。「あ、そこ?」「どこですか? 痛むのですか?」「あたしじゃないの。あなた、そこ。首の右側、あなたからだと左かしら。ケガ、してるの? 皮膚が灰色になってるわ?」 晃は驚いたように首を長い指で触った。そして焦ったように襟足の髪で隠した。「大丈夫ですよ」「でも、色が変色してたわ。病気じゃない? それにその手の内側も変色してる。まるで古びた紙がハゲているみたいやで」「違います。何もありません。あなたは僕のことなど、気にしなくてもいいのです!」 優しかった、女神のように優雅であったビセイネンが声を荒げた。藍子は驚いて、子犬のように硬直した。「怒鳴ったりして、申し訳ありません。お許し下さい。片桐さまは治療に専念をなさっていればいいのです」「は、い」説得力があった。「では下に下りましょうか? お腹がすきましたね。朝食を作りましょうか」 晃は藍子を抱き上げると、ゆっくりと歩き始めた。人にはお姫さまダッコのように見えるだろうか? お姫さま、お姫さま。 ずっと昔、誰かにそう呼ばれていたような気がする。「どこかで会ったことがある?」「え?」「何となく初めて出会ったような気がしなくて」「いいえ。多分今回が初めてですよ」「そうよね。あなたはまだ二十才そこそこ。あたしは五十四才だしね。あたしが乙女だった頃、あなたはまだこの世にいなかった」「まるで孫とおばあちゃんやもんね」「まだお若いですよ。これからじゃないですか」「そう、かしら?」アキラの指が肩に触った。ウレシイ。「今日から頑張ってリハビリをして、元気になりましょう」「そう、やね」「じゃ、すぐに朝食の準備をします」 ビセイネンの作る朝食は純和風で、惣菜売場の惣菜よりもいい味付けだった。「あぁ、外は三日ぶりやわ。元気だった頃には毎日のようにスーパーマーケットに出掛けていたのに」 駅までの道すがら、藍子はおしゃべりが止められなかった。「これから毎日でも散歩に出ましょうか?」「そうね」 ビセイネンとの散歩。ウレシイ。 夫がいなくてよかった。夫が死んでいてくれてよかった。 いま、乙女のように胸が弾んでいる。
2013.02.24
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「アイシテル」3 お手伝いサービス会社の所長は挨拶だけでさっさと帰ってしまった。残されたのは藍子とビセイネン。藍子の自宅の古びた玄関に立っているのだが、晃の周辺だけがヨーロピアンリゾートのように見える。ハリウッド映画を見ているのだろうか、それとも夢を見ているのか。「では、始めてもよろしいでしょうか?」 如月晃は会社が支給したエプロンをすると、腕まくりをし、すぐに晃の仕事を始めた。教育が行き届いていると藍子は思った。無駄な時間は作らない。「まず、夕食の下拵えをさせて頂きます。材料もすでに準備しておきました。先程所長と一緒に買物を済ませてきました。今夜はニクジャガとお味噌汁でよろしいでしょうか?」「は、い」流れるような仕事ぶりに、藍子は感動していた。「キッチンはどこでしょうか?」「む、向こうです」 藍子が車椅子の車輪を回そうとすると、晃がさっと寄り添ってきて、車輪の上の藍子の手を握った。「あ」手を払い除けた。「申し訳ありません。不作法なことをいたしました」「い、いえ。そういうわけでは」 そう、そういうわけではないのだ。手を触られたのがイヤなのではない。美青年と触れ合ったのが恥ずかしかったのだ。 まるで乙女のようにトキメイている。顔を上げると長身の晃の顔が、遥か真上で優しく笑っている。こんな優しい顔を見たことがない。全くスレていない。キカンボウの孫たちとは違う白亜の微笑み。「あ、あの、手がカサカサなんよ。恥ずかしくてね」 頬が赤らんでいないことを祈った。赤くなった老人など見られたくはない。「じゃ、後でクリームをお塗りしましょうか」「お、お願いします」 キッチンまで晃に押してもらいながらやってきた。(オヒメサマ)「え? 何か言った?」「いいえ、何も申し上げておりませんが」「そう、いいわ。気にせんでいいいわ。あのあたしは、若くないけど、お肉も好きなんやわ。唐揚げなども時々はお願いできますか? とくにテキサスチキンは好きなんで。精進料理のようなものばかりも困りますわ」「わかりました。そういう風にメニューを組み立てるようにしましょう。デザートも買ってきましたので、お召し上がり下さい」「は、い」 三十分ほどで、晃は肉ジャガの材料を手際よく準備し、煮込み始めた。味噌汁の具材もまるでプロの料理人のように、美しい音色がしている。 若人らしい引き締まった尻。手が動くたびに背中の筋肉が蠢動していた。思えば結婚した夫は公務員で文系だったから、ヒョロリとしていた。ちょっと押したらよろめくくらいで、無表情で愛想がなく怖かった。「退屈しませんか? テレビでもご覧になりますか? それとも?」 いきなり晃が振り向いたので驚いた。斜めからの角度でも、晃はウツクシイ。「ここでいいですわ。テレビはほとんど見ませんし」「わかりました」 美しい上に、豹のような体躯。しかもよく気が付く。夫は新妻の後ろ姿を見て興奮するというが、いま藍子は、長身で美しい青年の後ろ姿を愛でるようにして興奮している。 夫が見ていなくてよかった。夫がいなくてよかった。藍子は呟いた。「ほとんどできましたので、その間に掃除をさせて頂きます」 晃の声かけで、我に返ることができた。「は、い」「片桐さまは、お二階の方でお待ち頂けますか?」 晃の丁寧な物言いに感動していたが、どうして関西弁が出ないのか気になった。愛想はいいので、硬質には感じられないのが救いだ。「い、いいえ。車椅子だから、廊下で待ってるわ」 藍子まで標準語っぽくなっていたので、驚いた。言葉は移るものだ。「わかりました。すぐにお連れいたします」 晃は狭い日本の廊下を車椅子を巧みに動かし、玄関脇の位置にまで藍子を連れてきた。「ここでお待ち下さい」優しい。晃は優しい。 若い頃、地味でまったく異性にモテなかった藍子が大事にされている。多くの男の中から選ぶ権利もなく、仕方なく見合いで無口で怖い夫と結婚した女が、今、美青年にかしずかれている。ウレシイ。 晃は壁や額にハタキをかけている。長身なので短いハタキでも天井まで届いている。そうしておいて、男性らしく大きな家具も上手く除けながら、手際よく掃除機をかけている。シャツの袖をまくった腕で、筋肉で隆起した血管が、小気味よく動いていた。「この部屋はもう少しですから、終わりましたらここでおくつろぎ下さい」「は、い」藍子は玄関のゲタ箱の上に置いてあった、夫とのツーショット写真を伏せた。「これからはヘルパーもあらゆる家事のプロにならないということで、お掃除サービスの専門部署に研修に行かされました」「だから手際がいいのね」 相槌をうっていたが、藍子はヘルパーにただ見惚れていた。「今日は初日ですので、拭き掃除までさせて頂きます」「は、い」 晃はてきぱきと休む事無く、次から次へと仕事をこなしている。やはり男性は体力があるのねと藍子は感心していた。アメリカ暮しが長い孫であれば、同じようにできただろうか。「明日からリハビリですね。病院の予約は何時ですか?」「あの午前十時半ですわ」「では午前九時頃にお迎えに伺います。あの藍子は免許を持っていませんし、朝の道は込みますから、電車でよろしいでしょうか?」「は、い。確かに車だと時間が計れませんね。とくにあの道は工場までの通勤者が多いようですから」 「あ、それから、あの、一人では着替えができないので、朝の準備の方も頼んでもいい?」「はい、わかりました。お手伝いをさせて頂きます。それでは八時半頃にいたしましょうか」「つ、ついでに、朝の食事の方もお願いしていい? 何でもいいわ。パンでもご飯でも」 ミチルにはいざとなったら何でもできると豪語していたが、藍子はわがままになっていた。ビセイネンと通院。しかも電車で。人はどう思うだろう。晃は孫にでも見えるだろうか。ウレシイ。
2013.02.24
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こんにちは。投稿したら似たようなのが出て終わりなので、これと同じようなのがあってもそのへんの人は関知いたしません(笑)「アイシテル」2「そんなに落ち込まない方がいいで。おばさん」 大学の講義とアルバイトを終えて藍子の自宅にやって来た姪のミチルは、ポテトチップスをつまみながら言った。「だってカイゴよ。カイゴ。あたしはまだ五十四才なのに」「介護保険が使えないなら自費でヘルパーに来てもらえばいいやん。その人にリハビリに連れていってもらうといいで。かなり、頑丈そうな人がいいよね。おばさんは、重そうだからね」 ミチルは、若い娘らしくふんわりとしたシフォンのオーバーブラウスに、流行りのバギーパンツを着ていた。最近の服は夏でも冬でも、シフォン素材が多くなっていて、重ね着をするようになっている。あんなにスケスケだったら、痴漢に襲われるのではと藍子は思っていた。藍子のような年配者向けの店でさえ、そういった薄物素材しか置かなくなった。重ね着が面倒臭い藍子は、あまり買わなくなった。早く流行なんて終わってしまえと、いつも恨めしく思っていた。それに細身が流行だと、藍子のようなふくよか体型は、ブラジャーからはみ出した肉がそのまま透けて見えて、まるでヒモで縛ったハムのように見えるのだ。「どうせ、あたしは小太りや」「フフフ」 姪のミチルは鼻先で笑っている。どこか面白がられているようだ。若い娘にとっては、年配者の不幸はオシャベリのネタにしかならない。きっと合コンで話の花を咲かせているのだろう。老化などとは全く無縁、たった一粒できたニキビに顔をひそめる程度だ。 藍子はこうして卑屈になっていった。きっと世界中の人が、骨粗しょう症で寝たきり寸前のオバサンを笑っている。「やだ。あたし。老人みたいで」「でも仕方がないじゃん。だって一人じゃリハビリにいけないんだから。病院からだって、車椅子なしで帰ってこれなかったんだから」「車椅子くらいあたし一人で動かせるよ。スーパーにだって行けるし。いざとなったら松葉杖でもつくで」「ダメ。アメリカにいる衛伯父さんに頼まれてるんや。ハハを頼むって。だから安全な方法でリハビリに励んで、お医者さんの言う通り二ヵ月で治さなきゃあかんで」 姪のミチルは優しい。お気にいりのムスメだ。本当のムスメであったらもっとよかったのに。そうしたら、リハビリくらいは付いていってもらえたのに。藍子は残念に思った。「リハビリ頑張らないと、そのまま寝たきりになっちゃうで。そのままで何十年もベッドに寝たっきりで。ハワイにも行けず、ディズニーランドにも行けず、ずっとヒキコモリ状態」 ディズニーランドが好きなのは、若い娘のあんたでしょう、あたしは数年に一回でいいのにと藍子は腹の中で反論していた。しかし唯一の近所在住の親族だ。彼女しか頼れない以上、大事にしなければと藍子は言葉を噛み込んだ。「だって、ヒキコモリってイヤじゃない?」 ミチルは優しいが、愛のムチも使う。鬼嫁よりも恐ろしい。 要介護認定は64歳からなので、自費でヘルパー兼お手伝いさんを雇うことにした。息子達は海外や地方に居住し、嫁はきっと寄り付かないだろう。しかし姪のミチルだけに頼ることも可哀想でできず、施設への入所を拒んだ以上はこれしか選択はなかった。「こんにちは。嬉野お手伝いサービスです。サービス員を連れて、ご挨拶にうかがいました」 ヘルパーがやって来た。これが八十前後の心身共に衰えた老人なら、嬉しくて涙が出たことだろう。家事、炊事、オムツ替えとやってもらえたら楽でいいはずだ。しかしまだ五十四才の藍子にとってこうなったことは青天の霹靂で、人生でもっとも驚愕の結果だった。 骨折の治療に専念できるが、(若くして)恥をかかねばならない。「はじめまして、所長の金子と申します。彼が片桐さまの担当になります。如月晃です」 アキラ? アキラ? アキラ?「男性ですか?」「あのトイレは自分でお使いになるということで、そういう身体介護は車椅子での介助のみと聞いております。あとは家事炊事全般と補助ということで如月君でもいいだろうと判断いたしました。身体介助は男の方が楽々とこなせますので、お客さまも安心してすべてを任せていただけますよ」 本での読むように、さらさらと金子は言った。藍子にはつまらなかった。「はぁ、でも」「と言いましても、実は最近ヘルパー不足ですので、彼でお願いいたします」 さっさと用事を済ませたいといった感じだ。決定なのだから、承知してくれということなのだろう。藍子は気が小さいので、絶対に嫌だとは言えなかった。「ほら、如月くん、ごあいさつを?」「はじめまして、如月晃です」 低音の爽やかなボイス。晃は所長の背後から現われた。 形のよい相貌。石膏モデルのような顔立ち。ギリシアの神々のようなビセイネン。「「体力には自信がありますので、家事炊事と病院への通院など完璧にさせて頂きます。車椅子への移動も楽々とさせていただきますよ。どんな肉体労働でも軽々とこなせる自信があります」「もしかして私が太っているから女のヘルパーが断ったとかじゃないの?」 卑屈になっていた藍子は、挑むように言った。「そんなことはありません。身体介助は男性のサービス員を優先的に当てています」 (キサラギアキラ)は会社が支給した目にも鮮やかなブルーのポロシャツを着て、綿のスラックスを履いていた。その長い下半身がまぶしくて、藍子は目を伏せた。「よろしくお願いいたします」 その鮮やかなシャツのブルーカラーのように、晃は美しく笑った。
2013.02.24
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こんにちは。投稿、文藝春秋の落選作品「アイシテル」の公開です。(コンテストを検索しなくなったので、名前は忘れました)タイトルが二つあるのは、気が変わりやすいからです(笑)投稿するとすぐに似たようなのが出て終わりなので、この作品も似たようなのが出ていると思います。短編ですが、文字数制限があるので、10コマくらいあります。1から順番に読んでね。「夢語りの憂欝 果ての夢」 1 途切れ続ける夢。それでもずっと現われる。あの時走っていたのは私。私は必死に走っていた。家に泊まっていた田舎暮らし研究会の大学生のチェックのャツと、綿百パーセントのズボンを抱き抱えて、小さな私は走っていた。 何度も振り返って誰も気づいていないことを確認した。確かめて胸を撫で下ろすと、戦利品をそっと四メートル先の蔵へと運んでいった。これを早くプレゼントしたい。きっと彼は気に入る。よく似合うはず。 私の小さな胸は、はち切れんばかりに膨らんでいた。シアワセ。シアワセ。彼のために、私は動いた。すると今度は、彼が私のために動いた。 お気の毒にといった視線で看護婦は藍子を見ていたが、医者の前の丸イスに座らせると少し下がって様子を伺ていた。診察室独特の戸棚は他人ごとのように沈黙し、藍子を観察している。純白のシーツで作られた寝台のようなベッドが、次の患者を待っている。清潔で美しすぎる部屋。落ち着かない。拒絶されているような気したが、嫌っているのは藍子の方だった。 もうすぐ裁判官が藍子に死刑を宣告する。主文、被告人を死刑に処す。被告人を完治まで二ヵ月間の監禁の刑に処す。その医者の宣告の声が、すでに耳元で聞こえていた。 裁官の前でモルモットのように縮み上がった藍子を、宇宙人のような医者が見ていた。宇宙語で何かを告げようとしている。彼女は恐ろしくて次第に現実逃避を開始していた。アタマを馬鹿にしていって、白衣がマシュマロに見えてきたら、恐くなくなった。「大腿骨頸部骨折、全治二ヵ月です、が、リハビリをきちんとしなければ、これから死ぬまで寝たきりになります」医者が宣告をしてきた。「寝たきり? ですか?」 これが片桐藍子―藍子に下された宣告だった。今年、五十四才になったばかりの藍子には衝撃的だった。死刑ではないが、無期懲役のように感じた。人殺しではないのに、ムジツなのに。靴下で滑って、階段から転がっただけなのに。あぁ、スベラーズを付けていればよかったと藍子は嘆いていた。「ご主人は三年前にご他界ということですが、病院を退院後、どなたかお世話をして下さる方はいらっしゃいますか?」 ポーカーフェイスの医者は標準語で話すので、少々冷たく感じた。「あ、あの、子供はすでに独立し、今は仕事の都合でアメリカと北海道に住んでおります。この先も同居をする予定はございませんが、姪のミチルが比較的近くにおりますので、時折一緒に食事などをしております」「じゃ、その姪ごさんに多少は介護をして頂けるのですね?」「カイゴ?」 ぞっとした。恐怖の暗号のように聞こえた。まだ五十四才なのに、要介護になってしまったのだ。寝たきりになるのはずっと先のことだと思っていた。好きになれない気の強い嫁との同居も、その時に考えればいいと思っていた。まだまだ二十年以上先、きっとそうだと思っていた。「いえ、姪はまだ大学生ですので、学業があります。私の介護はできないでしょう」 名案を引き出そうとして、藍子は医者に探りを入れた。「では介護ヘルパーかお手伝いさんをお頼みになればいいですよ。しかしあなたは第一号被保険者ではなく、第二号被保険者です。つまり四十才以上六十五才未満ですので、特定疾病による要介護ではない限り、介護保険給付の対象にはなりません。ですから、五十代というご年齢を考え、骨粗しょう症による骨折という事で主治医の意見書を書きますので、それを提出して下さい。認定結果が通知されば、ヘルパーの派遣を依頼して下さい」「私としては退院後、在宅ではなく施設への入所を勧めます。サービスを提供する施設には介護老人福祉施設、介護老人保険施設、介護療養型医療施設があるので、そういう所に入所される方がご家族の負担にならなくていいでしょう」「はぁ」まるで他人ごとのようだ。あんぐりと開口した藍子は、痴呆老人になったように見えたことだろう。「最近では小さな施設で少人数だけで共同生活をするという施設もあります。一般ではグループホームと呼ばれています。家族のように中規模の施設に集い、ヘルパーの介助を受けながら生活をするのです」 型どおりのアドバイス。もっと名案はないのかと藍子は思った。「あ、あたくしはまだ老人ホームなどには入りたくはありません。絶対に主人が買ってくれた住み慣れた自宅での療養を希望します」「そうですか」 藍子はそう言い切ったが、本当は不安だった。ヘルパーは付きっきりというわけではないだろう。いない時は一人だ。そういう一人の時に、自分で自分のシモの世話ができるのだろうか。 しかし今、(老人)ばかりの施設に入所すれば、本当に五十代の身空で、そのまま寝たきりのボケ老人になってしまうのではないかと思った。まだ藍子は老人ではないという確固たる意地がそれを許さず、赤ん坊のように歩行器で施設をゆるゆると歩き回るという日常に、強い抵抗感があった。老人化が加速し、あっというまに本当の痴呆老人になってしまうのではないかと思った。 それから親切な医者が呼んでくれた介護相談員が、延々と退院後の介護保険の手続きの説明をしてくれた。相談員といっても総合病院の主任事務員だった。 介護保険利用手続きの仕方はこうだ。電話でまず市町村の福祉窓口に相談する、要介護認定の手続きをする、これは本人か家族が市区町村に申請するという。申請は基本的には被保険者本人か、家族親族が行なうが、できなければ成年後見人・民生委員・介護相談員・地域包括センター・ケアマネージャーなどが代行することもできる。それから市区町村の職員が調査のために自宅を訪問する。コンピューターによる一次判定らしい。そして主治医の意見署を提出する、そして介護認定審査会いわゆる二次判定が行なわれ、一次判定の結果と意見署をもとにして専門家によって介護状態がどのくらいでそれほどの介護が必要かを判定するという。要介護のランクには要支援一、要支援二、要介護一~五の七段階がある。非該当は自立だ。そのランクに応じて、給付とサービスが受けられる。 そうすると晴れて、認定結果が通知されるらしい。判定に不服があるときは専門部署に相談すればいいこと、納得できない時は通知を受けた翌日から起算して二ヵ月以内に「介護保険審査会」に申し立てを行い審査請求することができるという。 「在宅」での介護を希望する場合は、作成された(ケアプラン)に沿ってサービスを受ける。ケアプランは利用者または家族の人が、心身の状態や生活環境に応じて、サービスの内容を相談して決める。これに基づいてケアマネージャーがケアプランを作成する。 そしてケアプランの作成依頼をしたことを、依頼届として役所窓口に届け出る。すると待ちに待った在宅サービスが、ケアプランに沿って開始されるのだ。在宅サービスには訪問サービス、通所サービス、短期入所サービス、小規模多機能型居宅介護などがある。「介護サービスを受けながらリハビリを頑張りましょうね」 介護相談員は言った。 kaigokaigokaigokaigokaigo サイアク
2013.02.24
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