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前回、「泣ける子供向けアニメ」について2つ挙げる、と書いたのでその続きを。(ジブリは他作品に圧倒的大差をつけて独走状態なので、あえてジブリは入れないことにした。)まず1つめは、「ブレイブ・ストーリー」。家庭に複雑な事情を抱えた小学校5年生の「ワタル」が異世界で自分の望みを叶えようと冒険する物語。原作は大人向けの小説家として今や日本で知らぬ人がいないほどのベストセラー作家、宮部みゆき。アニメ製作はGONZO。私はこの絵はどうも慣れそうもないなあと思いながら劇場の客席に座った。が、ファンタジーという「ありえない・ご都合主義な」舞台で冒険するにはこのキャラクターたちの「リアルじゃない顔」がかえって功を奏したと思う。声優以外の芸能人を、主役2人はともかく端役にたくさん使ってしまったことで、非常に「聞き辛い」面が多々あったことが唯一の難点だと思うが、全体としての出来栄えは「泣けるアニメ」として文句無く上位にランクイン、だと思う。小学校5年生くらいになると、子供は一見自立したように見える。何が良くて何が悪いか、いちいち説明しなくても、ほぼ大人並みの判断力を手に入れたようにも見え、迷惑をかけるような行動はぐっと減る。だから親はほっとして手を離してしまうのだが、実は社会の深部などの、それまで見えなかったものが見えてしまうようになるのも5年生頃で、この年齢の子供は子供らしい純粋な正義感を持ったままそれらを受け止め、動揺したり、苦しいと感じていると思う。(少なくとも私はそうだったし、我が子たち2人もそのように見えた。)汚いものや許せないけどどうにもならないこと、受け入れられない悲しい出来事・・そういうものを、まだ未熟なバリアーしか無い純粋な心に、日々突き刺さるように感じながら、彼らはきっと泣きたかったり、叫びたい気持ちを押さえて生きていると思う。どんな嫌なことでも、何もかも受け入れなきゃならない・・もう小さな子供じゃない。頭では解りながらも、彼らはきっとこの苦難に満ちた世界を歩くための地図を探している。思い通りにならない世の中で、どうやって自分を保っていったらいいのか、本当のところを誰かに聞きたいと思っていると思う。このアニメは、そんな10~13歳くらいまでの子供たちに、不条理な運命と向かい合う勇気をくれる「地図」のような作品だ。この年齢の子供は誰もが1つか2つ、相談しづらい、それなのに解決できない苦しみを抱えていて、ひとりそれをもてあましていると思う。その問題に立ち向かう方法を、ワタルとのこの旅で、子供たちはきっと見つけることができるだろう。個人的には、原作とは違う結末のカタチがすごくいいと思う。ラスト20秒で、この作品を作った大人たちの善意、苦難を抱える成長途中の子供たちに対するあたたかなエールを感じて、どっと泣けてしまった。続いてもう1つの作品は、「劇場版ポケットモンスター・ポケモンレンジャーと蒼海の王子マナフィ」。解説の必要が無いほど有名な、日本が世界に誇るアニメ「ポケット・モンスター」の劇場版9作目、2006年夏公開の映画。ポケモンマスターを目指す少年サトシが、ピカチュウをはじめたくさんのポケモンと触れ合い、仲間とともに成長していく物語。この映画では、ポケモンレンジャーの活躍や、サトシの仲間・ハルカとマナフィというポケモンとの触れ合いがメインで、サトシとピカチュウはやや端役気味(笑)。でもこのふたり(一人と一匹?)の息の合いっぷりはきっと過去の映画の中でも最高なのではないだろうか。私がこの映画で一番泣けたのは、オープニングの「水系ポケモンの水中サーカス」のシーン。このしょっぱなの、驚きに満ちた素晴らしく楽しいシーンに、私は映画を観ている劇場じゅうの子供たちの心が、すっぽりとこの世界に入り込んでしまったのを感じた。まるで「ハメルンの笛吹き」のように・・。この、子供をただ楽しませるためだけに作られた数分間のシーンを見ただけで、この映画を作ったスタッフたちの善意、子供たちへの愛情がいかに深いものかということが伝わってきて・・私はこの作品のスタッフたちに手を合わせて拝みたいほどの感謝を感じつつ、覚えず涙してしまった。毎日殺伐とした事件が続く日々の中で、我が家の一番小さな娘も、悲しいニュースなどのTV報道を見て泣いてしまうことが何度もあった。空想の世界でも楽しく遊べるような小さな子供たちは、TV映像で流れるどこかの誰かに起こった不幸な出来事からも、現実に自分の身近に起こった不幸な出来事からも、同じように悲しみを受け取ってしまう。彼らの心はピュアで、公平だ。そのような鋭い感受性を持つ小さな子供たちにとって映像の力は絶大。世の中の治安が悪くなり恐ろしいニュースを耳にする機会が多い現代の子供たちに、せめて子供のために作られたアニメを見ているときくらいは、悲鳴や暴力の無い世界で遊んで欲しいと私は思う。ポケモン映画は、まさにそんな私の願いを・・そしてきっと多くの幼い子供を抱えたお母さんたちの願いを・・叶えてくれる作品だと思う。ポケモン映画は非常に慎重に、丁寧に作られているのを感じる。登場人物たちの、他者への気遣い、言葉遣い、思いやり・・それらは「人間以外の動物」の代名詞であるポケモンにも同じように向けられる。架空の生き物たちとの触れ合いを描きながら、ポケモン世界が伝えてくるのは、人間と自然、人間と人間以外の生き物との、互いを尊重しあって生きる姿にほかならない。暴力や自然破壊に立ち向かい、ポケモン(=自然)と共生していこうとするサトシたちの生きかたは、小さな子供たちに優しい心と勇気、そしてすべての生きとし生けるものへの思いやりこそが、ひとが生きていくうえで一番大切なことなんだと無言のうちに教えてくれると思う。劇場版ポケモンはこの映画で9作品目。私はその多くを子供たちに付き合って見てきた。(なんせ一番上の子・リョウが7歳のときに最初のポケモンのゲームソフトが発売され、TVアニメが始まったので、本当に初期の頃からの付き合いになる)どれも子供への善意にあふれた映画たちだが、私はこの9作目は特に傑作だと感じる。回数を重ねるごとに、グレードアップしてきたということなのだろうか。この夏公開の10作目で、また子供たちはサトシとポケモンたちの世界へ遊びに行くのだろう。その日を楽しみにできることは、今を生きる子供たちにとって、幸福なことだと思う。ポケモンスタッフは、現代日本の子供たちの、数少ない「味方」の大人たちだ。これからも将来を担う子供たちのために、夢のある良質なアニメを送り出してくれることを、私は心から願っている。
2007/05/30
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あまりの可愛さと斬新な発想に驚きました。画像が小さくて残念なのですが・・クリックするとリンク先が見れますので、興味のある方は、どうぞ。 イマドキはこんなのあるんだ~とビックリしたので貼っておきます。我が家のサエは小さい頃浴衣が大好きで、2、3歳のときは夏はパジャマではなく、浴衣を着て寝ていました。地域のお祭りのときは、夕方お風呂に入って浴衣に着替えて夜店や山車を見て歩くのが大好きでしたが、やはり長い時間歩くとなると、どうしても裾さばきの悪い浴衣は着崩れてしまうし、疲れてしまうのですよね。おんぶするにも、浴衣を着ている子供って着崩れて大変!きっとそのあたりの問題を解消することを考えて作られたのでしょうね。いやはや、参りました!個人的には編み上げブーツを履いて着る、七五三用のドレス着物もちょっと面白いと思いました。着て歩くのが楽というメリットだけではなく、写真栄えしそうな感じがします。着疲れしないから、写真館のセットの中でもいいお顔ができるんじゃないかな~?我が家の末っ子はすらりと背が伸びて、すでにこういう可愛い系が似合わないお年頃(=4年生)。可愛いさかりのお嬢さんをお持ちの方・・挑戦してみてはいかがでしょう?このほかにも数種類あり・・帯や髪飾り、ブーツなど小物も充実してました。
2007/05/30
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子供向けの秀作アニメは心のもっとも奥の、ベーシックな深みに直接響いてくる。「泣ける子供向けアニメは?」と聞かれたら、私は「アルプスの少女ハイジ」に始まり、「ナウシカ」、「トトロ」・・と次々にタイトルが思い浮かぶ。過去の名作を挙げ出すとキリが無い感じだ。今日はそんな日本アニメ・・特に「子供向け」とくくられる分野のアニメについて、書いておこうと思う。(※私は基本的に青少年向けアニメは観ないので、詳しくありません。「デス・ノート」はちょこっと見たけど私自身の娯楽として高い年齢向けのアニメを積極的に観たいという欲が無い人間なので・・その点は、ご了承ください。)★・・・★・・・★・・・★・・・★世界でも屈指の、ハイレベルな完成度を誇る日本のアニメたち。そのなかでも特に子供向けで、「秀作」「名作」と言われるアニメは、単に映像表現が素晴らしいということだけでなく、観ている子供の心の栄養になることまでをも考え、丁寧に作りこまれている。私は1960年代後半生まれ。この日本という国の、アニメの成長とともに育った。たくさんの善意あるアニメたちに囲まれた私の子供時代は、まるでおいしくて栄養たっぷりのおやつを、毎日食べたいだけ食べていい、と許されているかのような、贅沢な日々だった。アニメ=子供のもの、という単純な図式が成り立っていた私の子供時代は、日本アニメの黄金期でもあったと思う。当時は、TVの中で絵が動いていたらそれは、自分たち子供に向けて作られた、期待を裏切らない素晴らしいお楽しみだということを示していた。私はまだ幼稚園にもあがっていない幼児の頃、TVのチャンネルをガチャガチャと動かし、なんでもいいから絵が動いている番組はないだろうかと探す子供だった。そして幸運にもアニメをやっている局を探しあてたときに感じた胸の高鳴り、ワクワクとした気持ちは、今でも忘れられない。取るに足らない小さなチビ助だった私の期待をも、TVアニメは決して裏切ることなく、満足させてくれたのだ。何を見てどんな気持ちになったのか、具体的に書くには記憶が薄れ過ぎているが、そこには必ず「安心」や「満足」、そして「楽しかった」という感情があったことだけはわかる。昔はアニメは理解力が乏しい子供向けに易しく表現するための映像技術の手段であり、心が成長途中の子供たちのために、夢や希望や善意、何よりも楽しみを与えるという役割が大きかったのだと思う。始まりはそのような姿だった子供向けの日本アニメはその後、消費者である子供たちの成長とともに、次第に高学年向け、ティーンエイジャー向け、挙句の果ては「成人用」まで作られるようになっていった。こうして全体の市場の中での対象年齢の細分化が起こるようになったことに伴って、子供向けのアニメのバランスはピーク時に比べるとかなり縮小したように感じる。このような「対象年齢の細分化現象」が起こる原因として、今、日本は、坂道を転げ落ちるように子供たちの数が減ってきている、ということがあるだろう。街角にある子供向けのブティックがここ15年で次々と店をたたんでいっていることは、この国の「子供向け」というマーケットがいかに縮小傾向で、「面白みの無い」市場であるかを物語っていると思う。(塾などの知育産業は除くが・・)平たく言えば、「子供向けの商売」は、「儲からないからおいしくない」、ということだ。アニメ市場でも、まさに同じような価値観に起因する、同じような現象が起こっているのだろう。そんな力の入りにくい現代子供アニメ市場のなかにも、「名作アニメ」は生まれてくる。名作を生み出しやすいのはやはり採算が予想しやすい劇場アニメということになるのだろうが、私は一時期に比べると、TVにもちょっと驚くような名作がぽつぽつと生まれてきていると感じていて、今後も小さな子供たち(小学生とそれ以下の年齢)のために、良作のアニメが増えてくれるといいなあと思っている。 さて、アニメというものに特別な思い入れがある私が、「泣ける子供向けアニメ」について2つほどチョイスしてみた。印象を、書き留めておきたい。記事が長くなりそうなので、2つのアニメに関しては、また次回・・。ケニア Kangaita製茶工場 PF1 80gX2袋
2007/05/28
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5月、ゴールデンウィーク。私は9歳の末娘と夫を誘って、久しぶりにふるさとの野山へと足を運んだ。私が子供の頃、両親は共働きだった。そのうえ私の家庭は核家族だったため家には祖父母もおらず、小学校から帰ってきても「おかえり」と出迎えてくれる家族はいなかった。しかし幼かった私は、そういう自分の境遇を少しも寂しいと感じたことは無い。家には私のすべてを受け入れ、いつでも変わらず私のことを肯定してくれる、犬の「クロ」が待っていたからだ。待っていた、どころか、彼女は私が学校から帰ってくる道のりの途中まで、ほとんど毎日、私を迎えに来てくれた。(私が住んでいた田舎では昔、犬はみな放し飼いで、あ、誰々ちゃんちのポチがひとりで散歩してるからお菓子をあげよう、なんていう、のどかな共生ぶりだった)クロは名前と違って身体の色は黒くはなく、淡い茶色の長い体毛と賢そうにピンと立った耳、それからフサフサとした立派な尻尾を持つ、中型の雑種犬だった。血統は誰にも自慢できるものではなかったが、クロは賢く辛抱強く優しい、私の大切な「お守り」だったのだ。麦畑の中を通る通学路を友達と談笑しながら帰宅してくると、遠くの麦畑の一部がざわざわと揺れ・・その揺れがこちらに向かって一直線に近付いてくる。そして突然目の前の麦の穂たちが割れると、そこからクロが飛び出してくるのだ。クロは全身をぶつけるようにして『お帰りぃ!』と言葉にならない言葉で言い、私は人間の言葉で「ただいま、クロ!」と言った。うす茶色のやわらかな毛なみ・・深いこげ茶色の瞳。その目は、私のことを無償で愛していると無言の中にいつも語っていた。青い麦の波が終る、麦畑の終点を見ていると、今でもふいにクロが飛び出してくるんじゃないか、という錯覚に囚われる。私は学校から帰るとクロとともに野原へ、森へ、川へと、毎日遊びに行った。野山は命のパワーに満ち溢れ、人っ子ひとりいなくても、いつでもにぎやかなざわめきに満ちていた。それらはあたたかく、私を見守ってくれるたくさんの優しい目のようで、私はいつでも彼らにもっと近付きたかったし、できれば彼らと完全に同じになりたかった。鳥や木や草たちや雲の中には、自分の中にあるのと同じ「何か」が、確かに流れている・・しかし私が自分自身のなかに持っている「それ」はとても希薄で、私は彼らには遠く及ばず、とても近付けない、という、焦りのようなものを感じていた。私は彼らに少しでも近付こうと、麦畑の中にすわってヒバリのつもりになってみたり、川の中でサギやカモの気持ちを味わおうと試みた。草いきれのする野原に座り、花々と友達になるために寄り添ってみたり、森の木々の秘密を知ろうと幹に触れてみたりもした。私はそんな日々の中から、いくつか学んだことがある。例えば、森の木々にはそれぞれ波長の違いような個性があるってこと。似たものに例えるとしたら、「匂い」のようなものだろうか。実際に匂うわけではないけど、どちらかといえば色より匂いに近い感覚のものだ。そしてそれは嗅覚ではなく、手のひらでしか感じ取ることができない。触れなければわからない、微細な振動にも似ている。よく集中して木の幹に触れてみると、木の種類によって「それ」には違いがあった。手の平からしか伝わってこない・・触り心地とも違う・・個性的な匂いに似た、静かに気をつけて触れなければ気がつかないほどの・・無感覚に近いくらいかすかな、波動のようなもの。 私はそれがあることを知っても結局何にも生かせなかったし、それに名前を付けることもせずに今に至る。だけど私は今でもそのこまかな波動のようなものの「違い」を静かに楽しんでいたときの、目を閉じて友達を当てっこするようなドキドキ感を、忘れることができない。私と木々たちとの、楽しい「遊び」の思い出だ。森に向かう。ふいに「おかえり。」という、誰かのささやき声を聞いたような気がして顔をあげると・・森の妖精たちが春のドレスを身にまとって私を見下ろしている。こんにちは。久しぶりに遊びに来たの。 私もこたえる。彼女たちは風にゆすられてさわさわと笑う。私もつられてニッコリする。親友とは、久しぶりに再会しても、すぐに会えなかった時などまるで無かったかのように、近しく心を触れ合わせることが出来るものだ。5月は命が萌え出ずるとき。キツツキのドラミングが響く森のなかで、生き物たちは元気な新人を迎える。やんちゃ者、おっとりさん・・彼らは地からのエネルギーを、からだいっぱいに溜めて生まれてくる。その姿は、強い、生命の光を放ち、まぶしく輝いて見える。毎年繰り返される光景なのに、私はこの季節ごとに、受け止めきれないほどのエネルギーを彼らから感じ、圧倒させられる。森の奥に足をすすめると、高い木々がお日様の光をさえぎり、ひんやりとした湿度を感じるところにやってくる。この木々たちのさらに奥には、私が子供の頃、妖精探しをした森がある。この暗い森を抜けて、私は見たい光景があった。森の出口だ。暗さに慣れた目に飛び込んでくる、森の外の世界へ通じる光の扉。この黒い木々の影にふち取られた美しい光の世界を、私は娘に見せたかった。「すごーい!ここって、何?」「ここは使われてない畑。生えてるのはみんな雑草の芽だから、入って踏んでも大丈夫だよ。」「わあー!わたし一度でいいから、こういう広い野原を思いっきり走ってみたかったんだ!」「ふふふ。やってごらん。走れるかどうか。」「うん!・・あ、あれ?うまく歩けない~!」「畑にするためによく起こされた土は、おふとんみたいにフカフカなんだよ。思いっきり走れる地面は人間が不自由なく暮らすために固められたものなんだってこと、気にしたことも無かったでしょう?」柔らかな畑の土に足をすくい取られ、ぎこちなく歩くサエ。農作物を作る準備が始まったら、この雑草の芽たちは鋤き込まれてゆくのだろう。森の外に出た。ここから広がる丘陵地帯には、開かれた野菜畑が続いている。私が子供のころ、この先には野菜畑ではなく、広大な桑畑が広がっていた。しかしかつて農家の貴重な収入源だった養蚕は、外国からの安い絹製品にその地位を奪われ、採算が立たなくなったのだろう。多くの桑畑は潰され、桑畑は野菜畑へとその姿を変えた。この周辺の農家で、今でも養蚕を続けているところはあるのだろうか。子供の頃、私はこの桑畑の中を通る道へ何度もやってきた。自分の背より高い桑の木がどこまでも続く桑畑のあいだの道は、どこも似通っていて、私は迷子になりながら歩いた。見えるのは桑の葉の緑と、青い空ばかり・・私は今でもときどき、桑畑で迷子になる夢を見ることがある。いくら歩いても同じような光景が続く桑畑のなかに迷い佇む、幼い私。夢の中では桑の大きな葉を揺らす風も無く、空は非情にも薄ぼんやりと暮れなずんでいく・・あの夢は私の、どんな深層心理の象徴なのだろう。さあ、そろそろ帰ろうか?踵を返そうとして、私はなにげなく野菜畑の隅にとり残された桑の木に目を留めた。そこにあったものは・・まだ小さく固く緑色だけど確かに鈴なりになった「桑の実」だった。この桑の実たちが大きく育ち、暗紫色に色付き甘く熟れる頃・・娘を連れてまたここへ来よう。私はそっと桑の木と、指きりゲンマンの約束を交わした。また来るね。幼かった私が大好きだったこの甘い果実を子供と一緒につまんで食べる日を楽しみに、私たちは春の山を降りていった。
2007/05/25
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子供の頃から日記というものを続けられたことが無い私ですが、このブログを開設して200日ちょっとを越えました。本当は200日ぴったりで何か書こうと思っていたのですが・・忘れてましたー(たったの2週間ほどですが・・汗)気になる記入率は50パーセントちょい越え。ううーん、けっこうマメに書いていると思っていたのですが・・そんなもの??さいわい、オンラインの日記帳は1年の半分しか記入されなくても、白いページが残ることもありません。そういう意味では、気楽でいいですね。これからも楽しく気ままにいろいろなもの(=思考)を放り込むおもちゃ箱として、このブログを大切にしていきたいと思いますー。 今後とも、どうぞよろしくお願いしますー
2007/05/24
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記述が苦手な場合の攻略方法について、以前書きました。それは娘が6年の秋に転塾した先で指導して貰った方法で、わずかな期間で娘に記述できる力を付けてくれた、たいへん効率の良いものです。その塾で指導に当っていた国語の先生が、「受験のときに実際使える『記述力』を身に付けるには、遅くとも6年6月には訓練を始めるべき」とおっしゃっていたので・・記述が苦手な受験生さんたちの「今」に、時期的に役立ちそうだと思い、再度載せておこうと思いました。以下、少しいじりましたが・・以前日記に書いた「記述攻略方法」を載せておきます。我が家の娘は、6年の秋に実質的には転塾しています。転塾の理由は、「記述問題攻略のための訓練」を塾側がほとんどしてくれなかったことです。6年9月になり、もういい加減始めないと間に合わないと思い、塾長に意見したのですが、「別料金で記述対策をとればいい」と言われたのでその塾に見切りを付けたのです。私は、記述の訓練くらい、通常料金の中でやるべきだと思いました。なぜなら、受験を成功させるために記述の攻略は避けて通れない、重要な勉強だからです。転塾先のクラスで驚いたことがありました。それは、どの子も国語の偏差値がとても高いこと。前の塾では四谷偏差値60を超える子は上のクラスでも2人くらいだったのに、そこでは61から65の間に、数名の塾生全員が入っていたのです。その塾で娘に対し指摘されたことは「記述がぜんぜんできていない」ということでした。その、生徒全員を高い偏差値に押し上げている国語の先生に言わせると、「記述対策は6年生の4月から取り掛からないと受験までに満足なところまで仕上がらない。私は遅くとも6年6月には始めなければいけないと思っています。」とのことでした。そして、「記述はだらだらと時間をかけて解くものではなく、時間というプレッシャーを感じながら解くもの」と言われました。今の子は全般的に、記述がとても不得意で、自分の考えをまとめあげて簡略に表現することが出来ない子が多いのだそうです。しかし、それは「できるだけ短時間のあいだに」、「一気に集中する→心の中のものをまとめあげて言葉にする→書く」という「訓練」を繰り返すことで克服することができるそうです。もちろん着目すべき個所や答え方のテクニックも必要ですが、それ以上に「短時間で解く、という、たゆまぬ努力」がすごく重要であるということをその先生から聞きました。(そしてそれは、一朝一夕ではかなわないということも。半年もやるとかなり良い偏差値が出るようになるそうです。早く文章を作り出すために、自然と速く正確に読むこともできるようになっていくそうです。)その塾では、記述訓練をやる時間には先生が生徒全員の机の間をウロウロと歩いて、ちょっとでもエンピツが止まっている子供がいると側に立ってじーっと見つめ、プレッシャーを与えたのだそうです。そうすると、なんとか文章をひねり出そうと子供は焦って、問題に集中するのだとか。読み解くスピード感と文章を作り出すための集中力無くして記述を攻略することはできない。当たり前のことですが、この「素早い集中が記述問題を攻略するために必須の能力であること」を「肌身に染み込ませる訓練」が、記述攻略のカギとなるようでした。娘は「集中して素早く正確に文章を読み、すぐに記述に取り掛かる」ことに加え、「少しでもたくさんの言葉で表現するように」と口が酸っぱくなるほど言われることで、かなり文章が書けるようになりました。この塾にお世話になったのは10月後半だったか11月からだと思うのですが、ここに在籍したわずかな日々で、記述力はぐーんと伸びました。受験当日、社会の記述問題で大きな真っ白い解答欄を与えられたとき、その中を一気にびっしりと文章で埋めてこられたのも、この塾の先生のおかげだと娘は言っていました。記述は、「本気」になれば必ず伸びると思います。今、記述が不得意で、と嘆いている6年生は、志望校の受験問題を今一度お確かめになり、どの程度の記述力があればその学校に合格できそうか、シュミレーションしてみるといいと思います。受験は、果ての無い山の頂を目指すものではありません。受験当日までに、志望校のレベルを攻略すればよいのです。記述にも、難易度・レベルがあります。最終目標に到達するための具体的な努力・・その塾の先生は「頭が汗をかく」と言いましたが・・を今から始めれば、きっと「受験当日使える、確かな力」が身に付くと思います。そうそう、それと。志望校の受験問題で採用されるレベルの文章は読み慣れている必要があります。我が家では、受験校のなかで一番高い偏差値の学校で採用されるような本には、みごとに触れずにきてしまったのでした。このことはとても大切だと痛感しました。読みやすい本だけでは、やはりダメです。受験当日までに、いろいろなバラエティーの文章に拒否反応を示すことなく同じように集中できるためには、記述という学習に対して漠然と取り組むのではなく、格段の配慮をもって丁寧に攻略すべきだと思います。キーワードは、「集中」と「時間を意識する」そして何より・・「あきらめない」ことです。その塾に入るまで、記述問題の答えを書くことをあきらめてほとんど空欄で出していた我が家の娘も、「あきらめるな!」と言われ続け、文章を少しずつひねり出せるようになりました。今、記述が苦手で雲の上を目指すようだ・・と感じているお子さんも、きっと間に合います。頑張ってください。
2007/05/24
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小学校から帰り、おやつと飲み物でひと息ついていた娘・サエ(9歳)との会話。サエ「母さん、今年の学校のクラス分けなんだけどね。面白いことが起こったよ。 くもん(=学習塾)の同じ教室に来ている4年生全員が 私と一緒のクラスになったの。すごくない?」私 「へえ~!ほんと?!そんなことがあるんだね~。偶然かなあー?」するとサエは飲み物から顔をあげ、じっと私を見つめるとひと言・・サエ「母さん。偶然に決まってるでしょ。それとも必然だとでも言うの? もし必然だとしたら、そこにはどんな理由があるって言うの。」真顔のサエと、ぽかんとした私の間に流れる一瞬の間・・私 「えっ・・?! あ、ああそうだねー。偶然だよね、偶然。うんうん。当たり前よね。」サエ「そうだよ。」その後、「偶然」の反対言葉は「必然」だったっけと思い当りました。(反応が恐竜並みに遅い・・)もし偶然で無いとしたら・・サエのクラスに集まった5人の「くもん生」は世界を守るスーパー戦隊のメンバーだった、とか。などと、変な空想を巡らせてしまいましたぼけっと話を聞いてテキトーに相槌を打つと、たちまち鋭いツッコミを入れてくるようになったサエ。小さい頃、商店の店先に飼われている美しく巨大な金魚を見て、 「母さん、これって大きく育てて食べるために飼っているんでしょう?」と大きな声で聞き、その場に居たお客さんたちの笑いを誘ったのに・・あの可愛い発言は、ついこの間のことのような気がしていたけど・・子供の成長とは早いものです。私はすっかり置いていかれてます今回は「そういうのを、運命と言うんでしょうね」と返すべきだったか・・??親業をやってるあいだは、日本語は適切に正しく使わなくちゃダメですね~。痛感しました!
2007/05/24
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日本では珍しいドラゴンのぬいぐるみです。発売元は「モンチッチ」などで有名な「株式会社セキグチ」。この「 神獣戯画絵巻 」というシリーズは「 ロマンティックアニマル 」という副題(?)も付いていて、その名の通り、ロマンティックな、東西南北を守る日本古来の神獣たちをモチーフにしています。東西南北を守る神獣・・といえば、日本人ならみんな知っていますよね?いちおう、念のため書き留めておきますと・・東・・青龍 (ドラゴン)西・・白虎 (白い虎の姿)南・・朱雀 (鳳凰に似ている)北・・玄武 (亀に蛇が絡んだ姿)です。このぬいぐるみのシリーズには、上の4体の神獣だけでなく、悪夢を食べてくれる「獏(バク)」もあります。つまり、全部で5種類の想像上の生き物たちが販売されたわけです。特筆すべきは、このシリーズ、その神獣の姿を、「赤ちゃんバージョン」としてデザインした、ということ。とにかく可愛い。表面の触り心地がいい。これがお店に並んでいるのを見たら、全部コレクションして連れて帰りたくなりますこのシリーズは色々な大きさで発売されました。私が買ったボールチェーン付きの小さなマスコットサイズから、子供の手にちょうど良い、すりすりしたくなるような「S」(20cm前後)サイズ、あとは獏(バク)のみ、枕にできるかも?というくらいの「2L」サイズがあります(45cm)。発売がけっこう前なので、たぶん今は積極的に店頭には並べてはいないと思うのですが・・このぬいぐるみのことを日記に書いたら、「楽天市場に売っています」という情報をいただきました。(ありがとうございます)私もさっそく検索してみたら、ありました楽天にセキグチのショップがあるのですね。しかし残念ながら、今はリンク切れ・・扱っていないようです。またいつの日か、再販して欲しいものです。このぬいぐるみをデザインしたアーティストさんのデータがあるので記しておきます。アーティストさんの名前は「 井上文太 」さん。本名の「 井上隆保 」さんというお名前では、画家として活躍されているそうです。井上さんがえがいた、この「神獣戯画絵巻」のキャラクターたちはとっても可愛いのです。ぬいぐるみ化するとどうしても「重さ」が出てしまいますが、さらりと筆で描かれた段階のこのキャラクターたちは、軽々と動きそうに見えます。井上さんのサイトが紹介されていましたので、アドレスをご紹介しておきますー。こちらです。(なお、このぬいぐるみの原型製作は、原田清美 さんです。)我が家のチビ龍の、横向き画像も載せておきますー頬がほんのりピンク色・・このほっぺと、銀色のまつ毛と瞳がチャームポイントだなあ、って思います。この「身体が長い」感じは、間違いなく東洋の龍ですよね~。
2007/05/19
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末っ子が歯科矯正の勧告をされたことを、以前書きました。(詳細は2月9日の日記で。)その後の経過をそういえば書いていなかったので、記録しておきます。結局我が家の末っ子は、42000円払って、歯並びの精密検査を受けました。精密検査にかかった時間は1時間弱くらいでしょうか。家族の歯並び(=父母兄弟にはじまり両方の祖父母まで)について詳細に書かされたり、子供の生まれたときからの体重&身長推移をグラフに記入したり、持っていく書類もけっこうありました。子供自身に対する検査は、X線に始まり、色々な見たことの無い器機での検査もあったようです。(親は待合室で待たされたので、詳細はわからず・・)検査結果は1ヵ月後。先生と親だけでなく、話し合いには必ず矯正を受ける子供も連れてきてください、ということで、三者面談となりました。およそ30分かけて、精密機器がはじき出したコンピューターのデータとシュミレーション画像などを前に、子供の歯の状態や治療方針を説明してもらいました。さて、先生のお話によると・・サエの場合、明らかな反対咬合(いわゆる「受け口」)ということで、まずは下の歯の内側に透明なカバーのようなものを取り付け、口を閉じたときに上の歯が下あごに入り込まないようにする方法をとるつもりだとのことでした。(いつも中途半端に口を開けていることになるみたい。)そうすると上の歯が次第に外を向いてきて、これだけで受け口が解消の方向へ動くのだそうです。上あご自体が根本的に小さい子もなかには居るみたいなのですが、サエはそこまでいっていないので、今、下あごに食い込むように内側に向け傾いて伸びている上の前歯を外向きにすることで矯正はOKでしょうといわれました。気になるお値段と期間なのですが・・まず、治療費が総額30万円弱。治療に入るまでの生活指導と歯磨き指導で2万円くらい。矯正器具を調整するのに3週間か1か月に1回、来医院するごとに4000円。治療期間は早くて10ヶ月、どんなに遅くなっても1年半。まあ、1年と思えば間違いないみたいです。料金は「治療が完了するまで」のお値段なので、仮に治療期間が1年と思っていたのに1年半に伸びたとしても、それ以上お金を取られることは無いそうです。(ただし毎月の調整料金は行った回数だけ取られます。)治療費の支払いは毎回の調整費用以外は一括前払いが基本とのこと。(要相談な感じもしました・・ボーナス払いくらいはありそう・・)で、今のところ、サエがどうしているか、ということなんですけど・・まだ治療に踏み切っていません。どうしてかと言いますと、サエの検査をしている頃、祖母に「反対咬合は昔はアイスについてくる木のスプーンみたいなもので、一日30分、外に向けて力を加えて直した」と聞いたことがきっかけになっていまして・・。その話を聞いた上の子・メイが「私の歯はもうちょっとというところで反対咬合だし、本数としては1本だけだから、自力で治るような気がする」とアイスのスプーンで数日間(もっとかな?)がんばり・・本当に治してしまったからなんです。私はそんな小さな力で人間の歯が動くわけはないと思ったのですが、「自力で治したら5000円あげるよ、メイ。」と冗談で言ったのを彼女は本気にしまして、祖母が言った方法で毎日暇なときに歯に一定の力を加え続けていたようです。で、治りました、上の子ある日、「母さん、歯が完全に治ったよ。5000円ちょうだい。」と言ってきて、本当にビックリしました。1本の反対咬合の歯がもとに納まっただけで、笑うと左右非対称だった口元がきちんと対象に直り、下あごが片方だけ手前に出てゆがんでいた顔立ちも普通になりました。すごいことです。やっぱり歯並びがいいって、大切なんですね~。たった1本の上の歯が、下あごに並んだ歯全体の歯並びに影響を及ぼしていたこと・・そしてそのプレッシャーが解消されると下の歯も自然に綺麗に整うこと・・その整うまでの期間の短さにも驚きました。そのメイに、「サエは自分で少し努力してみたらいいと思う。私だってこんなに短い期間で治せたんだから、このくらい、イケちゃうんじゃないの?」と言われ、私も迷ってしまいました。で、いちおう、この1ヶ月2ヶ月様子をみて、もし何の変化もなかったら(&サエでは歯に力を加えるのが難しそうなら)夏休みくらいから矯正しようということになりました。(器具の管理や歯磨きの手間を考えたら、学校が無いときに始めたほうがスムーズなのではと思ったからです。)やっぱり一生受け口というのは可哀想な気がするので・・なんとかしなければと思っているところです。そうそう、矯正なのですが・・女の子は中学に入るくらいで、またアゴが急に成長するのだそうです。ですので、子供によってはその時期にもう一度、矯正が必要になる子もいるそうです。それは今の時点では予想できず、もし矯正が必要になれば、またそのときあらためて治療費が必要らしいですー。以上、体験と経過をいろいろ書きましたが・・矯正をお考えの方は、子供の状態によって治療期間や治療方法も千差万別、完全オーダーのプログラムとなるそうですから、ひとの話は参考程度にして、まずは矯正歯科さんに相談されることをお勧めしたいです。我が家はそうではなさそうですが、ひとによっては歯並びが悪いことが、内臓や背骨の成長にも悪い影響を及ぼしたりするのだそうです。けっこう怖いのですねー・・。
2007/05/18
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漢字が大の苦手で打開策が見つからず、困っているお子さん&そのお子さんをサポートしているお母さんにお勧めのワークブックです。(特に6年の今頃になっても・・という方にお勧め。)ご紹介は2度目になるのですが・・こちらです。↓漢字受験研究社の「解き方上手・漢字・20回完成」という教材です。(詳細はリンク先を見てください。上の画像をクリックすると飛べます。)この教材のカバー範囲は「漢字の読み書き」だけでなく、「慣用句」「四字熟語」「筆順」「ことわざ」「対義語」「部首」など、多岐にわたっています。我が家ではこの教材は下の子が受験直前の朝学習に毎日使っていましたが、これをひととおりやっていれば、受験の総仕上げに朝取り組むものとしては充分すぎるくらい、満足できるものでした。この教材は見開き1ページで、一日分。「20回完成」ということで、ちょうど20セットの内容が入っているわけです。1ページ(一日分)の構成は・・上半分の右側には「読みの問題(15問)」、左側には「書きの問題(15問)」が載っています。(書き込み式。)下半分は左右合わせて20問。内容は「慣用句」「四字熟語」「筆順」「ことわざ」「対義語」「部首」など、日によって色々なチョイスとなっています。下半分にある知識問題は、書くだけでなく、選択式の回答方法を採用している日もあります。つまり、これを見開き全部やれば、毎日50問の漢字&知識問題を解いたことになる・・というわけです。私がこの教材の一番良いと感じた点は、「薄いこと」。なんとなくぺらっとしていてゆうゆうとページが使ってあり、ゆったり感がありました。我が家では上の子は漢字の書きが全然ダメで頭を抱えていたクチです。で、困り果てた結果、志望校の国語の試験の「漢字の書き」の配点を計算してみたら・・「書き」は配点が少なく、1問も書けなくても合格ラインに達しそうなので、早々に漢字を書く練習をやめました。(※我が子は読書が好きだったので「読み」は完璧でしたから、「読み」の配点は確実に取れるという自信がありました。また、配点上大きいパーセンテージを占める「読解」は得意でした。)早い話が、我が家の上の子の受験対策では、漢字の書き問題を「捨てた」わけです。夏休みまでは漢字練習をやりましたが、9月に入ってすぐ、受験当日は漢字の解答欄は白いままでもOK、という方針を固め、以後受験日まで漢字練習は1文字もやっておりません(汗)。我が家の上の子の場合は駆け込み受験だったので合格点を取るテクニックばかりを重視してしまい、こういうウラワザのような手を使ってしまったのですが、ここを読んでいらっしゃる、これまでコツコツと頑張って受験勉強を続けてきたお子さんは、その後の中学での勉強を円滑にするためにも、漢字はあきらめずに獲得していく努力を続けたほうがいいと思うのです。しかしなんとしても苦手意識が・・という方、お察しいたします。我が家では上の子が漢字が苦手だったのでわかるのですが・・「漢字が苦手」という子は、受験漢字を「大量すぎて今から全部覚えていくなんて無理」と思っているのだと思います。とてもじゃないが、多すぎる、と途方に暮れているのではないでしょうか。上に紹介した教材は、そういうお子さんの心理的ストレスを軽くし、もう1回挑戦してみよう、という気持ちにさせてくれるんじゃないかと思います。とにかくこの教材は薄い。そしてたったこれだけの厚さに、受験に必要な知識がほぼ全部詰まってる。(・・ということにしましょう。受験問題は上を見たらキリがないですから。)しかも20回やるだけでいい!こう思えることは、「漢字は大量すぎて太刀打ちできないもの」という先入観を捨て、「これくらいならもしかしたら攻略できるかも」という手触り感のある希望を持つきっかけになると思います。我が家では下の子は受験後半期に精神的にも体力的にもとてもきつくなってしまったため、どうしたら「やらなければいけない勉強を少なそうに見せることができるか」「これだけやれば安心なのよ、という演出ができるか」ということを、けっこう考えました。その結果探して探して「これだ!」と思ったのがこの教材だったのです。私は娘に初めてこの教材を見せたとき、「ほら、2年も受験勉強をしてきたけど、受験漢字って結局まとめるとたったこれだけしか無いのよ。意外と少ないよねー。この薄さを見てよ。」と言いました。そして「これをマスターしちゃえば、あとは漢字はやること無いから」と言い添えました。そのとき娘は意外そうな顔をし、ほっと安心したような笑顔を浮かべました。これだけやれば大丈夫、と手に取れ目で見えるカタチにして差し出されることは、捉えどころの無い不安を抱えた受験生の娘にとって、心強く思えたのだと思います。我が家ではこの教材を受験後半期に使いました。毎朝30分ほど取り組んだのですが、「わからないものは飛ばす」という方法で使いました。間違ったもの、思い出せず飛ばしたものはそのままにしておいて(=間違ったものの漢字練習などはその場ではしない)、あとで私が間違った漢字、思い出せなかった漢字だけを書き出し、終盤ではその手作りの「間違い全集」を3回くらいずつ紙に練習させました。そしてその後、最後まで間違ったものだけを、テストにして繰り返し書いていました。(最後は手作りです。コピーを何枚かとりました。^^;)これは一昨日に書いた算数の苦手攻略と、基本的には同じ方法です。とにかく教材を1本に絞り、繰り返し同じものを利用するこのやり方は、6年の最後に苦手や穴を地味に潰すことを実現しただけでなく、ストレスを排除して子供に安心感を植え付けることにも成功しました。そうそう、それと。これはとても重要なことですが、この教材は別冊の「解答」がとても見易いのです。解答は問題のページと同じように見開き2ページの構成なのですが、問題とほぼ同位置に赤で書かれた解答の下に、問題ページには無かった、その漢字の意味や知識、似た意味の熟語などが黒でさりげなく書かれているのです。たとえば「治水」という漢字の読みに対し、解答ページには「ちすい」と解答が書かれているだけでなく、「洪水をふせぎ、川の流れを整備する。【読み】治める(おさ-める)」とマメ知識が書いてあります。このように、1つ1つの漢字に対して、わからない言葉はその場ですぐにチェックでき、意味をおさらいすることも、知識を深めることもできます。この解答ページが教えてくれる知識はけっこう大きいと思うので、お子さん一人に答えあわせをさせるより、お母さんが一緒にマメ知識を読みながら、知識の強化を後押ししてあげるといいんじゃないかな、と思います。長くなりましたが・・この教材は、「最終的に、中学受験の国語の漢字の知識って、どの程度あればいいの?」と先が見えず不安に思っている中学年程度のお母さんの予備知識としても役立つと思います。ゴールが見えれば、なんとなく安心感が生まれますものね。もちろん、超トップ校までの、全ての学校の受験問題に1つ残らず対応している、とまではいきませんが・・中学受験で必要とされる漢字とはどういうものなのか、解りやすく手ごたえを感じられる本だと思います。本屋さんにお出かけになったときに、ぜひお手にとってご覧になることをお勧めしたいです。【 追記 】 ■それにしてもこの教材・・1回の量は「15問+15問+20問」ということで、計50問。50問×20回、ということは、この教材1冊で学習する知識は合計1000問ってことですよね(汗)。タイトルに「解き方上手・1000問」と書かれたらクラクラして嫌になってしまうと思うのですが・・うまく「たった20回!」と表現しているところがこの教材の凄さかも。本当に薄い本だな~と思うのです。演出勝ち、って感じですね(笑)。■楽天ブックスを見ていたら、このシリーズにはいろいろな分野の教材があることがわかりました。私は漢字以外はノーチェックですが・・いちおう、貼っておきますー。
2007/05/17
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新緑の緑が美しい4月下旬~5月初旬。この時期は、前年の秋から冬にかけて落葉し、さむざむとした枝ばかりの姿をさらしていた落葉樹の木々が眠りから目覚め、その枝に新たなみずみずしい葉を生み出す季節です。常緑樹の森は春の初め、生まれたばかりの若芽たちの柔らかな乳白色におおわれ、まるで森全体があわい霞に包まれたように見えます。その後、木々は次第にその葉を成長させ、森の色を白から黄色、黄緑色、そしてうす緑から緑色へと変化させてゆくのです。森に生きている木々の種類はさまざまですが、この芽吹きの季節ばかりはどの木も足並みを揃えて萌え出で、おおむね同じような過程を経て色付き、壮大な緑色の森を形成してゆくようです。そんな若葉が美しいこの季節、私の家の近くに、なぜか葉を赤く色付かせ落葉する木があります。楠(クスノキ)という木です。楠は常緑樹。冬でもその枝にたっぷりと緑の葉を茂らせています。他の木々が貧弱な丸裸の枝にやっと若葉を芽吹かせようとしている春先にも、私は常緑樹だから関係ないよ、と知らん顔をしているように見えます。しかし多くの木々の若芽たちが伸び、立派な緑色の葉に育つこの初夏に、楠は突然のようにその大木に茂らせた葉を紅葉させ、ぱらぱらと落とし始めます。その期間はたいへん短く、あっというまに楠の下はその落ち葉でいっぱいになります。(↓落葉直前の楠。葉が一部赤く変色している。)実はこの季節外れの落葉が始まる直前、楠はある準備をしています。彼らは人間が桜などの春の美しい花々に気をとられている頃、ひそかに新しい葉を芽吹かせ、育み、新旧交代のタイミングを狙っているのです。楠は落とすと決めたらいさぎよくその葉を落とします。モミジやケヤキなどの秋の落ち葉に比べると、まだ十分に使えそうな、みずみずしい、生に近いような葉を、惜しみなくどんどん落としてしまうのです。彼らが、彼らの特別な落葉の時期にあわせて静かに育てていた若い芽は、この暖かい季候と陽気な日差しの助けで、僅かな時間で効率よく大きくなっています。そのため楠は古い葉を落としてしまっても貧相になることもなく、「常緑」のイメージを保ったまま、実にさりげなく、新旧交代を果たすことができるのです。この初夏という季節に落葉する木ですが、私は自分の家の周辺では楠しか見たことがありませんでした。ですから私はずっと、楠は特別な木だ、と思っていたのです。しかしよくよく調べてみましたら、他にもいくつか初夏に落葉をする樹木があり、それらは5月の季語として「常磐木落葉(ときわぎらくよう)」という言葉でこれまでその存在を歌に詠まれてきたりしたようでした。(「常磐木(ときわぎ)」とは常緑樹のこと。)また、この楠の初夏の落葉も「楠落葉」という言葉で、古くから5月の季語になっていました。私はこの楠の特別な落葉のかたちを、現在の住まいに引っ越して身近な木として見るようになるまで知りませんでした。楠が近所にたくさん見られる今の家に住んでからは、毎年なにげなくこの落葉を見てきたのですが・・今年は彼らの特別な生き方について少し調べてみよう、と思いました。で、一生懸命調べてみたのですが。図鑑やHPで調べた楠のデータはどれも同じ(当たり前ですね・笑)。特に彼らがこの時期に好んで落葉する意味を解説した資料には、出会えませんでした。しかしあれこれ調べることによって、身近で何でも知っているような気がしていたこの楠という木の、それまで知らなかった面をたくさん知ることができ、調べたことはとても大きな収穫がありました。 ここから先は私の予想というか、想像になるのですが・・楠などの常緑樹がどうしてこの初夏に落葉するのかということの理由について、私は、彼らの「エネルギーの配分」の問題なんじゃないかな、と思いました。落葉樹は日差しが強い春・夏という季節には活発に葉を茂らせ活動しますが、秋に日差しが弱くなれば葉を落とし、冬には休眠に近い状態に入ります。そして落葉樹は植物が生きるのには不利な寒い季節のあいだはエネルギーを使わず、じっくりと水を吸い上げ、暖かい春に向けてまた一気に「生」のエネルギーを爆発させます。しかし常緑樹は暖かい季節も、そうでない季節も、常にその葉を同じコンディションに保って維持していかなければなりません。この常緑樹の生きかたは一見なにげないことのように見えるけど、実は落葉樹の生きかたに比べると、コンスタントにエネルギーが必要なことなんじゃないだろうか、と思いました。だから彼らは、とても暖かく、他の木々がじゅうぶんに育って地中の水の取り合いをしなくても良い初夏になってから、その葉を入れ替えるのではないか、と私は思いました。春先に比べたら初夏は日差しが強く、気温も高くなりますし、日照時間も長くなります。乾燥した真冬に芽吹きの準備をするのに比べたら、菜種梅雨やたけのこ梅雨のおかげで、地中の水も豊富でしょう。たぶん彼らは少しのエネルギーと短い期間で葉の総入れ替えをやりとげることができると思うのです。楠やその他の常磐木の「初夏の落葉」は、年間を通して葉を落とさず生きていく彼らが、もっとも少ないエネルギーで、効率的に新陳代謝をしながら生きる知恵なのではないだろうか・・これがこの数日、散歩のたびに楠を見上げてつらつら考えてきたことの、私なりの結論です。いつか、木の専門家にお話を聞けたら、この件について真相を聞いてみたいです。(↓新しい葉に衣替えした、初夏の楠。この新緑の緑色は、私の大好きな色です。)↓「いいね」と思われましたら、クリックを。↓にほんブログ村
2007/05/16
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主要教科時間数が3941時間という、戦後最高レベルと言われた「現代化カリキュラム」のなかで、私は育ちました。おそらく、今小学生をお持ちのお母さんの多くは、きっと私と同じカリキュラムで育ったのではないかと思います。日本の公立小学校の主要教科の時間数はその頃(1961年~1980年)戦後最長時間となり、以後どんどん削減されていき、2002年の新学習指導要領では、主要教科時間数はなんと2941時間にまで減らされています。この時間数の削減によって、子供たちはいったい、何をする時間を失ったのでしょうか。私たちが子供の頃を振り返ってみると、授業中に演習をしていた時間ってすごく長かったですよね。黒板に書かれた新しい漢字をえんえんとノートに書いたり、びっしり書かれた計算式をひたすらカリカリと解く・・そのエンピツの音だけが響く静かな教室の中を、先生が後ろ手にチョークを持ったまま、ゆっくり歩いて子供たちのあいだを見て回る・・という光景を、実体験として覚えているお母さんも多いんじゃないかと思います。今の子供たちが「ゆとり教育」によって失ったのは、あの演習時間というものです。勉強というものを少しでもやったことがある方は、それが教えてもらう(講義・インプット)→さっそくやってみる(演習・アウトプット)の流れによって身に付くということを知っていると思います。この流れがうまくいっていないことが、今の日本の子供たちの学力低下を招いているのではないかと私は思います。どんなに良い講義をされても、すぐにその場で「やってみる」ということをしないと、子供の脳に解き方は残りません。まして、それを身に付けようとするならば、教えてもらってすぐ、そうとうの回数を繰り返し、「手が勝手に動く」ほどの回路をその場でこしらえてしまうくらいの勢いが必要です。今の子供たちはこの「回路の構築」に至らないまま学校から帰され、もう一度塾で教えなおしてもらって思い出しつつ演習を家で・・という、きわめて非効率なことをやっている、と私の目には映ります。(申し遅れましたが、今日は「算数」限定のお話です。そのつもりでお読みくださいー)中学受験塾でも同様で、先生によっては「ハイ、顔をあげて~!」とひたすら自分ペースで講義を続ける先生がいます。そうすると、子供によってはアウトプットするタイミングを失って、「塾で聞いたときは理解しているんだけど、家に帰るとどうやって解くのかサッパリわかんない」ということになるのだと思います。日記でお邪魔した方のお子さんの先生は、「ノートを家で整理することを要求する」ということですので・・どうも、その匂いがぷんぷんしますね~(笑)。きっと、講義に重きをおいて、家でじっくり考え直せ、というインプット中心の授業をやる先生なのだと思います。うちの子供たちの苦手なパターンの先生です。^^;このように、「インプット中心の授業で、アウトプットの時間をじっくり取らない先生にあたったため、特殊算や規則性の問題がわからなくなった」または「少々アウトプットの時間を取って貰ったくらいでは、うちの子は解き方が身に付かない」という方・・このような理由で特殊算&規則性問題が出来ないお子さんの突破口になる方法があります。どの子にも魔法のように効くとは言えませんが、とある塾で成果をあげている方法でもあり、けっこういいと思うので・・もしよかったら、お試しください。その方法とは、「同じ問題を繰り返しやる」ことです。ある程度優しい問題、数問を、繰り返しやるんです。練習問題を繰り返しやる場合、問題中の数字を変えないと、答えを覚えてしまうから意味が無いんじゃない?と言いたくなるかも知れませんが・・数問やってまたもとの問題に戻る頃には、答えなんて忘れていますから、ご安心くださいませ。^^;そのうち(4回とか)続けるうちに、答えを覚えてしまうかも知れません。実はそのくらいまで繰り返すことが大切なんです。理由は、答えを覚えるくらいに繰り返すことで、特殊算や規則性の問題に立ち向かう時の「思考の順序」が自然に出来上がるからです。つまり、この過程を繰り返すことによって、「思考回路が構築される」、ということです。経験を積むと、「スクランブルエッグ」と言われただけでまずボウルを取りにいき、次に卵を取りに行き、それを割ったら塩コショウと少量のミルク、かきまぜる、次にフライパンに火をかけて・・と身体が順序良く動くようになるのと一緒です。何も考えなくてもそこまで自然に体が動くようになるためには、数回、その手続きでじっさい動いてみることが重要なのです。計算問題の演習をやる際、中の数字を変えたり、微妙にバージョンを変えるのは、少なくともいくつかのパターンが肌に染み付いてからでないと、子供は嫌になってしまいます。算数の特殊算や規則性が苦手な子は、まずはいくつかの手続きを脳内で繰り返してみるのがいいそうです。スクランブルエッグが何も考えずにサクサク作れるようになって初めて、オムレツを作るためにはどこでチキンライスを投入するべきか・・ということがすぐに理解できるのですから、1つか2つ、基本的な料理を、身体が勝手に動くくらい、徹底的に身に付けてみる・・そのことに似ています。遠回りのようですが、日記の方のお子さんも、まだまだ6年生も前半なので・・一度、集中してこの方法をやってみることをお勧めしたいです。こういう視点から数回問題を繰り返してやらせたい、と塾の先生に相談してみれば、ピンとくる先生なら問題のパターンを幾つかチョイスしてくれると思うのですが・・あとは先生次第ですね。もし先生にこのことの理解が無く、話を持ちかけても反応が悪かったら、基本問題からお母さんがいくつかのパターンを探し出して、やらせてみるといいと思います。問題をやる前に、同じものを4,5枚コピーしておくことを、お忘れなく。コツは、ノートにやるのより、プリントの問題の下に計算式と答えを書いていくことです。そして何度でもその同じ紙の同じプリントを解くこと。書き写すストレスも排除して、ひたすら問題だけと向かい合うことで、算数が苦手な子でも回路の構築が出来ていくはずです。問題のパターンが同じことは慣れという安心感がありますから、5回なり繰り返しが終って、もう1枚別問題のプリントを作るなら、同じ問題集から同じ印字の、同じ大きさの活字のものをチョイスするといいです。あまり設問を多くしすぎないで、攻略のスピードがあがっていく快感をまずは体験するといいですよ。子供は1つ突破口を見つけると、あとは驚くような頑張りをみせたりします。欲張ってすぐに別のプリントや応用問題に手を出さず、ひたすら同じものを繰り返し、自信をつけること・・お勧めですー。
2007/05/14
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サエ「母さん。この前、クリップが最後には家になっちゃう話をしてくれたでしょう?」私 「え?『クリップが家に』?」サエ「うん、そう。最初はクリップ1個だったんだけどー・・いいものと交換していくうちに、最後は家になっちゃう、ってヤツ。」私 「それって・・『わらしべ長者』??」サエ「あー、そうそう!それそれー」私 「・・・・・・」・・サエ。母さんは「クリップ」なんてひと言も言ってないよ・・。わらしべの次はアブという虫、その次が赤ん坊連れの母親に貰ったみかん、最後は旅の途中のお姫様の一行にそのみかんを渡す、って言ったじゃない。どうしてクリップが家になっちゃったのかな~。アブを捕まえたあたりで、サエの脳内では理科のマグネットの実験みたいに、わらしべの先にクリップをくくりつけてしまったのだろーか。そのほうがアブを固定しやすいと思って・・で、わらしべとアブが消えて、クリップだけが残ったのか・・ううーん、謎です。サエの脳内変換って、ミステリー・・っていうか、「クリップが家に」と言われてほどなく「わらしべ長者」だと思った自分も感性が似ているのだろーか。気をつけねば・・。※正しい「わらしべ長者」のストーリーは、こちらの本でどうぞ。(↓)
2007/05/10
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ベーグル&アメリカンスイーツ専門店イーストリートベーグルズで先日、初めての取り寄せをしたことを書きました。【初めてのお客様限定】ベーグルお試しセット送料無料!!お一人様一点一回限り↑私が初めて購入したのはこのセットです♪♪♪で、今回2度目の購入です。私がリピーターになるなんて驚きなのですが(同じ店に注文とか、めんどくさいタイプ)、このお店のベーグル&スイーツは、本当に美味しいと思います。GW後半の5/3に届きました・・う~ん、たっぷり入ってます。美味しそう~送られてきたものを全部出してみました。これは、送料込み2480円の特別セールのセットです。13点入りでした。どれからいただこうかしら。迷います・・というわけで食べた順に画像を。・・まずは「抹茶ホワイトスコーン」。画像では解りにくいのですが、これを切ると断面は綺麗な緑色です。この中に入っているホワイトチョコのおいしさは絶品。食べるとさくっとして口の中でホロホロと崩れます。このスコーン・・本当に美味です。私はベーグルよりこのスコーンのほうが食べるのが楽しみなんですよー。続いての一品もスコーン。こちらは「ロッキーロード・スコーン」です。濃厚なブラックココア生地に上質なチョコレートの味が溶けて、ほんのりアーモンドな風味がするのもいいです。ミルクティをたっぷり淹れて一緒にいただきました。こちらもサクッ、ホロッ・・・・・・至福のひとときでした~やっと出てきました。ベーグル登場。これは「ラズベリーホワイトシュープリーム」というもの。いわゆる「創作ベーグル」というヤツでしょうか。完全にスイーツ系の、デザートベーグルって感じです。中に入っているのはクリームチーズとコンデンスミルク、ホワイトチョコレートを使った特製クリーム。そしてフレッシュさを残したラズベリーがころりと2粒。このベーグルを作るのに使用している水分の半分以上が、なんと「オレゴン産のストロベリー果汁」ということで・・生地はほんのりピンク色なのです。(うっとり)なんとも表現し難い、最高においしいフィリングの入ったフルーティーなベーグルです・・以上、とりあえず食べてみた3品のご紹介でした~。これから食べるものも、忘れなかったら()画像を残してレポートしたいと思います※ショップの商品説明へのリンクを載せておこうと思ったのですが・・発売すると同時に品切れ、で、次から次へと新しい商品を作るお店なので、私が食べた上の3つのなかでは、「ラズベリーホワイトシュープリーム」しか商品説明が残っていませんでした。(↓)ラズベリーホワイトシュープリームべーグル(3コ入)あとは他に美味しそうだと思ったものを覚え書きとして、貼っておきます。・・自分の今後のオーダーのために(※下の画像をクリックするとイー・ストリート・ベーグルさんの商品詳細説明ページに飛びます)(↑オレオ・チーズケーキは前回は品切れだったはずなのに、また作り始めてました。待ってると再入荷するということがわかったので、貼り付けー。)・・イー・ストリート・ベーグルさんの画像って、貼ってるだけで食べたくなりますー
2007/05/04
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昨年11/15の日記に、武蔵丘陵森林公園の夜のイベントに行ったことを書きました。我が家ではこの武蔵丘陵森林公園に、春と秋の2回、必ず遊びに行きます。秋は森のご機嫌次第、紅葉が美しくなったときを狙います。そして春はゴールデンウィークの4/29に行くことが多いです。今年もそうしました。どうしてかというと、4/29は、入園料が無料になるから5人家族の我が家にとって、入園料がタダというこの日は、見逃せません♪昨年は家族でサイクリングの一日、と決め込み、巨大な公園内をひたすら自転車で走ったのですが(1周17キロメートルのサイクリングコースがあります)、今年は愛犬を連れて、ドッグランで遊び、その後徒歩で園内をゆっくり観て歩くことにしました。で、主役の愛犬は、コレ。(↓)・・よく「なんていう種類の犬ですか?」と聞かれるのですが・・雑種です我が家は6年前、インターネットの犬の里親募集サイト「レスキュー111」でこの子とご縁がありました。(残念ながらサイトはすでに閉鎖されています)この子と知り合った6年前、当時はブログなんて無く、画像をUPできる人も少なかったので、文字だけの情報でこの子とのご縁を手繰り寄せたのでした。捨て犬の子なのでどんなミックスなのかぜんぜんわかりませんが、性格はとても大人しく、賢い子です。いざドッグランへ。ここに来るのは3回目の我が愛犬、大喜びです。道の端っこをフンフンと匂いを嗅ぎながら歩き、生き生きしていますードッグランへ到着。ここ森林公園のドッグランに最寄の入園口は、「北口」。北口は高速道路の出口からはやや遠いのですが、犬を連れた方はちょっと遠回りをしても北口から入ることをお勧めします。(入り口の人間用トイレの前に、犬を繋いでおく杭があったりします。また、ドッグランに行くまでの道に、犬用トイレも充実してます・笑)この画像のフィールドは、「小型犬用スペース」。おもに、ミニ・ダックスちゃんやシーズーなどが遊んでいました。我が家の愛犬の体重は7.8キロくらい。愛犬くらいの体重の犬を小型犬のスペースで遊ばせてもいいものだろうかと少し悩んだのですが・・結局、もう1つの「小型犬~大型犬まで」というスペースの方が良いだろうということになり、そちらへ。で、入場したのですが・・ここで問題がリードを外してドッグラン・スペースに入ったとたん、1匹のビーグルくんが愛犬のところにやってきました。ビーグルくんとしては、我が愛犬と遊びたい一心だったのでしょうが、お尻の匂いをしつこく嗅がれ、愛犬は嫌になってしまったようなのです。しばらくは黙って逃げていたのですが、なかなかやめてくれないのでつい「ワウッ」とひと言いってしまいました。(↑決して大声を出せない小心者)その後はもうゼッタイ、犬の遊ぶスペースに行くもんかと思ったらしい愛犬。家族皆が背もたれの無いベンチの上に荷物を下ろすと、ベンチの後ろの狭~いスペースに入り込み、「わたしもここで、荷物と一緒に休んでいますから。」と宣言。「えー?!せっかく来たんだから、遊ぼうよ!」と私や子供たちがいくら誘っても出て来ません。愛犬の脳内感覚で一番のボスであるらしい、私の絶対命令で「来い!」と命ずると仕方なさそーに出てきて、「座れ」「伏せ」「待て」「来い」「まわれ」「ジャンプ」の命令に一通り従いましたが・・。「・・もういいですよね?わたしはお父さんと一緒にベンチで待っていますから、お子さんとお母さんはどうぞ遊んできてください。」とあくまで見学にまわるという姿勢を貫く気配。ベンチの後ろにきっちり「お座り」をしてこちらを見守る愛犬は、まるで体育の授業を見学する体調の悪い生徒か、子供のお守りに仕方なく公園にやって来た頑固なお年寄りみたいです。これじゃ~何のために来たのか、わかりません。せっかくの素敵なドッグラン・スペースだったのですが、到着早々に出ることになってしまいました。前回ここにやってきたときは、数匹の初対面の犬たちと一緒に誰よりも速く走ってみせて、家族をおおいに盛り上がらせた愛犬だったのですが・・今月6歳の誕生日を迎えた彼女は、もう知らない犬達とお団子になって無邪気に走り回るほど若くは無いようです。その後はリードを付けた愛犬と一緒に、園内をせっせと歩きました。園内にはたくさんの愛犬連れの人がいて、色々な犬とすれ違いましたが・・特に気にもしない様子の愛犬。もうよそのワンちゃんには興味ないのねー。年寄りになったといえば、我が家の面々もこの通り。毎回必ず「ここで休む」と決めている、大きな木の下に来ると、マッタリ休憩モードに突入です。ここは丘の上で、風が抜けて気持ちいいんですよね~。つい眠くなります時間的にはちょっと早かったのですが、ここでお弁当を食べました。この木は、その下で休憩をする数家族の上にたっぷりと心地よい木陰を作ってくれる、とてもとても大きな木です。・・またまた画面の加工がへたっぴですが愛犬と一緒のこの遠足を、誰よりも楽しんだのは末っ子のサエだったようです。お揃いの赤のバンダナを首に巻いて、一日楽しそうでしたー帰りに実家に立ち寄りました。めったに来ない家に上げられてオロオロする愛犬。愛犬は普段外で飼っています。雨の日や寒い夜、皆で夕食後に談笑しているときなど、家に上げることもたびたびあるのですが・・。(愛犬が「家に入れて」とドアをガリガリやると入れてあげます)そういうときは必ずペット用の布製の丸いベッド(我が家ではこれを”ハウス”と呼びます)の中から一歩も出ないのがルールになっています。ですので、愛犬としては、広い部屋に制約無しで「どこでも動いていい」と放たれると、かえって落ち着かないみたいなのです。思わずイタズラ心で、愛犬に「”ハウス”でしょう?”ハウス”に入らなきゃ、ダメじゃないの!」と叱ると、焦って部屋中を見回し、部屋の隅に重ねられた座布団を見つけると、そこへとんで行きました。うーん、君にとってはそれが”ハウス”にもっとも近いものなのか・・。思わず笑いました。確かに大きさといい、布で出来ているところといい、わたが入ってふかっとしているところといい・・この部屋にあるもので、”ハウス”に一番近いものは、それだね(笑)。我が家には犬から見えるスペースに座布団はありません。犬からみてそれは、人間のお客用座布団ではなく、犬専用ハウスに見えたのですねー。・・それでも知らないお宅なので、恐縮しつつ座布団に納まっているところが、笑えます。【 おまけ 】↑愛犬のマイ・ブームは室内で飼っているげっ歯類たちと一緒に食べる、ドライフルーツ。1回で5~6粒食べます。げっ歯類たちより、犬が食べて無くなる量のほうがはるかに多い~!パパイヤ、パイナップル、どちらも大好きです(※ドライフルーツはとてもカロリーが高いので、与えるときは注意しましょう!)
2007/05/04
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