全20件 (20件中 1-20件目)
1

本日の弁当は「かに卵風味チャーハン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃新聞のスポーツ欄とテレビ欄しか観なかった子供の頃、プロ野球の記事を特に好んで観ていました。当時はセ・リーグに「巨人」「中日」「阪神」「広島」「太洋」そして現在ではヤクルトですが「国鉄」というのが前身の球団として存在していました。国鉄から「産経」そして「ヤクルト」となったのです。パ・リーグは現在残っているチームは無く、当時は「西鉄」「近鉄」「阪急」「南海」「東映」「東京」の六球団でした。私が幼稚園の頃から中学二年生までの間、巨人がリーグ制覇も日本シリーズも九連覇し、王さんや長嶋さんが現役選手として大活躍していた時代ですから、本来なら名古屋人で中日フアンのはずが、筋金入りの巨人フアンになってしまったのです。もちろん、「巨人・大鵬・卵焼き」という子供が好む物を言い表した文句が流行った時代でもあり、やはり相撲では大鵬が好きでしたね。巨人も大鵬も負けないんですから、そりゃあ憧れますよ。
2014年02月27日
コメント(0)

本日の弁当は「里芋とコンニャクの煮物弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃読書嫌いだったせいか周囲にも読書好きの少年少女は見あたりませんでした。ただ、「この本、面白いよ」と言って「毛沢東」や「周恩来」という小冊子を薦めてきた子は居ました。借りてちょっと読んだんですが数ページでギブアップ。また、「この推理小説面白いよ」と別の子が推してくるので試しに読みましたが、どこが面白いのか、活字を観ているだけでイライラしたものでした。新聞も読むのはテレビ欄とスポーツの結果だけなのは今でも変わりません。
2014年02月26日
コメント(0)

本日の弁当は「キムチ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃学研か何かはハッキリしませんが、学習教材の類は読書嫌いの私でも興味を持てました。姉が読んでいた「中学時代」とか「中学コース」とかいう書名の教材も家にあったので、そういった少々古物の教材などを読みあさっていた頃がありました。学校などの教育課程と並行な問題集なども載っていましたが、殆どが少年少女の為の娯楽が主な内容。娯楽と言っても50年近く前の昔の娯楽ですから、主要な物としてはクロスワードパズルやなぞなぞクイズで占められていました。そうした物は今でも新聞の片隅で見かけますが、当時は必死でクイズなどを解いて、本に答えをたくさん書き込んだりしましたね。
2014年02月25日
コメント(0)

本日の弁当は「中華丼弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃お菓子で思い出しましたが、小学5・6年頃、学研か何かの教材を親友H君と共に月に一回購読していてその付録に「酵母菌を使ってパンを作る」とかいうものがありました。H君と私はH君宅で早速付録に添付されていた酵母菌を使ってパンを作ったのです。付録には注意書きがあって、「作ったパンは念のために絶対に食べないように」とありました。しかし、私達はそれが食べたくて食べたくて仕方なかったのを覚えています。説明書通りに作ったパンは見事に出来上がりまして、その良い香りが漂っていたのです。食べてはならない・・・と書かれている事も気になって、心なしか良い香りの中に微妙に変な臭いも混じっているような感じもしました。食べようかどうしようかH君と一緒に迷っていると、H君の妹S子ちゃんが少しだけパンを食し始めたのです。勇気があるなぁ・・・と思っただけで、臆病な私達は指をくわえて見ているだけだったと記憶しています。
2014年02月24日
コメント(0)

本日の弁当は「野菜の煮物弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃子供の味覚は正直な物で、チクロという人工甘味料の添加が無くなると、殆どのお菓子が味気なく感じたのは本当のことです。それでも昔から存在する和風のお菓子などはチクロなど不要でしたから味は変わりません。特に「みたらしだんご」は格別です。あの醤油の焼ける香りがなんともいえず、いまでも好物の一つです。昔、その「みたらしだんご」をある日の日曜日に父親が自作した事がありました。米粉を溶いて丸く形作り、蒸し焼きにして醤油タレも作って塗りたくっていましたが、米粉を蒸している時から異臭が漂っていて、すぐに失敗作だと判ったぐらいの出来でした。おそらく古い米粉を使ったのでしょう。
2014年02月21日
コメント(0)

本日の弁当は「焼きそば弁当(日清焼きそば)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃今でこそジュースは果汁100%しか「ジュース」と表示できませんが、当時は粉末ジュースなどが主流で、単純な砂糖水でもジュースと呼んでいたぐらいです。色鮮やかなジュースを飲むと、そのまま舌が赤や緑に染まったりしたもんです。シュワーッと炭酸の入った粉末ジュースも大好評で、夏には何杯も飲みました。冬は粉末のレモンティーや粉末しるこの素。なんでもかんでも粉末だったのです。
2014年02月20日
コメント(0)

本日の弁当は「サバの味噌煮弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃子供の頃は味覚も敏感なのか、当時の食べ物の方が旨かったと記憶してます。しかし、菓子類などは「チクロ」という人工甘味料が使用されていた時代で、後に発ガン性があるという事が報告されて使用禁止になったわけですが、甘さが砂糖の30倍だというのですから、菓子会社としては大打撃を受けたようです。その「チクロ」、確かにそれが使われていたらしきものは非常に美味しかったです。「チクロ」が使用禁止になってから同じ物を食べたり飲んだりした時の、何とも言えない物足りなさは誰もが感じたと思います。
2014年02月18日
コメント(0)

本日の弁当は「豆ひじきサラダ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃戦時中の空襲で出来た大きな穴に水が溜まって出来た池が数カ所あって、それを埋め立てたりした大きな空き地や広場が近所にありまして、その一角でトタンを囲んで作った小屋の中でうどん屋を経営していた人が居ました。その周辺を鰹出汁の香りで充満させて、人々の胃袋を刺激していたのです。当時のうどんや中華そばは本当においしかったのです。市場の一角でも中華そばなどを食べられるコーナーがあって、買い物客からは観ることが出来ないような死角に存在していて、人目を気にせずに食べることが出来たのが何と言っても嬉しいことでした。中華そばは具がネギの微塵切りとシナチクぐらいで質素な物でしたが、なぜかその味は現在は存在しない味です。うどんもおなじで質素な作りです。具は茹でたホウレンソウと蒲鉾だけ。それでも出汁が利いていて最高に美味しいのです。値段は確か小盛りで25円、並で40円、大盛り50円くらいだったかな。
2014年02月18日
コメント(0)

本日の弁当は「マカロニサラダ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃良く通った理髪店の店主は当時で既に50歳を過ぎていたご婦人で、今現在は店も閉じていますしご存命かどうかも定かではありません。周辺には電化製品屋とか○○市場とかいうスーパーらしき店も数店あった町でして、どこの地域にもあるような町でした。当地近辺に現在のような大きな田舎型百貨店(AEONとか)が出来始めたのは1970年代に入ってからで、それまでは小さな小売店が繁盛していた時代でしたから、ちょっとした空き地で商売を営む風景も観られました。私が小学校に上がる頃、その空き地でトタンを囲んで作られた小さな小屋の「うどん屋」があって、そこから漂う鰹出汁の香りは今も嗅覚の記憶にしっかりと残っているのです。
2014年02月17日
コメント(0)

本日の弁当は「麻婆豆腐弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃理髪後のご褒美に店主から貰ったサイコロキャラメルとは、サイコロを模した白や赤の小さな箱にキャラメルが2個入ってまして、普通のキャラメルより一回りも二回りも大きかったと思います。しかし、子供の頃は掌が小さくて、手にしたときに物凄く大きく感じたんですが、大人になってから観るサイコロキャラメルはかなり小さくなってしまったように思えてしまうのです。
2014年02月13日
コメント(0)

本日の弁当は「サンマの生姜煮弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃チョコレートの他にキャラメルも良く売れた時代で、当然好きでした。理髪店に行って散髪し終わるとご褒美に店主からサイコロキャラメルが貰えたのを良く覚えています。大人はマッチを貰っていましたが、高校を卒業して就職した頃にキャラメルからマッチへと変わった事が、大人の仲間入りを自覚できた一つの出来事でした。それにしても高校生までキャラメルを貰っていたかというと、そうでもないのです。小学生の頃に理髪店を変えたことがあったわけで、何年かぶりに昔の理髪店へ行ったのが二十歳を超えた頃だったのです。その時にキャラメルではなくマッチをくれたのです。どこの理髪店でもおまけをくれたわけではなかったのです。
2014年02月13日
コメント(0)

本日の弁当は「マカロニサラダ&ハンバーグ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃甘い物が好きで特にチョコレートが大好物だった私ですが、それを自分で買うようなお小遣いも貰っていなかったので、時折訪れるお客さんのお土産や、近所の人に偶然に貰うことでしかチョコレートは口に出来ませんでしたので、余計に貴重だったんです。クリスマスケーキなどに飾ってある小さな板チョコも貴重でして、円形のケーキを8つぐらいに切り分けるとき、上手く板チョコが乗っかっている物が手に入る事を祈ったもんです。
2014年02月12日
コメント(0)

本日の弁当は「ミートボール」 さて、私が少年だった昭和中期の頃甘い物が大好きだった幼児時代。といっても大抵の幼児は甘い物好きでしょうけど、当時感じたあの甘い味覚は、今では決して蘇る事は無いと思います。チョコレートなどは正に当時の私にとっては宝物。チューブ入りのチョコレートも売ってたんですが、それが紛い物である事を見抜いていました。本物のチョコレートは明治や森永といった一流製菓会社の作る板チョコであると、幼児の癖に思っていました。チョコレートにビスケットなどが合体したお菓子などは逆に物足りなさを感じ、チョコだけを純粋に味わいたかった幼児でした。このように、幼児時代から甘い物ばかり食べ、歯磨きもしなかった私はその頃すでに虫歯を多く作っていたのです。それを治療したのは20歳に成ってからでした。
2014年02月11日
コメント(2)

本日の弁当のおかずは「しめじと玉葱、ブロッコリーの煮物」 幼稚園の入園式当日、帰りに紅白の饅頭が全員に配布されたのですが、持ち帰る前にその場で食べてしまうという躾の無さも自分にありました。とにかく幼児の頃は甘い物が大好きで、小学四年の頃は練乳、いわゆる缶入りのコンデンスミルクの原液をそのままゴクゴクと飲むのが好きなくらいでした。普通はパンに塗ったりイチゴにかけて食べるあの練乳を、缶から直接飲むのです。学校から帰ってきてまずする事は、戸棚に買い置きされている缶入り練乳をこっそりと隠れて飲むこと。それはそれは格別な味でして、イチゴなどにかけて味を薄めるなんて以ての外だったんです。
2014年02月10日
コメント(0)

本日の弁当は「シラス干し&大根の煮物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃そもそも何故に幼稚園などに行かねばならなかったのか、理解できない幼児でした。前もって「幼稚園」の予備知識を親が教えてくれず、5歳になる春に突然見知らぬ場所へ母親に連れて行かれました。そこには壁に多くの名前が書かれた紙があちこちに貼られており、私が「さくら組」に配属されている事を母親から聞きました。そんなことどうでも良くて早く帰りたいのに、なぜか次の日からも其処へ行くこととなり大勢の幼稚園児の中に紛れてお寺の講堂のような所に詰め込まれたのです。若い女の先生が次々に幼児の名前を呼び始めますと、それぞれが大きな声で「ハーイっ」と手を挙げて応えてました。私の名前が呼ばれた時、私は声を出すのが恥ずかしくて人差し指で自分の鼻頭を何度も差して存在を示したのです。
2014年02月07日
コメント(0)

本日の弁当は「チーズ入りハンバーグ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃幼稚園時代と比較すれば天と地の差があった小学一年生時代。もちろん小学一年生時代が「天」です。もう「いじめっ子」も居ないんです。そもそもそいつと同じクラスになったら・・・なんて考えても居ませんでした。おそらく、「いじめ」は登園拒否理由のほんの一部で、実際は家でのんびりしたかっただけだと思います。家にいればテレビで好きな番組を観て、昼が来ればご飯を食べ、夕方まで遊び、そして夜もおいしいご飯を食べて、後は気持ちよく寝るだけ。大勢の同い年と混じってお遊戯だのお絵かきだのしなくても良いから、ただ家に居たかっただけだったんだと思います。ですから、その「いじめっ子」はあまり印象深い存在ではなかったんですが、チラッと校内で体育の時間に見かけた時は、流石に幼稚園の頃の事が少し蘇りました。たしかドッジボールのクラス対抗で、別のクラスにいた「いじめっ子」が、ボールを上手く避けた私を観て、「上手いっ」と声を掛けたのです。たったそれだけの再会で、その後は何も無く、まさに「天」の時代に移り変わった事を実感した一年生でした。
2014年02月06日
コメント(0)

本日の弁当は「麻婆豆腐弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃一年間もイジメに遭って100日近くも休んだ幼稚園時代から一転、無欠勤の小学一年生時代には親友のH君や初恋のS子ちゃんに出会うという中身の濃い一年でした。クラス内での暗算大会で見事に優勝し、担任から「金メダルーっ」と言葉のメダルを貰い、節分の日には年齢だけの豆が貰えるというので、担任がクラス内で年齢を聞き回る時、大抵は6歳か7歳の筈の所を、私は数え年で答えて「8つ」と言って担任からダメ出しされた一年生時代。結構色々と覚えてます。
2014年02月05日
コメント(0)

本日の弁当は「ピーマンのシーチキン詰め」 さて、私が少年だった昭和中期の頃初恋は小学一年の時の同じクラスのS子ちゃんでしたが、この小学一年時代というのは前年の幼稚園時代とは打って変わって真面目に通学して三年生になるまでずっと皆勤だったと思います。なにせ幼稚園児代は悪ガキにいじめられっぱなしの一年間だったし、とにかく最初から幼稚園なんかに何故行かなければならないのか納得できずに、6月頃から二ヶ月ぶっ通しで強引に休んだから。人生初の苦労が幼稚園児代だったので、小学一年時代は暗雲が開けたような、逆に楽すぎて気が抜けたような一年だったのです。
2014年02月04日
コメント(0)

本日の弁当は「糸こんにゃく焼きそば」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代の親友H君以外に印象深い人物と言えば、小学一年の時の初恋相手のS子ちゃんですが、同じクラスになったのが一年生の時だけなので、あまり縁はありませんでした。校内でもあまり見かけることもなかったんですが、二年生の夏に課外授業の催しに参加した時、そこへちょっと遅れて現れたS子ちゃんに対して、まだトキメキが残っていた事を覚えています。
2014年02月03日
コメント(0)

本日の弁当は「きんぴらごぼう&サバの味噌煮」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代の親友H君とは運良く中学一年も同じクラスとなって、中学への進学不安が和らぎました。今思えばH君はとても男気のある正直な人でした。それゆえに不良に絡まれても怯むことなく、不良の執拗な迷惑行為に抵抗していました。私といえば不良の同級生には愛想良く振る舞って事なきを得るという性格でしたので、H君とは正反対だったと言えます。そのように、小学時代は比較的良い子が多い学校だったのですが、中学になると他の小学校からも寄り集まってくるので、今までに見たこともない横着な生徒と接する事となり、それにどうのように対処するかで、各々の性分が見定められる世界に突入したわけです。
2014年02月01日
コメント(0)
全20件 (20件中 1-20件目)
1
![]()
![]()
