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ギョウザ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代洋楽への興味が中1時代に比べて格段に下がったとはいえ、何か良い曲は出て居ないかとレコード店に赴いたりラジオを聴いたりはしておりました。中1時代に「ポップコーン」という楽曲に出会ってからは、その曲に使用されているシンセサイザーと言う電子楽器にも興味を持ち始めた頃で、既存の楽器には無い奇妙な機械音や自然音など自由自在な音作りができる代物です。歌謡曲にもそのシンセサイザーは使用され始めていた時代でもあり、ちょっとした間奏部分に使われていたりすると、それだけでその曲が気になったものです。当時の歌謡曲で思い出してみると、キャンディーズのデビュー曲である「あなたの夢中」にも、間奏部分で使用されているんじゃないかな。西城秀樹氏の楽曲にもよく使用されていたのが分かっていました。日本でのシンセサイザー第一人者と言えば冨田勲氏ですが、冨田氏が作成したドビュッシーの「月の光」などがあるアルバムなどはグラミー賞候補だったんじゃないかな。当時はそんな凄い事は何も知らなかったんですけど、その「月の光」とか「アラベスク第1番」というドビュッシーの代表曲のオリジナルよりも先に、冨田氏の奏でるシンセサイザーによるその曲は、すでにどこかで聴いたようなというくらい、微かに耳には残っておりました。大人になって、ああ、あれは冨田氏の演奏だったのかと改めて興味を持ったものです。
2019年05月31日
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やきそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代1学期の頃に長姉が結婚して名古屋の隣に位置するT市へ新居を構えました。そこへ度々遊びに行く途中の、義兄の運転する車中ラジオから流れて居た井上陽水氏の「夢の中へ」も当時のヒット曲であり、やはり不思議少女Sさんを思い起こす楽曲のひとつです。中1時代の楽しい日々が夢まぼろしと思えるほど、中2時代の初頭は憂鬱な毎日でありましたので、良い楽曲が自然と心を癒していたんでしょう。「夢の中へ」以外にも由紀さおり氏の「ルームライト」も良くラジオから流れておりまして、井上陽水氏と同じようなジャンルで活躍していたよしだたくろう氏作曲の当曲は、イントロも印象的で、結構ガツンとハートに来ましたね。歌詞の内容は、未だにハッキリと認識できません。就業後に家までタクシーかなんかで上司が送ってくれているのかな。そこまでの道のりが歌詞に在って送ってくれることにも慣れてしまった・・・・と、唄われてますが、上司と女性事務員の恋愛ものかなと思いますが、まさか「不倫」を題材にしてるのかな?
2019年05月30日
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おにぎり弁当(焼きたらこ2、梅干し1)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代不思議少女Sさんを思う時、思い出す時は特定の楽曲が付きものですが、そもそもこんな時期は好みの楽曲の移り変わりが多く、中学1年生の時に興味を持ち始めた洋楽の類も、段々と影を潜め始めました。それでも休日となればレコード店へと赴き、よさそうなレコードは出て居ないかと調査はしました。その時に店で良く出くわしたのが中1時のクラスメイトのY君でした。特に友人でもなく、体操部の同輩である喧嘩っ早いM君と仲間だったようで、やや不良っぽいところのある子でしたが、洋楽という共通の趣味で気の合う所もあり、校内で会う時、3年生になっても「なんかいいレコード買った?」と声をかけてくれたのを覚えております。世間の流行はフォーク真っ盛り。くらーい雰囲気の歌が多かったように思いますが、その流れとともに興味は出てきて、井上陽水氏の曲などは好きでしたね。
2019年05月29日
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切り干し大根&ハンバーグ弁当(市販の切り干し大根惣菜、マルシンハンバーグ)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代不思議少女Sさんにまつわる楽曲は他にもあります。時期は中学1年生時に戻ってしまいますが、音楽授業でのリコーダー実技の時の事です。そもそもリコーダーは私の得意とするものでして、お勉強の出来る子はリコーダーも上手いものでして私ぐらいが勉強が出来なくてもリコーダーが上手かった生徒でしょう。おかげで勉強が出来る子なんじゃないかと思われていたかも知れません。で、このリコーダー。2年生時にはスケバンタイプのK子さんも上手かったですし、K子さん意外と勉強が出来た子でした。クラス40人で10番以内には位置したんじゃないかな。で、1年生時の不思議少女Sさんですが、リコーダー演奏は3曲の中から選んで演奏するものとなっていたと思いますが、彼女はフォスター作曲の「主は冷たい土の中に」を演奏したんです。ゆっくりと、とても丁寧に演奏していました。普段のお転婆な様子からは想像できない落ち着いたものでして、その他に独唱した授業もありまして、何の曲だったかは忘れましたが、いつもはキャーキャー騒いで早口な不思議少女Sさんの独唱は、か細い消え入るような声でした。それはそれで意外でしたが、リコーダー演奏した「主は冷たい土の中に」が、彼女に纏わる印象深い曲のひとつです。
2019年05月28日
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かつ丼弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代不思議少女貴婦人Sさんほど、楽曲によって脳裏に浮かぶ存在は他にありません。中学1年時代はSさんが音楽室で弾いていたピアノ曲バダジェフスカ作曲「乙女の祈り」2年生の春は音楽授業で習った江間章子氏作詞、團伊玖磨氏作曲「花の街」特にこの「花の街」、音楽教師がピアノで伴奏するんですが、そのイントロと「七色の虹をみたよ~流れていく・・・・」のところで伴奏の音階が下がるんです。ここが劇的に良いんです。Sさんの面影がドーンと現れます。そしてサイモンとガーファンクルです。彼らの曲の一つ一つが今も不思議少女Sさんを思い起こさせます。
2019年05月27日
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本日は日本ダービーです早速占ってみましたところ・・・・・風火家人の初爻の卦を得ました。戸締り用心、しっかりと準備を調えて最初が肝心だそうな。難しいです。どの競走馬も準備万端にレースに備えて調教をしてきているはずです。ですので、今回も本日の強い数字「3,5,7」で決めていきたいと思いますが、となるとどれも人気馬が当てはまってしまいます。今日は特別に1~3番人気で行こうかと思いますので、あしからず。3枠サトゥールナーリア、馬番7ダノンキングリー、7枠ヴェロックスですね。後の一頭は5枠のクラージュゲリエで行きましょう。
2019年05月26日
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天丼弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代不思議少女Sさんからの返信を待ち続ける日々でしたが、そもそも1年生時のクラスメイト時代から彼女との接点、接触は多くない中、私にはある音楽が常に彼女の面影と共に存在しました。サイモン&ガーファンクル(S&G)なんですが、確かに1年生終業間際にこのデュオのレコードを彼女にプレゼントはしましたが、それよりも2年生時に返信を待っている間に、S&Gの音楽が彼女への思慕を高まらせました。当時、兄が知人から貰ったというS&Gのデビューアルバムやその他の有名楽曲多数を収めたカセットテープを持っており、それがまた同じものを2つも所持していたので、2つ同時に、それを少しずらして聴くとエコーがかかったようになるので、その20曲ぐらいを毎晩聴いていたものです。どんな内容の歌詞か全くわからないものの、なぜか不思議少女SさんとS&Gの楽曲がそれ以降も私の中ではセットとなっていくのです。
2019年05月26日
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あさり釜飯弁当これを使用しましたさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代相も変わらず、不思議少女Sさんからの返信は来ないまま新年を迎えようとする頃、年賀状も出しまして、年賀状ぐらいは来るかなと思いましたがそれも来ず。そんな時にした事が、切手を同封して返信を催促したりと、まるで何かのセースルダイレクトメールみたいな事をしてしまったなと、今は思ってます当時はそれで良かれと思ってしていたんです。相手に催促せず、もっとじっくり待つとか、返事の無い事が「返事」なのだと、気付くべきだったのかもしれません。ま、薄っすらとそんな事も思ったような気もしますが、新年を迎えた頃に流行っていて、深夜に聴いていたラジオから流れていた小坂明子氏の「あなた」という曲が、不思議少女Sさんの面影を思い起こさせてしまったんです。あの、小坂氏のハイトーンの澄み切った歌声が、不思議少女Sさんの容姿をクッキリと思い浮かばせました。また、当時CMとしてキャラメルのハイソフトかなんかの大きな広告看板が何処かのビルの壁面に貼られていて、そのモデルの少女が不思議少女Sさんに良く似ていたので、諦めようとしてもどうにもなりませんでした。
2019年05月25日
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シュウマイ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代スケバンタイプのK子さんは、私のキス懇願から逃れるために、Mさんというクラスメイトの女生徒がキスをしても良いと言ってるからしてもらえば?と言うので、Mさんの表情を窺うとニッコリと笑うので本気なんだなとは思いました。このMさんとはあまり会話した記憶もないのですが、普段は口数が少なくとも言う事はしっかりと言うというような感じで、決して暗いわけでもなく、3年生になっても私の姿を見かけると気さくに声をかけてくれる子でした。しかし、当時は微妙に好みから離れていたのでキスは丁重にお断りしました。まことに勿体ない事をしたもんです。
2019年05月24日
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スパゲッティ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代スケバン素質充分のK子さんは、色黒で目がぎょろっとして眼力があり、姉御肌タイプでしたがまだまだ中学二年生。どこかあどけなさと可愛さがあったのでしょう。私は欲望を正直にK子さんにぶつけ、「キスを経験したい」と迫りました。すでに6月も過ぎて夏服の半袖となっていた事もあって、平気で脇の下を覗く事もしましたが、まだまだ子供のする事、K子さんもサッと腕を下ろして脇を隠す動作をしながら怒りはしません。放課後の外の鉄棒で体操部の練習をしている私の姿を見つけたK子さんが、「Sちゃん、Sちゃん」と私の下の名前を親し気に愛くるしく近づいてきてくれたことがあり、私は照れ隠しの為にコメディアンの萩本欽一氏がやるような「欽ちゃん走り」みたいな格好をして逃げ出しました。たいした用事も無かったのでしょう、K子さんは追いかけては来ませんでしたが、あの時、もう少し図々しくあのチャンスを活かしておれば、見えない所へ連れだってキスぐらい経験できたかもしれません。
2019年05月23日
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いなり寿司弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代新友人にならなかったS君は、ガンマニア。私の全く知らない拳銃の知識を、当時話題の洋画などに登場してくる拳銃の名前をペラペラと捲し立てます。スケバンの素質充分のK子さんと大人しいE子さんとの4人で、席も隣り、前後同志とあって暫くは仲良く談笑する仲でしたが、女性同士でしか理解できない日常のやり取りの中で何かあったのでしょうか、K子さんが私とS君に対し「今日からE子がしゃべりかけてきても無視しようね」と指示してきました。飄々としたS君は決して軟な男ではなく、不良生徒が因縁を付けてきてもじっと耐えて延々と反論する男でしたが、今回の件は「いいよ」と、軽く承諾しておりました。私も逆らえないなと思っておりましたので承諾しましたが、その日のうちにその様子を察知したE子さんは、机に突っ伏して動かなくなってしまったのです。泣いていたわけではないようでしたが、それを見たK子さんも悪いと思ったのか、無視のルールを解いたのはK子さんでした。「無視」というイジメの一端を垣間見て、それに加担してしまった瞬間でもありました。
2019年05月22日
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春巻弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代新友人M君や I 君の他に、新友人にならなかったS君が存在しました。S君とは2学年が始まった当初、何気にランダムに席に座った時に隣だった子です。しばらくはS君と仮の友人的な付き合いをしましたが、その時に男女ペアになるように席替えした時私の隣は大人しそうなE子さん、S君の隣はやがて私がキスをさせてほしいと懇願した相手K子さんでしたこのK子さんには口喧嘩は敵いませんでした。女だからきつい事を言えばすぐにひるむだろうと楽観していると、思わぬ言葉の攻撃に、「あ、自分は弱い」と気付かされるぐらいに何も言えなくなりました。不思議少女Sさんと相対している時にも気後れしましたが、不思議Sさんの場合は気品と「あんたなんか眼中にないわ」といった雰囲気があったので太刀打ちできなかったのに対し、K子さんには俗に言う「スケバン」的な気質が潜んでおり、私の精神的なひ弱さを見抜いていたんでしょう。私としては内心、「腕力ではこっちのが上だ」と言い聞かせるしかありませんでした。
2019年05月21日
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ゴボウ煮付け&焼売弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代課外クラブの他に授業の一環として、確か2週に1回か月に1回か忘れましたけど「正課クラブ」というものがありまして、やはりスポーツ系から文系、理系などの種類がありました。大抵は課外のスポーツに所属しているものは正課でも同じスポーツを選択していたようで、我が体操部も正課では同じようなメンバーが揃ったようです。私は他の事がやりたくて「レコード鑑賞部」というものに所属しました。そこには小学時代の親友H君も偶然存在し、久しぶりに会話が出来ました。ただ、2~3人ぐらいの各学年、各クラスからのグループ編成だったので、H君とは別グループでした。各グループが順に好きなレコードを持ちより、3曲ぐらいを鑑賞するというもので、私のグループは、というよりもレコード鑑賞部に入部したのは私のクラスでは私だけだったので、一人でレコードが選べたと記憶しております。使用したレコードは、当時では知る人ぞ知る、ちょっとしたヒットを飛ばしたアメリカのスタジオミュージシャンの集合体である「ホットバター」というグループがリリースした「ポップコーン」という曲です。みんなに聴かせてやるそと意気揚々と曲をかけたんですが。どうも顧問の数学女性教師には気に入らなかったようで、「そんなしょっちゅうラジオで流れていた曲なんかよりも、もっと珍しい曲をかけないと」と不評でした。逆に親友H君が選曲したクラシックのヴィヴァルディ「海の嵐」は顧問には大好評。「これはいいっ」てなもんでした。
2019年05月20日
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コロッケ・ハム弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代夏休みでも体操クラブは練習があったようですけど、私は例年のように母親の故郷である岐阜県養老郡で半月ほど滞在していたので、ほとんど夏季練習には参加しておりませんでした。そう言った所は全然気にしないタイプだったようで、本来なら練習に出なかった事を怖い先輩に咎められるのではないかとか、同輩から何か言われるのではないかと、思いそうなんですが、図々しい所もあったようですね。でも、帰郷してから夏休み後半にちょっとぐらいは練習に参加しましたね。そんな時は久しぶりに会う体操部の人達の前では多少遠慮気味になっていたような気がします。出なかった分だけをシゴカレタ、なんてことも無かったな。
2019年05月19日
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本日のG1レースはオークスです。早速占ってみた所・・・・山風蠱の初爻の卦を得ました。これは早めに対処しておけば後は上手く行く、というような卦だそうでそれを今回のレースに当てはめて考えますと前走時までに何か月間かの休養を設けている馬かな、と思います。そして本日の強い数字「5,7」を考慮して選択しますとまずは、あまり選びたくないんですけども、1番人気になりそうなラブズオンリーユーです。この馬は7枠13番です。前走の忘れな草(2000m)で勝利する前に4か月半の休養をしております。馬番7のシャドウディーヴァは休養は無いものの前走のフローラS(2000m)で2着と好走しております。馬番5のエールヴォアも休養は無く前走の桜花賞では7着でしたが、昨年末のエリカ賞(2000m)で逃げ切るというスタミナの持ち主。今回の2400mでも期待できそうです。さて、問題は最低人気になりそうな5枠のウィンゼノビアです。昨年末のG1・阪神JFで13着と惨敗し、4か月半の休養をして挑んだ前走のフローラSで2着と好走。これは大穴ですよ。
2019年05月19日
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麻婆春雨弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、スポーツ刈りの中学二年生時代頭髪がボサボサだった頃ですが、以前にも書きましたが、そのボサボサを背後から掴みあげられた事がありまして、他のクラスの不良生徒でしたが、そのまま廊下に引き攣り出されて投げ倒されそうになるという、「イジメ」に遭ったことがありました。その時には新友人のM君やI君も傍に居て、廊下までは出てきましたが彼らも手が出せない状態です。ただ、私が廊下へ連れていかれた様子を、教室の隅で心配そうに見て居たのが、緑地公園で男女3対3のピクニックをした時の私の相手・Tさんでした。あの時はTさんを無視状態にしてしまい、後で散々陰口を言っていたそうですが、それでも心配そうな表情をしていたのはTさんぐらいのものでした。だからといって特にTさんを見直したとかは思いませんでしたが、それよりもそうした状況の中で、またはそのあとで思った事と言えば、やはり「悔しい」とか「怖かった」となりますが、確かに数週間は又やられるのではないかとビクビクしておりまして、結局は後に1度同じような事がありましたが何故か事は収まったのです。そのような災難に遭っている時に、泣きたい気分になるのですが、怖いからとか、悔しいとかよりも、家庭内での優しくされている状況を思い出して涙が出る、という気分でしょうか。同じ気持ちになった事を、あのフォークグループ「アリス」メンバーである堀内孝雄氏がテレビで仰っていた事があります。堀内氏が子供の頃、学校で教師に叱られて廊下に立たされた時に泣けてきた事があると。それは叱られて廊下に立たされたのが惨めなのではなくて、家で家族から大事にされている事を思い出すと、それが泣けてきたんだ、という事だったそうです。そうなんですよね。だから叱責を受けたとか、イジメられている事などは、心配かけまいと簡単に家族などに言えないんです。
2019年05月18日
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削り節弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代体操部という運動クラブでは「スポーツ刈り」が望ましいという事で、卒業するまで頭髪はそのスタイルだったんですが、確か二年生の頃に初めて「スポーツ刈り」にしたと記憶しております。それまではヤマアラシみたいに寝癖そのままの髪型でした。高校野球児みたいな五厘刈り、つまり丸坊主というまではいかなくとも、慣れない頃は恥ずかしかったものです。最初は先輩たちがスポーツ刈りにし始め、段々と同輩たちも渋々と短く刈ってくるようになり、怖い先輩たちから「お前も早く坊主にして来い」と言われたか、言われる前に刈ったかは覚えておりませんが、私もやがてスポーツ刈りデビューしたわけで、そのヘアスタイルがしばらくは定着する事になりました。フケが良く出てすぐに頭が痒くなっても、なかなか洗髪しなかったんですが。スポーツ刈りにしてからは洗髪が簡単になった事もあって、こまめに洗髪したような気もします。
2019年05月17日
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卵焼き&蒟蒻と根菜煮弁当(煮物は市販)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代中学二年と言う時期は、町内の子供会の最年長でもありました。子供会は小学三年生の児童から参加が認められていましたが、我が子供会は児童の数が少なくスポーツ大会などは別の子供会と合併するなどして参加したものです。我が子供会も最年長を筆頭に役員を選挙で選出したんですが、会長となるとその候補に挙げられるのは私とO君という統率力のある人物しかおりませんでした。当然ながら二人ともそんなものにはなりたくないわけでして、互いに自分を選出しないよう周囲に働きかけるのです。その3年前に兄が同じような感じで会長選挙の候補に挙げられた時には、父親自ら私に兄が選出されないよう、相手候補に投票するように周囲に働きかけろと指示が出て、言う通りにして兄を会長にさせずに済んだ経緯がありました。ところが私の時には誰も何のフォローもしてくれず、統率力のない私が子供会会長に選出されてしまったのです。挙句は何かの集会の時に、頼りない私に向かって女子が「何よあんた。情けない。O君の方がよかったんじゃない?」と叱咤激励を受けてしまったのです。それは一番言われたくない事でしたので深く傷つきましたが、いつもの通り笑ってごまかすしかありませんでした。
2019年05月16日
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スパゲッティ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代不思議少女Sさんで思い出すのが、名前や雰囲気が良く似ていた小学4年生時の同級生の女の子です。苗字は一字違いで、もう一つの漢字にも関連性があり、下の名前も同じ漢字が一つ使われていました。育ちも良さそうな所が似ており、共に勝気で活発です。勉強の方は不思議少女Sさんに軍配が上がりますが、良く似たその女の子Mさんは、家がかなり裕福。平屋建てではありましたが敷地面積が広かったです性格はSさんがお転婆でも品があったのに対し、Mさんは男勝りそのもの。その4年生時には最初はMさんから気に入られていたんですが、給食が嫌いだった私が残した給食を机の中に隠して、それが腐って大騒ぎになった事件から対応は180度変って、Mさんからイジメられる日々となったのです。それは5年生になるまで続いたのですが、それ以降は縁が無くホッとした覚えがあります。中学でも縁が無く、たまに他の教室へ遊びに行ったときに、そこで目が合っても何の反応もなかったので、向こうは忘れて居たんでしょう。Mさんからのイジメとはどんなものだったのか?私の着ているものを見て言い放った言葉が 「あんたんとこ貧乏でしょ」「いっつも同じ服着て」それぐらいは特に嫌な気はしなかったんですが、それよりも「近寄らんといて」とか「臭い」と言われる日々でしたので、登校して教室に入る直前の、あのイヤーな気分は忘れられません。よく休まずにいられたなぁ。
2019年05月15日
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野菜炒め弁当(キャベツ・エリンギ・もやし・ピーマン・魚肉ソーセージ)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代引っ越した不思議少女Sさんからの返信を待ち続ける日々の中、思春期に於ける身体の変化や性への感心も高まり、多くの情報に翻弄される毎日でした。特に遠足中にバスの中でクラスメイトから聞いた「赤ん坊の出来る仕組み」には仰天しました。なんと、それまで私は赤ん坊の作り方など気にした事もなく考えた事もなく、まさか本当にコウノトリが運んできたりすると思って居たのでしょうか。男女の交わり、行為によって出来るのだと知った時には、絶対嘘だ、冗談だろと聞きなおしたほどです。ま、遅かったんですねぇ。そんな時分、身体の変化、いわゆる「性毛」といわれるものがチラホラ出現してきた頃、新友人M君と銭湯へ行ったときに見せ合ったものですが、タオルをずらしてそーっと見せるM君のそこの生え具合は、私よりも立派。それでもまだまだ子供の様相ではありましたが、私がそのあとに見せたかどうかは、記憶にございません。きっと自信が無かったから、どうしたかは推測できます。
2019年05月14日
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やきそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代不思議少女Sさんからの返信第2弾を期待しながら思いついた事を書いて、一か月に2~3通ぐらいの頻度で彼女に手紙を送り続けます。しかし、その内容がハッキリ思い出せなくて、一体どんな事を書いたのかなと、じっくり考えてみますと、おそらく新友人MとI の事でしょうか。彼ら2人はSさんと同じ小学校出身なので、少々知った間柄であろうと思ったので、手紙には登場させても良いだろうと考えたのです。当然ながらSさんに手紙を出したことなどを話している、などと書いたのでしょう。後は体操部の事なども書いたでしょう。そして「返事を下さい」の文は必ず加えたはずです。さて、学校から帰ると必ずした事は、手紙が来てるかどうか郵便受けの蓋を開けてみる事です。入って居なくとも毎日毎日。来るはずもない日曜日にも見たりしたんでしょう。当分の間はワクワクしました。
2019年05月13日
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先週はなんとか1着を当てる事が出来ましたが、人気馬でしたので占いでなくとも誰でも予想は出来る範囲なのが少し残念です。さて、本日のG1レースは牝馬限定ヴィクトリアマイルです。早速占ってみた所、風雷益の二爻の卦を得ました。これは意外な援助を受けて思わぬ幸運を得るそうで、良い卦と言っていいでしょう。これを今レースに当てはめて考えますと、予想外なので大荒れで、しかも最低人気の馬が勝つかもしれません。しかし、やはり本日の強い数字「2,4,5」を基本に選びたいと思います。で、ありましたありました。馬番「5」には最低人気になりそうなメイショウオワラ。勝ったら凄いです。でも、4月の阪神牝馬Sでは13着と大敗してはいるものの、それの前走「うずしおS]では10番人気で見事勝利してますから判りませんね。後は2枠4番のノームコアは2000mの距離で好成績。今回の1600mで最初から飛ばすか。4枠7番のミッキーチャームは前走「阪神牝馬S」の勝馬。5枠9番のプリモシーンは2番人気となりそう。3か月休養明けの前走「ダービー卿チャレンジ」で2着と好走しております。
2019年05月12日
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コロッケ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代不思議貴婦人少女Sさんにラブレターを出して数日後、まずは彼女の親友 I さんを通じて小さな紙きれのようなメモ用紙でSさんから返事が来ました。きっと休日にでも I さんと会った時にSさんがメモを渡したのでしょう。もしくは I さんとの手紙のやり取りのついでに、メモを同封したのかも。いずれにしてもこの辺が不思議なSさんの感覚であり、私としては普通に切手を貼った手紙を期待しておりましたが、まずは返事が来たと解釈しました。で、メモの内容としましては、以前は秀才S君の事が好きだった事が書いてあり、なんでこんな事を書くのかなと、ちょっと疑問に思いましたが、おそらく彼女としては自分の立ち位置を知らしめたかったのかなと。引越し先の学校には気になる人は居ませんとも書いてあり、これからも手紙を下さい、と締めくくってありました。ん~・・・・????と、非常に微妙な気分でした。喜んでいいのか、遠回しで敬遠されているのか理解しがたい気分でしたが、とりあえずは押しの一手で手紙を送り続ける事にしたのです。
2019年05月12日
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某スーパーで買ってきた冷たい焼芋割ってみると、こんな感じ。食べてみると、舌に纏わりつくようなネットリした食感で物凄く甘い。甘くておいしいんですけど、ちょっとキツイ甘さですね。
2019年05月11日
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人気の惣菜6種盛り合せ弁当そのおかずが、これ。スーパーで買った弁当用のおかずさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代夏休みが終了し、秋が近づくころだったか、記憶がハッキリしていないんですけど、不思議少女Sさんの引越し先をSさんの親友・I さんに訊き、いよいよラブレターを出す事となりました。それ以前に体操部の同輩から、ラブレターってどう書いたらいいんだろう?という相談を受けた事がありまして、私は即答しました。「気持ちが籠っていれば、どんな書き方だろうと相手に通じる」と、言った覚えがあります。そのまま自分が考えていたとおりに不思議少女Sさんにラブレターを出しました。本当は本人を前にして直接言う勇気が無かっただけであり、ラブレターをポストに入れる時も、なんだか他人事のように思えて、ドキドキワクワクしたというよりも、言いようのない空虚感がありました。潜在的に無理な相手であると感じて居たのかもしれません。書いた内容も照れ隠しのためか、乱雑でワザと下手な字で書き、ふざけた内容だったと記憶しております受け取り側の不思議少女Sさんの気持ちを考えていたのか?と問われれば、その自信はありません。
2019年05月11日
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ハムとブロッコリー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代夏休みが終わって二学期となり、過ごしやすい秋になった頃、ちょうど歌手の山口百恵氏などが「青い果実」なんて歌を歌っていたころだと思うんですけど、新友人のM君とI 君にはそれぞれ好きな子がおり、私が不思議少女Sさんに思いを寄せていた事を含め、各々が好きな子と一緒に6人でピクニックでもできたら良いなと良く話し合っておりました。結局はその秋に近くの緑地公園でピクニックはするのですが、M君とI 君はそれぞれお目当ての子を連れだすのには成功しましたが、不思議少女Sさんの連絡先を知らない私は彼女を連れだすことは出来て居なかったし、そもそもそんな勇気はありませんでしたので、臨時相手として誰が推薦したのかクラスメイトの一人、Tさんという子が私の相手としてあてがわれました。M君やI 君とて、決して恋が成就した相手ではなく、無理を言って付き合わせた感じでしたが、I 君のお相手は I さんという不思議少女Sさんの親友でもある女生徒で、その I さんから不思議少女Sさんの連絡先を教えてもらったのはピクニックの前後だったかどうかは思い出せませんが、ちらほらとSさんの近況を聞きだそうとしていた事は覚えて居ますで、そのピクニックですが、私はあてがわれた相手のTさんが嫌いではなかったんですけど、不思議少女Sさんに思いを寄せている身として、Tさんと仲良く振る舞うことは何か気が引けてしまい、終始にわたってTさんを無視しました。Tさんは一切表情を変えずに振る舞っては居ましたが、後日、人の噂として聞いたんですが、Tさんはかなり御立腹されていたようです。そんな事はちっとも気にならず、Sさんへの思慕は高まるばかりでした。
2019年05月10日
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餃子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代夏休みになれば不思議貴婦人少女Sさんは引っ越すのですが、それまでは校内でSさんをよく目で追っておりまして、1年生の時のように毎日同じ教室で見かける事が出来なくなった中、時折放課後の体育館内で私が体操部の練習中に、館内の舞台上でSさんが合唱の練習をしている光景を見た事もあり、それは多分野外学習の出し物的な合唱だったと記憶しておりますが、体操部の練習中ではない時にも観た事があっておそらく野外学習の説明会か何かの時に合唱もついでに練習を兼ねたお披露目をしていたのでしょう。私は合唱する女子生徒十数名の中に紛れているSさんから目が離せませんでした。つまり凝視するしかなく、もうすでにその頃のSさんは「不思議」ではなく「貴婦人少女」と呼ぶにふさわしい女性へと、私の中では変化していたのです。
2019年05月09日
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塩サバ&ハンバーグ弁当(サバとハンバーグはコンビニの真空パックもの)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代夏休み中は小学生時代と相も変わらず母親の故郷(岐阜県養老郡)で1か月ほどの寝泊りではありましたが同伴した従兄弟2名も段々と成長してきたせいか、特に2歳下の従兄弟は自己主張が強くなり一つ上の従兄が受験の為にすぐに帰省。残った子供の年長は私となり、その家の姉弟ふたりと私の従弟の4人の中の「リーダーじゃな」と、母方祖母が言ってしまったのを切欠に従弟が不満を持ち、なぜか事あるごとに私を差し置いてリーダーシップを取ろうとしました。ちょっと大人になっていた私は、従弟のやりたいようにさせて余裕を持つという優越感で自身を納得させていました。本当は相手の失敗を期待してそれをフォローするような展開が望ましいんですけどね。なかなかそうはいきませんね。
2019年05月08日
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切り干し大根&煮イワシ弁当(おかずは市販もの)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代中学一年でクラスメイトだった不思議貴婦人少女Sさんは、夏休み中に引っ越していく事になっておりまして、結局何も別れの挨拶もできないまま、いつしか彼女は学校から居なくなってしまいました。でも、夏休みに入ったばかりの頃、私は新友人のI 君宅へ遊びに行くために、日曜の朝に小走りで出掛けました。その50mぐらい前方に青い花柄のワンピースを着た小柄な少女が歩いていました。長い髪で背格好からして不思議少女Sさんだったら良いなと思って、やがて追いついて道の角の所で追い抜いた時、彼女がこちらを見たのです。やはり不思議少女Sさんでした。Sさんだったんですけど、初めて出会った頃のように、なぜか怖い目付きでジッとこっちを見てるんです。私は微笑みかけたんですけどすぐに真顔になったかな。あれは何だったんだろうと今でも思います。きっと自分を追いかけてきた嫌な奴だと思ったのかな。それとも引っ越していく不安から笑顔を返す余裕がなかったのかな。彼女は彼女の親友I さんちへ行く途中だったのでしょう。I 君とI さんの家は同じ町内で歩いて1分もかからないご近所さんでしたから、彼女と私は同じ方向へ向かってたわけです。
2019年05月07日
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ポテトサラダサンド&ピーナッツチョコサンドさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代これも初夏のころだったか、9歳年上の姉の結婚式があって、区内の神社で執り行われました。朝から小雨で、止みかけた頃に実家から花嫁が文金高島田姿で式場へとタクシーで向かう訳です。家の前には垂れ幕がかかっており、紅白幕でなく白と水色を基調とした目出度い幕だという事でした。小雨上がりにも関わらず、家の前に集まってくれた近所の十人くらいの主婦らの皆さまたちにお菓子の袋を誰かが配布してました。晴天ならばもっと人は集まったでしょう。私は学生服で参加しましたが、集合写真の時に大きく目を見開いていた記憶があります。少しでもお目目パッチリの美男子に撮ってもらいたかったのです。なんて女々しい奴だったんだろうと思います。印象に残っているのは披露宴で絶唱した父親です。何を唄ったかと言うと、当時流行っていた「ぴんからトリオ」の「女のみち」なんです。これって悲恋の女性が残りの人生を逞しく生きて行くわっていう感じの内容だと思うんですがねぇ。父親は「女のみち」の二番歌詞から歌ってました。流石に「私がささげた、その人に、あなただけよと縋って泣いた・・・」ではね、なんせ披露宴なんですからね。でも、かなり結構上手かったですよ。だから「女のみち」が結婚式に相応しくないと思ったのは、だいぶ後になって気付いた事なんです。誰も文句は言って無かったし。
2019年05月06日
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さて、立て続けに予想を外し続けておりますが、本日のG1レースも懲りずに占ってみましょう。天地否の四爻の卦を得ました。みんなと協力して天命に従えば勝利に繋がる、という意味だそうで、なかなか良さそうな卦ですね。これを今回のレースに当てはめてみるんですが、人気順に選んでおくか、それとも競馬サイトの考えに従うかまたは今回の卦を信じて、強い数字「1,5,8」を中心に選ぶかですな。てなことで馬番5を選びたいんですが、これまでのレース結果を見るとそれほど悪くはないんですけど12番人気になりそうなマイネルフラップ。外しときます。で、5枠のカテドラルですが、人気もそこそこ、前走は3か月休養明けで後方から追い込んで2着の好成績。馬番15のヴィッテルスバッハは名前がカッコいいですね。これまでの成績も悪くないですし。8枠の人気馬でデムーロ騎手が騎乗するアドマイヤマーズ。これが勝つでしょうね。そして1枠のプールヴィルは牝馬で人気薄ですが「1」で選ぶとしたらこれしかないのです。
2019年05月05日
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五目弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代新友人M君とI 君は、私の眼には異色のコンビに見えました。眼鏡をかけた秀才風のM君。長身だが飄々としたI 君は牧場労働者が履くような吊りズボンが似合いそうな出で立ち。要するに凸凹の漫才コンビの様でした。しかし、そのふたりは私の家族からは不評を買ってまして、特に三つ上の兄からは訝しい目で見られておりました。何故かと言うと、彼らは遊ぶために私の家の前まで来た時に、兄に出くわすとサッと逃げ出したのだそうです。単なる照れくささだと思うんですが、「何だあいつらは。あんなのと付き合うなよ」と良く言われたものです。確かに、小学時代の友人にはそんな人はいませんでしたね。ちょっと質が違ったかな。最初の頃はちょっとしたイジメやからかいが私に対してありまして、その割にはすぐに普通に接してきたり、爆笑するような事を言うので、ズルズルと仲間になっていったわけです。
2019年05月05日
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もやし&ソーセージ、卵の炒め物弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代新・友人のM君やI 君とは、まだ野外学習の頃はそれほど親しくはありませんでしたので、しばらくは個人行動が主でしたが、夏休み前には段々とクラス内それぞれのグループ形成が固まってきたのです。M君は眼鏡をかけた一見秀才タイプに見えましたが、走るのが私よりも少し速く運動神経も良い人物で、やや自己中心的な性格をしておりましたが、ユーモアもあってそこが私との接点でしたでしょうか。 I 君は当時すでに180cmはあった長身でしたが、どことなく飄々とした風変わりな人物で、想像を絶するようなこれまたユーモア精神があって、小学校以来の大爆笑を何度もさせてもらえましたが、ちょっとこの人も油断ならない所があって、よくM君の悪口などを吹きこまれた事もありまして、概して人の悪口を聞かされる時と言うのは、ある種の優越感を感じさせられる時でもあり、自分に信用があるから誰かの悪口を話してもらえるものだと、私は良い気分に浸っておりました。
2019年05月04日
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鉄火丼マグロ赤身の切り落としを買ってきて、寿司酢を混ぜて作ったんですが、飯をしっかり冷ましてないので格別旨くはなかったです。一か月前の鉄火丼は飯を冷ましてから作成したので上手く行ったのですが、飯に粘りが出て、それが喉に詰まる原因となって三十分ほど苦しみました。年齢のせいか、勢いよく飯をかきこむと喉に詰まるようになってしまったんですが、今は亡き両親にもこんな光景がよくあって、年は取りたくない物だと思ったものです。若い頃はお茶など必要とせずにご飯を口いっぱいに頬張ってパクパク食べてたんですけどねぇ・・・・
2019年05月04日
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焼きそば(日清焼そば)&焼きハム弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代二年生の野外学習の二日目の朝に行われた散歩会には不参加でしたが、昼食用のおにぎり作成には全員参加なので頑張りました。その「昼食用おにぎり」ですが、生徒約300人がそれぞれ3個のおにぎりを作って包装紙に包みます。それは昼食時に全員に配布されるわけですが、どのおにぎりが渡されるかは本人の希望は無視であり、誰が作ったものかは分からないわけです。今であれば考えたくもない事でして、非常に衛生的に問題ありと言わざるを得ません。ですが、当時は、と言うか他の人は嫌悪しながら食べたか、もしくは食べなかったかも知れませんが、おにぎり好きの私としては喜んで食べたのだと思います。大きさは不揃いだったと思いますが、結構塩加減は適正だったような覚えがありますよ。具は「梅干し」オンリーだったような。
2019年05月03日
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きんぴら弁当(きんぴらは市販惣菜)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代初夏の野外学習において、二日目の早朝での集合は、おそらく旅館近辺にあった森林での「散歩」ではなかったかと記憶しております。二年生全員ですから300人ほどの生徒をどうやってゾロゾロと散歩させたのかなと思いますが、体調不良などで参加しなかった生徒も数人いたのでしょう。その一人に付き合う形で居残ったのですが、その子はバイクが趣味だったらしくて、排気量やメーカー別のエンジン音の物真似を聴かせてくれました。そんな事をしながら暇つぶしをし、途中抜け出して旅館内を散策している時に不思議貴婦人少女Sさんに階段の踊り場で偶然出くわしたわけです。彼女も体調が優れずに散歩に参加しなかったのか、それとも私の記憶違いで別の時間帯に出くわしたかもしれませんが、その後の夏休み期間中にSさんは引っ越さねばならなかったので、きっと彼女は多くの不安や悩みを抱えていたのだと思います。階段の上から降りて来るSさんと、下から上がってくる私ですが、私にとってはSさんとの貴重な二人きりの数秒の時間でした。
2019年05月02日
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ナポリタン&ポテトサラダ弁当(おかずは市販の惣菜)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、思春期真っ只中の中学二年生時代「性の眼ざめ」以外にも当時の事を回顧すると思いつくのは、激変した人間関係でしょうか。小学時代に親友となったH君と同じクラスとなり、別の小学校から集まった同級生らとの素晴らしい交流のあった中学一年時代に比べると、二年生の教室はまるで別次元。その憂鬱さから立ち直るのに一か月以上かかったのです。ちょうどそんな時期でしたでしょうか、初夏のころだったと思いますが、野外教育とかで二年生全体が県の山間部にある合宿所のような所で一泊二日のキャンプをしたのです。慣れないクラスの仲間たちとの飯盒炊爨、キャンプファイヤー、その他の催し物など、楽しいなどと思えるはずもない中、みんなが集合しなければならない次の日の朝、気分が悪いので全体集合を辞退したクラスメイトに付き合う形で、その朝の数十分は部屋に居たり、旅館の中をちょっとうろついたりしておりました。その時、偶然にも一年生時のクラスメイトだった不思議少女Sさんに階段の踊り場付近で出くわしたりしました。 一年生の最初の頃ならばぶっきら棒に素通りしていくSさんだったろうけど、既にその時には「あら、S君どうしたの?」と、Sさんの方から声掛けしてくれるまでになっていたんです。
2019年05月01日
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