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削り節海苔弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、後輩が出来た中学三年生時代興味深い面々の後輩たちでしたが・・・・我々三年生は主将の喧嘩っ早いMくんを中心とした先輩会議を行い、どのように後輩に接し、指導していくかを話し合いまして、我々が1,2年生の時に先輩たちから受けた怖い指導を極力控えて、優しさと厳しさを兼ね備えた指導をしていく事を決議したのです。この「主将」を決めたのは顧問のG先生で、私としてはMくんよりは真面目な貴公子Aくんの方が適任かと思ってましたが、Aくんは副主将に収まったのです。この裁定、配慮はG先生がMくんとAくんの性格を良く見抜いていた結果であると思います。もし、貴公子Aくんが主将に選ばれたなら、おそらく喧嘩っ早いMくんはAくんを中心とした方針には抵抗を示し、部内が不安定になる恐れがあったと思います。どちらがプライドが高いか、という観点であったのでしょう。
2019年11月30日
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カレーお好み焼きさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、後輩が出来た中学三年生時代体操部顧問G先生の大車輪で、多くの新一年生が入部して来ましたが・・・・それまでは我々の一年下の学年は入部しても長続きせず、なかなか後輩という存在が出来なかったのですが、先輩が卒業して、いよいよ我々が最上級生となった時に、彼らはやってきてくれました。夏休みに恒例の親の故郷へ一緒に泊まりに行った従弟が入り、その友人も顔見知りでしたし、S学区代表の美少女・F子さんを振った色男のJ先輩の弟も入部したという、なかなか興味深い面々がこれまた揃ったのです。
2019年11月29日
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カレーライス巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、後輩が出来た中学三年生時代新友人Mくんの評判は最初こそ良くなかったのですが・・・・体操部に所属してそれなりに活躍していた私と比べ、帰宅部の新友人Mくんの知名度は低く小学時代の噂も殆どなく、Mくんと同じH学区出身のスケバン気質なK子さんからは「あいつ嫌い」といった事を直接聞いた事があるくらいでした。試合があれば翌日の朝礼では常に表彰されていた我々体操部の認知度は高かったのです。新一年生として入学してきた従兄弟は、その友人たちと卓球部に入るために、体育館に見学に来た事がありました。その体育館では我々が鉄棒の練習をしており、顧問が「あの一年生たちを釣り上げるぞ」と鉄棒で大車輪の演技をしたのです。その技術の凄さに魅せられた従兄弟たちは、卓球部見学を中断してゾロゾロと鉄棒の方へ歩み寄ってきたのです。
2019年11月28日
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カレーライスさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代クラス内の状況が固まらない中での修学旅行だったんですが・・・・新幹線内で新友人Mくんとオセロゲームをして時間を潰しました。「揺れるねぇ・・・・」と不安そうな言葉を吐きつつ、俯きながらオセロ盤を見つめるMくん。しばらくして「酔ったかな~・・・・」と言うのでオセロは中断。やはり俯く姿勢が影響したんだと思います。この頃の新友人Mくんは、クラス内では評判があまり良くなくて、「誰だ?おまえは」てな感じの位置に居たような気がします。旅行中の旅館内でも、Mくんはやる事なすことに小言を言われる始末。逆に私はMくんよりも知名度があったので、周囲からの当たりはソフトでした。その状況は私にとって過ごしやすく気分の良いものでした。体操クラブでは新1年生の後輩が多く入部し、その中に従弟も含まれており、他にも顔見知りも居ましたし、持ち前の「愛想・謙虚・ユーモア」精神の私は後輩からの受けも良く、快適な環境の下での生活でしたが、その新友人Mくんとの立場が半年後ぐらいには逆転する事になるんです。
2019年11月27日
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あんかけ豆腐丼さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代新学年が始まると慌ただしく修学旅行に行かされたのですが・・・・この時に初めて新幹線という物に乗ったわけですが、それ以降の人生でも数回しか乗った経験はありません。この「修学旅行」に限らず、小学時代の修学旅行や野外学習のような泊りがけの行事は、よく思い出づくりなどといわれますが、実際何もほとんど記憶に残っておりません。小学時の修学旅行などは夜は一切眠れなかったので、睡眠不足で楽しむどころではなく、帰宅してすぐに布団に入ったぐらいでしたし、中2時の野外学習の時は旅館の階段で不思議少女Sさんと出くわした事が印象に残っているだけなんです。そして中3時の二泊三日の修学旅行ですが、覚えて居ることと言えば、新友人Mくんと新幹線内でオセロをした事ぐらいでしょうか。この時にMくんは意外と揺れて乗り心地の悪い新幹線に酔ったのです。
2019年11月26日
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削り節巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代私の良い部分を認めてくれたヤス君は、中1時に引っ越していったんですが・・・・中2時には親友Hくんとも別のクラスとなり、中3時になると我がC学区のクラスメイトは実家が金物屋で体操部同輩のKYくんだけとなりました。他のクラスだったC学区出身者は数名いたのですが、私の周囲は個性豊かなH学区出身者ばかりだったのです。とりあえずは新友人Mくんとコンビのような形で中3時の学校生活は始まり、5月には修学旅行として関東方面、奥日光、東京へと新幹線で向かったのです。
2019年11月25日
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2019年11月24日
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そうめん味噌汁と御飯さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代とても優しいお母さんを持つヤス君は、ワガママな所がなく勉学優秀でしたが・・・・それなのに優等生に見えない所がヤス君の良いところ。レベルから言えば私など相手にされないはずなのに、私の良い部分を認めてくれていました。小学時代、図画工作や体育、音楽と言った科目の方が得意だった私は、算数や社会は全く興味がなくそのまま中学に上がったので主要科目の歴史、地理、数学、英語も苦手となりました。小学6年時、ヤス君は図画の授業中に、どうやって夕陽の情景を上手く描けばいいのか私に助言を求めに来たので、「水分でぼかしてやれば良いよ」と適当に言った所、ヤス君は見事に朧げな夕陽を完成させたのです。実は私も夕陽などどうやってそれらしく描くのか知りませんでしたので、偶然の出来事だったと思いますが、喜んでくれたヤス君は家でお母さんに話したらしく、私の母親が学校行事の父兄会かなにかの集いの時にヤス君のお母さんから「息子が○○クンから絵の指導をしてくれたと喜んでいます」と聞いたというので、なにがなにが、こっちが大いに喜んだものです。
2019年11月24日
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肉みそ茄子炒め弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代ヤス君は中1時に引っ越していき、習字塾でお別れ会をしたんですが・・・・てなわけで、ヤス君との中学での交流は非常に少なく、思い出すのは小学時代が多いです。特に、クラスメイトとなった5,6年の時にヤス君を呼びに自宅へ行ったとき、お母さんが出迎えにいらっしゃって、寒いからヤス君に上着を着ていくよう勧めるのですが、それはそれは優しそうなお母さんでして、上着を着る事を拒否してごねるヤス君に「いいから、着て行きなさい・・・・」と勧め、あまりしつこくなくてこっちが気分よく聴いて居るぐらいでした。ヤス君とは年賀状のやり取りも永く、40年くらい続いたんですが、そのお母さんが亡くなられて喪中のための年始挨拶断り状が送られてきたのが切欠で、年賀状もいつしか途絶えましたが、それまでは結婚して家庭を持ち、家族が出来、子供さんが生まれて成長する様子が、年ごとの賀状の写真で知る事が出来て居ました。
2019年11月23日
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天丼さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代中1時にいじめっ子Yくんの素行の悪さを教えてくれたヤス君でしたが・・・・私や親友Hくんとともに小学時代は一緒に習字を習ったヤス君は、中1時の途中で引っ越してしまいまして、そのお別れ会を習字塾でした思い出があります。塾と言っても看板を掲げているわけでもなく、普通の民家であり、我が家のように長屋のような社宅でした。その塾の応接室が6畳間で、ご主人の趣味としてバーのカウンターのような造りになっており、洋酒類やグラスなどが多く並べられた格調高い棚があり、暗がりの中に粋な照明が据え付けられておりましたそのカウンターに親友Hくんやヤス君らと腰かけて、先生(中年の主婦)が大盛のハヤシライスを作ってくれたのでそれを食べ、デザートには20cmぐらいある長いグラスに入ったアイスクリーム入りの炭酸ジュースをご馳走になりました。大盛ハヤシライスを親友Hくんやヤス君は楽々と平らげたようでしたが、私は全部食べきれなかったと思います。そこへアイスクリームがたっぷり浮かんだジュースですから、本来なら大喜びでガツガツするところだったんですが、あんなに苦しい思いをして完食を断念した事はこれまでにもありません。
2019年11月22日
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あんかけ玉ねぎ炒め弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代なんとかいじめっ子Yくんに対する警戒心は解けたのですが・・・・そのいじめっ子Yくんと中1時にクラスメイトだったヤス君ですが、ヤス君は小学時代の友人でして小2時に初めて出会いました。その後は小5,6年時にクラスメイトとなり交流は深まりまして同じ習字塾に通う仲でありました。学業優秀で、そのレベルたるや秀才Sくんや不思議少女Sさんに匹敵していまして、それなりの高校・大学に進学したのです。ヤス君はその中1時に引っ越していきましたので、その後の交流は年賀状だけでありました。それでも年賀状は50代くらいまで続きまして、ヤス君の親族が亡くなった事で途切れたのが切欠で賀状も途絶えました。
2019年11月21日
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サバ缶炊込み弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代予想以上に上々の滑り出しだった中3時の初期でしたが・・・・いじめっこYくんはワルの部類でしたが、わりと勉強も出来て英語が得意そうでしたし、運動神経もそこそこ良かったようです。中3時の技術家庭顧問が新任で野球好きとあって、授業そっちのけでソフトボールを楽しんだ事が多くあった中、打力に自信のあった私が打席に立つと、守備に就く秀才Sくんが「みんな下がれ。すごい大きなやつをかっ飛ばすから。」とうまく持ち上げてくれたので、いじめっこYくんも徐々に私を認めてくれるようになったのだと思います。いじめっこYくんも打力があり、結構大きな当たりをかっ飛ばしてましたね。
2019年11月20日
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あさり釜飯巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代いじめっ子Yくんと同じクラスになってしまい、覚悟は決めたんですが・・・・私の生きる上でのモットーである「愛想・謙虚・ユーモア」で過ごしていれば、何とかなるであろうとは思ってましたし、中2時の初夏の頃に起きた脅迫事件依頼何もなかったので、きっと何とかなるであろうと楽観と警戒の交錯する中3時の始まりでしたが、周囲が「○○くん」、と愛称で私を呼ぶのと同じように、いじめっ子Yくんもいつしか「○○くん」と呼んでくれるようになっておりました。この辺は本当に周辺の同輩たちのおかげであると思ってます。自身でも結構世渡りが上手いなとは思ってましたけど、新友人Mくんや中1時のクラスメイト数人と同じクラスでもあったので、中3生活は上々の滑り出しだったのです。
2019年11月19日
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あさり釜飯弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代中2時にいじめっこYくんは「なんで逃げたんだ?」と因縁を付けたんですが・・・・その日以降はこれといった嫌がらせもなく過ごせたのは、体操部に所属していたおかげかも知れないと思ってます。なぜなら、番長Oくんの相棒とも言える存在の、喧嘩っ早いMくんも体操部であり、中1時のクラスメイトでしたので、「やめといたれよ」などと上手くフォローしてくれた可能性があるのです。確証はありませんが、それしか考えられないのです。本来なら毎日のようにいじめにやってくる状況だと思い、毎日ビクビクしておりました。そして中2時の終わりごろ、何かの説明会の教室で、いじめっこYくんと近くの席になった時、やばいなぁと思って居た所に、Yくんから思わぬ言葉をかけられたのです。「○○っていう女子、知ってる? あいつ気持ち悪いと思わないか?」と、唐突に訊かれたのです。○○という女子生徒の事は良く知らなかったのですが、「そうだね」と、口裏を合わせておいたのです「そうだろう? そう思うよなぁ・・・・」などと納得したYくんは、隣にいた自身の友人らしき人物に話題を変えて話し込んでいました。訳も分からず、なんだかホッとしましたが、それでも中3時で同じクラスにならなければ良いがと思っていた嫌な予感は当たってしまい、校舎の壁に貼り出された中3のクラス編成名簿を見た時、Yくんの名前が同じクラス内に在ったのでした。
2019年11月18日
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2019年11月17日
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魚肉ソーセージ&クリームコロッケ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代迷惑かけに来て「なんで逃げたんだ?」などと理不尽な事を言うYくんでしたが・・・・中2時の事です。再び番長Oくんとともに私のクラスにやってきたいじめっ子Yくんは、私を廊下まで引きずりだして床に倒そうと足を引っかけたり投げ飛ばそうとしてきましたが、相撲が得意だった私は、そう簡単に倒されはしません。しかし、反撃できなかったのは近くで番長Oくんが見ていたので、下手に歯向かえば二人がかりで袋叩きだろうし、今後も執拗に嫌がらせをされるだろうと思うと、ギリギリのプライドを保つ意味での倒されまいと粘る事しか出来ませんでした。一応、新友人Mくんと I くんも廊下まで来ましたが、助けてくれるわけでもありません。「逃げやがって。それでも男か?」とか言われつつ胸ぐらを掴まれ、廊下の壁に押し付けられました。私が謝ったかどうかハッキリ覚えておりませんが、授業開始のチャイムが鳴り、ゾロゾロと他の生徒が行き交う中の、とても惨めな経験でした。
2019年11月17日
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がんもどきと厚揚げ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代いじめっ子Yくんと同じクラスになってしまったんですが・・・・中1時にヤス君から聞いていたYくんのワルの噂は本当でした。中2時の初夏のころだったか、私のクラスに番長Oくんとともにいじめっ子Yくんがやって来ていじめやすい人物を物色していたのでしょう。そこで私を見つけて背後から髪の毛をわしづかみにして振り回そうとしたのです。私は振り払って教室内を逃げ回りました。そんな時は私は遊んでいるような素振りで笑みを浮かべながら冗談っぽく逃げるのですが、これは深刻な状況であると悟られないための、一種の恥の照れ隠しなのです。逃げているうちに授業が始まったので彼らは教室から出ていったのですが、後日に再度ふたりがやって来て、「なんで逃げたんだ?」と因縁を付けてきたのです。
2019年11月16日
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塩昆布巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代S学区出身いじめっ子Yくんと同じクラスになってしまったんですが・・・・親友Hくんと小学5年の頃から習字を習っていた時に、そこへクラスメイトのS木くんも加わりました。そのS木くんを我々は「ヤス君」と呼んでおりましたが、ヤス君は勉強が出来るのに秀才Sくんのような気取った所のない好人物で、このヤス君が中1時にいじめっ子Yくんと同じクラスだったので、Yくんがどんな生徒か聞いてみた事があったのです。いじめっ子Yくんの見かけは、我がC学区代表の貴公子Aくんのような、女子にモテそうな好青年に見えたので、きっと良い奴なんだろうなと思っていたのですが、ヤス君は一言「あいつ、アカン・・・」と、首を振るのです。にわかに信じられなかったのですが素行が悪かったらしく、ヤス君はあまり詳しくは言いたくなかったようでしたが、中2時に私のクラスにYくんが番長Oくんと共にやって来て、私の背後から髪を鷲掴みにしたのです。この時にヤス君の言った言葉が理解できたのです。
2019年11月15日
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焼きタラコ巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、嫌な予感は当たった中学三年生時代三年生のクラスは、新友人のMくんと同じとなりましたが・・・・新友人 I くんは他のクラスとなり、何となく煮え切らない私とM&Iのトリオの一角が崩れた時です。他に同じクラスとなったのは、S学区代表の秀才Sくん、S学区代表グラマー美少女F子さん、H学区代表スケバン気質のK子さん、中2時に映画「赤ちょうちん」を一緒に観た新新友人Wくんという、結構面白い面々が揃ったのです。しかし、中2時に番長Oくんとともに私を「いじめ」にやってきたS学区代表のいじめっ子Yくんも同じクラスとなってしまったのです。この人物から迷惑を受けたのはほんの2回だけでしたが、その間の1,2か月ぐらいはビクビクとしていたもんでした。そんな輩と同じクラスにならなければ良いがと、懸念した事が現実になってしまったのです。
2019年11月14日
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渥美半島・田原市宮下(伊良湖ココナッツビーチ付近)の海岸 消波ブロックの周辺めがけて投げ竿を振り込みます左に見える建物は「伊良湖シーパーク&スパ」11月10日日曜日午後14時頃、伊良湖岬付近に到着。大潮、満潮は16時30分頃。カレイを狙ったのですが、釣り上げたのは季節外れの15cmほどのキス2尾。小さいので海に放流しました。やはり夕方よりも朝方の方が釣れるかもしれませんが、深夜に出発する体力はあまりありません。30年ほど前にはよく夜中に出発したもんです。
2019年11月13日
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焼きそばさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ひたすらラブレターの返事を待つ中学二年生時代人の悪口を聞いた時、自分の悪口も言われるだろうというのは本当だと思ったんですが・・・・おそらく新友人 I くんから新友人Mくんは、私が悪口を言っているなどと吹きこまれたのではと。真実がどうだったかは判りませんが、なんとなく I くんの悪巧みに感付いていたのか、Mくんは銭湯を出てから以降、私を責めるような素振りもなく、普通の関係に戻った日々を過ごしていきました。中2時も終盤を迎え、野郎だけのキャベツのシーチキン・マヨネーズ和えでご飯を食べるというクリスマス会、秋吉久美子主演の「赤ちょうちん」という映画を観たりして、やがて中学三年生へと移行していったのです。
2019年11月13日
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削り節巻き弁当(極太)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ひたすらラブレターの返事を待つ中学二年生時代新友人Mくんと I くんは、つかの間の口論をしたのですが・・・・誰かの悪口を言えば他の人の悪口も言っている。これは的を得ているでしょう。いつもは I くんからMくんの悪口を聞かされていましたが、ある日なぜかMくんの私に接してくる態度が妙なものだったことがあり、(これは、もしや・・・・)と、懸念したのですが。Mくんと I くんの仲は表面上は元に戻っていて、仲良さそうなのです。しかし、私に対しMくんは素っ気ない態度をするなか、「今日さ,つもる話があるので・・・・」と、銭湯へ二人で行こうと誘われたのです。この「つもる話しがあるので・・・・」という言葉は、I くんがMくんの悪口を言う時に枕詞のように発するもので、私もつられて「はいはい。つもる話とは?」などと漫才コンビのように受け答えているのが常でしたので、私が調子に乗ってMくんの悪口に便乗していた事をMくんに告げられたのかも、と思ったのです。その銭湯の湯船に浸かりながら、いつもよりクールな表情でMくんは私に「つもる話し、色々とあるのなら、言ってくれ」というような言い方をしたのを覚えております。これは不味いな・・・と思いながらも「特に無いよ・・・・」と誤魔化しつつ、あまり語り合うことも無く銭湯を出たのでした。
2019年11月12日
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しらす干し巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ひたすらラブレターの返事を待つ中学二年生時代新友人Mくんと I くんは口論し、私は傍観者となっていたんですが・・・・今で言うと「めしうま」状態という感じでしょうか。Mくんにぶつけたかった言葉を I くんが言ってくれて、こっちとしては手を汚さずに思いを遂げられて立場も安定ですからね。しかし、そんな事は数日も持ちませんでした。すぐに普通の関係に戻ったふたり。私もそこに交じるように日常は過ぎていきました。そのようなふたりの喧嘩があったからと言って、Mくんの自己中が治ったわけではありませんし、相変わらず I くんも陰ではMくんへの不満を私に言うのでした。
2019年11月11日
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2019年11月10日
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ハヤシライス弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ひたすらラブレターの返事を待つ中学二年生時代新友人 I くんは事あるごとに新友人Mくんの悪口を聞かせてくれたんですが・・・・思って居た事は同じです。自信過剰でリーダー気取りの新友人Mくんには内心辟易していたのでI くんとMくんがどんどん仲が悪くなれば、私が一番信用されて中心になれるわけですから。そのチャンスはある日やってきました。私の後ろの席に座る I くんとMくんは、何やら雲行きが怪しいのです。いつものようにMくんが身勝手な言動をしていたんだと思います。そこでついにI くんが本音をぶつけたのです。「あんたワンマンすぎるわ!」と。言ってくれました。聞いていたこっちの方がスッキリしました。Mくんは突然の攻撃に暫く無言になってまして、いよいよ私が仕切らねばならぬ事になるかなと期待していたんですが、I くんもそれ以上Mくんを責めることも無く、私に加勢を求めることもしません。それは私にとっては非常にもどかしい状況でした。
2019年11月10日
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スクランブルエッグ・ピーマン弁当(魚肉ソーセージ付)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ひたすらラブレターの返事を待つ中学二年生時代新友人Mくんの悪口を I くんに聞かされるようになりまして・・・・夕方に I くんが呼びに来て、外でMくんの悪口を聞くのです。ワクワクしました。聞いている間は優越感に浸れまして、時折「そんな事は無いよ。Mは良いところもあるし」などと良い子ぶったりしながら聞くのです。確かに、新友人Mくんはワンマンな所があり、自己中と言えば自己中でしたので、I くんの言う事はごもっともだと思っておりましたので、こっちとしては気分良く聞いていられるのでした。しかし、調子に乗って「そうだね、Mは勝手すぎるし・・・・」などと本音を出してしまうと、I くんの気まぐれなMくん擁護が始まって、「そこまで言うとMが惨めになる」とか言われて足元を掬われましたI くんは私の心境を見透かしていて、おちょくっていたのかも知れません。
2019年11月09日
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焼うどん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ひたすらラブレターの返事を待つ中学二年生時代新友人MとI との交流には色々と問題があったのでして・・・・特に I くんは奇妙な個性が満載。漫画が上手く、英単語用の短冊メモにちょっとしたクラス内の物語などを漫画にしたりしてクラスメイトの似顔絵などは非常に特徴を良く掴んで描いていました。何をしても笑わせてくれたんですが、悪口も良く聞かされたものです。新友人Mくんへの悪口は、聴く方にとってはそれほど嫌なものではなく、むしろこっちを信頼してくれているという優越感さえありました。「いつかやり込めてやる。Mは生意気だ」などと言うので、「直接言ってやれば?」と私は2人が喧嘩するのを期待していたのです。
2019年11月08日
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鉄火丼さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ひたすらラブレターの返事を待つ中学二年生時代不思議少女Sさんへの片想い談義を鼻で笑った新友人 I くんでしたが・・・・ユーモアの面では異彩を放ち、いつも大爆笑させてくれる新友人 I くんは、不思議少女SさんとおなじH学区出身の長身でボテッとした体型。中2時ですでに180cm近くありましたが威圧感はありませんでした。車酔いに弱く、春の遠足時には嘔吐物入れのビニール袋を持ち歩き、勢いよく吐いていたのを見かけた事があります。遠足の目的地で嘔吐しながらも私を見つけると、当時の彼らによる臨時的な私の呼称である「はぶー」を連呼して呼び寄せました。なぜに「はぶー」なのか思い出せませんが、もうひとりの新友人 M くんと何時も一緒だった I くんらと交流を深めていったのです。
2019年11月07日
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あんかけモヤシ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供から青年への過渡期だった中学二年生時代不思議少女Sさんから返事が来ないのに、どんどんとラブレターを書いてしまったんですが・・・・返事が来るまで待っていれば良かったのですが、そこが浅はかだったのでしょう。そして、そのまま音沙汰なしならそれが答えだったと思うべきだったのかも知れません。周囲は叶わぬ恋だと判っていたのでしょう。特に新友人 I くんなどは、当時不思議少女Sさんから返事が来ない理由の推理話を私がすると突然鼻唄などハミングして上の空。ああ・・・馬鹿にしているな・・・・とは思いましたが、忘れ去られる前に、何かアピールしていかないと、とラブレターを書き続けたわけです。
2019年11月06日
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カレーパンさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供から青年への過渡期だった中学二年生時代不思議少女Sさんからはラブレターの返事が中々来なかったんですが・・・・一番最初は以前にも書きましたが、不思議少女Sさんは親友 I さんを通じて返答をメモ用紙に書いてくれました。そのメモには「好きだったのは秀才Sくんだったんですけど今は好きな人は居ません」と、正直に書いてありました。そんな事聞いてないんですけども、きっと在学中は私の事は何とも思って居なかったと言いたかったのでしょう。何となく彼女のプライドを察する事は出来ましたが、子供っぽくて無神経な所も感じました。後はこれから送り続ける手紙で、思いを伝え続けるしかないなと思ったのでした。一応メモには「これからも手紙を送ってください」と、書いてあったのですから、僅かな脈はあったのです。
2019年11月05日
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自家製カレー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供から青年への過渡期だった中学二年生時代秀才Sくんと不思議少女Sさんはお似合いのカップルになれると思いましたが・・・・私の勝手な思い込みですが、秀才Sくんと不思議少女Sさんは、かなり遠い将来を見据えながら、人よりも多くの勉強をしながら生きていたのでしょう。近くに存在する気になる相手に易々と好きだの何だのと言わないプライドがあったと思います。勉強の仕方が判らない私は、好きなった相手を目で追ったり凝視したりする所があり、中2時に引っ越していく不思議少女Sさんに、なんとか気持ちを伝えないと、と焦っておりました。既にその時点で、相手の事よりも自分の事しか考えて居なかった、という事になります。不思議少女Sさんから中々返事が来なかったのも、そういった部分が原因かも知れません。
2019年11月04日
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赤ウインナー巻弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供から青年への過渡期だった中学二年生時代中1時の秀才Sくんと不思議少女Sさんは、クラスメイトのお別れ会を拒否したんですが・・・・お別れ会を拒否した秀才Sくんの「なぜ強制的に出席させられるのか納得いかない」という趣旨の意見は、当時自分としては受け入れられなかったですし、不思議少女Sさんの行動も不可解ではありましたしかし、今思えば決しておかしな意見でもなく、むしろ賛同できますね。参加は自由であるべきです。そこのところは不思議少女Sさんも秀才Sくんとたまたま同じ考えだったのかも知れませんが、どうしても勘ぐってしまいます。もし、不思議少女Sさんが中2時に引っ越さなければ、秀才Sくんとは良い仲になっていたかも知れません。おふたりとも勉学の大事さを知っており、男らしさと女らしさが釣り合う仲であったと思います。
2019年11月03日
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麻婆玉葱さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供から青年への過渡期だった中学二年生時代S学区代表の秀才Sくんは、クラスメイトのお別れ会を拒否したんですが・・・・中1時の事ではありますが、秀才Sくんの主張を思い出せる限り書きますと秀才S「なぜ、そういう会を開かねばならないのか、納得いかない」他の生徒たち「引っ越していくんだから、当たり前だ」秀才S「その人の事はあまり接していないから、知らないから出席する必要はない。出欠自由にするべきだ」他の生徒たち「クラスメイトじゃないか。全員でやるから意味があるんじゃないか」秀才S「俺は出席しない」議長「それでは採決をします。反対の人は教室の後ろに移動してください」そして秀才Sくんは教室の後ろにあるカバン入れの棚の上に腰かけたのです。その直後に、不思議少女Sさんとその親友 I さんのふたりも棚の上に腰かけましたが議長「反対者3名、賛成者多数で「お別れ会」を開催する事に決定しました」そのお別れ会の事はハッキリ覚えておりませんが、引っ越していくその女子Fさんは当時ちょうど私の隣の席に座っていたこともあって、「お別れ会」の決定に彼女の周囲に対するお礼の言葉を覚えております。「参加してくれる人にだけ、ありがとう」普段は大人しいFさんでしたが、軽いジョークの挨拶はクラスメイトに少々受けたようでした。
2019年11月02日
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ごはんとマグロ赤身さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供から青年への過渡期だった中学二年生時代秀才Sくんからの罵声に反抗できなかった私でしたが・・・・「愛想・謙虚・ユーモア」の精神が私の生き方と言っていいでしょう。特に当時はそうやって周囲と接する事で様々なフォローを得る事が出来て居たのです。しかし、秀才SくんやワガママKくんの己に正直な生き方の方が、後々の事を考えれば「自然」であり「正解」だと今は思っています。中1時の事ではありますが、クラスメイトの女子の一人が引っ越すという事で、お別れ会を開くかどうかでホームルームで話し合った時、秀才Sくんを覗くほぼ全員が「賛成」だったのに、何を格好つけているのか秀才Sくんは理屈をこねて「反対」したのです。それに賛同したのが不思議少女Sさんと、付き添いのように賛同した不思議少女Sさんの親友I さんでした。このことは以前に書きましたが、こんな気障な野郎の行動に、なぜ不思議少女Sさんは付いて行こうとするのか、そこが不思議で仕方ありませんでした。
2019年11月01日
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