全32件 (32件中 1-32件目)
1

鉄火丼さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代公立校は工業高校の化学系を志望する事になったんですが・・・・志望した県立M工業高校の機械科はレベルが高いうえに興味もなく、電気科にも興味もなく、もちろん化学科も興味はありません。私立の方は中学担任に提出した志望届には「電気科」と書いてしまい、実際に受験した私立工業高校に提出した志望届には「普通科」と書いた覚えがあります。ところが受験票は「電気科」となっていて、その辺のところは深く疑問に思わず、そのまま受験して合格通知をもらいました。安い学費の公立進学しか頭になかったからです。
2020年03月31日
コメント(0)

自家製カレーパンさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代当時はとにかく公立であればどこでも良かったんですが・・・・公立は兄が通っていた県立M工業高校を目標にしておりました。そこには機械科・電気科・工業化学科・化学工学科の4つの学科があり、兄の所属した機械科はある程度の成績が必要で、志望してもまずは無理でした。新聞紙上で時折、公立校志望状況が載り、それを目途に志望校を絞っていくのですが、最初は機械科に志望が集中しまして、最終的には人気のない工業化学や化学工学科に志望者が大量に押し寄せて大凡が決定します。私は受かりやすい工業化学・化学工学科を受験する事にしたのです。もちろん、化学系など何の興味もなかったのです。
2020年03月30日
コメント(0)

豚肉・じゃがいも・にんじん・たまねぎ・長ネギを炒め・・・といえばカレーであります。今回はオリエンタルカレーです。炒めた具材を煮込んで・・・・カレー粉を加えて再度煮込みますと・・・・カレーライスの出来上がりですさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代興味のないまま高校受験は公立も私立も「工業系」を志望したのですが・・・・頑固おやじといえば聞こえは良いのですが、ひねくれガンコと言う方が適切な父親でした。それでも「ガンコ」という言葉には滑稽さが含まれるので使いたくない気がします。それほど神経に喰い込んでくるような、虐待されているような感覚に陥るものでした。しかし、当時としては私自身も、公立へ行く事が最善と考えていましたので、工業系だろうが商業系だろうが引っかかる所があればどこでも行きたいと願っていたのです。
2020年03月29日
コメント(0)

本日のG1レースは高松宮記念です早速占ってみましたところ・・・・巽為風の三爻の卦を得ました。これは無理を通そうとして失敗をする卦だそうで、大穴を狙うよりも素直に強い馬を選べという事でしょうか。となると、4枠8番のグランアレグリアが有力となりますが、本日の強い数字「5」「6」には当てはまりません。一押しとしては武豊騎手の5枠10番アイラブテーラーです。7戦5勝、2着2回の好成績に期待します
2020年03月29日
コメント(0)

うな丼さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代父親が推す悪名高き私立D工業高校は受験しなかったのですが・・・・『普通科はダメだ、就職に困る』『D工業高校を受けろ』と、人の話も聞かず一方的でした。D工業高校は入学金、授業料などが安いのですが、それを言わない所が父親の性格を表しています。子供の希望、将来などは二の次なのです。工業高校を勧めて「工員」になる事を決めてしまうんです。その視野の狭さで子供の可能性さえも狭めてしまったのです。経験と情報などの根拠があっての事なら判りますが、父親の場合は目先の家庭の経済的困難が先立ち、家庭よりも自分第一な人物なのです。母親のフォローは弱く口先だけ。両親とも周辺に影響されやすくデマにも乗ってしまいやすい典型的な田舎者なのです。
2020年03月28日
コメント(0)

ウインナーとキャベツ炒め弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代私立高校の志望を巡り父親と対立したんですが・・・・公立校はレベルを落として志望する必要があったので工業系にしたのですが、私立は普通科が良いと思ってました。ところが父親曰く、普通科では就職に困る、手に職を付けられる工業高校へ行け、というのです。私としては工業関連には全く興味がなく、算盤は苦手なので商業高は論外だし、唯一興味をそそったのは農業系統です。しかし近隣に農業高校はなく、工業系しかなかったわけです。で、私立も工業高校を受験するのですが、父親の勧めるD工業高校の受験は頑として拒否し、最終的には無断で別の工業高校を受験しました。
2020年03月27日
コメント(0)

たこ焼きサンド弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代受験勉強に身が入らず、小説「カマトト令嬢」のエッチな部分を読んで妄想の日々でしたが・・・・
2020年03月26日
コメント(0)

アサリの佃煮をご飯に混ぜてアサリしぐれ巻弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代身に入らない受験勉強の合間に、普段は読まない小説を開いてみたんですが・・・・
2020年03月25日
コメント(0)

エビのうま塩炒め弁当
2020年03月24日
コメント(0)

コロッケとエビ天弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代兄を家庭教師にして喧嘩しながらの受験勉強となったのですが・・・・
2020年03月23日
コメント(0)

なめ茸弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代勉強が出来る環境ではなかった我が家でしたが・・・・
2020年03月22日
コメント(0)

とろろご飯と鰹のたたきさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代勉学で目立たなかった小学同級生が学年で3位になったという噂があって・・・・勉強が出来る=頭が良い・・・・ではなくて、学生の本分である学業、つまり仕事を、やるべき事を毎日コツコツと積み重ねているだけの事なのでしょう。それが試験の時に成績として現れるという事でしょうか。それに加えて判断力とか、創造力とか、様々な能力があると、社会で活躍できるという事でしょうか。運も必要でしょう。人間関係に恵まれる、という事が最も必要な条件ではないでしょうか。家庭内の事情も人間関係の一つと言えますが、家庭内がゴタゴタしていては、勉強も覚束無いものです。
2020年03月21日
コメント(0)

ハムカツ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代毎晩3時間の英語集中受験勉強に突入したんですが・・・・「勉強」・・・・まったくどうやってやるものなのか、小学時代を通じて私には成す術のないものでした。小学5年の頃に習字を習い始めて、新友Hくんと中1時まで通って居たんですが、その途中から同級生2人が加わり、その中にKTくんという子がいて、洋楽などの趣味が私やHくんと合い、年賀状などのやりとりもあった人物で、成績の方は我々よりちょっと良いかなというぐらいの、さほど目立った存在ではなかったのです。それが中3となって中部統一テスト結果の噂がチラホラと飛び交う中、そのKTくんが学年で3位になったという情報が入ってきたのです。相当な努力をしたんだと思いますが、秀才Sくんや不思議少女Sさんのように、おそらく毎日コツコツとやるべき事をやっていただけかもしれません。
2020年03月20日
コメント(0)

チャーハンを海苔に乗せて炒飯巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代受験科目の英語に集中する受験勉強でしたが・・・・当時の受験科目は(国・数・英)の三科目でして、それ以前は社・理が加わった五科目でしたので負担は減っていたわけで、特に苦手な科目の一つである社会科が無くなっていたのは救いではありました。それでも不得意科目の数・英があるので、国語だけでは必要点を賄う事は出来ない状態でした。志望した公立工業高校の合格目安は、三科目で6割程度の正解率ぐらいだったと思います。国語で7割の正解率の自信はありました。数学で5~6割程度でしょうか。なんとか6割は確保したいと思っていました。そうでないと英語は5割以上の正解率が必要になるのです。英語で50点取れば、ギリギリで受かるだろうという心境で、勉強に取り組んだのです。もちろん、小学時代を遡っても寝る前の3時間ぐらいをほぼ毎日勉強に費やすのはそれまでに経験のなかったことなのです
2020年03月19日
コメント(0)

くずし葱たま&フランクフルト弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代高校受験まであと3~4か月という時点で、猛勉強の日々になったんですが・・・・兄を家庭教師にし、夜8時くらいから夜中までの猛特訓でした。通知表の成績だけで見れば兄よりも私の方が成績は良かったのですが、なにせ5段階評価での「3」は限りなく「2」に近かった私に対し、兄の「3」は「4」に匹敵するものだと兄本人が言ってました。音楽・体育・美術という非受験科目などで「4」や「5」を稼ぐことが出来ていた私でしたが、兄は音楽が「1」だったのです。しかし、兄の受験科目・英語の基礎はしっかりしており、中1,2年時に習う基本を習得出来ていなかった私に教える力は充分に備えてました。国語は勉強しなくとも6割以上の正解に自信があり、数学は塾で対策を練ってくれていたので、とにかく英語だけに集中した受験勉強だったのです。
2020年03月18日
コメント(0)

海苔に鰹節まぶしご飯を乗せてその上にフランクフルトを乗せてフランクフルト入り鰹節巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代280人中256位という中部統一テストの結果に愕然としたのですが・・・・
2020年03月17日
コメント(0)

にらたま&ウインナー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代卒業までに徐々に関係が冷え始めた新友人Mくんと素朴で可憐なSYさんでしたが・・・・時期は高校受験の足音がまじかに迫って来た頃でもあり、冷え始めたとはいえMくんとSYさんは同じ高校を受験する事にしていたようです。少し逆戻りしますが、年末だったか秋頃だったか、公立高校合格の目安を量る中部統一テストがあり、春頃は近くの大学で開催され、秋頃は在学する中学で試験を開催した記憶です。その高校受験3か月ぐらい前のテスト結果が惨憺たるものでして、公立校を目指す学年280名中256位という成績であり、流石に担任からも『公立はおろか私立も諦めて就職も考えておけ』と深刻な顔をしながら言われてしまいました。
2020年03月16日
コメント(0)

にらたま弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代親友人Mくんと素朴で可憐なSYさんのちちくり合いはグループ崩壊の前兆でしたが・・・・勝手に仲睦まじいのを人前で見せても構わないのですが、思いやりに欠いた新友人Mくんらの行為、特に新友人Mくんに『親友』という呼称を用いたくないのは、こうしたものが原因です。素朴で可憐なSYさんは、自分たちがした事を気にしていたのか、後日の授業中、すぐ後ろの席にいたSYさんが小さなメモ書きを渡してきたのです。(この前の、コタツで私とMくんが何かしていた時、どう思った?)という事が書いてありました。SYさんの顔は愁いを帯びていたので、決して嫌みで言っているのではないのだなと思い(ふたりが何をしているのか、ただただドキドキしていました)というような事を正直に書いて返答したのです。そんなやりとりをSYさんとするだけでも光栄でしたが、ちちくり合いがピークとすれば、そこからMくんとSYさんの関係は卒業の期間までに徐々に冷えていったような気がします。
2020年03月15日
コメント(0)

揚げギョウザと味付け卵弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代グループ仲間とは思えぬガサツなYKさんの一言で彼女の本心がハッキリしたんですが・・・・だからといってガサツなYKさんに対し、敵愾心をあからさまにして接していたわけではなく、後日にホワイトデーがやってきて、キャンディーを渡したりして、グループのバランスを取りました。新友人Mくんと素朴で可憐なSYさんのちちくり合いに参加して一緒に楽しめというのがガサツなYKさんの思うところなんでしょうが、そこで私の気持ちを理解してくれるような言動があれば、例え疑似カップルであっても、そこから本カップルに進展させようと考えた可能性もあったと思います。『なんか白ける・・・・』と堂々と言ってのけられて、被害者意識にある種の爽快感を秘めながら、放心状態を演じるように帰宅した覚えがあります。
2020年03月14日
コメント(0)

天丼弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代地声で適当に歌ったガサツなYKさんには色気を感じられなかったのですが・・・・確かにガサツなYKさんはサッパリとしていて、学業が芳しくなくても周囲の評判は悪くはありませんでしたし、愛嬌よく会話もできるので、新友人MくんなどはYKさんを気に入っていたようです。素朴で可憐なSYさんの誕生日会で男女グループがSYさんの自宅に集合した時か、それ以外の時かははっきりしませんが、コタツを囲んで新友人Mくんと素朴で可憐なSYさんが私の前でいちゃつき始め、かなり際どい要求を新友人MくんがSYさんに要求したりしておりました。その度に新友人Mくんがその様子を見させないように、私に身を潜めて寝ててくれと指示をしたのです。そしてMくんとSYさんがなにやらイチャイチャしているのです。その現場にはなぜかモテないMSさんは不在で、途中からガサツなYKさんが加わり、Mくん、SYさん、ガサツなYKさんが3人でワイワイ盛り上がるわけですが、私としては面白いわけがありません。無言で炬燵の中で寝ていると、その態度を不満に思ったのかガサツなYKさんが『なんか白ける』と宣ったのです。この一言でガサツなYKさんを完全に嫌いになりました。
2020年03月13日
コメント(0)

とろろ鉄火丼さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代音楽の独唱試験も他の教科試験と同様に頑張るべきですが・・・・自分はどうだったか覚えがありませんが、適当に歌うことはしなかったと思います。確かに、女子生徒は全体的に声のトーンは高くなるのですが、それが普通でしょう。常に、いかなる場合でも地声を称賛する人は居ますけど、余所行きの声、つまり少し普段より声のトーンを変えて話す人の方が人間らしくて良いじゃないですか。
2020年03月12日
コメント(0)

めんつゆに二晩浸けおきしたゆで卵を使用味付け卵と唐揚げ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代ガサツな面を凌ぐ不思議少女Sさんのような品性はガサツなYKさんには皆無でしたが・・・・音楽独唱試験には少しでも良い点を取ろうと考えるのは他の教科でも同じなはずであり、普段の声質よりも高音になったり、ソフトになったりするのは向上心の現れでしょう。それをぶっきら棒に適当に歌いあげるのは、最初から試験に対して投げやりになっている、という事ですそんな歌い方をしたガサツなYKさんには、やはり劣等感を持ってツッパっている不良と同じではないかと当時思ったわけではありませんが、洗濯屋KKくんのように絶賛する気持ちにはなれませんでした。
2020年03月11日
コメント(0)

鶏肉、にんじん、たまねぎ、ジャガイモを炒めまして市販のシチューのルーで煮込みますとクリームシチューさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代不思議少女Sさんもガサツと言えばガサツでしたが・・・・中1時に話は逆戻りしますが、中1時にも音楽独唱試験はありまして、もしくは試験ではなくてただ単に音楽授業中に独唱させられたのかハッキリしませんが、不思議少女Sさんの独唱を聴いた覚えがありますアニメのサザエさんか、魔法使いサリーのよしこちゃんの声に似ている所があって、多少はダミ声ではないのかと思える部分もありますが、その声質が幼いので可愛く聞こえたものですが、果たして歌う時にはどんな感じなのか注目していますと、消え入るような、か細い声で唄っていたのを覚えて居ます。普段の彼女とはちょっと違う部分を見つけて、ある種の新鮮さを感じたものです。
2020年03月10日
コメント(0)

牛肉・豚肉・長ネギ・豆腐・糸こんにゃく・椎茸を味醂、砂糖、めんつゆで煮込みますとすきやきさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代音楽独唱試験でぶっきら棒に歌ったガサツYKさんを絶賛した洗濯屋KKくんでしたが・・・・モテないMSさんに色気がないとするならば、ガサツなYKさんはそれどころではない事になります。色気の有無を考察する場合、身体的なものから性格、言動、声質なども判断材料にするわけですがモテないMSさんと比較すれば、ガサツYKさんはかなりグラマーだったと思います。素朴なSYさんに至ってはMSさんよりも華奢で、身体からは色気は感じられませんでした。グラマーさを活用できない女性には色気を感じられないし、華奢であっても甘え上手な面が見えさえすれば勝手に色気を感じてしまいます。ガサツと言えば不思議少女Sさんでさえ、お転婆な面があったので言動にはガサツと言っても良い部分はありましたけど、それを覆すほどの品性が彼女にはあったのです。
2020年03月09日
コメント(0)

フランクフルトとにんじんモヤシの炒め物弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代ガサツなYKさんにバレンタインデーのお返しにキャンディーを渡したんですが・・・・渡した時は嬉しそうな表情をしていたガサツなYKさん。その後はいつも以上にぶっきら棒な態度。照れ隠しなのかも知れませんが、そのような「私なんか・・・・」という劣等感がYKさんにあって、女の子らしさが全く感じられませんでした。音楽の独唱試験の時、他の女生徒はいつも以上にソプラノ声質で歌い上げようと頑張るのですがガサツなYKさんはわざとらしく低音による適当な歌い方をしていました。それを聴いていた洗濯屋KKくんが大絶賛。「良いぞ。可愛い子ぶってなくて好感が持てる」などとYKさんに直接誉めそやしていましたが、私は内心(品のかけらもないじゃないか)と思ったものでした。
2020年03月08日
コメント(0)

ブロッコリーサラダと塩サバ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代ひょっとすると「色気」が無かったからモテなかったのかもしれないMSさんでしたが・・・・それは個人的な見解であって、なぜかモテない美少女MSさんを好きだという男子が居た可能性はあるでしょう。しかし、素朴で可憐なSYさんのように目立った色恋沙汰は全く無かったので、むしろ新友人Mくんを巡ってSYさんとMSさんが恋敵になるとは思いもよりませんでした。そんなわけで私はSYさんもMSさんも両方諦めなければならない立場にあり、強引にあてがわれそうになっているガサツなYKさんに対し、何の気も無いのにクリスマスプレゼント交換やバレンタインデーによるホワイトデーのお返しをしなければならない羽目に陥っていたのであります。ホワイトデーのお返しは授業中にしました。キャンデーが定番でしたので、それを後ろの席にいたガサツなYKさんに渡したところを、近くに居たMSさんが見ており、私が照れているように見えたのか、MSさんが無邪気にキャッキャと笑ってくれたのが、なんとも煮え切らない気分ではありました。
2020年03月07日
コメント(0)

おでん定食さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代素朴で可憐なSYさんに啖呵を切って教室を出ていったなぜかモテない美少女MSさんでしたがそのMSさん。なぜモテないのだろう・・・・と、当時は意識してそんなことを思っていたわけではないのですが、性格はグループ内の女性陣3人の中では一番良かったと個人的には思うし、外見や成績も一番良かったと思います。発する言葉には嫌みも無く、話しかければ快く会話をしてくれる、申し分のないフレンドリーな女性なんです。まかり間違ってMSさんから「好きです」なんて言われたら、「僕もです」と即答したでしょう。素朴で可憐なSYさんに惚れていたとはいえ、そんなものはすぐに崩れ去るほどの存在感はあったのですただ、普段は優しいMSさんの「怒り」を見た時は、ビックリしましたね。ちょっと色気を感じたかな。おそらく、彼女に足りなかったのは、その「色気」だったのかも知れません
2020年03月06日
コメント(0)

おでん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代男女グループの女性陣の確執を目の当たりにしたのですが・・・・放課後の教室内で、素朴で可憐なSYさんとなぜかモテない美少女MSさんが深刻な表情で向き合っておりました。仲を取り持つような役目に回っていたガサツなYKさんは、MSさんに詰め寄り、何を話しているのか分からなかったのですが、MSさんを納得させようとしているように見えました。となると、ガサツなYKさんはこころなしかSYさん派だったのかも知れませんが、突然MSさんが椅子から立ち上がり、SYさんに向かって啖呵を切って教室から出ていったのです。どんなセリフだったのか全く記憶にありませんが、MSさんとしては納得できなかったのでしょう。新友人Mくんを巡る争奪戦が背後にあったとは思いますが、グループの自然消滅の兆しを感じたひとコマでした。
2020年03月05日
コメント(0)

大根、こんにゃく、ちくわなど、おでんの材料を揃えて白みそ仕立てで煮込みますおでんの出来上がりさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代3学期に入り、素朴で可憐なSYさんと新友人Mくんの交際は深まっていったのですが・・・・新友人Mくんの自宅にSYさんが来た理由は思い出せませんが、その前後には何かと休日にはSYさんと会ったものですが、男女グループとしてではなく、多くは新友人Mくんと私の二人がSYさんとだけ会うという形が多かったように思います。品があって美少女なのになぜかモテないMSさんはあまり深くかかわらず、たまに同行したのがガサツなYKさんでしたが、なぜかモテないMSさんとSYさんとの確執は、目に見えない所で進行していたのか、ある日の放課後の教室で何やら穏やかならぬ暗い状況で話し込む男女グループの女性陣3人。その様子を離れた位置で見守る新友人Mくん。私は特に用事も無いのでそのまま帰宅すればよかったんですが、なにせSYさんが気になって、私も帰らずに教室に残っていたら、新友人Mくんがそれを察して『帰って良いよ。』と部外者扱い。そのまま帰っては自分をアピールできないので、強引に教室に残り、事のあらましを見守ったのです。
2020年03月04日
コメント(0)

フランクフルト付き赤飯弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代素朴で可憐なSYさんの自宅に、何かと遊びに行った新友人Mくんと私でしたが・・・・SYさんの誕生会の前なのか、クリスマス会の前なのか後なのか覚えがありませんが、SYさんの自宅に良く遊びに行ったのは事実でして、新友人Mくんと私の他に、ガサツなYKさんが交じる事もあったように記憶しております。たまには新友人Mくんの自宅にSYさんを招いて、他愛無い会話などをした記憶もありますが、SYさんが新友人Mくんの自宅の居間に座って一言、『Mくんの家ってなんだか落ち着く・・・・』と言って居た事を覚えております。確かに、普通の和室で畳部屋、一般庶民の生活感が漂うその一室は、決して居心地の悪いものではありませんでしたが、我が家の長屋の一室と比較した場合、SYさんが私の家に来たとしたら、居心地が悪くてソワソワと、早く帰りたくなったに違いありません。
2020年03月03日
コメント(0)

野菜炒めサンド弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代素朴で可憐なSYさんの誕生会で、ある原因でご本人がへそを曲げてしまったんですが・・・・あまりその場が盛り上がっていなかったので、機嫌が悪かったのかどうかは推測の域を出ませんが他のメンバーがご機嫌を取ろうとする言動の中で、私一人はそんな状況を無視して知らん顔。目立とうとしたわけではないのですが、多少はSYさんの気を引こうとするための逆行動だったのかもしれません。誕生会を終えて中学生活もあと2か月を残すあまりとなっていた頃は、何かと理由を付けてSYさんの自宅に行くため、新友人Mくんは私を誘い、『今日、SYの自宅に来た事は誰にも内緒な』と耳打ちされたもんです。
2020年03月02日
コメント(0)

トンカツ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、トランプが形成した男女グループの中学三年生時代素朴で可憐なSYさんへの誕生日プレゼントは、素朴なスイーツ「大判焼」でしたが・・・・
2020年03月01日
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1