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チキンポークウインナーと野菜ミックス弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞退院後のアルバイト時代入院前より体重を15kg程度減らした状態での病み上がり出勤でしたが・・・・メタボだった腹ボテ体型から激やせしたと言っても良いでしょう。職場の同僚たちには病気だったのだという良い証明になったし、その割には連日の散歩で日焼けしていたので健康体に戻りつつあると思わせられたのです。なんつっても心臓病でしたので周囲は気を使ってくれます。が、それは最初のうちだけであり、仕事というものは非情です。大病を患っていたからといって仕事が出来なければ切られます。日を追うごとに私への対応は入院前と同じになって来て、1か月もしないうちに残業を要求されました。ある意味、嬉しい要求ではありました。それだけ期待してくれているという事ですから。
2020年11月30日
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2020年11月29日
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みたらしだんごさて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞退院後のアルバイト時代アルバイト先には1か月間の休養を頂いていたんですが・・・・時期的には6月末になっており、夏に入ろうとしていた頃です。食事制限をして運動を心掛ければ薬いらずだろうと思って始めたのが「散歩」です。これが切欠となって今でも趣味として続けているウォーキング・トレーニングです。85kgもあった体重は10日間の入院で78kgぐらいになっていたと思いますが、実際には散歩だけで体重は減りませんので、食事制限は壮絶なものにしまして、1日1食か2食。その1食においても量は以前の半分以下にしました。野菜を多くとり麺類は絶ちました。時には2日間ぐらいの断食も敢行しました。夏の日差しを浴びながら近所界隈を30分~1時間の散歩から始め、堤防沿いの散歩道を2時間~3時間歩くまでになると、1か月後にアルバイト先に出勤したころには体重も入院前より15kgも落ちて70kgになっていたのです。
2020年11月29日
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御飯と生たらこをフライパンで炒めますたらこ炒飯の出来上がりたらこ炒飯おにぎり弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞退院後のアルバイト時代良くも悪くも何かと縁のあったF大学病院でしたが・・・・入院費、通院費、薬代で大学資金だった貯金もスッカラカン。傷病手当がもらえるんですが、給与の6割ですし退院後1か月の自宅療養も気が気ではありませんでした。しかし、入院前に85kgを越えようとしていた体重が、主に点滴が中心だった10日間の入院生活で80kgを切っていたので、副作用のある薬をやめて食生活を改めて体質改善に取り組むという目標ができたのです。とりあえずは60kg台を目指すべく食事制限及び塩分制限と自宅近辺での散歩を1時間程度から始めるようにしました。
2020年11月28日
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キムチ弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞退院後のアルバイト時代入院していたF大学病院はかつての職場でもあったんですが・・・・委託業者の一員として手術器具滅菌のアルバイトは結構興味深い仕事でした。病院内での仕事は初体験でしたし、「病院」というだけで少々威厳のある場での就業として誇らしい気分になったりしましたので、周囲との軋轢も幾度となく乗り越えられることが出来ていました。連日同僚と怒鳴り合い、足の引っ張り合いの綱引きをしていた感が残っています。ですから割と縁のあった病院であり、昔から親族なども良くお世話になっていた所ですし、滅菌の仕事を辞めてからも同じ病院内での別の委託業者による求人にも数回応募したこともありますが、心臓に関しての通院は退院後の1年間だけで後は行ってませんし、その間の1泊2日検査入院においても色々と不愉快な思いをしたので、今後再発したとしても別の病院へ行くでしょうね。
2020年11月27日
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うな丼さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞退院後のアルバイト時代退院しても薬は絶対的に飲み続けなければならないものだそうですが・・・・医者が、教授がそう言うんですから間違いないんでしょうけど、空咳が出たりするだけで体力は消耗していくし、全身が痒くなるし発疹のようなものも出てくる始末。アルバイト先は1か月の休養を促してくれたので遠慮なく休めたものの降圧剤などを飲んでいては復帰できないと考えました。そもそも長ったらしい名前のF大学病院は地元では有名な私立大学病院でして、有名人の手術なども良く行われていると伝えられていますが、私に言わせれば無礼極まりない病院という印象しかありません。実はこの病院で2001年ごろから2003年まで働いた経験がありまして、アルバイトですが委託業者の一員としてオペ室において手術器具滅菌作業をしておりました。同僚はさることながら看護士は当然女性が大半でして、彼女らのその凄まじいキツさに鍛えられたものでした。
2020年11月26日
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伊勢ひじき釜飯おにぎり弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞退院後のアルバイト時代嵩んだ入院費のおかげで貯金がスッカラカンになったんですが・・・・退院後も何かとお金がかかります。病院というものは通院による診察・検査代、薬代と借金取りの如く非情に毟り取ります。特に薬は余計なものまで付け加えてゴッソリと渡されます。誰も胃が荒れるなどと言ってないのに胃薬まで加えられ、様々な種類の降圧剤を飲まされます。運良くと言うか悪いというか、その降圧剤らの所為で副作用が出てきたのです。全身が痒くなり、空咳が出るようになり、眩暈もするので、勝手に薬の量を減らしてみると副作用が軽減されていくので、退院1か月後には薬を絶ったのです。主治医には7粒ほど飲んでいたものを2錠までに交渉して減らす事に成功はしましたが、それだけは絶対に飲まないと死ぬぞと脅すので、逆に反抗心が出たし薬代もバカにならないので思い切って薬を完全に絶つと、1週間で見事に副作用は治まったのです。
2020年11月25日
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チキンカツと揚げシューマイ&日本酒100ccさて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代退院手続きにもゴタゴタする何かと都合の悪い病院でしたが・・・・おばさん受付員はおそらく新人だったのでしょうけど、それにしては無礼でしたね。受付の前まで来た私を見るなり、変な人が来たような目つきで観て、『本日退院するんですが』と言っているのに訝しげにその場を離れて、後から来た他の人の対応をし始めるんですから。まったく入院当初から不条理な事の連続でして、手術は1週間遅らされるわ手術当日も予定より半日以上も待たされるわ、看護婦たちの対応は最悪だったし、意味不明なレントゲン撮影を毎朝させられ放射能をたっぷり浴びせられて、入院期間も大幅に延長されたわけでして、要するに余分な入院費が嵩んだ結果、貯金が底をついてしまったんです。大学資金として450万ほど貯め込んだものは、入院前には残りわずかだったとはいえ、心筋梗塞のためのものだったんですね。
2020年11月24日
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菓子パンさて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代点滴も外されて普通病棟では自由の身となったんですが・・・・CCU病棟では常時心電図と点滴、カテーテル挿入前後の拘束により、食事は摂らなかったと記憶しておりますが、普通病棟で食事する際に箸を持っていなかった事に気付いたので看護婦に言うと、CCU病棟では考えられないほど親切な対応で即、箸を持ってきてくれたのです。ま、普通の対応だったとは思いますが、CCUが酷すぎたという事でしょう。次の日に退院だと告げられ、自分で入退院受付に行って退院手続きをしてくれと言うので、そこまで行ったんですが、なぜか受付のおばさんが知らんふりするんです。仕方ないのでしばらく待機ソファで座ってから再度受付に言っても、「何の御用時?順番だよ」と門前払いのように言うので『さっきから説明してるでしょ?今日、退院するんですよ・・・・』と文句を言っても怪訝そうな顔つきで相手にしてくれなかったので、別の受付員に『退院手続きに来たんですけど・・』とボソッと言うと、『あっ・・・少々お待ちください』と若い女性受付員。なにやらおばさん受付員に説明すると、そのおばさんがソファで待機している私の所へやって来て、さっきとは打って変わって丁寧な態度で手続きの説明をしだしたのです。
2020年11月23日
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2020年11月22日
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伊勢のひじき釜飯とサバの味噌煮弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代妖気の漂うCCU病棟最奥ベッドから逃れて熟睡したのですが・・・・当時の日記を読み返してみますと、最奥ベッドから入り口付近に戻されたその日は熟睡して翌日を迎えた、と記されており、不可解な病院職員の対応に対する不満が書いてありました。心筋梗塞ステント留置術の終了直後ですよ。精神的不安を必死で訴えているのに半日以上も放置。手術前後の拘束と不安感・緊張感などで精神疲労があったにせよ、ケアに不行届きがあったと言わざるを得ません。術後翌日は普通病棟の6人部屋に車いすで移送され、看護婦の対応もごく普通の柔らかいものになって、私の精神状態も昨日のパニックが嘘かのようにスッキリとしており、邪魔っけだった腕の点滴も外されて身軽となったのです。
2020年11月22日
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赤だし(豆腐・大根・ワカメ・玉葱)さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代パニック症に陥ったCCU病棟の最奥から何とか脱出に成功したんですが・・・・術後一日の時期的には先日の夜から朝方までカテーテルが差し込まれていた右足固定と点滴や心電図などによる全身拘束が解かれてからの最奥ベッド移動だったので、懇願が通って元の位置に戻されてもまだ昼にはなっていなかったと思います。やっと元の位置に戻された時の安堵感は言うまでもなく、予想以上の精神状態の爽快さは溜まりにたまった睡眠不足を一気に解消するべく、熟睡までとは行かなくとも2~3時間は良い感じで眠れました。その眠りに入る前のうつろうつろしている時に、仕切られたカーテンの外の方から病棟担当医と看護婦らの雑談が聞こえてきて、なにやら私の名前が頻繁に繰り返されているのです。これは幻聴かな?とも思えるくらいの良からぬ噂のようなヒソヒソ話でしたが、ベッドの位置が元に戻っての安心感が強かったせいか、さほど気にならずに済みました。
2020年11月21日
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ソース混ぜご飯にシューマイを乗せてシューマイおにぎり弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代手術してホッとするはずが、まさかのパニック症状となりましたが・・・・ベッドの上で叫んだりしたら、確実に精神科病棟へ移送されたでしょう。こうなったら恥も外聞も捨てて数日前に看護婦に抗議した事を謝罪するしかないと考えました。待っていても中々見回りに来ないので、2度目のナースコールスイッチを押して看護婦を呼んだのです。私はベッドの上で両手を合わせ、拝むようにして看護婦に懇願しました。『うるさいなどと言って申し訳ありませんでした。私が悪かったのです。どうか、ベッドの移動をお願いします。気が狂いそうなんです・・・・』私の必死の訴えを無表情で聴いていた看護婦は『ん~・・・・ちょっと先生に聞いてみます』とサラッと軽めに応えて引き返していったのですが、意外に早く数分で戻ってくると無言でベッドの移動を促したのです。
2020年11月20日
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カキフライカレー弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代移動させられたベッドでパニック症状のような状態になってしまったんですが・・・・ベッドが16床あるCCU病棟の最奥は、壊れているような医療機器が廃品されるのを待っているように数台が放置されており、私の前にあるベッドには今にも天に召されそうな老衰状態のご老人が横たわっておりました。私はナースコールして自分の状態を説明しベッドの移動を懇願しました。2つぐらいベッドが中央付近に空いているのに、看護婦は移動を許可しないのです。『そこのベッドは新患用ですので移せません』と宣ってサッさと行ってしまうのです。何度もナースコールしたり飛び降りたくなるような事を言えば精神科に配置転換されると思い、しばらくは我慢しましたが、孤独感から早く看護婦が見回りに来ないかと考えたりするうちに、今にも叫んでしまいそうな気分になり、手術したばかりの心臓がガンガンと暴れ続け、精神状態も限界に達しようとしておりました。
2020年11月19日
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里芋とサバの味噌煮弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代術後にベッドの移動をさせられたのですが・・・・CCU病棟は16床ぐらいあって、入り口から奥まで8床が前後に2列という配置でした。術前は入り口から先頭の位置でして、サッカー観戦の看護婦の歓声が「うるさい」と苦情を出したのが原因かどうかは知りませんが、術後は最奥のベッドに移動。表向きの理由は新患が入るからと後から言われました。そこはヒンヤリとした空間で同じ部屋内とは思えないほどの陰気さでして、妖気が漂っていると言っても良いでしょう。窓からは空調室外機の騒音も入り、自由に行動できない私は数時間で精神的に何とも言えない焦りが出てきたのです。何気に開いた窓の方を見ると、そこから飛び降りたい気分にまでなったのです。逃げ出そうにも入院前に乗ってきたマイカーは姉に自宅へ戻してもらってあるし、とにかく寝かされているベッドから離れたくて、体温を測りに来た看護婦に懇願したんです。ベッドの位置を元に戻してくれと。
2020年11月18日
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餃子弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代術後は股間の大動脈から出血しないように6時間もベッドで拘束されましたが・・・・手術が終わったのは7時か8時頃でしたので、そこからの6時間と言いましても夜中になりますので右足の拘束帯を看護婦が中々外しに来てくれませんでした。そのまま朝まで拘束されるのかとムカムカしていると、明け方近くになってやっと拘束帯を外しに来たのです。当時はサッカーのワールドカップが開催されており、夜中に放映されていた試合を見ていた看護婦らの騒ぎが「うるさい」と、手術2日前ぐらいに文句を言った事が原因で、拘束帯を外した途端に入り口付近から一番奥のベッドに移動させられたのです。奥ならナースステーションからの声は聞こえにくいだろうという理由でしたが、同じ部屋の空間であるにもかかわらず、最奥のベッドの身辺は薄暗くてヒンヤリと寒く、おまけに空調室外機の異常音が開いた窓からガーガーと侵入してくるので、看護婦らの雑談どころではない騒音が蔓延する場所だったのです。
2020年11月17日
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豚バラ肉と玉ねぎ・長ネギ・モヤシの野菜炒め&シュークリームさて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代心筋梗塞のステント留置術は無事に終了したんですが・・・・約1時間の手術だったでしょうか。ストレッチャーに乗せられて手術室を出る時に、担当の医師が『今回のオペに研修生が多く参加したのは滅多にない事です』と、言われ、妙な誇らしさを感じたりはしましたが、自分としては脳貧血が起きなかった事に対しての安堵しかありませんでしたので、CCU病室に戻ってから担当医師から『良かったですねぇ。危ない所でしたよ』などと言われても、作り笑顔で『ありがとうございました』と言いはしましたが内心はちっとも嬉しいなどという感情はありませんでした。父親を除いて兄姉という親族は存在しますが、すでに自分達の家庭を持っていますし母親も一人暮らしから老衰のために入院中。私自身は独身なので家族もないし、死んでも大した責任はありませんから、生死の事は全く意識になく、術後の股間の半日固定で身動きできない事が唯一の悪感情を起こさせていただけでした。
2020年11月16日
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昼過ぎの13時30分に出発、16時30分に渥美半島・伊良湖海岸に到着。無風状態、大潮、満潮時間17時頃。17時30分に納竿。釣果はイシガレイ30cm1尾。20時30分帰宅。30cmのイシガレイを釣り上げました。カレイは5年ぶりぐらいです。醤油・味醂・砂糖・日本酒で甘辛煮にしますカレイの煮付け
2020年11月15日
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2020年11月15日
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ソーセージと玉ねぎ、キャベツ炒め&日本酒100ccさて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代待ちぼうけを食らった手術当日でしたが・・・・そもそも入院当初に造影剤検査が思わしくなくて手術を一週間延ばされ、手術当日も急患が相次いだという理由で午前中という予定から夕方にやっと手術室へと向かったわけでして、本来なら入院は4~5日ぐらいで済むものだそうですが既に8日も経っており、結局は入院11日目で退院するのですが、考えて見れば重い病気の類の割には短期間入院で済むんですね。医療の進歩のおかげなんでしょうか。しかし、その11日間は拷問と虐待の日々だったのです。手術は割と上手く行ったみたいで、懸念していた血圧低下による脳貧血も一度も起きませんでした。それでも手術中は精神的に不安定であり、極度の不安感を鎮めるために自分の太もものあたりを抓ったりして意識を他のことに集中させたりしたのです。
2020年11月15日
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野菜ミックスとハンバーグ弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代手術の前日に手術同意書にサインさせられたんですが・・・・手術して死んでも訴えることができないという誓約をさせられたのです。ま、死んでしまっては訴えようはないし、守る財産もないのでどうでもよかったのでサインしました。当日の手術は午前中に開始予定だったのですが、またもや救急患者優先で待っても待ってもお呼びがかからないのです。待ち疲れとでも言いましょうか、不安も募り募ってグッタリとしてきた夕方ごろにやっとお呼びがかかり太ももの付け根に局部麻酔を打ち込まれましたし、その前に股間の剃毛を看護婦からされており、なんだか拷問を受けているようなものでした。
2020年11月14日
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サツマイモご飯と野菜炒め弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代いよいよ手術を前日に控えて、身辺がバタバタと慌ただしくなってきたんですが・・・・医師が手術同意書のような書類を持ってきまして、それを読んでサインをしろというのです。要は当手術においては後遺症及び死に至る可能性は免れないから、その時には訴えるなよ、という内容なのです。酷いですねぇ、卑怯ですねぇ・・・・サインしなければ手術はしないって事ですからね。納得できないまま渋々サインしました。
2020年11月13日
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サツマイモを用意しまして研いだ米に切ったサツマイモと塩を適宜入れて炊き込みますとサツマイモご飯さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代待ちに待たされた心筋梗塞・ステント留置術の日がやってきたのですが・・・・普段なら造影剤検査で心臓の状態が掴めれば入院した次の日に手術だったそうですが結局1週間後に手術でして、その前日には手術における注意事項を医師から説明を受けるのですけど、造影剤検査の時のように血流停止で血圧降下による脳貧血になる事がどうしても嫌だったので、麻酔で眠らせてその間に手術してほしいと懇願したんです。医師曰く『だめです。脳貧血も10回は起きる覚悟をしていてください』と脅すのです。私は余計に納得できず、『全身麻酔ではなくとも睡眠薬ぐらいならあるでしょ?』と食い下がると他の医師がそうした薬があるような事を示唆した矢先に別の医師が『そんなのイザとなると効かないよ』とバッサリと断言されてしまったのです。
2020年11月12日
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バターチキン・カレー風春巻弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代手術決行まで1週間もベッドに磔状態だったんですが・・・・心筋梗塞の手術には他の部位から取ってきた血管を繋ぐバイパス手術と、塞がった血管を膨らませてそこへ金属管を埋め込むステント留置術の2種類が主なものだそうで、私の場合はCT検査の結果「ステント留置術」に決定されました。バイパス手術は胸部に大きな手術痕が残るのは父親も同じ心筋梗塞となってバイパス手術をした経緯があるので良く知ってましたが、ステント留置術は手首もしくは腿の付け根の動脈から金属管を心臓の詰まった血管に埋め込み、血流を正常なものにするという手術であり、傷跡もなく終わるものですが、カテーテルを股間から差し込む処から始まる手術であり、その前後も相当な艱難辛苦を耐えねばなりませんでした。
2020年11月11日
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味噌カツと野菜ミックス弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代血管造影検査の前後でかなりの体力を失ったんですが・・・・後は手術を待つだけだったんですが、なぜか1週間後が手術予定日となったのです。その1週間の間はベッドから降りてはならない不自由な世界。血管拡張のため長時間かけてスローな点滴をして、体には常に心電図と血圧測定帯が取り付けられているので全く身動きが取れず、睡眠不足は当然の事であり体力低下とイライラが募りました。血管拡張の薬を点滴している間は足首に軋むような痛みが走っていて、その理由を医師に訊いてもはっきりと答えず、『血管が広がって圧迫してるのかな・・・・』と言うぐらい。当時はサッカーのワールドカップが開催されており、深夜にかけてナースステーションでは看護婦らがテレビ観戦して騒いでうるさかったので、次の日の朝に回診に来た看護婦に文句を言ってやったのです。
2020年11月10日
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サバの塩焼きとエビふんわりフライ弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代入院して心臓部の血管造影検査をしたんですが・・・・患者にとっては厄介な検査です。検査後はカテーテルを差し込んだ後の血管が傷つかないようにしばらくは腕を動かさないように固定されました。検査中も一時は血流を停止する事があり、血圧は猛烈に下がって脳貧血状態になり、横たわっているのにぶっ倒れようのない気持ち悪さでした。それに予定の検査開始時間は大幅に遅らされました。救急患者が多くて検査室を優先されたからです。トイレはオマルを臀部下に敷いて済ませますが、いちいち看護婦を呼んで尻拭きまで世話してもらうわけでして、恥ずかしいことこの上なく、ベッドから降りられないので入院前よりも不自由な身となって苦痛でした。
2020年11月09日
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しゃぶしゃぶ用豚ロース肉とキャベツ・ピーマン・長ネギ・玉葱・もやしの野菜炒めさて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代救急外来の玄関先でストレッチャーに乗せられ、慌ただしく救急病棟(CCU)へ搬送されたんですが大げさだなぁ・・・・と思いながらも救急病棟のベッドに寝かせられました。カテーテル検査で病状を確認してから手術に移行すると説明を受け、確か手首の動脈からカテーテルを心臓部まで差し込んだと記憶してますが、「造影剤」をカテーテルから注入して血管の状態を大画面に映して症状を診るという検査でした。私は2005年くらいから日記をつけており、2014年の入院当時の記録を見てみますと【2014年6月17日 カテーテル検査で血圧低下による脳貧血に陥る。結果は左冠動脈根元閉塞寸前とその先にある血管の2か所が狭窄状態。左冠動脈が詰まりすぎて造影剤が上手く浸透しなかったため、冠動脈全体の状態が判明せず、手術に移行できず。】と、記されておりました。要するに即手術ではなく、数日後に延期されたわけです。
2020年11月08日
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さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代再検査の当日に入院したんですが・・・・自宅には戻らず検査した病院から直接F大病院へ自分で車を運転して行きました。検査中は何ともなかったのですがF大学病院の駐車場から救急外来までの道のりではまともに歩けず何度も立ち止まりながら、途中でベンチに座ったりしないと胸に鉄棒が食い込んでいるような感覚だったので、結構大変でした。やっとの思いで救急外来に到着、入り口先で看護婦がストレッチャー(搬送用ベッド)を用意して待機しており、看護婦は開口一番『歩いちゃダメ!』と急かす様にストレッチャーに乗せられて高度治療救急病棟(CCU)へ搬送されたのです。
2020年11月07日
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インスタントラーメン&かつおのたたきさて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代狭心症の疑い、という事で再検査を受けたんですが・・・・地元では有名な私立の大病院である長ったらしい病院名のF大病院からやってきた循環器専門医による「トレッドミル検査」を受けました。室内歩行訓練のようなベルトコンベアを数分歩いて心臓に負荷をかけて病状を判断する検査です。そういう時に限って全然体調は良く、検査中は息苦しくならないので大したことは無いと思っていると即座に専門医は『狭心症・・・・心筋梗塞の疑いが濃厚です』と宣ったのです。次いで『即入院してください』というので、私としては会社に報告しなければならないので、病名を改めて聞くんですが『狭心症』と言ったり『心筋梗塞』と言ったりで、ハッキリしないので『で・・・・どっちなんですか?』と問い詰めると、『心筋梗塞、にしといて下さい』と、私より確実に若い40代にも届いていなさそうな専門医は最後まで歯切れは良くありませんでしたが、入院を拒否する理由もなかったので承諾したのです。
2020年11月06日
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切り干し大根と里芋弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代改善されぬ息苦しさでとうとう病院へ行くことを決意したんですが・・・・土曜日にやっている中規模の病院で検査をしました。心電図、心臓エコーなどの検査で「狭心症の疑いあり」と出たのです。次週初めに別の大病院から循環器専門医が来るというので、そこで再検査をしてもらうことに決め、発作が起きた時に服用する「ニトロ」という薬をもらって帰宅しました。当時は同時進行で老衰的衰弱の母親が入院する病院へ洗濯ものを回収する世話を週に二日ぐらいしており、実際どちらが先に死ぬかという状況だったと思うと、検査後に平気でドライブして洗車していたのですからね。洗車場でも勢いよくジェット噴射する水を車に当てる時の反動だけで息切れしたり、日曜には体調に違和感を覚えながらも墓参りに行ったりしました。
2020年11月05日
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ゆで卵マヨネーズ和え御飯さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代平坦な道を歩くだけならなんともなかったのですが・・・・更衣室ロッカーの前でしゃがみ込むほどの苦しさから数日間は一進一退で、特になんともなかった日もあったのでただの疲れだろうと思っていました。息切れがする前段階においては、休日になるとただただ寝てばかりで、なぜだか自分でもよく寝るなぁと不思議に思っており、それも夜勤の所為だと思っていたのですが、段々と平地を歩くだけでも途中で息切れしたり、動かなくても首が締め付けられるような感覚になってきたのです。会社は土日休みの週休二日でして、平日には体調が悪くなくても有休をよく使っていた身としては、こうした肝心な時に休みづらくなっており、土曜日に受診できる内科で検査してもらったのです。
2020年11月04日
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もやしの醤油にんにく炒め弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代ジョギングもできないのは、ただの肥満体だからと思っていたんですが・・・・その後も相変わらず会社の階段を上ると息切れをするのですが、着替えを終えて平地で仕事をしている時は息苦しくならなかったのでそれほど深刻には考えずにひと月ぐらいした頃、第二段階の症状が始まりました。階段をいつものように息切れして登り切り、更衣室ロッカーの前まで来るとしゃがみ込んでしばらくは休まないと収まらなくなったのです。肩から首の付け根にかけて締め付けられるような感覚です。それは長距離走などをしていて酸素不足になりながらラストスパートをした時に感じたような苦しさに似ておりました。
2020年11月03日
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天丼弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代第3の精密機器製造会社でも若い社員らとの確執はありましたが・・・・500万円近くあった大学資金用の貯金も50万あるかないかという状況の中で、夜勤を選んでの工場アルバイトのおかげで貯金が減っていくことは無かったのですが、増えるわけでもなかったので人間関係が悪くても簡単には辞められないといった状態でした。入社して1年3か月ぐらいたった頃に、更衣室まで行くのに階段で3Fまで上がる際、息切れがし始めたので夜勤による睡眠不足などの影響と、身長163cmに対して体重が85kgを超えようとしていた肥満体になっていたので、ここらでジョギングなどをして体重を減らそうかと思い、近所の周辺を颯爽と軽く走り始めたところ、100mも持たずに息切れしたのです。
2020年11月02日
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2020年11月01日
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エビチリ弁当さて、私が中年になった平成後期の頃、心筋梗塞までのアルバイト時代新人にとって社員も機械も不都合なものでしたが・・・・第1の精密機器製造会社でもそうですが、新築中だったり工場内大改築中だったりで設備移動が第3の精密機器製造会社でも行われ、入社初期とは現場の雰囲気と作業内容がガラリと変わったのが勤めて一年ぐらいたった頃でした。機械が故障気味なのは相変わらずでしたが、報告を無視する社員は別部署へ移動したのでホッとしたのも束の間、別部署から若い社員やらが私の部署へ移動してきて、全く新しい作業をすることに加えて、今まで担当してきた製品を検査する故障機械も同時に従事することになっていたので、大忙しではないものの暇を持て余す事は無くなったし報告もきちんと対応してくれるようになったのは良いんですが、移動してきた社員が20代ではあるものの応対の仕方が横柄で見下すような口調で、それに素直に従えない私でしたので、表面上は穏やかな海が海底では深海魚とタコが一触即発な状態になっているような関係になっておりました。
2020年11月01日
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