全33件 (33件中 1-33件目)
1

ウインナー入り野菜炒め&おにぎり弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代いよいよ公立高校入試合格発表の日がやってきたんですが・・・・薄い記憶によれば公立校受験者は、一旦は中学校に集合してから各々の受験校に合格発表を見に行った気がします。テレビでよく見てきたような、校内の掲示板に大きく張り出される物ではなく、週刊誌サイズの紙が多数貼ってあり、前まで見に行かなければ確認できないような小さな数字で合格者の受験番号が掲載されておりました。ワクワクというよりも不合格なのを予測して、脳は必然的に精神の保護に向かうのか、半ば冷め気味な気分だったような覚えがあります。しかし、私の受験番号「3141」はそこに存在しました。合格だったのです。
2020年04月30日
コメント(0)

卵と玉ねぎ、ハムの炒め物 冷や奴(生姜醤油だれ)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代公立高校入試から帰宅してテレビ番組の解答速報を見て一喜一憂したんですが・・・・入試翌日の朝刊にももれなく解答は掲載され、不確実な記憶を元に答え合わせをしました。合格発表まで一週間あったでしょうか。6~7割ほどの正解率を確信しておりましたので、日に日に合格するという期待感は増していきました。不安なのは実際に解答用紙にちゃんと書いたか、解答枠を間違えなかったか、という事ぐらいだったのです。
2020年04月29日
コメント(0)

カレーペースト弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代各々の学力レベルがハッキリとする高校受験でしたが・・・・受験を終えて帰宅し、夕方前には既にテレビ局は公立高校受験の答え合わせの放送をしていたので自分が解答用紙に書き込んだであろう記憶を元に答え合わせをして一喜一憂しました。受験した高校の教室で斜め前に座っていた親友Hくんの解答用紙をチラッと見た時に、解答欄が全て埋め尽くされていて満足そうなHくんの表情が印象的でした。私は答えが分からなくとも解答欄には絶対に書きこむので、自身の解答用紙も空欄は無かったのですが、親友Hくんのような余裕はありません。テレビ放送の試験解説を齧りつくように観ておりましたが、半分以上は「正解」を獲得できたかな・・・・という微妙な心境で合格発表の日まで過ごしたのです。
2020年04月28日
コメント(0)

冷や奴(生姜醤油)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代公立全日制普通科高校を対象とした「学校群」を選択できるのは優秀な証拠ですが・・・・「学校群」から除外された公立全日制普通科高校も優秀な生徒が集まるのですが、市外の公立校であり偏差値が少し落ちるので無難さを選んだ感があります。新友人Mくんと素朴で可憐なSYさんは充分に「学校群」を選択できる実力はあったと思います。ワガママKくんも新友人Mくんらが受験した高校を選択しました。体操部同輩の金物屋Kくんが見事に「学校群」に合格した時に、新友人Mくん曰く『あいつが受かったんなら俺も受ければよかった』と後悔していた事を覚えています。
2020年04月27日
コメント(0)

ウインナー入り卵焼きと削り節納豆巻弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代中学までは学力に関係なく個性的な面々と勉学を共に出来たのですが・・・・高校入試という物には多くの「別れ」を経験させられました。学力のレベルで行く先が振り分けられるのですから、今思うと妙な気分になります。当時の入試の制度である「学校群制度」は日本全国ではなかったようです。ウィキペディアによりますと東京・千葉・福井・岐阜・三重・愛知などで学校間の格差をなくすために実施されたとあります。我が名古屋地区は県・市立の15校が各校2つの学校群に所属する15の複合学校群だそうで2004年までには廃止されたようです。この「学校群」を受験したのは秀才Sくんをはじめ体操部の同輩である貴公子Aくんと金物屋Kくん、トランプが切欠で男女グループ交際をした仲間のうちのなぜかモテないMSさんも学校群だったと記憶してます。
2020年04月26日
コメント(0)

鶏大根煮と削り節納豆巻弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代それぞれが各々の進むべき高校を受験したのですが・・・・当時は公立普通科高校を対象とした「学校群制度」というものがあり、学力レベルを均一にするために群れとしてグループ化された高校に合格者を振り分ける制度がありました。秀才Sくんのように優秀な学力のあるものは大抵が学校群の高校を受験したものです。秀才Sくんの受験した高校は現在でも偏差値は「70」レベルであり、市外へ引っ越していった不思議少女Sさんもそれくらいのレベルの高校に通った事を後に知りましたが、学生の本分である「学業」を毎日コツコツと積み重ねていた結果でありましょう。
2020年04月25日
コメント(0)

餃子ハムエッグ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代女子生徒が希少の工業高等学校を受験するのは気が引けたのですが・・・・そんなことよりも「公立」であり「安い授業料」が親孝行であり、「賢い」を証明せねばなりません。H学区代表の荒くれ軍団の喧嘩っ早いMくんや番長Oくんらは一緒に私立の普通科を受けたようでして、後は入学を待つばかり。秀才Sくんは偏差値「70」であろう県内随一の進学校を受け、新友人Mくんと素朴で可憐なSYさんは一緒に県立の普通科を受け、みんなそれぞれの行く先を進もうとしておりました。
2020年04月24日
コメント(0)

焼たらこ&たこ焼き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代親友Hくんをはじめ数人の顔見知り同級生と公立受験へと向かったのですが・・・・工業高校なので女子生徒の存在が希少なのは判っていました。機械科や電気科には全学年合わせても「0」だったと思いますが、工業化学・化学工学科は7~8人ほどでした。小学、中学時代を通じて男女半々ずつの中で学校生活をしてきた身としては、女子が殆どいなくなる事に一抹の寂しさを感じました。だからこそ、本心では私立でも良いので普通科の男女共学の高校に通いたかったのですが、勉強の積み重ねという努力を欠いてきたのですから致し方のない事でした。
2020年04月23日
コメント(0)

ざるうどん(生姜醤油ダレ)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代小学6年の頃に担任から我が家を嘲笑されたんですが・・・・
2020年04月22日
コメント(0)

焼きそば弁当(フランクフルト付)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代多くの友人らが同じ公立の工業高等学校を目指して受験したんですが・・・・他者の合否を心配する余裕などありませんでした。私には工業系に興味がなくとも親孝行に通じる学費の安い公立校に受からねばならない使命があったのですから。そして「公立=賢い」を実現させるために、私だけが受かればそれで良かったのです。おそらく、友人や知人の中で、家庭が一番裕福でなかったのは我が家だったと思います。小学6年の頃、教室内で目に輪ゴムを当てて怪我をして早退した時、中年男性の担任が自宅まで付き添ってくれたのですが、我が家の前まで来た担任は『なんだこれ・・・・ちいしゃぁ家だなぁ‥‥』と、嘲るように呟いたのです。『ちいしゃぁ』とは、名古屋弁で「ちいさい」という意味ですが、時代劇に出てくる『長屋』そのものだったので、ちいしゃあと言われても当然なんですが、かなりの劣等感を刺激されましたね。
2020年04月21日
コメント(0)

焼きイワシ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代自転車通学ができるぐらい近くにある県立工業高等学校で受験しましたが・・・・近隣地域に流れる二級河川沿いに堤防が設えられており、自宅から目的地の高校まで自転車で通う時に堤防道路を使えば約5kmであり、春にはヒバリが天高く囀り、土手には雑多なる草花が咲き誇り、心なしかヘドロの匂いをかき消すような潮の香りがする、サイクリングにはうってつけの通学路だったのです。その憧れの県立高校を受験する私の他に、親友Hはもちろん小学時代の同級生が2~3人、新友人 I くんも同じ高校を受験しました。気心の知れた友人たちの多くが同じ高校に受かれば、最高の時代を迎えられるのだと、意気揚々とした気分になったのと同時に、合否ギリギリの状態だった私には不安の方が多かったのは当然でした。
2020年04月20日
コメント(0)

2020年04月19日
コメント(0)

おにぎりと鶏大根煮弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代信仰する宗教の生き神様と称される教会長のシャツを着て受験に挑みましたが・・・・3つ上の兄も通っていた県立M工業高等学校が受験校でして、それはそれは憧れの高校でした。「工業系」には何の興味もなかったのですが、ただただ「公立」という響きに、安い授業料に公立へ進学すれば「賢い」という称号を得ることが出来るため、それらの全てが「親孝行」に繋がるので、見事合格したとなれば信仰する神様からお褒めいただけて、栄光への道を歩いていけると信じていたのです。
2020年04月19日
コメント(0)

もやしのにんにく醤油炒め弁当(厚揚げ入り)これを使用さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代祖母の信仰を両親は受け継ぎ、そして私ら子供も信仰していたんですが・・・・
2020年04月18日
コメント(0)

なすの肉みそ炒め弁当これを使用さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代素朴で可憐なSYさんから依頼された子猫は、親の不理解で断念したんですが・・・・
2020年04月17日
コメント(0)

スパゲッティ(豚バラ肉入り)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代記憶が曖昧な子猫騒動だったんですが・・・・母親の言動は私の友好関係にひびを入れる事が多かったです。素朴で可憐なSYさん宅でのクリスマス会においても、洗濯屋KKくんを除外しての開催だった事を本人に知らしめてしまうし、今回の子猫を瞬時に捨てようとするタイミングの悪さ。この大正生まれで田舎育ちの世間知らずの見栄張りは父親同様、まったく始末に負えなかったです。祖父と祖母からの信仰であった新興宗教「TNR教」ですが、饅頭屋を経営していた祖父は40代で病死したそうで、その後は幼い子供を抱えて貧苦に喘いだ祖母だったそうで、口減らしの為に末っ子の私の父親が2歳の時に親戚に養子に出したのです。その養子先の義父が5年後ぐらいに病死したために、小学校に上がる頃に祖母の元に戻された経緯があり、父親にとっては物心がついた頃に馴染みの無い実母と暮らしたわけであり、相当な反逆児だった事が推測できます。だから祖母が亡くなるまで執拗に憎み続けた父親だったのに、信仰だけはなぜか祖母の後を継いだわけですから、まったく訳が分かりません。
2020年04月16日
コメント(0)

葱味噌チャーハン弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代母親が子猫を捨てようとする場面に遭遇したのは、実はSYさんではなかったんですが・・・・今朝、良く良く思い出してみると、当時母親が子猫を捨てようとしたところにやってきた人物は秀才Sくんとその友人ひとりだったことがハッキリと蘇りました。私が子猫を飼うという噂を誰かから聞いた秀才Sくんがその様子を見に来たわけです。もし秀才Sくんがその場に来なかったら、子猫が捨てられてもSYさんには真実を話さずに、しばらくは飼っていることにしたと思います。捨てる場面を観られたからには、SYさんに事情を話して子猫を返した事は確かですが、どのように返却したのか、SYさんに自宅に来てもらったのかは定かではありません。
2020年04月15日
コメント(0)

チキンカツと春雨サラダ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代素朴で可憐なSYさんから貰ったばかりの子猫を母親が玄関先に捨てようとしたんですが・・・・『おいおい、何をするんだよ・・・』と慌てる私を無視して、子猫の首根っこを摘まんで捨てようとする母親。そこへ、なんとタイミングの悪い事か、素朴で可憐なSYさんが他の友人とともに我が家に訪問してきたのです。SYさんにしてみれば渡したばかりの子猫が心配で見に来たのでしょう。それがそんな現場に遭遇したので、相当ガッカリしたと同時に私への不信感が募った事でしょう。実はその辺の事情も曖昧な記憶でして、すぐにその場で子猫を返却したような気がしています。後にSYさんから他に飼ってくれる人が見つかったという報告を受けたような気がします。
2020年04月14日
コメント(0)

麻婆豆腐弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代父親さえ上手く納得させれば猫は飼えると思ったんですが・・・・
2020年04月13日
コメント(0)

2020年04月12日
コメント(0)

フランクフルトとカニ玉弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代猫を飼う事に問題はなかった我が家だったんですが・・・・
2020年04月12日
コメント(0)

スパゲティ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代素朴で可憐なSYさんが拾った子猫を飼ってくれないかと言うので・・・・快く引き受けました。家族がどう反応するかは後で何とかするとして、まずは男気を見せなければなりません。そもそも我が家は昔から猫をよく飼っていたんです。私の記憶によれば幼少の頃に「たま」というオス猫がいて、ある晩に犬に襲われて死んだんです。その遺骸を長屋の真ん前にある小学校の裏庭に家族の誰かが埋めたという覚えがあります。その後に「みー」と言う名の白と黒のブチのオス猫を飼い、5年くらいして何処かへ行ってしまい一年後にひょこり帰ってきて、すぐにまた居なくなったという猫でした。その後に「ちー」とか「ぴー」とかいう猫を立て続けに飼いましたが、1~2年で病死してしまいましたそんなわけで猫を飼っても永く居付いてくれないので、我が家ではしばらく猫を飼うのを止めていた時期だったんです。
2020年04月11日
コメント(0)

五目釜飯おにぎり弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代素朴で可憐なSYさんがくれたアクセサリーの黄色いベルをカバンに取り付けていたんですが・・・・試験日が近づくある日の放課後でした。そのSYさんから電話がかかってきて、『お願いがあるの。子猫を拾ったんだけど・・・・』と、捨てるには忍びないので家で子猫を飼ってくれないかと言うのです。私は二つ返事で『わかった。飼うよ』と承諾したのです。これでSYさんからちょっとでも好かれるのであればお安い御用だったのです。『いまから持って行く』と言うので、SYさんが子猫を携えてくるのをワクワクしながら待ったのです。
2020年04月10日
コメント(0)

五目釜飯弁当これを使用さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、卒業間際の慌ただしい中学三年生時代男女グループの空中分解、と言いましても仲が悪くなったわけではないのでして・・・・以前に書きましたが、公立校試験、合格発表の前には「ホワイトデー」なるものがありましてガサツなYKさんにバレンタインデーのお返しをしなければならなかったのが、ちょうど空中分解の時期だったわけですから、それなりにグループ関係は維持していたのかな。クリスマス会だったのか素朴で可憐なSYさんの誕生会の時だったかハッキリしないんですが、その時にSYさんから配布されたアクセサリーの「黄色いベル」を、グループ一員の証として学生カバンの端っこに高校1年初期まで健気に取り付けていたのは私だけかな。
2020年04月09日
コメント(0)

しらすぼし弁当(にんにく漬物付)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代破局になっても新友人Mくんはクラス内で活発に動いておりましたが・・・・半年ぐらい続いた男女グループの交際は、卒業間際に空中分解といえば大げさですが、5~6人揃ってトランプをする仲ではなくなったのです。ところが新友人MくんはガサツなYKさんを気に入っていたようで、付き合うまでには至らないまでも、路上でガサツなYKさんを交えMくんと私の3人で駄弁った事もありました。どこに興味を感じるかは人それぞれかとは思いますが、ガサツなYKさんに何の魅力も感じず、むしろ嫌悪感がある私にとっては無駄な時間ではありました。
2020年04月08日
コメント(0)

塩サバ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代新友人Mくんと素朴で可憐なSYさんの関係は卒業までもたなかったのですが・・・・「破局」ですね。何が原因だったのか、本人たちに聞いたわけでもないので判りませんが、付き合い始めたのも自然の成り行きだったので、別れる際も自然だったのでしょう。Mくんは時折、未練がましい事を言うわりには、私が不思議少女Sさんの事をいつまでも話していると『未練は良くない』などと詰ったので、『自分はどうなんだ?未練たらたらじゃないか』と言ってやった記憶があります。Mくんは深刻な顔をして『わかった・・・・。そんな事を言われるとは思わなかった・・・・』などと言い、私の反論を素直に受け入れたのです。
2020年04月07日
コメント(0)

冷やしざるうどんさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代下校途中の道中で、素朴で可憐なSYさんを怒らせた新友人Mくんでしたが・・・・相手が怒ろうが放っておけるぐらいの余裕が無いと、もうその恋は終わりかも知れず、両想いから片想いへ移行してしまうのでしょう。遠巻きに見ておりましたが、足早に去っていこうとするSYさんに駆け寄ったMくん。何やらひとことふたこと話し合って、Mくんだけがこっちに戻ってきたのです。詳しい事は訊きませんでしたが。おそらくMくんが謝ったのでしょう。そんな時期ぐらいから男女グループの会合も無くなっていたように記憶しております。
2020年04月06日
コメント(0)

2020年04月05日
コメント(0)

フランクフルト&スクランブルエッグ・ピーマン弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代卒業まじかの教室内でも大人気の新友人Mくんでしたが・・・・一応、新友人Mくんとは「コンビ」という感覚で過ごしていた自分にとって、片方がモテモテで人気者になられては、漫才コンビの相方だけが売れていくようなものです。気分が良いわけありません。それでも受験の事も頭にあるし、表面上はバランスを取って穏やかな雰囲気を纏っていたとは思います。活発にクラスメイトと交流する新友人Mくんは、付き合っていた素朴で可憐なSYさんと同じ高校を受験する事になっていたんですが、段々と関係にも陰りが見え始め、何やら軽い口論をした後に、関係が壊れるのを恐れたのかMくんは、怒りを押し隠すようにスタスタと一人で帰路に向かうSYさんに謝罪しようと駆け寄ったのです。
2020年04月05日
コメント(0)

ジャンボ赤飯おにぎり弁当(ソーセージ&ゆで卵付き)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代卒業までの一か月ぐらいは授業も遊びのようなものでしたが・・・・技術家庭の授業は晴れていれば校庭でソフトボールをし、他の授業でもホームルームみたいなものが多くなって、陽気な輩達が騒いで少々五月蠅かったのです。なかでも中2時から中3時の前半までは周囲の様子をうかがうようなクールな新友人Mくんが、女子生徒にモテるようになってから大変身していたのは言うまでもなく、残り少なくなった中学生活で大はしゃぎ。カセットテープレコーダを片手にマイクをクラスメイトに向けて回り,「卒業していく気分は?」とか「これからの抱負は?」などとインタビューして周囲に受けていたようですが、そんな様子を教室内で見ていた私としましては、あまり良い気分ではありませんでした。
2020年04月04日
コメント(0)

そうめんさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代公立高校合格目安判断テストでギリギリの合格点を取ったんですが・・・・中部統一テストとは別のテストだった気がしています。なにせ中部統一テストは280人中256位という惨憺たる結果だったのは良く覚えており、その後に良く似たテストが確か在ったような記憶なのです。受験前に何とか追いついたかな、という感じ。受験までの一か月くらいは授業もほとんどいい加減なもので、特に技術家庭の時間は新任の教師で野球部顧問でもあったので、授業時間中は校庭に出てソフトボールをさせてもらったんです。女子は何をしていたか覚えがありませんが、我々男子生徒は20人くらいなので、ちょうど試合ができる2チームに編成する事が出来たんです。最高の時間でしたね。得意な球技であるソフトボールを存分に楽しめたのですから。
2020年04月03日
コメント(0)

赤飯を海苔に乗せて赤飯巻き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代何が何でも公立、公立、公立!と意気込んでいたのは私自身なのですが・・・・そうした気持ちをもっと早くに持っていたら、かる~く受験を通っていたに違いありません。受験まで残り3か月から慌てても、空回りしたのは言うまでもありません。休日は遊べないし、深夜まで慣れない勉強をし、その反動でエロチックな小説にハマりました。校内で行われた最終的な公立合格判断テストで、なんとか公立高校に合格できる最低限の成績は採れましたが、あとは運に任せるしか無い状態で受験が迫る日々を過ごしたのです。
2020年04月02日
コメント(0)

卵焼きとウインナーとキャベツの炒め物弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、高校受験を諦める可能性があった中学三年生時代興味のない工業系でしたが、公立校に行かねばならなかったわけでして・・・・機械でも電気でも化学でも農業でもなんでもいいから、とにかく公立、公立、公立!公立は学費も安いし賢いと思われるので一石二鳥。親が行けというからではなく、自分が行きたかったのです。「○○くんが公立に合格?すごーい!」とか、「やぱりあの子は賢いねぇ。」とか言ってもらいたかったんです。両親が信仰していた宗教も影響していました。何も判らずに信仰している家庭に生まれたわけですから、何の疑いも無く幼いころから信仰にのめり込んでいったのです。宗教の教えのひとつには「親孝行」というのがありまして、親に対して素直であれと、親の喜ぶことをしなさいという事を、真に受けて育ったのです。公立高校に進学すれば、自分も嬉しいし親も喜ぶし、こんな親孝行をすれば神様はきっと私に良き将来を約束してくれるに違いないと、潜在的にも表面的にも思っていました。
2020年04月01日
コメント(0)
全33件 (33件中 1-33件目)
1