2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
全24件 (24件中 1-24件目)
1
昨日、仕事から帰る途中、果敢に「20分会」を挙行した。ところが、30分以上、止まり木にとどまった。一杯という大原則もやすやすと破り、レモンハイを2杯飲んだ。 挙げ句の果て、飲み屋の主人としゃべりまくった。 なんてこった。大切な規則やすやすと破ってしまうところに、人間の作った規則が、人間に対してどのような意味と効力があるのかを哲学的に解明しなければならない。なんとわたしが創った規則をわたしが破ったことに、このように普遍的な哲学的なテーマが隠されていたとは気がつかなかった。カントは、毎日の散歩の日課を、同じ場所を、同じ時間に、時計のように正確に歩いたそうだ。ドンキホーテはハムレットと並び称される、深淵を抱えている。とすれば、「20分会の規則」は、カントの「純粋理性批判」と同様な深い哲学的考察をはらんでいる。 てなことで今週の金曜日大々的に「20分会」を開催する。場所と時間は、「20分会」的に明日連絡。
2004年06月30日
コメント(0)
東京オリンピックの遙か前から、秋葉原通いを始めている。ちょっと前まで、国鉄のことを省線などと称した。もちろん省線などではなかったのだけれど。最初は5級スーパーを作ろうと思い、雑誌を片手に秋葉原で部品を買い集めた。そんな小学生がほかにもいた時代だった。HOゲージの電車をつくるぞと思えば秋葉原、Uコンのエンジン飛行機を作ろう思えば秋葉原だった。模型屋は家の近所にも何件かあったが、結局秋葉原に行かなければ気がすまなかった。 国鉄の秋葉原駅を降りると、まずホームのミルクスタンドに向かう。そしてフルーツ牛乳を飲む。または白の牛乳にアンパンを食べる。このどちらかは、秋葉原に踏み入れるための重要なしきたりなのだ。これは今も当然変わらない。 これをしないのは、相撲をする前に、塩で土俵をお清めしないのと同じ、柔道や剣道の試合をする前に礼をしないのと同じ、礼にはじまり礼に終わるという、我が国の美しい伝統を足蹴にする全く許し難い暴挙と言わざるおえない。 もちろん、最近とみに外国から来られた方が多いが、日本人であれば当然知っている、この礼儀作法も外国までは伝わっていないようである。そこで是非、日本に入国する機内のでなかで、この重要な礼儀作法を教えて頂きたいと思う。 航空各社にせつにお願いする次第である。「秋葉原についたら、まずフルーツ牛乳を飲みなさい」と。(最近フルーツ牛乳と言ってはいけないそうである。フルーツ飲料とか何とか言えということらしい。だれがそんなことを決めたのだろうか。法隆寺を木造建築と言えというような腐った考え方だ。) 今日はやたらに怒っているぞ。
2004年06月29日
コメント(0)
世の中未知で満たされている。当たり前といえば、当たり前の話だが、どうも無理矢理に未知が作られているような気がする。朝に元気でも夕に野辺送りをすることも生きている人の常でもある。しかしその中で、平然と生きていくことがまっとうな姿だ。生きていくことが、意外性の連続の中にあって、しかし今日はこの様に暮れていき、明日はこの様に日が昇ってくるのだと平然と生きていくものだ。従って、未知は道になる。 未知を意外性の中で際だたせようとするのは、他者の目から、自分を他者の気を引きつける情報で着飾りたいからだ。逆も思考では同じだ。人を意外性のなかに追い込んで行くのは、それによって、自分の位置に安心感を持たせ、自分は安定した位置に存在することを、同じ思考回路を有するもの同士が舐めあっている。 自殺者が多い、人をおとしめる場がなんと多いことだろ。
2004年06月28日
コメント(0)
昨日土曜日、特に暑かった。ペンギンとは従兄弟関係で、遠い親戚にシロクマがいるわたしにとっては、まさに生死をさまようような1日になった。 しかし、趣味は行うことは、三度の食事の次に大切なことなので、仕方なく家を出る。今回の出発点は、日比谷線・霞ヶ関駅。10時40分ころ地下鉄にのる。あっという間に築地到着。まず市場散策。昨日は、一般大衆用の市場は開いていたので、結構な人だかりだった。7,8人掛けの露天のような、まぐろ丼なんかを食べさせる店は大にぎわいだった。 志賀直哉の「小僧の神様」で屋台の寿司屋が出てくるが、あながちこの様な形が、庶民の伝統的な寿司屋の形態なのかもしれない。600円代から食べられるのだが、朝から散財していたら、散歩道に反するので、ぐっと我慢して、店をのぞき込むだけにする。以前夜行列車で、函館に行ったことがある。函館到着、早朝の5時くらいだった。その時間で函館の市場の食堂が開いていて、なんと5時台で、まぐろいくら丼を食べたことがある。わたしの長い人生経験の中で、夜明けの新鮮な空気のなかで刺身を食したのは、この一回だけである。 そうこう歩いている内に、かちどき橋まで来てしまった。海も見たいなと思っていたので、もう少しで東京湾だから、ここでいいかと安易に妥協した。小学校3年生だったかと思うが、社会科の教科書にかちどき橋の写真が出ていて、母親と来たことを思い出した。あのときは、この橋は開閉型の橋だった。 築地本願寺までもどる、お堂に入る。涼しい。と感動して、しばし休憩。おトイレも借りる。 築地本願寺の隣に、我がホームページ唯一の楽天アフェリエイト「佃茂」さんのお店。小さいけれどとても雰囲気のよいお店、お茶漬け昆布を購入。楽天で買わなきゃ、意味ないジャンと思ったけれど、やはり本店で買った方がいいよね。 聖路加病院の方に向かって歩く。以前、この聖路加病院が八ヶ岳南麓にもあった。そのそばに、ソフトクリームで有名な清泉寮があるが、そのあたりで突然40度の熱を出したことがある。這々の体で聖路加病院に転がり込み、点滴を打ってもらって、何とか一命を取り留めたことがある。聖路加看護学校という、立派な学校が出現する。その中に病院があるらしい。わたしが病気になっても、とっても看てもらえるような雰囲気じゃない。八ヶ岳で1回看てもらえて良かった。 その横に聖路加タワーなるもんがある。こちらにも病院があるのかどうかよくわからなかった。中に入り、2階にエスカレータで登る。コンビニがあったので、ソフトクリームを買い、ベンチで食べる。わたしの散歩道ではこのぐらいの贅沢は許される。隅田川を水上バスが走っていくのが見える。 気持ちのいい風景だ。月島の高級高層マンションも間近だ。ビルを出る、立教学院発祥の地とある。 ビルの月島よりの方に幼稚園が併設されている、カトリック教会がひっそりとたたずんでいる。ここが、東京の教会では最も古い。文化財になっている。 1時30分終了。新富町から地下鉄に乗って帰路につく。それにしても暑かった。 夕方、疲れ果てて横たわっているところに、知人から飲みに行かないかの連絡あり。老人をさそうな。みんなわたしが酒が嫌いなのを知っているだろう。と怒りながら、さんざん酔っぱらう。その挙げ句「ねえねえ。20分会にはいらないか」・・・・(おいおい、それは重大な規則違反だろう!)
2004年06月27日
コメント(0)
人の表情で感情を見抜くなどというのは、全く当てにならないことだ。以前知っていた人で、いつも爽やかな表情で、目は穏やかで、その人と話しているのは楽しかった。しかし、突然神経の病気になった。顔は無表情になった。なにも知らない人は、なんとぶっきらぼうな人だと思ったに違いない。しかしわたしは、この無表情な向こうに、いつも爽やかな笑顔と穏やかな眼があるのを知っていた。 目を見ればその人がわかるなどと、簡単に言うものじゃないし、そのような事を平気で言う人は、自分を立派な人間に見せたいのだろう。でも逆に薄っぺらな人生経験を暴露してします。悲しい時に悲しい表情ができるのは恵まれているのだ。にやけている人も、本人はにやけているのを知らないのかもしれない。本当はものすごく悲しんでいるのかも知れない。人間、年を取ると、顔の表情を意識して作り始める。 そして人と話すとき、人工的な表情をぶつけ合いながら、感情戦争を行っているのだ。
2004年06月26日
コメント(0)
うどんは3種類あると思うのだが、わたしは、うどんの専門家ではないから、もし詳しい人がいたら教えてもらいたい。わたしの言う3種類というのは、腰がの強く断固主張する讃岐うどん、どこか物憂げな江戸前のうどん、そして気品のある稲庭うどんである。 昔、高円寺のガード下にこの世のものとも思えない、すばらしくうまい讃岐うどんの店があった。10人も入ればいっぱいになってしまう店だった。主人は寡黙な人で、ただひたすらうどんを打ち、それを茹で、そして冷水でじゃばじゃば、しごき、さっとざるに盛って客に出すのであった。たしかその当時のラーメンぐらいの値段だったような気がする。薬味とウズラの卵をつゆの中に入れて食べるのだが、いつ食べてもこんなにうまいものがあるのかと思えるうどんだった。 そのうどん屋が突然消えてた。ふつうなら、おろしたシャッターに移転先の住所や、店を閉めたことわり書きなどがしてあるものだ。その店の主人と同じ、全く寡黙に店が消えてしまった。そして、しばらくしてあの讃岐うどんが食べたくて、四国に渡った。観光案内書を片手に、高松、高知、松山と、讃岐うどんを食べ続けたが、あの高円寺の讃岐うどんに巡り会えることはなかった。きっと高円寺の讃岐うどんについての思いこみが激しかったのだろう。その後高円寺の讃岐うどんをもう一度食べる機会があったのなら、きっと四国で食べたものと同じだった事がわかったに違いない。 江戸前のしまりのないうどんは、好きである。なんとなく構えないで安心して食べることができる。特に鍋焼きうどんはこのしまりのない江戸前のうどんで、しっかりと醤油の色になった汁であることが必要である。 いま一番食べたいうどんは稲庭うどんだ。乾麺は手が込んでいて、太陽の大切なエネルギーがじっくりと貯蔵されているような気がする。稲庭うどんがたべたいな。
2004年06月25日
コメント(0)
毎日暑い日が続く。暑さはペンギン並に苦手だ。寒い方がまだましだ。眠れない夜がつづく。毎年、この暑さで風邪を引く。咳が結核患者のようにとまらなくなる。東京の暑さは人工的な機械から出る砂塵のような暑さだ。昔の東京は絶対にこんなじゃなかった。金魚屋売りの荷車で一緒に売られている風鈴の音がとても涼しげだったし、アイスキャンデー屋で1本5円のアイスキャンデーを買うとそれだけで、夏っていいなと思えた。今の東京では風鈴の音さえ騒音に聞こえるし、350円もするアイスクリームを食べてもその後不快な汗が湧き出るだけだ。 夏の夕立、夕立の後にでる虹。この季節の自然に生きることに価値を感じたものだ。国会は国体開催した地方が次の国体まで引き受ければいいのだ。経済は、やはり大阪でしょう。日本の文化の中心は京都がいいと思う。東京をもう少し江戸に戻して、はっつあん・クマさんのガキが行水を浴びてる町に戻してもらいたい。
2004年06月24日
コメント(0)
一昨日の「明日につづく」を書くことにした。この優柔不断な態度が、私の人生をすばらしいものにしているのは間違いない。 ところで、一昨日何を書いたのか、定かではないが、間違いなく酒の話だ。男は同じ活動をもち、かつわりと「そうだよね」と言える相手と酒を飲み大いに盛り上がるのだが、すっかり年を取っちゃうと以外にそれが次の日辛いのだ。30分では終わらないし、ウーロンハイ一杯というわけにもいかないのだ。 それで、以前もたびたび経験したことではあるが、最近それがしっくりいくようになってきたので、この場を借りて発表することにした。以前は新宿の「思い出横町」を使っていたのだが、内規があやふやだったので中途半端な、癒しの時間だった。それにあそこはちょっと割高だ。 ここに「20分の会」をつくり、厳格かつ厳密なる内規のもとに活動することにした。そこで、会長をわたしことyonachとし、世界中から会員を募ることにした。しかし初回の会員数は数に限りがあるために早めに申し込まないと、受付終了となってしまうかもしれないよ。 2万ページに及ぶ内規はもちろんここに掲載するわけにいかないので、その中でも最も重要な事柄だけをここに掲載する。 その1 のれんをくぐって帰るまでの時間は20分以内 とする。(これは最も大事な規則であり、厳格 に守らなければならない。) その1 1000円以内とする。ただし、特別に豊かな 日は1350円まで使って良いこととするが、 そんな日がしょっちゅうある人はこの会には 入れない。 その1 コップ一杯以上を頼んではいけない。すなわち 「おかわり」「次はなに飲もうかな」は禁句で ある。バケツをコップと認めるかは、形而上学 からしっかり論証していくことが必要であるので 3日から3000年ぐらいの時間が必要である。 その1 一人でいかねばばならない。 その1 自分と同じように、よれよれの人生を送って いる人が一人で静かに飲みにきている店で、 一人で静かに飲まなければいけない。そんな 店しらないという人は、そのような店を探し 当てることが、会に入るための修行である。 その1 会員は決して集ってはいけない。ましてや 会長を知ろうとしてはいけない。会長をふくめ 会員同士が集う約束をしてはいけない。 その1 会長をふくめ会員同士が連絡を取り合っては いけない。 それでは、会員にどうやったらなれるのか!!! ☆ ← 黄昏時の西の空から東の空にむかって静かに 目を移し、最初に見えた☆に「会員にしてちょうだ いね」とつぶやくのである。大きな声が言うと、バ カだと思われるが、隣にいたおじさんが、あなたも ですか と声を掛けてくるかもしれない。そのとき は、内規に違反し会員になれなくなるので、逃げる こと。☆が「いいわ」と言ってくれたと思ったら あなたは、世界のクラブでも最も伝統と格式と気品 のある「20分の会」の入会が認められたことにな る。
2004年06月23日
コメント(0)
昨日「明日に続く」と書いたが、続かない。日記に明日に続くはないだろう。と、かってに自分に自分が言う。 今日は、ものすごく疲れることがあった。先週の木曜日に依頼した仕事ができてこない。どんなにトラブルが起きても20分あれば終わる仕事である。先週の木曜日に終了したとの連絡を受けたのでそのつもりでいた。ところが、今日の電話で終了してなっかたといわれた、中堅どころの有名企業である。社員はみんなエリートにみえる。老いぼれの私とは、えらい違いだ。「どうして、もっと早く知らせてくれなかったの」。『エリートの僕チン、お電話したんだけれど、つながらなかったの』「それじゃ、メールしてくれればいいでしょ」『だって、エリートの僕チンメールってしらないだもん』。 【じゃかしー、今の時代メールをしらないんだと。おめー昨日のニュース聞いてないか。不法投棄したパソコン使って烏がメールで仲間呼び寄せて困ってるって言うじゃねえか。ええっ烏だぞ。おめーおとといのニュースを知らねーか。 母ちゃんの腹から生まれたばかしの赤ん坊ーが、オギャーと泣きながら、パソコン使って、上海で仕事してる父ちゃんに・・僕生まれたよって、メール出したっていうじゃあねえか。ええこの、ぼんくらのエリート野郎、メールできないで俺の3倍も給料とるな】とは言わなかったが、以外なところで、以外な人間が、目くそ鼻くそのメールもできないなんてビックリした。
2004年06月22日
コメント(0)
「明日の滅法くだらない話」をちょっとだけ書いてみよう。男と女の社会性の違いを先にこれもちょっと書いたが、男の社会性はそれぞれが納得のいく共通の目的対象がないと、明確に出現してこないのだと思う。 またまた、ちょっと(今日はちょっとが多い)酒の話になる。仕事帰りに、仕事仲間と酒を飲みに行く。これは当然共通の目的対象があるから、社会性ある行為になる。ところが社会性ある行為は1時間では終わらない。ちょっと30分だけなどと、最初からあり得ないと思いながら、「じゃあ30分だけね」などと言って、社会性ある行為のなかにどっと塩漬けになる。そのときは、人生前向き・自分は正義・俺もお前も偉い、などとすこぶる機嫌がいいのだが、やはり次の朝地獄を見ることが多い。年を取ると必ず、三途の川を深みに向かって渡ることになる。 それじゃどうしたらいいのということになる。 疲労も一杯、嫌なことも一杯、しゃくに障ることも一杯、やり残した仕事も一杯、おまけにローンも一杯、少しなのは給料だけ。 酒でも飲まなきゃやってられない。 明日に続く
2004年06月21日
コメント(0)
またまた酒の話。酒を飲んで話をするのはいいけれど、楽しかった思うよりも、むなしさが残ることが多いような気がする。酒を飲んで話をすると、話が大きくなる。それはそれでいいのだけれど、計画性も予定もなく、変に高揚して、どんとその後、むなしくなる。人との交流は酒を飲んだからといって、うまくいくものでもない。ヤーヤー久しぶりだから会おうということになると、やはり酒を飲むことになる。 これが酒を飲まないと一体どんなことになるのだろう。酒を飲まないでも会う友人がいるが、それは共通の話題があるし、賛成も反対もほぼ一緒だし、仕事が丸きり違うのでそれなりに話題がおもしろい。 それは例外で、やはり人と会うということになると酒を飲むことが暗黙の了解になる。この間、地方から出てきた友人と昼間会うことになった。夜はそれぞれ用事あるので酒を飲めない。喫茶店で会ったが近況を話すとそれで終了。酒を飲めないとダメだなということになって早々と解散した。人との交流というの結局、何かの共通の仕事を持っていることが必要なのだ。仕事と言ったって、銭儲けだけじゃなくて、趣味やボランティアが必要なのだと思う。単に会うと言うのは、それじゃまた来年だねといって、お互いの生存を確認しあうだけのものになってします。
2004年06月20日
コメント(0)
体調がきわめて悪いのに、600円もする栄養剤をのんで、朝から出かける。夜は、酒宴になる。酒を飲まずに帰ればいいのに、しらばく振りの顔ぶれなので、ついつい付き合う。最初はきつかったが、酒が進むと気になあらなくなる。相当飲んで帰宅。朝まで地獄だった。苦しいのなんのって。まだ頭が痛く、気持ちが悪い。困ったもんだ。いい年をして。
2004年06月19日
コメント(0)
今日は、「明日の滅法くだらない話」はしないことになった。なぜなら、病になったのだ。病になったので、この話は先送りの未定になった。昨夜、ノドが痛くなった。半端じゃない痛さなので、夜何回もうがいをした。2時間に一度目が覚めてうがいをする状態だった。5時に起きて、いつも通り仕事に行く。ノドが痛いし、頭ふらふら状態で忍耐力もないから、難儀な一日だった。帰り医者によって大量の薬をもらった。何しろ明日も朝から用事があり、家にたどり着くのは夜になる。給料はますます減るし、ローンは富士山のようにそびえ立っている。あの山のてっぺんに登れるのはいつの日のことでしょうか。まるでカフカの城だな。
2004年06月18日
コメント(0)
休日に午前中に公園に行くと、親子連れがいる。父親と幼児の場合、奥さんが家の片づけをしている間、家を追い出されているのだろう。母親と幼児の場合、日差しの強くない午前中に子供を遊ばせているのだ。 さて、父親組が何組かいた場合の父親を観察してみると、決して交流することがない。ブランコで遊ばせている親子がいるかと思うと、滑り台で遊ばせている親子がいる。ブランコ組がブランコから離れると、滑り台組がブランコに近づきはじめる。 それに反して、母親組の母親同士はすぐに交流をはじめるブランコ組が滑り台組に近づいていって、なにやら話し始める。 社会性ということを考えると、どうも女のほうがありそうだ。女は協調しながら生き延びていくし、男は敵対しながら生き延びていくのかもしれないなと思う。「走れメロス」は男のロマンであって、実体ではない。もちろんこの話は、ギリシャ時代の物語を太宰風に書き直したものらしいけれど。 さて、さて明日の滅法くだらない話は、この事が伏線になる。でわ。
2004年06月17日
コメント(0)
さて、上野広小路口で歩道橋を降りると、西郷さんの銅像の方に向かって歩いた。西郷さんの銅像の階段を上りきったところで、「いけねー 西郷さんの銅像見るの忘れちゃった。」と思ったが、そんな事はどうでもよかった。木立の中を歩く。空気が新鮮で、気持ちのいいそよ風が吹いている。東京がこんなに息苦しい町になってしまったのは、人が多すぎて圧倒的に木々が少なくなってしまったからだと実感した。 しばらく歩くと、不忍池の方に階段を下りた。不忍池の縁を歩きながら、本郷の方に足を向けた。野外公会堂のところで、通りに出て、信号を渡り、さらに本郷の方に向かった。 すると、通りに面して、横山大観記念館と書かれた、趣のある屋敷が現れた。デジカメで案内板を撮った。入館料一般500円。どぜうで、さんざん散財していたので、ものすごく迷ったが、入ることにした。入ってよかった。美術館で好きなのは、倉敷にある大原美術館だが、たった一軒の家だが大原美術館にいったような落ち着きが得られた。大観先生が86歳の時に建てられた家だ。大したものだ。細部に渡って心遣いがはらわれている。ちょとやそっとでは素人に真似ができない。こんな家にすめたらさぞ気持ちがいいだろうと思う。落ち着きのある家、ほっとできる部屋とは、畳と柱と縁側の調和なのだと感じた。「大観のことば」という小冊子を購入した。帰りの電車のなかで読んだ。面白いかったので電車に乗っている時間があっという間に過ぎた。とくに「夏目漱石のこと」の一文が面白かった。漱石先生が突然家に訪ねてきたのだが、書生が追い返してしまった経緯が書かれている。 さて大観記念館を後にして、その先を左に曲がるともう本郷だ、三四郎池の脇を通り、地下鉄の本郷三丁目の駅に出る。2時間30分の散歩だった。 完
2004年06月16日
コメント(0)
というわけで、国際通りを浅草通りを目ざしふらふらと歩き始めたのであった。すると、右側に焼きそば屋が出現した。 ななななんと、もしかして福ふく饅頭ではないかと思わず、看板を見てしまった。やはり違っていた。昔、神田の淡路町に福福饅頭という店があった。甘味屋だが、店先で焼きそばを作っていた。はっきり言おう。ここの肉まんとあんまんは日本一、いやアジア一、いや世界一、いや宇宙一うまかった。おぐらアイスだって天下一品だった。ところがバブルの時に突然なくなり、そこいら一帯の家もなくなりそしてその後にビルが建ち、銀行になった。あのバブル経済によって為された、20世紀の歴史上まれにみる愚行であった。 いつか、ここで焼きそば食べようと心に誓い先に進んだ。 浅草通りを右に曲がり上野を目指した、途中懐かしい駄菓子を売っている店があった。デジカメで貴重な写真を撮る。 さらに歩くと、あっという間に上野である。道路を横切ろうかそれとも歩道橋を登ろうか迷ったが、歩道橋に登って、不忍池の方向を確認しようと決意した。この決意と決断は正しかった。世界ひろしといえど、こんな大きな歩道橋はない。歩道橋の上で、飛行機の離発着ができる広さである。広さに感動しながら、上野駅の広小路口の方に歩道橋を降りた。 一つ書き忘れたことがある。浅草通りの途中、田原町という仏壇屋さんが多い場所を通ったが、私は以前、このあたりのビルのビル掃除をしていたことがある。寿産業という掃除会社から派遣されて掃除をしていたのだった。寿産業には自衛隊を辞めた人や、旅芸人の女形だった人がいて結構たのしかった。今でも寿産業はあるのかな。 明日に続く!! ちゃんちゃん
2004年06月15日
コメント(0)
今日は浅草に行ってやろうと突然思い立つ。最近突然思い立っても、やっぱりやめて家にいよう、と思うことが多くなってきた。それで、こんな事ではいけない、これはぼけの進行をくい止めるためのリハビリなのだと、自分に言い聞かせ、四ッ谷の駅をでる。ちなみに散歩の出発点を四ッ谷とか市ヶ谷の駅に設定することが多い。新宿や渋谷のように、過激に混雑している場所だと、散歩のしみじみとした情緒が最初から消え失せてしまう。その点四ッ谷や市ヶ谷はすいているし、JRを中心として地下鉄各線が交差していて便利なのだ。 11時四ッ谷を出て、JRで神田に向かう。JRの中で作戦をねる。意外なことを発見した。浅草から上野まで歩いたことがない。これは東京の散歩人としては、大変な不覚である。そこで散歩の全貌が脳裏の内に明らかになってきた。浅草から上野にでて、本郷まで歩こう。本郷というのはそこまでが江戸だからだ。ゆうくり歩いて1時間の行程だと思った。散歩人としては、ちょっと物足りないが、物足りなければお茶の水まで歩けばいいのだ。 神田から地下鉄で浅草に出る。あっという間だ。雷門を右手に見ながら国際通りをめざす。腹が減ってきた。昼をとうに過ぎている。せっかく浅草にいるのだから、どぜうを食べてやろうと思い、国際通り上野とは逆に歩き始める。目的通りには歩けないのが散歩の面白いところだ。この基本を忠実に守りながら散歩をするためには、散歩は一人ですることが望ましい。さて東京のどぜうの老舗といえば、深川のたかばしのどぜうと駒形橋のどせうとかっぱ橋のどぜうがありますが、たかばしのどぜうはとてもおいしいのですが、一人で食べるとちょっと淋しい気がします。その点かっぱ橋のどぜうは一人で食べても大丈夫。なかなか風情があります。駒形橋のどぜうももちろんおいしい、十代の終わり頃から一人でいっているので相当な付き合いになります。 さてかっぱ橋で丸鍋とどじょう汁とご飯を美味しく食べて1950円。おっと680円を遙かに超えてしまいました。まっいいか。 国際通りに戻り、道を戻り浅草通りを目指します。続きは明日。
2004年06月14日
コメント(0)
日曜日、趣味の散歩で充実した日を送ったのでした。夜8時さて日記を書こうと意気揚々とコンピュータに向かったところで、お友達から電話。1年ぶりで会おうと。1年ぶりだから仕方ないかと思い、1時間だけねと出かけたら、次の日になってしまいました。今日5時に起きて仕事に行くので寝ます。でもいい散歩だった。また書きましょう。といってもこの日記をみているのは、サーバーのコンピュータが自動でチェックをしているだけだと、1日書かないことでわかりました。ちょっとだけむなしい。まあそんなものでしょう。
2004年06月13日
コメント(0)
酒が好きかと問われれば、ほどほどにと答えるの一番いいのかもしれない。酒を毎日飲まなければいられないというほどではない。それでは飲みたくならないのかというと、飲みたくなるときもある。どのくらい飲むかといえばこれも様々で、缶ビール1本を飲むのがやっとということもあれば、二人でウイスキーを3本飲み干して、死ぬ思いをしたこともある。 酒を飲んで後悔したことは一山あるが、良かったこともままある。昔からの知り合いと会うと、その話題のなかに酒がからんでくる。酒は人と人をつなぐ潤滑油の役割をしているのだろう。それでは一人で飲む酒はといえば、酒を飲まずにはいられないという訳じゃない、私にとっては自分と自分とをつなぐ通路になっているような気がする。自分一人で飲む酒で大酒を飲むほど度胸がないので、30分ほどで赤提灯の止まり木から羽ばたくことになる。しかしその30分はほっとできる時間だ。話しかけることも、かけられることもなく自分の洞窟の中にオアシスを見つけに行く時間になる。どんな店に行くか。この日記が100回も続けば書いてみようかな。
2004年06月12日
コメント(0)
今日は朝から雨が降っていたので、電車に乗って仕事に出た。途中電車は公園の縁を走るのだが、公園のある箇所に紫陽花が、点々と吹き出物のように咲いていて、とても嫌なものを見てしまったような感じになった。きっと私の体調の問題もあるのだろうと思う。ここ2週間ぐらいとても忙しく、いろいろなことが上手く回転していかない。時の流れの中には上手く行くときと行かないときがある。一流のスポーツ選手でも1年のサイクルでは乱調に喘ぐときがある。しかしやがては復調してくる。 しかし、この世にはもっと多くの仕掛けが組み込まれている。動乱のさなかに生まれ、悲惨の極みを歩みながら紛争に巻き込まれて亡くなっていく子供たちがいる。人生には波がありますなどと気楽なことは言っていられない。くだらない運命論に浸っていたり、カルト的あるいはセクト的な妄想の教訓を吹聴する、疲れる輩のいいなりになっているわけにもいかない。生活していくためには、八十になっても九十になっても、定食屋で550円の焼き魚定食を食いながら一人で戦っていかなければならない。 私は、コーヒーが苦手だ。コーヒーを飲むと、やたらにイライラしてくる。おまけに、寝付けなくなる。 しかし半世紀以上を生きてきて、最近やっとコーヒーが飲めるようになってきた。仕事帰りのスーパーで、泡立ちコーヒー一杯百円コーナーがあって、なかなかうまいじゃないかと思えるようになってきた。この間コーヒー専門店に入って180円も払ってコーヒーを飲んだが、コーヒーは値段じゃない、通は100円の泡立てコーヒーを飲むものだとすばらしい発見をした。ただし、どういう訳か砂糖とミルクを入れて飲むと、前と同じようにイライラがでてくる。普通のおじさんのように、砂糖とミルクを入れて飲みたいと思うのだがそのためにはもう少し修行が必要のようだ。
2004年06月11日
コメント(0)
本日で日記を書き始めて四日目になる。これで三日坊主のみっちゃんの汚名返上となる。なるのかな? 四日や七日や十日は三日坊主の内だろう。と、中里介山氏あたりにどなられそうである。 さて本日のお題「グルメNO1」とは「グルメNO2」を想定してつけた題である。 世界で最も無名なわたくしが、世界六〇億人の頂点に立つとしたら、それはグルメという一点においてのみである。それは世界六〇億人の誰もが認めることである。 だいぶ興奮してきたが、それは毎朝5時に起きて、大枚9000円をはたいて手に入れたママチャリで40分~1時間もかけて仕事にいき、さらに雨の日も、雪の日も、夏の灼熱の太陽にもめげず、三日間の間日記を書き続けたからだ。 人生、四捨五入すると100年近く生き続けてきた人間のすることではない。仕事で鉋を持っている人間が、キーボードを指一本で打つなどとんでもないことだ。 だいぶ興奮が治まってきたので、本日の題を極めてみたい。世にグルメ面をしている御仁は多い。テレビグルメ、雑誌グルメ、ラジオグルメ、最近ではインターネットグルメと称されている人々だ。どこの何とかという料理はどうのこうのと、うるさい限りだ。 四捨五入して100年近く生きてきて、世界中のうまいものを食い尽くしてきた、究極のグルメ人が出した究極の料理を発表することにする。 それは「お茶漬け」だ。ただのお茶漬けではない、冷やご飯に大根の葉っぱの漬け物をたっぷりのせ、醤油を少しかけ、熱いほうじ茶をざざざと掛けふーふーいいながら無の境地になって食べる茶漬けほどうまいものはない。 ここだけの秘密だが、本当は冷や飯より、炊きたての熱いご飯に熱い茶を掛けて食べた方がうまいのだが、それをやると周りから、ひんしゅくをかうことになる。場合によっては町会長が怒鳴り込んでくるかもしれない。よほど注意してやらなければならない。もう一つ秘密を伝授すると、実は大根の葉っぱの漬け物に加えて、名古屋の時雨のはまぐりをのせると、竜宮城で出される料理もかくあらんと思われる美味になる。しかしこれはとてつもなく高価なものなので、一年のうちでもクリスマスぐらいしか食べることはできないのである。 さて、最初に結論を書いてしまったので、「グルメNO2」が書けないのではないかと気をもんでいる人も多いと思うのだが、実は書ける。それは、究極のグルメが紹介するこの世のものとも思えないほど美味なる料理をだすレストランの紹介についてだ。 世界中の高級なレストランを渡り歩いてきた、究極のグルメの私が出した理論と法則を明らかにしよう。税込みで680円以上の料理にうまいものない。 ただしこれには例外がある。720円だったりするのだ。究極の理論とはこのぐらいの誤差はあるものだと、たしかギリシャの哲学者が言っていたような気がする。言ってないかな。
2004年06月10日
コメント(0)
梅雨はうっとうしいとか、じめじめしているとかの言葉を引きずってくる。でも梅雨はすがすがしい。空気も柔らかく、しとしと降る雨は気持ちを落ち着かせてくれる。今日も曇り空で、夕方から雨がぱらついてきた。とても暑がりなので、屋内は蒸し暑かったが、外は気落ちのよい気温だった。 家から仕事場までは、自転車で行く。40分ほどの道のりだ。電車を乗り継いで行くこともできるのだが、1時間近くかかってしまう。混雑していて座席に腰掛ける事はできない。その点自転車はいつも座席指定で座れないことはない。ただし雨に弱い。霧雨ぐらいなら傘を差していく事もがあるが、座れる代わりに腕が痛くなる。雨合羽を着ていくこともあるが、この時期の雨合羽は蒸し暑くて好まない。何年もこのようにして仕事に通っているが、最近は朝からしっかり雨が降っていると電車で通うようになった。以前は都心に向かって電車に乗ったが、都心から離れるように電車に乗っても、たいして時間が変わらずに仕事場に着くことがわかったからだ。 自転車で通う途中に踏切がある。朝、家を出るちょっとした時間のタイミングで、閉ざされた踏切の前で、ぼーっとした時間を過ごさなければならなくなる。ぼーっとすることは得意なのだけれど、朝の忙しい時に得意技はあまりやりたくない。電車が通り過ぎいていくとき、回りに人がいないと、幼児のように手を振ってみようかなどと馬鹿なことを考える。しかしそんなことを毎日やると、危ない親父として警察にマークされてしまうかもしれないなどと理性を働かせ、一度もその危険な行為は行っていない。 踏切の回りの柵に沿って紫陽花が見事に咲いている。今年の梅雨は雨がたっぷり降っているせいか、青がとっても鮮やかだ。紫陽花の花を見ていると、やはり梅雨時はいいなとつくづく思ってしまう。そしてこの時期だけは、踏切がいつまでも開かなくてもちっとも苦にならない。
2004年06月09日
コメント(0)
私には、力というものがない。無いといっても、ものを持ち上げる力は多少ある。30kgぐらいのものであれば持ち上がるだろう。しかし数年前にぎっくり腰をひどくやってしまってからは、できるだけ重いものを持ち上げないようにしている。年に数回は危険だと感じる事態に遭遇する。腰に爆弾を抱えながらも、いざとなれば30kgぐらいのものは持ち上げるのである。次に財力である。これはローンという負の財力なら威張るほどあるのだが、まともな財力などまるでない。しかし三度のご飯が食べられているのであるから、これをもってして財力がないと言っていいのかどうかわからない。世界では多くの人が飢えで苦しんでいる現状を鑑みれば、三度のご飯が得られているのは、何かの財力の恩恵に浴しているのである。 さて、年を取って最近もの覚えがわるくなった、という話はよく耳にする。私も充分に年を取ったから記憶力がわるくなって当然なのだが、これがちっともわるくならない。なぜか。もともと記憶力がないからである。どう考えても今まで記憶力という力を持った記憶がない。もし多少でも持つ機会があったならこのような惨めな年の取り方はしなかったであろう。 元々なかったわけではない、多少とも言葉が解るのだから5歳ぐらいまではあったのだと思う。学校に入り勉強は悲惨を極めた。右の耳から左の耳にそのまま抜けていくどころか、知識のほうが入っても意味が無いということで、両耳をさけていく。 さてジャンジャック・ルソーが「告白」のなかで自分は記憶力がないので、歌詞を一つも覚えることができなかったと書いてあるのを読んで、記憶力がなくても、これだけの思索ができて、これだけの書物が書けるのかと感心したことがある。 日本語は記憶力がない人には辛い言語だと思う。漢字とひらがなの組み合わせで文書をつづるのは、ある程度の記憶力が必要だ。ワープロが無ければ、私の文章はほとんど、ひらがなになってします。言葉の音と漢字に連携がない。それぞれを記憶しなければならない。 記憶力が無くても、知識欲や好奇心はある。これはやっかいなことだ。一昨々年、何か勉強しようと思って船の免許取得に乗り出した。一級小型船舶の免許で20t未満の船である条件のもとで世界中どこへでもいけるというので、おもしろいと思った。講習会の金を払って、手元に届いた分厚い教本をみて愕然とした。記憶する箱のない私には無理だと思った。試験の数日前から、平たい盆の上に知識というピンポン球を崩れ落ちないように積み重ねた。そろりそろり試験会場まで行き、解答欄の穴にピンポン球を埋めていった。 試験が終わった後、残りのピンポン球は見事に崩れ落ち、私の脳裏から去っていった。 これまで何回か船をレンタルして一人で海に出た。海と言っても八景島の先のあたりである。船のなかでゴロンと横たわり青い空を見ていると、世の中のしがらみから解放されて大自然に包まれ、ゆったりと時間が過ぎていく。悩み事は一山あるし、それも続いていくのだろうけれど、生きるということの大切さを自分に感じさせてくれる場所に自身をおいてみると別の扉が一つ見つかったような気がした。
2004年06月08日
コメント(0)
趣味について聞かれることがある。以前は読書やパソコンなどと、趣味といえるほどの事ではないのだけれど、当たり障りのないことを言ってきた。今は、散歩と答えることにしている。これも趣味といえるかどうかはなはだ怪しいが、散歩が趣味といっても、当たり障りのない年齢になった。 若いころは一人旅が好きだった。小田実氏の「何でも見てやろう」にあこがれた時代である。生活環境が変わり、一人旅をしなくなった。そして7年前に発見をした。「そうだ散歩という手がある」。東京の観光案内の本を一冊購入した。目次を見ては行くところを決める。それ以外にもテレビで紹介されたところや、昔、仕事で関わったところ、史跡をたずねてや、おもしろそうな図書館などなど。散歩のきっかけはつきない。 散歩をした時に、ちょっと日記でも書いてみようかと思う。 でも当てにならない、いつまでも大人になれないのは、三日坊主という代名詞がはずれないからだ。大人になれないまま老人になるというのは、やはり怖い。怖いことから早く脱出したいな。
2004年06月07日
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1


![]()