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なんかいつも「Fixing A Hole」さんから書くことのインスピレーションを受けているような気もしているんだが(実際おもしろいわけで)、いくつかの書きたいこととの重なりもあって、今回も紹介させていただく。ここの執筆者の一人が、数日前、ある男性から「女の気持ちが分かる小説は何?」と尋ねられたという話をきっかけに、例によってメールが飛び交いました。(⇒全文)こういう風に始められたら、やはり多少読まされてしまう。俺の場合、いくつかの点で、特別な興味を持った。まず、冒頭の文に続いて、こういう律義な質問に対する批判の類は省略して、と書かれている。どんな批判が飛び交ったのか、そこに興味を持つんだが、(ヘテロセクシャルの)男としては、当の男性の気持ちも多少わかりつつ、なんでそんなこと聞くかな、とも思うような、アンビバレントな気持ちを持つわけで。その気持ちがどこから来るのか、ちょっとわからず、過去を振り返るのだが、それでもよくわからない。こういう想定はもしかしてジェンダーバイアスを助長するものなのかと思いつつも、しかしそこにはある特定の女性も想定されているわけで、そういう感覚は応援したくもある。う~ん。女性一般と特定女性との<あいだ>の問題なのだろうか。まあ、そんなことを考えていた。■昨日、DAIのCDを買いに行ったついでに、阿部和重『無情の世界』を買って読んでいる。『無情の世界』の一編目に収められている「トライアングルズ」を読んだときに、「Fixing A Hole」さんの例の記事が思い出された。というか、「女性の気持ちがわかる小説」という言い方が、どうにも遠回りな感じを覚えさせるような気がしていたんだと気付いた。何というか、阿部和重の小説から感じられる感覚というのは、何とも遠回りであって、しかしそれが異常なまでのアクチュアリティを感じさせているように思うんだが、それがまさに先の問いに関連しているように感じられた。そして付け加えておけば、いくつか読んだ範囲から言えば、阿部和重の小説には、致命的なまでの勘違いをしている人物が必ず登場する(いや、実は彼らは「勘違い」などしていないのかもしれないが。阿部和重論はすべて読み終えてからにしよう)。だから、先の記事の問いに対する反応は、応援したくも、「それは違うぞ」といいたくもなるものになるんだろう。■いまひとつ。実は妻が以前(結婚する前)に、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を評して、「こんなに女性の心をわかっている作家はいない」と言ったことがある。その時の気持ちをなんとなく覚えているからこそ、例の問いに引っ掛かった。まあ、読んでみるかと考えて読んだが、結局それで女性の気持ちがわかったかといえば、なかなか首肯しがたい。(今回の「Fixing A Hole」さんのハウスルールでは「中短編に限る」ということでこれは入ってこないが、長編が入ったらどうだったのだろう?)■今思えば、女性の気持ちを女性に聞いちゃいけないんじゃないかって気がしている。そこが、「致命的な勘違い」な気がしている。そして、何となく、そういう「勘違い」が阿部和重の小説の魅力なんじゃないかって気がしている。だから、一応、久しぶりに穴を掘って叫んでみる。違うぞー、それは違うぞー。なんだかアクチュアリティを感じるぞー。
2005.09.30
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大阪高裁の小泉首相の靖国参拝に関する違憲判断について、俺は理由がちょっと物足りない気がしている。もっと踏み込めるはずなのに、踏み込まない判断で違憲判決を出してしまったところが、とても臭い。臭う。死臭がする。■大阪高裁の違憲判断に対して「理解に苦しむ」と小泉は述べるのだが、この発言はもちろん、国内のある組織に対するメッセージを含んだ政治的パフォーマンスの発言だ。■俺がちょっと勘繰ってんのは「出来レース」じゃないかってことである。杞憂に終わることを祈るが、もし万が一そうだとしたら、こりゃ「法死国家」だ。■これは元首相の周辺者が語ったことだから間違いないと思うんだが、小泉は個人として全く「靖国」への信仰心など持っていない。自民党総裁選において、「靖国」関連の支持を取り付けたから、それに対する仁義として、「終戦記念日の靖国参拝」を公約しただけだ。しかし(しかも?)、それをドサクサに紛れて破った。前にも書いたが、あのおかしな「解散」は、「郵政」もあったが、それよりも外圧と内圧の板ばさみにあっている小泉にとっては、「参拝」問題を先延ばしする理由になったわけだ。■そして、今回の判決も、裏で仕組まれてたんじゃないかと。このように考えると、俺にはなんとなくすっきりする。■問題構造に踏み込めば、全く別の論理構成において「違憲」だと思われるのだが、あの曖昧な位置での違憲判断に留め、当の首相は「理解に苦しむ」と形式上のパフォーマンスを行う。そして内心は、「参拝」しない口実にもなる「判断」を喜んでいる。■さらに、そうして振り返ってみると、最近、その辺のパフォーマンスのニュースが相次いでリリースされているのが気になる。「小泉は参拝する気満々だ」というのが多い(参照)。新聞とは、公的権力者による「放送」なのである。紙面を実際に作っているのは編集部ではなくて整理部である。まさに警察発表や官邸情報など公的情報を「整理する」だけである(参照)わけで、もしかしてこうしたニュースが特に取り上げられるように仕組まれてはいなかっただろうか。■そうして考えると、今の日本は、二つの点で大不幸だ。・「国民」ではなく、「アメリカ」と「中国」が政治の判断基準になっていること。・日本の統治機関の一つとしての司法府が死んでいるということ(行政府と共犯関係にある)。だとすれば、人権派はこの判決を喜べないはずだ。■左右両翼からの政治不信が広がれば、「二・二六」の二の舞が起こるかもしれない。■まあ、今日はちょっと想像力を膨らませてみたんだが、これが杞憂に終わればいいなと本気で思っている。ちゃんと司法の独立が保たれている国家であることを願いたい(過去の司法の歴史からすれば、ちょっと信じがたいけど)。とにかく、これだけはいえる。国民の声を、行政にも司法にも立法にも、もっと響かせないといけない。(今の国民は、政府からの言葉に応答しているだけに見えるんだよな。)
2005.09.30
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改憲に賛成する人たちが長い文章を読めないのは知っている。なるったけ易しく書くつもりだが、長くなるのは許してくり。■まずは問題意識から何が自分の生活に降りかかってくるかを、国民がしっかり認識し、そのうえでよく議論し、判断するのであれば問題ない。しかしながら、政府は国民を騙しにかかっていて、しかも、国民投票法案では、民主主義を根本的に支える価値を持つ「言論の自由」まで萎縮させようとしているのを見ると、ちょっと不安になる。まず、なんで改憲するべきなのか、ちぃと考えてください。憲法が現状にあっていないから?それで何が現に困っていますか?もしかしたら、その判断で現に困ることが起こってくるかもしれませんぜ。■改憲論の狙い改憲に関して、国民的にしっかりと議論しないといけないのは、つぎの2点です。現状は9条2項の改憲が問題になっているわけですが、自民党が改憲したい理由ははっきりしている。・集団的自衛権を可能にしたい。・自衛隊を軍隊と明記したい。党是かどうかなんかは関係ないんです。だって、やろうと思えば国会で2/3確保してた時代があったんだから。でもやらなかった。でも、今はやりたい(理由は後で書きます)。■まず用語を押さえましょう。「集団的自衛権」今まで(自民党)政府は、個別的自衛権は国際法上持っているが、憲法9条により、集団的自衛権は持っていないと述べてきました。個別的自衛権は、「日本が攻められたときには武力行使をします」というもので、とりあえず、政府もここまでは認めてきた。では、集団的自衛権とは何かというと、同盟関係を前提として、同盟国が攻められた場合でも、自衛権を発動できるというものです。もちろん、「日米安保」と「国連」が想定されている。つまり(日米安保で言えば)、アメリカが攻められたら助ける、ということです。■ここまで大丈夫でしょうか?大したことないじゃん、って思ってますね?■さて、ここからです。集団的自衛権からいきます。もしこれが日米安保において認められると、米軍は世界中に駐留しているわけですから、なんらかの紛争があったときにアメリカの海兵隊を守らないとならない場合が生じる。これは明らかですね。今、自衛隊はイラクへ行っている。現状は、“平和復興活動”を行っているわけですが、集団的自衛権を認めれば、アメリカ軍は“戦闘地域”へ果敢に繰り出すわけですから、それを守らねばならない可能性が出てくる(これが杞憂でないことは後ほど)。まあ、こういう状況になるわけです。もちろん、集団的自衛権の行使を「極東」に限るというソフトランディングな意見も出ている。しかし、ちょっと考えてください。「解釈改憲」でもここまで進んだわけです(これ以上無理というところまで来てますが)。集団的自衛権を認めると、解釈の方向性は一気に広がります。■もっと考えないといけないのは軍隊化自衛隊は軍隊です。これは俺も認める。しかし、それを明文化するのとしないのでは、天と地ほどの開きがある。どういうことかと言えば、ドイツ化することに他ならないわけです。ドイツでは先の大戦後、日本と同様に侵略戦争は禁止された。しかし、朝鮮戦争を機に、自衛のための軍隊として国防軍がつくられた。■国防軍と自衛隊は何が違うのか簡単な話で、国防軍は軍隊なわけだ。もっと言うと、国軍なわけだ。さらに考えれば、当然ながら、徴兵制なわけだ。憲法に軍隊だと明記することは、国軍化することであって、(憲法で存在を保障された)国軍であるなら徴兵制の可能性が存分に開かれることになるわけだ。自衛隊が問題として抱えていることの大きなものとして、隊員のリクルートがある。国軍化したら、そんな面倒なことをしなくて済むようになるんだよな。ここをまず考えるべきだ。自分たちのことなんだから。■徴兵制と集団的自衛権の組み合わせと指揮権の問題さて、集団的自衛権では必ず問題になるのが、指揮権の問題だ。例えば先のドイツは、国家的軍事計画をほとんど放棄してNATOに参加し、指揮権をゆだねている。つまり、指揮権がどのようになるかで、アメリカ軍の指揮下で戦闘作戦を実施する可能性が出てくる。もはや、アメリカのようなジャイアント・ベイビーによる気まぐれ戦闘は、メディアを通してみるものじゃなくなるかもしれない。■なぜ今なのかここを知りたいだろうと思う。簡単な話だ。アメリカに求められた。額賀防衛庁長官のときだ。日本は、アメリカに対して交渉力を持ちたい(ジャイアンの一番目の舎弟でいたい)わけで、額賀や民主党前原、外務省筋などははっきり認めている。■なぜアメリカは求めたのか朝鮮問題において、アメリカは本当なら攻め込んでしまいたかった。中国の大国化に備えて、有利な形で朝鮮半島と日本を抑えたいというのは、アメリカらしい感覚ではある。「人権が抑圧されている体制だ」といういつもの大義名分でいくらでも可能性があったわけだ。北朝鮮が核開発を急いだ理由もここにある。そのときに、アメリカが日本の外務省に、どんな支援ができるかと打診した。しかし、日本からはまともな返答が戻らなかった。それでオジャン。アメリカの思惑は簡単で、今回のイラクにしてもそうだが、アメリカが一番恐れているのは、国内世論なわけだ。だから、外交的には、イラクに絶対自衛隊は必要。国際貢献のためにやってるんだというアピールを国内に向けてしなければならないからだ。一国だけでは、世論を味方にしにくい(いくらFOXで扇動してもね)。北朝鮮も同じ理由だった。日本は拉致問題もあり、感情的に戦争を支持してくれそうな雰囲気があったから。■まだいいでしょとにかく、そういう流れで、アメリカ迎合の外交から、こうした論議になっている。俺には今急ぐ必要があるとは思えない。どのようになるのか、ならないのか、もうすこし見極めるべきだろうと思う。軽い気持ちでの投票を思いとどまってほしい。
2005.09.28
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書いてあることが難しいと言われた。話せば解ってもらえることなのだが、文章に落とすと難しく感じられるのは、文章力の貧弱さが最大の原因であることは認めるが、いまひとつ、マインドセットが大きく異なっているからだと気付いた。俺が当然に思っていることを話し、聞いた彼は、その都度驚いた。確かに俺は政治学科というところを出たわけで、もしかするとそれがマインドセット(思考の方向性のあり方くらいにしておく)において、大きく一般人と異なっているのかもしれない。とにかく、今回もまた「Fixing A Hole」さんの記事に学ぶことからはじめよう。http://jn-jn.txt-nifty.com/fixing_a_hole/2005/09/post_9d25.html#more読んでもらってわかるように、今回の政治の動向に関しては、左右両翼の論客が同様の見解を持っている。というのは、政治学的には「常識」に関する部類に属することだからだ。だが、どうも昨今の風潮は、権力を信じる傾向にある。「朝まで生テレビ」における逸話で、「10年前は右よりの席に座る人を探すのが大変だったのに、最近はリベラルの席に座る人を探すのが難しい」と田原総一郎がこぼしているというものがある。ちょっと前までは、常識として、権力が危険なことをすることは皆わかっていた。それが、なぜか現在は、権力を無条件に信じる人が増えているように思う。そして、最も怖いのは、権力にいつの間にか絡めとられてしまうことだ。ここで、ミシェル・フーコーの権力論を学ぼう・・・と言っても、実は俺はフーコーをちゃんと読んでいない(政治学科と言っといて、これじゃね)。ここでは酒井隆史『暴力の哲学』から学んだことを思い出して書く(つまり、ここにおける文責は完全に俺にある)。フーコーによる権力概念は、サッカーの試合で考えると比較的わかりやすい(と酒井は言う)。サッカーにおいて支配権を握るには、ある場所ではミッドフィルダーにプレッシャーを加え、同時にある場所ではフォワードにぴったりとマークが張り付き、またある場所ではオフサイドトラップを狙い・・・というように、全体として少しずつ相手の自由を奪うことの積み重なりが大切なはずだ。フーコーによると「権力」はこのようにしてわれわれの生活から支配権を獲得していく(と酒井は述べる)。こうした権力観をまず理解して欲しい。これは多くの実践的事例において、裏付けられる事柄である。こうしたことは、例えば日本における検閲の歴史などをみれば、簡単に理解できることなのだが、それをせずに「直感」で語る奴にはなかなかわからないかも知れない。しかし、とにかく以上の権力観は理解はできるものと思う。そうして考えたとき、「なぜ権力を無条件に信じるのだろう?」という問い自体が間違っていたことに気付いた。もうすでに、奴等はそれを疑えないように権力に絡み取られていたわけだ。まともな思考能力を失った彼らは徐々にゾンビ化している。そうして思い起こせば、独裁の前夜には、大衆がおかしくなり、それに連れマスコミが批判機能を失い、完全に「自由が死ぬ」という流れを通るのだった。このような状況では、まともな人間こそ冷静に議論できないはずだ。不熟慮に票を投げ込んだ奴は、その責任を省みぬまま、まともな人間の焦りを冷ややかに眺める。しかし、それこそが、権力の成功の証なんだろうと思う。それを考えれば、選挙での大勝なんて大したことじゃない。ああ、リビングデッドたちよ!君たちは、またしても万歳をしながらサイパンの崖から自殺していくのだろうか。
2005.09.28
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靖国問題というとき、いくつかの問題群があって、たぶんそれぞれに考える方法が適当だろうと思う。しかし結局のところ、実質的に国家宗教であった「靖国」が、現在建前上は民主主義の日本において成立するのかという問題において、大方の決着が着くとも私見では考えている。ところで、以前も軽く書いたが、高橋哲哉『靖国問題』は、アマゾンの書評において両極端に評価されていた(評価と呼べないものも数多くあったが)。そしてこれも以前軽く書いたが、批判側の見解は具体的な問題点を指摘するものは少なく、ただの罵倒や揚げ足取りに終わっているものが多い。そして今思うのだが、もしかすると、ここにこそ「靖国問題」があるのかもしれない。さて、それに絡み、小林よしのり『靖国論』をじっくりと立ち読みした。高橋の『靖国問題』を取り上げているところが非常に狭く、一応文句を言っておいた、くらいにしかなっていないのが残念だったが、それでも言わんとすることは俺なりに理解できた。つまるところ、台湾高砂族の意見的少数派を取り上げるな、多くの違う意見を持った高砂族の者がいるんだ、ということらしい。この議論の決定的な問題は、根本問題に絡むので、後に詳述する。まずは、ただの漫画家小林の見解をいくつか検討しておこう。「政教分離なんて不可能だ」これを言うために、アメリカの例などを挙げているが、完全に表層的知識しかなくて驚いた。日本においても、「目的/効果基準」というテストが判例としてできているし、アメリカにおいては先に「レモンテスト」という判断基準まで展開している。民主主義国家と宗教とのかかわりをどのように折り合いつけていくかが、多くのまともな知能を持った人間の間で検討されてきているのに、端的な事象から多くを判断して「不可能だ」と言い切ってしまう猿並みの発言に閉口した(そして口が開き、今書いている)。また靖国の分祀に関する問題から入っているところが読み手を辟易とさせるのだが、ここにおいては靖国は政治の問題としては語られていない。だから、政治的決着をまさに靖国神社側の論理において無理と決めつける。ここで俺は政教分離の問題にリフレインするのだが、政教分離原則の含意は、端的に言って「法は宗教に優先する」ということなのである。これも最後に絡むのだが、民主主義国家が原理的宗教的判断において意思決定をしてはならない、ということである。こうして考えれば、政教分離原則が立憲主義国家の根幹を成すというふうに言われる所以も容易に理解できるだろう。最後に、これは更に採るに足らないが、小林の話は論証が詰まっていない。説得力の必要なところには、「絵」が使われている。あるいは、説得力は「絵」によって担保されている。それがあの高橋『靖国問題』のアマゾンの書評の具体的批判のない罵倒を生産したんだなと納得した。論理よりも、絵によって感情に訴えかけるあの手法は、まさに「洗脳」というに相応しく、オウム的な信者集めをする広報部長なのだな、とよく理解できた。さて、くだらない話は以上にして、高橋『靖国問題』への取るに足らない揚げ足取りに俺なりに答えておきたい。くだらないと言いつつ答えるのは、繰り返すが、実はそこに現在におけるこの問題が存するように思われるからだ。高橋が高砂族の高金素梅氏を取り上げたのは、それ以前から高砂族は日本に協力的だったという言説があったからではないかと思われる(これはどちらでもいい)。揚げ足取りの言説たちは(小林もここを取り上げている)、そんなものは少数派だ、あるいは、一部の意見だ、と断じるが、高橋にとっては、それが少数派であろうとなかろうと論旨に影響しないのである。なぜか?それは、国家宗教たる靖国が信仰を強要する仕組みになっているからだ。それに対し、小林は多くはそれを望んでいると返すのだが、問題はそういうことではない。立憲主義はそういう「包括化」の原理と相容れないからだ。立憲主義において包括化が成り立つのは、すべての構成員が受け入れるときだけである。一部でもそうでない意見があるならば、立憲主義はそれを尊重する。高橋はその例を挙げた。包括か個人か。この国が近代国家として相応しい形を身につけるかどうかが、実は靖国問題なのである。我々は権威的強制宗教を選ぶのか、個人の自由(もしかすると「市民の宗教」かもしれないが)を選ぶのか。近代国家を選ぶのか、前近代国家を選ぶのか。問題はここにある。高橋に対しては、しかし、批判がある。ここでは2点挙げる。あるいは高橋には疑うべくも無かったのだろうとも思うが、現代の常識に乗りすぎて論を展開している。もちろん、ある程度の知識があるものには問題ないのだが、小林のマンガなどを読む層が、積極的に世論を形成する可能性があることに気付かないといけない。首相でさえ、よく理解していない問題であることは、本の中で語っていたではないか。ナチスの教訓は学者に対してもあったはずだ。次に靖国問題においての解決策の纏めが必要だったかどうか。いらない揚げ足取りを呼び込む書き方をしてしまったのではないか。今は、問題を知らない人々に伝えるということでよかったのではないかと思われる。
2005.09.26
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村上春樹『東京奇譚集』なんて本当は取り上げる気もなかった。ストーリーテラーとしての村上は前から嫌いじゃなくて、はじめの二編はなかなかだったが、そのつぎの二編は、恐らく、村上の机の引き出しの中に入っていた原稿に手を加えたものだと勝手に想像する。ちょっとうざい。言い訳じゃないが(確かに言い訳ではない)、かつては村上をよく読んだ。しかし、ポール・オースターを経て、チャールズ・ブコウスキーに毒されてしまった俺は、もはや・・・。しかし言い訳じゃないが(今度はそれなりに)、初期の作品は読み直したりする。四編目の主人公が語ったように、短編しか書けない。と思っているのかもしれないな、と納得したりする。そして言い訳じゃないが(悪口でもない)、村上の小説作法は短編の集積による自らを対象とした研究実験と、その集体化としての長編じゃないかって気もしてる。まあ、これくらいで許してください。最後の五編目として所収の書き下ろし「品川猿」だけを取り上げる。主人公、安藤(大沢)みすず。坂木哲子というカウンセラー。その夫は品川区の土木課(だったと思う)。その部下は桜田。名前を盗む猿。ええと、ここまで挙げて、だから何だよってことしか書かないんだが、なんかこれ読んでて、細木数子が思い出された。以上。まあ、この本の冒頭で主題として提示された「偶然の重なり」ということに関しちゃ、俺にもたくさんある。ただ、これは、ポール・オースターが「韻を踏む」という言い方をしていて、こちらの方が美しいと思ってる。
2005.09.26
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前回の「リベラルとは」に続いて、今回は「保守とは」で。別にシリーズ化するつもりはないんだけど、やっぱちょっと書いときたい。亭主はいつも、「保守=頭が悪い」と纏めるのだが、それはある意味現代風な文脈においてであって、本物の<保守>を否定しているわけではない。これも非常に入り組んだ概念であるのだが、エドモンド=バーグやオークショット、そして石橋湛山などに見られるように、非常に尊敬できる保守ももちろんいるわけだ。そして、これらの先人からわかるように、保守とリベラルは決して対立概念ではない。石橋湛山の評価は「保守リベラル」でほぼ一致している。このことをまず心に留めて進みたい。ということは、亭主が「保守=頭が悪い」というとき、そこで語っている「保守」は、上に述べた政治スタンス的分類とはまた違うところにあると言える。この場合の「保守」は「リベラル/<保守>」と全く違う次元にいる。ここをよく考えて欲しい。自分は保守だとか、リベラルだとか、名前を貼って喜ぶのではなく、まず「頭が悪い=保守」から抜け出すことを考えて欲しい。ちょっとややこしいので、「頭が悪い=保守」⇒「保守」、「政治スタンス的保守」⇒<保守>と記す。亭主が「保守」を批判していう場合、その議論の仕方をまず批判している。「保守」はほとんどの場合、<常識>や<感覚>に頼った議論をする。例えば、ブロンドでブルーアイズの淑女が、全くイントネーションのおかしくない日本語で道を尋ねた場合、違和感を覚える。このとき、学究的スタンスを持つものは(<保守>でもリベラルでも)、なぜ、自分は違和感を持つのか?と自らに問いかける。しかし、「保守」は、これは「日本人」ではないという直感を持つ。そして、そこから逆照射するように、自分は日本人というアイデンティティがあると直感する(だから、「保守」のいう「日本人像」は実に曖昧だ)。また、靖国参拝の問題でもそれがわかる。なぜ靖国が問題なのかをまず学んでみるよりも先に、「他の国に言われたから止めるのはおかしい。もっと毅然とするべきだ」というような何とも無責任に元気な意見で、参拝賛成に与する。もちろん、中国・韓国にもそうした「勢いのよい意見」はあるわけで、亭主は片方を断罪しているわけではない。そうではなくて、「今の思考枠組」における「直感」が意見を形成していることに驚いているわけである。ステレオタイプに脊髄反射で意見が毒のように吐き出されることにバカの怖さを覚えるわけである。まるで、何か意見を吐いてお父さんに認めてもらいたい子供を思い起こさせるが。われわれは<常識>を刷り込まれていて(当然。「制度は教育する」)、なんとなしに「当たり前」という言葉で、思考の発展に蓋をしてしまう。しかし、そうした議論方法による意思形成は、民主主義にもっとも似合わない。民主的エートスとは、ミシェル・フーコーの言葉が最も似合うように思える。もちろん、そこには左翼も右翼もない。「啓蒙とは絶えざる自己反省である」こうした態度が無いところに、まともな議論もまともな民主主義も生じるはずがない。以前、他のブログへ書いた意見を載せる。ちょっと長い。さて、本題。 「文化の壁」というのは、時として、反省を拒否するための言い訳に使われている気がします。 実際にパレスティナやシリアに足を運んで、「壁」なんてあんまりないことに気付くと言う人は多いです。 もし強者の側が弱者の意見に耳を傾けようとしなかった場合、そして、それが日々の生活を脅かすレベルにまで達した場合、弱者は何でもするんじゃないでしょうか。 パレスティナでは、(少なくともその当人にとっては)意味もなく、イスラエル軍に家を壊されたりする人たちがいます。生活ができなくなる。そりゃこまります。そこに「テロ組織」から「自爆テロ」の誘いがくる。一家の生活の保証と共に。 どうするでしょう? シリアやイラク等は、国家レベルにおいて、経済制裁を続けられています(むしろ、エジプトやサウジは親米英)。 原理主義を擁護しているわけではありません(アメリカも完全な「市場経済原理主義」だし)。 問題は、「普通の人」が原理主義に走ってしまう(あるいは、思想もなく与してしまう)構造です。 そして、今回の誤認記事は、イスラムは「狂信的」で、「平気で人を殺せる。あるいは、命が捨てられる」という誤った理解を、世間に流布しているように思います(どっちかっていうとイラクの市井の人の方がイギリス国民よりもよほど危険にさらされえいると思いますが・・・)。 イスラムの人も生活が安定している場合、自爆テロは嫌ですよ。そこは、キリスト教徒だってそうでしょう(もちろん、どちらにも狂信的な人はいますけどね)。 なんというか、「洗脳」とか「文化」という言葉でわからないものに蓋をし、理解する可能性を閉ざすのは大きな問題だと思います。 でも、理解するというのは知的体力の要ることであり、多くの人はそれよりもわかりやすい(わかった気になれる)言葉を求める。こういう時代(コンドラチェフの波的に言うところの)に、日本国総理大臣や東京都知事のようなポピュリスト政治家が現れる所以だと思います。 だからこそ、メディアは気を引き締めないといけない。わかりにくいことの背景を見出し、考えることに開かれた世の中を作り出す役割があると思います(そんなメディア皆無に近いんですけどね)。
2005.09.26
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リベラルについて書いておく。こんなこと書く必要もないと普段なら考えるのだけれど、やっぱり多くの人々は、リベラルというものが<わからない>のではないかと思う機会が増えてきた。自由という概念はこれはこれで入り組んでいて、簡単に書けるもんじゃない。だから、自由のエートスに若干触れるに留める。いつかたっぷり時間を掛けて書きたい。自由ってものが現代において、とても大切な徳・価値(value)であるということは、とりあえずステレオタイプであるにしても、認められるんじゃないだろうか。でも、本当にそのことを<わかっている>人は、むしろ少数派だということに気付いた。まあ「真理は常に少数派にある」わけだし、民主主義の草創期における懸念は、「どのように多数の専制から少数意見を守るか」にあったことを考えれば、むしろ当然ともいえる。リベラルな人間の特徴は、一言で言える。権威を嫌う。力が強いもの、勢力のあるものを嫌う。それが歴史的にどんな危険をおかしたかを知っているからだ。そして、個人主義に立つ。自分を包摂する大きなものにアイデンティティを明け渡すのではなく、常に自分で考え、行動する。つまり、ステレオタイプを嫌う。そして、論理演繹的に、権利というものを大切にする。もちろん、権利は自由に等しい。だからこそ、権利を真剣に捉えているからこそ、歴史的に権利を侵害しやすかった権威というものをきらう。だから、権威を信奉するリベラルというのは、語義矛盾ともいえる(朝日とか岩波とか労組とかには多いけど)。リベラルな言説は、常に大きな権威への対抗原理として現れる。以前からなんでだろうと考えていたんだけど、結局、政府側(多数で力がある)方に与してしまう人間というのは、強い者に認められたいのだろう。あるいは、換言すれば、大きな承認の体系に入りたいのだろうと思う。やっていることが間違っているかどうかなど考えるよりも先に、自分を認めて欲しいという欲求が働くんではないかと思う。人は元来、保守なのである。お父さんに認められたいと思うものなのである。これが、多くの人間が旧来の価値観・ステレオタイプに身を浴し、新しいことを嫌う気風を生み出しているのだろう。個人として立てない弱さ、これが大衆をつくっているのだとすれば、ナチスの宣伝相ゲッペルスが「大衆を支配するものは国家を支配する」と言って、全体主義の体系のなかに導いていった過程も納得できるし、そんなに難しい実践ではないということも理解できる。いつの世も、リベラルは少数派である。そして、リベラルはその本性として、徒党を組まない(だからこそ「連帯」という活動を政治的に作り出す必要はある)。しかし、リベラルこそ最も国家にとって必要なものだし、その社会にとって有益な存在なのだと思う(J・S・ミル『自由論』を参照せよ)。民主主義という脆い制度を支えるには絶対的に一定量の「強い個人=リベラルズ」が必要なのである。
2005.09.24
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昨日読んだ。というか今朝まで読んだ。朝まで生読書。外交、内政、政教分離原則の狭間で、自由民主党が解決しようとして出来なかった問題を丁寧に追っている。だから、問の立て方も自民党に負っているし、出来なかった理由も自民党に負っている。これを、ダメな本という理由はよくわからない。自民党がダメだったんだろ。まあ、ちゃんとした纏めと(若干の)考察はまた書くが、よく整理されていると思う。まあ、じっくり読む読者用に書かれているので、揚げ足取りはされるかもしれないけれども。結局、政治の問題であるという指摘は、ありきたりに聞こえるが、正しい。そして政治は方向性の概念を随伴することを思えば、おかしな世の中の動きには常に注意しなければならないと思われた。今度は小林よしのり『靖国論』を読んでみて(苦行だな)、比較してみるか。
2005.09.22
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今日もちょっと憲法問題について書いときます。その前に、「認知的な節約」に関しての「Fixing A Hole」さんの記事が面白かった。「人はごくわずかな事例から、たくさんの結論を得ようとする傾向がある」そうだよな。なんか、難しい本読んで、そこではよくわからず、著者名見てから、賛成/反対の態度を表明する奴って、それなんだろうな。あるいは、小林よしのりがダメって言ってたからダメですってのもそうだろうな。マンガなら読めるのですが・・・みたいな(笑)さて、今日のちょこっと憲法問題。もちろん「認知的な節約」と絡むんだけど、世の中で改憲派か護憲派かって議論がある(あと論憲派、創憲派っていう明らかにおかしな言説もある)。改憲についてどう考えるか、と問われれば、俺は「現行憲法で日常生活において不自由している人がいるとは思えない」と答える。これは推測も入ってるんだけども、確実に「俺は不自由していない」ということは言える。つまり、自分にとってコミットするべき問題になっていないものを、論憲とか何とか言って、どっちかの派閥に属せと強要する言説自体が、実は何らかの意図のもとになされているんじゃないかと思える。前にも書いたが、論憲なんていう以前から、憲法学って学問は深く憲法を論じているんだから。そこで俺は自分のこととくっつかない憲法論議を断罪したい。そういう他人事態度を断罪したい。憲法は権利の歴史であって、闘わなければならないとき(侵害されたとき)は、いやがおうでも闘わなければならないわけで、実際、そうして権利の歴史は人類の営為として磨かれてきたのだから。怖いのは、自分の事と離れたことを、自分にリアルでないことを、コミットしていないことを、机上の空論において踊らされ、それに賛成票を投じてしまうことなんだろうと思う。「認知的な節約」便利ではあるが、日々注意しないといけないことのようだ。
2005.09.22
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以前、「週刊!木村剛」にトラックバック貼っといたんだが、木村氏に記事中で紹介していただいた。言っておくが、これは特に特別なことではなく、彼はいろんな人の記事を紹介している。トラックバックと彼の知名度を利用したある種の言論市場をつくっている感じ。それが良いか悪いかはわからん。ただ、他の人たちのにはリンクがついてるんだけど、俺のにはついてないのね。木村氏と根本的な思想が違うからかもしれないし(それはそう)、俺の他の記事が中傷だらけだからかもしれない(それもそう?)。あるいは、このサイトに何らかの法律違反があり、それを気遣って頂いているからかもしれない(笑)。まあ、興味あれば↓http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/__269e.html#more
2005.09.22
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ちょっと流れが似ている気がするんだよな。われわれは多くの独裁者の支配の下に生きてきた。民主主義という政治形態に移行したのは、ごく最近で、わが国は欧米と異なって、上から与えられた民主主義であり、歴史性の欠如のため誰もその意味などあまり理解していない。そして、深層では、偉大な指導者が現れ、万人を唱導してくれることを望んでいる。価値への奉仕という人間的な集団行為への欲求を満たしたいのである。われわれのその唱導者のモデルの一つを、まさにヒトラーが示している。政治とはかけ離れて、われわれにはつねに「独裁者願望」があり、強力な神秘的な指導者の存在を欲する。不幸にして現代ではそのような指導者の存在は否定され、人々は渇望している。宗教もなく、ただ、漫然と生きるなか、歴史的存在とはいえ、こうした独裁者はわれわれに人間のあり方を教えてくれるのだ。(参照)そう、問題は彼にあったのではないんだよね。日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。 ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。 二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。(参照)俺はこの老人たちに賛同。自民、公明両党は21日、東京都内のホテルで開かれた幹事長・国対委員長会談で、憲法改正の手続き法となる国民投票法案について、同日召集の特別国会に提出することで合意した。自公両党は同法案を審議するための衆院憲法特別委員会を設置する方針で、投票権者を20歳以上とするなどの法案骨子を基に民主党と協議して合意したうえで提出したい考えだ。ただ民主党も独自の対案をまとめており、提出までは一定の時間がかかる可能性もある。 04年12月に合意した与党案は(1)投票人名簿は公職選挙法上の選挙人名簿を使用(2)投票権者は選挙権を有する者(20歳以上)(3)改正事項が複数の場合、一括にするか、項目別かは法律で規定(4)国会の憲法改正発議から30日以後、90日以内に内閣で定める期日に投票--などとしている。 憲法96条は憲法改正に各議院の総議員の3分の2以上の賛成と国民投票で過半数の賛成が必要と定めている。しかし、国会法に国会の発議機関設置を定める規定はなく、国民投票の実施方法を定める国民投票法は整備されていない。(参照)この記事のように急ぐようなことあるかね? なんか不自由してる? なんで今なんだろ。怖いのは、不自由してないやつが支持することだよな。
2005.09.21
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黒柳さんは月一くらいでとってるじゃん。しかし、20年で初めてって、それもすごいな。確かに。タレント、野々村真(41)がTBS系「世界・ふしぎ発見!」(土曜後9・0)でパーフェクト賞を取ったことを祝って20日、東京・内幸町の帝国ホテルで記念パーティーが開催された。 8月6日放送分でレギュラー出演20年目にして初の全問正解のパーフェクト賞をゲット。野々村は「進化をやっと遂げたかなって。皆さんが温かく見守っていてくれたおかげです。早く2回目もとりたい」。駆け付けた黒柳徹子(72)は「番組もやさしいですね。パーフェクト出たからってパーティーをやるなんて。彼の人柄ですね」と祝福した。
2005.09.21
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実は、先日憲法改正についてどう考えるかと訊かれたので、以前書いた文を載せることにする。まあ、言い足りてない部分があるけど、それはおいおい書けるし、ってことで。■昨年の憲法記念日に書いた文■さて、今日は(っていうのが遅れてますが)憲法記念日なんで、ちょっとは真面目に書きましょうか。というのはね、みんな勝手なこと言いすぎや。ちっとも勉強もせんで、勝手な解釈述べるなや。まず、なぜ憲法があるのか、必要なのか、あるいは、いらないのか、答えを用意している人だけ語ってほしい。じゃないと、議論にもならん。以上、挑発。ええと、憲法学って分野は本当に研究が進んでる分野なんよ。それが、なぜか世間知のレベルだと、物凄いレベルの低い議論になってる。いちいち書くと、すごい長くなるので、基本的なことだけ述べときましょうかね。憲法、憲法って言うけれども、「憲法」ってのは「立憲主義」とほぼ同義なんよ。歴史的に涵養されてきた<制度>なわけ。それを一国の一場面で、どうするこうするっていう性質のもんじゃない。それは実定法がやるべき問題。もちろん改憲ありえないってことじゃないよ。ただ、憲法=立憲主義を変えるほどの問題が議論されているとは、足踏堂亭主にはどうしても思えない。現実と違ってるから直しましょう?冗談じゃないよ。歴史的成果をそのときの大して頭の良くないアホな意見で直そうとするなや。繰り返すけど、憲法=立憲主義は、「権利」の歴史的成果と、その有効性を保障するためのものであって、条文の細かいところを政治的道具に使うような代物じゃない。時には、民主主義が衆愚政治にならないように見張る機能だって持ってるんよ。ヒトラー=ナチスドイツは、民衆の支持を得て台頭したんだよね。ちゃんとした民主主義手続きを踏んでたんだよ。その結果があの悲劇。そのときの簡単な意見で政治は危険になるんだ。そんなの近代民主主義が議論されだしたときから常識。トクヴィルなんかが指摘してる。「多数の専制」ってね。だから、二つの意味で憲法について慎重に考えないといけない。■ひとつは、人間は間違えやすい存在だということ。■もうひとつは、そうした間違えに対して、一定のブレーキをかけることが(これには多数による少数者差別も含んでいる)、憲法の最も重要な役割であること。この点を理解したうえで、しっかり議論するべきだと思うんだな。政府のやってることを見張るのが憲法じゃなくて、この精神に鑑みたうえで、見張るのは、やっぱり国民なんだと思うよ。
2005.09.21
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この前、政治家になるうえでもっとも大切なスキルは人を騙す技術だと述べた。今回はそれをさらに具体的振る舞いにまでブレークダウンしてみる。■奇しくも、スキルマスター小泉首相が昨日発言したことに大きなヒントがある。「無党派層は宝の山」じっくり吟味して(してないのもあるが)支持政党を決める層よりも、その都度言ってることだけで判断する奴等が増えていて、小選挙区制では、そうした奴等を狙わにゃならん、ということだ。つまり、人間を判断するときに、じっくり付き合って「こいつなら信用できる」と選んでた奴らの時代は終わり、これからは、そのときの気分で直感的に人を選ぶ愚者が政治的に発言権を持つ時代だということだ。というわけで、詐欺師出身者にはチャンスだ。ただ、政治家になるためには、もうすこし騙す技術を磨く必要があるが。■大衆政治家には古今いろんな奴がいるが、もちろん最高のスキルを持っていたのは、ヒトラーだ。今日は、彼を講師として、人を騙す技術を、具体的に学ぶとしよう。■彼が大切にしていたのは、演説の予行演習だ。それならもうやってるって?いや、そうかもしれないが、目的は人を騙すことだ。論を磨いてもしょうがない。彼はそれを常に鏡の前で行っていた。■大切なの内容じゃない。■大切なのは身振りだ。■大切なのは記憶に残るフレーズだ。大衆を騙せない政治家は、間違いなく、ここを理解していない。■ヒトラーは、鏡の前で身振りの練習をしていた。さあ、貴兄も今日から身振りの練習をするんだ。■記憶に残るフレーズについても教えよう。簡単だ。少数派を悪者にすればいい。今回、相対的少数有権者である郵政公務員を俎上に上げた小泉。毎回、差別発言で票を伸ばす石原慎太郎(被差別者は絶対に少数派)。まあ、枚挙に暇がない。■こうして、多くのソフィストが生まれる時代になってきた。■ギリシアはこうして滅び、ワイマールはヒトラーを生む。■集団思考停止国家。■君たちは、それを作る選ばれた戦士たちなのだ!
2005.09.21
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書くべきことがないのにこうして筆をとる行為はたぶん正しくない。正しさというものが過小評価されて久しいが、俺には正しさという徳は絶対的に必要であるように感じられる。貯金を蓄えるときに正しさが原動力となり、貯金を引き出すときに正しさは不必要に感じられる。そして貯金がなくなったとき正しさも忘れられている。つまりは正しさとは貯金そのものなのだ。だからこの試みは書き物的正しさを食い潰しながら、正しさ的正しさを取り戻す試みである。ゆえにこの書き物は評価できない。評価できないことは必要なのかどうか。キリストは十字架に上げられてはじめてその栄光を示すことができた。栄光を示すというのはもちろん観念の産物であり、信じるものの心のなかで起こるものだが、つまりは栄光を信じるという契機において十字架に上げられることは必要であったか無かったかが問題ともいえる。しかしこの神の子は面倒な手続きを踏んだもんだ。おかげで救われる奴等と救われない人たちがまっぷたつに分かれた。残念ながら、評価できないことが混じるとまっぷたつだ。それを乗り越える発明物は今のところ信仰しかない。信じること。よく夢を見た。白昼夢だ。詩人や小説家は夢を見ない。芸術家一般がそうかもしれない。夢を見る必要がない。見る前に表現している。見る前に表現せよ。俺は原稿用紙を眺めて夢を見る。それを白昼夢と呼んだまでだ。道化師が現れる。道化師のイメージがおかしい。ズングリムックリしていて背景が無い。もしかすると言葉を伝えるだけの存在に俺が勝手に姿を与えたのかもしれない。しかし肝心の言葉の方が思い出せない。もう一度会わなければなるまい。道化師探しだ。この書き物は道化師探しだ。直感的にはそれは正しさに通じている。正しさ的正しさに。
2005.09.20
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ダンボールの開き口から重なった本が姿をみせていて、一番上に『人生の大局をどう読むか』がある。そのとなりのダンボールには無記入の履歴書が見え、その上にバーバリーのブックカバーが本を覆うこともなく置いてある。それぞれ下の方に何が入っているのかなんて考えたくもない。そうしたダンボールが他に4つ。いや、タンスの上のものも数えれば7つある。本棚はすこし本を抱えているが、ほとんどが空室状態で、いずれダンボールの本が入ることになっている。しっかり数えてみると、本棚に本は50冊以上入っているようだ。ということは、あと950冊程度がダンボールか畳に寝転んでいる計算になる。正確にはわからないが俺は自分の本を1000冊ということにしている。どうだっていい話だ。タンスと本棚の間にカラーボックスがあり、缶詰その他の食料品らしきが置いてある。そしてそれらの反対側の壁に面したところで俺は文を書いている。
2005.09.20
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今週はこんな感じ。保阪正康『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)を予備的問題として読む。なかなか。保阪の意見はともかく、よく整理されている。高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)を読み出す。アマゾンでは賛否両論だが、否定派の意見が具体的ではないのでよくわからない。小林よしのりがおかしいと言ってるからおかしいらしい。当の俺は小林の『靖国』を本屋で立ち読みして、論の展開がおかしいからと3ページで閉じたが、ここまで信仰心の厚い奴等がいるようだと、もう一回熟読せにゃならんな。この本自体は近代社会の当然の前提にのって論を進めていて、俺には読める。ただ、信仰心の厚い人たちは前近代人だから、その人たちには読めないのかもな。学者はそうしたことも考えて文を書かないといけないのかもな。保坂和志『小説の自由』(新潮社)を寝る前に一章ずつくらい読む。ラスキ『ファシズムを超えて』(早稲田大学出版部)は何箇所か熟読。酔いが醒めて目も覚め、やることなくて読んだ。全体を読み通すかは未定。出井康博『松下政経塾とは何か』(新潮新書)はピラピラ開いて目に付いたところを何ヶ所か。その箇所で紹介されていた松下政経塾出身者は「上だけを見ていて」、まるでファシストのよう(周りは当然騙される)。権力を使いこなせない奴が権力を持ったときが怖いわけで、松下政経塾のような小官吏ばかり輩出する機関は害悪だろう(とまだ読んでないのに結論付けちゃいかんか)。モブ・ノリオ『介護入門』(文藝春秋)。長い間何となく探していてたまたま目に付いて手に取る。最高。これなら芥川賞だと思う。いろんな意味で。というわけで今週はなんか俺らしくない読書に偏っているが、モブ・ノリオ最高!
2005.09.20
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そういえば、と思い、『田原総一郎の早大「大隈塾」講義録2005』(政治編)を読み返した。もちろん、前原誠司がゲストになってた回があるからだ(第2章)。以前読んだときには、前原はスネオニズムだと結論付けた。読み返して、やっぱりスネオだった。当然か。あらっぽく纏めれば、アメリカからみた日本の軍事的利用価値が低くなっているから、軍事的にも日本はアメリカの役に立つことをやらなきゃいけない。そういう非対称性を克服しないとアメリカに見放されてしまう。そんなとこ。それを日本が日米関係において付加価値をつければ対等に接することができる、と纏めるところが、いかにも詭弁なんだが、そこはスネオだからね。スネオは、ジャイアンと仲が良さそうに見せていると自分も強そうな気がしてる。でも最近、おもちゃやお菓子をプレゼントするくらいじゃ守ってもらえないんじゃないかと不安になったスネオ。ジャイアンが喧嘩になったときは僕も戦うよと言ってみる。スネオニズムもここまで来るとひどい。ジャイアンが論理の中心にいて、「正しさ」とか「政治の理念」なんてものがすっぱり捨象されている。そして何よりも、スネオニズムの一番ひどいところは、ジャイアンが横暴であることはわかっていても、自分の身の安全のためにはジャイアンが一番でいてくれないといけないと思っているところ。徳無き政治家。その名はスネオ。大抵の松下政経塾出身者は多少の差はあれ徳がない(松下幸之助が生きてたら泣くだろう)。この前も書いたが戦略家がいない。アメリカを大前提に考えてしまう戦術家しかいない。政治的理念に基づく「決断」ができない。■しかし、こうして日本に保守政党が二つできた。保守とは、頭が悪いこと。保守政治とは、ばかのばかによるばかのためのばか。さあ、民主党も割れるべき。保守二つに社会民主派一つで、ちょうどいい。今できることはそれくらいかもな。
2005.09.20
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代表選の結果は、なんとなく民主党が表れてるな。たぶん、民主党内のネオリベラル志向と社会民主志向も半々くらいなんじゃないか。そういう国家のあり方に関わる部分が一致していなくて、政党の態をなしているのは、ひとえに、ただ受かれば良いと思う気持ちの方が強いからだろう。さて、結果として、前原が選ばれた。別に自民党でも良いはずの奴だ。まあ、松下政経塾の出身者はほとんどそうだよな。そこが信用できないところ。俺が気になるのは、松下政経塾出身者は、確実に「国家」にこだわる。「お上」に倫理を求める。つまり、明治期につくられた国民=国家の枠組みから論理演繹的にものを考え、足りないものを論う。大抵の場合、それは精神論に行き着く。そして、一番大切なことだが、「決断」の概念に欠けている。官僚タイプが多く、戦術論には長けているように思うが、戦略論を語る器がいない。もし政権を任せても、「今の状況では」こうするしかない。と官僚の行った計算を同じように検算するだけになる。自民党の旧来の政治家と違いは、計算の意味がわかっているかわかっていないかの差だ。言うまでもなく、「決断」概念は、計算できない状況を作り出す契機を含んでいる。しかし、小賢しい松下政経塾出身者には、それができない。計算高くしか動けない。だから、自民党でも民主党でもいい。両党にいるのが何よりの証拠。今必要なのは政治舞台に官僚が出てくることじゃない。Stay foolish!こう言える人間が必要だ。民主党は17日午後、都内のホテルで両院議員総会を開き、衆院選惨敗の責任を取って辞任した岡田克也代表の後任に前原誠司氏(43)を選出した。党所属国会議員による投票で、菅直人氏(58)を2票差で破った。 民主党代表選の得票結果は前原氏96票、菅氏94票。投票総数192票のうち有効投票190票、無効2票だった。 新代表の任期は岡田氏の残り任期である来年9月まで。
2005.09.17
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■まず余談(記事をごらんください)支出を食い止めることを「財政再建」というなら簡単だ。必要なところにも支出を拒めばいい(それは「政治」とは言わないが)。財政再建して、人気が低迷するってことは、ひどい政治をやったということだろう(共同通信の記事は、ちっともジャーナリズムになってないな)。■でもね、(ここからが政治家になりたい人用)今回の小泉もそうだし、レーガンなんかもそうだったし、シュワルツェネッガーもそうだろうけど、失敗したってことについては一言もしゃべらず、俺は改革派だと言い続ければいい。結局、政治家になるために大切なのは、「政治」をやらないこと。政策よりも人を騙す方法を身につけること。これだ。竹中が裏で言ってたように、バカを味方につけることだ。(この点、石原慎太郎はもっと優れていて、「精神病院の患者でも一票もっている」と言っている。)詐欺師か俳優出身者は素質がある。ただ、それをもっと磨かないといけないけどな。ハリウッド出身のアーノルド・シュワルツェネッガー米カリフォルニア州知事(58)は16日、同州南部で開かれた集会で支持者を前に、来年11月に予定されている知事選へ出馬する意向を表明した。早々と2期目への出馬宣言したのは「タレント知事」のイメージを脱却し、現在の人気低迷に歯止めをかけるのが狙いとみられる。 知事は「わたしは(ボディービルなどの)スポーツで最後までやり抜くことの大切さを学んだ。現在の仕事をやり抜くために選挙に出る」と語った。知事は2003年10月、前知事のリコールに伴う知事選での初当選以来、世界的スーパースターとしての人気に乗って、州の財政再建に取り組むなど政治家として順調だった。(参照)
2005.09.17
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なんかのテレビ番組でアホな意見を集めていた(編集しているとはいえ、ひどいな)。「郵政」にYESと言ったが「増税」にはYESと言ってないだと。頼むから、次回から投票しないでください。(あとアホ番組にも一言、何に関する増税かを聞かずに、「増税」一般の賛否を聞くな。)投票のためにちょっとでも意思決定のための真面目な情報収集をした人間であれば、それくらいのことはわかったはずだ。どこかのブログの書き手は、「あの人なら改革してくれそうじゃないですか」みたいなことをのたまっていたが、こういうタイプが、戦時に大本営発表を信じ込んで、一番に誰かを非国民と難詰するんだろうな。アホの集団化は怖い。さて、こんな品のないブログからリンクを貼られては非常に迷惑かもしれないのですが、敬愛するrichstyles!さんの記事を紹介。http://richstyles.net/archives/20050917_0809_.html言いたいことは言ってもらってますんで。しかし、もし本の出版を止めている奴がいて、それが体制側だとしたら、それこそ「検閲」だな。信じられん。おい、小泉! 山本一太!お前等の論理は、いつもアメリカ追従を無理に正当化しようとしている言い訳にしか聞こえんぞ。国民を騙そうとするよりも、アメリカに対して反論できるように勉強しろ!(そして、国民は自分が騙されやすいことを知れ)
2005.09.17
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昨日、やけに nhk.or.jp から見に来られる方が多かった(社内から?深夜だったけど)。そういうわけで、HNKネタで。「NHK倫理・行動憲章」じっくり拝読させていただきました。で、この判断ですか?国民への奉仕というには、ちょっと偏った行動に感じられますね。裁判というのは法=権利の発展に寄与する大切な事柄、「裁判もあり、できない。放送された番組で判断してほしい」なんてこと言わないで、裁判だからこそ、早くからオープンネスを心がけるべきじゃないですかね。それに、その言葉は、自民党幹部に言うべきじゃなかったの?「外からの圧力や働きかけに左右されることなく、みずからの責任において、ニュースや番組の取材・制作を行い、豊かで質の高い放送番組を提供します」自分たちで決めたことを守れない奴等を信頼しろってのは、酷い要求だね。(俺は、HNK社員にまともな人が多いのも知っている。問題は、システムにあるんだと思う。人員削減とかするんじゃなくて、抜本的に存在の仕方からを変えるべきなんじゃないかね。)NHKの受信料体系や公共放送のあり方を議論する有識者の「デジタル時代のNHK懇談会」(座長=辻井重男・情報セキュリティ大学院大学学長)が16日開かれた。政治的介入があったとされた従軍慰安婦に関する特集番組について、第三者を交えて編集過程を検証する提案が委員から出されたが、NHK側は提案を拒否した。 この特集番組を巡っては、NHKの国会担当職員が自民党幹部と面会した直後に編集に関与し、政治介入を疑う意見も出ている。辻井座長によると、NHK側と第三者を交えた調査チームを作って編集過程を検証し、視聴者への説明責任を果たすべきだとの意見が複数の委員から出たという。だが、NHK側は「裁判もあり、できない。放送された番組で判断してほしい」と答え、消極的だったという。
2005.09.16
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小沢一郎は胡散臭い。今回の代表選では、まず前原陣営に支援を申し出ている。しかし、それを拒否されると、今度は菅直人が代表になるなら、幹事長を引き受けても良いと発言する。つまり、どちらでもいい。自分が権力の側にいられるなら。ここに小沢一郎の秘密がある。自分が汚れる戦いはしない。負け戦はしないというのは、立派な戦略。政党ももはや官僚組織なんだな。事なかれ主義が勝つ。選挙にさえ受かっていれば、年序の論理で発言力が増す。民主党が変わるためには、小沢一郎が支援しない方が代表にならないとな。民主党の小沢一郎副代表(63)は16日、党代表選への出馬を見送る意向を固めた。 これにより、17日の代表選は、既に出馬表明している前原誠司「次の内閣」防衛担当(43)と、菅直人・前代表(58)の一騎打ちとなる構図が固まった。 小沢氏は16日昼、都内で同党の鳩山由紀夫・元代表と会談し、代表選への対応を協議するなど、党内情勢を慎重に見極めながら、代表選への対応を検討してきた。 鳩山氏は16日朝、都内で記者団に「小泉首相を国会の党首討論で子供扱いしたのは、小沢氏1人だ」と語り、小沢氏の出馬に期待を示していた。 しかし、前原氏と菅氏が相次いで出馬の意向を示す中、小沢氏は、自らへの支持が予想よりも広まらない可能性があることに加え、党内の亀裂を避けるため、出馬を見送ることにしたと見られる。 一方、前原、菅両氏は16日朝のTBSの番組にそろって出演した。小泉首相との対決について、菅氏は「ケンカの仕方では首相に負けたことはない」と強調した。前原氏も「ケンカの仕方で秘策は考えている」と応じ、火花を散らした。 菅氏は同日午前、都内のホテルで江田五月参院議員会長らとともに、政策の検討や推薦人集めなど、出馬の準備に入った。 前原氏は同日午前、都内の議員宿舎で中堅・若手議員らに電話し、支持を訴えるなどした。
2005.09.16
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キャラクターはちわわでも、取り立てはヤクザなんですねー。イメージって怖いね。消費者金融大手「アイフル」(京都市)に、なけなしの生活費5000円を違法に取り立てられたとして、神戸市兵庫区の無職女性(70)が16日、同社に5000円の返還を求める訴訟を神戸簡裁に起こした。 訴状によると、女性は知人に健康保険証を悪用されたことをきっかけに、同社を含め消費者金融4社から計約190万円の債務を抱え、生活保護を受給していた今年1月、自宅を訪れた同社の男性社員に「払ってもらわなければ帰らない」と激しい口調で返済を要求された。 女性が経済的に困窮していることや、すでに弁護士に債務整理を相談していることなどを告げても帰らなかったため、恐怖心から財布に残っていた5000円を渡した。
2005.09.16
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ちょっと多い誤解だなと感じてるので、あえて書く(あえて、しかし、いつも通り毒々しく)。予め断っておくと、この見解は、「ひとつの意見」として済ませられるものじゃない。独裁制への根本的な無理解から来ているからだ。よくある世間知を相手にして恐縮だが、投票率の低下 ↓特定の団体の影響力増大 ↓利益、権力、権限の集中 ↓独裁政治これがよくある世間知の図式といえる。もちろんこれが「選挙へ行こう」という(もう何度も批判している)言説につながる。どこがおかしいのか?最後の矢印がおかしい。フランスの第二帝政やドイツのワイマール期における問題構造は、「代表されない人たち」の支持が、何も代表していないように見える人間に集まり、その大衆の視線がその人間のなかに「英雄」の像を作り出したということである。彼等はその圧倒的支持を背景に、議会における議論を軽視して事を運んだのである(二・二六事件以後の日本もそうだな)。そうして考えれば、むしろ特定団体の支持を背景にしている政治屋は、しっかり代表されており(つまり他者から行動予測が可能であるし)、いつでも批判の俎上にのる位置にあるわけで、独裁にはつながりにくい(さすがに他の国民はそれを放っておくまい)。それよりも、無党派層の浮動票を目的にする政治屋が増加する方が遙かに危険。支持基盤よりもメディア戦略を大切にする政治屋が増えれば、おのずと代表されない有権者が増加し、あの時代のような反動を起こす可能性が出てくる。だから俺は、「小選挙区制=二大政党制」にも反対だし、「選挙へ行こう」にも強く反対しているわけだ。たしかに、今回の小泉は結果として良いことをするかもしれない(誰にとってとは言わないが)。ただ、そのような「英雄待望論」的政治状況は、民主主義の末期、あるいは衆愚化を表していると思える。これが怖い。「彼等は自分たちが何をやっているかわかっていないのです」今日読み返した、なだいなだ『権威と権力』(中学生・高校生向け?)の感想を付記する。冒頭部「強力なリーダー(英雄)を求めるのはこちらだが、良い英雄(チャーチルや毛沢東のような)になるか悪い英雄(ヒトラーやスターリンのような)になるかは、その英雄自身が決めることで、そんな賭けはしたくない」という要旨。そういう言い方もあるんだなと感心した。■ところで、亭主が毎日必ずチェックするブログがある。今回はあまり関連無くTB貼ってしまってごめんなさい。http://jn-jn.txt-nifty.com/fixing_a_hole/大変切れ味スルドク面白い。
2005.09.14
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何度もこのことについて書いて悪いが、まあ嬉しかったわけ。民主主義の前進は判決の結果ではない。まさにそれを市民が進めようとしたことにある。と思う。そして何度も書いているが、最高裁が機能してはじめて民主主義は機能する(国会が動かなかったのは良い証拠)。原告と最高裁の判断に拍手をしたい。「日本の民主主義が大きく前進した」。海外に住む日本人の選挙権を制限する公職選挙法の規定を違憲とした14日の最高裁判決に、原告は喜びをかみしめた。当たり前の権利が制限されていると感じて提訴に踏み切ってから9年。ようやく思いは実り、今後は在外投票が幅広く行われるように、手続きの簡素化も働きかけていくという。 東京・霞が関で行われた原告の会見には、米国とフィリピンから一時帰国した4人と、提訴後に帰国していた1人が出席。米ロサンゼルスから大法廷判決を聞くために駆けつけた原告団事務局長で経営コンサルタントの若尾龍彦さん(64)は「国の将来を左右する問題について、最高裁が見事に機能し、深い感動を覚えた」と満面に笑みを浮かべた。 制度創設を求めて本格的に運動を始めたのは93年。「海外に出ると、日本が国際的にどう見られているか分かる。少数でもその思いを国政に反映させたかった」(若尾さん)からだ。95年には衆参両院の全国会議員を対象にアンケートを実施し、36%から回答が寄せられた。ほとんどの議員は「賛成」と答えたが、国会は動かなかった。 現行の小選挙区比例代表並立制による初めての選挙が行われた96年秋。在外公館での投票を求めたが断られた。ある仲間は一時帰国して国内の投票所に足を運んだものの、投票を拒絶された。「投票したくても出来ない」ことを実際に確認し、8カ国の53人が提訴に踏み切った。 長期裁判となり、帰国した仲間の多くは原告から離脱し、1、2審の全面敗訴を受けて臨んだこの日の大法廷判決。若尾さんと同じくロサンゼルスから一時帰国した原告団長で建築家の高瀬隼彦さん(75)は「権利行使できない悔しさから訴訟を起こしたが、本当によかった」と感慨に浸った。(参照)
2005.09.14
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男でも肌は気になる。たばこを吸う女性は吸わない女性に比べ、5歳以上も肌が“老化”している――ポーラ化粧品本舗(東京都品川区)が、20~70代の約30万人の女性の肌状態と喫煙の関係を調べ、こんな結果が出た。喫煙が肌に及ぼす影響をこれほど大規模に調べた例は、世界でも少ない。喫煙は美肌を目指す人にとって、やはり大敵のようだ。 昨年6月~今年5月、全国の訪問販売先や店頭などで、同意を得て皮膚表面の角質層を採取。同時に喫煙状況も尋ねた。喫煙者は全体の約23%で、20代が最も多かった。 同社によると、しみ、くすみなどの原因となる細胞中のメラニン量は加齢とともに増えるが、状態の良い肌は量が少なく、分布も均一。逆に色むらが目立ちくすんで見える肌はメラニン量が多いうえ、細胞によるバラつきも大きいという。 同社は採取した細胞中のメラニンを染色して300倍に拡大し、含有量を3段階で数値化。この結果を、喫煙者と非喫煙者に分けて年齢別に集計したところ、明確な差異が表れた。年齢別の平均メラニン量は、吸い始めて間もない20歳では大差ないが、以後は全年齢で喫煙者の方が1~2割程度多く、ほぼ5歳上の非喫煙者のメラニン量に相当。吸わない人より「肌年齢」が5歳老けている状態だった。 更に、紫外線によく当たる生活をしているか否か、という条件を加えて分析すると「よく当たりたばこも吸う」人と「あまり当たらずたばこも吸わない」人の肌年齢の差は10歳以上に広がった。 原因について同社は「メラニンの生成や着色を抑えるビタミンCが、喫煙によって破壊されるためと考えられる」と分析。「肌の潤いを示す保水力も喫煙者の方が少なかった。一般に『喫煙は肌に悪い』と言われてきたことを、データで立証できたのではないか。肌の衰えが気になる喫煙者は、まずはたばこを控えた方が良い」と話している。
2005.09.14
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以前(初期だね)に書いたが、最高裁はまっとうな判断をした。まあ、当然。おかしな法律は曖昧にせず、きちっと判断していくのが、民主主義国なら当然。まあ、公職選挙法は、全面的に検討に付されないといけないと思うね。今回の件で大切なことは、「お上」が決めたことだからと諦めずに、訴訟に踏み切った方々がいたこと。民主主義者たちよ!海外に住む日本人の選挙権を制限するのは法の下の平等を定めた憲法に違反するなどとして、海外在住者13人が違法確認や損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)は14日、請求を退けた1、2審判決を破棄し、選挙権行使を制限した公選法の規定を違法として「次回の国政選挙で投票権を有する」と認める判決を言い渡した。 そのうえで国に対し、原告1人当たり5000円を賠償するよう命じた。原告の逆転勝訴が確定した。 1998年の公職選挙法改正で在外投票制度が創設されたが、対象は衆参両院の比例代表選に限られ、選挙区選挙の投票はできない。最高裁が違憲判断を示したことで、国会は早急な法改正を迫られる。 原告らは96年に提訴。同年10月の衆院選で選挙権を行使できず精神的損害を受けたなどとして、当時の公選法の規定の違法確認と、1人当たり5万円の賠償を請求。その後、法改正で比例選の投票が可能になったため、選挙区選挙の選挙権を認めないことの違法確認も請求に追加した。(参照)
2005.09.14
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「あなたのいうことには、ひとことも賛成できるところはないが、あなたにそれをいう権利があることは、命をかけても、わたしは守るつもりです」アカ狩り?商業ビラの方は見つかっても見逃してもらえるのに不思議だ(経験有)。政治内容だから捕まえているんだとすれば、とんでもない国家。先進民主主義国は、政治的発言ほど大切に保護するというのに。厚生労働省の課長補佐(57)が総選挙の投開票前日の10日、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の号外を配るために警視庁職員官舎に立ち入ったとして、住居侵入容疑の現行犯で逮捕された事件で、東京地裁は13日、東京地検の勾留(こうりゅう)請求を却下した。地検は準抗告したが、これも棄却した。課長補佐は同日夜、釈放された。 司法統計によると、04年に勾留請求が認められたのは計15万1204件で、却下されたのは749件。 課長補佐は10日正午すぎ、東京都世田谷区池尻2丁目の官舎で、郵便受けに号外を入れているところを通報され、住居侵入容疑で現行犯逮捕・送検された。 その後、同省社会統計課の課長補佐であることが判明。警視庁は12日、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の疑いで追送検し、地検が13日に住居侵入と同法違反の二つの容疑で勾留請求していた。 ビラなどの配布をめぐっては、東京都立川市の自衛隊宿舎で反戦ビラをまいたとして3人が住居侵入罪で起訴されたが、東京地裁八王子支部が昨年12月、「被告のビラ投函(とう・かん)は政治的表現のひとつ。民主主義の根幹を成すものとして商業ビラ投函より優越的な地位が認められ、刑事責任を問うことは疑問」と述べて無罪を言い渡した。 03年11月の総選挙前にも、やはり「しんぶん赤旗」の号外を配ったとして社会保険庁職員の男性(51)が国家公務員法違反(同)の罪で起訴され、東京地裁で公判中。男性に対しては長期間、尾行、監視、ビデオカメラによる撮影が続けられ、公判で弁護側は「違法捜査のうえでなされた起訴だ」と公訴棄却を求めている。 東京地裁ではほかに、葛飾区のマンションで共産党のビラをまき、住居侵入罪で起訴された男性の公判も継続中で男性は無罪を主張している。(参照)
2005.09.14
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結局、「長いものには巻かれろ」派なんだよな、今回受かった新人なんて。小泉に頼った奴は、小泉にはなれないんだよな。風が変われば、つぎは落ちる奴等ばっか。しかし、森嘉朗のところで本当にいいの?296議席を獲得した総選挙での圧勝が、自民党の派閥模様に異変をもたらしている。小泉首相は、これまで派閥が担ってきた新人への「議員教育」の場を、新たにつくるよう党執行部に指示。脱派閥政治をめざす試みの一環だが、皮肉なことに「小泉旋風」のおかげで当選した83人の新人の多くは首相の出身派閥である森派への入会を希望している。一方、郵政民営化法案への造反議員が多かった旧橋本派や旧亀井派は勢力を減らした。 小泉首相は13日、首相官邸に自民党の武部勤幹事長を呼び、総選挙で初当選した83議員について、派閥に入らなくてもすむような措置を検討するよう指示した。首相はこの後、記者団に「派閥に所属していなくても、情報(交換)とか勉強とかできるような対応を、執行部は考えた方がいいと言っている」と述べた。 執行部は、首相と無派閥の新人議員が月に1回懇談する機会を設けるほか、派閥に所属しているかどうかにかかわらず、新人議員を対象に週1回、教育と情報提供の場を設ける方針だ。 首相は就任来、慣例だった派閥推薦を無視する形で閣僚や党役員の人事を断行。派閥に属すメリットのひとつを打ち消している。今後、新人の派閥入会を妨げないものの、各派閥の例会が開かれるのと同じ週1回のペースで新人が集まる場を設けることで、派閥の存在意義をさらに薄めようとの狙いがある。 党執行部のひとりは「政党は政策、理念で一致しているのだから、党主導で新人教育をする。党改革の一環だ」と語る。 ところが、こうした首相の思惑とは裏腹に、首相の出身派閥の森派には、新人の入会希望が相次いでいる。森派は、今回の選挙戦で16人の新顔を支援し、うち15人が当選。他派閥の応援を受けた新人からも、入会の打診があるという。 会長の森前首相は、首相の方針を受け、当面は無派閥の新人は入会させないことにしている。ただ同派関係者は「無派閥の新人議員たちは今後、争いのタネになる。来年9月の総裁任期切れの前には、遅かれ早かれ(多数派工作のための)奪い合いになる」と話す。 森派は、解散前の50人から53人となり、参院26人と合わせ79人の最大勢力となる。さらに十数人が入会を希望している。一方、解散前まで衆院だけで50人を擁し最大派閥だった旧橋本派は、郵政民営化法案に反対した綿貫民輔氏の離党や藤井孝男氏の落選などが響き、衆院では31人と大幅に人数を減らした。 旧橋本派は、支援した無派閥の前職や元職、新顔14人が当選。これらの議員が全員入会すれば衆院で45人となるが、参院の34人を加えても総数は最大で79人にとどまる。 「数は力」と長年にわたって最大派閥の権勢をふるってきた旧橋本派だが、ある幹部は「森派はいずれ総裁派閥でなくなる時が来る。その時は人数が多いと金集めも大変になる。(議員の)食べ過ぎに注意だ」と皮肉まじりに悔しがる。 多くの議員が郵政法案に反対した旧亀井派も、痛手を受けた。解散前の陣容は29人。このうち、亀井静香元政調会長ら反対組を含む14人が離脱。残った賛成派15人は全員が当選したが、派閥に入る見通しの元職1人、新顔3人を加えても大きく数を減らす。 旧堀内派は解散前の32人から、堀内光雄前会長ら3人が非公認となった。一方で元職2人が復帰、ほかにも新人2、3人の加入も固いと見ている。 一方、大幅にメンバーを増やしたのが二階グループだ。前職4人に加え、元職3人が議席を獲得。さらに会長の二階俊博総務局長が擁立にかかわった比例東海ブロックの藤野真紀子氏ら新人4、5人の加入が確実視されている。(参照)
2005.09.13
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絶対上げざるを得ない、避けられないってのが、自民党=官僚=経団連の意見であるはずなのに(つまり緊急であるはずなのに)、08年度以降にする理由ってなんだ?参院選だろ。谷垣財務相は13日の閣議後会見で、消費税率の引き上げについて「2007年度で税制改革の全体像を示しても、実施は07年度すぐというわけではないと思う」と述べ、消費税率の引き上げ時期は08年度以降になるとの見通しを示した。 財務省は、「在任中は消費税は引き上げない」とする小泉首相の自民党総裁任期が切れる来年以降に消費税率引き上げの議論を本格化させ、07年度中にも引き上げを実施することを目指していた。 しかし、小泉首相が衆院選の選挙戦で「(消費税率引き上げは)1、2年ではできない。数年先になる」と発言したことを受け、財務相も07年度実施は困難との認識を示したものと見られる。(参照)
2005.09.13
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「小さな政府」へ向けて取り組むという大目的があり、「郵政」はそのための手段。そう言っていた。であれば、ここは小泉政権の力の見せどころ。是非しっかりとやって、「官僚追従」というよく言われる批判(俺も批判したが)に対して、応えてほしい。麻生総務相は13日の閣議で、各省庁から出された来年度の国家公務員の定員要求を報告した。合理化などによって各省庁合わせて3488人を削減する一方、治安分野などで計5952人の増員要求があり、差し引きで2464人の増加になっている。総務省は年末までに査定を進めて、差し引きをマイナスにし、人件費の総額カットにつなげたい考えだ。 定員要求は、省庁ごとに、ある部局の人数を削れば、代わりに別の部局での増員を認める仕組みになっている。ただ、来年度から4年間の「定員削減計画」の決定が先送りになっていることから、財務省や厚労省は削減せずに増員だけを求めており、現段階では、合計で大幅な増加となった。 公務員の削減は、総選挙でも争点のひとつになり、自民党はマニフェスト(政権公約)に「定員の思い切った純減を実現し、総人件費を大幅に削減する」との目標を掲げていた。政府は今秋に公務員人件費の改革案をまとめる方針で、定員管理のあり方も議論の対象になる見通しだ。(参照)
2005.09.13
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かつてあんな下等生物が国会議員であったことがこの国のレベルの低さだし、今なお面白がって使うのがテレビ朝日のレベルの低さ。また、その記事を何の批判精神も無く書くのが毎日新聞のレベルの低さ。小池百合子を支持する気はちっともない。つまり、それは関係ない。言いたいのは、暴言でしか気持ちを表現できないのは、3歳児か野蛮人かハマコーだけだということ。まあ、そういうバカはいるもんだ。ただ、それに対する対し方が、この国のレベルを表しているんだなとガッカリした。この出来事を「バトルを繰り広げた」と書く毎日記者のレベルの低さよ。東京10区で当選した小池百合子環境相は12日、テレビ朝日の情報番組「ワイド!スクランブル」に中継で出演。スタジオにいたゲストの元衆院議員・浜田幸一氏とバトルを繰り広げた。 浜田氏が、イラクへの自衛隊派遣問題について小池氏に質問、満足な答えではなかったのか「うすらバカ」と暴言。小池氏が気色ばんで「何と言ったのですか。もう一度言ってください」と聞いたところ、浜田氏は「うすらバカって言ったんだよ」。これには小池氏も苦笑いを浮かべるだけだった。(参照)
2005.09.13
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「彼らが自由なのは,議員を選挙する間だけのことで,議員が選ばれるやいなや奴隷となり,無に帰してしまう」普通選挙制があれば民主主義だと考えるおめでたい輩は多くいて、それが「選挙へ行こう」なんて言説を生み出していたんだと思うが、民主主義エートスを持った者たちには、選挙後にこそやるべきことがある。政治は、選挙のときだけじゃない。むしろ、日々の生活において、どのような社会が良いのかを、生活の場から探っていくことが大切なはずだ。それこそ民主主義のエートスであると思われる。メディア(俺はブログも含めたい)には、しっかりと世論言説を作り出していってほしい。特に、選挙において「難しいから」と多くの有権者が回避した、この記事のような問題をしっかりと伝えてほしい。テロというのは生活基盤を脅かすもので、「国民だから選挙へ行く」なんていう抽象的議論よりも、ずっと一人ひとりにとって関係のあることなのだから。陸上自衛隊が派遣されているイラク南部・サマワで、治安維持にあたっている英国軍とオーストラリア軍が、サマワからの撤退を日本政府に非公式に打診していることが13日、明らかになった。12月に期限を迎える自衛隊派遣について小泉政権内では延長論が強いが、英、豪軍の撤退時期によっては、派遣継続が困難となる可能性もある。 複数の政府関係者によると、日本も含めた3者の意見交換の場などで打診されたという。日本側は撤退しないよう求めたとみられる。撤退時期に関しては「決まっていない」としている。イラクの治安状況の悪化などもあり、各国とも派遣部隊の撤退時期を模索しているのが現状だ。この中で、サマワからの撤退案も浮上していると見られる。 イラク復興支援特措法に基づく自衛隊の派遣期間は12月14日まで。政府は延長の是非を検討しており、小泉首相は12日の記者会見でイラクへの支援について「日本としてどういう役割を果たすことができるか、という点も踏まえながら、総合的に判断して決めたい。今の段階で12月にどうするかと言うのはまだ早い」と語っている。 一方、サマワでの活動については、防衛庁内にも「英豪軍がサマワから撤退すれば陸上自衛隊の活動は困難になる」「派遣は日米同盟を重視した政治的な意味合いが強く、現地での仕事は少なくなってきた」(幹部)との指摘もある。(参照)
2005.09.13
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俺は一番嫌いな政党を訊かれたら民主党と答える。議員になりたいだけで民主党に集まって、都市型選挙中心の「風を待つ風見鶏」ばかりだからだ。はっきり言って、今回は民主党にとってよかったと思う。受かるために所属する奴等はおいて、理念を持っている一部の政治家たちは抜け出すべきだと思う。それが時代を見据えた戦略になる気がする。はっきり言って、党内で政治理念の違いがありすぎる。また、そういうところが自民党との違いをわからなくしている。「農村対都市」という形で二大政党制を作りたい思惑は見えていたが、もっとしっかりと組織基盤をつくるべきだと思う。それには理念の一致が不可欠。評価できる政治家もいるわけだから、そういう奴等は多くの政治屋と一線を画するべきだ。揺るがない理念を語り、揺るがない支持を取り付け、来るべき時代に備えるべきだと思う。民主党は12日午後の役員会で後継代表選びに着手した。15日に代表選を告示し、17日の両院議員総会で選出することを決めた。後任には小沢一郎副代表や菅直人前代表らベテランの名前が挙がる一方、若返りを図るため野田佳彦「次の内閣」財務相らを推す声もある。ただ、執行部にも落選者が出るなど打撃は大きく、立て直しに向けた後継選びは難航しそうだ。 民主党は小選挙区の当選者が52人にとどまり、前回より半減。とくに首都圏など都市部で前職の落選者が相次いだ。 敗因について、岡田氏は12日未明の都内での記者会見で「政策を集めて争う選挙と位置づけた。そのことがいま一歩届いていなかった」と語り、小泉首相に比べて明確なメッセージが示せなかったことを挙げた。 民主党は特別国会召集までには後継代表選びを終えるため、週末に代表選出のための両院議員総会を開く方針だ。党内では発信力がある人材として小沢氏を後任に担ぎ出す動きがあるが、小沢氏を支持する若手に落選者が多く出たため、ただちにまとまれる状況にない。小沢氏自身は昨年5月、一度は代表就任を受諾したものの自身の年金未加入で辞退した経緯もあり、慎重な姿勢を崩していない。 一方、岡田路線の継承を図るため、菅氏の再登板を求める動きも出ている。菅氏は12日朝、TBSの番組で後任人事について「いろいろ人材はいる。こういう時代だから思い切ったことがいいが、思い切ったことをやった時に壊れちゃ困る」と述べ、世代交代が加速することにくぎを刺した。 しかし、若手の中では「時計の針を戻してはいけない」として、野田氏や前原誠司「次の内閣」防衛庁長官ら次代のリーダーへの世代交代を求める声も強い。党の苦境の中で、「火中の栗」を拾う決断ができるかどうか問われる。玄葉光一郎選対委員長は12日朝、テレビ朝日の番組で「後任選びは両院議員総会での選挙が望ましい。世代交代を選ぶのか、強いリーダーシップを選ぶのか」と語った。 岡田代表は12日朝、都内の宿舎で記者団に対し、後継選びについて「私は責任をとって辞めたわけだから、コメントする立場にない。みなさんで決めていただければ結構だ」と述べた。(参照)
2005.09.12
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そもそも衆院で2/3超えたわけだし、参議院議員の考え方なんてどうでもいいよな。参院が否決したって、衆院2/3で再可決すれば通るわけだからな。いらんいらん。記事にするだけ無駄。内輪の保身論なんて記事にするな。総選挙での自民党圧勝を受けて、同党参院議員で郵政民営化法案の参院採決で反対した20人、欠席・棄権の8人のうち、12人(反対6人、欠席・棄権6人)が朝日新聞の取材に対し、特別国会で法案が再提出された場合、賛成する考えを示した。自民党から反対17人以上が条件の「否決ライン」をすでに下回る情勢となり、特別国会での法案成立は確実だ。 8月8日の参院本会議採決は、自民党から18人が反対に回れば法案が否決される状態で行われ、22人が反対した。採決後、反対の2人が離党して新党に参加。民主党の1人が衆院選に立候補し、失職したため、今回の「否決ライン」は、自民党から17人以上が反対に回る場合になる。 反対した同党参院議員のうち、これまでに賛成に転じる考えを示したのは、鴻池祥肇氏のほか、二之湯智、真鍋賢二、田浦直、田中直紀の各氏。 欠席・棄権のうち、山内俊夫氏が賛成に回る考えを示し、旧堀内派の荒井正吾、大仁田厚、松山政司、水落敏栄の各氏も、与党過半数を超えれば賛成する、との考えで選挙前から一致しているという。 このほか、反対のうち1人、欠席・棄権のうち1人が、朝日新聞社の取材に対し、賛成する意向を示している。 自民党の片山虎之助参院幹事長は11日、反対議員の処分について「けじめはけじめだが、あとの国会日程が立て込んでいるから、そういうことをみながら最終的には総合判断になる」と述べ、特別国会での各議員の対応を見て、判断する考えを示唆した。こうした情勢を踏まえ、未定議員らのなかから、さらに賛成に回る議員は増えそうだ。 これに関連して、小泉首相は11日夜のテレビ番組で「(否決は)もうないと思う。必ず成立できると思う」と、成立への自信を示した。 再提出の際に法案修正をするかどうかについては「中身の修正はない。時期が07年4月で、これは成立が遅れたから、若干延ばす必要があると思うが、中身は変えない」と語った。(参照)
2005.09.12
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まあ、肉の味って、尿酸の味らしいけど・・・中国東北部の黒竜江省にあるトラ保護区近くで、トラ肉料理と称してロバ肉を出していたレストランがこのほど当局に摘発された。広告では「からしいため」が800元(約1万円)。珍味がうたい文句で、実際に肉はトラの尿に漬け込んでおり、香りだけは本物だった。中国はトラの売買を禁止しているが、ロバ肉料理は合法。店主が何の罪で摘発されたのかは不明だ。
2005.09.12
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今回の選挙を自分なりにまとめておくことは必要かもしれないと思う。徒然に、毒々に書くが、■「選挙へ行こう」なんていうプロジェクトはやはり害悪だった。「参政」(あるいは狭義に「投票」としてもいい)の権利は、確かに人類の歴史的営為の賜物である。それに関して、亭主は、その辺の人たちよりかなり真剣に捉えているつもりだ(Taking rights seriously!)。しかし、それを「義務」だとか、「行使するべきだ」という言説にしてしまったのは、はっきり言って、「権利」の意義をちっとも理解していないからだと思う。我々は必要に迫って権利を主張する。自分の財産が不当に脅かされたとき、自分の表現が不当に押し止められたとき、自分の尊厳を不当に傷つけられたとき。権利とは本来、普段の生活で、主張しなくて済むなら済む方が良いものなのだ。そうしたものを「義務」と置き換え、「行かなきゃいけない」という風潮を作り出すのは、それこそ「権利=自由」とは逆の原理に他ならないように思う。なぜそのようなことを俺が言うかというと、今回の選挙では、あきらかに無熟慮の票が動いたように思えるからだ(これに関しては、後に詳述する)。フェミニストに誤解・批判されるのを覚悟で書けば、「女子供」の票が当初から狙われていたし、「女子供」の票が大きく影響した。■「国民はそんなにバカじゃない」?テレビのコメンテーターでアホ丸出しの奴がいた。小泉自民の選挙戦術について、野党議員が「意図的に争点を隠した」と述べたとき、「国民はそんなにバカじゃないですよ」と言った。テレビにおいては受けるセリフだ。この言葉は、普通の政治家には否定しにくい(「国民はバカです」なんて言えないよな)。しかし、アホコメンテーターもちょっとでも政治を勉強していて、ワイマール期にナチスが台頭した状況を知っていれば、こんなアホなことは言えなかったはずだ(ルイ・ナポレオンのときとは違うという言説も俺には疑わしい。俺には小さな状況の違いよりも大きな構造の類似の方に目が行く)。民主的手続きに則り、大衆がヒトラーを選んだんだ。■一番悪いのは野党だしかし、一番アホだったのは、間違いなく野党だった。そういう国民の性質も知らず、争点作りも後手に回り、そもそもすべての作戦において負けていたと思える。大衆はヒトラーを好む。政治家ならこのことを真剣に考え、理念・政策とともに、どのようにしたらそれが実行できるのか、戦術論をもっと磨くべきなんだろうと思う。野党が弱くなったとき、ファシズムは完成したのだから。■選挙なんて行くべきだと自分で思ったときに行くべき今回のいろいろな場所における「選挙へ行こうプロジェクト」は、結果として与党を支える形になった。体制を支える市民運動なんて信じられん・・・一党独裁じゃないとあまり考えられないことだ・・・人口が減りつつある中で、アメリカのようなフロータイプの経済を目指すネオリベラリズムか、ヨーロッパのようなストックタイプの経済を目指す社会民主的改革か、といった争点が実は裏に潜んでいたのに、前者の選択でもっとも打撃を被るはずの20代の「子供たち」の票の多くが、無熟慮に投票箱に投げ込まれた。どちらが良いのかは、もちろんそれぞれの選択だ。ただ、どれくらいの人間がそれについて考えていただろう。俺は、所帯を持ったりして、給料から税金を引かれることの「痛さ」をわかるようになった人が、「だから投票に行く」というので良いと思う。わからないのに投票に行く必要があるとは思えない。■だからアホ結果的に体制側を支援する「市民運動気取りのアホ運動」体制側に簡単にしてやられている「アホ野党」不勉強のアホ語垂れ流しの「アホコメンテーター」自分がアホともわからない「アホえる子羊な国民」
2005.09.12
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インターネット絡みが8件ということで。どんなこと書いてあるのか見てみたいね。情報どこかに転がってないかな。なんか、「有害図書だから君たち子どもは見ちゃいけないよ」って言われているみたいだな。衆院選の投票日を前に、警察庁は10日、全国の警察による選挙違反の取り締まり状況をまとめた。 9日までの逮捕者は25人で、前回衆院選(2003年)の同時期より3人多い。 逮捕者のうち23人は、ポスターを破るなどの自由妨害。残る2人は投票箱の損壊などだった。 一方、解散日から9日までの警告件数は2691件で、このうち、候補者がホームページに選挙に絡む発言を掲載するなど、インターネット絡みの警告は8件。ネット絡みの警告は前回衆院選では3件だった。
2005.09.10
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人権思想というのは歴史的に育んできたエートスで、それに対しどのようなスタンスをとろうと、先進国の人間はその恩恵を享受している。言い換えれば、そのような前提をもとに、自由な経済活動も行えるし、表現活動も行える。この記事のジェリー・ヤンは、国家権力に対しあまりに安直愚直に与して、自らの商業活動の基盤を掘り崩していることに気付いていないのかもしれない。だが、ほとんどの人間が金儲けのために、他者の人権のこと平気で無視できるのだとも気付かされた。とりあえず、金を稼いで自分だけ安心できる地位に着いてから、他者のことは考えようという、成功哲学が流行っている気がする。これに対してどうこう言うつもりはない。ただ、戦争を民間に委託しつつある(つまり金儲けの道具にしつつある)アメリカが、人権や民主主義という美名のもと外交を行っているという現状は、結局、世界の人間たちが「人権エートス」よりも「金儲けエートス」を育んでしまっている結果なんじゃないかという気がしてならない。そして、心配なのは、そうしたエートスの行き着く先に何があるか、ということだ。経済活動の自由自体は素晴らしいことだと思う。だが、それを保障する大前提たる権利体系の忘却は、結局自分たちにかえってくるんじゃないかと思われる。「中国であれ、どこであれ、商売をするには地元の法律に絶対、従わなければならない」。大手インターネットポータル(玄関)サイト、ヤフーのジェリー・ヤン共同創業者は10日、同社が中国人記者の逮捕や有罪判決に関連し、中国政府に個人情報を提供した問題で苦しい釈明に追われた。 ヤン氏は中国浙江省の杭州でのインターネットに関する討論会で、米国人記者の質問に答えた。ヤフーは「国家機密漏洩(ろうえい)罪」で今年4月に懲役10年の判決を受けた中国の日刊紙「当代商報」の中国人記者の捜査にあたり、同記者の電子メールの交信記録など詳細な個人情報を中国の公安当局に提供した。 ヤン氏は「我々は情報がどのように使われるのか知らないし、伝えられていない」と指摘。そのうえで「このような行為がもたらした結果は私の好む事ではない」と強調。中国での事業機会を考慮すれば、やむを得なかったとの認識を示した。ヤン氏は予定していた討論会後の記者会見を急きょ、キャンセルした。(参照)
2005.09.10
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見出しを見たとき「また朝日がやったか」と期待した。しかし、この程度を記事にする意味が俺にはわからない。タブロイド紙をでかくしただけのような読売だから、朝日の失策を殊更大きく取り上げたい気持ちはわかるが、ニュース性という点において、意味も無いし、フェアでもない気がする。しかも、「謝ることは大切だ/謝れば済む」みたいな価値観が垣間見られて、アホじゃないかと思う。「個人情報の誤送信=悪いこと」という世間のステレオタイプに乗っかって、はじめて形だけは記事にできる代物だが、結局実質上の(記事にするべき)社会的損失がどこにも見出せない。「謝罪してなかった」ことを殊更言い立てているのは、朝日は信頼できないんですよ、と世間に宣伝するだけの、ちっぽけな商業主義でしかない。個人情報流出に関しては親告罪を基本とするべきだと思われるし、社会的意義の無い記事は意味が無いように思う。また、ちっぽけな中傷記事としての価値はあっても、ジャーナリズム精神にはちっとも則っておらず、むしろ読売新聞の資質を疑いたくなった。朝日新聞豊橋支局の記者が、衆院選公示前に愛知15区の立候補予定者2人の個人情報が記された調査表を、愛知県豊橋市内の学校法人にファクスで誤送信していたことが10日、わかった。 調査表には自民、共産両党の立候補予定者の住所、経歴、学歴、家族などが記入されていた。朝日新聞名古屋本社によると、ミスがあったのは8月12日で、支局から同本社に送ろうとしてファクスのボタンを押し間違えたという。 学校法人からの連絡で誤送信に気付き、19日に調査表を回収したが、2人には今月9日に報道機関から問い合わせがあるまで謝罪していなかった。 朝日新聞名古屋本社広報センターは「謝罪は思い至らなかった。今後は資料の取り扱いに、より一層の注意を払うよう徹底したい」としている。(参照)
2005.09.10
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途上国とアメリカとの間で、意見が対立している。これはアメリカが絡めばそうなるよなという、今までもあった出来事。無論、国連が舞台になるが、アメリカのような金のために他を蹴落とそうとする国がいる以上、アメリカを何とかするべきだろ、という考えがあるのは当然。多くの国が合従連衡策を採りつつ、アメリカとうまく立ち回るべきなんじゃないかと俺も思う。さて、そのような認識もあるせいか、この読売の記事の「国連の威信低下はさらに進む」という箇所が気になった。俺が不勉強なのは認めるが、このような書き方をする以上、どのような点で「現在」威信が低下しているのか、さらに進むとは「どのような状態になることか」をしっかり付記するべきだと思う。何がなんでもの妥協を促す方が良いのか、それとも決裂してでも、YESマンじゃないということを示すのかは、そのときの外交戦略の重要な選択の一つであって、この記事は、そうした実際に対して無知蒙昧なんじゃないかと思える(あるいは、確信犯的にアメリカ追従を促しているのかもしれないが)。読売新聞は、少なくとも記事の書き方において、しっかりしているとは思えない。国連のアナン事務総長は9日、国連首脳会合(14~16日)での採択を目指している国連改革案「成果文書」について、「時間は刻々となくなっている」と述べ、改革案が期限までにまとまらない可能性に言及した。 事務総長はさらに、「加盟国が意味ある成果を得ようとするなら、譲り合いの精神が必要だ」と述べ、開発や軍縮の問題で対立する米国と途上国側の双方に早急な妥協を求めた。 国連改革案は、ピン総会議長が8月5日、草案をまとめた。草案は開発と軍縮問題に力点を置き、政府開発援助(ODA)を対国民総生産(GNP)比0・7%と明記したほか、軍縮・不拡散の分野では核保有国の軍縮を求めている。 しかし、米国が数百か所に及ぶ修正要求を突きつけたのを機に各国の意見が噴出した。8月下旬から、32か国の代表が集まっての協議が続いているが、首脳会合開催まで1週間を切った9日になってもまとまっていない。 国連外交筋は「加盟国の(分裂の)実態がさらけ出された」と嘆き、「文書実現への期待が高まっている中で、何もできなければ、大きな挫折が広がる」と危機感を強めている。 関係国は週末返上で合意を目指すが、対立は根深い。国連創設60周年の場で改革の指針を示せなければ、国連の威信低下はさらに進むことになる。(参照)
2005.09.10
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明日のテロ対策に大掛かりな動員。しかし、テロを引き起こす誘引になったことがらについては、選挙争点から全く捨象されているのがおかしい。4年前の米同時多発テロと同じ9月11日に投開票日を迎える衆院選。警察当局にはテロに関する具体的な情報は寄せられていないが、警察庁は全国の公共交通機関などでテロの未然防止対策を展開している。 国内にはイスラム過激派がテロの対象としている米国関連施設があり、日本は攻撃対象国の一つとして名指しされている。また、04年3月のスペイン同時列車爆破テロは総選挙直前、今年7月の英ロンドンの同時多発テロはサミット開催中がそれぞれ狙われ、政治日程に合わせたテロも続発している。 警察庁は公示後、通常時の警備態勢をさらに強化し、全国で最大1万3600人の警察官を動員。空港やターミナル駅、主要バス停などのほか、レジャー施設や繁華街を重点的に警戒している。(参照)
2005.09.10
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何度も指摘しているが、知識人というのは頭が良いなと思う。手を汚さない方法を知っている。憲法違反の可能性を指摘し、そのムーブメントを盛り上げ、「お上」に再考を促す。うまい。しかしながら、まったく別の観点から考えれば、民主主義がしっかりと機能するためには、「シニフィエとしての立法」だけではなく、受け手=解釈者側の「シニフェアンとしての司法」が必要なのではないかと思う。つまりは、立法整備の回転率を上げるためには、「たまには司法に判断してもらう」ということが良いのじゃないかと思う。そこで考えなくてはならないのは、最高裁判所による「違憲立法審査」は具体的訴訟においてはじめて可能になるということであり、そこには先行的な市民活動が絶対的に必要だということである。だから、なかば確信犯的にブロガーは積極活動をするべきだし、サされた時には、結社して当たるべきだと思う(憲法21条だけに)。まあ、サされたら、喜んで最高裁まで頑張るって感じで(笑)。木村氏の提唱がソフトランディングな変革活動であるとすれば、この提案はハードランディングではあるが、俺のような無知識人には、より親近感がある戦い方ではある。
2005.09.09
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500万円はないだろ。俺にとっちゃでかいが、相手は堤義明だぜ。刑法における罰金は絶対額表記よりも、資産に対するパーセンテージ表記の方がよくねーか?今回なら、堤義明の総資産の5%とか。どうよ?西武鉄道株の名義偽装事件で、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載、インサイダー取引)の罪に問われたコクド前会長・堤義明被告(71)の公判が9日、東京地裁(栃木力裁判長)であり、検察側は懲役3年、罰金500万円を求刑した。 虚偽記載で起訴された西武鉄道には罰金2億円、インサイダー取引で起訴されたコクドには罰金1億5000万円をそれぞれ求刑した。判決は10月27日に言い渡される。
2005.09.09
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強権だね。大衆の支持を背後に、政敵を打ち倒していく。テレビCMも『我が闘争』って感じだし。ナチスも旧体制打破を訴えて出てきたけど、そう考えると出方も似てるな。日本が先の戦争を清算しきれてない証拠なんだろうな。自民党参院執行部は8日、衆院選で与党が過半数を獲得し、政府が直後の特別国会に郵政民営化関連法案を再提出する場合、先の通常国会で同法案に反対や欠席・棄権した党参院議員に対し、特別国会前に賛否の最終的な意向を確認する方針を固めた。 反対を表明した場合は国会などの役職から外し、自主的な離党を促す考えだ。 参院執行部としては、再度の否決は何としても避ける考えで、すでに派閥ごとに各議員の意向を探り始めている。(参照)
2005.09.09
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鴻池祥肇殿あなたは正しかったか誤っていたかはわからないが、自由民主党に属しながら、今回の郵政法案に反対した。国権の最高機関におけるご判断であるから、熟慮の結果だったことと思う。信念を込められたものであったと思う(そうでなければ、それこそ国民をバカにしている)。「民意を大事に」というが、国民の真意はあくまでも「すみやすい良い国」をつくって頂くことであり、「郵政」という特定の問題の判断では無いはず。そのこともよくご理解されていることと思う。国民は小難しい議論を考える暇が無いので、あなたがたのような国会議員に代わりに考えてもらっているわけで、今回の「郵政」に関しても、あなたを選んだ国民は、あなたに判断を任せているわけだ。それが、その時の大衆の熱狂に流されずに落ち着いた判断をするべき「良識の府」に属するあなたが、今回の衆院(!)の選挙で、意見を翻すというのはどうにも腑に落ちない。疑いたくはないが、次回の選挙で「自民党」の看板なしには受からないからという、保身の論理すら感じられる。また、参議院は必要無いと、あなたが言っているようにも感じられる。疑いたくはないが、もしあなたが以上のような考えから、記事のような発言をしてるのであれば、あなたに国民の税金から給料をもらう資格はないし、議員バッジをつける資格は無い。いずれにしても、つぎの選挙には出馬しないことを期待する。郵政民営化法案の参院採決で反対した自民党の鴻池祥肇元防災担当相は9日午前、同党の青木幹雄参院議員会長と国会内で会談し、衆院選で与党が勝利すれば特別国会で再提出される同法案に賛成する意向を伝えた。 会談で鴻池氏は「政治家として民意を大事にしなければならない」と述べ、青木氏は「大変いい判断だ」と応じた。鴻池氏は法案否決後、反対派による「勉強会」の結成を準備するなど、反対派がまとまって行動することで執行部をけん制する構えを見せていた。 同氏が賛成の意向を示したことで、反対・棄権組の参院議員の動向に大きな影響を与えそうだ。 鴻池氏は会談後の記者会見で、勉強会中止を青木氏に求められたことも明らかにし、「慌ててやる必要はないと思っている。選挙が終わったら十分相談したい」と、当面見送る考えを示唆した。(参照)
2005.09.09
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エジプトの大統領選は、ムバラクが勝つのは当然の出来レースだった。以前書いたように、最高学府のカイロ大学の学生を中心に「選挙をボイコットしよう」というデモが起きたくらいである。このデモ自体は支持できる。民主的でないのに民主制を装う「権力側の嘘」に対しては断固反対するというのは、民主的エートスを育んだ人間であれば当然の行為である。「選挙に反対することが民主的」ってことがありうるのが民主制なのである。権力側がつくったルールで戦うのがフェアーなどというのは、フェアネスについて全くの蒙昧の輩にしか言えぬ言である。しかし、今回の記事は、またそれとは違った戦術による好プレーだど言える。権力側の建前に乗って、エジプト民主化の駒を一歩確実に進める形になった。先月エジプトに行ったが、ムバラクの顔はいたるところで見られるものの、他の候補者には誰がいるのかもよくわからない。その辺のエジプト国民ですらがわかっていない(そのような状況だから、カイロ大の学生がボイコット運動をする)。しかし、アイマン・ヌール候補はまた別の方法で、民主化への一歩を進めた。選挙のやり直しを求めることで、ライバル候補がいることをメディアに示し、また同時に、三権分立がしっかりとしていないことを示した。近代制度における三権分立というのは、立法・行政・司法が分立しているだけでは不完全である。そこに相互の監視・抑制が加わらなければならない。今回のアイマン・ヌールの行為は、エジプトの民主的発展度合いを測る尺度を世界世論に提供したと言える(ちなみに、アメリカなどのニューズペーパーでは、日本のことなどよりエジプト(というか中東)の方が大きく扱われているように感じる)。確実に将来のエジプトの民主化に寄与するだろう。翻って、この観点から日本の司法府を見れば、日本という国がとても民主的とは言えないということがよくわかるのではないだろうか。俺に言わせれば、「選挙へ行こう」なんて無思想に軽口を叩いたり、「公職選挙法に抵触する恐れがある」なんて、民主主義を他人事のように考えられる奴らは、民主主義国に生きるエートスを持っているとは思えない。エジプト当局は8日、大統領選挙でムバラク大統領の最大のライバルとなった、明日党のアイマン・ヌール候補による選挙やり直し要請を却下した。 ムバラク大統領は70%以上の票を獲得していると報道されている。 ヌール候補は選管当局に対し、不正が横行したため7日行われた投票の信頼性が損なわれたと訴えたが、選管はこの苦情には根拠がないとして却下した。 選管のスポークスマンは記者会見で、「選管は要請を検討した上で、訴えの内容が事実ではないと判断し、これを却下することを決定した」と語った。 選管の決定は最終で、裁判所の判断にも左右されない。(参照)
2005.09.09
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自己決定権という言葉を最高裁が使う必要はないだろうと思う。いちいち「権利化」するものじゃない(「権利化」ってのは皮肉だよ)。自分のことは自分で決めるのは当たり前という前提で、近代憲法はできている。政治もそう。自分たちの国については、自分たちで判断するのが当たり前。そして、この判決のように、しっかりした説明は義務といえる。とても現政権の説明が、この判決の医師以上のものになっているとは、俺には思えん。94年、出産直後の長男を亡くした両親が「逆子だったので帝王切開を強く望んだのに医師に拒まれ、結果として難産となって死亡した」として医師らに約8000万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が8日あった。最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は「医師は自然分娩(ぶんべん)を選ぶ理由やそれに伴う危険性を両親に理解させ、受け入れるかどうか判断する機会を与える義務があった」と述べ、両親の主張を全面的に退けた二審・東京高裁判決を破棄して審理を同高裁に差し戻した。 この裁判で、両親は、医師に「自己決定権」を侵害されたと主張。最高裁の判断が注目されたが、判決は自己決定権という言葉は使わず、医師の説明義務違反を指摘するにとどまった。 第一小法廷は今回のケースについて、医師が(1)分娩方法の重要な判断要素となる胎児の体重や体の向きなどを説明しなかったこと(2)「いつでも帝王切開に移れる」と説明したこと――を重視。「十分な説明をしていない」と判断した。(参照)
2005.09.08
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