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意見の表明を迫害することは完全に論理に適っていると私には思われる。あなたが自己の前提、あるいは自己の権力について何の疑いも感じていないなら、そして心底ある結果を欲するなら、法にあなたの願望を表現し、あらゆる反対を一掃するのは当然である。言論による反対を許容するのは、ある人が円と同面積の正方形を求めるというような不可能な企てを語っている場合のように、その言論が無力であると考えているか、結果についてまじめに気にかけていないか、あるいはまた自己の権力か自己の前提を疑っているかを示しているように思われる。――O.W.ホームズじっくり読まないとよくわからないかもしれない。自分が間違う可能性に少しも自覚的でない政治家が現れれば、当然、反対意見を弾圧するだろう、ということが語られている。この後で、ホームズは、かの有名な「思想の自由市場論」を展開するのである。非常に脆い「表現の自由」は、だからこそ、しっかりと守らなければならないというわけだ。小泉を思い浮かべたならば、それは俺と同じものをここに読み取ったことになる。この国にホームズのような裁判官がいるかと聞く前に、裁判に眼を向け、政治に眼を向けたい。人気と強権が一緒になったときを歴史的に振り返ってみればいい。「小さな政府のはずなのになぜ増税?」って聞けばいい。「民間に任せて、耐震基準は大丈夫ですか?」って聞けばいい。大きな政府の無駄を減らすように日々努めることを諦めるのは簡単だが、アクロバティックな解決を求めたときに壊されるのは、自分の生活なんだということを、もう少し注意して考えるべきのように思う。
2005.11.29
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先日あげた「続×4回り道雑談」において、結構重要な部分を外してしまっていたので、またあげる。現在は、(2)に正規の順番で入れてあるが。■難民条約――民主主義と民度A (1:46:02): 人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、 ア 国籍国の外にいる者であって、 その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者 及び イ 常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができない者またはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まない者 A (1:46:15): なお、庇護を求める国において入国・滞在が無許可とされる者であっても、難民であることに変わりがありません(難民条約31条参照)。B (1:47:03): 難民の定義?A (1:47:18): 難民条約によるB (1:47:35): 日本は批准しているのA (1:47:52): してるA (1:48:03): 日本は、1981年難民条約に加入し、それに伴い、出入国管理令を出入国管理及び難民認定法(以下「難民認定法」と略すことにします。)に改正して、難民認定制度を設けました。 日本の難民認定制度における難民の定義は、難民条約の定義をそのまま引用しています(出入国管理及び難民認定法2条)。 B (1:48:09): ふむううA (1:48:32): 同法では、難民認定は、法務大臣の権限になっています(難民認定法61条の2)。 実際に難民認定申請を受け、調査やインタビューを行うのは、法務省入国管理局の入国審査官です(難民認定法61条の2の3)。主に東京・横浜・大阪・名古屋や空港内にある入国管理局で難民認定申請を受理していて、難民としての認定を希望する人は、所定の申請書に記入することで申請ができます。 しかし、このような難民認定申請の方法は、日本人にもほとんど知られておらず、ましてや日本語もできない難民が知ることは容易ではありません。A (1:49:26): http://www.refugee.or.jp/refugee/stat/jp.htmlB (1:53:36): 認定人数をできるだけ少なくすることが法務省内での得点になるのかなアリジャンは難民条約の定義にそのまま当てはまるようにしか読めないB (1:53:41): のにA (1:53:50): 俺もそう思うA (1:54:09): アフガニスタンからたくさん来られたら困るっていう考えがあるのは間違いないけどA (1:54:22): それなら、批准しなければいいA (1:54:39): 国際貢献が聞いて呆れるB (1:55:05): できるだけうちの国には来ないでください、B (1:55:17): そのかわり、あなた方の国においていろいろやりますからB (1:55:19): ってことですねA (1:56:01): 人ひとりが危ない目にあうのはしょうがないとでも思ってるのかねB (1:56:11): しょうがない、より、B (1:56:12): どうでもいいB (1:56:14): でしょA (1:56:20): 死んでもいいB (1:56:35): うん、そう思ってるように見えるA (1:56:37): 条約の批准が間違ってるA (1:56:43): 取り消せって言いたいA (1:57:06): 国内の法的論理を犠牲にするようなことを法務省がやるなってA (1:58:35): アリジャンの人生が無駄になっちゃうねB (1:59:12): させない、させたくないA (1:59:40): この国の法務省が、そういうことをしてるのは間違いないB (2:08:50): アリジャンが非常に落胆し、絶望しているだろうと想像しようとするのもつらいA (2:08:58): そうだねA (2:09:09): まあ、控訴はありうべきって思ってただろうけどB (2:09:26): 次はどうなるのA (2:09:42): 東京高裁A (2:09:55): 最も保守的と言われる悪名高いところだねB (2:10:37): そうなの??A (2:10:47): そうだよB (2:10:48): 裁判官が最高裁目指してるから?A (2:11:28): そうA (2:11:34): まったくその通りA (2:11:52): 最高裁判事は、内閣の指名に基くB (2:12:30): うん、弱者のほうを向いたって昇進できないんだもんねえ、そりゃ政府の都合のいい判決しなきゃねえA (2:12:36): そうA (2:12:52): だから、徹底的に、東京高裁こそ、衆目に晒さないといけないA (2:13:04): 弁護士だっていろいろ考えないとA (2:13:26): 「不当判決」ってあの紙をテレビに映すのはもう古いでしょA (2:13:47): もっと、効果的に、東京高裁の判事がおかしいんだって言わないとB (2:14:47): それは判決が出てからの話だよねA (2:15:05): もちろん、そういう積み重ねが必要A (2:15:21): 歴史の不条理からしか学べない、残念ながらA (2:15:30): でもねB (2:15:41): うんA (2:15:43): 批判があってのものと、批判無しのものではA (2:15:52): 全然違うB (2:16:12): そうだねA (2:16:35): 裁判所ってのがどういうものかも想像しないのが一般人だしA (2:16:44): 難民のことなんか考えないのが一般人だA (2:16:58): 自分が人権侵害を受けたときにしか気付かないひとばかりだよA (2:17:20): 人権を尊重する国になるように、日頃から努めていなかったらA (2:17:31): いずれ、痛い目にあうのは自分たちだってことがわかってないB (2:18:43): どうして、そんな風に無邪気に国とか権力側を信じていられるのかなA (2:19:03): 積極的に信じてるわけでもないでしょA (2:19:12): 一言でいえばA (2:19:22): 民主政を担うほどの民度に達していないA (2:19:47): ミルならそういうねB (2:21:30): 達するにはどうしたらいいとミルなら言うかなA (2:21:51): ミルは、『自由論』も書いているからねA (2:22:09): 個人の自由を尊重することって言うんじゃないかねB (2:23:26): それぞれの人が個人の自由を尊重するような考え方をするB (2:23:52): ようになるためには?A (2:24:16): ミルはそこについて語ってないと思うA (2:24:18): わからんがA (2:24:27): ある程度、民度が上がった国にA (2:24:38): 国民の資質という言葉を使うんだけどA (2:24:54): 民主政は可能になるっていう言い方をするA (2:25:09): その方策は書いてなかったと思うA (2:25:18): よく読まないとわからんB (2:25:25): そうかA (2:28:39): 民度が低いから、政治家のレベルも低いA (2:28:44): そういうもんです
2005.11.29
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高校が港街にあったせいで、僕のまわりには結構数多くの中国人がいた。中国人といっても、べつに我々とどこかが変わっているわけではない。また彼らに共通するはっきりとした特徴があるわけでもない。彼らの一人一人は千差万別で、その点においては我々も彼らもまったく同じである。僕はいつも思うのだけれど、個人の個体性の奇妙さというのは、あらゆるカテゴリーや一般論を超えている。――村上春樹『中国行きのスロー・ボート』「個人の個体性の奇妙さというのは、あらゆるカテゴリーや一般論を超えている」たったこれだけのことに気付くのに、万巻の書を読む必要などない。どこかの掲示板で議論する必要もない。ただ、引篭もりをやめればいいだけだ。ところで、こっからは日記風なのだが、最近、ご年輩の方々が皇室への愛着を感じているはなぜだろうと考えている。決して保守的でなく進歩的(この分類自体が古いが)な方々がそれをア・プリオリに語られるので、俺はその源泉を知りたいと考えるわけだ。決して現時点で批判的な心があるわけではない。ただ、天皇制というものが生産する(あるいは、生産してしまう)社会構造をよく理解する必要があるという興味関心はあるが(まあ、ある種の人たちからは、それを考えること自体不敬極まりないと言われるかもしれないけれど)。そのような考えで眺めていたとき、いくつかの議論が、新自由主義へのカウンターとしての「伝統」を皇室に求めていることを知った。これは面白い議論ではある。また、いつも勉強させて頂いている「反戦老年委員会」さんは、まさに<身体的>言語としての「昭和天皇」というものを持たれているように感じ、大変興味深かった(こちらのコメント欄やり取り参照)。先日書いたことにも絡むが、「契約論的な上段の構え」よりも、こうした伝統・文化をいかように解釈するかという<実践>は大切だろうと思う。ただし、年輩の方々の議論に奇しくも共通して現れる「日本固有の」という言葉に、俺は安易に凭れかかりたくないという気持ちもある。ふたつの理由を挙げる。・「固有」の陰に、そこに含まれない人びとの差別構造が生まれる可能性があること。(機能上の問題)・「伝統・文化」というものは、その時代時代における合理的選択を後から軌跡付けただけで、規範性は持たないものだという認識があること。(認識上の問題)二つめのは批判とは言えないが、日本「固有の」伝統や文化が、規範性を持ち、それが構造的に誰かを差別してしまう可能性を俺は危惧する。「伝統・文化」が「保守」にならず「開かれた構造」を持てるかどうか。そこかな。俺としては、これを「個人の個体性の奇妙さ」によって超えたいと考える「解放的関心」を持っている。
2005.11.28
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(1)(2)(3)のつづき■司法積極主義A (3:45:36): さっきの司法府のことなんだけどB (3:45:43): うんA (3:45:46): ソドミー法違憲判決はA (3:45:55): 多数意見6 反対意見3A (3:46:02): 保守派は反対するB (3:46:13): ふむふむA (3:46:19): で、保守派の団体があってA (3:46:37): 家族研究評議会っていうらしいがB (3:46:57): あははは って笑っちゃいけない、まじなネーミングだもんねえA (3:48:07): 司法積極行動主義者たちは、合衆国憲法に存在しない権利を生み出すために、自分自身の豊かな想像力を働かせた。そうすることで彼らは、州議会に代わって自身の道徳的判断を押しつけ、民主的プロセスの基盤を切り崩したのであるA (3:48:19): って非難してる。A (3:48:29): ケン・コナーって有名な保守B (3:48:55): 憲法に存在しない権利を生み出す、って考え方、変だねA (3:49:28): それを変だと思うのは、さすがBと言いたいですがA (3:49:43): アメリカではまだまだ熱い戦いですA (3:49:55): 司法積極主義対司法消極主義って言ってねB (3:50:05): へえA (3:53:46): そんなこと言ったら、どんな権利でも認められちゃうじゃないかってねA (3:54:01): 保守派は、この言葉をよく使うB (3:54:23): そうねえ、低血圧者の出勤時間を遅くする権利、とかかねえ 笑A (3:54:29): そうそうB (3:54:41): でも仮に主張しても認められるかどうかはB (3:54:43): 別の話でしょA (3:54:47): そのとおりA (3:54:49): というかねA (3:55:22): 権利を主張しなきゃいけない場面ってのをちゃんと考えてない発言なんだよねA (3:55:47): どんな権利でも認められちゃ、悪いんですかって俺は聞きたいわけB (3:56:05): ふむふむA (3:56:17): たぶん、権利の主張の根拠が、フーコーの言うように、民衆の不幸にあるならA (3:56:24): どんなかたちの権利もあり得るでしょA (3:56:36): 不幸は、それこそ無限の形をとってやってくるんだからB (3:57:16): 春の嵐の書き出しみたいねA (4:03:51): 保守派は、司法積極主義はダメだって批判するわけB (4:04:12): うんA (4:04:26): それは、民主主義における代表が集まった立法府の決めたことを覆したらA (4:04:37): 民主主義じゃなくなっちゃうだろって批判なわけB (4:04:52): ああ、そういうロジックなのねA (4:04:56): そうA (4:05:00): つまりねA (4:05:29): 自由主義と民主主義の相克が問題なわけB (4:05:44): うんうんA (4:05:49): それでA (4:06:07): 民主主義が大切だから、司法積極主義はおかしいって奴にはA (4:06:24): 民主主義は当初から、多数の専制を問題視してきたんだってわかってもらいたいわけだB (4:06:46): うんA (4:06:53): ちゃんとしたロジックでしょB (4:07:39): うん。民主主義国家といわれてきた国が誤ってきた歴史を少し振り返るだけでも簡単に理解できるよA (4:07:51): そうだね、それもそうだA (4:08:14): 社会主義国といわれたところだって、真の民主主義だって主張してたしねB (4:08:27): うん■読み替え=脱構築A (4:08:40): 切り分けが可能かはわからないんだけどA (4:08:55): 良識的な政治学者の間では一致している議論があってB (4:09:11): うんA (4:09:13): とくにロールズに代表されるかなA (4:09:21): われわれの向かうべきはA (4:09:59): 「公正な社会」(ロールズの構想する国家)か、あるいはA (4:10:05): リベラルな社会主義だA (4:10:07): ってねA (4:10:16): つまりねA (4:10:29): 市民的自由は最大限に認める社会でありA (4:10:30): かつA (4:10:45): 経済的自由は制限して、貧富の格差を防ぐ社会A (4:10:59): これが求めるべき方向だってA (4:11:05): 多くのリベラルな学者は考えてるB (4:11:28): それは、世界的に?A (4:11:40): それはわからんA (4:11:52): 世界への応用は時間が掛かるし、難しいA (4:12:01): でも、もちろん目標ではあるだろうねA (4:12:20): ただ、順番としては、今ある政治制度は国民国家とくっついてるわけでA (4:12:41): まず、そうした現行の制度を正しく直していくってアプローチじゃないかねB (4:13:02): うんA (4:13:22): 一気の作り直しなんてありえないわけでA (4:14:03): これが目標に留まってるのはA (4:14:25): ひとつは現行制度とリンクして考えなきゃいけないっていう問題とA (4:14:30): もうひとつ困難があってA (4:14:47): 共和制ってのは、財産権と結びついて歴史的に生じてきたものなんだA (4:15:05): それを、切り離す社会にしようって方向性でしょA (4:15:11): 理論的に可能かどうかB (4:15:12): うんA (4:15:24): それが現行制度上において矛盾しないかどうかB (4:15:28): そこを、どうすんのかなあ、って思ってたA (4:15:32): これが困難なんだB (4:15:37): ねえ。A (4:15:40): ねぇB (4:16:03): こっちでは、市民的自由の前にまず経済的自由だ、それである程度豊かになってきたらB (4:16:20): だんだんに市民的自由を広げていこう、ってしているように見えるんだよねえA (4:16:25): うーんA (4:16:38): それはたぶんちょっと違っててA (4:16:55): 経済的自由もなくて、経済発展が求められてるだけじゃないかねB (4:17:07): そっちのが、確かに近いね(笑)A (4:17:12): というかA (4:17:33): 経済的自由の主張は、スターと地点においては、イコール市民的自由だといってもA (4:17:40): 間違いとは言い切れないんじゃないかと思うA (4:18:06): ここも実に難しい論点を含んでるけどA (4:18:27): 大抵の国は、個人の自由なんてないところがスタート地点なんだよねB (4:18:34): そうだねA (4:18:55): それを意識的にも可能にするのは、財産権が一番A (4:19:06): そういう歴史的理由があるように思うB (4:19:43): ちょっと勉強が足りなくてうまく結びつけきれないけど、そうなのかA (4:19:50): いやA (4:19:55): そこにこそA (4:20:00): 現代の課題があるのは間違いないA (4:20:07): いいところついてると思うA (4:20:12): まとめるとA (4:20:15): かつては、そうだったA (4:20:24): でも、これからは、違う可能性もあるんじゃないかA (4:20:36): これが今の政治学の課題とも言えるように思うB (4:21:20): そういえば、PROPERTYについてしっかり考えなくちゃなあ、って前にAが言ってたねA (4:21:33): うんA (4:21:39): そうA (4:21:47): 財産権の組み換えだねA (4:21:50): 読み替えA (4:21:55): 脱構築A (4:22:23): こういう技があることを知ると、ポストモダンってバカにできないB (4:22:40): ふふ 技、かA (4:22:48): 技でしょB (4:22:57): そうだねA (4:23:09): そうなんだよねA (4:23:19): そういう概念の問題が大きいからA (4:23:33): 俺は司法府を大切にするべきだって思うんだよねB (4:24:42): 概念の脱構築をできる機関として?A (4:24:48): その通り!A (4:25:08): 弱者による、強者の「法」の読み替えってA (4:25:16): すごい武器でしょA (4:25:25): 吉田茂がねA (4:25:42): 朝鮮戦争で兵出せって言われたときにA (4:25:56): アメリカが「押し付けた」憲法を逆手にとってA (4:26:13): 日本はいけない。そういう国なんだ。って断ったB (4:26:24): かっこいいねえA (4:26:26): そうA (4:26:40): これが弱者の自己主張の仕方でしょA (4:26:55): 自己主張ってうまくやらなきゃいけないもののはずだB (4:27:24): 正論をしたたかに吐くA (4:29:11): そうA (4:29:14): したたかにA (4:29:16): しなやかにA (4:29:25): うつくしいね
2005.11.27
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(1)(2)のつづき■ソドミー禁止法B (3:22:33): ソドミー禁止法とは?A (3:22:56): ソドミー行為を禁止する法律A (3:23:07): なんていうかA (3:23:16): とってもプライベートな領域のことなんだけどねB (3:23:25): うんA (3:23:42): まあ、詳細見てないけどA (3:23:45): そういうことA (3:26:04): 1986年時点までは、合憲判断をしてたみたいA (3:26:35): 今回2003年の裁判で、違憲判断が初めて出てA (3:26:45): すべての州を拘束するものになったB (3:26:50): へええA (3:26:59): 最近なんだよA (3:27:23): 権利の歴史って、非常にコンテンポラリーなんだなB (3:27:44): 常に、かもねA (3:27:53): そうA (3:28:13): この判決は、画期的なようだねB (3:28:35): アメリカの最高裁長官は誰がどう決めるんだっけA (3:29:00): 大統領の指名に、上院の承認B (3:29:29): へえ、じゃあ、ブッシュが指名した人が違憲判決出したのかA (3:29:36): いやいやA (3:29:42): 最高裁判事は9名A (3:29:59): 他の権力機関は辞めさせることはできないA (3:30:03): これは日本も同じA (3:30:12): 辞任したらA (3:30:16): 補充するB (3:30:24): ふうむA (3:31:02): でね、A (3:31:08): よく揚げ足とりされるところなんだけどA (3:31:41): 裁判官が、大統領の任命によったって別に、司法府の意義は失われないA (3:31:59): たしかに、どんな傾向を持つかは変わるけどB (3:31:59): ふむふむA (3:32:15): アメリカのスプリーム・コートの歴史ではA (3:32:31): 保守派だと思って任命した裁判官が、画期的な判決を下していたりA (3:32:44): リベラルだと思ってた人が、保守的な判決したりA (3:32:51): そういうことって結構あるA (3:33:24): 裁判って、そんなに簡単なものじゃないでしょA (3:33:34): 言論による以上、説得力が必要なわけA (3:33:43): さっきの、「控訴理由」だってそうB (3:33:54): うんA (3:34:04): しかも、その理由付けは、国民に開かれてるんだからA (3:34:13): 後から、批判も可能なわけだA (3:34:24): アメリカなんか、法学教授の地位が高いからA (3:34:37): 変な判決には、集中砲火がくるB (3:34:56): 日本の法学教授は、どうなの??A (3:35:04): してるよA (3:35:11): それなりに機能してると思ってるB (3:35:18): そうかA (3:35:21): うんA (3:35:41): 裁判所が判断できるところをもっと判断すればA (3:35:55): この国の民主主義はもっとよくなるはずだと思うよB (3:36:33): 判断できるところをもっと判断する?A (3:36:43): うんA (3:36:52): 最近、やっといろいろ判断しだしたけどB (3:37:01): 在外投票とか?A (3:37:05): 昔は、「統治行為論」とかで逃げてたでしょA (3:37:06): そうそうA (3:37:24): 統治行為って、司法府も統治行為だ!って俺は思うんだけど(笑)B (3:37:41): うんうんA (3:37:45): それもねA (3:38:05): 学者のなかで、司法府が民主政に資するって論が出てきたからだと思うA (3:38:23): まあ、実は、アメリカの学説の受け売りなんだけどもB (3:39:18): 司法府は民主制に資するっていうのは、もともと言われてたことではなかったの?A (3:39:30): もともとってのが難しいんだB (3:39:35): ふむA (3:39:37): 誰が言ったかだからねB (3:39:41): うんA (3:39:50): だって、民主政ってのは、古くはギリシアでしょB (3:40:04): うんA (3:40:08): どの系譜かってのは、実はそんなに簡単じゃないB (3:40:17): そうなのかA (3:40:35): でも、民主政の意義自体をしっかり根本から考えないと、そういう考察には進めないよねB (3:40:47): そうだねA (3:40:57): その点で、しっかり考えてた人たちの意見は参考になるとは言えるA (3:41:16): J・S・ミルとかトクヴィルとかねB (3:42:25): うん。A (3:42:12): 民主主義ってことを適当に使いすぎるA (3:42:36): 同性愛が悪い、って根拠なく言うA (3:42:49): 民主主義だから、多数党がことを決める、って根拠なく言うA (3:43:06): 民主主義だから、選挙は義務だって、根拠なく、間違って言うB (3:43:15): うんA (3:43:27): そういう思考停止国家状況に腹が立っててねB (3:43:42): うん、危険を感じるA (3:43:52): 本当に危険を感じてるよA (3:44:24): 昭和軍国主義に転がっていくときの速かった歴史を学ぶとねB (3:45:21): うん、本当につづく
2005.11.27
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(1)のつづき■難民条約――民主主義と民度A (1:46:02): 人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、 ア 国籍国の外にいる者であって、 その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者 及び イ 常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができない者またはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まない者 A (1:46:15): なお、庇護を求める国において入国・滞在が無許可とされる者であっても、難民であることに変わりがありません(難民条約31条参照)。B (1:47:03): 難民の定義?A (1:47:18): 難民条約によるB (1:47:35): 日本は批准しているのA (1:47:52): してるA (1:48:03): 日本は、1981年難民条約に加入し、それに伴い、出入国管理令を出入国管理及び難民認定法(以下「難民認定法」と略すことにします。)に改正して、難民認定制度を設けました。 日本の難民認定制度における難民の定義は、難民条約の定義をそのまま引用しています(出入国管理及び難民認定法2条)。 B (1:48:09): ふむううA (1:48:32): 同法では、難民認定は、法務大臣の権限になっています(難民認定法61条の2)。 実際に難民認定申請を受け、調査やインタビューを行うのは、法務省入国管理局の入国審査官です(難民認定法61条の2の3)。主に東京・横浜・大阪・名古屋や空港内にある入国管理局で難民認定申請を受理していて、難民としての認定を希望する人は、所定の申請書に記入することで申請ができます。 しかし、このような難民認定申請の方法は、日本人にもほとんど知られておらず、ましてや日本語もできない難民が知ることは容易ではありません。A (1:49:26): http://www.refugee.or.jp/refugee/stat/jp.htmlB (1:53:36): 認定人数をできるだけ少なくすることが法務省内での得点になるのかなアリジャンは難民条約の定義にそのまま当てはまるようにしか読めないB (1:53:41): のにA (1:53:50): 俺もそう思うA (1:54:09): アフガニスタンからたくさん来られたら困るっていう考えがあるのは間違いないけどA (1:54:22): それなら、批准しなければいいA (1:54:39): 国際貢献が聞いて呆れるB (1:55:05): できるだけうちの国には来ないでください、B (1:55:17): そのかわり、あなた方の国においていろいろやりますからB (1:55:19): ってことですねA (1:56:01): 人ひとりが危ない目にあうのはしょうがないとでも思ってるのかねB (1:56:11): しょうがない、より、B (1:56:12): どうでもいいB (1:56:14): でしょA (1:56:20): 死んでもいいB (1:56:35): うん、そう思ってるように見えるA (1:56:37): 条約の批准が間違ってるA (1:56:43): 取り消せって言いたいA (1:57:06): 国内の法的論理を犠牲にするようなことを法務省がやるなってA (1:58:35): アリジャンの人生が無駄になっちゃうねB (1:59:12): させない、させたくないA (1:59:40): この国の法務省が、そういうことをしてるのは間違いないB (2:08:50): アリジャンが非常に落胆し、絶望しているだろうと想像しようとするのもつらいA (2:08:58): そうだねA (2:09:09): まあ、控訴はありうべきって思ってただろうけどB (2:09:26): 次はどうなるのA (2:09:42): 東京高裁A (2:09:55): 最も保守的と言われる悪名高いところだねB (2:10:37): そうなの??A (2:10:47): そうだよB (2:10:48): 裁判官が最高裁目指してるから?A (2:11:28): そうA (2:11:34): まったくその通りA (2:11:52): 最高裁判事は、内閣の指名に基くB (2:12:30): うん、弱者のほうを向いたって昇進できないんだもんねえ、そりゃ政府の都合のいい判決しなきゃねえA (2:12:36): そうA (2:12:52): だから、徹底的に、東京高裁こそ、衆目に晒さないといけないA (2:13:04): 弁護士だっていろいろ考えないとA (2:13:26): 「不当判決」ってあの紙をテレビに映すのはもう古いでしょA (2:13:47): もっと、効果的に、東京高裁の判事がおかしいんだって言わないとB (2:14:47): それは判決が出てからの話だよねA (2:15:05): もちろん、そういう積み重ねが必要A (2:15:21): 歴史の不条理からしか学べない、残念ながらA (2:15:30): でもねB (2:15:41): うんA (2:15:43): 批判があってのものと、批判無しのものではA (2:15:52): 全然違うB (2:16:12): そうだねA (2:16:35): 裁判所ってのがどういうものかも想像しないのが一般人だしA (2:16:44): 難民のことなんか考えないのが一般人だA (2:16:58): 自分が人権侵害を受けたときにしか気付かないひとばかりだよA (2:17:20): 人権を尊重する国になるように、日頃から努めていなかったらA (2:17:31): いずれ、痛い目にあうのは自分たちだってことがわかってないB (2:18:43): どうして、そんな風に無邪気に国とか権力側を信じていられるのかなA (2:19:03): 積極的に信じてるわけでもないでしょA (2:19:12): 一言でいえばA (2:19:22): 民主政を担うほどの民度に達していないA (2:19:47): ミルならそういうねB (2:21:30): 達するにはどうしたらいいとミルなら言うかなA (2:21:51): ミルは、『自由論』も書いているからねA (2:22:09): 個人の自由を尊重することって言うんじゃないかねB (2:23:26): それぞれの人が個人の自由を尊重するような考え方をするB (2:23:52): ようになるためには?A (2:24:16): ミルはそこについて語ってないと思うA (2:24:18): わからんがA (2:24:27): ある程度、民度が上がった国にA (2:24:38): 国民の資質という言葉を使うんだけどA (2:24:54): 民主政は可能になるっていう言い方をするA (2:25:09): その方策は書いてなかったと思うA (2:25:18): よく読まないとわからんB (2:25:25): そうかA (2:28:39): 民度が低いから、政治家のレベルも低いA (2:28:44): そういうもんです■同性愛B (2:48:44): E.ジョンが長年パートナーだった男性と結婚するってねB (2:49:01): イギリスでも12月に同性愛者同士の結婚が可能になるA (2:49:50): 写真見てるんだけどA (2:49:58): かっこよくない相手ですなB (2:53:37): 優しそうな人ではないかA (2:53:49): うん、やさしそうだA (2:54:00): 同性愛の人たちは、差別を受けてきたからA (2:54:07): 基本的に優しい顔の人がおおいB (2:54:37): 同性愛者って、どの集団にも5-8%は含まれるって聞いたことがあるけどA (2:54:52): もうちょっといるA (2:54:56): 11%B (2:55:16): 日本の左利き人口もそのくらいではなかろうかA (2:55:20): そうかもB (2:55:26): (もっと増えてるかもしれないけど)A (2:55:34): まあ、似たり寄ったりだB (2:55:54): 10人にひとり以上、いるようには、日本では思えないね なかなかA (2:56:18): いやいやA (2:56:22): どこの国もだよA (2:56:38): アメリカの最高裁判事の話だったと思うんだけどA (2:56:48): 非常に優秀な秘書がいてA (2:56:59): 秘書に尋ねるわけA (2:57:20): 同性愛者ってのは、本当にこの統計の通りいるのかってA (2:57:29): 私はあったことがないぞってB (2:57:35): ふむA (2:57:42): そしたら秘書がA (2:57:57): それは、同性愛者と公言できない状況があるからですA (2:57:59): っていうわけA (2:58:01): そしてB (2:58:03): うんA (2:58:11): 貴方の前にいる私もそのひとりですよってB (2:58:18): うんB (2:58:26): 実話?A (2:58:29): うんA (2:58:34): 何の本だったか忘れたB (2:58:38): ふーむうB (2:58:43): アメリカですら、そうなのねA (2:58:52): アメリカなんか保守的な土地だよA (2:59:20): 日本の皆さん、アメリカ国民を皆ブッシュと同じだと思わないでくださいねA (2:59:45): ってスティグリッツは言うんだけどA (3:00:00): それでも、半分くらいはブッシュに投票するわけでB (3:01:28): 全体の数からすると、保守的(ブッシュ的)な人口は確かにアメリカにおいて多いんだろうけどB (3:02:03): 一方で、ニューヨークとかで、普通にゲイのカップルが仲良くしてるの見たこともあったからさB (3:02:57): うんと、同性愛というのは、人間にしかないのかなA (3:03:05): いや、猿にもあるよB (3:03:13): え!A (3:03:19): たぶん、結構な動物にあるんじゃないかなA (3:03:34): ニューヨークで目立つのはA (3:03:55): ニューヨークが移民の土地で、権利の主張が盛んにされるからだろうねB (3:04:22): そうかもしれないねA (3:09:28): 同性愛が、生物学的な根拠を持つものなのかどうかわからないけどA (3:09:46): 人権を制約する理由になるとは思えないよねB (3:10:09): 思えないA (3:10:15): そうA (3:10:21): 多くの場合A (3:10:29): キリスト教の影響でしかないA (3:10:41): ユダヤ教でもいいし、イスラム教でもいいA (3:10:46): 旧約聖書ねB (3:11:07): 旧約聖書で同性愛について何か書いてあるのA (3:11:12): うんA (3:11:30): 同性愛者の性交渉をソドミーって言うの知ってる?B (3:12:09): 知らなかった ソドムって何かマイナスイメージのある言葉だよねA (3:12:15): そうA (3:12:22): ソドムとゴモラA (3:12:24): ってA (3:12:39): ノアが箱舟つくるときに出てくるA (3:12:45): 腐敗した街の代名詞なんだB (3:12:48): ふむふむB (3:12:53): あ、そうかA (3:12:57): そこでは、そうA (3:13:01): 男娼とかねA (3:13:05): そういうのが多かったB (3:13:12): ふーんA (3:13:13): 旧約聖書では、それをA (3:13:20): 滅びの原因にしてるわけB (3:13:34): はああ、なるほどねA (3:14:03): 金科玉条に旧約を読む人たちは、A (3:14:19): なんの他の理由もなく、同性愛を否定・忌避するA (3:14:31): そして、そういう道徳状況になるとA (3:14:39): 同性愛者だって、そう思ってるわけだからA (3:14:45): 自分を責めるわけだB (3:15:11): 二重につらいねA (3:15:16): もし、それが生物学的根拠を持つものだとしたらA (3:15:23): その可能性は十分にあるんだけどA (3:15:31): どうしようもないよねB (3:16:13): うん、たまたまそうなってる、ってだけだもんねA (3:16:20): そうA (3:16:26): なんていうか、A (3:16:34): アメリカの保守的なキリスト教徒はA (3:16:43): 確実に選民思想を持ってるA (3:16:51): だから、A (3:17:04): 同性愛者は、汚れた民だ、みたいなねA (3:20:11): テキサス州が、ソドミー禁止法ってのを作ったのねB (3:20:18): ひええええB (3:20:22): 何それA (3:20:31): さすが、テキサス州でしょB (3:20:43): さすが、ブッシュのお膝元A (3:20:50): アメリカの南部の州は、日本以上に保守的なんだよA (3:20:55): 別のいい方すれば、田舎なわけB (3:21:06): 井の中の蛙A (3:21:24): それが、世界をどうにかできる権力持っちゃってるのが怖いわなB (3:21:41): まったくA (3:22:06): まあ、田舎者ほど保守的なんですB (3:22:29): うん。つづく
2005.11.27
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■アリジャン訴訟の控訴――なぜ国民には権利が認められるのか。A (1:01:35): アリジャンの訴訟、控訴されちゃったねB (1:01:49): えええ そうなのか!!B (1:01:53): ちょっと、見てみるB (1:03:36): どこ見ればいいのA (1:03:45): http://www.alijane.org/B (1:04:11): 見たはずがあわてててわかんなかった。B (1:04:41): 悔しいA (1:05:16): 控訴しそうだったけどA (1:05:22): しょうがないねA (1:05:44): この訴訟をもっといろんな人間が知ることが必要なように思うB (1:06:19): うんA (1:06:29): 見守らないとねB (1:06:41): うんA (1:06:46): いろんな人が注目してるんだっていう圧力が必要なはずB (1:06:56): うんA (1:06:59): しかし、控訴理由を知りたいA (1:07:20): 法務省がどんな利益を求めて、控訴したのかA (1:07:32): アリジャンが訴える利益は十分あるA (1:07:40): 法務省が拒否する理由がしりたいB (1:08:00): 難民がどっと来たら困る、ってことでしょうかねA (1:08:14): それはそうだろうけどA (1:08:28): まさか、控訴理由にそうは書かないでしょB (1:08:49): ああ、そういう公式文書にどう書かれたかってことねB (1:08:56): どうすればわかるのかねA (1:09:02): ちょっと探してるんだけどA (1:09:14): まあ、あるとしても、まだネットには見つからないかもA (1:10:11): ちゃんとそれは調べないとねB (1:12:16): 入国管理局のホームページの枕詞がB (1:12:40): 「「ルールを守って国際化」を合言葉に出入国管理行政を通じてB (1:13:02): 日本と世界を結び、人々の国際的な交流の円滑化を図るとともに、B (1:13:23): 我が国にとっては好ましくない外国人を強制的に国外に退去させるB (1:13:36): ことにより、健全な日本社会の発展に寄与しています。」B (1:13:41): だとA (1:14:01): 好ましくないという判断は誰がするんだろうB (1:14:28): それは書いてないねえA (1:14:44): まあ、日本の行政らしいB (1:14:52): 非常にA (1:15:45): 弱者を酷いめにあわせる入管が「健全」なんて言葉を使うのが愚かしいよA (1:16:17): 弱者を排除した発展を健全と呼ぶような国は立憲国家と言えないB (1:17:48): 国民以外の弱者はどうでもいい B (1:17:59): そういう国だねA (1:18:21): そういう原理が論理整合的に成り立つと信じてるんだろうかA (1:18:43): 国籍一つがそんなに大切なのかA (1:19:06): 恐らく、なんで国籍が大切になるのかって問いに答えられないんじゃないかB (1:19:57): 国が庇護する範囲をできるだけ絞り込みたいからそこで区切ってる、くらいの理由しかないのではA (1:20:14): いや、A (1:20:26): なんで、国籍がある人間を大切にするべきかって問いにA (1:20:30): 答えられるのかねA (1:20:48): たぶん、考えてもいないんだと思うB (1:24:17): 国籍如何にかかわらず人間を大切にするべきだとは、考えていないんだろうねA (1:24:44): 国籍で範囲を区切ることの合理的理由は俺も認めるのにやぶさかじゃないよA (1:25:08): でも、ではなぜ国籍で区切って、その中の人間を庇護するべきなのかA (1:25:14): これを考えたら、A (1:25:32): 理由は、天皇の赤子であるから、とかA (1:25:35): 個人主義だからA (1:25:41): のどちらかにしかならんのじゃないかねB (1:26:09): どうしてそういう選択肢になるのか、ちょっとよくわかんないA (1:26:41): つまり、A (1:26:51): なんで国民には人権を認めるのかってことA (1:27:04): その理由だよA (1:28:37): 恐らく、現代の民主主義社会においてはA (1:29:03): 国家枠ではなく、個人として尊重されるA (1:29:08): という原理に基いてA (1:29:22): コンセンサスが成り立ってるんだと思うB (1:29:31): うんA (1:29:34): それをどのように実効化するかってところでA (1:29:39): 政治権力が用いられるA (1:29:44): これが民主主義のはずだB (1:29:44): うんB (1:29:49): うん。A (1:29:53): だからA (1:29:55): 今回の場合、A (1:30:11): アリジャンが存在することがA (1:30:18): どのような不利益をもたらすのかA (1:30:27): はっきりさせてくれないとA (1:30:30): 控訴理由にならないA (1:30:43): ただ、国民じゃないからってのはA (1:30:46): 頭がおかしすぎるA (1:30:54): その考えでいったらA (1:31:13): われわれの人権が守られてる理由が恣意に流される口実になるB (1:31:51): 恣意に流される口実になるって言うのは?A (1:32:08): つまり、A (1:32:16): 人権が守られるべきなのはなぜかA (1:32:28): それは、個人が最初で、国家が後だからA (1:32:32): なわけでしょA (1:32:53): それ以外に、すっきりした理論はできないB (1:32:57): うんA (1:33:19): もちろん、人権は、他者の人権による制約は受けるA (1:33:44): だから、すべてのビザの無い外国人を受け入れろなんてことは俺もいわないB (1:34:13): うんA (1:34:24): しかし、アリジャンの件に限って言えば、理由が難しいんじゃないかって思うA (1:35:00): これを認めたら他にも影響するってのは、人権の考え方の原理と最も相容れない考え方だといえるB (1:35:36): だから、公文書として控訴理由がなんだったか、知りたいってことなのかA (1:35:46): そうA (1:35:48): そしてA (1:36:05): それを衆目に晒すことが大切A (1:36:10): それはアリジャンのためでもあるしA (1:36:21): 民主政体なら当然のことだB (1:36:34): うん。B (1:36:36): 当然だA (1:37:11): 法務省がどんな論理を組み立てるのかもA (1:37:14): 純粋に知りたいA (1:37:38): 人権の考え方に立たざるを得ない地点から考えたらA (1:37:50): アリジャンの件の控訴理由は難しいんじゃないかと思うB (1:38:08): そうかA (1:38:12): だって、アフガニスタンへ帰れってことでしょB (1:38:17): そうですつづく
2005.11.27
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法律の違憲審査権によって、アメリカの司法官は絶えず政治に介入する。人民に法律の制定を強制はできないが、少なくとも自身のつくった法律に忠実でなくてはならぬようにし、また自己矛盾を来たさないようにさせる。――トクヴィル『アメリカにおけるデモクラシー』民主過程における司法府の役割を、トクヴィルは非常に綺麗に表現している。個人の権利を理性の光に当てて吟味する裁判所は、その記録も文書として残すことで、外からの批判も可能にし、真に民主過程を活性させるものと言えるように思う。願わくは、この国の裁判所が、こうした民主過程の役割も担っていることに自覚的であることを。
2005.11.24
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曖昧な記憶で恐縮だが、村上春樹が『中国行きのスローボート』かどこかで、「個は包括概念を超える」みたいなことを書いていた。(ここは、結構文学的に書いていたと記憶するのだが、俺の曖昧な記憶で書き直すと、ちっとも文学的凄みがなくなっちゃうな。後日、調べて書き直すかもしれません。)「概念化=名付け」という作業は、認識にかかる脳のコストを抑えるのに役立つけれども、必ずそこには代償が必要になるということを、村上は逆から述べているのだと思う。具体的な事柄(個)は、抽象的な事柄(包括概念)のもとに覆い隠されてしまいやすいが、具体的な事柄を見てみれば、抽象的な「名前」で把握していた認識を超える何かを必ず保持しているはずだ。扇動政治家の演説は、弱者を十把一絡げにして敵として煽るけれども、個別具体的な関係として接してみれば、そのような「名前」でイメージするのとは違った関係を築くことができることくらい、誰でも想像できるんじゃないだろうか。宗教とか文化を持ち出して、「だから、わかりあえない」みたいな結論に至る人間は、人間関係ということにおいてひどく不幸な人間なんだろうと思う。実際、会って話してみれば、ほとんどの人間と友達になれる。友だちになれないのは、国や文化や宗教のせいじゃない。国内での理由と全く同じ理由だ。文化・宗教を俺は尊重するけれども、それが「可能性を閉ざす」思考(つまり思考停止)に陥るのなら、断固戦う。さて、村上春樹だけれども、まさにその「逆に述べた」ことをすごいなぁと思う。われわれはいろいろな感情を持ち、それを大抵の場合、「概念」とひもづけて持っているように思う。扇動政治家やうんこなマスコミの垂れ流す排泄物を受け入れてしまった人は、簡単に「外国人犯罪者」とか「テロ国家」とか言うのだけれど、ひとりひとりにちょっとだけ思いを馳せれば、(少なくとも)あなたと同じくらいの日常生活の「厚み」のある人たちなんだということに気付けるはずだと思う。憎しみの言説は、さらなる憎しみを生むわけで、強迫神経症のように悪い方悪い方へ事柄を持っていく力を持っている。憎悪を煽って得するのは、そうした票を纏めやすくなる扇動政治家だけだってことに気付かないといけないんじゃないだろうか(この意味で、亡国を語る政治家が最も亡国を促した歴史が理解できる)。とはいえ、先入見を打ち破るのはなかなか難しい。でも、そこに、村上春樹の個に見出した凄さを思う。個としての関係を意識すること。活字の裏にある事象をよく読みとること。そこに血肉が宿っていることを想像すること。これじゃなかろうか。本当はすぐに紹介するべき記事だったのをここまで引っ張ってしまったが、満を持して、毎度毎度で恐縮だが「Fixing A Hole」さんの記事を紹介する。国家というもの(つまり日本人であること)と今われわれは離れることはできないのかもしれない。でも、個において、具体的な場所で、そうした概念を超えることは可能なはずだ。そして、思考停止に注意することはできるはずだ。知らないことを、名前だけで即断するようなことを気にすることができるはずだ。アリジャンという個人を思うとき、俺は、その不条理に驚く。確かに、考えたらきりがないほどの不幸にこの世の中は溢れていて、とてもすべてをわからないし、助けることもできない。でも、それは「今、わかっている」他者の不幸に眼を閉ざす理由にはならないはずだ。俺は多くの人間に何かをしてやれると思い上がるほど傲慢じゃない。ほとんど無力に近い。でも、そこで思考を停止したら、本当に可能性が閉ざされる。今日の俺は敗北するかもしれない。でも、明日の俺は何かを達成するかもしれない。今、俺は、宮沢賢治がずっと物を書き続けてくれたことに感謝している。------さて、お願いです。アリジャンへの署名は24日(明日!)が最終〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』もお薦めします。また、もう署名された方、以前renqingさんがコメントされた方法もご検討ください。法務省へのメールや杉浦法相へのメールでの訴えもありうべきと思います。
2005.11.23
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君主の物理的強制力は、行為に対して発動するが、意思にまでは及びえない。しかし、多数は物理的であるとともに精神的な力を身にまとっており、それによって行為と同様に意思に対しても影響を及ぼし、作為と同時に作為の欲望も禁圧されるのである。・・・絶対君主制は専制を不名誉にした。民主的共和政がそれを復権させ、少数の人々にはこれを重い負担とする一方、大多数の眼には、その忌むべき堕落の様相をおおいかくす。そんなことにならぬよう注意しよう。――フランシス・ド・トクヴィル『アメリカにおけるデモクラシー』19世紀にトクヴィルがアメリカの民主政から学ぼうとしたものはたくさんあるが、上に挙げた危険もその一つだった。この章(第7章)のトクヴィルは面白い。「アメリカほど、自主独立の精神と真の言論の自由の少ない国を私は知らない」とまで述べている。その理由が、上の「多数による意思への影響」であることは言うまでもない。この民主政への警句は現代なお輝き続けていないか?ところで、先日の「多数の専制」において問題だったのは、最後の多数決への強権的誘導よりも、それ以前にフィクシャスな共同体ができてしまっていたことではなかろうか。あの場面ですでに、登場人物のDは、そう簡単には拒否できない状況にまで追い込まれていたはずだ。君には自由があるという言葉の裏に、権力者に従うならばという条件節が紛れ込んでいる事実は、学校生活を過ごしたことのある人間なら誰でも知っていよう。その権力者が多数であるときが本当の厄介だということは容易に想像できるのじゃなかろうか。権力が見えなくされている社会は怖い。俺は、(これ以上語るのは、蛇足もいいところだが)それゆえにこそ、立憲主義の精神が絶対的に肝要なように考えている。司法過程は、統治の一機関によるものであることは間違いない。だが、権力側だからといってこれを忌避するのはおかしい。というのは、権力分立が説かれる本当の理由は、権力が必要だからに他ならないからだ。権力が無い状態で、友愛に頼ろうなどという言は、それこそアメリカのネオコンには馬鹿にされるだけだろう。俺は権力の必要性を認め、その上で、その危険に意識的に臨もうという意志こそ、立憲主義の本義だと考える。司法の場における<解釈>行為の保障こそが、「多数の専制」へのカウンターになりうる装置なわけだ。民主主義という政治過程だけに自浄作用を求めようとするのは、自分が権力側に立つ可能性があるということを知らない蒙昧な意見に過ぎないように思う(既存の左翼政党は注意せよ!)。---「自作自演」もいいところっていう文になってしまいました。すみません。さて、お願いです。先日紹介したアリジャンへの署名は24日(明日!)が最終〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。署名のお願いではなく、検討をお願いします。アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』は本としてお薦めします。
2005.11.22
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敵は個人じゃない、その背後に聳えるケチな言葉のピラミッドだ。――モブ・ノリオ『介護入門』個人が言葉を吐くというのが幻想にも感じられるような現実。個体が言葉を吐くのではなく、言葉が自身を語る口を探しているだけだとも言いたくなる。これをミームと呼ぶのか? おいおい、勘弁してくれ。ただのステレオタイプの反響板だぜ。救いを求めて言葉を消費しているようだ。お父さん聞いて、お母さん聞いて、ってのは、日頃十全に話を聞いてもらえない子どものやることだ。認めてもらえていないから、何かを口走ってしまう。少しく成長して、ただ口を開くだけでは怒られることを学んだ子どもは、聞いてもらえる事柄を探す。自分の意見ではなく、人の意見を<かたる>。父母への愛がある場合、それは自己保存欲求に根ざしている。あらゆる動物のなかでも有数の弱い「赤ん坊」として生まれる人間は、絶対的に父母からのattentionを必要とする。その関係性を愛と呼ぶ。ここに変な物語をつくりたがるのはよせ。虐待や捨子、そんなもんは結構溢れてる。そんな権力関係を愛と呼びえてしまうから、attentionが足りない人間は、権力を求める。縛られたくなる。命令を求める。死んで来いって言われたい。『異邦人』のムルソーが、死刑を前に牢獄のなかで世界の愛を感じるごとく。これは宗教だ。人は宗教から逃れられない。自然へ帰れない。ケチな言葉のピラミッドを「敵」とするところに、モブの凄さがある。恐らくは、人の忌避するものを真正面に受け止めた者だけが到達可能な地点に立っている。誰もが自由を語るが、誰もが自由じゃない? 結構じゃないか。誰も自由を語らなくなるまで、自由を語ろう。自由こそは、不自由な者の特権のはずだ。---先日紹介したアリジャンへの署名は24日が最終〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をお薦めします。
2005.11.22
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本来なら取り上げたくもないくらいどうでもいい政治家なんだけれども、一国の外務相になってしまうと、取り上げざるを得ない。あいも変わらず、素晴らしい記事を書き続けられている「Fixing A Hole」さんが、麻生外相の発言記事を取り上げられている(ここ)。「Fixing A Hole」さん同様、俺も絶句してしまうわけだが、言うまでもなく、靖国神社の「museum」というのは「遊就館」のことだ。「遊就館」については、「そぞろ日記」さんの記事を思い出す。この国の民は皆伝統的に「靖国」を信仰していたと語りたがる「子ども」がいるが、違う意見も十分に存在していたことが思い起こされればいい。そのうえで、俺がテーマにしてきた問題を、優れた語り口で語られている「Dead Letter Blog」さんの記事も今後の問題を考える上で参考になる(他の記事もおもしろい)。「靖国」は実は現代における単なる新興宗教だと考えてきた俺と一致してるんじゃないかと思う。新興宗教はどうしても、テロと親和性を持つって話はまた書く。---先日紹介したアリジャンへの署名は24日(明後日!)が最終〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をお薦めします。
2005.11.22
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今日は、ロールズとか知らなきゃ読めないことを不親切に書く。忌避するべし。前回あげた「ボージョレ解禁の日(原題『多数の専制』)」というフィクションは、実はあのような展開にならない可能性があった。阿部和重が<考えること>と<表記すること>を、イデオロギッシュに繋いでいる<書くこと>というステレオタイプに自覚的であるように、俺もまた、<書きにくさ>に内在する大切さを切に感じているからだ。つまりは、書いている途中に、書く「べき」の二重の意味に囚われたわけだ――「書かなければならないこと」と「書けること」の二つに。だが、「お前は自分に酔っている」旨伝えられたと感じられることがあったため、俺はその場をあのような形で濁して逃げることにした。そして別途、その時の文をあげようと決めた。今日がその日である。ここから書かれることは、はっきり言って読みにくい。あるいは、読めない。理解しようとしちゃいけないのかもしれない。読まないでいい。そもそも読者数も少ない。しかし、俺は、あのわかりやすい(『啓蒙』のように大上段に構えた)文よりも、等身大の自分の文章をかく「べき」だと考えた(自分のことを紹介するとき、わかりやすければ、それは嘘だ)。その観点から、二重の意味を克服しようと努めるわけだ。あの日の第一パラグラフの次は、実は、次のように続くのが本当だった。話は、そのようなわけで、解禁日の翌日、つまりは昨日の場面へと切り替わっていく。4名の登場人物が必要であり、それをここに<記す>という行為においてどのように<記号化>するべきなのか、しばし考えてしまう。最初の案は、ABCDとしてしまうものだが、これは単純なる主観論からしてなぜにか、甲乙丙と呼ぶのとは違った、人格性の捨象とも感じられるべき疎外が感じられる。おそらくなんとなれば、双方とも評価に使われながらも、前者は平等なる並立関係を他の領域においては保持しているが、後者にあっては、すべての領域において、その評価(階層)の絶対性を免れ得ないことによるのではないかと思われる。この評価の(時空を超えた)絶対性というのは、ある種の不平等であり、それがゆえの安定であるともいえる。であれば、民主主義者たるものはABCDを使うべきなのだと考えたくもなろう。だがその考えに俺は流されない。恐らく、ジョン・ロールズならばその考えに流されたであろうが、アマルティア・センやロナルド・ドゥウォーキンならばそうした短絡をも否定するだろう。つまりは、・・・と書いて、この段落がパラグラフと呼ばれるぐらいの質量となり、一定の結論を俺に強要し始めたので、ここで段落を分けることにする。つまりは、ジョン・ロールズの「原初状態」は、公正を徳として認める人間(だけ)に対して、弱者の立場への「想像力」を呼び起こさせるためのツールである。ロールズのこの微笑ましい枠内でのユートピアは、今まで政治「理論」上の欠陥として揚げ足取り対象となってきたが、俺には「政治」理論として、致命的な欠陥を持っているようにも感じられる。ロールズの論理展開の「妥当さ」と結論の「妥当さ」を俺は受け入れたいし、多くの人間に受け入れてもらえるものと期待もするのだが、それでも、その論理的帰結の「格差原理」に至って、強者への(倫理的?)お願いに堕してしまっているという印象は否めないんじゃないだろうか。センやドゥウォーキンは、「ケイパビリティ」や「資源の平等」という語を武器に、より実践の場において語っているように思う。これは実際に政治を実践するうえでの戦略論に関わってくる問題だ。俺が以上のように、ロールズを詰るのは、ロールズがもう亡くなったから、ということではなく、現実が、ロールズの大前提にのって来ない危惧を持っているからだ。ロールズは『正義論』を「真理が思想体系にとって第一の徳であるように、正義は社会の諸制度の第一の徳である」という宣言によってはじめるが、現実を見れば、一部の金儲けのための殺戮戦争や、社会に貧者が増えようとも自分だけが富めばいいという考えの者たち、弱者なんか顧みたくない者たちが溢れていないだろうか。そして、さらには、そうした者が大国の指導者となってしまっている現状に「アテンション・プリーズ」と唱えるだけでは意味がないのではないかと思えるのである。俺は、ロールズの偉大さを認める。彼がいなければ、政治学の学たる意義は生き返らなかっただろう。それ以後の多くの議論が、彼の作った土俵にのって行われているわけで、ノージックをして言わしめた「J・S・ミルの諸著作以来、絶えて現れなかった政治・道徳哲学の書」というのは(『アナーキー・ステーツ・ユートピア』におけるノージックを俺は余り買わないが)、諸手を挙げて賛成する。しかし、今、こうした素人のレベルで政治を語るにあたって、ロールズ的構えを採ることを俺は好まない。ロールズは大上段の構えをとる(そりゃ契約論だし)。俺のような素人が、ロールズを使えば、胴ががら空きになってしまう(何より、後にロールズ自身が論理的妥当性の源泉を合衆国憲法の実践に求めてしまうわけで)。福田歓一をして、「ホッブズは現実政治の役に立たなかったが、ルソーは現実を変える力があった」と言わしめたところに俺は注目する。ロールズの妥当な結論よりも、俺は政治哲学を復権させようとしたその試みを尊敬する。そのうえで、現実を通して多くの実りある議論が豊富に展開されることを望む。ロールズが使えるところがあるとすれば、それは「格差原理」という結論よりも、それを導き出し、修正し続けるツールである「反省(反照)的均衡」という考えだろう。つまりは、現実問題をわれわれは語らないといけない。ロールズは、批判されることによって、価値を上げる哲学者だと言えると思う。ロールズ以後に、現実を変革する言説が生まれると信じて活動するべきだ。さて、そうしたことを考えついたのが、ABCDと甲乙丙丁の違いなわけだが、これはまるで、チャールズ・テイラーのロールズ批判のようだと思ったわけである。コミュニタリアンズがリベラルズを批判するときの形はいろいろあるが、俺はそれが議論を現実に対して実りあるものにしようとする「善き動機」として評価して受け取っている。そうであれば、ロールズ『正義論』はそこから演繹的に語る道具ではなく、むしろそこが議論のスタートとなったのだった。だから、それをもとに、民主主義を語るのではなく、民主主義の実践において、現実の制度がどのように生きているのか、それぞれのスタートはどのような理念において作られてきたのかを暴く作業こそ、現代の論争において意義深いことだと考えるわけだ。というわけで、俺は呼び名をわからぬまま、結論として、ABCDを、順序に関係なく見せることにしよう。そして、この後、あのように続いたわけです。---先日紹介したアリジャンへの署名は24日が最終〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をお薦めします。
2005.11.21
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今年は17日がボージョレ・ヌーボーの解禁日で、その意義もわからずに儀式にだけは与るという大勢の愚か者の一員として、俺もボージョレを飲もうと計画するのであるが、東経135度を標準時子午線とする世界でも有数の「早くに味わえる土地」にいながらも、このようなワインに関する知識を持たない者が真っ先に飲もうとするのは、ワインの神様がいるならきっとお怒りになるだろうと気が引けて、一日おいて飲むことにしたわけだ。ちなみにワインの神様というものが概念としてでさえ存在するのかどうかもわからないが、麺類好きの細君がある国において味噌ラーメンと名うったものを食べたときに、これは味噌ラーメンの神様がいたらお怒りになると感じて書いてよこしたその文中に、確かに味噌ラーメンの神様は存在するんじゃないかと納得させられてしまうだけの、情念とでも呼ぶべき圧倒的な神性を感じたことが今なお俺に崇敬の念を起こさせている。そのようなわけで、解禁日の翌日を舞台としたあるフィクションがここから語られることになるわけだ。その日、仕事を終えたHはボージョレ解禁の会を思い立ち、スタッフ2名にボージョレ残業を命じ、共同経営者のDの戻りを待っていた。Hは、ボージョレのようなものは飲み屋に飲みに行くのではなく、職場で皆で飲むものだと考え、グラスと一本のボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーを用意しておいた。ところが、Dは珍しくその日車で出社しており、ボージョレを飲むことが叶わない状況である。互いに残念と思いながらも、まあ、とにかく乾杯くらいは一緒にしよう、となったそのときに、4名はワインオープナーがオフィスに無いことに気付いたのだった。まずHが近くに買いに走ったが、鄙びた地、遅い時間では、どこにも発見できなかった。それからの会話である。「どこにも売ってるところ無かったよ」「ナイフとかで開けられませんかね」スタッフのSが言う。「無理でしょう。コルクがボロボロになって中に落ちるのがオチですよ」ともう一方のスタッフA。「これなら飲みに行った方がよかったな。でも、ここで飲むのが意義深いと思ってね。・・・一つだけ案が無くはない」とHが言ったとき、即座にDが「俺は行かないよ」と、すべてを読みきったように言った。そう、HとDは長い付き合いなのだ。「確かに、その案は俺も考えついてはいたけど」Dが言う。「俺に何のメリットもないだろ。俺が車でワインオープナーを取りに行ったって、俺は飲めないし、何よりも俺は帰ったら、もう来たくないぜ」「しかし、それしかないよなぁ」とHが二人に振る。「私、誕生日なんです。今日」とAが言う。「後3時間で終わってしまう」「お願いします」Sものる。「おいおい、俺には何のメリットがあるわけ?」Dがたまらず言ったところで、Hが似非民主主義を持ち出す。「わかった。じゃ、ここは公正に多数決にしよう」弱者は常に弱者がゆえに、強者の利益の前に屈する。そのような政治制度もあろう。---先日紹介したアリジャンへの署名は24日が最終〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をお薦めします。
2005.11.19
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政治制度は人間がつくったものであり、その起源と全存在を人間の意志に負うているということを想起しよう。ある夏の朝、目をさましたら、政治制度ができていたというようなものではない。政治制度はまた、いちど植えられたならば、人々が「眠っているあいだに成長してゆく」樹木のようなものではない。政治制度はその存在のあらゆる段階において、人間の自発的な力によってつくられてゆくのである。――J・S・ミル『代議制統治論』また、ミルの『代議制統治論』からだが、アマルティア・センがベンガル飢饉に見出したように、地域的な災難は、政治の問題である。アリジャンのことを知ってもらいたいのは、このことにもよる。少しでも住みやすい世の中、弱きものの不幸を取り去ろうという意志、無理といわずに、それを求め続けることこそが、民主主義者たる条件のように思う。---先日紹介したアリジャンへの署名〆切は24日のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をお薦めします。
2005.11.17
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したがって、民主政治の最大の危険は、その他のあらゆる統治形態の場合と同様に、権力を握る人々の悪意ある利害である。――J.S.ミル『代議制統治論』代議制統治の理論を基礎付けたミルが、上の問題を避けるために考えたのは、比例代表制だった。今のこの国の何もかもが、代議制統治の元々の理念を離れているように思える。そして、とくに「悪意ある利害」という点において、紹介したい記事がある。自身の米国大学教授就任を目論んでいる竹中平蔵への「代替案」さんの皮肉たっぷりな忠告だ(参照)。今日はかぜっぴきなので、紹介に留める。---先日紹介したアリジャンへの署名は24日が〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をお薦めします。
2005.11.16
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彼ら〔チェンバレン氏やダラディエ氏〕が決して理解できなかったのは、ファシストの指導者たちは政治家ではなく、無法者であったという単純な事実である。彼ら指導者にはチェンバレン氏やダラディエ氏を動かした理性的な考慮は何の意味もなかった。彼らには文明の運命など気にならなかったし、本能的にも経験からも彼らは文明の敵であった。彼らは権力を手中にし、権力の維持を望んだ。人々の生命が繋がれるに至った巨大な軍事機構――これはうまく働いているようだが――を建設することで、権力の維持を図ってきた。彼らは、自らを支えるために、勝利を重ねる以外に文字通り選択肢を持たないところまで来てしまった。勝利なくしては彼らの依存する物質的な基盤は瓦解し、心理的な基盤も瓦解するであろう。無法者の指導者には敗北は許されない。というのも敗北は彼の全エートスが否定している法の亡霊を意味するから。――H.J.ラスキ『ファシズムを超えて』権力の維持を図るための「国軍化」という疑いは拭えない。無法者が勝ち続けることを強迫されるパラノイアである疑いも拭えない。法に力を与える活動を続けることがカウンターになることを確認。---先日紹介したアリジャンへの署名まだまだ募っています。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をご一読ください。
2005.11.15
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本屋で加齢臭とあった。父親のいなかった俺は、このにおいに落ち着く。小さい頃の記憶で、気をかけてくれたおじさんたちは、この匂いがした。多くの知的好奇心や本をプレゼントしてくれたこのおじさんたちがいなければ、今のようにはならなかっただろう。俺はまだかれーしゅーがしない。
2005.11.15
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一昨日の「アリジャンを知っていますか」を読み、ご署名くださった方々、ありがとうございます。私としては、何よりも、多くの方に、こうした現状を知って頂きたいという思いでいっぱいです。まだまだ署名活動は続いています。できれば、ぜひアリジャン応援サイト(こちら)をよくご覧頂き、『母さん、ぼくは生きてます』を読んで頂いて、ご判断ください。この社会で私たちは知らないことがたくさんあります。知らないことは仕方が無いことだとも思います。でも、知らないことに目を閉ざす態度は改めたいと考える一人として、訴えたいというわけです。■本題です。かつて、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』を読んで衝撃を受けたのは、この国の入管の「人を人として扱わない」仕組みだった。この国(民主主義国!)に生きている者として、その実態を知らなかったことに憤り大いに恥じた。タリバンから逃れ、将来祖国を豊かにできるようにと希望に燃え勉強しようと志を持ってきた青年を、自殺に追いやるまでに扱った「法の支配」の国の実態だった。まさにこうした<国境>における出来事の研究成果が、例えばテッサ・モーリス=スズキ等によって明らかにされているが、この本は、そうした研究者の論文に引けを取らない力があった。祖国の「復興」に希望を燃やす青年をそのように扱っているのが、イラクの「復興支援」を手伝っている国家なのである。皮肉にしか見えまい。この二つを並べてみると、ある真実に気付くように思う。国際貢献や世界平和というとき、この国ができることはなんなのか。これである。自衛隊を使った「復興」はやろうとしながら、祖国を思う青年に少しの助力もできない国が、なんの国際貢献をしようというのか。「復興」という大義名分が建前であると疑われても仕方あるまい。その一方で、現在、フジモリペルー元大統領への対応において、日本政府はペルー政府と結構な事態に陥っている。ペルー側の大使の召還にまで発展する事柄を、この国の政府はどのような考えで行ったのであろうか。ここは、「Fixing A Hole」さんの「脚注」が参考になる。記事を読まれればわかると思うが、日和見というか、非一貫性とはこのことだと言いたくもなる対応であろう。それぞれの判断が、状況を見た判断だと言い逃れすることも可能だろう。しかしながら、その判断はどのような哲学に基いているのか(つまりどのような観点からの判断か)を説明する責任が民主主義国の政府にはあるはずだ。日本という国の政府の対応は、この二者に対して明らかに異なる。一方は、日本国籍を保持しているとはいえ、自身が大統領にまでなった国が身柄引渡を求めている事例であり、もう一方は、災難に追われ、「平和の国」に希望を持って逃げて来た一青年の事例である。しかし、共通点こそ重要かもしれない。日本政府が、元大統領の日本国籍を認めるに至った経緯も不透明だし、現在入国管理国というところで起こっていることも不透明だ。つまりは、「法」の光の届かないところで為されていることが共通している。テッサ・モーリス=スズキに倣って言えば、今こそ、われわれ「主権者」が、それぞれのところから「民主主義」を考える必要がある。国の端っこの<国境>である「入管」(アリジャンが虐げられていた)や、政府に強いコネを持つ作家夫婦宅(フジモリが匿われていた)は、法の支配の外側に置かれた「治外法権」になっている。もし政治権力がなければ、強者は益々隆盛し、弱者は虐げられ、人として顧みられることはない。われわれは、権力行使の正統性を保持する者として、こうしたことを知り、あるいは、知るように努める必要があるのではないだろうか。確かに微力ではある、だが、無力ではない。できることを希望を持ってはじめたい。
2005.11.15
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人びとの不幸は、政治が生み出した無言の残りかすであってはならない。人びとの不幸は、権力を握る連中に対して立ち上がり、抗議を申し入れるという<絶対的な権利>の根拠となるものなのだ。――ミシェル・フーコー「紛争屋」伊勢崎氏が講演するらしい。俺は行けないのだが、自信を持って薦める。> 日時:2005年11月25日(金)19:00~20:30(開場 18:00~)> 講演内容:「平和構築とは何か~シエラレオネ武装解除から考える~」> 講師:伊勢崎 賢治> (立教大学大学院教授、> 元国連シエラレオネ派遣団・国連事務総長副特別代表上級顧問)> ■ 会場:日本財団ビル 2階大会議室A・B(25日・金)> 〒107-8404 東京都港区赤坂1丁目2番2号> TEL:03-6229-5111 FAX:03-6229-5110> 地図:http://www.nippon-foundation.or.jp/org/profile/address.html> ■主催:特定非営利活動法人 日本紛争予防センター> ■対象:国際協力、紛争予防、平和構築などに関心のある一般市民、学生> ■受講料:11月25日(金) 500円(当センター会員:無料)> ■定員: 約200名(定員を超えた場合、入場をお断りする場合がございます。)> ■申込方法:> ・メール(seminar@jccp.gr.jp)> 氏名、所属、連絡先、希望受講日(25日!)を明記し、> 件名に「セミナー申込」とお書き添えください。> 当日は、返信メールをプリントアウトしご持参ください。> 受講証との引き換えになります。
2005.11.14
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署名の最終〆切は24日のようです。署名の検討をお願いします。できれば、23日の勤労感謝の日などにアリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』を読まれてみてはいかがでしょうか。一人の青年の不幸を取り除くという活動は、とりもなおさず、「善き法」を作ることに他なりません。つまり、小さき者(弱者)の不幸を取り除ける社会は、すべての者にとって住みよい社会のはずです。ちょっとした「想像力」を発揮し、「署名のための3分の時間」を犠牲にして頂けないでしょうか。アリジャン応援サイトもぜひご確認下さい(こちら)。------第一次の署名は終わりましたが、第二次は17日(木)締め切りです。------時間がありません。また、時間内にここを見つけてくれる方も少ないでしょう。ですが、もしこれを読まれるのが一人だけでも、お願いしたいことがあります。アフガン難民のアリジャンの支援のために、署名してください(一瞬で終わります)。以前、『母さん、ぼくは生きてます』という本が出され、ご存知のかたもいらっしゃるかもしれません。検索をかけてみてください。多くの方がこの本を薦めていることがわかります。しかし時間がありませんので、まず、このサイトをご覧下さい。急な署名のお願いで本当に恐縮です。急な署名のお願いなど断るのが当然という向きもいらっしゃることと存じますし、それが当然だとも思っています。だから、アリジャンを知っていながらこの署名のことを知らない方に見て頂ければいいなという気持ちです。あるいは、もし亭主の判断を信じてくださる方がいるなら、ぜひお願いします。私が受け取ったメールを一部、許可無く引用します。> かれは2001年にタリバンに殺されそうになり、日本に逃げてきましたが、日本> 政府からは難民として受入れられず、入国管理局に捕まり、1年強収容所に入れられ > > てました。その後出所してから国を相手取り、難民不認定取り消し訴訟(要は難民として> 認めてという訴え)を東京地方裁判所でやってました。>> それが今日やっと判決が出ました。> 勝訴です。> 要は地裁は彼を難民として認め、日本に住んでも良いという判断を下しまし> た。> すごい画期的な判決です(日本は殆ど難民受入れしてないっす…)!> 会社を抜け出して応援に駆けつけたのですが、判決の瞬間は本当に嬉しくて涙> が止まりませんでした。>> ただ、道のりはまだ遠いです。> 地裁で勝っても、国が控訴して、高等裁判所にもっていったら、またどうなる> か分かりません。彼はもうヘトヘトです。>> そこで皆さんにお願いです。> 是非彼のHP(http://www.alijane.org)にアクセスしてもらって、そこの手> 順に従いワンクリック署名(一瞬で出来ます)に協力して欲しいのです。多くの署名が集> まれば、国も控訴を諦める可能性が大きいです。勝負はこれから一週間です。是非協力し> てください!!!>> 普段はバカばっかやってますが、今日は大マジです。> また皆さんの回りに協力してくれそうな人がいたら以下の文章をばしばし転送> していただけると幸いです。本当に心からお願いします。>> よろしくお願い致します。> *********以下転送文*************>> BCCにて失礼いたします。> アリジャン応援事務局です。> 難民認定裁判中アフガニスタン人 アリジャンの件について速> 報をお送りいたします。> (彼のこれまでの経歴や支援者の活動についてはHPを参考に> してください。掲示板への書き込み歓迎!> →http://www.alijane.org/)>> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━> ■ 本日、東京地方裁判所にてアリジャン勝訴> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━> 本日東京地方裁判所にアリジャンが訴えていた、法務省によ> る難民不認定の取消について、アリジャン側の勝訴が言い渡さ> れました。これまでアリジャンの自由のために応援してくださ> った方々本当にありがとうございます。今後、法務省および入> 国管理局は地裁での判決を受け控訴することが見込まれますが> 、もしそうなると、アリジャンは今後も長い長い裁判生活を余> 儀なくされることとなります。> これを阻止するためにも、法務省および入国管理局が控訴を> しないようできる限り多くの方々から署名を集めたいと思いま> す。集められた署名は担当の弁護士から控訴断念の要請ととも> に当局へと提出される予定です。>> ___________________________> 法務省・入国管理局による控訴断念を要請する緊急署名活動>  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄> ■署名 締め切り日(第一次): 11月13日(日) 必着>> いずれも、E-mail または FAX にて、下記まで、または、> 以下のHPにアクセス頂ければ、ワンクリックで署名出来ます。> http://www.alijane.org/>> E-mail: BZB04741@nifty.ne.jp> FAX : 020-4623-3130>>> ▼コピーは、ここから> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━>> 法務大臣 杉浦 正健 殿> 法務省入国管理局長 三浦 正晴 殿>>> 要 請 書>> 下記、要請に賛同します。>> 1. アフガニスタン(ハザラ)人アリジャンの難民不認定取> 消に係る、東京地方裁判所の司法判断(平成17年11月11日)を> 尊重し、アリジャンを難民として認定して下さい。>> 2. また、同裁判の高等裁判所への控訴を行わないで下さい> 。>>> 2005年11月11日>> 氏 名:>> 連絡先:>>  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄> ※ その他、要請の理由についてご意見などございましたら> 以下にご自由にお書きください。>>> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━> ▲コピーは、ここまで。
2005.11.13
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(1)(2)のつづき■民主主義ってなによ?A (3:17:16): あのねA (3:17:20): この間A (3:17:28): 本屋でねA (3:17:40): 石原慎太郎の本が平積みされてたんだけどB (3:17:44): はあA (3:17:51): それを見た初老の夫婦がいてねB (3:18:06): うんA (3:18:17): 奥さんの方が、忙しいのに偉いわねぇみたいなことを言ってるわけA (3:18:33): 手にとって読んでもいないんだよ(笑)B (3:18:35): あん?A (3:21:55): なんていうかA (3:22:09): でも、好感の持てる見せ方もするんだよA (3:22:31): 純粋無垢な人間は、その外見だけで判断しちゃうんだなA (3:22:47): つまり、言いたいのはねA (3:23:15): そういう政治的言説から判断をしない人たちの方が圧倒的に多いってことなんだB (3:23:26): それはそうだねA (3:23:29): そうA (3:23:40): そして、初老の人たちってのは、A (3:23:48): 民主主義を全くわかってないA (3:23:59): この世代の人間が多いんだ、A (3:24:14): 「民主主義」なんだから投票は義務だって言いたがるのがA (3:24:35): 「民主主義」なんだから守れってA (3:24:37): おいおいA (3:24:49): それって全然「民」主主義じゃないよってA (3:25:00): 大文字の制度になっちゃってるわけA (3:25:08): そして、メンタリティとしては、A (3:25:14): 戦前が残ってるからA (3:25:45): 命令=服従の考えを「民主主義」に応用するというA (3:25:55): 喜劇としか呼べないようなことが起きてるんだなA (3:26:07): 全然「民」主主義じゃないB (3:26:13): うんA (3:26:26): 自民党の改憲案なんか、95条を削除してるB (3:26:45): 95条A (3:26:58): 地域特別法の住民投票規定を削除してる時点で、全然「民」主じゃないでしょA (3:27:34): 例えば、原発とか、米軍基地とか、核処理施設とかをどこかの自治体につくりたいA (3:27:39): って国が考えたとき、A (3:27:53): それは、地域特別法の形をとるよねB (3:27:56): うんA (3:28:18): それを住民が受け入れるかどうかを、住民投票で決めることができるってのがA (3:28:26): 95条の規定なわけA (3:28:40): 「民」主主義なら当然でしょ?B (3:28:48): うんB (3:28:53): それを削除かA (3:28:56): そうB (3:29:05): 国主主義だA (3:29:09): そうA (3:29:37): この国の人たちは、本当に「民」主主義がわかってないんだなって思うよB (3:30:11): いつも自分を高見のほうにおいてしまうようなメンタリティを感じるねA (3:30:51): なんていうかB (3:30:55): 上の地域特別法も、自分の住んでいるところではないところに、面倒な施設を作りやすくしたほうがいいってB (3:31:11): 削除しようとしてるんではないかなA (3:31:41): 自分に関係ないってわかった瞬間、人には、皆で決めたんだろって言うやつに似てるよねA (3:32:07): 最低の卑怯な人間でしょB (3:32:17): そうだねA (3:32:36): それって、日本の伝統から見たって、十分に「恥」だよA (3:32:56): 知的誠実さがあれば、おかしいってわかることなのにB (3:33:36): そうだねえA (3:34:53): 我慢しろって人には言うA (3:34:58): 自分は逃れるA (3:35:08): 他人に厳しく自分に甘いA (3:36:11): お国のためにって言いながら、自分の子弟は徴兵逃れをやってた戦中の役人・政治家と一緒だよA (3:36:26): この国は、本当に無責任な国A (3:36:40): この点は、言葉上では、自民党と俺は一緒だ(笑)A (3:37:02): 違いは、俺は最も無責任なのが自民党だと思ってるところB (3:37:42): 無責任A (3:38:01): 変な話だけどA (3:38:11): 道徳とか言いたがるじゃないA (3:38:43): でも、男性の自民党議員がどれだけ女性関係とかに適当かってB (3:38:45): うんA (3:38:57): みんな知ってることよ、地方とかいきゃB (3:39:12): それはそうだねA (3:39:28): 自分に都合悪いところはひたすら黙秘A (3:39:44): まあ、なんていうかA (3:39:47): 頭が悪いんだねA (3:39:50): 端的にB (3:40:03): 日和見なんだねA (3:40:06): そうA (3:40:16): 結局、偉そうなこと言う割りにA (3:40:35): 次に自分が受かることと、少しでもいい役職につくことしか考えてないA (3:40:39): それが行動原理A (3:41:04): 俺はリベラルとして、それを認めるよって言ってるだけなんだよB (3:41:11): それB (3:41:13): とはA (3:41:16): その代わり、他人にも認めてねってA (3:41:26): 自分のことだけを考えて生きることB (3:41:41): うんA (3:41:54): 嘘で塗り固めた偽善だけはよせよって言いたいだけなわけB (3:42:24): うんA (3:42:47): 昨日のMさんとの話で思ったのはねB (3:42:51): うんA (3:42:59): 立憲主義=現代民主主義っていうのはA (3:43:25): 個人の「物語」を大切にするっていうきまりだってことなんだA (3:43:46): それぞれの個人の物語を尊重するっていうねA (3:44:17): それがさっき言った価値基準の多様性に繋がるわけB (3:44:25): うんA (3:44:30): 民主主義の成熟度の尺度になりうるでしょB (3:44:38): うんA (3:44:56): そういえばB (3:45:10): なに?A (3:45:27): 石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞ってのがあってA (3:45:33): 第二回の受賞者はA (3:45:38): 広河隆一さんだよB (3:46:02): へええ 知らなかったB (3:46:12): なるほどねA (3:46:23): ま、そういうわけです。
2005.11.12
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(1)のつづき■制度が教育するA (2:27:14): 制度が教育してるんだよA (2:27:21): たとえばA (2:27:45): 白人にホワイトカラーが多くて、黒人はブルーカラーってのが実際だったときがあるA (2:27:52): 多くの人間はバカだからA (2:28:05): その事実から帰納的に考えちゃうA (2:28:17): 黒人は劣ってるA (2:28:25): 俺たちには無理だよA (2:28:35): などの言説が生産され消費されA (2:28:51): 一大ステレオタイプの王国をつくっていくA (2:29:27): 最初にそれを超えようとした人は本当に勇気と知力があったんだと思うB (2:29:38): ほんとうに、そう思う。A (2:30:38): それが嘘なんだ、欺瞞なんだってことをB (2:30:52): 暴かなきゃいけないA (2:30:55): オープンにする活動をゲリラ的に続けないといけないA (2:30:57): そうA (2:30:59): その通りB (2:31:20): うんA (2:32:05): だって、そういう人たちが出てこないとA (2:32:11): 本当に大変な国になっちゃうB (2:32:15): うんB (2:32:35): どこで私たちは間違ったのだろう、ってA (2:32:52): 戦前の陸大とか海大出のエリートたちが、A (2:33:03): 国民を見ない戦争を遂行したようにねB (2:33:10): うんA (2:33:30): そんなのは、本当はエリートでもなんでもないA (2:33:40): でも、当時は、そして今もA (2:33:59): 単一の価値体系が出てくる感じがあるA (2:34:03): それが怖いB (2:34:39): 単一の価値体系A (2:34:41): 陸大出たって、アホはアホって、当時の国民が思えてればねA (2:34:45): まだ違ってたB (2:34:51): なるほど。A (2:35:03): 民主化の度合いってA (2:35:20): 価値尺度の多様性で測れるって意見もあるB (2:35:39): ふむふむA (2:35:59): いろんな生き方の価値が相互に共存できる社会が、民主的成熟度の高い社会A (2:36:32): お金儲けすべてってのも、学歴すべてってのもおかしいでしょB (2:36:43): うんA (2:36:56): Mさんのセミナーですごいなって思ったことの一つがねB (2:37:03): うんうんA (2:37:20): R社で社内広報誌をつくってたときA (2:37:43): 優秀な店とか社員の紹介を、数字で測ったら意味がないって考えてB (2:37:55): うんA (2:38:07): たとえば、石焼ビビンバ作らせたら一番だ、とかA (2:38:31): そういう部分に光を当てるような記事を盛りだくさんにしてたってことA (2:38:48): いろんな角度、いろんな価値基準で評価されるA (2:39:12): それが良い会社、社会の条件だと思うんだなB (2:39:17): ふむA (2:39:44): 店の売上数字とかで取り上げるだけじゃないってことねB (2:39:52): うんB (2:40:49): いろんな価値基準での評価がある社会が生きやすい人と、それだとどうしていいかわからずA (2:40:49): 世の中の大勢の価値基準が強力に出張ってくると、それに反する言動は「非国民」的扱いを受けるようになるB (2:41:03): 生きにくい人がいるA (2:41:23): うーんA (2:41:27): そこはやはりA (2:41:53): 弱者に生き難い社会は、強者にも生き難いんだと思うけどな■ネオリベ路線を支持する人たちA (2:42:10): さっきの例をヒントにして言えばA (2:42:14): 実はねA (2:42:31): そういうネオリベラルみたいなものを積極的に支持しちゃうのはA (2:42:45): 特権階級よりもA (2:42:57): 実は、中流のやや下の方の人たちなんだB (2:43:16): そうなのA (2:43:17): 逆転したいB (2:43:25): うんA (2:43:28): ルサンチマンA (2:43:32): そしてねA (2:43:38): これがすごく大事なことなんだけどA (2:43:57): 逆転のためには、階層体系はそのままじゃないといけないB (2:44:19): 自分は今の階層を抜けて上の階層にB (2:44:22): 入るためにA (2:44:25): そうA (2:44:38): でも、それを規定する特権階級にはそのままでいてもらわないといけないA (2:44:44): すごく小さいんだよA (2:44:53): 伊勢崎さんが書いてたようにねB (2:45:06): 植民地支配と一緒だねA (2:45:11): まったく同じA (2:45:26): だからよく言われるんだけどA (2:45:36): ネット右翼って呼ばれる人たちはねA (2:45:48): 俺は全然右翼だと思ってないんだけどA (2:46:15): そういう位置にいる人間が多いって指摘されるA (2:46:33): 現実社会で、認められていない人たちB (2:46:58): 中流のやや下のほうの人たち、ってこと?A (2:47:02): そうねA (2:47:10): まあ、ここでいう中流ってのはA (2:47:32): どちらかっていうと、サラリーマンとしてのA (2:47:40): 評価の度合いって感じかなB (2:48:15): 評価されぐあいねA (2:48:20): そうA (2:48:29): ルサンチマンなんだB (2:48:43): 認められたいA (2:48:48): その通りA (2:48:55): 認められるためにはA (2:49:03): 既存の価値体系が必要なんだA (2:49:06): あるいはA (2:49:14): 既存の価値体系で認められてないからA (2:49:22): こそA (2:49:42): なんだと思うA (2:50:15): そういう意味で、彼らは<保守>でもないし、<リベラル>でもないA (2:50:23): ノンポリなんだよA (2:50:29): 語の正しい意味においてねB (2:50:49): 批判じゃないもんねA (2:50:53): そうA (2:51:30): <保守>ってのは、もともとの理念に基こうっていう志向だと言えると思うA (2:52:00): <リベラル>ってのは、カウンターとしての自由を求める人たちB (2:52:19): <保守>は、既存の価値体系に対してはどういう立場?A (2:52:27): 認めるよA (2:52:43): ただし、それを正しい理念で保持しようと考えるB (2:53:05): ふうむA (2:53:16): 制度ありきだよ、もちろんB (2:53:29): うんA (2:53:33): 価値体系って言ったって、それは具体的な制度に支えられているんだからA (2:54:09): その一つ一つの制度を、しっかりもとあった理念に巻き戻しながら考える態度って言えると思うB (2:54:50): うん■保守リベラルA (2:55:07): そういう意味では、俺は保守リベラルを目指すB (2:55:25): そんなのあるのA (2:55:29): もちろんA (2:55:42): 保守とリベラルは、対立概念じゃないものA (2:55:51): すごく勘違いされるんだけどA (2:55:58): というかA (2:56:22): 戦後史だけ見たって、語の意味内容は、すごく変遷してるんだA (2:56:49): それを丁寧に暴いたのが小熊英二さんの『<民主>と<愛国>』B (2:57:17): ふむふむB (2:57:30): 民主、っていう意味も変遷してきたの?A (2:57:35): うんA (2:57:51): ええと、ちょっと断っとくとA (2:58:10): <民主>って表記は、いわゆる左翼を指してると思っていいA (2:58:21): <愛国>はいわゆる右翼ねB (2:58:27): なるほど、そういうことねA (2:58:35): そういうことですB (2:59:35): そんでAは保守リベラルなのA (2:59:40): だと思うけどねA (2:59:43): 完璧にA (3:00:07): ちゃんとした「うよく」は、リベラルだよA (3:00:24): 尊敬できる保守ってやっぱりいるものB (3:00:44): たとえばA (3:01:16): 石橋湛山A (3:08:14): 非常にリアリストのリベラルB (3:08:52): じゃ、Aのいう保守リベラルでないの?A (3:09:02): 保守リベラルだよA (3:09:25): リアリストってのを俺は全然否定してないわけでねB (3:09:51): うん。そうだとは思ってるA (3:10:02): ただ、岡本行夫みたいのは、現状を追いかけるリアリズムでしょ(笑)B (3:10:09): あははA (3:10:13): ああいうのは、リアリズムとは言わないB (3:10:16): あれと並べちゃいけないでしょA (3:10:55): まあ、そういう言説を不熟慮に撒き散らす人間が多いからA (3:11:28): 勘違いしてる人たちも多いと思うんだA (3:11:43): 田原総一郎なんて、岡本行夫をリアリストだって呼ぶんだからA (3:12:13): 本当にテレビ人ではあるけど、政治センスが無い人間だなと思うB (3:13:21): そうなんだ、、影響力が大きいんだから、しっかりしてもらわなきゃいかんよねえA (3:13:32): なんというかA (3:13:42): くだらない人間の影響力が大きくなってるんだよA (3:13:51): わかりやすいからB (3:14:05): ねえ、わかりやすいことは危ないことですって、B (3:14:15): どうして広まらないのA (3:15:00): そういうこと言うよりも、わかりやすさで押した方が視聴率が取れるからB (3:16:03): だけど、胡散臭いって思いながら見てる人も多いと思うんだけどなあA (3:16:29): いや、それはわれわれがそれでも、高学歴だからだよA (3:16:44): 付き合う人間とかねB (3:17:07): ううううんつづく
2005.11.12
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今回の「回り道」も幅広い広がりを見せており、情報編集者としての腕が試されるのではあるが、ほとんど時間が掛けられない。見出しくらいはつけようと試みただけで終わった。■学歴と父親の収入B (0:53:52): テスト受けなくてよくなって久しいなあA (0:54:03): そうねA (0:54:24): でも、テストのための勉強やっててもA (0:54:32): 頭って良くならないって本当に思うB (0:54:44): そうかA (0:55:04): やっぱり社会とか何でもいいんだけどA (0:55:11): 興味が開かれてないとねB (0:55:26): でも学校の勉強って、現実社会B (0:55:37): と切り離されたフィクションの世界のB (0:55:54): ロジックを一度飲み込まされるB (0:56:05): ものって感じでやってたよB (0:56:18): 大学からは違うけどA (0:56:26): なんていうかA (0:56:34): 一定の勤勉さというかA (0:56:41): やっぱり準備の技術みたいのはA (0:56:47): 役に立つと思うA (0:56:54): でも、それってA (0:57:06): 結局、マインドすべてであってA (0:57:29): テクニック教えてもあんまり意味がないB (0:57:36): うんA (0:58:24): テストってのはA (0:58:26): なによりもA (0:58:35): 飼いならす道具A (0:58:51): 受身的な姿勢を作り出す道具A (0:59:13): 好きな勉強を興味をもってやるってのと違ってA (0:59:27): とにかく、出てくるものをやらないといけないA (0:59:35): でもA (0:59:48): それはある程度必要だとも思うB (1:00:04): うんA (1:00:06): 問題はA (1:00:28): そこに、いつか、そこを超えるっていう気概の種をA (1:00:39): 蒔くことも忘れちゃってることなんじゃないかねB (1:01:09): そうだねA (1:01:32): テストに対する対し方が結局ポイントでA (1:01:52): 大半は、テストを飼いならすところまでいけないA (1:02:04): テストが目的化しちゃうしねA (1:02:24): テストって、本番のための「テスト」のはずなのにB (1:03:01): ふふふ そうだねA (1:40:11): 結局ねA (1:40:17): 学校も受験産業もA (1:40:26): 今の制度に寄生している業態はA (1:40:47): 中流階級がいらぬ野心を持たないように「教育」しているように思えてきたA (1:41:02): だってA (1:41:22): 早稲田の政経とか、東大とか、A (1:41:25): 統計とればA (1:41:41): 父親の年収1500万円以上ってなっちゃうんだもんB (1:42:06): ?A (1:42:09): 上流だけが、上流を目指すことを教えられてA (1:42:19): 中流は、牙を抜かれていくA (1:42:46): 勉強できるようになる秘訣ってA (1:43:00): 結局、そういう目的の高さでA (1:43:18): 金持ちは、当然のように、そこを目指させるからA (1:43:23): 届くようになっちゃうA (1:43:32): 中流は、目指さないもんA (1:43:51): もちろん、例外はあるけどA (1:44:01): 例外を言っても、意味がないからねA (1:44:09): 統計とれば、A (1:44:16): 高学歴層というのは、A (1:44:29): 高年収の家庭の子どもで占められているB (1:47:04): ちょっと思ったのは、ある種B (1:47:25): 上を目指さない層も多いことで、B (1:47:47): 変な安定がある社会なのかもな、日本って、とA (1:47:56): 日本だけじゃないよA (1:48:02): 先進国はほとんどそうA (1:48:23): ピエール・ブルデューって社会学者が言ってるB (1:48:32): ふううん 知らなかったA (1:48:40): 階層があるんだよねB (1:49:22): それをAは いい悪いっていうのではなく、そういう現象としてとらえてるの?A (1:49:35): 悪いと思ってるにきまってるでしょA (1:49:46): イデオロギーで隠蔽されてるだけなんだからA (1:50:23): そういうイデオロギッシュな制度装置に教育界が加担してるなぁって思うわけB (1:50:45): ふむうA (1:51:07): 受身姿勢の強化A (1:51:38): やりたいこと見つけさせれば、あっという間に追い抜ける人間たちを作ってるだけA (1:52:10): 予備校ってのが学費が高いのもA (1:52:28): 基本的に上流層を相手にしていた商売だからなんだよねB (1:52:38): そうかA (1:52:47): それが共通一次以降、大衆まで広がったんだけどねB (1:52:54): ふううんB (1:53:22): 私も悪いって思うけど、同時に、B (1:53:46): みんな上目指さなくちゃ、って風潮も生きづらい気がするA (1:53:58): 逆だよA (1:54:15): 階層が感じられることによるルサンチマンがA (1:54:35): 壁を超えるための上を目指す風潮を作っちゃってるんだと思うよA (1:54:55): そういうのがすべて取っ払われてA (1:55:01): 好きなことを学ぶのが大学A (1:55:05): っていう風にならなきゃA (1:55:21): 上流が上流を再生産するための装置なんだよ、今のはB (1:55:29): そうだねA (1:55:41): 企業社会と共犯関係にあったでしょB (1:56:11): 受身姿勢のエリートを大量創出?A (1:56:26): エリートの語義矛盾に感じるけど(笑)B (1:56:32): 笑A (1:56:45): 上流階級の子弟がA (1:57:00): 企業で上のほうに行くためにA (1:57:13): 大学行かせてたわけでしょA (1:57:48): 自分でいけるように、育つ上流階級もいるだろうけどA (1:57:51): そうじゃないのもいてA (1:58:03): 予備校ってもともと、そんな奴等のためだったわけでB (1:58:10): ふうむA (1:58:31): ただでさえ得なんだよA (1:58:42): だって、お前も早稲田に入れ、とかA (1:58:46): 言われて育つんだからA (1:59:07): 早稲田なんて無理って言われる家庭とは大違いでしょB (1:59:17): まあねA (1:59:38): それでなお学力が足りない子に対してA (1:59:54): ふくろう先生や予備校があったわけA (2:00:09): 両方とも、山の手を対象にしてたんだから、もともとB (2:00:27): そうかあA (2:00:43): それがいいか悪いか大衆化したんだよねA (2:01:01): 高度経済成長で、予備校通わせることのできる中流が一気に増えたし■ゲリラ作戦しかないA (2:11:29): そういう階層があるなかでA (2:11:47): 弱者は、やっぱりゲリラ作戦しかないと思うんだB (2:12:00): どんな?A (2:12:12): 徹底的にオープンにするA (2:12:23): フェアなように見えることが、実はフェアじゃないってA (2:12:25): ことをB (2:12:31): ふむむA (2:12:33): 暴き続けないとねA (2:12:50): 今、ある種はやりのネオリベラルってのはB (2:13:00): うんA (2:13:08): 明らかにおかしな言説になりつつあるB (2:13:23): どういう風に?A (2:13:38): 剥き出しの競争を求めててA (2:13:53): それが、まるで、当然でしょみたいにねA (2:14:03): そうなってるB (2:14:08): ふうんA (2:14:15): でもA (2:14:27): 10億の貯蓄がある人間はA (2:14:44): 毎年、利子だけで数千万円の収入になるB (2:14:56): うんA (2:15:09): そういう基本状況が違うのに、自由競争ってA (2:15:20): ちょっと頭がいかれてるB (2:15:39): スタートラインが違うA (2:15:43): そうA (2:15:46): 全然違うA (2:16:27): 特権によって買い取られた教育的優越や、特権的社会的地位によってえられる権威行使の機会は、諸能力を発達させるものであるが、それらは簡単に生得の資質であるようにみなされるのである。特権階級における有能な人間の存在は、相続的特権がいかに多くごろつきのような人間や禁治産者のような人間によってになわれてきたかという数多くの事例を隠蔽するのに用いられている。他方、抑圧されている階級に対してその生得の能力を開発するあらゆる機会を拒否し、そうしながら彼らが獲得すべき権利を拒否されてきたまさにそのものを所有していないといって非難する、これがつねに特権集団の習慣となってきたのである。(Reinhold Niebuhr: Moral man and Immoral Society. 1960)A (2:17:56): 読みましたか?B (2:18:06): 待ってねB (2:18:48): これは、何て本?日本語ではB (2:20:42): 先進国と途上国でも言えることだねA (2:21:49): ラインホルト・ニーバーだB (2:22:18): あ、そう書くと聞いたことあったA (2:22:36): キリスト教者でA (2:22:41): 祈りが有名B (2:22:48): 祈り?A (2:23:00): 神よ 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。 B (2:23:20): おおB (2:23:22): 聞いたことあるB (2:23:30): うただひかるも歌っていたぞA (2:23:41): なぬぃB (2:24:05): なに(笑)A (2:24:24): しかし、社会洞察は流石だよねB (2:24:39): うん。こっちでもB (2:24:50): 特権階級にいる人たちって、自分にはその価値があるB (2:25:02): みたいに信じてるB (2:25:09): ように見えるA (2:25:14): そうなんだよねA (2:25:35): 一部の優秀な人間を、ニーバーが言うように、代表させるからねA (2:25:58): 下層階級にだって、教育さえ与えれば、すごく優秀な人間がいるのにB (2:26:12): そう。A (2:26:27): まるで、そこをわかってないB (2:26:54): わかりたいとは思わないだろうしね 脅かされる側だしねつづく
2005.11.12
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自由とは練り上げられるもの。傷ついた人間しか弱者の痛みがわからないとしたら、この世の中は不公平すぎる。自由を練り上げるのに、すこしだけすこしだけほんのすこしだけの想像力を。
2005.11.12
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以前から書いているが、俺が問題意識として持っているのは、ポピュリスト政治家の台頭よりも、なぜそうした者たちが支持を集めてしまうのか、ということだ。ちょっとした頭脳の持ち主ならおかしいとわかることをわからない人間たちがいるということなわけだ。そもそも俺は<保守>的だと言われるが、それを自覚して敢えて言えば、「バカの政治参加はお断りしたい」と言いたくもなる現状がある。東京の某都知事の発言などは、「レイシスト」というレッテルを貼られて政治の場から追放されてしかるべきものなのに(参照)、なぜか支持を集める。こうしたことが度重なれば、この国の国民は政治的舞台に立つ資質をいまだ持つに至っていないという<保守>的な発言もしたくなるではないか。アメリカと中国が戦争したら、アメリカは絶対に勝てない。なぜなら、中国は人命などなんとも思っていない国であり、人命尊重の立場を守るアメリカでは歯が立たない。だからまず、中国に経済制裁を加えなければならない――。(某都知事発言「マガジン9条」参照)論理的にもおかしいし、想定自体がおかしいが、おそらく、それがわからない人間もいるわけだ。引用先の「マガジン9条」でも書かれているが、アメリカと中国が戦争する理由もわからなければ、アメリカが敵わないから経済制裁をしろという論理もわからない。これは単純にルサンチマンにすぎない。昔、アメリカに対して「NOと言える日本」を求めていた人間が、「NOと言える相手にだけNOと言える日本」人に成り下がっているのが悲しいが、中国が台頭してきたら、また違う国に吠えるんだろう。「弱い犬ほどよく吠える」というのは、人間様には当たらないと思っていたが、もっとも理性的発言を求められる政治の場で許されていまっている現状には嘆きたくもなる。しかし、もっと俺の気を引いたのは、「中国は人命などなんとも思っていない国であり、人命尊重の立場を守るアメリカでは歯が立たない」というくだりだ。これはまさに戦中日本が連合国から看做されていた態度である。「バンザイ・クリフ」や「靖国で会おう」という言葉で表される態度を、連合国司令部は奇怪に感じていたという。東京都知事は、近親憎悪を感じているのか? あるいは、中国の姿勢を実は羨ましく思っていて、この国にもそうなってほしいという発言なのか? しかし、それを考えても無駄だろう。そもそもポピュリストの最大の特徴は、論理一貫性が無いことなのだから。しかし、頭の悪い人間には、「その時の態度」だけで、「ブレが無い」ように見えるんだから笑える。その眼球を笑う。ポピュリストは究極的には、自分が尊重されるところにいればいいと考える政治家群だとも言える。首相が「毅然とした態度」を求めるのも、国内で認められたいというのがあろう。しかし、熟考に基づかない「毅然とした態度」は危険じゃないか? 頭の悪い人間の毅然とした態度が悲劇を招いた歴史をわれわれは知っていないだろうか(「反戦老年委員会」さんを参照)。もしかしてそうしたポピュリストの態度は「滅びの美学」に根ざしているのかもしれない。この点、三島由紀夫の「事件」が都知事に与えた影響は小さくないと思える。都知事はこの事件に関して三島を「友」と呼んだが、三島がそう思っていたか定かでない。俺はここが重要だと思う。弟に劣等感を持ち続けた男は、唯一見出した自分の場所においても、生涯超えられない対象を発見してしまった。三島のやったことをやる勇気も美学もない人間は、政治の場で、「滅びの言説」を消費することしかできない。芥川賞での選評は、毎回、自身へのいい訳に読めてしまうのは俺だけではあるまい。真偽のほどはわからないが、この国の首相が精神分裂病という病名での入院歴があるという情報がネットに流れていた。まず、このことを取り上げるにあたり、いくつかのことを断っておく。ひとつは、俺はそれを理由に不適格だと言うつもりは毛頭無いということ。いまひとつは、その出所には「真実だから報道しても名誉毀損罪にあたらない」という憶測まで付されていたが、そこまでは言えないということ。政治の場においては、政治において為したことを中心に批判するべきだと、言わずもがなのことを敢えて付しておく。そのうえで、俺は前に「あいつが俺を殴るかもしれない」でパラノイアに言及したことを思い出さざるをえない。というのは、そこを対象化して批判するためではなく、この国の世論の現状を認識するうえで、やはりそこの部分が避けて通れないとも思われるからだ。恐らく、こうしたこの国の「精神状況」を考えなくてはならないのかもしれない。これに関しては、あるサイトの管理者と意見交換をしたりしたので、もう少し時間を置いて、書いてみたい。ひとまず、今後の議論の方向性を上のように定めたうえで、それでもそこを切り分けて、ある種の政治的言説として、現状の仕組みや言説を批判している優れたものを紹介しておく。ネオリベラルの一人として昔から世論誘導を行っている中谷巌のどうしようもない意見への「Fixing A Hole」さんの反駁。また、NHKが自民党に弱腰になっていった歴史検証からの「情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士」さんの提言。本当に優れたブログがたくさんあるなぁと思う。だからなおさら、不熟慮の一票に腹が立つ。
2005.11.09
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最近、文が長くなってる。初期は、結構短く書いてたんだけど。理由はいくつか思いつくが、他のブログのコメント欄を読んでて(自分でも書き込んだりして)、基礎的な理解から違っている人たちがたくさんいることを知ったからだと思う。そういう人たちを想定して、概念の成り立ちから書き上げようとすると、どうしても長くなるし、しかも難しくなってしまう。どのように折り合いをつけるべきか考えているところ。「自由への予備的問題」(なぜわれわれは保守的なのか)「自由への予備的問題」(自由の綱引き)くらいの題が、はっきり書く予定のものなんだけど、今日は違うことを、軽く書く(たぶん)。■弱者の戦いはゲリラ戦だ以前も書いたが、権力側がつくったルールで戦うということがいかにおかしなことかわかっていない人間は、弱者の立場というものを知らないのだろうと思う。弱者の戦いは、あくまでもゲリラ戦であるべきだ(「べき」にはいろんな意味がある)。ゲリラ戦の本質は、以前も引いた酒井隆史『暴力の哲学』が大変優れた説明をしている(手元に無いし、もう忘れてるんですが)。ゲリラ戦は、生活(の場)に根ざしたものを武器とし、物量戦と指導部の白旗による決着という近代戦におけるルールを掘り崩す。これは本当に弱者としての戦い方だと思う。わかったようなことを言う人間こそ、権力に絡み取られている。だって、わかったようなことってステレオタイプなんだから。思考停止だよ。■強者が主張する「権利」?<権利>というのは、常にカウンターの主張であったはずだ。大きな力が襲い掛かり、生活の場を脅かすときに、それこそ「ゲリラ的に」主張されてきたものが<権利>であったはずだ。それが、強者として主張されるとすれば、大変におかしなことになる。「権利」というのは、条文に書かれているから守らねばならないものではなく、勝ち取られる過程で、理性的理由があったからこそ認められてきたもののはずだ。強者に「権利」の言を付すのは、ステレオタイピストのやることだ。例えば、特許権というのがある。これは元来、小さな会社の開発による生活利権を、大手資本による侵害から守るためのものだったはずだ。大手資本はいくらでも真似をし、廉価に改造し、一気に市場を席巻できるのだから。大手側が、特許を主張するようになれば、そこにはもはや<権利>などなく、ただの剥き出しの「競争・戦争」があるだけだ。大手は常にルールを自分のものにする財力・物理力がある。そうした剥き出しの「競争・戦争」を回避するものが市民の法ではなかったか。そう、われわれは常に既存のテクストに、法の新しい命を吹き込まないといけない理由はここにもある。■「自由」への「懐疑」そういえば、ちょっとは近いことかもしれないと思い、俺の議論は久しぶりに「Fixing A Hole」さんの記事に飛ぶのだが、医療における「自己決定権」を取り上げておられる。これを考える前に、少し。医療における「自己決定権」に関する最高裁判断の新聞記事を以前このブログでも取り上げたが(参照)、そこでの俺の意見はこうだった。自己決定権という言葉を最高裁が使う必要はないだろうと思う。いちいち「権利化」するものじゃない(「権利化」ってのは皮肉だよ)。自分のことは自分で決めるのは当たり前という前提で、近代憲法はできている。注意して読んでもらいたいのは、ここでちっとも規範的なことを言っていないってこと。つまり、「権利化=これはこうあるべきだ」ってのはすでに自由(あるいは自己決定権)を侵害している言葉だという認識に立っているわけだ。「自分のことは自分で決めるのは当たり前」なのに、この世はそうならないからこそ、<権利>が存在するという立ち位置に俺は立っているつもりだ。<権利>というのは、「当然の生活」等を脅かされた憤りに発するものじゃないだろうか。そうしたところから、「Fixing A Hole」さんの記事を見たとき、二つだけ言えることがあるような気がする。ひとつは、「自己決定権の問題」という括りは、問題を一般化しすぎているように感じること。<権利>の主張は「常に」個別具体的であるはずだ(上の最高裁の記事の場合参照)。もうひとつは、挙げられているギャリソンの議論から読み取れる印象は、「患者と医師の情報の非対称性」よりも、俺には「コミュニケーションの失敗」ととれたということ。恐らく、<権利>の主張は、多くの場合、この「コミュニケーション」の失敗に根ざしている。最後に書かれた「Fixing A Hole」さんの懐疑は、「自己決定権、あるいは自由」なんてあるのか?というもののようにも読める。これは俺の理解できる範囲で言えば、大変優れた問いだと思う。この「懐疑」において、ロック=ミル=バーリンの系譜における「自由」概念は木っ端微塵にされている。これについては、近いうちに書こうと思う。■楽しい権力批判結局長くなってしまったが、楽しい権力批判というのが俺は好きだ。江戸の庶民文化の批判精神が好きだ。ここに紹介する。こういうのを正しい(たのしい)権力批判という。http://www.ericblumrich.com/nazi.html(その名も「Bushflash」に入っている。)http://anarchy.exblog.jp/3679904/(穴あきさんの面白い皮肉画像)
2005.11.07
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このブログを書き出してから、こんなに書かない期間があったのは初めてのよう。書かなかったのは、ローマまでパスタを食べに行ってたからで、というのは本当に狭い内輪だけに通じる冗談で、実際は連休にも見えるこの時期に仕事が込んでいたからだ。すなわち、非常に眠い。実は先ほどここまで書いて、今日書くのは断念しようと決めたのだが、ひょんな流れから、書くことになった。■拙速は巧遅に如かず今回の題で語るのは、あともう一度くらいの「自由への予備的問題」を踏まえてからにする予定であったのだが、以前も書いたように、ブログというものの意義を、既製のロゴスからの跳躍だと考えている俺は、「本に溺れたい」さんのチャレンジングな問いかけに、今答えようと思う。ちなみに、このことは、今これを書くことになった理由とは、全く関係がない。■憲法の必要性を言えますか?簡単に憲法というが、憲法というとき、一般人は、どうも他の法律からの類推でイメージしているように思う。つまり、改変可能だと認識する向きが多いような気がする。もちろん、変えることのできる<部分>はある。しかし、変えることのできない<部分>もある。なぜ、現在、ほとんどの国が憲法を戴いているのかを考えたことがあるだろうか。憲法は、ただの国家ごとに作る法律ではなく、人類史における価値ある理念だと思われているからこそ、ほとんどの国に存在するわけだ。もし、国家ごとに違ってよいものなら、憲法が無くたっていいんじゃないか?■憲法の意味まず、憲法学の知から実りを与ろうと思う(つまり、少しばかり無味乾燥になる)。憲法は「形式的意味の憲法」と「実質的意味の憲法」に大別される。前者はテクストとしての憲法(つまり憲法典)であり、後者は特定の内容を具えた規範としての憲法である。後者の実質的意味の憲法、つまりConstitutionは、まず字義通りに、国家の組織・構成の規範を意味する。これは、テクストとしての憲法が無くたって、国家が存在する以上、存在する。国家組織のことを指示しているわけだから当然だよな。さらに、実質的意味の憲法は、立憲的意味を持つ。つまり、立憲主義という意味での憲法だ。これは、権力の濫用を抑止し、個人の権利・自由を擁護することを主たる目的とした規範のことである。現代において、この立憲主義の精神を外したものは憲法と呼ぶことはできまい。個人の権利を確保するために権力を制限するというのが近代立憲主義の真髄なわけだ。■改憲の限界改憲というとき、文字だけを変えるということであるなら、退廃貴族のサロン論議にしかなるまい。しかし、改憲という行為が、実質的意味の変革を企図しているのは間違いないだろう。このとき、立憲主義の精神を逸脱するかたちで、国家の機構やテクストを変革するのであれば、これは明らかに許されざる行為のはずだ。立憲主義=現代民主主義の逸脱を許すような改憲は、改憲手続きに則って行うべきものではなく、それこそある種の革命(しかも歴史逆行的な)によってしかできるはずがないものなのだから。立憲主義を放棄する改憲というのは、奴隷になる自由に似ている。これが論理的に解決できない矛盾であることは、賢明な方ならわかるだろう。■憲法=不磨の大典「正しき法」という概念を使いたい。法は正しいもので、われわれはそれを発見していくのだという古くからの考え方がある。ここで言う「法」は、テクストのことだろうか?決してそうではないだろう。テクストにいまだ記されていなくとも、われわれは、新しい事例に、ある種の「正義感覚」を働かせることはできる。立憲主義というのは、そうした正義感覚の発露を、保障する思想だといえると俺は考える。つまり、個人の権利が、権力・権威との闘いのなかで、勝ち取られ、一般化してきたものであるとすれば、その闘いを究極的に保障していたのは、個人主義の保障たる「立憲主義」だったと言わねばなるまい。このとき、憲法は「正しき法」と同義である。そうした立憲主義の精神(歴史?)を憲法と呼ぶのであれば、間違いなく、これは不磨の大典であろう。■法はどこでできるのか reflain(実は、昨日、ここまで書いたところで、このブログサービスがメンテナンスに入り、ここからはさらに一日を改めた後に書き出す。)「自由への予備的問題(2)」で書いたように、「法」は、立憲主義の精神に保障されつつ、人類の営為のなかから生まれてきたと俺は考える。そこには、権力側の制定法を「読み換える」作業だって含まれているし、日々の生活にしっかりと位置付くように、ある種の解釈の共有を行ってきたはずだ。解釈の共有を行う場は、いろんな場面があったはずである。決して、作った人間の一方的な思惑が、そのまま「法」となることはないのである。それは、(もっとも「解釈の共有の場」らしい)実際の裁判過程を少し想像するだけで理解のできることだ。そこでは、双方の主張が吟味され、判断としてなりたっていく。だから、裁判を結果だけで考えるのは愚かしい話で、その論理展開や傍論にも(こそ?)、政治過程における司法府の意義が表れるのだとも言えよう。■原意主義(Originalism)さて、この国にもそろそろこれを主張する「保守の法曹」が現れるだろうと予測しているのだが、原意主義という考えがある。俺は、この考えはよく吟味されていない頭の悪い考えだと思うのだが、インパクトという点で、人をひきつける力があることは否めない。だから、少しばかり検討しよう。原意主義というのは、法律も憲法も(!)、起草者の意思通りに解釈するべきだという意見である。今後テレビ等でも、これを堂々と唱える法曹が出てくるはずだ。この論のインパクトの強さの理由は、ある種当然のことだからである。しかし、重要なことは、実はこの議論は何も言っていないのに等しいということなのである。起草者は、その法律が適用されるすべての事例を予め予測することはできないし、法律の適用に当たっては必ず「現場における解釈」行為が存在するからである。しかも、それが憲法であった場合はさらに大変だ。立憲主義=現代民主主義の憲法制定権力は人民である。人民が制定時に完璧に一致した理解をするということはあり得まい。むしろわれわれは良き政府への信託として、憲法を定めているはずだ。つまり、<解釈>に開かれた構造を憲法に埋め込んでいるわけだ。大原則として、立憲的意味を含めるかたちで。こうした観点に立ったとき、原意主義は、「法」はわれわれが常に作り出していくという理解と対立する。俺の意見と対立するだけでなく、実際に裁判過程で現れてきた「環境権」や「プライバシー権」も拒否してしまうわけだ。憲法解釈論としてもお粗末だし、何よりも実際のことを説明できていない。■憲法とは以上見たように、憲法解釈は「憲法典」に<外在>する。これは当然だ。大切なのは、憲法典ではなく、われわれの生活なのだから。われわれの生活において「良き法」を見出していくための信託の宣言こそ、憲法と呼ばれるのが正しい。「憲法は不磨の大典ではない」という意見は、根本的な無理解に基づくただの言葉遊びに過ぎない。「憲法は不磨の大典だ、だからこそテクストを変える」という改憲論は俺はありうると思う。選挙中に堀江が言っていたように第一章が射程に入ったっていいはずだ。憲法とは、俺/俺たちの「自由の構成」であるというのが俺の理解の方向だ。俺の良い生き方と、俺たちの良い統治。これを日々求め続けることを保障するもの。これこそ憲法なのだと、俺は考えたい。
2005.11.06
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最近、いろんなことを考えられる状況にいるんだなって思う。幸福だなって。考えなきゃいけないっていうのじゃなくて、考えなくてもいいっていうのでもなくて、考えられる。考えていい。これって大きなことだなぁと思う。考えて実行する。そうするものなんだな。実行のためによく考える。考えることと実行することとは相関関係はないけれど、よく実行することと、よく考えることには、相関関係がある気がする。生まれてきてひとり、死ぬときひとり。たまたま、いろんな人と出会えて、とても幸せで、しかも、その出会いすら、ある程度、考えて、選んだものじゃないかな。
2005.11.01
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