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LA CUPOLA の入口から玄関までの上り坂は、予算の都合上、丸太をおいただけの登り階段になっている。新品のときは、自然に調和した感じできもちがいいが、3年もすると、雨水と泥とで侵食され、バクテリアの餌食となり、ぼろぼろになってしまう。そこで、3年に1度くらい、新しい丸太を加えて、修理することになる。今日は、その修理についやした。既成の丸太は100センチメートル程度の巾で、既成の丸太押さえの杭は40センチメートル程度の長さで1段あたり1000円弱で売っている。それを調達して、車にのせて、入口から玄関までの45度近い坂に持ち上げ、朽ちたところをスコップで地ならしし、丸太を並べ、防腐剤を塗布した杭でおさえ、石の板の踏み板が平らになるように敷き直す、というのが一通りの工程である。それが終わったところで、ガーデンチェアで一服すると、今日の一日が終わりに近づくのである。かつて、江戸時代くらいまでは、自分の家の食料生産と、メインテナンスをやって、税金を払っていれば、農家の生活は十分であったはずであった。まさしく、直接的に生きるために仕事をし、生活していたのである。しかし、昨今では、仕事の意味や目的が変わってしまった。自分の家と直接関係ない分の食料生産をし、メインテナンスは外注し、人間が生きることと直接関係ないライフスタイルの実現のために、白物家電を買ったり、ITを買ったりする。それで、生活が豊かになったと実感できるのであるならばいいが、自然に近い生活をするために、休暇をとって別荘などでリクリエーションするというのは、何と回りくどいことをしているのかと思う今日この頃である。
Apr 30, 2007
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軽井沢でも、LA CUPOLA のある標高1250mあたりは、長野県側の別荘地としては、最高の標高の地域である。旧軽井沢宿のあったあたりが標高900m以下であるから、春がやってくるのもずいぶん遅く、いまだに、薪ストーブや炬燵のお世話になっているのが普通である。それでも、今日は、少しあたたかく、薪ストーブは燃やしていない。木々も芽吹き始め、今日のところは宿木の緑だけであるが、明日あたりは若葉が見えてきそうである。それと同時に生き物達がでてくるわけである。昨日のニホンカモシカくんらしきものが今日も出現したという。子ねずみくんたちは、冬のあいだに、比較的暖かい別荘に侵入したが出口をみつけることができず、ミイラ化して発見された。暖かくなると、大群が登場するカメムシくん第一号が、このブログを書いているパソコンのまわりを歩き回っている。外には、中くらいのサイズの鳥くんたちが飛び回っている。これから徐々に、活動する生き物達がふえてゆくのであるが、21世紀に、首都圏などでも、かつてのように、緑地を増やしたり、公園をふやしたり、河川敷をもどしたりすると、人間にとって都合のいい生き物達だけでなく、都合の悪い生き物達も増えてゆく可能性があり、どうバランスをとるのか難しい問題である。
Apr 29, 2007
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今日は、ニホンカモシカと遭遇しました。それも、軽井沢の別荘 LA CUPOLAの中にくつろいでいるとき、玄関ホールの南の3M×2Mのガラス戸越しにガラス戸の2Mくらい前のところで、室内にいるこちらを眺めていました。体格のいい、よく肥えたカモシカで、こちらに気づいているのに逃げる気配もありません。しばらく、のぞきあっていましたが、やがて、西の方へ移動し、LA CUPOLA の境界線あたりのところで、とまったと思ったら、糞をして去っていきました。かわった動物が、LA CUPOLAに出現したのは、13年前の狐くん以来ですが、もちろん、標高1250M程度の山の中ですので、いろんな動物が近くに住んでいます。留守中に、木の外部階段をひっくり返す、猪くん、同じく、人がいないと大きな巣をつくる、スズメバチくん、2階のガラス窓に衝突して失命する小鳥くんたち、そして、お目にかかったことはないが、最近の軽井沢の別荘地には、熊くん、ニホンザルくんたちがよく登場しているようです。
Apr 28, 2007
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軽井沢に到着すると、浅間山にはまだ雪渓が残っていました。夏に避暑地になるということは、その他のシーズンは寒いということです。今年、軽井沢に来て、去年の秋から変わっていることが2つありました。一つは、軽井沢を代表する大規模小売店舗の鶴屋の店舗が耐震補強をかねて増築されていたこと。そして、駐車場の、1台あたりの車のスペースを小さくして、駐車台数を増やしていたこと。それにもかかわらず、ゴールデン・ウィーク前だというのに駐車場は一杯であったこと。もう一つは、別荘ラ・クーポラは一つの尾根筋に一軒だけ建つ建物であったのに、同じ尾根筋に、この冬にもう一軒のお隣さんができたこと。夏になれば、周囲の林の緑の葉が茂って、お隣さんは見えなくなると思われるが、中軽井沢は、まだ春になっていないので、葉っぱが一枚もない感じなので、お隣さんがお互いに良く見えるようになったということです。さすがに、夜の11時近くになって、お隣さんも、照明を落として、宵闇のなかに隠れるようになりました。こちらは、ブロードバンドではないので、インターネットで、全てのブログを見ることは不可能です。一応、このブログを書きましたが、他のブログは、残念ながら、重くてほとんど読めません。
Apr 27, 2007
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ここのところ、確認申請提出や、実施設計、入札書類の作成と締め切りの連続であったが、ゴールデン・ウィークになって、やっと休みがとれそうである。予定では、前半は、軽井沢のラ・クーポラに滞在できればと思っている。非日常的空間にくつろぎ、新しい、創作の糧とすることができればと思うが、現実の社会では、なかなか、自由な創作のチャンスはないものである。
Apr 26, 2007
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地球レベルでの温暖化を含む環境問題は、よくなるにせよ、悪くなるにせよ、狭義の経済に変化を与える事は確かなようである。環境問題が、CO2だけの問題ではなく、資源=エネルギー=環境問題であることが、物理学などのエントロピーの法則等、科学的視点からかんがえてみると明らかになる。資源=エネルギー=環境問題であることを認めると、資源、エネルギーが絡んでくる訳であるから、当然、狭義の経済によかれあしかれ影響を与える事がはっきりしてくる。CO2を減少させるということで、最近バイオエタノール系の燃料に関心が集まっている。バイオエタノールは、緑色植物である穀物のデンプンから作られるのが現時点で最も一般的な方法であるから、食物としての穀物のデンプンから燃料としてのデンプンが振り向けられることにより、絶対的な穀物のデンプン量が多く必要になり、その結果、穀物市場が高値で推移することになる。一方で、緑色植物のワラや繊維等、セルロース系のものからバイオエタノールやプラスチックを生み出す技術も、穀物市場の騰貴により、実用化が進められ、実現性が高まっている。デンプンとセルロースという2つの原料ということで、穀物市場が高値で推移し、狭義の経済全体に活力を与えようとしている。一方で、緑色植物市場を成り立たせるため、田畑や灌漑や淡水資源というものの市場価値が上昇することになる。また、燃料資源のバイオ化とCO2の削減という行為自体により、石油=石炭などの化石燃料資源の利用率が低下し、それにともない、市場価値も低下する。化石燃料資源の市場価値の低下は、バイオ系の燃料=資源への転換にブレーキをかけるものであるが、CO2を増やすことに歯止めをかけることで、需要を減らさざるをえないことになる。ここにいたると、温暖化が、19世紀以来の人間活動の影響であり、CO2などの温暖化ガスの増加の影響であるかどうかは狭義の経済にとってはどうでもいいことであり、新しいタイプの経済を動かす原因になることだけは、はっきりしてきたことになる。ECなどは、この事に早くから気づいており、環境問題や、資源=エネルギー=環境問題に抵抗するための、規制などの歯止めをかけることで、環境が改善されるのみならず、新しいタイプの経済の流れがおきることをシナリオにのせ、実行しようとしているようである。排出権取引なども、環境問題がおきるまでは、全く価値のなかったものに、新たなる価値を与えたものであり、環境技術の発展による新たなる価値の開発と両輪をなすものである。こうした流れから、一歩引いていたアメリカも、この新しい狭義の経済の流れに取り込まれようとしており、密かに進められていたと思われる、民間レベルでの新技術などのシナリオもじょじょに明らかにされようとしているのではないだろうか。こうした、新しいタイプの経済の流れの中で、いまひとつ躊躇して、踏み切れないのが、かつての自称環境先進国であった日本である。ここで、いつまでも躊躇していては、かつてのバブル崩壊後の日本のように、世界経済のお荷物になることも考えなければならない。環境問題、そして、資源=エネルギー=環境問題が、新しいタイプの狭義の経済のきっかけであることにはやく気づいて、日本の政府にも、先手をうってすみやかに行動を開始されることを望む次第である。環境問題、そして、資源=エネルギー=環境問題に対する、世界の中での共通の解釈を先導することが、新しいタイプの狭義の経済をリードすることになるのである。そして、新しいタイプの狭義の経済は、やがて、物欲や金欲に支配されない、物的福祉から心的福祉に発展的移行する広義の経済としてデザインされなければならないだろう。
Apr 25, 2007
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日経新聞によれば、ノルウェーでは、2050年までにCO2など温室効果ガスの排出量を差し引きゼロにする「カーボン ニュートラル(炭素中立化」を実現すると宣言したと言う。温室効果ガスの中には、炭素原子が含まれないものもあった様な気がするが、そのような些細なことはどうでもいい事であり、評価すべきであろう。国内の排出量を減らした上で、残った分は中国やインドでの太陽光=風力発電の支援などを通じ相殺するという。主要国で炭素中立化を政策目標に掲げたのは初めてという。ところで、日本は一体どうなっているのであろうか?安倍首相は3月末をめどに、「21世紀環境立国戦略」を提示することになっていたと記憶しているが、四月も半ば過ぎというのに、実行に移された様には思えない。政策が先行すれば、経済はそれについてくると期待されるが、目先の損得で躊躇しているのであろうか?大いなる健闘を期待したい物である。
Apr 24, 2007
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日経新聞によれば、2007年4月に開かれた日中韓賢人会議の環境?エネルギー分科会で座長の小宮山宏?東京大学総長が以下の様に述べたと言う。「環境を考える上で、原子力の議論は重要だ。放射性物質を人類がコントロールすることはできないと考えている。一方、現在の電力需要を考えると不可欠だ。だから太陽光発電などが需要を賄うことができるまでの過渡的な技術と思っている。」すなわち、今までの東京大学総長で工学部系出身者などは、原子力推進派の人がなったりしていたが、政治的な配慮などもあり、原子力は過渡的なエネルギー技術であると言う様な立場はとっていなかたと思われる。それに比べると、小宮山総長の発言は一歩踏み込んだ物であり、ある意味で、一般市民や研究者の意見に近い物であると考えられる。高知県東洋町の永久的な高レベル核廃棄処理施設建設をテーマとした選挙で、施設建設反対派の町長が当選するようなご時世であることもあり、小宮山氏に対する、政治的プレッシャーが軽減されたこともあろうが、最近の研究者や技術者の常識的見解に対し、東京大学総長と言う立場を超え、個人的見解を表明したことになろうか。しかしながら、表明は、至極当然のことであり、これまでの権威者たちが、政治的に発言して、原子力利用を推進してきたのに対し、本当の真実をのべただけのことであると評価したいものである。これをきっかけに、国政、官僚、電力業界レベルでの、暗黙の非常識を覆してゆく必要があろう。化石燃料の一種とも言え、地球環境のバクテリアと水と大気の大循環システムで地球環境外に廃棄処理が事実上有限な時間で処理出来ない物を、人類の持続性のためのエネルギー源をして、長期的に利用出来ない事は誰の目にも明らかな事であろう。
Apr 23, 2007
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4月22日の日経新聞の社説で、環境と経済を考える 社説 森林を整備する新たなモデルを作ろう ─危うい吸収目標達成 ─政府依存から脱却をと言う記事が掲載されていた。そういえば、同じ様な題目の社説を見た時に、まだ、人類には、「環境がなければ、経済もあり得ない」ということが、周知していないのかと思い、ブログを書いたのを思い出した。Feb 11, 2007環境がなければ、経済もあり得ない [ 建築・都市・建築家 ] 日経新聞の社説で、環境と経済を考える 社説 新たな発想で自然エネルギーの普及を ─利用促進に大きな課題 ─技術開発に力入れよと言う記事が今日掲載されていた。何を今更と言う感じであるが、驚かされるのは、環境と経済が未だに同等の関係におかれていて、環境がなければ、経済もありえないあるいは、環境がなければ、人類の将来はないという視点がまだ一般的になっていないことである。経済と言う言葉を広辞苑で調べると、1)[文中子礼楽] 国を治め人民を救うこと。経国済民。政治。2)(economy)人間の共同生活の基礎をなす物質的財産の生産=分配=消費の行為=過程、ならびにそれおを通じて形成される人と人との社会関係の総体。→理財3)費用のかからないこと。費用をかけないこと。倹約。「電力の─をはかる」「─車」となっている。国を治め人民を救うこと、人と人との社会関係の総体。などと言っているのであるから、金銭至上主義のことではないようである。しかしながら、いつの間にか金銭がもうかることが経済であるかのように感じられる様になってしまっているようである。一方、広辞苑によれば環境は以下のとおりである。1)めぐり囲む区域2)四囲の外界。周囲の事物。特に、人間または生物をとりまき、それと相互関係を及ぼし合うものとしてみた外界。自然的環境と社会的環境とがある。「生活─」すなわち、人間をはじめとする生物をとりまく周縁全体である。環境が破壊されたり、環境がなくなったりすれば、すなわち、人間や生物そのものも存在しなくなるのである。ここに、環境問題のシリアスさがあるのである。人類は、環境がなければ、経済もあり得ないし、あったとしても何の意味もないことを知るべきである。
Apr 22, 2007
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日経新聞によれば、農業=食品産業技術総合研究機構は他の11の独立行政法人と共同で「研究独法バイオ燃料研究推進協議会」を2007年4月20日発足させ、地球温暖化対策として注目されているバイオディーゼル燃料等を管轄官庁の壁を乗り越えて共同研究し、不急速促進を目指し、5月にもバイオ燃料の共同研究プロジェクトを立ち上げるという。超管轄官庁の連携組織として、差し迫った危機に立ち向かおうと言う試みである。現状、既存の組織の延長にとどまらず、バイオ燃料をとりまく、食糧供給不足や淡水不足等の問題も含めて、包括的に研究出来る組織となることを祈る。現状では、バイオ燃料には、食糧問題や淡水不足や効率性など、化石燃料代替燃料たりうるのかどうかという疑念がつきまとる。化学的な分析にとどまらず、資源=エネルギー=食糧安全保障上の問題についても、検討できる組織運営となることを望む。
Apr 20, 2007
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昨日の日経新聞によれば、2月17日午前には、ニューヨークの国連安全保障理事会でとうとう、温暖化がもたらす国際安全保障への影響が討議されたという。温暖化、あるいは、環境問題は、関連性を考えた時には、資源=エネルギー=環境問題IREE(issues of resources, energy, and environment)と言うべき問題であり、安全保障の問題になるのは当然の事であるが、表立って、安保理で取り上げなければならない程、問題が顕在化してきていることは大変な事である。これから21世紀後半にかけての人類の行く末は、IREEそのものだけではなく、安全保障(Security) に関わる事態にまで、IREEが進展してきてSREE(securities for resources, energy, and environment)が一体的な問題として考慮されなければならない事を示している。日本政府もIREE と SREE を一体的にとらえたビジョンをこれからの、国策と、国際的アイデンティティとして取り上げてゆく必要があろう。憲法改正、道州制、行財政改革などを期に、こうしたビジョンを提言し、体現してゆくことが必要であろう。
Apr 19, 2007
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人口減少社会が始まり、一方で、ヒートアイランド現象など環境問題が騒がれているというのに、東京都心部への一極集中が益々進むような、都市再開発が進められている。日本全体の人口が減少し始めたというのに、東京都心部や、首都圏に、排他的な人口移動と集中の進展を許すような、都市計画や国土計画が行われているように感ぜられるのは、気のせいであろうか。ただでさえ、ヒートアイランドや、緑による呼吸の不足、子供をとりまく環境や、自然環境とほど遠い人工環境が問題とされる東京都心部に、ますます、それらが進行するような、経済、政治が進展しているように思えるのは、気のせいであろうか。都市や国土をとりまく計画というのは、国政の最重要政策であり、国家の意思と品格を示しているのではないかと考えられるが、経済の原則と、一極集中の利便性だけで、人間の環境とは言いにくい、人工的な、歴史性も文化性にも、大きな問題点がある、東京都心部への一極集中と、地方の中核都市の過疎化、それらの間のグリーンベルトや自然や農地山林の欠如の進展、と言った現象は、いったい誰が望んでいるのであろうか。パリのように、旧市街には、概ね30m程度のヒューマンスケールの建築を配置し、大きな緑の街路樹のある大通りや、広場やを配置し、東と西に、2つの肺のような大きな森を配置した都市は、時代を超えて、息づいている。周辺には、小さな衛星都市が配置されているが、その隙間は、グリーンベルトの大海のようになっている。そういう秩序だった都市空間は、世界中の人々に愛される所以であろう。それに比べ、東京は、東京駅のドームを再建したり、三菱1号館を復元したりしている、同じデベロッパーが、その周辺に、スカイラインを崩すような中途半端な超高層を、経済的理由のみで、どんどん開発している。浜離宮から見ると、汐留シオサイトの高層建築群に覗かれていると感じられる位、既得権があるはずの伝統的空間の中に、殺伐としたボリュームがそびえ立っている。だれも超高層ビル群などを東京中心部に建てなければ、その空間をもとめて、集まってこないのに、政府や東京都は、開発を後押しこそすれ、抑制することをしないのである。東京に、超高層ビル規制や高層ビル規制をかけてしまえば、東京に人口集中することが物理的にできなくなるのに、それを放置したがために、地方に愛着を感じるべき人口が、東京へと益々流入し、人口密度に比例した、冷暖房付加に応じて、東京へのヒートアイランドを進展させている。しかしながら、東京だけが悪いのではないだろう。人が集まるには、それだけの魅力があることも事実であろう。しかし、その流入速度が早すぎることが問題なのであり、それを抑制するとともに、地方にも、人口牽引力があり、文化的にも、歴史的にも、政治的にも、経済的にも、魅力のある、中核都市を育て上げる必要があるのも事実である。いずれにせよ、東京への人口流入を減速させなければ、東京も、地方も共倒れになることを、政府も東京都も地方の中核都市も意識し、頭を切り替えてゆく必要があるのではないだろうか。いつの間にか攻めより、顕在化するようになった資源=エネルギー=環境問題のように、知らず知らずのうちに、日本の都市構造、国土計画の問題が顕在化し、手遅れにならない様に、望む次第である。
Apr 18, 2007
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日経新聞によれば、政府は今年度(2007年度)から、環境に配慮した輸送サービスを使う企業や消費者に「エコポイント」を付与する制度を導入するという。ポイントをためた運送会社は政府調達の入札で優遇する。消費者は商店街などのポイントと相互利用できるようにする。家庭=物流部門のCO2排出削減を後押しするという。そういえば、安倍内閣のホームページの目安箱に以下の様な投稿をしていたのを思い題した。Feb 28, 2007ポイントをCO2削減量に応じて貯める [ 建築・都市・建築家 ] CO2による地球温暖化の人類原因説が90%以上の確率となった現在、私たちの日頃の生活に密着した、低炭素、低CO2活動が要求される様になっている。日頃の、物質の変化をともなう物質の消費活動で削減する炭素、CO2の量に応じて、インターネットショッピングや量販店でつかわれる「ポイント」を利用することができないだろうか。消費者や、商品の購入で削減した炭素、CO2の量により「ポイント」を獲得し貯めることができる。そして、以降の商品の購入時に、その時点での蓄積した「ポイント」の炭素、CO2削減の経済効果の相場に応じて換算した現金と対価な購入活動に使用できるようにするのである。始めは、炭素、CO2の削減量が少ないが、科学技術の進歩につれて、削減量が増えてゆくことになる。ポイントを獲得してゆくにつれ、同じような消費に対するポイントの獲得量が増えてゆくことになる。むかしためたポイントは、インフレで減少するが、だんだん技術が進歩するについれて、加速度的に、ポイントが増えてゆくことになる。取りあえず、Yahoo、楽天、yodobashi,bic camera,などのポイントを、炭素、CO2ポイントにかえてみたらどうであろうか。市民に対する啓蒙活動としても、効果が期待出来ないであろうか?
Apr 17, 2007
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日経新聞によれば、日中韓賢人会議が2007年4月16日午前議論に入り、冒頭、日本側団長の中曽根康弘元首相をはじめ、各国団長がそれぞれ基調講演し、東アジア共同体の形成に向けた日中韓の連携強化の必要性を強調したという。中曽根元首相は、安倍首相の中韓国訪問や温家宝首相の来日を高く評価し、「できるだけ早く三か国のトップが定期的に会談できるように期待する」として、日中韓首脳会談の定例化を低減したという。さらに、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓の13カ国の枠組みと、これに豪州、ニュージーランド、インドを加えた16カ国の枠組みが「重層的に共存可能で、両者を是認=発展させるべきだ」との考えを表明したという。16カ国の枠組みには米国も加えるべきだとの認識も示したという。韓国の李洪九元首相は、「ASEANプラス3(日中韓)」の枠組みを評価しながらも、「日中韓はその内にとどまらず、独自の地域共同体の建設を図るべきだ」と提唱している。「北東アジア共同体」に、長期的には、モンゴルの他、北朝鮮が参加する事も期待したという。そういえば、先日のブログで、以下の様な記事を書き、安倍内閣のホームページの目安箱に投稿していたのを思い出した。Apr 13, 2007日中 「環境」で経済協調 [ 建築・都市・建築家 ] 日経新聞によれば、2007年4月11日から13日の日中首脳会談で、両国は環境分野の共同声明として「環境保護協力の展開が両国の利益に合致し、日中の戦略的互恵関係の構築に助力する」と明記したという。これにより、中国への省エネルギーへの日本の技術供与などと、2013年以降のポスト京都議定書の枠組の構築に関する過程に、両国が積極的に参加することになる。東アジア環境共同体への第一歩が記されたようでもある。しかしながら、参加各国の力関係が比較的対等なEU等と比べた時に、人口が十倍近く違う日中間の関係は、中国の発展が進んだ近い将来においては、微妙な物になりうる要素を含んでいる。基本的に、日本が省エネ環境技術などを、中国に供与することは、現在の状況と、環境問題が国境を越えた問題である事を考えた時に、止むを得ざる事である。しかしながら、日本等の協力により、将来国力と科学技術の加速度的に増えた中国の力は計り知れないものがある。いくら、中国人が日本の協力に感謝するとしても、日本が、中国に飲み込まれるような事態もあり得ない話でないことを予期しておく必要がある。日本が、科学技術などで、独自のものを永遠に他国より発展させ続けられるというシナリオは絵にかいた餅になる可能性は否定できない。そうなった時に、かつて香港が中国本土に吸収され、また、近い将来、台湾がその二の舞になることを想定するときに、日本もそうならないことを保証することはできないだろう。日本が、東アジアに環境共同に関する戦略的パートナーを持つことは地球環境問題にとってはよいことであるかもしれないが、同時に、中国のような巨大国家と対峙しうる、朝鮮半島や他のアジア諸国を枠組みの中にとらえ、中国に飲み込まれる事は防がなければならないだろう。それには、近隣諸国からの、日本に対する尊敬と敬愛が必要である事は、科学技術で先進することとともに重要であり、多国間の協調と対話ができたときに、初めて、東アジア環境共同体、あるいは、アジア環境共同体がEUやアメリカなどと対等に渡り合える組織的枠組みとして作用されることになるだろう。
Apr 16, 2007
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日本経済新聞によれば、米IBMは、半導体チップを、横に並べて金属線で接続する現行製品より空間を節約し、電気信号をやり取りする物理的距離も千分の一に短縮する、積み木を重ねる様にして接続できる半導体チップを開発したという。消費電力も2~4割減少させられるという。開発した半導体チップは、シリコンウェハー上に微細な穴があり、そこに接続端子となる金属棒を埋め込んだものであり、数マイクロメーター間隔でチップを積み重ね、チップをセットとして使うという。「三次元チップ」と呼ばれている。現行製品は、水平展開の接続システムでたこ足配線になっていたものを、3次元空間で、最小限の配線で接続するわけであるから、同じ量の情報を扱うのであれば、省エネルギーになり、ビットあたりの、物質量や配線量は減少することになり、省資源になる訳であるから、環境に優しいといえるだろう。しかし、便利で高速なプロセッサーができて、高度な計算をあおる様な事になると、そういう時代になると、加速度的に、エネルギー消費、物質消費を後押しする事になるはずである方、そもそも、環境に悪いのは、人間の技術的のみならず、化学的進歩による情報爆発が良くないのかもしれない。
Apr 15, 2007
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今日のテレビニュースで、日本の不動産価格が、再び上昇を始めたと言う様な報道を始めた。不動産会社などの経営には、土地価格の上昇が望ましく見えるのはわかるが、地球環境問題の顕在が明らかになった現在においては、土地バブルの再来は犯罪的であろう。もちろん、国債などの償還により、将来世代に対する負担を軽減させるためには、国債を発行した時点との相対的関係において、一定限度のインフレ傾向があった方が、良いと言う事はあるかもしれない。しかしながら、土地バブルなどよるインフレは円高傾向を引き起こすとするならば、原油や資源価格の相対的低下をうみ、環境技術の向上のための意欲を低下させるおそれがある。そもそも、バブル状態が再来すると、先進国が、発展途上国の発展により、生活レベルが途上国で向上し、相対的にCO2の発生量がふえることを危惧しているのと同じ様な事を、先進国の内部でも発生させることになることは憂慮すべきことである。単なる経済の成長と、バブル経済の違いは、本来の人類社会の進歩レベル以上に、本来価値のない物に、必要以上の価値、あるいは価格設定がなされることによると考えられる。バブルが土地、建物などの騰貴と関連づけられるのは、まさに、この点に由来する物と考えられ、東京等、都市部で、本来必要のない、不動産面積を発生させ、それが必要である様にあおったり、必要以上に不動産消費者の更新意欲をあおったりすることにより、ますます、本来必要のない、不動産面積を発生させ、不動産価格をあおることにより、生じるからである。前回のバブル経済のころは、地球レベルでの環境問題が顕在化していなかったので、罪の意識もなく、抑制効果がなく、どんどん進展してしまったが、今回は、経済が成長し、物質や物、事を諸費することが、直接的に増加することは、言い換えると、直接的に、CO2発生量を増加させる事に繋がリ得ることが明らかになっているはずである。経済が成長した分を、環境技術の向上に全て振り向けることができるならば、この仮定は少し状況が変わるかもしれないが、人類の物欲、物が充実されれば幸せであるという「物的福祉」に対する欲望は、直接物欲の満足に繋がらない、環境技術に全ての成長分をふりむけることを拒絶するであろう。従って、経済が成長した分を環境の向上に振り向ける事は、現実問題としてかなり難しいことになる。特に、実体経済を伴わない、土地バブルによる増分は、人類の物欲を増加することはあっても、環境に振り向けるには、何らかの仕掛けが必要であろう。例えば、不動産等の価格上昇分の100%に近いかなりの部分を環境税として徴収することができるならば、価格上昇の抑制効果と、環境技術の向上に振り向けられることがあるかもしれない。現在、確か、土地価格には消費税がかかっていないはずであるが、土地価格の上昇部分については、環境税として徴収する等と言った仕組みが検討される必要があるのかもしれない。いずれにせよ、行政が、不動産バブルの再来を黙ってみていて、手をこまねいているような事態は、環境経済的に避けなければならない事態であることを考える時が来ているであろう。
Apr 14, 2007
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日経新聞によれば、2007年4月11日から13日の日中首脳会談で、両国は環境分野の共同声明として「環境保護協力の展開が両国の利益に合致し、日中の戦略的互恵関係の構築に助力する」と明記したという。これにより、中国への省エネルギーへの日本の技術供与などと、2013年以降のポスト京都議定書の枠組の構築に関する過程に、両国が積極的に参加することになる。東アジア環境共同体への第一歩が記されたようでもある。しかしながら、参加各国の力関係が比較的対等なEU等と比べた時に、人口が十倍近く違う日中間の関係は、中国の発展が進んだ近い将来においては、微妙な物になりうる要素を含んでいる。基本的に、日本が省エネ環境技術などを、中国に供与することは、現在の状況と、環境問題が国境を越えた問題である事を考えた時に、止むを得ざる事である。しかしながら、日本等の協力により、将来国力と科学技術の加速度的に増えた中国の力は計り知れないものがある。いくら、中国人が日本の協力に感謝するとしても、日本が、中国に飲み込まれるような事態もあり得ない話でないことを予期しておく必要がある。日本が、科学技術などで、独自のものを永遠に他国より発展させ続けられるというシナリオは絵にかいた餅になる可能性は否定できない。そうなった時に、かつて香港が中国本土に吸収され、また、近い将来、台湾がその二の舞になることを想定するときに、日本もそうならないことを保証することはできないだろう。日本が、東アジアに環境共同に関する戦略的パートナーを持つことは地球環境問題にとってはよいことであるかもしれないが、同時に、中国のような巨大国家と対峙しうる、朝鮮半島や他のアジア諸国を枠組みの中にとらえ、中国に飲み込まれる事は防がなければならないだろう。それには、近隣諸国からの、日本に対する尊敬と敬愛が必要である事は、科学技術で先進することとともに重要であり、多国間の協調と対話ができたときに、初めて、東アジア環境共同体、あるいは、アジア環境共同体がEUやアメリカなどと対等に渡り合える組織的枠組みとして作用されることになるだろう。
Apr 13, 2007
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今日と明日は土佐の高知に出張です。高知は、第二次世界大戦時の高知空港の存在による空襲で、伝統的建造物群と言えるような文化遺産を失ってしまったそうです。また、同時に、坂本竜馬の家のような歴史的遺産も失ってしまったそうです。そして、残っているのは、高知城とか、四国第?番霊所などという史跡だけとなっているそうです。従って、観光誘致ができるような場所が極めて限られており、県の経済は、鳥取、島根につづいて良くない状態が続いているということです。県の東部には、山間に古い集落が残されているところもあるということですが、そこまで、高知から往復するのにかかる時間と高知から岡山あたりまで往復するのにかかる時間と大差ないことから、高知へ観光を誘導する牽引力になっていないということである。こうした高知で、他と比肩しうるもとといえるのが、土佐料理である。かつおのたたきや、さばをはじめとする、太平洋を庭とする高知ならではの海の幸こそが、高知の特産品であり、また、高知に行かねば得られぬものである。こうした海の幸を売り出すことで、高知の再生がありうるのであり、工場や工業の誘致の先には、高知の反映は見えないと考えられた今日の食事であった。
Apr 11, 2007
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4月3日の日経新聞によれば、九州大学の吉野貞蔵准教授をはじめ、三菱化学、協和発酵、キャノン、日立製作所、ホンダ、などが参画する、「CO2を食べる微生物」アセトン=ブタノール菌の実用化計画が進んでいるという。CO2を吸収した植物を分解して燃料を作ると同時にプラスチックの原料も生み出すという。化学コンビナートなどに利用する構想を実現しようという計画であるという。この微生物は、戦時中に日本軍が零戦(零式艦上戦闘機)の代替燃料として開発に着手し、戦争末期には量産されていたものだという。戦後、石油化学工業の台頭とともに役割を終え、貯蔵を確認出来ているのは九大だけだったという。人間は、危機感がないと、究極の新しい技術を生み出す事ができない生き物であると同時に、危機感が生じると、究極の新しい技術を生み出す可能性を秘めた生き物であるということであろうか。究極の技術という人もある、空気を「汚さない」だけでなく「きれいにする」エンジンである、植物の光合成を再現し、CO2をエネルギー源に走る光合成カーをめざして、2017年までに、人工光合成を技術的に実現する目標を政府関係者がかかげている。ただ「植物がなぜ光合成をするのかと言う事自体、長い年月をかけた進化の結果であり、神のみを知る謎だ。」とホンダ幹部も言っているという。CO2が減少しても、正のエントロピーが増加する閉じたシステムになっていて、太陽エネルギーが引き起こす水と大気の大循環の過程で、バクテリアなどにより分解される正のエントロピーが、大気圏外に放出できる限度をこえる正のエントロピーを発生しないか、など新たなる問題が発生しないか、という疑問は残る。それにしても、人々をあっと驚かせるような画期的な生態系に準じた技術革新が起こらない限り、人類が、地球環境システムに淘汰される日も遠からずというが、現実であろう。
Apr 10, 2007
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日経新聞によれば、昨日の報道による、4月11日の温家宝首相来日時の、日本と中国の「環境協力の共同文書」発表見込みにひきつづいて、政府は、日本の環境関連の法制度や資格をアジア共通の基準として普及させる事業に乗り出すという。中国では、省エネルギー法改正に協力する事業を今年度から、ベトナムでは、省エネ法制定を日本が支援することで合意し、インドネシアの東ジャワ、中部ジャワ、バンテンの3州政府とは年内に公害防止管理者導入に向けた協議に着手し、フィリピンでは、エネルギー管理士導入に向けた試験事業を開始するという。高度成長期の公害問題などをふまえた日本の法制に関するノウハウをアジア各国に提供し、日本を標準にした法制の整備を促すという。これは、省エネ、新エネルギー開発、技術研究開発、原子力発電海外での燃料調達、石油の戦略的備蓄などに将来的に展開し、東アジア共同体、あるいは、アジア共同体の第一歩となるかもしれない。東アジアでの国際協力も中日が手を携え、協力していけば成功できるという中国人専門家もいるという。
Apr 9, 2007
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日経新聞によれば、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第二部会は、2007年4月6日、温暖化が「地球規模で目に見える影響を及ぼし始めた」とする報告書をまとめ、将来的に海面上昇や洪水で年間に数百万人が被害にさらされる恐れがあると警告したという。温暖化ガスの排出など、人間の社会活動が温暖化の原因になていると指摘し、地球上の全ての大陸と海洋がすでに温暖化の影響を受けていると明記したという。世界的に沿岸部にある湿地の最大30%が消失し、さらに、氷河の縮小で河川に流れ込む水量が減り、気候変動に伴う干ばつなどもあって水不足が深刻化し、穀物生産が落ち込んで食糧難の恐れがあるという。このブログでも予想してきた流れになっていることは喜ばしい事ではないだろう。こうした中で、日中両政府は、4月11日の安倍首相と温家宝首相の会談にあわせ、環境分野の協力に関する共同文書を発表する方向で最終調整に入ったという。中国への省エネ技術供与や環境汚染対策など約十項目が柱であるという。2013年以降のポスト京都議定書への動きと、昨今の温暖化に関する国際情勢などを鑑み、東アジア環境共同体と言わないまでも、日中の協力と中国の温暖化ガス削減国への参加が現実の問題として重要であるという見識が生まれつつある模様である。
Apr 8, 2007
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1988年以来、東北電力女川原発1号機、中部電力浜岡原子力発電所3号機、北陸電力志賀原発1号機で制御棒が抜けたり、それにともなう臨界事故がおきたりしている。地球レベルでの資源=エネルギー=環境問題の進行の指標として発生するCO2の量だけが用いられ、CO2の発生の抑制が問題とされる今日この頃であるが、それには問題がないのか。確かに、惑星地球は、太陽からのエネルギー(負のエントロピー)をCO2などの温暖化ガスによりうけとめて、人間などの生命が住みやすい温度環境を保っているが、温暖化ガスが増えすぎると、温暖化が進みすぎてしまうのは事実である。CO2の発生という視点だけでみれば、原子力発電は、直接的にはCO2を発生しない。しかしながら、原子力発電所を建設したり、誘致したりするために、過度の建設工事や公共事業が行われてCO2を間接的に発生しているのも事実である。しかし、直接的にCO2を発生しないことは、CO2の指標のみで環境問題が語れるならば、いいことかもしれない。ところが、CO2 で温暖化するのは、地球環境を覆う温暖化ガスに、太陽エネルギーなどの熱が入力発生する事による点も考慮する必要がある。人類の住む地球環境に対する最大の熱の発生源は太陽エネルギーであり、地球内部からの地熱がそれに次ぐのであろう。しかし、大気圏内で、人類が化石燃料を燃やして発生する熱は、CO2の発生とともに、温暖化の重要な原因であることは重要な事である。すなわち、化石燃料の一種である原子力は、人類が燃やして発生する熱であり、CO2が発生しないとしても重要な温暖化の要素である。バイオ燃料など、太陽エネルギーのフローに由来するエネルギーによる熱は、もともと太陽エネルギーのものであるから、現代という時間の視点からは相殺されることもあるかもしれないが、原子力は、地球創世以来のストックである化石燃料を現代という短期間に集中的に燃やす訳であるから、集中的に温暖化させる熱源であることは、石炭や石油などのその他の化石燃料と変わらないし、それ以上の熱の発生による温暖化効果があることになる。また、原子力は、現代という短期間に安全処理のできない、核廃棄物を発生させるという欠点がある。地球環境の、水と大気の大循環によるエントロピー廃棄のシステムで、核廃棄物が分解されて、大気圏外の宇宙に廃棄されるには、数十万年単位の時間が必要とされる。以上の事から、原子力は、地球の資源=エネルギー=環境問題にやさしい燃料資源であるとは言えないことがわかる。すなわち、資源=エネルギー=環境問題が、CO2という指標だけで語る事には、多分に危険性があることを示していよう。情報社会に入ったためかもしれないが、消費者の希望に従ったオン=デマンドな商品を作るというのが時代の流れだと宣伝する御用学者などがいたりする昨今であったが、結果として、工業製品などは、消費者の消費動向にこびへつらったもののオンパレードとなり、ニューヨーク近代美術館などに永久展示されるようなレベルの高い製品が相対的に減っているのではないかと感ぜられる今日この頃である。インダストリアル=デザインでは、ちょっと見た目に良くて、使っているとすぐに飽きがくるものが経済性の高いデザインであると教育されているが、資源=エネルギー=環境問題の最中の現在ではそんなデザインでは環境に良くないことは明らかである。省エネ技術や環境技術によりランニング=コストが減るからと言って、新しい工業製品などにどんどん転換することを推進するような方向に経済が動いているようであるが、新しい工業製品へ、長く使い込んだ逸品から変更するときにかかるランニング=コストや廃棄コストは計算に入っているのだろうか。次から次へと新製品に変えてゆく中で、商品に対する愛着というものが本当に生まれてくるのであろうか。そうした様々な点を考えると、工業製品や商品のデザインは、長く使い込んでよさが分かるようなもの、長く使い込んでもよさが損なわれないもの、すなわち、本物の逸品をめざすことが必要であり、消費者に単純に媚びないそうしたデザインのあり方こそ、21世紀のものづくりのありかたではなかろうか。本物の逸品であっても、少品種大量生産で得られるならば、相対的に価値のあるものが、安い値段で手に入ることになる。製品の種類を作らなくてもいいから、ほんとうに人の心を和ませる本物の逸品をリーズナブルな価格で提供することが、サステナブル=デベロップメントに繋がる事を考え直す必要があろう。昨今の半導体の大容量=小型化の流れの中にも疑問がある。既に実用化されているものと同じ性能をもちながら、大きさを750分の1にしたICチップが開発されるという。外部アンテナで受信した電波をエネルギーに変えるといい、半導体自身の駆動力に関しては問題ないし、性能は同じ程度なのに、その製造に必要な材料は、明らかに大幅に低減しているので、ある意味ではエコロジカルと言える。しかしながら、それを制作するのに必要な技術上必要なイニシャル=エントロピー=コストは本当に減っているのかどうかわらかない。また、そもそも、今まで存在しなかった需要を喚起するような製品だとすれば、いくら単体は少量でも、今まで必要とされていなかった物質のエントロピーの増大を新たに引き起こしているのではないかという疑問である。しかし、外からこの製品を駆動させることができるほど強い電波でエネルギーを供給するシステムを駆動させるというエントロピーの相対的に大きな作業をさせる需要が新たに喚起されたり、半導体が高密度になり、移動する情報量密度が高くなると、情報のエントロピー(物の配列のエントロピー)の熱力学的側面(物質のエントロピー)の密度が無視出来なくなくなるのではないかと疑われる。つまるところ、情報メディアの大容量小型化は、ビットあたりのの物質のエントロピーの低減をもたらすが、今まで存在しなかった、そういうものが活用されることにより生じる新しい価値観の伝染(コミュニカビリティー)が甚だしく大きいと、総体として、物質のエントロピーの増加はむしろ増えてしまうという性質のものであることである。昔のような、素朴な生活に戻る事に比べれば、情報技術革新による大容量小型化のエコロジカルな面での恩恵は、環境に優しくない可能性が極めて大であるということである。日本経済新聞社の社説で、環境と経済を考える 社説 新たな発想で自然エネルギーの普及を ─利用促進に大きな課題 ─技術開発に力入れよと言う記事が掲載されたことがある。何を今更と言う感じであるが、驚かされるのは、環境と経済が未だに同等の関係におかれていて、環境がなければ、経済もありえない、あるいは、環境がなければ、人類の将来はないという視点がまだ一般的になっていないことである。経済という言葉も、語源的には、「国を治め人民を救うこと、人と人との社会関係の総体」などといっているのであるから、金銭至上主義のことではないようである。しかしながら、いつの間にか金銭がもうかることが経済であるかのように感じられる様になってしまっているようである。環境は「人間をはじめとする生物をとりまく周縁全体」である。環境が破壊されたり、環境がなくなったりすれば、すなわち、人間や生物そのものも存在しなくなるのである。ここに環境問題のシリアスさがあるのである。人類は、環境がなければ、経済もあり得ないし、あったとしても何の意味もないことを知るべきである。─おわり─
Apr 7, 2007
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環境問題も、温暖化ばかりが問題でなく、人間環境系倫理の視点で考えてみると、教育改革にまつわる問題も環境問題である。教育改革には、学科の内容はともかく、子供達のしつけや道徳の改善には、学校の内部だけの問題だけではなく、親子関係や子供達の環境の改善が必要である。そうした視点に立つと、子供の通学環境や遊びの環境に影響を与え続け、草野球や鬼ごっこや川遊びなどのできる広場や神社仏閣の境内や、小川とか、森とか、路地だとかを排除してきた、都市計画にも問題があることになる。ヒバリやスズメ、カブトムシ、クワガタ、メダカ、ザリガニ、コウロギ、バッタ、デンデンムシ、モンシロチョウなどを通じて、生命の儚さや神秘を学習することができなくなった子供達に、同世代間の人間関係や生命の大事さを学習しろといっても難しかろう。伝統的な日本の住居が主として機能的理由から壊され、それにかわって、いわゆる2LDKとか3LDKなどの型の一戸建て住宅やマンションに変わってきている。これは、伝統的な住居が、部屋と部屋の関係が、縁側や障子や襖でつながっており、そこに生活する大家族の関係がゆるやかに接続されていたのに対し、現代の住宅では、個室で分割されて、核家族がお互いに限られた時間に限られたリビングダイニングキッチンなどでしか人間関係を持てなくなったような計画を放置してきた建築計画にも責任があろう。父親の残業や遅い帰宅を招いてきた労働条件の結果、子供の教育をしいられた、主婦へのストレスを強化したのも、社会的、空間的要件であろう。高層マンションになり、距離的に、子供達が、足下の街にでてゆくことが少なくなり、限られたコミュニティーの中や、インターネットのバーチャルコミュニティーの中で生活する様になったのは、技術の進歩の問題と、空間的要件であろう。いずれにせよ、教育問題は、いわゆる教育関係者の問題ではなく、都市や建築や社会や技術や空間など包括的な見地からの改革が必要であろう。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第1部会は、21世紀末の地球の平均気温が、20世紀末比で最大6.4度上がると予測する報告を発表しており、その他の2部会でも、それに基づく議論が進んでいるという。そして、原因は、CO2など、人間活動による温暖化ガス排出にあるとほぼ断定したという。CO2の排出により間接的におこる樹木の減少などで、大気中の残留CO2が増えて、一段と温暖化が進むという負の連鎖がおきつつあるという。また、C02が海に吸収されて、海水が酸性になり、珊瑚の成長に悪影響が出てこれもまた、大気中のCO2の増加に拍車をかけるという。温暖化の防止には、人間活動自体の変化が要求されていることは事実であるが、心が満たされれば幸せであるという心的福祉ではなく、物がみたされれば幸せであるという物的福祉に洗脳されている現代人の多くに、資源=エネルギー=環境問題を減速するような人間活動の抑制を迫るだけでは、問題の解決は期待できないであろう。このような、発展途上国も含めて自分勝手な人類の存在があっても、資源=エネルギー=環境問題を低減するような科学技術による解決が急がれる現状である。すなわちCO2を自然吸収するような、緑色植物の活動を活性化させるような方策や、緑色植物の光合成から学んだ科学技術の発展や、大気圏内における、水と大気の大循環とバクテリアなどによる、汚染物質の分解による大気圏外への正のエントロピーの放出方法の活発化などを人類活動の如何にかかわらず、強化実現してゆくことが必要である。一方で、温暖化の原因が人口問題であるといわれる事を考える時には、問題の解決に人口の増大社会を利用する事はできないのであり、日本は、少子高齢化の人口減社会に入っているが、少子高齢化のバランスは変化させても、再び人口増社会に戻す事は許されないのである。団塊の世代が働きに出ている間、コミュニティーや子供を取り巻く環境がおろそかになり、昨今社会問題化している。教育問題の根底も、こうしたことによると考えられる。一方で、地球環境問題の顕在化は、物質経済の一方的発展が、人類の将来には望めないことを示しており、心を豊かにする事は望ましいが、今までのように、リタイヤした世代が、物質経済をますます発展させることができる余裕が、人類をとりまく地球環境には残されていないことを示している。そこで、団塊の世代には、今後、崩壊しつつある、自らの済んでいるまちづくりや再生の役割をNPOとして担っていただければと思う。ご隠居さんの役割は、彼らがそこにいるだけで、まちの秩序を守り、子供の安全をまもり、人々の道徳をつちかうものである。庭先にご隠居さんが存在するだけで、団塊の世代の間に失われつつある、コミュニティーの再活性化がはかれるのみならず、一方で、若い世代や子供達により、健康状態の緩やかな監視も行われるのである。元気なうちは、コミュニティーの活動に積極的に参加し、中心市街地の活性化などの問題に、NPOとして積極的に取り組んでもらいたいものである。それとともに、現実な身近な社会問題も学習してほしいものである。社会の価値観に大きく影響をうけて社会を動かしてきた団塊の世代であるが、これからは自らの価値観を見いだし、横並びでない、コミュニティーの文化を再生していってほしいものである。─つづく─
Apr 7, 2007
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日本の国内総生産(GDP)とCO2の関係について、産官学の共同チームが報告書をまとめたが、これを解釈すると以下の様になる。すなわち、2050年に日本のCO2を70%減らすには、年1~2%のGDP成長モデルのもと、毎年GDP1%相当の資金を温暖化対策にあて続けるか、あるいは、年1.6%のGDP減少モデルのもと、何もしないでいることの、少なくとも2つの選択肢があることになる。すなわち、同じCO2の70%の減少のために、何もしないで経済を減少させるより、温暖化対策に資金をまわした方が安上がりであることが分かる。日本建築学会のグループによれば、ある種の仮定の下に、日本の都道府県単位のデータによるシミュレーションで、日本国内の全家庭から排出されるCO2量は、すでに実施している温暖化対策を続けるだけでも、2050年には1990年比で44%減少するという。これは、日本においては人口減少や省エネ家電の普及や、人口減少に伴う世帯数の減少や、住宅の建替えで省エネ性能が向上することから、2010年以降に排出は減少に転じるというのである。地球レベルでの資源=エネルギー=環境問題は、文字通り地球全体の問題であり、人口問題ひとつをとっても、2050年くらいまでの機関でも今後100億人に向けて増加しようという人類の中で、今後おそらく3~40%人口減少に向かうという日本の社会の住宅生活のみが、44%程度のCO2減少をしたからといって、それだけで、地球レベルの温暖化防止効果があるという意味ではないだろうと考えられる。日本は、温暖化防止技術が多少進んでいるとしても、それを、先に立って、これから発展し、ひとりあたりのCO2排出量が増加するであろう発展途上国に技術移転し、地球レベルでの温暖化防止に貢献しなければ、日本の存在価値が少ないばかりか、世界の温暖化状況により、日本の冷房などの空調負荷が増えたり、気候が変動したり、農作物などの植生が変化したり、絶滅危惧種(温暖化の主体たる人類を含む)が増えたりすることにより、日本の環境シミュレーションも変動することになる。また、住宅など家庭からの排出量が現時点で想定された目標よりだいぶ増えているが、それだけが減少したとしても、その他の全産業が出すCO2の負荷により、温暖化が促進されることもありうるのである。地球の気温を安定させるには、全世界での全産業、全国民の排出量を1990年比で60~70%減らすことが必要とされているという。すなわち、人類による資源=エネルギー=環境問題による、地球温暖化現象には、人類の不断の努力により、解決の可能性が見いだせるが、努力を一層続けない限りは、解決の可能性は見いだせないと言う教訓が、建築学会の研究者たちの目的であろう。東京など、多くの場所で、4月の初めのご挨拶程度のもの以外、雪が降らない冬が終わってしまおうとしている。雪が降らない、すなわち、季節がかわると農作物などを育てる基準となる「暦」がかわることになる。すなわち、田植えや稲刈りのシーズンがずれこむことになる。それ以外の細かい、農業のスケジュールが平年に比べ、変化することになる。逆に言えば、農業のスケジュールを変えなければいけないことのサインが、この、雪のない冬である。思うに、人類自身に由来する気候変動の経験は、今回が初めてかもしれないが、有史以来、人類は、自然の気候変動を何度も経験してきている。こういうときに、大飢饉などが起きたりしているのではないかと推察される。農業関係者は、官学民ともに、早めに、この事態を予測し、今年の気候を予測し、今年の気候変動にあった、農業の暦の調整を行う必要があるのではないだろうか。それぞれの、農業の現場でできることと、科学的に推定できることとがあるはずである。地球温暖化により、今世紀末までに、それぞれの農作物の産地が北の方に移動すると推定されているが、実際問題として、どのように、うまく、北の方に移動させてゆくのか、計画を立てる必要もあろう。土地に密着した農業従事者を全国的に移動させることはかなり難しいと考えられ、むしろ、農業従事者を固定したまま、農作物の品種を順次変えてゆくことになることになると考えられる。そうだとすると、新しい作物の生産方法の教育が、全国的に、異なるプログラムで行われなければならない。それがうまく行かないと、農作物の調達に危機が生じ、大飢饉になることになるのではないだろうか。地球温暖化問題は、太陽エネルギーに対し不透明な温暖化ガスの濃度が、産業革命以前の自然状態に近い地球環境に比べて絶対的に高くなっていることによる。従って、根本的解決には、温暖化ガスの濃度を下げる方策を創案する必要がある。その一つが、温暖化の影響力が大きいCH4をメタンハイドレイトとして海底に埋蔵する方法であろう。同様に、CO2をドライアイスとして固定化する方法があろうか。しかし、いずれにせよ、メタンハイドレイトやドライアイスを生成する時のイニシャル=エネルギー=コストがどの程度であるかが問題となるし、安全性があるかどうかが問題になる。安全性と言えば、緑色植物利用によるCO2吸収があるが、これについては、各方面で既に試みられている。地球の歴史を紐解くと、地球の温度が低下するきっかけとなった状況として、隕石の衝突などにより、地球の内部の物質が大量に大気圏内に放出されたり、火山の大噴火により同様なことが生じた場合がある。これに類する方法で、宇宙から大気圏内に降り注ぐ太陽エネルギーを調節する方法がないかと言えば、雲による日影が定常状態より多い状態が或程度続く場合が想定されるだろう。すなわち、雲が多くなって、外から来る負のエントロピーである太陽エネルギー(特に赤外線)を反射することができるならば、地球温暖化を軽減できるのではないかと考えることもあり得るのではないかと期待する。また、雲と雨はつきものであるから、同時に、淡水資源を乾燥地などに降り注ぐことも考えられ、ついでに緑色植物を増やせるのではないかと期待することもできるかもしれない。地球の水と大気の循環システムを操作するのは、ある意味で非常に危険なことであり、地球温暖化問題とは、個別の問題解決というよりは、システムの問題であるから、その道の専門家達に、地球環境シミュレーターなどで十分なシミュレーションを行った上で、検討していただければ、思わぬ結果に繋がることもあるかもしれないと期待する次第である。─つづく─
Apr 5, 2007
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東京都は、東京近辺の水質浄化等により、2016年の夏期五輪で、浜離宮恩賜庭園付近の隅田川河口でトライアスロンを開催する計画であり、このため、人が安心して泳げる水準まで水質浄化する必要があるという。都は同時に水辺空間を観光に活用し観光客を呼び込む計画だと言う。しかしながら、浜離宮恩賜公園からみた景観は、池に浮かぶ茶室の背景に、汐留シオサイトの超高層群がそびえ立っている。浜離宮を訪れたときに、不思議なことに日本人は何も感じていないようであったが、フランス人と思しき外国人たちは、驚きの声を上げて、写真をとっていた。歴史的景観の中に、現代の超高層ビルがそびえると言う構図は、1970年頃のフランスのパリにモンパルナスタワーを建てて失敗して以降パリ市民により拒絶されてきた歴史がある。こんな景観のところに、海外客を呼び込もうとしても、果たして思惑通りになるのだろうか。確か明治の日本建築界の重鎮、ジョサイア=コンドルにより設計さえた丸の内の三菱1号館が三菱地所により復元され、美術館として使われる計画であるという。明治時代に建てられた国内初の本格的オフィスビルである三菱1号館は、ビクトリア様式のれんが造りであるが、1894年(明治27年)に完成し、関東大震災にも耐えたが、オフィス拡張需要に応えるため、1968年(昭和43年)に解体さえていたという。三菱1号館に限らず、丸の内の三菱街は、同様の洋館であったが、土地価格が上昇するのに対し、建築延べ床面積が小さいため、経済的事情の下に建て替えられていた。今度の復元地がオリジナルの場所かどうかはわからないが、一度解体して再び復元するまで、40年が経過した。全く愚かなことをしたものである。三菱街は、街並が経済の高度成長化で破壊され、月並みな近代高層ビルに変わっていた。建設された時代の文化を語る貴重な建築の織りなす街並の光景が、人々の琴線に触れるような時代が又戻ってくるのだろうか。伝統的街並というのは、日本の伝統的建造物群保存地区の街並だけではない。その街並が文化の発信基地であった歴史を取り戻し、時空の4次元空間のようなものができると、ヒューマンスケールの街並を取り戻すことが出来るかもしれない。それにしても、人類は、建築など芸術の世界で本当に、時代とともに進化しているのであろうか。東京都と鉄道各社は、朝夕に1時間あたり40分以上閉まっている「開かずの踏切」の解消を急ぎ、今後10年で、都内にある開かずの踏切の2割にあたる56箇所をなくすという。渋滞による待ち時間の短縮と事故減少の他、鉄道分断のない街づくりを目指すという。踏切をなくすことで渋滞を解消するとともに、駅のバリアフリー化や南北自由通路の開設を進め、街の分断を解消するという。いくつかの駅の周辺の航空写真を見ると、鉄道線路の存在により、駅の両側に、街や中心市街地が完全に分離しているものがある。このような場合に、鉄道を高架にして、その下の自動車交通をスムーズにすることは一つの方法である。しかし、鉄道の高架は、その周辺のスロープ部分も入れると大工事である。また、車の交通量がますます増えるとかえって環境が悪化するような気もする。何かうまい方法が他にもないか検討してほしいものである。東京都は今後10年かけて、都立公園の面積を現在の1800ヘクタールから2000ヘクタールへ広げると言う。既存公園の拡張や公園新設で、日比谷公園12個分の面積を新たに確保するという。緑地の拡大で、都心のヒートアイランド化を防ぐ他、公園を災害拠点として役立てるという。ヒートアイランドの根源は、都心人口高密度部分にかかる空調負荷が最大の原因である。人口高密度部分が減って、緑地化すれば、その分都市人口部分にかかる空調負荷が下がる訳であるから、本質的解決であるといえる。財務省の有識者会議が検討している国有財産売却の基本方針の中間報告案が明らかになり、東京=霞ヶ関の中央官庁の建物の土地の法定容積率限度500%の未利用部分(既に利用した部分は官庁により148~334%程度)を高層化などで、有効利用の名の下に、高密度、高容量化し、一部を民間に賃貸できるようにするという。その他の庁舎や全国の公務員宿舎も売却し、当面は1.5兆程度の国庫収入を見込むという。國の資産の有効活用の名の下。経済活性化と財政再建をねらうという。しかしながら、既に十分高密度は東京では、こうした再開発は、ヒートアイランドの促進としか考えられないことを聞く耳を持たないのであろうか。自然通風による空調エネルギーの節約をはかろうとしても、建物の周囲に、ヒートアイランドで熱がへばりついているような環境では、無理な話である。21世紀の、環境の持続性をはかった、環境にやさしく、すみやすいまちづくりには、都市の間に、風が自然に通り抜ける道が容易されるような、風通しのよい都市空間構成が必要である。そうした風の通り道に、樹木などによる緑の空間をからめて、視覚的空間性の向上とともに、水分の蒸散と、水と大気の大循環システムの効果的配置により、都市の環境が向上することを意図しなければならない。─つづく─
Apr 4, 2007
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小さなウィンドウでこのブログを書いているので全体を見渡すことができず、誤字脱字が多くて申し訳ありませんが、続きをご一読下さい。人類や家畜の食糧であるサトウキビやトウモロコシから得られるデンプンからのみならず、それらの原料にともなって生産される、木屑や稲ワラ、荒れ地で育つ雑草などに含まれるセルロースなど植物繊維の全成分を短時間で、土や家庭内に普通に生息する「コリネ菌」の遺伝子を改変したものでエタノールに変える技術が開発されている。これまで、バイオ成分の一部しか利用できなかった従来技術の欠点を解消し、エタノールの生産効率が2~3倍になるという。これにより、ガソリン代替燃料として、食糧用の流用を回避することができ、米国や、日本政府がうちだしている、ガソリン消費量の一部を代替するという政策も実現性が高まることになる。農林水産省は、農業に利用されずに放置されている耕作放棄地(遊休農地)の解消に、本格的に取り組むことになったという。国内農業が海外との競争に負けない様にするためには、農業の経営規模を大きくして生産性を高めることが不可欠だという。農家1戸あたりの耕作面積は、日本が平均3.1ヘクタール、米国が178.4ヘクタール、フランスが45.3ヘクタールであり、日本の場合いくら集約しても集約しすぎるということはあり得ない。穀物のデンプンやそのワラなどのセルロースが醸造技術の展開により、環境に優しい燃料資源として着目されている現在および将来においては、農業が、食糧安全保障を担うのみならず、資源燃料安全保障上も重要な産業となるだろう。北アフリカから中東を経て東南アジアに至る一帯に展開し、その数が13億人にのぼるイスラム教徒が、今後20年で、世界の人口の3分の1になるという予測がされている。イスラム教徒は、7世紀以来、西洋世界をしのぐ繁栄を謳歌したこともあったが、一部の王侯貴族を除いては、自然との対話の中に生きる素朴な生活をおくる人々の集合であった。西洋社会の産業革命とは縁のない生活で、第1次産業と第3次産業の交易で生活を続けてきた。イスラム教徒の中にも、敬虔なイスラム教徒と、そうでない、アルコールを飲みお祈りをしないイスラム教徒が居るのは事実であるが、長い歴史の中で、西洋社会に比べると、信仰により、心が満たされれば幸せであるという心的福祉の信仰が普及していて、西洋社会の様に、物が満たされれば幸せであるという物的福祉の考え方とは、かけ離れた生活をしてきた多くの国民がいた。従って、国民一人当たりの地球環境に与える負荷のようなものは、西洋諸国に比べ物にならない程低く、大きな人口を持っても、西洋諸国の地球環境汚染に比べれば、大したことがないはずであった。しかるに、イスラム諸国は石油の生産国であるところが大きく、昨今の石油収入の増大で、地球環境問題対策の新エネルギー技術の発展の前に、石油マネーで、膨大な開発行為を行い、生活水準をあげ、観光などで、自立できるようにしようとしているようである。これは、イスラム教徒が、心的福祉から物的福祉に変化しつつあることを示しており、地球環境問題への環境負荷の原因とはあまり考えられていなかった人々が、物欲の塊となり、物質を変化させ、正のエントロピーを地球環境システムの中で、急激に増大しようとしている恐ろしい構造である。中国やインドにしたって、かつては、自然との対話の中に生活してきた人々が多かったが、昨今の、経済発展の中で、心的福祉ではがまんができず、物的福祉を追い求める国民を急激に増大している。地球温暖化問題で、先進国がCO2削減を要求されてきたが、これからは、中国、インド、イスラムなどの、心的福祉がくずれて、物的福祉を追い求める様になった国々に対しても、現実に差し迫った問題として、環境問題を配慮した持続可能な発展を目指す様に、心がけてもらう必要が。緊急の事態となっている。日本やヨーロッパは環境技術に秀でているというが、こうした旧発展途上国の変身に対して、最先端の技術をもって、環境調整を先に立って進めてゆく必要がある。イスラムの人々には、豊かな生活というものが、本当は、物的福祉により得られる物ではなく、心的福祉により得られるものであることをイスラムの原点に遡って、理解してもらわなければ、地球が水の星でなくなる日も急激に早くなる危険性が極めて大であろう。─つづく─
Apr 3, 2007
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人間・環境学会の人間環境系倫理研究会のレポートの追加版を作成することで見えてきたことがある。1月20日締め切りのレポート「マクロ?エシックスとしての人間環境系倫理」が作成されてから、4月1日付けで中間的にまとめたレポート「続 マクロ?エシックスとしての人間環境系倫理」に至るまでの短期間に、日本で発表された、民間や行政の環境問題への取り組みが、加速度的に増えていることである。そのきっかけとなっているのは、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第1部会で、地球の温暖化が90%以上の確率で、人間活動によるものであり、温暖化が加速の段階に入っていることが明らかになったというものであろう。しかしながら、民間をはじめとする科学技術の研究は、一夜にしてなるものではなく、今日その中間報告が新聞に載っていたからと言って、その直前に始められたものではなく、そのだいぶ前から、意思をもって、開発が進められて来ていたことであると解釈したい。物質やエネルギーに関して開いたシステムとして考えられる、太陽エネルギーと緑色植物との関係と同様なことは、海洋生物の食物連鎖についても言えることがわかり、陸上の森林などと同様に、海でも植物プランクトンや海藻などが光合成をすることでCO2を吸収し、炭素を固定するが、その量は、地上海上のものと、海底のものとは同程度のものであることがわかり、人類が、地上海上で考えている2倍のCO2の発生があることがわかった。しかし、一方で、緑色植物の光合成のシステムを、人工的に安価に再現する研究が進んでおり、実用化を目指しているという。人工光合成の成果が過剰評価され、走れば走る程空気をきれいにする自動車ができると考えている行政側の人間もいるようだが、地球環境の温暖化の原因はCO2にだけあるのではなく、CO2はその一つの指標に過ぎないのであり、総合的な判断力を必要とされる問題である。資源=エネルギー=環境問題が人類に教えていることは、21世紀には、人類が、「物」が充足することによって獲得する幸せである「物的福祉」の時代から、「心」が寿実することによって獲得する幸せである「心的福祉」の時代に移行しないと、人類こそが淘汰される方向へ向かうことである。一方で、植物系原料を用いた新しい科学物質も実用化が進みつつあり、洗剤の洗浄成分である界面活性剤への適用も実用化を迎えつつある。木屑や草などセルロースの酵素分解で、サトウキビやトウモロコシの人類や家畜の食糧を使わなくても、バイオエタノールを獲得する技術が実用化されつつある。この食糧部分を使わないバイオ燃料獲得は、ブッシュ米国大統領も支持している方法論である。また、エタノールからプラスチック原料プロピレンを製造する技術が実現化されつつあり、それまでの、ポリ乳酸からの技術よりも本格的なバイオ技術として注目される。一方で、バイオ系の原料を獲得する時に問題となる、農業での淡水不足問題に関連しては、日本の企業が、海水を淡水化する水処理膜を大型受注するようになっている。また、産業技術総合研究所では、木質形成遺伝子を発見し、セルロースと未利用資源のリグニンを調整して製造することができ、燃料化しやすい植物や、逆に、木質が多くて強度が高い木材などを育成する可能性がある技術が花開こうとしている。一方で、何でもポリ乳酸によればいいのではと言う風潮もでてきており、間伐材で作ったら良いような物まで、植物由来のプラスチックで作ろうと言う動きもあり、自動車のバンパーなどのABSなどのように、あきらかに環境に良くない材料しか使えなかったところにポリ乳酸を投入するのとは訳が違うのではないかと言う現象も起きている。生産コストが「ガソリン並み」のバイオエタノールも実用化されつつあり、糖やデンプンからエタノールを取り出す菌を従来の100倍程度使い、生産性を大幅に高め、サトウキビやトウモロコシの他、木屑や生ゴミからも製造でき、ブラジルから輸入のエタノールよりも安価でできるという。その一方で、原料植物が食糧用の植物の転用では、地球レベルでの人口増加と物的福祉の富裕化に対応できないことは明らかであり、既に、商品先物市場などで、バイオエタノール原料のサトウキビやトウモロコシに高値がついているという。日本ができることは、海水等の淡水化技術や、灌漑供給技術を集大成して、資源=燃料を安定供給する技術の実現がバイオエタノール類の技術の成功にかかっていることには、注意を要しよう。バイオエタノールから高純度水素を製造する技術の原理を、天然ガスから作る従来の製法と同程度のコストで生成できるようになったという。しかも、純度が99.5%以上で可能になると言う。いずれにせよ、人類や家畜の食糧資源であるものを自動車など人間の生活に直接関係ないもののために、燃料に利用しようとする政策は、今後の発展途上国の人口増加の問題に対する十分な答えを用意しているとは考えられないので、緊急に解決する必要があろう。エタノールをはじめとするバイオ燃料の世界需要が急増しており、原料確保などの課題を残したまま、数値目標が先行したために、先物市場などで、農産物価格にしわ寄せができているという。温暖化問題の指標がCO2である現在、化石燃料をバイオ燃料におきかえようとするのは自然なことであるが、長期的には、緑色植物の光合成の結果をバイオ燃料にするのではなく、緑色植物の光合成のシステムを解読して、バイオ燃料を化学合成する程度の技術開発が必要である。その場合いずれにせよ必要なのは、淡水資源であり、日本政府はこの状況をみこして、海水の淡水化技術だけではなく、砂漠地方の灌漑技術や、人口降雨技術などを実用化する必要があろう。事態は、急を要する状況であり、各方面の努力により、自然科学的な技術開発や、農地や原料の確保や、淡水資源の確保を急ぐ必要がある。─つづく─
Apr 2, 2007
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2006年度末の締めとして、人間=環境学会/人間環境系倫理研究会における本年度末の活動レポートを作成した。本年度の公式の最終レポートは、1月20日締めで、「マクロ=エシックスとしての人間環境系倫理」として提出しているので、これは、ノルマではないが、5月の学会大会のワークショップのテーマとも関連しているので、ここで一度まとめておいた方がいいと考えた。IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)で、温暖化が、90%以上の確率で、人間活動が原因と宣言してしまったので、マイナーな環境運動は、何を今更と言う感じはいがめない状態である一方、科学技術的には、逃げることが出来ない状態に追い込まれているとも言える状態であろう。今日の昼間の暑さといい、最近の、気候の異常は、なんとも不気味である。
Apr 1, 2007
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