パクス・ジャポニカ Vol.2

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2014/11/20
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テーマ: 城跡めぐり(1258)
城跡の場所を特定できていながら、本丸へのアプローチに失敗した城郭はいくつかあります。

理由もいくつかあるのですが、「足が痛い」という想定外の理由で撤退したのが、あきる野市にある戸倉城でした。

前回(2014年9月) に陣馬山から奥高尾縦走路の尾根をたどった時、最後の目的地にしていたのが戸倉城跡のある戸倉城山でした。


今回は反対側の日の出山から秋川渓谷を経て、戸倉城山を目指すことにしました。
戸倉城遠景.JPG
武蔵五日市方面から見た戸倉城山の遠景


戸倉城は戸倉城山の山頂部にあった戦国城郭で、二つのピークにそれぞれ曲輪が配されていたようです。
戸倉城模型.JPG
戸倉城山山頂部の復元模型(あきる野市五日市郷土館)

戸倉城遠景 (2).JPG
現在の戸倉城山


秋川渓谷瀬音の湯 のある十里木からは、戸倉城山に至る登山道の一つがあります。
(登山道入口は樹林帯に覆われて、わかりづらい位置にあります)

西側の斜面を登って行くと、荷田子峠との分岐点に差し掛かりました
戸倉城道標.JPG
前回のアプローチが成功していれば、奥高尾縦走路からこの道を来ていたと思います。


西側ピークを目指して行くと、途中の斜面を送電線が横切っていました。
戸倉城西側.JPG
曲輪跡に鉄塔が建てられているのは他の城跡で見たことがありますが、この鉄塔は斜面に建てられており、曲輪跡のような削平地も見当たりませんでした。


戸倉城山の東西二つのピークのうち、西側には物見台が置かれていたようです。
戸倉城堀切 (2).JPG
鞍部には堀切のような跡も見られます。


東側ピークの途中にはベンチの置かれた削平地があって、二の丸の曲輪の跡だと思われます
戸倉城二の丸堀切.JPG
道標の立つ場所は堀切跡だと思われます

二の丸の周囲には切岸の跡が残っており、枡形虎口のような跡も見受けられました。
戸倉城二の丸虎口.JPG


戸倉城本丸堀切.JPG
二の丸跡

戸倉城二の丸.JPG
二の丸(本丸のある上から見たところ)


本丸の周囲には野面積みの石積があったのですが、後世になって積まれたものだと思います。
戸倉城石積.JPG


石積みの脇を抜けた先は削平地となり、本丸跡に着きました。
戸倉城本丸.JPG


本丸のあるピークは、戸倉三山の一つ、戸倉城山の山頂でもあります。
戸倉城山頂碑.JPG
戸倉城山山頂碑(標高434m)


本丸から眼下を見ると、五日市の市街地の眺望が開けていました。
戸倉城本丸眺望.JPG


戸倉城縄張図.JPG
本丸にある縄張り図


戸倉城の大手口は北側にあったようで、戸倉へ降りる途中には城郭の遺構がいくつか見られました。

戸倉城竪堀.JPG
竪堀跡(藪に覆われてわかりづらいですが)


戸倉城腰曲輪.JPG
腰曲輪の跡


戸倉城大手虎口.JPG
虎口跡(?)


斜面を下って行くと神明社の裏手に出ましたが、城郭と関係があるのかは不明です。
戸倉城神明神社.JPG
平時の居館跡のような雰囲気です。


15世紀の秋川・南多摩一帯には、「武州南一揆」と呼ばれる在郷の武士団があり、戸倉城はその主要構成員であった小宮氏の居城だとされています。

1416年の上杉禅秀の乱では鎌倉公方足利持氏に味方し、その恩賞として5年間税を免除されたようで、その書状が五日市郷土館に展示されていました。
戸倉城五日市郷土館.JPG
戦国時代より前から秋川一帯に勢力を持っていたことがうかがえます


戦国時代になって北条氏が勢力を伸ばしてくると、大石定久が北条氏照に 滝山城 を譲った後、戸倉城を隠居の居城としていました。

北条氏支配下の戸倉城は 八王子城 の支城のような存在だったらしく、甲斐の武田信玄に備えるべく、 檜原城 とも連携していたようです。

その八王子城が1590年の豊臣秀吉の小田原の役によって落城すると、戸倉城も廃城となっています。





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最終更新日  2014/12/05 08:50:18 PM
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