2007年12月07日
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テーマ: 唐津街道(17)
カテゴリ: その他
どうして人は歴史に興味を抱くのか。歩きながら考えた。

北九州市で会った元職員の加藤芳人さん(78)は北九州史跡同好会の会長。30数年、史跡巡りを続けている。「きっかけは近くの山で中世の城跡を発掘している人を見たこと。面白そうなので弟子入りした。40代半ば、仕事のストレスがたまっていた時期だったので、いい興味になった」と話す。

図書出版のぶ工房 (福岡市)の編集者、遠藤薫さん(53)の場合は、9年前に長崎県大村市で開かれたシンポジウムが契機になった。テーマは小倉と長崎を結んだ江戸期の道、長崎街道。仕事でポスターやチケット類のレイアウトを担当した。

福岡県中間市出身の遠藤さんはシンポ後に中高生時代に通学で歩いた道が、実は長崎街道であることを知る。「あの道を昔、象も通ったのか」。時代は異なっても江戸期の人々と空間を共有できた気持ちになった。旧街道に関する取材と出版に力を入れ始めた。

いずれも旧跡が生活圏の中にあり、身近であることが共通している。もう1つ、「空間の共有」という言葉が印象的だ。現代的な店舗・ビルの間から見える山や海、島影は何百年か前の姿とあまり変わらない。その景色を眺めた昔の人々と共通の感慨を持つ。そこに歴史の奥深さを発見するだろう。

畦町(福津市)、青柳(古賀市)を過ぎて唐津街道はいよいよ福岡市の箱崎宿跡に入る。長さ9百メートルの参道が博多湾の海辺に達する箱崎宮の前に着く。桜門に「敵国降伏」の変額。穏やかな言葉ではない。16世紀の末、筑前領主だった小早川降景がこの桜門を寄進した。ちょうど朝鮮出兵のころだ。

福岡市に来ると、豊臣秀吉の影が急に大きくなる。秀吉は1587年、九州平定の岐路にこの箱崎に滞在、バテレン追放例を出したのは有名だ。長崎で26人のキリスト教徒が処刑されるのはその10年後になる。

同市教育委員会で36年間、文化財にかかわった塩屋勝利さん(63)を訪ねた。高校生まで長崎県の壱岐で暮らし、周りは古墳だらけだったという。「子供のころは横穴にもぐってよく遊んだ」。そんな体験が考古学専攻へと結びついた。九大を卒業後、市職員となり、志賀島で発見された国宝・金印の研究に力を注いできた。

そして20年前のクリスマスの日を迎える。平和台球場の野外スタンド改修工事に伴い、市が発掘調査をしたところ、柱の穴や、かわら、陶磁器が多数出土。飛鳥から平安時代にかけ、大陸からの外交使節を迎えた古代の迎賓館「鴻臚館」とみられる遺構が確認されたのだ。

「あれからすごく忙しくなってね」と塩谷さん。年明けの遺跡公開日には7千5百人の市民が詰めかけ、まさに鴻臚館フィバー。海外との交易窓口・福岡を象徴する遺跡となった。

今は金印をめぐっても地元は熱を帯びつつある。11月初めに志賀島歴史サークル「金印」が「金印、『漢委奴国王』の真実に迫る」と題してシンポジウムを開催、約4百人が集まった。真贋論争も含めて島おこしのテーマにしようとしている。





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最終更新日  2007年12月22日 09時31分39秒
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