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鉄人騎士。さん
ひくまさんさん大学4年の冬の事だった。
秋からの就職活動もしないままに、ずるずると学生生活を続けていた。
昔、寮の先輩のエピソードです。先輩は入社試験の面接でこんなことを言いました。
「君は2年も留年していますが、どうしてなんですか?」
「社会に出るためのエネルギーを貯めていました。」
この言葉でめでたく、合格となったそうです。
僕もこの気持ちと同じでした。それで、大学に残ることにした。
残るといっても、方法は修士課程に進むか、研究生として残るかのどちらかだった。
留年したかったが、授業の単位は全て取得してしまい、留年は認められない。
ちなみに取得単位は188単位です。すごい数字です。
文系ならともかく理系の工学部系の学部でこの数字は立派なものです。
最低は125単位で卒業が認定されます。
余分にいっぱい取ったのです。4年生でも授業に出て取りまくりでした。
何故なんでしょうかね。
変にバカ正直。チャランポランに見えるけど、実は真面目学生でした。
当時は今よりは少しだけましな不況の時代でした。
1年のときにオイルショックがおこり、卒業の頃は不況で就職が難しかった。
レベルを落とせばそれなりに就職はあったけど、もう少し学生をしたい気持ちが勝っていた。
結局、研究生として残ることになったのですが、実際の生活は寮で麻雀ばかりの毎日。
時々、アルバイトをして、のんびりと学生生活を満喫していた。
麻雀仲間の先輩がつくづく言った。
「こんな生活が続いたら最高やけどなあ。もうじき社会人かあ。この寮でのことはいい思い出になるだろうなあ。」
1年留年しているのですが、まだ遊び足りないみたい。
僕と一緒に卒論研究をした仲間なのですが、もともと頭脳明晰で麻雀も強かった。
奈良県の一流企業に就職しました。
この年に寮が鉄筋コンクリートに立て替えられて、後輩たちのことも気になっていました。
寮は建物も中身も大きく変わっていった。
僕はこの新学生寮の建設委員実行委員長ということで、大学当局ともいろいろと折衝したり、寮の規則、規約などもすべて検討していった。
寮の自治は3年生が中心となっているのだが、上級生を尊敬する風潮の残った寮でしたから、なにかにつけて4年生の意向が影響力大でした。
2年生になって寮に入ったのは20人だった。見るからに倒壊寸前のボロイ木造建築です。
なんと明治40年の建築ということです。(消防署から危険建造物指定を受けていました。3分で焼け落ちてしまうと言われてました。)
おまけに、やたらと厳しい。先輩への挨拶がなかったら、リンチをくらうような、今では考えられないような寮だった。
ほとんどが運動部の所属で空手部が多く、少林寺拳法部も多かった。
寮生は怖いというのが学内の常識でしたね。
それで、一人やめ、二人やめていき、3年生では8人、4年生ではたった4人になってしまった。
彼女が出来て退寮したのが一人いました。
僕を除く3人はそれぞれに就職が決まり、晴れて社会人となって出ていきました。
残った僕は最初に書いたように、毎日のように麻雀。
古い寮は2部屋を二人で使っていたが、今度の寮は個室です。時代の流れですね。
1月になって新寮に引っ越してから、僕は日記を付けるようになった。
これからのこと、彼女のこと、つたない詩も書きましたね。歯の浮くような言葉が並んでいます。
卒業を控えた3月ごろに無性に九州に行きたくなった。何故なんだろうか?
卒業論文の発表会が2月で、卒業式が3月の20日頃だったように思う。
卒業式の前日も麻雀をしていた。
相棒の先輩は着ていくスーツがないというので出席しないという。
僕は何も準備はしていないけれど、特別にあらたまった服装もいらない。平服でいいや。と思っていた。
この感覚が寮で4年間も生活していたら人間の非常識です。
5時頃に麻雀が終わって、少し仮眠をすることにした。
しかし、・・・・・
寝過ごした。
気が付けば11時。
あわてて研究室あたりにいくと、式が終わってみんなでワイワイやった後の散会しようかというあたりだった。
「どうして来なかったんだよ。」仲の良かった友だちが言ってくれたけど、理由を詳しく言うのも恥ずかしい。
「巻きずしがあるぞ。食えや。」
「ありがとう。」
今の時代と違って、女の子で振り袖を着ている者は数人だけです。
男もスーツにネクタイ姿はちらほら。ジーパンにジャケット姿が一般的だった。
それでも、それぞれが一番いい服を着て参列したのでしょう。なんとなく普段の教室やゼミの雰囲気ではなかった。
4年間の思い出を胸に卒業する格別の気持ちを持つ記念の日です。
そんな大事な日に・・・・・寝坊とは・・・
全国の大学生経験者に聞いてみたい。
前夜の麻雀のために寝過ごして、大事な卒業式に遅刻した奴いますか?
こんな理由で出席しなかったバカは僕だけでしょう。
親が聞いたら怒りますよね。
記念写真も何もない。ただ卒業証書を友だちから受け取って、終わった。
人生の節目の行事に参加することなく、ただ何となく過ぎてしまった。
感動も感激もなかった。
虚しさだけが残った。