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ひくまさんさん
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鉄人騎士。さん今夜は忘年会でした。飲めない酒に体はふらふら。
でも、家に帰ってパソコンの前に座ると、何故かブログを書きたくなった。
という訳で書きます。でもね、1回分が大体2時間ぐらいかかるのですよね。
夢中になって書くので、つい寝不足です。
思い出しながらの作文は時間がかかります。では、がんばって書くべえ。
テレビ出演(1)
マドンナの小学校6年生の時の担任が近くに住んでいると言うことで、
会いに行くことになった。僕は6年の時には転校していたので、深い付き合いはなかった。
しかし、自分にとって大きな出来事に関わった先生なのです。
不思議ですよね。佐賀県で教えてもらった先生が福岡に住んでいるなんて。
それもすぐ近くに。そのあたりの事情については知らない。聞いてもしょうがない。
先生との関わりがどんな出来事かというと、僕はテレビに出演したことがあるのです。
4年生の時のことです。
当時はまだテレビが普及していなかった。
都会でのことは知らないが、貧しい炭坑町ではテレビを買うゆとりのある家はほとんどなかった。
都会では高度成長の加速をはじめた頃のことです。
10月1日には新幹線が開通しました。
「夢の超特急」の夢が夢でなくなり、現実になったと10月2日の新聞にでかでかと載っていました。
東京オリンピックが10月10日に開催されて、カラー放送が始まったのもこの年です。
カラーテレビは100万円でした。
親父の給料が1万円もなかった頃の100万円です。
この値段は新聞のニュースで知った。
「すごいなあ。」と思うと同時に「誰が買えるのだろう。」と、疑問でした。
うむ?僕の年齢がばれたような気がするが、まあ、しゃあない。
近所に駄菓子屋と食料品店を兼ねた何でも屋があった。
そこには客寄せのためのテレビがあった。もちろん白黒です。
その店は僕の友だちの家なのですが、一日に5円か10円しか買い物をしないで
長時間テレビを見る子ども達は商売の邪魔とばかりに冷たかった。
悔しい気持ちを味わったことを知った親父は、
「えい、やっ~。」とばかりにテレビを買ってくれた。
炭坑長屋の中でテレビを持っていた炭坑夫は親父だけでした。
それは1年生の夏休みに入る時のことでした。
貧しい生活だったが倹約の生活だったので、銀行への貯金は炭坑夫の中で1番だった。
だから、盆や暮れには銀行マンがカレンダーや粗品を持ってきていた。
近所の人たちはそれをひがんでいたという。
親父が会社の重役たちにも卑屈になっていなかったのは、隠れた金持ちの自負だったように思う。
このことを僕は知らなかった。ひたすら我が家は貧乏だと思っていた。
子どもに教えるとしゃべりまくって、妬まれたりすると、親父は考えていたそうだ。
今の自分を思えば親父の判断は正しい。
ブログにべらべらと自分のことを書きまくっているのだから。