全3件 (3件中 1-3件目)
1

丑寅の二人旅 第75弾 千葉は鋸山から成田山他 2日目・3日目7月24日続き: 成田山新勝寺から千葉県北の端の佐原へ香取市佐原、隣は茨城県潮来市佐原の見どころ・顔は、① 小江戸と呼ばれた宿場町=古い街並み ② 水郷の郷 ③ 伊能忠敬の活動拠点佐原の街並み: 利根川沿いに位置し、霞ヶ浦、江戸川・江戸への水運交通の便も良く、宿場町として繁栄し、小江戸と呼ばれました 残っている古い街並みは、さほど広くない、小規模かな?半鐘 佐原観光名物 舟巡り: 小江戸さわら舟巡り(小野川沿いの古い街並みを巡る)と加藤洲十二橋めぐりの二つがあります因みに隣の潮来市には、「前川十二橋めぐり」があります佐原も潮来も、利根川・利根川支流・霞ヶ浦・北浦が造る水郷ですから伊能忠敬旧宅、商人で測量家、当時の測量器(コンパス?)伊能忠敬旧宅から外を眺めました樋橋(ジャージャー橋)、本来は人が通る橋ではなく、水路として樋を川を跨いで通したもの水を町の東から西(ん? 西から東)に流したくて、樋を掛けたもので、その後、人が渡れる橋に改造したもの横利根閘門(よことねこうもん): 日本のパナマ運河???閘門(水門)外側からの眺め霞ヶ浦・北浦・利根川・江戸川・江戸を水運交通で行き来する霞ヶ浦と利根川を結ぶ横利根川、利根川と横利根川の水位が違うので、およそ90mの距離の両端に水門(閘門)を造り水門を片方づつ開閉することでそれぞれの川の水位と合うように調節し、船を安全にそれぞれの川に移動させた水門開閉の機械・歯車1922年に完成し、全盛期は年間60,000隻余りの船が往来二つの閘門の間(90m)、船はここで水位調整を待ちますこの横利根閘門、今も現役、年間1-2,000隻の釣り船・レジャー・ボートが往来します横利根閘門の位置、水戸・北浦・利根川・江戸川・江戸と船で行けそうですね7月25日: 最終日、 水郷佐原あやめパークでハス祭り ー 第75弾 千葉は鋸山から成田山他終了です ー
2018.07.25
コメント(1)

丑寅の二人旅 第75弾千葉は鋸山から成田山ほか 2日目7月24日: 房総から成田に移動 成田山新勝寺 940年開山 真言宗ですから弘法大師系列ですね総門です、2008年建設と比較的新しい、なので国宝ではないです総門から仁王門方面を、何やら露店が露店の正体、薬味売り???仁王門、国の重要文化財仁王門の提灯、築地魚河岸が奉納大本堂(左)と三重塔、大本堂は1986年建造、未だ新しいですね節分の芸能人・関取の豆まきが有名三重塔、垂木などへの煌びやかな彫刻囲碁を打ってます各層の屋根下は「極彩色で彩られた雲水紋の彫刻」って表現で良いのかな御祈祷に聞き入る人お坊様釈迦堂、1858年建立 重要文化財、現在の大本堂が出来るまでの本堂でした さらにその前は光明堂が本堂でした額堂、1861年建立 重要文化財御信徒から奉納された額や絵馬を掛けます掛けられた額成田屋ですね 寄進された市川團十郎像平和の大塔、1984年建立成田山新勝寺の名所は、何と言っても、参道(クリックで拡大します)成田山の参道と言えば、鰻屋捌いてます(黄色丸) それと、 焼いてます(オレンジ丸) ー 2日目-2に続く ー
2018.07.24
コメント(0)

丑寅の二人旅 第75弾 千葉は鋸山から成田山ほか 初日7月23日: 連日の猛暑 逃れる様に旅に 目指すは南房総、ん? 避暑地じゃ無い東京湾アクアライン初めて走りましたぁ展望デッキから川崎市方面を、換気の「風の塔」(黄色丸)、モニュメント「カッターフェイス」(緑丸)反対の木更津方面をPAとしての「海ほたる」、施設はショボイ トイレは少なくて汚い06:00時点で飯食わせるところ、1カ所だけ 最近の他高速道路のPA・SAは充実しているので、それに比べて失望考えてみれば、川崎-木更津15km、ここで休憩必要ないかぁ、通過すれば良いんだぁ最初は鋸山、日本寺、東口管理所から入ると直ぐに大仏さんですこの日本寺、開山は725年と凄く古い、開いたのは行基さんかっては、七堂・十二院・百坊と凄い境内・施設だったらしいです 今は1堂か2堂だけ? 弘法大師も修行されたとか鋸山、正式には乾坤山(けんこんざん)、なのでお寺さんも、乾坤山日本寺(クリックで拡大します)ご本尊はこの大仏さん「薬師瑠璃光如来」、石の大仏さん、高さ31m、奈良の大仏さん18mよりも随分デカい日本寺境内の石段総数2,639段、これは日本一(金比羅さん1,368段、山寺1,070段)と言う事で、一旦山麓まで降りて、ロープウェイロープウェイから川崎方面の眺めこの選択は正解 この日は熊谷で41.1℃の日本最高気温を計測した日本一暑い日でした日本寺名物の「地獄覗き」 地獄覗きデッキですねロープウェイ山頂駅から地獄覗きデッキまで結構キツい 傾斜がキツい、肥満の人5回は休憩が必要 地獄覗きデッキへのアプローチこれがその地獄覗き、地獄の底を覗く? 100mの深さだとか地獄の底から見上げて、黄色丸が地獄覗きデッキ この地獄の底にあるのが「百尺観音」、高さ30m地獄に落ちた亡者を救ってくれるのかな?(クリックで拡大します)1966年完成ですから、そんなに古くはないです北口管理所、日本寺5カ所の出入り口の一つ、一番山頂に近いところ北口ですから、ここから出ると山の北側に向かいます日本寺は、実質的に鋸山の南半分、北半分は別の世界北口から出てロープ手摺り等の急勾配の下り坂戻りは半端なくキツかった たいした距離ではないのに、翌日は脹ら脛パンパンこれがお寺さんとは別世界の北半分、石切場跡 ラピュタの世界放置され朽ち果てたブルドーザーその他にも何やら機械類何ですかねぇ? 荷物搬送ロープウェイ(索道)支柱??車力道? 荷車を引く為に石を敷いてあります石切の跡、マンションみたい切り出された石は房州石、主に建材として使われます、石塀や石灯籠も建材として有名な栃木の大谷石よりも少しグレードが落ちるのかな切り通しになっていて、少しの苔と奥からの光と緑の木立、良い雰囲気この石切場の操業は、江戸時代1780年頃から1982年までの約200年間ラピュタの世界と称される「石切場跡」は600-700mの範囲ですね岩舞台・観音洞窟・吹抜洞窟・絶壁階段など名前が付けられ、観音菩薩の彫刻・ビリケンの落書きなんかもあるみたいですそれと鋸山、標高329mと低い山ですが、下から登る人は登山届を出すみたいです鋸山(日本寺、石切場跡)を終了し、外房方面に君津市にある「濃溝の滝」(亀岩の洞窟)(クリックで拡大します)洞窟の中を滝(単なる流れ?)が流れてます最近ネットで評判、インスタ映えするとか上の写真でも洞窟奥の光が手前の川面に映っていますが、朝日の具合によっては、光の筋が射して光のハートを形作るらしいですこの濃溝の滝、洞窟は人工のトンネル川廻し(河川曲流短絡工事)と言う土木工事で岩山を刳り貫いたトンネル大きく蛇行した川の湾曲部分をトンネルや切り通しでショートカット(川廻し)し、水が流れなくなった湾曲部の川跡を水田にする新田開拓事業そして開拓した新田跡は現在木道に(上の写真)この新田開拓技法は、全国でもこの房総半島南部だけで行われた開拓事業 江戸時代から明治に掛けて450カ所以上行われたとか この辺りで有名な養老谿谷にも川廻し跡が残っているとかそれと、「濃溝の滝」も「亀岩の洞窟」も正式名称ではないみたい、誰かがそう呼んだ事から言われるように因みに濃溝は、元々農業の溝(水路)の「農」が間違って「濃」になってしまったとか ー 2日目に続く ー
2018.07.23
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1