全7件 (7件中 1-7件目)
1
サントリーホール 14:00〜 2階正面 ヴァインベルク:無伴奏チェロのための24の前奏曲 op.100 ヴァイオリン編曲版 J.S.バッハ:トッカータ ハ長調 BWV.911 シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番 ト短調 D.408 ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 ハ長調 D.934 <アンコール> モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ K.404 より ヴァイオリン:ギドン・クレーメル ピアノ:リュカ・ドゥバルグ クレーメルはナントのラ・フォル・ジュルネにもクレメラータ・バルティカで出ていたらしいのですが、GWの日本では出演せず.....ふむ....... 日曜の午後というのは意外と人の入りが良くないようではあるのですが、それにしてもこの日は2階席はかなりの空きっぷり。いや、ガラガラという訳ではないけれど、かなり空いてました。ほぼ一杯だったのは、恐らくは売り切れのC席にアサインされていたであろうRA・LAブロックのみ。1階はそれなりに入っていたのでしょうけれども...... クレーメルは以前はもっと人を呼べたのではなかったかなぁと思うのですが、どうなんでしょう..... 出来心で聞きに行ってしまったヴァイオリンであります。そんな分かるわけないじゃーんというところですので、あまり多くは語れない筈ですが、まぁ、ともかく。 若干曲順を変えて、前半冒頭予定のトッカータが後半に回されて、ピアニストなしのクレーメル独奏によるヴァインベルクのみの前半。要は旧ソビエトの作曲家で、スターリン死後数年しての曲だそうで、まぁ、大体事情はわかるというか、そう言っちゃぁ身も蓋も無いですが、旧ソビエトの現代音楽です。 クレーメルですからね。そしてクレーメルなので、聞けばそれなりに聞ける。ただ、まぁ、なんというか、だからどう言えっていうんだろう....という感じだったのも確か。 この曲、アンタナス・スツクスという写真家の作品のスライドと共に上演されたのではありますが、これも、まぁ、写真自体其れなりに興味の湧くような美しいと言えば美しいものではあったけれど......だから、どう言えっていうんだろう......... 後半は、シューベルトですからね。これは、知らないと言っても、流石に知っている。これも、演奏としては良かったと思います。 ピアニストのリュカ・ドゥバルグはまだ20代の若いピアニストのようで。なんかこの人目当てかな?という感じのお客もいるようではありましたが、なんというか、まだ若いですね..... バッハとか、まぁ、聞けばそれなりに聞けるんですけれども。シューベルトの幻想曲の冒頭。長いピアノのトリル、というかこれはトレモロと言うべきものなんだけれども、これが、音楽として聞こえて来ないというか.....何を聞かせたいのか?どんなものとして聞こえて欲しいのか?何を言いたいのか?そういうものが、弱い。ただの単純なトレモロですからね。でも、やっぱり、「ただのトレモロ」ではないんですよ。そういう意味での経験値が浅いのかなぁと。 音楽になっているもの、音楽として聞こえるものは、まぁ、いいんでしょう。でも、こういう、ほっといても勝手に音楽になるわけではないものをどうするのか、というのがね..... まぁ、全体としては面白かったと言っていいと思いますが、しかし、お客がもっと入ってもいいと思うんだけどもなぁ........
2018年02月19日
コメント(0)
オペラシティコンサートホール 14:00〜 3階左端 スメタナ:「わが祖国」〜 第1曲「ヴィシェフラド」 第3曲「シャールカ」 第4曲「ボヘミアの森と草原から」 第2曲「モルダウ」 <アンコール> スメタナ:「わが祖国」〜 第6曲「プラニーク」より コーダ 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:小林研一郎 これに行ったのは久々。 まぁ、正直、「初心者向け〜」みたいな香りがプンプンし過ぎて、多少のことは目ぇ瞑るってぇもんでしょうが、野暮なこと言いっこなしよ、てな感じではありますのでね。だから、トーク含めて1時間半くらいで終わりになるし、だから、「わが祖国」全曲でなくても、小林研一郎が「このコンサートはそういうのとはちょっと違うので」と言われると、「ええ、まぁ、そうなんですよね、きっと....」と思ってしまうという..... まぁ、そんな感じですが、改めてこうやって聞いて、前説で「曲のこの部分がこうでね....」とか説明されると、それはそれで面白かったりもするのでありまして、まぁ、そう悪くはない。 といって、演目的にもどうこう言うような話じゃないよね、と言うのもあるにはあるのではありますが、一応行った記録として残しとこうかなと。<去年散々すっ飛ばしたのはどこの誰でしたっけねと.... でも、まぁ、さすがに、この前日にも他公演で演奏して来ただけあって、よく出来てはいましたよ。それと、こういうものをぽやーんと聞く分には、オペラシティっていうのはいいホールなのかも知れないですね。オーチャードのデッドな環境は、私は好きだけれど、それでも、「あー鳴ってんなー」という感じは、さすがに風呂場ホールとして他の追随を許さないだけのことはあるなぁと.....
2018年02月13日
コメント(0)
この間、タワーレコードでCD買ったのだけれど、袋の中にローマ歌劇場の引っ越し公演のチラシが入っておりまして。普段、チラシはコンサートの際はさっさと分類して処分してしまうのもあって、見てなかったんですが、今回は手元にあるのでしみじみ見てみまして。 これ、NBSの公演だったんですね。確かローマ歌劇場は、1993年頃に一度、愛知県芸術劇場のこけら落としだかで来て、その後も何度か来ていると思うのですが、呼び屋はNBSではなかった筈。その頃から、NBSは、イタリアだったらスカラかフィレンツェを呼んでいた筈。ローマは眼中に無しという感じで、まぁ、実際、昔からその頃も、ミラノ、フィレンツェ、ナポリのサン・カルロ、ヴェネツィアのフェニーチェと「並ぶ」とは言いながら、首都故か、否、首都だからこそか、ローマは三指に入らず、といった感じだったかと。今はイタリアも政治が強くなった感もあって、ローマは相対的には以前より存在感はあるようですが、正直、フィレンツェとかの凋落の影響の方が大きい気はします。というか、ボローニャの方が上という感じだったようにも思うんですけどね。今はボローニャも財政難で厳しくなってしまって..... で、そのローマ歌劇場の引っ越し公演。正直、私は最近はNBS系は高いのでまるっきりパスしてたんですが、今回のチラシはちょっと唸ってしまうようなものではありました。演目が椿姫にマノン・レスコー。まぁ、いいでしょう、それは。正直いうと、歌手も、指揮者も、「どなたでしたっけ?」という感じ。まぁ、近年ムーティが監督していたということでは、ありがちではあるんですが....ヌッチがジェルモンで出るらしいけど、今更ジェルモンねぇ..... そして、お値段。S席5万4千円。一番安いF席で1万2千円。 これ、誰が行くんだろ..........いや、行く人がいるだろうことは理解してますが......... NBSは昔から日本の引っ越し公演のチケット代を釣り上げてきたという意味では最大の元凶、佐々木何某に至っては不倶戴天の敵なのですが、例えば25年くらい前、コヴェントガーデンが来た時にモーツァルトのオペラをやったのですが、その時のS席が確か4万円ポッキリか4万円台前半だったかと。同時期、ウィーンだかバイエルンだかが来た時は、5万円前後。それが高騰し続けて、一時期は7万円くらいまで行っていたのが、この内容だからにせよ、5万4千円に落ちて来たと。そして、今回は、協賛がないんですね。主催がNBSと日経新聞なんだけど、他には何も無し。 まぁ、私、行かないからいいんだけど...... NBSの商法は、正直、馬鹿っ高いチケットを売るというのにあるのだけれど、それでも皆買ってしまうのには、「日本に来る」というのもあったけれど、もう一つ、「キャストが豪華」というのがあるにはあったんですよね。ウィーン、スカラ、バイエルン、この辺が来る時は、指揮者も相応の人をアサインしていたし、歌手でも、誰かしらビッグネームなり新星と目される人なりが、それも大抵複数居たりと、ギリギリ「これ.....うーん」と悩まされる程度には何某か「引き」があったんですよね。 それが今回は、まるで無し。..........演出がソフィア・コッポラ?それで? 佐々木某が亡くなって、力が落ちたというのは多分あるんでしょうね。ただ、そもそもあの商法がもう成立しなくなりつつあるというのはあるんじゃないかとは思います。 まず、オペラ指揮者として、ある程度名のある人というのが少なくなってしまった。ウェルザー=メストやティーレマン、ムーティやノセダくらいを呼べればいいんでしょうけれど、ローマじゃなかなかそうも行かないだろうし。いや、エッティンガーやハーディングでもいいんですけどね。でも、相対的に今はそういう指揮者の需要が高まってしまっているのか、取れないんでしょうね。 そして、それ以上に歌手がいない。 私が聞き始めた頃は、まだ三大テノールが一応いて、「ポスト三大テノール」なんて話題も出ていたけれど、皆イマイチだねぇ、なんて話だったんですよね。それが、その辺の「ポスト」世代、例えばアラーニャとか、あとはクーラとか、そのあたりが割とあっさりと消えてしまった結果、その後を追い掛けて来る人達がいなくなってしまった。 これはテノールに限った話でなく、ソプラノにしても、ゲオルギューあたりが割とあっさり消えてしまって、というのはあると思います。この25年くらいコンスタントに実力を発揮しているのは、バルトリと、強いて言えばその半分くらいの年数ですが、ネトレプコでしょうか。多分今オペラ歌手で一番存在感があるのはバルトリかも知れない。 もう一つ、オペラの世界の方向性も大きく変わっていて、特に大きいのはバロック・オペラの存在感。これは多分この2, 30年の流れだと思いますが、バロック・オペラ、と言っても、イタリア系、フランス系、ヘンデルやグルックのような周辺、といろいろあるわけですが、それぞれに発散して行った。同時に、今まで歌劇場の舞台に登場していた作曲家の、それまであまり上演されなかったような作品も載るようになって行った。まぁ、これには、少なからず日本から見ていて、という事情も多分あって、日本だと欧州以上に遥かにそうしたバリエーションは前から乏しかったのが、そういう動きに加えてCD、後々にはDVDによる流入、インターネットによる情報の直接の流入の結果、いわゆる「多様化」が進んでしまった訳ですね。 その結果、誰が見ても「これなら6万円払わねば」みたいな公演が難しくなって来たのだと思います。 1990年代に、クライバーがバイエルンだかウィーンだかの引っ越し公演で薔薇の騎士を振る、なんていうのは、もう殆ど事件みたいな言われ方をしていて、映像でも残された訳ですが、そういう公演は多分もう成立しない。「事件」にはならないのは、歌手がいないからではなく、クライバーがもういないから、というのもあるにせよ、一番は、そういう「事件」になる認識が持てないから、だと思います。多分。 まぁ、NBSはこれからも豪華高価路線を目指すんじゃないかとは思いますが、ただ、このローマ歌劇場とか、まず行かないよなぁと。これS席両演目買ったら10万8千円ですよ。前にも何度か言ってるけれど、その金あればオフシーズンならエコノミーでウィーンまで飛べますって。それで立ち見で何回見られるのかと。オペラ見るだけなら、そういう考え方は出来ちゃう。そうじゃない、行けないからだ、っていう人が、これ見て、しかし、行くのかねぇ、と。 所詮他人事なんですけどね。まぁ、突然ですが、しかし、ジャパン・アーツとかには頑張ってもらわないとですねぇ.....
2018年02月12日
コメント(0)
青葉区民文化センター フィリアホール 17:00〜 1階後方 ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番ホ長調 op.109 ピアノソナタ第31番変イ長調 op.110 ピアノソナタ第32番ハ短調 op.111 <アンコール> ベートーヴェン:6つのエコセーズ WoO 83 変ホ長調 ピアノ:小山実稚恵 青葉台のフィリアホールでの「土曜ソワレシリーズ 女神との出逢い」の、小山実稚恵による「作曲家の想い」シリーズ全6回の第6回、完結編ということだそうで。はぁ。 正直言うと、田舎にあるホールとしては割と行く方だけれど、ここはそんなに好きではありません。なんというか、ホールは悪くないんだけれど、客層が良くないんですよね。昔から。年寄りとマニアが多い。(お前もだろ?はぁ、そうなんですが)であるが故に、なんというか、集中力も悪いし、立ち居振る舞いもイマイチな客が多い。まぁ、青葉台ってところが、そもそも山ん中の田舎ですからね。そう言うと怒る人は一杯いるとは思うんだけれど、でも、実際そうだと思います。住んでる人の自画像と、例えば東上線や京浜急行で、池袋や品川から数駅の下町に住んでる人あたりからの見え方とでは随分違う気がします。本人思ってるほど垢抜けちゃいないよ、ってなもんで。そんなこと言ってる自分はといえば、どっちでもない、中途半端なところに住んでるのではありますけどね。まぁ、垢抜けないのは一緒なんだけれども、自他共に認める垢抜けなさとでも言いましょうかね..... 閑話休題。 小山実稚恵。昨年、オーチャードの12年間24回リサイタルシリーズを終えたところですが、今日のプログラムはあちらとは違って一人の作曲家に特化したプログラム。とはいえ、ベートーヴェンの最後の3つのソナタですから、このプログラム自体はまぁ割とよくあるスタイル。ちなみに、件の24回リサイタルの最終回の最後に弾いたのも、op.111でした。この時は、リンク先でも書いた通り、かなりミスの多い演奏で、正直、うーん....という感じではあったのですが...... 結論。 まぁ、よろしかったんではないでしょうか...... 正直、11月のリサイタルに比べるとよっぽど安定していたと思います。なにより、ミス云々以前に、演奏していて、演奏家として楽しそうであるなと。充実しているような感じでしょうか。 ただ、聞く側が結構残念だった。正直、いまいち集中力がないんですよね。最初から、酷く咳き込んで途中から出て行った人がいたけれど、まぁ、これは生理現象だからしょうがない。ただ、それもあるにせよ、なんとなーく落ち着きないんですよね。皆。私はといえば、時々全然違う考え事してたりもあるので、これまた偉そうなことは言えないんだけれど..... フィリアホールというのは、精々500人くらいのシューボックス型のホールです。だから、結構小さい。こういうホールで演奏会やると、小ささに比例して、自然とお客の集中力も上がるものなのだけれど、今回はねぇ....ほぼ満席状態だったと思うのだけど、多分そういうことではないなぁ。こういう演奏会を聞く準備が出来てないお客さんが多かったのではないかなぁ。 演奏に戻ると、それはそれで良かったんだけれど..... このタイプの演奏会は、例えばシフとか、リフシッツとか、ポリーニとか、自分が書いてるだけでもそのくらいはあるし、確かツィメルマンとか他の人でも聞いた覚えがあります。単発で3曲のうちどれかを弾くというのはよくあるし、中にはシフがプログラムで111弾いてから、アンコールで109を全曲弾いた、なんてのもありました。で、演奏もそれぞれに色々ではあるんですが、今日の小山実稚恵は、なんというか、「ベートーヴェンの最後の3つのソナタ」という演奏ではなかったんですね。 率直に言ってしまうと、様式感が希薄というか..... 誰と比べて、というより、小山実稚恵という人は、思うに、何でも弾ける器用さを持ち合わせている人ではあると思うんですね。ただ、なんというか、それぞれの曲をそれぞれの様式に深く突っ込んで、「如何にもそれらしい演奏をする」(決して表面的な話として言っているわけではないのです。その点は御理解頂きたく)という面が、やや薄い人ではないかと思うのですね。敢えて端的に言うなら「何を弾いても小山実稚恵」(いい意味で)になり得る面を持たないでもない人なんではないだろうかと。ただ、その域ではないんだろうとは思いますが。 その一方で、「何を弾いても同じ」に感じさせる面もないではない。いや、多分、「何を弾いても共通しているように感じさせるものがある」というように言った方がいいのか。今日聞いていて思ったのは、そんなこと。今日聞いていて浮かんだのは「ユニバーサルな演奏」というイメージ。 引き合いに出すのもどうかとは思うんですが、仲道郁代。彼女のベートーヴェンは、やっぱりベートーヴェンに聞こえるんですよね。シフやポリーニも、ベートーヴェンを弾くと、「ああシフだな」「ポリーニだな」というのと同時に「ベートーヴェンだな」と思う。そういう感じが、強くないんでしょうね。 それはそれで悪いことではないとは思うんですけれど。 ただ、この間も思ったんですけれど、これが本当に小山実稚恵の在り姿なのかなぁ、という気がしないでもないんですよね。調子が悪いのか、なんなのか、本当にこれがやりたかったことなのかな、と、ちょっと思わなくもない。演奏それ自体は良かったんだけれども..... 最後にアンコール。正直、これは要らなかった。演奏の良し悪しではなく。このプログラムだったら、アンコールは弾かなくていいし、本来お客もそれは求めないと思うし、事実そういう感じの仕上がりの演奏だった。このプログラムでも、アンコールがあってもいいと思わせる演奏もあると思うけれど、今日はなくても良かったと思います。弾くと分かっても通路側でなかったので逃げられず、聞きましたが..... この辺はお客と演奏者の阿吽の呼吸ではあるけれど、そういう意味でちょっと拍手の感じがね...... お客の話に戻ると、前半終わり、op.110が終わるやブラボーを掛けてるお客がいたけれど、確かにそういう感じの弾き上げ方を小山実稚恵もしていたけれど、この曲、このホールで、それはセンスないよ..... そういう意味で、やっぱりここはお客がなぁ、と思うわけです.....
2018年02月10日
コメント(0)
そう言えば、と思ってチェックしてみたら、総アクセス数が50万を超えました。一応、皆様お越し下さって有難う御座います。 一応、なんていうのは、一体全体本当はどのくらいの人が読みに来ているのやら、と思うので。ここ最近の一日あたりアクセス数は、まぁ平均すると200を切るくらい。毎日書いてる訳じゃないですしね。とはいえ、実際にどの程度の数の人間が - というのは巡回ボットがそこそこ入ってるだろうし - 見ているかとなると.......0じゃないんでしょうけれどねぇ...... 開設したのが2006年だから、12年で50万。相当寂れてる方だと思います。日数的には4300日くらいで500,000だから、一日120アクセスくらいですかね、平均して。 大体が、もうブログなんて流行らないというものでもあるだろうし。正直、ここを始めた時に結構アクセスしあっていたブログも少なからず閉鎖されたり、エントリーが久しくなかったり...........へ?エントリー書いてないのはお前だ?は、はい、その通りで...... まぁ、折角ここまでやって来たし、ゆるゆるぼちぼちいこうと思います。
2018年02月09日
コメント(0)
オーチャードホール 15:00〜 3階正面 モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」 ベルリオーズ:幻想交響曲 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン 機を逸したブログというのは書きにくい。 実のところこのブログにも裏に結構な数の下書きが没ったままになっていたりする。 とはいえ、別に締め切りがあったりする訳でなし、何週間経とうが、書けるものなら書けばいいのであって、気にする必要はない。要は、機を逸した、というのは、実のところ自分の興味が散逸してしまったりした状況を主に指す訳である。 で、この演奏会。いや、書くんですけどね。でも、正直言うと、昨日聞いちゃったN響が結構良くて、それが、日本のオーケストラを聞いて久々に「面白い」と思って帰ってきたレベルなので、つい書いちゃった訳ですよ。そうすると、先週のは、正直、そこまでじゃないんで書きにくいという...... ところが、よせばいいのに、今日は今日でまた東フィル聞いちゃったんですよこれが。いや、こっちはそれほどでもないんですけどね。でも、こっち書かないんだったらあっちも書けないなー、みたいな話でね.... で、なんとなくこう書きにくいなーと思いながら書き始めている訳です。いや、酷い演奏会でした、なんてことはないんですよ。ただ、まぁ.........まぁ、いいや。ともあれ、書いてみようっと。 東フィルの第900回定期公演は、1/25のサントリー定期だったそうで。それと同じ演目なので、まぁ、記念公演ってことになるんでしょう。 演目は、ジュピターと幻想交響曲。なるほど、堂々とし......ん?幻想? プログラムによると、東フィルの定期演奏会で一番取り上げられた曲が、実は幻想交響曲なんだそうで、となると、必ずしもチョン・ミュンフン一人の趣味によるのでもなく、結構皆さんお好きなんでしょうね。 .......ええ。私は、あまり好きじゃないんです。 幻想交響曲が好きな人にはごめんなさいね。でも、私は、この曲、決して面白いとは思わないんですよね。 なんというか、やっぱり私はドイツ系の構成や構造をはっきり持った交響曲の類が好き。幻想交響曲は、そうではない、素材の寄せ集めといった趣のタイプで、それはまぁそれなりに面白くはあるのだろうけれど、あまり好みではない。多分、それは、オペラを好んで聞くのと関係しているのではないかと思っていて、つまり、いろんなものを突っ込んで音楽にする、というのであれば、オペラでそれに近いものは散々聞いていて、今更オーケストラだけでそれやられても、そういうのよく知ってる、というのはあって、ベルリオーズからマーラーあたりの交響曲に関しては、だから、もう聞かなくてもいいや、という感じなのではある。昔々はブラームスの交響曲とかつまらん、と思っていたのが、ブラームスを聞くようになり、マーラーも一応聞き、何をトチ狂ったかブルックナーなんぞ聞くようになった身が、オペラとは違うものをドイツの系譜に求めつつ、マーラーとかは飽きてしまった現状から想定するに、そんなところなんだと思っている。 それでも、日本のオケは、幻想交響曲もマーラーも大好きだから、オケを聞きに行けば付き合わざるを得ないのはよく分かっている。でも、実際付き合わされると、それと好き嫌いとは別の話にはなる。 だから、私は幻想交響曲について云々するべき人では多分ないのだけれど、まぁ、演奏としては、よく出来てはいたとは思います。全体に気合の入った演奏だったし。よく仕上げてはいると思います。 ただ、だからどうしたというわけでもないというか......... そもそもを言えば、私は、チョン・ミュンフンって、本当はそんなに好きではないんですよね。いい指揮者ではあるんでしょう。ただ、この人は、こういう曲やマーラーが好きなんですよね。この前も、オーチャード定期はベートーヴェンだったけど、サントリーはマーラーだとか。やらせりゃなんだってやる人だとは思うんですが、なんというか、つまらないというか......つまらないというのとはちょっと違うんだけど.......... 比べちゃいかんという話ではあるんでしょうけれど、例えばダン・エッティンガー。彼もマーラーはやっていたけれど、いい意味でもっとバランスが悪かったと思うんですよね。或いは最近のバッティストーニとか、イタリアものに拘るけれど、一方でベートーヴェンもやる。チャイコフスキーもやる。来年の定演、チョン・ミュンフンはフィデリオにサン=サーンスにマーラーですよ。ブラームスの協奏曲も入るけど。バリエーションがある?でも、バッティストーニは、メフィストフェレですよ。で、もう一つ二つの定演もあれやこれやと多彩。一緒にする話ではないんでしょう。でも、一応バスティーユを率いた経歴が一番の売りの筈の「巨匠」にしちゃ、ちょっとどうでしょうかねぇ.......まだ65歳とかそのくらいなんだけれど...... 今の東フィルではチョン・ミュンフンが一応「最高峰」ってことになっているんだろうけれど、正直、役者不足だよなぁと。いや、それで、どんどん意欲的なことをここでやってくれるならいいけれど、そういうわけではないですからね。だとすると、出されたもので判断するしかないしなぁと。 となった時に、この幻想交響曲で、好きではない私の首根っこ捕まえてくれるような演奏だったかというと、そうではない。良かったんだとは思いますよ。金管にしても気合は入ってたし。好きな曲だったら、それでいいんですけどね。 むしろ前半のモーツァルトの方が、個人的には好きだし、良かった。ただ、一般的には、これは「前座」になってしまうんでしょうね。演奏としても、無難にいい演奏ではあったけれど.... そう、昨日のN響の広上淳一の話になってしまうんだけれど、あのドヴォルザークやモーツァルトには、こういう音楽です、という主張があったと思うんですね。例えば好みで言えばこのジュピターの方が好みかもしれないけれど、広上のモーツァルトは、「これはこういうものじゃないだろうか」というのがあった。それはドヴォルザークにも共通していて、それが演奏自体は相応に立派なレベルで出来ている上にあるから、好き嫌いとは別の次元で評価せざるを得ないし、それはそれで面白い。 .....そうすると、東フィルのこれは、面白くなかったということになるのかな......... いや、そこまではいかないんだけれど......でも、私が好きではない幻想交響曲は、やっぱり好きではないまま、新しい発見はなかった。その意味では、面白くはなかったんだろうなぁ............
2018年02月05日
コメント(0)
オーチャードホール 15:30〜 3階後方 モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲 クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 <独奏アンコール> ストラヴィンスキー:独奏クラリネットのための小品 ドヴォルザーク:交響曲第8番 <アンコール> ドヴォルザーク:チェコ組曲 op.39 〜 第2曲 ポルカ バセット・クラリネット:セバスティアン・マンツ NHK交響楽団 指揮:広上淳一 久々のN響定期ですが、久々に面白かった。いや、久し振りに日本オケで面白いと思って帰って来られた。実は先週東フィルの定期があって、聞いているのだけど、まだ書いてないです。酷かったわけでもつまらなかった訳でもないし、チョン・ミュンフンだったし、でもこっちを先に書きたくなってしまう程度には面白かった。 最初はフィガロ。実は、これ始まるや、ウヘェ....という感じではあったのですね。一言で言うと、これでフィガロを全曲やられたらちょっとたまらんなぁ、という、鈍重な演奏。まぁ、演奏会向きかも知れないけれど、これはちょっとね....という感じ。 2曲目は、クラリネット協奏曲。今日は、元々のオリジナル通り、バセット・クラリネット協奏曲としての演奏。これは、意外性のある面白い演奏になったと思います。多分、この曲をオリジナルのバセット・クラリネットで聞くのは初めてかも知れないのですが、それ以上に、今回の演奏は意表を突いていた気がします。 一般にこの曲は、モーツァルト晩年の作品で、澄んだ透明感のある曲で云々と称されることが多いと思います。でも、これ書いてる時のモーツァルトは、自分が本当に晩年、というか、あと数カ月の命、という風に思っていたかは怪しいと思うのですね。 このバセット・クラリネットというのは、音域でいうと一般的なクラリネットより3度低い。でも、ただ低いのではなくて、音色も普通のクラリネットとは趣が違うと思います。で、今回の演奏は、その音域と音色に伴ってか、決して澄んだ透明感が身上、というのとは違ったように思うのですね。そこに、広上指揮のゆったりとした演奏が相俟って、透明感、で済まない、懐の深さのようなものを感じさせる。率直にいうと、「あれ?こういう曲だったか?」と思わせる演奏。 一つ指摘しておくと、広上の演奏は決して「ピリオドアプローチ」な「古楽器」的な演奏ではありません。バセット・クラリネットの起用も、決して「原典尊重」的な意味合いではないと思います。否、多分、ある種の原典尊重ではあるのでしょう。それっぽく演奏することで「うーん。モーツァルトの時代の響き...」みたいな安直なのではなく、「本来のバセット・クラリネットで鳴らしたら、どんな演奏になるのだろう?」といった意味での。 後半はドヴォルザークの8番。 この曲も、鈍重な感じの、十分に鳴らして響かせようとするような演奏。終楽章の冒頭、めざましいトランペットの叫びがお見事、と感心する間も無く本編へ。ここでも広上指揮のN響はペースを乱さず.....で、気が付いたのだけれど、この曲は変奏曲なのですね。この変奏曲を、慌てるでなく、弾き飛ばしもせず、粛々と鳴らして行く......で、改めて気づいたのだけれど、この演奏は、ちゃんと変奏曲に聞こえるのですね。 いや、この曲、正直言うと、もう終楽章とか、かっ飛ばして行く演奏が少なくないと思います。スピード感が命、みたいな。でも、広上は、慌てず騒がず、ちゃんと演奏する。そうすると、ブラームスの4番と同じように、変奏曲がちゃんと変奏曲のように聞こえてくる。ちなみに、ブラームスはドヴォルザークが世に出るのを支援した関係でもあり、ブラームスの4番は1885年、この曲は1889年の作。 広上の演奏は、そういう意味で、面白かった。今まで気付かなかった面を見せてくれる演奏でもあり、演奏そのものもしっかりした、丁寧なもので、よかった。日本のオケとしてはあまり出会えないちゃんとした演奏でした。 ただ、それは好みか、と言われると、必ずしも満点とは.....やはり、鈍重なのは鈍重に変わりはないのですよ。そうなると、曲により、場所によっては、それはちょっと.....というのも出てくる。それは例えば冒頭のフィガロからしてそうなんであって。 このドヴォルザークの終楽章を聞いて、私はようやっと「ああ、こういうことをしたかったんだな」と腑に落ちはしたし、それを踏まえてのこの演奏レベルは立派だけれど、じゃぁこのフィガロは好みか?と言われると、違う。こういう演奏だってあり得るし、演奏自体はきちんとしてるし、言いたいことも分かるけれど、「やはりフィガロの結婚序曲はオペラの一部」と思っている私には、ちょっと...... それはドヴォルザークにしても、例えば第1楽章や第2楽章では、このアプローチだと流石に重いんじゃないかな、と思ったりする訳で。 その辺に問題はあるけれど、いい演奏ではあるし、面白くもあったよね、ということではあるんですけどね..........
2018年02月04日
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1