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もう一回書く気力が無いので簡単に。今日、NNNドキュメント「子供たちの心が見えない… 教師、17年目の苦悩」を見た。そこでは、苦悩する小学校教員の1年間が描かれていた。いろいろ思うところがあり、その一つ一つに自分の考えを書いていたのだが、すべて消えた。だから、だから1つだけ、一番言いたい1つだけをここで叫ばせてください。「校長!偉そうにふんぞり返って、 誰でも言えそうな一般論ばっかりたれやがって、 校長自ら事態の収拾に乗り出せよ!」【番組見てない人のために】 小学6年生の担任になった戸村先生(43歳)。 この学年は、当初違う先生が担任を任されていたクラスなのだが、 あまりのクラスの崩壊ぶりに担任が入院。 代わりにこの崩壊クラスを任された戸村教師の奮闘を軸に、 最近の小学校の現場、教師の苦悩を描いている。 その中で、戸山先生が「黒板に落書き(ウザい・キモイ・ハゲ・辞めろetc)をされる」 「無視をされる」などで、ノイローゼ気味となる。 体重激減、表情も消えるというような状態にまでなる中、校長に相談するも、 校長は、「粘り強くいくしかないね。子どもたちは短期間で変化しない。 個別で一人一人話していけばいつか変わる」くらいのアドバイスで、校長室に消える。 記者の質問にも、ソファにふんぞり返って 「昔の中学生にあった問題が低年齢化して小学校に及んで来ていると私は見ている」 と持論を展開するも(ホントにふんぞり返ってですよ!)対策は挙げない。 「困ったもんだ」で終わり。 さらに、授業ができない状態であることを保護者に説明するよう指示を出したのか、 保護者を夕方、教室に招く(3分の2が参加)。 ここでも、校長は端に座ってはいるが、すべての説明は担任。 担任が申し訳なさそうに「授業ができる状態じゃない」 「勉強以前の問題で言葉や態度が荒んでいる」と大勢の前で、 まさに矢面に立って説明するも、保護者からは厳しい声。 「子どもの友達が、担任を辞めて欲しいと言っているそうだ (=あなたの力量不足ではないか)」とまで言われる始末。 明らかにショックを受けて立ちすくむ戸村先生。 それを黙って見ている校長。 と、これ以上は長くなるので割愛。 ここで、校長が保護者に渇を入れるくらいしようぜ。 『先生だけが悪いわけじゃない。保護者にだって責任はある。 そもそも、子どもの責任は周りの大人全員にある。 誰かを批判しても何も変わらない。 そんな暇があったら、対策を考えようや。』ってさ 少なくとも、部下を矢面に立たせる上司は責任者の資格なしだ、と思う。
2006.07.30
いっぱいいっぱい書き込んで、さあ、カテゴリを何にしようかなと、その方向へマウスを移動。クリック!あれ?あ!間違って「カテゴリを追加する」を押しちゃったよ。まぁいいか。「戻る」を押して、と。???○△×?○!@あれ?文章が無いぞ・・・。「戻る」、「進む」、「戻る」・・・(いろいろクリックしてみる)。なんじゃこりゃぁ!?よく「文章消えた」っていうブログを見るけど、こうやって消えるんだね(^_^;)消えた理由教えておいて下さいよ!
2006.07.30
埼玉県では、進学校と呼ばれる公立高校のほとんどで、入試において通知表をあまり参考にしない。当日点で8割方決まるといっても過言ではない。(これも以前掲載したが、公表されている選抜方法では、当日点は6割~7割とされてはいるものの、実際に高校で使われている表に照らし合わせると、思いの外、通知表で差がつかないため。)そのため、当塾では当日点でしっかり得点ができる、真の学力育成に力を注いでいる。学校の定期テスト対策はしないわけではないが、はっきり言って二の次。「定期テストくらいは自分で何とかしてみろよ、何でも人任せはためにならないぜ」「定期テストは模試の練習試合だから、一戦一戦課題を持って取り組むこと!」というような意味合いでしか捉えていないし、対策も中心は生徒たちを鼓舞するくらいだ。確かに、定期テストが良ければ生徒自身も、また保護者も安心するし、定期テストが良いということは、学力的にある程度身についている証拠にもなるので、良くて悪いことはまったくないのだが・・・。私の考えでは、そこを目標にしてしまうと、生徒たちが安易な対策(試験前になったらやればいい・試験に出るとこは?etc)を求めるようになる気がするし、何より、自分の力でやれる、人の助けをなくしても、定期テストくらいなら何とかできるレベルに育って欲しいのだ。注意:これも、小学6年生から中学3年生まで原則増減なしの 持ち上がりの体制ができているからこその考え、方針なので、 生徒がそれほど多くなかった開校3年目くらいまでは、 このような考えは私自身の中にはあったものの、 定期テストには細かな対策をしてました。そんなわけで、全県模試である『北辰テスト』の結果には我々一同注目している。この結果で生徒の調整具合がわかるからだ。6月の北辰テストの塾内平均は、以前ブログにも掲載したが国語ss60/数学ss58/英語ss56だった。さて、今回は・・・?国語ss54/数学ss57/英語ss57(7月北辰第3回 塾内中3生平均)う~む、一度だけではわからないが、国語があまりよくない。まぁ、うちの売りは国語のK先生なので、そんなに心配していないが、国語が良くないなんて、当塾では珍しいことなのでちょっとびっくり。(ちなみに、私は英語担当です)なんにせよ、我々の方針はあくまで9月の北辰に合わせる事。まだまだ手をつけていない分野がある中で、この結果は十分満足できる。なにせ、これが平均偏差値なのだから。さて、8月1日から夏期講習だ!
2006.07.29
TBSのニュース番組、イブニング5の中の特集「現代子ども事情」で、塾と公教育との連携が取り上げられていた。塾と公教育の連携は、すでに高校においてかなりの事例が挙げられているためさほど驚く話題でもなかったのだが、その中で、江東区の教育委員会がどういう経緯でこのような政策を打ち出したのかを、教育委員会の人間が説明する場面があった。この政策を進める上で、教育委員会の中ではかなりの紛糾があったとのこと、塾を公教育に参加させることに対する抵抗感、嫌悪感がかなりあったことを認めつつも、教育の質の向上を求める中で優秀な人材を探せば必然的に行き当たったこと、塾は公教育と時間的にバッティングしないこと、塾を公教育に参加させることに対する論理的な理由が無いことが、最終的な決め手になったとの説明をされていた。教育委員会のこの判断に、塾経営者としては大変うれしく思う。常日頃から、塾に対する偏見ならびに社会的評価の低さ、特に公教育が潜在的に抱いている塾に対する抵抗感に、強い疑問を抱いていたので、この流れは純粋にうれしい。(私は、個人が個人の責任の下で教育を行う、塾という形態も 日本の教育に大きな役割を担ってきたと信じている。)しかし、映像を見ていてある疑問が浮かんだ。ある個人塾の塾長が3年前から区立のある小学校で授業を行っているとのこと。港区では、すべての区立中学で早稲田アカデミーと提携を結んでいるとのこと。その提携に、裏はないのだろうか?提携をするのなら、ある程度の基準、審査を以て選ぶべきだと思う。その個人塾の塾長を選出したのはなぜか?他の個人塾の先生ではダメだったのか?早稲田アカデミーは言わずと知れた東京の最大手進学塾である。進学実績においてすばらしい成果を叩き出している半面、退社率が他の大手塾と比べても高く、講師も、年度の途中で入れ替わることが日常茶飯事になっていると有名な塾である。公教育の、『塾と力を合わせて、子どもたちのために教育の質を上げていこう』とする考えはありがたいことだが、提携するならぜひ本物の塾を選んで欲しい。おかしな塾を選んで、この流れを断ち切って欲しくない。首都圏 特色づくり塾頼み - 2006年1月11日(朝日新聞)より抜粋 小中高校で、授業や補習、進路指導などを予備校や進学塾に任せる「外注化」が首都圏を中心に広がっている。東京都港区の区立中や江東区の区立小では塾の先生が教える。高校の場合はさらに進み、大手予備校が大学進学向けの授業などに講師を派遣し、受験用のカリキュラムづくりも請け負うところもある。「学力低下」が指摘されるなか、成績向上などの実績で特色づくりに熱心な学校側と、少子化で冷え込む市場の拡大を目指す塾・予備校側の利害が一致している。
2006.07.28
みはしゅーのお部屋 さんという方から、『トラックバック』というものをしてもらった。「はて?トラックバックってなんだ?」とりあえず、ネットで検索して調べてみる。すると、~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~トラックバックとは何ですか? ごくかいつまんで言えば、トラックバックはウェブサイト間の通知方法を提供するために立案されたものだ。つまり、AさんがBさんに「あなたが興味を持つかもしれないものがここにありますよ」と伝えるための方法である。これを行なうために、Aさんはトラックバック・ピングをBさんに送る。トラックバック・ピング(TrackBack ping)とは……この文章では、あるウェブサーバーから別のウェブサーバーへ送られる小さなメッセージである。 では、なぜBさんはAさんが言ったことに興味を持つのだろうか?Aさんは、自分自身のウェブログに、Bさんのウェブログの記事に関するコメントを書いてある。これは遠隔コメント形式といえる――直接Bさんのウェブログにコメントを投稿するのではなく、Aさんが自分自身のウェブログに記事を書いて、それからBさんに通知するためにトラックバック・ピングを送る。 Aさんは、何人かの人たちが興味を持つような話題についての記事を書いた。これは、内容の集合の形式である――中心となるサーバーにトラックバック・ピングを送ることによって、訪問者はその話題についてのすべての投稿を読むことができる。例えば、ジャスティン・ティンバーレイクについてのウェブログ記事を集めているサイトを想定してみよう。JTについて読みたい人は誰でも、このサイトを見れば、他のウェブロガーたちが新しいアルバムについて、雑誌の写真について、などを語っている最新記事を常に把握できるわけである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~う~ん、よくわからない(苦笑)。『つまり、AさんがBさんに「あなたが興味を持つかもしれないものがここにありますよ」と伝えるための方法』とあるが、みはしゅーのお部屋 さんのブログへ飛んでみると、みはしゅーのお部屋 さんが行われて失敗した大学見学の記事が。ということは、みはしゅーのお部屋 さんは、この記事に僕が興味を持つと思われたということでしょうか?う~ん、ちょっと違う気がするなぁ。違う意図なんじゃないだろうか?教えて下さいませんか?みはしゅーのお部屋 さん。(無知ですいません。ブログ初心者なもので)
2006.07.27
当塾では、学生講師として主に卒業生を使っている。卒業生の中で、将来教員になりたいと考えている者や、子どもに影響を与えるような生き方をしている者に、声をかけ、塾を手伝ってもらっている。その学生講師に先日言ったことを、ここにメモしておきたい。それは、生徒に苦言を呈する際に、『子どもが経験したことのある世界の中の言葉で話す』ということに気を配ること。どんな立派なことを言っても、伝わらなければ意味が無い。「将来、社会に出たら通用しないぞ」とか、「世の中ってのはな・・・」とか、「今が一番大事な時なんだ」とか、「高校で人生が大きく決まってくる」とか。すべて正しいと思う。だけど、子どもにしたら実感が湧かないのではないか。少なくとも、僕は中学生の時、将来のために、今がんばろうなどと思うような人格者ではなかった。僕が普通より怠け者であることを差し引いても、不確定な未来なんかより、確実な今の方が100倍大事だと考える方が本来の人間の性質なのではないだろうか。(皆さんが、そうではなかったというなら、すいません^_^;)その子どもたちに、どうやって「先を考えることができるヤツの方が強いんだ」ということを伝えるか。そのための一つの方法が、子どもたちの既知の世界の中から例を出すこと だと思う。子どもたちの見知ってきた世界は実に狭く、そして浅い。「学校の世界」を始め、「友人・恋愛の関係」、「アニメの世界」に、「スポーツの世界」・・・そして、もちろん「勉強の世界」。こんなもんだろうか?もちろんこのすべての頭には『その年代の』が付く。子どもが経験したことのある世界の中の言葉で話すということは、そのレベルの世界で起こりうる例示を極力使うということだ。大人と子どもには、監督と選手、上司と部下とは、比べ物にならないくらい大きな差がある。しかし年長者である我々が思うほど、子どもはそうは感じていない。それに対して、年長者であり伝える側である我々がイラついてしまっては元も子もない。人に何かを伝える時には、相手のレベルで話さなければならない、という至極当たり前のことを忘れてはいけない。生き方を伝えられない先生にはならないで欲しい。勉強の教え方なんて上手くなくていいから。
2006.07.25
よく16歳になったら、もう伸びないなどという声を聞くが、それは大きな間違いだ。才能があれば30歳までは成長できる。意思さえあれば、26歳まで技術を習得できる。 - 海を越えたフットボーラー デットマール・クラマー引用したクラマーの言葉には、「才能があれば」という但し書きがある。その才能とはいったいなんだろうか?「才能があれば」といわれると、単純にサッカーの天才少年の姿をお思い浮かべるかもしれない。しかし、「天才少年」という言葉には「凋落」という言葉が対になる。将来を嘱望された子供の成長が止まってしまう姿の方が典型的かもしれない。18を過ぎて、成長する才能とはなんだろうか? (中略)天才少年というのは、技術面で語られることが多いが、若いころに高い技術や高い身体能力を手にした人間は、周りが伸びたときに、壁にあたる。そして、その壁が越えられずに、落ちていく。そう考えてくると、「才能」の輪郭が少しづつ見えてくる。その才能とは、「壁を越える能力」のことなのだ、と。壁を越えるためには、考え、そして工夫する力が必要だ。ゴールを見定めたら、こつこつと目標に向かって進む力が必要だ。そして、まわりで見守るものたちは、子供たちに安易に答えを与えず、「駄目だったら、自分で工夫して乗り越える」ことを教えられればよいのではないだろうか?「壁を作り、それを超えさせる」場の提供というのが子供たちに求められる。あるいは、技術が下手でも、そういった意思と才能を持っている子供を見い出す育成、というのが求められていると思う。その才能と、強い意志があれば、年齢に関係なく、その選手は成長の軌道をつかむことができる。<サッカーの言葉(http://www.ouchi.com/) デットマール・クラマーの言葉 より引用>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~またも「サッカーの言葉」からの引用。その成功は、人の羨望の的となり、そこに至るまでのドラマは、人に感動を与える。スポーツは、わかりやすい社会の縮図なのかもしれない。だからこそ、その言葉は、人に共感を与えるのだろう。僕は子どもたちに話すとき、スポーツを例に挙げることが多い。それは、スポーツの言葉からは実社会においても重要な教訓が得られるというだけでなく、子どもたちの経験してきた数少ない世界の中で、実社会に近い、数少ない分野だと思うから。「目の前にあるのは壁じゃない。扉なんだ」 from TOYOTA のCM半端な才能なんて要らないさ。かえって心の成長を阻害しかねない。そんな目に見えない何かを願い、苦しむより、壁を乗り越える意志の強さを手に入れよう。その先には新しい世界がある。必ずある。オレもそう信じて生きている。
2006.07.24
昔、「伝説の教師」という松本人志、中居正広主演のドラマがあった。その中で、松本人志は、南波次郎という、日ごろ適当なヤツにもかかわらず、『常識』という言葉を浴びせられると、途端にキレるという教師役を熱演していた。(演じるというよりも、原作者が松本人志本人なんで素でやっていたように思う)それと少し違うのかもしれないが、僕は生来、温厚な方だと思っている(反論はあるだろうが…笑)。当然、教育上、叱ることも重要だと思っているので、怒ったフリをすることはある。しかし、あくまで怒ったフリだ。本当に怒ってしまっては真の意味で叱れないと思っている。そんな僕でも、これだけは許せないと思う子どもの言葉がある。それが、『普通』 。親:「志望校、どこがいい?」子ども:「普通でいいよ」親:「もっとがんばろうよ」子ども:「普通でいいじゃん」ブチ!(キレる音)「ふざけんなよ。コラ!お前の言う「普通」はどんなもんじゃい?」そう問うと、たいていが「今の家の生活くらいでいい」と答える。「で、いいだと!お前の親が日々がんばって今の暮らしを保ってんのに、それをろくに世の中知らんといて、言うに事欠いて、それが普通だと!お前、普通をちゃんと知って言ってんのか!」これだけは絶対に譲れません!こういうヤツに限って、家は裕福なんですよ。世の中に決して「普通」なんて無い!!
2006.07.23
当塾の2階には、我々講師が選んだマンガを置いています。意図は、子どもたちに「社会」をイメージしてもらう、視野を広げてもらう、将来に夢を持ってもらう、上での一つのツールになりえないかと思ったからです。できれば、活字本(例えば「偉人の伝記」)が良いのですが、現実問題、そのようなものを買い揃えたとしても、残念ながら、読んで欲しい生徒には見向きもされず、読まずとも十分に意識の高い生徒しか手に取らないだろうし(^_^;)。きっかけは、読売新聞のある記事。東京大学進化生物学助教授、佐倉統(おさむ)助教授の、「何も活字本にこだわらなくても、時にはマンガも良いのでは。今は内容の濃いマンガも多い」というような主旨の記事を目にしたことです。というわけで、子どもたちの興味を引き、読んでいる間に影響を与える、その心に火を灯すようなマンガを探そうと、日ごろ、そんなには読まない雑誌に目を通して、これは!という物を買い揃えることにしたのです。ちなみにその効果はまずまず。授業に少し早く来た生徒は、まっすぐにマンガの置いてある教室へ行き、じっと読んでいます。当然、内容の難しそうなマンガが多いので、全員が全員、興味を持って自主的に読んでいるわけではないのですが、興味の無かった生徒も、授業が始まる十数分の時間を、雰囲気に釣られて手にとっています。これが読書のきっかけになれば良いなと内心思いながらも、マンガを置いてから、明らかに行動や発言に変化が出た生徒もいて、満足良く結果と言えると思います。ちなみに、置いているマンガは、「ドラゴン桜」「ブラックジャックによろしく」「Dr.コトー診療所」「クニミツの政」などから、「罪と罰」や「三国志」などの世界的な名著のマンガバージョンまで、幅広く置いています。ただ一つの問題点は、そのすべてが少年向けのマンガばかりだということ。まさかいい年して書店で少女向けのマンガ雑誌を立ち読みするわけにも行かず、探しようが無い!皆さんが影響を受けたマンガ、子どもに読ませたいマンガ。もし、ありましたら、少年向け、少女向けを問わず、推薦マンガ教えてもらえませんか?
2006.07.22
今日は最高に嬉しいことがあった!それは、大学見学から帰ってきて、みんなと談笑しているとき。ある女の子が、大学の学部について聞いてきた。この生徒は小学6年生から今年、中学3年生までいるので、今年で4年目になるのだが、僕の中では比較的印象の薄い生徒だった。小学生の頃に広告のモデルをやっていたとか、いないとかいう、清楚な雰囲気を持った綺麗な女の子なのだが、いつもはにかんだ笑顔で主張があまり強くないところが、僕の印象が薄い最たる理由だったのだと思う。加えて、成績は非常に高く(通知表で4が3個以外は全部5)、定期テスト、模試などでも偏差値70近い高い数字を取るのだが、教えていて凄みを感じない、反応が大きくないという点も関係していたと思う。その子が、自分から学部について聞いてきた。嬉しいことである。そこで、大学の資料を片手に、各学部の内容を一通り説明した後、本人に興味の方向性、将来の夢などを尋ねてみた。そこで驚きの発言!その子は少し恥ずかしそうに、でも、はっきりとこう言った。「政治家になりたい。この国を少しでも良くしたい。 そのためにはどこの学部に行けばいいの?」驚きだった。僕:「それは僕の話に影響を受けてくれたからなのかい?」生徒:「それも無くは無いけど、小学生のときの担任の先生が、社会の授業で教科書そっちのけで、今の日本の情勢と今後の行く末を熱く語ってくれる先生で・・・」ここからは、生徒の話の要約。どうやら、その小学生の頃の先生は、熱く社会を語る先生で、他の生徒はドン引きだったようだが、その子はものすごい衝撃を受け、自分に何か出ないか、何ができるのかを、その日から考えるようになったとのこと。・教科書問題、靖国問題を始めとするアジア外交と自虐史観による国民への影響。・国家財政の天文学的な赤字を解消するためにはどうすべきか。・議論や政策が見えない政治制度の改革。などを、今まで見たことの無い生き生きとした表情で、立て板に水のようにまくし立てるその話の内容のレベルの高さと、何よりその熱意に、恥ずかしながらしばし圧倒されてしまった。うれしいですね、名も存じ上げないその小学校の先生。このような子が先生の影響で生まれていたんですよ。あまりの感激にしばし浸った後、「じゃあ、一緒に国を変えていこう! 卒業生に君と同じ志を持っている奴らがいる。 みんなで力を合わせてやれるトコまでやってやろうぜ!」僕がそう言うと、その生徒は、「ホント!私も入れてくれるの?吉田松陰が目標なんだよね、先生。じゃあ私が先生を有名にしてあげる!」僕:「アホ!オレのことなんかどうでもいいやん。それより大事なことがあるだろ」生徒:「うわぁ、なんかものすごい勉強したくなってきた!やるぞぉ!!」この生徒、帰り際にも僕に念を押して帰って行った。「みんなで日本を変えましょうね!」
2006.07.21
先ほど塾から帰宅。昨日明け方5時に寝て、朝8時起き(ツライ)。その後、9時に塾到着、10時に早稲田大学へ出発。あいにくの雨の中、11時半には大学に到着して、当塾、第一期卒業生の早稲田生に校内を案内してもらう。残念ながら大隈講堂は改修中で見せられなかったが、中学生の彼らにしては刺激が多かったようだ。この企画も今年で3回目になるが、毎年、私たちの予想だにしない感想を聞くことができる。子どもの目線は中々おもしろい。例えば、「早稲田は頭が良いから、みんなマジメなメガネかけたネクラ学生ばかりだと思ってました」「廊下で走り回っている人がいないのに驚き!大人の貫禄を感じた」「みんな楽しそうで、一人としてつまらなそうにしている人がいない」「食堂もあるし、売店もある。椅子のすわり心地は良いし、夜(p.m5時頃)まで賑やか。ここなら家に帰らないでも大学内で生活ができる」「キャンパスの規模が桁違い!唖然」「東京なのに緑がある。東京はもっと無機質だと思っていた」「アホそうな学生もいて、これならオレもいけると思った」(↑ 早稲田の方すいません。子どもの言うことなんで笑ってやって下さい)帰ってきて、明らかにみんなの勉強へのモチベーションが高まっているのが目に見えてわかる。早速、全国大学案内を見始める生徒、大学の学部について調べ出す生徒、自分の志望校の大学進学先をチェックする生徒など、行動は様々だが、全員の目の輝きが違う!僕も中学、高校時代に、直に大学を見る機会があれば、もっと違う結果が出ていたのかもしれないなぁ、なんて負け惜しみを言ってみたりしたくなる今日この頃でした(笑)。(北海道のど田舎で生まれ育ったんで、大学を見学するなんて発想自体なかったもんな…。)
2006.07.21
当塾のイベントの一つ、『大学見学会』のため、8時起きです(^_^;)。今さっき帰ってきたばかりなのに…。塾講師にとって8時は厳しいですね。というわけで、今日は早く寝ます。
2006.07.20
子どもが「学ぶ」というのは、ただの理屈ではないと思う。時間を掛けて子どもが「ごっくん」と腹の中まで飲み込めるまで体験的に学習させる。そこまで手を掛けないとわかるようにはならないのではあるまいか。その部分は決して「ドリル」ではないのである。先生の懇切丁寧な教授による「理解」である。それで、宿題が理解の上に立った「ドリル帳」での計算問題だった。使い捨てのプリント学習ではなく、同じ問題をノートに写して繰り返し繰り返し何度もやったものだった。<「考えるのが好きだった」 今日は「8」を勉強します より引用>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ブログを始めて3週間あまり。それまで興味も無かったのだが、大学時代からの友人でもあり、よきライバルであるブラック3232さん に薦められるがままに始めてみてわかったこと。それは、ブログを書かれている方々の内容のすばらしさ!ものすごく勉強になります!もう、刺激受けまくりです!そこで、これから自分に影響を与えてくれた記事は、メモ代わりにここに留めておこうと思います。そうすれば、後で自分で見直せますしね。ブログ最高!
2006.07.19
「教える」という行為の主導権は「教える側」にはない。子供たちが学びたいと思ったときから「教え」が可能になり、その逆はない。コーチに教える権利を付与するのは子供のほうだ。教えるのが下手なコーチは、「俺の教えに従わない近頃の子供はとんでもない」とぶつぶつ文句を言っているような按配だ。いっぽう、同じ子供たちの前に、別のコーチが現れて、言葉を発したとたん、それまでだらだらしていた子供たちが、「学ぶ意欲」を見せ始める。決して、そちらのコーチが恐いわけでも、強制力を持って接しているわけではない。むしろ、その逆だったりする。だいたい、指導のうまいコーチは、子供をよく見つめ、そして本人が気づく瞬間まで、待つことを心得ているように見える。日本代表でも、Jリーグのクラブでも、同じ選手構成なのに、指導者が変わったとたん、強くなるチームというのがある。結果論として指導者としてのすばらしさが語られるから、「強くなるテクニック」なるものを聞き出そう、と思うのだが、さまざまなそういった監督へのインタビューを読み重ねると、そこにマニュアルに描けるテクニックがあるわけでは無い、ということに気づく。彼らの第一歩は、まずメンタルの改善を成功させることからスタートする、という点で共通している。目の前にいる選手たちは、学ぶ意欲があり、うまくなりたい、強くなりたいという意思が常にある。その思いをタイミングよく引き出すとき、がらっとチームの雰囲気が変わり、周りからはマジックが起きたように見えるのだろう。<サッカーの言葉(http://www.ouchi.com/) ジーコインタビューより 監督の経験 より引用>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~僕は、教師に必要な技術の中で、最も重要なものは『問いかけ』だと思っている。もちろん、異論、反論あるであろうが、僕はそう信じている。巧みな問いかけを発することができれば、後は、ゆっくり考えさせる時間と、間違えを恐れずに、自由に自分の意見を口に出せる環境を与えれば、それで、万時うまく行くのではないかと思っている。僕には、教える側の「技術」や「知識」が、小・中学生の子供たちにとって、それほど必要があり、また効果があるものであるとは思えないのだ。「技術」や「知識」によって、影響を受けるような中学生は、たいていが、既にある程度高いレベルに達しているのではないか。全体の学力を上げるために必要なのは、『考えようとさせる問いかけ』と『安心して考えられる時間』ではないのか。改めてそう感じた「記事」でした。
2006.07.18
今日はたわいもない話。うちのある生徒(女の子)のお話です。この生徒は学力もさることながら、何より根性がすごい。負けたくないという思い。成長したいという思い。これが強い。数ヶ月前、保護者、本人、そして僕とで塾内三者面談を行ったのだが、その際、志望校の話そっちのけで、将来の話をじっくり2時間話し合った。それ以来、元々持っていた彼女の才能に火がついた。とにかく頑張る。間違ったら涙目になりながらも、必死に喰らいつく。わかるまであきらめない。見る見るうちに学力が伸びていく。そんな子の今日の驚きの発言。彼女は地理が苦手である。勉強に燃え始めたのが中2の後半なので、地理の記憶がないらしい。何度、北辰テストをやっても、地理の部分がまるでダメ。でもあきらめない。どんどん聞きに来る。生徒:「先生!なぜこの国が熱帯だってわかるんですか?」僕:「じゃあ、まずこの地球儀見てみよう。向こうに太陽があるとするだろう? そうしたらこうやって熱が垂直に向かってくる。そうすると…」生徒:「あ!そうか。だからこのあたりは暑いんだ!」僕:「そう!ちなみにこの緯度0度を赤道って言うんだね。」生徒:「へぇ~。じゃあこの辺りに住んでいる人は赤い線があって邪魔くさいね。」ちなみに、この子の言い訳。「実際には線が引かれてないなんて、教科書には書いてない!」まぁ、そりゃそうだけどね(笑)。
2006.07.17
昨日、高校時代からの親友から久しぶりに電話があった。彼も高校時代から教育に熱い想いがあり、よくこれからの教育、理想の先生について語ったものだ。道は違うながらも、今では北海道大学で「第二言語の習得における効果的な教育法」について研究している(研究内容が違っていたらゴメン)。そんな彼からの電話。いつもなら僕の仕事時間内にはかけてこない彼がどうしたのだろう?なんと!そんな彼がまだ30歳にして、今年の9月から愛媛大学の助教授に就任することが決まったのだという。すばらしい!本当におめでとう!彼が今までどんなに悩み、いくつもの壁を乗り越えてきたのか、僕はその内のごくわずかしか知らないだろう。それでもそのひたむきな姿にはいつも圧倒され、少なからず影響を受けてきた。心の底から尊敬できる友人に、いつまでも親友だと思ってもらえるように、僕もがんばらなくては。
2006.07.15
広告もない。看板すらない。そんな塾が生徒指導だけで軌道に乗り始めた。これは今思えば驚きの結果だと思います。開校2年目、なんと口コミで生徒が集まり始めたのです!保護者の方々の正直な声は、何よりの営業ツールとなり、徐々に名前が知れ渡っていきました。『この塾の先生は何か違う』この評判で、多くの生徒が他塾から転塾してきてくれました。こうなればこっちのもの。授業力では絶対の自信がありましたので、他塾で伸びなかった生徒たちをバンバン上げていきました。恥ずかしながら、当時は入塾希望の保護者の方に、『「神様のような先生がいる」という噂を聞いて来たんですが…』とまで言われるほど、生徒の成績を上げていきました。そして、開校3年目。大げさではなく、それまでは本当に塾生全員の成績を上げ、全員を志望校に合格させてきた私たちが、ある壁にぶち当たることになります。今になって振り返ればわかることなのですが、私たちの塾は当時40名程度とまだまだ生徒数は少ない。それは修羅場をくぐって必死にやってきた我々3人が、十分に目の届く人数です。さらに他塾でうまく伸びなかった生徒というのは、まさに背水の陣で私たちの塾に来るわけです。生徒は背水の陣、講師も背水の陣で指導に当たるわけですから、成績を伸ばしやすい条件が揃っていたのでしょう。この前提が、3年目になると大きく変わり始めます。生徒が転塾ではなく、最初から私たちの塾を選んでくるのです。そうなると、成績を上げてもそれが驚きに変わりません。比較となる塾、比較となる数値が保護者に無いからです。また、生徒自身もそれまでのような危機感がありません。今までであれば、通っていた塾では志望校に届かない。その志望校に何とか合格するための最後の望み。それが私たちの塾でしたので、最初からがんばることに疑問がなかった。それが、最初から私たちの塾に通ってくれる生徒の中には、それまでは1人としていなかった、「志望校がない」というケースすら出てきたのです。『将来の目標がないために、勉強する理由が見当たらない。』これでは、いくらわかりやすく教えても劇的な変化は望めない。そればかりか、わかりやすい授業は生徒の依存心を高めかねない。とは言っても、劇的な変化を求めていかなければ「理想の塾」にはなりえない。そう考えた私は、悩んだ末、授業の方向性を変えていきます。『わかりやすい授業』から『わかりたくなる授業』へ。『わからせる授業』から『悩ませる授業』へ。『その日がんばろうと思う授業』から『一週間がんばろうと思う授業』へ。そして、そこから『単に勉強を教えるのではなく、勉強で何を伝えられるか』『授業を通して子どもたちに将来を描かせるにはどうしたらよいか』を模索するようになりました。そう、「志望校に合格させるだけではなく、大学受験まで役立つ深い知識や考え方」を与えることを目標としていた授業から、「将来、社会に出るとき、そして社会に出てから活きていく知識や考え方」を与えることを目標にした授業へシフトチェンジしていったのです。それから4年・・・。日々、試行錯誤を続けながら、毎年新しい制度、手法を重ね、今では、わずか60坪程度のテナントに生徒数130名、中学生全学年定員満員、4月に広告を1度出すだけで入塾抽籤会が行われ、キャンセル待ち名簿には常時2~30名程度の名前があるという、夢のような評価を皆様方にしていただけるような塾になりました。すべては、あの「出直し保護者会」。あの時の保護者の方々の支援なしに、今の私たちはないと思います。様々な営業手法や成功法則が書かれた本が書店に所狭しと並べられている昨今ですが、こと教育においては、情熱に勝る成功法則はないと思います。今から塾を始められる方には、小手先の手法に惑わされることなく、子どもの成長に携わりたいと思った最初の気持ちに磨きをかけていくことを大事にして欲しいと思います。立ち上げ当初は、どのような塾か保護者の方々もわからないのですから、しばらく苦しい日々が続くとは思いますが、想いは必ず伝わります。私のようなどん底から這い上がった例もあるのですから^^;。教育は言うまでも無く国の礎となるべき重要な職務です。その力の大きさ、重要性は誰もが認めるところでもあります。しかし、教育は何も教師だけの専売特許ではない。本来、その大人が教師であれ、親であれ、他人であれ、子どもの前に立てば自動的に教育者となるのだと思います。その中でも塾は、多くの人数を抱えながら、文部科学省の認可も必要とせず、また同時に縛られることもないという意味で、良くも悪くも無限の可能性のある教育機関です。その可能性を私たち一人一人が積み上げていくことができれば、塾はもっともっと社会的貢献できる魅力ある職業となっていくのではないでしょうか。最後に、私のような未熟者の主張に目を通すために、時間を割いていただいた皆様、誠にありがとうございます。今回は思いの丈を、思うが侭に一気に書き連ねたため、失礼な表現、横柄な表現などあるかと思いますが、なにとぞご容赦ください。
2006.07.15
開校にあたり、『塾立ち上げコンサルタント』という立場にたった社長が、塾を立ち上げた我々に取った手法は実に巧妙なものでした。会社経営に関してはまるで無知な私たちに対して、元経営者であり、また我々の元社長としての優位な立場から、「会社経営の常識」と称して様々な偽の情報を流していきます。繰り返される嘘の連続。恫喝と懐柔。不安と焦り。気が付けば、私と同志2人が資本金として用意した300万は、社長に言われるがままに任せていた経理や人事において、様々な名目(実際は社長は何もしていない)の元に出金され、そのほぼすべてを社長に奪われていました。塾立ち上げわずか3ヶ月のことです。そこからはまさにどん底(笑)。まずは、その元社長と喧嘩。一切の関係を絶ち、自分たちで一から塾の理念を固め直し、原点に戻って『理想の塾の形』を具体化。その時にいた生徒とその保護者(わずか10数名)を集め、出直しの保護者会。ありがたいことに保護者の方々の熱い応援に後押しをいただき、それからは、ただひたすらに生徒指導に打ち込みました。資金は既に底を突いています。当然、人件費は出ません。広告はおろか看板すらテナントには付けられません。まさに極限の状態。それでもなぜか開放感がありました。「やっと自分のやりたいことができる」「やっと自分の夢に描いた教育の場を作ることができる」と。あの頃は、日々まさに1分1秒を惜しんで「どうやったら生徒が成長するのか」「どうやったらもっと生徒に衝撃を与えられるような授業ができるのか」それだけを考えていました。いや、それ以外何も考えられなかった。大げさではなく、『熱く想いを語ること』と『生徒の成績を伸ばすこと』。当時の私たちにはそれしかできなかったのですから。つづく
2006.07.15
私たちの塾の開校に至るまでのお話です。今から塾を始めようとされている方に役立てるかどうかわかりませんが、一つの事例として参考にしていただければ幸いです。今から7年前、私は地域の中堅塾に勤めていました。その塾は、今はもう倒産していますが、今思えば7年前の時点で既に崩壊していたように思います。その崩壊寸前の塾の社長に、建て直しを乞われ、熱烈なラブコールをもらい、一教室運営の全権を与えること、そして、取締役就任の約束までをもらい、意気揚揚と就職したのが、私の社会人の出発点でした。今思えば恥ずかしい、ただの無鉄砲な、何のキャリアもない、自信だけが肥大した大学卒の新入社員。それが私でした。その肥大した自信はすぐに跡形もなく壊されます。教室運営と授業力はまったく別のもので、さらに塾全体の経営のことも考えるなんて、当時の私では明らかに役不足でした。経営が悪化しているが故の強引な営業電話や営業面談。自転車操業による収益重視、教育軽視のまるで教育者とは思えない様々な手法。日々の授業は、「いかに生徒を伸ばしていくか」ではなく、「いかに生徒を手懐け、友達を紹介させるか」に比重が置かれ、「いかに保護者にお金を出させるか」「いかにオプションの講座を取らせるか」という、押し売りに近い売り込み営業の技術に最も時間が割かれる教室長会議。次第に生徒数も減っていき、赤字、赤字の連続。社長にとっては最後の賭けであった若手(私)の抜擢も起爆剤にはならず、ついに首が回らなくなった社長が最後にとった手段。それが、それまで社長のあまりに営利に偏った塾経営に異論を唱えてきた反社長派の社員たちに、「そんなに言うならお前がやってみろ」的な煽りで焚きつけ、校舎を買い取らせ、独立させるという形で、塾を解体、整理し、自分は『塾立ち上げコンサルタント』として裏で操っていくというものでした。元々、自分で塾をやりたいと思っていた私には、その時すでに社長の方針にホトホト嫌気が差していましたし、何より自分の思い描いていた塾の形を作れないことに欲求不満が溜まりに溜まっていたときでしたので、社長の申し出の裏など考えようも無く、その社長の売り言葉に、「最高の塾を作ってやる!」という買い言葉で、自分の塾を始めたのが2000年のことでした。つづく
2006.07.15
埼玉の高校入試では、生徒の進学先の相談、合格ラインの提示など、一切の進路指導を公立中学校が原則関与しないことになっています。そのため、他の都道府県と異なり、保護者の方々自身が、受験情報の一切を、直接高校に足を運ぶなどして集めなければなりません。このような仕組みは他の都道府県でもあまり聞いたことがなく、何より昔のイメージとはまったく異なる仕組みのため、困惑する保護者の方々も多いようです。「埼玉の中学校は進路指導をサボっている」「あいまいでわかりにくい」「どこの高校も回らず、いざ12月に中学校の三者面談に行ったら、何にもアドバイスをもらえず、結局高校に落ちた子がいる」など、このような保護者の不満をよく耳にします。しかし、曲りなりにも県の教育委員会。何の理念も無しにこのような制度を作ったわけもありません。実はこの制度、使いようによってはすばらしい制度なのです。まず、このようになった経緯ですが、埼玉県では、中学校主導で生徒の進学先を、事実上振り分けていた「輪切り」方式を否定しています。簡単に言うと『通知表が○○だから××高校だね。△△高校は無理。受けられないね』みたいな生徒の志望に関係のない進路指導法。所詮第三者に過ぎない教師の意見が重視される進路指導法。このような制度の否定です。保護者と子どもが自分で行きたい学校を主体的に決め、子どもの努力如何によって通知表に縛られること無く、当日点で十分に合格の可能性がある入試制度。これが埼玉県の入試制度です。その自由を手に入れた反面、しなくてはならなくなった義務。それが、受験情報は自分で集め、不合格のリスクも含め、自己責任の下で高校選ぶというものです。そのため、受験情報については、それまで中学校教員が行ってきたことのすべて保護者が行えるよう、私立、公立を含め県内すべての高校(県近隣の私立も)で保護者向けの入試説明会が開催されており、そこの場で提供されることになっています。ということは、参加しなければ何の情報も得られないということです。情報なしでの受験ほど怖いものはありません。前述の、「どこの高校も回らず、いざ12月に三者面談に言ったら、何にもアドバイスをもらえず、結局高校に落ちた子がいる」も、そう考えると致し方ないことなのかもしれません。にしても、そんなに高校回るのは大変です。受験の可能性のある高校は全て行くとなれば、膨大な労力が必要です。しかも、初めての受験であれば、高校へ行ったとしても、何をどうしてよいのかわからないこともしばしばでしょう。県立高校入試の情報も、お役所的な説明でいまいちわかりにくい。そこで、埼玉県の中学生の保護者の方のために『埼玉県高校入試相談箱』を設置したい思います(期間限定)。相談の内容によっては、私たちの塾の秘密情報もありますので、全てにお答えするとは約束できませんが、できる範囲でお答えしたいと思っていますので、どうぞ何なりとご質問ください。質問はコメントに書き込んで送信していただければ、近日中にブログの記事としてお答えいたします。さしあたり期間限定で行います(受付期間:2006.7.12~7.31)。
2006.07.12
今回は、あくまで僕の考える「塾の選び方」を記事にしたいと思います。塾選びをされる上で、まず軸となるのが「大手塾」or「個人塾」でしょう。結論から言うと、僕は大手塾を否定しません。むしろはずれが少ないと思うので、特に目的が明確でない状態での塾選びであるなら大手の方がアベレージヒッターという意味で良いと思います。ただご自分のお子さんをどうしたいのか。お子さんがどうなりたいのか。そこが明確であるなら必ずしも大手塾が良いとは限りません。それは、大手塾と個人塾の違いは、単に資金力の違いでしかないからで、一番大事なことは、大手塾も個人塾も、私立の学校も公立の学校も、すべての教育機関において、『方針』と『人間』だからです。私立高校を例に考えて見ましょう。僕が塾を経営している地域は都内に極めて近いためか、私立志向の強いご家庭が多いようです。私立高校への進学率は4割弱と、県内の私立高校進学率を大幅に超えています。そのため僕の塾では、私立高校の情報についても大手に決して負けない、完璧な指導体制を引こうと、開塾2年目から、生徒が通える範囲の全ての私立高校約70校を毎年自分の足で訪問しています。当初はソムリエのように生徒の希望に沿った高校を提示するということが目的だったので、自分も保護者の気持ちになって私立高校を選ぶとしたら、という視点だけで見ていたのですが、何校も何校も見て比較していくと塾の方向性を考えるという意味でも非常に勉強なることが多かったです。それは、『理念』=『方向性』生徒をどういう方向へ導くのか、これが明確である高校は意外に少なく、しかも明確であるところこそ実績ある人気校であるということ。『人間』=『教師陣』説明をしてくれる担当の先生が、どの先生も人格者である高校は、やはり実績ある人気校に多いこと。去年説明してくれた先生が今年いなくなっているというような高校は、当然ですが内部の雰囲気も悪く最悪です。ちなみにここで言う人格者とは、単に礼儀正しいとか、対応が丁寧というだけではありません。話してみて、話の内容に深みがあるという意味です。そして『施設』や『学費』はまったく実績に関係ないということ。施設がすばらしい学校が、必ずしもすばらしい実績を上げているわけではない証拠の一つに日本大学豊山高校があります。この高校は甲子園に出場するほど都内でも有数な野球名門校ですが、驚くことにグラウンドがありません。練習は校舎屋上で行っています。(グラウンドを使いたいときは系列校の日本大学豊山女子高校にお願いしてバスで揺られて行くとのことでした。)学費については説明要らないですね。高くてもほとんど関係ありません。こうして見てみると、塾も同じ教育機関ですので同じことが言えるのではないでしょうか。まず、塾の方向性が保護者の考える希望と合致していること。教育に絶対の方向性はありません。Aが正しいと思う人もいれば、Bが正しいと思う人もいる。Cと考える人から見れば、Aと考える人は批判の対象かもしれない。誰からも批判されたくない、その思いが理念を明確にしないのでしょう。しかし、理念が明確であれば、その方向性も固まりますので当然指導しやすい。わかりやすいがために、ゴールも明確で、教師も生徒も迷うことなく進みやすい。当然結果は出やすいのです。『批判は当然あるだろうが、私はこれが正しいと思っている』という強い理念があるとないでは、驚くくらい実績が違います。「保護者がAと言えば、Aもいいですねと答える。」「保護者がBと言えば、Bもいいですねと答える。」そんな塾は何の効果も期待できないでしょう。次に、説明する先生の話に雰囲気を感じるかどうか。これは上手く言えないですが、先生が多い学校とは違い、塾では先生の数はそう多くないはずです。説明してくれる先生がご自分のお子さんの担当になるかもしれない。それなら、少なくとも自分が感銘を受ける人がいる、いないは大きいですよね。仮にその先生がお子さんを担当されなくても、そのような先生の元で仕事をしている先生なら安心というものです。そして、施設と学費。施設はそれは良いに超したことはないのですが、よっぽど繁盛している塾でもない限り、施設費にはお金を回さないのではと思います。私立高校とは違い規模が小さいので、そんなところに費用をかけるなら、恐らくはより良い先生を育てる方にお金を使うと思います。何にせよ、施設で選ぶことは最後の最後で迷ったときの一押しくらいで良いのではないでしょうか。最後に費用ですが、あまりに高いところは止めた方がいいと思います。といっても、月謝ではあまり差はないと思います。塾側も月謝を高くしては避けられてしまうことは重々承知ですので、どこで差をつけるかといえばオプションです。しかも逃げにくい受験生の年。こんな話があります。僕の塾に弟を入れてくれているという保護者の方が、つい1ヶ月ほど前に電話で相談してきました。「塾は中3になってからで良いと思っていましたので、ずっと前からそちらの塾に中3になったら入れようと決めていたのですが、人気があるとは聞いていましたが、まさか入れないとは思ってもなく、中学生は全ていっぱいだということで、小学生の弟だけを今の内に入れさせていただいて、兄はそういったわけで、ろくに調べもせずあわてて某大手個別指導塾に入れたのですが、そこの夏期講習が非常に高いんです。一般的にはどのくらいなのでしょうか?」「私たちの塾では57800円ですよ。その個別の塾はいくら位なのですか?」「実は30万円近くするんですよ。」「?!そんなバカな!」「しかも月謝は確かに広告どおりなのですが、なんだかんだと講座を取らせられて毎月の費用がものすごいことになっているんです。払うのを渋ると、○○さんはもっと払ってもらってるとか言って…もう夏ですし他の塾に換えるわけにも行かないですし。」「いやいや、他塾に換えましょう。そんなのおかしいですよ!」こんな相談を受けることは意外と少なくないものです。これに対する対応策は、月謝以外の費用を入塾前に聞いておくことと、それを受講するしないで圧力をかけてくるようなことはしないよう、しっかりと約束しておくことが大事ではないでしょうか?繰り返します。ただお金をかければ良い訳では絶対にありません。塾回りをすることは大変な手間だと思います。しかし、良い塾を選べば、結果として入試まで安心して任せることができる。しかも、子どもが劇的に変化することもそう稀なことではありません。お忙しいとは思いますが、どうかそのひと手間を怠って、台無しにしてしまうことの無いよう、心よりお祈りしております。すばらしい塾がより繁栄するよう、儲け至上主義のダメ塾が淘汰されるよう、そして何より1人でも多くの子どもがより大きく育つよう、願いを込めて。追伸:僕もブログに対しては信念がありませんでした。ブログの意味、その重み、その力、それらを深く考えずに行っていました。ブログでは、入塾説明会のように、「これが僕の理念です。共感する人だけが来てください!」というようにはいかない、公共性があるということに気づいていませんでした。今後はその公共性も知りつつ、信念を持って続けていきたいと思います。
2006.07.12
「りんご塾」さんからコメントをいただき、ニュースサイトというものを拝見させていただきました。これがすごい!是非、皆さんもお読みください。いくつもの教育系ブログの中から、りんご塾さんが厳選された一部分が抜粋してあり、一度に複数のブロクからいいトコ取りできるという優れものです。(普通に皆さんやっていることでしたらすいません。ブログ生活まだまだ短いもので・・・。)しかもこの中に、なんと僕のブロクが採用されているではありませんか!なんか・・・とても幸せな一瞬でした(笑)。ありがとうございます!
2006.07.12
しばらくぶりの更新です。更新を一時停止したのにもかかわらず、私のつたない文章に対して、今も続くリンクの登録や同一人物の方々の度々の訪問。何より「お母やんコーチ」さんや「ちとらまま」さん、そして「ブラック3232」さんのありがたい励まし。皆様方に役に立つようなブログとなるよう、今度は細心の注意を払いつつ頑張ります!これからもどうか見守っていてください。
2006.07.11
今日はある私立高校の説明会があったため、いつもより早く起きました。その高校までの行き方を検索するために、パソコンをつけ、その次いでにブログを見てびっくりしました。前回の記事に対するコメントして、「他人の褌で相撲をとるような行為はいかがなものか?」という主旨のものが、わずか二行ですがあったのです。そのコメントを見た瞬間、「人の考えもよく知ろうとしないで、非難だけしてくるなんてなんだこの人は???」と、意外に憤りも少なく普通に削除しました。その数分後、ふとその安易さに気がつき、私立高校の説明会そっちのけで、自分の前日のブログを読み返してみると、確かにそのように捉えられてもおかしくない文章だと感じました。もしあのコメントは悪意ではなく、純粋な戒めだったのだとすれば、前述の「人の考えもよく知ろうとしない」人間は自分だったことになります。なぜ簡単に削除してしまったのだろう。コメントに対してきちんと答えるべきだったのではないか?今も自戒と後悔が圧し掛かったままです。もうあの方がもう一度、私のブログを訪れることはないかもしれませんが、あえて弁解をさせていただければ、私は「他人の褌で相撲をとる」ようなつもりで政治家といったわけではありません。目標とする職業があるなら何でもいいんです。ただ目標とする職業を持って欲しい。少なくとも目標する職業を探そうとはして欲しい。だから、もし目標がないというのならば、・様々な職種に関係があるため、他の職業にも自然と目が行くようになる。・世の中という広い視野を持つきっかけとなるかもしれない。・公共のために働くという意識が芽生える。・中学生にとって、今、目の前にあるもの(勉強)を一生懸命がんばる動機付けになる。などの理由に加え、・政治に対する意識が希薄であった自分自身への反省。と言う意味を込めて、「政治家はどうだ」と言う様にしているということです。その結果、本当に政治家になってこの国のために働くんだという生徒たちも出始め、その子達が、能動的に行動するようになり、意識もどんどん外へ外へと広がっていく。その姿を昔の自分と重ね合わせ、彼らを尊敬し、非常に頼もしく思っている。そういう主旨のつもりでした。また、前回のブログの中にある「生徒との約束」。それは、生徒たちに対して「みんなに言うからには、まず自分が率先して、世の中のためになることを始めるから。」とみんなに公言した夢の実現。まだぜんぜん達成していないので、内容は言えませんが、生徒たちが「先生もそれだけのことをやっているのなら」と、思うくらいのことを生徒たちに先駆けてやっています。そうでなければ、生徒たちも僕の言うことを「口だけ」と捉えて、何も聞かないでしょうから。この約束のことを書かなかったのは、夢のない生徒に、とりあえずの夢であっても持たせるように仕向ければ、それが指針となって、生徒が変わってきた。 ↓この生徒たちの中に、本当に政治家になりたいと、外に目を向け、努力するものが出てきた。 ↓こんな子たちがどんどんと生まれて、総理大臣になるような子ができたらすごいことだな。そんな日が来ればいいな。そう思っているという内容を書きたかった。だとするとその主旨とズレると思ったからです。今回の一件で、まだブログを始めて10日間ですが、このツールを使い、公共に自分の意見を述べるということが書き手の本意、不本意に関係なく、一方的に他人に不快感を与えかねない、ものすごい責任ある行為であることがわかりました。今の私にはまだまだこのツールを使いこなす力がないようです。「ブログをやってみようよ」と声をかけてくれた大事な友人、そしてこんな初心者にコメントを寄せてくれた方々には大変申し訳ない思いでいっぱいですが、今日をもって、しばらくはブログの更新を停止したいと思います。また自信がついたら再開しますので、そのときにまたご縁があれば宜しくお願いいたします。最後にもう一度。前回のブログでこのような「気づき」を与えてくださった方へ。非常に勉強になりました。さらに大きくなった気がします。ありがとうございました。
2006.07.06
私の夢は何かと聞かれたら、『教え子から総理大臣が出ること』と答えるようにしています。(別に総理大臣でなくてもいいのですが、国を率いる大志ある若者という意味です)ですから、「将来の夢がない」と言う生徒に対しては、「じゃあ将来の夢が決まるまでは、とりあえず政治家って言うようにしようぜ」と言っています。なぜ政治家なのか?それは、でっかく言えば、『半世襲制のような日本の政治を壊すためにも、本来非常に身近でかつ魅力ある仕事であるはずの政治に、若い世代はもっともっと、どんどん参加していくべきで、40代ではまだまだ若造とされるような政界を崩さないといけない』 (※ 自民党は「小泉チルドレン」の影響で平均年齢が一番若い政党になりましたが、それでも52.3歳)という想い。現実的には、『政治に関心を持つきっかけになる』『生徒会など、学校内における様々な活動に対して能動的に参加するようなバイタリティ溢れる人間になって欲しい』『外を見ようとする意識ができてくれたら』という願いがあります。そもそも政治という仕事は、地域の人たちの幸せを創る仕事の中で、最も大きな役割を担っている崇高な職業であるのにもかかわらず、普通の人にはあまりに別世界のイメージとして捉えられてしまっています。少なくとも僕はそう思っていました。政治なんてまったく興味の無いまま社会人になりました。でも実際に社会に出て、仕事というものを知ると、政治の仕事の重要さが身に沁みて感じるようになりました。「国を動かす」「国に貢献する」などの意識を若いうちから育みたい。想いを伝えたい。僕自身がそういう大人に中学生の頃に会いたかった。だからこそ自分がそういう大人になろう。今では、僕のその想いを受けて、本気でその道を考えてくれる教え子も増えてきました。第5期卒業生のY君は、先日、進路の相談するために僕のもとを訪れ、「来年受験なんですけど、どのくらいの大学に行くべきでしょう?」「そうだねぇ・・・東大は無理かい(笑)」「無理ですよぉ(笑)。僕としては埼玉大とかが妥当かと思うんですけど、それだと先生納得しないですよね?」「当然! 25歳で出馬するんだから、東大くらい目指そうぜ(笑)。」「やっぱりそう言われると思ったんですよね(苦笑)。わかりました。やってみます。その代わり先生もあの約束守ってくださいよ。」「もちろん!約束は守るよ。オレも全力でやるから。」また、第6期卒業生のSちゃんは、「いきなり夢が政治家にはならないけど、今は特に夢もないし、先生言うとおり意識はしてみるね」「よし!Sちゃんならいけるさ。じゃあまずは生徒会長だね。」「本気で?!」「当選するかどうかは別として、立候補はしてみようぜ。必ず何かが変わるからさ。」「わかったよ。じゃあやってみようかな。」「学歴もしっかり付けといてね(笑)」「は~い」この子達が新しい時代を創っていってくれると、僕は本気で信じています。
2006.07.05
先日、我塾中学3年生の北辰テストの結果が塾に届きました。塾生の平均偏差値はなんと!国語ss60/数学ss58/英語ss56 平均がこの数値ですよ!この学年も先着順ないし抽籤で選ばれた定員28名ですから、元々学力はバラバラだったわけです。それが平均でこの数値ということは、極端に言えば、全員が『国語ss60/数学ss58/英語ss56』だということ。いやいやスゴイ。スゴイよ、君たち。模擬試験は、試験範囲が狭い定期テストに比べ、幅広い範囲の中からまんべん無く出題されます。当然、ヤマも賭けられないですし、これといった対策もない。また、結果は得点という絶対的な数値だけでなく、相対的な数値である偏差値で表されるため、定期テストとは違い、まさに実力が測られるわけですから、この結果は非常に喜ばしい!平均でのss60超えは一昨年もあったことですが、その時の数値は入試直前のまさに最高の状態の時の数値でした。比べて今の生徒たちは、これから少しずつ調子を上げていこうというまだまだウォーミングアップ状態。ではなぜ今年はこのようなすばらしい結果になったのでしょう?今年の中3は、決して能力の高い子ばかりが集まったわけではありません。むしろ能力の高さだけなら一昨年の方が高かったように思います。正直、授業の内容も一昨年に大きく変えて以来、それほど大きな変えてはいません(微調整は当然加えていますが)。ではなぜ?そこには「集団としての成熟度」が大きく関係しているように思います。一昨年は、まだまだ今のように人気が高いわけではなかったので、その時にいる生徒の学力を伸ばし、その評判で生徒が入る、そしてまたその子を伸ばし・・・のようにして最終的に定員になった学年です。そのため、昔からいる生徒の学力は高い反面(市内1位の生徒を筆頭にss65以上の生徒が半数)一方で、後から評判で入ってきた生徒は、伸びてはいくものの基本を固めるのに時間をとられ、応用、発展までは時間的にも手が回らない。。。また意識の上でも昔からいる生徒とはちがうため、集団としてはまとまっていなかったように思うます。(生徒全員の学力や意識が異なることは、公立の中学校を始め、一般的な塾ならどこでもそうなので、当時はあまり気にしていませんでしたが。)一方で、今年の中3は中2の段階でほぼ定員でしたので、教える側としては入試の日から逆算して、基礎からしっかりと固めることができました。そうすることにより、全員の成績が伸びていくので必然的に全員の意識が高くなります。その上、定員いっぱいなので外から生徒が入ってこないですから、そこにチームとしての一体感が生まれます。この高いレベルでの一体感。これこそが集団における最高の形なのでしょう。今年の生徒たちは全員が全員、他人を応援し、また互いに刺激し合うことができます。集団が個人を育てる。まさに理想的な集団。君たちは最高だ!『あの塾に入れば、どんな子だってss60以上になるんだって。』そう言われるようになれば、まさに『奇跡の塾』。そんな『奇跡の塾』を創り上げるためには、少なくともこのような結果が3年は続かないと実力とは言えない。う~ん、ワクワクしてきた!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~北辰テストとは、埼玉県の代表的な業者テストのことで、中学3年生になると県内ほぼ全員が受験するという模擬試験です。その中でも、特に9月、10月、11月、12月の北辰テストは、受験率が非常に高くなるため、各生徒の学力(偏差値)を極めて正確に測ることができます。そのため、埼玉県内私立高校や県内周辺の都内私立に至るまで、この4ヶ月のテスト結果の内、良いもの2回の結果を以て合否をほぼ決定するというくらい、非常に公正かつ正確な模擬試験とされています。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2006.07.04
こんな時間に号泣してしまいました(笑)。NNNドキュメント まっすぐに智華子 全盲の少女 母の待つゴールへ 全盲の少女が高さ90センチの飛び込み台から飛び込む(当時6歳)。全盲の少女がトライアスロンやる(当時8歳)。全盲の少女がパラリンピックを目指し100メートルを泳ぐ(当時9歳)。全盲の少女が700メートル先の盲学校へ1人で行く(当時9歳)。何がすごいって、当然本人もスゴイんですが、これをお母さんが何も手を出さない。そばにいながら一切手を貸さないんですよ。娘がどんなに迷っても、どんなに泣いても、どんなに苦しくても、そばにはいますが、決して手は貸さない。言うは易しですが、これがどんなに難しいことか。今の僕の教育理念の根本に「与えることは奪うことと同じ。与えるのではなく、自分で気付いてもらう。」というものがあります。わからないと言ってくる生徒にわかりやすく教えることは、何年も経験があれば簡単にできます。しかし本当にその人の成長と進化を願うであれば、そんな対応は浅はかすぎるのだと、人を育てるには、やはり愛情をもって「待つ」ということが何より重要なのだと、塾でいろいろな生徒を教えてきて、ある時に気がつきました。教育とは「教え」、そして「育む」こと。「教えること」には知識必要ですが、「育てること」には信じ、そして待つ「粘り強さ」が必要なんだと。それ以来、この話は保護者会で毎年お伝えしているボクの信念です。しかし、そうは言ってもこれがとても難しい。ボクも非常に未熟者で、授業の後に何か用事があったりしてしまうと、正直、つい手を貸してしまうことがあります(情けない・・・)。血の繋がっていない僕でも難しいことを、このお子さんのお母さんは日々行われているのです。しかも勉強なんかではなく、もっともっと困難な道を進む我が子を目の前にして。その成果か、智華子はすばらしい人に育っています。トライアスロンで、健常者に負けて最下位になったとき、悔しくて悔しくて唇をかみ締めるその姿。1人で学校へ始めて向かう時、迷子になっても何とかしようとするたくましさ。そんな親子に周りの大人たちが応援します。校長先生の真田先生は、「壁は自分の心の中にあるんだ。君がやろうとしなければ僕は何も助けてあげられない」と、智華子ちゃんに水泳を教えます。全日本パラリンピックの水泳の寺西コーチは、「選手である以上特別扱いはしない。厳しい練習も、もっと厳しい練習をしている先輩が近くにいることによってこなせるようになる」と、まだ9歳の智華子ちゃんを高校生に混じらせて指導します。そして、6年生になった12歳。パラリンピックの選考基準タイムを超えたときに、彼女の口から出た言葉。「壁が扉になった」僕もこれくらい、人に影響を与えられる教育者になりたい!
2006.07.02
次の二つの記事をお読みください。【進学も格差…子どもへの期待や費用、所得で開き(読売新聞 -2006年 3月14日)】家庭の所得によって、子どもの進学への期待や習い事にかける費用に格差が出ていることが、「こども未来財団」(東京都港区)の調査で明らかになった。 調査は昨年10月、20~44歳の既婚男女約2400人に行い、回答者の家庭所得を年収「200万円未満」から「1000万円以上」まで6分類した。1000万円以上の家庭では89%が子どもに大学・大学院進学を希望しているのに対し、200万~400万円未満は44%、400万~600万円未満は60%。200万円未満の家庭では30%が「特に希望はない」と答えた。第1子に習い事をさせる割合や平均月謝額も所得に“比例”。1000万円以上の家庭の79%が習い事をさせ、約2万7000円の月謝を払っているのに対し、400万~600万円未満では52%、約1万2000円。200万~400万円未満の家庭では、38%、約9600円だった。調査にかかわったお茶の水女子大の坂本佳鶴恵教授(社会学)は「子どもの教育費は『かかる』というよりも『かける』ということが明確に表れた。所得差が教育格差につながりかねない。子育て世帯への教育費の支援が今後の課題になる」と話している。 【ジーコ・ジャパン 評決のとき 第4回 戦いの地で聞いた「2010年への忠告」】から抜粋■日本サッカー“最大の問題点” 「日本代表は、ワールドカップに出場する力をつけた。アジアではチャンピオンになる実力を持ったわけだ。しかし、残念ながら、ワールドカップに出場する32か国のうち突出した力を持っているわけではない。まさにアベレージ(平均値)のチームだよ」32チームのうち、16チームは予選敗退する。日本代表は、「現時点ではその16チームのうちのひとつ」なのだ、と彼は言う。「予選3試合のうち、1勝はできる可能性はあった。けれど、予選で勝ち点6以上を上げ、決勝トーナメントで勝ちあがっていくことは、アベレージの力では不可能なんだ。強いチームには個性がある。その個性が日本には見られない」個性とはすなわち、その国のサッカーを体現していくものの形だ。イングランドにはベッカムやルーニーが、ブラジルにはロナウジーニョやカカが、アルゼンチンにはクレスポやリケルメやメッシが、ポルトガルにはフィーゴやクリスチアーナ・ロナウドがいる。勝つために必要なプレーを究極の状況で披露する選手がいる。マシュノーは「今回の日本にはその選手が見当たらない」と呟いた。「中田英寿のリーダーシップや際立ったキャラクターは、もちろん欧州でも広く知られているよ。だがこのチームでは、彼の個性を殺されているように見える。彼のゴールへの執念が、空回りして見えるのはなぜかな。しかし、これは日本だけの問題ではない。私の国、フランスでも同じ問題が起きている。ジダンが引退したら、フランスのサッカーは『らしさ』を失うだろう。彼が15年以上にわたって作り上げたフランスサッカーを踏襲する者は、今は皆無だよ」1993年10月、カタールのドーハで行われたアジア地区最終予選を取材して以来、日本サッカーに興味を持ったマシュノーは、創成期のJリーグや2002年日韓大会もリポートしている。欧州に移籍した日本人選手もつぶさに取材している彼が、日本の“最大の問題点”にも言及した。「日本にもっとも必要な『個性』は、ゴールを奪う選手だね。サッカーは、どんなに守っても、99%は勝つことができないゲームだよ。攻めて攻めて攻めることが、戦いのすべてなんだ。誤解を恐れずに言えば、守備はサッカーにおいて二次的な要素だね。極端なことを言うが、素晴らしいゴールキーパーが一人いれば『守る』ことはできるだろう」日本は攻めて攻めて攻め抜けるフォワードを育てなければならない。そうしなければ、アベレージのチームであることから決して抜け出せない。彼は、そう断言する。「調子が悪い、選手のコンディションが万全でない。そう言われても、なぜブラジルが強さを発揮できるか分かるかな。それは、わずか5秒で事態を逆転する攻撃者がいるからだよ。ロナウジーニョやアドリアーノ、カカ、ロベルト・カルロス、不調だと言われるロナウドでさえ、5秒もあれば形勢を逆転し、ゴールを決め、チームに勝利を導くことができる」決定力の絶対的な不足―――。その事実が、ワールドカップドイツ大会でも日本代表に重くのしかかっていた。ウェイン・ルーニーやリオルネ・メッシ、ロナウジーニョ。彼らのような選手を有するためにはどうすればいいのだろう。「その答えは簡単にはみつからない」と、マシュノーも首を横に振る。「野性的な身のこなし、攻撃的な精神、ディフェンスをかいくぐりゴールキーパーを交わしてゴールを奪う嗅覚。これらを備えた選手は、まさに神からの贈り物だ。日本にもいつの日か、このギフトが届くことを願うよ」何十年後か、はたまた百年後、天性のフォワードが日本に現れる。その偶然を待つことしか、優れたフォワードを手に入れる手立てはないのか。「その手立てこそが、その国のサッカーの行方を左右する。ギフトはどこに生まれているか、育っているかわからない。だからこそ、子供たちの教育が大切だよ。小さいうちからその才能を見極め、その才能が間違った方向に行かないように教育し、最後は個性を開花させるんだ」ブラジルなど市民が貧困に苦しむことも少なくない国では、ハングリー精神がむき出しであり、目指す場所、つまり成功への道が明確だ。自分の子供に才能があると感じた親はそれを伸ばすことに夢中になり、また子供自身も上を目指すために努力を怠らない。「貧しい家庭に生まれたロナウジーニョは、路地でサッカーをしていた。靴が買えず、裸足でボールを蹴っていた。だが、彼の才能は見逃されることなくしっかりとコーチの目に留まった。そしてプロへの階段を駆け上がったんだ。日本でも、そうした才能を探し、育てることを怠ってはいけない。それが結実したとき、日本は、ベスト16以上の戦いで存在感を示すことができるだろう」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~教育についての考え方は、学問においても、またスポーツにおいても同じようです。未来を創る子どもたちをその国の大人たちがどう育てていくのか。スポーツにおける『世代交代』を危惧する声は高いですが、経済における『世代交代』も同じように危惧すべきことだと思います。100年後の日本のために、我々大人たちはどういう方向性を子どもたちに指し示すのか。神様からの贈り物はどこにいるのかわかりません。神様からの贈り物は、親の所得に関係なく生まれてきます。ならば、生まれてくる子どもたち全員に、できる限り高い水準の教育を約束することが、国家を繁栄させていく唯一の、そして最も確実な方法なのではないでしょうか。小泉さん。初めて首相になった時の所信表明での「米100俵の精神」。今一度どうか思い起こして下さいませ。
2006.07.02
本日は、当塾に県立高校の先生をお呼びしての入試説明会を行いました。県立高校の先生が私塾に訪れて、県立高校全般の説明をしてくれるなんて非常に稀なことでしょう。当塾自慢の行事の一つで、塾生の保護者に限らず、地域の皆様方も参加される一大イベントです(要予約)。今年参加できなかった保護者の方は、毎年7月に行っていますので来年のその頃にはお電話くださいね(04-2951-6311)。今年お呼びした先生は、普通科高校を代表して、市内のトップ校である所沢北高校の教頭先生。そして専門科を代表しては、2年連続、私が尊敬してやまない新座総合技術高校の校長先生です。(お二人ともお休みの中わざわざ資料持参で足を運んでくださりありがとうございました。)所沢北高校の教頭先生は、歴任された普通科高校を中心に、普通科高校全般のお話と、高校の選び方ならびに普通科高校の入試選抜の裏話など、非常に参考になるマル秘話をしてくださり、保護者の方々は皆、必死にメモを取っておられました。その情報もさることながら、実際に選抜される側の先生がお話してくださったことで、何より安心されたことと思います。一方で、新座総合の校長先生は、全国でもわずかしかいない民間人校長の一人として、民間の会社でご活躍された人ならではの視点から、子どもたちに大きな影響を与えてくださいました。「人間、何がしたいか、何ができるか。これが一番大事なんだ!」「日本は自由に職業が選べる。だから迷う。だが迷ってるばかりではダメだ。インドはカースト制で職業が選べない。じゃあみんあ幸せでないかといえばそんなことはない。自分の仕事を一生懸命やって、誇りを持って生きている。迷って決められないなら何でもいい。仕事をしなさい。仕事に就いたら厳しいことも言われる。腹も立つ。だけど成長する。フリーターには間違ってもなるな。アルバイトは仕事ではない。作業だ。作業では人は成長しない。」「偏差値50以下の普通科高校になんとなく行って、ボーっと過ごすくらいなら、専門科に来い!新座総合に来い!僕らが全力で君を社会で通用する大人にしてあげよう。」「大学に行けば幸せ、そんなことはない!私は東京電力にいたが、東京電力には東大卒ばかりが必要なんではない。確かに東大卒も必要だ。でも、その指示を受けて仕事を確実に遂行する技術者だって同じくらい必要なんだ。私は今の子どもたちに技術者の必要性を伝えたくて校長に立候補したんだ。」「まだやりたいことが見つかっていない。だから普通科へ行く。一向に構わないよ。ただやりたいことが見つかっていないなら今目の前にあることを一生懸命やりなさい。普通科を選んだなら一生懸命勉強しましょう。見つかっていないけど勉強もしたくない。これはいけない。」その熱い叫びに、説明会終了後、子どもたちが口をそろえて、「あの先生、入ってくるなり雰囲気が違うんだもん」「新座総合って偏差値どのくらい?」「私、専門科に行く!」と、子供たちの目が明らかに変わりました。本当に有意義な説明会になりました。ありがとうございました!
2006.07.01
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