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マテーラへ向かって、山を越え谷を越え一直線です。イタリアを長靴にたとえたら、ナポリが足首に近い脛だとすると、マテーラは土ふまずに近いくるぶしにあります。そのくるぶしに当たるマテーラには正午前に到着します。しばらくマテーラの市街地を歩いて、旧市街地に入ると、いきなりこのような光景が目に飛び込んできました。壮観な眺めですね。実はここは「サッシ」と呼ばれる洞窟住居があることで有名な町なんですね。目の前に広がっているのが、そのサッシ、洞窟住居群です。古くは8世紀ごろから、修道僧らがやってきて、石灰質の岩肌に穴を掘って洞窟住居として住みつくようになったとのことです。ご覧のようにぎっしりと住居が建て込んでいますが、長らくは小作農眠たちが住む貧民街で、南イタリアの貧しさの象徴であったそうです。余りにも劣悪な環境であったため、1950年代に法整備して、住んでいる人たちを別の居住区に強制移動させました。やがて、その歴史的価値が見直され、洞窟住居を改良・改築しながら環境を劇的に改善させます。今では快適なレストランまでできるようになりました。1993年にユネスコの世界遺産に登録されました。この日はその洞窟レストランで昼食です。 この日のご馳走はソーセージの料理でした誰か、昼間から赤ワインを飲んでいる人がいますね。昼食が終わったら、マテーラの旧市街を散策することになっています。(続く)
2020.02.29
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ナポリ駅のそばのラマダナポリに宿泊しました。滞在三日目となる翌13日(月)朝。午前7時ごろ、ホテルからナポリ駅周辺を撮影。高層ビルが駅の向こう側に見えますね。 これは午前7時43分ごろ。朝食を済ませた後ですね。すっかり明るくなってきました。そして、こちらは・・・午前8時11分。太陽がまぶしいくらいに降り注いでいます。午前8時半にホテルを出発。この日は、ナポリから東に250キロほど離れたマテーラへと向かいます。道中、変わった山が見えたので、車中から撮影。まるでピラミッドのような山ですね。綺麗な円錐形をしておりました。(続く)
2020.02.28
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アマルフィ海岸を後にします。本当に美しい夕景ですね。バスはそのままナポリ市内の歴史地区に向かいます。ナポリに着いたときは、もう真っ暗になっておりました。劇場などが集まる中心街ですね。バスの中からの見学です。こちらはヌオーボ城。この日は、このヌオーボ城のそばのレストランで夕食です。メインはピッツァ(ピザ)、飲んだのはペローニのビールでした。
2020.02.27
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アマルフィ海岸のポジターノ。ポジターノの大聖堂です。暮れなずむ空ですね。日が落ちても、なかなか暗くなりません。聖母マリア像。お店はもう閉まっていましたが、外から展示されているお土産を写真に撮っておきました。美しい海岸線でした。(続く)
2020.02.26
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書き忘れましたが、この日はポンペイ遺跡の見学の前に近くのレストランでお昼を食べております。ファルファーレという蝶ネクタイのような形のパスタを食べました。ファルファーレとはまさにチョウチョのことです。ポンペイ遺跡見学後は、遺跡そばのカメオ工房を見学。カメオは、メノウや貝殻などに浮き彫りを施した装飾・工芸品ですね。お土産に小さなカメオを買いました。その近くで、大きなレモンを売っていたので撮影。日本で見るレモンの二倍以上の大きさがありました。さて、ポンペイを後にして、ソレント半島に向かいます。アマルフィに向かって海岸ドライブです。しばらくすると、ナポリ湾越しにベスビオ山が見えてきます。ポンペイ遺跡があるのは、写真右側の裾野です。メータという町辺りで、ソレント半島の北西海岸から南東海岸へと抜けます。半島の反対側(南東側)に来たときには、日が暮れかかっておりました。まさに夕陽がソレント半島の海の向こうに沈もうとしていますね。これで、午後4時48分ごろです。午後4時54分ごろ、アマルフィの町が見渡せる場所に到着。アマルフィは、かつては自立して、強盛を誇った海洋国家でした。(続く)
2020.02.25
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浴場を後にして、さらに町を探索します。こちらはパン屋さん。パンを焼くかまどと碾き臼が設置されていますね。続いて向かったのは穀物市場。と言っても、現在は発掘品の保管所になっています。ケースの中には子供の形の石膏像が置かれています。これは西暦79年8月24日に起きたベスビオ山の大噴火の犠牲者の像です。噴火によって灰が堆積して固まった地層中に人型の空洞が残っており、そこに石膏を流し込み、当時の犠牲者の姿を復元しました。こちらの石膏像は・・・祈りながらうずくまっているように見えます。次はアポロの神殿です。写真右下には、菊花紋のような文様が見えますね。約一時間半くらいでしょうか。これでポンペイ遺跡の見学は終わりです。ポンペイは、ベスビオ山の大噴火で厚さ六メートルの灰に覆われて、死の町となりました。そして約1900年間の眠りの後、19世紀になって本格的に発掘され、現在は悲劇に襲われた遺跡として保存されているわけです。(続く)
2020.02.24
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ここで問題です。ポンペイでは、文字ではなく絵で何のお店かが分かるようになっていることは既に説明しました。では、こちらは何のお店でしょうか。二人の人が何かを担いでいる絵が描かれています。そう、つまり荷物を運ぶ宅配業者ですね。次に、フォロの浴場を見学します。冷浴室。こちらは、脱衣所の壁のレリーフ。豪華なスポーツクラブみたいですね。実際、運動場も併設されていますから、まさに高級スポーツクラブです。下の写真は、確か温水浴場です。温浴室、熱浴室、冷浴室と温度の異なる浴室があります。明かり窓。ポセイドンの顔とみられるレリーフが見えますね。(続く)
2020.02.23
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再びポンペイの政治・経済・宗教の中心であるフォロの広場からです。ベスビオ山が大きく見ますね。この火山がいかに近くにあったかがよくわかります。ケンタウロスの像。ギリシャ神話に出てくる半獣半人の種族ですが、ローマでも人気があったのでしょうね。ギリシャ神話がローマ神話に引き継がれていった証拠でもあります。下はエウマキアの建物。ポンペイの主要産業を担っていた紡績業者、染物屋、洗濯屋などが協力して建てたもので、ここに布地市場があったそうです。門柱に唐草のような模様が刻まれていました。そのつぎは、食品市場です。かつては屋根に覆われており、中央にある12本の円柱に支えられたクーポラ(円天井)の下には、魚のいけすに使われた大きな水槽があったそうです。市場の壁にはフレスコ画が描かれていました。フレスコ画は、壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、水または石灰水で溶いた顔料で描く技法です。(続く)
2020.02.22
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ポンペイにはかつて、世界中からいろいろな国の人が集まりました。言葉も違えば、習慣も異なる人々です。同じ民族でも、だれもが文字を読めるわけではありませんでした。そこで活躍したのが、こちら。案内している人が何を指さしているかというと、絵でお店の内容を表わしていたということを示しています。ふーむ、興味深い絵ですね。アッバスの巨人を思い起こさせます。町の中は、本当によく整備されていたことがわかります。これは水飲み場の水が出るところ。上の写真は、高貴な人(あるいは金持ち)の家の門と庭です。広場に出ました。やはりベスビオ山が近くに見えますね。(続く)
2020.02.21
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ポンペイの街中。石畳の道路にはところどころ横断歩道があります。大きな飛び石の横断歩道で、雨で道路が川のようになっていても飛び石の上を渡っていけるわけです。上の写真は馬車の車輪の轍ですね。で、こちらは売春宿。サービス内容の説明図が描かれているそうです。下は売春宿のトイレ。結構生々しいですね。(続く)
2020.02.20
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ポンペイ遺跡の中に入ります。遠くに見えるのが、ベスビオ山ですね。ベスビオ山のアップ。別角度から撮影したベスビオ山。こちらは、集会場です。その集会場の観客席にいたのは・・・ローマ建国神話にも登場した「オオカミ君」でした。気持ちよさそうに寝ていますね。(続く)
2020.02.19
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ショッピングを終えて、バスは一路、ポンペイに向かいます。ナポリに入ると、ベスビオ山が見えてきました。ポンペイ遺跡はナポリ近郊のベスビオ山のふもとにあります。そのポンペイ遺跡に到着。ポンペイ遺跡の外観です。そして、ここから・・・ポンペイ遺跡の中へと入っていきます。(続く)
2020.02.18
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ローマ三越からバスに乗って、レストランへ向かいます。この日は、よく歩きました。約三時間、二万歩ほど歩いた計算です。ヴァチカン市国から始まって、スペイン広場、トレビの泉、コロッセオと大忙しの日程でした。個人旅行ではこうはいきませんね。ヴァチカン美術館に入るだけでも、長い列に並ばなければなりませんから、かなりの時間の節約になります。団体旅行では、レストランの予約をする必要もありません。そのレストランの風景。カンツォーネ・ディナーです。外は満月が輝いておりました。さて、イタリア滞在二日目の1月12日(日)。この日はポンペイに向かいます。途中で止まったお土産屋さん。オリーブの美味しいこと。幾つか買わせてもらいました。(続く)
2020.02.17
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ローマの共和国広場のそばには、ディオクレティアヌス浴場というローマ帝国ディオクレティアヌス皇帝が306年に建設した公衆浴場跡もあります。テルマエ・ロマエですね。広場で目を引くのは、こちら。ナイアディの泉。水に関係する妖精たちが踊っているようです。さて、ショッピングをしたのは、こちらです。「真実の口」がある教会ではありません。そのレプリカがあるローマ三越店ですね。団体旅行ですから、ここに立ち寄るのは「必須科目」になっております。結構、面白かったです。ショッピングの後は外を散歩。共和国広場から伸びるナツィオナーレ通りです。上の写真を撮影したのは、午後4時50分。下の写真は午後5時24分です。集合時間になると、もうすっかり日が沈んでおりました。(続く)
2020.02.16
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新刊『日本のオカルト150年史』(河出書房新社)の表紙が決まったようです。数日前からアマゾンに出ていますね。写真はこちら。おどろおどろしい表紙ですが、中身は明るく、江戸時代末期から現在にいたる、日本を中心にしたオカルトの歴史を丹念に、かつ真面目に取り上げています。秋山氏のオカルト史観が随所に現れていて、非常に面白いです。このような歴史観に触れておくと、世の中の動きがよくわかるようになるはずです。見本が明日(17日)にできるそうですから、出版は24日ごろでしょうか。まずは読んでみてください。そして、大きな人類史の流れをつくってきたオカルトの歴史の息吹を感じ取ってくいただければと思います。
2020.02.16
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コロッセオ(コロセウム)。ローマ帝政時代に造られた野外の巨大な円形闘技場ですね。こちらは、コンスタンティヌス帝の凱旋門。パリの凱旋門のモデルになりました。コンスタンティヌス帝の凱旋門とコロッセオにツーショット。今回は時間がなくて、コロッセオの中には入りませんでしたが、外から中を見ることもできます。ここで野蛮人たちが殺戮に熱狂したわけです。当時は「ドルークの血」が濃かったので、しょうがないといえばしょうがないのですが、それは人類の悲しい歴史でもあります。ドルークの血がなければ、この厳しい惑星の環境に適応できなかったのだといいます。ドルークの血については、次(『日本のオカルト150年史』)の次(タイトル未定)に出版される本をご参考ください。出版が決まりましたらお知らせします。この日の最後の観光地は共和国広場です。イタリア・ローマの玄関口である中央駅「ローマ・テルミネ駅」のそばにあります。ここではちょっとショッピングの時間がありました。(続く)
2020.02.15
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コロッセオへと続くフォリ・インペリアリ通りは、左右に史跡が連なっています。左手を見ると・・・トラヤヌス帝(53~117)のフォルム(広場)と市場跡があります。樹木の刈り方がオシャレですね。下のほうの枝は切り落すようです。で、右手は・・・フォロロマーノと呼ばれる古代ローマの政治・経済・司法の中心地跡があります。そうこうしているうちに、コロッセオに到着。道路の壁にはコロッセオの歴史が記された看板が並んでいます。コロッセオに着いて、最初に歓迎してくれたのは・・・高みから観光客を見物している鳩さんでした。(続く)
2020.02.14
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トレビの泉からは、このような細い道を通って、コロッセオまで歩きます。教会施設でしょうか、ここにも三重冠の紋章を見つけます。さらには、コロンナ美術館の脇を通ってひたすら歩きます。そしてヴェネツィア広場を通り抜けて、フォリ・インペリアリ通りに出ます。フォリは公共の四角い広場のことですから、皇帝街区通りという意味になります。歴史的な建造物が立ち並んでいる大通りです。その通りの右手にあり、最初に目につくのがこちらの建物。ヴィット―リオ・エマヌエーレ2世記念堂。19世紀にイタリア王国を成立させたヴィット―リオ・エマヌエーレ2世を「国父」としてたたえるために建設された記念堂で、1911年に完成しています。現在は無名戦士の墓としても機能しているそうです。そうこうすると、ようやくはるか先に、目指す目的地が見えてきました。突き当りに見えるのが、有名なコロッセオです。(続く)
2020.02.13
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トレビの泉。ローマでも有数の観光名所ですね。中央の立像は、水を司るネプトゥーヌス(ポセイドン)、その左が豊穣の女神ケレース(デメテル)、右が健康の女神サルース(ヒュギエイア)です。ギリシャの神々は、名前を変えながらもそのままローマ神話に引き継がれました。そして実は、日本神話にも継承されているんですね。ポセイドン(海)はスサノオ(海)、デメテル(大地)はアマテラス(太陽)、ハデス(冥界)はツクヨミ(黄泉)です。ローマのバージョンでは、三神のうちハデスの代わりに健康と衛生の女神ヒュギエイアが祀られています。この時代は、冥界よりも衛生面が非常に重要になったからでしょうか。ではそのギリシャ神話はどこから来たかと言うと、スメル(シュメール)神話から来ていますね。スメル神話のドゥムジこそ、日本神話のナムジこと大国主となったわけです。トレビの語源には諸説ありますが、ラテン語の「トリウィウム(trivium)」、すなわち「三叉路」から来ているという説が有力です。その分岐点の中央にポセイドンがいるところが味噌です。日本神話でも顔の中央にある鼻からスサノオが生まれています。すべてに意味があるんですよ。つまり三つの道があったということです。で、こちらは・・・トレビの泉のそばにあるお店。何で写真を撮ったかというと、『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンが髪を切った美容院のシーンがこのお店で撮影されたからという話があったからです。でも見てください、この混雑具合を!ここはスリのメッカとしても知られており、一瞬たりとも油断できないんですね。角のお店でジェラートを食べて、混み合っている場所からは早々に退散することにしました。上の写真はポーリ宮殿の上部です。(続く)
2020.02.12
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スペイン広場を後にして、次の観光スポットへと徒歩で移動します。結構人が多いですから、スリに用心しなければなりません。ローマに限らず大都市はみなそうですけれどね。石柱の上に石像が立っています。誰かと言うと・・・聖母マリアの像ですね。Ave (Maria)、gratia plena Dominus tecum benedicta tu in mulieribusアヴェ・マリアの祈祷文が描かれていました。こんにちは(マリア)、恩寵に満ちた方 主はあなたとともにおられる主はあなたを選び、祝福しました。というような意味です。このような路地に入っていきます。そしてたどり着いたのがこちら。トレビの泉です。(続く)
2020.02.11
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スペイン広場のスペイン階段を上から撮影します。人の数が凄いですね。側面のビル群を見ても・・・大勢の観光客がベランダや屋上に出て賑わっています。どうしてこんなに人気があるかと言うと・・・この階段のところで、映画『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンが撮られたからです。みんな真似してジェラートをこの階段に座って食べるようになってしまったため、今では階段で座るのは禁止されているそうです。下からその階段と丘の上の三位一体教会を撮影。階段の下の広場には、サン・ピエトロ大聖堂の天蓋を作ったバロック芸術の巨匠ベルニーニ作の「バルカッチャ(舟)の噴水」があります。(続く)
2020.02.10
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昼食後、いったんバスに戻ったので、カメラを再び取り替えます。実はイタリアは窃盗が多いと聞いていたので、今回の旅に持ってきたカメラは比較的安いもので済ますことにしました。もちろん購入当時はまあまあの一眼レフデジタルカメラだったのですが、時代とともにもっと良い画質のデジカメが登場。ちょっと時代遅れになってしまったカメラです。それでも愛着があり、手放しておりません。実際、白黒にすれば、それほど遜色はありません。バスの中から試し撮り。まあ、バスの中からの撮影ですから、可もなく不可もなし。バスはスペイン広場のそばで止まります。そこから歩いて、スペイン階段の上に立つトリニタ・デイ・モンティ教会の方へ向かいます。トリニタ・デイ・モンティ教会のある広場に出ました。オベリスクの右側の建物が教会です。オベリスクの上には、18世紀の教皇ピウス6世の紋章である「ユリと星」がが付いています。ピウス6世によって、オベリスクがここに移設されました。ただし、このオベリスクは、ラムセス二世のオベリスクを小さく模造したものである可能性が強いそうです。トリニタ・デイ・モンティ教会の意味は、「丘の上の三位一体教会」というところでしょうか。16世紀にフランス国王ルイ12世によってフランス人のために造られた教会とのことです。ここからの風景を見てみましょう。寺院が一列に並んでいますが、一番奥に見えるのが、サン・ピエトロ大聖堂です。(続く)
2020.02.09
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ヴァチカン市国を後にして、ローマの街中を歩きます。向かったのは、テヴェレ川にかかるヴィットリオ・エマヌーレ2世橋。ここからは、サンタンジェロ城がよく見えます。円形の建物ですね。直訳すると聖天使城です。ローマの五賢帝の一人皇帝ハドリアヌスが135年に建設を始めさせた霊廟です。14世紀以降は歴代教皇の城塞として本格的に使われるようになり、1933年からは博物館になっているそうです。サンタンジェロ城の奥に見える建物は、最高裁判所です。橋の欄干にカモメを見つけます。ちょっと、こっちを向いてくださいな。ちゃんとポーズを取ってくれました。で、この橋を渡って着いたのは、この日のお昼を食べたレストランでした。サルティンボッカというローマの代表的な料理を楽しみました。(続く)
2020.02.08
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イタリアで最初にスマホで撮った写真。スマホで写真なんて馬鹿にしていましたが、なかなかいい感じで撮れますね。上の写真は、サン・ピエトロ大聖堂とオベリスクを背景にして撮ったクリスマスの飾りつけです。イエスの誕生を描いた場面ですね。一月いっぱいは展示されているそうです。操作が不慣れなので・・・誤って足下を撮ってしまいました。で、こちらは・・・操作を誤って撮影したわけではありません広場のそばにあるビルの壁面に乳飲み子に乳をやるオオカミの彫刻が施してあったので、撮影しました。オオカミは、ローマの「生みの母」みたいなものですからね。ローマはオオカミ少年たち(ロームルスとレムスの双子兄弟)によって造られたという伝説があります。で、こちらは・・・・・・再び誤って足下を撮影。ローマの道路の状態がよくわかりますね。(続く)
2020.02.07
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サン・ピエトロ大聖堂を出て、サン・ピエトロ広場に出ます。左側に見えるアーチがドイツ系スイス人の門番が立っているところです。で、こちらが広場と大聖堂の全容。次は、大聖堂側からオベリスクのある広場とローマの町を撮影。オベリスク。てっぺんには十字架のシンボルが付けられています。次は広場から見たサン・ピエトロ大聖堂。と、ここで、これまで撮影してきた携帯カメラのバッテリーが切れてしまいます。もう一つのカメラはバスの中ですから、ピンチです。しかし、不測の事態に備えて、ちゃんと補助のカメラを持っておりました。それが次から紹介するスマホのカメラです。(続く)
2020.02.06
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聖ペトロ像。次は、ピエトロ・ビアンキの「無原罪の御宿り」。光の差し込み方が美しいですね。クリスマスは終わっていますが、飾りつけはそのまま残されていました。こちらの扉は・・・この大聖堂に五つある扉のうち、基本的に25年に一度しか開かないという「聖なる扉(聖年の扉)」です。前回は特別に2015~16年に開かれたとか。で、最後の写真は、衛兵の交替式です。故あって、ドイツ系スイス人が担当しているとガイドさんは話しておりました。(続く)
2020.02.05
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とにかく、見るもの聞くもの、すべてが面白いです。さすがカトリック教会の総本山ですね。ラファエロ・サンティ(1483~1520)の未完の大作『キリストの変容』。ちょうど光が差しくる昨日紹介したドーム(大円蓋「クーポラ」)の真下には・・・バロック芸術の巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598~1680年)の作品「大天蓋(バルダッキーノ)」が設置されています。29メートルの高さのあるブロンズの大天蓋で、天国のカギを授かったという聖ペテロの墓の上に建てられたとのことです。下を見ると、教皇冠(三重冠)の意匠が彫られた紋章が置かれています。教皇ピオ12世(1876~1958年)などと彫られていますから、比較的最近のものですね。そういえば、天井の大円蓋にも、何か彫られていましたので、見てみましょう。シクストゥス五世(1521~1590年)の名とともに、「聖ペトロの栄光を讃えて」と記されています。シクストゥス五世は、このドームを完成させたときの教皇(第227代)ですね。こちらは最深部です。立派な玉座です。でもメインは間違いなくドームです。(続く)
2020.02.04
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昨日紹介したミケランジェロの「ピエタ」のアップ。大聖堂のドームの天井も素晴らしいです。荘厳さに打たれますね。こちらはドラゴンです。キリスト教にとって、ドラゴンは異教徒の神を表わしています。で、この異教徒の神の上に立つ教皇が、グレゴリウス13世(1502~85年)。ユリウス暦を廃し、グレゴリオ暦と呼ばれる新暦を採用したことで知られています。(続く)
2020.02.03
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サン・ピエトロ大聖堂は、美術館の南に隣接しています。大聖堂に入る前に外を見てみましょう。目の前に広がる風景は・・・サン・ピエトロ広場です。高さ25・5のオベリスクが目印です。では、大聖堂の中に入ってみましょう。そこに現れたのがこちら・・・見事な天井です。さすがカトリック教徒の総本山。荘厳な感じがしますね。で、入ってすぐの右手にあるのが・・・1498~50年に作られたミケランジェロのピエタ(聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストをを抱く母マリアの彫刻や絵のこと)です。想像力を駆使して完成させた傑作ですね。(続く)
2020.02.02
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聖書を題材にした絵画も続きます。天井は相変わらず凄いです。地図のギャラリーでは、古地図も展示されています。この後、システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの『最後の審判』を鑑賞したのですが、そこだけは残念ながら撮影禁止です。お見せできる写真がございませんが、天井に描かれた「創世記」を題材にした9つの場面のうち、有名な「アダムの創造」だけ、案内板の写真でご紹介しましょう。父なる神とアダムの指とが触れ合おうとする場面です。映画『ET』を思い出しますね。一度外に出て、サン・ピエトロ寺院へと向かいました。(続く)
2020.02.01
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