320life

PR

プロフィール

ノマ@320life

ノマ@320life

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

2019.10.07
XML
雨がぱらつく中を、歯医者へ向かう。
私はこれから歯を2本抜く。
右奥歯の歯に、舌で触れてみる。

「親知らずというのは、」

ボサボサの髪をした歯科医が、前回言っていた。

「退化していく運命にある歯なんです」

私は想像してみる。
そのうちに、いつか、何世代かもっとその後に―――みんな、親知らずが生えてこなくなる。
きっと、親知らずを抜いていたなんてことも、驚きをもって受け止められるのだろう。

それはまるで、「未開の部族」の通過儀礼のように。

歯医者はいつもと同じように、眩しいほどあちこち白かった。
待合で見るともなしに付いていたテレビを眺める。
治療室からは、子供が泣き叫ぶ声がしていた。

親知らずは、親が知らない頃―――10代後半から20歳前後―――に生えてくる歯なのだという。
今は毎日毎晩、子供の歯を磨いている私も、その頃には子供に親知らずが生えているかどうかなんて、知らずにいるんだろう。

名前を呼ばれ、診察椅子に上がる。
体調はどうですか、と訊かれ、「大丈夫です」と答える。
その答えに笑ってしまいそうになる。
貧血と低栄養とストレス。
大丈夫なんてことはないのだけど。


ギーコ、ギーコ、左右に揺らされて、あっけなく歯は抜かれる。
永久歯。二度と生えてこない歯も、抜くのは一瞬だ。

「見てください」

心持ち、嬉しそうな声で、歯科医は私に血の付いた歯を見せる。

「こっちが、8本目の親知らず。こっちはね、珍しいですよ。9本目の歯で、言い方は悪いですけど、小さくて出来損ないでしょう?」


親知らずと、ちいさな出来損ない。

2本分の穴。
2針縫い、抜歯は15分もかからず終わった。
そこから15分ほど止血のためにガーゼを噛む。
その間、大画面のテレビに表示された自分の歯の写真―――右から左からさまざまに撮った写真―――を見るしかなく、まじまじと自分の歯を眺めた。
あちこち治療してある、私の歯。
そこにはまだ、右奥に2本歯が生えている。
親知らずと、そこにくっつくようにして生えるもう一本の歯。

舌でそっと、抜かれた部分に触れる。
そこにはただ空間が広がる。
取り返しがつかないことをした気持ちになる。
同時に小さな達成感を得て痛快な気分になる。

抜かれた歯が、銀色の皿の上に置かれている。
これは、捨てられてしまうのか。
欲しいと言えば、貰えるかもしれない。
けど、貰ってどうするんだ?
床下に投げられやしないのに。

退化していく運命の歯。

自分の歯にも見飽きて、右の壁にかかった、英語で書かれた何かの免許状のようなものに目をやる。
歯医者になるのに、彼はたくさん勉強したのだろう。
そこにはきっと、歯の歴史もある。
歯の進化と、歯の治療の歴史。

―――ネアンデルタール人、と私は思う。

ネアンデルタール人は、親知らずが完璧に生えていたんだろうか。
それは歯としての役目を果たしていたんだろうか。
寿命が短かった(であろう)彼らにとって、親知らずはまさに、親との死別と重なる時期に生えてくる歯だったのではないか。
親、知らず。

止血の確認が終わり、抜糸の予約をして、歯医者を出る(歯はもらえなかった)。
まだ麻酔が効いていて、右の顔面が痺れているような感じがした。
痛みはない。今のところは。

雨は上がり、青空が広がる。
風が強く、雲が速く流れる。

完璧に親知らずが生えそろっていたであろう、ネアンデルタール人のことを考える。
そして未来の、親知らずが生えてこない人たちのことを。
私の親知らずと、私の親も知らなかった不完全な9本目の歯のことを。

私は今日、2本、歯を抜いて。
それだけで少し、世界が変わってしまったような心持で雨上がりのアスファルトを歩く。
ふわふわと、心もとない足取りで。
出かけた場所に戻ったはずが、違う世界の同じ場所だったよう。
着地点を、誤ったみたいに。

にほんブログ村 にほんブログ村へ

「みたよ」のクリックをお願いします。

【にほんブログ村 おすすめランキング】
子育てブログ
ワーキングマザー育児
ミニマリスト
ミニマルライフ(持たない暮らし)

歯を抜いて5日ほどたつけど、まだ痛い…。
痛み止めが手放せない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.10.07 05:30:50
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: