320life

PR

プロフィール

ノマ@320life

ノマ@320life

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

2020.01.19
XML
カテゴリ: 雑記
正月明けからこちら、くさくさした気分で毎日職場に向かっていた。
なにが、という決定的なことがあるわけではない。
ただ、「もういやだ」という漠とした思いがあるだけだ。

もういやだ。

贅沢を言うな、と自分を叱責する。
不満を持つことなんて、ないだろう。
十分じゃないか。

でも、と己はなお言い募る。

もういやなんだ。


清涼な芳香と、それしかないというようなバツンとした鮮やかさ。

ー―ー檸檬爆弾!

私はうきうきして、デスクの上にそれを飾った。
雑多に散らかった書類の上に、うやうやしく。

「それ、どうしたの?」

近くに来た人が、みな訊ねる。
そのたびに私は澄まして、「ああ、檸檬ですよ」と当たり前のことを答える。

目の端に入る場違いな鮮明さが、嬉しい。

子どものころ、絵画教室に通っていて、そこで使う絵の具の色は「赤・黄・青・白・レモンイエロー」の5色だけだった。
レモンイエローの鮮やかさだけは、絵の具を混ぜて作れるものではないから。
今はもう亡き先生と、実家に残る彼女の描いた絵。


職場が木っ端みじんにならないように。
家に帰って、オリーブオイルと合わせてドレッシングにできるように。

もういやだ。

その気持ちが消えてなくなるわけではない。

反対方向の電車に飛び乗りたくなる時、仮病を使って休みたくなる時。

あきらめながら、ため息をつきながら、乗り越えていかなければいけない何か。

私は何度も両手で紡錘形を包み、香りを嗅ぐ。
すっと、霧が晴れるような気がする。あるいは靄が。

かばんの中に爆弾をひそませて、私は電車に乗る。保育園へ迎えに行く。
ひそかな企みを運ぶように。

「これ、貰ったの」

帰宅して取り出し、夫に見せる。
そう、と夫は言う。誰から?と。

だれもしらない、と私は思う。

すべておなじように。
だれもしらない。

わたしが何を思っているか、何を感じているか、何を考えているか。
それを日常の中で話して説明することは、難しい。

幼いころは、そういう人が欲しいと思っていた。
孤独な世界に、唯一の理解者が現れる。
同じ言葉を、同じ景色を、見ることができる人が。

けれど、そんな人は現れず、私は違う言葉を話せるようになった。
練習して、積み上げて、なんとか理解できる言葉を。
違う言語の本から切り出された一文みたいに、挿入された世界で。

キッチンにひとつ、冴えわたる黄色。
これもまた、雑誌から切り抜いてきたような。
薄っぺらな存在と、実物以上の重み。

焦燥と嫌悪は、なくならない。
生きている限り付きまとう、宿命のようなもの。

ただ、それらをうまく取り成し、なだめ、押さえつけ、ぎゅうぎゅうに詰め込んで。
たまに爆弾を仕掛けるくらいは、許されるだろう。

紡錘形のレモンエロウ。
世界に紛れ込んだ異物。
日常を継続するための、不発弾。


にほんブログ村 にほんブログ村へ

クリックで、あなたの「見たよ」を教えてください。


梶井基次郎「 檸檬 」より。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.01.19 00:00:16
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: