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2022.06.08
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テーマ: 読書(8220)

本のタイトル・作者



わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について [ アリソン・ウッド ]

"BEING LOLITA : A Memoir"
by Alisson Wood

本の目次・あらすじ


17歳だった「わたし」は、自殺願望と自傷行為で医者にかかっていた。
鬱。気分障害。不眠症。薬物治療。
高校二年生でまったく学校へ行けなくなり、三年生で支援スクールへ転校。
そして普通学校でもう一度高校三年生を過ごすことになる。
書くことで自分を解放していた「わたし」は、文章指導にニック・ノースという27歳の英文学教師を付けられる。

教師と生徒。大人と子供。ロマンティックな秘密の恋愛。
それは「わたし」が18歳になっても、大学へ進んでも続いた。
「わたし」がそれは愛ではなく、依存と支配、暴力に満ちた虐待だと気付くのは、それからもう十年も先のことになる。

第1部 ニンフ
第2部 囚われの身
第3部 解剖

引用


わたしの身体はどんどんわたしを裏切っていった。丸みを帯びていくヒップ、月経、膨らんでいく乳房に現れた紫のマーカーのような肉割れ。そういった変化とともにわたしを見る男性の目も変わっていった。もしそれが「力」だとしても、子どもの身体と引き換えに手にする価値があるのかわたしにはわからなかった。わたしは子どもの安全地帯と性の力を同時にほしがっていた。どちらも手放したくはなかったのだ―――人生でも身体でも。


感想


2022年141冊目
★★★

著者は、作家であり英文学講師。これは初作品にして、メモワール的自伝。
翻訳は『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』の服部理香さん。

私は男性の方がうんと年上の、大人と子供の恋愛、歳の差モノに抵抗がない。
先生と生徒の話なんて、少女漫画で山ほど読んだ。
紫の上系(自分好みに育て上げる)BLなんかも大好物。

愛があれば年の差なんて―――というわけだ。

少女の側から見れば、それはロマンチックな物語。
はやく一人前になりたい少女は、大人である相手から求められることで承認される。
私は大人なのだ、と自尊心が満たされる。
でも違う。


そして、当時の自分の写真を見返して思うのだ。
大人ぶって、じゅうぶん大人として通用していると思っていた。
けれどそこに映っていたのは―――痛々しいまでに孤独な目をした「子ども」だった。

その時の傷ついた彼女が求めていたのは共感者であり導き手であり、そこに付け込んで彼女の未熟さを食い物にする男ではなかった。
その教師は、彼女の脆さを、幼さを、利用しただけだ。
罠にとらえ、檻に閉じ込めるように。
自分の物語を、憧れの『ロリータ』の世界を彼女に押し付けて、縛り付けた。

君は未熟だ。不完全だ。間違っている。欠陥を抱えている。
僕の方が君より賢い。大人の僕が言うことは正しい。
僕に従え。僕の言うことを聞け。

偏執的なまでにナボコフの『ロリータ』に拘泥する教師。
ハンバートが彼の手本であり、彼女は彼の「ロリータ」だった。

作中何度も繰り返し『ロリータ』が登場するので、原作を読んでみたくなった。
ハンバートはロリータを本名で呼ばないのだと言う。
あくまでも愛称で、「ロリータ」と言う。
この作品でも、教師ニックがアリソンの名前のつづりを間違える場面があった。
彼にとって彼女は、物語の一部、都合のよい記号に過ぎないのだ、と感じるエピソードだ。

物語の中に生きる間は、自分が何の物語の中にいるか知ることが出来ない。
彼女は大学へ行き、徐々に関係性の綻びに気付いてゆく。

愛だと信じていたものは、果たして愛なのだろうか?
けれどその愛を否定してしまえば、わたしには何が残るだろう?

彼と別れて十五年後、彼女は蝶を買う。
さなぎから蝶へ。子供から大人への変身のメタファー。

私は、子どもの頃のことを思い出した。
小学3年生か、4年生の頃だ。
クラスの担任は大学を出たばかりの若い女性だった。
蝉―――。
初夏の頃だったんだろう。誰かが、蝉の幼虫をクラスに持ち込んでいた。
羽化が始まったところを誰かが触ろうとして、彼女はひどくその子を叱り、そして泣き出した。
私にはずっと後悔していることがあるの、と彼女は言った。

子供の頃、羽化が始まった蝉の羽根があまりにきれいで、手を触れた。
羽根はぐにゃりと曲がってしまい、二度とまっすぐには戻らなかった。
蝉は飛べずに、死んでしまったの。

私たちは神妙な顔でそれを聞き、蝉は教室で翡翠色の姿を現した。
そしてそのまま飛び立って行った。

羽化したばかりの幼虫は、成虫のようであるだろう。
しかしそれは柔らかく、力を加えればすぐに形を変えてしまう。
あるべき姿から、無理やりに。
彼らはまだ、子どもなのだ。

私はこの本を読んでいて、そのことを思い出した。
アリソンはまだ、形の定まらないやわらかな少女だった。
彼女を『ロリータ』にしたのは、彼女の憧れた教師だった。

愛に年齢は関係ないのだろう。
けれどそれは、お互いが大人である場合に限る。

やわらかないきもの。
自分がそれに、いともたやすく力を加えられるとしたら。
簡単に操ることができ、支配下に置くことが出来るとしたら。
人間の嗜虐性の発露。
『ロリータ』はおそらく、そのような文面で読まれるべき物語なのだろう。

アリソンは大学で学び、『ロリータ』の解釈を違った角度から―――不適切な欲望と虐待の物語だと知る。
彼女は初めて、物語の外へ出る。
自分が知らずに演じていた舞台。
その陳腐さと、滑稽さに気付く。
目を覆ってきた嘘が、暴かれる。
「学ぶこと」が彼女を解放する。

演じ手がその役を拒否した時、物語は終わる。
幕は開いたまま、しかし台詞はもはや読み上げられず、相手はぽかんと口を開けるのだ。
そして激昂する。
自分の舞台を台無しにしやがって―――。

彼女が生き延びて今は文筆家をしていて、教師になっていること、ほんとうに嬉しく思う。
彼女は自分の言葉で語る。
ほかの誰かが同じ物語に組み込まれないように、その虚偽を暴く。

彼女は自分の力で飛ぶ。強く。遠くまで。
その羽根が曲がったまま大人になっても。

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最終更新日  2022.12.04 00:07:36
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