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2022.09.22
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テーマ: 読書(8559)

本のタイトル・作者



定年後にもう一度大学生になる 一日中学んで暮らしたい人のための「第二の人生」最高の楽しみ方 [ 瀧本 哲哉 ]

本の目次・あらすじ


はじめに 「学び」そのものが目的になると、大学生活はこのうえなく楽しい
第1章 「二度目の大学生」は第二の人生を豊かにする
第2章 大学生になって新たな自分に出会う
第3章 おすすめは「学部」からの入り直し
第4章 お金・家族・健康のこと
第5章 中高年が大学合格を勝ち取る秘訣
第6章 人生二度目の大学受験体験記


感想


2022年244冊目
★★★

音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む [ 川原繁人 ]
を読んで、やっぱり私言語学すきだなと思って、今もう一度学べるとしたら私はどうするかな、と思って読んでみた本。

著者は、1956年北海道生まれ。次男が北海道大学に進学したとき、56歳で「自分ももう一度大学生になりたい」と思い、受験を決意。
そこから3年、現役生と同じ共通試験(センター試験)を受け、定年1年前の59歳で京都大学経済学部に合格。同大学は、10代の頃に不合格になった大学だった。
36年間勤めた金融機関を辞め、格安の学生寮に住み、息子より年下の若者に混ざって学生生活を始める。
親の介護で休学状態になることもあったが、4年間で120単位(必要数の1.4倍)を取得し、経済学部卒業生の代表として総長から学位記を授与。卒業論文は優秀卒業論文賞を受賞。
現在は大学院に在籍。

いやもう、すごない?
何が一番すごいと思ったかって、社会人入学でもなく、そして自身はすでに大学を出ているにも関わらず、大学院ではなく、またイチから大学を、それも現役生と同じ試験を受けて入るってとこ。
いやもう、私およそ受かる気、せえへんよ。


家から通える北海道の大学ではなく、遠く京都まで単身移住。
はー…すごい。よく思い切れたなあと思うし、家族のサポートと理解もすごい。

本には学費などについても書いてあるけど、国公立は学費が安いので、文系だと月4・5万円。
私大で7万弱。理系だと10万弱の授業料がかかる。
著者は貯金などから支出していたそう。


著者は京都大学の吉田寮(廃墟のような寮。基本相部屋)に入るのだけど、ここがなんと月の寄宿料が400円。
400円…?え?
っていう値段。
入学試験のあとに著者が寮を見学した際、59歳でも入れますかと訊ねたら、

「ここは京都大学の吉田寮です。京都大学の学籍がある人は誰でも入寮できます。人を人種、性別、年齢で差別するようなことはあるはずがないです。そのような考え方をする人には入ってもらわなくてけっこうです」


と案内した寮生が答えたそうだ。うわああカッコイイ。
『宝石商リチャード氏の謎鑑定』の宝石店「エトランジェ」のモットーみたいだ。
寮暮らし描写は、まさに森見登美彦氏の小説のようでワクワクした。私は住むのは無理だけど。
現役生なら、地元の篤志家や財団が「○○県民学生寮」とか作ってくれていることがある(私の先輩はここに入っていた)。

しかし、著者が学生になったことに対して当時報道され、ネットでも話題になったとき、

・59歳から税金を使って勉強しても無駄
・現役の一席(若者の未来)を年寄りが奪った

という批判があったそうで、私はそのこと自体に驚いた。
え、学びは誰の前にも平等に開かれているのではないの?
知を求める人のまえに、それこそ年齢・性別・人種なんて関係ないじゃない?
それこそが学問の扉を開くことであり、大学という名の最高学府の存在意義であり、図書館がこの世にあることの意味なんじゃないの?

確かに、たとえば同じ試験を受けて年配者がほぼ席を埋め尽くすことになるとして(今の試験制度や大学に通うという金銭時間的肉体面のハードルを考えると考えにくいけど)、その場合は若者の取り分を考えなくてはいけないと思う。
けれどそうじゃない現状において、むしろそれは学びの幅を広め、深さをもたらすものとして歓迎すべきことではないのか。
多様性を確保するために、むしろ招いて受験してもらいたいくらいの人材だと思うんだけど。

私が通っていた大学には、地元住民も聴講生として登録できるオープン講義があって、その講座にはお年寄りが大挙して申し込んでいた。
そしてその講義がある日は、彼らはキャンパスの学食で、図書館で、つかのまの学生気分を謳歌しているようだった。
若者たちが「いかに授業に出なくても楽に単位を取得するか」を考えている一方、年配者は「いかに講義の前の座席を確保するか」に心血を注いでいた。
私はそれを冷めて目で見ていたんだよな、当時。
この人たちはこの歳になっていったい何がしたいんだろう、よっぽど暇なのかな、と。

今、私は年を重ねて。
ふたたび「大学で学びたい」と思うなら、いったい何を学ぶだろう。
何でもいいから学びたい、という思いが、焦燥があるのは、何故なんだろう。
知りたい。知り続けたい。知らないことが山ほどあると知った後で。
こんなことして何になるのか、意味なんてないと突き付けられた後で。
何者にもなれないと分かった後で、それでもなお。
諦められない。
若い頃よりも学ぶことを希求する思いがより一層強くなるのは、何故なんだろうね。

著者は、寮に鏡がなく、学生たちに混ざって生活しているうちに自分の年齢を忘れてしまうのだと言う。
オンライン授業で、画面に映し出された自分の顔に、自分の本当の年齢を思い出すのだそうだ。

たぶん、人間の「中身」って、魂みたいなものって、磨かれて行く「玉(ぎょく)」なんだろうな。
肉体はそのいれもの。
若い肉体は薄く、内側の光はギラギラと外側まで透けて見えるだろう。
けれど老いは、内側の光を陰らせても、抑えることは出来ない。
やわらかく光るそれ。

知を求める者の前に、扉はいつも開かれている。
行け。勇んで。もはや小さくない者たちよ。

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最終更新日  2022.12.03 23:37:16
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