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1950年頃、テヘランに生まれる。名門の出で、父は元テヘラン市長、母は国会議員。13歳から海外留学し、欧米で教育を受け、1979年のイラン革命直後に帰国し、テヘラン大学の教員となる。1981年、ヴェールの着用を拒否してテヘラン大学から追放される。その後、自由イスラーム大学、その他で教鞭をとる。1997年にアメリカに移住。1997年から2017年までジョンズ・ホプキンズ大学教授。現在、ワシントンDC在住
私たちの場合、法律は節穴そのものであり、宗教も人種も信条もおかまいなしに女性を虐げた。
奇妙にも、私たちはこうして逃げこんだ小説によって、結局はみずからの現実をーーー言葉にする術などないと感じていた現実を、問いなおすことになったのである。
あらゆるおとぎ話は目の前の限界を突破する可能性をあたえてくれる。そのため、ある意味では、現実には否定されている自由をあたえてくれるといってもいい。どれほど過酷な現実を描いたものであろうと、すべての優れた小説の中には、人生のはかなさに対する生の肯定が、本質的な抵抗がある。作者は現実を自分なりに語り直しつつ、新しい世界を創造することで、現実を支配するが、そこにこそ生の肯定がある。あらゆる優れた芸術作品は祝福であり、人生における裏切り、恐怖、不義に対する抵抗の行為である。私はもったいぶってそう断言してみせた。形式の美と完璧が、主題の醜悪と陳腐に反逆する。
想像力によってつくりだされた偉大な作品は、ほとんどの場合、自分の家にありながら異邦人のような気分を味わわせます。最良の小説はつねに、読者があたりまえと思っているものに疑いの目を向けさせます。とうてい変えられないように見える伝統や将来の見通しに疑問をつきつけます。私はみなさんに、作品を読むなかでそれがどのように自分を揺るがし、不安な気持ちにさせ、不思議の国のアリスのように、ちがった目でまわりを見まわし、世界について考えさせたかを、よく考えてもらいたいのです。
小説は寓意ではありません。授業時間が終わりに近づくと私は言った。それはもうひとつの世界の官能的な体験なのです。その世界に入り込まなければ、登場人物とともに固唾をのんで、彼らの運命に巻きこまれなければ、感情移入はできません。感情移入こそが小説の本質なのです。小説を読むということは、その体験を深く吸い込むことです。さあ息を吸って。それを忘れないで。
255.化け込み婦人記者奮闘記 明治大正昭和… 2023.12.27
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