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2023.05.17
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テーマ: 読書(8290)
書名


牧野富太郎自叙伝【電子書籍】[ 牧野富太郎 ]

引用

草を褥に木の根を枕、花と恋して五十年


感想

2023年104冊目
★★★

NHKの今期の朝ドラ「らんまん」にハマっている私。
竹若妄想が止まらなくて現代二次創作したいと思って現代で設定も考えたんですが、まずは原作(原作言うな)知らんとあかんなと思って読みました。(オタクの発想。)

この本、めっちゃ読みにくかったです。
私は、まるごと一冊御本人が自分の人生を振り返ってお書きになったものだとばかり思っていたので(自叙伝やし)、同じ話が何度も何度も登場するので「またかよ」「その話すきやな!」となりました。
いろんなところに寄稿した原稿を集めたっぽい。
時系列は掲載順に古いもの→新しいものになっているようで、特に前半の読みにくさが、ぱねえ。
教養が、ぱないの!

「植物学雑誌は武士(さむらい)で文章も雅文体で洗練されていたけど、動物学雑誌は町人。幼稚で下手!」というくだりは「おまえ…」ってなった。

そしてこの人幕末のお生まれでもあるし、最初のほうの文章はとっても漢文調。硬い。
時代が下るに連れて平易な読みやすい文章になっていく。
わからない言葉はメモした。





もうね、内容的には「ぼく、賢い。ぼく、天才。ぼくのこと、みんなだいすき!」。
そして何より、「ぼく、植物、だいすき!」。
という、本当に天真爛漫な方。天性の人たらし。

文久七(1862)年生まれ。
土佐の佐川村で生まれ、4つで父を、6つで母を亡くす。
7つで祖父も亡く、唯一の身内は祖父の後妻の祖母のみ。
大店の酒屋の坊っちゃんとして、何不自由なく育つ。

12歳で藩校・名教館で学ぶ。
13歳、小学校開校と同時に入学。15歳で退学。
16歳で小学校の教師に。18歳で退職。
20歳のとき、東京「第二回内国勧業博覧会」のため上京。
23歳で理科大学植物学教室に出入りを始める。



という字面だけ追うと、さぞかし苦労して真面目にコツコツやってきたんだろうなと思うじゃないですか。
違うねんな〜。
もうこの人、めちゃくちゃやねん。

東大教室に生徒でもなんでもないのに通い始め、自分の絵(驚くほどうまい)を印刷するために石版の工場に出入りして印刷を学び(なんでやねん)、何度もものすごい額(当時で何千万円、何億円)を研究のために湯水の如く使い(そのせいで実家の酒屋潰れる)、そのたびにどこかから救いの手が現れてパトロンが全部払ってくれれて万事オッケーなんだぜ★(おいおい)。

天に愛されたとしか言いようがない才能とめぐり合わせ。
本人も自分のことを「植物の精」「植物の愛人」と呼び、この世に植物のことを伝えるために使わされたのではと言っている。
新種発見の好機に恵まれるのもまた、天がこの人を特別扱いしているんじゃないかと思うくらい。
(『動物のお医者さん』の菱沼さんを思い出した…)
そりゃあ、コツコツ研究しても敵わず、人事政治もやっている東大教授たちからしたら、面白くないわな。

とにかく「好き」に邁進し、1957年に96歳で逝去された。
改めて思うけれど、幕末生まれの人が亡くなったの、戦後なんだなあ…。
これはもう、そりゃあ物語のネタにし甲斐があるわなあ!というエピソード満載の方。
(森鴎外さんは植物名について尋ねてきて感心だったな!と言ってる)

東京と佐川を往復していた頃には、まともな音楽教師がいないと自ら西洋音楽を教える(なんでやねん、お前なんやねん)。
関東大震災のときは「もっとちゃんと揺れを感じたかった」と悔しがり、もう一度生きている間に大きな地震が来ないかと期待(好奇心の塊か)。
火山を半分に割りたい、富士山の姿をよくするために、こぶ(宝永山)を取りたいと本気で考える。
富士山爆発しないかなあと夢見る。
日比谷公園全体を温室にして総合テーマパークにしたいけど、動物は糞するから注意しないと…と構想する。
自分が日蓮なら草木を本尊とする宗教をつくるのに…と本気で考える。

せやから、家族は大変ですわ。
とにかく本も多いし植物標本もようけあるさかい、大きい家が入用。
かといって東大の講師にはなったけど初任給くらいのお給金しか長いこと貰われへんし、そんで本人も「体制何するものぞ!」という心意気で研究さえできればいいと思ってるから、常に金欠。借金まみれ。子供は13人もおるのに!!
恋女房の奥さん・寿衛子さんは苦労のし通しだったろう。
何人目かのお産のあと、まだ3日めなのに遠方の債権者に断りにいってくれたというくだり、「いやお前がいけよ」ってめっちゃ思ったわ…。

牧野氏は、寿衛子さんが亡くなったあと、発見した新種の笹に「すえこざさ」と名付けた。
大変だっただろうけど、面白かったのかな。この人といることは。
寿衛子さんは、生前「まるで道楽息子を一人抱えているようだ」とよく冗談を言ってらしたそうだ。
夫婦にしかわからない、愛の形がある。

寿衛子さんは夫の研究費を賄うため、いっときは待合を経営していたのだよ。
私はニュアンスからラブホみたいなことなのか?と思っていたけれど、コトバンクによると

(2)待合茶屋の略。もとは貸席を業とした茶屋。明治以降芸妓をあげて遊興する場所として発展し,政治家などもしばしばこれを使用したから,〈待合政治〉という言葉も生まれた。


というわけで遊興のための貸座敷という意味なのね。

最後は娘さんのお話が載っているのだけど、寝たきりになったお父さんに「この人は寝かしておくことは惜しいんです」と言う。
ひとつの植物で1日でも話が尽きない。
父の話はとてもおもしろいんですよ、と。

戦後は、天皇陛下とも御苑で道道、植物談義をした。
この人の話している映像なり、残っているものを見たいな。
高知県立牧野植物園にも行きたいな。
そうしてこの人のことを知るたび、きっとまた、この人のことを好きになっちゃうんだろう。

めちゃくちゃで、ひたむきで、好きにならずにいられない。
天が遣わした、植物の精。



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最終更新日  2023.05.17 08:24:12
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