ラッコの映画生活

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2007.01.10
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カテゴリ: 日本映画
真昼ノ星空 Starlit High Noon 日正当中的星空
中川陽介
(92min)
那覇・桜坂劇場にて

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なかなか雰囲気のあるいい映画でした。ボクとしては及第点+αといったところ。前に見た『FIRE!』も映画的質感があって好感があったので劇場に見にいきました。今年初の劇場映画鑑賞です。

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ワン・リーホン演じる台湾ヤクザ組織の殺し屋リャンソンは、父が台湾人、母が沖縄・宮古の人という設定。抗争する組織のボスの殺害を終えたリャンソンは、誰にも知られていない沖縄・那覇の隠れ家に一人身を隠している。彼は毎日プールに通って魚のごとくしなやかに泳いでいる。ときどき空を見上げては「ヒマラヤでは空気が澄んでいて真昼に星が見えるという」と、星を探すが、沖縄の空に星の影はない。真昼の星空、それはリャンソンにとっての憧れでもあり、幸福の象徴なのかも知れない。

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このプールの受付担当のサヤ(香椎由宇)。彼女はほとんど言葉を交わすことはないが、毎日泳ぎにくるこの謎の青年に心惹かれている。その様子を見つめる同僚(柳沢なな)。彼女はサヤに憧れを感じていて、サヤの生に自分を同化している。一種の同性愛的な感情をもボクは感じた。

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リャンソンが夜洗濯にいくコインランドリー。いつも土曜には少しやつれ、どこか陰のある由起子(鈴木京香)がやってくる。リャンソンは由起子に心のときめきを感じている。この静かな3人の孤独な人生が交差する物語。

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(以下完全ネタバレ)


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台湾の組織への電話。抗争相手組織のボスを殺して優位に立ち、手打ちをして共存しようとしたが、相手の出した条件は飲めるようなものではなかったと知らされる。リャンソンにはそれが自分の引き渡しであることが想像できた。もう2~3ヶ月身を隠せという指令に、彼は翌日台湾に帰ると告げる。彼は「台湾に帰る。もし空港に来てくれなければ、そのまま沖縄に戻ってくることもないだろう。」と由起子への手紙を書き、その手紙を由起子に届けてくれとプールのサヤに託す。サヤは由起子の働く弁当屋に手紙を持っていくが、由起子が出てくる前に去ってしまい、手紙は捨ててしまう。サヤの目には涙が浮かび、それを見つめる同僚。

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那覇空港で由起子を待つリャンソンだが、彼女は来ない。そして飛行機は飛んでいく。台湾に着くが空港では相手組織をかわし、清掃職員の姿でリャンソンはまた相手を殺す。台湾の山中に身を隠し、登山好きの彼は山歩きを楽しむ。しかし台北では組織抗争の戦争が激しく行われたらしい。

再び那覇、夜のコインランドリー。別れるときにリャンソンは「もう決してあのコインランドリーには行かない。」と言った。いつものように由起子がやってくると、そこにはリャンソンの姿が。由起子は洗濯機を回すと静かにリャンソンの隣に座る。しかしこれは誰の幻想か、夢なのか。それとも現実なのか。それはわからない。白い飛行機雲の線だけの真昼の青空には星影はなかった。

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上にストーリーをネタバレで書いてきて感じたのは、文の出来はともかく、ものすごく簡単に書けたこと。それだけシンプルなストーリーだということだ。その中に3人、あるいは同僚を含めて4人の孤独な生がみごとに語られている。雰囲気だけで何かを感じさせる手法は巧みだと思う。これ以上別に4人の人生を語る必要はもちろんない。だがもう一歩それぞれの心性を感じさせてくれたらもっとよかったのではないだろうか。例えば由起子のことについて言うと、ほんのわずか前の男との別れの場面らしき回想と、庭に投げ捨てられたコップと朽ちたコップの映像などは紹介される。彼女は前の愛で傷付いて、そして今の彼女があるのだけれど、その彼女の心の状態がイマイチ表現されていない。過去に傷付いて今の彼女があるが、その心そのものまで観客の全面的な想像・解釈に委ねてしまうというのはどうだろうか。誤解のないようにもう一度言うと、こと細かに彼女の過去を描け、というのではない。傷付いて孤独なんだぞ~、ってことはわかっても、そしてそういう様子をしているけれど、その彼女の心情があまり伝わってこないし、何よりも観客の空想に発展性がないのだ。別の言い方をすれば発展性があり過ぎる。つまり映画に描かれた彼女が無定形であるために、観客のではない、映画の中の彼女の心の理解を進める意味では発展性がないということだ。こんな不満を感じるのは前日にアントニオーニの 『太陽はひとりぼっち』 を見たせいかも知れない。この映画の中でもモニカ・ヴィッティ演じるヴィットリアの心情は多く語られるわけではないけれど、観客の勝手ではない作中のヴィットリアの心情はひしひしと伝わってくる。目指すものの違いで中川監督はそういうことをしたかったのではないかも知れないが、ボク個人の好みや感想で言えば、そこがもっと感じられる作品となっていたら名作、傑作、一流の作品になっていたような気がして、そこが少し残念だった。



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Last updated  2007.07.05 03:41:50
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