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本日は2月29日、閏日(うるうび)です。今日が誕生日の人は、一般的には100年生きても25回しか誕生日がありません。閏年は、4年に一回の頻度で巡ってくると考えている人が多いかもしれません。しかしその定義は、実は複雑です。基本的に西暦が4で割り切れる年を閏年と呼びますが、100で割り切れる場合は、閏年とはなりません。ただし、400で割り切れる場合は、閏年となります。結果として、400年に97回が閏年となります。ルールが複雑な理由は、地球が太陽の周りを1周する時間(公転周期)が、365日より少しだけ長いという事実にあります。※公転周期=365.242日。その結果、1年を365日とすると、カレンダーと天体の動きが徐々にずれてしまいます。そのずれが少なくなるように、複雑なルールを用いて挿入されているのが閏年なのです。私たちが何気なく使っている暦は、天体の動きを正確に反映させようとした先人の研究結果です。今日という特別な日に、どのような過程を経て暦が出来上がったのか、調べてみてはいかがでしょう。合掌
2024/02/29
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今日は晴天で、穏やかでしたが、ここ大阪府枚方市は、3月に入るというのに、相変わらず寒い日が続いています。世界的にも異常気象といわれますが、これは改善されるのでしょうか?ありがたいことに、日本は四季があり、それでも春夏秋冬がハッキリしています。農作物を作り、日常生活を送る上で季節の移ろいを敏感に感じ取ることを、昔から大切にしています。そこで、太陽の動きを基に、一年を二十四等分して季節を表わす、中国伝来の二十四節気が、用いられるようになりました。「立春」「春分」「立夏」「夏至」「立秋」「秋分」「立冬」「冬至」などはよく知られています。それぞれの季節に、身近には花や果物があり、食べ物も季節に合わせて変わります。季節の変化を詳細に表すため、後に、二十四節気の各節気を、それぞれ三つに分けた、七十二候(しちじゅうにこう)も作られました。七十二候は主に動植物の様子が短い文で表されます。「立春」を過ぎた頃は、春の訪れを感じる「黄鶯睍盶(うぐいすなく)」、五月初旬の「立夏」の頃は、初夏を知らせる「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」など、それぞれの季節の様子が表現されています。二月の下旬の今頃は、草木が芽吹き始める頃の意味で「草木萌動(そうもくめばえいずる)」と表されます。今年で83歳になる私は、春夏秋冬の移ろいや自然の恵みを感じながら、巡りくる季節を穏やかに迎えたいものです。合掌
2024/02/28
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創業当初(1972年)は、オーストリア・ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人経営学者、ピーター・ファーデンナンド・ドラッカーの著書をむさぼり、手にした時は一生懸命読みました。創業したものの、経営者はどのようにしたらいいのかが、解らなかったのです。解らないまま、ただひたすら、モノづくりの工場づくりに突っ走り、日々、問題が起きる度に、その場で判断する毎日でした。仕事に対する認識について、経営の神様と呼ばれるピーター・ドラッカーは、著書『マネジメント』において、次のように記しています。「三人の石工(いしく)の話がある。何をしているかを聞かれて、それぞれが 『暮らしを立てている』 『石切りの最高の仕事をしている』 『教会を建てている』 と答えた」。同じ仕事に取り組んでいても、その捉え方は三者三様であることを例示しています。ドラッカーは著書の中で、「三人目の石工がマネジメントの人間である」と評しているのです。それでは「何のために、その仕事をしているのか」と問われた時、自分ならどのように返答するでしょうか。まずは、「自身に与えられた仕事が、会社や組織の目標と、どのようにつながっているのか? 売上や生産性に、どのように貢献するか?」を考え直してみましょう。一人ひとりが、自身の仕事の目的や、企業目標を、しっかりと認識した時、団結力が深まると共に、より良い成果になって表れるものです。改めて言います、「仕事の目的を明確」にしましょう。合掌
2024/02/27
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人生とは、見方を換えれば、学びの積み重ねではないかと思います。本を読み知識を得ること、職場ではセミナーなどに参加することは、その学びの典型だと思います。自らお金を出して学ぶこともあれば、会社の指示で研修を受けることもあると思います。一例として、会社の指示でマナー研修を受講したとします。そこで大切な事は、学んだ事は、即、実行することです。そこそこのベテランであれば、知っていることばかりで、真剣に聞けないかもしれません。研修後も、何も変わらず、以前のままであれば、研修に出した会社は、どう思うでしょうか。学んだだけで実行しないのでは、理解したとはいえません。学んで得た気づきは、日々行動に移してこそ、理解が深まり、自身のスキルも向上します。研修後は、マナー研修で講師から配布された資料に目を通し、できていない箇所にチェックを入れ、毎日、繰り返し取り組む必要があります。そこで、初めて、周囲の人が自身の向上を評価します。学んだことは、実行することにより、上司の評価も変わるのです。学んだことは実行に移しましょう。合掌
2024/02/26
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日本国内で一日に排出されるゴミの量は、一体どれくらいでしょうか。環境省によると、昨年度の日本のゴミ総排出量は、4,095万トンで、この量は、東京ドーム約110杯分に当たります。さらに、1人、1日当たりのゴミ排出量は890gということでした。近年、ゴミの排出量は、環境保護意識への高まりや、製造技術、ゴミ処理技術の進歩により、減少しています。ピーク時の平成12年(2000年)は、総排出量5,483万トンであり、個人は1,185gでした。それと比較すると、約25%減り、1.4千万トン近くが削減されています。家庭でも、台所と居間と別々に分別処理され、職場では、さらに分別処理が徹底されています。事務所のコピー機の横には、片面の裏紙が使用できるものが、置いてあります。このように無駄を少しでも減らし、さらに再生紙を利用したり、不要な物を他者に譲ったりと、身近なエコ活動に取り組んでいると思います。「このまま捨てるのはもったいない」という意識は「物」を尊ぶ気持ちの表れです。人間が生きていく限り、ゴミが出ることは避けられません。それでも、ゴミをできる限り出さない工夫をすることは大切です。その一つ一つのゴミにも、使命があったことを知り、生活や仕事を支えてくれたことに感謝できるよう、意識を変えていきたいものです。合掌
2024/02/25
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3連休の2日目です。この3連休1日だけの晴れと聞いています。所属ゴルフ場のバースディ特別割引券を使い、1組でゴルフを楽しみました。美しい風景を眺めることや、素敵な服を着ておしゃれすること、美味しい料理を味わうことなどは人生の喜びです。また、趣味に没頭する時間も、至福のひと時と感じる人も多いでしょう。日々、様々なことに喜びを感じると思う人がいる一方で、そうは思わないという人がいるのです。生活する中で何かに喜びを感じるか否かが、人生における幸福の分岐点といえるのではないでしょうか。幸福を感じることの一つに、誰かと「分かち合える瞬間」があります。自身が体験した喜びを人に伝えた時、その嬉しさを相手と分かち合えると、双方ともに喜びが一段と深まります。例えば、家庭や職場で、嬉しい出来事があれば、家族や同僚と語り合ってみてはいかがでしょう。人は、他者と喜びを共有することで、希望が湧いてきます。そして人が伝える嬉しさや楽しさは、必ず周りを明るくするものなのです。今日のメンバーは、1年でゴルフをすることがあるかないかの知り合いでしたが、お互いの人間性が出て、楽しい1日でした。そして、来年の再戦を誓いあいました。合掌
2024/02/24
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2月23日は富士山の日です。富士山がまたがる山梨県と静岡県で、二(ふ)・二(じ)・三(さん)の語呂合わせにちなみ、条例として制定されています。関西から、いきなり東京の証券会社に入社した若い頃、部下想いの課長を中心に度々レクレーションが開かれ、季節の良い頃は、よく富士山に登ったものです。日本一の富士山に、憧れていた自分は、初めての頃、思ったよりもその頂は近くに見え、スカッと晴れた日などは、ウキウキして登り始めたものです。しかし、歩けど歩けど頂上との距離は縮まりません。周囲には、初めての新人で登山をあきらめる人も見受けられ、私自身も疲労はたまる一方で、もうあかんと思いながら登ったものです。そのような時、先導していた先輩の一人が、大きな声で、「一歩一歩、一定の歩調で登るんだ!」と声をかけ続けてくれました。私は言われた通り、一歩一歩、着実に歩いていると、とうとう無事に登頂することができたのです。その時見た、頂上から見える雲海と、ご来光は、何時間もかけて登っただけに、感動もひとしおでした。写真を見て思い出す最近ですが、この時の感動は今も忘れることはありません。さらに、その時、声をかけてくれた先輩のリードから、物事を成し遂げるコツを教えてもらったのです。その先輩も亡くなられましたが、多くのことを学び、その恩は忘れることはありません。合掌
2024/02/23
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私たちは、自分一人では生きていけません。日々、家族や同僚、友人などと接しながら生きています。その接するという行為が、社会をつながりあるものにしています。つながりを通して、様々な情報が、人から人へと、社会全体に伝わっていきます。ある商品の善し悪しの口コミなどは、その代表例として挙げられるでしょう。最近の研究によって、体型も人に、影響を及ぼすことがわかっています。例えば自分の体型が変わると、行動を共にしている知り合いにまで伝わるそうです。父親は、かなりのヘビースモーカーでしたが、濃胸で片肺を切除しました。公務員の兄と証券会社に勤めていた私たち兄弟も、かなりのヘビースモーカーでしたが、それを機に、キッパリと禁煙しました。今思うと、その時、禁煙することができたから、この歳(今年で83歳)まで、生きてこれたと感謝しています。また、幸福感や感情など、精神状態に関わることも他者へ伝達します。職場で、一部の人がモラルに反した言動を行うと、それが職場全体に広がります。そのため、モラルに反した人が多くなることが知られています。逆に、上司が、メンバーを尊重する言動を行なうことで、チーム全体の成績が、向上します。自分の言動は、自分だけに影響を及ぼすわけではありません。知らず知らずのうちに、他者にも伝わっていることを、自覚したいものです。合掌
2024/02/22
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小さい頃は、山陰の盆地福知山で生活し、春休み・夏休みになると、父親の実家・福知山市三和町の本家、それはそれ本当の山の中で生活しました。庭の先は畑で、その先は山でした。一年中、山の幸・山菜に恵まれ、特に秋は、丹波栗や柿、イチジク、グミと、そこら中に食べるものがありました。それよりも町の中の生活している家の周りも、果物が一杯でした。その父親の実家も、小学校の高学年の頃から、運動クラブや勉強で忙しくなり、全く関係がなくなってしまいました。日々の生活の中で、私たちは自然に対し、どれだけ心を向けているでしょうか。「NPO法人・森の蘇り」は、多様な生物の生育を支援するため、自然の営みを学び、過密になった森林の間伐をおこなっています。森林において、上木に対する下木(低木)、及び草本類(茎が木のようにならない植物)「下層植生」の回復を通じて、水源涵養機能を維持し、大雨による土砂の流出防止も目指しています。推進している方法は、枝が重なって地面に光が入らなくなった森で、木の皮を剥ぐことです。これにより、地面に草木が根を張り実を結び土壌が豊かになって生き物の食べ物や住みかとなります。この皮むき間伐を「きらめ樹」と名づけ、女性や子供でもできることとして、活動を呼びかけています。自然を保護する活動は様々あります。その活動を通して、普段使用している物への愛着心や大切さなど、様々な気づきが生じることでしょう。時には、仕事以外でも他人や自然にも喜ばれるような活動をすることで、心の充電をし、明日への活力にしていきたいものです。合掌
2024/02/21
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私は、よく仕事に行き詰まりで悩みますが、そんな時は、前向きに考えようと思い、歩きながら考え・悩みを解決することにしています。大概は良い結果が出ると信じています。世に中には、「休眠打破」という言葉があります。「桜は、その年の夏に、翌年の春に咲く、花芽を出します。秋から冬にかけて、休眠に入った花芽は、冬の間に、低温に晒されて、休眠から目覚めます。」「そして、気温の上昇と共に、成長して花になります。冬が暖かすぎると、開花が遅れることもあり、冬の寒さが厳しいほど、桜は開花の準備を始めるのです。」これは「休眠打破」という自然の摂理から、間接的に仕事との向き合い方を説いた言葉です。苦労すれば苦労するほど、その成果は大きいということです。冬の寒さには、桜を成長させる役割があるのです。人もまた、厳しい環境を乗り越えてこそ、成長するのです。進んで困難なことに、チャレンジしていかなければなりません。これは、日々、仕事に取り組み、毎日が試練の私たちに、教えてくれています。それは、進んで困難にチャレンジしていくことです。「自然は真理の百科事典」ともいわれます。春夏秋冬という季節の移ろいを、味わいながら、人としての生き方も学びたいものです。合掌
2024/02/20
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何もできない私が、31歳で独立することになり、創業当初、一生懸命、読んだのは松下幸之助の本でした。毎月の「PHP」も真剣に読み、特に松下幸之助氏が書かれた部分は繰り返し読み直しました。当時は、日本のカメラメーカーが世界一となり、その写真業界というのは、「カメラメーカー」と、フイルム・印画紙の「感材メーカー」と、「写真用品メーカー」に別れていました。カメラ、感材は難しくて手がでず、写真用品なら何とかなるだろうと思い、暗室用品のイーゼルマスクや、撮影用品・三脚、カメラ機材を入れるカメラケースなら、何とかなりそうと、懸命に勉強しました。自分でも作れそうなものといえば、ベニヤ板にレザーを張り、熱で曲げたハードケースや布製のソフトケースです。それと初めて海外旅行し、空港で見たアルミケースが頭に残っていました。いずれにしても、創業から20年程は、とんとん拍子に成長し、社員旅行も香港、台湾、韓国と、全額会社負担で海外旅行ができ、とにかく順調でしたが、1992~1993年と2年で売上が半減してしまいます。その時に経営の神様といわれた京セラの稲盛氏が主宰する「盛和塾」に入塾し、講話を聴きながら勉強すると共に、まず、稲盛氏考案の小集団部門別採算制度の「アメーバ経営」を導入しました。それ以来の30数年は、「アメーバ経営」が経営指南となっています。現在の経営の柱、<アルミケース>以外に、同じく受注生産の電動アシスト4輪車両「いーちゃりかー」も進んでいます。これが完成すれば、高齢者も働ける会社が実現すると思っています。一刻も早く、免許証がなくても、大人が複数人(3人)乗れる乗り物「いーちゃりかー」の完成を目指します。合掌
2024/02/19
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私は、なぜか仲良しの高校時代の友達が忘れられず、男女を問わず、卒業してから64年経った今も、同窓会や、寒い時と暑い時を除いた毎月のゴルフコンペを、楽しんでいます。同窓会は、人数が減りましたが、九州や四国、東京や北陸と、日本中から集まります。幼稚園、小学校、中学校、高校と大きくなるにつれ、校区が広がり、高校ではほぼ京都府の北部が含まれます。学部も農業科、商業科、普通科、進学科と別れ、クラスが13組もあり、同窓会ではそれがみんな一緒に集まります。そして、各自の仕事がバラバラですから、興味があり、話が尽きません。まったく違う道を歩んできた同窓生が、豊富な人生経験から紡ぎ出される<考え方や言葉>には、目が覚める思いでした。私は、この場でいろんなことを学んだと思います。若くして独立し、事業を始めたものの、社員もパートタイマーも、多くは歳上の人ばかりで、何かとうまくいかず、いつも、イライラ・カッカしている状態が続いていました。 そんな時、この同窓会で、「物事がうまく行った時は、感謝するのが当たり前で、むしろ、物事が思い通りにならなかった時にも、感謝できる人間でなければならない!」と聞いた時です。“自分の思い”と違うやり方を、する年上の人を見て、うまくいかないのは、この人たちのせいとしておりましたが、まず、一生懸命ものづくりをしているその人達に、感謝することを忘れていました。感謝する気持ちができた途端、明るく自分の思いを伝えると、その通りにやってくれました。これこそ、ここに自己向上の鍵があるのではないかと気づいたのです。私は、その時、物事に対する考え方と共に、何事もありのまま受け止めて、自身の糧にしていくことの大切さを学んだのでした。合掌
2024/02/18
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渇水期は川に流れ込む水が減り、普段は見えない川底の石が見えるようになります。そのような景色を「水落石出(みずおちいしいず)」といいます。つい先日ですが、元旦の能登半島地震の報道で、輪島市の隆起して干上がった「波食棚」の映像を見て、その「水落石出(みずおちいしいず)」を思い出しました。実は、この「水落石出(みずおちいしいず)」は、「時期が巡ると、少しずつベールがはがれ、物事の隠れていた実態が現れてくる」という意味で使われます。時折、ニュースで、職場での地位や職権を利用して、不正に手を染めてしまった人が取り上げられます。万国博やオリンピックなど、国として行われる行事等で、必ず事件が発生します。そのような人たちは、恐らく自分が行っていることを、川底に沈んでいる石のように、絶対に人の目に触れることはない、と思い込んでいたのでしょう。しかし、「天網恢恢(てんもうかいかい) 疎にして漏らさず」という老子の言葉があるように、悪しき行いは、いつかは白日の下に晒されるようになっているものです。立場に応じた責任や権限は、その地位にある人に向けられた信頼が前提にあります。その信頼を胸に強く持ち、足をしっかりと地に着けて、常に堂々と清廉を保ちつつ仕事に励みたいものです。私は、創業して2年少しは、金融機関に居た家内に経理を任せ、自分は創業に専心しましたが、その後は、経理は銀行からの出向者を責任者にし、資材購入は資材責任者に任せ、ものづくりは工場長としました。お陰様で、50年が経過し、今は会長として工場の先行きの準備をしています。合掌
2024/02/17
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個人的な意見ですが、最近、日本では、ハロウィンとかクリスマスとか、バレンタインデーとか、外国の習慣ばかりが騒がれ、日本古来の習慣が、軽んじられている感じがします。そんなことから、2月14日のバレンタインデーは書くのを止めていましたが、やっぱり書きたくなりました。元々は海外のキリスト教圏でのお祝いで、恋人や家族、友人などへ気持ちを伝える日となっています。日本では、女性から男性へチョコレートを贈る日として知られています。また、近しい人、お世話になっている人などに渡したりもします。それだけに、チョコレート屋の宣伝という人もいます。海外におけるバレンタインデーでは、チョコレートに限らず、手紙に花束を添えて贈ったり、キャンデー、アクセサリーなど贈る物や方法は様々なようです。また、男性から女性、家族や友人に渡すなど、贈る対象も幅広くなっています。日本には、バレンタインデーに限らず、夏のお中元や冬のお歳暮など、お世話になった人へ贈り物をするという慣習もあります。感謝の気持ちを物として贈ることも大切ですが、感謝や喜びの気持ちを、手紙やメッセージカードに書いて伝えると、心の距離がグッと縮まるかもしれません。2月14日のバレンタインデーだけに限らず、両親、友人、知人などに感謝の想いを伝える機会を多く持ちたいものです。合掌
2024/02/16
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昨日2月14日が、「ふんどしの日」とは知りませんでした。1(ひぃ)2(ふぅ)3(みぃ)4(しぃ)・・・10(とぉぅ)と、語呂合わせで読めることから、2(ふん)月14(どし)日を「ふんどしの日」となったようです。これは、2011年12月に、日本ふんどし協会が「2月14日に、愛する人にふんどしを渡す日」とし、それを浸透させたいと考え、日本記念日協会に申請し、正式認定されたそうです。しかし日本ふんどし協会によると、その歴史は奈良時代から平安時代にさかのぼるといわれています。昔は布が高価だったことから着用できるのは、裕福な人に限られていました。戦国時代には、戦死者の身分を褌の有無で見分けていたそうです。一般庶民に広まったのは江戸時代で、褌は下着を兼ねた仕事着でもありました。大工や物売りなど、多くの人が褌を締めて仕事に励んでいたのです。私は、昭和16年産れですが、子供の頃の海水浴は、父親は晒しの褌ですが、子供の私たちは猿股で泳ぎました。また、褌を締めることは帯や鉢巻きと同様に、催事や伝統行事、戦や勝負ごとの際に、神聖な精神を自分の魂に宿す役割があったようです。昔の絵は、男性が仕事している姿は褌姿です。男児が成人に達したことを祝う催事、「褌祝(ふんどしいわい)」も各地で行われていました。「気持ちを引き締めて事にあたる」という意味の慣用句「褌を締めてかかる」にも、日本人が昔から大切にしてきた精神性が表れています。伝統的なものや風習などの歴史を知り、日本の文化を再発見したいものです。合掌
2024/02/15
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私は若い頃から日本酒で晩酌をします。多くの人が、日本酒はカロリーが高いから、健康に良くない、「晩酌が止められないなら、焼酎の方がいいよ!」とアドバイスをくれますが、82歳の今も相変わらずです。その一方で、健康には気を使う方で、毎朝、体重計に乗り、体重、体脂肪率、BMI、内臓脂肪率、筋肉量、骨量などを記録しています。30年程前ですが、50歳代では、20㎏の減量も体験しました。この時期は、日本酒の新酒が発売される時期であり、晩酌が少し多くなり、3㎏程太っていますが、現在も、平均体重といわれる身長-105を、ほぼ、維持しています。万歩計も常に携帯し、しばらく前迄は、1日、1万歩を実行していましたが、現在は7,000~8,000歩を目標としています。週一のゴルフが出来た時は、目標達成となります。また、体重計の体組成の数値は、常に持ち歩くその年の「DIARY」に記録し、数値の変化が、常に読み取れるようにしています。若い頃、読み漁った松下幸之助、安岡正篤、中村天風、ジェームズ・アレンの言葉で、成功への秘訣の一つに、「始めたらやめない」という実践がありますが、これだけは今も実行しています。一旦やめようと思ったゴルフも、76歳から思い直し、週一ゴルフを心掛けています。以来、年間、55回は超えています。しかし、18ホール、歩くのは無理となりカートに乗っています。それでもゴルフ場に行けば、12,000歩超は、歩くことになります。今年で父親が天国に召された83歳になります。後は母親の90歳が目標です。合掌
2024/02/14
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私は歳を取るに連れ、耳が遠くなり、家内からの話掛けも聞こえにくくなった時点で、補聴器をすすめられ、現在は補聴器を付けていますが、それでも、耳は遠い方だと思います。私たちの身の回りには、様々な音があふれています。それを心地よいと感じるか、ストレスに感じるかで、過ごす気分が大きく左右されます。例えば、事務系の職場内では、不必要な会話、パソコンのキーボ-ドを打つ音、携帯電話の着信音、ドアや引き出しなどの開閉音、足音などは、「ストレス音」といわれがちな音の一部です。これらは、無意識に行っている場合がほとんどでしょう。過度な音はなるべく出さないように、時折、意識してみることも必要です。仕事によっては、音の出る作業があり、音が必要なものもあります。音そのものの良い悪いではなく、音が出る行為に注意を払っていきましょう。また、家庭においても、早朝や夜間のドアの開け閉め、テレビは音響機器、階段を使う際など、音に気を付けて行動するようにしたいものです。音への気づきかいは、周囲の人々に対する「尊敬」「思いやり」の表現でもあります。必要以上に大きな音を立てずに、心地よく過ごしていきたいものです。合掌
2024/02/13
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私は今から55年前、1969年(昭和44年)9月に、28歳で2泊3日の香港旅行を体験し、国内はほぼ一周しましたので、これからは海外だと思い、まず北半球を回りたいと思いました。当時は、日本が世界大戦に負け、戦後復興を実現し、海外旅行の走りだったと思います。まだ、独立前のサラリーマン時代で、社長や重役も海外旅行など経験していない時代です。使用人の私が、海外へ遊びに行き、随分批判され、ブランデーやウイスキーを持って謝りに行きました。その会社は写真用品のメーカーでしたが、私は輸出を進言しフォトキナに出店しました。フォトキナとは、西暦が偶数の歳に、2年毎にドイツのケルンメッセで開かれ、カメラ・写真機材をはじめとした世界一の映像関連総合見本市です。私は責任者として2年毎に1週間ドイツのケルで過ごしました。ドイツ人の7ヵ国語をしゃべる女性を通訳に、海外客から見積り依頼されたその夜に、図面を書き、原価を計算し翌日見積書を提出し、注文を取りました。創業当初は、輸出が主の仕事でした。その時に、麺料理をズルズルと食する者がいて、ドイツ人の通訳から、「この国では、麺類を、音を立てて食べるのはマナー違反ですよ!」と、私にそっと注意がありました。「郷に入っては郷に従え」という諺があります。その旨、会社の者に伝えると、彼は素直に聞き、「親からも再三注意されました。ここは海外、この地の風習に従い注意します!」とのことでした。私たちが働く職場においても、同じ仕事でも、相手のやり方の違いに戸惑う場面があると思います。そうした際に、自分のやり方を貫くことだけが、正解ではありません。その場で長年積み上げられてきた習慣には、それなりの理由があるからです。水の流れのように、その場に自分を合わせながら、柔軟に仕事を進めていくことも大切でしょう。合掌
2024/02/12
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冬場に欠かせない果物と聞いて、みかんを想像する人は多いでしょう。みかんは子供でも簡単に手で皮を剥けて、種がなく、食べやすいのが特徴です。値段も手頃で、お茶の間の定番となっている家庭もあるようです。温州(うんしゅう)みかんの場合、生産農家は10ヶ月から12ヶ月にかけて、最も作業が多くなる繁忙期を迎えます。天候を見極めながらも、一斉に収穫しなければならないため、人出を多く要します。みかん畑は山の傾斜地にあることが多く、機械を導入することが困難なため、実の間引き作業である摘果や収穫作業は、手作業が多くなります。1年を通じて、剪定、花が咲いたら摘果、季節ごとの農薬散布など、仕事は多岐にわたります。みかん以外にも、私たちが普段口にしている食べ物は、生産者が精魂込めて作り上げていることを知り、感謝を向けることが大切です。みかんや食料に限らず、衣料や住環境など身の回りのものすべてが、多くの人のお陰で成り立っていることを再確認しましょう。合掌
2024/02/11
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日本には、昔から「良薬は口に苦し」という言葉があります。<優れた効果を持つ薬の中には、苦くて飲みにくいものがある>ということです。子供の頃は、体の調子が悪くなると、何かにつけて、家にある「毒掃丸」を飲んだものです。そして、それが<苦ければ苦いほど、効き目が良い>と思ったものです。まさに、良薬は口に苦し、普段、病院に行き、医者に世話になるということは、大怪我をした時くらいで、まず、医者に診てもらうことはありませんでした。当時、病院に担ぎ込まれ、医者の世話になるということは、大病で、タブーとされていました。病気になると、<移る>と言われ、みんなから避けられたのです。“良薬は口に苦し”に戻りますが、この言葉を仕事の場に持ってきますと、職場で上司や先輩から、<叱責や指摘>があった際に、それを<良薬>と受けとめられるかです。「細かいことを言いやがって」と腹が立っていませんか?ここに、その人が成長するかどうかがかかっています。是非、良薬と受けとめ、周囲の声に耳を傾ける素直さを、大切にして、仕事を通して成長したいものです。合掌
2024/02/10
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先週の2月3日が、節分でしたが、「節分」について、是非、書きたいと思っていたことがあり、1週間遅れで書きます。節分と言えば、職場や自宅で「豆まき」をする人もいるでしょう。「節分」とは季節を分けると書くように、翌日の「立春」を1年の始まりとする旧暦から生まれた、呼称です。豆は「魔を滅する」に通じるところから、豆まきは無病息災を祈願して、一年の穢れを祓い清める慣習です。かつては一家の主人か年男たちが豆をまきました。今はその主人が、鬼の役になって、子供たちのまく豆から、逃げ惑う姿も見られます。「福は内、鬼は外」と言って、福(幸運)を呼び込みます。追い払おうとしても、苦難は湧いてくるものです。それを乗り越えた時に、幸せがもたらされるという観点から、自分のうち(内面)に向けて、「鬼は内、福は外」と、豆をまく人もいるそうです。「お福分け」という言葉があるように、「福は外」と叫んでみると、苦難を嫌う気持ちが薄れるかもしれません。合掌
2024/02/09
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仕事やプライベートにおいて、急な仕事を頼まれたり、思わぬトラブルで時間に遅れるなど、予定外の出来事はつきものです。そこで、これを避けるのではなく、これをいかに前向きに対処するかです。会社でも、上司になるほど、部下からトラブルの処理などを相談されると、自分の仕事はさておき、まず部下のトラブルを処理することです。仕事とは、目の前のトラブルを前向きに処理することにより、それが良い結果を生むことで、いい仕事となります。上司になればなるほど、多くの人のトラブルを前向きに処理することです。仕事ができる人ほど、多くの人からトラブルが持ち込まれます。それは、その人に、それなりの処理能力があることと、そのトラブルについての知識があるからです。予定外の出来事やトラブルがあっても、常に、前向きに受け止めて、対処できるからです。そういう人が、本当に仕事ができる人です。新たな展開が可能かどうかの分かれ道になるのは、心の持ち方です。トラブルの要因を追求するだけではなく、積極的に対処していくことも必要でしょう。合掌
2024/02/08
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4年程前のコロナ禍から、特に若者を先頭に、中年や年寄りまで、個別に食事をすることが多くなったように思います。会社でも食堂ではなく、それぞれが、それぞれの場所で、食事をしています。しかし食事は、生命の維持や、健康で幸福な生活を過ごすために、欠かせないものです。今日は、食のあり方について考えてみます。厚生労働省では、適正体重を維持するための栄養状態、栄養素(食物)接種レベルの課題を解決し、目標を達成していくためには、国民一人ひとりが食行動を変更することが必要、と呼びかけています。その一つに、「一日、最低一食は、きちんとした食事を、家族など、二人以上で、楽しく、三十分以上かけて摂る」ことを、推奨しています。家族や友人・知人など、大切な人とコミュニケーションを取りながら食事をすることを、日々の楽しみにしている人はいるでしょう。しかしながら、現代社会では、一人で食を摂ることが多くなりがちです。そのような時は、昼食を職場の同僚と一緒に食べる、サークルの仲間と夕食を共にするなど、意識して食のスタイルを変えてみましょう。昔、アクテックは、可能な限り、半年に一回は全員で食事をしました。足を運び、顔を合わせ、言葉を交わし、心をつなぐ、など、ひと手間をかけることが、自分だけでなく、相手と楽しく食事をする秘訣かもしれません。私は、朝は6時起きで、夫婦で食卓を囲み、夜は晩酌を楽しみながらゆっくりと食事を楽しみます。そして昼食は会社の弁当を取ります。毎日、1日3食、きっちと食事をとります。合掌
2024/02/07
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今年で83歳になる今も、奥歯以外は自分の歯で生活ができています。丈夫な歯に育ててくれた両親に感謝すると共に、私は、夜寝ている間に歯ぎしりをするようで、奥歯はほぼ臼状です。歯医者に勧められ、マウスピースを嵌めて寝ますが、日常生活で、食べたり飲んだりするときは自分の歯のままです。私は四人兄妹ですが、すべて歯だけは同じく自分の歯で皆丈夫でした。もうひとつ歯医者から言われたことは、「サメの歯は何度も生え変わりますが、人間の歯は、永久歯に変わると、二度と生えてきませんよ」と言われ、歯を大切に手入れするよう注意されたのです。しかし、このように歯について書いたり考える時は、丈夫な歯に育ててくれて両親に感謝したりしますが、手入れについては、これといって意識していることはありません。あるがままです。実は、口の中は、歯だけでなく歯茎や口の中の病気(口腔炎)が色々とあります。私は、毎朝、歯を磨いているだけですが、歯茎も丈夫ですし、口腔炎も何もありません。もう歯医者に行くこともないかもしれませんが、これまで、自分の体の手入れについては意識せず、今日まで元気にこれたことに感謝しかありません。しかし、その場その場で、対処することの大切さを、改めて痛感しました。合掌
2024/02/06
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私の時代(昭和16年産れ)は、会社の就業時間はそっちのけで、朝早くから夜遅くまで働くのが、普通でした。そして、仕事が終われば、みんなでワイワイとお酒を飲むのが毎日のことでした。今は、働き方改革とかで、会社に出社するのも、8時から8時25分の間になっています。早くても、遅くてもいけないのです。出勤が集中しますので、自転車置き場などはかなり混雑します。弊社の労働時間は、8時30分から17時30分迄で、9時55分~10時迄の5分間がタバコ休憩、12時~12時45分が昼食休憩、そして14時45分~15時迄の15分間が休憩時間。そして、パートタイマーの方は、16時30分迄の7時間勤務で終わりです。他に、午前中や、午後からのパートタイマーの方もおられます。それこそ、働き方改革で様々になっています。出社時間だけでなく、終業時間もかなり厳しくなっています。昔は、ダラダラと仕事をしていたと思いますが、今は、それぞれの部門で、仕事の量がはっきりしており、時間が来れば、きちっと終業します。できるだけ短い時間で、より多くの成果を挙げるのが目標となっていますが、しかし、“言うは易し、行うは難し”が、現実ではないでしょうか。合掌
2024/02/05
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今日は立春です。若い独身の頃は、毎月、静岡県を訪れていました。この時期、仕事を兼ねて伊豆半島の先・静岡県加茂郡河津町に行けば、早くも河津桜を見ることができました。この河津町では、毎年2月上旬から3月上旬までの約一か月間、「河津桜まつり」を開催し、期間中、およそ百万人もの見物客で賑わいます。日本でもっとも有名な品種の「染井吉野」は、見事な花を咲かせつつも、満開から三日ほどで散り始めます。一方の「河津桜」は見頃の期間が約一ヵ月と長く、本州一早咲きの桜として知られています。河津の桜は、一人の町人が河津川沿いで、雑草の中に、芽吹く桜の苗木を偶然見つけ、自宅の庭に植えたことが始まりです。その華麗で淡紅色の花に魅せられた関係者の尽力により、一本の桜が全国に名を馳せるまでになりました。そこには花を愛でる気持ち、<美しい花を多くの人に見てもらいたい>という思いやりの気持ちがありました。単なる「町おこし」ではなく、それぞれの情熱と一体感が結実し、大きな成果を生み出したのです。桜を見るということだけでなく、名所旧跡にかかわる多くの人の働きに感謝しつつ、日本の風情や文化を楽しみ、後世にも伝えていきたいものです。合掌
2024/02/04
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物事がスピードを上げて変化していく現代では、次々に出てくる新しい考え方や、やり方に、素早く対応しなければなりません。しかし、早さを求め過ぎて、先のことばかりに心を向けていると、今が充実しているということを感じられなくなります。そこで大切になるのが、仕事から離れる時間を作ることです。すると、仕事に対して<イライラしていたな。心配し過ぎていたな>とわかってきます。また、悩んでいることがあれば、解決するヒントが見つかるかもしれません。社内でも障がい者のOさんは、いつも仕事とは関係のない本を読んで、心を落ち着かせています。また、Kさんは、休憩時間になると、懸垂やスクワッドに挑戦し、軽いスポーツをしています。そして、その時に、行き詰っていた仕事の解決策などを見つけるのです。私は、仕事に行き詰まると、席を立ち、工場内をグルグル回り、体を動かし、気分転換をしていると、ポッと、アイディアが浮かんでくるのです。そして、行き詰っていた解決策を見つけます。たとえば、山の中に入ると、山が見えなくなりますが、遠くから見れば、よく山が見えます。 仕事から離れて何かに没頭することは、それと同じなのです。自分の仕事の状態を外から見て、さらに充実した生活を送りましょう。合掌
2024/02/03
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2030年までに世界の経済・社会・環境のバランスを整え、あらゆる貧困に終止符を打とうという SDGs (エスディージーズ:Sustainable Development Goals)が、うたわれて暫く経っています。世の流れに従い、弊社も経営方針にも掲げられ、SDGsに真剣に取り組んでいます。しかしながら、特に、プラスチックゴミの問題は、環境に様々な影響を及ぼしています。プラスチックは軽くて丈夫で加工がしやすく、耐水性もある、とても便利な素材です。その反面、使い捨て用プラスチックの普及による問題が発生しています。特に深刻なのが海洋プラスチックゴミです。海に流れたプラスチックを餌と間違えて、魚や海鳥などが体内に取り込んでしまっているのです。それが食物連鎖を通じて、人の体内にも蓄積しているのではないか、と懸念され始めています。生活の中の様々なものに使用されるプラスチックは、欠かせないものであることは周知のことです。それを使用する私たちが心がけることは、まず、プラスチックを路上や河川などに捨てないことです。プラスチック問題は、一人ひとりが少し意識することで軽減されます。マイバッグやマイボトルを使用したり、「いらないものは、買わない・断る・もらわない」ことを意識して、プラスチックゴミの削減に貢献しましよう。合掌
2024/02/02
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私は、結婚とほぼ同時に起業し、男は外で稼ぎ、女は家庭を守るものと考え、家のことは一切を家内に任せ、自分は仕事一辺倒でした。子供の教育もすべて家内任せで、参観日すら関係なしでした。当時は、増える社員の生活を確保することが、自分のすべてであって、家庭のことは二の次でした。しかし、長男・次男・三男と子宝にも恵まれ、お陰様で会社も順調に成長しました。しかし、それが1991年に最高の売上を記録し、丁度その時、日本ではバブル崩壊と言われバブル経済の崩壊と共に、1992年~1993年と2年連続で3割ずつ売上減少で、年商が半減してしまいます。経営者仲間からは、まず、人員の半減とアドバイスを受けますが、これまで頑張ってくれた従業員の半分を辞めてもらうことは、自分には決断できませんでした。なぜなら生活圏が一緒だからです。休みの日、買い物に出かければ、生活圏が一緒の社員と顔を合わせます。その半分の人に辞めてもらう訳には、私にはできませんでした。そこで決断したのが、アメーバ経営の導入です。しかし、これがまた、みんなから大反対です。会社は赤字の上に、大枚のコンサル料を払ってアメーバ経営を導入には反対ということです。そんなことしなくても、自分たちが頑張るというのです。しかし、経営とは、組織とシステムであり、私は、アメーバ経営の導入を決断し断行しました。会長に退いた今も、お陰様で順調に進んでいます。合掌
2024/02/01
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