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よく90パーセントうまくいくと、「これでいいだろう」と、妥協してしまう人がいます。しかし、そのような人には、完璧な製品、いわゆる「手の切れる製品づくり」は、とうていできません。「間違ったら、消しゴムで消せばよい」と、いうような安易な考えが、根底にあるかぎり、本当の意味で、自分も周囲も、満足できる成果を得ることはできません。営業にしろ、製造にしろ、最後の1パーセントの努力を怠ったがために、受注を失ったり、不良を出したりすることがあります。自分自身の努力を、さらに実りあるものとするためにも、仕事では、常にパーフェクトを、求めなければなりません。子供の頃は、細かいことにこだわり、几帳面でうるさがられ、完全主義者のように言われていましたが、年をとるにつれ、大まかでいい加減なことをするものですから血液がAB型で奇人変人扱いになりました。しかし、再三にわたり、塾長からこのフィロソフィの際、経理部長とのやり取りで誤りがあり、その対応で大騒動になったことや、名門企業の「ベストかパーフェクト」の話を聞き、完全主義の意味がよく分かりました。結論だけを言いますが、我々モノづくり企業においては、最高にいいもの(ベスト)であっても、ちょっとした瑕疵(欠点)、傷があるだけで、全てがダメになり、その商品は納まらないのです。要するに、ベストな仕事をし、ベストな商品をつくっても、その商談は完結しないのです。だから、完璧、パーフェクトでなければならないのです。実際に、完全主義と言っても、人間ですから完全なことなどできるわけはありません。しかし、それでも、完全主義を貫いていこうという意識をもって努力していくことが大切なのです。合掌
2021/01/31
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京セラでは、創業以来、心の通じあえる社員同士の結びつきを経営の基盤においてきました。お互いが感謝と誠意をもって心を通わせ、信頼関係の上にたって仕事を進めてきたのです。コンパやさまざまな行事は、全員が心をひらき、結びつきを強める機会として重要視されてきました。上司と部下の関係であっても、信頼関係のベースがあれば、お互いに本音で言いたいことをはっきり言い合うことができます。それによって、問題点が誰の目にも明らかとなって仕事がスムーズに運んでいくのです。こうした信頼関係を築くためには、日頃からみんなの心の結びつきをつくり上げるよう、お互いに努力することが必要です。49年前、30人、50人と多くの人を集め、創業したのはいいのですが、いろんな年齢・性別、さらに様々な経歴・個性を持った人が集まり、一つの仕事を皆が分担して仕事をするのです。それには、お互いのコミュニケーションをよくする以外にないと思い、まず手掛けたことは、全員参加を条件に、「会食」することでした。それも、皆が鍋や網を囲む鍋料理や焼き肉に決まっていました。最初は、自由席でしたが、メンバーが固まってきましたので、くじ引きで席を決め、会社全体の意志相通を図りました。社員旅行も全員参加をもとに全額会社負担で、可能な限り豪華に行いました。しかし、そうしているうちに、お互いが心を通わせ、信頼関係の上に立ち、仕事を進めていくには、「絆を深める」ということに気がつきました。信頼関係というのは、約束事や取り決めで築けるものではありません。「あの人とは、忌憚なく話し合った」「あっ、あの人とはこの間も酒を飲んだ」「私はあの人を知っているし、あの人も私を知っている」といった単純なことが、信頼関係を築くベースなのです。もちろん、互いに尊敬し合うような高尚な関係もありますが、企業内においては、お互いを知り合うということが、信頼関係の始まりであり、終わりでもあるのです。塾長はそれだけでいいと言われます。そして、そのためにいい方法は、やっぱり、車座になって酒を飲むということです。そしてお互いが忌憚なく、本音で話ができる環境をつくることだそうです。合掌
2021/01/30
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今日からは、京セラフィロソフィの中でも、「より良い仕事をする」ということで、17話ほどがあります。これを、みなさんと共に、勉強していきたいと思います。まず、「仲間のために尽くす」です。人の行いの中で最も美しく尊いものは、人のために何かしてあげるという行為です。人はふつう、まず自分のことを第一に考えがちですが、実は誰でも人の役に立ち、喜ばれることを最高の幸せとする心をもっています。かつて、真冬のアメリカで起きた飛行機事故で、一人の男性が自らが助かるというその瞬間に、そばで力尽きそうな女性を先に助けさせ、自分は水の中に消えてしまうという出来事がありました。人間の本性とは、それほど美しいものなのです。私たちは、仲間のために尽くすという同志としてのつながりをもってみんなのために努力を惜しまなかったからこそ、すばらしい集団を築くことができたのです。盛和塾で私淑した稲盛塾長は、事あるごとに「世のため人のために尽くすことが、人間としての最高の行為である」と言われ、塾生の皆は、心に刻み込まれたと思います。この「仲間のために」ということは、「世のため人のために」尽くすということに比べると狭い範囲の利他行ではありますが、たいへん大事なことなのです。世のため人のために、仲間のために尽くすということは、美しい心が行うものであり、また、それを行うことによってその人の心はさらに美しく、且つ純粋になっていきます。つまり、人格を向上させていくために、たいへん大事な行為であるわけです。このことは仏教で言われる「利他行」にあたります。仏教では、他人のために尽くすという利他の行為をたいへん大切にします。利他を積むことが悟りへの道だと、お釈迦様は説いておられるのです。私は、神には自分の思いを祈り、仏様からは悟りを学ぶものだと思っています。合掌
2021/01/29
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アメリカ人や中国人とは対照的に、日本人が自分の意見を、はっきり主張しないことは、世界的によく知られています。この民族性が築かれた背景には、日本語が色濃く影響していると考えます。私は、若くして外国語はしゃべれませんが、仕事で一人旅をし、北半球だけでも世界一周が目標でした。一応、フォトキナを機会に欧州各国やアメリカ大陸へ、中国やベトナム等、アジア大陸も一周しました。それなりに英会話も勉強し、挨拶や簡単なビジネス英語は、勉強したつもりでしたが、「私は、日本語はしゃべれません」と返され、以来、私は、誇りをもって日本語で対応することにしました。そこで思い出したのは、言語学者・三上章の「象は鼻が長い」で、日本語は主語がなく、会話をスムーズにする主題が中心で、文脈上分かっていることであれば、わざわざ口にしなくていいということでした。松尾芭蕉は「言い仰(おお)せて何かある」(全部言ってしまったら何も残らない)と言っています。英語のように白黒をはっきりさせず、曖昧にして余韻を残す。日本的な侘び寂び精神そのもので無常観です。そこで思うのですが、争いのない、平和な世界を実現するためには、この曖昧さが必要ではないでしょうか。主語・動詞を明確にしないのですが、「共感力」というのか、同じ目線で、物事を理解しようとする力です。外国人で、日本語教師や日本語学習者の間では、昔から「日本語を学ぶと性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかになる」といわれていますが、その日本語の原因がここにあるのではないかと思うのです。「寒いね」と話しかければ、「寒いね」と答える人のいる暖かさ、「おはよう」と同様、短歌には「寒いね」と話しかけた人も、答えた人も登場しませんが、同じ方向を見る光景に「共感」しているのです。反面、英語は必ず主語・動詞を必要とするため、「I LOVE YOU」という短い文中にも「私」と「あなた」を登場させて、自分の意見を明確に相手に伝えています。基本的には上から目線になります。広島の平和記念公園の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。「過ちを繰り返さないと誓っているのは誰か」と議論されますが、「誰の過ちか」が明らかにされていないのです。沖縄県糸満市の平和記念公園の慰霊碑には、沖縄戦で亡くなったすべての方の名前が刻まれ、敵国アメリカ兵の名前もあります。こんなことは、世界中の他国ではあり得ないと思います。日本語は、肝心のところが不明確ですが、お互いが、「共感」し合える言葉なのです。私達は、すばらしい日本語で、コミュニケーションを取っています。大切にしたいと思います。合掌
2021/01/28
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難しいフィロソフィの話はチョッと休み、今日はほんのりとしたお話です。精神障がい者の就労支援を始めた30年前、私は、精神科の先生やこれまであったことがない人や書物に出会いました。丁度その頃、売上が2年で半減し、会社経営でもどん底に落とされました。そんな時、龍村仁監督の地球交響曲の自主上演会を支援した縁で、「渡辺和子」という人を知ることになります。その著書「置かれた場所で咲きなさい」を読んで、私は救われるのです。「置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり、不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。」「人間として生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは『私が変わる』ことによってのみ可能でした。」それまでの自分は、売上半減の理由探しやその対策、そんな環境の中での障がい者の就労支援を始めたものですから、そんな自分を責めまくる日々が続いていました。それがこの一文で、これまでのことは、全てが自分の責任と受け止め、心がすっきりと晴れ渡るのです。信じられませんが、会社の方も、誰一人解雇することなく、業績が回復し、今日があるのです。もう少し、紹介します。「置かれたところこそが、今のあなたの居場所です。時間の使い方は、そのままいのちの使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。」「雨の日、風の日、どうしても咲けないときは、根を下へ下へと伸ばしましょう。」「次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。」合掌
2021/01/27
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正月だから、思いを実現したい願い、半世紀前に書かれた幸之助翁の言葉や、京セラフィロソフィを紹介していますが、日本語の素晴らしさを改めて感じます。 次の2つの日本語を、しっかりかみしめてください。 日々を新鮮な心で迎えるために きのうからきょうへ きょうから明日へ 私たちは 日々 新たな世界に生きている 真の自由を求める いきいきとしたこころは 同じ毎日 同じ考えに 人間をとどめはしない この一瞬の新たな発見 きょうは一日の着実な成長が そこに かならず刻まれていくのだ 水のように 流れてやまぬこころと ふかく 地に沁みとおる力をもってすれば 明日の日本の繁栄と平和 明日の自分の幸福が おのずから 秩序ある姿で実現されるにちがいない 運命を切りひらくために この日本の国に 活力にみちた青春をもたらさねばならない 勤労者も 学生も 経営者も 家庭の主婦も あらゆる職業の あらゆる人びとが 自分の殻をぬぎすてて みずみずしい光のなかへ踊り出よう 日本人すべての 平和と幸福と繁栄の道を 躍動する心で 今こそ真剣に考えるのだ 合掌
2021/01/26
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どんな逆境にあっても、どんなに辛くても、常に明るい気持ちで理想を掲げ、希望をもち続けながら一生懸命努力を重ねてきた結果が、京セラの今日をつくったのです。人生はすばらしく、希望に満ちています。常に「私にはすばらしい人生が開かれている」と思い続けることが大切です。決して不平不満をいったり、暗くうっとうしい気持ちをもったり、ましてや人を恨(うら)んだり、憎(にく)んだり、妬(ねた)んだりしてはいけません。そういう思いを持つこと自体が人生を暗くするからです。非常に単純なことですが、自分の未来に希望をいだいて明るく積極的に行動していくことが、仕事や人生をよりよくするための第一条件なのです。不思議なことですが、人生がうまくいっている人は必ず明るい心を持っています。心根が暗く、不平不満ばかりこぼしているようでは、決してすばらしい人生を歩くことはできません。もちろん、誰にも負けない努力をするという「根性」は必要です。その上で、自分の未来、自分の人生は、きっと素晴らしい幸運に恵まれているはずだと、常に信じることが必要なのです。けれども、自分の未来は幸運に満ちている、自分にはすばらしい人生が待っていると思いなさいと言われても、この先、何が起こるかも分からないのに、そんなおめでたいことが思えるかと思われるかもしれません。しかし、そうではないのです。 誰にでも明るい人生が開かれているはずなのです。まずそのことを信じ、誰にも負けないような努力を重ねていけば、必ずすばらしい未来が待っています。要は信じるか信じないかの問題です。自分の人生はすばらしく明るいと信じて、困難、苦労、苦難にめげず、未来を明るく描いていく。厳しい現実の中でつい負けそうになる自分を励ましながら、明るく振る舞っていく。そのような姿勢こそが、人生をひらいていくのです。合掌
2021/01/25
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昨日は、最後に夫婦の話しでしたが、今年は丑年であり、我が家は、母親と家内が丑年でした。病院を好まぬ両親を、根気よく自宅で介護し、二人とも、あの世へ送ってくれました。私は、会社経営に専念することを理由にし、家庭のことは、いっさい家内任せでした。家内は、子供3人の育児だけでなく、私の両親まで世話になり、結婚50年、感謝の念しかありません。中国では、昔から十干(じっかん)と、十二支(じゅうにし)を組み合わせ、60を周期とする数を表し、年や月、日、方角を表していました。それが日本に伝わり、いつしか、生まれ年の動物になりました。本来十二支は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」で表示されていましたが、子が鼠になり、丑が牛、寅が虎、卯が兎というように、動物と同一視するようになってしまいました。なかでも丑年と言えば、かつては農耕仕事には絶対必要とされ、農耕民族・日本では貴重に扱われました。歩くスピードは速くないものの、忍耐強く、力仕事をこなし、農家にはなくてはならない動物でした。故に、丑年と言えば、コツコツと努力し、根気強い人と言われるようになったのです。我が家は、それこそ丑年に助けられ、感謝・感謝しかありません。合掌
2021/01/24
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社内の人の和がないと、お客様に喜んでいただけるものはつくれません。なぜなら製品にはそれを作る人の心が反映されているからです。ところが「オレがオレが」といった利己的な考え方では、社内に和をつくっていく事はできません。私達が今日あること、そして存分に働けることは、お客様や取引先はもちろん、職場の仲間、家族といった周囲の多くの人々の支援があるからこそです。決して自分達だけでここまでこられたわけではありません。このことを忘れず、常に周囲への感謝の気持ちをもち、お互いに信じあえる仲間となって仕事を進めていくことが大切です。お互いに信じ合える仲間となって仕事を進めていくためには、常に周囲への感謝の気持ちを持つことが大切です。自分自身の気持ちの持ち方ですから、このことは人生を生きていく上で最も大切です。「感謝をする」ということは、自分自身型の存在に対して、へりくだらなければ、感謝という心は出てきません。へりくだるとは、相手を敬って自分を控え目にする、謙遜するということです。厳しい環境の中でも、なんとか会社を経営していけるのは、従業員の協力があってのことですし、お客様から注文がいただけるからでもあります。このように、「周りの人のおかげで、こんにちの自分はある」という気持ちでへりくだり、感謝の気持ちを持ち続けなければなりません。話は変わりますが、昨日は1月22日、語呂合わせから「いい夫婦の日」だそうです。夫婦の良好な関係は、一家の健康、発展と、もろもろの幸福を生み出してくれます。社会を形成する最小単位である家族、夫婦のあり方の重要性とその影響は、子供の成長や地域社会の発展へと及ぶでしょう。夫婦・親子と家庭で良好な関係性を築き、職場や学校・地域へとその関係性を広げていきたいものです。たまにはお互いを振り返り、夫婦でいたわりの目を向けたいものです。合掌
2021/01/23
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世の中が豊かになるにつれて、自己中心的な価値観を持ち、自己主張の強い人が増えてきたといわれています。しかし、この考え方ではエゴとエゴの争いが生じ、チームワークを必要とする仕事などできるはずはありません。自分の能力やわずかな成功を鼻にかけ、傲慢不遜になるようなことがあると、周囲の人たちの協力が得られないばかりか、自分自身の成長の妨げにもなるのです。そこで集団のベクトルをあわせ、良い雰囲気を保ちながら最も高い能率で職場を運営するためには、常にみんながいるから自分が存在できるという認識のもとに、謙虚な姿勢を持ち続けることが大切です。これまでの世界は、米国のトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席の3人と、この3人に近づく周辺国家の責任者達により、世界が振り回されているように思います。世界各地で強権・独裁的な政権が勢いを増し、さらに、コロナのパンデミック(世界的大流行)が、後押ししているようにも感じます。独裁権力は、情報を統制し、強制的に人の移動を管理できます。強権政治の背景には、民衆受けするポピュリズムがあり、自国第一のナショナリズムが生まれ、グローバリズムを否定し、自国だけの安全・経済の成長・発展を図るようになります。この動きを証明するように、米国にトランプ大統領が生まれ、世界の先頭を切って、民主主義・グローバリズムの旗を振っていたはずの米国が、自国第一主義に転じてしまうのです。トランプ大統領は、移民・難民問題や中間層の困窮などで、国内を分断し、不満の声を吸い上げ、平気で国同士の対立をあおり、民衆を扇動したのです。しかしそのトランプ大統領も自滅してしまいました。稲盛塾長のフィロソフィは、短い文章の裏に、深~い意味があります。「常に謙虚であらねばならない」、しっかりと胸に刻み込みたいと思います。合掌
2021/01/22
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素直な心とは、自分自身のいたらなさを認め、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。とかく能力のある人や、気性の激しい人、我の強い人は、往々にして人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発するものです。しかし、本当に伸びる人は、素直な心をもって、人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることのできる人です。そうした素直な心でいると、その人の周囲には、やはり同じような心根を持った人が集まってきて、ものごとがうまく運んでいくものです。自分にとって耳の痛い言葉こそ、本当は自分を伸ばしてくれるものであると受け止める謙虚な姿勢が必要です。以上が、稲盛塾長のフィロソフィですが、1972年、32歳で起業し、先人の経営者に学ぼうとした時、一番、心に響いたのは、松下幸之助翁の「素直な心になりましょう」です。以下に紹介します。素直な心になりましょう素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします。お互いが素直な心で人生を歩み、日々の活動を営んでいくところから、万物の王者としての偉大な人間の本質もあらわれ、共同生活の向上、一人ひとりのより豊かな幸せももたらせてくると思います。素直な心とは、何ものにもとらわれることなく、物事の真実を見る心です。私心、私利私欲にもとらわれず、物事のありのままを見、物事の実相を明らかに見る心です。そして、広い寛容な心、他に耳を傾ける態度にも通じる心です。お互いがこの素直な心になれば、物事の実相に従って、何が正しいか、何をなすべきかということを、正しく把握することもできるようになると思います。したがって、いっさいの物事がスムーズに運び、つねに和やかな明るい姿を保ちつつ、日に新たな好ましい成績を生み出すといった姿ももたらされてくるでしょう。もしも素直な心がなかったならば、それぞれがとらわれの心を持つために衆知も集まりにくいと思います。また感情や、私心にとらわれて、独善におちいりがちとなって、そこにさまざまのムダや非能率、争いの姿を生じさせることにもなりましょう。そこには物事の進歩向上もみられませんし、お互い一人ひとりの幸せを損なうことにもなりかねません。ですから、お互いに、この素直な心を養い高めて、ゆくことがきわめて大切です。そのためには、まずこの素直な心になることを、強く願うとともに、素直な心にあるためのあらゆる工夫、実践を心がけ行ってゆくことが肝要だと思います。お互いに素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にし、よき社会をもたらし、一人ひとりの幸せを生み高めてゆくでありましょう。合掌
2021/01/21
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お正月ですから、心が晴れ晴れとし、夢を持って前進できるような文章を紹介しています。幸之助翁の言葉が続きましたので、次は稲盛和夫塾長のフィロソフィを5点ほど紹介します。きれいな心で願望を描くきれいな心で描く願望でなければ、すばらしい成功は望めません。強い願望であっても、それが私利私欲に端を発したものであるならば一時的には成功をもたらすかもしれませんが、その成功は長続きしません。世の道理に反した動機に基づく願望は、強ければ強いほど社会との摩擦を生み、結果的には大きな失敗につながっていくのです。成功を持続させるには、描く願望や情熱がきれいなものでなければなりません。つまり、潜在意識に浸透させていく願望の質が問題となるわけです。そして、純粋な願望を持って、ひたすら努力を続けることによって、その願望は必ず実現できるのです。「本当に、少しぐらいきれいな心で願ったからといって、会社がうまくいくものでしょうか?」。誰もが疑問に思い、実際には、なかなか思った通りには、うまくいかないものだと思います。しかし、「因果応報」というように、実際に人生や経営は、心に思ったことと寸分違わず現れてくるというのです。ただスパンが長く、だいたい三十年くらいのスパンで見ると帳尻が合うはずです。合掌
2021/01/20
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とにかく考えてみること、くふうしてみること、そしてやってみること。失敗すればやりなおせばいい。やりなおしてダメなら、もう一度くふうし、もう一度やり直せばいい。同じことを同じままにいくら繰り返しても、そこには何の進歩もない。先例におとなしく従うもいいが、先例を破る新しい方法をくふうすることの方が大切である。やってみれば、そこの新しい工夫の道もつく。失敗することを恐れるよりも、生活にくふうのないことを恐れた方がいい。われわれの祖先が、一つ一つくふうを重ねてくれたおかげで、われわれの今日の生活が生まれた。何気なしに見のがしている暮らしの断片にも、尊いくふうの跡がある。茶わんの一つ、ペン一本も、これをつくづくと眺めてみれば、何というすばらしい工夫であろう。まさに無から有を生み出すほどの創造である。お互いにもう一度考え直そう。きのうと同じことをきょうは繰り返すまい。どんな小さなことでもいい。どんなわずかなことでもいい。きのうと同じことをきょうはくり返すまい。多くの人びととの、このわずかなくふうの累積が、大きな繁栄を生み出すのである。合掌
2021/01/19
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砂漠に見出す清らかな泉は、旅ゆく人の喜びであり憩いであり、そして励ましである。荒涼たる山野に、毅然として咲き誇る一輪の花は、また旅人へのこよなき慰めとなり励ましとなる。今の世の中が、荒野の如く荒れ果て枯れ果てているとは敢えて言わないが、それでもこのむつかしい時代に、人びとの心は次第に落ち着きを失って、索漠たる気配が感ぜられぬこともない。おたがいに手をつなぎ、助け助けられながら生きねばならぬこの世の中である。人の心が砂漠の如く荒れ果ててはたまらない。せめてわれわれだけでも、清らかな泉のように、毅然たる一輪の花のように、強く正しく働いてゆこうではないか。むつかしいことかもしれないが、自分の仕事に誇りを持ち、自分の働きに意義を感じるならば、わが身の処し方もおのずから見いだされてくるであろう。どんな世の中になっても、あわてず、うろたえず、淡々として社会への奉仕を心がけてゆこう。その姿自体が、人びとにとってすでに大きな励ましとなり、憩いとなるのである。花のように。泉のように。そこにわれわれの喜びもある。信じられませんが、これがもう半世紀も前の幸之助翁の言葉です。日本語で表示された、活字の、文章の、素晴らしさが、胸にジーンときます。合掌
2021/01/18
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26年前の今日、1月17日・午前5時46分は、6,434人が犠牲になった阪神大震災発生の日です。次男が大学受験、三男が高校受験の年でした。震災地にボランティアが駆け付け、阪神地区が一つになって復興に努力しました。このコロナ禍も、あの時のようにみんなが協力して感染を防止したいものです。昨日の「日に三転す」は、幸之助翁の教えですが、もう一方で、私が信奉している稲盛和夫塾長のフィロソフィにも、同じような教えがいくつもあります。今日は、それをご紹介します。人間の無限の可能性を追求する 仕事において新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性を信じることのできる人です。現在の能力を持って「できる、できない」を判断してしまっては、新しいことや困難なことなど、できるはずはありません。人間の能力は、努力し続けることによって無限に広がるのです。何かをしようとするとき、まず「人間の能力は無限である」ということを信じ、「なんとしても成し遂げたい」という強い願望で努力を続けることです。ゼロからスタートして京セラが世界のトップメーカーになったのは、まさにこのことの証明です。常に自分自身の持つ無限の可能性を信じ、勇気を持って挑戦するという姿勢が大切です。続いてもう一つ行きます。 チャレンジ精神を持つ 人はえてして変化を好まず、現状を守ろうとしがちです。しかし、新しいことや困難なことにチャレンジせず、現状に甘んじることは、すでに退歩が始まっていることを意味します。チャレンジというのは高い目標を設定し、現状を否定しながら常に新しいものを作り出していくことを意味します。チャレンジという言葉は勇ましく非常にこころよい響きをもつ言葉ですが、これには裏づけが必要です。困難に立ち向かう勇気と、どんな苦労もいとわない忍耐・努力が、必要なのです。自分たちにはとてもできないといわれた難しいものを作るというチャレンジの連続が、京セラを若々しく魅力ある会社にしてきたのです。合掌
2021/01/17
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私達は、日々前進したいものです。昨日の自分より、一歩でも前に進んだ自分でありたいと願うものです。ところが、幸之助翁は、日々、二転三転する必要があると言われています。日に三転す この宇宙の存在するものは、すべて刻々と動いている。万物流転、きのうの姿は、もはやそのままではきょう存在しないし、一瞬一瞬にその姿を変えつつある。いいかえれば、これはすなわち日に新たということで、日に新たな生成発展ということが、この宇宙の大原理であるといえよう。人間もまたこの大原理の中に活かされている。きのうの姿はきょうはない。刻々と新たな姿が生み出されてくる。そこにまた人間社会の生成発展がある。人の考えもまた同じ。古人は「君子は日に三転す」と教えた。一日に三度も考えが変わるということは、すなわちそれだけ新たなものを見い出し、生み出しているからこそで、これこそ君子なりというわけである。日に一転もしないようではいけないというのである。おたがいにともすれば、変わることにおそれを持ち、変えることに不安を持つ。これも人間の一面であろうが、しかしそれはすでに何かにとらわれた姿ではあるまいか。一転二転は進歩の姿、さらに日に三転よし、四転よし、そこにこそ生成発展があると観ずるのも一つの見方ではなかろうか。合掌
2021/01/16
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私達は、誰もが完全無欠の人間ではありません。それぞれの適性の中でその本領を生かし、たがいに与えられつつ支え合い、大きな調和のもとに、幸福が生み出されているのですそして、私達は、孤立して生きていくことはできません。なんらかの集団に属しており、周りの人に助けられ生きています。今日はそのお話です。~本領を生かす~完全無欠をのぞむのは、人間の一つの理想でもあり、またねがいでもある。だからおたがいにそれを求め合うのもやむを得ないけれども、求めてなお求め得られぬままに、知らず知らずのうちに、他をも苦しめ、みずからも悩むことがしばしばある。だがしかし、人間に完全無欠ということが本来あるのであろうか。松の木に桜の花を求めるのはムリ。牛に馬のいななきを求めるのもムリ。松は松、桜は桜。牛は牛であり馬は馬である。つまりこの大自然はすべて、個々には完全無欠でなくとも、それぞれの適性の中でその本領を生かし、たがいに与え与えられつつ、大きな調和のなかに美とゆたかさを生み出しているのである。人もまた同じ。おたがいにそれぞれに完全無欠でなくとも、それぞれの適正のなかで、精いっぱいその本領を生かすことを心がければ、大きな調和のもとに自他ともの幸福が生み出されてくる。この素直な理解があれば、おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし、人をゆるす心も生まれてくる。そして、たがいに足らざるを補い合うという協力の姿も生まれてくるであろう。男は男。女は女。牛はモーで馬はヒヒン。繁栄の原理はきわめて素直である。合掌
2021/01/15
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昨日は、色々と事情があり、朝一番から、仁徳天皇陵古墳がある堺市内の名所見学に出掛けました。会社から一時間弱であり、昔から仕事で何回も訪れながら、堺の名所旧跡は全く知りませんでした。専門のガイドさんが、三輪自転車でゆっくり説明しながら、市内の名所旧跡を案内してくれるのです。そしてそれは、信長や光秀、秀吉、家康といった戦国武将との関わりが随所で見られるのです。刀鍛冶から堺の包丁といえば、現在でも、海外からも買いに来られます。さらには戦国時代の貴重な鉄砲も、この堺で造られ、それらの名所旧跡が立ち並んでいます。もっとびっくりしたのは、ガイドさんによると何ごとも堺が始まりと言われ、刃物や鉄砲のみならず、千利休がいたようにお茶に始まり昆布、線香といった小物から、銀座や道修町の呼び名も堺が発祥というのです。名所旧跡を基に、話を聞いていると、納得をせざるを得ません。もっとびっくりしたのは、何百年も前の建物が随所にあり、質問すると、堺は建物にこだわった街だというのです。堺では、堺普請(さかいぶしん)という言葉があり、舶来の材木や金銀をふんだんに使い、異国趣味を交えた、まことに豪華な家屋が多かったということです。そして大阪の食い倒れ、京の着倒れに対し、堺では“建て倒れ”という言葉があるそうです。こんな近くにありながら、堺の文化に触れ、時間があればこれからチョクチョク勉強に来たいと思いました。合掌
2021/01/14
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昨日はグッと冷え込み、6時頃からは雪が降り出し、雨に変わりました。外気温は、4~6度あったようですが、どんよりした曇り空に、冷たい風が吹くと、気温以上の冷え込みが身に沁みます。寒い雨空で、パッと出てくるのは、あまりにも有名は、松下幸之助語録の一つ、「雨が降れば傘をさす」です。今日はその一節です。雨が降れば雨が降れば傘をさす。傘がなければ風呂敷でもかぶる。それもなければぬれるしか仕方がない。雨の日に傘がないのは、天気の時に油断して、その用意をしなかったからだ。雨にぬれて、はじめて傘の必要を知る。そして次の雨にはぬれないように考える。雨があがれば、何をおいても傘の用意をしようと決意する。これもやはり、人生の一つの教えである。わかりきったことながら、世の中にはそして人生には、晴れの日もあれば雨の日もある。好調の時もあれば、不調の時もある。にもかかわらず、晴れの日が少し続くと、つい雨の日を忘れがちになる。好調の波がつづくと、ついゆきすぎる。油断する。これも人間の一つの姿であろうか。このことをいましめて昔の人は「治(ち)にいて乱を忘れず」と教えた。仕事にしても何にしても、この道理はやはり一つである。雨が降れば傘をさそう。傘がなければ、一度はぬれるのもしかたがない。ただ、雨があがるのを待って、二度と再び雨にぬれない用意だけは心がけたい。雨の傘、仕事の傘、人生の傘、いずれにしても傘は大事なものである。これを読んでからは、私の外出時のカバンには、どのカバンにも傘が入っています。さらに、私の車には、常に、同乗者の分と2本の傘が、入っています。合掌
2021/01/13
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今朝は、大阪枚方市でも雪が舞いました。関西でも緊急事態宣言が追加されるようですが、今週は仕事で少し移動します。コロナには出会わないよう、そっと隠れて行動しようと思っています。また正月飾りの話になりますが、近年は飾らない家が増え、飾ったとしてもいつ外すかについては、全くマチマチになりました。関西は、15日間が“松の内”であり、昔は成人式の日に“どんと焚き”をしました。ところが、その成人式が、一月第二月曜日となり、何日なのか分からなくなりました。関東では、1月7日迄が松の内です。さらに関西でも自宅でどんと焚きをしない家は、お寺なり神社に返しに行ったものです。いずれにしても、そろそろ松の内は明け、仕事が本番に入ったようです。ブログは、新年ですから、日々を新鮮な心で迎えるためのブログです。「人事をつくして 天命を待つ」という言葉がある。まことに味わい深いことばである。私心にとらわれることなく、人としてなしうるかぎりの力をつくして、そのうえで、静かに起こってくる事態を待つ。それは期待どおりのことであるかもしれないし、期待にそむくことであるかもしれない。しかしいずれにしても、それはわが力を越えたものであり、人事をつくしたかぎりにおいては、うろたえず、あわてず、心静かにその事態を迎えねばならない。そのなかからまた次の新しい道が開けてくるであろう。こうした心境の尊さを人みなが知り、その境地をかみしめつつ、それぞれの人が、それぞれのつとめをつくしたらならば、この世の中は、もっと静かになるかもしれない。天命とは、これだけのことをつくしたから、これだけの結果が与えられるという、そんな計算の成り立つものではない。まして、私心多くなすべき人事もつくさずに、いたずらに都合よき成果のみを期待するのは、天命を知らざること、はなはだしいといわねばなるまい。目まぐるしい利害の波の日々の中ではあるけれども、時におたがいに<三省>してみたいものである。三省:1日に何度も自分の言行をふりかえってみて、過失のないようにすること。もともと、「論語」学而の「吾日に吾が身を三省す。 人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと」から合掌
2021/01/12
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今年で16年間、毎日、「社長日記」を書き続けていますが、せめて、正月くらいは、お読みいただいているみなさんが、"心新たになるようなこと"が、ないものかと思っています。今日はその二日目、自分の身なりは、鏡の自分を見て直すことができますが、自分の心、特に、心のゆがみや、自分の考えやふるまいの誤りを、どう自覚しそれを治すかということです。心の鏡自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。鏡は正直である。ありのままの姿を、ありのままにそこに映し出す。自分のネクタイは曲がっていないと、頑固に言い張る人でも、鏡の前に立てば、その曲直は一目瞭然である。だから人は、その過ちを認め、これを直す。身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、無理もないと言えばそれまでだが、けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随所にある。自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につながっているのである。古の聖賢は 「まず自分の目から、梁(はり)を取りのけよ」 と教えた。もうすこし、周囲をよく見たい。もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として、自分の考え、自分のふるまいの正邪が、そこにありのままに映し出されてくるであろう。合掌
2021/01/11
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毎日、毎日、コロナのニュースが続き、先が読めない環境にあります。やはり、年があらたまり、今年に期待して、一歩でも二歩でも、前進する自分でありたいと願います。人生の師、松下幸之助翁の言葉で、日々を新鮮な心で迎えられるような言葉を、この一週間くらい続けたいと思います。私は、仕事始めには、この“日々是新”を、繰り返し読んでいます。日々是新年があらたまれば心もあらたまる。心があらためればおめでたい。正月だけがめでたいのではない。心があらたまったとき、それはいつでもおめでたい。きのうもきょうも、自然の動きには何ら変わりはない。照る陽、吹く風、みな同じ。それでも心があらたまれば、見るもの聞くものが、みな新しい。年の初めは元旦で、一日の始めは朝起きたとき。年の始めがおめでたければ、朝起きたときも同じこと。毎朝、心があらたまれば、毎日がお正月。あらたまった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。きのうはきのう、きょうはきょう。きのうの苦労をきょうまで持ち越すことはない。「一日の苦労は一日にて足れり」というように、きょうはまたきょうの運命が開ける。きのうの分まで背負ってはいられない。毎日が新しく、毎日が門出である。日々是新なれば、すなわち日々是好日。素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。さぁ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。合掌
2021/01/10
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創業したのは1972年(昭和47年)9月。まず、創業地を何処にするか?関西人の私は、何はともあれ、尊敬する松下電器・松下幸之助翁のもと、門真市しかないと決め込んだものです。写真用品会社の製造部門として創業しましたが、お客様が必要とされるモノを、受注生産しようと決めていましたので、最初に飛び込み受注できたのも松下電器であり、コクヨでした。幸之助翁に見習い「会社運営の基本的な考え方」を、文章にし、社員に明確にしたり、毎年の「経営方針」は、冊子にして全員に配布。そして、1980年頃には、全員参加のもと、経営方針発表会も行いました。以来、1981年11月に、門真市で第三工場まで拡張し、現在地の枚方市に移転しましたが、20年以上続けてきた経営方針発表会が、このコロナの影響で、今年は中止となりました。仕事始め一週目の土曜日は、社外には休みとして、午前中は今年の経営方針を発表し、昼食時間になると、鏡開きで宴会が始まり、一人ずつ全員がその年の抱負を語り合ったものです。その年の経営方針をみなが確認するとともに、大切なコミュニケーションの場でもありました。このコロナで、外出を控え、さらに人との接触を避け、如何にしてコミュニケーションをとるかです。全ての仕事が、受注生産のため、部門間や現場では、図面やルールだけでなく、人と人の綿密な打ち合わせ・確認が必要だったのです。今は、それを極力避けなければなりません。この問題を解決するには、ニューノーマル(新しい常態)を生み出すために、デジタルトランスフォーメーション(ITやデータ、デジタル技術を駆使し、良い方向へ変革)が避けられません。アナログ人間の私では、どうにも対応できません。しかし、多くの人が生活する会社は、なんとしても成長が必要です。会社経営も、いよいよ新世代へ交代の時期となったようです。合掌
2021/01/09
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えらいことが起きました。トランプ大統領の支持者が、6日、連邦議会の議事堂を約4時間にわたり占拠し、4人の死者が出ました。その背景には、トランプ大統領の呼び掛け・激励があったのです。さらに重要なことは、議事堂では、まさに米大統領選の勝敗を、正式に決める「上下両院合同会議」が開かれていたのです。それをトランプ大統領の呼びかけで、議事堂に乱入し、中断させたのです。民主主義を象徴するアメリカで、あり得ないことが起きてしまいました。しかし、翌7日未明に、無事、選挙結果が承認され、バイデン新大統領は、1月20日、就任式に臨みます。なぜ、こんなことが起きたのか?大きな原因として、SNS(交流サイト)で真実のように見える嘘を広めるのが簡単になり、国粋主義など、極端な思想が力を持ちやすくなったことです。誤った情報や、政治的偏見に基づく感情の高まりをうまく活用し、世界最強の国を動かしてきたのが、トランプ大統領ではないでしょうか。しかし最後の最後で、難しいと思いますが免職迄求められました。世界最強の国と言えば、中国の動きが大変気になります。中国はこの一年、香港の自由を奪い取り、新疆ウイグル自治区でのウイグル人弾圧を強め、インドとの国境係争地域ではインド兵士を殺害し、台湾に脅しをかけ、オーストラリアからの輸入品に制裁を課しました。さらに、年が明けた6日には、香港議会で過半数をめざす民主派の主張が、国家政権転覆罪にあたるとして53人が逮捕されました。もう怖いものなしのこんな動きや、中国に擦り寄るEUの姿、さらに大揺れしている米民主主義を横目に、中国が世界最強国として、君臨しようとしているのではないかと思います。・・・・・考えすぎでしょうか。 合掌
2021/01/08
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80歳を迎える今年も、その年一年、病気にならないとのいわれがある“七草がゆ”を頂戴することができました。51歳の時、高血圧の原因を調べるため、日本循環器病センターへ検査入院しまた。一ヶ月かけて検査した結果、白衣を見ると血圧が高くなる「白衣高血圧症」と診断され、食べ過ぎ、飲み過ぎを修正し、適度な運動をすれば、元通りの健康な体に戻ると言われました。それから約30年間、一生懸命健康に留意するも、四十肩五十肩に悩まされ、膝に水が溜まり、変形性腰椎症と言われ、それでも養生をし続け、お陰様で、このところは元気に過ごしています。手術をしたり、西洋医学に頼ることなく、周りの人に馬鹿にされながら、手術師によるマッサージや、漢方薬(防風通聖散)などを続け、毎日一万歩散歩を続け、自然治癒力に頼り続けました。そのお陰で、現在は年50回、歩いてゴルフができるようになりました。日本人は、昔から四季折々の食材を調理し、器に美しく盛って、その季節に親しみ、順応してきました。そして今日、1月7日には、お正月で疲れた胃を休め、七草がゆ(すずな、すずしろ、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ)を食べ、今年一年の無事・健康を願います。私の家での朝食は、一年中、前菜の丼一杯のサラダを食べてから、御飯少なめの納豆ごはんを、しっかり200回混ぜてから食べ、さらに小鉢一杯の自家製ヨーグルトと締めの果物です。よくも毎日同じものを食べて、生きていけるものですねー。不思議に思います。それもこれも、日本食と、自然治癒力のお蔭と感謝しています。合掌
2021/01/07
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今日は生まれて初めて、会長職として「経営会議」に出席します。起業した会社を、視野を広くして、会長という立場で、しっかりと見守りたいと思います。そこで、幸之助翁の言葉を読み返します。視野を広く 世の中は広い。その広い世の中を、狭い視野ですすめば行きづまる。人生は長い。その長い人生を、狭い視野で歩めば息が切れる。視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。だから、おたがいの繁栄のために、おたがいの視野の角度を、グングン広げなければならない。十度の視野は十五度に。十五度の人は二十度に。もっとも、百八十度までひろげてみても、それでようやく、ものごとの半面がわかっただけだから、ほんとうは、グルリと三百六十度を見わたさなければならない。それが、真の融通無碍(特定のことにとらわれたり、こだわったりすることがなく、自由でのびのびとしていること。)、つまり解脱というものではなかろうか。だが、なかなかこうはいかない。百八十度も広がればたいしたもので、普通は、せいぜいが十五度か二十度ぐらいの視野で、日々を歩んでいるのではなかろうか。だから争いが起こる。悩みが起こる、そして繁栄がそこなわれる。視野を広く。どんなに広げても広げすぎることはない。おたがいの繁栄と平和と幸福のために、だれもが、広い視野を持つように心がけたいものである。合掌
2021/01/06
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2021年初出の日、これまでなら、全員が会議室に集まり、朝礼で新年の挨拶を交わすのですが、今年はそれがなく、私は現場に出向き、一人ひとりに、新年の挨拶を、済ませた状態です。例年、営業全員で、挨拶回りをされる段ボール屋さんも、今年はそれがなく、いわゆる新年の挨拶回りだけというのはなくなりました。「2021年から先の日本はいったい、どうなっていくのだろうか?」「2020年を振りかえれば、コロナによってコペルニクス的転回といった表現が決して誇張ではないくらい世の中が変わった。われわれ自身も行動様式の変容を迫られた。歴史の転換点とはこういう時期をいうに違いない。」これは、4日付の日経論説フェローの記事です。そして、<局面転換をはかる周期に入った>と詳しく解説してあり、結びとして、<2021年から始まる日本>となっています。しかし、どう変わるかは、それぞれの役割と責任、立場によって違うのでしょう、具体的には示されていません。「ただ、過去の成功体験の記憶から抜けきらない戦後システムを今度こそ改革していくしかない」さらにもう一つ、「明治の人たちもたぶんそうだったように、ここは令和のわれわれも子や孫のためにも歯をくいしばって踏んばっていく」。そんなしんどい時代だろう。と結ばれています。どんなにしんどくても、過去の成功体験を繰り返すのでなく、これまでにないやり方で改革をしていかなければならないようです。何か勇気をもらいました。今やろうとしていることは、過去には全く考えられなかったことです。合掌
2021/01/05
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12月29日~1月4日迄の一週間、年末年始の休暇が終わり、明日から仕事です。それにしても、コロナの影響があるとはいえ、お正月の風景が全く変わったように思います。まず、お正月は、年神様が家々を訪れ、一年の幸福を授けてくれると言われ、家には、門松やお飾りさんを準備したものです。先日も書きましたが、車にも必ずお飾りさんをつけたものです。アクテックは、すべての社用車にお飾りさんを付けますが、今年は、まったく見かけません。どちらの内にも、玄関のお飾りさんもありませんし、昔の日本の良き風習は、どこへいったのでしょう。そもそも、年神様が、それぞれの家々を訪れ、一年の幸福を授けてくれるというようなことは、信じないのか、そんなことは関係なく、年末年始の休暇になってしまった感じです。年神様を信じようが信じまいが、せめて、その年々のけじめをつけ、一年間の反省をし、新年には新年の夢を語り、その実現を図ろうとすることが大切ではないでしょうか。今日は、事務所で昨年の整理をし、今年の準備をしました。さぁー、明日からは、2021年のスタートです。合掌
2021/01/04
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私達人間は、どこに行こうと、常に、なんらかの集団の中に、存在しています。そこで存在感を示すには、可能な限り、その集団の人達の性格を知ることが、必要なことと思います。他人の性格は、なんとなく自分で推定するのですが、問題は、自分の性格、自分が相手の人からどう見られているかを、知ることも必要です。しかし、これは、大変困難なことです。それが、昨日からの“エニアグラムで見つかる「本当の自分」”を知ることです。「あなたのタイプを想定する20の質問」に、YESかNOでチェックし、YESが一番多かったのがあなたの性格です。問題は、その9タイプ です。タイプ1.完全でありたい人タイプ2.人の助けになりたい人タイプ3.成功を追い求める人タイプ4.特別な存在であろうとする人タイプ5.知識を得て観察する人 タイプ6.安全を求め慎重に行動する人タイプ7.楽しさを求め計画する人タイプ8.強さを求め自己を主張する人タイプ9.調和と平和を願う人私は、この9タイプから、自分の性格を知ることができました。それを承知の上で、皆と対応するのと、自分の性格を知らないで、皆と対応するのとは全然違うと思います。自分を知ることは、永久の課題だと思いますが、これは、是非、挑戦する価値はあると思います。合掌
2021/01/03
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人は十人十色、すべての人は、それぞれの特徴があるというのが、私達の常識です。ところが、二千年以上前のイスラム社会に、秘匿された神秘の人間学、エニアグラムの科学というのがあります。私たちが、たった九つのタイプに分けられるというのです。もう、何回もこのブログで紹介したかもしれませんが、1980年、工場移転で、何のために工場経営しているのか、徹底的に悩んだ時期がありました。想いを実現しようと、皆に呼び掛け、順調に成長し第三工場迄、拡張できました。それを一つにしようとした時、これまで協力してくれた人達が、通勤できない所に移転することになったのです。<想いを実現し、実現したらその場で働くことができない>、そんなことがあってはならない。そう思うものの、電車で一時間以上通勤する所しか、物件がなく、止む無くそこに契約したのです。通勤できない人の働く場は、すべて、納得してもらえる会社に、紹介したものの、自分はなんという非常は人間なのか、悩みました。そして、自分の性格を、徹底的に追及することになりました。ところが信じられませんが、人間は九つの性格に分類できるというのです。これまでの十人十色と、余りにも違う話、大変悩みましたが、鈴木秀子さんの“九つの性格”に没頭しました。たった20の質問に、答えるだけで、自分の本来の性格が、分かるというのです。今もって疑問に思いながらも、読めば読むほど、自分の性格に、納得せざるを得ないのです。エニアグラムという言葉で、調べて頂ければ、その概要が分かると思います。合掌
2021/01/02
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今年は、コロナ禍と徹底的に戦う年だと思います。コロナ禍で振り回されましたが、今その対応した結果が、問われる年だと思っています。私は、孫と共に、楽しい“おせち料理”が実現しました。お正月と言えば、お屠蘇で、家族全員の長寿を祈念し、普段、口にすることができない、純米搾りたての日本酒を頂戴することです。故郷の酒蔵や、酒匠から贈られてくる秋田と新潟の銘酒2本、今日は元旦、朝から、日本酒を楽しみ、ゆっくりした新年を迎えることができました。明日は、新年の打ち初めです。コロナ禍とは言え、それなりの新年を迎えることができ、とにかく忙しい毎日を過ごしています。合掌
2021/01/01
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