そして「職業野球」が再開されたのは、1945年(昭和20年)11月23日。
日本という国がこれからどうなるのかわからない、そして食料も物資も不足し、
人々はただ生きていくこと自体が大変だった頃、職業野球は奇跡的に早々
の復活を果たした。
※東京六大学リーグの戦後の復活は、1946年(昭和21年)5月19日。
但し、OB戦等は除く。
ただ多くの選手たちは戦場にかりだされ、記念すべき復活試合に出場できる
選手の数は少ない。苦肉の策として、2チーム分の選手がいれば試合が
できる「東西対抗」という方法で開催された。
細かなことはさておき、その試合のオーダーは次のとおり。
以下、『昭和20年11月23日のプレイボール』(鈴木明著、光人社刊)より。
【東軍】
監督 横沢三郎
1番(8) 古川清蔵
2番(6) 金山次郎
3番(4) 千葉 茂
4番(7) 加藤正二
5番(9) 大下 弘
6番(2) 楠 安夫
7番(3) 飯島滋弥
8番(5) 三好 圭
9番(1) 藤本英雄
、 白木儀一郎
【西軍】
監督 藤本定義
1番(8) 呉 昌征
2番(6) 上田藤夫
3番(4) 藤村富美男
4番(5) 鶴岡一人
5番(3) 野口 明
6番(2) 土井垣 武
7番(9) 岡村俊昭
8番(7) 下社邦夫
、 本堂保弥
9番(1) 笠松 実
、 別所明
、 丸尾千年次
※当時の所属球団も含めたオーダー表は、 こちら
にあります。
この記事は『ボクにとっての日本野球史』の中で、次の期に属します。
→ (第5期) 1946年(昭和21年)、戦後、東京六大学リーグ・職業野球が復活した時以降
(第5期)に属する他の記事は以下のとおり。
◇ 「ボクの日本野球史」
(2009.7.1) → こちら
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「西本幸雄、職業野球選手になった頃」
(2009.7.18) → こちら
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「関根潤三、職業野球選手になった頃」
(2009.7.18) → こちら
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「豊田泰光、職業野球選手になった頃」
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「三原脩、職業野球選手になった頃」
(2009.7.19) → こちら
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