2009年11月22日に行われた 「セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・プロ選抜vs
大学日本代表」
のこと。
■ 菅野智之
(東海大2年、東海大相模高)がマウンドに上がったのは8回裏だった。
この回から登板した明治大の左腕エース・ 西嶋一記
(3年、横浜高)が作った無死
一・二塁のピンチの場面に「火消し」役としての登板した。
プロ選抜の4番(途中出場) 小窪哲也
(広島、PL学園高-青山学院大)をセンター
フライに打ち取ると、続く5番・ 亀井義行
(読売、上宮太子高-中央大)をサードへの
ファールフライ、6番・代打の 根元俊一
(ロッテ、花咲徳栄高-東北福祉大)を95km
の変化球で空振り三振に仕留めた。
菅野、続く9回も絶好調。代打の 嶋基宏
(楽天、中京大中京高-國学院大)にライト前
ヒットを許したものの、後続の3人の打者を完璧に抑えた。特に圧巻だったのは、
中田翔
(日本ハム、大阪桐蔭高)との対戦。投げた5球の球速はすべて140km台。
2球目の速球が147km、3球目のカットボールが143km。そしてウイニングショット
は141kmのカットボールで空振り三振を奪った。
■以前、スポーツニッポンは、菅野を次のように紹介していた。
「最速153キロの直球に、140キロを超える高速スライダーが武器。大学では
1年秋からエース格に台頭。小1で野球を始めたときから投手一筋。新町中3年時
に県大会で優勝し関東大会ベスト8。巨人・原監督のおい」
(スポニチ)
菅野智之
投手の高校時代を調べてみた。
高校時代、甲子園の出場経験はない。3年時(2007年)、夏の神奈川県大会は
決勝まで勝ち進んだが、決勝で桐光学園高に8-10で敗退(菅野は完投)、惜しくも
甲子園行きの切符を逃した。その一年前(06年)、2年時の夏も県大会決勝に駒を
進めたが、横浜高にスコア7-15で大敗した(この試合、菅野は3番手で救援)。
※ちなみに06年の決勝、横浜高の先発は 川角謙
(現・青山学院大3年)。救援で
登板したのは、先ほど紹介した 西嶋一記
。
■ボクがこの日の試合(対プロ選抜戦)を見るまで、菅野の名前を聞いて思い出す
のは、 日米大学野球第5戦(神宮球場)
のこと。残念ながら、この時の菅野の印象は
決して芳しいものではなかった。
(第5戦、7月16日)
米 002 200 003 00 =7
日 200 020 003 01X=8
斉藤佑樹
(早稲田大3年、早稲田実)、 大石達也
(早稲田大3年)に次いで3番手
の投手として登板した菅野。やはり躍動感溢れる投球で7回・8回を完璧に抑えた
ものの、3イニング目の9回に大崩れをした。4本のヒットを浴び、自身の暴投も
加わって3点を奪われてしまったのだ。
(菅野の表情が、ボクにはやや青ざめて見えたっけ)
■ま、そんな印象も対プロ選抜戦での投球を見て一気に吹っ飛んだ。はたして3イニ
ングを投げていたらどうだったんだろう? なんて、つまらないことは考えないことに
しよう。
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