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読み始めて、しばらく「?」。 「あれっ、一巻とばしてしまったのか?」と思ったほど。 何か、状況が把握できません。 でも、確認すると、10巻はちゃんと読んでいました。 やはり、一年半も経っていると、結構忘れているものですね。 「そういえば、そんなことになってたかも」とジワジワ思い出してきました。 結局、幸村は小鷹の彼女になって、隣人部を去り、 その他のメンバーで、一年が過ぎていく。予告通り、丸々一冊エンディングに向けてお話は進んでいきます。ただ、各話ともサラサラと流れるごとく、粛々と日々は過ぎ、深く切り込んでいくような展開は全くありません。最後も、サラっと終わったという感じですね。著者は、これで納得、書きたいことは書けたということですが、何か、ちょっと違う気がしました。スッキリ感がないですね。それが青春?
2015.12.31
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朝ドラの「あさが来た」を見ています。 波瑠さんや玉木さんの着物の着こなしがイイですね。 さや姉の歌も、このお話にぴったりです。 もう少し宮崎さんの出番があると、なお嬉しいのですが。 さて、本著はドラマの原作となっているものですが、 設定等、違うところが多々あります。 もちろん、ドラマの方が創作部分が多く、こちらが少ないのでしょうが、 それでも、実際に起こったこととはかなり違うのだろうと想像できます。浅子さんは、ドラマのあさより、豪胆で突き抜けた方だったはず。そうでなければ、あの時代に、これほどのことは成しえなかったでしょう。でも、お話としては、ドラマの方が面白いかもしれませんね。後半は渋沢や大隈、市川房江等、豪華メンバーが登場するでしょうから、楽しみです。そして、本著で私が一番驚いたのが、ヴォーリズ。浅子と信五郎の長女が亀子(ドラマでは千代)で、その夫が恵三。この恵三の妹・一柳満喜子の夫がヴォーリズだったのです。そのため、大同生命ビル、天王寺の広岡家、亀子の芦屋の邸宅も彼の設計。彼のことは、内田先生の著作で知り、神戸女学院や関学を手掛けたことまでは知っていましたが、びっくりポンでした。そういえば、彼が設計した大丸心斎橋店本館が、12月30日で閉館、建て替えられます。外壁や内装の一部は残されるようですが、残念ですね。
2015.12.29
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ドフラミンゴを倒した後のドレスローザ。 キュロスは、自分が父親に相応しくないと、レベッカを遠ざけるが、 ルフィーがレベッカを王宮から連れ出し、 父と娘は、一緒に暮らすことになる。 一方、ルフィーたちは海軍に追われ、東の港へと急ぐ。 ルフィーは藤虎との決戦を望み、 目の見えない藤虎に、次の攻撃内容を伝えながら戦うが、 仲間たちによって中断させられ、船上の人となる。そこでは、5600人の海賊たちを代表するキャベンディッシュ、バルトロメオ、サイ、イデオ、レオ、ハイルデン、そして、オオロンブスから親子の盃を要求されるが、ルフィーは断る。しかし、彼らは勝手に子分盃を飲み干し、ルフィーに忠誠を誓う。そして、海賊史上最大の覇権争いが始まったのだが、バトルロメオの船に乗ったルフィーたちは、サンジたちがいる「ゾウ」を目指す。そこは、巨大な象の背に栄えた土地だった。しかし、ルフィーたちは、そこで出会ったミンク族から、この国は、ジャックに襲われ、1~2週間前に滅ぼされたと聞かされる。そして、ナミとチョッパーには再会出来たのだが、サンジには何かが起こった模様……その他、センゴクとローの会話の内容や、白ひげJr.の存在、さらにはドラゴン率いる革命軍の動き等が、気になるところ。でも、やっぱり一番気になるのは、サンジ。手配書の”ONLY ALIVE”の意味するところは何?
2015.12.27
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発売は、例によって遅れたけれど、 今回は、それ程でもなかったです。 そして、今回はちゃんとネットで予約していたので、 発売早々に読むことができました。 それにしても、一つの作品を、 こうも見事に終わらせることが、出来るもんなんですね。 どんなに盛り上がった作品でも、本当に締めくくりは難しくて、 最後は、もう一つっていうことが、ほとんどなのに。Dr.仲尾が登場してからの展開は、私は全く予想していなかったもので、本当に、流石というしかないです。帯に書かれたちばてつやさんのコメントが、まさにぴったり。「いい作品をありがとう」と、心からお礼を言いたいです。そして、18年をかけた作品のエンディングは、モーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」オーケストラと2台のピアノのための協奏曲。編曲は、一ノ瀬海。本当にスゴイです。
2015.12.23
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副題は「危機管理の落とし穴」。 著者の樋口さんは、東大卒の警察官僚。 外務省情報調査局や内閣安全保障室にいたこともある。 現在は、警察大学校教授として危機管理分野を担当している方。 第1章の「東日本大震災を振り返る」は、福島第一原発についてのお話で、 電源喪失の経緯や緊急記者会見の記述は、とても興味深いものだった。 続く第2章の「危機管理の極意」は、セウォル号転覆事故についてのお話しで、 多数の犠牲を出してしまった理由が、明らかにされている。 韓国ほどひどくないかもしれないが、 日本でも、マスコミや一部団体の使嗾により 被害者が「事実上の権力者」と化す構図が存在する。 「被害者」あるいは「弱者」という立場に自ら規定した側が、 その後の議論の主導権を握ってしまうのだ。 それに対して論理的に反論しようものなら、 「同乗の気持ちがない」「思いやりに欠けている」と一方的に糾弾され、 憲法に規定された言論の自由は黙殺されることになる。 「被害者」あるいは「弱者」に同情するのは自然なことだが、 同情に流されてしまうだけでは「情実国家」になってしまう。 同情は同情、ルールはルールと切り分けて考えることが 「法治国家」の在るべき姿なのである。(p.71)この記述には、『大放言』で百田さんが述べていた内容と相通ずるものがある。樋口さんが言うように、「切り分けて考える」ことが、とても重要だと思う。そして、第3章の「日本の安全保障」では、日本のジェットエンジン開発や、尖閣問題、反日問題、海外テロ、オスプレイについて、第4章「なぜ失敗の教訓を生かせないのか」では、トムラウシ山ツアー遭難や、排ガス浄化装置データ捏造事件、テーマパークのアトラクション事故について述べている。この第4章では、AK47という軍用小銃や英艦シェフィールド、自衛隊が使用している機関銃についても記されている。この辺りの事情に、樋口さんは精通しているらしく、この第4章以降、戦闘に関する記述が多くなっていく。続く第5章は「歴史に学ぶ(幕末・明治編)」で、戊辰戦争と西南戦争についての記述、そして第6章は「歴史に学ぶ(第二次世界大戦編)」で、日独両軍が敗北に至った経緯について語られる。 情報システムの発達によって報告連絡が容易になったのは結構なことだが、 その一方で上級管理職が細かいことまで介入し、 中間管理職からの裁量権を奪っていれば、人材が育つはずがない。 また、やたらと規則やマニュアルを作って中間管理職を雁字搦めに縛り上げてしまえば、 ルーティーン以外の仕事を誰もやらなくなる。 「ウチの課長連中は指示待ちで困る」と嘆く経営者は多い。 しかし、彼らをそのように育て上げてきたのは誰なのか、 胸に手を当てて考えてみるとよいだろう。(p.192) 第2の新人パイロット養成の失敗からは、 「若手社員の育成は組織の重要課題であって、 一時的な業務の浮き沈みに振り回されてはいけない」という教訓を導くことができる。 バブル崩壊後の不況下で採用数を極端に減らしたツケで、 現時点では40歳前後の社員層が非常に薄く、 いびつな年齢構成に悩んでいる企業は少なくない。 ベテランの大量退職に伴う技能伝承が問題となるのも、 中堅層の人数が絶対的に不足しているため、 いきなり20代の若手に伝承せざるを得ない状況に陥っているからだ。 以上の二つの教訓に共通するのは、 「組織経営は長期的視点に立脚しなければならない」という当たり前の話であるが、 現実にはなかなかそれができないものらしい。 だから失敗が繰り返されるのである。(p.239)いずれも、育成に関する内容であり、頭の痛い問題である。双方とも、既に大きな問題となってしまっていることは間違いない。「あの時、ああしていたら」などと嘆いていても、もうどうしようもない。現状をどう打破していくか考え、実行していくしかない。
2015.12.23
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久しぶりに百田さんの著作を読んでみた。 『永遠の0』から始まって、何冊か読んだけれど、 一番好きなのは『風の中のマリア』。 なのに、まだ『海賊とよばれた男』を読んでない。 それは、先に『殉愛』を読んでしまい、 その後『百田尚樹『殉愛』の真実』を読んでしまったから。 それ以降、私の百田さんに対するイメージは相当悪くなってしまった。 でも、『海賊とよばれた男』だけは、いつか読みたいと思っている。さて、本著は、百田さんが日頃思っていることや、世間から浴びせられているバッシングに対し、反論した内容が中心となっている。「まえがき」の言葉狩りについての記述には、納得できるところが多々あった。また、第1章「現代の若きバカものたちへ」のコスパに関する記述もイイ。そして、第2章「暴言の中にも真実あり」あたりから、らしさが出てくるのだが、原爆慰霊碑の碑文についての記述には、「なるほどな」と思わされた。また、第3章「これはいったい何だ?」のチャリティー番組についての内容や、自己啓発本についての記述も、とても興味深いものだった。その後の第5章「我が炎上史」は、世間を騒がせた出来事についてのお話し。騒動となった出来事の背景や、事実の歪曲について語られる。伝える側にとって都合が良いよう、部分的に取り上げ、ミスリーディングを誘うよう、意図的に編集されていることがよく分かる。また、同じ内容の発言をしたときに、ある人には許されて、別の人には許されないのも、おかしな話だと思う。ただ、反論の中にも、少々強引だなというところも見られるのは事実。そして、さすがに『殉愛』の件については、本著では全く触れられていない。
2015.12.23
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TVドラマは、今日がいよいよ最終回。 特番も用意されていて、今夜は「下町ロケット」一色の模様。 もちろん、バルサの試合も気になるけれど、 そちらは、録画して後日しっかり見る予定。 さて、『下町ロケット』は、既に読んでいましたが、 本著の方は、11月に初版発行ということだったので、まだ読んでいませんでした。 即ち、原作読まずに、ドラマを先に見てしまいました。 それで、最終回放映前日にやっと購入して、一気読み。読んでいくと、ドラマのシーンが次々に思い浮かんでくる。もちろん、ドラマは多少アレンジされていますが、気にならない程度。そして、放映が済んだ部分を通り越して読んでいても、やっぱり、そのシーンが思い浮かんでしまう。原作を読むより、先にドラマを見てしまったから、こんなことになってしまったのだとは思いますが、それでも、ドラマは原作を損なわず、上手く作っていると思います。阿部さんをはじめ、どのキャストもイイですね。 「社長も、困ってるよ。ただ - 」 山崎がいった。「あの人は、諦めないだろうな」 全員がまじまじと山崎の顔を見つめる。 「だから、いまがあるんだよ。この佃製作所が」 山崎はいった。「いろいろな壁が世の中にはある。 楽にうまくいく仕事なんてないさ。 だからといって、逃げたら何ひとつ、残らない。 実績も評価もだ。 それを一番わかってるのは、佃航平という男なんだよ。 この困難な状況をどうするか。 ここから先が、佃製作所の真骨頂のはずだ」(p.154)この作品の核となる部分を、見事に言い現わした言葉。 ひとつ頷いた佃は、社員たちに向かっていった。 「みんなの努力が正当に報われたと思う。ありがとう。 研究員から社長になって、もう十年以上になる。 無我夢中でやってきたけど、その中から学んだこともある。 会社って、こうやって成長していくものなんだな。 みんなと同じ成功体験をくぐり抜け、時に何かを失いながら、何かを得ていく。 結局は、その繰り返しなのかも知れない。 それは楽な道じゃないと思う。 だからこそ、お互い励ましあって、支えあっていかなきゃいけないと思う。 今日は、それを学んだ。 これからも頼むぞ。そして洋介、アキちゃん - 」 佃は、同じくこちらを見ている二人に語りかけた。 「次はお前たちの番だ。がんばれ!」(p.328)ネタばれ、ごめんなさい。でも、このシーン、阿部さんがどんな風に演じるか、本当に楽しみ!
2015.12.20
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やらなくてもいいことなら、やらない。 やらなければいけないことは手短に。 至って地球環境に優しい省エネスタイルがモットー。 そんな神山高校1年生、折木奉太郎が主人公。 姉・供恵のベナレスからの手紙により、 かつて彼女が在籍していた古典部に入部することになった奉太郎。 3年連続で入部者がなく、部員数ゼロの部活だったはずなのに、 彼が部室に足を運ぶと、今年は既に入部者がいた……千反田える。さらに、旧友の福部里志や、彼に好意を寄せる伊原摩耶花も入部。こうして、四人の1年生による部活動が始まったのだった。そんな中で、奉太郎がその才能を見せることになったのが謎解き。その引き金となるのは、千反田の「気になります」。部室の地学講義室が、気付かないうちに密室になってしまった謎。図書室で毎週金曜日に借り出され、その日のうちに返却される本の謎。かつての部室・生物講義室で探し物をすることを、強く拒絶する2年生の謎。そして、『氷菓』という文集のタイトルに隠された千反田の伯父の謎。ところで、米澤さんは、きっと榊原郁恵の「夏のお嬢さん」を聞いて、このタイトルを思いついたに違いない、と思ったのは私だけ?
2015.12.19
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十二国の世界を舞台とする4つの短編集。 舞台となっているのは、慶、柳、雁の三国 ただし、お馴染みのキャラクターは、ほぼ登場しない。 唯一登場する陽子も、陽子であるとは明記されていない。 「丕緒の鳥」は、かつて陶鵲を誂える第一人者だった丕緒が主人公。 陶鵲とは、大射と呼ばれる射儀で用いる「鳥に見立てた陶製の的」のこと。 新王即位に際して、その陶鵲を用意するよう命じられたところからお話が始まる。 丕緒は、陶鵲に込めた思いの深さを、新王に届けることが出来るのか?「落照の獄」は、柳国で司法に携わる瑛庚が主人公。今回裁くのは、3度の前科に加え、23人もの人々を惨殺した狩獺という殺人鬼。世間では死刑を望む声が大多数だが、劉王は死刑停止の意向を示していた。審理に行き詰った瑛庚らは、狩獺に直接面会するため牢へと赴いたのだが……「青条の蘭」は、北方の寒村で育った最下層の国官・瑛庚が主人公。その瑛庚の故郷で、ブナの木が石化するという奇病が発生する。標仲は、薬となる青条という草を発見するが、それを殖やすことが出来ない。新たに即位した王に、青条の卵果を実らせてもらおうと王宮を目指すが……「風信」は、軍に街を襲われ、両親と妹を殺されてしまった少女・蓮花が主人公。蓮花は、暦を作る嘉慶の園林で、下働きとして平和な日々を送っていたが、ある日、新王に与する州の軍によって、街を焼きつくされてしまう。それでも暦を作り続ける嘉慶たちの思いを、蓮花は理解出来るのだろうか? ***環境破壊や死刑制度の問題等を十二国の世界で描き出したものだが、小野さんの筆力の素晴らしさを改めて感じることができる一冊。それぞれの主人公の生き様に、心を動かされること請け合い。十二国記を読んだことがない人にも、十分お勧めできる。
2015.12.19
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青森中央学院大の高橋教授の著作。 教授は、青森県立高校の校長から県教育庁生涯学習課長、 県総合社会教育センター所長を経て現職に就いた方で、 現在は国立教育政策研究所のプロジェクト研究委員でもある。 従って、『これでいいのか小中一貫教育』の山本さんとは、 立ち位置が異なり、記述されている内容も違う。 その点については、本著の「はじめに」にも記されており、 双方を読むことが、バランスをとるためにもいいと思う。本著は5つの章と補論からなる。第1章は「小中一貫教育とその必要性」で4頁、第2章は「これまでの小中一貫教育の経緯~その成果と課題~」で22頁、第3章は「アンケート調査結果等から見た小中一貫校の実態」で22頁。 小学校は担任制で、1人で全教科を指導するのが原則である。 これに対し、中学校は教科担任制で 教員は特定の教科のみ指導するのが原則であることなど、 小・中学校の教職員の職務の性質は異なる。 このため、「小学校と中学校では文化が違う」などと公言する教員も多く、 連携・協力が難しいとされる。 一貫教育により、こうした小・中学校間の相違を互いに理解しあい、 「小学6年と中学3年が別々ではなく、 あくまで義務教育9年間で子どもたちを育てる」との意識改革を図り、 望ましい連携協力関係を構築することで、 学習及び生活の両面で教育効果を上げようとする。(p.4)この記述は、実際にその職務に関わったことがない者には分かりにくいかもしれない。同じ義務教育に携わる者であり、同じ子どもを指導する者であるのに、なぜ、「文化が違う」というようなことが起こるのか?しかし、実際それは野球とサッカーほどに異なる。 中一貫教育の成否を決するのは、 取組みの主役である教職員の意識改革ができるか否かにかかっている、 と指摘されることが多い。(p.45)まさに、この指摘の通りだと思う。そして、そのことは、事が「文化の違い」だけに、容易いことではない。続く第4章の「特に注目すべき取組み事例」には148頁が費やされている。「施設一体型」「施設分離・連携型」という施設形態の違いに着目して、奈良県奈良市、千葉県鴨川市、青森県三戸町、鹿児島県薩摩川内市、広島県呉市、島根県松江市を紹介している。 これに対し、地域住民や保護者等から多く出された主な質問や意見は次の3点だった。 1.そもそも「小中一貫教育」や「小中一貫校」への理解が 不足していることから来る不安や、実際の取組み内容に関する質問。 2.もともと合併前の旧町村単位に小学校があったため、 小学校の統合により地域から学校が無くなることで、 地域の活力が失われるのではないかとの不安。 特に、学校が無くなる計画の大山・主基地区で多く出された。 3.通学距離が長くなることによる、スクールバスの運行に関する質問や意見。 特に大山・主基地区の保護者から多く出された。(p.61)これは、千葉県鴨川市の事例紹介の部分に出てくるものだが、地域住民・保護者の意見として、典型的なものではないかと思う。 同市が小中一貫教育の目的の1つとして、 「教職員の教育観の変革と指導力の向上」をあげ、 そのための取組みとしての授業交流と、 児童生徒の交流活動の充実を重視している(中略) その実施のためには教員同士の綿密な打ち合わせが必要なことは言うまでもなく、 取り組みの回数が増えれば増えるほど打合せの回数も多くなり、 そのための時間確保が重要な課題になることは言うまでもない。(p.95)これは、鹿児島県薩摩川内市の事例紹介で出てくるものだが、先述した、「文化が違う」小学校と中学校の「異文化交流」を促進するために、最も基本的で、もっとも効果のある取り組みである。それ故、この時間確保こそが、最重要課題となる。次に「4・3・2」「4・5」「5・2・2」「4・3・5」「3・4・2」という学年区分の違いに着目して、兵庫県姫路市、神奈川県横浜市、広島県広島市、熊本県産山村、長崎県小値賀町、宮城県登米市の事例を紹介している。 初年度は、小・中教職員が各教科・領域の特性や学習内容について 議論するところから作業を始めたが、 教職員から「同じ教科・領域でありながらも、 そのとらえ方や指導上の留意点が小中では全く違う」と驚きの声があがったという。 しかし、2年目にあたる2008(平成20)年度に作成作業を終えるに際しては、 「異校種のことがよくわかった。今後の指導に生かしたい」とか、 「同じ教科・領域でありながら用語や学習内容についてのとらえ方が全く違うことが分かり、 小・中教員間で意識の共有化が図れた」などの声が多くあったという。(p.135)これは、兵庫県姫路市の事例紹介に出てくるものだが、まさに、異文化交流の成果である。そして、次の広島県広島市の事例紹介に出てくる一文は、その成功に向けての指針として、注目すべきものである。 一方で、小学校と中学校の指導方法をめぐる連携には課題がある。 これまで見てきたように、「ひろしま型カリキュラム」の実施を核とした 広島市の小中連携の取組みは、市教育委員会が明確な方針を示し、 試行しながら成果と課題について検証したうえで、 例えば綿密な「言語・数理運用科ガイド」の作成・配布など、 積極的に学校(教職員)への支援を続けながら 全校実施へ歩を進めたことが最大の特徴だと思われる。(p.162)このように、同じ小中一貫教育に取り組みでも、地域により随分差があり、興味深い。それは、同じ小中一貫教育と言っても、これだけ特色に違いを持たせることが可能であることも示唆している。要は、現時点では、各自治体の裁量の幅がかなり広いということであろう。続く第5章の「小中一貫教育を推進するために解決すべき課題」は、わずか13頁にしか過ぎないが、高橋教授の考えを述べた部分で、本著の核ともいえる部分である。それは次のような内容であるが、その指摘は的確で分かりやすい。(1)小中一貫教育の目標や方針・計画等を明確に -何のために一貫教育を目指すのか-(2)学年区分論の活発化が必要 -各区分の取組みによる得失の分析・検証が不可欠-(3)カリキュラム論の重要性を再確認する必要(4)一貫教育に伴う学習指導上の課題(5)保護者や地域住民等の参加を拡充する必要性(6)市町村教育委員会の脆弱な推進体制整備の必要性(7)一貫教育に伴う教職員の多忙化(8)市町村格差が拡大する可能性そして最終的に、やはり課題となってくるのが(7)であろう。成果を上げることの出来る、継続可能な取り組みとするためには、このことを避けては通れない。
2015.12.19
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訓練兵団教官シャディースは、エルヴィンの前の12代調査兵団団長。 彼が、エレンの父・グリシャについて語る。 名前と医者だったこと以外の全ての記憶を失い、 気が付けば壁の外にいたのがグリシャ・イェーガーだと。 シャディースに発見され、 壁の中で、伝染病にかかったカルラを救って結婚し、 エレンが生まれ、カルラが食われ、 「母さんの…仇を…討て」と言って、エレンだけが森の中で倒れていたと。グリシャは、壁の外から来たのか?エレンに見せようとした地下室には何があったのか?そして、ウォール・マリア最終奪還作戦の開始。エレンが巨人の硬質化で、壁にあいた穴を塞ぐ。そこで、アルミンが壁の中に潜む敵の存在に気付き、リヴァイがライナーをあと一歩のところまで追いつめるが、取り逃がす。そこへ現れた獣の巨人。人類と巨人の決戦が始まる。
2015.12.19
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二匹目のドジョウを狙った一冊である。 もちろん、一匹目を超えることは並大抵のことではない。 だからこそ、満を持しての一冊である。 そのあたりのことは「あとがき」に詳しい。 そして特筆すべきことは、 前回と同じように、高校野球を舞台として設定していながら、 野球のシーンは、ほとんど登場しないということ。 これは、高校野球のマネージャーたちのマネージメントについてのお話である。もちろん、所々に野球のお話は出てくる。しかし、それは、「巨人の星」も真っ青な、破天荒なもの。まずは、投手陣が全員、上原浩治投手の投球フォームに即した「型」で、試合ごとに、ローテーションを守って投げるという「猿飛佐助作戦」。そして、「トップガン」というピッチングマシンを使用して開発した「イノベーションボール1号」という、時速110キロの高速ナックル。これらを駆使して、相手に決して得点を許さず、粘り勝ちする。ただし、それらは淡々と途中経過と結果が記されるだけ。 ロシアでスターリンの死後に起きたように、 また、あらゆる企業で常に起こっているように、 優れたリーダーは、自らの退任や死をきっかけにして組織が崩壊することは、 もっとも恥ずべきであることを知っている。(『プロフェッショナルの条件』186頁) (p.254)これについて、主人公の夢は、次のように言う。 「だって、『自分がいなくても組織が回るようにするのがマネージャー』だったら、 自分の居場所をなくする - ってことが正解じゃないですか」 「そんな悲しいことって、ないんじゃないでしょうか。まるで『泣いた赤鬼』です。 赤鬼の人間との友情のために自分の友情を犠牲にした青鬼のように、 真実も、みんなの居場所のために自分の居場所を犠牲にしたんです……」(p.256)このお話では、この後、夢が真実の居場所を新たに作ってハッピーエンド。しかし、人はいつか必ず、その場所を去り、そこを他の誰かに譲らねばならない。それは、異動かもしれないし、定年かもしれないし、病気や死かもしれない。その時、自分がいなくても回る組織にしておくことは、最高のリスクマネジメントだろう。
2015.12.19
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承前、上巻に続く第4章から物語の再開。 陽子の言葉に、諸国の王と麒麟が集結し、 泰麒を探し出すために、前代未聞の救出作戦を敢行。 陽子の慶、尚隆の雁に加え、恭、範、才、蓮、奏の五国が戴を救う。 奏、恭、才が崑崙を、慶、雁、範、蓮は蓬莱に捜索隊を派遣し、 蓬山の碧霞玄君も助言を与える。 そして、『魔性の子』のサイドストーリーが展開し、 延王尚隆が蓬莱に出向いて、泰麒を連れ戻したのだった。蓬山では、さらに西王母の助力も得て、泰麒の回復を図る。その後、泰麒は慶の金波宮で目を覚ますが、その慶では内宰と閽人が謀反を起こす。それは、延麒の使令によって何とか鎮められたのだったが、これを機に、泰麒は、隻腕となった李斎と共に戴国へ戻ることを決意したのだった。 ***一気にたくさんの国の名が登場してきたので、ちょっと戸惑いましたが、基本的には、慶・雁・戴がお話の中心であることに、変わりなし。現代日本で生活したことのある陽子と泰麒が、その社会システムを利用して、今後、十二国の世界に変化をもたらすのではないかという、予感を感じさせるお話でした。
2015.12.12
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泰麒に選ばれ戴国の王となった驍宗だったが、 文州で起こった乱を鎮圧に出かけたまま、行方が知れない。 弑逆であったとの噂が囁かれる中、 泰麒にまで凶刃が向けられ、その角が深く抉られる。 泰麒は自らの悲鳴が招いた極小の蝕により、 その後を追った汕子、傲濫と共に蓬莱へと流される。 そして、ここからのお話が『魔性の子』。 泰麒は、自身の記憶を喪失したまま、時を過ごすことになる。戴国の将軍となった李斎は、景王の助けを得るべく禁門を強行突破。陽子は、その力となるため、延王尚隆と延麒六太を招き、相談する。そして、傷の癒えた李斎は、驍宗と泰麒が姿を消した後の戴国の混乱と、驍宗のかつての同輩・阿選の謀反について陽子に語るのだった。
2015.12.12
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豪商の娘として生まれ、何不自由なく育ったはずの12歳の少女・珠晶が、 先王亡き後、治安が乱れ、妖魔が徘徊するまでに荒れ果てた恭国の王となるため、 漁尸師の頑丘、謎の青年・利広らと共に、黄海を経て蓬山を目指す物語。 誰もが、その破天荒な話に真面に取り合わないが、本人は真剣そのもの。 黄海を行く術を知り尽くした頑丘が、周囲に手を貸そうとしないことに苛立って、 一度は袂を分かつことになってしまった珠晶だったが、 他の一行と行動を共にするなかで、頑丘の行動の真意に気付いていく。 小生意気な少女が、劣悪な環境の中で成長していく姿が、微笑ましい。 黄朱の気持ちは黄朱にしか分からない。 それも事実なんだよ。 何事につけても、自分の身に起こってみなければ、 理解できないものというのはあるからね。 それは事実だけれども、 同時に理解を拒絶する言葉でもある。 理解を拒絶するくせに、理解できない相手を責める言葉だ。(p.220)利広が、黄朱(浮民)である頑丘に言った言葉。『レインツリーの国』で、伸さんがひとみに言ったことも同義だが、こちらの方は、ストンと腑に落ちた。やはりものは言いようなんだなと、強く思った。 でも、目の前にいる困った人を見捨てることがひどいことなんだったら、 目の前にいる人が将来困ることを承知で何かをねだるのも、 同じくらいひどいということになりはしない? 剛氏は自分の命だけでなく、雇った主人の命を預かっているのよ。 今、情けを他人に振舞って、 将来主人を渇き死にさせてしまったら本末転倒だわ。(p.231)困っている自分たちに手を差し伸べてくれない頑丘に憤っている季和に、珠晶が疑問を呈した言葉。かつては季和と同じように、頑丘の行動に苛立っていたのだが、その行動の背景にあるものを、読み取れるようになったという証。それでも『風の万里 黎明の空』で登場した時には、その小生意気さは健在でした。
2015.12.12
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本著は、「夜間飛行」というメールマガジンを主宰する 井之上達也さんの個人的人生相談に、内田先生が答えるというもの。 その何年か分のやり取りを、紙の本にしたのですが、 そのあたりの経緯は「あとがき」に詳しく書いてあります。 さて、内田先生の本は、読み始めるといつも付箋だらけになるのだけれど、 今回は、パラパラとページをめくっていくうちに、 気付けば、ページは残り半分を切っていました。 いつもと、ちょっと違う感じです。それでも、残り100ページになったあたりから(全体で413ページです)、付箋を貼るようになっていきました。まずは、教育についての質問への答えです。内田先生らしい、お答えです。 今どきは教育について語るときに、「市場のニーズが」とか「集客力のあるコンテンツ」とか ビジネスの言葉づかいを多用する人がいますが(いますどころか、ほぼ全員がそうです)、 そういう人たちについて確実に言えることは、 彼らがもし明治時代に生きていたら(あるいは開拓時代のアメリカに生きていたら)、 絶対に自分で学校を始めたりはしなかったということです。 僕はそういう人たちは「本質的に教育と無縁の衆生」だと思っています。 教育にまったく興味もないし、 子供たちに教えることに特段の使命感を感じていない人たちが、 何かの間違いで学校教育にかかわっている。 そういう人たちが日本の学校教育をここまでダメにしたのだと僕は思っていますが、 それはまた別の大きな問題なので、今日は触れません。 とにかく「おせっかい」が第一ということです。(p.311)「教育」を「ビジネス」としてとらえてしまうと、「教える者」と「教えられる者」との関係ではなく、「サービスの提供者」と「サービスの消費者」との関係になってしまう。「学校教育」とは、そういう次元のものではない、ということです。 先行世代が教えなければならないのは「自己利益を増大する方法」ではなく 「共同体を生き延びさせるための方法」です。 教えなければいけないのは、個人が生き述べる術ではなくて、 彼らが属している集団が生き延びるための術です。 集団があと100年、200年生き延びるために今ここで何をすべきか。 それが「わかる」能力を身に付けてもらうのが教育の本義であり、 それ以外のことはすべて副次的なことにすぎません。(p.316)これについては、批判的に反論したい人も多いのでしょうね。何せ、今は「個の時代」ですから。でも、「個」がどうのこうのと言えるのは、「共同体」がしっかりと確立していればこそだと思います。 もうおわかりになったと思いますが、 人とトラブルが起こるのは、必然性があってのことです。 それまでの「トラブル発生要因」が堆積して、 ある閾値を超えたことでトラブルが厳勢化した。 トラブルは、何もないところに天から降ってきたわけではありません。 ですから、「話がこじれてしまって、なかなか合意に達しない」ということになってから、 「さて、これからどうしよう」と考えるのはもう手遅れなんです。(中略) 問題が起きた時にどう適切に対処するかを考えるより、 そういうことを起こさないようにするほうがいい。 そういうことです。 どうしたら面倒な人と一緒に仕事をするような目に遭わないようにできるか、 それを真剣に考えるほうがはるかに費用対効果のいいトラブル解決方法なんです。(p.374)まぁ、分かってはいるんですけども……それでも、起きてしまうことは避けられないので、その時どうするかも考えておかねば。もちろん、未然に防ぐことが一番で、それに力を注ぐことは、当然のことです。好んで面倒な人と一緒に仕事をしたい人なんて、いないんですから。 どこの国でも、領土問題の炎上と鎮静は政権の安定度と相関します。 領土問題「から」話が始まるのではありません。 領土問題は両国それぞれの統治がうまくいっていないことの帰結なのです。 そのことを棚に上げてこの問題を論じる人は、 なみなみと水の入ったコップにさらに一しずく水滴が落ちたせいで水が溢れた時に、 「この一滴こそが水が溢れた『原因』である」と言っている人によく似ています。 しずくを見て、コップを見ない人たち。 領土問題がさっぱり解決しないのは、わが国の政治家もメディアも知識人も、 「そんな人たち」ばかりだからなのです。(p.378)これはイイ例えですね。今度、どこかで使わせてもらいます。
2015.12.12
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これまでに何冊も、 村上さんの作品について書かれたものを読んできたけれど、 やっぱり、自身で書かれたものはスゴイですね。 まぁ、当たり前ですけれど。 それぞれの作品で意図していたところや、 その執筆中の様子、 それぞれの時期の行動の背景にあったものが、 明らかにされています。村上さんという人が、どんな人なのかが、よく伝わってきます。でも、どうしてこんなに世界中で受け入れられることになったのかは、本著を読んで初めて知りました。村上さんにとっての「翻訳」という仕事の位置付けが、分かりました。
2015.12.06
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小中一貫教育が増加してきた理由、 そして、その真の狙いは何か? 本著では、第一に公教育の競争・選別機能の早期化、 第二に学校統廃合の手段としている。 即ち、競争的集団のできる大きな学校のみを残していくことで、 教育を選別的・序列的に再編していくことと、 コスト効率の悪い小規模校を廃止することを、 同時並行的に進めているのだと。「第1部 小中一貫校問題とは何か」では、教育学的根拠、発達論、学校建築、財政といった観点から小中一貫校について論じるとともに、小中一貫カリキュラムや生活指導についても触れている。また、「第2部 各地の小中一貫校の実態と学校統廃合」では、京都の東山開晴間、銅駝中学校、東京都品川区、大阪府門真市、新潟県三条市、東京都文京区で起こったことが記されている。これらの実例は、とても興味深いもので一読の価値がある。もちろん、本著はタイトルからも分かるように、小中一貫校について、反対の立場から否定的に書かれたものである。しかしながら、その推進を図ろうとする側も、阻止しようとする側も、その問題点や課題を明らかにすることは、大いに価値があることだと思う。
2015.12.06
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