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Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2008.05.17
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カテゴリ: 社会・政治・時事

 最近読んだ書物の中でも、飛び抜けて秀逸な内容。
 私の身のまわりで、日々起こっている色んな出来事も、
 本著記載の知見を通してみると、本当に「腑に落ちる」ところが多い。

 日本においては、自分の意志など関係無しに、
 いつのまにかそうなってしまった、ということが多いのだと著者は言う。
 私たち日本人が、集団になったときに発生する力学の中で、
 集団的意志の持つ強制力に、個人が抵抗することは、とても難しいのだとも。

「世間」は、「権利」や「人権」を越える力を持っており、

西欧人が生きているのは「社会」だが、日本人が生きているのは「世間」なのである。
西欧では、キリスト教が「世間」を解体し、「社会」という人間関係を形成したのだそう。

この違いが、医療の分野では、臓器移植の普及度の差異となって現れる。
日本では、見返りの期待できない、一方的な無償の贈与は成立しにくいのだとか。
また、日本では、死すら個人的なものではなく、自己決定も個人的なものではあり得ない。
尊厳死も世間の上に置かれると、個人の意志を抑圧するような方向に働いてしまうのだ。
もちろん、学校や職場における様々な場面でも、「世間」は多大な影響を及ぼしている。

   ***

  もともと中世の時代は、7~8歳で子どもが「小さな大人」とみなされたので、
  7~8歳の子どもであっても大人と同じように処罰された。
  刑罰が軽減されることもあったが、基本的には大人と同じ法律が適用され、

  前にふれたように、中世において子どもはフリスビーのように投げられ、
  現在のように「保護」の対象とはみなされていなかった。
  ところが、17世紀ぐらいから公教育が普及しはじめるにつれて、
  徐々に子どもは学校に行きはじめ、
  子どもの「保護」ということが意識されるようになる。


流石に刑法学者の先生らしい、鋭い視点で、その問題点や課題が語られている。
その他、「マスコミ報道」や「情報化社会」「ネット社会」について、
「世間」というフィルターを通して見たときの考察も、たいへんに面白かった。





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Last updated  2008.05.17 21:22:24 コメントを書く
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