全30件 (30件中 1-30件目)
1
現職の自衛官が自民党の党大会に参加してステージで国歌を歌った事件を批判する記事が、18日付東京新聞に掲載された; 12日に行われた自民党大会で、陸上自衛隊中央音楽隊の隊員であるソプラノ歌手が壇上に上がり、制服姿で国歌斉唱をリードしていました。 東京新聞は15日の社説「自民大会で国歌 自衛隊の政治利用慎め」で「特定政党の行事への参加は党勢拡大への協力を疑われ、政治的中立性に疑念を抱かせる。自民党はこれまでも党所属議員が自衛隊を政治利用する発言を繰り返してきた。党大会で自衛隊員に歌唱させたことを猛省し、再発防止に努めなければならない」と批判しました。 読者からは本社に「いいじゃないの。なぜ言い掛かりをつけるのか」との意見も届きますが、別の読者は「国歌を歌ったことが問題なのではなく、特定政党の党大会で歌ったことが問題だ」とします。当論説室の問題意識は、後者の読者と同じです。 自衛隊法は「隊員は選挙権の行使を除き、政治的行為をしてはならない」と定めています。 総裁の高市早苗首相は「自衛官は職務ではなく、私人として旧知の民間の方から依頼を受け、国歌を歌唱した。自衛隊法違反には当たらない」としますが、党大会は総裁が招集する党の最高機関。国会議員や都道府県連代表が一堂に会する場での国歌の歌唱に政治性が全くないと言い張るのは無理があります。 木原稔宣房長官も「政治的に誤解を招くことがないかは別問題で、その点はしっかりと反省すべきだ」と国会答弁するなど、政治的に問題があることは認めざるを得ませんでした。自民党による自衛隊の政治利用は明白です。 より深刻なことは、一政党による自衛隊員の政治利用を政府や自民党内で誰も止める人がいなかったことです。 さらに、自衛隊の最高指揮官である高市首相や、指揮監督する小泉進次郎防衛相は党大会まで自衛隊員の参加を知らなかったと主張していますから、防衛省・自衛隊の統制の問題も指摘せざるを得ません。私人だから、という言い訳は通用しないのです。 自民党議員は以前から選挙応援の際、自衛隊に言及するなど政治利用を繰り返してきました。自衛隊に政治的中立を求め、政治利用を戒めているのは、軍が政治への関与を強め、国民を無謀な戦争に導いた反省からです。忘れてはなりません。(と)2026年4月18日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「ぎろんの森-自衛隊の政治利用を戒める」から引用 この度の事件に関するメディアの報道は「現職の陸上自衛隊音楽隊の隊員が礼装の制服を着用して自民党大会のステージで君が代を斉唱した」という文面であったため、ことさら「君が代を歌ったのがいけない」と言ってるようにも受け取られ、人によっては「また左翼が騒ぎ出したか」と理解したケースもあったかも知れないと思いました。しかし、事実としては自衛官が立場を利用して特定の政治勢力を有利になるようなことをしてはならないと規定した条文が、自衛隊法に明記されているのですから、その点をこそメディアは取り上げて追及し、それぞれの地位にある自衛官、幕僚長、防衛大臣、総理大臣に対し、相当な処分を下して責任の所在を明らかにすると共に、再発を防止する旨を政府与党内に徹底するのが、正しい対処法であったはずです。その辺をはっきりさせずに、通り一遍の「批判記事」で終わりにしたのでは、似たようなケースの再発は防止できず、何度も繰り返すうちにやがては大政翼賛会が出てくる危険性は避けられないと思います。
2026年04月30日
無実の人を58年間も牢獄に閉じ込めた「袴田氏冤罪事件」を反省して、再審請求が出た場合には迅速に対応できるようにする目的で、刑法改正の声が高まり、その声に対応するつもりで出してきた法務省の改正案が、まったく改正する意図が見られない愚案だったため、法務省の与党に対する説明会が紛糾した様子を、16日の東京新聞はトップ記事で報道し、現場の批判派、推進派の議員の様子について次のように書いている;◆自民反発、了承見送り◆自民部会怒号飛び交う 再審制度を見直す刑事訴訟法改正案を審査した15日の自民党部会は、法務省が示した修正案を巡って紛糾した。会議室の外まで響く怒号が飛び交い、予定した1時間を大幅に超える4時間15分にわたる議論でも結論は持ち越しになった。 「これでは第2、第3の袴田さん事件が起こってしまう」。鈴木宗男参院議員は、1966年の静岡県一家強盗殺人事件で逮捕されてから再審無罪確定まで58年を要した袴田巌さんの名前を挙げ、検察官抗告による審理長期化の弊害を訴えた。 今国会への提出期限が迫る中、最大の焦点は検察官による不服申し立て(抗告)を認める規定の扱いだった。冤罪(えんざい)被害者の迅速な人権救済を図るため、禁止を求める声が高まり、法務省は譲歩したが、踏み込み不足の内容に「全く修正されていない」(閣僚経験者)とむしろ反発は拡大。党内の意見を軽視するような法務省の姿勢に対して「不誠実だ」という声も上がった。 「制限と禁止では天と地の差がある」。抗告禁止を訴える井出庸生衆院議員はそう語った上で、「冤罪被害者が人生を棒に振ってきた歴史を直視した議論のはずなのに、検察による検察のための法改正と言わざるを得ない」と断じた。党内では影の薄い法務省擁護派の議員は「無制限には不服申し立てができないようになっているが、なかなか理解されない」と肩を落とした。(長崎高大)2026年4月16日 東京新聞朝刊 12版 1ページ 「検察抗告禁止、盛り込まず」から引用 検察官は犯罪捜査のプロとして決して間違いのない証拠をそろえて、裁判に臨むべきであって、十分な証拠がそろえられないのであれば、軽々に人を裁判にかけたりしてはならない。ところが、実際の検察官は「こいつが犯人だ」と見込んでしまえば、証拠をねつ造してまで「犯人」を仕立て上げる事件が、袴田事件以外にも埼玉県狭山の女子高生誘拐殺人事件などがあり、これまで何百人の無実の人が、検察のそのような横暴で犠牲になったかはかり知れません。法務省には、その辺の「反省」がまったく欠落しており、自民党議員が納得しないのは、人間として当然の対応だと思います。検察は犯罪捜査のプロとして裁判に臨み、判決の後に数年経ってその判決に疑義が出た場合は、潔く己の「欠点」を認めるのが「人の道」であり、再審請求に対して検察が不服を申し立てるなど言語道断です。法務省のこの度のいい加減な改正案を承認しなかった自民党議員は、珍しく良い仕事をすることもあるのだなあと思いました。
2026年04月29日
現職自衛官が上司の許可がないと着用できない自衛隊の礼服を着て、上司と共に自民党大会に出席しステージで国家を斉唱した事件について、国会でどのような与野党の議論があったのか、16日の東京新聞が次のように報道している; 木原稔官房長官は15日の衆院内閣委員会で、陸上自衛官による自民党大会での国歌歌唱に関し、自衛隊法に抵触しないとした上で「政治的に誤解を招くことがないかは別問題で、その点はしっかりと反省すべきだ」と述べた。野党は自衛隊の政治的中立性に疑義を生じさせたとして追及。与党の日本維新の会も「不適切」と苦言を呈しており、政府として事態収拾を図る狙いとみられる。 自衛隊法61条は、選挙権の行使を除き、隊員の政治的行為を制限している。最高裁は1995年に自衛官の表現の自由を巡り、国民全体の利益を守るため「必要で合理的な制限を加えることは、憲法が許容している」との判断を示している。 木原氏は、長期休暇中だった自衛官が私人として関係者から依頼を受けたと経緯を説明。党大会のイベント会社が防衛省に問い合わせたところ、自衛隊法に違反しないとの回答を得たため出演に至ったと述べた。 党大会への出演が事前に防衛省の政務三役や宣房長、事務次官まで上がっていれば「別の判断があったかと思う」と語り、省内の報告体制に「問題がある」と言及した。 維新の藤田文武共同代表は15日の記者会見で、法的に問題ないとしつつも「政治的には抑制的にすべきだった。不適切との評価を下さざるを得ない」と指摘。自民の意思决定が「うかつだった」とした。 中道改革連合の小川淳也代表は会見で「なお政府側に説明責任が残っている」と主張した。立憲民主党の斎藤嘉隆国対委員長は記者団に「自衛隊法に照らし、大きな問題があったのではないか。あり得ない」と自民の対応を非難した。国民民主党の古川元久国対委員長も会見で「非常に軽率だ」と強調した。2026年4月16日 東京新聞朝刊 3ページ 「自衛官が自民党大会で国歌」から引用 この記事が指摘するように、法律は自衛官の選挙権の行使を除いて、隊員の政治的行為を制限しているのであるから、木原官房長官の「自民党大会で国歌を歌っても自衛隊法に抵触しない」という発言は虚偽である。党大会の運営を請け負ったイベント会社が、念のため防衛省に問い合わせた時に「自衛隊法に抵触しない」との回答を得たと、官房長官は説明しているが、イベント会社が本当にそんな問い合わせをしたのかどうか、本当であるなら、「抵触しない」と回答した防衛省職員とは誰だったのか、彼を監督する責任者は誰なのか、警察は捜査して事実を明らかにし、立件するべきである。さらに上位の責任者である幕僚長も防衛大臣も、首相も、「事前に知らされていなかった」から「しかたがない」と言い訳して過ごそうとしているが、そんな言い逃れを許すことなく、しっかり責任を取らせて、「減給30%、6か月」くらいの処分をしないと、似たような事件が繰り返されることになると思います。
2026年04月28日
10年前に古舘伊知郎氏が出演するテレビのニュース番組で「ドイツ・ワイマール憲法の教訓」を特集したことについて、元文科官僚の前川喜平氏は、12日の東京新聞コラムに、次のように書いている: 10年前の2016年3月18日、テレビ朝日「報道ステーション」が「独ワイマール憲法の教訓」という特集を放送した。ヒトラーが国家緊急権を濫用して独裁者になったことを教訓に、緊急事態条項の危険性を訴える内容だった。松原文枝氏が制作し、キャスター降板直前の古舘伊知郎氏がドイツまで行って収録した。今こそこの特集を再放送してほしい。 緊急事態条項の条文化はいよいよ現実味を帯びてきた。9日の衆院憲法審査会では自民党、日本維新の会、国民民主党が同条項の条文化と条文起草委員会の設置に前向きの方針を表明した。 緊急事態条項は、衆院選が行えない緊急時に衆院議員の任期を延長して国会の機能を維持することが目的だとされるが、緊急時の国会の機能維持のためには、参院の緊急集会の規定がすでにある。緊急事態条項は衆院選を行えなくする条項なのだ。国民は衆院議員を選び直すことができなくなる。もし衆参両院で与党が絶対多数を握る時に緊急事態条項が発動されれば、権力は固定化され、与党はどんな立法もどんな憲法改正の発議も容易に行うことができる。国会の機能はむしろ死んでしまうのだ。 都合のいい時に選挙をし、勝ったら緊急事態条項で権力を固定化する。かくして民主制は独裁制に変貌する。まさにナチスの手口である。(現代教育行政研究会代表)2026年4月12日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-独ワイマール憲法の教訓」から引用 この記事が主張するように、緊急事態条項というのは独裁政権を目指す政治家の「隠れ蓑」のような「仕掛け」であり、議員任期が過ぎても衆議院選挙を実施することが困難になった場合、衆議院議員がいない状態になって、国会機能が停止して、それが原因で国家が機能しなくなることを防止するのだ、というのが表向きの理由ですが、実際には、現行憲法でもそのような事態を想定して、その場合は参議院が衆議院の代役を果たすということが定められているわけで、現行憲法で十分に「危機的状態」に対応ができるようになっているのですから、「衆議院議員の任期を延長する」などというロクでもない条件を付加するのはやめたほうがいいと思います。維新の会とか国民民主党という政党は、人権尊重の精神に乏しく、国会議員の立場を私腹を肥やすために利用することばかり考えている政治家の集団ですから、こういう政党に投票するのはやめるべきだと思います。
2026年04月27日
国会が開かれていても、なかなか審議に参加しようとせず、記者会見も極力避けてばかりいる高市早苗首相について、朝日新聞編集委員の高橋純子氏は11日付同紙朝刊コラムに、次のように不審の念を書いている; 高市早苗首相に聞きたいことがある。 先の総選挙で歴史的大勝を収めたからこそ、依然として高い支持率を維持しているからこその純粋かつ単純、そして根本的な疑問。感情的にならぬようゆっくりと、腹に力を込めて、聞きたい。 どうしてあなたは、なんのためにあなたは、首相になったのですか? * これほど「現れない」首相は前代未聞だろう。新年度予算案をめぐる参院集中審議への出席は10時間弱。石破茂政権の4分の1。おきて破りの型破り。この国に住まう人びとが必死に働いて納めた税金をどう使うのか。この国が抱える多くの課題に、どう対処するつもりなのか。首相たるもの、国権の最高機関である国会で説明し、できるだけ多くの納得を得るよう力を尽くすのは当然のことだ。イロハのイ、50音ならア、アルファベットならA。そこから始まる。そこからしか始まらない。 中東情勢の緊迫化は、私たちの生活にどのような影響を及ぼすのか。情報が入り乱れ、日に日に増す人びとの不安をなだめられるのは、政治リーダーの明確なメッセージしかない。ただし、メッセージとは単なる言葉ではない。思いの乗った、身体性を宿した言葉だからこそ人びとに届き、刺さる。ゆえに政治リーダーは「現れ」なければならないのだ。 ところが高市首相は記者会見を開かない。ぶら下がり取材もごくまれ。言いたいことがある時はXに投稿し、終わり。 たとえば4月4日夕の投稿は「中東情勢に伴い供給が制約を受ける可能性がある重要物資の安定確保のための高市内閣の取組の現状について、説明致します」と、○○を実現した、××を進めていると日報のごとく細かく列挙したうえで、「繰り返しになりますが、原油及び石油製品の『日本全体として必要な量』は確保されています」。そして最後は「高市内閣の総力を挙げて、きめ細かく対応してまいります!」 “日本全体として必要な量”をカギカッコでくくる「大本営発表」ぶりも鼻につくが、それよりなにより、供給不足や値上げに頭を抱えている業者、人工透析が続けられるのかと不安におびえている患者らへ向けた、いたわりやねぎらいがひとことも、ただのひとこともないことには驚きを禁じ得ない。そして最後、突如として繰り出される「!」。私はやってる!私は間違ってない!――どんな局面でも「私」が前面に出てくる、この感じ。私はシンプルに、こわいと思う。 智恵子は「東京には空がない」と言ったが、私は「高市首相には『畏(おそ)れ』がない」と言いたい。多寡はともかく安倍―菅―岸田―石破首相には確かにあった、国民の命を預かっているという、畏れ。 想像してみる。権力者が極限状態に置かれ、「玉砕せよ!」と命を下さねばならぬ局面を。高市氏はとても滑らかに命じてみせるのではないかと、危惧する。 * 「戦争反対!」「憲法守れ!」「高市政権いますぐ退陣!」。コール&レスポンスが夜空に響く。歩道を埋め尽くす色とりどりのペンライトがそのたびに揺れ、美しい波となる――。8日夜、国会前で開かれたデモに、主催者発表で3万人が参加した。「国民なめるな!」のコールも聞こえる。この国の主は主権者ひとりひとりであることを、主権者にはパワーがあることを、光の波は教える。畏れを知らぬ首相もいずれ、この波を見るだろう。畏怖(いふ)せずにいられないはずだ。まともな権力者であるならば。2026年4月11日 朝日新聞朝刊 13版 11ページ 「多事奏論-主権者のパワー、畏れぬわけには」から引用 この記事の筆者は高市氏に対して「あなたは何のために、首相になったのですか?」と問いかけているが、高市氏が首相になった目的は、中東情勢に不安を抱える国民を安心させるためなどではなく、単に子ども時代に右翼思想に凝り固まった親から吹き込まれた皇国史観を実現することしか考えておらず、スパイ防止法を制定して反対意見を言う者を片っ端から逮捕投獄し、日の丸に最敬礼しない者も厳罰に処すというようなことにばかり関心があり、庶民の生活を慮る気持ちなどは微塵も持ち合わせていないのが実態なのだから、この先は朝日新聞も、コラムで批判的な記事を書く「時期」はそろそろ終わりにして、本腰を入れた倒閣キャンペーンを始める時期に差し掛かっていることを自覚してほしいと思います。
2026年04月26日
ネタニヤフの口車に乗せられて交渉中のイランをいきなり空爆して指導者を殺害するという犯罪に手を染めたトランプは、秋に予定されている米議会の中間選挙が不利になることを恐れて、これ以上紛争を拡大したくない様子であるが、一向に解決の目途が立たない状況について、文筆家の師岡カリーマ氏は11日付東京新聞コラムに、次のように書いている; イランの理工系大学生のうち、女性は約7割だそうだ。米国はその半分程度。女性医師もイランは約5割、米国は4割に満たない。個人的にイラン政府には毛ほどの好感もないが、1979年の革命以降、女性の高等教育が拡大されたことは否定できない。ベールの強制さえ近年は渋々だが緩和され、都会では着用しない女性が増えている。 「彼らにお似合いの石器時代に戻す」と脅したトランプ大統領はじめ、米政権はイランを中世的で不合理な「神権政体」と位置付けることで軽んじてきた。確かにイランは「イスラム共和国」を自称し、宗教学者を最高指導者とするが、少なくとも米国よりは合理的な戦略で体制存続に成功したように見える。世界経済の要衝であるホルムズ海峡の管理権を恒久化してしまう可能性も取り沙汰され、劣勢だったはずのイランがこの非対称な戦争を経て、ステータスを上げた感さえある。 米国こそ、ヘグセス国防長官が「米軍はキリストの代理で戦っている」と言ったり、イランで撃墜された米兵の救出劇をキリストの復活にたとえたり、トランプも執務室で彼を救世主のごとくたたえる牧師らに囲まれて祈禧したりと、勝るとも劣らない神権政治ぶりだ。その彼らが目指す「パラダイス(天国)」は、「塀に囲まれた庭園」を意味する古代イラン語が語源だというから、皮肉である。(文筆家)2026年4月11日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-『石器時代』の傲慢」から引用 イランの理工系大学の学生の7割が女性であるとは驚きである。多分、日本でもアメリカでも「理科系は男子」という認識が常識となっているのかも知れないが、その認識には科学的根拠がなく、それこそ石器時代からの伝統(?)で「力仕事と理屈は男子」という迷信がまかり通っているだけに過ぎず、「理科系は男子」説に科学的根拠はないのが実態である。しかし、資本主義経済で発展した社会に暮らすアメリカも日本も、いまだにその「迷信」ははびこっており、さらなる発展を阻害する要因になっているのではないかと思います。ところが、厳格な戒律に支配されたイスラム圏でも、イランほどの大国になると、根拠のない迷信にはこだわらず、性別に関わらず能力のある人材を登用する社会であれば、将来発展する可能性は大きいと思います。それにしても、大統領執務室に牧師を呼んで、お世辞を言わせて悦に入っているトランプ氏の態度では、「神の加護」は期待できないのではないかと思います。
2026年04月25日
高市政権がアメリカから高額の武器輸入のために法外な予算を準備し、財源確保のために「高額医療費補助」の予算を減らすという「人道に悖る方針」であることが明らかになり、国会前には3万人ほどの抗議の人々が集まったほか、全国各地でも抗議集会が開かれたのであったが、テレビも新聞もニュースとして報道することはなく、自民党広報班のような活動をしていたのであったが、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、11日付同紙コラムに、次のように書いている; 国会前に約3万人が集まった。8日夜。若者が歌い踊り、参加者はペンライトや思い思いの標語を掲げ、声を上げる。共通の主張は「戦争反対」「憲法守れ」。同時に全国137カ所で、大小の連帯するデモや集会が開かれたという(いずれも主催者発表)。 2月の衆院選で、与党は憲法改正発議に必要な3分の2を確保。危ぶむ20~40代の有志がデモを呼びかけた。2月以来この日は4回目。米・イスラエルのイラン攻撃もあって、回を追うごとに参加者や開催地が膨れ上がり、9日午前にはX(ツイッター)のトレンド1位にもなった。 地下鉄の出口が混んで進まない。子供連れの女性がいる。見たことある俳優や学者の顔。トランプ米大統領に怒る男性。声をかけた1人は自衛官の家族だった。 皆いい人ばかり。わざわざ駆けつける志も尊い。何より人出の多さに驚く。でも、新聞もテレビもほとんど報じなかった。ニュースと判断しなかったのだ。 「戦争は嫌いだ。平和を愛す」ならトランプ氏でも言う。驚くことに本音だろう。なのに、違法で非道な残虐行為を命じる。それが政治であり、権力である。 戦争は指導者の悪意や人格で起きるのか。そうも見えるが、軍事力の性能・数量、背後に絡む利害・打算、己と国家の名誉と地位、文化や歴史や人権を敬う価値観などの方が、判断に与える影響は大きい。経済や社会の仕組みと変化が、それをのみ込む。 「反戦平和」と一口につなげても、反戦から平和までの道筋は、とても入り組んでいて遠い。 戦後日本は、その道筋を米国に丸投げしてきた。「反戦」と「護憲」の直結は、第二次大戦後の国際秩序と価値を米国が担保してくれる冷戦構造に、自ら組み込まれたからこそ可能だった。 冷戦後、一極化を諦めた米国から日本は相応の負担を求められ、安倍晋三政権は解釈改憲の禁じ手を使う。反戦を「積極的平和主義」と言い換え、集団的自衛権や敵基地攻撃能力に踏み込んだ。 第二次大戦後秩序と価値を米国が自ら壊す今、日本で反戦と護憲は昔のようにつながるか。 平和の実現には反戦と護憲、それぞれの中身を鍛え直す勇気と知恵が必要なのではあるまいか。 もはや戦後ではない。1956年の経済白書が、復興の終わりと高度経済成長の始まりを告げた希望の流行語だが、今や別の文脈で同じ言葉を引き受けなければならないようだ。戦後はもう終わった。81年以後の戦後を数えても平和は近づかない。(専門編集委員)2026年4月11日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-もはや戦後ではない」から引用 高市早苗という政治家は、以前から「国家というものは、武装して外敵の侵入を防ぐのが当たり前で、そのためにどの国にも軍隊がある。そして国民の中でも特に男子は、いざという時は命を捨ててでも国を守るという重大な使命を持っているのです」という演説をすることを「仕事」と心得ている人物であったが、このような国家観はわが国憲法が規定する国家観とは著しく趣を異にしており、公務員の憲法順守義務の観点からも、国会議員の資格が疑われるというものである。毎日新聞なども、そのような問題意識で高市首相の言動を逐一点検するべきなのに、高市氏の性格からして下手に批判記事などを書けば、新聞印刷用のロール紙の出荷停止とか、どんな仕返しをされるか分かったものではない、というような恐怖心があるのか、高市政権の問題点などは「X」には毎日山のように書き込まれるのに、新聞テレビではめったにお目にかからないというのは、新聞・テレビ業界の「日和見主義」のせいであり、そのために、人々の政治意識は希薄になり、選挙になっても「押し活選挙」しかできなくて、問題のある人物が総理大臣になったりするという「間違い」がまかり通ってしまうのだと思います。この記事では「反戦と護憲は昔のようにつながるか」などと、自分は「高みの見物」でもする立場であるかのように書いていますが、私たちは「反戦」と「護憲」をつなげて仲間を増やし、「戦後」を終わらせないための努力を積み上げて行きたいと思います。
2026年04月24日
国会議員選挙の投票結果と選挙中のユーチューブに放映される「投稿」内容の関係について、5日付神奈川新聞は、次のように報道している; 2月の衆院選中、動画投稿サイト「ユーチューブ」で大量の選挙関連動画が投稿された。再生数は9億回以上。動画を生成人工知能(AI)で解析すると、多くが、高市早苗首相率いる自民党に肯定的な内容だったことが分かった。専門家は「投票行動に少なからず影響した可能性」を指摘する。誰が、どのような理由で投稿するのか。ユーチューバーヘの取材と動画の分析から、対象を次々と変えながら「バズる」動画が増産されていく構図が見えてきた。 ▽こつ 「衆院選の収益は計約7万円だった」。ユーチューブで「ちんあなご」というチャンネルを運営する東京都の男性(60)が明かす。自ら撮影したり提供を受けたりした自民の動画を多数投稿し、再生数は投開票日までに計約700万回。名古屋駅で高市氏が手を振る動画は30万回を超えた。「都知事選は石丸伸二さん、参院選は参政党。今回は自民を取り上げた。共産党や社民党では当たらない」 動画の広告収入は再生数に対応する。増やすこつを「視聴者がどの政党や政治家を見たいのか、見極めが重要」と語る。 「国政選挙は国民の半数が投票するため関心が高い。バズる動画が必然的に生まれる」。政治動画はもうかるとの認識が広がっている。「否定的に扱う内容も含めバズつた動画をまねて同じ対象を扱う投稿が次々に増えていく」と説明した。 ▽怖さ 収益化を目的としない人もいる。自民を支持する九州地方の50代男性は「純粋な応援」として広告収入がない方式で投稿。高市氏が街頭演説で救急車に配慮し「マイクは使いません」と声を張り上げた場面に、「神対応」とテロップを付けた動画は100万回近く再生された。今回は「高市氏が桁違いにバズった」。 一方で、昨年の参院選では自民に否定的な投稿が多く見られた。男性は選挙ごとに批判の対象が変わる現状には複雑な心境だ。「いつ、どの政党や政治家が矛先になるか分からない。怖さを感じる」とも話した。 インターネット選挙に詳しいJX通信社の米重克洋代表は「ネットで選挙情報を得る層が増えユーチューブの動向が投票行動に影響したことは否定できない」と語った。 ▽吟味 共同通信は昨年の参院選と今年の衆院選でユーチューブに投稿された選挙関連動画のうち、それぞれ再生数が上位の千件を分析。政党や立候補者、報道機関などの投稿を除き参院選で814件(再生総数9億813万回)、衆院選で882件(同9億40万回)を対象とした。 動画名や説明文、音声を書き起こした文章に使われている単語などを対話型生成AI「チャットGPT」で解析した。政党の扱いを「肯定的」、「中立」、「否定的」に分類。正確かどうか目視で全データを確認した。 参院選は814件のうち、自民に否定的な投稿が最も多く395件だった。肯定的は16件。当時の石破茂首相が険しい表情で話す姿を「態度が悪い」とするなど政策と無関係な内容も多かった。 衆院選では結果が逆転した。882件のうち自民に否定的な投稿は84件と激減。肯定的は324件と最多だった。高市氏の演説に集まった聴衆を写して人気をアピール、討論会を短く編集し他党党首を論破したように印象付ける投稿もあった。 法政大大学院の白鳥浩教授(現代政治分析)は「数十秒の動画で称賛や批判が大量に展開され、視聴者が政党や政治家に抱く印象に影響した」と指摘する。その上で「投票する際には複数のメディアから情報を集め冷静に政策を吟味する必要がある」と語った。2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「対象変え『バズる』増産」から引用 ユーチューバーと言われる人たちは、政治について何か特定の信条を持っているわけではなく、特定の政党を応援する意図もなく、単に「自分が投稿した動画が人目を引いて、再生回数が多くなれば収入も増える」という考えで、「今は、選挙期間中だから、誰をどのような表現で取り上げれば、再生回数を稼げるか」という観点からのみ考えて、前回は「石破氏は、仏頂面で小難しい理屈を偉そうに言ってる」というネガティブな取り上げ方をしたので、自民党は得票数を減らしたが、今年の衆議院選挙は、なんといっても「日本初の女性首相」だから、受けるはずと狙いを定め、「通りかかった救急車に配慮して、街頭演説はマイクを使わないで、地声でやります」などと大衆受けするシーンを流したところ、これが狙い通りにバズった、ということのようで、政治家高市早苗の政治信条とか、スパイ防止法で自由な言論を抑圧するとか、憲法改悪で戦争をする国に変えようとしているというような「視点」は完璧に抜け落ちている点が、重大な問題だと思います。また、このような「重大な問題」が発生する「土壌」として、「野党はいつも与党の悪口を言うだけ」という低レベルの野党認識が、野党の真剣な「問題アピール」に耳をふさぐ結果をもたらしており、このままでは日本社会は自民党の悪政を止めることができず、没落していくだけだと思います。
2026年04月23日
日本で働く外国人でイスラム教徒の人たちの団体が横浜市に建設中だったモスクが完成し、地元の横浜市民も招待されて盛大なオープニング・セレモニーが開催されたことを、5日の神奈川新聞は次のように報道している; イスラム教徒の礼拝施設で地域の交流拠点になる「横浜アッソーリヒーン・マスジド(モスク)」が横浜市旭区上川井町に完成し、オープニングセレモニーが4日、近隣住民を招いて開かれた。コミュニティーの一員として共に歩みたいムスリムの願いに、地元の人々は対話と信頼、差別の否定で応じた。(石橋学) モスクを巡っては、卑劣なレイシストが妨害を繰り返しているが、差別にくみしないマジョリティーの態度があるべき共生を示す。 モスクを建設運営する一般社団法人「アッソーリヒーン・ヨコハマ・ファンデーション」の代表理事、アリエフ・ジュナイディさんはあいさつの冒頭から語った。「さまざまな意見や不安が地域に生じているのは承知している。率直なコミュニケーションで説明責任を果たし、調和の取れた関係を築いていきたい」 この間、周辺の団地や家々に「巨大モスク建設」「知らない間に」「治安悪化の恐れ」などと差別を煽るデマちらしがまかれた。レイシストが入れ代わり立ち代わり現れ、建物の動画を無断で撮影しては交流サイト(SNS)で拡散した。 あいさつで強調された「地域の秩序と快適さを最優先する」「日本の法令、規範を遵守(じゅんしゅ)する」「駐車、清掃、安全面で適切に対応する」という約束は、いつ排斥の矛先が向くかも知れないマイノリティーこそが抱く不安の裏返しだった。 地元の若葉台連合自治会、菅尾貞登会長の祝辞にはそうした恐れを打ち消す響きがあった。「インターネットではモスクを不安視する声が聞かれ、トラブルの前に対処すべきだという意見も一部にあった。だが、はなから問題があるかのように話すのは間違い。理解するところから始めないといけないと諭した」 対話を重ねてイスラムについて学び、断食明けの食事をともにし、確信を深めた。「ビラがまかれたりしたが、大ごとにはならなかった。若葉台はそもそも全国からいろんな人が集まっているまち。オープンな気持ちの人が多いと思う」 隣接の横浜若葉台団地に住む円谷弥生さんはそのあいさつに「私たちはデマなど相手にしないと、差別を煽る一部の者を歯牙にもかけない態度が頼もしかった」と話す。妨害者がやって来るのではないかと心配で足を運んでいた。招待されたわけではなかったが、式典に招き入れてもらえたこともうれしかった。 モスクを建てたのは経済連携協定(EPA)で来日したインドネシア出身の市民で、看護師・介護士として働く。アリエフさんは「私たちの願いはモスクが受け入れられるだけでなく、地域にとって価値のある存在になること」といい、高齢者の健康に関するイベントも計画する。円谷さんは「文化を知るイベントなども楽しみ。今日見聞きしたことを近隣に広めたい」とうなずいた。2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「時代の正体・差別禁止法を求めて-『地域と共に歩みたい』」から引用 横浜市のモスク建設が順調に進んで、めでたく落成式の日を迎えることが出来たのは、地元の自治会のバックアップと住民の理解の賜物と思います。宗教施設として礼拝のためにモスクを訪れる人たちも、閉ざされた宗教施設ではなく、地域の一員としての自覚を持って、「地域にとって価値のある存在になりたい」という気持ちをはっきりと表明できるのは素晴らしいことで、生活文化の違いを乗り越えて、相互理解を獲得していくのが私たちの社会の発展する方向性なのだと思います。
2026年04月22日
最近訃報が伝えられた児童文学作家の山中恒氏について、共同通信編集委員の福島聡氏は5日の神奈川新聞に、つぎのように追悼記事を書いている;◆平和への執念に敬意 人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの原作者である児童文学作家の山中恒さんが死去した。軍国主義一色に染まった戦前に少年時代を過ごしたことから、その検証をライフワークとし、収集した膨大な資料を基に著書を次々に刊行した。 平和の尊さを訴え続けた執念に深い敬意を表するとともに、東アジアの安全保障環境悪化がしきりに叫ばれる今こそ、次世代として遺志を継承したい。 戦前の歴史、特に子どもの教育や人々の暮らし、言論統制、メディアの状況を調べていると、必ず山中さんの著作に行き当たる。関連の著書は30冊以上。徹底した資料集めと綿密な分析に舌を卷く。 満州事変が起きた1931年に生まれ、37年に始まった日中戦争、41年開戦の太平洋戦争を少年時代に経験した。「私の子ども期は、べったり、戦争におおわれていた」と著書で回顧する。 当時の子どもは「少国民」と呼ばれ、学校では徹底した軍国主義教育を受けた。海外侵略を正当化する標語だった「八紘一宇」の精神をたたきこまれた。「疑うことは許されなかった。疑うこと自体、非国民的言動とされた」と記す。 「(敗戦時)負けたら国民全員が切腹して天皇陛下におわびしないといけないと教えられていたから、どうやって死ぬかを考えた」と共同通信のインタビューで語っている。 しかし友人に「先生たちが死んでからでも良い」と止められた。それまで「天皇陛下万歳」と叫んでいた先生たちは「民主主義万歳」に、がらっと変わった。このとき大人に抱いた強い不信感が、その後の旺盛な著述活動の原動力になった。 手元に著書「新聞は戦争を美化せよ」がある。古書店で入手した本には「日の丸と神の国とをたたえたる あの日の我は今は悲しも」という歌とともに、本人のサインが記されている。千ページ近い同書で、山中さんは当時の徹底した情報統制を詳述し、新聞社の対応も掘り下げている。 軍に批判的なスタンスも見せていた大手紙は、満州事変を境にナショナリズムを鼓吹し、軍を後押しする論調に一変した。29年の世界恐慌以降、販売・広告収入が伸び悩んでいた新聞界はこれで息を吹き返した。報道・言論への政府の統制が本格化したのは38年の国家総動員法施行以降だが、その前から新聞は軍の「応援団」になっていた。 山中さんは「あまりにも権力に唯々諾々、ほとんど抵抗らしい抵抗も示すこともできなかった。そればかりか積極的に権力の意を迎えにいくかの如く、お先っぱしりに精を出したとしか思われない部分もあった」と記す。 この指摘をメディアに身を置く者として重く、切実に受け止めたい。世界で戦禍が絶えず、国際秩序も大きく揺らいでいる。メディアは何を伝えるのか。山中さんは冥界から目を光らせているように思う。(共同通信編集委員・福島聡)2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「核心評論-平和への執念に敬意」から引用 山中氏が著書の中で子ども時代を振り返って話しているように、昔の学校教育の現場は教員が生徒を「体罰」と称する「暴力」で支配し、教員の言うことに対して疑問を呈するような発言は現に禁止されていたのが現実であった。なにしろ武士が人殺しの道具を携帯して往来を闊歩している時代から、さしたる社会教育の機会もなく近代国家になってしまったので、「人権思想」などというものが育つような余地もなく、「将軍」の代わりに「天皇」が支配する社会になっただけだったので、どの新聞社も始めのうちは、侵略戦争に批判的な姿勢だったのに、「日本軍が優勢」とか「勝った」と報道すると新聞が売れるというので、戦争批判は次第になくなるという状態であった。そんな調子でやっていくうちに、日中戦争は泥沼状態となり、太平洋戦争では米軍が優勢になり、ついに敗戦となったのであったが、このようにして「敗戦」を経験してもなお、日本人社会はまだ、「戦争は間違い」であることに気付かずに、戦争を放棄した「憲法」をもう一度改悪して再武装しようとする勢力に政権を任せているのは、あまりにも不勉強というものです。自民党の党大会に、現職の自衛官が制服着用で参加し、ステージで「君が代」を歌うというのは、自衛隊の中立性を規定した自衛隊法に違反する事例であるにも関わらず、幕僚長も防衛大臣も、さらには首相まで「自民党大会に現職自衛官が出席して君が代を歌うというのは、事前には聞いていなかったので、まったく知らなかった」などと言って、「知らない」と言えば責任逃れできると踏んでいる。そんなでたらめでいいのかという声がメディアから上がらないという現実は、戦前と何も変わっていないことを示しており、実に危険な状態に私たちの社会はあるということを自覚しなければならないと思います。
2026年04月21日
今から70年前と言えば、私が小学校1年生になった年であるが、その時はまだスエズ運河は英国とフランスが支配して運営していたもので、独立して間もないエジプトが国有化を宣言すると英国とフランスと、それに加勢するイスラエルが軍隊を差し向けて第2次中東戦争が始まったのであった。そしてこの紛争を解決するために尽力したのが当時のカナダ外相、レスター・ピアソンであったが、当時の経緯を中央大学教授の目加田説子氏が、5日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 70年前の1956年。英国とフランスが事実上配下に置いていたスエズ運河の国有化をエジプトが宣言した。反発した英仏にイスラエルも加わって軍事介入し、第2次中東戦争が勃発した。国連安保理では米国がイスラエルの撤退を求める決議案を提出したが、英仏が拒否権を発動して危機対応は行き詰まった。 結局、和平に向けた議論は国連総会の緊急特別会合へと移り、そこで活躍したのが当時カナダの外相だったレスター・ピアソン(後に首相)だ。総会がいくら停戦・撤兵を決議したとしても、「単なる決議では平和的解決に必要な措置を欠いたままだ」として、停戦監視と当事者を分離するために「国連緊急軍(UNEF)」の創設を提案した。 「戦闘当事者でも大国でもない中立国部隊を国連の下で派遣する」。ピアソンの案は、全面屈服ではない撤兵の体裁を英仏に与え、エジプトには大国支配の継続を防ぐ手だてとなり、米国にとっては英仏の行動を抑えつつ戦争拡大を防げるという「三方よし」の打開策になった。 ◇ ◆ ◇ UNEFは、のちの国連平和維持活動(PKO)の制度化と発展の礎となった。ピアソンは、「国際紛争に対して新しい多国間安全保障の実践モデルを示した」として翌年のノーベル平和賞を受賞した。スエズ危機を通じてカナダは、「帝国でも超大国でもないが、国際秩序の仲介者として貢献する国」という自己認識を強めることになったのである。 その後、時代は大きく変化した。地域紛争や対テロ戦争でPKOの任務が多面化し、カナダの参加率は低下した。それでもカナダでは「平和維持アイデンティティー」が重要な価値として残り続ける。 世論調査では、6割を超える人々が平和維持を「カナダの最も重要な国際貢献」と認識し、約7割が米国主導の単独主義より国連主導の多国間主義を支持していることが明らかになっている。 ◇ ◆ ◇ ピアソンは「外交の人」として語られることが多いが、首相としては「福祉国家を整備した人」としても知られる。給付水準が低かった年金制度を整備し、皆医療保険制度を実現させた。 晩年には、「平和は外交だけでは維持できない。相互理解を進める人間を育てる必要がある」として、「教育による平和」にも力を入れた。「異なる国・宗教・階層の若者を一緒に学ばせることで紛争を防ぐ」ことこそが「国際秩序の長期的安定装置」につながると、ピアソン・カレッジの設立を目指した。完成を見ずに亡くなるが、その教育精神はピアソンの「遺志」として現在も同校に受け継がれている。 半世紀近く国際人道支援に携わるカナダの友人は、「(同校の)地元に住んでいると話すと、自分もそこで学んだと言う人が多くて驚く。直近では、昨年の国連総会で会ったナミビアの外交官がそうだった」と語る。 マーク・カーニー首相は今年1月、ダボス会議で「米国主導の国際秩序は崩壊しつつあり、中堅国が連携して新しい秩序をつくるべきだ」と提唱して脚光を浴びた。人権・法の支配を遵守しつつ現実のパワー政治にも対応するという、ピアソンのレガシーを引き継ぐ新たなリアリズムとして歴史を刻んでいくのか。要注目だ。2026年4月5日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-ピアソンのレガシー」から引用 この記事を読むと国連PKOの基になる組織の創設を提案し実現したレスター・ピアソン氏の活動は、正にノーベル賞に値する重要なレガシィであったことが分かります。当時はアメリカはまだ若い国で、英国・フランスが国際社会で大きな顔をしていたことが分かり、新興国のイスラエルはどこか大国が自分の味方になってほしいので、英国・フランスがコトを起こすとすぐさま助太刀に参上するという「姿勢」は今も同じで、今では英国・フランスに代わってアメリカがその「地位」にいる、というのが実情かと思います。しかし、そのアメリカも、上の記事が末尾で触れているように、アメリカ主導の国際秩序は崩壊しつつあるので、これから先、中堅国が連携して新しい秩序を作った場合、イスラエルは現在のようなアメリカとの「悪事も共有する」ような関係を、アメリカ以外の国と構築するのは難しくなるのではないか、そして、その方が平和で平等な世界を築く上で環境が整うというものではないかと思います。
2026年04月20日
市民団体が設置した「憲法九条の碑」の除幕式に出席した元文科官僚の前川喜平氏は、5日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 4日午後、東京都町田市に完成した憲法九条の碑の除幕式が行われ、僕も参加した。設置されたのは野津田公園南口付近。社会福祉法人「共働学舎」が場所を提供した。 碑に描かれた絵は、町田市在住の絵本作家・長谷川知子さんの作品だ。背中に葉っぱの羽根を持ち、ほうきに乗って空を飛ぶ少女たち。「ほうき」は戦争の「放棄」を意味している。とても明るく可愛い絵なのだが、少女たちの表情には不退転の決意が宿っている。 絵の下には憲法第9条の条文が書いてあり、右側のもう一つの碑には、設置者「町田に憲法九条の碑をつくる会」のメッセージとともに、町田市在住の音楽家ひろこさんが詩と曲を書いた歌「ほうきの約束」の歌詞が刻まれている。「放棄の約束をわたしは守る。わたしたちは守る」。とても易しくて優しい歌なのだが、その歌詞にも不退転の決意が込められている。 記念講演をした国際ジャーナリストの伊藤千尋さんは全国の九条の碑を見てきたそうだ。1985年に沖縄県那覇市に建てられたのが最初で、町田の碑は79番目。近年急速に増え、おととしは15力所、去年は25カ所にできたという。世界で起きている戦争と9条改変に向かう政治の動きへの危機感の表れだろう。九条の碑は、戦争を憎み、改憲に反対し、人類の理想を追求する人たちの拠り所なのだ。(現代教育行政研究会代表)2026年4月5日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-町田憲法九条の碑」から引用 町田市に設置された「憲法九条の碑」が79番目とは驚きの数字であるが、最初の「碑」が沖縄県で設置されたときはメディアも取り上げて、それなりに世間の「話題」となったのであったが、なぜかそれ以降はニュースとしての「価値」がないと見なされたのか、そんなにあちこちに設置されているとは知らなかった。憲法順守が義務付けられているはずの高市政権は憲法改正の準備を着々と進めており、それを問題視して報道するメディアは「しんぶん赤旗」くらいのもので、他の商業新聞は論説でこそ一応は批判的な文章を掲載しているが、憲法改正は戦争への準備であり、阻止するべきだという「論調」を前面に堂々と表明する新聞がないというのは、結果的に「改憲派のやりたい放題」をいう状況を作り出してしまう。この先、「憲法九条の碑」が100個になり、120個になっても、果たして「改憲勢力をしのぐほどの多数派」を作り出せるのかどうか、甚だ疑問に思う次第です。
2026年04月19日
原子力発電で使用した核燃料は火力発電で使用した燃料と違って、使用後も数千万年にわたって熱や放射線を出し続けるので、使用済みと言ってもその辺に放置するわけにはいかず、すべて水槽に入れて加熱しないように対策を施して保管する必要があり、全国の原発の工場内には使用済み核燃料の一時保管プールが用意されているのであるが、その一時保管プールが数年以内に満杯になるという問題について、2日の朝日新聞は次のように報道している; 原発を動かした後に生じる使用済み核燃料が各地で増え、燃料プールなどでの保存可能量の上限に近づいている。国内最多の3カ所7基の原発を動かす関西電力は状況が厳しく、このままいくと2028年度にも一部の原発で満杯となる恐れもある。◆関電、28年度にも上限の恐れ 原子炉から取り出された使用済み核燃料は熱を持ち、放射線量が高い。そのため、近くにある燃料プールの水の中につけ、冷やしつつ放射線を遮るかたちで保管されている。 電力大手でつくる電気事業連合会が2月に出した、25年末時点の実績によると、廃炉が決まっている東京電力福島第一などを含む国内の17カ所の原発にある使用済み核燃料は、すべての燃料プールなどの保存可能量の78%に達した。 原発ごとにみると90%超が福島第一、関電大飯(福井)、80%超は関電の高浜(同)と美浜(同)、九州電力の川内(鹿児島)と玄海(佐賀)、東電柏崎刈羽(新潟)など8原発だった。約5年単純に運転したと仮定した場合、大飯、高浜、柏崎刈羽の3カ所が上限に達するとした。 このうち、柏崎刈羽の分については、冷めた使用済み核燃料を原発の敷地外で一時的に保管する「中間貯蔵施設」が青森県むつ市にあり、東電は搬出を始めている。 ただ青森県の宮下宗一郎知事は3月31日、中間貯蔵施設からの最終的な受け入れ先となる同県六ケ所村の再処理工場の完成が遅れているとして、現時点では26年度の使用済み核燃料の受け入れを容認しないとの考えを示した。 関電は、搬出ができずにいる。冷めた使用済み核燃料を、水を使わずに保管できる「乾式貯蔵施設」を3原発内で計画中だが、完成していない。このまま原発を運転しつづけると、高浜で28年度ごろ、美浜で29年度ごろ、大飯が30年度には施設が満杯になり、運転できなくなるとしている。 約10年前の電事連の15年9月末のデータと比べると、関電の3原発はいずれも、保存可能量に対する実際の貯蔵量が20ポイント以上上がっている。増加幅は17カ所の中で最も高かった。◆再処理計画進まず「目詰まり」 各地でこれほどたまっているのは、使用済み核燃料を再利用しようとする国の計画が順調に進んでいないためだ。 国や電事連は、使用済み核燃料を、六ケ所村の再処理工場に運び、再び原発で使えるようにしたいとする。だが、工場は93年の着工後、完成の延期を重ねている。行き先がなくなり「目詰まり」が起きている状態だ。 関電は28年度からその工場に、福井の原発の使用済み核燃料を運び入れる計画を立てているが、工場の完成や処理の開始が少しでも遅れれば、その分だけ影響が出る。 関電はまた、27年度から再処理を委託するフランスの原子力企業へ搬出するほか、30年ごろには福井県外に中間貯蔵施設をつくって操業させるとしている。 山口県上関町で中国電力が計画している施設が有力視されているが、周辺自治体などから反発が起きている。(野口陽)2026年4月2日 朝日新聞朝刊 13版S 7ページ 「核燃プール、近づく満杯」から引用 原子力発電は未来を拓くなどという宣伝文句があったが、これは根拠のないデマのようなもので、火力発電や水力発電に比べて素人目には高度な科学技術を応用したように見えて、実はまったく効率の悪い発電装置であり、その上、使用後の燃料物質が無害化するのに数千万年かかるという「大問題」を抱えた発電方法である。60年代70年代に原発事業をスタートさせた頃は、使用済み核燃料の問題はそんなに遠くない将来に新しい技術が開発されて、すべて解決されるはず、という安易な見込みでスタートしたのが間違いの始まりであった。その後、確かに使用済み核燃料を再加工して新しい核燃料にする工場を青森県六ケ所村に建設し、20年ほど前に一端完成したと言われたのであったが、試運転の度に不具合が出てきて、以来数年置きに「完成」の予定が先延ばしされて、今もまだ未完のままであり、その再加工燃料を燃やして発電するはずだった「もんじゅ」も、いろいろな不具合が続出していつの間にか廃炉になってしまっている。電力会社は、このようにして原発事業に多大な資本を投下しているが、その「資本」とは我々消費者が支払った電気料金である。無駄な原発などにつぎ込まずに、堅実な再生可能エネルギーに投資していれば、今頃は電気料金もかなり安価になっていたはずなのに、よくみんな、おとなしくしていられるなぁ、と思います。
2026年04月18日
もともとはテレビ・タレントだったラサール石井氏は、自民党政治を批判する発言が祟って、どのテレビ局も出演させてくれなくなったため、タレント業を辞めて参議院選挙に出て、今は参議院議員になっている。その石井議員が70年代に流行った反戦歌を歌ったことについて、元文科官僚の前川喜平氏は3月29日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「X」を見ていたら、ラサール石井さんがギターを抱えて「戦争は知らない」を歌う動画があった。僕も高校生のころよく歌った。石井さんの歌は決して上手とは言えないが、気持ちが伝わってきて不覚にも涙が出た。 明日結婚する20歳の女性が戦死した父を想う反戦歌。歌詞を書いたのは寺山修司だ。「戦で死んだ悲しい父さん」。そうなのだ。戦争で死ぬことは悲しいことなのだ。 石井さんや僕の高校生時代、アメリカはベトナム戦争という愚かな戦争を続けていた。「風に吹かれて」「花はどこへ行った」「悲惨な戦争」「イマジン」などの反戦歌が世界中で歌われていた。 25日に2万4千人が国会前に集まったという「平和憲法を守るための緊急アクション」。僕もペンライトを持って参加したが、石井さんもその中にいたそうだ。心強く思ったのは若い人たちがたくさん来ていたことだ。 各地の「九条の会」は今かつてない危機感を抱いて活動しているが、共通の悩みは若い世代と繋からないことだ。しかし国会前では世代を超えて「戦争反対。9条守れ。戦争反対。過去に学べ」と声を上げた。僕の世代も戦争は知らないが、学ぶことはできる。学べば反省と決意が生まれる。それは世代に関係ない。 歌には世代を繋ぐ力がある。一緒に「戦争は知らない」を歌ったらきっと楽しいだろう。(現代教育行政研究会代表)2026年3月29日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-戦争は知らない」から引用 「戦争は知らない」という歌が流行ったとき、私は秋田の高校を卒業して、東京都練馬区の下宿から神田神保町にある大学に通っていた。その下宿というのは、当時の国鉄を定年退職した人が、大学生の下宿用に自宅の二階に三畳間を三部屋作ってあって、私の隣の部屋の学生はギターを引きながら「戦争は知らない」をよく歌っていたのを、上の記事を読んで懐かしく思い出した。あの頃は、日本大学では経営陣の不正な経理問題とか、東京大学医学部の学生の政治運動に対する不当な弾圧問題などが火種となって、全国の大学に全共闘運動が広がったり、毎週日曜日の公園は「べ平連」の集会があり、集会の後は明治公園から日比谷公園までデモをするのが「お決まりのコース」だった。私は、あの頃の学生運動が憲法9条を今日まで守り通すことに貢献したと思うし、現代の若者もこれからの数十年間、憲法を守り通していくために力を発揮してほしいと思います。
2026年04月17日
事実上の同性婚で暮らす人たちはパートナーが病気で入院したときに家族としての見舞いを病院が認めようとしないとか、パートナーと死別した際の遺産相続が認められないという「不当な差別」があるため、近年では日本中のあちこちの自治体で、「パートナー制度の導入」というような「工夫」が試みられているが、それと同時に現行の民法が「同性婚を正式な婚姻関係ではない」としている部分は憲法違反だという観点からの訴訟も、全国各地で起こされて、次々と勝訴している。ところが、唯一、東京高裁だけは「同性婚を認めない現行の民法は合憲である」との判決を出したため、全国の法学者60名がこの東京高裁判決に対し抗議声明を出したことを、3月29日の東京新聞は、次のように報道している; 同性婚を認めない民法などの規定は憲法違反だとして、2019年以降に全国の同性カップルらが国を訴えた「同性婚訴訟」。計6件の控訴審判決で唯一「合憲」とした昨年11月の東京高裁判決に、60人の法学者有志が連名で抗議声明を出した。最高裁は、26年度中にも初の憲法判断を示す見込みで、声明の呼びかけ人の一人で愛知大の大野友也教授(憲法学)は「当事者の思いをくんだ判断を」と話す。(奥野斐) 声明は大野教授に加えて、いずれも憲法学が専門の室蘭工業大大学院の清末愛砂(あいさ)教授と東海大の永山茂樹教授の3人が呼びかけ人となってまとめ、法社会学や刑事法など幅広い分野の50人以上の法学者が賛同。3月に公表した。大野教授は、本来人権を保障するための憲法の前文を、逆に人権を制限する方向で用いた判決だとし「憲法に対する侮辱だ」と憤る。 札幌や名古屋など先行する5高裁判決で違憲の判断が続く中、東京高裁は昨年11月、同性婚を認めない現行制度について高裁初の合憲判断を示した。「ちゃぶ台返しみたいな判決で驚いた。違憲判決を前提に、どの論点で違憲を導くのかが焦点だと考えていたので、合憲判決は想定外だった」 声明では、合憲とした理由付けに問題があると指摘。特に、憲法前文の使い方に疑問を投げかける。 判決は、同性婚を認めなくても、法の下の平等を定めた憲法14条1項に違反しないという文脈で、憲法前文の「われらとわれらの子孫のために(中略)この憲法を確定する」とする箇所を引用。国家は世代を超えて維持されることを前提とするため、男女の夫婦とその子どもの家族を想定して婚姻制度を設計することが合理的だ、との結論を導いた。 同様に前文を用いて、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」などと定めた憲法24条の「婚姻の権利」の射程を狭めていることも、看過できないという。憲法24条は同性同士の結婚を、男女の結婚と同じ制度で保障することを予定していないのだから、差別的な取り扱いにならない、との主張だ。 大野教授は「都合のよい解釈で、怒りや失望がわいた。憲法は人権を保障するためのもので、憲法で権利を制限するというのは本末転倒だ」と語る。 また、判決には「論点ずらし」もあると指摘する。「同性婚を認めないこと」の合理性を問う裁判なのに、異性婚制度の合理性を逆に強調している点だ。男女の結婚を前提とした規定について、「一の夫婦とその間の子」の結合体を、社会の基礎的な構成単位となる基本的な家族として想定するものだとしている。 大野教授は「あたかも原告らが異性婚制度自体を違憲と主張しているかのように述べ、当事者の主張と向き合っていない」と批判。実際の社会にはすでに多様な家族が存在しており、「判決はこうした人たちを突き放しているように見える」と話す。 最高裁は今月25日、審理を15人の裁判官による大法廷に回付し、早ければ26年度にも統一判断が出る見通しだ。大きな節目を前に、大野教授は「最高裁が合憲判決を書くハードルはかなり低くなったと思う。だが、他の5件の高裁判決が違憲としている事実を見てほしい」とくぎをさす。 提訴以降、自治体の「パートナーシップ」制度は広がり、複数の世論調査でも同性婚への賛成割合は高まっている。「東京高裁の合憲判決でさえ、今の憲法で同性婚を認めたら憲法違反だとは言っていない。憲法学者の大半は憲法改正せずに、同性婚の法制化は可能との主張だ」と説明。「同性婚を認めても誰かが損することはなく、幸せな人が増えるだけだ」と強調した。2026年3月29日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「同性婚認めぬ判決『憲法侮辱』」から引用 同性婚の問題が裁判沙汰にまでなった原因(?)は憲法24条の条文が「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」となっているため、同性婚を認めないという従来の「考え方」の根拠は、「憲法に『両性の合意』と書いてあるから、これは『男と女』という意味なのだ」というものであったが、ほどなく「正しい憲法解釈は昔の、親が承諾しない婚姻は無効という古い制度を否定することが目的の条文であって、同性婚を除外したり差別するのは現行憲法の意図するところではない」という真面な憲法解釈が、広く世間に行き渡った結果、各地の自治体窓口で「パートナーシップ制度」の導入が行われたというのが現状であり、同性婚を認めていない現行の民法は速やかに改正するのが国会の仕事であることを、私たちは理解し国会議員に民法改正を働きかけていく必要があると思います。
2026年04月16日
元外交官で駐イラン大使の職歴を持つ斉藤貢氏は、イラン vs アメリカ・イスラエルの紛争の解決に向けて日本がどのように行動するべきか、3月9日付け東京新聞で、次のように述べている;■米・イラン双方のメンツ立う仲介、準備を 米国とイスラエルがイランに先制攻撃してから、28日で1ヵ月となった。今後の戦況の見通しや、期待される日本の役割について、斉藤貢・元駐イラン大使に聞いた。(聞き手・近藤統義) 米国は、最高指導者を殺害すればイランのイスラム革命体制はすぐ崩壊するとみて、拙速に攻撃を始めたと言わざるを得ない。軍事衝突でかなわないイランは、ホルムズ海峡の事実上の封鎖など「石油カード」を切った。米国内のガソリン価格は高騰し、11月に中間選挙を控えるトランプ政権への圧力になっている。 現状では米国とイスラエルは手詰まり状態で、イランは自らが優勢とみているはずだ。双方が戦闘終結に向けた条件を提示したが、互いにのめる内容ではなく、継戦宣言にも読める。中東政治ではメンツが重視される。イランは、つぶされたメンツを回復させない限り抵抗を続けるだろう。 トランプ米大統領は5月14、15日に延期した訪中までに戦争を終わらせたいだろうが、停戦交渉が難航すれば米軍の地上作戦もあり得る。イランの原油積み出し拠点であるカーブ島の占領などが考えられるものの、イラン側の徹底的な反撃でかえって戦況が泥沼化するリスクもある。 日本は厳しい東アジア情勢を踏まえ日米同盟強化を重視しているため、近年はイランとの関係は薄まっている。それでも、イランにとって西側先進国で頼れるのは日本くらいだ。年明けに会ったあるイラン政府関係者は、米国との緊張緩和に日本への期待を語っていた。日本が動けば、イランは余計なお世話だとは言わないはずだ。 米・イランの緊張が高まった2019年、トランプ氏の依頼で安倍晋三首相(当時)がイランを訪問し、ハメネイ師と会談した。私も大使として携わった。結果としてうまくいかなかったが、日本独自の外交努力だった。現在は戦争のさなかで当時より難しい状況だが、米・イラン双方のメンツが立つような頭の体操はしておくべきだ。<さいとう・みつぐ> 1957年生まれ。80年、外務省入省、2015年に駐オマーン大使、18~20年に駐イラン大使を務めるなど、駐在した中東の国は7力国に上る。24年から関西学院大客員教授。著書に「イランは脅威か」がある。2026年3月29日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「西側でイランの頼りは日本」から引用 斉藤氏はさすがにイランを含む中東諸国の大使を務めた人らしく、中東の人々の気風やもの考え方をよく理解できている様子で、イランが多少とも日本を頼りに思っているのであれば、日本からも何か気の利いた言葉でもかけてあげれば良さそうなものだが、訪米から戻った高市早苗氏は、イラン政府に電話をかけて、何を言うのかと思ったら「ホルムズ海峡を通過する船舶から通行料を取るのはおかしい。公海なのだから、どこの船舶も無料で通れるはずだ」などと、アメリカと戦争状態にある国の政府に、わざわざ電話して、中学生の屁理屈のような話をするというのも、いかにも高市早苗氏らしい知的レベルのお粗末さを露呈していた。この調子では、この先もろくなことにはならないのだから、適材適所の観点からも早めの政権交代が、国のためだと思います。
2026年04月15日
アメリカとイスラエルが3月にイランを攻撃する陰謀は、1月に既に出来上がっており、イランに隣接する湾岸諸国に「安全保障」の名目で駐留していた米軍は、イスラエルと組んでイラン攻撃した場合、これら湾岸諸国に駐留している米軍が仕返しの標的になることを計算に入れて、早々と1月半ばにはこれら湾岸諸国の基地からアメリカ本国に撤退していたのであったが、そのような米軍の行動について、文筆家の師岡カリーマ氏は、3月28日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「何の権利があって、我々を戦争に引きずり込んだのか」。UAEの億万長者ハラフ・ハブトウールはSNSの投稿で、トランプを名指しして強い言巣で非難した。米国とイスラエルがイランを攻撃した結果、米軍基地があるクウェートやカタールなどの湾岸諸国がイランの「報復攻撃」にさらされ、エネルギー産業をはじめとするインフラが重大な被害を受ける中、人々の怒りはイランだけでなく「米国の裏切り」にも向けられている。 すでに1月には、米軍が一部人員を湾岸の基地から撤退させていると報じられていた。いざという時には抑止力にも盾にもならない米軍に、湾岸諸国は巨額の富を浪費してきたのかという声が広がるのは当然だ。ある識者は、「米国の裏表外交を熟知するはずの湾岸諸国が、愚かにも米国の冷たい胸で暖を取っていた」と指摘。さて私たちは「日本は別格」と自信を持って言えるだろうか。トランプにとっては湾岸諸国の方がずっと儲かる同盟国だ。彼らを二重に裏切ったトランプの胸に飛び込んで(ハグとは呼べない)ご機嫌を取っても日本の安全保障にはならないというのが今回の教訓ではないか。米軍の盾を自らの力と錯覚し、財力と人口と軍事力で敵わない隣国を刺激するのが「したたかな外交」か。誰も攻める理由がない日本の確立こそ「したたかな外交」ではないのか。(文筆家)2026年3月28日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-米軍は守ってくれない」から引用 日本のあちこちに点在する米軍基地は、本来「東西冷戦」の頃にスターリン主義のソ連が共産圏と称する地域を拡張する政策をとっていたことに対抗して、韓国と日本を「防波堤」とするために軍事基地を置いたのであったが、その東西冷戦が終わった今となってはせいぜい活動範囲を広げたがっている中国の海軍に睨みを利かせる程度の意味合いしかなく、日本を防衛するために米軍基地を置いているなどというのは、勝手な独りよがりであり、何か東アジアの雲行きが怪しくなれば、米軍は中東と同じように、さっさと撤退するであろうことは容易に想像できます。高市首相は就任早々に「台湾有事は日本の有事」などと失言したが、その言い訳に「台湾有事の場合は、台湾在住の邦人を救出する必要があり、その業務を米軍に任せきりにして自衛隊は派遣しないなどというわけにはいかない」とも発言していましたが、その発言に対して新聞は、数か月前の米国防総省の高官の発言として「台湾有事の際に米海軍の艦船が民間人の安全確保に協力することは、米軍人の安全が損なわれる危険があるので、そのような協力はあり得ない」と言明したことを報道していた。したがって、高市首相は台湾有事の際に自衛隊を出動させるつもりかも知れないが、米軍の協力は一切当てにならないのが「現実」であることを私たちは認識するべきです。高市氏のような軽率な認識では、この先の日本の舵取りはかなりの「危険」がともなうことも、国民は深刻に考えるべきです。
2026年04月14日
80年代に人気を博したテレビドラマ「北の国から」の再放送を機会に、シリーズ全話を鑑賞した毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、3月28日付同紙コラムに、次のように書いている; テレビドラマを見る習慣がない。昨年、フジテレビが不祥事の埋め合わせか「北の国から」を再放送し、途中の一話を偶然見た。 それで思い立ち、子供たちの成長につれ数年おきに放映されたスペシャル編を含むシリーズ全話を、数カ月越しで鑑賞した。 初見なのに懐かしい。まさに国民的ドラマ。登場人物たちの育ち老いる歳月を、視聴者が共に過ごした希少な実験的放送である。 連続ドラマの開始は1981年。シリーズ打ち切りが2002年。バブル経済前夜から「失われた30年」の前半に当たる。 バブル自体は描かれず、都会に背を向けた家族の原野暮らしが、この国で起きたあらがいがたい変化を映し出す。時代の構造と心。その陰画を見るようだ。 登場人物一人一人も「国民」だ。数えると、純と蛍は団塊ジュニア、就職氷河期世代。就いた職業はゴミ収集と看護師。汚れた町と病んだ人の世話をする。 ドラマは今やタブーの男らしさや女らしさが当たり前。今の若者は変に思うだろう。でも心なしか人間関係に潤いがある。社会は進歩すると干からびるのか。 全編を通じ正直さが、物語の重要な推進力になっている。黒板五郎も純も蛍も、正直であることを大切にし、でもウソをつく。気に病み、言動がもつれ、誤解と争いと和解が劇を織り成す。 共感されたのは、正直さがそれだけ規範力を持っていたわけだ。政治指導者への評価やSNSの交信で、今の私たちはそんな正直さをとうに手放している。 進歩により得るものと失うものは釣り合っているだろうか。 脚本家の倉本聰氏は、ライフワークで書き継ぐつもりだったから、放映打ち切り後も方々で、その後の構想を明かしている。 蛍は消防士の夫と福島県に住み、東日本大震災に襲われ、夫は行方不明になる。純は福島第1原発事故のがれき処理に従事し、国家の後始末に組み込まれる。 五郎はますます社会から離れ、自然と一体化して姿を消す。もはや国民でもない存在か。 幻の「北の国から」も、個人と国家の関係を、原野の家族の小さな人生が問いかけてくる。 倉本氏はドラマの舞台の地で、俳優・脚本家養成の「富良野塾」を四半世紀運営した。塾生にアンケートで生きるのに必要な物を尋ねたら、上位は水・ナイフ・食料。数人が「人」と答えた。 テレビ局が東京・渋谷で都会の若者に質問したら、カネ・携帯電話・テレビだった。今は三つ、スマホ1台で済む。(専門編集委員)2026年3月28日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-45年目の『北の国から』」から引用 ドラマ「北の国から」が人気を博した時代は、まだジェンダー平等などと問題提起がなされておらず、一つ家の中では「夫唱婦随」が常識としてまかり通っていたのであったが、ドラマを鑑賞してそういう時代を思い出した筆者は「社会は進歩すると干からびるのか。」などと書いている。しかし、それはとんだ勘違いというもので、男が威張って女を自分より下に見る社会の「潤い」などというものは幻想に過ぎないと思います。そして、ドラマを見て共感したのは、正直さがそれだけ規範力を持っていたわけだ、と過去形の表現にしているが、「正直さが規範力を持っている」のは今も昔も変わっていないはずであり、現代の社会で「ウソ」がまかり通っているのは、メディアが政治家の「ウソ」を追及しないでお追従してきた結果、そうなっているだけであり、私たちはいつまでもそのような「不正」を放置しないで、いつかは人々が不正な政治家を追放する闘い立ち上がるときが来ると、私は期待しております。
2026年04月13日
高市首相がトランプ大統領に「自衛隊をホルムズ海峡に派遣すること」を約束させられることもなく訪米を終えたことを、文芸評論家の斎藤美奈子氏は3月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 日米首脳会談を終え、高市首相はホルムズ海峡への自衛隊派遣をひとまずトランプ大統領に(表向きは)約束させられることなく帰国した。 現地での首相の言動は褒められたものではなかったが、この会談の注目ポイントは平和憲法の価値が爆上がりしたことだろう。首相は「日本には憲法9条の制約がある」と説明したそうで、要は憲法が日本を守ったという話。9条久々のクリーンヒットである。 それで思い出すのは、1990年の湾岸危機の際、憲法9条の制約を掲げて中東への自衛隊派遣を拒否した海部首相だ。日本は多国籍軍に巨額の資金援助をしたが、後に人的貢献をしなかったことが批判され、停戦後、自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣。結果的には自衛隊の海外派遣への道が開かれた。しかしともあれ海部氏は真正面から9条を盾にした。 高市首相の場合はどうか。「今は憲法9条の制約があるが、近いうちに憲法は必ず改正するから期待してくれ」。これが彼女の発言意図ではなかったか。トランプ氏が上機嫌だったのも、米国連大使が「日本の首相が自衛隊による支援を約束した」と述べたのも、ならば一応辻褄は合う。 実際、日米会談後、自民党は改憲への動きを加速させている。焦るのは勝手だが、誰のおかげで最悪の事態を回避できたのか、よーく考えてもらいたい。(文芸評論家)2026年3月25日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-9条の制約」から引用 この記事が言うように、高市訪米が「自衛隊出動」の約束をさせられることもなく済んだのは事実であるが、その裏側では、高市氏自身は訪米に当たって「自衛隊をホルムズ海峡に派遣するべきだ」と本気で考えおり、その旨トランプ大統領に約束するつもりで、首相官邸で取り巻きの官僚にその旨相談したところ、今井補佐官から「そんなことは、あってはならないことだ。何を考えているんだっ!」と一喝されたのだったという「内幕」を月刊誌「選択」が報道しており、高市早苗という女は自分の保身のために自衛隊の隊員の命など歯牙にもかけない非常識な人物なのだという「実体」が明らかになったのであった。このような人物を首相の座に置くことは、この先日本にどのような「災い」がもたらされるか分からない、実に危険な状態になっていることを、私たちは真面目に考えなければなりません。一日も早く彼女を首相の座から引き下ろすべきだと思います。
2026年04月12日
新年度の予算編成期という貴重な時間をつぶして、さしたる争点もないのに衆議院を解散した高市政権は「たなぼた」式に獲得した戦後最多の議席数にものを言わせて、記録的短時間で政府案の衆議院通過を実現し、あわよくば年度内成立を目指す姿勢を見せていることについて、神奈川大学教授の大川千尋氏は、3月22日付神奈川新聞に、次のように書いている; 戦後最短の短期決戦で自民党が圧勝した衆院選後の特別国会が、前半のヤマ場を迎えている。高市早苗首相は来年度当初予算案の年度内成立にこだわり、与党は衆院の審議時間を大幅に短縮、論戦の場は参院に移った。「数の力」を推進力とする政治に、どう向き合うか。神奈川大の大川千寿教授(政治過程論)に解散総選挙や国会運営、有権者の持つべき視点について聞いた。(構成・竹内瑠梨)■ぼやけた争点 高市首相は高い支持率を背景に、衆院議員任期の3分の2を残して解散総選挙に踏み切り、野党側は慌てて中道改革連合を結成した。争点がぼやけた中、有権者にはプロセスが見えず、政策評価よりも「高市首相に任せてみよう」という形になったのではないか。 首相に関する投稿や動画が数多く発信され、イメージや印象が選挙戦で大きく左右した面もあっただろう。政治不信が強まり、国や世界の先行きが見通せない中、「期待感を持てること」を有権者がポジティブに評価した面がある。 有権者が十分な判断材料を持ち、熟慮の上で貴重な一票を投じることは健全な民主主義に不可欠だ。しかし、今回の衆院選では、その機会が十分に与えられなかった。与党も野党も反省すべき点だろう。 自民は神奈川や東京など31都県の小選挙区で全候補が勝利し、新人議員も多く誕生した。与党が圧倒的多数の議席を獲得した事実は重いが、数の多さだけで計れない多様な利害を調整し、社会全体の利益・結論を見いだすのが政治だ。民意をどう受け止め、政策や法案につなげていくか、より重い責任を負っている。■審議時間短縮 高市政権は来年度予算案の年度内成立を目指し、審議時間を短縮した。国会日程は与野党合意を基本としてきたが、衆院予算委員長は12日間の日程のうち7日間を野党の合意を得ずに職権で決め、質疑時間も昨年の92時間から59時間に減らした。首相に代わり閣僚が答弁する場面も多かった。 これまでの与党は少数派に配慮しながら国会を運営してきた面があった。そもそも予算案の審議入りが遅れたのは、首相が衆院を解散した影響だ。一般会計が総額122兆円と過去最大となった予算案は熟議がより必要で、首相が丁寧に語ることが重要だ。圧倒的多数を得て、政治的責任がより増している中、議論を短縮させる振る舞いが、健全な民主主義という観点から妥当なのか。有権者はバランス感覚を持って注視していることを忘れてはならない。■政治と推し活 高支持率の高市内閣は、世論が今まで以上に政治を左右するとの見方もできる。有権者が果たすチェック機能は重要性を増している。選挙だけが政治参加の機会ではなく、日常的に政治のプロセスをチェックし、身近な人と政治を語り、考えを持つことが重要だ。 考えたいのは「政治と推し活」だ。選挙を「推し活」と重ねる言説があるが、アイドルなどの推し活とは異なる。「推した人」の政策や政治の結果が、有権者の暮らしに直結して返ってくるからだ。 特に若年層は目の前の生活や将来の不安が根本的な問題としてあり、政治に現実的解決策を求める価値観が強まっているのではないか。その中で野党の批判が揚げ足取りのように捉えられている風潮も感じる。だが、批判なき自由な社会はない。相手を尊重し、臆せず議論することで良い道が見えることもあり、健全な批判のあり方を有権者も政治家も改めて考えたい。 多くの有権者の情報源となるSNS動画の収益化規制も課題だ。フェイクを含めた内容が収益目的で発信されることを防ぐ選挙期間の規制には賛成だが、大切なのは有権者が十分な判断材料を得られる環境づくりだ。選挙期間中のマスメディアの情報発信のあり方も含め、総合的に考えていく必要がある。<おおかわ・ちひろ> 1981年生まれ。神奈川大学教授。専門は政治過程論。熊本大学特任教授などを経て現職。著書に「つながるつなげる日本政治」など。2026年3月22日 神奈川新聞朝刊 2ページ 「衆院選後の政権運営-有権者の役割、より重く」から引用 衆議院選挙が自民党をダントツの最大与党にする結果になった後、高市政権についてメディアは「予算の年度内成立にこだわっている」と盛んに報道していたが、あの報道は知らない者には「高市首相は国民のためを思って、予算案の年度内成立を実現したいと熱心なのだ」ととんでもない誤解を招く報道だったと思います。高市氏が年度内成立にこだわるフリをしていたのは、「高市のせいで、予算成立が年度をまたいでしまい、暫定予算のせいで中小企業はこんなに困っている」という風評が広まることを警戒して、先手を打つつもりで「予算の年度内成立」などと心にもないことを言い立てているに過ぎない、という「ポイント」をこそ、メディアは批判するべきだったと思います。それにしても、上の記事では「特に若年層は目の前の生活や将来の不安が根本的な問題としてあり、政治に現実的解決策を求める価値観が強まっているのではないか」と、大学生相手に政治過程論を講義している先生らしい見解が述べられているが、私は、目の前の生活や将来の不安を抱えて政治に現実的解決策を求める若者が、選挙に当たって「押し活」投票をするとは考えられず、むしろ、「押し活」投票をするような人たちに対して、「自分たちが抱えている問題を解決してくれるのはどの候補者か、を考えて、この人だと思った人に投票するのが『選挙』なんだよ」という「教育」をしてあげるのが、先に大人になった我々の役目なのではないかと思います。
2026年04月11日
核兵器開発を止めるための話し合いを継続すると見せかけながら、突然イランを空爆したアメリカとイスラエルの仕業を一向に批判しようとしない高市政権を、日本のメディアはどのように論評したか、弁護士の白神優理子氏は3月22日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; アメリカとイスラエルによるイランへの先制攻撃について、高市政権は評価を避け、批判していません。各紙社説は-。 「日経」(6日付)は「高市早苗首相はベネズエラのときと同じく、今回も法的評価を避けている・・・ルールに基づく秩序の維持を訴えてきた日本が、国際法違反の疑いがある今回の攻撃を支持するわけにはいかない」と批判します。 「読売」(3日付)も「世界各地で力による衝突が繰り広げられかねない。・・・米国の振る舞いが『法の支配』を傷つけ、国際社会を不安定化させることへの日本の憂慮を伝えるべきだ」とします。 一方「朝日」(2日付)は米国を批判はしますが、高市政権は批判せず「邦人保護に全力をあげるとともに、戦争を終わらせるための外交努力も怠ってはならない」というだけです。「毎日」(10日付)も「早期収拾を働きかけるべきだ」とするのみです。 「産経」(3日付)は「米国を指弾するより、イラン攻撃が世界情勢や日本の安全保障に与える影響を分析し対応したい」と米国擁護の姿勢です。 地方紙は多くが明確に高市政権を批判。「トランプ氏の暴走を戒め、平和的解決に力を尽くすことこそ、首相の掲げる『責任ある日本外交』ではないか」(北海道新聞3日付)、「このままトランプ政権の身勝手な武力行使を許し続ければ、二重基準のそしりを免れない。・・・それは日本の国益に反するのではないか」(山形新聞4日付)、「米国の一方的な攻撃に沈黙を守れば、世界で頻発する『力による現状変更』を非難する根拠を失い、いずれ日本に被害が及ぶ危険性もある」(「東京」5日付)。「武力に訴えた米国を批判もいさめもしないのは理解に苦しむ」(京都新聞2日付) 世界大戦への痛恨の反省から定められた国連憲章、国際法と憲法9条に立脚した報道こそ求められています。(しらが・ゆりこ=弁護士)2026年3月15日・22日 合併号 35ページ 「メディアをよむ-先制攻撃批判こそ必要」から引用 日本が以前から国際社会においてはルールに基づいた秩序の維持を訴えてきたとは、私はあまり聞いたことがない気がします。そう言われれば、時々は聞いていたのかも知れないが、聞いても「外交辞令であり、いつもの決まり文句に過ぎない」といった認識だったせいかと思います。しかし、外交辞令であっても、いつもそのように発言していたのであれば、筋を通すことは必要だと思います。それにしても、新聞各紙が上のような論調の記事を掲載して2週間ほど経ってから訪米した高市氏は、「法の支配」の「ほ」の字も言わず、それどころか「世界に平和をもたらすことが出来るのはドナルドだけ」などと、事実とまったく反対のことを口走る高市氏の異常な言動は、メディアは問題視する必要があると思います。高市氏があのようにトランプに媚びるのは、そうしないとかつての田中角栄氏のように、一度睨まれると首相の座から引きずり降ろされるという「恐怖」を抱えているからなのではないか、という「観点」から論評する記事もあっていいのではないかと、私は常々考えてしまいます。
2026年04月10日
消費税は社会保障費の財源だから引き下げは出来ないという説はデマであることを、立正大学法制研究所の浦野広明氏は、3月22日の「しんぶん赤旗」で、次のように説明しています;◆「社会保障のため」は机上の空論 消費税は「社会保障に使われる」から引き下げはできないとよく言われます。 2022年6月のNHK「日曜討論」で、自民党の高市早苗政調会長(当時)は「消費税が法人税の引き下げに流用されているかのような発言があったが、全くの事実無根。消費税は法律で社会保障に使途が限定されている」と述べました。 政府は消費税が社会保障に使われていると国民に宣伝するため「消費税収は年金、医療及び介護の社会保障給付、少子化に対処するための経費に充てる」と規定しました。(12年改定消費税法1条2項の概要) ◇ ◆ ◇ しかし、こんな規定は何の足しにもなりません。税は普通税と目的税とに区分されます。目的税は特定の経費に使う税ですが、普通税は特定の経費に使うのではなく、経費一般に使う税です。消費税は普通税ですから、「年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するため」という規定を付け加えたところで、机上の空論にすぎません。 日本共産党の小池晃書記局長は「これまでの消費税収が539兆円となる一方で、法人3税(法人税、法人事業税、法人住民税)は318兆円、所得税、住民税は295兆円の減収」だと指摘し、化けの皮を剥いだのでした。(参院財政金融委員会、25年3月) 消費税・地方消費税は、租税分類上「一般消費税」といいます。一般消費税は、広範囲な商品販売・サービスに課税します。この税の最大の欠陥は、高所得者には軽く、低所得者に重く負担させること(=逆進性)にあります。 月5万円の収入の年金者、月50万円の給与者、月200万円の役員報酬者がそれぞれ1万円の買い物をしても払う消費税10%は同じ1000円です。月収に占める支払い消費税額の割合を計算すれば、年金者は2%、給与者は0・2%、役員は0・05%です。高所得者よりも中・低所得者が重い負担です。これが逆進性であり、消費税の避けがたい欠陥です。 石破茂首相(当時)は「お金持ちほどたくさん消費するので減税額が大きい」といいましたが、消費税の逆進性を打ち消すことにはなりません。 ◇ ◆ ◇ 消費税については、表舞台のかけ引きだけをとりあげるマスコミやネットからの知識ではわかりません。そんなことにまどわされず、あるべき税制をつくるのは私たち一人ひとりの行動であるという原点に立ち返り考えることが重要です。 日本国憲法を根拠とする課税の指針は応能負担原則(応能原則)です。応能原則は、財産運用・不労所得に重く、勤労所得に軽く、大所得に重く、小所得に軽く、最低生活費は無税などを内容とします。その中心に位置するのは所得を対象とする法人税、所得税、住民税です。 消費税減税の財源はあります。総合累進所得課税により、65兆6580億円の財源が生まれます。(不公平な税制をただす会編『福祉と税金』25年10月1日)(うらの・ひろあき 立正大学法制研究所特別研究員)2026年3月15・22日合併号 28ページ 「経済これって何?-消費税導入から37年」から引用 政府は2012年に消費税法を改正して「消費税収は年金、医療及び介護の社会保障給付、少子化に対処するための経費に充てる」という条文を追加したにも関わらず、「消費税は普通税である」という規定は変更しておらず、従って事務処理の現場では税収として入金した「消費税」は自動的に「普通税」として処理され、法人税の減税や高額所得層の減税に対する「財源」になっているというのは、デマどころか現実にそのように扱われているのが事実です。したがって、2022年のNHKテレビ討論における高市早苗政調会長(当時)の発言は虚構であったわけで、そういうことを、メディアは無視しないで「あの発言は虚構であった」ということを、もっと世間に知らしめるべきだと思います。
2026年04月09日
先月の日米首脳会談に於ける高市首相の言動について、元文科官僚の前川喜平氏は3月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 僕は、日本という国と僕という個人を一体視していないので、日本人が金メダルやノーベル賞を取っても、受賞者は称賛するが「日本人として誇らしい」とは思わない。逆に日本人が悪事をしでかしても「日本人として恥ずかしい」と思うことはほとんどない。しかし日米首脳会談での高市早苗首相の言動には、久しぶりに「日本人として恥ずかしい」と思った。いきなりトランプ氏に抱きついたこと。相手が自分を名前で呼ばないのに勝手に「ドナルド」と呼んだこと。聞き取りづらい英語を話そうとして失敗したこと。トランプ氏の子息を「イケメン」と言ったこと。ご主人様を見る犬のようにトランプ氏の顔色を窺うこと。バイデン前大統領の肖像の代わりにトランプ氏が置いたオートペンの写真を見て楽しげに笑ったこと。トランプ氏が真珠湾攻撃に言及した時、何も言えずに固まったこと。 何より恥ずかしいのはイランでの戦争を始めた張本人に「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と言ったことだ。お追従にもほどがある。中国と対話しようとすると「媚中」と叫ぶ連中は、なぜこれを「媚米」と言わないのか。 僕が「日本人として恥ずかしい」と思うのは、ここまで愚鈍で下品で卑屈な首相を持つ国の主権者だからだ。なんとか早くこの首相を辞めさせなければいけない。(現代教育行政研究会代表)2026年3月22日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-日本人として恥ずかしい」から引用 この記事が言うように、日米首脳会談に於ける高市首相の言動は「恥ずかしい」の一語に尽きる。相手が相手だけに、彼女としては「日本を代表して」、決して大統領の機嫌を損ねるような失敗は許されないという「覚悟」をもって臨んだであろうことは疑う余地もないが、それでも精一杯努力した結果があれでは、やはり日本人としては、あのような外交の舞台に日本を代表して出ていただく人材としては、もう少しレベルの高い人材がいるはずだと思うのは私一人ではないと思います。努力する姿勢に好感を持つ人たちの「推し」もあるとは言え、政治判断は一つ間違えばそれによって生じる国民の被害は、場合によっては想像を絶する事態にもなり兼ねないのであり、日本があまり深刻な事態にならないうちに、適材適所の観点から首相を選びなおす必要があると思います。
2026年04月08日
ベネズエラに対して宣戦布告もせず議会の承認を得ることもなく勝手に軍隊に命令して攻撃してベネズエラの大統領を拉致すると、予想通りの人物が次の大統領職についたケースとは違って、イランの場合は最高指導者を殺害してもイランの体制はびくともしない「現実」と、同盟国であるはずのNATO諸国からの積極的な支援がまったくない状況について、東京大学教授の宇野重規氏は、3月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 米国とイスラエルによる対イラン戦争は、泥沼化の様相を呈している。2月28日、突如トランプ大統領が攻撃に踏み切った際には、最高指導者ハメネイ師を殺害すればイランの体制を覆すことは容易で、事態は短期間に収束するという見通しがあったはずである。しかしながらイランの反撃は続き、ホルムズ海峡が封鎖されることで世界的なエネルギー危機が起きるなど、状況は混沌としている。 欧州諸国との足並みもそろわない。スペインのサンチェス首相は米軍の基地使用を拒否した上で「一方的な国際法違反」と公然と米国を批判する。トランプ氏と親しいはずのイタリアのメローニ首相までが「イタリアはこの介入に参加しておらず、参加する意思もない」と発言。3月19日に日英独仏伊蘭加でイラン非難の共同声明を発表し、その後、参加国は増えているが、具体的な協調行動が実現するかは不明である。 ◇ ◆ ◇ いら立つトランプ氏は、「われわれはもう助けを必要としていない」と、北大西洋条約機構(NATO)と日本、豪州、韓国を名指しで不満を示すが、対イラン戦争はいよいよ「トランプ大統領の戦争」であることがあらわになっている。イラン高官に対する暗殺作戦を強化するイスラエルのネタニヤフ首相と合わせ、世界はますます大義なき戦争に厳しい目を向けている。はたしてトランプ氏はどのようにこの戦争を終わらせるつもりなのだろうか。 米政権内も一枚岩ではない。1月のベネズエラのマドゥロ大統領拘束の際には直ちに作戦の合法性をXに投稿したバンス副大統領も、今回のイラン攻撃に対しては公の場での支持表明が遅れた。さらに国家テロ対策センター所長のショー・ケント氏が、トランプ氏の対イラン戦争に抗議して辞任している。右派政治家からの批判は、トランプ氏を熱狂的に支持するはずのMAGA派にある不満を示すものであろう。トランプ氏の狙いは、イランにおけるイスラム革命体制の転換と、核開発による安全保障上の脅威の除去にあったとされる。体制の転換と脅威の除去のいずれも失敗しつつあるトランプ氏に、もはや戦争を継続する大義も意味も残されていない。この間にトランプ氏は、ロシア産石油への制裁を一部解除しているが、無謀で戦略を欠いた戦争は、世界の秩序をさらに不安定化させている。 ◇ ◆ ◇ 3月19日に日米首脳会談を行った高市早苗首相は、ホルムズ海峡への貢献を要請された。安全保障において米国に、石油エネルギー資源において中東に依存する日本は、一つハンドルさばきを誤ればトランプ氏とともに奈落に落ちかねない。一日も早く戦争を終わらせることは、日本にとって至上命令である。 トランプ氏は、ベネズエラでの「成功」につまずいたと言える。外国の首脳を力ずくで拘束し、かつ意のままに後継体制を築いたことで、トランプ氏とその周辺に「傲慢」が生まれたのかもしれない。イランという人口約9300万人、面積において世界17位、軍事力において16位の大国に対して、あまりに安易かつ無戦略なまま攻撃を開始した米国は、その代償を払わされるであろう。大国の指導者が「傲慢」によって滅びるのは歴史の教えるところである。トランプ氏に振り回される2026年の世界は、漂流し続けている。2026年3月22日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-米国が払わされる代償」から引用 そもそもトランプ氏が大統領になれたのは、ラストベルトと呼ばれる地帯で生活苦に追われる労働者たちの「期待」があったからだったのに、その「期待」に応えるような政策は行われているのかどうか定かではなく、ネタニヤフの口車に乗せられてイラン攻撃に乗り出したのはトランプ氏自身の意思だったのだから、それが原因で世界の経済がガタガタになれば、そのしわ寄せは世界中に及ぶのですから、「代償を支払う」ことになるのは当然であり、こういう人物を大統領にしたのは大きな間違いであったことを、アメリカの人たちはよく考えてほしいと思います。今年の11月に予定されている連邦議会の選挙では、トランプ氏の路線では自分たちの暮らしは良くならない、という意思表示をしっかり行い、よりましな政治が行われるきっかけを作り出してほしいものです。
2026年04月07日
アメリカとイスラエルの戦争犯罪によって政府指導者層を殺害されたイランは、今どのような状況か、文筆家の師岡カリーマ氏は、3月21日付東京新聞コラムに、次のように書いている; アメリカとイスラエルの無法で無謀な軍事攻撃を受けたイランによるホルムズ海峡の事実上封鎖が、世界の市民の生活に重くのしかかろうとしている中、テヘラン大学のイザディ准教授がアルジヤジーラ放送に語った言葉になるほどと思った。 アメリカ研究が専門で修士・博士課程で教鞭(きょうべん)を執る同氏によれば「学生たちは1979年の革命時には生まれておらず、それ以前の状況、すなわち(アメリカの傀儡(かいらい)だった)パーレビ王朝時代を知らないため、親の世代がなぜこれほどアメリカを嫌うのか、理解できない。トランプは、私が言葉を尽くしても教えられなかったことを一発で学生たちに理解させた」。 そして「制裁下で苦しむイランを尻目に周辺の湾岸諸国が豊かになっていく中、ホルムズ海峡を利用して世界経済に打撃を与えるという戦略的選択は常にあったが、それをしない自制心がイランにはあった。でもその抑制力を持っていた指導陣はもういない。イスラエルが攻撃初日に殺してしまったのだ」。確かに、過去の抗戦の仕方はしたたかに計算されていたが、そのタガは外れた。 イランという大国を崩壊・孤立させ、地域に混乱をもたらすことで自らの覇権を広げようと目論(もくろ)むイスラエルのネタニヤフ首相と、その口車に乗せられたトランプ。彼らに好き勝手を許してきた世界が、その代償を払わされている。(文筆家)2026年3月21日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-ホルムズ海峡」から引用 ネタニヤフは今までパレスチナへの軍事侵攻を継続する必要性を口実に首相の座に居座ってきたのだが、パレスチナに対する軍事行動はもうこれ以上は無理というところまできたので、もしここで「一段落」ということになれば、自分の任期も満了だからということで首相の座を降りた途端に、在職中の数えきれない「疑惑」の追及が始まることになるので、それを先延ばしする格好の口実が「イラン侵攻」だったと推察される。ことがここまで来たのであるから、もう「ナチスのホロコーストの被害者」だからといってユダヤ人のやること為すことを全部許すという態度は、改めるべきだと思います。80年前のホロコーストは反省するにしても、現代の「犯罪」は「犯罪」として厳しく規制していくのが、これからの人類の進むべき方向性であることを、私たちは自覚する必要があるのだと思います。
2026年04月06日
外国の国旗を損壊した者を処罰する規定があるのに、日の丸を損壊した者を処罰する法律がないのはおかしいという子ども並みの理屈を主張する高市首相について、3月19日付の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」は、次のように批判的論評を掲載している; 高市早苗首相は国旗損壊罪の制定を繰り返し強調し、自民党・日本維新の会は17日、党首会談であらためて今国会での成立を確認しました。 国旗損壊罪は「侮辱を加える目的で国旗を損壊し、除去し、汚損した者」を拘禁刑、罰金に処すものです。 高市氏の執念には強いものがあります。みずから国旗損壊罪法案を起草、2012年に議員立法で提出(廃案)、21年にも法案提出の動きの中心になりました。 高市氏の主張は、国旗の損壊は「国家の存立基盤を損なうもの」「国民が抱く尊重の念を害するもの」であり、外国旗の損壊は刑法で罰せられるのに、「日本国旗を損壊しても全くお沙汰なし」でいいのか、というものです。■成り立たない主張 しかしこの問題は決着済みです。国旗国歌法の制定(1999年)にあたって、小渕恵三首相(当時)は「国旗に対する尊重規定や侮辱罪を創設することは考えていない」と答弁しています。 その理由として「(外国旗損壊罪は)刑法第4章の『国交に関する罪』の中に置かれているとおり、我が国の外交作用の円滑、安全等を考慮して」設けられたものと説明。一方、国旗損壊罪の規定がないのは「国家の威信の保護の在り方として刑罰をもって強制することが適当かという根本的な問題がある」ほか、国旗損壊には器物損壊罪が適用されることをあげています。(政府答弁書) つまり外国旗の損壊罪は外交上の国益を守ることを目的としており、「尊重の念を害する」などの見地から設けられたものではない、それを日本国旗にも適用するのは筋違い、ということです。 そもそも国旗損壊罪については、必要性がありません。岩屋毅前外相も「(あちこちで日の丸が壊されるなど)社会問題化しているわけでない。つまり立法の根拠となる『立法事実』がなく、その必要性が高まっているとは思えません」(「毎日」1月1日付)とのべています。 にもかかわらず国旗損壊罪を持ち出すのはなぜか。 公的施設に掲示された国旗を損壊すれば器物損壊罪で処罰されます。ところが国旗損壊罪では自分が所有する国旗を抗議の意思表現や芸術表現などで使うと処罰されうることになります。国旗の扱いを警察が取り締まる―それは思想・良心の自由、表現の自由を奪う違憲立法であり、社会を萎縮させるものです。 国民の思想を監視する「戦争する国」づくりの一環といわなければなりません。■広がる懸念と批判 こうした動きに懸念と批判が広がっています。 「窮屈な社会が待っていないか」(「朝日」)、 「表現の自由や思想の自由が脅かされる可能性がある」(「毎日」)との社説が出されました。日本弁護士連合会はすでに2012年の法案に対し国家の威信や尊厳を刑罰で強制することは国家主義を助長し、表現の自由を侵害しかねないと反対を表明。今回も札幌や広島弁護士会から「憲法違反」との会長声明が出されています。 国旗損壊罪を許さない世論と運動を強めましょう。2026年3月19日 「しんぶん赤旗」 2ページ 「主張-国旗損壊罪の危険」から引用 この記事は論理が明快で、読んでスムーズに理解できる構成になっているように思います。「外国の国旗を損壊したら処罰されるのに、日の丸にはそのような規定がないのはおかしい」という屁理屈は、「言い訳」のようなもので、国旗損壊罪の必要を感じている政治家というのは、江戸時代のように大名や将軍のような「権力者」が通行するときは、一般庶民は地面に正座して「絶対服従」の意思表示を強制させて「国家権力」の偉大さを庶民に確認させる、というような社会を目指しているのだと思います。しかし、そのような社会は、市民の自由を著しく束縛するものであったから、市民社会の発展とともに廃れてしまったものと考えて間違いないでしょう。そして、上の記事で、もし国旗損壊罪などというものが刑法に追加されれば、芸術上の表現の一つとして「日の丸を燃やすシーン」なども処罰の対象となり「表現の自由」が侵害されるという大きなデメリットが生じます。高市氏や維新の会の政治家の本音は、自分たちが権力者として国民の「表現の自由」を束縛したいというのが「本音」なのだろうと推察されますが、私たち国民はそのような愚劣な政治家の野望を許してはならないと思います。
2026年04月05日
先月の日米首相会談の顛末について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は3月21日付同紙朝刊コラムに、次のように書いている; あれもハグ(抱擁)ではある。訪米した高市早苗首相は、ホワイトハウスに到着し車を降りると、両手を挙げて出迎えたトランプ大統領に足早に近づき、高い肩に腕を伸ばして抱きついた。 握手しようとしていたトランプ氏は、2、3度背中をたたいて体を引き、身ぶり交じりで話し始める。と、高市氏は2、3歩にじり寄り間合いを詰める。あのトランプ氏が思わず後ずさりするのを見て、つい笑ってしまった。 さすが高市氏。今度は抱きつき戦法か。毎回、誰もまねできない見せ場を作ってくれる。 国際法違反の先制攻撃で破壊と殺りくを尽くし、世界経済を混乱に陥れているトランプ氏を「世界中に平和と繁栄をもたらすことができるのはドナルドだけだ」と持ち上げ、「私は諸外国に働きかけてしっかりと応援したい」と約束した口上にもうなった。 お追従に、現実主義に立脚した同盟国の苦い同調と、ちょっぴりの皮肉と、大国の責任を遠回しに促す工夫が練りこまれている。 ただし、明言を避けてきたイラン攻撃への法的評価は、これで事実上の容認へ傾いた。日本は高市氏のエエカッコしいに引きずられ、後戻りできない一歩を踏み出しつつあるのかもしれない。 トランプ氏の見せ場は後味が良くない。会談前、記者が、なぜイラン攻撃を同盟国に事前通告しなかったか質問。「奇襲したかったからだ。奇襲について日本ほど詳しい国があるか」と答え、高市氏に向き直り「なぜ日本は真珠湾攻撃を知らせなかったのか」と当てこすった。奇襲解散で大勝したばかりの高市氏は黙っていた。 残念だ。すかさず、静かに、毅然(きぜん)と諭すべきであった。 「だから、あなたの大好きな安倍晋三元首相は10年前、オバマ元大統領と並んで真珠湾で献花しました。戦争の惨禍は二度と繰り返してはならないと誓って」 これは無いものねだりか。 トランプ氏と高市氏には共通点が多い。大衆人気、ハッタリ屋、自分勝手、議会嫌い、経済最優先、軍事力信奉。気が合うわけだ。 とりわけ似ているのは、歴史への無関心である。二人とも、過去との不断の対話を通じ、未来と向き合う姿勢がほとんどない。 高市氏の台湾有事失言は、日中戦争から戦後の国交回復、四つの重要文書の蓄積を軽んじる人だから起きた。靖国神社の歴史や日本とイランの特別な外交関係にも関心がなさすぎる。 そんな二人でめざす「質を高めた同盟の更なる高み」。そこで何が待っている。(専門編集委員)2026年3月21日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-サナエ・ドナルド同盟」から引用 この記事にも書いてあるように、先月の日米首脳会談における高市氏の言動はあまり褒められたものではなかったが、高市氏自身は一応、彼女なりのベストを尽くしたようだから、国民としても「彼女なりの努力の結果」というものを、認めてあげるべきなのだろうと思います。あれが高市流の「トランプ対応法」で、少しどうかと思われるような点もあったが、曲がりなりにもトランプ氏の口から日本に対する法外な要求を言わせなかったという「結果」は、「是」とするべきです。しかし、高市氏の本質は「ハッタリ屋、自分勝手、議会嫌い、経済最優先、軍事力信奉」であり、自分の発言が相手にどのような「負の印象」を与えるかという神経がまったく働かないという致命的欠陥があり、そのために不用意な「台湾有事は日本の有事」発言が飛び出すようなことが、いつまた繰り返されるかも知れないというリスクを、国民はひしひしと感じているわけで、あまり大きな失敗をしでかさないうちに退陣してほしいものでございます。
2026年04月04日
アメリカはイスラエルと共謀して、イランに対して話し合いをするような素振りを見せながら、実際に話し合いを始めておきながら、その話し合いの最中にイスラエル軍と共にイランの政府施設を奇襲攻撃して最高指導者を殺害するという暴挙を演じ、イランがホルムズ海峡を封鎖すると、NATOや日本に対して「ホルムズ海峡に艦船を出して、イランによる海峡封鎖を阻止しろ」と呼びかけたのであった。しかし、トランプ大統領の「法の支配」を無視したやり方を批判するNATO諸国は呼びかけを批判しているにも関わらず、態度をはっきりさせない日本政府に対して「まさか、トランプの要求に応じるつもりじゃないだろうな」という不安を抱きながらも、国内各紙は「トランプ氏の要望に応じるべきではない」との論陣を張ったのであったが、その様子について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は3月18日付東京新聞コラムに、次のように書いている; トランプ米大統領が日本を含む複数国を指名しホルムズ海峡への護衛用の艦船派遣を求めた。 17日の各紙社説はさすがに怒り心頭で、「この状況で日本が米国に協力することに国民の理解が得られるのか」(読売新聞)、「法の支配を重視してきた日本は従来の立場を覆すべきではない」(日本経済新聞)、「自衛隊を派遣できるような法的な根拠は見当たらない」(朝日新聞)、「自衛隊派遣には応じられないという日本の立場を明確に伝えるべきだ」(毎日新聞)、「艦船派遣を要求されても応じてはならない」(東京新聞)など、いっせいに自衛隊の派遣に反対した。例外は「海上自衛隊の派遣を決断すべきだ」と煽る産経新聞だが、産経はもう別の星の新聞だからな。 微妙に歯切れが悪かった各紙が派遣に強く反対したのは19日に高市トランプ会談が予定されているためだ。各国の論調も米国批判を強めており、指名された国々も当面応じる気配はない。 すると問題は高市首相である。政府は当初派遣に慎重だったが、トランプ氏による指名後の首相答弁は「まだ一切決めていない」「法的に何ができるか検討中」とブレブレだ。彼女にはしかも突然独善的な発言をかます癖がある。各紙の社説は首相に信用がない証拠。未熟な娘を旅に出す親の説教のようだ。説教を聞くんだよ。産経は無視しろよ。(文芸評論家)2026年3月18日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-信用の問題」から引用 東京新聞に斎藤美奈子氏のこの記事が出た時点では、多くの日本国民は、まじかに迫った日米首脳会談でトランプ氏は当然、自衛隊のホルムズ海峡派遣を要請するだろうし、高市氏は断る術もなく要請を受け入れるしかないのではないかという「不安」を感じていたのではないかと思われます。しかし、実際は高市氏の訪米前に、日米両国政府の打ち合わせで「日本は憲法の制約があって、自衛隊を戦場に派遣するわけにはいかない。戦争終結の後に、機雷掃海のために掃海艇を派遣する」旨を伝えてコト無きを得ている。最近になってSNSに投稿される記事によれば、高市氏はトランプ大統領の「自衛隊、ホルムズ海峡派遣要請」をチャンスととらえ、勝手に「閣議決定」を出して自衛隊を派遣したかったらしいが、相談を持ちかけた今井補佐官から「何を考えているんだっ!」と一喝されて、計画は頓挫し、彼女としては「おとなしい訪米」となったものらしい。今朝のSNS投稿によれば、高市氏は次年度予算が3月中に成立しなかったことなども気に病んでおり、十分な睡眠が取れないなど、いろいろ悩みを抱えているらしいから、もともとこの人物は首相の器ではなかったことを、誰か教え諭してやって、早めに首相の座を交代してあげるのが本人のためであり、また日本のためにもなると思います。
2026年04月03日
高市首相の日米首脳会談のための訪米を間近に控えた頃に書かれたと見られるジャーナリスト・佐藤甲一氏の論考が、「週刊金曜日」3月20日号に掲載されて、次のように主張している; 自民316議席を生み出した「民意」をたてに「一強」を謳歌する高市早苗首相だが、意外と早く、正念場を迎えそうだ。3月の訪米、そしてトランプ米大統領との首脳会談である。 ベネズエラに続き、イランへの軍事行動、そして最高指導者の殺害と国際ルールを逸脱し、力による「現状変更」を続けるトランプ大統領の「独善」は、どうみても非難に値する。 トランプ大統領に衆院選勝利の祝意をもらい、訪日時には米空母で歓声を上げた高市首相だけに、イラン攻撃に対する批判的な見解は一切口にしていない。国会審議ではさすがに「肯定的評価」は避けたが、日米首脳会談でトランプ氏自らに問われれば、「賛同」するほかあるまい。そして「ディール」を外交の手段とするトランプ氏から「応分の負担」を求められるのは、もはや自明といえよう。ではその負担とは何か。事実上のホルムズ海峡封鎖がなされる今、卜ランプ氏の考える「船団護衛」の直接参加か、米海軍などからなる護衛部隊への補給か、機雷敷設が想定される同海峡における掃海作戦への従事などが想定される。すでに防衛省は、参加を求められた場合の法的根拠の検討に入っていると伝えられる。「できない理由」など言えるわけもない。 アメリカとイランは、事実上の交戦状態である。そこに自衛隊が派遣されれば、物的・人的犠牲も想定されよう。その時、一強を生み出した「民意」はもろ手を挙げて高市首相を支持することができるのか。2年前の東京都知事選で「石丸(伸二)現象」を生み出した若年有権者は「保守」的ではあっても「国家社会主義」的保守ではない。身の回りの近しい人との生活を大事にし、周囲から突出した行動を嫌う。特別であるよりも「みな同じ」がいいと考える。他人の意見に異を唱え、「争い=議論」が起きるのは避ける。そして何より、周りを見まわし、力のありそうな人物の「顔色」をうかがってしまう。試しに私の周りにいる20歳代の女性に、この分析をぶつけてみたら、「そうそう」とうれしげにうなずいた。こうした様態がいまや「当たり前」なのだ。そしてそれは、40歳代の有権者においても共有されていることは、本誌2月27日号の古谷経衡氏の論考に記されている。(引用者注;古谷氏の論考は、当ブログの3月24,25日の欄に引用) 考えてみればこの「保守」の姿、江戸期から今に続く、日本の地域社会の「共同体」思考そのままではないか。戦後、個人の可能性を求めて都市へと向かい、日本の成長を築いた世代は現役を退きつつある。代わって次の世代が今、都市部においても「マイクロ共同体」といわれる「保守」層を形成し、それが、この2年で政治選択の表舞台に立ちあがってきた。 「高市一強」を生み出した新しいようで古い「保守」思考の有権者は、自衛隊をも巻き込み、日本人の犠牲者がでるような事態になったとき、どこまで「一票の責任」に耐えられるのだろうか。最も嫌っているはずの「争いごと」に引きずり込まれる「高市一強」政治の選択を、どこまで想定しているだろうか。 ただ、彼らの身中にも、戦後日本が育んできた、いや、そもそも明治以前から日本人が培ってきた平和や情を尊ぶ遺伝子が組み込まれているはずだ。その発芽を促すのは政治か、それとも「高市一強」にも怯むことのない、オールドであるが故に微動だにしない言論か。(さとう こういち・ジャーナリスト)2026年3月20日 「週刊金曜日」 第1561号 11ページ 「佐藤甲一の政治時評-『一強』生み出した民意は犠牲を許すか」から引用 この記事で、佐藤氏はトランプ大統領が日本に対して自衛隊を対イラン戦に参加させることを要求してくるのではないか、高市首相のあの様子からして、トランプ大統領の要求を断ることはできないのではないか、その結果、自衛隊に犠牲者が出る危険が現実のものとなるのではないか、というような「心配事」を並べているが、結果としては、高市氏はトランプ大統領に「日本には憲法の制約があり、自衛隊を実践に参加させることはできない旨を説明し、戦闘が終結した後に海上の機雷掃海作業に派遣する「約束」をしたというような報道だったから、佐藤氏の心配事は杞憂だったようである。しかし、この記事の末尾には「明治以前から日本人が培ってきた平和や情を尊ぶ遺伝子」などの記述が見えるが、これは「日中戦争・太平洋戦争」の史実に照らして考えれば、あまり当てになる論拠とは言い難いように思われます。
2026年04月02日
日本初の女性総理となった高市氏が女性天皇誕生には消極的であることについて、雑誌編集者の篠田博之氏は、3月15日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 昨年秋以降、天皇後継問題をめぐって「愛子天皇待望論」が高まり、署名運動が行われるなどしたことは本欄で紹介した。週刊誌がそれを積極的に報じ、一緒になって盛り上げていた。高市首相が「日本初の女性総理」になったことや、彼女が以前『文藝春秋』で、自分は女性天皇を否定するものではないと述べたことが強調され、皇室典範改正で愛子天皇への道が開けるのではないかという期待も高まっていた。 しかし、現実には、高市首相は2月の衆院予算委員会で「男系男子に限ることが適切とされている」と答弁し、愛子天皇待望論に水を差す結果となった。週刊誌ではそれに対する批判的報道が広がっている。最新号でも例えば『週刊現代』3月16日号は「"愛子天皇"の夢を自民党が潰(つぶ)す」、『週刊女性』3月24・31日合併号は「愛子天皇が歴史的にも正当な3つの理由」という記事を掲げている。また1週前の『女性自身』3月17日号は「高市首相皇室典範改正案は愛子さまに非情」という記事を載せていた。 皇室典範改正問題はこの国会で大きな論点のひとつになりそうだが、週刊誌報道を含め、今後どうなるのか、気になるところだ。 そのほか週刊誌報道で大きな話題になったのは『週刊文春』3月19日号「松本洋平文科相 議員会館W不倫と『高市大っ嫌い』音声」だ。不倫相手の女性が取材に応じているから認めざるをえないだろうが、その女性が、松本大臣が高市首相を以前「最低だった、人として」などと語っていたという話が面白かった。高市首相もその部分に苦虫をかみつぶしていたのではないだろうか。(以下、省略)(月刊『創』編集長・篠田博之)2026年3月15日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「週刊誌を読む-皇室典範改正、広がる首相批判」から引用 私は、民主主義とは相容れない「天皇制」はなるべく早く廃止することにして、一日も早く共和制の国家になるべきだと思っているのですが、実際の日本人社会は自ら戦い取った民主主義ではないせいで、一人一人の国民の「民主主義」に対する「理解」が極めて不十分で、「憲法を守る」ことよりも隣同士の仲間意識のほうが優先する生活態度を見るにつけても、日本人の平均的な意識レベルは「江戸時代」からあまり変わっていないというのが実情だと思います。しかし、世の中には「ジェンダー平等」を掲げて努力する人々のグループの活躍もあり、少しずつその成果も現れつつあるのですから、一概に悲観することもないのであり、皇室に男子がいないのであれば、女性が天皇に即位しても不足はないのであり、過去にも女性天皇は実在した記録もあるのですから、今どき皇室典範などを持ち出さなくても今上天皇の長女を「皇太子」に任命して、次代の「天皇候補」とするのが良いと思います。
2026年04月01日
全30件 (30件中 1-30件目)
1


![]()