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時代の寵児と言われた「ホリエモン」が一夜にして容疑者になってしまいましたが、その「ホリエモン」報道について、ノンフィクション作家の山下柚実氏が、24日の東京新聞「本音のコラム」で次のようにコメントしています; 21日付東京新聞の見出し「デブ発言に拘留刑」は、目をひきました。初対面の女性に向かって「デブ」「そんなに太ってどうする」などと公衆の面前で言い放った市議が、侮辱罪で拘留29日の判決を受けたのだとか。 このように、「容姿や性格をめぐる侮辱的発言」は、これまで男性から女性へむかって放たれる場合が多かった。が、状況は変わりつつある。 ライブドア事件を伝えるTV番組で、事件について考えを問われた女性コメンテーターは、「この人は男としてタイプじゃない、鳥肌がたつ」「これまで女性にモテなかったコンプレックスが、マネーゲームの原動力になっているのでは」と、ホリエモンについて指摘。 しかし、今回の事件は堀江社長やライブドアの行った「商行為」や「企業倫理」の中身が問われているはず。その人がモテたかどうか、雰囲気がどうか、という外見や人間性は、直接関係ない。事件・出来事についての是非を論じるより先に、容姿や雰囲気の問題にスルリと評価が入れ替わるご都合主義。 しかも、多くの場合が画面で見たイメージやメディアから得た二次情報に基づいて語っているだけ。単なる印象を、公共の場で、事件の評として語るその感覚。一度「悪者」と決めつけたら、何を言ってもよい、たたいてよい、という集団ヒステリーに社会全体が陥ってしまったら、怖い。2006年1月24日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-堀江社長の評」から引用私たちの社会には「一度『悪者』と決めつけたら、何を言ってもよい、たたいてよい、という」という傾向があると、私も思います。新聞もそうですが、特にテレビは影響力も大きいですから、節度のある報道をお願いしたいものです。
2006年01月31日
私はたばこを吸わないので知りませんでしたが、最近のたばこのパッケージには「喫煙は肺気腫を悪化させる」という文言が書かれているらしく、それについて落語家の立川志らく氏が、24日の東京新聞コラム「言いたい放談」に次のようなコメントを寄せています; 最近、たばこが変だ。実に不気味である。あのパッケージに書かれている警告だ。以前より、激しくなっている。「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」。事実であろう。でもそんなことを書くのって変じゃないか? もっと売る側は自分の商品に誇りを持っていただきたい。どうして、そんな恐ろしいことをわざわざ書くの? 後でいいがかり、つまり肺気腫になった人から「どうしてくれるんだよぉ」と訴えられた時、「だからちゃんと断ったでしょ、吸わない方がいいって」と言い訳するためなのであろうか。それとも心底、喫煙者を心配してくれているのだろうか? あのですね、たばこが身体に悪いことは誰でも知っている。皆、知っていて吸っているのだ。でも吸うことによってストレスが発散されたり、気分が落ち着いたりといった効果があるのも事実。売る側はそこのところを強調すべきだ。「喫煙は度が過ぎると肺気腫になる場合があるが、個人によってはストレスを発散させたり、気分をリラックスさせたりと、精神的に良い作用をもたらします」ぐらいのことを書きなさい。 本当に、身体に悪いだけのものなら、そんなもの売るんじゃない。たばこを吸うと死にますよ、みたいに負の部分ばかり強調し、人々に恐怖ばかりを与えるのはよろしくない。 志ん生のマクラで、こんなのがある。「酒をやめてたばこをやめたが、表にでた途端、自動車にはねられちゃった」。人生なんてそんなものだ。 おい、日本たばこ産業、卑屈すぎるぞ。2006年1月24日 東京新聞朝刊 14ページ「言いたい放談-たばこが変だ!」から引用私はたばこを吸わないので、愛煙家の気持ちを理解できていないかもしれませんが、しかし、上記の志らく師匠の文章には疑問を禁じ得ません。第一に、>もっと売る側は自分の商品に誇りを持っていただきたい。こう書いているのは、志らく師匠は、売る側が自分の商品に健康被害を警告する文章を書くということは、自分の商品に誇りを持っていないからだ、と考えていることを示します。しかし、日本たばこ産業株式会社は自らの商品に誇りを持っていないのでしょうか? 私はそうは思いません。日本たばこ産業の売上は数千億円で、立派な黒字経営が実現できているのは、圧倒的な愛煙家の支持があるからで、日本たばこ産業は一流企業です。こんな立派な会社が自社製品に誇りを持っていないとは、どうしても考えられません。また、自社製品に健康被害を警告する文章を印刷するのは、過度の喫煙が健康を害するという事実があるからであり、万が一認識不足の人が被害に会わないようにという「思いやり」からそのような警告をしているのであって、自社製品に誇りを失い卑屈になった結果、そういう警告文を印刷している、というのは志らく師匠の誤解に基づいていると思います。逆に、たばこのパッケージに印刷された警告文を見て、ゾッとするとか、薄気味悪いとか思うのは、それだけ健康に自信が無いことを示しているのですから、そういう方こそ、警告文に従って喫煙をやめればいいのだと思います。さて、みなさんはどうお考えでしょうか?
2006年01月30日
中国外交界きっての国際協調派として知られる呉建民・外交学院院長が来日して、政治的いがみ合いが続く日中両国の相互理解を深め、東アジアに不戦の共同体を築くことを呼びかけたとのことで、23日の東京新聞は次のように、呉氏の主張を解説しています; 呉院長は中国のフランス大使などを経て、三年前、外交官を養成する外交学院の院長に就任。同年末、アジア人として初めて万国博を統括する博覧会国際事務局(BIE)の議長に選ばれました。昨春、北京や上海で起きた反日デモでは各地の大学で過激な行動の自制を呼び掛けたことで知られています。 名古屋、東京で開かれた国際シンポジウム(本社主催)で講演した呉院長は高まっている「中国脅威論」に対し、中国の国内総生産(GDP)は世界で5位だが、一人当たりGDPは百位以下にとどまっており、中進国の水準に達するのも、まだ40~50年が必要と指摘。経済成長は対外開放政策によるもので、その恩恵は周辺諸国も分け合うことができると語りました。 日中関係では、世代を超えて友好を求める中国の政策は不変と繰り返し「和を保てば共に利益があり、闘えば共に傷つく」と不戦を呼び掛けました。 呉院長が特に強調したのは、欧州で一千年余りにわたり200回以上の戦争を続けてきたフランスとドイツが戦争に必要な石炭と鉄鋼の共同管理から始め、欧州連合(EU)の建設に成功。二度と戦う恐れがなくなった経験です。日中両国も欧州に学んで二国間の問題を東アジア共同体創設に向けた協力の中で解消するよう提言しました。 呉院長は現在、日中関係のとげになっている首相の靖国参拝問題について「解決できれば日中関係の新たなページを開ける」と強調しました。しかし、この問題は過去の戦争をいかに認識するかという「大原則」にかかわると語り妥協の余地を見せませんでした。これは中国指導部の外交方針を反映しているのは明らかで、靖国問題解決の難しさも感じさせました。2006年1月23日 東京新聞朝刊 8ページ「解説のページ-日中不戦呼びかけ」から引用欧州連合の始まりは、戦争の原因であった石炭と鉄鋼の共同管理から始まったというエピソードは大変興味深く思いました。このような人類の英知を学べば、日本と中国も無駄な争いを避けて共に繁栄することは可能であると考えます。
2006年01月29日
テレビの番組に関連して、音好宏・上智大学助教授は18日の東京新聞コラム「言いたい放談」で次のように、現代の日本社会の問題点を告発しています; 最近、ワイドショーなどを見ていると、東京・六本木ヒルズにオフィスや住居を構える実業家や医師らを「ヒルズ族」と称して、その豪華な生活ぶりが紹介されることが多い。フェアな市場競争の下で、本人の努力によって社会的成功を収めたなら、その成果として物質的な豊かさを享受することは、何ら非難されるべきことではなかろう。ただテレビ局のリポーターが、彼らの生活ぶりを「セレブ」として羨望を込めてもてはやすのにはどうも馴染めない。それは、一部の成功者の豪華な暮らしがテレビに映し出される一方で、私たちが日ごろ目にする街角には、機能不全に陥っている社会システムの実情を、うすうす感ずるからではないか。 現実の社会には、本人が努力したが、不幸にも競争社会からはじき飛ばされた者も多い。そのような者であっても、最低限の生活は制度的に保障するという社会を私たちは築いてきたはずだ。15日深夜に放送された「NNNドキュメント’06ニッポン“貧困社会”」は、その底の抜けた社会システムの実態を見せつけた衝撃的な番組だった。生活保護を止められ、餓死に至った青年。役場の窓口で生活保護の申請すら拒否される老人。このような福祉行政の実態に対する説明責任を拒否する厚生労働省の担当者。競争政策の導入や「小さな政府」が一定の支持を得ているとは言っても、このような福祉のあり方には批判も多いはずだ。テレビが映し出す「ヒルズ族」の華やかさと、この番組が告発する見えない貧困との格差こそが、いまの日本の姿なのである。2006年1月18日 東京新聞朝刊 14ページ「言いたい放談-機能不全の社会システム」から引用日本国民は憲法によって、健康で文化的な最低限の生活を保障されているのですが、なんでも経済最優先の社会的風潮が、憲法の規定をおろそかにしてしまうのは問題です。音助教授の問題提起に対して、行政は責任ある対応をするべきだと思います。
2006年01月28日
現在の憲法を変えようとする世の中の風潮に不安を感じる音楽評論家の湯川れい子氏は、19日の東京新聞コラム「言いたい放談」に次のように書いています; 憲法改正なのか改悪なのか、どちらにしても変えようとする動きが大きくなっていることは確かです。 それぞれに国を思い、我が身を思って変えようとし、あるいは変えさせまいとしている訳ですから、その意見の違いは尊重するとして、困るのはもっと国民的な議論が起きてもいいのではないか・・・と思うのですが、あまり身近なところで「もっと憲法について勉強しましょう! キミは憲法を知っているか?」とか、「週末憲法講座。高校生にも良く分かるマンガによるおもしろ憲法セミナー」なんてポスターを見たことがないし、ニュートラルな立場で日常的に憲法を話題にするという土壌も、残念ながら育っていません。 しかし、憲法というのは、辞書を引くと「国家の統治体制の基礎を定める法」「国家の根本法」とあり、これはその国が、どういう国であろうとするかの、根幹を成す約束事です。 そして、その約束事を作る発案権は、マサチューセッツ憲法にならって、国民の手にあるとされており、我が日本国憲法は、国の主権は国民にあると定めている訳ですから、憲法というのは、国家が国民を縛るための法律ではなく、国民が国を規制し、自らが望む方向に国を運営していくための、とても大切な厳守事項なのです。 だからこそ最終的には、国民投票の過半数で決めることができる訳ですけれど、過去60年間、一人の人間を殺すこともなく平和を築いてこられた現憲法の知恵と理念を、何とか守っていきたいものです。2006年1月19日 東京新聞朝刊 14ページ「言いたい放談-現憲法の知恵と理念」から引用湯川氏が指摘するように、私も、国民の間に憲法をどうするかという議論がほとんど存在しないことが大きな問題だと思います。世論調査では、それなりのパーセンテージで「変えるべきだ」「変えないほうがいい」という数字が示されますが、それは多分「聞かれたからそう答えた」というだけのことで、「今の憲法ではこういう不都合がある」とか「こういう行き詰まりが予測されるから」というような議論はほとんと皆無です。おそらく、無能で無責任な国会議員が「憲法を変えれば、世の中も変わるだろう」くらいの意識でいるのではないかと思います。その証拠に、何年間か続いた衆参両院の憲法調査会の議論は低調で、欠席は目立つし、出席していても議論をまともに聞こうとせずに私語をしたり、居眠りをしたり、とても国の根幹を決定する「憲法」を議論する場所とは言えない惨状でした。その一方では、国民は国の主権者としての意識が乏しく、国会で憲法改正が論議されているというのに、それに対する反応が皆無で「政治家に任せておけばいいんだ」という姿勢ではないでしょうか。これでは戦前と同じです。私は戦前の愚を繰り返してはいけないと思います。湯川氏が言うように、私も現憲法を護っていきたいと思います。それにしても、昔は高校生と言えば「伊豆の踊り子」に出てくるようなインテリの卵だったものですが、今ではマンガを見せないと話に乗ってこないというのでは、我が国の高校生も落ちたものです。(^^;)
2006年01月27日
小泉首相の後継者として有力視されている実力者の一人、谷垣財務相は、都内で講演し、靖国参拝問題について次のように語ったと、18日の東京新聞が報道しています; 谷垣禎一財務相は17日、都内の日本記者クラブでの講演で、A級戦犯が他の戦没者と靖国神社に合祀されていることについて「A級戦犯が極東軍事裁判(東京裁判)を受けたのは、自分たちが戦争責任を背負っていくということではなかったか。靖国神社におまつりするのは当人たちの意思に合わない。間違った判断だと思っている」と疑問を呈した。 今後の自身の靖国神社参拝については「参拝は非常に意味がある。後は(中国、韓国)両国との関係をどうしていくかという相関関係で判断をせざるを得ない」と述べ、明確にしなかった。 また、女系天皇については「男系では維持しづらくなっている。認めるべきではないか」と、容認する考えを示した。2006年1月18日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「A級戦犯合祀 間違った判断」より引用もともと靖国神社に祀られているのは、間違った戦争指導で動員されて心ならずも戦場で命を落とした方々で、いわば犠牲者・被害者であるといえます。しかし、東京裁判で有罪となった人たちは、その戦争指導を実行した責任者であり加害者であると言えます。それを、加害者も被害者も同じ神社に奉って神様にしてしまうのでは、あの戦争が何故起きたのか、まったく反省しないという態度に通じます。その辺の所をどう考えるかは、一宗教法人のことで信教の自由といえばそれまでかも知れませんが、そうであれば尚更、一国を代表する首相が参拝する施設としては誠に不適切な場所と言わざるを得ません。
2006年01月26日
ポスト小泉の有力候補者の一人と言われる福田康夫元官房長官は、靖国参拝問題について次のように発言したと、18日の東京新聞に報道されました; 自民党の福田康夫元官房長官は17日午後、福岡市内で講演し、小泉首相の靖国神社参拝について「『心の問題』と言われるなら、対外的に問題にならない方法はないかなと思う。首相の立場には、ある程度考え方ややり方に制限があると考えていい」と批判した。 冷え込んだ日中関係について「中国は日本に対し、靖国以外は協調していく姿勢だ。なるべく早く解決しないといけない」と強調した。 新たな国立戦没者追悼施設の調査費が見送られたことに関しては、「今造ると、中韓に言われて造ったと言われる」と理解を示す一方で、「施設がないのはおかしい。国家の怠慢だ」と指摘した。2006年1月18日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「総裁候補『靖国』語る」から引用福田氏が先の十五年戦争についてどのような考えを持つ人かわかりませんが、靖国参拝問題にはどう対応すべきなのか、常識的な判断基準を持つ人であることがこの記事からわかります。
2006年01月25日
以前から首相の靖国神社参拝に異議を唱えている公明党の神崎代表は、福岡市内で開かれた会合で改めて参拝反対の意思を表明したと、12日の東京新聞が報道しています; 公明党の神崎武法代表は11日、福岡市内で開かれた党の会合で「アジア諸国との関係修復が次の内閣の大事な責務だ。次期首相は靖国神社へ参拝すべきではない」と述べ、小泉純一郎首相の後継に靖国参拝自粛を求める考えを示した。 同時に「歴代首相はかつての戦争を深く反省する談話を出している。A級戦犯を合祀する靖国神社に一国の首相が行くのは内閣の方針と矛盾する」と指摘した。2006年1月12日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「靖国参拝自粛を後継首相に要請-神崎・公明代表」から引用神崎代表の意見は、きわめて常識的な当たり前の主張です。あまりにも当たり前過ぎるので、敢えて発言しない人が多いのではないかと思われますが、そこに付け込むのが小泉氏の我侭なので、こういうまっとうな発言は積極的にしていただくのがよいと思います。
2006年01月24日
近隣の国々から会談を拒否されている小泉首相は、今月中旬トルコを訪問し、盛んに日本・トルコの友好関係をアピールしたようですが、それに対して16日の東京新聞コラム「筆洗」は次のようなコメントを書いていました; イラン・イラク戦争中の一九八五年三月。緊迫するテヘランに取り残された二百人以上の日本人を、トルコ航空の特別機が救出した。 トルコを訪れた小泉首相は、機長だったオズデミルさんと懇談し「功績は両国友好の歴史の中でずっと語り継がれていくだろう」と感動した様子だった。一八九〇年には和歌山県沖合でトルコ軍艦が遭難し、地元の人が救助に尽力した。こんな歴史を互いに忘れないことも友好には大切なのだろう。 それがずっと近い距離の中国、韓国との関係は冷えたまま。トルコ訪問中に氏は靖国神社参拝を「心の問題。行けとか行くなとか言われる問題ではない」と語った。戦争で倒れた人を追悼する思いは誰にもある。それを「心の問題」と言っているのかもしれない。 だが、A級戦犯をまつる靖国への参拝は、あの戦争をどう受け止め戦争責任をどう考えるかという指導者の歴史観、哲学が問われることでもある。現実に中韓外交が行き詰まっている。小泉氏は靖国を総裁選の争点にすべきではないとの考えだが、新総裁の外交の考えを知るうえでも無視はできまい。 有力候補の安倍氏は、戦争の評価を「歴史家に任せたい」といい、これも首をかしげる発言だ。小泉氏が尊敬するという英国の宰相チャーチルはナチス・ドイツに勝利した後、大著『第二次大戦回顧録』を執筆して、序論で書いている。 過去を深く省察することが、来るべき日の手引きとなって「将来の恐るべき場面の展開を統御し得ることを切望する」と。歴史を大事にした指導者らしい言葉である。2006年1月16日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用私もトルコとわが国の友好関係が大切でないとは言いませんが、国益の観点からそれ以上に重要であるのが日中・日韓関係です。これらの国々と良好な関係を保つには正しい歴史認識が必要です。今からポスト小泉を目指すという安倍氏が、この期に及んで戦争の評価を『歴史家に任せたい』などと無責任なことを言うようでは、及第点はあげられません。
2006年01月23日
山崎拓議員がベトナムを訪問し、ファン・バン・カイ首相と会談した際に、先方から日中関係を改善してほしいとの要請があったと、12日の東京新聞が報道しています; 自民党の山崎拓前副総裁は11日夕(日本時間同日夜)、ベトナムのファン・バン・カイ首相とハノイ市の首相府で会談した。 カイ首相は、冷却化している日本と中国の関係について「東アジア全体の発展を考えると、日中両国は最も大きな国力を有している。その国同士の関係が改善されなければ、ベトナムはじめ東南アジア諸国連合(ASEAN)悪い影響が出る」と述べ、関係改善に努力するよう求めた。 さらに「日中間には歴史問題が残っている。これを片付け、相互に協力してアジアの発展に貢献してほしい」と要請した。2006年1月12日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「ベトナム首相が『対中改善努力を』」から引用東南アジア諸国が協力して発展して行くためには、日本と中国のサポートが必要なわけで、その両国の関係が必ずしも円満ではないとなると、まとまる話もまとまりません。ベトナムの首相が心配するのも無理ありません。日本と中国の間では、平和友好条約を締結し、戦後補償のかわりの経済援助も行いました。残された問題は「歴史認識」だけです。小泉首相が「心」を大切にするのであれば、隣国の戦争被害者遺族の「心」を傷つける行為は慎むべきだと思います。
2006年01月22日
小泉首相の靖国神社参拝が原因で、日中・日韓の外交が「機能不全」に陥っていることを考えると、次の政権の重要な課題が両国との関係修復であることは明白です。そのことに関連して、自民党の山崎拓議員は次のように述べたと、11日の朝日新聞が報道しています; シンガポールを訪問中の山崎拓・自民党前副総裁は10日、安倍官房長官が靖国参拝問題を自民党総裁選の争点にすべきではないとの考えを示したことに対し、「(候補者が)この点についてあいまいなまま『小泉政治を踏襲する』と言うなら、(自分も参拝するという)意思表示になる。次の首相が参拝するかしないかはアジア外交に影響する」と述べ、争点になるとの考えを示した。同行記者団に語った。2006年1月11日 朝日新聞朝刊 12版 4ページ「靖国参拝問題『総裁選争点に』-自民・山崎拓氏」から引用短い記事ですが、山崎議員の発言は正鵠を射ており正論だと思います。
2006年01月21日
昨年暮れの週刊誌には、確か安倍官房長官が「女性天皇容認に待った」をかけるらしいとの報道があったように記憶しているのですが、11日の朝日新聞にはそれとは逆の内容の記事が掲載されました; 安倍官房長官は10日の記者会見で、政府が通常国会に提出する皇室典範改正案について「基本的に有識者会議の答申を重く受け止め、法案を作成していく」と述べ、女性・女系天皇を認めた小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の報告書を尊重する考えを改めて示した。 三笠宮寛仁さまが月刊誌「文藝春秋」2月号のインタビューで、報告書を「あまりに拙速」「皇室の伝統を破壊するような女系天皇という結論」と批判。安倍氏の発言はこれを踏まえた。2006年1月11日 朝日新聞朝刊 12版 4ページ「女性・女系天皇容認 改正案作成へ」から引用安倍氏が10日の記者会見で述べた方針を、今後撤回するようなことがなければ、同氏は信用に値する政治家であると言えるかもしれません。
2006年01月20日
国立国会図書館・憲政資料室では、日米開戦時に東条内閣の蔵相を務めた故・賀屋興宣氏と婦人参政権運動の最前線で活躍した故・市川房枝氏の証言の録音テープと速記録が、13日から公開されると、11日の朝日新聞が報道しています。賀屋興宣氏については、次のように書かれています;(前略) 賀屋氏は東京裁判でA級戦犯として終身刑を受けたが、10年間の服役後に仮釈放されて政界に復帰。その後は自民党政調会長などを務めた。 自らの戦争責任について「当時の閣僚で、事実上の開戦・和平の決定機関であった大本営政府連絡会議のメンバーでもあり、日本人として最も重大な責任を感ずべき一人だ」と言及。東京裁判については「侵略戦争を罰するという国際法の概念がない中で、事後法による戦争裁判は不当きわまりない」と不満を述べつつも、「苦痛をなめた多数の日本人に対する道義的責任はあり、巣鴨に収監されることには納得していた」と語っていた。2006年1月11日 朝日新聞朝刊 12版 34ページ「現代政治の証言公開」から引用A級戦犯として服役したかつての戦争指導者が、日中戦争を「侵略戦争である」と認識していたらしい所が大変興味深く思いました。
2006年01月19日
NHKが新年度の予算案を政府に提出する時期になったこに関連して、複数の市民団体がNHKに対し公開質問書を送ったと、11日の朝日新聞が報道しています; NHKの番組改変問題で、「NHK受信料支払い停止運動の会」(共同代表=醍醐聰・東大教授)など16の市民団体が10日記者会見し、NHKに対し、(1)政治家に対する個々の番組内容の事前説明はやめるのか(2)制作現場で、制作・編集責任者以外の者の関与を排除する部内ルールが必要ではないかとの公開質問書を郵送したと発表した。 NHK予算案の提出時期が近づいたので行ったとしている。市民団体側は、安倍晋三、中川昭一両衆院議員に対しても「政治介入を否定するならどのような事実と論拠によるのか」などの公開質問書を届けたという。2006年1月11日 朝日新聞朝刊 12版 34ページ「番組改変問題でNHKに質問書」から引用NHKが、政府や自民党の“おかかえ放送局”ではない、まっとうな報道機関であるという自覚を持っていれば、(1)政治家に対する個々の番組内容の事前説明はやめるのが当然だし、万が一圧力がかかった場合の防衛策として(2)制作現場で、制作・編集責任者以外の者の関与を排除する部内ルールを確立する必要があると思います。また、安倍・中川両議員も、市民団体の公開質問に対し真摯な回答をすべきであると考えます。
2006年01月18日
小泉首相の靖国神社参拝を中国や韓国が批判するのはおかしいという投書が、10日の朝日新聞に掲載されました。投書の主は63才の男性で、次のように述べています; 私は最近、日本国憲法を変える必要はないと痛感しています。自衛のためなら現憲法で十分ではありませんか。軍隊に格上げするより、世界で独自の自衛隊を誇るべきです。 しかし、小泉首相の靖国神社参拝は違うのです。 私たちは戦後教育で、日本は間違っていたと教わりました。確かに間違っていたのでしょう。でも、日本人としての自尊心を失ってよいのでしょうか。仮に家族に犯罪者がいて、同じ墓所に奉られているとして、墓所に詣でるなと強要するのは自然なことでしょうか。 アジアで孤立すると言いますが、アジアはそんなに狭いでしょうか。私はタイやシンガポール、インドネシア、台湾で、知人たちから当時の日本の良い面も聞かされました。(後略)2006年1月10日 朝日新聞朝刊 12版 10ページ「声-参拝批判する不思議な国々」から引用まず第一に指摘したいのは、「日本は間違っていたと教わりました。確かに間違っていたのでしょう」と、こういう無責任な表現をしているところを見ると、どうもこの投書の主はあまりまじめに歴史の勉強はしなかったのではないか、という点です。旧日本軍が中国大陸や東南アジアでどんなことをしたのか歴史の学習を通じて認識していれば、このような表現はしないと思います。次に、この投書主の考え方の最大の欠点は「でも、日本人としての自尊心を失ってよいのでしょうか」と書いているところに表れています。つまり、この投書主は「日本は間違っていた」ことを認めると、それは「日本人としての自尊心を失うことになる」と思い込んでいるわけです。なんという狭い心の持ち主でしょうか。これを裏返すと、「日本人としての自尊心を失ってはいけない」だから「日本が間違っていたなどと認めてはならない」となり、挙げ句の果ては「(例えば)南京大虐殺なんて無かったんだ」などと主張する、人間として間違った道に入り込んでしまうのだと思います。私たちは過去に起こったことを訂正することができないのですから、間違った戦争をやったのであれば、それは間違いだったと認めるのが当然です。私は、それを認めたからといって日本人の誇りが傷つくとは思いません。人間、だれでも間違いはあります。間違いを間違いとして認め、反省し、二度と間違いを繰り返さないと誓い、わが国は戦後60年間、営々として平和国家を築いてきました。こういう態度こそ、私たち日本人の誇りだと思います。過去に間違った戦争をしたからといって、現代の日本人が卑屈にならなければならない理由はありません。是は是、非は非と認めて正々堂々と生きていけると思います。さらに、この投書の論理的間違いを指摘すると、「仮に家族に犯罪者がいて、同じ墓所に奉られているとして、墓所に詣でるなと強要する・・・」の部分ですが、中国や韓国が戦犯として処刑された人々の遺族の参拝を批判しているのではありませんから、こういう例え話はまったく的がはずれています。
2006年01月17日
戦前の日本が中国へアヘンを流通させていたことを示す史料が発見されたと、4日の朝日新聞が報道しています; 日本が戦前、中国東北部につくった旧満州国で実施されたアヘンの専売制度をめぐり、同国の中央銀行だった「満州中央銀行」が、生産や販売に資金を提供するなど制度確立に重要な役割を果たしていたことが明らかになった。愛知県立大の倉橋正直教授(中国近現代史)が、中国・吉林省の公文書館にあたる「档案館(とうあんかん)」が保存していた同銀行の内部文書を入手した。同国は建国当初からアヘンを歳入の柱の一つとしており、背後にあった当時の日本のアヘン戦略の全体像を解明する手がかりになる可能性もある。 満州国のアヘン専売は建国された1932年度に始まった。今回見つかったのは、同銀行が保管していた33年度(同国年号で大同2年度)の「阿片専売特別会計」の一部や、アヘンの原料となるケシの栽培農家に同銀行が費用を貸し出していたことを示す36年(同康徳3年)の資料など計約260ページ。档案館には同銀行の内部文書が約5万点収蔵されており、その中に残されていた。 「阿片専売特別会計」は、アヘンの集荷や原料からの製品化を受け持つ専売公署と同銀行との資金のやりとりの記録。首都の新京(現・吉林省長春市)にある公署以外に、計10カ所あった専売支署が同銀行分行や支行と個別に資金を収受していた状況が記されている。 専売発足直後で軌道に乗っていなかったためか、「鴉片(あへん)作業費 減額 6842976,12」などと年度末に収入見込みの減額を赤い数字で記した文書が多かった。一方で「違法阿片」を押収してその分を繰り入れたことによる収入増を「臨時密生産鴉片収納費 新規 36845」と黒字で記した文書もあった。 各専売支署は地域ごとの販売権を政府指定の卸売人に独占させ、アヘンを流通。35年7月30日付の「阿片収売人並ニ卸売人ノ保証金利息支払ニ関スル件」とした専売公署の通知は、卸売人から預かった保証金の利子を同銀行から各卸売人に支払うよう求めていた。 アヘン輸出は国際法違反とされていたが、日本は国内で生産したアヘンを中国大陸に大量に流通させた。満州国でのアヘン専売は、同国を日本の傀儡とみなした国際連盟から非難を浴びたが、制度は敗戦まで継続した。 《解説》 日本のアヘン戦略の起源は、日清戦争による台湾領有にさかのぼる。当初、行政担当者らは台湾に多数いた中毒患者への対応に苦慮し、専売制を導入することになった。アヘンを国家統制することで中毒患者を徐々に減らす政策だったが、施行までに領有から約3年を要した。 一方、旧満州国では、成立とほぼ同時にアヘン専売制が始まった。日本側に植民地での過去の経験があったとはいえ、素早い専売制の開始は、今回明らかになった満州中央銀行による資金的な支えがあって初めて可能になったといえる。 アヘンの販売収入は、国家建設の費用を集めるため日本国内で販売された建国公債の担保にも充てられていた。中毒患者への人道的措置を名目にしていたアヘン専売が、国家財政を支える収入源として計算されていた実態を裏付けている。2006年1月4日 朝日新聞朝刊 14版 30ページ「旧満州国の中央銀行 アヘン専売制へ資金」から引用イギリスが大量のアヘンを中国に持ち込んで「阿片戦争」になったということは歴史で習いましたが、日本にもアヘン戦略などというものがあったとは習いませんでした。戦争中、政府が国民にひた隠しにしていたことは沢山ありますが、地道な研究を積み重ねて史実を明らかにしていくことは良いことだと思います。
2006年01月16日
朝日新聞社と読売新聞社の幹部が対談し、両者とも「小泉首相の靖国神社参拝はおかしい」と厳しく批判したと、4日の朝日新聞が報道しています; 読売新聞の渡辺恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が初めて対談した。首相の靖国神社参拝について渡辺氏は「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館(遊就館)を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」、若宮主幹も「『A級戦犯はぬれぎぬじゃないか』という遊就館につながる思想の人たちを喜ばせ、力をつけさせている」として、ともに厳しく批判した。 ポスト小泉をめぐっては、アジア外交への姿勢が大きなカギだとする若宮主幹に対し、渡辺氏は「靖国公式参拝論者を次の首相にしたら、もうアジア外交は永久に駄目になっちゃうんじゃないか」と述べた。 一方、憲法9条やイラク戦争の評価については違った立場から意見を戦わせた。対談は5日発売の朝日新聞社の月刊誌「論座」2月号に掲載される。2006年1月4日 朝日新聞朝刊 14版 2ページ「首相の靖国参拝を『おかしい』と批判」から引用最後まで読むと「なんだ、雑誌の宣伝か」といささか食傷しますが、朝日・読売の両幹部が一致して主張するように、首相の靖国参拝はやっぱりおかしい。これが世の中の常識でしょう。一部の『A級戦犯ぬれぎぬ』説を信奉する者たちに迎合するような行動は慎んでいただきたいものです。
2006年01月15日
「明けましておめでとうございます」は英語で「ハッピー・ニューイヤー」、中国語で「新年愉快」というと、紹介している元旦の朝日新聞社説の、タイトルが「武士道をどう生かす」。元旦早々から「武士道」はないんじゃないか、と思いつつ読んでみると、なかなか面白いことが書いてありました;(前略) 「外国の干渉を許すな」と、首相の(靖国)参拝を支持する人々の声もとかく勇ましい。郵政問題を武将の流儀で押し切ったように、ここでも強気で押してこそ国家のリーダーだ、といわんばかりに。 そういえば少し前、映画『ラストサムライ』のヒットもあって、ちょっとした「武士道」ブームが起きた。忠義のため命を捨てる潔さがたたえられがちだが、その本質は決して好戦的ではない。 1世紀ほど前、新渡戸稲造は英語で出版した名著『武士道』のなかで、「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」こそサムライに似つかわしいと書いた。弱者や敗者への「仁」であり、「武士の情け」「惻隠の情」のことである。 最近では数学者の藤原正彦氏がベストセラー『国家の品格』でそうした側面を強調し、武士道精神の復活こそ日本の将来のカギを握ると唱えている。 ならば「武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯なこと」(藤原氏)だった日中戦争に、いまだけじめがつかないのでは話しにならない。あの時代、アジアでいち早く近代化に成功した「勝ち組」が「負け組」に襲いかかったのがこの戦争だった。 靖国神社はその軍部指導者までたたえて祀っている。そこに、中国などの神経を逆なでして首相が参拝し続けるのは、武士道の振る舞いではあるまい。参拝をはやしたてる人々もまたしかりだ。 いま「60年たっても反省できない日本」が欧米でも語られがちだ。誤解や誇張も大いにあるが、我々が深刻に考えるべきはモラルだけでなく、そんなイメージを作らせてしまう戦略性の乏しさだ。なぜ、わざわざ中韓を刺激して「反日同盟」に追いやるのか。成熟国日本にアジアのリーダー役を期待すればこそ、嘆く人が外国にも少なくない。 中国の急成長によって、ひょっとすると次は日本が負け組になるのかも知れない。そんな心理の逆転が日本人に余裕を失わせているのだろうか。だが、それでは日本の姿を小さくするだけだ。 武士道で語られる「仁」とは、もともと孔子の教えだ。惻隠の情とは孟子の言葉である。だからこそ、子供のけんかをやめて、大国らしい仁や品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点である。秋には新たな首相が選ばれる今年こそ、大きな転換の年としたい。 ことは外交にとどまらない。 国民の二極分化が進む日本では、まだまだつらい改革が待っている。競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要な弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。隣国との付き合い方は、日本社会の将来を考えることとも重なり合う。 自分の幸せを、少しでも他者の幸せに重ねたい。「新年愉快」ならぬ「年中不愉快」が続いては困るのだ。2006年1月1日 朝日新聞朝刊 14版 3ページ「社説-武士道を生かす」から引用わが国の伝統文化と言われる武士道も、元を正せば中国に起源を持つという指摘は考慮に値します。武力で国土を拡大しようなどと言う時代ではなくなった今日、わが国が中国と反目しなければならない理由はありません。小泉首相には、米百俵も結構ですが、武士道精神も学んでいただきたいものでございます。
2006年01月14日
大晦日の朝日新聞朝刊・オピニオンのページに、いつも夕刊に載ってる寸評欄「素粒子」の筆者が2005年を振り返るとの副題で、次のように書いています; 角川が製作した映画「男たちの大和」に兵の役で出た反町隆史や中村獅童が、「戦死者のおかげで自分たちが満喫する今の平和があるのだ、というこを実感しました。この気持ちを人にも伝えたい」といった感想を語るのを耳にした。 60年前、「大和」に乗り組んだ哨戒長白淵馨大尉に有名な言葉がある。 「敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ 今目覚メズシテイツ救ハレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」(吉田満著「戦艦大和ノ最期」) 本望とは白淵の期待だ。己の死と引き換えに、日本の新生を信じた。いまどきの役者の実感通り戦後日本はともかく平和だったとしても、はたしてそれは白淵が望んだ新生日本であるといえようか。 先の戦で死んでいった人たちに思いを致すことはいいことだ。だがそれは為政者が靖国参りに固執するということではないだろう。 小泉首相は今年(2005年のこと)も参拝を繰り返した。近隣外交が今どんな状況に陥っているかを見るとき唖然とする。 頑固で強情で人の言うことを聞かないとは、町内のご隠居ならいいが宰相としては美点とはいえまい。 明らかに迷惑をかけたご近所から、いまだに「お前は反省が足りない」と言われ続けなければならないとは異常なことではないか。 異常を尋常にするのが政治の働きというものであろう。この国の政治はきちんと働いていない。 (中略) 60年前の春、「大和」轟沈より先に、硫黄島の「死守」を命じられた小笠原兵団の将兵2万余りが全滅を遂げた。その兵団長栗林忠道中将をよみがえらせて梯久美子著「散るぞ悲しき」は今年(2005年)出た本の白眉と見た。 二転三転する大本営方針に翻弄されつつ栗林は綿密で断固たる作戦を展開し、敵の米軍を驚愕させる。 「栗林の中には、普通の人々が普通の生活を送れるようにするために自分たちは存在するのだという強い思いがあった」と梯は述べている。徹底抗戦することで米国民の厭戦気分を引き出し、終戦に持ち込みたかったのだ。その捨て石になることで栗林は日本の将来に期待をかけたのだった。 --私どもは白淵や栗林の期待に応えるに値する日本をつくったであろうか。 <地球儀の日本に銀の蝿止まる> 春樹 腐臭が漂っていやしないか。どの顔して小泉首相は靖国で英霊に相対しているのかと思う。2005年12月31日 朝日新聞朝刊 12版N 8ページ「戦後60年の悔恨・異常・偽り」から引用かつての戦争被害国と講和条約を結び、戦後補償の代わりの経済援助をしたからといって、それで終わりではないわけで、友好関係を維持していくのが政治家の仕事です。近隣外交が行き詰まっていることを知りながら、批判の多い問題行動を繰り返す人物を国会議員に選んで良いのかどうか、有権者はよく考えなければ成りません。
2006年01月13日
国際問題を論じる二つの月刊誌に、外務省関係者が靖国問題を憂慮した論文や対談を掲載していると、暮れの「しんぶん赤旗」日曜版が紹介しています; 小泉首相の靖国神社参拝が日本外交の到達点を台無しにしているという危機感が、外務省内に強まっています。 同省編集協力の『外交フォーラム』新年号での、栗山尚一元駐米大使の「和解-日本外交の課題 反省を行動で示す努力を」の論文は、その一つです。 元事務次官の栗山氏は、首相の靖国神社参拝が、国策を誤り、植民地支配と侵略によって近隣の国々に損害を被害を与えたという日本政府としての認識とは異なると指摘。首相など責任ある立場のものが靖国参拝すれば同神社の「『大東亜戦争』肯定の歴史観を共有しているとの印象を与える結果となりかねない」と批判しています。 同省がつくった日本国際問題研究所の『国際問題』12月号の対談「日本外交と『歴史認識』問題」もそうです。 五十嵐武士東大教授との対談で外務省OBの岡本行夫元首相補佐官は、アジアがこれからどういう方向に向かうか岐路に立っているのに、日本の友人がアジアにいない、その原因が歴史認識にあると述べています。同氏は、靖国神社の一部である遊就館の展示説明には「満州」(現在の中国東北部)がいまも日本のものであるかのように記述し、そこへ首相が公的参拝をすればいろいろな意味を持つと批判しています。「しんぶん赤旗」日曜版 2005年12月25日号 3ページ「外務省OBも苦言」から引用わが国が戦後60年をかけて営々と築いてきた平和国家日本の努力が、たった一人の“変人”首相によってひっくかえされたのでは、たまりません。次の首相候補のみなさんには、この辺の所もよく勉強していただきたいものでございます。
2006年01月12日
戦時中に朝鮮半島から大量の労働動員があったことについて、その実態が徐々に解明されていることが、暮れの「週刊金曜日」に報道されました。記事は次のように述べています; 「日帝強占下強制動員被害真相糺明等に関する特別法」のもとで行われている韓国の真相究明調査に呼応し、今年8月に発足した国内市民組織「強制動員真相究明ネットワーク」の呼びかけ人で歴史研究者の竹内康人さんのがこのほど戦時下の朝鮮人強制労働現場全国一覧表をまとめた。朝鮮人が就労したとみられる国内の労働現場約2700カ所が記載され、うち強制労働現場は約1550カ所にのぼることが確認された。 A4判、51ページからなる一覧表には、企業名、業種、所在地、1939年7月の「国民徴用令」施行から敗戦までの「強制動員」の有無、出典を記載している。所在地は、各県の地図や地名辞典をもとに現在地を特定しており、軍需工場や鉱山など、業種ごとの地域分布も一目でわかる。 旧厚生省勤労局や中央協和会、防衛庁の史料、特高史料のほか、市民団体の調査資料、社史、市町村史、新聞記事など約300点から出典。被害者たちの証言も丹念に拾い集めた。 竹内さんは、「調査を進めれば、強制連行現場はさらに増えるだろう。戦争被害者の尊厳の回復に向けた市民かつ地域レベルでの歴史認識、真相究明につながれば」と語っている。 神戸の同ネット事務局では「全国網羅的な資料は初めてで、事実関係を明確にする重要な基礎資料。地域での調査、被害者特定や遺族からの照会など、今後の広がりを期待している」と話し、来年1月中旬に強制労働現場の全国地図とともに冊子にして発酵する予定だ。一覧表は「人権平和・浜松」のホームページ; http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/sensosekinin/flaber0506.htmlで閲覧することができる。「週刊金曜日」2005年12月16日号 6ページ「一目でわかる強制労働現場-浜松の研究者が国内の一覧表作成」から引用「朝鮮人強制連行のまぼろし」などといういい加減な本が大手出版社から刊行される今日、私たちは過去にどんなことがあったのか、しっかり勉強すべきだと思います。
2006年01月11日
近隣外交が最悪の事態になっていることを心配した読者が、12月28日の東京新聞に次のような投書を寄せています; 小泉さん、あなたは何でそんなに靖国神社にこだわるの。 中国や韓国の肩を持つつもりはないが、他国が不愉快に思うことをしておいて「理解されないのはわからない」などとのたまうその無神経さは、とうてい普通の人のものとは思えない。 相手の嫌がることや誤解を生むようなことは、基本的にしてはならないのである。ましてや、首相として国民の代表になったからには、自分の信念と多少の違いがあっても、国のため、国民のためになるような施策を取るのが大人のすることである。 自分に自信のある人は、泰然自若として他人の意見もしっかりと聞き尊重する。そうすれば、相手も自分の意見を尊重してくれる。結果、争いごとも未然に防ぐことができる。 自分に自信のない人は、常に自己保身に走り、自我を通そうとする。自分の意思を他人に押しつける。結果争いごとになり、周囲を巻き込んで、不幸なことを引き起こす。 今日のブッシュ米大統領も、あなたも後者と同類に見える。もっと他人を思いやることはできないのか。「君子は未然に防ぐ」とある。でも、君子でない人に何を言っても無駄かな。2005年12月28日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-他者の不愉快 首相は行うな」から引用小泉氏は首相になるまでは、そんなに熱心に靖国神社に参拝する人ではなかったと、何かの週刊誌で読んだことがあります。そうだとすると、とても「信念」などと立派なものがあってやってることではないように思います。暮れのテレビに出演した宮沢喜一元首相は「単なる我が儘だ」と言っておりました。首相としての自覚を促したいものです。
2006年01月10日
昨年暮れに降って沸いた自民党と民主党の『大連立』について、12月27日の東京新聞コラム「政理整頓」で、論説副主幹の谷政幸氏は次のように述べました; とにもかくにも小泉首相、独壇場の2005年だった。「郵政」一本で不満分子や野党をけ散らした。そして、ダメ押しのひとことを投げつけで、どこか後味の悪い余韻も残したまま、年を締めくくる。 そのひとこと-「自民・民主の大連立」である。メディアが食いつきそうな時機を見計らって、首相サイドから前原民主党に打診、との情報が流された。後は首相が可能性を半ば肯定したり、半ば否定したり。話は独り歩きして、みんなの記憶に残った。 「大連立ができるかどうかはその時の情勢による。私の任期は来年9月まで。その前に大連立があるか、後になるかは、予測できない」「政界は一寸先は闇。ドイツも絶対あり得ないといわれたが、できちゃった」。これが首相の口にした触りの部分。 事実認識の点でいえばドイツうんぬんのところは違う。日本より一週間遅れの連邦議会選挙の結果、すったもんだで生まれたメルケル政権は二つの政党の大連立によるが、同じ組み合わせは40年前にもあった。絶対ありえない、とも、いわれてなかった。 ちなみに過去、日本に「大連立」はない。自民・社会・さきがけの村山政権もただの「連立」でしかなかった。今のような自民一党優位で、その半分にも満たない民主との連立は、二党が数で拮抗したドイツのような「大連立」とは呼びがたい。この点でも首相の言葉は正確でない。 で、いかにも唐突な「大連立」構想は一体何だったか。首相との“すきま風”をささやかれる山崎拓氏がこう述べている。「現時点で、大政翼賛会を想起させるような大連立をする必要は、ない」 日中開戦で総力戦体制がとられて間もなく、近衛文麿氏提唱の新体制運動の下で1940年、大政翼賛会が結成された。全政党は解散し、議会が空洞化して、日本は対・米英戦争へと突き進んだ。大連立で山崎氏が想起したのは、そういう「政党政治の自殺行為」であったようである。 議論を封じるようでは大連立などもってのほかだ。「小さな政府」も「憲法改正」も十分な議論を要する。民主党は、代表の前原氏も鳩山幹事長も、大連立をきっちりと否定することだ。そうでないと、2006年もやられっぱなしになる。2005年12月27日 東京新聞朝刊 11版 4ページ「政理整頓-何だったの?『大連立』論」から引用小泉氏は、あいまいな言い回しや不正確な言葉遣いで相手をはぐらかし本質を誤魔化すのが得意な人です。例えば、すぐに思い出せるのは、靖国参拝と中国の抗議について語ったとき「罪を憎んで人を憎まず」などと言いましたが、この時は識者の間では「加害国側が被害国側に言うことばではない。立場が逆だ」と批判されたものでした。天然ぼけなら本人の資質ということで、致し方ないのですが、故意にやっているとすれば悪質です。こういう人物にやられっぱなしでは困ります。民主党には、今年は是非がんばってほしいと思います。
2006年01月04日
麻生外相が中国の軍備は脅威だと発言したことを、自民党の山崎拓議員が批判したと、12月26日の東京新聞が報道しています; 自民党の山崎拓前副総裁は25日、フジテレビの報道番組で、麻生太郎外相が中国の軍備増強を「かなり脅威」と発言したことについて「言葉遣いが間違っている。政府の公式見解では、脅威という言葉を使っていない」と批判した。 同時に、「中国の軍事力が脅威だと言えば、わが国に対する侵略の意図があることになる」と指摘したうえで、「そうなれば(脅威に)対処しなければならず、大変な対立が生まれる」と麻生外相発言に懸念を表明した。2005年12月26日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「『脅威』は間違い 山崎拓氏が批判」から引用麻生外相も、ポスト小泉をめざすなら、この辺の所をよく勉強してほしいと思います。
2006年01月03日
第二次世界大戦末期のサイパン陥落から降伏までの新聞を、現代の視点からみて編集した『沖縄戦新聞』が、暮れの26日東京新聞「筆洗」に紹介されました。真新しい新聞を同僚に見せると、一瞬驚いたようだった。一面の大見出しは「沖縄戦 事実上の終結」と伝えている▼沖縄の琉球新報社が発行した『沖縄戦新聞』。激しい地上戦闘が続いた沖縄戦の終結から今年が六十年にあたることで企画された。移住した多くの沖縄県民も犠牲になったサイパン陥落から降伏までの十四の紙面を、六十年後のその日に発行した▼戦時の新聞は戦意高揚に加担して市民を戦争に駆り立てた。こうした負の歴史を繰り返すまいと今の情報と証言、視点で編集した新聞だ。新聞協会賞などを受賞し、セットで出版している(問い合わせは電098・865・5100)。見事な紙面に沖縄の記者たちの見識と志を思う▼六十四年前の今ごろは太平洋戦争の開戦後で鳴り物入りの大本営発表が続いた。が、連合艦隊司令長官の山本五十六は「報道なんか、静かに真相を伝えれば、それで充分(じゅうぶん)なんだ」と語った。「嘘(うそ)を言うようになったら、戦争は必ず負ける…世論の指導とか、国民士気の振作(しんさく)とか、口はばったいことだよ」(阿川弘之『山本五十六』)▼やがて大本営発表は嘘で塗り固められて、真実は伝えられなかった。『沖縄戦新聞』によれば、五月初めに沖縄戦は事実上敗北した。なのに捨て石のような持久戦が六月下旬まで続き、巻き添えになっても勝利を信じていた住民は終盤の「解散命令」で見捨てられ、さらに倒れた▼「戦争の最初の犠牲者は真実」という言葉がある。真実が犠牲になれば市民もたやすく犠牲になることを、『沖縄戦新聞』は如実に教える。http://www.tokyo-np.co.jp/00/hissen/20051226/col_____hissen__000.shtml報道が警察発表の垂れ流しや政府発表の鵜呑みでは困ります。「真実の報道」がいかに大切か、よく考えたいと思います。
2006年01月02日
巷にあふれる歴史改ざん書籍は、南京大虐殺や従軍慰安婦問題、朝鮮人強制連行問題などを無かったものだ、虚構であると主張しています。そういう主張こそ根拠の無い妄想なのですが、政府がわが国近代史の教育にあまり熱心でなかったこともあり、しっかりした歴史認識を持たない一般人が、これだけ沢山の本がそう主張するのならそうかも知れないと誤解しても無理は無いような状況で、こういうことを歴史研究家は見て見ぬふりをしてはいけないと思います。戦後60年、わが国近代史が完璧に研究し尽くされたわけではありませんが、これまでに学問的に明らかになったレベルで、いま巷に氾濫する「歴史改ざん」勢力の策謀を阻止する必要があるのではないかと、私は常々思っておりましたが、昨年8月には岩波書店から「朝鮮人戦時労働動員」(山田昭次、古庄正、樋口雄一共著、\3,150)が上梓されました。 最近、「朝鮮人強制連行」を虚構であると言い出したのは東大教授の藤岡信勝であるとして、この本の序章で山田昭次は次のように述べています; 朝鮮人強制連行説虚構論が歴史教育の問題として表面化したきっかけは、2004年1月17日に行われた大学入試センターの世界史の試験で提出された問題だった。その問題とは、「日本統治下の朝鮮」に関連して次の四つの選択肢から正しいものを一つ選ばせるものだった。(1)朝鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が就任した。(2)朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領土であった。(3)日本による併合と同時に、創氏改名が実施された。(4)第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた。正解は(4)である。これに対して自由主義史観の提唱者で、かつその指導者の一人である藤岡信勝は、1月22日付『産経新聞』の「正論」欄に「拉致解決妨げるセンター入試問題」と題して、この問題が「極めて不公正で不適切な設問である」と異議申し立てを行った。 その第一の理由は上記の用語のうち、「朝鮮総督府」や「創氏改名」は、当時その言葉が使われていて歴史的事実に属するが、「強制連行」は次元を異にし、「政治的な糾弾の機能を担う造語」であるということである。だが、当時使われた用語がその歴史的内容を表現していないと認定されれば、新しく用語を設定することはいくらでもある。例えば「支邦事変」とは当時の用語である。しかし今日では「日中戦争」という。藤岡も執筆者の一人である扶桑社版中学校歴史教科書「新しい歴史教科書」の文部科学省の2000年度検定申請用のいわゆる白表紙本でも「日中戦争」という用語を使っている。これは「支邦事変」という用語は戦争であることを誤魔化し、歴史的内容を適切に表現していないからであろう。したがって当時使われた用語でないからといって、新しく作られた歴史的用語を非難する理由はない。岩波書店刊「朝鮮人戦時労働動員」(山田昭次、古庄正、樋口雄一共著、\3,150) 1~2ページから引用この引用部分に表れているように、「歴史改ざん」派の主張の根拠はレベルの低い、たわいも無い認識不足によるもので、歴史学が専門ではない藤岡信勝は教科書執筆などやめたほうが生徒の教育のためというものです。「朝鮮人戦時労働動員」では、「歴史改ざん」派を批判するだけに止まらず、政府機関や企業に残された史料を基にした現在の「朝鮮人強制連行」研究のレベルを客観的に振り返っており、好著といえます。改ざん派のデタラメ史観に惑わされることのないよう、一読をお勧めしたいものです。
2006年01月01日
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