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通常国会が始まるに当たって希望の党と民進党が統一会派を結成するという話が持ち上がり、これまた変な話になりそうだなと思っていたところ、結局その話は無くなった。その件について、法政大学教授の山口二郎氏は28日の東京新聞コラムに次のように書いている; 通常国会が始まり、安倍一強体制に挑戦すべき野党の側は、統合、協力の在り方をめぐって混迷を続けている。希望の党と民進党の統一会派の構想が頓挫したことは、政党政治の筋論に照らせばむしろ当然である。 希望の党には、自民党右派と同じような考えを持つ改憲派がいる一方で、同党の玉木代表は憲法9条改正には反対すると明言した。憲法という最も重要な政治的価値観に関して一致できないというのでは、政党の体をなしていない。 もちろん当人たちも深刻視しているようで、執行部は小池百合子氏に離党を促し、改憲に積極的な保守派とは分党を検討するという報道もある。 希望の党は不幸な生い立ちの政党であり、ここで新しい政党に生まれ変わるというのであれば、野党の整理は一歩進む。 立憲民主党は、野党を大きくすること自体を目的にすれば、かつての民主党の轍を踏むと警戒している。今は少数でもこれから明確な政権構想を樹立し、主体的に成長していくという志は良い。 ただし、安倍政権が改憲を進めようという切迫した事態の中、憲法に関する理念を共有する政党が協力を密にすることも必要である。 統一会派や党の合併といった形にこだわる必要はない。労働法制改悪や、その後に続く改憲に対して戦うという中身を野党協力で作っていってほしい。(法政大教授)2018年1月28日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-野党の結集」から引用 5年も続いた安倍政権には国民もそろそろ飽きてきた頃であるが、野党の力がなかなかまとまらないのは残念なことだ。しかし、ここは無理な数合わせを急ぐことなく、安倍政権の民主主義破壊を許さない闘いの中で支持者を増やしていくという路線が、賢明な策だと思います。
2018年01月31日
最近の日本でも夫婦別姓を認める法案が野党から国会に提出されているのだが、いつも右翼の政治家の反対にあってろくに審議もされずに廃案になっている。この問題について、文筆家の師岡カリーマ氏は27日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 概して保守的で父権主義が根強いにもかかわらず、私が育ったエジプトをはじめ、イスラム社会では通常、女性の姓は結婚後も変わらない。生みの親は生涯不変だが、配偶者は替わり得る。結婚は個人と個人との契約だ。うまくいかなければ解消できる。だから個人を識別する根拠となるのはその人が「誰の子か」であって「誰の配偶者か」ではあり得ないのだ。 夫婦別姓の国々では家族の絆が弱いとか、子が情緒不安定だといった話は聞かない。むしろエジプトの夫婦げんかは、しばしば双方の実家を巻き込み、壮大に盛り上かって、切りのいいところで雨降って地固まる。離婚率は日本とほぼ同じだ。 夫婦同姓を強要する法律にメリットがあるとは思えない。夫婦別姓が解禁された場合、離婚率の上昇は確かにあり得るだろう。いちいち姓が変わらなければ、体裁に縛られることなく、離婚や再婚がしやすくなる。でも、それって悪いこと? 今まで我慢を強いられてきた男女の選択肢が増えるのは、むしろ健全なことではないか。強制的な同姓制度で無理やりつなぎ留められた家族が幸福だとも思えない。 そういえばスペインやポルトガルも夫婦別姓で、子は父母の姓を併記する。仮に離婚しても、子は姓によって両親とつながり続けるわけだ。家族の絆を優先するなら、いっそこれを検討してはどうだろう。(文筆家)2018年1月27日 東京新聞朝刊 12版 27ページ「本音のコラム-夫婦別姓で絆を」から引用 この記事は理路整然としており、読みやすくて理解もスムーズである。ただ、女性の姓が結婚後も変わらないのはイスラム社会に特有の現象ではなくて、韓国でもそうだと聞いたことがある。また、日本でも明治27年までは、政府は「女性は結婚しても実家の姓を名乗るものとする」制度だったらしい。それが途中から、結婚した女性が夫の姓を名乗る(婿養子の場合は、その逆)ことにしたのは「家制度」を守るためで、それは国民を戦争に駆り立てるための徴兵制を円滑に実施するのが目的だったという俗説もある。いずれにしても、夫婦別姓を認めないことで世間体を気にする女性は離婚を我慢することになるという説は、あり得る話だ。日本の国会で夫婦別姓を認める法案に反対する議員の意見は、珍妙であった。法案は、日本中の家庭を夫婦別姓にせよ、というものではなく、希望する夫婦には別姓を認めるべき、というものなのだから、絆の喪失が心配な家庭は今のまま同姓でいればいいので、他人の家庭事情まで余計な心配をしてくれて「どの家庭であっても、夫婦別姓は認められない」という右翼の主張は明らかにおかしいし、そういうおかしな主張が通ってしまう社会のあり方も、かなりおかしいと思います。
2018年01月30日
憲法の平和主義を象徴するような条文を削除する改憲案では国民を不安にするから、というので右翼が考え出した策略は、憲法9条の条文はそのまま一字一句削ることなく残して、第3項を付加するというものであるが、27日の東京新聞では生島章弘貴社が、そんな狡獪なやり口に騙されてはならないと警告を発している; 自民党が、自衛隊を明記する改憲案で9条2項を残す方針を固めたのは、平和主義の転換と受け取られかねない2項削除案に比べて反発を招きづらく、改憲を実現する早道と計算したからだ。だが、2項を維持したとしても、9条改憲は大きく変質した自衛隊の性格を追認することになる。 安倍晋三首相は9条改憲の理由を、自衛隊が違憲かどうかの論争に終止符を打つためと説明。より穏当に見える案で国会発議にこぎ着け、国民投票も乗り切る考えだ。 しかし、忘れてはならないのは、今の自衛隊の法的位置づけが、かつての姿と大きく異なることだ。 安倍政権は2014年の閣議決定と15年に成立させた安全保障関連法で、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使を容認。専守防衛に徹してきた自衛隊は、米国など密接な関係にある他国を武力で守れる組織になった。今も安倍政権は、敵基地攻撃能力につながる長距離巡航ミサイルなどの導入計画を進めている。 そうした自衛隊の存在を最高法規である憲法に書き込むことは、違憲の疑いが指摘されてきた数々の問題を正当化するに等しい。首相は「自衛隊の任務や権限に変更は生じない」と国会答弁したが、本当にそうなのか、徹底した議論が必要だ。(生島章弘)2018年1月27日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「安保法で変質の自衛隊追認」から引用 わが国政府が戦後の長い間合憲であると認識していた自衛隊は、安倍政権の安保法の強行採決によって、その性質を大きく変えられて、今では以前にも増して自衛隊は違憲であるとの「疑い」が色濃くなってきたと言える。安倍首相は「命がけで仕事をする人々が憲法違反だと言われるのは気の毒だ」などと言っているが、そういう声を一層強めたのは、当の安倍首相自身である。一方では、安倍首相は「単に自衛隊の一語を書き加えるだけであって、今までと何も変わることはない」などと言ってるが、これは絶対ウソである。今までと変える必要がないのであれば、憲法も今まで通りで不都合はないはずだ。それを憲法を変えてまで自衛隊を特別な存在にしたいというのであるから、そこには必ず「目的」が存在する。私が思うに、上の記事は間違ったことを書いているわけではないが、こういう文章では、改憲発議を阻止するには余にもチカラが弱すぎるのではないか。もっと強く安倍氏の改憲論を叩きつぶすような記事を書くべきだと思います。立法府の長ならともかく、行政府の長の場合は憲法を遵守する立場であって、国民に改憲の号令をかける立場ではないということを、もっと強力に主張するべきだと思います。
2018年01月29日
安倍首相は昨年の通常国会を早めに切り上げて、内閣を改造したり総選挙をやったり、野党が臨時国会を要求しても応じないという憲法違反行為までやって、あの手この手で国民の意識からモリカケ問題を消し去ろうと努力したのであったが、消し去るどころか新たな問題まで浮上してくる始末で、ついに今月の国会では「説明する」を連呼する事態になったと、27日の東京新聞が報道している; 国会は26日、3日間にわたる衆参両院本会議での代表質問を終えた。野党側が学校法人「森友学園」「加計学園」問題と、スーパーコンピューター開発の補助金詐取事件について政府側の姿勢をただしたのに対し、安倍晋三首相は「しっかり説明する」と繰り返したが、具体的な内容には踏み込まなかった。=働き方法案名称に異論・代表質問の詳報7面 森友問題を巡っては、財務省側が交渉に関する資料を「破棄した」と答弁してきたが、交渉の経緯を記した内部文書が保管されていたことが判明。26日の参院本会議で、共産党の小池晃書記局長が「(財務省は)明らかな虚偽答弁だ」と追及したが、首相は「文書の管理保存については、各行政機関か責任を持って行っている。国会の場で、関係省庁がしっかり説明する」と話すにとどめた。 加計問題についても、首相は「昨年夏の閉会中審査、(昨年秋の)特別国会であらためて整理した上で、説明した通りだ」などと話し、それ以上の説明はしなかった。 スパコン事件では、希望の党の玉木雄一郎代表が24日の衆院代表質問で「森友、加計の二の舞いを避けるためにも、税金の支出根拠となる資料を公開すべきだ」と求めたが、首相は「(支出根拠となる)行政文書は法令に従い、公開すべきは公開していく」と一般論にとどめ、対象の文書を公開するかどうか明言しなかった。(清水俊介)2018年1月27日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「代表質問で森友、加計、スパコン、首相『説明する』連呼」から引用 森友、加計、スパコン詐欺にレイプ事件のもみ消しと、いずれも一昔前なら内閣が吹っ飛ぶような大事件であるのに、野党が非力でメディアのトップが首相から酒食をおごってもらっている関係上、あまり強く追及できない事情があるため、これらの問題が越年したのは残念であったが、しかし、これを見過ごしては今後ますます行政が歪められますから、今国会では野党は徹底追及をしてほしいと思います。
2018年01月28日

再生可能エネルギー発電が急成長してきたために需要が減少している火力発電について、世界の火力発電システムのメーカーが人員を削減する見通しであると、26日の日本経済新聞が報道している; 火力発電の世界的な需要減退を受け、重電大手が事業を見直す。米ゼネラルーエレクトリック(GE)と独シーメンスに続き、三菱日立パワーシステムズも従業員を減らす。ドイツの拠点で全体の3割にあたる約300人の削減に着手した。背景には再生可能エネルギーの台頭があり、金融機関が化石燃料関連投資から資金を引き揚げる動きも出ている。◆投資引き揚げ 温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」が2016年11月に発効したのを受け、先進国だけでなく新興国も化石燃料を極力使わない発電への転換が進む。特に17年11月の第23回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP23)では、温暖化ガスを大きく減らすには脱石炭火力は避けられないとの見方が強まった。 資金逃避の動きも広がる。保険大手の仏アクサは国の動きに呼応し、石炭関連企業から24億ユーロ(約3240億円)の投資を引き揚げる方針を出した。世界銀行は17年12月、19年以降の石油・天然ガス事業への融資停止を発表。フランスや英国、中国など世界の中央銀行・金融8機関は温暖化ガスの金融リスクを検討する組織を立ち上げる。 資金がなくなれば新設案件は滞る。一大需要地のインドでは、石炭火力の新設計画全体の約8割にあたる533ギガワット分か一時停止かキャンセルに追い込まれている。地球環境戦略研究機関の田村堅太郎上席研究員は「資金逃避や環境規制強化で火力発電のコストはさらに上昇する。一過性の需要低迷では終わらない」と指摘する。 一方、再生可能エネルギー発電が急拡大している。国際エネルギー機関(IEA)によると、16年の世界全体の電力関係投資は火力・原子力の14兆円に対し再エネは30兆円と2倍以上だ。 変化が顕著なのは環境意識の強い欧州だ。自然エネルギー財団のまとめでは、欧州主要15力国の総発電量に占める再エネの割合は16年に34%まで上昇。規模拡大と相まって再エネは発電コストも低下しており、太陽光や風力が火力を上回る価格競争力を持つ例もある。◆戦略見直し急ぐ 火力発電機器が稼ぎ頭の一つだった重電大手は戦略見直しを急ぐ。 三菱日立は石炭火力が中心のドイツの拠点で人員を減らす。高砂工場(兵庫県高砂市)を中心とした国内拠点でも従業員の配置転換などを進める。同社は14年に三菱重工業と日立製作所の火力発電事業を統合して発足。当初は「売上高2兆円」を掲げたが、この目標を取り下げ火力発電機器の生産体制を縮小する。 ライバルのGEは電力部門で全世界1万2000人、独シーメンスも火力発電機器事業で6100人の削減を既に公表している。 再生エネ転換の動きは、各国のエネルギー政策や企業戦略に今後も影響を及ぼす。2018年1月26日 日本経済新聞朝刊 14版 1ページ「火力 リストラの波」から引用 この記事は主として火力発電について述べているが、火力発電機器の目玉になる部品はタービンで、これは火力発電のみならず原子力発電にも使われるものである。したがって、火力発電の需要が減少しても原子力発電がそれに取って代われば、メーカーは今まで通りに生産を続けられるのであるが、規制基準が厳しくなるのは原子力も同じであるから、結局、投資家の目から見れば、火力も原子力も将来性はないと判断されたということである。世界の投資家は、先行きをそういうふうに見通しているというのに、日本はまだ「原発再稼働」に血道を上げている始末で、他人事ながら将来が心配です。
2018年01月27日
日本原燃は先月、今年の上半期に予定していた再処理工場の完成を3年後に先送りすると発表した。完成予定の先送りは、今回が初めてではなく、過去に十数回「先延ばし発表」を繰り返してきており、知っている人にとっては「またか」という話で、先行きの見通しはまったく無いにも関わらず、なぜ計画を中止にできないのか、止めるに止められない事情を、11日の日本経済新聞が次のように報道している;■2兆円投じた原燃施設、20年稼働せず 国が掲げてきた「核燃料サイクル」の実現がまた遠のいた。青森県六ヶ所村の再処理工場を運営する日本原燃は2017年12月22日、18年度上半期としていた施設の完成を3年延ばす方針を明らかにした。2兆円超の巨費が投じられながら20年以上も稼働しないことになる。もし工場が稼働しても生産されるプルトニウムを消費し尽くすあてはない。サイクル政策は進退窮まっている。◆ずさんな管理 「大変遺憾。極めて重く受け止める必要がある」。17年9月20日、再処理工場を訪れた世耕弘成経済産業相は語気を強めた。原燃の工藤健二社長は「深くおわびする」と頭を下げるしかなかった。 再処理工場では8月、非常用電源が入る建屋に雨水が流入。9月にはウラン濃縮工場で排気ダク卜の腐食が見つかった。ずさんな運営・管理が問題になり原子力規制委員会も稼働に向けた審査を中断。18年度上半期としていた完成時期を見直さざるをえなくなった。 1993年に着工した再処理工場は97年に完成する予定だったが年中行事のように延期を繰り返してきた。今回も予定通り完成する保証はない。 延期の理由はいくつもある。まず設計の見直しが続いた。技術的課題も大きかった。使用済み燃料の再処理時に出る廃液をガラスで固める技術が未熟で、トラブルが相次いだ。溶接や耐震設計のミスも表面化。11年に東日本大震災が起こると、規制委がこれまでより厳しい規制基準を導入し、合格までのハードルはさらに上がった。 サイクル政策は原子力発電所の使用済み核燃料を再処理し、取り出したプルトニウムやウランを再び燃料として使う計画だ。石油などに乏しい日本がエネルギー自給率向上の切り札としてきた。 原燃に再発防止を求めた世耕経産相は、青森県の三村申吾知事らに対しサイクル政策を堅持する方針を改めて強調した。しかし地元では原燃への不信感が増幅している。 「このままでは原子力やサイクル政策はもう要らないという声も増える」。ある企業経営者は話す。 実は再処理工場の建設をやめるわけにもいかないが、順調に進んでも別の問題が生じるという行き詰まった状況にある。 やめられないのは、看板を下ろしたとたんに国の原子力政策が立ち往生する恐れがあるからだ。国や電力会社にとって最悪のシナリオは、サイクル政策の放棄によって、地元がこれまで県内に運び込まれた3千トンもの使用済み核燃料の引き取りを主張することだ。 六ヶ所村などは再処理した燃料を別の原発に運ぶ中間の過程を担っている。サイクル政策をやめれば、使用済み核燃料の最終処分地とされかねないとの危惧が高まる。地元の主張通りに引き取ったら、各地の原発は核燃料であふれ再稼働もままならなくなってしまう。◆方針変更に前例 国の政策変更には前例がある。16年に廃炉が決まった高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県)だ。再処理工場とともにサイクル政策の中核に位置づけられ、94年に稼働したが、95年に冷却用ナトリウムが漏れる事故で運転を停止。点検漏れなど安全上の問題も相次ぎ、ほとんど稼働しないまま廃炉となった。 再処理工場は着工から約25年がたち、建物や部品が老朽化しつつある。根本的な修復を施さない限りトラブルは収まりそうもない。原燃は7千億円の安全対策費用を見込むが、今後の点検で修復箇所が増えれば費用はさらに膨らむ。大手電力からの出向者も多い原燃は地元意識が薄いとの指摘もある。 再処理工場が完成した場合の問題は、核兵器に転用可能なプルトニウムが増えることだ。再処理工場がフル稼働すれば、年8トンが新たに抽出される。原発が再稼働しないとせっかくつくった燃料が消費されない。 プルトニウムを使うあてもないまま増やせば、核保有国以外で日本だけに認められた再処理事業に国際社会から疑念の目が向けられかねない。「再処理工場が稼働すると厄介な問題も生まれる」(内閣府幹部)ことになる。 どちらに進んでもいばらの道のサイクル政策。このままでは国の責任が問われることになる。(塙和也、森晋也)2018年1月11日 日本経済新聞朝刊 13版 2ページ「進退窮まる核燃料再処理」から引用 再処理工場はまだ完成していないのだから、稼働実績もゼロであるが、しかし、着工から25年も経ってしまって、建物も部品も既に老朽化しているというのだから、目も当てられないとはこのことです。原発の1号機が稼働した当時は、地下資源に乏しい日本にとって、夢のエネルギーだったのかも知れませんが、これからは再生可能エネルギーで必要な電力がまかなえる時代になるのですから、いつかは誰かが、この実用性に乏しい「核燃料再処理」の政策の断念を宣言しなければならない時が、必ず来ます。誰がそれをやるのか、正に誰が猫の首に鈴をつけるのか、という議論だと思います。
2018年01月26日

日本の株式市場は26年ぶりの高値を記録したが、実はこれは日銀が買い支えしたお陰なのだと、10日の日本経済新聞Web版が報道している; 日銀が2017年に買い入れた日本株の上場投資信託(ETF)は累計5兆9033億円と、7532億円だった海外勢の買越額を大幅に上回った。日経平均株価が約26年ぶりの高値を回復するなか、日銀が相場を支える構図が鮮明になった。 日銀は金融緩和策の一環で10年からETFを購入。直近の保有額は推計で24兆円規模に達し、東京証券取引所第1部の時価総額(約708兆円)の3%を占める。上場企業の4社に1社で日銀が株主の上位10位以内に入っていることになる。 東証が10日発表した17年の投資主体別売買動向(東京・名古屋、1・2部などの合計)によると海外勢は3年ぶりに買い越したが、買越額はアベノミクス相場に沸いた13年の約15兆円を下回った。個人は株高局面で利益確定に傾き、売越額は5兆7934億円と4年ぶりの大きさだった。 日銀は年6兆円規模のETF購入を続ける構え。日本株について黒田東彦総裁は「現時点でバブルという状況ではない」と発言。市場でも「相場への影響を考えれば大幅な購入減額は考えにくい」(三井住友アセットマネジメントの市川雅浩氏)との見方が多い。日本経済新聞Web版 2018/1/10 20:30https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25513320Q8A110C1EE8000/この記事が出た数日後には、経済学者の金子勝氏がツイッターで次のようにコメントした;資本主義経済の社会では、物の値段が需要と供給のバランスで決まるように、株価も企業の先行きを評価した投資家が多いか少ないかで決まるのが普通であるが、日銀のような中央銀行が資金力にものを言わせてあちこちの企業の株を満遍なく購入して全体の株価を高めに安定させるというのは、健全な経済活動とは言いがたい。中央銀行がこういうことをやって行くと、その先にはどのような問題が待ち受けているのか、専門家の意見を聞きたいものである。
2018年01月25日

岩田正美著「貧困の戦後史」について、早稲田大学教授の橋本健二氏は21日の東京新聞に、次のような書評を書いている; それまでの「一億総中流」が崩れて「格差社会」が流行語になったのは2006年。それから12年、長らく忘れられていた貧困の存在も、注目を集めるようになった。しかし、その本当の深刻さは理解されているのか。昔の貧困に比べればたいしたことはない、景気が回復すれば解消するだろうなどと、軽く考える傾向はないだろうか。 貧困研究の第一人者による本書は、単なる比率や人数などの量ではなく、貧困の「かたち」に注目し、しかも終戦から今日に至る貧困の流れを一貫した視点で描くことにより、読者の認識を大きく改めさせてくれる。 時代により、貧困の「かたち」は変化してきた。終戦直後の戦災者と引き揚げ者、そして「浮浪者」。経済復興途上の失業対策から生まれた日雇い労働者の「ニコヨン」、屑物拾いを業とする「バタヤ」、仮小屋住まいの人々が集まる「スラム」。経済成長下で拡大した野外の労働市場である「寄せ場」と、日雇い労働者の休息の場である「ドヤ」。現代のホームレス、ネットカフェ難民、そして単身高齢者。 貧困のさまざまな「かたち」は、一見すると異質にみえるが、実は共通項が多い。空き缶を集めるホームレスは現代の「バタヤ」であり、ネットカフェ難民はドヤ暮らしの労働者の変形である。そして公営住宅や民間アパートの密集地域の一部は、実質的にはスラム化している。 そして著者によると、まったく変わらないのは、貧困を基本的に個人の努力で対処すべきものとみなし、貧困層を食い物にする企業や組織を放置する政治のあり方である。これは、貧困から脱することのできない人々への差別のまなざしと一体である。 だとすると貧困は、税の使い道の多少の変更などではなく、政治や社会の「かたち」を変えることによってしか解決しないのだろう。量ではなく「かたち」に注目したという本書の最大のメッセージは、おそらくここにある。(評者・橋本健二=早稲田大教授)岩田正美著「貧困の戦後史」(筑摩選書・1944円)いわた・まさみ 日本女子大学名誉教授 著書「社会福祉のトポス」など。2018年1月21日 東京新聞朝刊 9ページ 「放置する政治は変わらず」から引用 ホームレスが空き缶を集めるようになったのは、ビールの会社が缶ビールを販売するようになり、行政がゴミを分別収集するようになってからで、ネットカフェ難民と呼ばれる人々が出てきたのはインターネットが使えるようになってからのことでしたが、これらの貧困層はそういう新しい時代に初めて出現したわけではなく、以前から存在する貧困層の人々の行動様式が変わっただけのことだという指摘は説得力があります。貧困を自己責任ということで片付けないで、社会保障を充実させる必要があると思います。
2018年01月24日
当ブログの1月20日の欄に引用した杉原千畝・駐リトアニア公使を安倍首相が礼賛した件について、法政大学教授の山口二郎氏は、斎藤美奈子氏とは別の角度から、次のように論じている; リトアニアを訪問した安倍首相は、第二次世界大戦中、ナチスドイツに迫害され、外国に逃げようとしたユダヤ人にビザを発給した杉原千畝・駐リトアニア公使(当時)を日本の誇りと称賛した。そのこと自体には同感である。問題は、杉原の功績を現代日本にどのように生かすかである。 当時、ドイツと同盟国だった日本はユダヤ人保護には否定的たった。杉原は外務省の訓令を無視して、個人としての良心からビザを発給し続けた。上意下達を旨とする官僚主義の対極にある人物だったからこそ、危険を冒してまでユダヤ人を助けたのである。この問題は現代社会の大きな宿題である。杉原のような良心的人物の対極には、自分の思考を放棄して、非人道的な命令に唯々諾々と従うアイヒマン(ホロコーストに加担したナチス親衛隊将校)もいた。 日本外務省は長い間杉原を冷遇した。いまなお権力者の顔色をうかがうアイヒマン型官僚が跋扈(ばっこ)する現代日本においてこそ、杉原精神が必要である。首相が杉原をそこまで称賛するなら、公務員研修や学校教育で、組織の規律は順守する一方で、正義、人道に関わる問題についてはしばしば個人としての判断で命令を破ることも必要だと教えるべきである。それは、今の日本政治の方向を180度転換することを意味する。(法政大教授)2018年1月21日 東京新聞朝刊 12版 25ページ「本音のコラム-独立した良心」から引用 この記事には2通りの公務員像が示されている。1つめは、組織の規律を遵守する一方で、絶えず個人としての考えを持ち、正義、人道に関わる問題については個人としての判断を優先して組織の命令に背くこともある人間。これは公務員に限らず、一般企業のサラリーマンでも同じである。例えば、性格の良くない上司に犯罪まがいのことをやれと言われて「そんなことは、出来ません」と断る場合である。2つめの公務員像は、個人的な判断は一切停止させて、上意下達の命令通りに行動する人間で、ナチスの幹部だったアイヒマンはそういう人物だった。しかし、近頃は3つめの公務員像もあるのではないかと、私は思う。それは、安倍政権が内閣府に人事局を設置して、各省庁の人事に首相官邸が介入できるようになってから急に出てきた「公務員像」で、首相の意向を忖度するのが得意で、国有地を勝手に安売りしたり、交渉過程の文書はすぐに処分し、国会で追及されても「記憶にない」の一点張りで、ついには国税庁長官にまで出世する、こういう公務員の頂点に君臨するのが安倍晋三首相であるのだから、そういう立場の安倍氏が「1つめ」のタイプの公務員である杉原千畝を礼賛するなどちゃんちゃらおかしいと言うほかありません。
2018年01月23日
平和に関する仏教の教えについて、同朋大学名誉教授の中村薫氏は21日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 今日の世界を見てみると、あちらこちらで紛争や戦争が起きている。日本は抑止力と称して武器を持って平和を望んでいる。仏教では兵戈無用(ひょうがむよう)といって、本当の豊かさや平和は武器も戦争のための自衛隊も要らないと説く。 ところが最近の日本は、自衛隊を軍隊として憲法9条に付け加える案が出ている。それはいつでもどこでも戦争ができる国にすることである。「集団的自衛権」を国会で強行採決した。この法律がある以上、米国から要請があれば地球の裏側であろうと自衛隊は参加しなければならない。現在の自衛隊は二面ある。一つは軍隊でなく災害救助隊としての活躍。だから自衛隊は必要だという人もいる。それなら武器は要らない。防衛費5兆円の一部を福祉に使えば、どれだけ国民のためになるか。作家の住井すゑさんは「憲法九条は日本文化の宝である」という。私自身改めて平和の人となることを考えたい。(同朋大名誉教授)2018年1月21日 東京新聞朝刊 11ページ「今週のことば」から引用 武装することが抑止力だというのは兵器産業を潤すための口実で、武器を多く持てば武力衝突の危険が増大する。戦争を抑止する上で最も効果を発揮するのは、敵を作らないことであって、そのために政府は外国との交渉を専門の仕事とする省庁を設置している。その上、わが国憲法は、もし外国との間に紛争が起きても、これを解決するために武力を行使することは出来ないと定めているのであるから、政府は素直に憲法に従い、あらゆる紛争を外交交渉で解決しなければならない。主権者である国民が、政府にそう命令しているのであるから、政府がこれに従うのは当然で、「これじゃあ、やりにくいから変更しよう」と、国民が言い出すならまだしも、政府が言い出すなど言語道断というものである。
2018年01月22日
本来は改憲論者である慶應義塾大学名誉教授、小林節氏は、立憲主義を逸脱した自民党の改憲草案について、月刊「マスコミ市民」1月号で次のように批判している;(前半省略) 最近、外国のメディアが時々私のところに来て、「日本は自由と民主主義がなくなっていますね」と言うのです。私は、「その通り」と答えていますが、日本は外国から「表現の白由がない国」「人権弾圧がある国」とはっきり言われて、後進国扱いを受け始めているのです。外国人からいろいろ指摘されると、「はい、その通りです。日本は変な国です」としか応えようがありません。私はアメリカ育ちの憲法学者ですから、いろんなところで自由にものをしゃべるのですが、まだ今は最後の一線があると思っています。もし自民党の憲法改正草案が通ってしまったら、全体主義国家になって私などは非国民扱いされるのでしょう。 自民党は2012(平成24)年の4月にフルセットの改憲草案を出しています。その102条を見ると、自民党の憲法観が露骨に出ています。「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない。国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」と書かれています。つまり、一般国民に憲法を尊重しろと言って、権力者たちはそれを擁護するというのです。それは「下々が憲法を守っているかをお上が管理するよ」という話です。ということは、お上は法から自由になってしまうのです。これはもう憲法ではありよせん。こういうあり得ない憲法観を前提としている人たちが、国旗や国歌に敬意を払えとか、国防に協力しろとか言って9条改憲を言い出しているのです。 自民党の草案では国防軍をもつと言っていますが、それは普通の軍事国家になることです。国防重が行使する自衛権、国際法上の交戦権を明記し、国会の多数来で海外派兵もできるのです。こういう発想の人たちが、最後の一線を越えて出してくるのが自衛隊を加憲するやり方です。「大震災の時によく働いてくれた感じのいい自衛隊を憲法に書くだけです」「憲法学者の何割もが違憲と言っているのは可哀想じやないですか」という言い方で、国民の理解を得たいのだと思いよす。しかし、憲法の中に明記されている機関は、国会、衆議院、参議院、内閣、天皇、地方公共団体、そして会計検査院です。それ以外の機関は書かれていないのです。自衛隊は警察予備隊=第二警察として生まれたので、行政法上は警察法の分類に入っているのです。ですから、自衛隊はいざというときは、警察と海上保安庁と共同行動をとるようになっているのです。警察も海上保安庁も憲法には書かれてはいません。なぜ、自衛隊だけが憲法に書かれなければいけないのでしょうか。自衛隊が国会や内閣に匹敵する組織になってしまえば、自衛隊そのものの印象も役割も変わってくると思うのです。 戦後、図らずも日本は9条を与えられたことによって、非戦の経済大国という世界に類を見ない国になり、しかも国連の2番目のスポンサーになりました。それなのに、改憲であろうが解釈変更であろうが、アメリカと一緒に戦争をすれば、十字軍戦争にキリスト教軍の二軍としてついて行くことになります。それは非常に愚かなことです。これまで敵ではなかったイスラム教徒を敵に回せば、ニューヨーク、パリ、ロンドン、マドリッドなどと同じように、必ずテロが起きるでしょう。国際政治の点から見れば、普通の軍事大国になるという安倍路線は間違っていると思います。軍事的リスクを背負うことになりますし、経済的にも日本は軍備破産が見えています。どうやってこのお金を払うのでしょうか。いいことは何もないと思います。(以下省略)月刊「マスコミ市民」2018年1月号 16ページ「改憲の議論を拒否してはいけない」から一部を引用 この記事が指摘するように、そもそも自衛隊は戦前に存在した軍隊が戦後復活したというものではありません。わが国は72年前の敗戦を反省して、あの軍隊は廃止しました。いまある自衛隊は、警察の予備隊として創設されたもので元々軍隊ではありません。憲法に明記する国家機関は国会、衆議院、参議院、内閣、天皇、地方公共団体、裁判所、そして会計検査院が全てであって、その他の機関は法令で定められており、その中の自衛隊だけを他の機関に優越するが如くに憲法に書き込んだのでは、何か勘違いして、昔の軍部のようにやたら威張り出すような輩が出て来る危険性があります。したがって、憲法に余分なことを書き加えるようなことは慎むべきです。
2018年01月21日
杉原千畝の行動を讃えて「同じ日本人として誇りに思う」などと軽口を叩いた安倍首相を、文芸評論家の斎藤美奈子氏は17日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 14日、杉原千畝(ちうね)を顕彰するリトアニアの「杉原記念館」を訪れた安倍首相は「杉原氏の勇気ある人道的な行動は世界中で高く評価されている。同じ日本人として誇りに思う」と語った。 なんだかなあ。杉原は「日本人」の立場を超えた国際人として行動した点が評価されているわけでしょ。それを自国の手柄みたいにいう? 一方、政府は来日中の「核兵儲廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のベアトリス・フィン事務局長と首相との面会を断った。これまた、なんだかなあ、である。昨年、ICANがノーベル平和賞を受賞した際にも無視した安倍首相。そんなに「日本人」が好きなら、平和賞の演説を行ったサーロー節子氏や核廃絶運動を闘ってきた被爆者にも「同じ日本人として誇りに思う」とコメントすればよかったのに。ノーベル文学賞のカズオ・イシグロ氏には「長崎市のご出身で」「日本にもたくさんのファンがいます」という祝辞を嬉々(きき)として出したくせに。 自分に好都合な人物や事象は「民族の誇り」に矯小(わいしょう)化し、不都合な人物や事象はあからさまに退ける。中華思想っていうんですか。どちらも国際的な評価に耳をふさいでいる点では変わらない。そのうえ、慰安婦問題でこじれていることを理由に平昌五輪への出席を見送る? この人とは「同じ日本人」でいたくないよ。(文芸評論家)2018年1月17日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-同じ日本人」から引用 安倍首相の発言を聞いて「なんだかなぁ」という気分になるのは無理もない話だ。普通の民間人であれば、教科書にも出ていない美談を聞いて感動するということもあって然るべきですが、日本政府を代表する人物にとっては、これは微妙な問題のはずだ。それというのも、杉原千畝が発給した何百だか何千だかのユダヤ人のビザは、発給要件を満たしていないにも関わらず杉原が独断で勝手にやったために、当時の日本政府は杉原を厳しく叱責し、帰国後の待遇も同僚の外交官に比べて著しく冷遇されており、その理由は独断のビザ発給が原因のようだと、本人もその妻も手記に書き残しているらしい。そういう人物を、首相が礼賛するのであれば、その前に、日本政府を代表して「当時の彼に対する仕打ちは、政府として間違いであった」と認めて、その上で「彼の行動は素晴らしい」と言うべきだ。その辺の順序も手続きも一切無視したのでは、自分が良い格好をするのが目的でいいとこ取りしただけだというのが見え見えだから、「なんだかなぁ」という気分になるわけで、何度もそういう体験を重ねると、こういう人と同じ日本人と思われたくないという気分になるのも無理はありません。
2018年01月20日

今日まで横浜市内の映画館で上映されていた従軍慰安婦をテーマにした映画について、14日の東京新聞は次のように報道している; 旧日本軍の従軍慰安婦だった韓国のハルモニ(おばあさん)たちが真実を求める闘いを追った日韓合作映画「沈黙 立ち上がる慰安婦」が、横浜市中区の横浜シネマリンで上映されている。13日、舞台あいさつに立った朴壽南(パクスナム)監督(82)=茅ヶ崎市=は取材に「十代で連行された若い女性たちの真の被害の実態を知ってほしい」などと訴えた。 映画は戦時下、日本軍慰安所に連行された李玉先(イオクソン)さん(90)ら15人が戦後50年を経て「沈黙」を破り、立ち上がった闘いを描く。1994年、日本政府に謝罪と個人補償を求めて来日して以来、在日朝鮮人2世の朴監督が寄り添い、映像に記録した貴重な作品だ。 今、生き残るのは李さんら3人のみ。朴監督は「一番重要な被害の事実を明らかにすることを、日本政府はしていない。実態を知らそうという動きは妨げられ、メディアが報じなかった責任も大きい」と指摘。 2年前、日韓両政府が合意した「解決」を韓国側が見直す動きについては「合意は被害者が亡くなっていくのを日本政府が待ってきた結果だった。真の解決のためには被害当事者が中心となるべきだ」と話した。 「沈黙」の上映は19日まで(午後2時開始)。同日の上映後、朴監督のトークがある。(野呂法夫)2018年1月14日 東京新聞朝刊 12版 26ページ「従軍慰安婦だったハルモニ描く」から引用 この記事は短い文章ではあるが、慰安婦問題の本質を突いていると思います。慰安婦問題の解決というのは、韓国政府に10億円を支払って「二度と蒸し返さないこと」を約束させれば解決だ、というわけには行きません。被害に遭った女性たちに対し、責任ある立場の日本政府が誠意をもって謝罪する必要があるのであって、その「誠意」の前提になるのが被害事実の確認です。そのような基本的な謝罪の姿勢すら見せず、「強制連行を示す公文書は発見されていない」などとどうでもいいような事を閣議決定したり、10億円を出したんだから後は文句を言うな、という態度では、被害者側が到底納得できないであろうことは、安倍晋三氏の感覚からも想像できるはずですが、それでも放置するのであれば、国際社会からも不信の目で見られるのは当然です。朴壽南監督は、従軍慰安婦の実態がどのようなものであったのかを、積極的に報道して来なかったメディアの責任も大きいと言ってますが、そのとおりだと思います。少なくとも河野談話で述べたことがらについては、これからの日本政府によって実施されるべきです。
2018年01月19日
外国のメディアに自国政府批判の記事を書くのは「反日」だなどという単細胞的な批判記事を掲載した雑誌「SAPIO」について、法政大学教授の山口二郎氏は、14日の東京新聞コラムに次のように書いている; 小学館が出しているSAPIOという雑誌の最新号に、中国や韓国のメディアで日本政府を批判するのはけしからんという記事が載っていて、私の発言も反日的と批判されている。けんかを売りたいなら買ってやる。特定の政権を国家そのものと同一視し、政権批判を行う者を反逆者と攻撃するのは、独裁国家に共通した論法である。 折しも、安倍政権は今年が明治維新から150年の節目ということで、維新の指導者を顕彰するキャンペーンを展開しようとしている。歴史は、広い時間幅で見る必要がある。維新の功労者は、江戸時代の末期には徳川政権に対する反逆者であった。今年の大河ドラマの主人公である西郷隆盛は、維新のわずか10年後、再び反乱を起こして失敗し、自害した。歴史の転換期においては、時の権力を恐れず、自らが信じる未来のために反乱を企てる者が、歴史を動かすのである。 政府が維新を礼賛したいというなら、維新の原動力となった下級武士の反乱精神こそを称揚し、学校教育で広めるべきである。反日などというくだらないレッテルを貼って批判的な議論を抑圧しようとする人々にも言いたい。 権力に尻尾を振って、権力のなすことをすべて正当化する人間こそ国を誤った方向に導く元凶であるという歴史の教訓を学ばなければならない。(法政大教授)2018年1月14日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-反逆の意義」から引用 この記事は短い文章の割には、学ぶべき教訓が多く含まれているように思います。SAPIOのような、中国や韓国のメディアに自国政府批判を書くヤツは「反日」だという発想は、どこから来るかというと、多分江戸時代の封建主義社会とか、明治、大正、昭和の教育勅語が日本の庶民にたたき込んだもので、戦後70年以上たってもまだそのDNAから解放されていない人たちの口から出てくるのではないかと思います。しかし、現代の日本は、西欧諸国と同様に民主主義が発達しており、言論の自由ということもあって、政府批判は反逆どころか、民主主義を維持する上で欠かせない権能となっています。日頃私たちが口にする「政府批判」は、日本国内という条件付きで有効な発言なのではなくて、時間も場所も関係なく有効な、いわゆる普遍的な「事実」なのですから、これは日本国内で発言しても中国で発言しても、内容は変わることがないのですから、日本の新聞に書いたとおりの「政府批判」を、そのまま中国の新聞にも書くのは当たり前のことであって、むしろ「どの国の新聞か」によって書く内容が異なったのでは、書いた本人の人格が疑われることになります。現代はそういう時代なのだということを、私たちは自覚するべきで、戦前日本人のDNAをまだ引きずっている人たちには、早く目を覚ましてほしいものだと思います。
2018年01月18日
世の中には、福島原発の事故は想定外の巨大地震だったのだから誰の責任でもないなどというデマを流布して、国家や企業の責任を軽減して国家権力との一体感を喜ぶ輩がおりますが、あの事故が想定外のものであったかどうか、サイエンスライターの添田孝史氏は「しんぶん赤旗」日曜版・年末年始合併号で、次のように発言しています; 東京電力福島第1原発事故を緻密な取材で追及しているサイエンスライターの添田孝史さんが、新著『東電原発裁判-福島原発事故の責任を問う』(岩波新書)を出しました。その思いを聞きました。宇野龍彦記者 実家が、島根原発(中国電力)から2キロの松江市にありました。そうしたこともあり、原発は最新科学の粋を集めた技術のかたまりだと思っていました。 朝日新聞の科学担当記者になった1995年、阪神・淡路大震災が起きました。絶対安全といわれた高速道路が倒壊する現実を目の当たりにして、専門家の言葉を頭から信用するのは危ういと肝に銘じました。 原発について疑問を持ち始めたのは、当時問題になっていた島根原発と活断層について取材してからです。 中国電力は、島根原発付近には活断層が「存在しない」と説明してきました。しかし専門家の調査でその存在が確認され、原発が想定している地震の規模も、根拠があやふやだということが明らかになりました。◆「想定外」に憤り 2011年3月11日の東日本大震災で、福島第1原発は「全電源喪失」という最悪の事態に陥りました。その際、東電の清水正孝社長(当時)は記者会見で「想定を大きく超える津波だった」と発言しました。それを聞いて、頭に血が上りました。 想定外? そんな訳はありません。それまでの取材で、巨大津波の想定を東電が放置していただけだと想像がついたからです。東電と国の責任を追及しなければ、と思いました。 実際には東電も国も津波による浸水、地震による全電源喪失の危険性について、何度も専門家などから警告を受けていました。14年に出版した『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)で詳しく書いています。東電も国もわかっていたことです。◆ 阪神の教訓から 津波防災に関わる7省庁が98年に作成した津波防災対策の手引は、原発も最新の地震学から考えうる最大の津波を想定して対応するよう提言しています。この考え方で試算すると、福島第1原発で想定される津波は13・6メートルです。東電の評価による5・7メートルを大きく超え、実際に発生した津波(約13メートル)とほぼ同じになります。 阪神・淡路大震災の教訓から、政府は地震調査研究推進本部(地震本部)を設置。地震本部は02年、日本海溝の地震について「長期評価」を発表し、三陸沖から房総沖で大津波を起こす地震の発生を警告しました。 さらに政府は、原発の建築基準法に当たる「耐震設計指針」を06年に改訂しました。津波対策を含む新たな指針で、古い原発も3年以内に調査することとしました。これに基づいて東電が08年、「長期評価」の考え方で津波の高さを試算したところ、15・7メートルと想定しました。◆ 新たな疑惑浮上 国会でも共産党の吉井英勝衆院議員(当時)が予算委員会などでたびたび原発の危険性について質問しています。特に06年12月の質問主意書で、具体例を挙げて巨大地震に伴う津波被害と全電源喪失事故への対策をただしたことはよく知られています。 しかし当時の安倍晋三首相(第1次安倍内閣)は「(そんな事態は)考えられない」「万全を期している」として、原発は安全だとする答弁書を閣議決定。対策をやらなくてもいいとお墨付きを与えました。 新著『東電原発裁判』では、08年以降に起きたことを中心にとりあげました。 取材を進める中である疑問が出てきました。先に紹介した02年の「長期評価」以降、現場の担当者は津波対策を進めようとしていたにもかかわらず、その動きが途中でつぶされた疑いです。まだ明らかになっていない深い闇があります。これからも追い続けていきたいと思います。 東電も国も事故の責任を否定し続けています。これを改めることなく、原発再稼働を進めていることは本当に恐ろしいと思います。そえだ・たかし=1964年、島根県松江市生まれ。福島原発事故の国会事故調で協力調査員を務める。元朝日新聞記者。科学ジャーナリスト貿、第3回日隅一雄・情報流通促進責大賞2017年12月31日・2018年1月7日合併号「しんぶん赤旗」日曜版 37ページ「予見できた福島原発事故」から引用 この記事によれば、わが国政府は1998年の時点で福島県の沿岸には最大13メートルの津波が来る可能性を予見できており、わが国政府職員のレベルの高さが分かるというものです。ところが、現場の職員が優秀であっても、政府のトップに立つ者が世間を知らない世襲議員だったりすると、何をどう判断を誤るのか、せっかくの報告書を読んでも内容を理解出来ないせいか、現場の判断が政策に生かされず、結果的に福島県民に多大な迷惑をかけて、しかも避難者の生活支援は去年で終わりだなどと傍若無人な政治がまかり通っている。このような間違った政治を許しておいてはいけないと思います。
2018年01月17日
アルバイトで作業中の15歳の少女が屋根から転落死した事故に関連して、次のような投書が13日の東京新聞に掲載された; 12月14日、茨城県古河市の工場で太陽光パネルの保守点検アルバイトをしていた15歳の少女が、高さ約13メートルの屋根から転落死した。この事故は「アべノミクス」「一億総活躍時代」「人づくり革命」と無関係ではないと思う。 本来ならば働かなくともよい、高齢者や低年齢層の人たちが働かねばならない。その理由はそれぞれ違っているだろうが、先々の生活に不安を抱いてのこと、という共通項があるのではないのか。 その中、命綱もきちんと付けず、周囲の大人たちが危険を注視しない無責任な職場環境の下で、15歳の少女が命を落としたのではないか。これは事故だが、偶然ではないと思う。 何が求人倍率が向上しているだ。何が就職率が上がっただ。何が完全失業率が下がっただ。何が平均株価が2万3千円を上回っただ。すべてが、この少女のような生活環境の人間が、貧困にあえぐ低所得者層の人間たちが下支えをしているおかげではないか。格差社会を加速する経済政策。この少女の命を奪った背景には、そうした政策もあるのではないのか。2018年1月13日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-少女の命から経済政策思う」から引用 別の報道によれば、86歳の夫と83歳の妻が新聞配達の仕事中に夫が車にはねられて死亡するという事故も起きている。安倍政権が経済政策の成果を誇り、海外に出かけては大盤振る舞いの経済支援を約束しているその裏側で、このような深刻な事態も起きていることに、私たちは注意を払う必要があると思います。
2018年01月16日
来年度予算の政府案が固まったことに関連して、日本総研上席主任研究員の河村小百合氏は11日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 政府の2018年度予算案が固まった。 ところで、優先順位の一番高い歳出項目とは果たしてどれなのか。 聞くまでもなく、国民の暮らしと命にかかわる社会保障が最優先? いや次世代を担う子どもたちの教育? 北朝鮮の脅威が増すなかでは国民の命を守るための防衛予算こそが一番か? 何が最優先かは、人それぞれの価値観次第か。 安倍政権は、新規国債発行額を6年連続で減額し、来年度予算では34兆3千億円に抑えたと胸を張る。ところが過去に積み上げてきた国債残高は883兆円。そのうちの110兆円余りが来年度満期を迎える。来年度予算で、元本をきれいに償還して借金を返し切る予定なのはわずか14兆円。残りの100兆円余りは、借換債を発行して借金し続ける予定だ。 目下、この自転車操業に特段の痛みはない。問題は1年間で150兆円近く予定する新規・借換国債の消化が難しくなり”平穏”が崩れたときだ。借換債など満期がきても放っておけば、などとは決して言えない。それは国債の債務不履行、デフォルトを意味する。 2011年頃の欧州債務危機の際、各国が直面したのはまさにこの事態。そうした局面に至って初めて借金国家の国民は、最優先の歳出が実は社会保障費でも防衛費でもなく国債費だったことに気づかされるのだ。(日本総研上席主任研究員)2018年1月11日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-最優先の歳出とは」から引用 この記事の筆者は、国の支出で最も優先されるべきは国債費なのだと言いたかったようである。借金をしたら返すのが当たり前というのは、資本主義経済の社会のルールであるが、その資本主義が破綻した場合は「ルール」も見直すということにしたほうがいいのではないかと思います。要は「返せないものは、返せない」ということです。数年前にギリシャがデフォルトになりそうになってEUから出るの出ないのと大騒ぎをしたことがあった。ギリシャは国外に借金をしたから国際問題となってEUから緊縮財政を強要される羽目になったが、日本の場合は海外に流出した国債は極わずかのようであるから、踏み倒して被害を被るのは国内の金融資本家だけなので、同じ国の国民同士の「よしみ」ということで我慢してもらうのがいいと思います。そもそも1000兆円を超える借金を何に使ったのか。北海道から沖縄まで網の目のように建設された自動車道路建設に使ったのであれば、トヨタや日産等自動車メーカーの内部留保になっている可能性があり、高齢者の医療費にかかったということであれば、自民党政府が日本医師会の支持を得るための見返りとして診療報酬を高止まりさせたせいだから、医師会会員の医師の私財になってる可能性がある。何故1000兆円まで膨れ上がってしまったのか、本当のところを知りたいものである。
2018年01月15日
原発再稼働を促進する決議をした埼玉県議会を批判する投書が、11日の東京新聞に掲載された; 埼玉県議会は先月22日、「規制基準に適合した原発の再稼働を求める」意見書を賛成多数で可決しました。この意見書に対し、福島の原発被害者らからは「核のゴミを全部引き受けよ、処分場を誘致せよ」など批判の声が寄せられています。これらのご意見は被害者の真実の声でしょう。「埼玉県は海がなく原発を誘致できないから無責任なことを決議した」とも。 今回の件で埼玉県民が被害を受けています。県議会の決定が県民の合意とされるからです。民主主義は多数で何でも決められる、というのは誤りでしょう。 この意見書が安倍政権で尊重され、再稼働が推進されれば、埼玉県民はその責任の一端を担うことになります。速やかに、意見書の撤回を求めます。2018年1月11日 東京新聞朝刊 11版 4ページ「発言-原発再稼働の意見書撤回を」から引用 埼玉県議会の意見書は、高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた取組みを強化してほしいとか、避難のための道路、港湾等インフラの整備、立地自治体の雇用創出など、もっともらしい提案を基にしているとはいえ、原発の再稼働を進めるよう強く要望するという文言になっており、全体としては原発再稼働を進める安倍政権を応援するための決議に過ぎないという印象を受けます。そんなことを言うヒマに、さいたまスタジアムを最終処分場に作り替えたらどうなんだと言う声が上がるのも無理ないことのように思います。
2018年01月14日
昨日の欄に引用した記事には、同紙・望月記者の次のような解説記事も掲載されていた; 【解説】会計検査院の検査では、学校法人「森友学園」への国有地売却で8億円超の大幅値引きの根拠となった地中ごみの処分量が最大7割も過大に算定されていた可能性が示された。一方で、契約に至る資料の一部が廃棄されたことなどが壁となり、価格決定の詳しい経緯は解明できなかった。 しかし、今回、財務省が存在を認めた音声データの全容を詳細に分析すると、地中ごみが地下3メートルより下からはほとんど出ていないにもかかわらず、地下9メートルまであるという形にまとめようと、国側が口裏合わせを求めたともとれるやりとりがはっきりと記録されていた。学園側が、国側のストーリーに合わせて報告を行えば、虚偽にとられかねないと不安視している発言も含まれていた。 なぜ財務省職員らがそんな無理をして値引きしようとしたのか。安倍晋三首相の妻の昭恵氏が小学校の名誉校長に就いたことや、首相夫人付きの職員が国有地について財務省に照会したことが影響した可能性はないのか。 学園側への国有地の売却では、分割払いや価格の非公表などさまざまな特例がなぜか付されていた。その理由も政府はいまだに明らかにしていない。この音声データが明るみに出たのを機に、関係者を国会に呼ぶなどして、もう一度調査をやり直すべきだ。(望月衣塑子)2017年12月20日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「口裏合わせはっきり記録」から引用 この記事によれば、くだんの音声データの存在を財務省が認めたとのことであるから、これは財務省の担当者が記録の目的で録音したものと思われます。昨年の国会の審議では一切の記録は廃棄したと答弁していたのに、実際には音声データが残っていたわけだから、昨年のあれは虚偽答弁だったことになる。この辺の責任も、次の国会で追及するべきだし、工事業者が3メートルよりも下にゴミがあったかどうか分からないと言ってるのに、それでも9メートルしたまで混在したなどと国側が言わなければならないどのような事情があったのか、しっかり追及してほしいと思います。
2018年01月13日

森友学園問題では国有地が何故ただ同然の値段まで値引きすることになったのか、野党の追及に対し、交渉の経緯を記録した文書は捨てたから分からないというのが政府の答弁であったが、その後報道機関の努力によって、森友学園側の工事業者と国土交通省、財務相の3者が集まって、値引きの理由をどう書くか相談した会合の録音データーが発見された。その会合では、誰がどのような発言をしたのか、詳細が明らかになっており、その内容を12月20日の東京新聞は、次のように報道した; 学校法人「森友学園」への国有地売却を巡り、昨春行われた学園側と財務、国土交通両省との協議の詳細が本紙が入手した音声データで判明した。8億円超の値引きの根拠となった地中のごみについで、学園側の工事業者は「3メートルより下にあるか分からない」と主張し、虚偽報告の責任を問われかねないと懸念。これに対し、国側は「9メートルまでの範囲でごみが混在」しているとの表現なら、虚偽にならないと説得し、協議をまとめていた。(望月衣塑子、清水祐樹) 音声データには、昨年3月下旬に行われたとみられる学園側と財務省近畿財務局職員、国交省大阪航空局職員らとの協議などが記録されている。 データでは、国側が「3メートルまで掘ると、その下からごみが出てきたと理解している」と発言。これに対し、工事業者が「ちょっと待ってください。3メートル下から出てきたかどうかは分からない。断言できない。確定した情報として伝えることはできない」と主張した。 さらに国側が「資料を調整する中でどう整理するか協議させてほしい」と要請すると、工事業者は「虚偽を言うつもりはないので事実だけを伝える。ただ、事実を伝えることが学園さんの土地(価格)を下げることに反するなら、そちらに合わせることはやぶさかでない」とやや軟化した。 この後、学園の代理人弁護士(当時)が「そちら(国)側から頼まれてこちらが虚偽の報告をして、後で手のひら返されて『だまされた』と言われたら目も当てられない」と懸念。工事業者は「3メートル下からはそんなに出てきていないんじゃないかな」と付け加えた。 国側は「言い方としては『混在』と、『9メートルまでの範囲』で」と提案したものの、工事業者は「9メートルというのはちょっと分からない」と難色を示した。 しかし、国側が「虚偽にならないように、混在していると。ある程度、3メートル超もある。全部じゃないということ」と説得すると、工事業者がようやく「あると思う」と同意。国側が「そんなところにポイントを絞りたい」と決着させた。 国が算定した地中のごみの量を巡っては、会計検査院が最大7割過大に算定されていた可能性を示した。大阪航空局は、建設用地から実際に撤去したごみが国の算定の100分の1だったことを明らかにしている。 音声データは11月28日の衆院予算委員会で財務省が存在を認めた内容を含む、より詳細なもの。本紙が著述家の菅野完(たもつ)氏から入手した。 本紙の取材に財務、国交両省から回答はなく、学園の当時の代理人弁護士は「一切コメントしない」と回答。工事業者の代理人弁護士は電話取材に「国と学園側の落としどころの金額に沿ったものを出したが、根拠が十分ではなかった。こちらの試算では、ごみを完全に撤去する費用は9億数千万円だった」と述べた。2017年12月20日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「『森友』国有地 売却協議の詳細判明」から引用 普通の常識で考えられる売り手と買い手の交渉は、なるべく高く売りたい売り手とできるだけ安く買いたい買い手が、それぞれ少しでも自分に有利になるように話をするものであるから、普通であれば国側が「ゴミなんて、そんなには無かったはずだ」と言い、工事業者のほうが「いや、そうじゃありません。こんなに出てきたんですよ、実際に」というような話になるのであるが、上の記事ではお互いが真逆の台詞を口にしており、違法な目的を達成するための悪巧みであったことが明らかです。やはり、財務省の職員にしてみれば毎日のように首相夫人やそのお付きの官僚から電話で圧力をかけられれば、もうゴミだらけでどうにもならない土地だとか、3メートルでだめなら9メートルまで堀ったことにしろとか、虚偽にならない言い回しにすればいいんだとか、政府の職員がこういうことを言い出したということは「政治が腐敗している」ということを示しています。報道機関がここまで努力したのですから、この先は野党と司法機関の出番ということになるのではないでしょうか。
2018年01月12日
正月休みに戦時中の文化人の日記を読んで過ごした法政大学教授の山口二郎氏は、7日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 正月休みは、清沢洌(きよし)の『暗黒日記』、永井荷風の『断腸亭日乗』の太平洋戦争中の記述を読んで過ごした。戦争中の日本の指導者が陥った狂気は現代日本と無縁ではないと痛感させられる。 1945年3月10日の東京大空襲直後、清沢は次のように書いた。 「科学の力、合理的心構えが必要なことを、空襲が教えるにかかわらず、新聞やラジオは、依然として観念的日本主義者の御説教に満ちる。この国民は、ついに救済する道なきか」 年明け早々、日立が英国に原発を輸出するに際して1・5兆円の銀行融資に政府が全額保証を付けるという新聞記事があった。原発を推進する政治家や経営者は科学の力を振りかざしているつもりだろう。 しかし、3・11の福島第一原発事故は、それが現実による検証を欠いた独善、信仰だったことを明らかにした。空襲の現実を無視した軍国日本の指導者同様、現代の指導者も根拠のない安全神話に浸っている点で、清沢が指摘する観念的日本主義者になっているのである。 今年は明治150年で、安倍首相は憲法改正に意欲を示している。憲法とは、国民が無能、有害な為政者を更迭、弾劾する武器である。観念的日本主義の美辞麗句を憲法に盛り込むことは、憲法の本質を壊し、歴史を無視する愚行である。(法政大教授)2018年1月7日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-歴史に学ぶ」から引用 かつて名門と言われた東芝が、原発に手を出して企業としての存立が危ぶまれる事態となっているにも関わらず、今度は日立がイギリスに原発を輸出するに当たって、事業が赤字になりそうなときは日本国民の税金で穴埋めするという、理解しがたい政策が実行されようとしている。日本でもアメリカでも原発は費用が掛かりすぎることが明らかになりつつあり、イギリスの原発建設の工事もだんだん安全対策が厳しくなって、そのための費用がどこまで上昇するのやら。建設の途中で政権交代になって、発注した工事もキャンセルにならない保障はないのに、いざとなったらイギリスの原発の後始末まで面倒見なければならない日本国民は不幸である。
2018年01月11日
政府はこれまで東京電力が中心になっていた原子力業界を、今後は「オール電力」に再編したい意向のようだと、7日の東京新聞が報道している; 関西電力は同社の原発の使用済み核燃料を青森県むつ市の中間貯蔵施設に搬入する方針を決めた。一方、国はこれを皮切りに、東京電力が中心だった原子力業界を「オール電力」に再編したい狙いがある。福島第一原発事故の影響で経営が悪化し、原子力政策に関する負担を軽減したい電力各社の思惑も見え隠れする。=1面参照 これまで原子力業界は、資本や人材など、あらゆる面で東電がリードしてきた。むつ市の中間貯蔵施設も東電が8割を出資し、残る2割を負担する日本原電も東電が大株主となっている。ところが第一原発事故で東電は経営が悪化。多額の国費が投入され、他社の支援をできる状況ではなくなった。 代わって台頭したのが関西電力だ。東電に次ぐ規模の組織力で、原子力規制委員会の再稼働審査も先行。規制委幹部は他電力に「関電を見習って」と注文するほどだった。ただ、原発への依存度が高かった関電の経営状態も厳しく、かつての東電のような負担はとても受け入れられるものではない。 東電と関電は水面下で、実現性の見通しが立たず、金ばかりかかる核燃料サイクル政策の「盟主の座」を押し付け合っている状況だ。国が調整に入っても、政策そのものの見直しをしなければ、再編は絵に描いた餅で終わる可能性が高い。2018年1月7日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「原子力、東電中心から『オール電力』に再編も」から引用 これまでの原子力業界が東京電力を中心に運営されていたと言われても、我々素人にはピンと来ないが、記事をよく読むと、新たに必要になった施設の建設に対する投資や技術開発に対する人材の派遣等を、今までは東京電力一社に任せていたものを、今後は「オール電力」という仕組みにしたい、ということのようである。将来に向けて大きな需要とそれに付随する利益が見込まれる事業であれば、誰もが先を争って参入してくるものであるが、原子力発電の場合は、現在は水力と火力で十分こと足りているし、将来は再生可能エネルギーが世界の主流になりつつあることを考えると、下手に「盟主の座」を争うなど自殺行為のようなものだから、誰もが「盟主の座」を押しつけ合うのは当然だ。しかし、盟主の座に誰が座る座らないに関わらず、いずれ原発は廃炉にするときが来るわけで、この原発という「生産手段」は電力会社経営者の私有財産なわけだから、その私有財産の後始末は所有者の自己責任でやってほしいものである。それが資本主義社会のルールだったはずだ。
2018年01月10日
「あったものを無かったことにはできない」と発言して、加計学園の獣医学部認可は総理の意向であると明記したメールの存在を明らかにした前文部科学省事務次官の前川喜平氏は、月刊「マスコミ市民」1月号で、モリカケ問題について次のように論評している;■保守本流は、権力行使に謙抑的――10月27日、28日に予算委員会が開かれました。会計検査院の報告が出たことで森友問題が議論の中心になってしまい、加計疑惑があまり議論されなかったのが残念でした。まず最初に、国会審議をご覧になった印象についてお伺いできますか。前川 一国民として森友学園問題を見ていますと、「金額の話はしたけれども価格交渉はしていない」というのは詭弁ここに極まれり、という感じがします。どんなに動かぬ証拠があっても否定するという、すさまじい対応だと思います。総理や総理夫人の関与はないと言い続けるために、説明すべきところを説明しない、あるはずのことをないと言う、あるいは記憶がない、記録がないと言ってこれからも逃げ続けるのだと思います。 加計学園問題についても、同じような対応に終始するだろうと思います。通常国会でも追及は続くとは思いますが、政府側は同じような答弁を繰り返すのではないでしょうか。様々な状況証拠や具体的な証拠もあるので、その中から全体像はだんだん明らかになってきていますが、政府側がそれをきちんと説明しない事実だけが残り続けます。「おかしいじやないか」と追及されているのに説明しないのは、説明できないものがあると考えざるを得ないのです。加計学園の問題も森友学園の問題も、隠し通されている事実があるのだと思います。説明しないこと自体にすでに責任があると考えていいと思います。――それにしても、なぜあそこまで否定できるのでしょうか。前川 権力が強いからでしょう。どんなに合理的でない答弁をしても、大きな権力の下にいる限りは大丈夫だと思っているのです。逆に言えば、権力のために奉仕しなければ、理財局長もご自分の地位が危ないのではないでしょうか。――権力が大きくなったということは、政治主導が強くなり過ぎたということでしょうか。そして、政治主導がいつの間にか官邸主導になったようですね。前川 私は、いい意味での政治主導は大事だと思います。選挙で選ばれた国民の代表者が、政治を司り、国民の意向を受けて国民のために仕事をすることは当たり前だと思うのです。ですから、政治の決定に役人が従うことは、理(ことわり)として当然だと思うのですが、今の政治主導は官邸主導であつて、一つの非常に強い権力の下に行政府内も国会も、司法に至るまで権力に浸食されていると思います。今は権力の分立体制が薄弱化していますので、誰も官邸に逆らえない状況が生まれているのではないかと思います。小泉政権以降、官邸主導は着々と進められてきましたが、今はさらに強くなったと思います。小選挙区制という選挙制度や内閣人事局をつくったことが、権力の一極集中になっていったのだと思います。 また、法制局長官の任命権や最高裁裁判官の任命権など従来からある権限についても、これまでの自民党政権にあっては謙抑的に使われてきたのですが、今は権力がむき出しになって、意図的に使われている気がするのです。これまで保守本流といわれる人たちは、権力をもっている人間はその権力を使うことについて慎重でなければいけないという自己抑制が働いていたのですが、今の官邸にはそれがないような気がします。しかも、言葉は悪いのですが、官邸に巣食っている総理の取り巻きが、それぞれ存分に権力を行使している気がします。――今年の新語・流行語大賞に「忖度」という言葉が決まったそうですが、忖度というよりも首相やその取り巻きが指示、あるいは指図する構図が透けて見える気がします。お話の中にもありました内閣人事局の設置は、官僚にとっては相当なプレッシャーがあるのでしょうか。前川 官邸のお眼鏡にかなう人間が出世するようになったのは事実でしょうね。私もお眼鏡にかなったので事務次官になってしまったのですが、お眼鏡がちょつと曇っていたのかもしれませんね。(笑)他府省の幹部人事を見ていても、官邸の意向にそぐわないような人物は排除されるような感じはしています。■「金額」ではなく「価格」は、卒倒しそうな答弁――森友問題の構図はわりと単純だと思いますが、それに比べて加計問題は本当に根が深いと思います。前川 森友問題は、総理夫人に籠池さんがいろいろお願いして、総理夫人のところから理財局の方へ行ったのだろうと思います。ただ、総理夫人が直接言うわけにもいかないし、秘書役の谷さんが直接指図できようがないので、理財局長が「はい」と言わざるを得ないような人が誰か間に入っていると思います。 加計学園の問題は、規制緩和の名のもとに総理のお友達である加計学園に特別な利権が与えられたということだと思います。依然として獣医学部新設の規制は残っていますから、それは規制緩和ではなく特権を与えたことになります。加計も森友も構図としては似たようなものだとは思いますが、・・・。(以下は省略)月刊「マスコミ市民」2018年1月号 2ページ「官邸主導で壊される行政、司法、そしてメディア」から冒頭部分を引用 この記事では、前川氏は以前の自民党政治家は権力の行使に当たって謙抑的であったと表現しており、これは例えば法制局長官や最高裁判所判事を任命するのは総理大臣ではあるが、これはあくまでも形式的な手続きであって、任命するからといって総理大臣が法制局長官や最高裁判所判事に「ああしろ、こうしろ」と命令することはできないのだという大前提を理解していた、ということだと思います。ところが、安倍政権では法制局長官も日銀総裁も最高裁判事も、間違いなく自分の意向を忖度してくれる人物を恣意的に選定しているわけで、こういうやり口を、前川氏は「従来の謙抑的な姿勢を失っている」と表現しているものと思われます。また、森友学園に国有地を法外に値引きするために暗躍した昭恵夫人と谷査恵子氏と、理財局長の間には、もう一人、理財局長が「はい」と言わざるを得ないような人物が介在していると、前川氏は睨んでいるようです。理財局長が抵抗できない役職ともなれば、これはやはり安倍首相自身か、安倍氏に抵抗したらすぐクビになる麻生財務相しか考えられないのではないかと思います。
2018年01月09日
東京新聞政治部長の金井辰樹氏は、大晦日の同紙に一年を振り返って次のように書いている; 「本年は酉(とり)年であります。12年前、あの劇的な郵政解散がありました。さらに12年前は、自民党が戦後初めて野党になった歴史的な年でありました。佐藤(栄作)首相が沖縄返還で米国と合意し解散総選挙に打って出た昭和44年(1969年)も酉年でありました。酉年はしばしば、政治の大きな転換点となってきました」 ことし1月4日、三重県伊勢市。年頭会見で安倍晋三首相は、こう語っている。解散権を持つ首相が過去の衆院解散の例を引きながら「酉年は政治の転換点」と言うのだから、周囲からは「安倍首相は今年中の解散を考えているのか」という観測が出て、永田町がざわめいたことを覚えている。安倍首相の「予言」は、日がたつにつれて忘れられていったが、結果として9月28日、臨時国会の召集日に衆院解散となり、衆院選では自民党が圧勝した。 × × 首相の「酉年」会見の翌1月5日、菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案について「テロ対策のための法律を政府として考えている」と発言。通常国会に提出する考えを表明している。共謀罪を盛り込んだ法案は、国会で過去3回廃案となってきた。内容は見直されたとはいえ、法案を国会提出するのは政権にとって大きな賭けだった。 国会は「共謀罪」で荒れた。世論の反対は最後まで根強かったが、与党側は参院の委員会採決を行わずに本会議採決に持ち込むという異例の手段を使い6月15日、成立させた。「森友」「加計(かけ)」問題への批判もあいまって政権の支持は急落。7月2日に行われた東京都議選で自民党が惨敗を喫した展開は記憶に新しい。 × × 「共謀罪」と衆院解散・総選挙。ことしの政治のキーワードとなった2つのことについて、政府首脳が年頭会見で「予言」していたことは、今振り返ると興味深い。もちろん、安倍首相が1月4日の段階で年内の衆院解散を決断していたとは思いがたい。観測気球を揚げて政界をざわつかせようと考えていた程度だったのだろう。しかし、野党側が、その観測気球を本気で受け止めて選挙対策を急ぎ、野党結集が図られていたら衆院選の結果は少し変わっていたかもしれない。野党側は、重要なヒントを見逃していたことになる。 2017年は今日1日で終わる。安倍首相は18年にどんな仕掛けを考えているのだろうか。ことしの「反省」に立てば、年頭の発言を注意深く吟味する必要がありそうだ。安倍首相の年頭会見は来年も、1月4日に予定されている。 来年は戌(いぬ)年。前回の戌年、06年は小泉純一郎氏に代わり安倍氏が首相に就任した年。その前の1994年は自民党が政権復帰し、社会党の村山富市氏を首相とする連立政権が誕生した。82年には鈴木善幸首相が退陣して中曽根康弘氏が後継に選ばれている。戌年も酉年に負けず劣らず政治の転換点となることが多い。そもそも、一年間政治が波静かだった年など、長い間ないのも事実なのだが・・・。2017年12月31日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「日本の岐路-年頭会見の『予言』」から引用 この記事も、いろいろと問題だらけのように思えますが、取りあえず1つ指摘すると、首相の議会解散権の乱用は憲法違反であるとの認識が欠落していることだと思います。それは、これまでも首相の解散権乱用を黙認してきた前例があるために、去年の安倍首相の衆院解散も前例通りだから問題ないという理屈になると思いますが、私たちは憲法の基本に立ち返って、解散権の乱用を再検証するべきです。私たちの憲法には、議会が内閣総理大臣の不信任決議案を可決した場合には内閣が総辞職するか、または総理大臣が議会を解散しなければならないと明記しており、総理大臣が議会を解散できるケースは、この1件だけです。確かに憲法には、「これ以外の解散は認められない」との文言はありませんが、「総理大臣は独自の判断で議会を解散する権限を持つ」との文言もありません。また、議会の解散は総理の専権事項などと主張する人々は、7条解散などという言い方をしますが、憲法7条は議会の解散は天皇の国事行為であると言ってるのであって、総理大臣の不信任案が可決されて総理が議会を解散すると決めても、実際にこれを解散するのは天皇であって、その天皇の国事行為は内閣の助言と承認が必要だと述べているのであって、どこをどう読んでも「総理大臣はいつでも天皇に助言して議会を解散できる」とは書いておりません。したがって、憲法を素直に読めば、「総理大臣が議会を解散できるのは、不信任決議案が可決された場合に限る」ということになります。今後は、これまでのような都合良く憲法を曲げて読む不届き者がでないように、「総理大臣が議会を解散できるのは、内閣不信任案が可決された場合に限る」と明記した法律を制定するべきと思います。
2018年01月08日
ジャーナリストの森健氏は、大晦日の東京新聞に一年を振り返って、次のように書いている; 2017年が終わる。 年の瀬を前に、なお東京新聞が続けていたのは、森友・加計問題の追及だった。 加計学園の獣医学部の設置認可を巡って審査した文部科学省の大学設置・学校法人審議会。複数の委員は東京新聞の取材に対して、設置審の座長から「訴訟リスクがあると告げられ、圧力を感じた」と証言した(8日1面)。 また同日の特報面は森友学園への国有地売却を巡る疑惑について、政権の答弁の無責任さを指摘。安倍晋三首相は過去の答弁で「部下を信頼するのは当然のこと。私が調べて『適切だ』と申し上げたことはない」と発言。「上司」が逃げたことを問題視した。 特別国会閉会後、森友学園の建設予定地から撤去したごみが算定の百分の一だったことが判明。すると、待っていたかのように財務・国土交通両省が値引きの根拠について口裏合わせを求めていたことも音声データを基に明らかにした(20日1、7、27面)。 ただし、いくら報道が事実を迫っても認めてこなかったのが安倍政権だ。追及の虚(むな)しさについて、同日特報面は哲学者の中島義道氏に尋ね「どちらにもこれっぼっちも『真実』はない」と記者の困惑を代弁するかのような言葉を引き出している。 第二次安倍政権発足から5年を振り返る記事では、選挙では票を得やすい「経済」を訴えつつ、終われば特定秘密保護法や安全保障関連法など「安倍カラー」を推進してきたことを分析(26日2面)。同日特報面もその手法を時系列で示しながら「対決」してきた経緯を紹介した。 一方で、2015年元旦から始まった「平和の俳句」では3年間で13万余りの投句があったという。25日の7面では、4人の常連投句者に思いをうかがうとともに、選者のいとうせいこう氏が3年間を振り返った。 <一つの社会的な抑圧があったときに人々が俳句を通して抵抗したという、ある意味ユーモラスで大事な三年間> この前向きな空気感が風通しをよくしていたのだろう。 今年は明るい出来事もあった。ノーベル平和賞を受賞したのは核兵器廃絶国際キヤンペーン(ICAN、アイキャン)。授賞式で被爆者のサーロー節子さんは「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」と演説(11日夕刊1、2面)。社会面は広島や長崎からの「世界は私たちのことを忘れていない」という声も伝えた。13日、広島高裁は伊方原発3号機の運転差し止めを決定。19日の特報面は地元の賛否を取材し「涙が出るほどうれしい」という声を紹介。希望がなくなったわけではないのだ。 新年になれば、改憲議論が始まる。東京新聞がどう議論し、どう報じるのか、読者は注視している。(ジャーナリスト)2017年12月31日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「新聞を読んで-読者は注視している」から引用 この記事は、「年の瀬までモリカケ問題を追及してきたが、年が明ければ改憲論議だ」と主張しているようで、こういう記事は、産経や読売ならまだしも、東京新聞や朝日新聞が掲載する記事ではないと、私は思います。年が明けても、モリカケ問題は徹底追及し、安倍退陣まで持って行く必要があると思います。森友学園に売る予定の土地に埋まったゴミは見積書に記載された量の100分の1だった問題についても、安倍首相はかつて「適切に処理されたものである」と答弁しているのだから、当然責任があります。それを本人が「自分で調べて答弁したわけではない」と言ったからといって、「なるほど、そうか」と納得(?)している野党もメディアも、どうかしていると思います。自分で調べたわけではないのは事実としても、部下の報告が虚偽であったからには、首相は国会に対して責任をとる必要があり、少なくとも虚偽の報告を首相にあげてきた担当者を処分する必要があるはずです。そういう問題を追及しないで、無責任な首相をそのままのさばらせておく野党とメディアの責任は大きいと言えるのではないでしょうか。
2018年01月07日
人類の来し方行く末について、大晦日の東京新聞コラムに法政大学教授の山口二郎氏が、次のように書いている; 2017年最後の日、人それぞれの生き方についても、日本という国のレベルでも、来し方行く末を考えるときである。 今から4、50年前、未来学という学問がはやった。初期のコンピューターが実用化され始めた時代で、機械や情報通信の技術の進歩がどんな素晴らしい未来を作り出すか、未来学者は予想を競い、未来については楽観が支配していたように思う。今、携帯電話、スカイプ、ドローンなど、あのころの予想は現実のものとなった。さらに今後AIの応用が進めば、かつての夢物語は現実となる。 しかし、技術の進歩が人間をより自由にするという予想だけは、まったく外れてしまった。本来、一定量の仕事をするために必要な時間が少なくなれば、それだけ人間の自由時間は増え、人間は豊かな生活を送れるはずであった。だが、事実は逆である。機械が人間の仕事を奪えば人間には低賃金単純労働しか残らない。 夢のような技術を実現するという点で人間の能力は偉大だが、幸せな社会を作り出すことに関しては、人間は非力である。社会をつくり変える仕組みであるはずの民主主義が最近機能不全に陥っていることも私たちを悲観的にさせる。しかし、19世紀の社会主義者のように、よい社会とはどんなものか、構想することからしか、人間の解放は始まらない。(法政大教授)2017年12月31日 東京新聞朝刊 11版 21ページ「本音のコラム-未来を想像する」から引用 未来学がもてはやされたのは私が学生時代の頃だったような記憶があります。今にして思えば、技術の進歩が人間を自由にするという予想が外れた原因は、明らかです。あの未来学の予想には、致命的な欠陥がありました。技術の進歩が全人類に恩恵をもたらすための絶対的な条件は、生産手段の私有化を認めず、それは社会の共有財産であるというルールが確立されていなければなりません。それを実現する社会主義革命が、未だに成功していないために、技術の進歩とそれによる恩恵はブルジョアに独占されて、技術が進歩した分、労働者は失業し、賃金も切り下げられて、経済的な理由で子どもを産み育てることが困難になり、結婚すら諦めざるを得ない若い世代が出現していることが、私たちの来し方行く末を示していると思います。
2018年01月06日
きのうの続きの東京新聞の記事は、安保法制の強行採決以降の安倍政治について、次のように総括している; 特報部が安倍政権への批判をさらに強めるきっかけが、安全保障法制を巡る2015年の攻防である。 安倍首相は衆院の党首討論で、民主党の岡田克也代表(当時)から間違いを指摘された際、「全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と強弁。特報部は「首相説明矛盾だらけ」と断じた。 その後も首相や閣僚の答弁ぶりを「政府本音は白紙委任要求」「立憲主義の危機」「政権の異質さ」などと指弾した。安保法制に反対する地方紙の主張や作家赤川次郎さんのロングインタビューなどを立て続けに掲載し、参院特別委で強行採決された9月には、採決の阻止を試みる野党議員や国会周辺で抗議する群衆の様子をルポした。 法成立後も「『違憲』安保法尊重義務あるか」などと疑問を呈してきた。上智大の中野晃一教授(政治学)は「安倍首相は安保法制の審議で、違憲の法律を合憲と言い張った。本人としては、成立まで大変だったという思いもあっただろうが、これを機に、憲法学者や世論の声を無視しても許されるという姿勢が確立された」と分析する。 今年6月に成立した共謀罪法では、世論はもちろん、国会も軽視された。 特報部は4月の法案審議入り前から、金田勝年法相(当時)の「私の頭脳では対応できない」といった珍答弁を紹介しながら「『共謀罪』改め『テロ等準備罪』はごまかし?」などと非難。成立前後は毎日のように「首相の『説明責任』空虚」「国会って何だ」「成立で失ったもの」と問題提起した。中野教授は「参院法務委員会での採決を省略し、参院本会議で強行採決した。ここまで国会を軽視する政権が過去にあっただろうか」とあきれる。 ところが好事魔多し。共謀罪論議と並行する形で、安倍首相や妻昭恵氏の関与が取り沙汰された森友・加計学園疑惑が火を噴いた。特報部はいち早く、森友学園が小学校建設を目指した大阪府豊中市や、加計学園が獣医学部建設を進める愛媛県今治市に飛び、疑惑の構図を詳報した。共同通信社の世論調査で7月、内閣支持率は第2次安倍政権発足後最低の35・8%にまで落ち込んだ。 中野教授は「安倍一強は森友・加計問題でほころびが生じた。来年9月の党総裁選もどうなるか分からない。今こそ野党は、有権者の受け皿となるよう共闘すべきだ」と訴える。 最後に忘れてはならないのが沖縄だ。安倍政権の5年間、政府と沖縄の対立は先鋭化した。特報部は沖縄の尊厳が踏みにじられるたびに、現地の声を集めた。16年4月からは週1回、「沖縄・辺野古リポート(現在は辺野古・高江リポート)」と銘打ち、琉球新報の記事を転載している。 16年10月、米軍北部訓練場のヘリパッド建設工事への抗議に伴う事件で逮捕され、約5カ月間も長期拘束された沖縄平和運動センターの山城博治議長(65)は、「これまでの政権は沖縄の民意に配慮する姿勢を形だけでも見せることがあった。だが、安倍政権は本土から大量の機動隊員を送り込んで弾圧し、問答無用で米軍新基地建設に協力している。どこまで沖縄に犠牲を強いるのか」と憤る。 山城議長は安倍政権の今後を危ぶむ。 「秘密保護法の成立以降、抗議に行くだけで当局から写真を撮られるようになり、共謀罪ができてからは抗議活動まで封印されるのではという懸念が絶えない。安保法をつくり、北朝鮮や中国の脅威をあおり、沖縄で米軍新基地建設を強行する。政権が向かおうとしているのは、まさに戦争そのものではないのか」2017年12月26日 東京新聞朝刊 12版 23ページ 「『立憲主義の危機』そ上に-安保法、共謀罪」から引用 安倍政治の問題点をこのように列挙して東京新聞はこのように闘ったと言われると、なるほどこれは問題の多い政権だということがよく分かるのであるが、安保法制の強行採決以来の東京新聞がそんなに強く安倍政権攻撃をしていただろうかと、少々疑問を感じます。モリカケ問題で社会部の女性記者が活躍して、政権支持率を35%まで引きずり下ろした功績は賞賛に値しますが、選挙が終わるとすぐ元に戻るようでは、まだ攻め方が甘いと言わざるを得ません。
2018年01月05日
過去5年間の安倍政治について、12月26日の東京新聞は次のように総括している; 安倍晋三首相が政権の座に返り咲いてから26日で丸5年を迎える。権力を監視する「ウォッチドッグ」(番犬)を自負する特報部はどう伝えたか。(安藤恭子、池田悌一) 2012年10月の第2次安倍政権発足当初、特報部も「期待と不安アべノミクス」などと様子見だったが、自民党は13年夏の参院選で勝利。一強の基盤を固めた安倍政権が強硬姿勢をあらわにすると、特報部も対決姿勢をにじませた。 最初のヤマ場が特定秘密保護法だった。「秘密法でモノ言えぬ社会」「何でも『秘密』指定乱用も」と連日のように警鐘を鳴らした。13年12月の成立時には、34時間半に及ぶ国会の審議と、国会外で撤回を叫ぶ市民の思いをドキュメントで伝えた。この年、秘密法関連のメイン記事は23本に及んだ。 14年12月の施行までの間も、秘密法の運用基準を議論する有識者会議「情報保全諮問会議」の動きなどを追った。市民の間でも、首相の独裁的な手法への疑念が拡大していく。同年8月には「全国に広がる安倍政権打倒」と題し、原発や秘密法など個別のテーマから「政権打倒」を前面に打ち出し始めたデモの変化を取り上げた。 作家の落合恵子氏は「第1次安倍政権でも、改憲に必要な手続きを定める国民投票法の改正や、防衛庁の省への格上げなどが行われている。そのころから感じてきた市民の人権を奪い、軍事や自己犠牲を強いられるという感覚が、具体化されたのが秘密保護法だった」と振り返る。 「防衛費は増える一方なのに、私たちは何が秘密かも分からないまま、都合の悪い情報にふたをされている。窮屈で怖い時代だ」 特報部は、政権の露骨な「メディア規制」も問題視した。自民党は14年の衆院選で在京テレビ局に文書を出し、出演者の発言回数や時間、街頭インタビューにまで「公平中立」を要求した。15年4月には、番組の中でコメンテーターが官邸からの圧力を「暴露」したテレビ朝日と、やらせ問題を抱えるNHKの幹部を党本部に呼び付けて事情を聴取した。 16年2月には高市早苗総務相(当時)が衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法違反を理由に、電波停止を命じる可能性に言及。特報部は7月の参院選報道で「政権がテレビ支配?」と自粛ムードを嘆いた。 安倍政権の右傾化にもメスを入れた。 14年7月には、安倍首相の支持基盤とされる右派団体「日本会議」を徹底検証。「慰安婦問題などの歴史修正主義や排外主義のおおもとは、安倍首相の支持基盤である日本会議などの運動の中で培われたものだ」との見方を示した。 ジャーナリストの安田浩一氏は今年10月の衆院選最終日、日の丸で埋め尽くされた安倍首相の演説に政権の本質をみる。「安倍政権と差別的な排外主義者とが呼応し、自らの主張の実現のために、利用し合っている。全ての差別は地続きにあり、排除されるのは在日コリアンに限らない」2017年12月26日 東京新聞朝刊 11版 22ページ「特報部が見た安倍首相の5年」から引用 この記事では安倍政権の強硬姿勢と表現してますが、本来であれば保守の政治家は伝統を重んじて急激な変化を好まないものですが、安倍氏の場合は日銀総裁も内閣法制局長官も、それまでのルールを踏みにじって自分の意に沿う人物を登用し、憲法解釈も放送法の倫理規定も、これまでの解釈とは真逆の解釈に変更するという荒技を強行しました。このようなやり方は、安倍氏が保守の政治家ではないことを示しています。安倍氏の祖父に当たる岸信介という政治家は元は官僚で、中国侵略を企てた軍部を支援し満州国建国にあたっては獅子奮迅の活躍で、当時のマスコミから「革新官僚」ともてはやされたものだったというエピソードがあるくらいですから、血は争えないもののようです。そして、若い人たちの間では自民党支持が多いという世論調査もありますが、なんでも変えていこうという安倍政権は、若い世代には好ましく見えるようで、変革に反対し現状を守ろうと主張する野党は「保守的」に見えているのではないかと思われます。若い人たちには、何でも変えれば良くなるという安易な発想ではなく、安倍政権が目指す「変革」では、国民の権利が剥奪されるのだという本質を見抜いてほしいものだと思います。
2018年01月04日
弁護士の白神優理子氏は、昨今の改憲論議について12月17日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 自民党の憲法改正推進本部の全体会合や、衆参の憲法審査会の開催を受け、各紙が改憲論議について報道をしています。 「朝日」(11月28日付)は、「ケンポウさんに聞く」として、憲法を擬人化して問題を提起。「改正ありきの自己目的化した議論が横行」と、国民投票法の期間の短さ、テレビCMの規制なし、最低投票率の定めなしなども指摘しています。 同紙は社説(同17日付)でも「国民の意識と大きなズレがある」 「憲法のどこに、どんな問題があるのか。その間題は憲法を改めなければ解消できないのか」「改憲ありきの姿勢は厳に慎むべきだ」と、議論の進め方を批判しています。 「毎日」(12月7日付)も「参院『安倍改憲』逆風強く」として「(参院憲法審査会で)首相の改憲提案に理解が広がっていない現状が浮かんだ」と指摘。同紙「記者の目」(同5日付)は「与野党が激しく論争する国会とは対照的に、世論はいたって冷静で冷淡だ」といいます。 一方で無批判あるいは推進の「報道」も。「産経」は総選挙の投票日直前の10月20日付「主襲」で、「衆院選と憲法 改正に動く国会が必要だ」と改憲をあおる異様さです。 「日経」社説(11月18日付)は「開かれたアジアヘ課題多い」と北朝鮮への圧力、中国への対抗を強調、改憲論議については「改憲は自民党だけでできるはずがない。野党との対話に軸足を置くのは当然」。「読売」(同30日付夕刊)も、衆院憲法審の欧州視察を取り上げ、「幅広い政党間合意必要」と、欧州での国民投票事例からみる課題を指摘、合意形成を成功させるよう促しています。 そもそも憲法を守るべき義務を負う政権が改憲に前のめりになっている現状は立憲主義に反するもの。安倍首相の改憲発言は憲法違反です。権力を監視するべきジャーナリズムは、この点をこそ明確に追及する責任があるのではないでしょうか。(しらが・ゆりこ=弁護士)2017年12月17日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-首相の改憲発言を問え」から引用 この記事にも書いてあるように、現行の国民投票法はテレビCMの規制がないために改憲賛成派が圧倒的に有利な法律になっており、また最低投票率の規定もないために極少数の有権者が投票するだけで、有権者の過半数より遥かに少ない賛成票で憲法が改正されるという重大な欠陥をもった法律ですから、改憲論議の前に国民投票法の欠陥修正論議に取り組むべきです。さらに、朝日の社説が指摘したという「現行憲法のどこに、どんな問題があるのか」という点も極めて重要です。もし、現行憲法に国民の人権を踏みにじるような欠点があるのであれば、今ごろは市民団体が欠陥部分の改正を主張して市民運動を立ち上げているはずですが、戦後の72年間、一度たりともそのような声が市民の間に出た試しがありません。昔から憲法改正を主張するのは右翼の政治家であって、政治家がそのようなことを主張するというのは、泥棒が自分の仕事をやりやすいように刑法を変えようとするようなもので、国民はそのようなデタラメを許してはならないと思います。毎日新聞は、首相の改憲提案に理解が広がっていないことを指摘して、だからもっと時間をかけて議論するべきと言いたいのかも知れませんが、安倍政権はそのような話は聞く耳をもたないと知るべきです。国民の同意などあろうが無かろうが、少数の得票で強行突破するのが安倍政権の得意技であることは、過去の5年間を振り返れば分かることで、毎日新聞のような姿勢では国家権力の監視も批判も、極めて不十分だと思います。白神弁護士が言うように、行政のトップである首相が白昼堂々と憲法改正を口にするのは憲法違反であるという観点から、厳しく糾弾する姿勢が必要と思います。
2018年01月03日
ルポライターの鎌田慧氏は、昨年一年間の総括と新しい年への抱負を12月26日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 安倍政権は認めたがらないが、今年は原発行政終わりの始まりの年だった。夢の、とうたわれた「高速増殖炉もんじゅ」がなんの成果も上げないまま、あえない最後となって一年。こんどは福井県の大飯原発1、2号機が廃炉、いよいよ日本も廃炉時代を迎える。 福島事故の4基、さらに美浜2基、浜岡2基、敦賀、島根、玄海、伊方も1基ずつ廃炉になった。福島第二の4基の再稼働はとうていムリ。青森県の東北電1基、建設中の東電1基、電源開発の大間原発も見通しなし。 六ヶ所村の再処理工場は計画から30年、完成予定から20年たっても試運転さえ成功しない、歴史的遺物だ。もんじゅの経費は1兆円だったが、再処理工場はたとえ稼働できてもこれから14兆円以上を空費する。 おなじ敷地内にあるウラン濃縮工場、建設中のMOX工場も止まったまま。原発は黄昏(たそがれ)どころかつるべ落としの落日を告げ、時代は自然エネルギーヘと急速にむかっている。先の衆院選でも、各党恐る恐るとはいえ、「脱原発」を公約に掲げざるをえなくなった。 来年は首都圏を恐怖にさらすポンコツ東海原発の再稼働を止めたい。原発ゼロにむかいながら、国際的な恥辱といえる「核兵器禁止条約」からの日本の脱落を糾(ただ)し、人類の愚劣さでもある、米国と北朝鮮の核戦争の脅しあいを止めさせたい。(ルポライター)2017年12月26日 東京新聞朝刊 12版 23ページ「本音のコラム-落日の原発」から引用 高速増殖炉もんじゅがなんの成果も上げないまま廃炉になったことは、原子力産業の行く末を象徴している。1兆円の税金を無駄にした責任もさることながら、もんじゅがなくなり、他の原発も再稼働がおぼつかないということになると、MOX工場なども稼働する必要がなくなり、そうなると膨大にため込んだプルトニウムをどうするんだという新たな責任問題も浮上してくる。そもそも原子力発電の技術は、やればやるほどコストが嵩み、新しい技術の導入でコストを下げるという経済原則になじまない傾向があり、「黄昏からつるべ落としの落日」になりやがて廃れてしまうのは当然の方向性というものである。
2018年01月02日
経済学者の浜矩子氏は、安倍政権の教育政策について12月22日の「週刊金曜日」で、次のように批判している; 「教育の無償化」が何かと話題になる。安倍政権が打ち出す不気味な「人づくり革命」なる構想の中で、このテーマが主軸的位置づけを占めているようだ。「人づくり」とは、何ともしゃらくさい。人をつくれると思い始めたら、誇大妄想も極まれりだ。自分好みの人間をつくり出す。そんなことを企んでいる者どもが教育を無償化すると言い出せば、そのうさん臭さは限りない。 何しろ、「教育勅語」の教材利用を実施しようと考えたりする連中である。そのような集団が、無料で提供してくれようとする。そんな教育の内容は、想像するだに身の毛がよだつ。そのような教育の世界とは、可能な限り、あるいは不可能を可能にしてでも、はるか彼方に遠ざかりたい。 いみじくも、教育というテーマは、2012年末の現政権(第2次安倍内閣)発足直後、安倍晋三首相が行なった初の所信表明演説(13年1月28日実施)の中でなかなか大きな位置づけを占めていた。この演説の中で、安倍首相は4つの危機というのを上げている。「日本経済の危機」。「東日本大震災からの復興の危機」。「外交・安全保障の危機」。そして「教育の危機」である。「教育の危機」について、この演説の中で彼は次のように言っている。「‥‥‥国の未来を担う子どもたちの中で陰湿ないじめが相次ぎ、この国の歴史や伝統への誇りを失い、世界に伍していくべき学力の低下が危惧される、教育の危機」。いじめは確かに大きな問題だ。そこに懸念の目を向けることには異論がない。だが、その後に続く部分と、いじめへの懸念との間に、あまりにも脈絡がない。どうも、いじめ問題は単なる枕詞でしかないように読める。 本当に訴えたかったのは、子どもたちが「この国の歴史や伝統への誇りを失」うことへの懸念と、「世界に伍していくべき学力の低下」に関する嘆き節であるようにしか読めない。歴史も伝統も重要だ。だが、それらをただ単にひたすら誇りの対象としかしないのは、危険な国家崇拝につながる道だ。むしろ、そのような単純思考から子どもたちの知性を解放することこそ、教育の役割だろう。「世界に伍していくべき学力」とはいったい何か。世界に伍していようがいまいが、そんなことはどうでもいい。物事の本質を見極めることができるような、探求精神。それをどう身につけてもらうか。それを考えることが、教育に託された使命だろう。 お国の伝統を崇め奉る愛国心に依りながら、世界に伍して、世界に勝っていく。そんな青少年の育成。それが教育の仕事だ。そのように思い込んでいる人たちが、教育の無償化を唱えている。こんなに怪しげなことはない。 タダほど怖いものはない。教育無償化というテーマが持ち出されてきたことで、改めてつくづくそう思う。「教育の危機」というテーマを掲げた時、国家への誇りの喪失と国際競争力の低下しか心配にならない。そのような人々が、「カネは出す。だから口も出させてもらう」と言い出したら、何が起こるか解らない。いや、解りすぎるほど解るから怖い。はま のりこ・エコノミスト。「アホノミクス」という言葉の生みの親。『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)など著書多数。2017年12月22日 「週刊金曜日」 1166号 59ページ「浜矩子の経済私考-国家主義者が唱える教育危機と教育無償化の怖い関係」から引用 この記事では、浜先生が安倍首相の演説を分析して、首相がどのような教育を目指しているのかという点を見事に言い当てていると思います。安倍氏自身は日本という国をどう思っているのかは分かりませんが、国民については国の歴史と伝統を誇りに感じて国家を崇め奉る、そういう国民にしたいらしい。私たちは、そのような価値観の押しつけを断固拒否するべきです。思想信条は自由ですから、中には国を崇め奉る人もいるかも知れませんが、「冗談じゃねーよ」と言う人もいるのが世の中というものです。そう言えば、安倍首相を始めとして右翼の政治家は何かと過去の歴史を無かったことにしたがる。中国で何十万人も虐殺したとか、未成年の女子を騙して慰安婦にしたとか、こういうことが事実とすると、そういうことをした国家を「崇め奉りなさい」と言うにはちょっと無理がでてくる。だから、そういうことは無かったことにすればいいと考えているのではないか。だとすれば、これはちょっと、余にもレベルの低い短絡思考で、教育を語る資格があるのかという疑念さえ出てきてしまいます。同じ教育無償化でも、かつての民主党政権が提唱した無償化と安倍政権の無償化は、かなりレベルが違うような気がします。
2018年01月01日
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