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ただいまピンチとチャンスの真っ只中で書く余裕がありません。2月ー3月は大きな転換期になりそうです。明日から1週間ドイツに出張です。しばしの間休みます。すみません。癒しのことば(メルマガ)で疲れた気持ちをを癒してもらい、よびりんの日記で渇を入れてもらいボッキー米谷さんの日記で元気をもらっています。本当に感謝です。いづれきっとお返しします。
2004年02月17日
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まさに”盗人に追銭”。わざわざ50ドルもあげてパスポート、航空券を返してもらいなんか後味の悪い思いを持ち部屋に引き返しました。そして次の日は大変でした。まずアポイントは全てキャンセルして、カードが使われないように手配をしつつ代わりのカードを発行してもらったりと一日銀行巡りで終わりました。工場の天皇と部下は相当こたえたと見えて外出しても歩いている人がすべて悪人に見えてしまう始末。後遺症はその後帰国するまで続きました。考えてみるとホテルの入り口は盗人にしてみれば絶好の場所です。ホテルに泊まる人は地元の人間ではありません高級ホテルの前にいれば、そこに泊まれるクラスの人が出入りしていますのでその中で隙のある人を見つければ成功の確率が高くなります。ホテルに泊まるときにはご用心を。もちろんNEW YORKは悪いことばかりでなく、良い意味でかなりエキサイティングな街だと思います。良いことはすぐに忘れてしまい、こういう悪いことだけ覚えているのも困りものです。テーマからはずれたことを書いてしまってすみません。今後軌道修正します。
2004年02月11日
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車中色々と話をしている間にホテルに到着しました。私と天皇の部下で大きなトランクをホテルへ運んでいました。天皇は自分の手提げバックを持ち、車からゆっくり降りて2歩3歩と歩き出しました。その刹那後ろから来た3人組の黒人に回りを囲まれあっという間に手提げバックをひったくられ逃げられてしまいました。その後少しの間天皇は何が起きたのか分からなかったのか騒ぐとまずいと思ったのか突っ立ていました。そして私に向かって小さい声でバッグを取られたとささやいたのです。犯人はすでにすっかりいなくなっていてどうすることも出来ません。取りあえず、ホテルのセキユリティーの人間を呼び事情を説明して警察に届けました。運の悪いことに手提げバックには現金の全てとパスポート、カード、飛行機の切符等全てが入っていました。ニューヨークの地を踏んでたった3歩歩いただけでこの手荒い歓迎です。天皇もどうしていいのやら分からず放心状態。時刻はすでに夜中の12時近くでしたのでチェックインをしてそれぞれの部屋へ入りました。それから2時間経ちやっと寝ようかとしていたときに天皇が私の部屋のドアをたたくのです。ドアを開けてみると天皇が立っていて、天皇の部屋に女性から電話がかかっていて何か英語で言っているので聞いてくれというので急いで行って聞いてみると、その女性いわく家に帰ってきたら家の前にバックが落ちていたので開けてみるとパスポートと航空券が入っていたので大切なものだと思って電話した。なんならこれからホテルへ届けるというのです。これは明らかに盗人の一味だと思うのですが、とにかくパスポートと航空券が戻るのであればと思い是非届けて欲しいと頼みました。すぐにホテルのセキユリティーの人間に連絡をとりどうしたらよいか相談しました。まあ50ドルくらい払って返してもらえばとのことです。天皇と部下はもう怖くて部屋から出てきません。天皇は自分の部屋の番号が犯人に分かってしまったので私の部屋と交換してくれと頼むので交換してあげました。私はセキュリティーの人間と夜中の3時に1階で待っていました。3時を過ぎた頃一人のおばさん(やりてババーという感じ)がやってきました。にっこり笑顔でこんな大切なものなので困っていると思ってすぐに持ってきたと言うので、しかたないのでTHANK YOUといい50ドル渡しました。まさに盗人に追銭です。・・・つづく
2004年02月10日
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今はニューヨークの治安も良くなったけど、十数年前は結構スリルがあった。まだサラリーマンだった頃、勤めていた会社の工場のTOPの人とその部下の人と私の3人でニューヨークへ行った事がありました。そのTOPの人は工場では天皇と呼ばれていて絶対的な力を持っていてやたらえばっているやつで何回か私も衝突したことがありました。でもむこうは天皇です勝ち目はありませんでした。彼らはニューヨークは初めてなので治安のことやらくもすけタクシーのことなど心配していたのでJFK空港からホテルまでの車を前もって手配しておいたのです。JFK空港に到着して手配しておいた車に乗ってホテルまで向かいました。道すがら、もしホールドアップにあったら上着の外ポケットに20ドル札を入れておいてすぐに渡して許してもらう。内ポケットに手を入れると相手は警戒して発砲するかもしれないので外ポケットに必ず20ドル札を入れておきなさいとか、街を歩くときは地図など見ないで俺はここの住人だという顔をしてさっさと歩く、旅行者だと分かると何されるか分からない、暗いところや細い道は歩かないとか、すこし大げさに注意事項を色々と行ったのです。工場の人達はまだニューヨークに着いたばかりで少しボーとしていたので、あまり緊張していませんでした。 そして・・・つづく
2004年02月08日
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ニューヨークの後輩はやっと就職をして日に3度の食事を食べられるようになった。仕事もだんだん分かってきておもしろくなってきた。ところがなんとしたことか運悪くその会社が突然倒産してしまった。まったくついていないなーとガッカリしていると、いくつかのお客が仕事を続けて欲しいとの依頼があった。ニューヨークの人達も捨てたものではない。彼らは会社の規模など関係なく彼の人柄に惚れて仕事を回してくれたのだ。取りあえず、自分の部屋で細々と仕事を始めた。その後少しづつお客が増えてきて事務所を借りるまでになった。それから1年後にはなんと社員というかアルバイトを雇うまでになったのである。まさにピンチがチャンスに変わったのです。今ではニューヨークに行くと日本食をおごってくれるまでになった。ニューヨークにも夢を持って日本から移り住んでなかなか目のでない人達が結構いると聞いている。でもチャレンジすることはすてきなことだと思う。がんばれチャレンジャー達!
2004年02月05日
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私が三十代後半の頃は仕事でよくニューヨークへ仕事で行っていた。ニューヨークの摩天楼を見ていると俺でも何か一旗揚げられそうという雰囲気になってくるから不思議だ。すごく自由な雰囲気があり若者には魅力のある街だと思う。その反面治安はすごく悪かった。ニューヨークには私の後輩が住んでいる。彼はデザイナーとして同じ会社に就職したのだけれどニューヨークに行って一旗揚げると言い残して会社を辞め、旅費を稼ぐために宅急便の運ちゃんを1年やりその金を持ってニューヨークに一人乗り込んでいったやつだ。最初はなかなか仕事が見つからず苦労したようで警官も行かない盗人だらけの一角に住んでいた。なんでもバズーカ砲をもっているやつがいて警官も近寄らないと言っていた(本当かどうかはさだかではない)。近所のやつに頼めば何でもどこからか持ってきてくれるそうだ。例えば20ドルでテレビが欲しいと言えば1週間ぐらい経つとちゃんと持ってくる。アンテナがないと見えないと言えばどこかのアンテナを引っこ抜いてくるというすごいところだそうで。間違ってよそ者がその一角に入ってしまうと身ぐるみはがされてほうりだされる。運が悪いとハドソン川に浮かんでいる。よくそんなところに住んでいるというか、よくよそ者でなくなったもんだ。ニューヨークに行くと必ず彼を呼んで食事をごちそうしてやる。日本食など食べられない身分だったので本当にうれしそうにたべて近況をはなしてくれた。そんな彼もその後デザインの会社に就職出来不法滞在の期間が過ぎ、無事グリーンカードを取得した。いまはニューヨークの別のところに住んでいる。・・・続く
2004年02月04日
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今世間では色々なピンチがあります。私も今ピンチの中にいますがそれについてはもう少し経ってからお話しします。身近なところでは牛丼屋さんです。昨日で牛丼をやめたなか卯、吉野屋松屋、すきやも今月中には牛丼をやめるとのことです。今日はなか卯で豚丼を食べました。かなりの人が豚丼を注文していました。商品単価は400円と高くなったので当然客単価も上がったはずですが、来客数がどうなるかですね。味は少し甘いような気がしました。キムチと一緒に食べるとおいしいですよ。このピンチにそれぞれの会社が工夫をこらしてプラスに変えることが出来るか大変興味があります。ピンチとは現状を変える良いチャンスです。がんばれー
2004年02月03日
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昨日少し運び屋について書きましたがせっかくなのでもう少し書いてみたいと思います。十数年前までは韓国、台湾、を初めその他東南アジアの国では関税が大変高く通常の輸入をしていると現地の小売価格が多変高いものになってしまいます。たとえばカメラ、腕時計、ライター、その他アクセサリーなど輸入価格の70-80%の関税をかけられていました。正規の輸入代理店はちゃんとルールを守って輸入する為に日本で1万円で売っている商品が1万8千円とか1万9千円になってしまい、一握りの金持ちしか買えませんでした。そこに目を付けたのが運び屋です。カメラでもライターでも通常は正規の輸入代理店があるのでメーカーに商品を海外に輸出するので売って欲しいと頼んでも受け付けてくれません。運び屋は日本に来て問屋に行き現金をその場で払って商品を買って持って帰るのです。ハンドキャリーするので、出来るだけ小さくて値段の高い物がよいのです。カメラ、時計、ライター等を一回数百万のお金を積んで問屋に安くさせるのです。問屋も現金の魅力には弱いものでかなり安く売ってくれます。そしてそれを持って自分の国へ帰るのです。問題は入国時の税関です。前もって話が通っていて彼らは無税でスーと通れてしまうのです。正規ルートと運びやルートの価格差はかなり大きくかつて運び屋は結構いい商売になりました(もちろん私はやっていません)逆に正規代理店はたまったものではありません。売れ筋をちゃんと調べてそれを通常より安く売ってしますのですから。5-6年前頃から台湾、韓国などは関税を10%前後に下げたために運び屋のよき時代は終わりましたが、それまでにたっぷりともうけた人たちが次の新しい商売をやっているのです。
2004年02月02日
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この間久しぶりに林さん(リンさん)にあった。彼は中国人で日本に来てかなり苦労されて色々な仕事をやり、私と知り合った十数年前には運び屋をやっていた。運び屋とは日本製で有名な商品、例えば日本製家電、有名なバッグなどを問屋で現金で安く買って中国や台湾などなかなか簡単に手にはいらない国へ持っていき販売する事で税関とうまく話をつけられれば(税金をまけてもらう)商売になる。去年中国の税関で取り締まりを強化して、かなりの人がつかまり死刑になったと聞いたので、コワイ仕事ではある。林さんはもう運び屋はやめて、なんと免税店と中華レストランをやっているとのこと。裸一貫で始めたのになかなかたいしたものである。今は中国人もかなり簡単に日本に来られるようになったので免税店をやれば絶対に商売になると考え小さな免税店を秋葉原に開いたのである。普通代理店でなければ手に入らない商品をどこからか手に入れて中国人へ売っている。日本に来る中国人は比較的金持ちが多く、結構高いデジカメが一日何台も売れるとのことで中国も変わったなーと思う。
2004年02月01日
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