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イエ…決して決してさぼっていたわけではありません。 南アフリカは外を歩いているのは黒人だけ…みたいなそんな治安の関係もあって・・・それから離婚が多いので親権をもらえなかった片親が子供を学校から連れ去るなんてこともあるみたいで・・・子供の送り迎えは車を運転して親の仕事です。(もちろん、裕福なお家は人を雇いますが)・・・それで、3人の子供の親ともなるとタクシードライバーのようなものです。時計とにらめっこしていたらあっという間に一日が終わってしまいました。・・・さて4000キロの旅もいよいよケープタウンに向かいます。 旅行初日590キロ 2日目663キロ走った私たちは3日目にケープタウンまで530キロ走りました。 ルートは、最初に南下し海につきあたたったところでガーデンルートと呼ばれるお花の美しい道路をちょっと走ってハマナスという町で、季節はずれの鯨を期待してからケープへ向かうというものでした。 相棒の神さん一家はアフリカ大陸最南端のインド洋と大西洋の交わるアグラス岬に行くというのに(知的)COCO一家は、迷うことなく遊びたい一心でただただ海を目指しインド洋を見ることなく大西洋に飛び込みました。 そこへ飛び込んできたお客さん真っ赤なバッタ大きさ8センチくらいお腹の模様がおしゃれでしょ?!! しばし波と遊んだあとハマナスというクジラを見られる町へ向かいました。出産のために集まってくる鯨を見られるシーズンは6月から11月です。・・・もう、1月になろうという今・・・・・・それを解っていても尚わたしたちはしかも雨の降る中双眼鏡を握りしめ海を隅から隅まで見渡しました。当然、見られませんわね~アホやね~!!しかし、このハマナスという町市場が立ったりしてお店もおしゃれで楽しそうな町でした。もうちょっとゆっくり滞在したい街です。 それから、さらに車を走らせケープタウンに近づきました。目の前に見えるのは、テーブル・マウンテン(これは、船上からの写真です) 私たちは、予約を入れてあるホテルを探しました。神さんが必死で探してくれたホテルはまるでバックパッカーズホテルのような洗濯物の暖簾をかき分け寝室にたどりつくような家具がイギリスの素敵なアンティークでそれよりホテルそのものがアンティークみたいな アフリカ縦断ツアーのバスが止まっているようなそんな自由な雰囲気のホテルでした。その名もBellevue Monor Houseマナー(お行儀)と勘違いしてすごいホテルだと勝手に思っていただけに気が抜けて変なホテルだったけれど熟っ睡しました。ちなみに犬もOKです。そして、とっても便利な場所にあります。日本レストラン”ふじやま”まで歩いていけます。ホテルのなんでも屋のおじさんが車も出してくれます。(有料)ぜひご利用ください。(何で宣伝しているんだ私?) でも、変なホテルです。念のため 次回は、いよいよ喜望峰とペンギンのお話です!!
2009年01月29日
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年が明けてからこっちこの20日間で黙ってはいられないニュースがいくつもできたので旅行記はお休みにしてちょっと聞いてちょうだい!! だいたいね、こんなに一度にいろいろ起こるってことが天中殺(古っ)・・・。 私の大好きな大好きな守おじさんが他界してしまいました。長いわずらいでしたが、キバちゃんが(私の叔母)これでもかって言うくらいの満身の愛を持って病身のおじさんの笑顔を支えてきました。 念願の孫も生まれておじいちゃんにもなり二人目の朝日君が生まれたその12時間後守おじさんは、天国に行ってしまいました。 心が広くて、笑顔が世界一素敵なおじさんでした。泣きそうです。 泣きっ面にハチとは良く言ったものです。調理機がすべて動かなくなりました。スイッチを入れると家中のブレーカーが落ちるのです。使えるのは電子レンジと、湯沸かしポットだけです。どこかで漏電しているようです。大家さんが入院先の病院から仕事人に電話して今日中に修理に来るはずなのですがまだ来ません。 七輪でも出すか…。それとも、非常食を出すか…。いずれにせよ悲しい。 こんな時に限って、ドクターから食事療法を言い渡されてしまった。悪玉コレステロールの数値が高いらしい。 疲れたときに鉄分補給とか言ってカカオ85パーセントのチョコレートを食べたりパンにバターを塗っていたのがいけなかったみたいだ。大好きなナッツ類や油もののお料理もやめるように言われた。1時間お説教された。打ちひしがれた。食べてはいけないと言われるとよけいに食べたくなる。 まだ、ポップコーンもまともに言えないチビ助がこの1月からぴっかぴっかの一年生になった。学校は、そのまま幼稚園からストレートなので機関車トーマスのカバンをもう少し大きいのに新調しただけで後は、クラスメートも制服も何も変わらないけれど、しかも、入学式もなかったけれど♪♪いっちねんせ~になったらいっちねんせ~になったらともだち100人できるかな?!!♪♪を家で繰り返し歌っている。 御機嫌だ!! でも、親は大変だ。3人のお弁当、送迎、習い事、書類の書き込み宿題の補助は、辞書を片手に何が何だかわからない状態だ。 1人から目を離すとすぐ消える“長男、ピーこ、チビ助、バーブシカ!!”一人を呼ぶのに猫の名前まで呼んじゃう混乱ぶり 旦那が帰宅すると旦那より先に“疲れた~”と私が言い“これとこれとこの書類にサインしてね””この振り込み、お願いね”“んじゃお先にお休み”って、まるで反抗期のだれかみたいだ。 早く、落ち着きたい。
2009年01月21日
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キンバリーからオッズホーンまでの道はスワ―トバーグ山とウテニカ山脈の間をずっと走る。山脈は地層がうねうねとして地動の歴史を感じさせる。時には、猫が爪をといだような地層も見られた。子供達を連れてのドライブで一番の心配は車酔いである。子供達に、“寝た方が早くダチョウさんに早く会えるよ”脈絡のない大ウソをついて寝る子らを後ろに山脈をうねうねと走っていたが、途中トイレ休憩で偶然泊まったところで大勢の子供達が水着で走り回っているのを目撃!! なぜ、こんな山中で子供達が水着で走り回っているのか?!! 私は、猛然とハイキングコースに足を踏み込んだほんの5分後滝壺発見!!車へ急ぎ戻り寝ている子供達を起こして滝壺に飛び込む!!子供達が上を見ているのは、大きいお兄ちゃん達が10メートルも15メートルも上からダイビングするのを見ているのであります。勇気あるなあ、みんな。 リフレッシュした私たちは、またしばらく山脈の地層の模様を楽しみながらオッズホーンへ向かいました。 このあたりの、山脈の風景は、非常に美しくワイルドでしたので皆様にも、お勧めしたいところです。 途中にカンゴー洞窟というとても美しい洞窟もあり一見の価値ありです。 さて、オッズホーンのダチョウの飼育を中心とする発展は1880年代にダチョウの羽根を使ったファッションがブームになったことで一気に栄えたそうです。 街には、4か所の観光農園があるのですが、今回は、ダチョウに乗って走れるという”Safari Ostrich Show Farm”へ行ってきました。 ダチョウというのは、いわゆる鳥系ですね。 なので、乗り心地は馬とも、ラクダとも、全然違うのです。もし、知りたければ、いますぐ鶏肉屋さんへ行って調理前の鶏を一羽買って来てその背中に手を当てて撫でくりまわしてくださいな。…ま、そんな感じです。 娘とチビ助は、大興奮もう一度乗りたいと繰り返し、長男は、恐怖のあまり落駝鳥ちたため、もう2度と乗りたくないと言っていました。ダチョウの卵に乗る長男ちなみに75キロの旦那が乗っても割れなかったダチョウの卵は完熟のゆで卵にするには2時間かかるのだそうです。 ラクダ農園のお土産屋さんで私は17年前の最初の南アフリカ訪問の時に入手出来ず、ずーっと未練を持っていたダチョウの卵のランプシェードを買ってもらい娘は、 ダチョウのぬいぐるみを買ってもらい大満足でした。 命名”ダーちゃん” 写真が少なくて、本当にごめんなさい!!次回は、いよいよケープタウンです!!
2009年01月19日
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12月のある日“ケープタウンへ行きた~い!!でも旦那が全然行く気になってくれな~い”とぼやく私に一緒に食事をしていたKさんパパ"ほな、年末年始休暇に計画しますか?" と軽いのりで実行に移してくれたのはいいけれど年末年始、ホテルを取るのは、個人では至難の業それで、結局代理店を通してホテルが決まったのが出発のほんの数日前 朝、5時起床6時半出発、COCO一家の旅行としては考えられない早朝の出発にてわが旦那の愛車は家族5人を乗せて4000キロの旅に出ました。最初の目的地キンバリーまでは所要時間6時間子供達はDSと漫画を持ち込んで静かに読みふけっています。私たちは、交代で運転しながらアフリカの大地を縦断しました。南に向かって国道をひた走っていると、国立公園でも何でもないところで゛あっ!キリン!!””あっフラミンゴの群れ!!”゛あっダチョウ!!“ただ走っているだけでも、サファリみたいでした。 そして6時間後、キンバリーという ダイヤモンドによって生まれダイヤモンドと共に発展してきた町につきました。ビッグホールと呼ばれるこの穴は、1871年-1914年多くのひとが、お金を出してその敷地の区分けされた一部を掘る権利を買い掘り進めたもので、2250万トンの土が掘り返され2722キロのダイアモンドが採掘され1914年の閉山までには周囲1.6キロ深さ393メートル人間の手だけで掘られたものとしては世界最大の穴が残ったのでございます。 この穴を見るために私たちはキンバリー鉱山博物館へいきその時代の街の様子を見たり鉱山の中の模型に入ったり ホンマもんのダイヤモンドを目が痛くなるくらい見すっかり目を肥やして帰ってきたというのにダイヤモンドを買ってもらう、ど・こ・ろ・か・写真の1枚さえ撮り忘れたのでございます。世界最大616カラットのダイヤモンドの原石はガチョウの卵くらいの大きさでしたが、磨いても、多分私の指には余るからいらないってことで…。 その日、私達2家族は一軒家を借りて泊り2人の娘たちは憧れの天蓋つきお姫様ベッドにチビ助たち二人はソファーベッドに長男はチビ達がうるさすぎて一緒に寝られないと言って親と一緒に寝ました。明日は、ダチョウの町オッズホーンです。
2009年01月15日
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気がつけば、一月も、もうだいぶ過ぎているのですね。お久しぶりです皆様楽しいクリスマス良いお年をお迎えになられましたでしょうか? 実は、私たちCOCO一家知人一家に誘っていただき年末年始に4000キロの旅をしてきたのでございます。 でも、その報告の前にクリスマス前から切れていた電話とインターネットそして、断水が昨日今日でやっと 解決したことをご報告せねばなりません。 4000キロの旅から帰ってきた日からCOCOの家のプールは”お風呂”と呼ばれる存在となりました。 毎晩月夜にプールに飛び込む黒い影プールわきで頭を洗う怪しい人影プールで楽しく遊んでいる子供に“ついでに歯も磨いてらっしゃい”と歯ブラシを放り込む愛情豊かな母親”小は、外でして来い”と息子らを家から放り出す父親 毎日職場から飲料水を運ぶ旦那主人の職場でお米をとぐ私 すべては、秘密裏に闇にまぎれてことが運ばれました。なんちゃって。 それにしても、年末年始とはタイミングが最悪でした。 電話会社が全然動かない水道会社も明日は、明日は、といいながら全然人を寄越さない!! でも、せめて夏でよかった。プールでリフレッシュできたし。月夜のプールは、なかな気持がよかった。しかし旦那の帰りが遅い夜無防備なプールでの入浴はただの恐怖でしかなかった。7日目にしてもう限界だった。 断水の原因は貯水タンクの破裂でした。4000キロの旅から帰ってきた私たちがまず最初にしたのは、台所の床にたまった水を出すのと戸棚に入っていたものをベランダに干すことでした。 電話・・・ 待たされました 今日やっと人が来てくれて調べたところ その原因は、電話線に落ちた落雷によるものでした。 ブログに貼ろうと思っていた南半球ならではのクリスマスカードも23枚のうちたったの2枚乗せることができただけで季節が過ぎてしまいました。そんなカンダで昨日やっと水が戻り今日インターネットと電話が復活したことをここに報告させていただき新年のあいさつに換えさせていただきます。 今年も、よろしくお願いいたします!!
2009年01月10日
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