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言葉の記憶に関しては、母語の学習は手続き記憶、外国語の学習は宣言的記憶と言われているそうです。母語や、自転車の乗り方の記憶は「手続き記憶」と呼ばれるそうで…いわゆる「体が覚えている」状態で、その記憶を言葉でうまく説明することはできないようです。アリアンス・フランセ40年ほど前のことであるが・・・・パリのアリアンス・フランセで、いち時期集中的にフランス語に取り組んだことがあるのです。まさに子供が母の話を聞くように、フランス語の聞き取りに励んだ結果、今でも、映画のなかのフランス語の一部が無意識に理解できたりするが・・・・これは体が覚えているとでもいうんでしょう。一方、学校で10年ちかく学んだ英語であるが・・・・英文法をことばで説明できたりするほどであり、これは宣言的記憶そのものである。ただ、学習させられたという気持ちが強くて、「体が覚えている」状態までには到達しなかったようですね(笑)また、日本人が日本語の文法をうまく説明できないのは、「手続き記憶」のためかと納得したりする。記憶について、wikipediaを引用します。wikipedia手続き記憶より 手続き記憶は簡単には言葉で説明できないことが多く、意識しなくとも使うことができる。いわゆる「体が覚えている」状態である。手続き記憶は、時間をかけて学習した刺激応答などのパターンを反映することができる。一方、宣言的記憶は言葉にするのが容易である。手続き学習の例として、自転車の乗り方の練習、タイピングの練習、楽器の練習、水泳の練習がある。手続き記憶は永続性がある場合もある。 脳に特定の障害を負った人々を研究した結果、手続き記憶とエピソード記憶は脳の中の異なった部位を使用しており、独立して機能していることが示唆された。例えばある患者は、作業の訓練を受けると過去の訓練内容は覚えているが、作業を改善することができない。他の患者に同じ訓練を施すと、訓練内容を思い出せないのだが、作業をさせると改善されている(手続き記憶は機能しているが、宣言的記憶が損傷している)。wikipedia宣言的記憶より 宣言的記憶は意識的に議論したり、宣言(言明)したりすることができる。このため陳述記憶とも呼ぶ。 教科書を使った学習や知識は宣言的記憶として保持され、心の眼(mind's eye)で再体験できる。対照的に手続き記憶は技能を扱う。宣言的記憶は忘れることがあるが、頻繁にアクセスされる記憶はそれだけ長持ちする。宣言的記憶をよく保持するには、記憶術や反復練習の一種である active recall(積極的に思い出すこと)を利用することがよいとされる。宣言的記憶をよく保持するには、記憶術や反復練習が有効とされるので、暇な老人は外国語に最チャレンジする機会が有り余るほど恵まれているわけですが・・・(あとは、やる気にかかっているだけですね)仕事柄、仕方なしに下手な英語で海外業務に従事してきた大使であるが・・・・リタイアしたあとは、英語習得のやる気が、さっぱり起きないのです(笑)ただ、何の経済的メリットのないフランス語については、再チャレンジを目論んでおります。(単なるへそ曲がりなのかも?)イルドフランス パリ アリアンス フランセーズにようこそ
2013.03.31
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<アジア主義から見た中国> 中島岳志さんがインタビューで「主権と平等を求め、圧政と闘う連帯がもともとの出発点」と説いているので、紹介します。中島岳志さんへのインタビュー <アジア主義から見た中国>(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、3/29朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)Q:アジア主義と言われると、米国から離れて中国とやっていこうと主張しているようにも聞こえます。A:そう単純ではありません。近年の中国共産党は過剰な資本主義に突き進み、国内においては抑圧的な政治体制を維持しつつ、外には覇権主義的な姿勢を見せてきました。日本人がいらだってしまうのは、その権威主義と国益追求の露骨さにも原因があるのだと思います。それは私たちの中にもある側面ですが。Q:アジア主義は戦前日本の侵略思想だったのではありませんか。A:利益や打算に基く「政略」としてのアジア主義はそうです。大東亜共栄圏を目指す帝国主義の道具として利用されました。しかし当初、頭山満や宮崎滔天は西洋列強の侵略にアジア諸国と手を携えて抵抗しようと訴えた。彼らの「心情」としてのアジア主義は、出発点から侵略を意図していたわけではありません。Q:どう違っていた、と。A:「一君万民」を掲げて天皇のもとの平等社会を目指したはずの明治維新が変質し、薩長中心の特権支配が生まれたとき、これに反抗する武装闘争が各地で起きました。それがついえると、言論による抵抗として自由民権運動が高まり、その流れの中で頭山も福岡で玄洋社の活動を始めた。そのとき天皇主義とともに掲げた原則が、ナショナリズムと国民主権です。国家は一部の人間のものではなく国民のものだ、というナショナリズムと、「人民の主権を固守すべし」という国民主権の理念が右翼の原点にあったのです。 この観点で世界に目を転じたとき、頭山には欧米の帝国主義と国内の封建体制という二重の圧政に苦しむアジア人民の姿が見えました。古い王朝を倒し、近代化によって万民が救われる新しい政治体制をつくるのがアジアの王道である、と考えた。各国で闘っているナショナリストたちと盟友として組み、二重の圧政を打破しようと踏み出していく。これがアジア主義の源流です。Q:そういうアジア主義者なら、今の中国をどう見るでしょう。A:一部特権層の圧政と格差社会に多くの人民があえいでいる、と見てとるでしょう。彼らを救おうと海を渡って、民主化運動を担う学生や活動家を支援して一緒に闘ったかもしれません。まさに宮崎が上海に渡り、私財をなげうって、日本に亡命して後に辛亥革命を成し遂げる孫文を支援したように。ところが昨年、中国の盲目の人権活動家、陳光誠氏が脱出先に選んだのは米国でした。日本こそが受入れ、サポートすべきだという発想も覚悟も見えなかった。とても残念でした。 ただ同時に、頭山や宮崎なら日本国内の格差社会にも断固として抵抗したでしょう。それが愛国者の本義ですから。Q:しかし、中国のナショナリズムは反日と重なっています。それでは支援も連帯も、難しいのでは。A:21カ条の要求、満州事変、日中戦争という歴史をへたために、民主化を要求するナショナリズムが対外的には反日デモにもなる。そこがとても難しいところです。これは日本が自らまねいたタネでもあります。かつて中国の主権を踏みにじった当事者なのですから、歴史をしっかり見つめ直すべきです。Q:歴史を持ち出されると、ものが言えなくなりませんか。A:そんなことはありません。中国にも、かつてあなたたちが抵抗した日本帝国主義と同じ覇権主義の道を進んで一体どこに行くつもりですか、と問わなければなりません。 そもそも「正しい歴史」などありえない。日中双方が自分が見たい物語の中に歴史をあてはめてきただけです。これは日本国内でも同じで、たとえば私がインドのR・B・ボースを調べたとき、彼は左派から見ると日本帝国主義と手を結んだ誤った革命家なんですが、右派から見ると日本の聖戦の論理をよく理解した同志になる。いずれも都合のいい鋳型にあてはめているだけでした。 歴史を特定の立場から裁断するのではなく、なぜ相手はそう主張するのかと、議論を近づけていく作業が双方に必用なんだと思います。Q:歴史以外にも、日中間には問題山積です。A:「政略」的なものに議論が終始していますよね。もっと長いスパンで大きな議論をしないと真の解決はないと思う。アジアとは何か、をじっくりと問い直さなければなりません。その努力を日中双方が怠って、相互不信の迷路に入り込んでいるように見えます。 近視眼的で単眼的になってしまった私たちのまなざしを、私はもう一度広くて複眼的なものに引き戻したい。その手がかりが、アジア主義のてんまつにあると思うのです。当初の「心情」が帝国主義にのみ込まれ、踏ん張れなかったのはなぜなのかを考えたい。Q:しかし、欧米に踏みにじられた「奪われたアジア」の時代は去り、成長を遂げて「アジアの世紀」と言われる時代です。アジア主義は思想になるのでしょうか。A:政治権力を求めるアジア主義は、もう終わっています。しかし、文明的な抵抗は続けていく必要があると思う。「抵抗としてのアジア」は西洋の物質主義や拝金主義に対する抵抗でもあります。インド独立の英雄ガンジーが唱えたのも、英国支配からの単なる独立ではなく、英国が支えてきた近代的な認識、人間観を乗り越えることでした。Q:戦後、頭の中まですっかり西洋化してしまった私たちに、アジア的な思想が響くでしょうか。A:西洋化、近代化にどっぷりとつかっているからこそ、逆説的にアジアに意味が出てくるのではないでしょうか。ガンジーは、アジア的な認識のあり方を山にたとえました。山の頂上はひとつだが、そこにいたる道はいくつも存在する。ヒンドウー教、イスラム教、仏教、キリスト教といくつもの道があり、ばらばらに見えるけれど、究極的な真理は一つであるという不二一元論です。真理の唯一性を求めるとともに、真理にいたる道の複数性を認めた。西洋的な認識では「違いは認め合おう」とはなっても、異教徒に自分と同じ真理が宿っているとは思わない。相対的な多文化主義になりますから。 そんなアジアの発想が日本美術に表れている、と考えたのが思想家の岡倉天心でした。「東洋の思想」という著書で「アジアは一つ」と書き、「究極普遍的なるものを求める愛」こそがアジア民族に共通の思想的基盤だとした。それが東洋思想と通底し西田哲学へと発展します。 過去に学び、「思想」としてのアジア主義を抽出できれば、アジアとの向き合い方も見えてくるのではないか。対立が激化し、行き詰まった今の世界を乗り越える手がかりがアジア的な認識論だと思うのです。Q:「東アジア共同体」構想は、その具体化の一つですか。A:そうは思えません。政治、経済的な利害に基いてアジアとつながるのが合理的だ、という発想は一番危ない。「政略」的なアジア主義を進めた戦前と同じ道をたどりかねません。アジアと対話を深める場は必要ですが、性急に政治的共同体になる必要はない。かつて評論家の竹内好が書いたように、アジアを単なる地理的空間ではなく、次の新しい文明を考えるための重要な方法論として考えたいのです。 欧州も中世のころから、キリスト教を基盤として「欧州とは何か」を議論してきました。その積み重ねのうえに、ようやく民族も言語も超えた欧州連合(EU)という枠組みが見えてきた。アジアには共通する宗教もありませんし、「アジアとは何か」という思想的追求もまだまだ足りない。漢方薬のように、時間をかけて体質そのものを変える必要があります。Q:対立する中国とはどう向き合っていけばいいのでしょう。A:ともに思想的アジアを追求しつつ、民主化を支援すべきです。そして政治的、軍事的な覇権主義に対しては毅然と抗議する。 敗戦後、アジア主義は米国に全否定され、私たちは捨てなくてもいい蓄積まで捨ててしまいました。アジアとの人の行き来は増えましたが、本質的な意味で出会えているのか。出会い損ねがたくさんあるように感じています。<取材を終えて> 中島さんが私淑する竹内好が、「日本のアジア主義」論文を書いたのは50年前。中国で近年、竹内の翻訳が出版されたという話を聞いて、少し希望を感じた。彼に関心を持つ中国人とは、きっと話が通じるはずだ。言論の自由を求める中国紙「南方週末」の記者たちにもエールを送りたい。日中双方が変わらないと前に進まないのだから。(聞き手:萩一晶)大漢族主義にイラつく大使にとっては、漢族に対するアメリカ人の強硬論の方がしっくりくるのだが・・・米中は覇権主義では似た者同士であり、両者にまかせると破局に向かうような怖さがあるのです。破局を回避する道は、中島さんの説くアジア主義なのかもしれないが・・・・軍事力に頼る漢族が自らの論理で破局を避けた先例が、有史以来、はたして有ったのだろうか?と疑うのである。そして、日米安保に頼ればいいという短絡した考えでは、立ち行かない気もするのです。
2013.03.30
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<職人かたぎ>文明開化時の職人かたぎを「士農工商/仕事と暮らし」という本に見てみましょう。とにかく、日本は世界でもまれに見るほど職人が評価された国だったようです。【士農工商/仕事と暮らし:太陽コレクション】ムック、平凡社、1979年刊<内容紹介より>古書なので、ネットにデータなし目次<読む前の大使寸評>ゼロサム志向の米中に押されて、やや形勢が良くないけど・・・日本人の気質をもっとよく表しているのが、職人気質だと思うのです。江戸期、明治期の職人について、見てみましょう。この本の巻頭にあるお話です。<職人の心:奈良本辰也>p6 だいたいにおいて11,2歳が徒弟奉公の始まりであるが、最初からその業種の仕事につくということは極めて稀である。子守りをさせられたり、掃除に使われたり、主人の道具をかつがされたりで、その第一歩が始まる。 そうしているうちに、主人の眼にかなうと、さていよいよその業の手伝いとなり、技術の方も教えられる。一人前になるには10年が必要とされていた。一人前になったところで、さらに1ヵ年の御礼奉公をする。 主人は、こうして一人前に育てた職人に道具の一式を買い与えて、彼らを実社会に送り出すのである。11,2歳から10年、そしてさらに1年と言えば、22,3歳で職人は一人前になることができるのだった。 ここに面白い話がある。高村光雲が弟子入りしたときのことだ。江戸の下町に生まれた光雲は幼名を光蔵と言ったが、初めは大工になるつもりだった。当時、大工は職人の王と言われたものである。 ところが、いよいよその大工の棟梁のところへ出かけることが決まっていた前日に、近所の床屋から仏師のところへ弟子入りしないかと誘われる。そして連れていかれたのが、高村東雲という立派な腕のある仏師だった。 光蔵はまず師匠から簡単な口頭試問をうける。まず聞かれたのが人物の彫物で、「これを知っているか」と問われる。ひげをはやして剣を握っているので、「関羽でしょう」と答えると、次に、「お前は手習いをしたか」と問われる。「否」と答えると、「そうか、手習いはしなくともよい。字は要らない。職人はそれで好い」と、師匠はいう。次は、「算盤は習ったか」と問われる。「否」と答えると、「算盤も要らぬぞ、職人が銭勘定をするようじゃ駄目だ。彫刻師としてえらくなれば、字でも算盤でもできる人を使うこともできる。唯、一生懸命に彫物を勉強せい」と言って、それが入門の許可となった。後で聞くと、師匠は彼が入口に立ったときからその動作をみていたのだ。光蔵が下駄を揃えて上がってきたので、この子なら自分のところで修業が続けられると思ったという。 字も算盤も要らぬという言葉に、江戸時代からの職人の心をみることができよう。 <職人の世界:奈良本辰也>p17~19 「工は緒職人なり」という言葉は、江戸時代の通念であった。西川如見の『町人嚢』という本にも、士・農・工・商の四民を説明して「士は…諸国之内の緒侍なり、農は耕作人なり、今は是を百姓と号す。工は緒職人なり、商は商売人なり」というように記している。(中略) 近世、城下町が営まれるに及んで、多くの職人たちは城下町に居住することを要求された。そして、それらは一つの集団となって街並を作ったものである。今日でも、多くの城下町には、その職人名の街がある。 金沢には加賀百万石の城下だったが、大工町・鍛治町・大鋸町・紺屋町・桶町・白銀町・象嵌町・石伐町などの名が残り、津軽四万七千石の城下弘前には、桶屋町・銅屋町・鞘師町・鉄砲町・紺屋町などの名が残る。 ついでに言うと、伊予の松山十五万石の城下には、鍛治屋町・畳屋町・紺屋町・細物町・樽屋町・檜物屋町等々の町名があった。職人の名称を言えば、塗師もあれば筆師もある。石細工もあれば、鎧師もある。それらのすべてを町の名があらわしていたとは言えないであろう。(中略) そこでいま、この松山城下において、どのくらいの職人が家を構えていたかを見よう。これは天明四(1784)年2月のものであるが、そのなかに鍛治屋以下50種類を越える職人の住居兼仕事場がある。その主なものを列挙してみると。 鍛治屋 67軒 大工 180軒 屋根屋 18軒 左官 7軒 樽屋 74軒 指物師 10軒 塗師 28軒 畳屋 32軒 紺屋 81軒 檜物屋 10軒 傘屋 36軒 筆師 11軒 鞘師 9軒 表具師 7軒 紙漉 14軒 指物屋 10軒 木挽 26軒 小細工人 6軒 等々。となっている。職人たちは、そこで家内労働をしていたわけだ。この職人たちにも、百姓と同じように肝煎役がいた。すなわち、庄屋にあたるようなものである。現代の職人かたぎについては、「職人File」によく表れています。職人Fileより<What's 日本の仕事?>このサイトは、日本の若手職人たちを中心に紹介するサイトです。日本には素晴らしい仕事がたくさんあります。世界に秀でた素晴らしい技術を繊細な感性と手業で受け継いで、日本は数々の美しい生活文化を育んできました。 しかし今、生活の近代化、西欧化により、日本の伝統的な生活習慣が失われつつあります。ごく普通に生活のまわりに存在した高レベルの技術が失われつつあります。世界の大工が舌を巻くという、日本の大工や家を造る職人たちの手業、器や家具、道具、衣類や生活雑貨を作る職人たちの手業、また、安全で美味しい農作物を育て分かち合う仕組み‥‥‥このサイトは、素晴らしい日本の仕事の「継承」を応援するサイトです。たまたま「息子が継がない」という理由でソフトが継承されず、あるいはハードが継承されずに「途切れてなくなってしまう」仕事が近年多いことは、とてももったいないと思います。何十年も何百年も継承されてきたものでも、いったん途切れてしまうと、二度ともとへは戻せないものが多々あります。なお、今では衰退してしまったタタラ製鉄なんですが・・・森林を大量消費した産業としても、職人に課した過酷な労働としても、樹木フェチの大使にとっては興味深いのです。<出雲タタラ:吉増剛造>p58~59 安来市の、というより安来市を支える日立金属の「和鋼記念館」でいかにも技術者らしい雰囲気を漂わせて手際よく説明してくれる、館長の住田勇さんの話を聞いていても、あるいは安来から山道を走り、島根県仁田郡横田町の鳥上木炭銑工場(日本刀製作に不可欠な玉鋼をつくるタタラ技術保存のため、ここに炉が復元された)で、社長の並河孝義さんや、 村下(ムラゲ)という「タタラ吹き」の宰配をする技師長とでも呼んだらよいのか、もうこの方しか残っていないという。村下の安田由蔵さん(75歳)の、たたら製鉄作業の苦労話やそのプロセスを聞いていても、誰でもそうだとおもう、眼の裏に浮かぶのは激しく燃えさかる火、その情景なのだ。 砂鉄七里に炭三里(運送のためにはこのくらいの範囲が望ましいという意味) タタラ吹きには山全体を焼くほど木炭がいる。一代に約一町歩分の木炭だという。安部村下や社長さんの話を聞きつつ、あるいは和鋼記念館の住田さんの話を聞きつつ、サンプルとしてガラスケースのなかに並べられた木炭の美しさに息をのむ。その色、質感、見事な、化石のような。 サクラ クリ ナラ アカマツ エゾマツ エゴノキ ツガ サルスベリ… 高殿(と書いてこれもタタラと呼ぶ)のなかに入ると、炉のある土間をかこんで「村下座」「炭座」というふうに部屋割りというか場所割りがある。その「村下座」の一角に掘炬燵をきったあとがある。大変な高熱のなかの作業だろうに変だなとおもった。村下さんに聞くと、返事は「えぇ、まぁ…」と微苦笑に近いものだった。(中略) タタラの語源についていろいろの説がある。 蹈鞴(足で踏んで空気を送る大きなふいご)から来たともあるいは「立テル」、お風呂を「立テル」ように構築するということから変化したともいわれる。 わが国には至る処に砂鉄鉱が「たたら吹き」により、古くから製鉄し、加工したものと考えます。タタラとは野ダタラ(露天製鉄)の頃は精錬炉をいい、中世に、屋内精錬に移行すると、建物をタタラ(高殿)といい、つぎに付属設備を含めたものをタタラまたはタタラ場と呼ぶようになった。タタラとはタタール人(ダッタン人)の技法が中央アジアから朝鮮半島を経て日本に伝わったともいわれ、また古来日本でフイゴをタタラといっていたが、のちに製鉄炉を表すようになったともいわれる。(鳥上木炭銑工場および和鋼記念館のパンフレットより)【西粟倉村のおばあちゃん紹介!】タタラ製鉄の集落で生まれたツギノさんより ツギノさんは89歳、大正生まれ。一般にタタラ製鉄の最盛期は江戸時代と言われていますが、西粟倉村では明治初期までタタラが行われていたようです。いずれにせよツギノさんが生まれた時代にはタタラ製鉄は衰退しつつあり、そろそろタタラ自体の存在が無くなりつつあった時代であったと考えられます。―ツギノさんの思い出話を聞きにきました。よろしくお願いします。 7歳の冬に、西粟倉村の最上流部にある鉄山から、下流の集落に降りて来たんよ。本当は冬が終わったら鉄山に帰ろうと思ってたのに、春になってお父さんが鉄山に家を見にいったら、雪の重さで家が倒れていて鉄山に戻れなくなったから、そのまま山を降りて暮らすことになったの。(1日の文字数制限で以下省略しましたが、全文は職人かたぎに入れておきます)
2013.03.29
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<樹木のアート>工事中木肌フェチ、葉っぱフェチの大使にとっては・・・樹木は個人的に重要なマチエールなんですね(サヨカ)で、以下のとおり樹木のアートを集めています。このあと家具とか民芸品を探す予定です。・天然木関連・木彫に遊ぶ・船越桂公式サイトより・薮内佐斗司の世界より・日本の森林と木の職人・木工の世界・職人かたぎ <天然木関連>木工や木彫をやっているわけではないが、木肌が好きな大使である。東急ハンズで木切れを見るだけで嬉しくなるが、とにかく銘木は値段が高いで(泣)木彫において・・・・形にこだわる作家は、木の種類にこだわりはないようだが、質感にこだわる作家は木の種類にこだわりがあるようですね。船越桂さんの木彫にはクスノキしか使わないが、木肌の質感にこだわるのでしょう。天然木ギャラリーよりクス(楠)木肌は緻密で、耐湿・耐久性に優れる。加工は容易。乾燥時には狂いが出やすい。根瘤が付きやすく、玉杢や葡萄杢などの美麗な杢が現れる。コクタン(黒檀)非常に重く硬い材で、加工は困難を極める。耐久性は非常に優れる。唐木の代表的なもののひとつ。本来は真っ黒な木材であるが、今日では見ることは少ない。磨けば光沢がでる。天然木.net天然木.netのブログ木肌図鑑【木彫に遊ぶ(創作市場13)】ムック、マリア書房、1999年刊<書籍紹介より>木の息吹が感じられる木彫作品と作家を多数掲載。リアリティ溢れる木彫の“現在”に出逢ってください。<大使寸評>この本には多様な木彫が紹介されていて、見て楽しい本である。木肌フェチともいえる大使のツボにヒットした本です。とにかく・・・東急ハンズで木切れを見るだけで嬉しくなるのです。(サヨカ)mariashobo木彫に遊ぶ(創作市場13)船越桂公式サイトより<ひとりの人間の姿に宿る宇宙>安東:舟越さんは彫刻家として、楠を素材とする人物像をつくり続けていますね。 舟越:木彫による半身像は、1980年に制作した「妻の肖像」が最初でした。 安東:人物像をつくるようになったのはどうしてですか?舟越:僕の場合は、何かをつくりたいという対象として、初めから人物にしか興味がなかったんですよね。だんだん見る目は広がってきていろんな傾向のものが理解できるようになったけれども、自分がつくるとしたら、今でも人物に関わる作品しか思い浮かびません。やっぱり人間の姿に興味があるし、もしいい作品ができ上がれば、それは人間の姿だけにとどまらない、もっと広いものを内に宿すことができるんじゃないかなと思います。何かを表わすには何かの形をとるしかないわけで、大げさに言えばひとりの人間の姿を通してでも、この世界の成り立ちというか宇宙のようなものを表現できるんじゃないかと思うんですけどもね。 安東:作家として早い時期からそう考えていたんですか? 舟越:いえ、若い頃はそんなふうに考えていたわけではないですよ。その頃はたぶん、こういう雰囲気の、こういう空気をもった人物像をつくり出したいと思っていただけで。長年制作してきて、小さな石の中にもひとつの宇宙があるという言葉があるように、作家がやろうとしていることは誰しもそういうことなんだろうなと感じるようになりました。 <船越桂:木彫に遊ぶp18> 木彫に彩色。これは日本の彫刻の伝統的な手法だ。多くの日本の彫刻家たちが意識する仏師にしても、かつての極彩色に彩られている。現存する仏像の木肌を剥き出しにし、木の造形をそのままに見せる姿も木彫の本質だろうが、かつての極彩色も木彫の本質である。仏師たちは日本での仏教の意味を具体化しようとした。木を通して仏教の心を象徴的に高めたのである。船越桂さんの作品も木彫に彩色。その意味では決して新しい技法ではない。1988年にはベネチア・ビエンナーレに出品。92年には現代美術の祭典である第9回カッセル・ドクメンタに招待され、多様な表現と並陳されても違和感はなかった。国内外の評価は現代の彫刻として定まっている。 かつては南青山のコム・デ・ギャルソンに展示され、若者たちにファッションと彫刻の調和を気づかせたこともある。表現の普遍的な国際性と洗練された現代性に注目されるのは当然かもしれえないが、日本の彫刻の長い歴史を直裁に受け継ぐ彫刻家の一人であるのも間違いのない事実だ。薮内佐斗司の世界よりキリントラ犬も歩けば童子【日本の森林と木の職人】西川栄明著、ダイヤモンド社、2007年刊<「BOOK」データベースより>芳香漂うクスノキの小箱、柾目が通った秋田スギの弁当箱、森の王者ミズナラのテーブルと木目も美しいカラマツの椅子。日本の銘木を操る熟練の木工職人と作家。豊かな森が育んだ木の文化、生活を潤す自然の手触り。 <大使寸評>職人の目で見る樹木、材木としての樹木・・・・木の肌、匂いが感じられるこの本は大使のツボにクリーンヒットしました。木工職人と作家によるコラボレーションなんでしょう♪Amazon日本の森林と木の職人 <木工の世界>工事中 丹波の森ウッドクラフト展:受賞作品木地師のふるさと職人File仏像と仏師の世界仏像の見方と尊格高句麗の弥勒菩薩 <職人かたぎ>文明開化時の職人かたぎを「士農工商/仕事と暮らし」という本に見てみましょう。とにかく、日本は世界でもまれに見るほど職人が評価された国だったようです。【士農工商/仕事と暮らし:太陽コレクション】ムック、平凡社、1979年刊<内容紹介より>古書なので、ネットにデータなし目次<読む前の大使寸評>ゼロサム志向の米中に押されて、やや形勢が良くないけど・・・日本人の気質をもっとよく表しているのが、職人気質だと思うのです。江戸期、明治期の職人について、見てみましょう。この本の巻頭にあるお話です。<職人の心:奈良本辰也>p6 だいたいにおいて11,2歳が徒弟奉公の始まりであるが、最初からその業種の仕事につくということは極めて稀である。子守りをさせられたり、掃除に使われたり、主人の道具をかつがされたりで、その第一歩が始まる。 そうしているうちに、主人の眼にかなうと、さていよいよその業の手伝いとなり、技術の方も教えられる。一人前になるには10年が必要とされていた。一人前になったところで、さらに1ヵ年の御礼奉公をする。 主人は、こうして一人前に育てた職人に道具の一式を買い与えて、彼らを実社会に送り出すのである。11,2歳から10年、そしてさらに1年と言えば、22,3歳で職人は一人前になることができるのだった。 ここに面白い話がある。高村光雲が弟子入りしたときのことだ。江戸の下町に生まれた光雲は幼名を光蔵と言ったが、初めは大工になるつもりだった。当時、大工は職人の王と言われたものである。 ところが、いよいよその大工の棟梁のところへ出かけることが決まっていた前日に、近所の床屋から仏師のところへ弟子入りしないかと誘われる。そして連れていかれたのが、高村東雲という立派な腕のある仏師だった。・・・・ (1日の文字数制限で以下省略しましたが、全文は樹木のアートに入れておきます)
2013.03.28
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<朝日デジタルの書評から11>日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・階級「断絶」社会アメリカ・教室内カーストさっそく、図書館に借り出し予約するのもいいかもね。********************************************************************************階級「断絶」社会アメリカより<「真のエリートとは」を問う:渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)>実に挑発的な米国論だ。 貧困や格差に関する本なら山ほどある。しかし、過去50年間に及ぶ豊富なデータを駆使して著者が描き出すのは、もはや同じ米国人としての行動様式や価値をほとんど共有しない今日のエリート階級と労働者階級の絶望的なまでの「断絶」だ。 そのうえで「勤勉・正直・結婚・信仰」という「建国の美徳」を保持しているのはエリート階級であり、幸福の基軸を成す「家族・仕事・コミュニティ・信仰」においても優れているとする。 かたやその対極にあって米社会の伝統的美徳を蝕んでいるのが増加の一途を辿る労働者階級だと結論づける。 これだけでも物議を醸すのに十分だが、保守派(リバタリアン)の論客である著者は、その是正のために政府が介入すべしという、ヨーロッパ型の福祉国家の前提にある人間観や世界観を徹底的に批判する。日本のリベラル派も一考する価値はありそうだ。 「伝統」をめぐる著者の解釈や分析には疑問が残る。神経学や生物学の援用には慎重であるべきだとも思う。 しかし、最終章で著者が展開する「見かけ倒しのエリート」への批判は含蓄が深い。 曰く、自らの良識に自信が持てぬまま、悪しき中立主義に流れ、卑俗な行動様式や価値を甘受する。自らの特殊な世界に籠もり、市井の米国人からますます孤立する一方、国の命運にはより大きな影響力を行使しようとする……。 そして、この点においてはリベラル派も保守派も同罪という。左右のイデオロギー対立や政治的分断ばかりに目が奪われがちな昨今、米社会が抱えるより構造的かつ根源的な問題を抉り出そうとする知的態度は好感が持てる。 格差社会や社会的紐帯の断章化が進む現代にあって「真のエリート」とは何か。エリート論が忌避されがちな日本の言論界にとっても十分に挑発的な一冊だ。 ◇チャールズ・マレー著、草思社、2013年刊<「BOOK」データベースより>経済力だけでなく、倫理観、価値観においても圧倒的な「階級格差」が生まれてしまったアメリカの現状を、リバタリアンの論客が詳細に分析した一冊。従来とはまったく異なる階層の存在を指摘し、二つの階級の断絶が社会を崩壊させると警鐘をならす。福祉の充実ではなく、かつてのアメリカ人が持っていた価値観の再建こそが重要と主張して全米で大論争を巻き起こした話題の書。 <読む前の大使寸評>大きな政府を嫌うのは分かるが、国民皆保険を嫌う価値観は分からないし、分かりたくない気がする。rakuten階級「断絶」社会アメリカ教室内カーストより<教師すらも逆らえない:斎藤環(精神科医)>現代の教室空間には、歴然たる“身分制(カースト)”がある。上位グループはクラスの主導権を握り、主張を押し通すことができる。いっぽう下位グループは、周囲から軽蔑され、声を上げても黙殺される。 すでに漫画や小説では繰り返し描かれてきたこの“身分制”については、それが時に「いじめ」や「ひきこもり」の要因となることもあって、すでにいくつかの分析もあるし、私も問題視してきた。 しかし意外にも、このインパクトある言葉をタイトルにした書籍は本書が初めてだ。筆者は東大の大学院生。学生や教師を対象としたアンケートやインタビュー調査に基づく研究をもとにして本書は書かれている。 研究者らしからぬフワフワした文体だが、内容は深刻だ。本書によれば教室内のグループ間の格差は、中学以降に顕著なものになる。上位と下位の関係は固定的で、上位グループは多くの特権に恵まれ、楽しい学校生活を享受できる。対照的に下位グループの生徒の学校生活は、惨めなものになりやすい。一般に、にぎやかで気が強く異性にモテる生徒は上位に、地味で受け身で目立たない生徒は下位になりやすいという。 中でも衝撃的なのは、教師すらもこの身分制には逆らえない、という事実だ。調査の結果、教師の側も、スクールカーストの存在を認識し、しかも肯定的に捉えていることがわかった。上位の生徒と仲良くしておく方が、クラス運営が格段にやりやすくなるからだ。なるほど「個より集団」という価値観は、かくして生徒と教師が一丸となって育まれるわけだ。 本書における問題提起は、十分に成功している。次回作ではぜひとも、その対策にまで十分に踏み込んだ分析を期待したい。 ◇鈴木翔著、光文社、2012年刊<「BOOK」データベースより>スクールカーストとは、主に中学・高校のクラス内で発生するヒエラルキーのことで、小学校からその萌芽はみられる。同学年の子どもたちが、集団の中で、お互いがお互いを値踏みし、ランク付けしていることは以前から指摘されており、いじめや不登校の原因となるとも言われてきた。本書では、これまでのいじめ研究を参照しながら、新たに学生や教師へのインタビュー調査を実施。教室の実態や生徒・教師の本音を生々しく聞き出している。生徒には「権力」の構造として映るランク付けが、教師にとっては別の様相に見えていることも明らかに…。本書ではまた、中学生への大規模アンケート調査結果もふまえながら、今後の日本の学校教育のあり方に示唆を与える。<読む前の大使寸評>いじめは世界的に見られるようだが、均一民族でもある日本の、更には社会人の価値観が不在ともいえる学校内のいじめは極めつけではないのか?とにかく先生と生徒しかいない治外法権の世界であり、教育委員会は問題解決より先ず隠蔽を優先する有り様である。rakuten教室内カースト***************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本次回の読書面(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)朝日デジタルの書評から10朝日デジタルの書評から9
2013.03.27
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<図書館大好き27>今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「手当たり次第」でしょうか。なお、「峠」1は前回からの延長借り出しです。(3回延長したが、進んでいません)<市立図書館>・アランの戦争・母の発達、永遠に・「峠」1<大学図書館>・原色の街・里山のことば・仕事と暮らし/士農工商図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【アランの戦争】エマニュエル・ギベール著、国書刊行会、2011年刊<内容紹介より>ある日、ギベールはひとりのアメリカ人、アラン・イングラム・コープと出会い、親交が始まる。アランの戦争体験を聞いたギベールはバンドデシネにすることを申し出る。ギベール30歳、アラン69歳のときだった。生涯を大きく決定した戦争体験という青春の日々――訓練で出会った戦友たち、フランス・ドイツ・チェコへの行軍で知り合った人びととの交友――を振り返るアランの人生が、淡々と、ユーモラスに彩られていく。管制された筆致で、戦争のなかの日常に記憶がアランの声とともに再生し、見事に結晶化された、戦争バンドデシネ作品の傑作。 <大使寸評>映画「プライベート・ライアン」のように、ヨーロッパを転戦する物語である。主人公アランがわりとインテリで、とぼけたところもあり…面白いバンドデシネになっています。Amazonアランの戦争【母の発達、永遠に】笙野頼子著、河出書房新社、2013年刊<内容紹介より>至極の笙野ワールド、極まる! ダキナミ・ヤツノが再び・・『母の発達』から17年、ついにファン待望の続編が刊行。最新作「猫トイレット荒神」が「母の発達」とどう繋がるのか、必見。<斜め読みした大使評>至極の笙野ワールドとのことであるが…この手の物語は筒井康隆でさんざん読んできたので驚きはしないけど、手当たり次第の今回の借りだしは珍しく外れでした。Amazon母の発達、永遠に【原色の街】荒木経惟著、新潮社、1992年刊<「BOOK」データベースより>その夏、大阪は原色に熟れていた。嘘とマコトが危うく交叉する写真純愛物語。<大使寸評>アラーキーの見た大阪はどんなやろ?ややエロっぽいが、ええでぇ♪Amazon原色の街【里山のことば】今森光彦著、世界文化社、2006年刊<「BOOK」データベースより>大切なあなたに伝えたい!美しい里山と美しい日本語。里山の四季の移ろいを季節の呼び名で綴る、ファン待望の一冊です。厳選された100枚の写真と季節のことばが心にしみる。見て、読んで、感じる、フォトエッセイ集。<大使寸評>琵琶湖沿岸の里山の写真がきれいです。著者の資質が表れていると思うが、自然に対する目線が優しいのです。Amazon里山のことば【士農工商/仕事と暮らし:太陽コレクション】ムック、平凡社、1979年刊<内容紹介より>古書なので、ネットにデータなし目次<読む前の大使寸評>ゼロサム志向の米中に押されて、やや形勢が良くないけど・・・日本人の気質をもっともよく表しているのが、職人気質だと思うのです。江戸期、明治期の職人について、見てみましょう。【「峠」1】司馬遼太郎著、文藝春秋、1972年刊<「BOOK」データベースより>古書につき、データ無し。<読む前の大使寸評>司馬遼太郎の紀行文などはよく読んだが、大作小説を読むのは、「竜馬がゆく」以来で約半世紀ぶりではないだろうか(そんな大仰な)Amazon「峠」1*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。3/13図書館大好き263/03図書館大好き25
2013.03.26
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<お花見計画やで>ユキヤナギは満開、ハクモクレンは散り始めたが・・・・標高が高いドングリ国のサクラはまだ蕾である。全国的には、今年のサクラの開花は観測史上2番目の早さだそうですね。例年この時期は近場の花見となるが・・・琵琶湖疎水沿いがわりと好きなのである。・・・で、イラチの大使は開花予想を見ながら、花見計画を目論むのである♪2013年「第三回桜開花予想」を発表より開花時期は、寒気の影響で開花が遅かった昨年と比べると約1~2週間も早まった。すでに開花した名所では、平年(過去5年の平均)よりも約8日早い開花を迎えている。今後もしばらく平年よりも気温が高い日が続くため、開花はあっという間に進み、都心や九州などすでに開花を迎えたエリアでは、春分の日水曜日から今週末が見頃のピークとなりそう。今年の桜は見頃時期が短くなるため、花見は早めに計画を立てた方が良いとしている。ちなみに、近年のお花見実績を日記から探してみると・・・・2012.4.14 夙川堤防2011.3月末 四国西南部2010.4.4 芦屋川堤防2009.4.11 奈良、飛火野2008.4.2 釜山:釜山のサクラ 2008.4.6 山之辺の道
2013.03.24
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<中国の破壊力>本屋で「中国の破壊力:エコノミスト3月26日号」を手にして立ち読みしていたところ・・・・例のやまいが出て、また衝動買いをしてしまったのです。20日の報道によれば、太陽電池大手のサンテックパワーが破産したとのことであるが、中国の破壊力にも陰りが見えるのではないか?♪特集の巻頭が「制御不能の巨象」とあるが・・・これが破壊力なのか?制御不能の過剰投資がもたらす破壊力があるそうで、サンテックパワーの破産は、この破壊力による自業自得だったようです(笑)だけど、世界第2位の新日鉄住金は、この破壊力に太刀打ちできるのだろうか?(笑っている場合ではないのかも?)、【中国の破壊力:エコノミスト3月26日号】雑誌、毎日新聞社、2013年刊【第1部目次】 ・日本の常識は通じない「制御不能の巨象」中国■金山隆一/緒方欽一・巨象の頭脳:現代中国「知的エリート層」 その厚みとスケールを知る■紺野大介<脅威の実態>・1 情報通信機器:米議会は危険視も売上高で世界一の華為技術■中川涼司・2 サイバー攻撃:サイバー戦の能力は世界最強■山崎文明・3 軍事力:海軍拡充の根底にある建国理念 ■川中敬一・4 官僚組織:国家発展改革委員会はウルトラ官庁だ ■田代秀敏・5 国有企業:「世界の大企業500社」に42社 国家資本の中央企業■北村豊・6 マネー:安定感を誇る人民元 カナダ州政府も点心債 ■田代秀敏・7 メコン制覇:陸のASEANと中国結ぶ鉄路と軍備“熱帯への進軍”■樋泉克夫・8 華人移民:世界に8000万 中国こそグローバル化の最大受益国 ■樋泉克夫【第2部 全人代後の中国の景気と経済】目次 ・8%台達成確実も難題山積 ■李雪連・地方政府:要注意の投資ブーム再燃と賃金引き上げ ■齋藤尚登・不動産神話:住宅価格抑制策を導入も資金流入は止まらない ■西胤智・庶民に燻る不満:年間20万件と暴動多発もつながりに欠ける民衆パワー■北村豊・楽観は禁物:深刻な4兆元対策の後遺症 高度成長は終わった ■津上俊哉【特集:韓国「クネノミクス」を読む】・雇用を増やす、守る、高める「ヌルジオ」が経済復興策の軸 ■向山英彦・韓国経済の実像 円安に喘ぐ韓国 日本も一蓮托生 ■嚴在漢<大使寸評>特集の巻頭が「制御不能の巨象」とあるが・・・これが破壊力なのか?制御不能の過剰投資がもたらす破壊力があるそうで、サンテックパワーの破産は、この破壊力による自業自得だったようです(笑)世界第2位の新日鉄住金は、この破壊力に太刀打ちできるのだろうか?(笑っている場合ではないのかも?)mainichiエコノミスト:3月26日号目次サンテックパワー破産のニュースです。3/20中国太陽電池大手が破産 欧米との貿易摩擦響くより 経営難に陥っていた中国の民営太陽電池大手、尚徳電力(サンテックパワー、江蘇省)が破産した。中国国営の新華社が20日、地元裁判所が法的整理の手続きに入ったと伝えた。同社は2010年に世界シェアトップに立ったこともある。欧米との貿易摩擦などで販売が低迷。供給過剰による価格下落で資金繰りが行き詰まった。 新華社によると、サンテックに資金を貸し出す中国工商銀行など9行が18日、サンテックの破産処理を申請、無錫市中級人民法院(地裁)が20日受理した。9行の2月末時点の与信枠は合計71億元(約1100億円)。銀行側は債務返済が滞るなか「債権者の権利を最大限保護するには法的整理が必要」と主張している。 サンテックには15日に満期を迎えた5億4100万ドル(約520億円)の転換社債もある。海外の投資家など6割の債権者が5月15日まで支払い猶予を認めたが、一部の債権者は「契約通りに償還されなかった」とサンテックに速やかな対応を求めていた。 サンテックはオーストラリアの大学で太陽電池を研究していた施正栄氏が中国で01年に創業。積極的な設備投資で規模のメリットを追求、価格競争力を高めてきた。だが、割安な中国製太陽電池を巡り、欧米との貿易摩擦が激化。主力市場での販売が落ち込み、サンテックも11年4~6月期から最終赤字に陥っていた。我が蔵書録の中国関連を見てみると・・・最近とみに怒りの衝動買いが見られるようですね(笑)・中国の破壊力:エコノミスト(2013年)・おどろきの中国(2013年)・中国は東アジアをどう変えるか(2012年)・「無法」中国との戦い方(2012年)・2014年、中国は崩壊する(2012年)・2013年の中国を予測する(2012年)・日中もし戦わば(2011年)・中国化する日本(2011年)・中国ビジネス2012(2011年)・「中国の弱点」整いました:SAPIO(2010年)・ほんとうは日本に憧れる中国人(2005年)・やがて中国の崩壊がはじまる(2001年)・台湾人と日本精神(2001年)
2013.03.23
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<ロボットあれこれ>先日放映された「NHKスペシャル:ロボット革命」を興味深く、拝見したのです。日本が牽引してきたヒューマノイド型ロボットであるが、ここにきて米国防総省が「ロボティスクチャレンジ」を開催するとのこと。日本のロボットもガラパゴス化するのかと気に病むのである。ということで、この際、ロボットについて集めてみました。・NHKスペシャル:ロボット革命・ロボットの話が続きます・軍事ロボット「NHKスペシャル:ロボット革命」で米国防総省の「ロボティスクチャレンジ」が紹介されていたが・・・・アシモの登場でヒューマノイド型ロボットを牽引してきたホンダが、このチャレンジに乗らないことを表明しました。また日本の大学は軍事が絡む研究は行えないようですね。日本のロボット研究は専ら「非軍事用」として、自らを縛る規制が素晴らしいではないか。ただ、この規制は世界の常識からややずれていて・・・日本のロボットがガラパゴスに陥る危惧も無きにしもあらずのようです。韓国がダボハゼのように、ロボット研究で追い上げている様がこの番組で紹介されていたが、サムスンの例があるように馬鹿にできないようです。(ほんとに節操の無さには、イラッとするが)Nスペ:ロボット革命より日本は世界をリードする「ロボット大国」と言われて来ました。家電や自動車業界で“ものづくりニッポン”のかつての勢いが失われつつある中で、ロボット産業は現在も世界一位の座にあります。しかし、現実には研究開発費がどんどん削減され、世界に誇るロボット工学はあと数年でアメリカに抜かれてしまうと言われています。<こんなに違う日本と世界のロボット事情>ロボットと言われて、人型をすぐ連想するのは日本人だけだそうです。また、ロボットを友だちだと考えるのも日本人だけ。海外ではそうした考え方に違和感を覚えると言われています。なぜ日本人はロボットに対して親近感を持つのか。それは「鉄腕アトム」から始まるロボットを主人公とした漫画やアニメが日本の子どもたちに愛されて来たから。アシモを開発したホンダも、当初はアトムを目指してロボット開発を始めたのです。このように日本では独自の文化から端を発し、人型ロボットの開発が盛んになりました。しかし、長引く不況によって日本の研究開発費はどんどん削減されてしまいました。その一方、アメリカでは豊富な資金を持つ国防総省が、災害用ロボットの開発に資金を提供する 「ロボティスクチャレンジ」を開催。世界各国の研究者たちが競い合いながらヒューマノイドの開発を進め、これまで培って来た軍事用ロボットや人工知能のノウハウを集結して、猛烈な勢いで日本を追い上げています。 ロボット映画といえば、ヒューマノイド型ロボットの独壇場と言えるほどで・・・・大使の一押しは「ブレードランナー」のレイチェルになるのだが、「A.I」のデイビットも忘れがたいので、以前の日記から復刻してみます。ロボットの話が続きますよりロボットの話が続きます。といっても映画「A.I」の感想なんですが・・・・愛情を持つ人工頭脳(A.I)とは、ロボットが追い求める夢とは・・・SFそのものです。少年型次世代ロボットであるデイビットをロボット会社の従業員夫妻が引き取った。彼らは不治の病に冒された実の子供を冷凍保存してあり、デイビットはその代わりだった。母親を永遠に愛し続けるようプログラムされたデイビットだったが、まもなく実の子供が最新の医学で生き返り、あっけなく捨てられてしまう。そして、ピノキオのようなデイビットの旅が始まる。・・・人類が絶滅したあと進化したロボットが、氷結した海の中からブルーフェアリーとデイビットを発掘するところが、「2001年宇宙の旅」で描かれたように月でモノリスを見つけた人類という設定に似ていて、スタンリー・キューブリックとの繋がりが感じられます。ブライアン・オールディスの「スーパートイ」をもとにスタンリー・キューブリックは映画「A.I」を作り始めたが、お二人の仲たがいで完成には至らなかったようで・・・キューブリックの没後にスピルバーグが後を引き継いで「A.I」が世に出ました。キューブリックの「A.I」を見てみたかった気もするが・・・・スピルバーグの「A.I」もこれはこれで・・・良かった。ロボットが2000年の時を経て、夢を追うという筋立ては手塚治虫の火の鳥を彷彿させるが、「ET」を作ったスピルバーグの感性はこの映画にむいているかも知れませんね。ところでデイビットの家の欄間もガラス窓もなにがしか日本風にできているが、黒澤映画に憧れたスピルバーグの作品には日本がでてくることがよくあります。「太陽の帝国」ではゼロ戦パイロットに憧れる英国少年が出てくるし、ジュラシックパークはゴジラから着想したらしいし、もしかしたら「A.I」には鉄腕アトムが影響を与えているかもしれない。この映画のなかにピノキオの挿話は出てくるが、デイビットの夢を追いかける遍歴そのものがピノキオのお話とダブっていて心憎い演出です。ジュード・ロウ演じるジゴロロボットの手引きでセックスシチィに出かけることになるが、ピノキオのお話でも似ているシーンがあったかな?海に沈んだ遊園地でデイビットがブルーフェアリーの像を見つめて2000年の時がたつというのが、壮大でいいですね。人類が絶滅したあと、人類の記憶そのものとも言えるデイビットを未来のロボットが丁重に扱い、健気なデイビットの夢をかなえてあげるのが泣かせます。つねづね思うことだが、おとぎ話は究極のSFではないかということです。誰か かぐや姫をSF仕立ての映画で作ってくれないものだろうか。A.Iオールディスへのインタビューところでオールディス翁はジョージルーカスのスターウォーズを次のように批判しています。目からうろこですね。西洋=肉体。東洋=精神という陳腐なクリシェにまんまと観客は引っかかった。このトリックでルーカスは人殺しの道具に他ならないフォースの実態を隠し、心の問題へのすり替えに成功したんだ。それは教育ではなくZENであり、訓練ではなく修行だった。主人公の努力は描かれるが、それらはアメリカ人の記憶に見当たらない、追体験が出来るものでもない。つまりは観客に努力の気分だけを味わってもらうための座興に過ぎない。おまけにそれらはヒューマノイドタイプの教官ではなく、導師であるヨーダによってなされるのだ。SWのヒットはアメリカ人の精神がどれだけ脆弱になっているかという証拠でもあるね。彼らはフィクションの中でさえ辛さをリアルに味わいたくないんだよ。 中国が無人機の開発を進めているようだが、たぶん行く行くは尖閣沖にも投入されるのではないかと気になるのです。で、wikipediaから「軍事用ロボット」を抜粋して紹介します。wikipedia軍事用ロボットより本項では、関連する以下に類されるものについても説明する。・戦闘ロボットないし戦闘用ロボット:直接的な戦闘行為に参加するロボット ・ロボット兵器や無人兵器:高度化され自動化・知能化された兵器 <現用兵器>現在、世界の先進国では人的被害を避けるために無人兵器・ロボット兵器の類が数多く研究・開発されている。代表的なものとしては、無人偵察機、地雷処理車、爆弾処理車、無人潜航艇などで、いずれも危険度の高い任務を人間に代わってこなすことを求められている。特に、アメリカでは、ベトナム戦争の人的被害の大きさから国民に厭戦気分が蔓延し、最終的に撤退してしまったという教訓から、この分野に熱心である。アフガニスタン攻撃やイラク戦争、その後の治安安定化作戦に於いて、数々の無人兵器を実戦投入し、効果を挙げている。人間が無線で操縦するものが多いが、無人偵察機グローバルホークのように、高度なAIを搭載し、自律行動するものもある。その一方で、戦場等での物資・人員輸送も無人化が研究されており、米国国防総省高等研究計画局(DARPA)主催のロボットカーレースが行われているほか、ビッグドッグと呼ばれる四足歩行ロボットは、不整地の物資輸送に期待が持たれている。<無人機による攻撃>無人機MQ-1 プレデターMQ-1 プレデターなど武装した無人航空機が世界で数多く登場しており、アフガニスタン紛争、イラク戦争などで実戦投入されている。主な任務は対地攻撃だがイラク戦争では有人機との空中戦に用いられたケースもある。近年、攻撃能力を持つ無人機がアフガニスタンとパキスタンでのターリバーン、アルカイーダ攻撃に参加しており、2009年8月にベイトゥラ・メスード司令官、2010年1月にはハキムラ・メスード司令官の殺害に成功しているが、誤爆や巻き添えによる民間人の犠牲者が多いことが問題となっている。これは無人機操縦員の誤認や地上部隊の誤報、ヘルファイアミサイルの威力が大きすぎることなどが原因となっている。ヘルファイアミサイルの問題に関してはより小型で精密なスコーピオンミサイルを採用して対処することになっている。<コントロールとコンピュータ >アメリカ陸軍のフューチャー・フォース・ウォーリア。遠隔操作対象が高度化する一方で、この軍事用ロボットから送られてくる様々なデータを処理するため、操作者側のコントローラーもコンピュータで自動化・効率化が為されており、自動操縦の指示などはこのコンピュータに予めデータを与えることで運用可能であり、特に実用化されている軍事用ロボットでも地上偵察用では、戸外でも使えるよう防水・防塵仕様のノートパソコン程度のコンピュータに無線送受信機を接続して利用する形態が見られる。また歩兵の将来像としてウェアラブルコンピューティングにより高度に情報化された歩兵が想定されており、この歩兵が備えるであろうヘッドマウントディスプレイを介して偵察ロボットを操作することも実際の方向性として進められており、この場合においてロボットのオペレーターは家庭用ゲーム機のゲームコントローラのようなものを操作することが考えられている。すでに実用化された無人偵察機の場合では、複数のモニタを備えた操作席に座ったオペレータが、衛星回線経由で米国の軍オフィス内から遠隔地のロボットを直接操作することも可能となっている。
2013.03.22
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・中国の強国構想・いきのびる魔法中華の民とは反戦の想いを共有したいところであるが・・・紛争を煽る中国共産党には困ったものです。さっそく、図書館に借り出し予約するのもいいかもね。********************************************************************************中国の強国構想より<論争から自己認識の変容活写:渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学) > 北京で生まれ、東大に学び、現在、早大で教鞭を取る著者は、冷静かつ公平な日中関係史の研究で定評がある。 第一次安倍内閣で「日中友好」から「戦略的互恵関係」へと再定義された日中関係だが、目下、国交正常化以来、最悪の状況にある。しかし、著者によれば、江戸時代以来の400年間のうち、関係が平穏だったのはせいぜい正常化直後の20年間程度だという。 日清戦争での敗北以後、強国の再建を夢見た近代の中国にあって「日本」は常にその自画像や国家構想を揺さぶる存在だった。 著者は義和団事件や辛亥革命、汪兆銘や蒋介石をめぐる中国国内の論争を手掛かりに、その自己認識と歴史認識の変容を活写する。特に「普遍的価値」と「中国モデル」をめぐる論争が面白い。 こうした他者への内在的理解を欠くとき「如何なる外交策も誤解の温床になり得る」のだろう。 1930年代と酷似しつつある日中対立への警鐘としたい。 ◇劉傑著、筑摩書房、2013年刊<「BOOK」データベースより>日清戦争での敗北以来、中国は強国としての再建を悲願としてきた。中国人が抱いた国家構想の傍には常に日本の存在があり、両国の相互作用の変遷を理解せずに、我々は今日における歴史問題や領土問題の意味を掴むことはできない。本書では、近年、変貌を遂げつつある中国の近代史観を分析しながら、中国を突き動かしてきた歴史の論理とその行方について考察する。 <読む前の大使寸評>江戸時代以来の犬猿の仲なのか・・・国の規模が違っているにしろ、これは文明の衝突としか言いようがないようですね。共産主義というドグマを得た漢民族が、領土拡張方針を見直すことは考えられないので・・・周囲の辺境国は一致団結して防衛策をとるしかないようです。まったく、4千年の歴史を持つ“困ったちゃん”と言うべきか。rakuten中国の強国構想いきのびる魔法より<胸に響く「うつくしいのはら」:横尾忠則(美術家)>表題作は学校に行くといじめられるので嘘をついてでもずる休みをしなさいと作者は反道徳的に子供をあおる。でないといじめられて自殺することになるよと。16歳まで待てば社会に出て働ける。働けば自由になれる。「自由は有料です」と作者は言う。ただでは手に入らないのだと。 かと思うと並録の「うつくしいのはら」では、やたらと学校へ行けとうるさい。字をおぼえれば世の中のことが理解でき「商売ができ」て人に食べ物を与えられなくても働いて食べていけるからだ。 ――と判断した若者は戦争に行き、そして外地で戦死してしまう。野原で腐乱死体になった若者を見つけた一人の女の子はこの男と語り合う。彼は「海のむこうのくにから」来てここで殺されたと言う。食べものをもらって家族を養うのは屈辱的だから兵隊になって稼ごうと思った。 でも死んだ「今のほうがもっとみじめじゃないの?」と問う女の子に、男はこの方が青空しか見えなくて「らくちん」だと答える。彼女が死体を埋葬したら次の年にそこから空豆の木が生えた。そして何年かが経った頃、その空豆が彼女のお腹に宿って可愛い赤ちゃんが生まれた。この子供は「あの時の兵隊さん」であることを彼女は本能でわかっていた。 母親になった女の子は子供の頃、親に言われたように息子に「字をならいなさい」と言う。そんなある晴れた日戦争が起こり、お母さんは死んでしまった。そんな死んだ母が、「今日はどんな字をならってきたの?」と息子に聞く。 「うつくしいのはら」という字を習ったと答えた男の子は成長して軍隊に入り、そして美しい野原の中で敵の銃弾で死ぬ。そして死んだ彼は先に死んだ母と野原の中で対面する。母は「次にうまれて人になるために一つでも多くの言葉をおぼえましょう」と息子を励ます。何度読んでも胸に響く純文学的漫画絵本だ。 ◇西原理恵子著、小学館、2013年刊<内容紹介より>西原理恵子のマンガ絵本シリーズ第1弾 朝日新聞に掲載されて評判となった「いじめられている君へ」への寄稿文を絵本化しました。オールカラーの絵本です。西原理恵子氏の最高傑作「うつくしいのはら」も収録。「人生画力対決」最新第5集と同時発売。 <読む前の大使寸評>西原の原作はもちろんだが、横尾忠則さんの書評もいいですね。「うつくしいのはら」からはフォークソングの「花はどこに行った」にも通ずる、輪廻転生と反戦の思いが伝わってきます。西原と鴨ちゃんにちなんで、花はどこへいったを紹介します。ちなみに、西原理恵子の本はドングリ国の国定図書となっております。rakutenいきのびる魔法***************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本次回の読書面(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)朝日デジタルの書評から9朝日デジタルの書評から8
2013.03.21
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四国の田舎から、神戸に帰ってきました。今回はお彼岸の墓掃除がメインの短期帰省だったので、父母の具合を見たり、親戚にお土産を渡したり、友人との会食、カラオケに繰り出すとか・・・・ネットカフェで日記更新する暇も無かったわけでした。田舎では昨日の陽気でサクラは見頃となり、咲き始めたレンギョウ、モクレン、カイドウ、ユキヤナギ、ミツバツツジ、それに残っている梅、桃とあわせて北国の春みたいな有様でおま♪・・・・ちょっと季節が狂っているというか、まあ綺麗で良かったけど♪ところで、図書館で借りた「日本沈没第二部」を読んでいるけど・・・東日本大震災、尖閣沖紛争の前に書かれているのに陳腐さが見えないのは、著者の感性が時代を先取りしていたことを証明しています。【日本沈没第二部】小松左京×谷甲州著、小学館 、2006年刊<商品の詳細説明より>空前のベストセラー『日本沈没』の33年ぶりに発表された続編。日本列島の消失で全地球規模の天変地異が起こり、各国に「移民」した日本人も非難の声にさらされる。技術を武器に世界の危機に立ち向かう日本人。<大使寸評>日本が沈没した後に白山山頂が白山岩礁として残り、日本の唯一の領土であったが・・・漢民族にとっては、資源開発のために奪取すべき拠点でしかなかった。日中紛争が差し迫るなか、ナショナリズムに振れる大使であるが・・・ 「ディアスポラ」を読んで以来、“国土なき後の日本人”というテーマに惹かれるのです。国土を喪失しても、あうんの呼吸で責任感を保って行動するなど、日本人に刷り込まれたた気質は、いつまで続くのか?日本人のアイデンティティとは?・・・沈没した日本列島区域を中国の海洋調査船が武装して遊弋しているが・・・小松の見る世界は政治・戦略に裏打ちされています。この本は執筆チームで構想を練り、谷甲州がメインで執筆したようであるが・・・東日本大震災の前に、このような天変地異と日本の漂流をイメージする小松の作家魂が若々しいですね。日本沈没により、国土を喪失したあとの日本人がメガロフロートを建設し、そこで自活する場合、基幹産業は何になるか?、海水淡水化設備の維持は可能か?、日本人の活動を阻む勢力とは何か?・・・・第3章は、竹島岩礁に翻る五星紅旗の旗で終わるが・・・さて世界各地の日本人難民の行く末は?小松は中国の膨張戦略や兵法について、現在の尖閣沖紛争を見てきたような洞察を示しているが・・・・彼らの思考回路は今後も変わることはないのかと、ドッと疲れてくるのです。また、日本人が難民になった場合、現状の新疆に対する冷酷な仕打ちを見る限り、中国共産党は頼りにできないことを覚悟しておく必要はあるようですね。とにかく、この小説のテーマの立て方はかなり専門的で・・・言わばポリティカル・フィクションとも言うべきSFなんでしょうね。この物語は、高齢の小松がチームを組んで紡いだが・・・・物語の仕上げにはちょっと時間切れの感もあり、これも人生なんでしょう。合掌。rakuten日本沈没第二部国土なき後の日本人byドングリ 「アパッチ族」アンソロジーちなみに、カラオケ飲み屋で練習したレパートリーをメモしておきます。長崎は今日も雨だった、さそり座の女、港町ブルース、釜山港へ帰れ、何日君再来、長崎ブルース、ルビーの指環・・・見事なまでのナツメロでんな♪
2013.03.20
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今日から20日まで四国の田舎に帰省します。例のとおり、デジタルデバイドの地なので、日記更新もままなりません。公民館も図書館もセキュリティを強化したので、書き込みできないので・・・ネットカフェか友人のパソコンに頼ることになるでしょう。ところで、昨晩のニュースウォッチ9に安部さんを登場させたNHKであるが、キャスターはもっと厳しく迫ってもらいたいものだ。(残念ながら、ちょーちん放送でしたね)日本の田園風景、国民皆保健を賛美しながら、TPP参加だって・・・・論理が狂っている、アホやで。TPP参加反対の輪24
2013.03.16
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MBSが「昨夜のシンデレラ」という番組を毎夕刻に流していて、暇な大使も見るとはなく見ているけど・・・・終電近くに、ご機嫌で練り歩く呑んべに飲み屋情報とか、業界の景気とかインタビューする番組で、こういう番組を作るアホさ加減には、ほとほと大阪やな~と思ったりします♪ここでクイズ。釜山、ダブリン、大阪の共通項は何か?・・・・一概に言えないかも知れないが、いずれも首都とか宗主国にコンプレックスを持ち、反体制で・・・・夕刻ともなるとノミニケーションに励むわけで、呑みっぷりがええでぇ♪wikipediaちちんぷいぷいの企画一覧より <昨夜のシンデレラ> 2009年3月、JR西日本がダイヤ改正で終電(最終電車)を早めた事を受けて、「☆印」で歓楽街の様子は変わるのかが話題になった。終電の12時前後に駅に駆け込む様子をシンデレラになぞらえ、久しぶりに大阪の夜を取材する事になった。4月改編から「昨夜のシンデレラ」に改題したうえで、15:55からレギュラー放送を復活。関西ローカル放送に戻った2010年4月以降も、16時前後で放送を続けている。2012年4月には、当コーナーからの派生企画として、「昨夜の○○」(○○にはメインパーソナリティの名前が入る)を本編のオープニングで連日放送(後述)。当コーナーも、同月24日(火曜日)の放送で、「昨夜の○○さん」からの通算放送回数が1000回に達した。「昨夜のシンデレラ」の面白さはyoutubeで見られるので、興味ある方はそちらの方をご覧ください。それから、「ちちんぷいぷい」を取り仕切る西キャスターのキャラクターもええでぇ♪イケメンなのに、なぜか今だに独身で・・・おばちゃん連中の受けもいいのに、何故なんでしょうね。(額が後退しないうちに、誰かいい縁を探してあげてほしいものだ)冗談はさておいて、大阪がキー局のお奨め番組と言えば、大使の場合・・・1に「探偵!ナイトスクープ」で、その次あたりが「昨夜のシンデレラ」になります。それから、ぷいぷいファミリーの中では金曜日放映の酒井藍ちゃんの体験レポートが、ええでぇ♪太っているけど、面白くて賢い、なかなかの大物やで!ちちんぷいぷい出演者紹介「探偵!ナイトスクープ」の世界
2013.03.15
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日曜日の朝日新聞に「ニュースの本棚」という書評欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のテーマは「3.11から2年」です。*************************************************************************「3.11から2年」上丸洋一さんが選ぶ本より■目を向けるべき現実とは 「今、原発に伴うリスクについて、情緒的な議論がなされていますが、あらゆる文明の利器にはリスクが伴います」 「日本は(原発を)輸出することによって、技術が練磨されると思います」 雑誌「原子力文化」(日本原子力文化振興財団)の今年1月号に掲載された対談の一節だ。 〈3・11〉から2年。 まるで何事もなかったかのように原発を語る人がいる。 現実的には原発を維持するしかない、現実的であれ! しかし、多くの人々が放射能に追われて避難している現実、真夏も真冬も電気が足りた現実、いつまた大地震が起きてもおかしくないのが日本列島だという現実……には、なぜかあまり目を向けない。震災と原発事故の現実を語る本は、読み切れぬほど出ているというのに。 被災地から東京へ避難してきた人たちを支援する弁護士らの団体「東京災害支援ネット」(略称とすねっと)が発足したのは、震災発生8日後の3月19日。『3・11福島から東京へ』は、その貴重な活動記録だ。 ボランティアを避難所に入れまいとする東京都。原発近くの町村から避難してきた人に、住民票がないとの理由で、けんもほろろの対応をする東京電力。「何の落ち度もなく何の利益も得ていない」人々が負わされる「避難」という苦役の現実を明らかにする。避難は人権である。その視点が社会に欠落していることを本書は教えている。■海の向こうにも 人々が放射能に苦しむ現実は海の向こうにもある。米国は中部太平洋マーシャル諸島で、1946年から58年の間に、実に67回もの核実験を繰り返した。 第五福竜丸などが被曝した54年のビキニ環礁での水爆実験では、近くのロンゲラップ環礁の住民が被曝し、別の島に移された。米国の安全宣言を受けて57年に帰島したものの、健康被害が多発し、85年に再移住した。 『放射能難民から生活圏再生へ』の著者中原聖乃は15年来、島の人々と生活を共にしながら調査してきた文化人類学者だ。島の住民が、超大国米国と渡り合って、再生に向け、どう生き抜いてきたか。私たちに多くの示唆を与える。中原と竹峰誠一郎の『核時代のマーシャル諸島』(凱風社・2520円)、島田興生・渡辺幸重『ふるさとはポイズンの島』(旬報社・1575円)も理解を助ける。■星空を忘れない 太平洋に面する宮城県女川町では、町民の1割近い827人が津波の犠牲になった。高台にある女川第一中学の生徒約200人は、2011年5月と11月に俳句の授業を受けた。季語にはこだわらず、五・七・五と指を折った。 句を読ませてもらった朝日新聞記者小野智美は、生徒のもとを訪ね歩き、その話に耳を傾けた。『女川一中生の句 あの日から』は、同紙宮城版の連載がもとになっている。 町は津波で壊滅した。生徒の一人は、こう詠んだ。 〈見たことない 女川町を 受けとめる〉渡邉佳菜絵 母を亡くした生徒は??。 〈逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて〉佐藤あかり 母と祖父母の4人家族だった少年は、あの日の深夜、町の体育館の外に出て空を見上げた。 1週間後に母が、5カ月後に祖母が見つかった。 〈忘れない あの日の夜の 星空を〉佐藤亮太 過酷な現実と向きあい、「必死になってたどり着いた言葉」(佐藤敏郎教諭)が胸を打つ。 ◇じょうまる・よういち 本社編集委員 55年生まれ。『原発とメディア』<大使寸評>阪神大震災を体験した者として、「2年もたって復興しないとは、役人たちの棄民政策か?」と思ったりする。首にならない役所で2年とはあまり意味を持たないかもしれないが、被災者の生活感覚に諦めが入りかねない遅れである。**************************************************************【引用書籍:3.11 福島から東京へ】東京災害支援ネット〈とすねっと〉著、山吹書店、2013年刊<「BOOK」データベースより>3・11のあと福島から東京に避難してきた人びとは着の身着のままでほとんど何も持たずしかし、避難所に用意されていたのはパンと水だけだった。さらにつづく避難区域指定による差別、二重生活の苦労、被曝の不安…。 rakuten3.11 福島から東京へ<asahi.comのインデックス>ニュースの本棚(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)
2013.03.14
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・おどろきの中国・カウントダウン・メルトダウン中国の脅威と原発事故の影響で日本が変わり始めているのは確かであるが、いい方向に変わるのを望むばかりです。さっそく、図書館に借り出し予約するのもいいかもね。********************************************************************************おどろきの中国より<西洋を標準とせずに見る:加藤出(エコノミスト)> 中国に進出している日本企業の数は3万社に近いと言われる。米国進出企業の5倍弱だ。本来、隣接する名目GDP(国内総生産)世界2位と3位の国が良好な関係を保つことは、お互いの大きな利益になる。また、欧州大陸の例にもあるように、経済関係の深化は最大の安全保障になり得る。 しかし、頭でそれが分かっていても、中国を理解することは非常に難しい。中国でビジネスを行ってきた人ですら戸惑っている。本書はその理由を、「われわれが、社会や文化を理解するうえでの基本となる理論や枠組みが、学問のレベルでも、また常識のレベルでも、西洋を標準としてきた」からだと主張する。 中国を「ディープ」に旅行してきた3人の社会学者による熱い鼎談(ていだん)で本書は構成されている。「陥りやすい勘違いや落とし穴など、目をつけるべきポイント」がテーマに選ばれた。「中国は『国家』なのか」「2千年以上前に統一できたのはなぜか」「日本人と漢字の関係」「なぜ近代化が遅れたのか」「日中戦争とはなんだったのか」「『社会主義市場経済』の衝撃」「民主化の可能性は?」等々である。 橋爪氏は、「中国の実際を日本人は知らなさすぎる」と述べている。その批判は耳に痛いが、本書には“目からウロコ”の議論が多数載っている。 ◇橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司著、講談社現代新書 、2013年刊<「BOOK」データベースより>そもそも「国家」なのか?なぜ日本人の「常識」は彼らに通じないのか?日本を代表する三人の社会学者が対症療法ではない視座を求めて白熱の大討論。 <大使寸評>この本の著者は、2011年のベストセラー「ふしぎなキリスト教」の社会学者カップルに宮台真司を加えた豪華な社会学者トリオになっています。で、漢民族の病理が解明できるのではないかと期待したわけです。(大使、動機が不純です)この本はすでに買って読書中であるが、朝日の書評も気になった次第です。rakutenおどろきの中国カウントダウン・メルトダウンより<日本的システムの崩壊克明に:保阪正康(ノンフィクション作家) >3・11時の東京電力福島第一原子力発電所の事故は、いつの日か当事者がどのように行動したのか、明確に記録されるべきであった。それは次代への誠実な申し送りともいえた。本書はその役を担った書である。 上下巻を一読したあとに、すぐに3点の読後感が浮かぶ。第一、事故の発端からひとまずの危機回避までを俯瞰(ふかん)。第二、当事者・関係者への濃密な取材でその言動、心理を克明に描写。第三、平易な記述でより深まる理解。この3点によって「同時代史の証言」となった。 本書によって改めて多くの事実を知る。つまるところ、「木を見て、森を見ることが苦手」な菅元首相、「言われたことを仕方なくやる組織文化」の東電など当事者たちの体質はいかにも日本的システムそのものだ。当時の自民党とて曖昧(あいまい)な情報をもとに政争を仕掛けるなど挙国一致体制などとうてい無理。1号機の水素爆発から始まり、その後の海水注入、3号機の爆発以下、2号機、4号機と危機が迫ってくるなかで、日本的システムが一気に雪崩を打ったように崩壊していく。 国民への情報発表、住民の避難をどの範囲に決定するか、その住民保護に苦悩する市町村長たちの怒りと涙、こうして現実が明らかになってくると、まるで太平洋戦争指導部の内幕に通じていると思えるほどだ。関東軍の体質を持つ東京電力、権力を振り回すものの現実を制御できない大本営に似る政府と政府関連の原子力機関。ルース米駐日大使ほかアメリカ側は、情報開示の不徹底に、「日本は支援される作法を知らないのではないか」と不満を漏らす。 その中で、東電の吉田昌郎元所長が示した勇気や決断、「日本のことは日本が守る」との主体性を自覚した若手の官僚、政治家たちの使命感は特筆に値する。2年を経てなお残る課題に、この使命感はなぜ生かされないのだろうか。 ◇船橋洋一著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベースより>「民間事故調」の調査を指揮した著者が被災地、官邸、米軍、ホワイトハウスと立体的な取材を継続。浮かびあがらせた「戦後最大の危機」の実相。 <読む前の大使寸評>福一原発事故の問題は、日本的システムの問題という評者の保阪さんには、まったくもって賛同するのです。保阪さんは「関東軍の体質」を引き合いにだして批判するが、関東軍追求の第一人者であるだけに傾聴せざるを得ないわけですね。大使も蛇蝎のごとく嫌うものとしては、「関東軍の体質」が筆頭に位置するのです(笑)rakutenカウントダウン・メルトダウン***************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本次回の読書面(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)朝日デジタルの書評から8朝日デジタルの書評から7文春図書館
2013.03.14
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「ノスタルジック日本」でしょうか。なお、「峠」1は前回からの延長借り出しです。(2回延長したが、進んでいません)<大学図書館>・路地の記憶・木彫に遊ぶ(創作市場13)<市立図書館>・日本沈没第二部・なぜ日本人は日本語が話せるのか・瀬戸内アートの楽園・「峠」1*************************************************************【路地の記憶】阿久悠×佐藤秀明著、小学館、2008年刊<内容紹介より>故阿久悠氏が最後に遺した「日本の原風景」大都市の路地、漁村の路地、港町の路地、工場町や古都の路地……。ライフワークとして路地を撮り続ける写真家佐藤秀明氏と作詞家の故阿久悠氏が、日に日に変貌する日本全国各地の路地の貌を追う「人生歌写真詞集」。<大使寸評>旭川、本郷、月島、金沢、岐阜、大津、鶴橋、小浜、松江、琴平、尾道、平戸・・・懐かしい路地の写真とノスタルジックなつぶやきがええでぇ♪猫と犬と老人と子どもを追い払ったのは誰だ・・・とのことです。Amazon路地の記憶【木彫に遊ぶ(創作市場13)】ムック、マリア書房、1999年刊<書籍紹介より>木の息吹が感じられる木彫作品と作家を多数掲載。リアリティ溢れる木彫の“現在”に出逢ってください。<大使寸評>この本には多様な木彫が紹介されていて、見て楽しい本である。木肌フェチともいえる大使のツボにヒットした本です。とにかく・・・東急ハンズで木切れを見るだけで嬉しくなるのです。(サヨカ)mariashobo木彫に遊ぶ(創作市場13)【日本沈没第二部】小松左京×谷甲州著、小学館 、2006年刊<商品の詳細説明より>空前のベストセラー『日本沈没』の33年ぶりに発表された続編。日本列島の消失で全地球規模の天変地異が起こり、各国に「移民」した日本人も非難の声にさらされる。技術を武器に世界の危機に立ち向かう日本人。<大使寸評>「ディアスポラ」を読んで以来、“国土なき後の日本人”というテーマに惹かれるのです。日中紛争が差し迫るなか、ナショナリズムに振れる大使である。 国土を喪失しても、あうんの呼吸で責任感を保って行動するなど、日本人に刷り込まれたた気質は、いつまで続くのか?日本人のアイデンティティとは?・・・沈没した日本列島区域を中国の海洋調査船が武装して遊弋しているが・・・小松の見る世界は政治・戦略に裏打ちされています。この本は執筆チームで構想を練り、谷甲州がメインで執筆したようであるが・・・東日本大震災の前に、このような天変地異と日本の漂流をイメージする小松の作家魂が若々しいですね。日本沈没により、国土を喪失したあとの日本人がメガロフロートを建設し、そこで自活する場合、基幹産業は何になるか?、海水淡水化設備の維持は可能か?、日本人の活動を阻む勢力とは何か?・・・・第3章は、竹島岩礁に翻る五星紅旗の旗で終わるが・・・さて世界各地の難民の行く末は?小松は中国の膨張戦略や兵法について、現在の尖閣沖紛争を見てきたような洞察を示しているが・・・・彼らの思考回路は今後も変わることはないのかと、ドッと疲れてくるのです。また、日本人が難民になった場合、現状の新疆に対する冷酷な仕打ちを見る限り、中国共産党は頼りにできないことを覚悟しておく必要はあるようですね。とにかく、この小説のテーマの立て方はかなり専門的で・・・言わばポリティカル・フィクションとも言うべきSFなんでしょうね。この物語は、高齢の小松がチームを組んで紡いだが・・・・物語の仕上げにはちょっと時間切れの感もあり、これも人生なんでしょう。合掌。rakuten日本沈没第二部国土なき後の日本人byドングリ【なぜ日本人は日本語が話せるのか】今井邦彦著、大修館書店、2004年刊<「BOOK」データベースより>「フランケンシュタインが本当に手に入れたかったものは人並みの容姿などではなく、まさしく人間のことばだった。彼は人間としてことばを交わしたかったのだ」。多才な言語学者が綴った謎と驚きに満ちた“言語ワールド”。 <大使寸評>言語障害と脳の関係、言語の起源、普遍文法、日本語は美しいか、ジョークはなぜ面白いか等・・・なかなか哲学的な本である。Amazonなぜ日本人は日本語が話せるのか【瀬戸内アートの楽園】秋元雄史著、新潮社 、2006年刊<「BOOK」データベースより>この島、まるごと現代アート!安藤忠雄設計の地中美術館、古い民家が作品に変身する家プロジェクト。美術館と一体となったホテル…。小さな島の世界的アートプロジェクトを完全ガイド。【目次】自然と歴史と現代美術(福武總一郎)/地中美術館/文化の島と見えない建築(安藤忠雄)/家プロジェクト/島民の時間を沈めた海(宮島達男)/古墳と神社のファンタジー(杉本博司)/屋外作品/島の人々と夢の記憶(大竹伸朗)/ベネッセハウス/安藤忠雄の直島ラフスケッチ/直島の歩き方<大使寸評>直島の地中美術館を見たいので、その下調べの意味もあり借りた本である。今や現代アートの直島として、世界に知られるまでになっているとか・・・そのうち行きたいのである。rakuten瀬戸内アートの楽園【「峠」1】司馬遼太郎著、文藝春秋、1972年刊<「BOOK」データベースより>古書につき、データ無し。<読む前の大使寸評>司馬遼太郎の紀行文などはよく読んだが、大作小説を読むのは、「竜馬がゆく」以来で約半世紀ぶりではないだろうか(そんな大仰な)Amazon「峠」1*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。3/03図書館大好き252/20図書館大好き24
2013.03.13
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<工学のノーベル賞>日本型携帯電話をいみじくも、ガラケーと呼ぶが・・・技術が優れていても営業戦略の拙さを自覚し、自嘲しているわけですね。自嘲している暇があれば、大法螺を吹いて売りまくれ!と言いたいところだが・・・・英語でのプレゼン下手がわざわいしているのかも。やや旧聞になるが、アメリカさんが、セルラー方式の生みの親とも言える奥村善久名誉教授を「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」の対象として選んだようです。工学の分野においては、どうしても日本の技術を顕彰しないとつじつまが合わないのでしょうね(笑)2/20日本人初の「工学のノーベル賞」より「工学分野のノーベル賞」とも呼ばれるアメリカの賞の受賞者に、携帯電話の実用化に貢献した金沢工業大学の奥村善久名誉教授が、日本人として初めて選ばれ、首都ワシントンで授賞式が行われました。「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」は、アメリカの研究機関「全米技術アカデミー」が毎年、実用的な技術の進歩や社会の発展に貢献した研究者に贈っている賞です。ことしの受賞者には、金沢工業大学の奥村善久名誉教授が日本人として初めて選ばれ、19日、首都ワシントンで行われた式典でメダルが授与されました。奥村名誉教授は、電電公社、現在のNTTの研究所で、世界で初めてとなる携帯電話が自動車電話として日本で実用化された際に使われた「セルラー方式」と呼ばれる技術の開発などに貢献したことが評価され、アメリカの研究者らほかの4人と共に、ことしの受賞者に選ばれました。この賞は、これまでにインターネットや光ファイバーの開発者など38人が受賞していますが、このうち4人がのちにノーベル賞を受賞しており、「工学分野のノーベル賞」とも呼ばれています。受賞について、奥村名誉教授は「携帯電話が、まさか子どもが持つほどまでに普及するとは思っていませんでした。自分の仕事に全力で取り組んだ結果、社会の役に立つ技術に発展したことは本当に光栄です」と話していました。<携帯電話実用化に大きく貢献>奥村名誉教授のグループが開発したセルラー方式は、携帯電話の実用化に大きく貢献した通信技術です。携帯電話が実用化される前、無線での通信は、1つのアンテナが出す電波を使って行われていたため、届く距離が限られ、通話できる範囲に限界がありました。ところが、セルラー方式では、広い地域を細かいエリアに区切ってその中心にアンテナを設置します。それにより、アンテナが出す電波が弱くても広い範囲で通話することができるようになりました。このエリアの区切り方が、生物の細胞のように見えることから、英語で「細胞の」という意味の単語を使い、セルラー方式と呼ばれています。ただ、このようなエリアを区切った通信では、同じ周波数を出すアンテナが近くにあると、お互いが干渉しあってうまく通信できないという問題がありました。この点、セルラー方式では近くのエリアの周波数だけ変えておき、離れたエリアでは同じ電波を繰り返し使うことで、限られた周波数で通信することに成功しました。さらに、奥村名誉教授の功績には、アンテナと携帯電話の間に建物や山などの障害物があった場合、電波の強度がどのように変わるかを調べたことにあります。これは「奥村カーブ」と呼ばれ、アンテナをどのような間隔で配置すれば携帯電話のサービスが成り立つのか計算する資料として、現在も日本のみならず世界中で使われています。日本では、こうした奥村名誉教授らが開発した技術を使い、今から30年余り前の昭和54年、世界で初めて自動車電話という形で携帯電話のサービスが始まりました。その後、現在に至るまで、セルラー方式は携帯電話事業の根幹をなす通信技術として、世界中で使われ続けています。しかし、日本で開発されたセルラー方式が世界に広がっていく一方で、日本の携帯電話の端末は、世界では徐々に売れなくなっていきました。これは、1990年代に日本が採用した周波数が世界の主流とは異なったためで、日本の携帯電話はワンセグやプリペイドなど、外国のものにはないさまざまな機能を持ちながらもシェアでは衰退の一途をたどりました。携帯電話の端末が独自の進化を遂げ、世界的な流れから取り残されたこの現象は、外界から隔絶されて生物が独自の進化を遂げたガラパゴス諸島になぞらえて、携帯電話の「ガラパゴス化」とも呼ばれています。奥村名誉教授の工学賞受賞と、その後の日本の携帯電話について、野村総合研究所上級リサーチャーの石綿昌平さんは「奥村さんの研究成果は、日本が携帯電話技術の分野で世界的にも進んでいると言わるようになる第一歩だった。しかし、その後、日本の携帯電話はガラパゴス化し、国内でしか受け入れられない端末が作られていったため、海外からスマートフォンが入ってくると、全く太刀打ちできなかった。今後、日本が世界で受け入れられる携帯電話を作るためには、奥村さんのように日本独自の革新的な技術を生み出すことに加え、その技術を世界に伝えていくことの両輪が必要になる」と話していました。自動車電話とか、ポケベルとか、当時、世界の最先端を走っていたが・・・とにかく英語のプレゼンが下手で、儲け損なったようです。いい技術だったんですけどね。
2013.03.12
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昨日は東京空襲記念の日、東日本大震災の2周年記念イブの日にあたり、追悼の日であったが・・・・・不謹慎だったかもしれないが、女子マラソンとWBCオランダ戦にかぶりつき、久々にスポーツ三昧の日となったのです♪☆先ず、名古屋女子マラソン怪我に泣いた野口であるが、アテネ5輪の雄姿をもう一度観たいではないか♪調整に3ヶ月ほどかけて、レース直前に怪我をする悔しさは、市民ランナーでもよく分かるので、野口への思い入れはひとしおだったわけで・・・・35K手前で、以下ツイートしたのです。【@mdonguri】木崎、野口、ディババ、3人の走法がそれぞれ違っている。とにかく久しぶりに観るハイレベルの闘いである。まもなく35K。ナウとにかく、筋トレできたえた野口のストライド走が好きなんですね。結果は3位であったが、復活を果たした野口には、次を期待したい。レース後に、以下ツイートしたのです。【@mdonguri】木崎選手は強かった。クロカンで培ったピッチ走法は本物でんな。野口選手の復活もあったし良かった♪約4年半ぶりのフルマラソンで復活した野口(33)であるが・・・まだいけるで♪☆次にWBCオランダ戦である。これまでの打撃不振がウソのような・・・6発(サイクルホームランも達成)であった。7回コールドゲームとなったスコアボードを見ると、野球のスコアとは思えない数字が並んでいます♪マエケンは5回を完封したが、ピッチャー交代で4失点か・・・やはり投手力が肝心のようですね。とまあ・・・久々にスポーツ三昧の日となった次第です♪21時からNHKスペシャル【メルトダウン】第3編と、ブログで予告した手前・・・チャンネルを変える予定であったが、録画としWBCを満喫したわけです。NHKスペシャル【メルトダウン】の予告
2013.03.11
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今夜21時からNHKスペシャル【メルトダウン】第3編が放映されます。これに先立って、9日に第1,2編が一挙放映されたので、その概要をツイッターでメモしてみました。NHKの回し者みたいになってしまったけど(笑)、いい番組ですもんね。時間帯がWBCオランダ戦とダブルのが、辛いところか。(大使、録画という利器があるんですが・・・録画権も奪われたままやで)【Nスペ・メルトダウン】第3編の予告「人類は原発を制御できるのか」「安全対策は本当に十分なのか」。再稼働をめぐって社会的な議論が続く原発。発端となった東京電力福島第一原子力発電所の事故が、なぜどのように起きたのか。事故から2年たったにも関わらず、いまなお謎と課題は残されたままだ。「メルトダウン」シリーズでは、最初に水素爆発を起こした1号機の検証をおととし12月に、その後メルトダウンに至った2号機・3号機の検証を去年7月に放送、大きな反響を得た。その後の取材で浮かび上がってきたのは、“複数号機”が同時多発的にメルトダウンを起こすという世界で初めての事態が、事故の対処をより困難にした、という事実だった。型が全く異なる冷却装置を使ってメルトダウンへの対応を行った1号機と2号機。現場では2号機への危機感が強かったにもかかわらず、実際の事故の進展は1号機の方がより危機的だった。また3号機と4号機では、稼働中だった3号機の原子炉の冷却に力を注いでいる間に、運転が止まっていた4号機燃料プールの1535本の使用済み核燃料棒がメルトダウンの危機にさらされるという事態に陥った。【Nスペ・メルトダウン】第1,2編の概要【Nスペ1】イソコン(非常用復水器)は電源喪失時にも人力切替、自然流下で作動可能(こういう機能をフェイルセイフという)であったが・・・・ せっかく設置していたイソコンの機能を運転員は理解していなかった。【Nスペ2】イソコンの弁は電源喪失時に自動閉となるように設定されているので、人力で弁を開く必要があった。 現場はイソコンの破壊を心配して、イソコンの作動を行わなかった。【Nスペ3】イソコンが作動していれば、原子炉の水位低下は防止できて、7時間の時間稼ぎができたが・・・現場は認識できていなかった。【Nスペ4】11日、午後9時バッテリーを運び込み、原子炉水位計の復活を試みた。 水位計は水位有りと間違った表示を出して、現場の判断を誤らせた。原子炉暴走により中央操作室の人員に危機的被害が出なかったことは奇跡的な幸運であったのかも。【Nスペ5】1号機の原子炉圧力は600kpaとなっていて、ベントを急ぐ必要を認識していた。 午前1時、メルトダウンが発生したが、現場はメルトダウンの認識は無く、ベテラン運転員がベントに向かった。【Nスペ6】1号機で水素爆発が発生、中央操作室に強い衝撃があり、運転員は生きて帰れないと覚悟した。やがて3号機も水素爆発を起こした。【Nスペ7】経験もマニュアルもないなか、大量の放射性物質を放出した原発事故であった。事故から2年たった今・・・・事故の教訓は既設原発に生かされているだろうか?【Nスペ8】安全性が確認されない中、安部政権は再稼動に向けて動き出した。2号機はメルトダウンを防ぐ時間的余裕があったが、結果メルトダウンしてしまった。この謎にNHKは迫った。【Nスペ9】現場は2号機の事故に最も恐怖を感じた。2号機にはメルトダウンによる格納容器破壊の怖れがあった。3月14日、3号機の水素爆発により、2号機は減圧注水を要する事態に陥った。中央制御室から遠隔でSR弁を開く必用が生じたが、開かないので現場の切迫感が高まった。【Nスペ10】国会事故調も、東電もSR弁の不調に触れてはいないが・・・・メルトダウン時には格納容器圧力によりSR弁は作動しないことが後で判明した。残る手段は格納容器のベントのみであった。【Nスペ11】ベント弁は2種類あった。人力操作のもの、空気操作のものであったが、空気操作タイプがコンプレッサー空気で作動できないのだ。地震により空気配管の各所から漏れが生じていたためと思われる。 この局面で菅首相が東電本店に乗り込んだ。【Nスペ12】3月15日、6時、格納容器圧力がゼロとなった。格納容器から大量の放射性ガスが放出されたためである。この2号機からの放射性廃棄物の放出が最大の放出量とされている。 事故から1日半たち、バッテリーが底をつく時期である。【Nスペ13】12Vバッテリーが不足しているので、自動車用のものを調達する必要が生じた。物流拠点には不要な2Vバッテリーが備蓄されていたが役に立たなかった。また物流拠点(小名浜)から現場まで運ぶ手立てはとられておらず、物資は現場に届かなかった。【Nスペ14】アメリカは福島の事故後に電源車などの物資備蓄と、外部からの支援体制の見直しに着手した。(日本より対応が早いようです) メルトダウンシリーズ第3編が明日10日に予定されています。
2013.03.10
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<草原の椅子>ブログ友のクマさんとマックス爺さんのお奨め映画ならということで・・・「草原の椅子」を観に行ったのです。パキスタンのフンザ地方へ旅をする映画というふれ込みであったが・・・・西域大好きの大使にとって、雄大な高山と砂漠の映像が見られただけでも、観た甲斐がありました。宮本輝の同名小説を映画化したとのことであるが・・・・出だしは男どものちょっと魔がさした浮気の話が続き、この映画のテーマは何なんだろう?と思ったりした。虐待され心に傷を負った少年を取り巻く大人たちが、並外れた善人ばかりなのが気になったが、原作がそうなっているのなら監督の責任ではないのかも。(善人ばかり出てくると、非現実的であると茶々を入れたくなるのだ)西村雅彦がしゃべる関西弁はちょっと濃すぎる感じだが、こんな善人は実在しないではないかと思うほどの設定になっていた。(でも、関西弁が聞ける映画に対しては大使の採点が甘くなるのだ)さて小池栄子である。今ではNHKの番組にもレギュラー出演していてメジャーとも言えるが、役者としても注目しているのです。この映画でも少年の母親役を演じたが、スッピン顔と暴力を振るう演技が見物であった。「パーマネント野ばら」でも、いい演技を見たけど、今や最強の助演女優というべきか♪【草原の椅子】成島出監督、2013年制作、H25.3.8観賞<goo映画解説>より登場人物の繊細な心の動きや、大自然の描写の美しさで絶賛されている宮本輝の同名小説を映画化。『八日目の蝉』の成島出が監督を務め、原作と同じ舞台設定となるパキスタン・フンザで、日本映画初の本格的な長期ロケを敢行し、見事な映像を納めることに成功した。キャストには、憲太郎役に優しさと強さを圧倒的な存在感で表現する佐藤浩市、親友の富樫役にジャンルを越えた活躍を続ける西村雅彦、貴志子役に幅広い世代の女性に絶大な支持を得る吉瀬美智子が配されるなど、見ごたえ十分な布陣となっている。<大使寸評>西域大好きの大使にとっては、砂漠と高山の映像が見られただけでも観た甲斐がありました。フンザの老人が、星の王子さまのような哲学的なせりふをのべていました。goo映画草原の椅子草原の椅子公式サイト愛憎うずまく日常と、フンザの砂漠がシュールと言えるほど鮮やかな対比を成していますね。育児放棄した母親と、子供を保護する善人たちといえば・・・・よく似た映画を思い出したのです。「キリマンジャロの雪」という映画だが、まったく同じ題材を扱っていることに驚くのです。【キリマンジャロの雪】ロベール・ゲディギャン 監督、2011年、仏制作、H24.12.10観賞<goo映画解説>より南仏の港町マルセイユ。労働組合の委員長ミシェルは公正なリストラを行うためクジ引きで退職者20人を選び、自身も失業する事になる。妻のマリ=クレールは夫の潔い決断を誇りに思うのだった。そんな二人の結婚30周年を祝って子どもたちがアフリカ旅行をプレゼントする。ところが、贈られた旅行費用とチケットを強盗に奪われてしまう。ほどなくして逮捕された犯人を知りミシェルは大きなショックを受けるのだった…。<大使寸評>マルセイユといえば旧港とブイヤベースで知られるが、この映画の舞台はガントリークレーンが立ち並び、港湾労働者が暮らすマルセイユである。組合委員長のミシェルさえ、若年労働者からプチブルと思われるくらいの世代間格差、就職難が垣間見えて、地に足のついた臨場感が見られるのです。自分たちを襲った犯人の子どもの暮らしを支えるという提案に、呆れかえる息子たちであるが・・・・息子たちの感覚のほうが、世間ではまともですね。とにかく主人公夫婦が呆れかえるくらいの善人で、やや現実離れしているが・・・笑いとペーソスを交えて無理なく描いていて、爽やかな思いにひたれるのは、映画作りの賜物なんでしょう♪このセンスは、明らかにハリウッド映画とは違っているわけで・・・・たまにはヨーロッパ映画を見て、ハリウッド映画の暴力的なバイアスを拭い去るのも肝要ではないでしょうか。ところで、犯人はできちゃった婚でふたりの子を持つシングルファーザーという設定で、まーなんという今日的な欧州であろうか。goo映画キリマンジャロの雪「キリマンジャロの雪」と「星の旅人たち」
2013.03.09
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見るでもなく深夜放送を見ていたが、NHK-SONGSに安全地帯の玉置浩二が出ていた。明るいキャラクターがいいではないか♪中学校の生徒会会長で、野球部のキャプテン。さらに言えばピッチャーで4番。絵に描いたようなスーパースターである。失点があるとすれば、生徒会活動を他の委員に任せっきりで苦情が出たということぐらいとか。バンドグループを組み、廃屋を借りて、3年間集中的に練習に明け暮れたそうだ。その間、女人禁制という徹底ぶりだったようです。この時期には思い悩み、暗黒の抜け道を通るようにやり過ごすのが一般的かと思うが・・・・彼らのように、練習を兼ねて叫び狂うのが・・・良かったようですね。番組で自分が通った中学校を再訪していたが、後輩との楽しいやりとりにいい味でています。玉置浩二の辞書には挫折という文字は無かったのか?挫折や悩みのない人間は、他人を思いやることはできないはずだが、番組は深く触れていません。玉置浩二にも大なり小なりの悩みはあったのでしょう。さもないとこのような前向きのキャラクターは生まれないはずですね。それでは、ベストヒットワインレッドの心をどうぞ♪安全地帯より2013年は、玉置浩二が武沢 豊とともに地元旭川の中学時代で安全地帯を結成して40周年となる。今回は彼らがデビューを夢見て日夜練習にはげんだという旭川市でのロケ企画を送る。音楽活動を支え続け、今年ダイヤモンド婚を迎えたという玉置の両親とのふれあいや、後輩である地元の中学生に向けてその歌をプレゼントする。また、かつてメンバーでリハーサル合宿を行った思い出の場所を訪ね、知られざるエピソードや感動秘話を集めて紹介する。
2013.03.08
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若者からはわりと反発される団塊世代であるが・・・・「格差なき高度経済成長」を牽引した団塊世代と、渡邊さんから過分のお褒めの言葉をいただきました。渡邊さんは、日本はワークシフトが遅れると説いているが・・・理由は日本の団塊世代にあるとのことです。我らが団塊世代。思えば・・・社畜という酷い表現もあったが、終身雇用という夢のような時代もあったなあ。2/252025年へのワークシフト 日本は内需を徹底的に鍛え“ガラパゴス雇用の栄華”を目指せより グラットン教授<世代要因で猶予期間が20年ある> ところが、ラッキーなことに、大前提が欧米先進国とは異なるため、日本には『ワークシフト』に描かれた未来は、2025年の段階では来ない。また、来るにせよ、最低でも20年は遅れる。移民、言語、民族など様々な要因があるが、なかでも一番大きな大前提の違いが、世代要因だ。 日本では、「ベビーブーマー世代」(日本でいう「団塊の世代」)の政治・経済力が、平均寿命まで20年は衰えない一方で、若い「Y世代」(80年生まれ以降)も保守化が進んでいる。 日経新聞が300万部を超えたのは1991年、読売新聞が1000万部を超えたのが1994年。以来、若い世代がいくら新聞をとらないという抵抗を見せても、頑なに定期購読を続ける中高年世代のパワーは絶大で、20年たった現在も、部数がほぼ変わっていない。 世界史に残る「格差なき高度経済成長」を牽引した強烈な成功体験を持つ団塊の世代は、その副作用として、死ぬまで生活パターンを絶対に変えようとしない。私の両親は団塊の世代だが、30年以上にわたり、朝から夜まで全く生活パターンを変えていない。家計の保険料支出が突出して多いのも日本の特徴であるが、これも同様に、あと20年は変わらないだろう。 お金を握っている最終顧客が変わらないということは、企業も変わる必要がないし、そこで働く社員の環境も変えられない、ということになる。資本主義において一番パワーを持つのはカネを持っている人なのだ。 実際、新聞業界も生保・損保業界も、社員は20年前と変わらぬ毎日を送っている。僕は新聞記者出身だが、リストラ旋風が吹き荒れキャリアチェンジを余儀なくされている欧米新聞社の社員と日本の社員との環境の違いには、驚くばかりだ。 それでは日本は、この20年の猶予期間の間に、どのような雇用・人材戦略をとるべきなのか。日本は20年後、満を持して『ワークシフト』の世界の一員となるべきなのか。私が著書で示した、国内市場向けの仕事で中間層が職を確保していく方向性について、グラットン氏は「日本のほうが賢明かもしれない」と理解を示す一方で、「非常に閉ざされた状態の日本の未来には賛成しかねる」と述べた.....◇世代要因で猶予期間が20年ある◇グラットン「多様性(diversity)は単一文化(mono-culture)を凌駕」◇渡邉「モノカルチャーは強い」◇日本は「モノカルチャー戦略」を堅持すべき◇「先進国間格差」が拡大する◇「選べる国、ニッポン」を堅持せよ◇国内の競争政策促進あるのみ 団塊世代の栄華を食いつくしてでも、20年のうちにワークシフトを日本的に軟着陸させてくれ!「ワークシフト」という本が、本屋に平積みになっていました。【ワーク・シフト】リンダ・グラットン著、プレジデント社、2012年刊<内容紹介より>*下流民か、自由民か。地球規模で人生は二極分化する*2025年、私たちはどんなふうに働いているだろうか?ロンドン・ビジネススクールを中心とした、「働き方コンソーシアム」による、世界規模の研究が生々しく描き出す2025年のに働く人の日常。「漫然と迎える未来」には孤独で貧困な人生が待ち受け、「主体的に築く未来」には自由で創造的な人生がある。どちらの人生になるかは、〈ワーク・シフト〉できるか否かにかかっている。働き方が変わる! 〈5つのトレンド〉●テクノロジーの発展●グローバル化●人口構成の変化と長寿化●個人、家族、社会の変化●エネルギーと環境問題働き方を変える! 〈3つのシフト〉●ゼネラリスト→連続スペシャリスト●孤独な競争→みんなでイノベーション●金儲けと消費→価値ある経験「食えるだけの仕事」から意味を感じる仕事へ、忙しいだけの仕事から価値ある経験としての仕事へ、勝つための仕事からともに生きるための仕事へ。覚悟を持って選べば、未来は変えられる。<読む前の大使寸評>頭の堅い団塊オヤジとしても、このトレンドについていかなくちゃと思うのです。amazonワーク・シフト
2013.03.07
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<PM2.5警報が出たようだが>PM2.5、熊本県で全国初の注意喚起とあるように、熊本県荒尾市では、5日、全国初のPM2.5警報が出たようだが、市民は外出を控えたほうがよいのだろうか?これからは寒波も緩み、絶好の練習日和になるのだが・・・警報が出た場合、えらいこっちゃ!ランニング大好きの大使はどうすればいいのだろうか?抜本対策としては、日本が協力して中国の環境対策を加速させることだと思うのだが・・・・この中華の民は、メンツを重んじるわけで、内政干渉だ、放っといてくれと言いかねないわけで、一筋縄ではいかないようです。3/05PM2.5の脅威を中国滞在商社マンが告白!肺炎で絶対安静、当局は報道規制より 上海中国からやってくる微小粒子物質「PM2.5」は、直接的な健康被害の恐れがあるだけに、まさに「今そこにある危機」だ。本格的黄砂シーズン到来で、日本でも観測体制を強化する自治体が増えてきた。そんな中、中国駐在商社マンの間には、すでにPM2.5の健康被害と疑われる症状の人も出てきた。 毎年春先の黄砂現象は、タクラマカン砂漠やゴビ砂漠など、中国西部や北部で舞い上がった砂が強い偏西風に乗って日本に到達するものだ。洗濯物や車が汚れる程度ならかわいいものだが、今年はPM2.5の問題で、まったく違った様相だ。黄砂は中国沿岸の工業地帯を通過する際に、気管支炎やぜんそくの原因となる煤煙をも吸着してしまう。今や、黄色い砂ではなく真っ黒な砂であることが判明した。 黄砂には、1980年以前の大気圏内核実験で残されたセシウムも含まれていると指摘する専門家もいる。カナダの遺伝子学者のチームによると、人間の精子の遺伝子構造の変化を発見したとの報告もある。それが本当だとすると、福島原発事故の放射能汚染と同じくらい、恐ろしいではないか。●大気汚染が原因で肺炎? 1週間絶対安静の診断これだけ日本で連日報道されているPM2.5だが、現地中国ではどのような状況なのか? 日本のテレビニュースでは、現地の中国人もマスクをしている様子が映し出されているが、神奈川県の専門商社・テクノアートの原田晃社長は「上海では大気汚染の報道を見たことがないし、話題にもなっていない」と言う。原田氏は3年前から中国で取引を始め、1年の半分は上海に滞在している。「日本に帰ってきてから、北京のひどい状況を知りました。私は上海にずっといたので慣れっこになっていたのかもしれませんが、日本から来たお客さんは、確かに『なんでこんなに曇っているの?』と言っていました。そう言われてみると、天気予報で晴れと言っていても、太陽が見えるのは10回に1回くらいでしたね。上海の人は『今日は霧が濃いから、車の運転怖いね』なんて会話をしていました」 昨年暮れ、原田氏はひどいぜんそくになり、ヨレヨレになって帰国したことがあった。病院で診察を受けると肺炎を起こしていた。「空港から病院に直行したら、白血球がかなり多く、レントゲンを撮ったら真っ白。1週間絶対安静と言われました。原因については特に何も言われませんでしたが、そのときは風邪をこじらせたと思っていました。しかし、今になって思うと、大気汚染の影響だったのかもしれません。それから、鼻をかんだら、黒い鼻水が出てきたこともありましたし、傘を忘れて雨に濡れたときに顔をふいたら、顔に泥がついていましたね。黄砂のせいだとばかり思っていました」 原田氏は、大気汚染について思い当たることが、ほかにもたくさんあると話す。「通勤で朝7時に家を出ていましたが、真っ暗でした。日の出時刻を確認したら6時45分くらいでしたけど、高層ビルに囲まれているからかなと。5メートル先の人の顔が認識できないこともありましたが、5年前に目の手術をしたことがあって、そのせいだとばかり思っていました。それから、向こうではモバイルPCを使っていて、部屋の中が暗くて画面が見づらかったのですが、日本に1カ月ほど滞在していたら、よく見えるようになってきたのです。手術のせいではなく、向こうは空気が悪くて本当に見えなかったのかもしれません」 日本の高度経済成長期、公害地帯の風景といえば、高い煙突が何本も立っていて、そこから煙がモクモクと出ているものだった。上海にも工業地帯はあるものの、昔の日本のような絵に描いたような公害の風景はあまり見られないらしい。原田氏が3年前に国営の宝山鋼鉄という鉄鋼メーカーの工場を見たときは、かなり煙がモクモク出ていたそうだが、最近はそうでもないという。原田氏は、ゴミ処理の燃焼方式が心配だと指摘する。「中国におけるゴミの量は、日本では想像もつかないほど膨大です。しかも日本みたいに工夫を凝らして処理しているわけではないので、焼くときにダイオキシンの問題があるような気がします。焼くことができない生ゴミは処理せずにそのまま海に捨てられていますし、これは違った形で公害になりそうです」●ネットの記事も規制、大気汚染を知らされない中国人「大気汚染についてもネットで見たことがあるのですが、規制がかけられて消されているようです。反日デモが盛んなときは、ネットがつながらなかったですし、中国ではそういうことがしばしばあります」 尖閣問題以来、いまだ日中間の経済はギクシャクしているが、今回の問題ではさすがに日本製の空気清浄機をボイコットするわけにはいかず、中国でバカ売れしていると報道されている。シャープの空気清浄機の1月の販売額は、前年同月比3倍に拡大し、ダイキン工業もやはり2倍になっているという。「私が日頃付き合いのある中国の産業界では、尖閣について『ウチの政府も、たいがいにしろよ』という意見は多いですよ。彼らは『日本の技術がなかったら、オレたちはまだまだダメなんだからさ』と言っています。日本は四日市ぜんそくや水俣病など数々の公害を経験してきた国なので、中国の大気汚染も日本の技術でなんとかできるはずです」 どこかの家がゴミ屋敷と化していて、その敷地からハエやら何やら飛んできたら、隣近所の人たちは間違いなく文句を言いに行くだろう。そんな時に、もしゴミ屋敷の主(中国政府)が自分のメンツを優先させて「放っておいてくれ(内政干渉だ)」と言い出したらどうだろう。それでもやはり放っておくことができないのが、環境問題の根の深さである。環境問題の改善よりは、中華のメンツが大事なようですが・・・・阿Qのような漢民族には、ほとほとあきれ返るのです。3/04【中国BBS】環境懸念の下村大臣に「心配するならカネをくれ」より 他人を“色眼鏡”で見てしまうと、たとえ自分のためになる意見でも、すなおに受け止められないことがある。下村博文文部科学大臣が中国で発生している深刻な大気汚染を心配し、「日本として援助したい」との考えを示したところ、同話題を伝えるニュースサイトのコメント欄には日本を批判する意見が多く寄せられた。「よろしい。先に資金をくれ」との書きこみもある。 中国紙、環球時報は1日付けで、下村博文文部科学大臣に取材したところ、「日本は中国の都市部における大気汚染の解決で援助をしたい。日中がウィン・ウィンになる」と話し、下村大臣は中国の大気汚染が日本に影響することを心配していたと紹介した。 環球時報は「愛国論調」を売り物にしている。共産党機関紙の人民日報を発行する人民日報社が持つ国際時事専門紙ということもあるが、実際には「読者獲得のためのビジネス目的の愛国論調」との見方も強い。 同記事は、前半で下村大臣の発言を紹介したが、後半部分では「日本は一方で新たな『海洋基本計画』を定めた」、「中国の海洋活動に対抗する目的もある」などと、両国の対立が先鋭化している論調で日本の動きを紹介した。 寄せられたコメントは、大部分が日本に対する悪意に満ちたものだ。「日本は中国に甘いことばをささやいているが、内心は基本的に悪意に満ちている」、「小日本は厚顔無恥。たしかに中国には環境汚染がある。ただ、お前らはどうなんだ。環境汚染はないのか。ひとつだけ言っておく。福島の原発の放射能漏れは、どれだけの汚染を発生させたんだ。(中略)自分のことをやっていろ!」などとする文章が並んだ。 中国の環境汚染は中国に進出した日系企業のせいと決めつけ「日本人をすべて中国の土地から追い出せば、中国の環境は自然に清浄になる」との意見もある。 中国のニュースサイトでは、日本側の「日中の建設的な提案」を紹介する記事に対しても反日的なコメントが多く寄せられることがあるが、ここまで極端なケースは珍しい。
2013.03.06
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今回買った『おどろきの中国』の著者は、2011年のベストセラー『ふしぎなキリスト教』の社会学者カップルに宮台真司を加えた豪華な社会学者トリオになっています。で、漢民族の病理が解明できるのではないかと期待して読み進めています(大使、動機が不純です)なお、橋爪大三郎さんの奥さんは中国人なので、日常的に中国に接している最強のチャイナウォッチャーとも言えるようです。3日の朝日の「週間ベスト10:一般書部門」では、この本が堂々の1位となっていました。【おどろきの中国】橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベースより>そもそも「国家」なのか?なぜ日本人の「常識」は彼らに通じないのか?日本を代表する三人の社会学者が対症療法ではない視座を求めて白熱の大討論。【目次】第1部 中国とはそもそも何か(中国は「国家」なのか?/二千年以上前に統一できたのはなぜか ほか)/第2部 近代中国と毛沢東の謎(なぜ近代化が遅れたのか/明治維新とどこがちがったか ほか)/第3部 日中の歴史問題をどう考えるか(伝統中国は日本をどう見ていたか/中国人の認知地図 ほか)/第4部 中国のいま・日本のこれから(「社会主義市場経済」の衝撃/トウ小平のプラグマティズム ほか)<大使寸評>この本の著者は、2011年のベストセラー「ふしぎなキリスト教」の社会学者カップルに宮台真司を加えた豪華な社会学者トリオになっています。で、漢民族の病理が解明できるのではないかと期待したわけです。(大使、動機が不純です)rakutenおどろきの中国読みながら、ラインマーカーで勘所をマーキングしているのだが・・・・ま~ カラフルなこと♪ それだけ読みどころが多いわけですね。で、マーキングヵ所をメモしておきます。過酷な権力闘争のメカニズムが語られています。<ランキンングへの異常なこだわり>p83~84橋爪:科挙の最終試験は、「状元」が一番、などと称号が決まっていて、順位も発表される。それが一生ついてまわるので、誰が誰より偉いかすぐにわかる。 中国の政治は、能力のある人びとが大勢いた場合、誰が誰より偉いかすぐ決まる(もう決まっている)というところに本質がある。そうやって、無用な政治闘争が防がれている。 いまでも、中国共産党の中央は序列が一番、二番・・・と、ずっと下まで決まっているでしょう。党大会のときに、ヒナ壇に並ぶから誰の目にもわかってしまう。ふだんのニュースで、来場した指導者は誰々です、と読み上げられる順番からもわかる。日本にはこんな慣例はないから、首相以下の閣僚で誰が何番か、よくわからない。大澤:ランキングに対する異常なこだわりは中国の特徴ですよね。そう言えば、科挙以前の九品官人法なんていうのも、役人を細かく、しかも厳格にランク付けする制度ですよね。橋爪:それは、社会の「文法」であって、全員の骨身にしみついている。大澤:われわれも天津社会科学院の先生方から夕食に招かれたときに、誰がどこに座るかでずいぶん待たされましたからね(笑)。そんなにこだわらなくても、と思いながら。だから、いかにランキングが重要かということは非常によくわかります。科挙の一つの本質が、戦わずにランク付けすることにあったというのもうなずけますね。橋爪:ただ、科挙は官僚機構の入り口の話で、一生に一度のこと。官僚になってしまうと、科挙の成績はついてまわるにせよ、次のステージが始まる。 で、中国の官僚機構の本質は、抜擢人事にある。上位にある者が、下位の者を抜擢する。上の者に引っ張られると、下のほうにいてもゴボウ抜きで上に行けたりする。能力主義であるつつも、上司の信任がとても大事。すると部下は、上司に対してサービスする。上司は多くの部下の面倒をみて自分のパワーを高め、さらに上を目指す。こうして生まれるのは、官僚組織のなかのグループ、「党」なんです。 党は必ず複数生まれる。そして、党と党のあいだで激烈な党派闘争が起こる。表面は政策をめぐる論争なんだだけど、その本質は党と党の争い、権力闘争なんです。 これは、革命後の中国を見ているとよくわかる。党争は、本来禁止されているんだけれど、でもなくならない。繰り返し現れる。伝統的な官僚機構なら、なおのことです。 党争を生き残るには、やっぱり政治力ですね。党争に敗れれば、失脚する。ゆえに、中国の官僚制度の歴史は、失脚の歴史です。思いを遂げられず、失意のうちに生涯を送る官僚が日記を書いたり詩を書いたり・・・・。大澤:そっちのほうが残っていたりしますよね。中国語では、四声があるので音が1600もあるそうで、50音の日本語とは決定的に異なるようです。おお 言語学的にも、目からウロコが落ちるような説明がありました。<漢字の秘密>p90~93橋爪:漢字の特徴は、進化しないことですね。 初期の漢字は、テン書とか隷書とか、字体が変わったりした。だけど、秦の始皇帝が字体を統一したあと、そこで決まった漢字はほとんどが、今日までそのまま使われている。新しい漢字はまず登場しない。新しい概念も、古い漢字の組合せで表現する。 ということは、世界は漢字によって意味的に分節されていて、それは永遠不変だと、漢字を使う人びとは信じているんじゃないだろうか。これが表音文字なら、新しい概念はつぎつぎ現れてくる。表音文字はそれを阻止しない。 中国語の大事な特徴は、概念の数だけ漢字があり、それが一字一音だということです。このため、発音が複雑になっている。普通語の場合、母音が37、子音が20いくつ、さらに声調(四声)があって、これらを組み合わせると、だいたい1600音ぐらいになる。これだけの音を言い分けられ、聞き分けられれば、常用漢字がだいたい3000ぐらいなので、ほぼ一字一音になる。そうすると、音を聞くと、頭の中に漢字がひとつずつパ、パ、パと浮かんでいく。 しかも、漢字は、字数が少なくてすむ。だいたい日本語の60%ぐらいのスペースで同じことが書ける。そして、漢字の読み取りスピードは、とても速い。大澤:ひと目でパッと理解できますもんね。橋爪:行政官僚は、この処理スピードの速さで、ほかの人より優位に立つ。そして、漢字の通用性、汎用性でも優位に立つ。格好の支配ツールになっている。大澤:なるほどね。 漢字というのがそれだけ変わらないということは、おそらく、漢字は世界のあるべきあり方と対応しているということですよね。ソシュールの言語学では、記号の恣意性ということを言って、記号の意味との間で対応には何の必然性もないということが強調されますね。しかし、漢字を使っている人にとっては、漢字と概念との対応は恣意的どころではない、ということですね。漢字のシステムは、世界の真実のあり方と深く結び付いているというか、そういう感覚じゃないかなと思います。橋爪:この現象をもっとも深く究めたのは、やっぱり白川静先生だと思います。漢字の起源を、宗教の起源と結びつけて、明らかにした。人びとが、漢字の何に呪縛されているのかを、これだけ深く掘り下げた業績は、ほかにないと思うのです。こういう研究は、漢字を使う日本にとっても大事だし、中国にとっても大事だから、共有財産にしていくといい。大澤:白川静さんはすごいですよね。白川さんのものを読んでいると、きっとこの人は、『説文解字』の許慎以来の、最大の漢字学者に違いない、と確信します。白川さんは、中国では紹介されているんですか?橋爪:紹介すべきですね。 甲骨文字や金石文に、日本人はたいへん関心をもって、とくに明治になって多くの業績を上げた。この分野は、中国を理解するための重要な補助線になるから、ぜひこの伝統を日本は大事にして、中国の学者とも協力して、研究を進めてもらいたい。中国や日本の人びとが、漢字を使うことで、自分たちがいったい何に呪縛されているかがわかるなら、それから脱却できる道も見えてくるわけだから。 中国では韓国人が往生している同音異義もなさそうであるが・・・・これで漢字運用に関しては韓国の一人負けで、もしかしたら日本の漢字仮名交じり運用が中国にもまして、漢字圏のベストなのかも♪『おどろきの中国』2『おどろきの中国』1
2013.03.04
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小松左京の「SF魂」を読んで以来、「よし、いっちょうSFでも書いてみるか♪」と・・・・勘違いしている大使である(笑)冗談はさておいて・・・・ナショナリズムとは何なのか?ということで、この本から「国土なき後の日本人」あたりを紹介します。<第二部の構想>p135~136 それから、「国土なき後の日本人」についても考えたのだが、どうもうまくいかない。例えば祖国喪失から何千年後にイスラエルを建国したユダヤ人ほど、日本人には「日本」に対する執着があるか。実は日本人の民族アイデンティティは、国土がなくなれば溶けていくのではないか―。 もともとネーション・ステート(国民国家)の誕生はフランス革命から。あの時の法律で、教育と兵役と納税という国民の三大義務とともに「ネーション」のコンセプトができる。ヨーロッパでは国境紛争を繰り返しながら、ネーションが定着していった。けれども、日本はこのネーションというコンセプトから一番遠い国だ。島国だから紛争や侵略とはほぼ無縁だったし、人口半減みたいな疫病もない。日本という国は自然で保護された一種のユートピアみたいなものだったのではないか。そこに日本人の国際社会に適応しきれない本質がある。しかしそれは逆に、18世紀のナショナリズム誕生以来の人類社会の停滞を打開していく大きな役割を果たす可能性もあるのではないか。ネーションと無縁な無領土民族として、むしろ世界に貢献できるのではないか――そんなことを考えたのだが、これではあまりに虫が良すぎるのではないかという気もして、この方向で書くのは躊躇してしまった。 このあたりの、ネーションや民族の考え方については、「サブナショナルの国『日本』」という論文に書いたこともあるが、なかなか小説として練り上げることはできなかった。<「日本を沈めた男」の日本論>p144~145 日本を沈没させてしまったおかげで、日本論の依頼も増えた。それまでに書き散らしていた評論やエッセイなどを本にしましょうという話もいくつか来た。創樹社から出版された『未来からの声』などはその典型で、いったいどういう経緯で本にまとまったのか、さっぱり記憶に無い。ただ、先に触れたように「サブナショナルの国『日本』」という、僕の日本論の原型のような小論が収録されている。 75年から76年にかけては、三菱グループの広報誌に、「民族の風景」「私流比較日本学のこころみ」を連載した。それが僕の2冊目の新書『日本文化の死角』となったが、本書では稲作や宗教の伝来、言語の伝播などを東アジアの歴史的背景の中で洗い出し、文化圏としての日本の成立を追ってみた。 別に沈めてしまったから言うわけではないが、この本を書きながら僕が感じていたのは、「幸運な島国」としての日本、ということだった。島国だからこせこせしていると言うのは大間違いで、むしろ島国で資源が少なかったからこそ、いろいろな工夫をする知恵が生まれた。イネの品種改良などというものは、まさに日本人の知恵と工夫そのもの。亜熱帯で誕生した植物を亜熱帯にまで適応させてきた品種改良の歴史は、それだけで特筆ものだろう。 日本の文化は、閉鎖的な島国だったから育まれたという面がたくさんある。例えば識字率の高さがよく指摘されるが、それは「かな」のおかげだ。僕の三高の友人に梵語梵文学をやっていたのがいて、梵字というのは母音と子音のマトリックスになっていて驚いた。なんだ「あいうえお、あかさたな」じゃないかと思って調べてみたら、日本語の50音表のマトリックスも梵字が日本に入った時に始まっていた。梵字が日本に入った時に始まっていた。梵字が読めなかったから、ひらがなを作り、ルビを振った。その時に、50音表ができたのだ。つまり、坊さんのカンニングのおかげで、アルファベットに比肩する辞書インデックスができたというわけだ。 当時の僕は、日本という国を相対化しながら、「地球史の中の日本」として捉え直そうとしていた。そうやって比較文化的視点を持てば持つほど、いかに日本がかけがえのない国かも見えてきた。勝谷誠彦の「ディアスポラ」も「国土なき後の日本人」を扱っていたが・・・未完の大作の一部のような短編である。近年ますます押し出してきた漢民族に対して、その本質に気づいたカナリアのような作家は数多くいたわけですね。ということで・・・尖閣沖ではその漢民族と一触即発の現況であるが・・・・小松が中国問題を描いた『見知らぬ明日』や『日本沈没第二部』を読んでみたい気もするのです。それから小松のベストワンと言われる『果てしなき流れの果に』も。【SF魂】小松左京著、新潮社、2006年刊<「BOOK」データベースより>『復活の日』『果てしなき流れの果に』『継ぐのは誰か?』―三十一歳でデビューするや、矢継ぎ早に大作を発表し、『日本沈没』でベストセラー作家となった日本SF界の草分け的存在。高橋和巳と酒を酌み交わした文学青年が、SFに見た「大いなる可能性」とは何か。今なお輝きを失わない作品群は、どのような着想で生まれたのか。そして、意外に知られていない放送作家やルポライター、批評家としての顔―。日本にSFを根付かせた“巨匠”が語る、波瀾万丈のSF半生記。 <大使寸評> 「アパッチ族」アンソロジーとして、小松左京を再発見したのであるが・・・・その余勢を借りて、この本を手にしたわけです。学生時代から高橋和巳と友人だったそうだが・・・・奇遇というか、多彩な小松が見えます。(楽天では「SF魂」を扱ってないのでAmazonを参照)【ディアスポラ】勝谷誠彦著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベースより>国土を失っても日本人は日本人たりえるのか?“あの事故”で居住不能となった日本。十年前に描かれていたポスト・フクシマの世界。<大使寸評>2001年「文学界」初出誌で描かれた勝谷誠彦の世界であるが・・・時代を先取りした感性がすごいではないか。日本人が亡国の民に陥った経緯は最後まで語られることはなかったが(多分、米中による核戦争後と類推するしかないのだが)チベットに難民として移住させられた日本人グループを国連職員が定期調査に訪れるのです。日本人、漢人、チベット人、ユダヤ人が登場するが・・・ディアスポラの先輩とも言えるユダヤ人調査員が示す悲哀と強靭さが印象的である。(楽天では「ディアスポラ」を扱ってないのでAmazonを参照)勝谷誠彦の世界【見知らぬ明日】小松左京著、角川春樹事務所、1998年刊<「BOOK」データベースより>「中国奥地で、なにか起っている…」新聞社に届いた一通のテレタイプは、中国・新疆ウイグル自治区に、宇宙人が攻撃をしかけてきたことを暗示するものだった。宇宙人襲来という、人類史上未曾有の事態に、米中ソの大国を中心とする国連は有効な解決策をなんら見出せない。「宇宙からの侵略」と「国際政治」という二つのテーマを融合させ、「人類の未来」に警鐘を発するSFの傑作。 <読む前の大使寸評>SFというより、ポリティカル・フィクションなのかも?現在のカオスのような中国と、この本の中国と比べてみるのも面白いかもね。(楽天では「見知らぬ明日」を扱ってないのでAmazonを参照)
2013.03.04
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例年であれば2月末に、大阪城公園に観梅にでかけるのが早春の恒例なんですが・・・・今年は寒波の影響で3月になっての観梅です。ちょうど、5分咲きぐらいであり、2週間くらい遅れているようです。売店でおでん盛り合わせと、ワンカップを買い求めて、チビチビいただくのも・・・ええでぇ♪いいご機嫌になって、スケッチするおばちゃんをからかったりして(笑)このあと、鶴橋に足をのばして、ホルモン定食(1200円)+ビールをいただいたわけですが・・・たまりませんね。駅前のコリアン商店街で、品定めしてキムチ(500円)を買ったわけだが・・・・大使恒例の早春イベントになりました。
2013.03.02
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今回借りた7冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「支離滅裂はたまた諸行無常」でしょうか。なお、「峠」1は前回からの延長借り出しです。<大学図書館>・ANDO・廃墟本4・一生つきあえる木の家具と器<市立図書館>・平家物語を歩く・神龍特別攻撃隊・SF魂・「峠」1*************************************************************【ANDO】古山正雄著、Taschen、2007年刊<内容説明より>Philippe Starck describes him as a "mystic in a country which is no longer mystic." Drew Philip calls his buildings "land art" that "struggle to emerge from the earth." He is the only architect to have won the discipline's four most prestigious prizes: the Pritzker, Carlsberg, Praemium Imperiale, and Kyoto Prize. His name is Tadao Ando, and he is one of the world's greatest living architects. (Amazonでは日本語版のデータがなかったので、英語版のものを流用)<大使寸評>安藤忠雄作品はコンクリート打ちっ放しというイメージが強いが、地形や自然を取り込んだところに、安藤の拘りがあるのではないか♪自然に埋もれた近代的素材という・・・SFのような建築が見たいのである。この本にも、自然に埋もれた近代的建築が見られます。直島コンテンポラリーアートミュージアムが魅力的であり、ぜひ行こうと思っているのです。AmazonANDO安藤忠雄の世界byドングリ【廃墟本4】中田薫×中筋純著、ミリオン出版 、2012年刊<「BOOK」データベースより>自滅なのか淘汰なのか、或いは寿命だったのか!?酷薄な社会の不条理を黙して伝える路傍の師。資本主義社会の裏面史、廃墟を見れば未来が見える、解る、学べる。待望の第4集。【目次】縣立洲原村診療所ー岐阜県美濃市須原/千歳樓ー愛知県春日井市玉野町/日本仲人協会本部ー栃木県下都賀郡岩舟町/ホテル大宮ー群馬県利根郡みなかみ町/王子アルカディアリゾートホテルー岡山県玉野市永井/藤原鉱山ー三重県いなべ市藤原町/日本弁柄工業旧本社工場ー岡山県和気郡和気町/御前崎観光ホテルー静岡県御前崎市御前崎/白河高原スキー場ー福島県西白河郡西郷村/安来ハミルトンホテルー島根県安来市門生町〔ほか〕<大使寸評>この本に見る廃墟には、獲らぬタヌキの皮算用というか、時流を見誤った先人の悔恨がありありと見えるのです。はたまた、兵どもの夢の跡も見えるし・・・廃墟見物には諸行無常の響き有り、へそが曲がった楽しみにあふれています。rakuten廃墟本4【一生つきあえる木の家具と器】西川栄明著、誠文堂新光社、2012年刊<「BOOK」データベースより>本書は、「一生つきあえる木の家具や器」をはじめ、木を素材にした様々な作品や、それを生み出す作り手を紹介する本。関西に在住しながら全国区で活躍する、木工作家、木工芸家、デザイナー、木のおもちゃ作家、楽器製作者などの作品への思い、人となり、ものづくりの考え方などを紹介。北欧テイストの椅子、拭き漆仕上げの椅子、手鉋で仕上げた椅子、箱物の家具、刳り物の箱や器、スプーンやフォーク、おもちゃ、中世の古楽器などを多数掲載。作品の特徴をとらえたカット、作り手の表情に迫ったカットなど、掲載写真は約350。 <読む前の大使寸評>葉っぱフェチの大使は、当然として木の家具や器にも拘りがあるわけです。読後感はのちほどに。amazon一生つきあえる木の家具と器【平家物語を歩く】日下力監修、、講談社、1999年刊<内容紹介より>平家物語を読み、旅することは人生を知ること。盛者必衰、今なお私たちをひきつける、世の無常を説く古典名文学に出会う旅。●平家物語の魅力――井沢元彦(作家)●平家栄華の京都――六波羅蜜寺・三十三間堂・祗園・八坂神社・西八条・嵯峨野・寂光院・三千院・延暦寺・三井寺・宇治川・平等院ほか●瀬戸内残照――福原京跡・厳島神社・一ノ谷・屋島・壇ノ浦ほか●源頼朝立つ――伊豆(韮山・石橋山・富士川)鎌倉(鶴岡八幡宮)ほか●悲劇の英雄――木曾義仲(木曾谷・横田河原・北陸路・大津)源義経(吉野・安宅の関・平泉)平家伝説の里/能で観る『平家物語』/『平家物語』を知る 日下力(早稲田大学教授)/『平家物語』ブックガイド<読む前の大使寸評>大使の住むドングリ国は、まさに源平合戦の古戦場であることに気づいたので、この本をたよりに、兵どもが夢の跡を訪ねてみようと思ったのです。amazon平家物語を歩く【神龍特別攻撃隊】高橋一雄著、光人社NF文庫、2009年刊<「BOOK」データベースより>伊400潜に搭載された特殊攻撃機パイロットの戦い。予科練出身ベテラン操縦員の記録!14歳で海軍に入り、真珠湾攻撃からウルシー特攻まで、水上機を駆って最前線を走り抜けた歴戦航空兵の太平洋海空戦記。<大使寸評>副題が「潜水空母搭載「晴嵐」操縦員の手記」となっているが、軍事オタクにとって見過ごすことのできないキャッチコピーなのです(笑)。伊400潜、晴嵐ともども確たる戦果をあげたわけではないが・・・・ある意味で軍事技術のガラパゴス的進化の表れとして、今日的な視点をもったレポートになっています。マレー半島のペナン港には、日独それぞれが10隻ほどの潜水艦を常駐させて対英通商破壊戦に従事したようだが・・・潜水艦の性能はUボートのほうが優れていたと著者が述懐しています。まさに兵どもが夢の跡、諸行無常の響き有りと言うべきか。なお、図書館で借りたのはハードカバーの2001年版です。rakuten神龍特別攻撃隊潜水艦の世界byドングリ【SF魂】小松左京著、新潮社、2006年刊<「BOOK」データベースより>『復活の日』『果てしなき流れの果に』『継ぐのは誰か?』―三十一歳でデビューするや、矢継ぎ早に大作を発表し、『日本沈没』でベストセラー作家となった日本SF界の草分け的存在。高橋和巳と酒を酌み交わした文学青年が、SFに見た「大いなる可能性」とは何か。今なお輝きを失わない作品群は、どのような着想で生まれたのか。そして、意外に知られていない放送作家やルポライター、批評家としての顔―。日本にSFを根付かせた“巨匠”が語る、波瀾万丈のSF半生記。 <大使寸評> 「アパッチ族」アンソロジーとして、小松左京を再発見したのであるが・・・・その余勢を借りて、この本を手にしたわけです。学生時代から高橋和巳と友人だったそうだが・・・・奇遇というか、多彩な小松が見えます。amazonSF魂【「峠」1】司馬遼太郎著、文藝春秋、1972年刊<「BOOK」データベースより>古書につき、データ無し。<読む前の大使寸評>司馬遼太郎の紀行文などはよく読んだが、大作小説を読むのは、「竜馬がゆく」以来で約半世紀ぶりではないだろうか(そんな大仰な)Amazon「峠」1*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。2/20図書館大好き242/03図書館大好き23
2013.03.01
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