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大使は、日々、コンピュータ棋士アヒル(レベル4)との死闘を繰り広げているのだが・・・今のところ6:4くらいの割合で優勢であり、大使のサド感覚はご機嫌麗しいのでおます♪アヒル危うし本日の闘いに関して審判のだめ子が診断してくれているので、見てみましょう。だめ子 の診断より<変な癖はないかな? かんたん棋譜診断>・かたまり癖:石が「だんご」「アキ三角」の形になるように打つのは効率が悪いかも。 ・はしっこ癖:はしっこは陣地になりにくいからあまり打たないようにね。 ・ノビすぎ癖:相手の石がそばにないのに、ノビる手は陣取り勝負で不利になるよ。 ・キリすぎ癖:キリは有効な手だけど、自分の石も危なくなるのでやりすぎは危険かも。 ・トリすぎ癖:石のトリすぎの傾向かも。石を取るのもいいけれど地を広げるのもお忘れなく。 ・きゆくつ癖:少し窮屈な石が多いかも。呼吸点を広げるように心がけてね。 ・ひかえめ癖:ひかえめ過ぎる手が多いかも。自分の勢力が強いところに打つ手は安心だけど、もっと積極的にね。 ・よくばり癖:よくばりな手が多いかも。相手の勢力が強いところに打った石はすぐ死にやすいので、よくばりもほどほどにね。 ↑だめ子 の診断です。誤診があったらごめんなさい。 シチョウに対してはシチョウ当たりを打つのが鉄則なんだけど、アヒル(レベル4)は、まだ理解できていないので、ややもの足りないところもあるのです。●gamekey:g20160131150003-23d7a7252016-1-31 ahiru-lv40に対して204目で投了\(^o^)/アヒル(レベル4)きのあ囲碁スタート画面
2016.01.31
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図書館に予約していた『最終定理』という本をゲットしたのです。神戸市の場合、副本4予約0とあれば3日ほどで、即ゲットとなるようです。要するに、予約するには新刊本を外すのが狙い目のようです。【最終定理】アーサー・C・クラーク×フレデリク・ポール著、早川書房 、2013年刊<「BOOK」データベース>よりコロンボの大学に通う青年、ランジット・スーブラマニアンの熱烈な興味の対象は数学だった。なかでも夢中だったのはフェルマーの最終定理で、彼はその新たなる証明方法を日々追究していた。いっぽう宇宙の彼方では、超知性をもつ異星人たちが強力な破壊兵器を生み出す人類を憂い、地球へと艦隊を発進させていた…。巨匠アーサー・C.クラークが、フレデリック・ポールとともに自身の愛するものすべてを詰め込んだ遺作。<大使寸評>巨匠クラークの最後の長篇ということで、気になるわけです。1940年代の核実験の閃光を感知した高度知生体(1.5倍族と呼ばれる)の存在が、なにやら実際にありそうな話なので・・・わりとリアルなSFである。マグネトロン、宇宙エレベーター、イオンロケットなどの工学的知識、数学的知識、それからイオンロケットを駆使する高度知生体などをちりばめた、いかにもハードSFである。こんな長編のハードSFを読むのは数十年ぶりであるが、それだけ暇になったということか。<図書館予約:(1/23予約、1/28受取)>rakuten最終定理巨匠クラークの語り口の片鱗を覚えておく意味で、一部を書き写しておきます。p51~80<4:40日間、データの洪水> 最初にあの地球からのマイクロ波をそして核爆発のパルスをとらえたとき、マシン・ストアード(機械に蓄えられた者と呼ばれる種族)は、これはグランド・ギャラクティクスの興味をひくに違いないと考えた。そこで指示を待つことなく、ただちに惑星地球とその地表にあるものすべての探査を開始し、その結果を銀河系の一画の暗いエネルギー流に住むグランド・ギャラクティクスのもとに送信したのである。 もちろんマシン・ストアードは、人類のさまざまな活動を見ても、いったいかれらが何をしようとしているのか、皆目見当がつかなかった。そのためには人類の言語を理解する必要があったのだが、その機会は訪れなかった。グランド・ギャラクティクスは、従属種族はみずからの言語以外のものは知らないほうがいいと考えていたのだ。それはそうだろう。従属種族同士が自由に話せるようになったら、なにをいいだすかわからないのだから。 自分の写真が一閃の光となって恒星間空間をわたっていったと知ったら、ランジットもさぞ驚いたことだろう。だがこれは実際に起きたことなのだ。地球上の人類ひとり残らず、そしてほとんどすべての事物の写真が送られていた。マシン・ストアードは(全能とはいわないが)とにかく仕事熱心なのだ。 そしてかれらは、グランド・ギャラクティクスがその熱心さを好ましく思ってくれるようにと願っていた。 一方、新学年の初日、ランジットはベッドサイドのラジオに起こされるとベッドからとびだしてスイッチを切った。最初の講義の天文学概論(太陽系の地理)は、この先3年間の学生生活になにかしら興味深いものをもたらしてくれる最後の希望といえそうな科目だった。(中略)<5:水星からオールト雲へ> だからかれらはわざわざ、かれら自身の断片を分離させてワン・ポイント・ファイブズのもとに指示を伝達した。グランド・ギャラクティスはグランド・ギャラクティクスが指示伝達を決定したと同時に、その指示を受け取ったのだ。しかもワン・ポイント・ファイブズはどんな指示が下るか予想していて、実際に指示がきたときにはすでに行軍装備を完了させていた。 ワン・ポイント・ファイブズに決行を遅らせる理由はない。侵略艦隊は発進準備を完了している。だからただちに発進した。 いかにもワン・ポイント・ファイブズは完全に物質的な存在であるからして、光速のルールに縛られている。したがって艦隊が目的地に到着して好ましからざる種族を全滅させるまでに、人類にとってはざっと1世代ほどの時間がかかることになる。が、艦隊はすでにその途についていたのである。(中略)<7:そこにいくには> じつはワン・ポイント・ファイブズは、銀河系の知的従属種族のなかでもユニークな位置を占めていた。ありていにいえば、かれらはグランド・ギャラクティクスお抱えの殺し屋だ。 なんとなく見ているだけの観察者には、かれらがそんな仕事にむいているとは思えないかもしれない。平均的なワン・ポイント・ファイブズの大きさは、シールドと人工器官をはずしてしまえば、地球の猫とさして変わらない。また、よほど注意深く観察していないかぎり、かれらの生身の姿を見ることはまず不可能だ。ワン・ポイント・ファイブズに欠かせない防護デヴァイスの体積は、かれらの肉体のちょうど半分ほどにもおよぶ(ワン・ポイント・ファイブズつまり1.5倍という名称はここからきている)が、どんな小さな部分も死活にかかわる絶対に必用なものばかりだ。ランジットがイエメン人海賊が乗っ取ったクルーザーの乗客となったあたりから、お話は俄然、暴力的に変わってくるわけです。知的従属種族と国連の合同軍のような軍艦から攻撃を受けて、ランジットは海賊たちとともに捕まり・・・2年間も「特例拘置」されるのです。なぜ主人公のランジットはスリランカ人だったのか・・・・なぜなら、世界を救うパクス・ペル・フィデムの運営にあたる20人のメンバーを全員小さな島国の国家出身とするアーサー・C.クラークの優しい構想力のなせるものなのだろう。ネタバレにもなるので、紹介はこのあたりまでとします。
2016.01.31
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書館に予約していた『百代の過客』という本をゲットしたのです。まつこと1週間か・・・このような渋い名著は案外予約されていないので狙い目のようです。【百代の過客】ドナルド・キーン著、講談社、2011年刊<「BOOK」データベース>より日本人にとって日記とはなにか。平安時代の『入唐求法巡礼行記』『土佐日記』から江戸時代の『野ざらし紀行』『笈の小文』『奥の細道』まで、八十編におよぶ日記文学作品の精緻な読解を通し、千年におよぶ日本人像を活写。日本文学の系譜が日記文学にあることを看破し、その独自性と豊かさを探究した、日本文化論・日本文学史研究に屹立する不朽の名著。読売文学賞・日本文学大賞受賞作。 <読む前の大使寸評>晴れて日本人となったキーンさんの労作を見てみましょう♪<図書館予約:(1/19予約、1/26受取)>Amazon百代の過客この本の序で芭蕉が述べられているので、見てみましょう。p15~16<序 日本人の日記> まず芭蕉は、紀貫之の『土佐日記』に始まる、日本の長い旅日記の伝統を認知している。芭蕉自身もその伝統に属していたのだが、先人の示す卓越した水準に到達することの困難さを彼は充分自覚していたのである。これらの日記は、訪れた土地についての記録ではなく、作者の最も深い感情を、美しい言葉で書き表したものであった。それより後の日記作者は、格別特筆に値するほどすぐれた日記を作り得ていなかった。 芭蕉は謙遜して、自分の浅学非才を言いながら、先人のすぐれた業績に匹敵するものは、到底自分には書けそうもないと信じこんでいる。とはいえ、例えば、「其日は雨降り、昼より晴れて」などという、典型的な日記の記録に終始するようなことはすまい、と心に決めていたのである。 そうした日記はら、誰にでも書ける。だが日記を書く以上、黄山谷の気品、蘇東ハの生気をもってするのでなければ、初めからなにも書かぬのが一番よいのである。■私小説の祖 芭蕉は自分のことを「浅智短才」だと言っている。これが慣習的な謙遜の表現であることは言うまでもない。他の作品を見ても明らかなように、彼は詩人としての自分の才能に十二分の自信を持っていた。同時に自分の旅のことを記した日記が、一般の読者はもとより、数多くの弟子たちにも深い興味を抱かせるだろうことを、知っていたに違いない。 だが芭蕉に日記を書かせた個人的な理由は、文学的、非文学的を問わず、他のすべての日記作者のそれと変わるところはなかった。つまり旅で得た体験のくさぐさを、いわば忘却の淵から救い上げたい、と彼は望んだのである。 旅の宿でのさほど愉快ではなかった事件さえも、それを記録し記憶に留めておくならば、のちのち話の種にもなろうというものであった。芭蕉は付け加えている、そのような経験を、「風雲の便りともおもひなして」と。 注釈家はこの章句を説明して、それは「天地自然に親しむよすがともなろうか」という意味だとしている。しかし、不愉快な宿の主人に遭ったことが、一体どうして詩人が自然に親しむよすがになり得るのか、私には皆目合点がゆかないのである。 実は芭蕉は、日記に記したそのような経験が、来るべきのちの詩歌に素材を提供し得るということを、言ったのではなかろうか。他の国においても、文学者は、昔からそれをもとに文学作品を作るための、いわば素材として日記を利用している(例えば詩人の手帖、備忘録など)。ところで・・・キーンさんの日記の関する研究とは、まるで毛色が違うけど、横尾忠則さんが『絵画の向こう側・ぼくの内側』4 の中で日記の効用を語っています。
2016.01.30
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<朝日デジタルの書評から84>日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・越境者の政治史・第2図書係補佐***************************************************************【越境者の政治史】越境者の政治史より<「移動」に焦点、「日本人」とは:吉岡桂子(本社編集委員)> 明治時代から第2次世界大戦の敗戦まで、「日本人」はどこへ移り住んだのか。そして、地域の秩序にどのような影響を与えたのか?。 北海道や樺太から、ハワイ、旧満州、朝鮮半島、台湾、南北アメリカと、移住先での国籍、市民権、参政権をめぐる動きと政治や民族意識のありようを包括的にとらえようとした本だ。 前提となる日本人を、北海道アイヌ、沖縄人、小笠原の欧米・ハワイ系住民、樺太アイヌと、明治維新のおりにすでに日本政府が統治の対象にしていた「大和人」に分けて、考察する。この分解が、日本の移民や植民を考えるときにも、見落としがちな日本のなかにある「民族」の視点を取り戻してくれる。 「日本人」が広く移住した時代は、日本が主権国家として国境を画定し、外国に触れ、富を外に求め、そして戦争とともにあった。 日本が支配した旧満州で日本人は、「在満日本人」だったのか、「日系満州国民」だったのか。ハワイで最大の民族集団だった日系人は、米国に対して中国や朝鮮半島からの移民とも連帯する東洋人系市民だったのか、それとも帝国日本の植民者だったのか。 敗戦後、日本や米国統治下の沖縄へ戻った「引き揚げ」を、戦勝者の連合国側は「送還」と呼んだ。人の動きに焦点をあてた問題意識が、領土の争奪とは異なる戦史を描くことにも通じている。 著者の関心の出発点がナショナリズムだったとするあとがきを読んでなるほど、と思った。いま日本列島に積みあがるナショナリズムと「大和人」の民族意識の関係など、現在の課題を考えるヒントが潜んでいる気がしたからだ。 対象に据えた民族と地域の変数の多さから、約500ページの大著となっている。ぐんぐん広がる領域を本書で着地させたあと、どこへ向かうのだろうか。読み終えてはや、次作が楽しみになった。 ◇塩出浩之著、名古屋大学出版会 、2015年刊<「BOOK」データベース>より北海道・樺太へ、ハワイ・満洲・南北アメリカへ。大量に送り出された日本人移民たちの政治統合は、日本およびアジア太平洋地域の秩序にどのようなインパクトをもたらしたのか。移民史・政治史の盲点を克服し、一貫した視点で新たな全体像を描き出す。【目次】近代アジア太平洋地域における日本人の移民と植民/第1部 主権国家・世界市場と移民・植民(北海道の属領統治と大和人移民の政治行動ー参政権獲得運動と植民者意識/「内地雑居論争」における移民と植民ー開国と民族ナショナリズム/アメリカのハワイ王国併合と日本人移民の政治行動ー参政権獲得運動から日本人の「自治」へ)/第2部 帝国・国際秩序と移民・植民(矢内原忠雄の「植民」研究ー帝国日本の移民と植民/南樺太の属領統治と日本人移民の政治行動ー参政権獲得運動から本国編入反対運動へ/朝鮮・台湾における日本人移民の政治行動/「在満日本人」か、「日系満洲国民」かー「満洲国」における日本人の政治参加)/第3部 国民国家規範と移民・植民(帝国日本の植民者か、「東洋人系市民」かー来領ハワイにおける日系住民の政治行動/南北アメリカの日系住民と第二次世界大戦/引揚げ・戦後開拓・海外移住ー戦後の日本・沖縄と移民・植民)/移民・植民と「民族」の政治<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ、骨太の近現代史という感じでんな♪<図書館予約:(とりあえず、予約カートにいれておこう)>rakuten越境者の政治史【第2図書係補佐】第2図書係補佐より<お笑いと文学、意外な近さ:速水健朗(コラムニスト)> 芥川賞を受賞した又吉直樹『火花』は、純文学作品として前代未聞のベストセラー。お笑い芸人と権威ある文学賞の間にはギャップがある。そこに人は関心を示しているのだろう。 本作は、又吉のエッセー集。エッセーの題名には太宰治から村上春樹まで、名作文学の題名が並ぶ。だが大半は、これらとは関係のない話が語られる。 テレビでマラドーナを見た又吉少年は、その日以来、サッカー部の練習で左でしかボールを蹴らなくなる。周りは大変困る。又吉は元来右利き。蹴ったボールはコースをずれ、パスがつながらなくなる。周りからは「右で蹴れや!」と怒号が飛ぶ。だが、怒号はむしろ、ギャップのあった又吉とチームの間の交流のきっかけになっていく。 又吉に小説の執筆の依頼をした編集者は、彼のエッセーからその文才を見出したという。なるほど、確かにエッセーのうまさは際立っている。 カフカ『変身』の項では、珍しく小説の中身についてたっぷり触れられる。虫に変身してしまうという異常な状況に晒されながら、主人公は自分がセールスマンという職業を選んでしまったことを悔いている。又吉は、そのずれに笑う。一方、本作が戦時下「運命に身を委ねるしかない」一般市民の不条理が描かれていると知り真剣に再読する。でもやっぱり「笑ってしまう」のだ。 小説『火花』には、世間一般との「ずれ」を追求する天才肌のお笑い芸人が登場する。彼は、それを追求し過ぎて苦難の道を歩むことになる。お笑いとは「ずれ」である。そして、文学との間に「ずれ」は意外とないのかもしれない。実際、カフカも自作を爆笑しながら友人に読み聞かせた逸話があるようだ。 お笑い芸人と文学。ギャップがあるようでない。それがこの一冊から強く感じられる。 ◇又吉直樹著、幻冬舎、2015年刊<「BOOK」データベース>よりお笑い界きっての本読み、ピース又吉が尾崎放哉、太宰治、江戸川乱歩などの作品紹介を通して自身を綴る、胸を揺さぶられるパーソナル・エッセイ集。巻末には芥川賞作家・中村文則氏との対談も収載。【目次】尾崎放哉全句集/昔日の客/夫婦善哉/沓子(『沓子・妻隠』より)/炎上する君/万延元年のフットボール/赤目四十八瀧心中未遂/サッカーという名の神様/何もかも憂鬱な夜に/世界音痴〔ほか〕<読む前の大使寸評>又吉直樹のエッセイはどんなかな?♪ということです。現在、図書館予約して待つこと2ヶ月、なかなか順番が回ってきません。<図書館予約:(11/29予約済み、副本7)>rakuten第2図書係補佐**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から83
2016.01.29
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図書館に予約していた『ハトはなぜ首を振って歩くのか』という本をゲットしたのです。まつこと5ヶ月か・・・わりと評判がいい本のようです。【ハトはなぜ首を振って歩くのか】藤田祐樹著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より気がつけばハトはいつでもどこでも、首を振って歩いている。あの動きは何なのか。なぜ、1歩に1回なのか。なぜ、ハトは振るのにカモは振らないのか…?冗談のようで奥が深い首振りの謎に徹底的に迫る、世界初の首振り本。おなじみの鳥たちのほか、同じ二足歩行の恐竜やヒトまで登場。生きものたちの動きの妙を、心ゆくまで味わう。【目次】1 動くことは生きること(動くとは、どういうことか/死なないために動く ほか)/2 ヒトが歩く、鳥が歩く(鳥とヒトの二足歩行/歩くことと走ること ほか)/3 ハトはなぜ首を振るのか?(首振りに心奪われた人々/頭を静止させる鳥たち ほか)/4 カモはなぜ首を振らないのか?(体のつくりがちがう?/まわりが見えてないカモ? ほか)/5 首を振らずにどこを振る(ホッピング時に首は振るの?/首を振らないチドリの採食 ほか)<読む前の大使寸評>三浦しをんの選ぶ本は、だいたい外れがないので・・・・この本が気になるのです。<図書館予約:(8/13予約、1/19受取)>rakutenハトはなぜ首を振って歩くのかビックリ眼で首を振るハトの二足歩行には、古くから、気になって仕方がなかった人々がいたようです。そのあたりが、学術的に語られていて・・・・ええでぇ♪ハトはなぜ首を振って歩くの?よりp40~43<ハトはなぜ首を振るのか?>■首振りに心奪われた人々 首振りが気になって仕方ないのは、何も最近の風潮ではない。ハトの首振り研究の歴史を振り返ってみると、意外に古く、最初の研究は1930年までさかのぼる。イギリスのダンラップとモウラーが、世界で初めて、ハトが歩く様子を側面から30コマで撮影したのである。 「なんだ、撮影しただけか」と思ってはいけない。今でこそ、携帯やデジカメで高画質の動画が簡単に撮れてしまう時代だが、私が子供のころですら(1980年代)、一般家庭にビデオカメラなどなかった。たまに街中でテレビの撮影に出くわすと、友達と競って映ろうとしたものだ。それより半世紀も昔の1930年代がどんなだったか、想像してみてほしい。 世界で初めて連続撮影装置が開発されたのが、19世紀の終わりである。エドワード・マイブリッジという写真家が開発した装置で、カメラを並べて連続的にシャッターを切る仕組を備えた、大掛かりな装置だ。これによって、運動を科学的に記録することが初めて可能になった。 そこから開発の進んだ撮影装置を用いて、運動の研究が花開いていくのだが、1930年代は、まだヒトの歩行研究すら黎明期であった。そんな時代に、わざわざハトの運動を研究しようというのだから、ごく控えめに表現したとしても、彼らがハトの首振りに対して並々ならぬ興味を持っていたことは疑いようがない。■頭を静止させる鳥たち そんな彼らの熱意によって、ハトの歩行が世界で初めて撮影され、首振りに関する驚くべき事実が判明した。実は、ハトは歩きながら頭を静止させていたのである!ハトが歩くと、体はおおむね一定の速度で前進する。体が前進しているのに頭を静止させるためには、首を曲げて縮めなければならない。首をある程度まで縮めると、今度は首を一気に伸ばして頭を前進させる。この動作の繰り返しが、歩行時の首振りの実態だったのである。 それでは、ハトはいったい何のために頭を静止させているのだろう。 頭を静止させると聞くと、なんだか特殊なことに思えるが、ハトに限らず多くの鳥類は、頭をなるべく静止させようとする。 何年か前に、インターネットの動画サイトで、ニワトリを手でもって動かしても頭は少しも動かないという動画が話題になった。体を前後左右に動かされても、空間に固定されているかのように頭をピタッと静止させるニワトリは、まるでCGのようで不可思議だ。しかし、多くの鳥たちは、現実にこうした動きをする。 先に述べたダンラップとモウラーによる1930年の論文では、このオモシロ実験を世界に先駆けて実施している。彼らは、単にハトを撮影しただけではなく、ニワトリやカモを手にもって上下左右に動かすときに頭を静止させていることも確かめた。 どれだけ首振りに夢中なんだと、思わずツッコミを入れたくなるが、その結果は、ニワトリは前後の動きに対してよく頭を静止させ、カモは上下の動きに対して頭をよく静止させるというものだった。(中略) いずれにしても、ハトやニワトリには頭を静止させようという性質があり、歩くときにも頭を静止させようとする結果、首を振るのである。さらに、読み進めたのです。p80<ハト近眼の可能性> ハトの研究をはじめてから十数年、ハトを見かけるたびに首を振らずに歩いていないか観察しているが、私はまだ一度も、首を振らずに歩くハトを見たことがない。ニワトリやキジも、いつも首を振る。彼らだって、たまには遠くを見ながら歩いたってよさそうなものなのに、どうしていつも首を振るのだろう。 私自身、この問題には答えを見つけきれていないのだが、ひとつの可能性として、視力の問題があるのではないかと考えている。足もとの小さな植物の種子などを採食するニワトリでは、視野の下半分は近視的で近くに焦点が合いやすいが、上半分は遠視気味で遠くに焦点が合いやすいという研究がある。 近くの食物を探しながら、上空を飛ぶワシタカ類などの捕食者にも警戒するのに都合がよい視力というわけだが、視野の下半分が近視眼的だと、いつも足もと近くが見えてしまうのかもしれない。足もと近くが見えてしまえば、どうしたって気になるのは世の常だ。首を振る鳥たちは、そうした視力によって、いつもつい首を振ってしまうのかもしれない。次のくだりで首振りの謎は解けたようです。p77~79<謎はすべて解けた!?> サギ類を観察してモヤモヤと見えてきた餌探しと首振りの関係は、あるとき、ユリカモメを観察していて明確になった。ユリカモメは普段は首振りをしないのだが、首をふりながら足もと近くの餌をついばんでいるのを見かけたのだ。千葉県の谷津干潟という所で、足を水につけて、明らかに足もとを見ている様子で首を振ってゆっくりと歩いていた。ときどき、くちばしを水の中に差し込んで何やら小動物を採食していたので、獲物を探していたことは間違いない。 ユリカモメがそういう行動をすると知ってから、ユリカモメを見るたびに注意していると、芝生の上で虫を探して首振り歩きをすることもあった。たまに立ち止まってはキョロキョロし、また首振り歩きを行っている。時々、芝生から飛び立った小さな虫を、走って追いかける様子も観察された。この場合もやはり、獲物を探していたことは疑いがない。足もとが水につかっていようが芝生だろうが、ユリカモメは足もと近くで獲物を探しているときに首を振っていたのである。 「この事件の謎はすべて解けた!」と、某漫画の探偵なら言うだろうか。いったん首振りと採食行動に関係があることに気づくと、霧が晴れたようにいろいろな現象を説明できるようになった。キジの仲間、ハトの仲間、ツルやクイナの仲間、サギやコウノトリの仲間、シギの仲間など、首を振りながら歩く鳥たちは、皆、歩きながら食物を探してついばむタイプの鳥たちだ。
2016.01.29
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<中国、韓国の原発事情3> H28.1.27~~ 日本の安全もからんでくるので、中国、韓国の原発事情を集めてみます。隠蔽体質は東電の比ではないものと思われるので、要注意でしょうね。原発map・海上浮動式の原子力発電所**********************************************************************<中国、韓国の原発事情2>目次・原発関連ニュース・中国エネルギー事情**********************************************************************<中国、韓国の原発事情1>目次・原発関連ニュース・中国エネルギー事情 <海上浮動式の原子力発電所>AFPが中華の「海上浮動式の原子力発電所」を伝えているが・・・えらいコッチャ。他国が手を付けない様な危険な代物に、中華のオリジナリティが発揮されるようですね。2016.1.27中国、海上浮動式の原子力発電所を建設へより 2020年までに原子力発電による電力容量の倍増を目指す中国が、海上浮動式の原子力発電所の建設を計画を進めている。中国国家原子能機構(CAEA)の許達哲(Xu Dazhe)主任が27日、記者会見で発言した。 許主任は、関係当局が「海上浮動式の発電所」の計画を策定中だと語り、「中国は海洋強国になることに力を注いでおり、海洋資源を十全に活用することになるだろう」と述べた。洋上での原子力発電といえば、航空機や潜水艦などに搭載されているものが知られているが、民間の発電利用のものとしては、ロシアが現在建設を進めているとされるものの、それ以外では前例がないとみられる。 中国政府は第13次5か年計画に、洋上の原子力発電所2基の開発を盛り込んでいた。 開発を担当する中国核工業集団(CNNC)と中国広核集団(CGN)の声明によると、CNNCは2019年までに、またCGNは20年までに洋上原子力発電所の稼働を見込んでいる。洋上の原油・ガス掘削施設や、離島や遠方の島しょ部の開発に電力を供給することが可能になると、両社は声明で述べている。(c)AFP
2016.01.28
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小郡市立図書館の永利館長がオピニオン欄で「公の使命ビジネスが侵食」と語っているので、紹介します。「ツタヤ図書館」が取りざたされる昨今ですが・・・この風潮には納得できない大使でおます。(永利館長のオピニオンを1/27デジタル朝日から転記しました)図書館の原点――。そもそも公立図書館の役割とは何なのだろう。「ツタヤ図書館」の独創的な手法が論議を呼ぶ昨今、改めてその原点が問われている。本にかかわる仕事のプロ3人に聞いた。■公の使命、ビジネスが侵食 永利和則さん(小郡市立図書館館長) 街角の古ぼけた図書館が、カフェや書店を併設した「ツタヤ図書館」に変わり、おしゃれになった、といった話が出回るたびに、私は違和感を抱いてきました。 小泉政権時代に広がった「官から民へ」という潮流に乗って、民間に委ねれば新しいことが何でもできる、素晴らしいものになる、といったバラ色の論理に支配されているように感じたからです。 でも、現実は違う。多くの自治体が民間の「指定管理者」に図書館運営を委ね始めたのは、コスト削減のためです。財政難から人件費抑制を求められるなか、格好のターゲットとなったのが公立図書館でした。その結果、そもそも図書館で何をしたいのかという基本方針も定めぬまま、すべて民間に丸投げする自治体まで出てきたのです。 公立図書館の運営は、民間にはそぐわない。そう思うのは、私たちの図書館も2006年度から3年間、運営を指定管理者に委ねた末、再び市の直営に戻した経験があるからです。 小郡市職員の私は08年、市が出資した公社に出向し、指定管理者の立場で図書館長になりました。その1年は、市議会にも教育委員会にも出席できず、公の場で発言できなかった。現場の個々の問題には対応できても、その原因を解決するための政策決定過程には関われない。どうしても受け身になるのです。 ただ、公立図書館はあくまで行政サービスです。自治体の責任で設け、住民の税金でまかなわれる。財源が限られていくなか、そもそも公共の役割とは何か、コストの視点だけで見ていいのか、といった議論が広がるでしょう。 私は、原点は民主主義にあると思います。 社会に関わり、地域の未来を思い、どうやって良くしようかと考える。そんな良き市民、現場で民主主義を支える人材を育んでいくのが公立の役割だと思うんです。そのために必要な情報を提供する。それがいつか税収を増やし、地域社会も持続させる。 民間が運営する公立図書館を見に行ったとき、雑誌販売などのビジネスに侵食され、児童スペースが圧縮されているのに気付きました。それが私には、公立が本来持つべき教育の視点が抜け落ちた象徴のように見えた。 学校支援と社会教育。この二つの教育分野こそ、公立図書館が担うべき責務だと思います。地元の学校図書館を支援し、子どもたちに読書の習慣をつけてもらう。社会人の学び直しの場ともする。 栃木県小山市では、市直営の図書館が脱サラした人の農業支援に力を入れています。どこも地味なのは否めない。でも各地の図書館が、地元が抱える課題を解決する拠点になろうと、工夫をこらしているのです。(聞き手・萩一晶) *永利和則:1955年生まれ。日本図書館協会理事。79年小郡市役所に入り2008年から現職。図書館勤務は3回目で計20年。■「部数信仰」に陥ってないか 磯崎憲一郎さん(小説家、東京工業大学大学院教授) ■土地の記憶伝える「脳」に 鎌倉幸子さん(図書館コンサルタント)<指定管理者制度>公の施設の管理・運営を民間企業やNPO法人などにも認める制度。地方自治法改正で2003年に導入された。レンタル大手「ツタヤ」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が13年、佐賀県の武雄市図書館の運営に乗り出して話題に。全国の公立図書館約3200館のうち、14年度までに民間企業を指定管理者としたのは10%程度。小説家の磯崎憲一郎さんが、次のように語っているが、大使も賛同する次第です。【活字文化を守るには、出版界と図書館の協力が不可欠です。時代の流れで紙の本が電子書籍に形を変えても、本当に読書が好きな人を地道に増やしていくしかない。それぞれが「部数信仰」と決別し、少部数でも価値あるものに着目するきめ細かなマーケティングを通じ、多様性を守ることが重要だと考えています】(耕論)図書館の原点永利和則さん、他2016.1.27この記事も図書館の利用者模様とかに収めておきます。
2016.01.28
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図書館で『ラストワルツ』という本を手にしたのです。おお 村上龍の最新のエッセイ集ではないか♪・・・大きい活字で詩集のような装丁が、ちょっと鼻につくが・・・・装丁には目をつぶって借りたのです。【ラストワルツ】村上龍著、KKベストセラーズ、2015年刊<「BOOK」データベース>より寂しくても依存しないで生きる。最後のワルツを踊る孤独な二人のように。「停滞と衰退」の国に出口はあるのか?伝説のサバイバル・エッセイ最新刊!<読む前の大使寸評>つい最近『オールド・テロリスト』を読んだのだが、この本のタイトル『ラストワルツ』が意味深に聞こえるのです。rakutenラストワルツ「反体制派」や反原発が語られているが、これらは『オールド・テロリスト』という小説のモチーフとなっていましたね。p53~58<今、「反体制派」はどういう役割を負っているのか> 最近、「よくわからないこと」が多すぎる。たとえば、エジプトなど「アラブの春」と呼ばれた民主化運動は、現在いったいどうなっているのだろうか。エジプトでは、独裁者が民衆によって倒され、イスラム同胞団を中心とする新政府ができたが、経営運営などに失敗し、結局は軍によって失脚させられた。 何がどうなっているのか、よくわからない。このところもっともホットなトピックスだった「地球温暖化」だが、温暖化は起こっていないし、二酸化炭素の排出量などまったく関係ないと指摘する科学者も多い。それが事実だったら、電気自動車などの開発はムダということになるのだろうか。 「アベノミクス」という経済政策にしても、将来どのように評価されるのか、まったく不明だが、成熟した先進諸国にはすでに「経済成長の余地そのものがない」という経済学者もいる。アメリカでは景気が持ち直して、FRBが続けていた超金融緩和政策がゆるやかに解除されていて、そのせいでブラジルなどの新興国から資金が引き上げられ、現時点では世界的な株安になっている。欧州では、ギリシャなどが典型だが、金融引き締めが続いていて、かつ金融崩壊を防ぐために銀行などに国が資金を提供することで、投資家は潤っているが、中産階級から貧困層に転落する一般市民が増え続けている。 ただ、はっきりしていることがいくつかある。まずアメリカの覇権が揺らいでいるということだ。アメリカは、基準通貨であるドルをいくらでも印刷できるのでとりあえず今のところ何とかなっているが、ドルの信認そのものが揺らぎ、決済通貨をドルから他通貨に変える国が増えつつある。 長い間、アメリカの軍事力は国際政治の中核を成していたが、イラクやアフガニスタンでは多大なダメージを受け、オバマ大統領は結局シリアを空爆できなかった。リーマンショックのような経済危機が再び起こる可能性があると予言する専門家も多いし、日本の成生活保護と似たシステムで、貧困層に食糧を提供する「フードスタンプ」の加入者が激増しているらしい。経済格差はほとんど頂点に達していて、やはり中間層が消失しかかっているという。 ◇ 歴史的に、文化人というか、インテリというか、そういった人種は「反体制派」が多かった。基本的に政府は国民を騙そうとするので、高等教育を受け、海外留学経験のある人々などに、その嘘を暴露しようというモチベーションが生まれるのは、当然のことだった。 ただ、今、「反体制派」というのはどういう役割を負っているのだろうか。反体制派のもっともラディカルな人々は、かつて革命を目指した。革命といっても、左右両派が存在する。昭和初期に資本家に対抗し、時の政府を暴力で倒そうとしたのは、おもに右翼だった。 中国を中心として東アジア市場の利権を求めて欧米列強が台頭し、北にはロシアの脅威があり、急激な工業化を急ぐ日本では、農業が疲弊の一途を辿り、最大の輸出品である生糸産業が世界恐慌で破綻すると、大不況が訪れた。当時の右翼にもいろいろなタイプがいたが、彼らが「世界恐慌」をどのくらい理解していたかはよくわからない。だが、その余波は、日本を直撃し、右翼は、資本家や政治家が悪の元凶だという認識のもとに、数々のテロを決行する。 今、反体制派というと何となく左翼というか、リベラルというか、一昔前までは社会主義者たちを連想したが、かつては右翼が反体制運動を主導する時代があった。 今はどうなのだろうか。反体制派はいったいどこにいて、どんな主張をしているのだろうか。わかりやすいのは「反原発」「脱原発」を目指している人たちだが、その中には小泉純一郎元総理や、細川護煕元首相も含まれる。二人は「反体制派」といえるだろうか。そもそも「反原発」「脱原発」は「反・体制」なのだろうか。現在、ほとんどの原発は稼動していない。福島第一の事故の恐怖がまだ消えていないので、各原発の再稼動に対する国民的合意は得られていない。わたしは、個人的に原発はすべて廃炉の方向に持っていくべきだと思う。村上さんの弱気、あるいは嫌気が語られています。p187~189<メディアの内部に「わかってない人々」が増えている> 歳はとりたくないものだ、というのは明言だが、もし歳を取らなければ、きっとわたしは死んでしまっただろう。もう無理はできないと感じることが増えたので、いろいろなことをセーブし、自重するようになった。 30代のような生活を続けていたら、とっくに病気になるか、海外で事故に遭って死んでいたと思う。この国で、いやほとんどの世界で、いつまでも若いというイメージの老人が人気がある。要は、若者と同じようなスタイルで生活し、行動する老人だ。そういった老人にだけはなりたくない。 だいいち、今の若者の生活スタイルも一定ではない。ほとんど死人も同然、といったまったく活動的ではない若者もいる。いや活動したくても、年収200万では働く以外何もできない。活動している若者もいないわけではない。彼らの多くは海外に目を向け、途上国のアンフェアな実態に驚き、社会活動を開始する。 もちろん日本に目を向ける若者もいる。東日本大震災の被災地域で医療に従事したり、起業したりしている。だが、当然非常に少数だ。そういった正統的な活動に従事する若者と、まったく活動できない若者の格差がどんどん大きくなっていく。今のシステムでは、その格差は埋めようがない。 今、わたしが20歳だったら、どういう行き方をするのだろうか。日本を離れている可能性もある。何か目的を見つけることができるだろうか。どうやって生活していこうとするだろう。社会状況が、わたしの20歳のころとまったく違うので、たぶん小説は書けないだろう。小説のモチーフが生まれるような、想像力が刺激され、鍛えられるような環境がない。わたしは、自分が生きてきた状況と、現在との「落差」によって小説のモチーフを得ている。時代の亀裂のようなものがあり、そこに物語の芽が生まれる。だが、今は亀裂が存在しない。小説も書けないとしたら、20歳のわたしはどうやって生きればいいのだろうか、まったくイメージできない。老境にさしかかった村上さんが、厭世的な心境を語っていますね。こういう心境から『オールド・テロリスト』という小説が生まれたと思うが・・・村上さんは、この小説から希望の芽を読むべし、とでも願うのだろうか?村上龍著『ラストワルツ』1byドングリオールド・テロリスト byドングリ
2016.01.27
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図書館で『ラストワルツ』という本を手にしたのです。おお 村上龍の最新のエッセイ集ではないか♪・・・大きい活字で詩集のような装丁が、ちょっと鼻につくが・・・・装丁には目をつぶって借りたのです。【ラストワルツ】村上龍著、KKベストセラーズ、2015年刊<「BOOK」データベース>より寂しくても依存しないで生きる。最後のワルツを踊る孤独な二人のように。「停滞と衰退」の国に出口はあるのか?伝説のサバイバル・エッセイ最新刊!<読む前の大使寸評>つい最近『オールド・テロリスト』を読んだのだが、この本のタイトル『ラストワルツ』が意味深に聞こえるのです。rakutenラストワルツ村上さんは経済に明るい作家である。そして近未来を予想する鋭い感性を持っている。その村上さんが「ものづくり」を語っているので・・・・日経のネット記事などと違う切り口を見せてくれるだろうか?見てみましょう。p43~51<かつて「ものづくり」などという言葉はなかった> 「カンブリア宮殿」の新春スペシャルで、「若き起業家たち」というような特別番組を作った。コマツの坂根相談役と、大御所の工業デザイナー川崎和男氏が、若き起業家三人を迎えて語るという構成だ。 家電などが典型だが、日本の大手企業に制度疲労が起こっているという前提で、そのカウンターとしての若い起業家たちを紹介するという企画だった。番組の裏話をするのは好きではないが、スタッフは「若き起業家」三人をそろえるのに苦労した。ある程度成功している「若き起業家」の絶対数が少ないのだ。 それで、登場した三人はいずれも年齢が40歳前後だった。40歳という年齢をどう考えればいいのだろうか。果たして「若き」起業家と言えるだろうか、というようなこともスタッフとの打ち合わせのときに話題となった。 フェイスブックを作ったマーク・ザッカーバーグは25歳の若さで、日本円で約4000億円という資産を手にしている。だが、状況は若干変わりつつあるとわたしは思った。IT関連で新しいビジネスモデルを創設し、上場するか、あるいは大手に買収されるかで、巨額の富を得るのはしだいにむずかしくなっているからだ。 インターネットはすでにインフラと化していて、ITすべてに言えることだが、ニッチ市場が急速に狭くなっている。才気あふれる若者が、アイデアと努力で新規参入できる分野が失われつつある。ソフトバンクや楽天に匹敵するような成功モデルはもうあり得ないかも知れない。 これから起業を考えるには、かなり専門的な知識と技術、それにトレーニングと経験、そして経営やデザインのプロとのネットワークが必要になっている。20代での成功は非常に難しい。 40歳前後での起業というのは、案外正統的なのではないか、そう思うようになった。いずれにしろ、充分なトレーニングを積み、商品や経営デザインに秀で、新しい形のネットワークを作り上げ、成功するのは、完全に少数派で、日本経済全体を活性化させるようなうねりにはなっていない。 だが、NHKなどで顕著だが、数少ない成功例を挙げて、「まだまだ日本のものづくりも捨てたものではない」とか「まったく新しいビジネスモデルで大手に対抗する若者が増えている」というような「嘘」がまかり通る傾向がある。 わたしは「カンブリア宮殿」で新興企業を取り上げる際、「今、都市部の若者に人気がある」というような曖昧な表現をしないように気をつけている。「若者に人気」という表現は、ひどく曖昧で、それでいて何となくその商品が成功しているようなイメージを与えることができる。「若者に人気」だということだが、その商品は月に平均でどのくらい売れているのか、年商、純利はいくらか、ということを必ず確かめる。そうすると、案外、都市部だけとか、あるいはごく一部の商圏、店舗だけとか、「現実」が明らかになることも多い。 ◇ 日本のアニメ、それにオタク文化がブームだと言われ続けているが、具体的にどのくらいの外貨を稼いでいるのか、よくわからない。以前にもこのエッセイで触れたかも知れないが、「海洋堂」という日本屈指のフィギュア制作会社がある。海洋堂には「造形師」と呼ばれるフィギュア制作者がいて、村上隆の作品を手がける愛称「ボーメ」と呼ばれる人物は美少女フィギュアの第一人者である。 海洋堂は、あの村上隆をして「オタクのハプスブルグ家」と言わしめたほどの、まさにオタク文化の殿堂とも言える会社だが、社長の宮脇氏は「日本のオタク文化が海外で人気があるというのは大嘘だ」と言いきる。 「たとえば、東京で『インド映画祭』を催すとします。インド映画にはそれなりのファンがいるので、あまりない機会だからと、彼らが会場に集まります。そこにテレビカメラを入れて『今、日本ではインド映画が大ブームです』とアナウンスすれば、インド映画の本当の人気とは関係なく、本当にインド映画が日本でブームになっているかのような印象を与えることができます。でも、実際は違います。日本のオタク文化が海外で大人気、などという大嘘も基本的にそれと同じように『作られている』だけなんです」 わたしは、世界的な寿司ブーム、和食ブームというのも、おそらく海外の一部の都市だけのことだと思う。暗い世相なので、日本特有の商品。食品、文化が世界でブームになっているというような話題は、受けがいい。だが、数字で示されることがない。 つい最近、「カンブリア宮殿」で、「ダッサイ」という大吟醸酒が売れに売れている旭酒造という会社の社長をゲストに迎えた。誤解のないように最初に言っておくが、「ダッサイ」は本物の中の本物で、大吟醸にあるがちな線の細かさがなく、すばらしい酒だ。だが、番組では、日本酒が海外でブームだというようなニュアンスの伝え方をしそうになって、わたしはスタッフに数字を出してくれと注文した。 日本酒全体の総輸出量はだいたい1万2千キロリットルで、国内消費量の約2パーセントに過ぎない。フランスやイタリアのワインと比べると、その差がはっきりする。フランスのワイン輸出量はだいたい120万キロリットルで、イタリアは200万キロリットルだった。こういった事態を、国際的な日本酒ブームととらえるのは間違っていると思った。 だが、日本の起業シーンにも変化が窺える。わかりやすいのは家電だ。大手の家電、精密機械メーカーを辞して、個人で小さな会社を立ち上げる若い技術者、経営者が少しずつだが、増えつつある。彼らを起業に導いたのは、大手家電の不振、多様化した需要などに加え、3Dプリンターの普及や、国際的な部品調達網の整備など、技術的な要素が大きい。 彼らは、自身のことを「個人の家電作家」と呼んだりする。彼らは、高いスキルを共有する友人たちと、組織や集団ではなく、ネットワークを作り、小ロットで勝負する。会社規模が小さいので、何万台、何十万台と売る必用がない。1000台売れれば採算が合うような、独特の生産体制をすでに築いている起業家も、絶対数は少ないが、現れはじめている。 しかし、彼らの登場は、「日本のものづくりの復活」などとは無縁だ。そもそも「ものづくり」などという言葉は、SONYやHONDAなどが次々に新製品を出していたころ、つまり日本メーカーが世界を席巻していたころにはほとんど使われていなかった。日本の製造業の暗い影が見えだしたころに、「ものづくり」という言葉がひんぱんに使われるようになり、広く流通した。 若い「家電作家」たちは、「日本のものづくり」などという大ざっぱなくくりでビジネスを考えない。彼らは、あくまで「個人」であり、組織ではなく、ネットワークを駆使してチームを組む。今後、製造業が復活するとしても、それは「日本の製造業」の復活ではない。「家電作家」に代表される起業家が、独自に、どれだけ多く誕生するかにかかっている。 中国の製造業にも陰りが見えている昨今だが、技術はパクるものとする彼らに未来は無いはずである。そして、日本の生き残りには技術的な創出がカギになるので、「若い家電作家」たちに期待したいものである。
2016.01.27
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図書館で『漂泊の俳人たち』という本を手にしたが・・・アポなしの漂泊の旅にあこがれる大使としては、気になるわけです。【漂泊の俳人たち】金子兜太著、日本放送出版協会、2000年刊<「BOOK」データベース>より古人も多く旅に死せるありと『おくのほそ道』に記した芭蕉。その後も多くの俳人たちが旅を日常とし、漂泊のなかに生を求めていった。先人芭蕉との違いに句作の原点を求めた一茶、信州伊那に居続けた井月、全国を気の向くままに歩いた山頭火、瀬戸内の小豆島に短い生を閉じた放哉、人々の間を水のように流離った三鬼。彼ら六人の魂の軌跡を探り、漂泊への憧景を読む。【目次】第1章 松尾芭蕉/第2章 小林一茶/第3章 井上井月/第4章 種田山頭火/第5章 尾崎放哉/第6章 西東三鬼<読む前の大使寸評>俳句をたしなんでいるわけではないが、アポなしの漂泊の旅にあこがれる大使である。老境にさしかかり、ヒマなんで・・・俳句あたりにチャレンジしようか♪rakuten漂泊の俳人たち漂泊の俳人といえば、まず種田山頭火が気になるのです。山頭火p144~165<種田山頭火> 種田山頭火は本名を正一といい、明治15年に、いまの山口県防府市八王子に生まれています。父は竹次郎、母フサ、祖母ツル、正一は長男で、姉フクがおり、妹シズ、弟二郎、信一の五人兄弟姉妹でしたが、大正15年、44歳で行乞放浪の状態となるときには、妹のシズが残っているだけで、他の人は全員死亡していました。 当時の種田家は、「大種田」といわれる大地主で、山頭火研究者・村上護が防府市役所で調べたところでは、宅地総面積854坪(2818平方メートル)。三方が田圃に囲まれていて、西北に大きな納屋があり、母屋と土蔵のあいだに井戸があって、その井戸の上には黒松の大木が枝をのべていた由です。この井戸に正一が十歳のとき、母が投身自殺しました。正一のその後を決めた、といっても過言ではないほどの呪われた井戸です。 大種田について、村上護の発掘した興味あるルーツがあります。それは「種田家の先祖は農に従事するより、海上の流通関係で活躍していた一族ではなかろうか」ということです。種田家は、この家に近い防府の三田尻にある本願寺派明覚寺の有力檀家の一つでした。寺伝によっても、種田家の遠祖は270年くらい前まで遡れるとのことです。つまり「一向門徒の海賊衆」「瀬戸内海の制海権を競い合った武装集団(水軍)」の子孫ということになるようです。 その関係で、早くから瀬戸内海水産物の流通の仕事にたずさわり、財力を貯えて、土地を買いあつめていたのです。防府は江戸のころから塩の産地で、内海の鯖を塩引きする合物問屋が繁盛していたところとも村上護は書いています。 この村上が発掘した事実に、わたしがたいへん興味を持つのは、山頭火の放浪に「水軍」だった祖先の面影を映しているからです。根っからの農家だったらどうだったろう、と思っています。(中略)■青年期の山頭火 家に帰り父と酒造業をはじめます。母の自殺の原因に、父の行状の不穏当が大きく働いていたことは間違いありませんが、丁度その時期、家産を立て直すために、父は隣村の大道村に酒造場を買い受けて、それを経営しようとしていたのです。その手伝いをさせられます。 正一・山頭火の、わたしがと名づける9年間の開始です。明治40年から大正5年まで。25歳から34歳までの青年期で、途中27歳で佐藤サキノ(20歳)と結婚し、翌年長男の健が生まれます。(中略) サキノとの結婚にも、山頭火は経営のための父の作為を見ていたわけで、母の自殺と結び付けざるを得ない父の行状への不信感が、その基にあります。酒造の経営そのものが、不慣れも手伝って資金面でも順調ではなかったのです。父への不信に加えて、さらに見てとれることは、女性への愛そのものが乾いていた、ということがあります。■「観照者」へ 34歳で妻子とともに熊本に移住してから、同じ熊本県内の味取観音堂を出て、長い「行乞流転の旅」に出る44歳までの10年間、山頭火の「頽廃」はさらに追い込まれていきました。「持病の神経衰弱」と酒癖がそれに輪をかけています。 熊本で額縁店を始めてからの山頭火は、大道村時代以上にことに頑張りを示しました。「私の生活をより強く、より深くすることによって」「より強いより深い句を生みたい」と師の井泉水に手紙を送っていますが、大道村時代のような文学青年ではなく、大人として、の心意だったのでしょう。健も成長していて、その子のために、ともおもっていました。 しかし、客との相対の額縁のセールスは鋭敏な神経にこたえました。疲れて酒を飲む。その酒に負ける。弟の自殺も痛撃でした。そして祖母の死。結局、働くことができなくなっていったのです。(中略) 熊本に帰った翌年の12月、昼間から泥酔していた山頭火は、進行してくる電車を、両手をひろげて停めます。丁度そこにいた熊本日日新聞の記者の機転で、傍らの曹洞宗報恩寺に連れ込まれ、住職の望月義庵和尚に託されました。参禅、そして出家得度。僧名耕畝をいただき、曹洞宗の最下位の僧籍に連なることになります。味取観音の堂守となるのが3月で、日曜学校や夜学を開設し、夏には久々に故郷の防府に帰り、先祖や父母の墓参法要をおこないました。晴れて故郷を訪れたのは、このときが最後です。 「私も20年間彷徨して、やっと、常乞食の道、私自身の道、そして最初で最後の道に入ったやうに思います」と、山頭火は師の井泉水に手紙を出しました。ときに43歳。しかし翌年4月には、「彷徨」ならぬ、「行乞流転の旅」に出ることになったのです。 味取観音堂に落着けなかったのは何故か。静かな出家の生活に安住できなかったのは何故か、ということですが、僧としての安定が、かえって「頽廃」を掻き立てていた、といえます。托鉢と座禅の毎日があるではないか。しかし、荒廃し切った内奥にとって、事件から4ヶ月程度の僧生活では、とてもそこまではいけなかったのでしょう。 つまり、安住とともに頽廃が攻め上げてきた、という言い方もできましょうか。そして、うごめくのは漂泊の虫なのです。酒造業から額縁売り、東京市役所勤めと、働くことで押さえていた漂泊の心底がうごめいてきて、歩け歩け、というのです。頽廃が深ければ深いほど、しかもそれを「真摯」なりと言い切るほどの真剣味のある人間であればあるほど、漂泊の心底もまた人一倍深く湛えられているはずです。晩年の山頭火が述べられています。p182~194■悟りでも諦めでもない世界へ ところで、山頭火の、こうした構えた句の周辺には、まったくなんでもないような即興風な句がたくさんあるのですが、かえって、次のような句に、山頭火の「空」を知るおもいがあるのです。かれのことばとして先ほど抄記した断章、「作った句ではなくして生まれた句、空の句」に当たるものです。 ふとめざめたらなみだがこぼれてゐた なみだこぼれてゐる、なんのなみだぞ いつのまにやら月は落ちてる闇がしみじみ 「風邪気味にて臥床、病中吟」と前書があります。ひと眠りして、月の落ちた闇に目が覚めたときの「なみだ」の、なんと玲瓏たることよ、とおもいます。■山頭火の晩年 2年後、其中庵が崩れて住めなくなったため、「風来居」に入りますが、その翌春、57歳になった山頭火は、信州伊那まで歩いて、井上井月の墓に参っています。念願を果たしたのです。山頭火は、「漂泊詩人の三つの型」として、「芭蕉、良寛」を一行に書き、二行目に「一茶」、三行目に「井月」を記していました。この時期にきて、はっきりと井月への親近感を噛みしめていた、ということです。求道や生活といったことにとらわれない漂泊の井月。 お墓撫でさすりつつ、はるばるまゐりました 駒ヶ根をまへにいつもひとりでしたね 伊那谷の人たちの暮らしに溶け込みつつ、ありのままにさすらって生きていた人間、井月の「ありのまま」を「自然」といいかえるなら、山頭火に「存在の世界」として体感されつつあったものは、その境地でした。 風来居に帰って、その秋、四国に渡ります。その途中、徳山の白船居に立ち寄り、鉄鉢を捨て、次の句をつくりました。 柳ちるもとの乞食になつて歩く そして、地元の高橋一洵たちの世話で、最後の安住となった「一草庵」に入りました。四国遍路もおこないます。翌年永眠。 わが手わが足われにあたたかく寝る 日ざかり泣いても笑ふても一人 ひなたしみじみ石ころのように これらの句からも窺える山頭火の「自然」は、比喩的にいえば、というよりはといいたい境地なのです。わたしの別の言い方で申せば、つまりということで、生まれつき持っている性能が、そのまま、無害に、ありのままの生々しさで現れている有り様を、などとも自己流にいうのですが、その有り様の濃い境地ということです。死の5日前まで書いていた日記の最終の日に、「けさは猫の食べ残しを食べた」とか、「とんぼが、はかなく飛んできて身のまはりを飛びまはる、とべる間はとべ、やがて、とべなくなるだらう」と書いているのを読むときも、またそれを受取っています。 ―そして、生命は、最後まで逞しく燃えつづけていたのです。 もりもりもりあがる雲へ歩む
2016.01.26
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図書館に予約していた『日本戦後史論』という本をゲットしたのです。まつこと半年か・・・この本の論調は陳腐化してないどころか、ますます日本の病癖を指摘して止まないようです。戦後70年の必読書!というキャッチコピーにも納得でおます♪【日本戦後史論】内田樹×白井聡著、徳間書店、2015年刊<商品の説明>よりこの国はなぜ今、戦争ができる国になりたがっているのか? 右傾化する日本と世界、親米保守という矛盾、領土問題の本質、反知性主義ともいえる現状……。この国が来た道、行く道を、『日本辺境論』『街場の戦争論』などの内田樹氏と『永続敗戦論』で大注目の論客、白井聡氏が縦横無尽に語りつくす。「敗戦の否認」という呪縛や日本人に眠る「自己破壊衝動」など、現代日本に根深く潜む戦後史の問題の本質をえぐりだす。戦後70年の必読書!<読む前の大使寸評>団塊の世代もこの歳になれば、「戦後史とは何だったか?」と思うわけです。<図書館予約:(7/27予約、1/19受取)>Amazon日本戦後史論国会中継で安部首相の演説を聞いていると、頭の良さに酔ったように空約束をとうとうと披露する様に・・・苛立ちが募る大使である。内田先生と白井さんが、安部さんのその人格乖離の病巣を語っています。<戦後誰も成し得なかったことをする安部普三という人物>p202~205内田:安部首相はたぶん人格解離しているんだと思います。本人を知っているという人から聞くと、とってもいい人なんだそうです。優しくて、人の話をよく聞いて、穏やかな人らしい。ほんとうにそういう人格要素もある人なんでしょう。でも、それが政治家になるとまるで別人に変わる。ということは、政治家の方のじんかくがかなりの部分まで演劇的に構築されたバーチャル・キャラクターだということです。 政治家になる過程で、彼はかなりいろいろなものを切り捨ててしまったんだと思います。優しくて、人の話をよく聞いて、穏やかな人物では政治の世界を生き抜けない。別人のペルソナを借りるしかない。生身の自分の弱い部分を切り離して作ったバーチャル・キャラクターだから、やることが極端なんです。生身の身体をひきずっていると、言葉づかいはもっと曖昧になるし、もっと深みも出てくる。論理的ではないけれど、説得力があるという、そういう言葉を語るようにいなる。 生身の人間の発する言葉にはもっとノイズがあるんですよ。でも、あの人の話にはまったくノイズがないでしょう。「村山談話を見直します」「見直しません」といきなり右から左へ極端に変わる。その間の葛藤がない。葛藤がないのは、どちらの言明も腹の底から出てきた言葉ではないからですね。「村山談話を見直す」と言った政治的人格も、「見直さない」と言った政治的人格も、どちらも彼にとっては借り物なんです。あるペルソナが言った言葉を別のペエルソナが否定する。どちらにしても生身の安部普三とは関係がない。 言葉が極端に振れて、空気を吸うように食言できるのは、内的葛藤がないからです。そのつど「この局面ではこの台詞」というのが決まっていて、決めの通りにしゃべっている。ああいう家柄ですから、きっと子どものころから自分の個性や欲望は抑えてきたんでしょう。どこの学校に行くか、どこに就職するか、いつ父親の秘書になるか、いつどの選挙区から立候補するか、全部あらかじめ決められている。そういうがちがちに決め付けられた環境を生きてきたわけですから、生身の自分は身体の奥の方に押し込められて出てこない。白井:なるほど、私の印象では、そうした人格乖離は第二次政権になってから顕著になったような気がします。かつ、それは多分、今回の政権運営のうまさと表裏一体を成している。永続敗戦レジームの矛盾が大きくなりすぎてしまったから、生身の人間にはもうこれを運営することはできないのでしょう。 それにしても不思議なのは、安部首相のお父さんの晋太郎さんの話をまったくしないことです。たぶん晋三さんから見て、晋太郎の政治家としてのスタンスは全然男らしくないと映るんでしょう。じいちゃんは本物の男だった、それを受け継ぐんだということなのでしょう。ところが、戦に強いということを誇りにはできない。もう男になれないというのは、戦後日本の所与の条件なんですよね。軍事的にインポテンツであることを運命づけられている。 それでインポ・マッチョというのがいちばん性質が悪い。自分がインポであるということが何がなんでも否定する。それが敗戦の否認ということの言い換えなのですが。 そういう人間は首尾一貫しないことをやる。対米関係において赤裸々に表れます。アメリカこそ、日本を去勢した相手にほかならない。だから、彼らの憲法への態度は、非常にねじくれたものになります。 今回の集団的自衛権の行使容認の問題にしても、アメリカが20年来要求し続けてきたことですよね。それに従ったという話であって、またしてもアメリカの言いなりです。ところが、これを自主性の回復だと言いくるめる。安部さんの憲法に関する最近のは発言を見ていて気持ち悪いのは、憲法が大嫌いなくせに褒めることです。(中略) 「憲法の精神はすばらしい」というようなことを言っている。これは憲法に対するレイプですよ。なんでそういうレイプをしたいのかというと、憲法はアメリカの置き土産なわけですから、アメリカの分身ですよね。そのアメリカの分身をアメリカの命令によってレイプするという奇妙奇天烈な状況にある。(中略) 初期の大江健三郎や石原慎太郎の文学的モチーフ、あそこに渦巻いているまがまがしい政治的かつリビドー的な欲望が、大文字の政治におけるプロジェクトとして打ち出されてきているという怖さがあります。日本戦後史論(その1)byドングリ
2016.01.25
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図書館に予約していた『日本戦後史論』という本をゲットしたのです。まつこと半年か・・・この本の論調は陳腐化してないどころか、ますます日本の病癖を指摘して止まないようです。戦後70年の必読書!というキャッチコピーにも納得でおます♪【日本戦後史論】内田樹×白井聡著、徳間書店、2015年刊<商品の説明>よりこの国はなぜ今、戦争ができる国になりたがっているのか? 右傾化する日本と世界、親米保守という矛盾、領土問題の本質、反知性主義ともいえる現状……。この国が来た道、行く道を、『日本辺境論』『街場の戦争論』などの内田樹氏と『永続敗戦論』で大注目の論客、白井聡氏が縦横無尽に語りつくす。「敗戦の否認」という呪縛や日本人に眠る「自己破壊衝動」など、現代日本に根深く潜む戦後史の問題の本質をえぐりだす。戦後70年の必読書!<読む前の大使寸評>団塊の世代もこの歳になれば、「戦後史とは何だったか?」と思うわけです。<図書館予約:(7/27予約、1/19受取)>Amazon日本戦後史論この本の「はじめに」は白井さん、「おわりに」は内田先生が受持っています。長文の「はじめに」の一部を以下に紹介するが・・・なんか白井さんの決意表明のような厳しさがあります。<はじめに>p4~7 ところで、政治哲学の世界では、「愛国主義」とか「愛国心」と訳される言葉には、二つのものがあると言われてきました。一つは、パトリオティズムであり、もう一つはナショナリズムです。両者の違いについては盛んに論じられてきましたが、多くの場合、前者は「自然なもの」、後者は「操作されたもの」と受け止められています。言い換えれば、前者は「下から」、「民衆の生活から自然に湧き上がる郷土への愛」がそのまま拡大したものとして捉えられるのに対し、後者は「上から」、「国家のエリートが作為的につくり出し、民衆に押しつけることで彼らを時の政府に対して従順にさせ、他国民への傲慢な優越感を植え付ける企み」として捉えられます。 ですから、簡単に言えば、パトリオティズムは善きものであるのに対して、ナショナリズムは悪しきものだとされます。「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」という有名な警句がありますが、これは後者の意味での「愛国」を指したものと考えられます。愛国心をかさに着たならず者が、政府に従順でない人々を非国民・売国奴呼ばわりし、したい放題をするという光景は、洋の東西を問わず、数多く観察されるものです。 しかし、このように二つの愛国主義が概念としてきれいに切り分けられるとしても、両者を実際に区別するのは簡単なことではありません。誰でも、自分が慣れ親しんだ自然環境、風土、食べ物、そして人々等に対する愛着を持っているでしょう。こうした心情が郷土愛と呼ばれ、その拡大版がパトリオティズムだと言われます。(中略) 以上のような事情から、政治を学問的に取り扱う際に、愛国主義は大いに危険視されてきました。20世紀前半の二つの世界大戦においては、人々が熱狂的な愛国心に駆り立てられることで未曾有の規模での殺戮が行われた事実がある以上、こうした警戒感が強くなったのは当然のことでした。それゆえ、20世紀後半の人文・社会科学は、ナショナリズムとしての愛国主義に対する批判的解明の作業を進めることにもなりました。 これらを踏まえたうえでなお、内田さんと私の対話は愛国主義を打ち出すものとなりました。その理由は、一つには、ならず者たちの愛国主義がしょうけつを極めているという事情があります。 上は内閣総理大臣から下はヘイトスピーチの市民活動家に至るまで、郷土への愛着は何ら感じられない一方、幼稚な戦争趣味と他国民への攻撃性だけが突出した悪性のナショナリストたちが、愛国主義の旗印を独占しています。これらの輩が、愛国者面をした単なるならず者であることを徹底的に暴露しなければなりません。 もう一つの理由は、先にも述べたように、私たちは今当事者として、この国で起きている問題(原発の問題はその筆頭です)に、正面から取り組まなければならない、ということです。それは、人類ないし地球全体といった普遍的なものに対する義務でもあります。 私たちの国土に対して絶大な愛着を感じる存在は、例えばドナルド・キーン氏のような少数の例外者を除けば、日本に暮らしてきた私たち以外にはいません。私たちが当事者としての無限責任を負わないなら、地球の一部としてのこの国土は、ならず者たちによって使い尽くされた後、見捨てられ、最終的には打ち捨てられることになるでしょう。ですから、「この国土」に愛着を持つ「この私たち」こそが、その自然を、その社会を死守する主体にならねばならない。内田先生が、安部政権の劣化をからめて、戦後史を見直すことの意義を語っています。<戦後史を見直す動きは時代の要請>p19~21 僕の父親たちの世代がそうですけれど、「負けてよかった」という気分がどこかにあった。馬鹿なやつが威張らなくなって、平和と民主主義の国になった。貧しいけれど、ずいぶん明るい社会になった。だったら、それはそれでいいんじゃないか。 「なぜ負けた」という問いは、どこかで「次は勝つ」というマインドに接合します。「次はアメリカに勝つ」ためにという真剣さがなければ「なぜアメリカに負けたか」という問いは前景化しない。でも、戦中派には「次は勝つ」というような気分はまったくありませんでした。 ナショナリストたちにさえまったくなかった。だって、右翼の巨魁たちは次々とCIAのエージェントに採用されてしまったんですから。「負けてよかった」という楽天的なマインドと、「なぜ負けたか」を追求する主体がどこにもいなかったという現実の帰結として、敗戦経験を正面からクールかつリアルに総括するという事業が70年にわたってネグレクトされてきた。そういうことだったと思います。「もう戦争の話はいいじゃないか。済んだことなんだから」という当事者たちの嫌気によって、ほんとうは何があったのか。どうしてこれほど負けたのか。日本人はこの戦争で何を失ったのかといった一連の問いが問われぬままに放置されてきた。 でも、いくら「なかったこと」にしても、現に「あるもの」はそこにあり続ける。日本は敗戦の経験を正面から引き受けることを怠ったために、アメリカの従属国でありながら、主権国家のようにふるまっているという自己欺瞞から抜け出せないでいる。その事実を白井さんのような若い鋭利な知性が、「これはおかしい」と指摘するようになった。 「身内の恥」を当事者たちはふつう言挙げしません。口に出して、ようやくかさぶたができた傷口をこじ開けて、塩を擦り込むようなことはしない。でも、当事者ではない世代は「これはおかしいでしょ」ときっぱり指摘してくる。これはある意味で自然な過程なんだと思います。 ドイツでもフランスでもイタリアでも、敗戦の全面的な総括はやはり敗戦直後にはできなかった。かなり長い時間が経って、「その話はなかったことにしてくれないか・・・」という世代が退場した後に、はじめて「この負け方の総括、おかしいじゃないですか」という世代が登場してきた。「戦勝国」フランスでも、対独協力したヴィシー政府についての歴史学的な研究が始まるまでには戦後40年という歳月が必要だったんです。 日本ではようやく戦後70年が経ってから、「あの戦争で日本は何を失ったのか。失ったものをどうやって隠蔽してきたのか」という問いが立てられるようになった。そういうふうにして見ると、集団の英知の総量というのは時代によって変わるわけではないと思います。ただ残念なことは、白井さんたちが登場してきたにもかかわらず、安部政権誕生以来の2年あまりで戦争責任や敗戦責任をめぐる政治的言説の質はますます劣化しているということですね。内田先生と白井さんが対米従属を語っています。<対米従属が生きる道と信じる人たち>p39~41内田:戦後日本の国家戦略は「対米従属を通じて対米自立を果たす」という大変にトリッキーなものでした。何度もあちこちで書いていることですけれど、僕はこれを「のれん分け戦略」と呼んでいます。丁稚が手代、番頭、大番頭と出世して、ある日大旦那さんに呼ばれてこう言われる。「お前も長いことよく忠実に仕えてくれた。ありがとうよ。これからはもう一本立ちして、自分の店を持ちなさい。明日からはお前も一国一城の主だ」。 そういう展開を日本人はアメリカに対して期待しているんです。政治家も官僚も学者もメヂアも。みんな、そう信じている。 これはあるいはかつて中華皇帝に朝貢していた華夷秩序の辺境国として、身にしみたマインドなのかもしれません。宗主国に対して「従順なふり」をしていると「いいこと」がある。臣下の礼を取っていると、中華皇帝からさまざまな下賜品が下され、「王」の位を賜り、自分のいるあたりの辺土は自治して構わないという一札が頂ける。そのコスモロジーがいまだに日本人の中にはしみついている。白井:ところが困ったことに今はグローバル資本主義の時代になって、周縁的領域だからどうでもいいやというふうに放っておいてはくれません。やれTPPに入れとか、司法制度をアメリカ流に改革しろだとか、無茶なことを押し付けられる。 日本の有権者を見ていてほんとうに唖然・呆然とすることが多いんですけれども、2年前の選挙のときもTPPについて「聖域なき関税撤廃ということになったら、われわれは交渉から撤退する」と自民党は公約した。こんなスローガンを信じる人間がこの国にはたくさんいるということにあらためて衝撃を受けました。 今まで自民党が公約をどう扱ってきたかを見れば、公約が守られないのは自明です。かつて「大型間接税は導入しません」と言いながら、選挙が終わったとたんに「消費税をやります」とかありましたね。間接税は国内の問題に留まっているわけですが、TPPは国内に留まらない。アメリカの帝国主義のお先棒を担ぐことを自民党がやっているわけです。(追って記入予定)
2016.01.25
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<『絵画の向こう側・ぼくの内側』2>図書館で横尾忠則著『絵画の向こう側・ぼくの内側』というエッセイ集を手にしたが・・・各お話が、それぞれ2~3頁におさまり、まとまっていて読みやすいのである。巻末の説明によれば、週刊「読書人」2011年4月から2013年7月に連載された原稿を加筆訂正したものとのことで・・・納得した次第です。【絵画の向こう側・ぼくの内側】横尾忠則著、岩波書店、2014年刊<「BOOK」データベース>より絵画とは何か。描くとはどのような行為なのか。アトリエで、記憶の中から、人や物との出会いの瞬間ー創造への道は開かれる。日常の中で問い続けた独自の思索を集成する、横尾忠則的現代美術への旅。【目次】1 美術の森羅万象(初めに破壊ありき/絵の中の文字のこと ほか)/2 現在という場所(絵が描き手を導く/見えないものは描かない ほか)/3 カレイドスコープ(アンリ・ルソーールソーと戯れる/パブロ・ピカソー無意識下のピカソへの軌跡 ほか)/4 記憶からの視線(星空からの視線/「夢枕」に立った龍 ほか)<読む前の大使寸評>各お話が、それぞれ2~3頁におさまり、まとまっていて読みやすいのである。巻末の説明によれば、週刊「読書人」2011年4月から2013年7月に連載された原稿を加筆訂正したものとのことで・・・納得した次第です。rakuten絵画の向こう側・ぼくの内側先日、横尾さんが奨める『マグリット事典』を読んだところだが、その横尾さんが、マグリットのような物語的作品への決別を語っています。<物語的作品からの脱却>p61~62 ぼくの今までの作品はかなり物語を主題にしたものが多い。どうしてかよくわからないけれど、このような作品になってしまう。なにか他動的な働きが作用しているのかも知れない。といって、ぼくが物語を嫌いかといったらその反対だ。にもかかわらず、最近は物語的な作品から脱却したいという要求が強くなってきている。 今までは物語絵画が好きだった。例えばマグリットとポール・デルボーらのシュルレアリストの作品だ。しかし、このような物語作家はどういうわけか固定した様式から一歩も出ようとしない。 マグリットなどは、ある時期固定した自らの様式を破ろうとして、ルノアール・スタイルの絵や表現主義的な絵を試みて、なんとか自分のスタイルを破壊しようとしたが、結局失敗に終わって、再び元のスタイルに戻ってしまった。それにマグリットは自らの物語性を否定したわけではない。主題はそのままで様式だけを変えようとしたわけだ。 ぼくがしたいことは物語の否定だ。ピカソの主題は、日記的というか日常的だ。彼の主題はそんなに多岐にわたっていない。恋人や子供の肖像だったり、ヌードや静物画が中心の、限定された主題である。ピカソは、そのわずかな主題を多岐にわたる様式で描き分けていく。それはまるで肉体の運動のように躍動している。そしてその一点一点が絵画的実験の反復である。反復といっても同じ様式を繰り返さない。またそこには物語が否定されている。 ピカソの絵を見ていると、絵画はこうあるべきだという霊感を受けざるを得ない。ぼくにとって、物語こそぼくの絵画の核のようなものであった。その核を捨てようとしている。ぼくの内なる声がそれを求め、「お前の物語の時代は終わったよ」と言っているのが微かに聞こえてくるのである。一番後生大事にしていた物語を捨てるということは、いったいどういうことなんだろう。 まだ煮え切らない状態だが、物語を捨てる時期に来ているような気がする。しがみついていたものからの自立である。 絵画における物語は、絵画の歴史の初期から21世紀の現代まで連綿と続いている。だけど、ロマン派を最後に絵画は物語から日常の生活や事物を描く印象派に移り、物語が絵画の主題から後退したかに思えたが、シュルレアリスムで再び心理的物語が復活し、さらに1980年代の新表現主義に至って、再び物語の復権が台頭し始めた。 ぼくが画家に転じた80年代の初頭と重なるために、ぼくの絵画が物語性を帯びたのだろうと思われる。と考えると、現在のぼくは新表現主義の亡霊から脱却していないことになる。もしかしたら、この意識がぼくを物語と決別させようとしているのかも知れない。 絵画における物語は、下手をすると文学的に解釈されかねない。このような危機感を、ぼくの内なる声が察知しているのかも知れない。主題に引きずられる前に、フォルムの研究こそ最優先すべき主要課題である。今ぼくはY字路ではないが、岐路に立たされているような気がする。『絵画の向こう側・ぼくの内側』1byドングリ『マグリット事典』byドングリ
2016.01.24
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図書館で横尾忠則著『絵画の向こう側・ぼくの内側』というエッセイ集を手にしたが・・・各お話が、それぞれ2~3頁におさまり、まとまっていて読みやすいのである。巻末の説明によれば、週刊「読書人」2011年4月から2013年7月に連載された原稿を加筆訂正したものとのことで・・・納得した次第です。【絵画の向こう側・ぼくの内側】横尾忠則著、岩波書店、2014年刊<「BOOK」データベース>より絵画とは何か。描くとはどのような行為なのか。アトリエで、記憶の中から、人や物との出会いの瞬間ー創造への道は開かれる。日常の中で問い続けた独自の思索を集成する、横尾忠則的現代美術への旅。【目次】1 美術の森羅万象(初めに破壊ありき/絵の中の文字のこと ほか)/2 現在という場所(絵が描き手を導く/見えないものは描かない ほか)/3 カレイドスコープ(アンリ・ルソーールソーと戯れる/パブロ・ピカソー無意識下のピカソへの軌跡 ほか)/4 記憶からの視線(星空からの視線/「夢枕」に立った龍 ほか)<読む前の大使寸評>各お話が、それぞれ2~3頁におさまり、まとまっていて読みやすいのである。巻末の説明によれば、週刊「読書人」2011年4月から2013年7月に連載された原稿を加筆訂正したものとのことで・・・納得した次第です。rakuten絵画の向こう側・ぼくの内側まず、皆さんに受ける犬猫論から見てみましょう。<タマ、ミンネ、バーゴ>p94~95 犬派と猫派がいるらしいが、ぼくは断然猫派だ。ネズミ年だが猫が好きだ。どこが?といわれても猫の全てが好きだ。どんなブチャムクレな顔の猫でも猫であれば文句は言わない。 現に今いるわが家のタマは、野良猫出身だった。庭に野良猫が何匹も来るが、その中の一匹が台所から入ってきて、とうとうわが家の一員になった。 野良どうしのケンカで負けたのか右目の眼球の虹彩にかげりがあって、トロンとしているが、左目だけを見ているとなかなかの美人猫だ。ケガさえしていなければと思うことがあるが、かえって可愛い。 でもタマが自らの運命に果敢に挑戦してわが家を選んでくれたのだから、感謝しなければいけない。他の野良猫だって家猫になりたいと思っていたかも知れないが、やはり勇気と運がなかったのだろう。 タマが来てからすでに十数年になるが、その前にはバーゴという母猫とその長女のミンネという猫がいた。二匹ともキジ猫で見分けがつかないほどよく似ていた。いつも二匹がくっついて行動し、寝る時も向かい合ってハートの形になっていた。この親子はもっとたくさんいた猫の中で最後まで生き残ったニ匹だった。本当は5,6匹いたのだが、大半が交通事故などで死んでしまった。 しかし、このバーゴもミンネもやがて死ぬ運命にあったのだ。親猫のバーゴは、ガンになって痩せ衰えて死んだ。その3日後に娘のミンネも死んだ。親が死んだ日からいっさい物を食べなくなって、3日目の暴風雨の寒い夜に忽然と姿を消してしまった。猫は雨が大嫌いなのに物凄い雨と嵐の中家出をしてしっまったのだ。ぼくは直感的に死出の旅に出たのだろうと思った。そしてとうとうミンネは帰ってこなかった。(後略)大使は横尾忠則現代美術館のリピーターであるが、この美術館の開館時のお話を見てみましょう。<開館、横尾忠則現代美術館>p129~130 神戸にぼくの名を冠した「尾忠則現代美術館」が、11月3日(2012年)に開館することになった。発端は、東京にある作品収蔵庫に支出する金額が多額なため、地方で作品を保管する場所を検討していた頃、以前から既知の井戸敏三兵庫県知事にこのことを漏らしたところ、即座に、「横尾さんの美術館を作ったらどう?」という思いもよらない知事の発想によって、それが数年後に実現したというわけである。 神戸はぼくが高校卒業後、勤めた神戸新聞社で、グラフィック・デザイナーとして人生のスタートを切ると同時に結婚した妻との出会いの場でもあることから、生誕地西脇に継ぐもうひとつの郷里でもある。まあ言ってみれば、神戸はぼくのフランチャイズと言えよう。 そんなかけがえのない思い出がいっぱいつまっている土地に、ぼくの個人美術館ができたわけだから、感謝すると同時に喜ばないわけにはいかない。まさに天からのプレゼントである。(中略) この美術館の立地条件は非常によく、目の前には王子動物園と神戸文学館もある。またこの場所から山(六甲山)に向かって歩けば、新婚当時住んでいた青谷もある。だからある意味で里帰りをしたようなもので、この辺りはあまり散策をしたことがないので詳しくは知らないが、気分としては55年前(1957年)の場所に戻ったサケになった気分である。 妻のようにぼくは「神戸っ子」ではないが、神戸に個人美術館が開館したことは、人生の終わりに出合った何か大きい運命のようなものを感じないわけにはいかない。 この美術館にはぼくの寄贈作品のほかに寄託作品もあり、年四回の企画展が計画されている。その第1回展は「反反復復反復」と名づけられ、ぼくの反復作品を過去から現代の新作まで、その代表作で鑑賞していただくことになる。反復作品はすでに採り上げたが、時代を超越して同一モチーフが再び繰り返して描かれている。 ぼくの全ての作品はある意味で未完である。従って同一のモチーフをたびたび反復することで、未完の部分を別の作品で埋めていく作業でもある。
2016.01.24
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<出版流通の壁> 出版不況の中、出版社社長がインタビューで新たな配本の形態を語っているので、紹介します。 村上春樹著「職業としての小説家」の出版時の顛末も語られていて、興味深いのです。(新井敏記社長へのインタビューを1/20デジタル朝日から転記しました) 昨年9月に出版された作家村上春樹さんのエッセー「職業としての小説家」は、紀伊国屋書店が初版の9割を買い取る異例の流通で注目を集めた。版元スイッチ・パブリッシングは、中小出版社に厳しい取次会社の取引条件をよくし、街の書店に確実に届ける配本の実現をめざしたのだという。新井敏記社長に本意を聞いた。Q:インタビューが柱のカルチャー月刊誌「スイッチ」など雑誌中心の出版社として、世界的な小説家の単行本を出すのは、初めての試みだったのでは。どんな経緯があったのですか。A:村上春樹さんには、翻訳家の柴田元幸さん責任編集の文芸誌『MONKEY』を3年前に創刊したとき、自伝的エッセー『私的講演録 職業としての小説家』の連載を始めていただきました。6回で完結したとき、ぜひ単行本にとお願いしたら、了解いただけたのです。書き下ろしを含めて全12章になりました。 村上さんにとって初めての自伝的エッセーをどのように売るか。従来の村上さんの読者に届くにはどうしたらいいか。初版部数は何万部にすればいいのか。思案しました。初版の印刷部数は10万部前後と想定し、販売方法を研究しました。当然、印刷費も含めた資金計画を考えます。それまでも単行本は年5冊ほど出していましたが、今回の初版部数はけたちがいでしたから。Q:順調に進みましたか。A:未知なる挑戦はときめきます。例えば装丁の案として、写真家のアラーキーこと荒木経惟さんが撮影した村上さんの肖像写真を提案しました。村上さんの小説家としての強い意思を示したエッセーであることを象徴し、表現するものにしたかったのです。村上さんの著書でご本人の肖像写真が表紙になった例は日本では珍しく、書店で並んだインパクトを考えるとわくわくしました。ところが、大きな壁は流通にありました。《新刊書は出版社から取次会社を経て書店配本される。取次に卸す際、出版社の取り分となる「正味」とよばれる書籍の本体価格に対する掛け率は、出版社の規模や歴史によって違う。大手や老舗は条件がよく、中小や新興は不利だと指摘されてきた。》Q:どんな問題ですか。A:中小出版社は『配本手数料』といった名目で『歩(ぶ)戻し』というものを取られます。うちの場合、正味が67%、歩戻しは5%で、本の本体価格の実質62%が取り分となります。正味は売れた部数に対してのものですが、歩戻しは取次に委託する出版物すべてが対象で、返本される本にもかかってきます。また売れた本について、取次から入金がされるのは委託7カ月後です。資金繰りを含めた対策を迫られました。《ここ50年ほどに設立された中小出版社4社に歩戻しを聞くと2~5%。80年代半ば以降の創業ではすべて5%だ。 日本書店商業組合連合会(日書連)が77年に発行した編年史に、72年の「書籍正味引き下げに関する覚書」が残っている。600円未満の書籍で69・5%、3千円以上では73・5%など。正味が高い出版社には医薬書や硬派専門書を出す老舗や大手が名を連ねる。93年から大手出版社の書籍正味を「69掛(%)」に引き下げる動きが始まったとも、後に記されている。》Q:村上さんの本でも厳しい取引条件は変わらなかった?A:悲願だった歩戻しの見直しを申し入れました。取次の反応は『村上さんの本は特例として認める』と示唆するもの。しかし会社全体の取引の見直しについては取りつく島もなく、難しいという返事でした」《取次側は「個別の取引については答えられない。商品力や出版社の実績などで取引条件は異なり、委託取扱手数料(歩戻し)というものはある」(日販)、「『職業としての小説家』については一切コメントしない」(トーハン)と言っている。》Q:紀伊国屋書店の買い取りはどのように決まったのですか。A:取次との歩戻しの交渉をしていた昨年6月下旬、『職業としての小説家』の出版のあいさつで紀伊国屋書店の役員の方にお会いしました。この本への期待と出版の現状を含めて課題をいろいろと話しているうちに、『うちで買い取って、新しい方法を試しましょうか』という提案があったのです。 うちのような中小の出版社を応援する目的や、全国の小さな書店にもきちんと配本する意欲も示されました。書店に配本される数を決めるのはふつう取次で、街の小さな書店には希望する数が届かないこともままあるのです。紀伊国屋書店としても、『リアル書店』としての未来像、新しい流通を模索していた時期だったのでしょう。予期せぬ申し出でした。 ただ紀伊国屋書店が取次の役割を果たすという、大部数の書籍では前例のない形態だけに、どんな波及があるのか予想できません。色々なケースを模索するうち、紀伊国屋書店が初版部数の大半を返本なしで買い取り、他の書店には紀伊国屋書店のルートか取次を通じ配本するという条件に落ち着きました。歩戻しはないため、取次との通常の取引より好条件でした。Q:「紀伊国屋がアマゾンなどネット書店に対抗」と報じられました。A:本の流通の改善を求めた中小出版社の試みから始まったのに、本意ではない伝えられ方でした。一書店の買い占めという誤解もありました。私たちはネット書店と敵対しているわけではなく、むしろ良好な関係でつながっています。 紀伊国屋書店へはネット書店でもきちっと売ることの了解も得ていました。誤解に基づく情報が流れた後、すぐ『国内の書店はもとより、ネット書店とも流通の協力を得て発売を続けていく』とホームページで表明しました。街の本屋さんは大事です。今回の試みがリアル書店を勇気づけられたとしたらうれしいことです。《ネット書店を通した購入は増え出版販売額の10%を占めるとみられる。一方、全国の書店数が毎日1店は減り、書籍・雑誌の販売額も96年をピークに下がり続ける。》Q:実際に発売してからは、いかがでしたか。A:本の中身に対する反響が圧倒的でした。この本は村上さんがどうやって小説を書いてきたのか、どうやって生きてきたのかを語った本です。なぜ小説を書き始めたか、米国での出版にどのように乗り出したか、正直な思いが吐露されていました。結局9月24日に2刷、9月28日に3刷で累計20万部を増刷。成功だったと思います」《紀伊国屋書店によると、3刷までの7割にあたる14万部を購入、うち取次に9万部を卸した。うち少なくとも4万部は街の中小書店に配本されたが、ネット書店の扱い部数は不明という。今回の買い取りについて、村上さんの過去のエッセーの売り上げ実績を踏まえ「成功と考えている」。同様の形での買い取りの希望が、複数の出版社からきているという。》Q:経営に携わる以前に、雑誌編集の経験が長かったのですね。A:会いたい人にインタビューし、その人の創作の原風景を見たいというのが編集のモットーです。楽しいこと、おもしろいことをやりたいという編集者の部分が経営者に勝るんですね。創刊から務めた『スイッチ』編集長に約10年ぶりに一昨年復帰しました」Q:「職業としての小説家」の先にあるのは。A:昨年11月に出した直木賞作家の西加奈子さんの絵本『きみはうみ』でも、紀伊国屋書店との取り組みは一部続いています」Q:歩戻しの改善は。A:一向に進んでいません。出版は文化であり、流通はその一つの試み。新しい人たちとわくわくすることを編集する。この意思をなんとかつなげていきたいと思っています。 *新井敏記:1954年生まれ。「スイッチ」「コヨーテ」編集長。94年にスイッチ・パブリッシングを設立し、社長に。2015年、伊丹十三賞を受賞した。<取材を終えて> 出版社、取次、書店で利益の取り分をどうするかは業界内部の話であり、読者には直接関係ないかもしれない。しかし、旧来の取引形態が幅を利かし、中小出版社が割を食うのは腑に落ちない。その一方、小規模出版社から「正味が高い出版社が既得権益を譲らないと解決しない」という声を聞くと、問題の複雑さが察せられた。 出版の売り上げが縮むなか、ネット書店が伸びてその流通は変わってきている。「制度疲労」という指摘を、幾度も耳にした。身近な書店が減っていくのを実感するいまこそ、取引の実態が当事者以外には明らかにされてこなかった出版流通に、より関心を寄せる時期ではないだろうか。(聞き手・川本裕司)図書館で『職業としての小説家』を借りて読んだのだが・・・この本の出版の裏には、中小出版社社長の骨身にしみたようなブレークスルーがあったことがよくわかりました♪出版流通の壁新井敏記2016.1.20この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。
2016.01.23
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図書館で『ソウル・サランヘ』という本をみかけたのです。おお 韓国通の戸田郁子さんの初期の著作ではないか♪・・・ということで借りたわけです。ちなみに、タイトルの「ソウル・サランヘ」とは、「ソウル愛してる」という意味です【ソウル・サランヘ】(画像なし)戸田郁子著、亜紀書房、1994年刊<「BOOK」データベース>よりチョッパリ(日本人の蔑称)を嫁に迎えた柳家を舞台に、仕事・家事・育児を通して繰り広げられる愛と笑いの人間ドラマ。【目次】第1章 結婚まで/第2章 結婚準備/第3章 当日、そして新婚旅行/第4章 玄海灘を越えた恋/第5章 めんどうな手続き/第6章 ワンワン物語/第7章 家を買う/第8章 仕事、不景気、倒産/第9章 子供ができた/第10章 子供を産む〔ほか〕<読む前の大使寸評>著者の戸田郁子さんといえば、大使が韓国通の人たちとしてフォローしている韓国通である。20年ほどむかしの韓国で、新婚生活を始めたようだが・・・さて、どんなかな?rakutenソウル・サランヘとにかく、ポジティブ・シンキングの戸田さんは、まさに日韓の架け橋のような人であると、大使は高く評価しているのです。この本で、韓国から見たニッポンを見てみましょう。<韓国から見たニッポン>p276~285 去年(93年)の8月に韓国政府が、旧朝鮮総督府の建物を撤去すると発表して以来、ここを訪れる日本人観顧客の数が急増していると聞く。これまでソウルのど真ん中に、そんなものがあったことすら意識していなかった日本人も多いだろう。取り壊すと聞いて、初めて見たくなってやって来た人も多いかもしれない。 ここは以前は、韓国の政治を司る中央庁として、現在は国立中央博物館として用いられている。 1910~45年までの36年間の日本による植民統治は、誇り高き朝鮮民族にとっては恥辱の歴史。そして1926年に完工した朝鮮総督府は、まさにその象徴だ。 私に言わせれば、そんなにイヤなものならなあんでさっさと取り壊さなかったのかということが逆に疑問になる。実際にこれまでも、政権が代わるたびにこの問題は取り上げられてきた。しかし実現できなかった一番の理由は、韓国政府のそれだけの資金がなかったということだ。 今ある建物を壊すだけなら、話は簡単だ。ところが国立博物館として使っているために、まずこれを移転しなければならない。さらに旧総督府は歴史の貴重な教訓として復元・保存すべきだという意見も無視できなかった。しかし解体するだけなら百億ウォン(約14億円)もかかる。それに新しい国立博物館の建設費用が5千億から1兆ウォン(千四百億円)。撤去後の跡地も景福宮の一部として、元通り復元しなければならない。 韓国人の忌み嫌う日帝の残滓は、これだけではない。朝鮮総督官邸が今の大統領官邸である青瓦台にあり、2年前に新官邸が建てられるまで、ここは韓国歴代大統領の執務室として使われてきた。また現在のソウル市庁も日本人が建てたものだ。その他ソウル駅や韓国銀行、新世界デパートなど大きな建物がまだまだ残っている。今後はこれらについても、撤去論議が起こるに違いない。 韓国には風水地理という学説がある。一種の地相学で、国の重要な建築物や祖先の墓を作る時、風水地理によって場所を決める。現代人にも、非常に説得力っを持って受け入れられている思想だ。いや、一種の信仰と考えてもいい。(中略) 以前、風水地理を研究している大学教授に会った時、笑いながらこんなことを言っていたことを思い出した。 「あれこれ面倒なこと考えてないで、いっそのこと誰かが総督府の建物に爆弾でも仕掛けてドカンとぶっ壊しちゃったら、さぞかしせいせいするだろうな」 果たして当時の日本軍が、これほど綿密に朝鮮の風水地理を研究していたかどうかについては、私はわからない。しかしどちらにしろ、これだけの被害者意識や精神的なダメージを与えることができただけでも、日帝のやり方はかなりの効果があったのだろう。 これまで掛け声だけだった総督府撤去は、いよいよ具体化することになった。新しい国立博物館は米軍基地のゴルフ場跡地に建設されることが決まり、2000年までには完工する予定だという。そして総督府の復元は、莫大な費用がかかるため見送られることになった。 それでも国家予算だけでこの費用を負担するには、かなりの無理がある。おそらく今後何らかの形で、国民がこの費用を負担することになるのだろう。かつて日本人が勝手に作ったもののツケが、今韓国民に返ってきているのだ。 しかし考えてみれば、この建物を復元しようという論議は、むしろ日本側から出てもよさそうなものだ。「歴史の教訓として後世に残したい」という気持ちが本当に日本人にあるのなら、移転・復元の費用の一部は日本国民が負担しようと言うべきじゃないだろうか。 撤去が実現すれば、韓国にとっては約70年ぶりに断ち切られていた脈がつながり、ソウルに気が満ち溢れることになる。それによって韓国人の自尊心が回復し、ひいては国が栄えるというのであれば、隣人としてもやはり喜ぶべきことなのだろう。(中略) 韓国では世代ごとの価値観がずいぶん違うように思う。一番「反日」的な感情が強いのは、今の40代ではないだろうか。日帝時代を体験してはいないが、親や先生から当時の話を繰り返し聞かされ、日帝の蛮行を間接体験している。 私の知り合いが、商用で初めて日本に行った時の話を聞いて、大笑いしたことがある。 「日本に行ったら、自分の行動すべてに気を付けた。たとえば日本では歩行者は右側通行だと聞いて、道を歩く時は必ず右端を歩いた。煙草の吸殻も捨てちゃいけないと、灰皿が見つからない時はポケットに入れた。人に道を尋ねる時も、相手に失礼にならないように気を使った。電車で人の足を踏んだら、すぐに『すみません』とあやまった。自分のせいで、やっぱりチョーセンジンは野蛮だ、なんてことを言われたくなかった。ものすごく疲れた」 この世代に共通しているのは、日本人に馬鹿にされてはいけないと、必要以上に身構えて日本に行くことだ。しかし彼も夜盛り場に行って、夜中に道で大声で騒ぐ酔っぱらいや立ちションしてる人々を見て、「なんだ、韓国と同じじゃないか」と肩の力が抜けたという。こういう人たちは、道を尋ねて親切に教えてもらったりすると、ものすごく感激してしまう。「日本人は礼儀正しくて親切だ」というイメージが強くインプットされる。 ところが20代は違う。日帝時代なんて退屈な歴史の教科書の中のこと。日本で一番行きたい所は、ディズニーランドや原宿だ。ここで、旧朝鮮総督府の現状をウィキペディアで見てみましょう・・・やはり撤去されていますね。wikipedia朝鮮総督府より 最終的には、かつての王宮をふさぐかたちで建てられていることから、反対意見を押し切り、旧・王宮前からの撤去が決まった。撤去の方法として移築も検討されたが、莫大な費用がかかるため、1995年に尖塔部分のみを残して庁舎は解体された。その尖塔部分は現在も天安市郊外の「独立記念館」に展示されている。跡地には庁舎建設によって取り壊された王宮の一部が復元され、現在は同宮の正面入口となっている。最近読んだ戸田さんの本を紹介します。【ハングルの愉快な迷宮】戸田郁子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベースより>韓国語学習歴30年、韓国人写真家と結婚、大家族の韓国家庭に揉まれて18年。「韓国生まれの韓国人」だと間違われるほどの実力の持ち主である著者をもってしても、いまだにちょっとした言い回しに驚くことがしばしば。見知らぬ子どもに「イモ」と呼ばれたり、雨の日はなぜかチヂミを食べたり。日々の不思議をくぐり抜けて韓国語を磨いた過程を、ユーモアと愛情たっぷりに描いたエッセイ集。 <大使寸評>著者の戸田郁子さんが、韓国人と結婚し、彼の地で暮らしているのでディープな話題に事欠かないのでしょうけど。韓国語の完璧な発音は日本人には無理だと言われているようです。Amazonハングルの愉快な迷宮日中韓の架け橋のような家族byドングリ
2016.01.23
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・日本戦後史論・ハトはなぜ首を振って歩くのか・もう読みたい本がない!<大学図書館>・ソウル・サランヘ・漂泊の俳人たち図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【日本戦後史論】内田樹×白井聡著、徳間書店、2015年刊<商品の説明>よりこの国はなぜ今、戦争ができる国になりたがっているのか? 右傾化する日本と世界、親米保守という矛盾、領土問題の本質、反知性主義ともいえる現状……。この国が来た道、行く道を、『日本辺境論』『街場の戦争論』などの内田樹氏と『永続敗戦論』で大注目の論客、白井聡氏が縦横無尽に語りつくす。「敗戦の否認」という呪縛や日本人に眠る「自己破壊衝動」など、現代日本に根深く潜む戦後史の問題の本質をえぐりだす。戦後70年の必読書!<読む前の大使寸評>団塊の世代もこの歳になれば、「戦後史とは何だったか?」と思うわけです。<図書館予約:(7/27予約、1/19受取)>Amazon日本戦後史論【ハトはなぜ首を振って歩くのか】藤田祐樹著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より気がつけばハトはいつでもどこでも、首を振って歩いている。あの動きは何なのか。なぜ、1歩に1回なのか。なぜ、ハトは振るのにカモは振らないのか…?冗談のようで奥が深い首振りの謎に徹底的に迫る、世界初の首振り本。おなじみの鳥たちのほか、同じ二足歩行の恐竜やヒトまで登場。生きものたちの動きの妙を、心ゆくまで味わう。【目次】1 動くことは生きること(動くとは、どういうことか/死なないために動く ほか)/2 ヒトが歩く、鳥が歩く(鳥とヒトの二足歩行/歩くことと走ること ほか)/3 ハトはなぜ首を振るのか?(首振りに心奪われた人々/頭を静止させる鳥たち ほか)/4 カモはなぜ首を振らないのか?(体のつくりがちがう?/まわりが見えてないカモ? ほか)/5 首を振らずにどこを振る(ホッピング時に首は振るの?/首を振らないチドリの採食 ほか)<読む前の大使寸評>三浦しをんの選ぶ本は、だいたい外れがないので・・・・この本が気になるのです。<図書館予約:(8/13予約、1/19受取)>rakutenハトはなぜ首を振って歩くのか【もう読みたい本がない!】斉藤裕作著、幻冬舎、2011年刊<「BOOK」データベース>より「新刊洪水」「出版物の軽薄化および消費財化」をはじめとする多くの問題から抜け出せずにいる出版業界。出版物全体の売上が長期低落傾向を続けているのに、それを止めることができない業界の体質は、どう考えても異常である。本をこよなく愛する著者が、近代出版史をふまえ、出版業界が抱えている諸問題の解決策を提言し、不況という言葉に甘んじている出版業界に喝。<読む前の大使寸評>出版不況の昨今であるが、図書館大好きな大使としても、出版業界が抱えている諸問題を押さえておこうと思ったのです。(ヒマな大使である)rakutenもう読みたい本がない!【ソウル・サランヘ】(画像なし)戸田郁子著、亜紀書房、1994年刊<「BOOK」データベース>よりチョッパリ(日本人の蔑称)を嫁に迎えた柳家を舞台に、仕事・家事・育児を通して繰り広げられる愛と笑いの人間ドラマ。【目次】第1章 結婚まで/第2章 結婚準備/第3章 当日、そして新婚旅行/第4章 玄海灘を越えた恋/第5章 めんどうな手続き/第6章 ワンワン物語/第7章 家を買う/第8章 仕事、不景気、倒産/第9章 子供ができた/第10章 子供を産む〔ほか〕<読む前の大使寸評>著者の戸田郁子さんといえば、大使が韓国通の人たちとしてフォローしている韓国通である。20年ほどむかしの韓国で、新婚生活を始めたようだが・・・さて、どんなかな?rakutenソウル・サランヘ【漂泊の俳人たち】金子兜太著、日本放送出版協会、2000年刊<「BOOK」データベース>より古人も多く旅に死せるありと『おくのほそ道』に記した芭蕉。その後も多くの俳人たちが旅を日常とし、漂泊のなかに生を求めていった。先人芭蕉との違いに句作の原点を求めた一茶、信州伊那に居続けた井月、全国を気の向くままに歩いた山頭火、瀬戸内の小豆島に短い生を閉じた放哉、人々の間を水のように流離った三鬼。彼ら六人の魂の軌跡を探り、漂泊への憧景を読む。【目次】第1章 松尾芭蕉/第2章 小林一茶/第3章 井上井月/第4章 種田山頭火/第5章 尾崎放哉/第6章 西東三鬼<読む前の大使寸評>俳句をたしなんでいるわけではないが、アポなしの漂泊の旅にあこがれる大使である。老境にさしかかり、ヒマなんで・・・俳句あたりにチャレンジしようか♪rakuten漂泊の俳人たち*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き131
2016.01.22
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先日、母の見舞いに四国の実家に帰省したのだが…鬱蒼としていた庭木が、綺麗さっぱり剪定されていました。妹からシルバー人材に剪定を依頼していることを聞いていたので、驚愕したというほどではないが・・・・長髪の友人が丸坊主になっていたほどの驚きがあったわけです。そうか、根本から切るほどではないが、これだけ思い切った剪定もアリなのか♪神戸のわが庭のシンボルツリーでもあるケヤキを、チェーンソーで剪定してみるか(オイオイ、大丈夫かいな)図書館で『手入れがわかる雑木図鑑』という本を手にしたが・・・我が家の庭も雑木林風なので、参考になるで♪ということで借りたわけです。【手入れがわかる雑木図鑑】平井孝幸著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より雑木の庭は清々しいそよ風と木漏れ日が心地よい現代のオアシスです。アオダモ、クロモジ、ガマズミ、コナラ、ナツハゼ、リョウブなど落葉広葉樹72種を中心に、常緑広葉樹21種、針葉樹8種の合計101種の魅力と手入れの仕方をわかりやすく紹介。<読む前の大使寸評>我が家のケヤキやカツラなどの雑木は、植え付け以来、プロによる剪定を一切受けていないので・・・プロから見たらあっと驚く姿になっているかも?しれないのです。とにかく左様に荒れ庭になっているかもしれないので、反省の意味を込めてこの本を読んでみようと思い立ったのです。rakuten手入れがわかる雑木図鑑雑木の庭のコンセプトを見てみましょう。<自然の情景を写し取ったガーデンスタイル>p24 雑木の庭を構成する主な要素は、雑木林の主役となっているコナラやイヌシデ、ナツハゼなどの落葉広葉樹です。植え方も雑木林のように、さまざまな樹種がバランスよく植えられ、幾何学的な意匠のあるデザインや1種類の樹種が並ぶことはありません。庭という限られた場所でありながら、雑木林の中のように見せるスタイルなのです。 マツやキャラボクなどの常緑樹を主役にした、京都などを主流とする「伝統的な和の庭」とは、まったく異なったガーデンスタイルで、「和の庭」によく登場する「玉造り」や「ロウソク仕立て」、「刈り込み式の垣根」などは、雑木の庭では用いません。 モダンでナチュラルな志向を持った都市型生活者には、とくに雑木の庭の人気が高くなっています。ライフスタイルにこだわりを持ち、成熟した暮らしを楽しむ人たちを中心に、近年急速に普及しているガーデンスタイルです。 この本で、ケヤキの剪定を探したが載っていません。ケヤキは大木になるので、どうも庭木の扱いを受けていないようです。・・・ということで、気になる樹種について見てみましょう。<カツラ>p36【特徴】ハート形の葉が風に揺らぐ姿が好まれ、紅葉の頃はキャラメルのような香ばしい香りがすることからも、人気があります。 春の芽出しから淡い緑色の新緑、秋に黄色く色づくまで、季節の変化を長く楽しめます。【用途】株立ちで育ち、庭の骨格をつくるだけでなく、表情も添えるので、建物の近くなど、やや目立つところに似合います。 しっとりとした湿り気のあるところが好きです。夏の暑さにやや弱いほかは丈夫で、強い剪定にもよく耐えます。日なたから半日陰まで、よく育ちます。【手入れと管理】剪定は1~2月に樹形を乱さないように行います。 手入れは、胴吹き枝が多く伸びてくるので、毎年1/2程度まで、強く伸びた枝を幹の際から切り落とします。成長が速く、樹高も伸びがちなので、数年に一度は主幹を切り戻し、低い位置から伸びてくる胴吹き枝を活かして更新します。<ナツハゼ>p55【特徴】夏の終わりには紅葉を始め、ハゼノキのように赤くなることから名があります。コンパクトな枝振りに繊細な葉を持ち、新緑は初夏まで赤みを帯び、存在感は抜群です。 5~6月には赤~淡褐色のベル形の花を咲かせます。黒褐色の熟果はブルーベリーに似ており、ジャムにしても美味です。四季を通じて美しく、食べてもおいしい、「雑木の女王」です。【用途】ほかの木に添わせると美しい情景をつくりやすく、しなやかな枝振りが際立ちます。【手入れと管理】病害虫は、テッポウムシ、ハマキムシに注意が必要です。見つけたらこまめに捕殺します。 徒長枝を付け根から切り取り、全体の1/3弱程度を切除します。数年に一度、胴吹き枝を活かして低い位置で切り戻し、ひこばえを伸ばして主幹を更新します。最後に、目から鱗が落ちるようなノウハウを見てみます(もう遅いかもしれないが)<幹を太らせずに維持する>p105 雑木の庭の骨格をつくる落葉樹は、コナラのように成長するスピードが比較的速いものが多く、健やかに育つとぐんぐん幹が太くなり、樹冠も大きくなります。 しなやかな細い幹の状態を維持するには、木を太らせないことで、そのためには栄養分をつくる葉を増やさないことが重要なポイントです。 木全体の葉の枚数を増やさないためには、枝ごと、葉を切り落とすのが効果的です。しかし、枝の途中から先端だけをブツ切りにしてしまっては、自然な枝振りからはかけ離れてしまいます。 しなやかな枝を残したまま、一定の成長ペースで雑木を維持するには、枝を間引くように、毎年冬に全体の1/3程度の枝を剪定するのが大きなポイントです。ところで、ケヤキの剪定に関する懸念なんですが・・・・多分、今は家の基礎とケヤキの根の力関係が拮抗していると思うのだが、今後はケヤキの根がハバを利かせてくると、基礎にヒビが入る恐れがあるわけです。とにかく、庭師のプロが見たら我が庭は、危険な植え付けなんでしょうね(汗)
2016.01.22
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<『マグリット事典』>図書館に予約していた『マグリット事典』という本をゲットしたのです。横尾忠則が推しているし、見て楽しい事典のようであるということで、借りたのだが…予想にたがわず、見て楽しいのである♪【マグリット事典】クリストフ・グリューネンベルク、ダレン・ファイ著、創元社、2015年刊<「BOOK」データベース>より「Absence(不在)」から「Zwanzeur(無意味なことをする人)」まで148語のキーワードを総数約250点の図版・写真とともに一挙掲載!シュルレアリスムの大家、ルネ・マグリットの作品と彼の世界観を明らかにする百科事典の初邦訳。世界各国の美術館に所蔵されている作品や資料をもとに、国際的なマグリット研究家たちがキーワードを丁寧に解説。レファレンスとしてきわめて有用な一冊であり、マグリットを中心に当時の文化状況を理解するうえで必携の書。<読む前の大使寸評>横尾忠則が推しているし、見て楽しい事典のようである。<図書館予約:(1/07予約、1/12受取)>rakutenマグリット事典この事典から気になる言葉を、アトランダムに挙げてみます。【Chance 偶然】p38 シュールレアリストが呪文によって不思議の世界を呼び出したり、潜在意識のメカニズムを解明する鍵となる技法。 この概念はイジドール・デュカロスがロートレアモン伯爵というペンネームで、「解剖台の上でミシンと傘が偶然出会うような美しさ」と表現した常套句によく現れている。マグリットにとっては、日常的なものや身体の一部、場所を、ありえないかたちでミステリアスな世界を立ち上がらせる鍵となる方式であった。 たとえば、空に浮かぶ巨大なカメ、室内にある大きすぎるものたち、木の前に置かれた三日月などがある。しかしながら、偶然それ自体は、マグリットが技術を疎外することの蓄積において限定的な役割を果たしている。 マグリットにとっての偶然は、たまたまの出会いというよりは、論理学や物理学の法則を一時的に宙づりにしたり、形而上学的に日用品を変容させたり、現実の予想を転覆することに慣れているような、さまざまな要素を上手に混在させたりすることであった。 マグリットにとって最も重要なことは、意味するものと意味されたもの、そして日用品とその言語学的な名称との関係性を破壊することであり、論理的で秩序のある世界という考え方に対して異論を唱えることであった。 一見偶然を装って併置する方法でマグリットが結合しているのは、たとえば1930年の作品『夢の解釈』では、日常的にいつもあるものと、そもそも調和しない説明文とである。夢の解釈 それはたとえば、女性の靴が「月」であったり、コップが「稲妻」、ロウソクが「天井」、そしてタマゴが「アカシア」であったりという具合である。また同様に、マグリットはどうやら手当たり次第にそもそも調和しないイメージと題名を結合させて、その結果生じる詩的な摩擦を有効的に作りだしているようである。【Salvador Dali サルバドール・ダリ】p52 マグリットとダリは、シュルレアリストの美術を、自動作用による技術に力点がおかれていたものから、描かれるイメージを重視する作品づくりへ方向転換させたもっとも重要な作家である。 マグリットは1929年の夏に招かれてダリのカダケスの別荘に滞在する一団に参加するが、こうした歓待がその後の運動へと結実していった。しかしふたりの見解と目的はとても対照的であった。 ダリが突飛な神仏を登場させて無意識のドラマを入念につくりあげることについて、マグリットは関心がなかった。マグリットが関心を共有していたのは、1930年代に多くのシュルレアリストが制作した、明らかに時代遅れになっていたアカデミックな技法や、観衆を挑発したり魅了したりするための能力であった。【Drawing 素描】p60 マグリットにとって、素描は視覚芸術の基礎となる必要不可欠なものであった。シュルレアリストが考えていた自動作用のような、作家の意思が認められない非自発的な行為としての素描を彼は拒否していた。マグリットは注意を怠らずに没頭する心構えが、作家としての制作物にとても重要だと考えていたのである。 マグリットの絵画作品は注意深く構成が考えぬかれていて、自発的な思考のプロセスから生じている。マグリットはこの「必然的な偶然」から生じるプロセスを「インスピレーション」と呼んでいた。 マグリットは「私は完璧なイメージが思い浮かぶまで描くことができません。イメージはゆっくりと形を結びます。私はスケッチブックを手にとる。するとインスピレーションが私にイメージを与えてくれます。私は雲を描きたいという気持ちに満たされ、そうして私は雲を100個ほど描くのです。私はその雲に隠れたところで、何が進行しているかを知ることになるのです」と述べている。【Legacy 遺産】p104~106大家族 人気があり、摸倣され、社会的な影響力があり、文化的な重責も担っていた近代の作家のひとりであるマグリットの遺産は、さまざまな局面に見ることができる。 まず、マグリットの桁違いの衝撃は、広告とデザインの分野で現在も続いている。マグリットは仕事に就いてまもなく、広告関連の仕事をしていた。そして1930年代の初めに、また生涯を通じて適宜続けていた。多くのポスター、楽譜や雑誌の表紙絵などが1910年代後半から1930年代中頃につくられたが、比較的限られた発行部数であったため、あまり影響力はなかった。 ところが、1965年12月にサベナ航空はマグリットに対してエンブレムの制作を委託し、それを受けて1966年に描かれた『空の鳥』の絵は、「評価の高い広告」キャンペーンに組み込まれ、「告知、ポスター、リーフレット、プラカード、ラベル」など一連のものが『空の鳥』を宣伝するためにデザインされた。 その後は「宣伝パンフレットやショーウィンドウ陳列などの促販広告」によって徹底された。2003年に『空の鳥』には約230万ポンドの売値がついたがサベナ航空はすでに2年前に倒産。マグリットが「ホウレンソウに添えるバター」ほどだと言及していた作品の価値が急騰したために、『空の鳥』の絵は、単に航空会社のロゴマークとして高度に可視化されたものではなく、むしろある種の国民のアイコンと見なされていた。 マグリットの描いたイメージが、無断で使用ないし流用されている例は無数にある。1937年の作品『臨床医』はそのひとつである。臨床医(後略)【The Petrified Image 石化したイメージ】p138 マグリットは1950年に「石化」をテーマにした作品を制作しはじめた。その主題は生活や不思議な生き物、静物や風景といったものが含まれ、広範囲に及んでいる。これらの作品で描かれているのは、あらゆるものが石へと変容する状況のなかにある、世界と個人的な要素である。 これらの作品はマグリットの初期作品で見られる、変容の経過と関連がある。しかしこの石化したイメージが描かれた作品では、変容は終わっていて、すでに石となって固まっているという筋書きである。(中略) 数多くの石化が描かれるなかでマグリットが好んで描いたものに、単独で表現された巨石があるが、それは比喩的にも、また象徴的にも意味の欠如があるからであった。つまり意味がないということによる中立性を表現しているのが、1959年の作品『ガラスの鍵』である。ガラスの鍵(後略)【Zwanaeur 無意味なことをする人】p200 ブリュッセルで最も古い地域のひとつであるマロール地区では、ドイツ語とフランス語が融合した「ブリュッセル人」特有の方言が使われている。ブリュッセル人にとって「zwanaeur」とは、道化芝居や冗談、「無意味なこと」をつくりだす反抗的な状態、あるいは「おどけ者」を意味する。 ときには自分をあざ笑ったり、自らすすんで誇張したり、また事実を増幅したりするようなことも含まれる。これはベルギーが歴史的にさらされてきた相次ぐ占領に対する、とりわけ中世の宗教裁判のあった時代からの抵抗の表れであると考えられる。 マグリットと共作者との関係に、この精神の特徴が示されているのだとしたら、たとえばルイ・スキュトネールやポール・コリネや、そしてマグリットが子供のときから加わっているいたずら友達との交遊を見てみればよい。マグリットは自宅の居間に自分の棺を飾って友達を招き反応を観察していたことがあったり、マルセル・マリエンと一緒にピカソのスタジオの階段に硬貨と紙幣を置き去りにしてみたりといったように、近現代のベルギーではユーモアを表現することすべてが、どうも「シュルレアリスト」が行うようなことだと捉える傾向が強い。 私たちが心に留めておくべきことは、シュルレアリストのユーモアには暗く道徳的な特徴が加味されているということであり、今日の商業的な広告や美学的な目的のために使い古された手順を繰り返すような追随者の身振りからは、最もかけ離れているということである。
2016.01.21
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<『日本ジジババ列伝』>図書館で『日本ジジババ列伝』という本を手にしたのです。おお、清水義範のジジババ列伝なら、例のドタバタが期待できるでぇ♪ということで借りたのだが…【日本ジジババ列伝】清水義範著、中央公論社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりしみじみおかしい長生き百態。孫に片思いのお祖母ちゃん、夜な夜な洋食屋に出没するホラ吹き爺さん、海外旅行の達人の老女―。不安や悲哀を抱えつつもどこかたくましい老人達を、ユーモラスに描く12編。<大使寸評>図書館で『日本ジジババ列伝』という本を手にしたのです。おお、清水義範のジジババ列伝なら、例のドタバタが期待できるでぇ♪ということで借りたのだが、読み進めると、まっとうな老人小説なので拍子抜けの感もあったのです。少子高齢化の話題で盛り上がる前に、ちょっと先走りして刊行されているのだが・・・この老人列伝が、いい味出しているだけに、この路線で押して行けば良かったのにと思ったのである。今からでも遅くないので、シリーズ第二弾を期待したいものです。Amazon日本ジジババ列伝この本は、12人の老人の列伝になっているのだが、そのなかでひとつ。p158~173<ホラ吹き爺さん> マスターは、子供ばかりではなく、あらゆるタイプの客に対する対応がうまかった。若いカップルの客がいいムードでいる、なんて時にはもちろん口出しせず、ただほんわりと料理を出すだけだが、マスターに話しかけるのが目的で店に来る、なんていう客にはあれこれ相手になってやるのだ。 たとえば、岩井徳造が、そういう客の一人であった。本人の話すところによればなんでも山形県出身で、近頃は引退したに近い格好だが確か庭師さんで、今年77歳のはずの小柄な老人。小柄だが筋肉質で、案外身のこなしは敏捷である。 その岩井徳造は、ほとんど毎日、ちょっと姿を見せないなという時でも週に2回は、自転車に乗って、午後5時半頃に「マリオ」にやって来る。 すわる席も決まっている。厨房に一番近い4人がけの席に、入口に背を向けて、ということは奥の厨房への通路を隠すのれんの方を向いてすわる。マスターは家族を迎えたようなあたたかい声で、いらっしゃいませ、と言う。 岩井徳造は、決まって酒をたのむ。燗酒をコップで。 酒はちゃんとお銚子で出す店なのだが、彼が、面倒だからコップでいいよ、という習慣にしたのだ。 つまみに、一品料理を注文する。カニコロッケだけとか、サケのムニエルとか、アスパラガスのバター焼きとか。メニューにはないそういうコースの中の一品のようなものを、マスターはみつくろってやるのだ。 「今日はどうしましょうか。お肉を食べますか。お肉の気分じゃない。じゃあ、ホタテはどうです。粉をつけてバターで焼いて、さっと醤油味で。ね。それいきましょう」 そういう料理をつつきながら、岩井徳造はぽつりぽつり、マスター相手に話を始めるのだった。 「今日は久しぶりに遠出をしちゃって、くたびれちゃったよ」 「へえ、どちらへいらっしゃったんですか」 ほかの客の注文をきいたり料理を出したり、時には小さな女の子のクイズの相手をしたりしながら、マスターは実に程良く岩井徳造の相手をする。 「大宮のほう。あっちのね、資産家の庭を手直しするってんで、見てくれって頼まれて」 「へえ、遠くて大変ですね」 「送り迎えしてもらえるんだから、それはいいんだけどさ」 「あ、そういう時は息子さんが車で送ってくれるんですか」 「うん。あいつの仕事の監督をしに行くようなもんだからね」 「でもいいじゃないですか。そうやって人に頼まれてやる仕事があるっていうのは」 「本当は悠々と引退していたいんだよ」 「そういう贅沢なこと言っちゃいけませんよ。やることがあるっていうのは幸せでしょう」 岩井徳造はへっへ、と皮肉な笑いを顔に浮かべる。よその席で客が立って、毎度ありがとうございました、と言いながらマスターはレジのほうへ行く。 マスターが立ち働いている間、岩井徳造はひとりでむっつりと飲んでいる。コップ酒が二杯目になる時もある。 そうして、結局マスターは、合い間合い間に徳造の相手をしてやらねばならない。 「マスター、あの人知ってる。文芸評論家でさ、文化勲章も受けた串畑吉光って先生」 「串畑吉光ってもう亡くなった方でしたよね」 「そう。昭和55年に亡くなって、最後の大物評論家が消えたって言われたんだ」 「お名前ぐらいは知っていますけど、何か読んだかってきかないで下さいよ。文化的な方面にはさっぱり教養がないんですから」 「でも名前はしっているだろう。有名な人だからね。あの先生とおれ、いろいろ話をしたことがあるんだよね」 「えーっ。どうしてですか」 この、えーっ、という驚きの声が、このマスターの優しさなのだ。岩井徳造は満足げに薄ら笑いを浮かべる。 「あの人、当時中野のほうに住んでたんだ。かなりの庭のある立派な家でね」 「いつ頃のことですか」 「昭和30年代だよ。それで、ちょくちょく庭木の手入れに行ってたの。そしたらある時あの先生が庭へ出てきてさ、ご苦労様ですってとこからいろいろ話をしたの」 「へえ、そうなんですか」 「あれだけの文芸評論家の先生がだよ、学生の時分には柔道をやってて、将来は柔道家になりたいと思ってたそうだから面白いよな。それでおれもさ、若い頃にはいろいろスポーツをしたほうだから、話があってしまって」 「岩井さん、スポーツをやった人間の体つきをしてますもんね」 「そうなんだ。若い時に鍛えてあるのは、あとで違ってくるわな」 「そうなんですよね」 マスターは逆らわずそう言う。 だが実は、このパターンの、岩井徳造が仕事の関係で親しく話したことがある文化人というのは、これで十数人目なのであった。評論家や作家や画家や、ヘルシンキ・オリンピックの時の選手や。このあたり十キロ圏内に住んでいた有名人は、みんな岩井徳造に庭の手入れを頼んでいたらしいのである。(中略) ホラを吹くのが習性になってしまっているのだろう。話をしていて、なんぞのきっかけで有名人とか出てくると、ついつい、よく知っている人だよと言いたくなってしまう。老人のわりには社会的な関心があるほうだから、世間に知られているぐらいは本当に知っているわけだし。 別にそのホラによって自分を大物だと思わせ、ふんぞり返りたいわけでもないらしい。そういう気持ちも多少あるかもしれないが、それよりも、その場でちょっといい顔をしたいだけのことなのだ。へーえ、そうなんですか、と言ってもらえればそれでそれで十分なのである。 岩井徳造が、特に寂しい人生を送っているわけでもない。話し相手は猫だけ、なんていう孤独な老人で、その人がついつい振り向いてもらいたくて嘘をつく、というようなドラマを彼にあてはめることはない。 飲んで、いい調子でホラを吹くおもしろい爺さん、ぐらいの受け止め方が正しい。だからこそ、「マリオ」のマスターの反応が一番正しいのだ。ウン いい線いっているやんけ♪ 清水義範さんの著作は、レパートリーも広く、時流を見る眼もいいわけです。だけど、何を書いても水準以上なんだが器用貧乏というか・・・大ブレークしないのである。(何でもできるが、何者にもなり得なかったことでは、吉田兼好さんのような人である)清水義範さん、大使も応援するさかい、頑張りましょうね♪
2016.01.20
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図書館で『死神の浮力』という本を手にしたが・・・先日、著者の『グラスホッパー』という本を読んだので・・・個人的には、(この本が先に出版されてはいるが)死神シリーズ第二弾のような本になるわけです。【死神の浮力】伊坂幸太郎著、文藝春秋、2013年刊<商品説明>より『死神の精度』で活躍した「千葉」が8年ぶりに帰ってきました!クールでちょっととぼけた死神を、今度は書き下ろし長編でお楽しみください。 <読む前の大使寸評>先日、著者の『グラスホッパー』という本を読んだので・・・個人的には、(この本が先に出版されてはいるが)死神シリーズ第二弾のような本になるわけです。rakuten死神の浮力第一人称の使い手が千葉(死神)と僕と、二人いるのが、異色というか、ややとまどうのです。死神が、それと悟られないように、苦労しながらしゃべっています。p18~20 「カーテンを閉めよう」僕は言ったが、美樹はそのまま、外を見ていた。どうしたのか、と声をかけると、「変な人いるね」と声だけで答えた。 (中略) 彼女がモニターのボタンを押さなければ、僕たちには、男の会話は聞こえず、つまりは彼に興味を抱くこともなく、家に招き入れることもなかったはずで、そうであるのならばそれ以降の展開はまるで違った方向に進んでいただろう。 「ちょっと、どいてくれないか」男が言っている。インターフォンのある、我が家の門柱に近づくつもりなのだ。 「山野辺さんのお知り合いですか」誰かが質問していた。 「そっちは、お知り合いなのか?」 「取材に来てるだけですよ」 男はそこで、1、2、とその場にいるカメラマンや記者を数えている様子だった。「十人か。いつまでいるんだ」 そのあたりですでに記者たちは、不審な男だと察しはじめており、これはこれで絶好のアクシデントが起きるのでは、と期待も感じはじめたのかもしれない、声の調子に熱が帯びていた。ある記者が、「あんた、こんなのマシだよ。1年前はもう、ずらっと記者がいて、大名行列みたいなもんだったから」とぶっきらぼうに説明をしているのが聞こえた。 「大名行列?」男はそこで、「ああ、参勤交代か」と苦々しげに呟いた。「懐かしいな」と。 「懐かしい?」 「三回ほど同行したことがあるが、あれはなかなか面倒臭い」 僕はもちろんのこと、外にいる記者たちも困惑している様子だった。 「参勤交代が面倒臭いって、いったいいつの話をしているんだよ」荒っぽい記者が一人、つまらない冗談を言うな、と怒りながら問いかけた。 「俺が同行したので一番長かったのは、盛岡から556キロだ。11泊12日だったか。俺は途中で離脱したが、あれだったら、奥入瀬を歩く2時間のほうがよほど有意義だった。知っているか?大名の乗る駕籠は、あれは、かなり乗り心地が悪いんだ」 僕は、モニターから目を離し、隣にいる美樹の顔を窺った。いったい何の話をしているのか、と首を傾けざるを得ない。 そこで、ばちばちと激しい音が頭上で鳴った。雨脚が突如として激しくなり、屋根を勢いよく、叩きはじめたのだ。モニター越しに、外にいる記者たちの慌てぶりも伝わってきた。まだ読み終わっていないが、伊坂幸太郎の小説で語られることが多い「希望」は、いつ出てくるのだろうか?それにしても、死神に第一人称として語らせるとは・・・なんという罰当たりの小説なんだろう(笑)この記事も伊坂幸太郎の世界に収めるものとします。
2016.01.19
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「図書館いろいろ」でしょうか♪<市立図書館>・マグリット事典・ラストワルツ<四万十市図書館>・日本ジジババ列伝・モノの最新テクノロジーがわかる本・京町家の再生<大学図書館>・絵画の向こう側・ぼくの内側図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)ちなみに、マンガの蔵書に関しては、神戸市より四万十市が充実しています。「図書館いろいろ」の感を深めた、今回の帰省でおました♪************************************************************【マグリット事典】クリストフ・グリューネンベルク、ダレン・ファイ著、創元社、2015年刊<「BOOK」データベース>より「Absence(不在)」から「Zwanzeur(無意味なことをする人)」まで148語のキーワードを総数約250点の図版・写真とともに一挙掲載!シュルレアリスムの大家、ルネ・マグリットの作品と彼の世界観を明らかにする百科事典の初邦訳。世界各国の美術館に所蔵されている作品や資料をもとに、国際的なマグリット研究家たちがキーワードを丁寧に解説。レファレンスとしてきわめて有用な一冊であり、マグリットを中心に当時の文化状況を理解するうえで必携の書。<読む前の大使寸評>横尾忠則が推しているし、見て楽しい事典のようである。<図書館予約:(1/07予約、1/12受取)>rakutenマグリット事典【ラストワルツ】村上龍著、KKベストセラーズ、2015年刊<「BOOK」データベース>より寂しくても依存しないで生きる。最後のワルツを踊る孤独な二人のように。「停滞と衰退」の国に出口はあるのか?伝説のサバイバル・エッセイ最新刊!<読む前の大使寸評>つい最近『オールド・テロリスト』を読んだのだが、この本のタイトル『ラストワルツ』が意味深に聞こえるのです。rakutenラストワルツ【日本ジジババ列伝】清水義範著、中央公論社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりしみじみおかしい長生き百態。孫に片思いのお祖母ちゃん、夜な夜な洋食屋に出没するホラ吹き爺さん、海外旅行の達人の老女―。不安や悲哀を抱えつつもどこかたくましい老人達を、ユーモラスに描く12編。<大使寸評>図書館で『日本ジジババ列伝』という本を手にしたのです。おお、清水義範のジジババ列伝なら、例のドタバタが期待できるでぇ♪ということで借りたのだが、読み進めると、まっとうな老人小説なので拍子抜けの感もあったのです。少子高齢化の話題で盛り上がる前に、ちょっと先走りして刊行されているのだが・・・この老人列伝が、いい味出しているだけに、この路線で押して行けば良かったのにと思ったのである。今からでも遅くないので、シリーズ第二弾を期待したいものです。Amazon日本ジジババ列伝【モノの最新テクノロジーがわかる本】成美堂出版編、成美堂出版、2010年刊<「BOOK」データベース>より家電から食品・医療品まで73の最新技術をわかりやすく解説。【目次】第1章 家庭用電気製品(3D対応テレビーハイビジョン3D映像を実現する超高速方式/次世代型液晶テレビー高画質を生むLEDパネル ほか)/第2章 乗り物(シリーズ・パラレル・ハイブリッドカーー遊星歯車による動力源の使い分け/電気自動車ー高密度・高耐久のリチウムイオン2次電池 ほか)/第3章 エコロジー・システム(太陽光発電システムー無限に降り注ぐ太陽光を有効活用/自然冷媒CO2ヒートポンプ式給湯機ー大気中のCO2を冷媒とする給湯システム ほか)/第4章 ライフスタイル(エイジングケア化粧品ー化粧品に活かされたフィルム技術/コンパクト美容器ー肌の保湿に適した極小マイナスイオン ほか)/第5章 健康・医療(イントラレーシック治療ー2種類のレーザーによる視力矯正/定位放射線治療装置ーロボットアームを医療に活用 ほか)<読む前の大使寸評>米中が進める電気自動車に差別化を図るには、燃料電池車だと大使は思うわけで…そのあたりを勉強しようと思ったのです。rakutenモノの最新テクノロジーがわかる本【京町家の再生】京都市景観・まちづくりセンター編、光村推古書院、2009年刊<「BOOK」データベース>より京町家は日本の伝統的都市住宅で、自然環境と共生しながら、すぐれた建築の造形美を誇るウルトラモダンな建築である。失われてゆく京町家。その素晴らしさを伝えるとともに、現状の姿、市民・企業・行政が一体となって取り組む「再生」への試みを紹介。<読む前の大使寸評>このところ、京町家、民家の再生などが個人的ミニブームとなっているが、この本もその一環とも言えるのです。rakuten京町家の再生【絵画の向こう側・ぼくの内側】横尾忠則著、岩波書店、2014年刊<「BOOK」データベース>より絵画とは何か。描くとはどのような行為なのか。アトリエで、記憶の中から、人や物との出会いの瞬間ー創造への道は開かれる。日常の中で問い続けた独自の思索を集成する、横尾忠則的現代美術への旅。【目次】1 美術の森羅万象(初めに破壊ありき/絵の中の文字のこと ほか)/2 現在という場所(絵が描き手を導く/見えないものは描かない ほか)/3 カレイドスコープ(アンリ・ルソーールソーと戯れる/パブロ・ピカソー無意識下のピカソへの軌跡 ほか)/4 記憶からの視線(星空からの視線/「夢枕」に立った龍 ほか)<読む前の大使寸評>追って記入rakuten絵画の向こう側・ぼくの内側*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き130
2016.01.18
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図書館に借出し予約していた『対話録・現代マンガ悲歌』という本を手にしたが・・・この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)【対話録・現代マンガ悲歌】対談集、青林堂、1970年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>つげ義春、佐々木マキがでているのが、借りる決め手でんがな♪この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)<図書館予約:(12/22予約、1/06受取)>Amazon対話録・現代マンガ悲歌この本で若き日のつげさんを見て見ましょう。つげ:つげ義春、昭和12年東京生まれ。41年「沼」で独自の世界を構築。43年「ねじ式」を発表。鈴木:鈴木志郎、詩人。昭和10年東京生まれ。36年NHKカメラマンとして就職。詩集に『新生都市』等。p57~60土着大衆の実存と論理鈴木:だからマンガの絵というのは、再現ではなくてペンによってそこにそのものを存在させてしまうわけですね。その力というのは、線描であるだけに強いですね。ぼくなんか、「ねじ式」の最初のページに出てくる赤い色なんかものすごい実在感をもって感じられた。つげ:「ねじ式」の場合、色ページが使えなかったら困っちゃいました。あれは、原稿に着手するまでああなるとは想像もつかなかったんです。着手する前に色ページが使えると聞いていたから…。場面は頭の中にありましたけど、そのときああいう絵は出てこなかったですね。色を使わなかったら、もしかすると別の絵柄になっていたかもしれない。鈴木:そういうところは、マンガを描く人、とくに『ガロ』に描く人たちは非常に自覚していますね。 つげさんの場合、登場人物の少年や少女の顔は意識してああいうふうに描かれるわけですか?つげ:ええ、そうですね。ものすごく苦心しますね。鈴木:「ねじ式」の少年の顔と普通の旅行ものの少年の顔とは大分ちがいがありますね。「ほんやら洞のべんさん」のべんさんの場合目が丸いでしょう。あれも意識して目を丸くしたのですか?つげ:こまかい点はそれほどでもないのですけれど、鈴木:少女の場合はズーっと同じですね。つげ:描けないんです、あれ以外に。(笑)あれ以外の変わった少女が出てくるストーリーはつくらない、というより浮かんでこないんです。鈴木:むしろ、あの少女がいるからストーリーが色々と浮かんでくるわけですか。つげ:ええ、そうです。鈴木:作品の中で旅をしているのはつげさん自身かとぼくは思っているんですが、あの少女とかべんさんとかジッさんとか李さんとか実際の旅で会ったわけですか。つげ:いえ、全部頭の中ですね。鈴木:すると、旅にふれて描く作品の型式が多いですが、旅の途中で触れあうものと、頭の中で考えたものと、結びつく点は旅をしている最中ですか。つげ:旅行しているとその土地の人と話をすることはぜんぜんないですね。自分だけの旅行という感じがしますね。 いくつか旅行ものを描いてますけど、ほとんどきちんと行く前にストーリーは出来上がっているんですよ。例外は「長八の宿」ですね。あれは偶然あそこへ行ってパンフレットをもらってきたんですが、湯殿に裸の女がいる写真がでていたんです。その女の人は宿の女中さんなんですが、なんでこの人こんなところに堂々と裸になっているのかなあと1日中パンフレット見ながら考えているうちにストーリーができたんですよ。(笑)鈴木:するとジッさんはいなかったわけですか?つげ:いなかったんです。鈴木:「ほんやら洞のべんさん」なんか奇異に感じましたよ。つげさんは余りしゃべらない人だと想像していたでしょう。ところが、あの中でべんさんが「お前さまはよくしゃべるなあ」というわけですよね。あれを見て、つげさんという人は、絵と言葉を非常に意識しているなあと思った。字際には、たくさんしゃべることはないんですか。つげ:ぜんぜんないですね。鈴木:「初茸がり」は子どもの頃の思い出ですか?つげ:じゃなくて、あの場合実際にああいう雨を見たんですよね。白土三平さんと一緒に旅行したとき、三平さんが急用があって東京へ帰ってしまっている間の三日間千葉の宿にいたんですが、ずっと雨が降っていて宿から外をながめていたらあのように見えたんですよ。鈴木:「ねじ式」はつげさんの経験というか子どものときの環境ですか。つげ:でもないんですけどもね。鈴木:「ねじ式」については精神分析学的に考える人がいますけど、ぼくも特異な作品だと思う。あの中では、いわゆるが多いですね。旅の作品だと、旅というひとつのはじまりから終わりまできちんとそろっていて場所が一つということと時間の流れが一つだけど「ねじ式」の場合は、それがないですね。 少年だけが統一性を保っていてその回りをぐるぐるまわっている夢のような作品ですね。少年が遭遇するものは幼いときの思い出とは関係ないのですか?つげ:というより、大げさに言えば現在でも多少そのような…。精神分析学的に見れば分裂症的なものなんでしょうね。鈴木:ぼくは少年時の体験と非常に似てると思ったんですよ。そこにひとつの屈辱感を見たんですよ。そうではないですか。それが主流になっているとは思いませんか。つげ:そうではないですね。なんていっていいのか困ってしまうけど…。 あれも余り計算なしで描いたんです。鈴木:それは良く感じます。計算されたカットの運びではなくて、連想が連想をよんで描いていますね。 ぼくが屈辱感といった意味は、スパナをもった男のことばが非常にその表れとうつった。これは想像ですけど、職工さんや店員さんは休みをとりたくてもなかなか言えないでいる。そのとき雇用主からズバッと言われてしまったときの間の悪さというかそういうものの屈辱感ですね。表現できないで、人に言えないで悩んでいる、そして押しつけ的に表現を与えられてしまう屈辱感を出して、それが主流になっていると感じた。つげ:自分はまるで計算していなかったんですけど、心の恐怖を描きたかったんですよね。少年が腕から血を流して出てくるでしょう。ぐずぐずしていれば死んでしまうけど、現実に刀で切られて死ぬという恐怖ではなくして、現実にはけっして体験できないような恐怖というものを描いてみたかった。鈴木:一人で放り出された恐怖ですね、深い森の中で一人はぐれてしまったような。つげ:それも混じってはいるわけですけれど…。詩人のつっこみに、つげさんがたじろいでいる様が見えるようです(笑)ところで、旅に対する独特の偏愛ぶりが、つげ義春を旅するに表れています。こんな旅をお奨めするわけではないのですが。この記事も『ガロ』がつなぐ輪に収めておく予定です。『対話録・現代マンガ悲歌』1『対話録・現代マンガ悲歌』2
2016.01.18
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母を見舞った四国西南部より、神戸に帰還しました。ところで、今日は阪神・淡路大震災の鎮魂の日ということで、三宮に着いた足で東遊園地に向かったのです。5時半ころに、東遊園地に行ったところ、すでに竹筒の周りは、鎮魂に訪れた人たちでいっぱいで・・・三宮駅への帰路では、ぞくぞくと東遊園地に向かう長蛇の人並みに圧倒されるほどでした。久々に、インターネットにつながったので・・・いつものように、図書館の本の紹介です。<『ジャポニスム』>図書館で『ジャポニスム』という本を手にしたが・・・この本は、2015年新装版第1刷となっているが、初版第1刷は1997年であり、内容はかなり古い本である。だけど、画像も多く著者の視点も古びておらず・・・なかなか立派な本のようである。【ジャポニスム】馬淵明子著、ブリュッケ、新装版2015年刊<「BOOK」データベース>よりヨーロッパが形成した日本のイメージは、いわば彼らがこうあって欲しいという願望に基づいた像であり、それこそがジャポニスムを性格づけている。ヨーロッパに限らず、異文化を知ろうとする時、自分に必要で役に立つものを集めるのは、当たり前のことだからである。日本だけが例外であるわけがない。19世紀末のヨーロッパが選んだNIPPONとは?第19回ジャポニスム学会賞受賞。 【目次】1 ジャポニスムとは何か-序にかえて/2 ジャポニスムと自然主義/3 モネの『ラ・ジャポネーズ』をめぐって-異国への窓/4 A travers-モネの『木の間越しの春』をめぐって/5 モネのジャポニスム-自然と装飾/6 ゴッホと日本/7 クリムトと装飾-ウィーンにおける絵画のジャポニスム/8 葛飾北斎とジャポニスム<読む前の大使寸評>この本は、2015年新装版第1刷となっているが、初版第1刷は1997年であり、内容はかなり古い本である。だけど、画像も多く著者の視点も古びておらず・・・なかなか立派な本のようである。Amazonジャポニスム冒頭で、ジャポニスムという用語の定義が述べられています。p10~12<ジャポニスムとは何か> ジャポニスムという用語は、1997年という現在の時点ではかなり定着しているが、本格的に研究されるようになったのはまだ20年ほどである。この言葉はシノワズリー(中国趣味)と同じように使われるジャポネズリー(日本趣味)とは、意味を異にする。 ジャポネズリーは日本的なモティーフを作品に取り込むが、それが文物風俗hのキゾティックな関心にとどまっているのに対し、ジャポニスムは、日本美術からヒントを得て、造詣のさまざまなレベルにおいて、新しい視覚表現を追及したものである。このような指摘は早いものでは、マーク・ロスキルによるものなどがある。 近年、ジャポネズリーという用語は次第に使われなくなってきた。ジャポニスムがジャポネズリーを含みこむ広い意味で定着しきたからである。ここでは、そのきっかけの一つとなったジュヌビエーブ・ラカンブルの定義にならって、概念を整理してみよう。彼女はこれをフランスに見られる現象で、段階的に発展したと断っているが、現在の私たちの知識では、西欧のジャポニスム全般と広げて考えることができよう。 ・折衷主義のレパーリーの中に、日本のモティーフを導入すること。これは他の時代や 他の国の装飾的モティーフを排除せずに加わったものである。 ・日本のエキゾティックで自然主義的なモティーフを好んで摸倣したもの。自然主義的 モティーフは特に急速に消化された。 ・日本の洗練された技法の摸倣。 ・日本の美術に見られる原理と方法の分析と、その応用。 この分類概念によると、今までジャポネズリーと呼ばれていた現象は、最初の段階と、二番目の段階の一部に当たる。ここではジャポニスムを前記の全段階を示す言葉として使用し、特に異国趣味を強調している場合のみ、ジャポネズリーという言葉を用いることにする。 ジャポニスムとは19世紀後半に、ヨーロッパやアメリカの美術に与えた日本美術の影響を言う。影響はすべての分野に及び、絵画、彫刻、版画、素描、工芸、建築、服飾、写真に広く見られ、さらに演劇、音楽、文学などから、料理にいたるまでの諸例が報告されている。また地域としては、広い意味のヨーロッパから北アメリカ、さらにはオーストラリアまで見られる。ここではそれらの全体の見取り図を示すことは不可能なので、筆者も参加して1988年にパリのグラン・パレと東京の国立西洋美術館で行われた『ジャポニスム展』カタログを参照していただきたい。 ジャポニスムの終焉の年代は、研究者によってさまざまな指摘があるが、およそ1910年から20年の間とされる。ヨーロッパの歴史の上では第一次世界大戦の前後に当たる。開始の年代が1860年頃とされるので、約半世紀という長い時代、東欧からアメリカまで、北欧から南欧にいたるまでの広い意味のヨ^ロッパ全土を覆った現象であった。 ジャポニスムを遅く受け入れた東欧や北欧などでは、1900年頃にピークを迎えたところもあり、また建築は1920年代でも重要な作例が多く見られるなど、国や分野によってばらつきはあるが、1920年頃にはもう顕著ではなくなった、と言えよう。 そのジャポニスムが終焉したのは、ひと言で言えばその役目が終わった、ということである。ジャポネズリーとしての日本の品々は飽きられ、新鮮味を失った。ジャポニスムとして視覚表現に与えた刺激は、さまざまな形で吸収され尽くし、西洋がルネサンス以来の遠近法的な空間表現とその価値観を覆すのに手を貸し、現代的な表現手段と価値観を構築した時点で、用済みとなったからである。 西欧世界にとって魅力的な他者であった日本は、日清、日露の両戦争で勝利をおさめ、次第に帝国主義の列強の仲間入りの道をたどった。必死の「西欧化」「近代化」の努力の末、西欧諸国との文化的ギャップを外見的には縮めた結果、日本はもはや西欧にとっての「」の役割を演じられなくなる。以後、日本は太平洋戦争に向けて「野蛮な強国」の道を歩むため、文化的な魅力を失っていった。パリでのジャポニスム興隆はよく知られているが、大使はウィーンのジャポニスムが気になるのです。更に言えばクリムトの装飾的な、フラットな絵画なんですが。p190~12<ウィーンのジャポニスムの状況> ウィーンにおけるジャポニスムは、パリとはまったく異なった始まり方をした。いくつかの先駆的な例外はあっても、ジャポニスムがヨーロッパの他の都市でなくパリでその開花をみたことに、異論はなかろう。そればかりか、多くの都市では、パリを起点としてジャポニスムが伝播していった。 1858年の日本の正式な開国の時点においては、フランスは列強の一つにすぎなく、その前後の時代における日本の美術品の募集点数からいっても、ロンドンやアムステルダム、ハーグ、レイデンなどにくらべて、決して多かったわけではない。しかしパリが日本の美術に注目したのは、単に異国の珍品を集めた民俗学博物館の壁や、新奇な趣味を好む金持ちの客間を飾るためではなかった。 それはパリにおいて、美術における問題意識が先鋭化していたためである。とりわけ、そこではルネサンス以来の伝統的な絵画表現の限界をどう打破し、新たな芸術をどう生み出すのかという切実な課題が熟していたのだった。1860年代に、近代美術は転換期にあり、その時、彼らは日本の美術に出合ったのである。 ウィーンにおいては、パリとは状況はまったく異なっていた。ウィーンでは日本美術が知られ始めた頃、フランスでアカデミスムと呼ばれた、表現形式は写実主義、内容は神話や歴史に題材をとった歴史主義様式が圧倒的であり、それを打破しようとしていたロマン主義、レアリスム、自然主義、印象派に相当するような、革命的な運動はごくわずかの例外を除いて存在しなかった。不充分とは言え、極東の島国の日本においてさえ、1890年代のはじめ頃には印象派の存在が知られていたいたというのに、ウィーンにおいては、印象派の前の世代、コローやバルビゾン派の影響が強く残っていた。(中略) 言ってみれば、ウィーンは印象派やパリと関係なく、独自に日本美術を発見した。あるいはジャポニスムを独自に開発したと言ってもよかろう。日本の美術品がウィーンの人々に知られ始めるのは1868~71年のカール・フォン・シェルツァーの日本への派遣旅行以来であり、大衆的なレベルでは1873年のウィーン万国博覧会が大きな役割を果たし、1862年のロンドン万博や1867年のパリ万博とくらべると少し遅れるが、しかしオランダを除いた諸国とくらべても、これは決して遅い年代ではない。コレクションとしては、まずまずのものが比較的早い時期から揃っていたと言えるだろう。 しかし作品があるとということと、そこから新しい運動が起きるということとは、まったく別の問題である。とりたてて近代芸術運動もなく、コレクションとしても抜群の質を誇ったというわけでもないウィーンで、ジャポニスムが遅くはあるが花開き、また他では見られないような独自の様相を呈した理由は、これらのコレクションのうちのかなりの部分が工芸美術博物館に所蔵され、隣接する工芸美術学校でさまざまに利用され研究されたからである。(追って記入予定)先日、『シノワズリーか、ジャポニスムか』という本を読んだのですが・・・この時は、日中文化の優劣比較という不純な動機が有ったが、この本には純粋な芸術的関心から、大使も膝を正して読んだわけです(笑)シノワズリーか、ジャポニスムか
2016.01.17
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図書館に借出し予約していた『対話録・現代マンガ悲歌』という本を手にしたが・・・この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)【対話録・現代マンガ悲歌】対談集、青林堂、1970年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>つげ義春、佐々木マキがでているのが、借りる決め手でんがな♪この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)<図書館予約:(12/22予約、1/06受取)>Amazon対話録・現代マンガ悲歌赤瀬川さんに続いて、若き日の佐々木さんを見て見ましょう。佐々木:佐々木マキ(本名=長谷川俊彦)昭和21年神戸生まれ。41年「よくあるはなし」を『ガロ』に発表。44年6月より『朝日ジャーナル』に連載マンガ等。中村:中村宏、画家。昭和7年浜松生まれ。28年前衛美術会出品。画集に『望遠鏡からの告発』等。佐々木マキp98~101■錯誤・錯綜・反乱中村:はじめは、映画的手法が新しさだったんでしょうが、とにかく、いままでの劇画やマンガはコマというものを単に時間の説明で考えていた。ところが、佐々木さんのは、コマが時間からとび出している。それでいてコマを使っている。そういうところがおもしろいですね。 単発1コマでもいいようなものもあるけど、あえて1コママンガにしないで、なんコマかにしている点がおもしろい。逆の意味でコマが生かされている。別の解釈を必要とするわく組みになっていると思うんです。 ページをめくっていって、コマが続いていく。それでいて時間の移り変わりではなくて、1コマが全体になり、全体が1コマになる。まああえていえば、そこがおもしろいですね。佐々木:結局、デッチあげなんです。おもしろそうなものばかりをとにかく盛りだくさんつめこんでサービスいっぱいにやれば、映画の予告篇と同じで、自然にそうなりますね。理屈でなしに…。中村:「難解マンガ」とか「ナンセンスマンガ」という言い方があるらしいが、レッテルだからいけないんじゃなくて、その決め方が実にくだらんのですね。 レッテル貼ること自体は悪くはないけれども、貼り方の内容ですよ。とにかく、ジャーナリズムは遅れていますね。佐々木:遅れていますね。中村:もう一つ先を見ないといけないですね。だけど見られないんじゃないですか、批評家は。自分で描いたらいいんですよ、結局。 佐々木さんのを見ていて、それを一番強く感じましたね。下手でも上手でもいいから、自分で描かなくちゃもうわからんのじゃないかという要素が出てきた。批評と別れた状態としてあるんじゃなくて、批評も絵でできることになってしまった。 コママンガそれ自体、ついにそこまできたという感じですね。イラストでもない絵でもない、コママンガでもない、そういう絵ということでコマ自体の図形が問題になる。コマをパッと出されて、その解釈ではなくて、コマ的な認識が始まる。コマの意識がより物質化したということになるわけですが、どうですかね?佐々木:ぼくは、描いたあとページの入れかえをすることがあるんです。本当は1ページの中のコマも入れかえたいと思うときがありますね。コマの大きさがまちまちだから、それができないわけですけれども、本当はそこまでやりたいですね。中村:つまり、コマの反乱ということが問題じゃないかな。描かれたことのマンガ的意味や、文学的意味よりも、ぼくはそういうことの方がおもしろいと思ったわけです。(中略) 佐々木さんのを見ていると、イラスト的部分あり、劇画的部分あり、マンガ的部分ありで、それらの乱舞が今までのマンガ自体を否定していますよ。まあ、一種のアナクロニズムだと思います。 アナクロニズムといっても、時代遅れということではなくて、時代が錯綜しているという意味でいっているんですが。したがって、佐々木さんのは、絵のジャンルの錯綜があるというわけです。錯誤-錯綜-反乱ですな。 コマをはずして1頁ものにするということではなくて、逆にわくを縮めていくことによって裏側でコマを意識化してしまったということでもあるわけですね。一種の別の言葉です。佐々木:5年ぐらい前に描いた落書きが残っているんですけれども、それがちょうどいまのようなものなんです。その頃は、高校生で、こんなのはマンガではないと思っていたから、発表できないな、なんて思っていたんです。ですから、『ガロ』に投稿したときはマンガを描くという意識でストーリーのあるものを描いたわけです。 ただ、そのあとしばらくして描いた、「天国で見る夢」はふだん描いていた落書きを清書したようなものなんです。あの作品は、かなりやけくそで描いたわけで、これをマンガとして見るか何と見るか、反応を試してみたわけです。 マンガ家になろうとは思っていなかったから、ストーリーものとか劇画というのはぜんぜん考えていなかったんです。中村:そこが逆にいいんじゃないですかな。佐々木:落書きから発展した絵を送ったところがたまたま『月刊漫画ガロ』というところだったからマンガ家ということになったんだすね。もしぼくが、それをデザインの雑誌にでも投稿していれば、イラストレーターということになっていたでしょう。まったく同じものを投稿していたとしてもね。 ただ、落書きといっても、壁に描いただけでは人が見ないからいやなんです。印刷された方がいいですね。出てきかたが仰々しいほどいいですね。落書きが壁に貼ってあるのは当然なんで、それでは駄目なんです。落書きが雑誌社の金をかけて印刷されるのがいいんですね。さらに、読み進めます。p110~112■教養主義をとっぱらえ中村:オブジェみたいなのは好きですか。佐々木:絵に興味があります。中村:まあ絵もオブジェだよ。佐々木:ことばに疑いをもっているなんていわれるけれども、ぼくはことばを否定していないです。ことばは大事にするんです。大事にしなくちゃいけないと思いますね。ただ、ことばにできることを説明的に絵にすることは、ことばに対する侮辱だと思うんです。中村:ことばもオブジェにしてしまえばいいわけだ。 佐々木マンガは、すごくギョウゼツですよ。これだけ小道具がそろっているんだから。小道具のわかる批評家はいませんか。(笑)佐々木:批評家ですか。批評家って、つまり存在理由そのものから、ぼくにはピンとこないんです。どんなに尊敬して考えてみてもぼくには口うるさい読者の一種にしか見えないですね。失礼ですが。 「読者サロン」にだれかが批評家という夾雑物ぬきで作者と読者が直接にサシで勝負しようという意味の投書をしていましたが、ぼくは文章の次元で分類されて処理されてしまうのを拒否したいという意味でも、その意見には賛成ですね。中村:佐々木さんがさっきおっしゃてた、見ることへのゆがみはたしかにあると思いますね。『ガロ』はもっと続けて佐々木マキを出さなくてはいけないですよ。でも佐々木マンガによって、ゆがみがいくらか直ったんじゃないですか。テレビなんかもゆがんだやつがやっているから困るね。(笑) ところで、テレビのコマーシャルには興味ありますか。佐々木:ありますね。中村:ぼくもドラマなんかより数等いいのがあると思いますね。例えばどういうのが好きですか。佐々木:「レナウン・イエイエ」中村:ああそうですか。話はちがいますが、ぼくは描くことよりも見るのが好きですね。見る方がどうしても先ですね。見るというのは、一種の触覚だけれども、それを越して、何らかのショックがあって、いきなり表現がきちゃいますね。この「イキナリ」ということが文学的な思考の持主にはわからん。 視覚的ショックと表現が同時というのがんあいんじゃないかな。佐々木マンガを見ているとその「イキナリ」ということがよくわかりますね。つまり教育的だな。(笑)佐々木:むしろ反教育的要素ですね。何故なら教育を受けすぎたため、単純で直接的なものを自由な眼で見られなくなっている人をもう一度当初の状態にひきずりおろそうとしているんですから。画家との対談は、マンガ論というよりは、なにやら眼くらましの芸術論になってしまうようです。なお、「天国でみる夢」を見れば、手塚治虫がブチ切れるのもわかるような気がします(笑)天国でみる夢この記事も『ガロ』がつなぐ輪に収めておく予定です。『対話録・現代マンガ悲歌』1ところで、母を見舞うため、5日ほど四国に帰省します。今晩の24時前の高速バスに乗るのですが…貧乏人はもっぱらバスでんがな。
2016.01.12
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図書館に借出し予約していた『対話録・現代マンガ悲歌』という本を手にしたが・・・この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)【対話録・現代マンガ悲歌】対談集、青林堂、1970年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>つげ義春、佐々木マキがでているのが、借りる決め手でんがな♪この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)<図書館予約:(12/22予約、1/06受取)>Amazon対話録・現代マンガ悲歌この本で、若き日の赤瀬川さんを見て見ましょう。赤瀬川:赤瀬川原平、画家。昭和12年横浜生まれ。41年模型千円札で起訴、45年に有罪確定。石子:石子順造、美術評論家。昭和3年東京生まれ。著作に『マンガ芸術論』『つげ義春の世界』等。p194~201■アッと叫んだ「李さん一家」石子:『現代の眼』のグラビアをはじめにやって、それから『芸術生活』『サンデー毎日』『イラストレーション』などでマンガみたいなイラストみたいなことをやってきて、今度『ガロ』に「お座敷」ですよね。それらのマンガを見て、自覚的にマンガ家になろうと思っているとはぼくには思えないんだけど、いよいよ赤瀬川は美術を捨てて本格的にマンガを描き出したとみる人もいるよ。赤瀬川:いよいよマンガ家に転向しましたか、なんていわれてね。転向といえばガッチリ左だったのからガッチリ右へという意味なんだろうけど、ぼくのはあまりガッチリしたのがないんで、はじめから転向ばかりしているような・・・・。石子:いよいよマンガ家にずれだしましたというところか。(笑) 「お座敷」ではじめて本格的なマンガを描いたわけだけど、やはりあなたなりに色々な苦労があったでしょうけど、そのへんを少し。赤瀬川:少年の頃はマンガが好きですよね。手塚治虫の『新宝島』なんていうのは小学校何年生の頃かコレ初版本ナリで読んでいるんです。石子:ほう、それからほかにどんなの憶えてる?赤瀬川:マンガは好きだから読むんだけどね。でも自分自身は高校まで絵かきだ絵かきだと思っていましたねえ。だから、その頃はマンガというのは、あまり見なかったですね。 『新宝島』の頃は、小松崎茂とか山川惣治の絵物語をいっしょくたに見ていたんだけれども、それからは、レオナルド・ダ・ヴィンチとかゴッホを見なくちゃいけないように思っちゃってね。まあ実際にすきでもあったけど。ほれで一生懸命で芸大受けようかとやっていたんだけど、受ける直前にバカバカしいからやめた、ということになって、それから。石子:ずれだしたわけね。(笑)赤瀬川:ほれで、何年頃かな、VANというアジトがあったんですよ。日大を出て映画を作ろうとする連中がゴロゴロしていたんですね。その連中と静岡の海へ泳ぎに行ったとき、友達の実家に泊まったんだけどその家が新本と貸本と古本屋を一緒にやっていたような家で、その二階に長逗留して毎日何十冊と貸本マンガを読んでね。石子:どんなのがあったの?赤瀬川:やっぱり白土三平がバツグン。石子:いつの頃のはなし?赤瀬川:『忍者武芸帳』の途中ぐらいのときかな。いや、もうちょっとあとだ。60年以降ですよ。「サスケ」がはじまっていた頃かな。石子:そうすると62、3年頃というところだね。赤瀬川:白土三平が一番おもしろかったね。もっともラジカルなのは平田弘史、ゴーッとか、ウォーッとかいう字がね。 楳図かずおらしいのもあったけど、要するに名前なんて気にしてないからわかんないでしょ。読んでいくうちに、これは白土三平のだとだんだんわかってくるわけですよね。石子:そうすると24、5のときね。赤瀬川:ソーね、エートね、もう大学はやめていたから…、アッそう痔を切る2年ぐらい前だったから…、そうだ、あそこに住んでいた頃だから…どうもハイレッドの前だね、61、2年だな、25、6でしょうね、そのへんだね。 それで、最初は、半分やけっぱちみたいな、スネたようなスタイルを身につけたくてインテリがマンガを見るというようなところがあるでしょう? 例えば、大学生というのは文学全集を読むでしょう。そうしてそこからスネてマンガにいっちゃうようなところもあるわけで。もちろん読み出せばおもしろいから読むけどさ。いまでは大学生がマンガを読むというのはふつうだけど。石子:当時は電車の中でマンガを読むというのは、ある種のテライがあって。赤瀬川:そう、逆にいきがっているみたいなところがあってね。石子:あなたにもあった?赤瀬川:そういう気持が多少はあったんだろうなあ。そのあと、たまに『ガロ』を読んでいて、最初に、アッと思ったのは、つげさんの「李さん一家」。石子:あれ、そりゃまた相当とぶじゃない。■砂利と枕木とレールの関係石子:当時の『ガロ』の印象は?赤瀬川:白土三平のマンガ読むために『ガロ』を見ていたんだけど、とにかく変な雑誌だなあという感じだった。それで「李さん一家」にぶつかって、いっきょに消されてしまうんですよね。石子:「李さん一家」は1967年か。赤瀬川:コーヒーでも入れましょうか。石子:いいよ、「李さん一家」見てどうだったの?赤瀬川:見て、え…ポカンとしたんですよね。(笑) 要するにびっくりしたんですよ。『漫画主義』にも書いたけど、「李さん一家」をだれかに見せて、ポカンとした顔を見たくなってね、だから友達と歩いていて本屋の前にくると立読みをさせるんですよ。すると、ポカンとするわけですよ。それがおもしろくてね。(笑)石子:千円札裁判がはじまっている頃だから、その心的状況と関係があるんですよ。(笑)赤瀬川:「山椒魚」はまだ見てなかったんだけど、あとからVANの連中に見せてもらって、おもしろくてあとズーッと『ガロ』見るわけですよ。石子:そうすると、つげ義春を読みたくてというところだね。赤瀬川:ああそうそう。その前に水木しげるがあったね。やはりVANの連中から借りたりして。石子:どんなの。「河童の三平」とか「墓場の鬼太郎」?赤瀬川:はっきりとは憶えていないな。水玉の中にいるのとかね。 コーヒー、あ、コーヒー…。石子:その頃はまだマンガを描こうとは思っていないんでしょう?赤瀬川:ええ、読者ですよね。描けそうにないし自分で描くなんて考えつかない。みんなマンガなのに細密に描いているでしょう。あれが好きでね、よく描いているなと思った。石子:こむずかしいことを言っている『漫画主義』周辺のマンガ読者がいるってことがおもしろかったですね。赤瀬川:ああ、こういう読者がいるってことがおもしろかったですね。石子:読者であるところから、出しゃばっていく過程を聞きたいな。赤瀬川:でー。読者なわけですよね。『少年マガジン』や『少年サンデー』も読んでいたけど、気になるマンガというのはないわけです。 ところが、つげ義春のマンガというのはすごく気になるんだね。それで、あとで考えてみると、つげさんのマンガには、読者とマンガとの関係が一番煮つまった形であるように見えるんですよ。石子:読者とマンガとの関係? それどういうこと?赤瀬川:コーヒーのみたい。えー、マンガを読んでいく、なんていうのかな、マンガを読んでいく、なんていうのかな、マンガを読んでいく読者の…つげさんはどう思って描いているかわからないけど・・・・要するにひかかるわけですね、そこで考えるんです。 それからは毎月つげさんのマンガを楽しみに待っているけど、そのあとはあんまり引っかかってこないんですよね。 そのうちだんだんうまいなあと思うようになったの、「ほんやら洞のべんさん」とかね。何かぴったりするのね、ぴったりするというのは、どうしようもなくうまいなあと思うわけですよ。要するにファンになったんでしょうね。石子:それは、絵がうまいとかコマの展開がうまいというだけではなしにね。赤瀬川:そう、全部ひっくるめてね。それで「ねじ式」でまたびっくりするわけ。石子:でも、「ねじ式」は「李さん一家」の場合とは、ちょっとびっくりの仕方がちがうでしょう?赤瀬川:でも、ちょうど一緒になった感じね。うまいなあというのとポカンとするのと、一緒になってね。 ポカンとするのは、やっちゃったなァ、という感じかもしれないけど、すごく心になじんだですよね。石子:あれは68年だから、その1年間ぐらいは『ガロ』を読み続けているわけだ。赤瀬川:途中、つげさん「旅行もの」描いているときは、おもしろくなくなったわけよね。だけど「」読んだあとからもう一度読み直してみるとまたおもしろくなるんですよね。 それからつげさん描かなくなったんだけど、入れ替りみたいに滝田さんの「寺島町奇譚」が登場してくるのね。その前から短篇は載っていたあけど、「寺島町」ほどおもしろくなくてね。石子:ぼくは「寺島町」以前からおもしろくなるという予感がしてたけど。ああそうか、つげさんが描かなくなって4、5ヶ月ぐらいたって「寺島町」がはじまってるね。赤瀬川:これはまたうまいなあと感じるわけ。うまいなあというか、ピッタリと、ピッタリというのはどういうのかな。」するすると入ってくるのね、何かがね、それがやっぱり気になるのね。石子:入ってくる内容が気になるのではなくて、入ってき方が気になるの?赤瀬川:内容も気になるけど、どこから入ってくるのかわからにのね。石子:そうこうしているうちにマンガというコマの形式をとりたいというか、とることによって自分のいいたいことが描けるというふうに思ったんじゃない。赤瀬川:そうね…それで…そうね。マンガの方についてもちょっといいやすいというかね…。石子:はあ…。赤瀬川:あとで読んでみるとぜんぜんよくないんです。やっぱりマンガに慣れないと駄目みたいな感じですね。 マンガというのは、まず読者に読ませようというのがあるわけですよね。絵の場合は、描きたくて描いているみたいで、最初からそれがハッキリあるわけではないんですよ。石子:絵は、描いた結果を読者に見せるんだものね。(中略)赤瀬川:つまり絵が砂利で、砂利の上にフキダシの枕木があって、その上にレールがすじみたいなものとしてあった。だから接しているのは枕木のフキダシなわけですよね。石子:枕木と直接的に接し、その下にある砂利としての絵を地として見ていながら、読者が本当に追っているのは、フキダシと絵とを底辺にして、その上をはしっているレールに自分の欲望の列車を乗らせるというわけでしょう。赤瀬川:地面から30センチ上のところをね。(笑) ボクなんかついでだからマンガをやってみようと思うでしょ。そうすると、ふつうのマンガ家というのはどうやってマンガ描いているかというのがわからないんですよ。 最初はマンガになりそうな文章があったんですよ。エッセイみたいなものだけど、その文章を分断して絵をつけてみたんだけど、それでは絵物語でマンガにはなってないんです。文章のなかに一応すじみたいなものがあるんだけど、それをもう一度解体しないとダメなんですよ。 それを、あるものが絵になったり、文章にあったことばがぜんぜんなくなってしまったりするわけですよ。例えば、赤いということをいうのに赤いということばがなくなってしまったりするんですね、それで・・・。石子:そういうところで、だんだん読者であるところから描く方に出しゃばってくるのね。赤瀬川:マンガにどう入っていくのか、読者が何を見ているのかわからなくて、それが昂じてマンガを描くことになるんだけど、でもやっぱり描きたいものがあるんですよね。石子:ああ、マンガで描きたいものがね。文章ではなくて、一枚の絵じゃなくて?赤瀬川:もちろんあるんだけれどね。むしろ、それをマンガにしてみたいというのが強いんだろうなあ。やっぱり実験みたいな気持ちかなあ。この記事も『ガロ』がつなぐ輪に収めておく予定です。
2016.01.12
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ある日、やや無謀ではあるが蔵書録を作ろうと思い立ったのです。さて、数ある蔵書の分類で悩むところであるが・・・思いつくまま分類をスタートし、その後ブログの文字数制限にあわせて小区分を繰り返すという節操のない分類となったのが、ユニークな(アホな)ところかと、自負しておる次第です。かくして曲りなりにも、その蔵書録がほぼ完成したので、以下のとおり披露します。1-1サイバラの本1-2樹木、森林の本1-3漫画の蔵書録2-1経済関連の本2-2社会関連の本3-1小説の蔵書3-2文芸、エッセイ関連の本4-1戦争、軍事関連の本4-2歴史関連の本5-1フランス関連の本5-2言語関連の本5-3食料、料理の本6-1お役所、官僚関連の本6-2日本人論の本6-3日本大好き異邦人の本7 韓国関連の本8-1メディア関連の本8-2運動、闘病関連の本8-3哲学、宗教関連の本8-4内田先生の本9-1アメリカ関連の本9-2ウェブ関連の本9-3テクノナショナリズムの本9-4地図類10-1SFの本10-2京阪神関連の本.10-3中国関連の本11-1インテリジェンス関連の本11-2ハウツー本11-3国土、自然関連の本.11-4子供部屋の本.12-1アート、音楽関連の本12-2仕事関連の本12-3父の蔵書12-4未分類の本12-5映画パンフレット12-6蔵書録を作る効用・1サイバラの本 ・1樹木、森林の本・1漫画の蔵書録 ・2 経済関連の本・2 社会関連の本・3 小説の蔵書・3 文芸、エッセイ関連の蔵書・4 戦争、軍事関連の本 ・4 歴史関連の本・5 フランス関連の本・5 言語関連の本・6 お役所、官僚関連の本・6 日本人論の本・6 日本大好き異邦人の本・7 韓国関連の本・8 メディア関連の本・8 運動、闘病関連の本・8 哲学、宗教関連の本・8 内田先生の本・9 アメリカ関連の本・9 ウェブ関連の本・9 テクノナショナリズムの本・9 地図類・10 SFの本・10 京阪神関連の本・10 中国関連の本・11 インテリジェンス関連の本・11 ハウツー本・11 国土、自然関連の本・11 子供部屋の本・12 アート、音楽関連の本・12 父の蔵書・12 未分類の本・12 映画パンフリスト
2016.01.11
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図書館で『京都の町家を再生する』という本を手にしたが・・・減速中の我がニッポンで、再生とかシェアという生き方はトレンディである。朝日新聞でも、京都の古民家再生のコラムが続いていたな~・・・ということで、借りた次第でおます。【京都の町家を再生する】齋藤由紀×李建志著、関西学院大学出版会、2015年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1部 京都で「町家」に住むということ(商品住宅としての古民家/京町家とは何か/「町内会」とは何か ほか)/第2部 町家を手に入れるー町家に手を入れる(町家って何だろう/町家の魅力/家探し、初めの一歩 ほか)/第3部 二〇一〇町家に暮らしてみて(「京都じゃっかどふに」という名前の由来/「京都じゃっかどふに」のコンセプト/再生の素晴らしさ ほか)<読む前の大使寸評>減速中の我がニッポンで、再生とかシェアという生き方はトレンディである。朝日新聞でも、京都の古民家再生のコラムが続いていたな~・・・ということで、借りた次第でおます。rakuten京都の町家を再生するこの本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。齋藤由紀さんが受持った第二部で、町家入手のあたりを見てみましょう。p92~98<町家の魅力> 数年前、『おおかみこどもの雨と雪』(細田守監督、2012)というアニメーションがあったが、主人公たちが田舎へと引っ越したとき、家を掃除していたら、ガラスにもみじの意匠があるのに気づき、ハッとする場面が描かれていた。古い家に住むということは、このような少し昔の人たちの粋な意匠に気づく機会に恵まれるということでもある。 人を引き寄せるような感じがするものや、逆にある一定の距離を感じさせるものなどがあって、とりあえず「こんにちは」とお邪魔してお話をうかがいたくなる。けれども、なかには戸の様子からでも京都の「一見さんお断り」を彷彿とさせるものもあったりするので、なかなか声をかけてりというわけにはいかない。散歩ついでに町家の玄関を見て回るだけで結構たくさんの発見があったりするのだ。 玄関戸から横を見てみると、格子が並ぶ。格子にも、商売や建築された時期によっていくつかの種類があるようだ。糸屋格子、米屋格子、お茶屋講師などかつては何を商うかによって決められていたのだろう。 格子も昔は看板の役割の一部を果たしていたのかもしれない。外から見ただけでその家の職業がわかるようになっていたなんて、まさに職住共存の時代を伝えてくれている。また、住んでみると格子は家の外と内の境界にある建具としてとても優秀なことがわかる。なぜなら、通りから家の中は見えにくいのに、家の中からは通りがよく見えるからである。<家探し、初めの一歩> 建物は一度壊したら、二度と同じものは建てられない。まして古い材木で、伝統的様式により立てられているものなら、なおさらであえう。何十年、場合によっては1世紀を超えて、風雪にも地震にも耐えてきている建物だからだ。 実際、売りに出される町家のうち、そのいくつかについては、建物の老朽化が激しく、もはや手の施しようがない場合もあるだろう。こうしたケースは、古屋付きの土地として売りに出されても致し方ない。しかし町家の持つ価値をもっと多くの人たちに気づいてもらえれば、古屋付きの土地として売りに出される前に何とか改修するといった手だてを講じることができるはずだ。売りに出される場合、せめて、町家の価値を含めて紹介されるようになってほしいものである。(中略) 次に、入手した不動産広告から、町家と書かれているものがないかどうかを見ていく。それから、土地として売られてもののなかから「古屋付き」という記載のあるものを探していく。「古屋付き」という文字を目にしたら、値段や土地の形状、交通の便などを考慮したうえで、町家の可能性があるのではないかとおぼしきものにチェックを入れていく。実際に現地に行ったところ、そこにある家屋は町家ではなく、単なる年代を経た建物である場合も結構あった。 実際に見に行って最悪のケースという場合もいくつかあった。家は立派な町家であるのに、すでに重機が入り筆者らの目の前で壊されていく場合である。そんなときは、「ごめん。遅かったね、助けられなかったわ」と胸のうちでつぶやき手を合わせるしかない。(中略) いくつかは中古物件として売りに出されることもある。そういう物件は、まだ手を加えれば住める割合が高いので、町家探索者にとっては、ありがたいものとなる。家屋そのものの価値がきちんとあるとみなされていることから中古物件として紹介されているわけだ。古屋付きの土地と書かれている家とは建物の痛み方に雲泥の差があるといえるだろう。もし、これを手にされているみなさんが筆者たちと同じように、町家を改装して住もうと思われるなら、中古物件として紹介されているものをできるだけ購入されることをお勧めする。さらに「京町家」「町家」とうたわれているものならベストである。なぜなら、購入後の改修に手間と時間、予算があまりかからないですむからだ。第三部で町家での生活を見てみましょう。p210~211<京都下町くらし> 明けて元旦。すでに回覧板で、10時に氏神さまへ町内そろって参拝するとの案内があった。行ってみるとすでに町内の顔なじみの方がいらっしゃる。各自お正月らしい装いで気も引き締まってくるというものだ。 境内ではドラム缶に火が焚かれ、暖をとらせてもらえるようになっている。御神酒や茶菓の用意まで、ご町内の方々が準備して待っていてくださったのだ。本当に生きていけるのは、ご縁のおかげ、おかげさまである。 お正月の神事に参加させてもらえ、ご町内の方々ともまた交流できる。着物にかかわるお仕事をしている方から、「来年は着物を着てくださいね」とおことばをかけてもらえる。本当にお正月くらい着物姿になりたいものだ。日々のご近所とのこうしたおつきあいが心をあたためていってくれる。 人間関係が希薄になり、隣の人の顔も知らないという住まいが増えているなかにあって、筆者らが家を持たせていただくことになった町内にはあたたかな近隣関係がさまざまに残っていた。ちなみに筆者が6歳から暮らした伏見の町では、筆者はよそ者のようなあつかいをされ続けてきている。 俗に「京都は三代住まないと土地の人と認めてもらえない」といわれるが、そのことを自身の肌で感じ続けてきた。その点、このご町内では、引っ越してきてすぐの筆者らに胸襟を開いてくださっている。ご町内のある方はこの町のことを「村ですねん、ここは村でっしゃろ」と評される。『京都の町家を再生する』1
2016.01.10
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図書館で『京都の町家を再生する』という本を手にしたが・・・減速中の我がニッポンで、再生とかシェアという生き方はトレンディである。朝日新聞でも、京都の古民家再生のコラムが続いていたな~・・・ということで、借りた次第でおます。【京都の町家を再生する】齋藤由紀×李建志著、関西学院大学出版会、2015年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1部 京都で「町家」に住むということ(商品住宅としての古民家/京町家とは何か/「町内会」とは何か ほか)/第2部 町家を手に入れるー町家に手を入れる(町家って何だろう/町家の魅力/家探し、初めの一歩 ほか)/第3部 二〇一〇町家に暮らしてみて(「京都じゃっかどふに」という名前の由来/「京都じゃっかどふに」のコンセプト/再生の素晴らしさ ほか)<読む前の大使寸評>減速中の我がニッポンで、再生とかシェアという生き方はトレンディである。朝日新聞でも、京都の古民家再生のコラムが続いていたな~・・・ということで、借りた次第でおます。rakuten京都の町家を再生する京都市東山区の空き家率は20.3%とのことで、全国平均の13.1%を上回っているのが意外である。大使思うに・・・空襲を受けなかった大都市が、高齢化にさらされた結果、高い空き家率となるのではないだろうか?京都のような歴史的な都市で、木造の民家群がごっそりと高齢化にさらされるというのは史上初のケースかもしれないのです。朝日新聞でも『空き家と闘う』というコラムが14年11月から15年1月まで続いたので、スクラップして保存しているのだが・・・これらの古民家が消滅するのは惜しいし、再生して住み続けるべきではないかと思ったからです、この本は、大使のその思いに答えてくれるわけで・・・まず、京町家の定義あたりを見てみましょう。p23~26<京町家とは何か> 筆者は前章で、古民家ということばを使ってきた。そしてその古民家が究極の「触覚的なリアリティ」を持つ住宅であるとも述べた。では、京都の都市部にある古民家すなわち「京町家」と呼ばれているものは何か、ということが問題になる。 ほんらい「町家」とは、街中にある建物で、これと対になる建物は「農家」である。だから本当は町家(ちょうか)と読むものなのだ。 前出の裕成氏や山本氏は、都市の住宅を考える際に、この「農家」を持ち出すのだが、なぜこの「町家」を持ち出さないのだろうか。これは、多木浩二氏の記念碑的エッセー『生きられる家』でも同じだ。おそらくは、土間の配置や主の座る位置など、前近代的な秩序が比較的容易に見られるため、農家は議論に持ち出されやすいからではないか。 それに対して「町家」は多少複雑だ。大きな商家なら使用人の住まう空間もあるが、農業と違って目に見えるかたちでの共同作業や秩序がそこにないため、農家のほうが前近代の家を語る際に、よりふさわしく思われてきたのではないか。高度経済成長期以前は農業をはじめとした第一次産業に従事する人が過半数であるため、前近代の家屋の典型として農家を取り上げやすいという側面もあるだろう。だが、それでは前近代にも都市があったということが見えにくくなってしまうではないか。 現在、京都市が推進している公益財団法人京都市景観・まちづくりセンターでは、建築基準法施行以前に建てられた在来工法による木造家屋を「京町家」とよびならわしている。しかし、この「京町家」とは決して古いことばではない。すでに述べたように、町家とは農家の対概念で、それが京都にあるという意味で「京の町家」という言い方が70年代にいわれるようになったようだ。これはいわゆる日本における在来工法による一般家屋の研究が70年代に盛んになったことと無縁ではない。 前章にて山本氏の議論で紹介したように、70年代は住宅の量的な問題は解決し、質的向上へと転換した時期である。それは、在来工法による建物が都市部で急速に失われ、マンションに建て替えられていくということでもある。 とくに京都市は、戦争による被害がほかの大都市より少なかったためいわゆる在来工法による建物は比較的残っていたにもかかわらず、このような商品化住宅の普及とあいまって次々とつぶされていく時代でもある。いきおい、残り少なくなっていく在来工法の建物を惜しむ声も聞かれるようになり、研究する人も出てきたわけだ。 では、どのような言説で京都の町家は描かれていくのだろうか。【町家と長屋の区分は、戸建形式から知ることができる。一般的にいって、町家は軒を接していても独立住居であり、長屋は連続住居である。町家はたいてい表、または通とよばれる地区の主要な街路に面しているが、長屋はそのその裏道のような、図子、露地に面している。また町家は、元来商工業やサービス業などの併用住宅としてつくられたものであるが、長屋は専用住宅である。したがって、前者は職住混合型であるのに対し、後者は職住分離型である。しかしその区分は、現在では多少くずれてきている。(上田1976:19頁)】 この上田篤氏の労作は、『京町家 コミュニティ研究』と題されているが、基本的に「京町家」ということばは、いくつかの例外を除くと出てこない。(中略) 引用部分に注意してみると、その当時にはもうくずれてきているとはいえ、「京町家」には大きく分けてふたつの種類があることが見てとれる。大路に面した町家と、図子や露地に面した長屋がある。 「露地」は「路地」とも書かれるが、基本的に通り抜けができない路であり、袋小路になっていることが多い。それに対して「図子」は「辻子」とも書かれるが、通り抜けできる小路のことを指す。これらは大きな路から一歩入った路で、完全に生活者の通り路である。当然店などがあることはまれであった。それに対して大きな路には、職人であれ商人であれ、大きさの大小こそあれど、店は多くあった。もちろん、かつては店であったものの、いまはたたんでいる状態もある。それが「仕舞た屋」だ。京都ではこの仕舞た屋がけっこうあって、もともと店だった空間をガレージとして利用する人も多い。 話がずいぶんまわり道になったが、このように京都の町家を「京町家」とよぶのは、かなり新しい方法で、むしろ研究者などの発言者からつくられていったことば、すなわち「博多や東京の町家ではなく、あの京都の町家」という意味でつくられていったことばだといえよう。著者は、住宅の減価償却や「時間の堆積性」に言及しているが・・・心ならずも鉄骨系の商品化住宅を建てた大使としても、同感するわけです♪p77~79<京都の町家の構造と力> 大学院を出ても就職のない時代だといわれるが、筆者は幸いにも大学に職を得られた。最初の任地となった京都ノートルダム女子大で、いまの妻(斉藤由紀)に出合った。それから長い時間をかけ、さまざまな困難を乗り越えて、ふたりはいま、京都に住んでいる。筆者が唯一家族だといえる人と出会ったところ。ここで筆者は生きようと決めた。この地で死のうと決めた。 そんななか、町家とよばれる建物が目に入った。そこに住まう人びとは、いかにも無防備に見えた。いつでも近所の人が入ってこられるよう、玄関が開いている世界。筆者の家の前の持ち主も、裏は鍵をかけなくていいというほどに隣近所を信頼しきった生活。筆者は無意識のうちに、このような生活が可能な「人間関係」すなわちご町内の「つきあい」の網の目に入ってみたいと思った。きっとそれが中年男のぶざまではかない夢にすぎないとしても、いちどは飛び込んでみる価値があると、そう筆者は思ったのだ。 こういうと、筆者が「昔の生活に戻るべきだ」といっているのではないかと誤解する向きもあるかもしれない。だから、念のためいい添えておこう。例えば京都で古い町家を取得するとしても、その生活は現代生活そのものとなる。 台所は当然システムキッチンだし、トイレも水洗だ。だから、古い町家に住むといっても、それは畢竟和モダン住宅にしかならない。だから古い家に意味がないというのではない。多少逆説的ないい方になるが、だからこそ時代が流れるにつれ少しずつ変わっていく「つきあい」のなかで生きるという気持ちを大切にすることが「町家に住む」ことの意味になると思うのだ。 ここが古い建物であり、しかも単なる「和モダン」とでもいうべき近代的改築をほどこした家だからこそ、建物に残っている柱の傷や生活のにおいそのものをとりまく環境をすべて引き継いでいこうと、筆者は思う。ましてやこの家は、100年以上前の無垢の木でできているのだから、そのような「いい家」を大事にしようと考えたい。それは現代の新築の家にはない、「時間の堆積」とでもいうべきものがしみついた、極めて魅力的な建物ではないか。【住宅の商品化のひとつの帰結として、住宅というモノが耐久消費財と同じように使い捨ての対象、すなわちスクラップ・ビルドの対象となったという問題がある。これは「時間の堆積性」という論点とかかわる重要な問題である。減価償却という考え方に典型的に示されているように、住宅というモノは、新築時点を頂点にその価値は減退していくと考えられている。こうした考え方は、建物の劣化や地震などの要素を考え合わせるとある程度仕方ない側面もある。ただ、時を経ることがもたらすモノへの影響を、経年劣化という観点からのみとらえる思考は、モノをとらえるうえでかなり一面的な見方であるといえよう。(山本2014:220頁)】 山本氏はこのあとで、同潤会や住宅公団初期の分譲住宅について、「半世紀の時を経て、およそ新築の住宅では醸し出すことのできない雰囲気と年輪を感じさせるものに変化して」いることを例にとり、これらの魅力を「時間の堆積性」という観点から見直すことを提案している。たしかに古いアパートには新しいものにない味がある。筆者が古い町家に感じた魅力も、このような見方にとても似ているといえよう。 ただし、筆者の場合は「無垢の木の家」というものへのあこがれであり、同潤会アパートに感じるものとは少し違うが。阪神・淡路大震災さえ無ければ、大使は在来工法による「無垢の木の家」を志向したと思うわけで・・・著者のあこがれがよく分かるのです。
2016.01.10
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アメリカの映画は極力観ないように努めている大使であるが・・・『スター・ウォーズ』は別である。久々の『スター・ウォーズ』新作が掛ったが、観る前から頭の中ではテーマ音楽が渦巻いていたわけで、スタンバイOKでおま♪この作品は、2~4D、字幕or吹替えの色んな観方が選べるので、アナログ老人としては2D字幕が希望なのだが…2Dは夜間のみのまま子扱いなんで、仕方なく3D字幕を選んだのです(3Dは300円アップ…怒)…くだんの鑑賞フォームを、disneyバージョンで作ってみました。【スター・ウォーズ/フォースの覚醒】J.J.エイブラムス監督、2015年米制作、2016.1.07鑑賞<公式サイトINTRODUCTION >より映画を超えた史上空前のエンターテイメント『スター・ウォーズ』、その新たなる3部作の第一弾。ジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグ―ハリウッドが生んだ偉大なる巨星たちの才能を継ぐ、J.J.エイブラムスの「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」がベールを脱ぐ。はるか彼方の銀河系で繰り広げられる、家族の愛と喪失の壮大な物語。その歴史は、新たなるヒロイン、新たなる仲間たちによって、≪新たなる3部作≫として、真新しい1ページを開く。家族を知らず砂漠の惑星で孤独に生きるヒロイン、レイの運命が、新型ドロイドのBB-8、戦うことに疑問を抱く兵士フィン、そして、フォースの暗黒面の担い手、カイロ・レンらと交わる時、銀河の命運を賭けた戦いの渦中へと導かれる。果たして、真のフォースに目覚める者は、誰か…?その行く末を今、世界は固唾を飲んで待っている。──その時あなたは、新たなる伝説の目撃者となる。<大使寸評>思いがけなく、年老いたハン・ソロとチューバッカが登場するシーンでは、危うく拍手しそうな大使であった♪(日本の観客はそんなはしたない真似はしないのです)それから、年代モノの宇宙船ファルコンが健在なのが…ええでぇ♪新たなる3部作というフレコミなんで、少なくとも、あと2作予定されているのが嬉しい。disney『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』公式サイト大使のこだわりは、どうしても美術…更に言えばCG・VFXの本物らしさになるわけです。砂漠に落ちた宇宙船の巨大さとか、酒場にたむろするちょっと愉快な宇宙人に目が行くのです。この映画を観る前に、NHK番組『ハリウッド 映像王国の挑戦』を見たのだが・・・日本人VFXスタッフの行弘進さんという人、「金を払ってでもいいから、VFXの仕事をさせてくれ」と言って入社したそうです。『スター・ウォーズ』を作った映像スタジオにNHKが潜入より 人気映画シリーズの10年ぶりの新作として話題の映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(公開中)。米国ではすでに『タイタニック』を超え、『アバター』にも迫る勢いで大ヒットを飛ばしており、日本を含む全世界で莫大な興行収入を稼ぎ出している。普遍的なテーマやキャラクターの魅力を最大限引き出してきたのが、特撮スタジオ「ILM(インダストリアル・ライト・アンド・マジック)」の技術力だ。NHKでは、この映画製作の舞台裏を探るべく、ILMに独占取材を敢行。『ハリウッド 映像王国の挑戦~“スター・ウォーズ”とILMの40年~』と題した番組が、あす5日(後8:00~8 :43)にNHK総合で放送される。 ILMは40年前、ジョージ・ルーカス氏が『スター・ウォーズ』(1作目、後に『エピソード4/新たなる希望』とサブタイトルが付いた)を制作するために設立したスタジオ。これまでに『E.T.』や『ジュラシックパーク』などの世界的大ヒット作を生み出し、獲得したアカデミー賞は44個。ハリウッドの映像技術革新をけん引する存在だ。 今回、世界で唯一、スタジオに入ることが許されたNHKのカメラがとらえたのは、観客を魅了するリアルな映像を生み出すため、公開ギリギリまで格闘を続ける技術者たちの姿。番組では、ILMが誇る最新の映像技術や、40年の間に成しとげた数々の技術革新、そして最新作で重要な役割を担った日本人アーティストの行弘進さんも紹介する。 かつて、ジョージ・ルーカスは黒澤作品に憧れたようだが、めぐりめぐって、その後の日本人は『スター・ウォーズ』の美術に憧れるようですね♪
2016.01.09
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アベノミクスが重視する株価であるが、株をやらない大使にとって株価の乱高下は痛くも痒くもないのである。報道によれば、中国・上海株で騒動があったようです。その株騒動について<個人的経済学20>に追記したので、抜粋して紹介します。。(全文は、左の欄に載せています。) <個人的経済学20> H27.7.01~お役所、官僚にグチばっかり こぼしていても埒があかないので・・・・建設的?な思索をすすめようと思いなおした。ということで経済に的をしぼって考えたい。昨今では、アジア投資銀(AIIB)が発足したので、中国経済のフォローがメインとなっております。・中国の株式自動取引の不調・中国経済の困惑ぶり**********************************************************************<個人的経済学19>目次・アジア投資銀(AIIB)のお手並み拝見・アジア投資銀ショックを検証・トマ・ピケティの『21世紀の資本』・中国が仕掛ける対米「著作権」戦争<中国の株式自動取引の不調>報道によれば、中国・上海株で騒動があったようです。以下の報道に触れて、以下ツイートしたのだが…@mdonguri:千分の一秒単位の自動売買を行うウォール街にはかないっこないのだが・・・サーキットブレーカー制度が不調とのこと。まったく、賢いのかアホなのか?2016.1.07中国・上海株でサーキットブレーカー適用 急落で再びより【上海=土居倫之】7日の中国・上海株式相場は前日比7%安と急落した。相場の急変時に取引を停止する「サーキットブレーカー制度が4日に続いて再び適用された。取引開始から約30分で売買を全面停止し、同日の取引を終える展開となった。 上海総合指数は前日比1.55%安で取引が始まった。その後急速に下げ幅を広げた。中国の通貨、人民元が下げ止まらず、資本流出懸念から株式投資家がリスク回避姿勢を強めたことが要因だ。 中国人民銀行が7日発表した人民元の売買の基準となる対ドルレート「基準値」は1ドル=6.5646元だった。対ドルで2011年3月以来約4年10カ月ぶりの安値水準となった。米中の金利差縮小観測から人民元の先安観が強まっていることを反映した。 中国は4日に「サーキットブレーカー」制度を導入したばかり。上海総合指数と並ぶ代表的な株価指数「CSI300」が前日比5%超変動した場合、すべての株式と先物の売買を15分停止する。また同7%超変動した場合は終日売買を停止する。取引4日間のうち2日間でサーキットブレーカー制度が適用されたことで、今後見直しの議論が高まりそうだ。 一方、証券監督当局は7日、上場企業の大株主による保有株売却に一定の制限を設ける新しい規制を発表した。3カ月で売却できる株式を発行済み株式数の1%以内に制限する。馴致運転中のような中国の株取引であるが、優秀な中国の経済官僚であってもウォール街の域に達するのはまだ先のようですね♪一方、ニッポンでひたすらに格差を拡大させているのがアベノミクスであるが…この経済政策ははただひたすら富裕層やウォール街に資するものである。だまされてはあかんで。<中国経済の困惑ぶり>ギリシャ問題で世界中の株価が下がっているが…伊藤洋一さんがブログで中国経済の困惑ぶりを語っています。2015/6/29そして、中国の憂鬱より 中国株の下げがちょっと深刻なのは、今までは効いていた「政府の措置」を市場が無視していること。「政府の措置」というのは、今回の場合は利下げ。この週末に、0.25%の政策金利の下げと預金準備率の引き下げを同時に発表。 この結果、一年物貸出金利は4.85%となった。昨年の11月以来実に4回目の利下げであり、史上最低。中国当局の慌てぶりが分かる。また中国金融当局は、今回預金準備率の50ベーシスポイントの引き下げも実施した。 この二つの金融措置は、中国政府の株下落に対する困惑ぶりをよく示している。中国の富裕層を踊らせてきた株価がこのまま急落すれば、ただでさえ弱い中国の消費に打撃となり、各種資本も逃げて、中国経済の成長率が落ちる。目標の7%達成は無理になる。 「成長すること」「豊かになること」が「統治の正統性」となっている今の共産党にとて、国民から「なんとかせい」と言われかねない問題を抱えたと言える。しかし一方でジレンマもある。 なぜなら、今回の利下げは「構造改革重視」「マーケットの動きには左右されない」としてきた当局の政策運営姿勢を問うものとなるからだ。あまりにも「株価の下げをきっかけで行った利下げ」ということが鮮明だからだ。 「金融政策とそれに対する信頼が、企業の業績と同様に中国の株式マーケットにとっては重要」、とされる。しかし、株価の上昇を放置した後にその急落に慌てふためく中国当局の姿勢は、中国政府の意向・政策がかつての神通力を失いつつある事を示しているようにも思う。 中国は今まで、意図通りに中国経済を動かしてきた。それが終わったかも知れない。それにしても、AIIBはその母国での株価急落の中での設立署名式ですか。縁起は良くない。経済財政諮問会議すり替えられた規制緩和 内橋克人こうして日本は格差社会になった世界で最も有名な経済学者が問う「アメリカの横暴」と「ニッポンの覚悟」やがて中国は労働者輸入国になる戦後・日米経済史年表
2016.01.08
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在職中は通勤や出張の途中に傍観していただけの神戸だったけど・・・リタイアして4年以上たち、やっと自分の住む街の今昔に目を向けているところです。・・・で、住めば都というか、神戸のインデックスを作ってみました。・源泉掛け流し銭湯・街の本屋が「カア!」と啼く・北野町:歴史と文化の町並み事典・神戸ルール・関帝廟参り・神戸ぶらり下町グルメ・神戸の散策に・川西英生誕120周年・神戸で寅さんに合った ・ドングリ国の名所めぐり ・源泉掛け流し銭湯・街の本屋が「カア!」と啼く・北野町:歴史と文化の町並み事典く・神戸ルール・関帝廟参り・神戸ぶらり下町グルメ・神戸の散策に・川西英生誕120周年・神戸で寅さんに合った ・ドングリ国の名所めぐり
2016.01.08
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「支離滅裂」でしょうか♪<市立図書館>・対話録・現代マンガ悲歌・手入れがわかる雑木図鑑・死神の浮力<大学図書館>・京都の町家を再生する・ジャポニスム図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【対話録・現代マンガ悲歌】対談集、青林堂、1970年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>つげ義春、佐々木マキがでているのが、借りる決め手でんがな♪この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)<図書館予約:(12/22予約、1/06受取)>Amazon対話録・現代マンガ悲歌【手入れがわかる雑木図鑑】平井孝幸著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より雑木の庭は清々しいそよ風と木漏れ日が心地よい現代のオアシスです。アオダモ、クロモジ、ガマズミ、コナラ、ナツハゼ、リョウブなど落葉広葉樹72種を中心に、常緑広葉樹21種、針葉樹8種の合計101種の魅力と手入れの仕方をわかりやすく紹介。<読む前の大使寸評>我が家のケヤキやカツラなどの雑木は、植え付け以来、プロによる剪定を一切受けていないので・・・プロから見たらあっと驚く姿になっているかも?しれないのです。とにかく左様に荒れ庭になっているかもしれないので、反省の意味を込めてこの本を読んでみようと思い立ったのです。rakuten手入れがわかる雑木図鑑【死神の浮力】伊坂幸太郎著、文藝春秋、2013年刊<商品説明>より『死神の精度』で活躍した「千葉」が8年ぶりに帰ってきました!クールでちょっととぼけた死神を、今度は書き下ろし長編でお楽しみください。 <読む前の大使寸評>先日、著者の『グラスホッパー』という本を読んだので・・・個人的には、(この本が先に出版されてはいるが)死神シリーズ第二弾のような本になるわけです。rakuten死神の浮力【京都の町家を再生する】齋藤由紀著、関西学院大学出版会、2015年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1部 京都で「町家」に住むということ(商品住宅としての古民家/京町家とは何か/「町内会」とは何か ほか)/第2部 町家を手に入れるー町家に手を入れる(町家って何だろう/町家の魅力/家探し、初めの一歩 ほか)/第3部 二〇一〇町家に暮らしてみて(「京都じゃっかどふに」という名前の由来/「京都じゃっかどふに」のコンセプト/再生の素晴らしさ ほか)<読む前の大使寸評>減速中の我がニッポンで、再生とかシェアという生き方はトレンディである。朝日新聞でも、京都の古民家再生のコラムが続いていたな~。・・・ということで、借りた次第でおます。rakuten京都の町家を再生する【ジャポニスム】馬淵明子著、ブリュッケ、新装版2015年刊<「BOOK」データベース>よりヨーロッパが形成した日本のイメージは、いわば彼らがこうあって欲しいという願望に基づいた像であり、それこそがジャポニスムを性格づけている。ヨーロッパに限らず、異文化を知ろうとする時、自分に必要で役に立つものを集めるのは、当たり前のことだからである。日本だけが例外であるわけがない。19世紀末のヨーロッパが選んだNIPPONとは?第19回ジャポニスム学会賞受賞。 【目次】1 ジャポニスムとは何か-序にかえて/2 ジャポニスムと自然主義/3 モネの『ラ・ジャポネーズ』をめぐって-異国への窓/4 A travers-モネの『木の間越しの春』をめぐって/5 モネのジャポニスム-自然と装飾/6 ゴッホと日本/7 クリムトと装飾-ウィーンにおける絵画のジャポニスム/8 葛飾北斎とジャポニスム<読む前の大使寸評>この本は、2015年新装版第1刷となっているが、初版第1刷は1997年であり、内容はかなり古い本である。だけど、画像も多く著者の視点も古びておらず・・・なかなか立派な本のようである。Amazonジャポニスム*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き129
2016.01.07
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元旦の朝日新聞のオピニオン欄に藤田孝典さんのオピニオンが載っています。藤田孝典さんと言えば、新書『下流老人』の著者であるが、この本は今でも本屋で平積みとなっているほどのロングセラーである。一方で、我が家ではこの新書が積読になっていたので、あわてて再読に勤しむ大使である。…で、この際、ネット情報もふくめて、「藤田孝典の世界」として集めてみました。・選べない国で・下流老人・「高齢者の貧困率9割」時代へ【藤田孝典】社会福祉士、ソーシャルワーカーとして生活困窮者を支援。NPO法人「ほっとプラス」代表理事。聖学院大学客員准教授。「反貧困ネットワーク埼玉」代表。著書『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新聞出版)は発売から2か月で8万部を売り上げた。 <選べない国で> 『下流老人』の著者・藤田孝典さんがオピニオン欄で「老後の貧困、「公正」築き防げ」と説いているので、紹介します。(藤田さんのオピニオンを1/1デジタル朝日から転記しました)さまざまな選択肢を自由に選べる社会に――。1990年代以降、日本ではそんな声が高まった。だが現状はむしろ、選ぶことができず、息苦しくなってはいないか。「選択」をキーワードに、この国のあり方を考える。 ■老後の貧困、「公正」築き防げ 藤田孝典さん(NPO法人「ほっとプラス」代表理事) ソーシャルワーカーとして、生活困窮者の支援を10年以上してきました。最近は、普通の生活をしてきたサラリーマンが貧困に転落するケースが増えています。 高齢になって仕事を退くと、多くは年金に頼らざるを得なくなります。1ヵ月の平均給与が38万円だった人が40年間、厚生年金保険料を支払ってきたとして試算すると、現時点で受け取れる年金は月約16万5千円。平均給与が25万円なら約13万円にしかなりません。 病気で医療費がかさんだり、熟年離婚で収入が半分になったりすると、暮らしは維持できなくなります。多くの高齢者は薄氷を踏むような状況で暮らしています。 私は「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」を「下流老人」と名付けました。憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることが難しい人たちです。 「下流老人」は決して、放蕩の末に身を持ち崩した人たちではありません。例えば、飲食店の正社員を経て介護の仕事に真面目に取り組んできた男性は、働いていた時の賃金が低く、両親を介護する離職期間も長かったため、厚生年金は約9万円。自身の糖尿病などで医療費がかさむようになり、食費に困って路上の野草を食べて飢えをしのいだそうです。最初の相談時には、身長が約180センチあるのに、体重は約50キロしかありませんでした。 「自分がこんな状態になるなんて思いもしなかった」という高齢者の相談は増える一方です。今後の日本社会に中流は存在しなくなり、老後の生活を選べる「一握りの富裕層」と、選択の自由がない「大多数の貧困層」に分断されていくのではないでしょうか。 労働者の4割に達した非正社員の多くも、このままでは「下流老人」の予備軍になると考えています。新しい働き方の選択肢として前向きに評価する風潮もありましたが、企業が人件費削減に利用した側面が強く、多くの非正社員が低賃金や雇用の不安によって厳しい生活を強いられています。 結婚して子供が生まれた時、知人から「ブルジョアじゃないと育てられないね」と言われました。非正規雇用、年金問題などで将来に不安を抱える若い世代には、結婚して子供を産むという当たり前のことさえ、ぜいたくになってしまっています。 もはや高齢者に限らず、子供や若者、シングルマザーの貧困も社会として見過ごせる水準にはありません。しかし、国や自治体による社会福祉制度の情報開示は十分ではない。複雑な仕組みにもかかわらず学ぶ機会を用意せず、個々人の「申請主義」に任せて福祉の選択肢をわかりやすく示さないのは、「選択の自由」以前の問題だと思います。 さらに、格差是正のためには所得の再分配機能を高めることが欠かせません。所得税の累進税率を上げ、資産課税を強化して富裕層から多くの税金を取ることが必要だと考えますが、政治で議論されそうな気配はありません。 与党による軽減税率導入をめぐる経緯を見ると、消費税増税は既定路線のようです。「薄く広く負担を求める」と説明されてきた消費税は一見、公平に見えますが、所得の少ない人ほど負担が重くなる「逆進性」がある。いま大切なのは、機会の平等を守るために、真に公正な税制とは何かを考えることだと思います。 世の中に持つ者と持たざる者が生まれるのはある程度、仕方のないことだと思います。ただ、格差が広がった場合、是正しなければ社会は成り立たない。教育費の無償化や低家賃の公営住宅の拡充など、貧困の連鎖を防ぐ公的な安全網を整備することが急務です。 生活困窮者が自殺や路上生活に追い込まれることなく、「生まれてきてよかった」と、再び自らの人生を選択できる公正な社会を実現すべきです。私たちは「そんなのは無理だ」と簡単にあきらめずに、粘り強く社会の再構築を目指すべきだと思います。(聞き手・古屋聡一)*藤田孝典:1982年生まれ。聖学院大学人間福祉学部客員准教授。反貧困ネットワーク埼玉代表。ブラック企業対策プロジェクト共同代表。著書「下流老人」がベストセラーに。選べない国で藤田孝典2016.1.1 【下流老人】藤田孝典著、朝日新聞出版 、2015年刊<「BOOK」データベース>よりまもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」である。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパクトは計り知れない。<読む前の大使寸評>楽天ブックス日別ランキング(社会部門、2015年10月5日現在)でトップの本であり、それだけ切実な問題なんだろう。この本は16年1月現在、今でも本屋で平積みとなっているほどのロングセラーである。rakuten下流老人ネットで藤田孝典氏へのインタビューを見てみましょう。我々、団塊世代が年金生活をギリギリ享受できる最後の世代となるようです。2015/9/15「高齢者の貧困率9割」時代へより 日経ビジネス2015年9月14日号特集「あなたに迫る 老後ミゼラブル」では、「3大ミゼラブル」として、孤独死・認知症・犯罪を取り上げた。この3大問題の根底にあるのが、高齢者の貧困問題。一般的な民間企業で定年まで勤め上げた「中流層」は、定年を機に貧困に転落する可能性が極めて高い。『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』の著者、藤田孝典氏に話を聞いた。Q:日本の中流層である、平均給与414万円でも定年後は貧困化してしまうと訴えています。藤田:ええ。今の40代前半に当たる団塊ジュニアは4割程度が非正規社員・従業員です。平均年収は200万~400万円が中心帯ですが、この水準だと、定年後の年金受給額は月額8万~10万円。生活保護を受給すべき最低ラインに掛かります。Q:とは言っても危機感は薄い。藤田:老後には、病気や介護、認知症、子供が独立せずに家に居つくなど、現役時代には想像できないような“落とし穴”があります。なかなか実感として受け止めにくいので、危機意識が低いのではないでしょうか。現在、私は埼玉を中心に生活困窮者の相談に乗っていますが、半分は高齢者です。そのうち、現役時代の年収が800万~1000万円だった人も含まれています。以前は正規の仕事に就く子供がおり、手元には、貯金や持ち家があった。地域コミュニティーも支えてくれた。年金はあくまでプラスアルファの収入で、依存度はそれほど高くなかった。Q:それが変わってきたと。藤田:今は違います。社会構造が変わる中で、年金依存度は飛躍的に高まっています。そうであるのにも関わらず、私たちが手掛けた独自調査で定年後もずっと中流意識を持っている人は多いことが分かりました。意識と実態のギャップから貧困化に陥るケースが増えています。 現役時代は企業の部長さんで、毎週末にゴルフをするのが当たり前。車はクラウンじゃないとダメという人なんかも相談に来る。なかなか生活の質を下げられないようですね。Q:意識を変えられないことが問題なのでしょうか。藤田:それもありますが、一番の問題は家庭と雇用形態の変化に、制度が対応し切れていない点です。家庭内で支えてくれる人がいない以上、国が社会保障として支援の枠組みを考えないといけません。それが抜け落ちています。Q:具体的に何をすべきでしょうか。藤田:やるべきことは決まっています。住居です。家賃補助を入れるべきです。 皆さんが何にお金をかけているかというと住まい。35年ローンを組み、定年までに払い終わらない人が多い。仮にローンを払い終わっても、老後の資金をすべて住宅につぎ込み、貯蓄額なんてありません。持ち家に資産価値があれば良いのですが、35年経つと目減りした不動産価値しか残らない。■持ち家が首を絞める?マンションも二束三文の価値になってしまいます。賃貸の場合、現役時代と異なり、定年後の年金支給額15万前後では、8万~10万円の家賃は到底払えません。Q:金銭的支援は国庫財源を考えても限界があります。藤田:家賃補助が難しい場合、フランスのように、公営住宅の絶対量を増やすべきでしょう。日本では、全住宅のうち公営住宅はわずか4%程度です。一方、フランスは40年前からインフラ整備を進めており、今は約20%に増えました。フランスの場合も老後の年金は月額10万~12万円程度で日本と変わりません。ですが、家賃は月額5000~1万円。手元に1カ月で9万~10万円が残る計算になります。(文字数制限により省略、全文はここ)もし、大使のように年金を払い続けた後で、下流老人になってしまったら・・・怒るでぇ。しかし、団塊ジュニアには老人貧困率9割の時代が待ちかまえているようです。
2016.01.06
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大使が執着する温泉といえば・・・要するに源泉掛け流し銭湯であり、きれいな自然水に浸かりたいのです。…ということで、大使の独断でドングリ国周辺の源泉掛け流し銭湯を探してみました。(但し、一部に掛け流しでない銭湯を含む)・湊山温泉・灘温泉水道筋店・芦原温泉・笠松湯【湊山温泉】関西近郊おすすめ”源泉かけ流し”日帰り温泉施設より全て消毒無しの源泉かけ流し浴槽ただ、加温はされていますが、浴感はなかなか。自分で蛇口をひねれば、源泉がドバドバっと出すことが可能。浴槽によって温度を変えられています。一番手前の丸い浴槽は46度程度でメチャ熱いです!■住所:神戸市兵庫区湊山町26-1■電話:078-521-5839■料金:680円■営業:7:00~22:30■お休み:水曜日■駐車場有り湊山温泉の運営継続♪byドングリ【灘温泉水道筋店】神戸の銭湯・灘区より灘区水道筋1-26 電話 (078)861-4535【営業時間】 04:30~翌00:30【定休日】無休(年に数日) 阪急王子公園駅から東へ歩いて15分、水道筋商店街のアーケードが切れた先にある。多くの温泉ガイド本に名湯として掲載されている温泉銭湯。フロント式。 震災後リニューアルで2階建てになり、1階は広いロビーと男湯、2階は女湯。30度強のひんやり心地よい炭酸水素塩泉の源泉浴槽が大人気で、石造りの主浴槽や広い露天風呂にも温泉が使われている。その他もデンキ、強力ジェット、打たせ湯、別料金サウナ、かけ流しの大きな水風呂など充実。シャンプー・せっけん備え付けや脱衣所の床暖房など至れり尽くせり。【芦原温泉】神戸の銭湯・兵庫区より兵庫区湊川町2-10-11 電話 (078)521-3739【営業時間】14:00~翌10:00【定休日】無休 湊川駅から北へ徒歩10分ほど、東山商店街のアーケードを抜けた先にある。フロント式。 年中無休オールナイト営業の便利な銭湯。震災後に湯あそびひろばとしてリニューアルし、一般的な敷地面積のまま立体化。1階は飲食ロビーと脱衣場、2階は別料金サウナと水風呂・エステバス、3階に主浴槽と各種ジェット・デンキ・打たせなどが揃い、さらに露天風呂では布引泉源の温泉が楽しめる(加熱循環)。 狭いながらもすべてが揃ったミニスーパー銭湯だ。ただし掛け流しにあらず。【笠松湯】神戸の銭湯・兵庫区より兵庫区笠松通6-3-6 電話 (078)671-2581【営業時間】15:00~20:30【定休日】水曜日 和田岬駅の南西、笠松商店街を入ってすぐのところにある。番台式。 昔ながらの下町情緒いっぱいのレトロな銭湯。脱衣場にはざっくばらんな脱力ムードが漂う。浴室には中央に大きな深浅の主浴槽がデン!とあり、他に設備は何もないが銭湯の原点を感じさせてくれる。奥壁に湖水風景のモザイクタイル画あり。床は排水溝に向けて全面が傾斜する古いタイプ。震災後もイニシエスタイルのままがんばる貴重な銭湯だ。ただし掛け流しにあらず、→くわしくは「関西の激渋銭湯」 かつてはここで、大勢の港湾・工場労働者たちが汗を流したのだろう。軍需産業から高度成長までを真っ黒になってささえてきた労働者たちが、夕方いっせいに集まって一日の疲れを癒した場所。 今は閑散とした空間の真ん中で、大きな湯船にどっぷりと浸かって目を閉じる。しみじみ・・・。なお、関西近郊の源泉掛け流しに関しては関西近郊極日帰り温泉がお奨めでおま♪兵庫県の激渋銭湯【神戸市】もありまんねん。
2016.01.05
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・中国と日本・越境者の政治史***************************************************************【中国と日本】中国と日本より<熱狂的な民族主義は「毒薬」:保阪正康(ノンフィクション作家)> 中国語圏で広く読まれている日本人論。著者は北京に住む著名な作家で、かつては日本に滞在し、研究生活も体験している。 日本への関心の深さとその分析が、正鵠を射ていて、日本人も自省を促される。論じる内容は実に幅広く、赤穂浪士から大川周明、そして歌手の岡林信康まで、さらに長崎という街を通じての原爆論、福沢諭吉を引いての入欧論からアジア主義、リッダ空港銃撃の3人の赤軍兵士と、日本史の中を縦横に目配りする。 日本人とはどのような国民性を持っているかをあくことなく探り続ける。 それはとりもなおさず中国自身を見つめることになるというのだ。冷静な筆調に加えて、文学者の視点が随所にあり、この種の書としては説得力をもっている。著者が達した結論は、日本の物語から中国人が学ぶべきは、「熱狂的でかつ利己的な民族主義が、もっとも恐ろしい毒薬」ということ。日中双方がじっくりかみしめたい表現である。 ◇張承志著、亜紀書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より“戦争50年”を経て“平和70年”の今、人はねじれたナショナリズムの波に呑まれ、曲がりくねった道を歩く。かつての過ちは記憶の外に消されていき、あとに残るのは「人間」のみ。その人間に必要なはずの道徳は、そして人道はどこへいったのか。中国人作家が歴史・文化・人物・平和憲法をとおして、日中の絆、そして日本を見つめなおす。他者への「敬重」と「惜別」の覚悟をもって語られる日本論。【目次】第1章 はるかなる東ウジュムチン/第2章 三笠公園/第3章 ナガサキ・ノート/第4章 赤軍の娘/第5章 四十七士/第6章 解説・信康/第7章 文学の「惜別」/第8章 「アジア」の主義/第9章 解剖の刃を己に<読む前の大使寸評>過激なナショナリズムを抑える論調は、日中両国の民にとって大切なんでしょうね。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten中国と日本【越境者の政治史】越境者の政治史より<「移動」に焦点、「日本人」とは:吉岡桂子(本社編集委員)> 明治時代から第2次世界大戦の敗戦まで、「日本人」はどこへ移り住んだのか。そして、地域の秩序にどのような影響を与えたのか??。 北海道や樺太から、ハワイ、旧満州、朝鮮半島、台湾、南北アメリカと、移住先での国籍、市民権、参政権をめぐる動きと政治や民族意識のありようを包括的にとらえようとした本だ。 前提となる日本人を、北海道アイヌ、沖縄人、小笠原の欧米・ハワイ系住民、樺太アイヌと、明治維新のおりにすでに日本政府が統治の対象にしていた「大和人」に分けて、考察する。この分解が、日本の移民や植民を考えるときにも、見落としがちな日本のなかにある「民族」の視点を取り戻してくれる。 「日本人」が広く移住した時代は、日本が主権国家として国境を画定し、外国に触れ、富を外に求め、そして戦争とともにあった。 日本が支配した旧満州で日本人は、「在満日本人」だったのか、「日系満州国民」だったのか。ハワイで最大の民族集団だった日系人は、米国に対して中国や朝鮮半島からの移民とも連帯する東洋人系市民だったのか、それとも帝国日本の植民者だったのか。 敗戦後、日本や米国統治下の沖縄へ戻った「引き揚げ」を、戦勝者の連合国側は「送還」と呼んだ。人の動きに焦点をあてた問題意識が、領土の争奪とは異なる戦史を描くことにも通じている。 著者の関心の出発点がナショナリズムだったとするあとがきを読んでなるほど、と思った。いま日本列島に積みあがるナショナリズムと「大和人」の民族意識の関係など、現在の課題を考えるヒントが潜んでいる気がしたからだ。 対象に据えた民族と地域の変数の多さから、約500ページの大著となっている。ぐんぐん広がる領域を本書で着地させたあと、どこへ向かうのだろうか。読み終えてはや、次作が楽しみになった。 ◇塩出浩之著、名古屋大学出版会、2015年刊<「BOOK」データベース>より 北海道・樺太へ、ハワイ・満洲・南北アメリカへ。大量に送り出された日本人移民たちの政治統合は、日本およびアジア太平洋地域の秩序にどのようなインパクトをもたらしたのか。移民史・政治史の盲点を克服し、一貫した視点で新たな全体像を描き出す。<読む前の大使寸評>戦前の移民史が、現代の移民問題に微妙にオーバーラップしてくるのだが・・・この本で、新たな視点がみつかるのかも?とにかく、吉岡桂子委員が推す本とあれば要チェックなんでしょう。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten越境者の政治史**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から81
2016.01.05
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図書館の本を手当たり次第に、借りている大使であるが・・・・なんか慌しいので、この際、積読状態の蔵書を再読しようと思い立ったのです。で、再読シリーズとして、以下のとおりボツボツ取り上げてみます。・#1:中国は東アジアをどう変えるか・#2:習近平の中国・#3:ねむれ巴里・#4:おどろきの中国・#5:「日本」とは何か・#6:資本主義の終焉と歴史の危機・#7:生物と無生物のあいだ・#8:日米同盟の正体・#9:素晴らしき日本語の世界・#10:イラハイ・#11:下流老人<再読候補>・里山資本主義・情報の「捨て方」・再読シリーズ(#1-4)再読シリーズ(#5-8)*****************************************************************************【素晴らしき日本語の世界】 文藝春秋、季刊版、2008年刊<内容説明より>特集 素晴らしき日本語の世界-語源・曼陀羅、「さざれ水」「忘れ水」、武士語が運ぶ武士の遺伝子、日本語と女性のことば、100年目の女ことば、「優しい日本語」は粋!/特集 私の文章読本-日本語の達人が選ぶ古今の名文/[対談]丸谷才一×井上ひさし-がんばれ!日本語/[対談]齋藤孝×武田双雲-身体的日本語論<大使寸評>個人的には、異邦人の語る日本語、各地の方言、古代語が興味をひきます。Amazon素晴らしき日本語の世界*****************************************************************************【イラハイ】佐藤哲也著、新潮社、1996年刊<「BOOK」データベース>より婚礼の日にさらわれた花嫁を追って、波瀾をのりこえて駆ける青年の冒険の物語…。「贅沢な遊び、これこそがファンタジー」と絶賛された新古典。第五回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。 <大使寸評>面白そうな本であるが・・・とにかく、この本は改行のない文体なので、イラチな大使にとって、読みづらいのである。で、途中ストップで積読状態にあるのだが、暇になれば読もうと思っている。Amazonイラハイ*****************************************************************************【下流老人】藤田孝典著、朝日新聞出版 、2015年刊<「BOOK」データベース>よりまもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」である。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパクトは計り知れない。<読む前の大使寸評>楽天ブックス日別ランキング(2015年09月28日)でトップの本であり、それだけ切実な問題なんだろう。16年1月現在でも本屋に平積みされているが、これっていわゆるロングセラーなんでしょうね。rakuten下流老人ネットで藤田孝典氏へのインタビューを見てみましょう。我々、団塊世代が年金生活をギリギリ享受できる最後の世代となるようです。2015/9/15「高齢者の貧困率9割」時代へより 日経ビジネス2015年9月14日号特集「あなたに迫る 老後ミゼラブル」では、「3大ミゼラブル」として、孤独死・認知症・犯罪を取り上げた。この3大問題の根底にあるのが、高齢者の貧困問題。一般的な民間企業で定年まで勤め上げた「中流層」は、定年を機に貧困に転落する可能性が極めて高い。『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』の著者、藤田孝典氏に話を聞いた。Q:日本の中流層である、平均給与414万円でも定年後は貧困化してしまうと訴えています。藤田:ええ。今の40代前半に当たる団塊ジュニアは4割程度が非正規社員・従業員です。平均年収は200万~400万円が中心帯ですが、この水準だと、定年後の年金受給額は月額8万~10万円。生活保護を受給すべき最低ラインに掛かります。Q:とは言っても危機感は薄い。藤田:老後には、病気や介護、認知症、子供が独立せずに家に居つくなど、現役時代には想像できないような“落とし穴”があります。なかなか実感として受け止めにくいので、危機意識が低いのではないでしょうか。現在、私は埼玉を中心に生活困窮者の相談に乗っていますが、半分は高齢者です。そのうち、現役時代の年収が800万~1000万円だった人も含まれています。以前は正規の仕事に就く子供がおり、手元には、貯金や持ち家があった。地域コミュニティーも支えてくれた。年金はあくまでプラスアルファの収入で、依存度はそれほど高くなかった。Q:それが変わってきたと。藤田:今は違います。社会構造が変わる中で、年金依存度は飛躍的に高まっています。そうであるのにも関わらず、私たちが手掛けた独自調査で定年後もずっと中流意識を持っている人は多いことが分かりました。意識と実態のギャップから貧困化に陥るケースが増えています。 現役時代は企業の部長さんで、毎週末にゴルフをするのが当たり前。車はクラウンじゃないとダメという人なんかも相談に来る。なかなか生活の質を下げられないようですね。Q:意識を変えられないことが問題なのでしょうか。藤田:それもありますが、一番の問題は家庭と雇用形態の変化に、制度が対応し切れていない点です。家庭内で支えてくれる人がいない以上、国が社会保障として支援の枠組みを考えないといけません。それが抜け落ちています。Q:具体的に何をすべきでしょうか。藤田:やるべきことは決まっています。住居です。家賃補助を入れるべきです。 皆さんが何にお金をかけているかというと住まい。35年ローンを組み、定年までに払い終わらない人が多い。仮にローンを払い終わっても、老後の資金をすべて住宅につぎ込み、貯蓄額なんてありません。持ち家に資産価値があれば良いのですが、35年経つと目減りした不動産価値しか残らない。■持ち家が首を絞める?マンションも二束三文の価値になってしまいます。賃貸の場合、現役時代と異なり、定年後の年金支給額15万前後では、8万~10万円の家賃は到底払えません。Q:金銭的支援は国庫財源を考えても限界があります。藤田:家賃補助が難しい場合、フランスのように、公営住宅の絶対量を増やすべきでしょう。日本では、全住宅のうち公営住宅はわずか4%程度です。一方、フランスは40年前からインフラ整備を進めており、今は約20%に増えました。フランスの場合も老後の年金は月額10万~12万円程度で日本と変わりません。ですが、家賃は月額5000~1万円。手元に1カ月で9万~10万円が残る計算になります。Q:持ち家は資産価値の希薄化問題だけでなく、老朽化による修繕費、固定資産税などの税金も重荷になります。藤田:そうですね。老朽化した持ち家であっても資産と見なされるため、貧困に陥ったとしても、生活保護の申請が認められない事例が増え、問題になっています。Q:一方で、郊外を中心に空き家も社会問題になっていますね。藤田:行政がゼロから公営住宅を作るのはコストがかかります。手元に今あるストック、つまり空き家をリフォームしながら使うことは重要です。それが実現するだけでも、相当な高齢者が救われます。 我々の独自調査では年収200万円の若者の8割が実家に住んでいました。実家から出られず、結婚ができないし、子供も作れません。200万円でも独り立ちできるような政策を打たないと、彼らが老後に貧困に苛まれるだけでなく、彼らの両親の老後の生活すら苦しめることにもなります。Q:至る所でひずみが生じています。藤田:マクロ経済スライドで年金はこれからどんどん減っていきます。月額8万~10万円は当たり前。その範囲内で暮らせるビジョンを描き、「総下流化」時代に備えないといけません。個人の努力で資産を形成してください、というのはどだい無理な話になっています。Q:まずは危機感を持つところから始めるべきでしょうか。藤田:先ほど危機意識が低いと話しましたが、実は多くの人は薄々、気づいているのだと思います。だからこそ、『下流老人』も2カ月で8万部売れたのではないでしょうか。自分もこうなるという危機感があると思います。それは1700兆円もの個人資産のストックにも表れています。■居住地が「居場所」とは限らないQ:政府の「地方創生」の一環として、定年を機に高齢者の地方移住を後押しする政策が本格化しそうです。この動きをどう見ていますか。藤田:うーん。お金を持っている人は現実的な選択肢として考えたらいいと思います。共働き夫婦でともに公務員や一部上場企業の場合、年金受給額が高いので、どこに移住したとしてもやっていけます。Q:問題なのは圧倒的多数である約9割の低年金層です。地方移住には住宅・引っ越し費用がかかります。車がないと生活できない。地元のコミュニティーになじまないと生きてはいけません。資金面だけでなく、制度面でもまだ整備しないといけない部分は残っています。藤田:本人が「居場所」として感じている地域、コミュニティーはどこなのか。これは他人が決められる問題ではありません。住んでいる場所だからと言って、そこが必ずしも居場所にはなりません。 私が支援活動をしている埼玉のような郊外は特にそうです。「埼玉都民」と呼ばれるように、地元の帰属意識は希薄です。地域づくりの政策の難しさを感じています。高齢者が初めて地域のコミュニティーに関わるようになるのは、介護が必要になった時と言われています。介護サービスを受けるようになれば、地域のデイサービスや老人ホームと関わるようになるからです。楽しそうなのは健康な高齢者ではなく、要介護者ですね。、年金を払い続けて下流老人になってしまったら・・・怒るでぇ。しかし確実に言えることは、団塊ジュニアには老人貧困率9割の可能性が待ちかまえているようです。
2016.01.04
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元旦の朝におとそが覚めやらぬ中、くだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「あん」と「きみはいい子」であり、館主の設けたテーマは「人の愛の大切さ」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが・・・・確かに「人の愛の大切さ」を感じたけど、新春を寿ぐにはやや重いものがありました♪【あん】河瀬直美監督、2015年、日・仏・独制作、H28.1.1観賞<Movie Walker映画解説>より「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を、「殯の森」では同グランプリを獲得した河瀬直美監督が、作家やパフォーマーとして活躍するドリアン助川が人はなぜ生きるのかという根源的な問いに迫った同名小説を映画化。小さなどら焼き屋で粒あん作りを任された元ハンセン病患者の女性の姿を、四季の情景を織り交ぜながら描く。偏見にさらされ続けても精一杯生きようとする女性を「わが母の記」で第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した樹木希林が、人生につまずいた雇われ店長を「KANO 1931海の向こうの甲子園」の永瀬正敏が、女性の良き理解者を「黒い雨」の市原悦子が演じる。<大使寸評>ハンディがあっても、慎ましく、精一杯に、優しく生きようとする元ハンセン病患者の静かな達観がいいですね。小説の原作者のドリアン助川という人は、芸人、タレントとでもいう人であるが、又吉直樹より先行して小説を出していたわけで…この人の経歴もすごいではないか♪Movie Walkerあんウィキペディアでドリアン助川の経歴を見てみましょう。wikipedia助川哲也(ドリアン助川)の略歴より 愛知県私立東海高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部東洋哲学科に進学し、同大学を卒業。日本菓子専門学校通信課程卒業。早稲田大学時代には劇団を主宰し、卒業後は雑誌ライター、放送作家などを経て、ドリアン助川の名で1990年「叫ぶ詩人の会」を結成。1999年に解散後はニューヨークに滞在、バンドAND SUN SUI CHIE (アンド・サン・スー・チー)を結成し、ライブハウスやレズビアンバーで歌う。帰国後は、ドリアン助川以外にも明川哲也の筆名を設け、執筆とライブ活動を主な生業としている。歌うアルルカン(道化師)として朗読と歌をミクスチャーしたステージを、ギタリストのMITSUとともに、「アルルカン洋菓子店」のユニット名で2011年まで展開。現在は、新たにギタリスト・ピクルス田村を得て、「アルルカン・ヴォイス・シアター」のユニット名で活動中。ニッポン放送系列の深夜ラジオ番組、『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』が若者の人気を集め、海外のアーティストを紹介するテレビ朝日系『金髪先生』などに出演するようになる。毎回、幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回は地下鉄駅のキオスクで買ったサンドウィッチと赤飯おにぎりでした♪【きみはいい子】呉美保監督、2015年、H28.1.1観賞<Movie Walker映画解説>より中脇初枝の同名小説を原作に「そこのみにて光輝く」の呉美保監督が映画化した群像劇。とある町に暮らし、様々な悩みや問題を抱えて生きる人々が人と人とのつながりに光を見いだし、小さな一歩を踏み出すさまを映し出す。出演は「横道世之介」の高良健吾、「そして父になる」の尾野真千子、「そこのみにて光輝く」の池脇千鶴、高橋和也、「盗まれた欲情」の喜多道枝、「ドライブイン蒲生」の黒川芽以、「おおかみこどもの雨と雪」の加部亜門、「もらとりあむタマ子」の富田靖子。<大使寸評>親のストレスを子供にぶつけようとする母(尾野真千子)の形相が、こわ~い。また、学校の先生に、精神疾患が増えているそうだが、わかるような気がします。それにしても小学生を演じる子役たちの自然な演技が、憎らしくなるほど上手いのだ。Movie Walkerきみはいい子パルシネマ上映スケジュール
2016.01.03
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図書館で『日中戦争とノモンハン事件』という本を手にしたが・・・・・著者は、若年のため日本軍での軍歴はないが、難民生活後に八路軍の軍歴を持つに至ったという異色の人である。この本は従軍戦記ではないけど、戦場の雰囲気は感じられるのです。【日中戦争とノモンハン事件】水嶋都香著、第一書房、2007年刊<カスタマーレビュー>より勉強家であり理解力と洞察力に優れた筆者は、恐らく厚さ2メートルほどに達したかと思われる量の文献を読破し、表題に関係する事実を細部にわたって整理し再構成している。大多数の読者にとって今や仔細への関心が持てない時代の出来事であるが、筆者はそこに現代への教訓があるとしている。 まずノモンハン事件を詳述し、次に日中戦争の経緯を描き、それから敷衍して今の日本の国防・教育問題を論じている。随所に筆者の洞察とバランスある見識が読取れる。<読む前の大使寸評>とにかく、関東軍参謀の独断専行負け戦が腹立たしいのです。著者は、若年のため日本軍での軍歴はないが、難民生活後に八路軍の軍歴を持つに至ったという異色の人である。また、東芝で技師長を勤めた経歴を持つように、どおりでバランスある見識が感じられるのです。Amazon日中戦争とノモンハン事件この本は読みどころが多いので、(その3)として読み進めたのです。著者はアンチ官僚であり、石原莞爾の「改革派」に組みする旗幟が鮮明である。そのあたりを、見てみましょう。p309~310<現代に投影される問題> 第二部は日中和平交渉をモティーフとして書いた。日中和平を進めたのは石原莞爾をはじめ「改革派」である。 この「改革派」が、東条英機はじめ多数の軍首脳から成る「現状維持派(抵抗勢力)」に敗れたことが日中戦争の泥沼化、ひいては日米開戦につながったといっても過言ではない。 「改革派」と「現状維持派」の争いは現在もある。1937年(昭和12)の日中戦争勃発からちょうど70年目の今年、2007年の3月23日の朝日新聞夕刊「安部政権の空気13」に、経済成長率アップを旗印にする「市場派」と財政再建を重視する「増税派」の対立が記されて」いる。 「市場派」には竹中平蔵・大田弘子経済財政担当相・本間正明阪大教授・中川秀直自民党幹事長・大蔵省出身の異端児高橋洋一内閣参事官等の名が挙がっている。しかし大田担当相は「官僚に取り込まれた」のではないか危ぶむ声が上がっている。 改革派の「市場派」に抵抗する勢力は「増税派」だけではない。族議員や官僚、官僚OBの多くが「現状維持指向」の抵抗勢力と見做される。恐らく官僚筋からの情報リークによるのではないかとみられる官舎問題で、本間が失脚してから、「市場派」は後退の曲がり角に来たともいわれる。 官僚筋からの情報リークの真偽の程については、筆者は承知していない。しかし情報が国、特に官僚に集中している我が国では、官僚が現状維持のため情報を操作し、抵抗勢力に加勢する弊害は大いに起こり得る。 この弊害に歯止めをかけるには、ジャーナイズムが、多数派を占める抵抗勢力の反発を恐れず、真相を究明・公開することが有効だと思われるのだが? 完全にアメリカ型の競争原理一辺倒の経済成長率アップでは、これが日本にとってかならずしも正しいとはいえないが、それにしても日中戦争時の「改革派」敗退の二の舞だけは踏みたくないものである。2007年時点での著者の世界認識と展望が「あとがき」に述べられています。p312~313<あとがき> 2007年、現在の中国は来年の北京五輪に向けて空前の活況を呈している。2020年までに国内総生産(GDP)を2000年の4倍・4兆ドルにする政策目標をたて、21世紀の超大国への道を進んでいる。BRICs経済研究所は、中国のGDPは2010年代には日本を、2040年代には米国を抜き、世界第一の経済大国になると予測している。 米国は太平洋戦争で20世紀の東洋の猛犬日本の牙を抜いて、21世紀の東洋の獅子中国の眠りをさましてしまった。21世紀は太平洋をへだてて二つの超大国・米国と中国が対峙する時代であることは間違いない。日本は好むと好まざるとにかかわらず、この両大国の間に存在するという地政学的宿命を背負っている。 かつて日本は、中国の実力を軽視するという過ちを犯して、日中戦争の泥沼から太平洋戦争への道を歩んでしまった。21世紀の中国の興隆に対しても、正しい認識を持って対峙しなければ同じ過ちを犯す恐れがある。 2007年参議院選挙で自民党は大敗を喫した。「閣僚の失言」「政治と金」「年金問題」等の原因が重なり、これ等に対処する政権の危機管理能力に疑問符がついたこと。また小泉政権が進めた「構造改革」で危機に瀕していた日本経済は見事に立ち直ったが、その影の部分である格差、特に地方経済の疲弊問題を小沢民主党党首に巧みに衝かれた等が直接の敗因とされる。しかし格差は構造改革というよりグローバル化により生じたものである。 安部首相が最重視した「国防と教育問題」より生活に密着する直近の問題に票が左右されるかたちとなった。「国防と教育問題」が国のかたちを決める最重要課題であることは間違いないが、当面国会は直近の問題に重点が移るのは避けられない。 しかし国民の多数は、自民党の古い体質への後戻り、改革の後退、ばらまき政治の復活、財政の悪化、国際競争力の低下等、改革の時計の針が逆回転することを望んではいないだろう。 中国・インドをはじめとするBRICs諸国の生活水準の向上に伴い、世界的な規模で食糧・資源の需給の逼迫、価格上昇が急速に進行している。更に少子高齢化の進行等日本を取り巻く環境は今後益々厳しくなる。莫大な国債残高等、後世に「つけ」を残すと、我々の子や孫は親よりは貧しくなってしまうのは確実である。当面、格差是正に何らかの手を打つことは必用であろう。ウーム、中国の軍拡・脅威に触れていないけど、その他については正鵠を射ているというか、著者の慧眼に驚く次第です。『日中戦争とノモンハン事件』1『日中戦争とノモンハン事件』2この記事も戦記のインデックスに収めておきます。
2016.01.02
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図書館で『日中戦争とノモンハン事件』という本を手にしたが・・・・・著者は、若年のため日本軍での軍歴はないが、難民生活後に八路軍の軍歴を持つに至ったという異色の人である。この本は従軍戦記ではないけど、戦場の雰囲気は感じられるのです。【日中戦争とノモンハン事件】水嶋都香著、第一書房、2007年刊<カスタマーレビュー>より勉強家であり理解力と洞察力に優れた筆者は、恐らく厚さ2メートルほどに達したかと思われる量の文献を読破し、表題に関係する事実を細部にわたって整理し再構成している。大多数の読者にとって今や仔細への関心が持てない時代の出来事であるが、筆者はそこに現代への教訓があるとしている。 まずノモンハン事件を詳述し、次に日中戦争の経緯を描き、それから敷衍して今の日本の国防・教育問題を論じている。随所に筆者の洞察とバランスある見識が読取れる。<読む前の大使寸評>とにかく、関東軍参謀の独断専行負け戦が腹立たしいのです。著者は、若年のため日本軍での軍歴はないが、難民生活後に八路軍の軍歴を持つに至ったという異色の人である。また、東芝で技師長を勤めた経歴を持つように、どおりでバランスある見識が感じられるのです。Amazon日中戦争とノモンハン事件この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めています。太平洋戦争の敗因というあたりを見てみましょう。キーワードは情報収集・解析ということのようです。p118~120<日本の情報戦対応> ノモンハンの経験が活かされず、太平洋戦争中も日本軍の情報戦対応はいぜん何の改善もされていなかった。主として《昭和陸軍の研究 下》保坂正康著等を参考にまとめてみる。■一 米国戦略爆撃調査団報告から この戦争全般にわたって、情報要員訓練計画が皆無であり、日本の情報活動を阻害していた。 日本では、陸軍大学校や航空将校養成学校にも、情報学級もなければ特殊な情報課程もない。従って情報任務を与えられた将校たちは、自分で会得する以外なかった。 なぜこれほど情報を軽視したのだろうか。 調査団によると、「日本軍は、協力した中国人や特務機関に頼り、怪しげな情報収集屋が持ってくる情報を利用するにすぎなかった。日本は中国との戦争では精密な情報収集・解析システムが無くても事足りた」という。 陸軍に限っていえば、確かに参謀本部に情報部がある。しかしここでは常に「ドイツからの情報は正しい」「ソ連からの情報は誤り」という思い込みだけがあり、米国や英国の情報は開戦後さえ軽視されてきた。■二 元大本営情報参謀堀栄三氏の談話「日本が戦争に負けたというのは、情報についてしっかりした考えをもっていないからです。本の中に、兎の戦力は速い脚であるか、それともあの大きな耳か、という設問があったんです。答えは、大きな耳です。あれがなければ走る前にやられてしまうではありませんか。つまり日本軍は、大きな耳をもたない兎だったのです」。■三 昭和18年4月18日 山本長官機撃墜事件 日本海軍暗号を米軍が解読し、山本機を待ち伏せ攻撃したものである。しかし海軍は、「暗号が解読されて山本機が待ち伏せ攻撃を受けたことはありえない。米軍のP38戦闘機24機が偶然山本機と出合ったにすぎない」と結論づけた。 山本機を護衛していた6機の零戦パイロットは、山本戦死の責任をとらされこのあと執拗に、激戦地に飛ぶよう命じられる。海軍も、山本の戦死から何ごとも汲み取ろうとしなかった。「暗号を解読されている」とか、「情報収集能力の欠如」といった問題の本質を問うのではなく、末端の兵士を「死」に追いやり、軍官僚は責任をのがれるという体質を露呈している。彼等軍官僚の責任は常に隠蔽された。最後の「官僚の責任は常に隠蔽された」というくだりであるが…これは、今も続いているようですね。石原莞爾は戦争責任を免れたが、米軍としても掴みかねた人物だったのか?石原が唱えた満州改革案を見てみましょう。p248~250<満州改革案> 話は前後するが、1931年(昭和6)石原が執筆した《満蒙問題私見》には「満蒙問題解決の唯一方策は之を我領土となすにあり」と記されている。満州を独立国としたのは軍中央の意見によるものであった。しかし、「君子は豹変す」。石原は満州国建国後間もなく、形式的な独立国家ではなく、真の独立国家建設の理想を掲げて、以後その信念を変えることはなかった。 陸軍の統帥から離れ、関東軍参謀長東条英機中将の下に参謀副長として着任した石原莞爾少将は、次のような要旨の満州改革案を出している。一、関東州を満州国へ譲渡し南満州鉄道を満州国法人化とすると共に、日満間の国防及び経済を公正妥当に決定すべき協議機関を東京に設置する。一、関東軍はなるべく速やかに満州国政治に関する干与を撤回するため第四課を縮小し3年以内にこれを廃止する。一、満州国軍を管理する軍政部は皇帝の直属とする。一、満州国産業経済界における日本独占資本家の独占活動を排除する。一、満州国を日本の植民地化する如き政治と少数日系官吏の専攻を排除するため協和会を中心とする国策決定機構及び企画機構を設ける。《古海忠之》 協和会なるものの性格は理解し難いが、石原の「協和会は政府の従属機関でなく、いわば共産国における共産党のように、政府を指導する機関であるべきで、官僚は排除しなければならない」という、強い思い込みが見て取れる。 東条と石原の対立は有名である。石原は関東軍参謀長だった東条を「東条上等兵」、更には「東条二等兵」呼ばわりをした。一方元憲兵司令官であった東条は、私服の憲兵や警察官を使って石原の行動を監視した。実務的で一派の結束を固めた東条の画策で、石原は次第に孤立していく。折角の改革案も、関東軍司令官以下首脳者の全体会議で全面的に否決され、石原は東京に引き揚げてしまう。 理想家石原が去った後の満州に、日本から、資本と共に大勢の利権屋が流れ込む。革新・統制派の軍人や官僚が、統制による経済活動に熱を上げた。満人の犠牲の上に巨利を得ようとする利権屋と官僚が結託した。石原が懸念し阻止しようとした官僚の腐敗堕落で、「王道楽土」の理想郷満州は夢となった。 また満州国建国前後には、日本のジャーナリズムも、小冊子や新聞記事などで、日本の青年の血気を煽るような痛快な大陸冒険談を紹介する。 僕もゆくから君もゆけ 狭い日本に住みあいた 波の彼方に支那がある 支那にゃ四億の民が待つ ロマンティックな夢を抱いて大陸に渡る若者が増えた。松本・小日向といった馬賊の頭目になったいわゆる大陸浪人や、志を失って大陸ゴロに成り下がり、中国人の不快感を買う者も出てきた。 石原の満州改革案が通っていれば、偽満州国でなく、満州国になっていたかもしれない。 現在の日本においても、政・官・財の癒着が、日本の活力を殺ぐ元凶である。 現在日本は少子高齢化等の対応が後手に廻り、我々の子や孫は親より豊かな生活は望めないのではないかという危機的情況にある。政・官・財の癒着を打破するため、政界の一新を図って、長年にわたるしがらみを解くと同時に、官僚の国益より省益を優先するという意識を早期に改革することが、最大の課題のように見える。官僚問題は今の日本でも依然、最大かつ緊急に解決すべき問題なのである。著者の卓見が随所に表れているが・・・言葉の端々に、村上龍の新作『オールド・テロリスト』に出てくる老人のような雰囲気を感じるわけで、なんだか怖いのです(笑)。なお、官僚問題は今の日本でも最大の問題という著者のご意見には、激しく賛同する次第です。『日中戦争とノモンハン事件』1この記事も戦記のインデックスに収めておきます。
2016.01.02
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明けまして、おめでとうございます。本年もよろしく、おつきあい願います。『ストレスゼロの整理術』というムック雑誌を買って以来、積読状態になっていました。いろんな出版社がこの手のムックを手を変え、品を変えして出してくるので…つい、食いつく大使である(汗)これって、貯めるばっかりという性癖が問題ではないか?という気もする。これでは、アカン!新年を迎えたこの際、このムックよく読んで、身辺整理を心がけようと思うのです。(なんか年頭の反省のようであるが)【ストレスゼロの整理術】ムック雑誌、PHP研究所、2015年刊<今月号の読みどころ>より「仕事ができる人は、机の上をきれいに使っている」とよく言われる。身の回りが散らかっていると、モノを探すのに時間を取られてしまったり、気が散ってしまったりして、仕事の効率が下がることは必然だ。とはいえ、「書類が捨てられない」「片づけたいけど、時間がない」「一度片づけても、またすぐにモノがたまってしまう」といった悩みを抱える人は多い。そこで今月の総力特集では、「ストレスゼロの整理術」と題して、整理が苦手なビジネスマンのために、経営者や専門家の片づけノウハウに加え、情報や頭も中の整理術も紹介している。<読む前の大使寸評>また買ってしまった、このてのムック雑誌である。とにかく、溜まる一方の紙の資料を整理したいのであるが…さて?ところで、この「THE21」というのが、この雑誌の名前なんやろか?phpストレスゼロの整理術とにかく、溜まる一方の紙の資料を整理したいので、そのあたりを見てみましょう。p72~73<整理上手になる10の習慣>より2■置き場所を決める「ペンはここ」「ノートはここ」など置き場所を決めたら、必ずその場所に戻す習慣をつける。使用頻度や自分の利き手などを意識し、ベストな場所に収納しよう。4■定期的に「捨てる日」を設ける どうしてもモノが溜まりがちな人は、毎月1日などと日を決めて、「捨てる日」を設けるのが効果的だ。5■「とりあえず置いておく」場所を作る 透明な多段トレイなど「保留のものをとりあえず置いておく」場所を作っておこう。8■自分に合ったグッズを探す モノの使い方には人によって「クセ」がある。会社支給の備品が必ずしも自分にとってベストとは限らない。一度文具店などに足を運んで、自分に合ったグッズを探してみよう。10■同じモノを揃える 用紙をA4に揃える、といった書類のサイズ統一はもちろん、ファイルや収納グッズを同じサイズのもので揃えると収納に無駄がなくない、統一感が出る。フムフム 参考になるなあ♪だがしかし、溜め込む癖のある大使の場合、新聞のスクラップや紙資料などを、更に電子化情報としてダブルで保存することが多いのだが・・・これって悪癖なんだろうか?溜め込まないように、ミリマリストのように・・・・紙資料をばっさりと捨てることは、大使としてはしのびないというか、できないのだが。なお、この本は、我が蔵書録の11 ハウツー本に入れて、注意喚起するものとしよう。
2016.01.01
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