2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全18件 (18件中 1-18件目)
1
朝日新聞のbeに島田雅彦氏が『文豪書簡』というコラムを連載しています。今日は「究極の買収---拝啓ホリエモン殿」というものなのですが、そこで、堀江氏の恩師が船曳建夫氏とあって、びっくり。私は昔、東大って大嫌いだったのですが、柴田元幸先生や船曳先生をテレビで拝見して、こんな面白い先生がいる東大はやっぱりすごい!と認識を改めました。(←簡単に見解が変わる風見鶏か? それゃあ、どうころんでも東大には入れないbrainなんだもーん。)堀江貴文氏は文学部宗教学科出身というか、中退なのですね。はァ~。ここで島田氏は、堀江さんの気宇壮大な妄想の行方をシニカルにけしかけています。戦闘機や空母を買って、竹島や尖閣諸島を守り愛国へのヒーローの道が!月や火星の土地を買占めアメリカを出し抜く道が!そんな道さえ可能なのだよ、と。おおー、面白い!気宇壮大な妄想の足元には、せこい現実があるわけですけれども、最近の島田氏の書かれている文芸批評やコラムを拝読していると、小気味良くて元気が出てきます。大言壮語を吐いてみたいです。私も。
2005.04.30
コメント(4)
今日から連休、しかし家では皆それぞれに仕事で忙しく、休みの気分なしです。それにしても暑いです。パソコンのある二階の部屋は32℃!鼻の頭に汗をかきつつ、書いています。火の写真は暑さを倍増させそうなので、トップページ、雨の写真に変更しました。昨日はテレビで観た映画のことを書こうと思っていたのですが、皆さんの日記を拝見していたら、その各々の個性の豊かさに撃たれて、考えさせられること多く、ボットン沈没してしまいました。すべてにコメントを書きたいのに、書けなくてついに自分の日記も書けなかったというわけです。感受性のウェブの糸さながらの風景、重さと軽さも同居して、存在の耐えられない軽さを突き破るかも知れない、仮想空間。(←おおげさ♪)先日注文してあった本、「もしも月がなかったら」が今日届いて、わくわく。以前、ディスカバリーチャンネルでやっていて、すごく惹きつけられたのです。その本が出ていて、しかも愛知万博の「三菱未来館」のテーマになっていることを新聞広告で知り、即注文しました。ニール・F・カミンズ著 竹内均監修/増田まもる訳(東京書籍)1999年発行2005年で6刷なので、例によって私が知るのが遅かったようです。テレビに比べて本の方はちっと読みにくそうですが、ボチボチ読み進みたいと思います。愛知万博も行ってみたくなりました。
2005.04.29
コメント(0)
二日ばかり続けて外出しただけで、たまった雑用に追われる主婦業って何なんでしょう。ぶつぶつ。22日に、友達と武相荘--ぶあいそう(白洲次郎・正子邸)へ行って来ました。私は二度目ですが、今回は展示されている陶器なども少なくて、陶芸をやっている友人には物足りなかったようです。何よりも荘の周辺の環境が変わってしまって、主のいない建物は骨抜きになっていく様な気がします。ともあれ、久しぶりに会った友人とおしゃべりを楽しみました。そこで聞いた彼女の「自称マザコン」のだんな様の名言。“父親は物語だが、母親は歴史である。”なるほど。そういうとらえ方もアリかな、と思いました。昨日起こったJR福知山線の脱線事故、考えられないような車両の形相でした。国鉄時代を思い出させる報道の仕方に、忘れていたものを思い出しました。負債を抱えて破綻した国鉄が、分割されてJRと名前を変えてから何年になるでしょう。その経済的な事後処理もどのようになされているのか、いつしか忘れていました。国鉄って、えっらそうに威張っていた印象が強いので、JRの方が親しめる感じでいたのですが。今回の事故原因が何なのか、一つの事故を起こす要因は二重にも三重にもあるのでしょう。乗り物なんでも大好きな単純ニンゲンの私は、ノーテンキな夢想屋であったこと、思い知りました。
2005.04.26
コメント(2)
ペドロ・アルモドバル監督「バッド・エデュケーション」 BAD education 2004/スペイン出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、フェレ・マルチネス、ハビエル・カマラ、ダニエル・ヒメネス・カチョ、レオノール・ワトリング一昨日、観て来ました。アルモドバル監督は好きなのですが、映画館で見たのはこれが初めてです。一度映画館で見なくてはと、思っていた監督なのでした。さてこの映画は、今までみたアルモドバル監督作品とは、違っているように感じました。シリアスで虚無。男性同士のベッドシーンが沢山出てきますが、振り返ると、愛なんてものはないベッドシーンばかりだったと思います。だから醒めていて、淫らさを感じさせないのかなと。“究極の愛か、欲望か”という映画のキャッチフレーズは、脚本の込み入った仕掛けと、男性俳優の魅力に眩惑されて、実は感じませんでした。心をかき乱される映画でしたが、その原因はやはりホモセクシャルの世界を目の前に突き出されたことが、一番大きかったと思います。パンフによると、構想十余年を経て制作されたアルモドバルの私的映画とあり、「この作品はいつかは撮らなければならなかった…自分の中から放出してしまう必要があった」というようなことが語られています。パンフを読んでいると、上映映画ではカットされている部分があるのではないかな?と思われるところもありました。(少年への虐待の部分)この映画のテーマの一つは“リスクを引き受けること”だそうですが、私は男性俳優陣の魅力がテーマを越えてたかな、と思います。ということは、時には陳腐さもものともしない、アルモドバルの勝ちですね。
2005.04.25
コメント(0)
テレビで見た映画です。*「バグダッド・カフェ」 Bagdad Cafe 1987/西独制作・監督・脚本:パーシー&エレオノール・アドロン出演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト、ジャック・パランス、C・C・H・ハウンダー番組案内●ラスベガスの砂漠にたたずむ一軒のモーテル。そこにいつも不平ばかり言っている女主人と怪しげな住人がいた。ある日、太ったドイツ人、ジャスミンがやってくる。だいぶ前に、たまたまテレビで一部を見て、題名もわからぬまま見逃していた映画です。その時の砂漠とカフェ、給水塔と人物のかもし出す雰囲気、独特の色彩のトーン、カメラアングル、強く印象に残ったまま数年がすぎていました。昨日きちんと観ることができて、気分がすっきり。「コーリング・ユー」のテーマ曲が、とても効いています。大好きな映画なのですが、ジャスミンが去ってもう一度帰ってくるところからが、付け足したような違和感が残りました。これは劇場公開時のフイルムではなく、〔完全版〕ということなので、当時のものと少し違っているのかも知れません。ジャスミンが帰ってきてお祭り騒ぎになるところで、一人女刺青師のデリーだけが、「みんな仲良しすぎる」と一言無表情に発して、モーテルを出て行ってしまうところが、すごく好きでした。ここで使われている「コーリング・ユー」はジヴェッタ・スティールが歌ってるそうなのですが、この曲は他でも聞き覚えがあって、もやもやしています。うちの同居人はホリー・コールのアルバム「コーリング・ユー」を持っていて、これはオリジナル版ですね。ホリー・コールの方が線が細くて、細やかな歌い方のように思いました。有名な曲で多くの人がカヴァーしているのでしょうが、確かにこの映画以外のどこがで聞いた事があるのに、どこだったのかが思い出せません。「シェーン」などに出てくる名悪役のジャック・パランス演じる画家とジャスミンの掛け合い(肖像画を描くところ)も、笑えました。など、細部を語り始めたらきりがないので、この辺で。
2005.04.22
コメント(4)
昨日の朝日新聞のコラム「心の風景」で、切通理作氏が、“憲法と主体性”について書かれていた。改憲論争において、護憲派も改憲派もどちらも「主体性」を求めているのではないか。自分たち国民が選んだ法律として改正するか、現行のままにせよ自分たちの言葉として取り戻していかねばならぬと。しかし、本当にそうなのか?と問いかけてから、“法律とは、みんなのやりたいことを実現するためのものなのだろうか。むしろその逆ではないのか。誰かの、あるいは一部のエゴだけを通すことで、他の人々が一方的に犠牲になるのを防ぐための「バランス」なのではないか。たとえば儲けたいから兵器を売って戦争を起こし、それで多くの人々が犠牲になっても構わない、という立場にだけ都合がよくならないようにするために有効なのが「きまり」なのではないか。 ***「人権」という言葉も、今日では権利を主張する側の言葉としか思われていないが、一人一人が他人を犠牲にし過ぎないためのものなのではないか。 ***「主体性」の呪縛の先には結局、滅私奉公させる側にとって都合のいい罠が待ち構えている予感がするのだ。”このあたりに、憲法を語る新しい言葉が見つかりそうな気がする。先日の改憲試案などを読んでいると、全く逆行している部分があると思う。この機に乗じて一部勢力の都合のよいような改変がなされないためにも、心していなければならないと思う。
2005.04.20
コメント(8)
「となり町戦争」三崎亜記著(集英社)読みました。すごく好評の本でも読みたくない本がありますが、この本はすっと手がでました。作家というのは、普通の人より数十歩先を走っている人のことなのだな、と素直に感じることができました。そう、今、こういうことを考えてみたかったのよね、と。本文中にはめ込まれている、お知らせや表も見過ごせません。「となり町との戦争」から「との」をとって「となり町戦争」という本のタイトル。この「との」をとることによって生まれる距離感が、この小説の持つ空気感をよく表していると思われます。読んでいて、胸に引っかかった言葉。白兵戦、戦時特別偵察業務従事者、戦時特殊勤務手当、戦争事業、となり町戦争推進室、外部委託→戦争専門のコンサル、受注、公社、兵力の均衡、「闘争心育成樹」「鎮魂の森」「戦争でこんなによくなる私たちの暮らし」、情報公開制度、議会の承認、「戦争の音を光を気配を感じとって下さい」、自己の存在を否定したくなるほどの痛み、「ぼくだって死ねるもんっ!」、となり町と協力して戦争事業を遂行、などなど。(ロマンチックな言葉は、ここではあえて選びませんでした。)さりげなく静かでやさしくおそろしく冷たい、読後感でした。主人公の意志は「自分の意志によって失うこと」だった。「雲が消えてもなお、そこに何かを見つけるかのように、」未来と過去と今が、現在進行形の形をとっているようでありました。
2005.04.18
コメント(4)
午前中に、抜歯してきました。抗生剤と鎮痛剤飲んでます。だんだん歯が少なくなっていく・・・私は進化した人類なので歯が退化の傾向にあって弱いのです。ってホント?歯に関する季語は無いだろうかと、またしても歳時記を見ていたら、ありました。歯固、はがため、歯固の餅、火鑚餅(ひきりのもち)……新年の季語なのです、これが。“歯を固め、健康を確保するための儀式であり、そのための食物である。”知らなかったです。もうすでにあまりにも手遅れでした。 歯固や鼠は何を食む今宵 尾崎紅葉息子、新人研修修了して今夜、元気に帰宅しました。なかなかに有意義だったようです。来週から本格的に勤務開始です。 歯固や年歯とも言ひ習はせり 高浜虚子ううーーん、歳時記って便利です。どこかで何かが結ばれていくような。
2005.04.15
コメント(2)
テレビで見た映画です。*「くたばれ!ハリウッド」2002/アメリカ THE KID STAYS IN THE PICTURE監督:ブレット・モーゲン、ナネット・バースタイン出演:ロバート・エヴァンズ、ジャック・ニコルソン番組案内●『ある愛の詩』『ゴッドファーザー』などを手がけた伝説的プロデューサー、R・エヴァンズの破天荒な半生を綴った痛快ドキュメンタリー。波乱万丈の裏話は映画ファン必見。ローズマリーの赤ちゃん、チャイナタウン、などの撮影、制作の裏話なども盛りだくさん。エヴァンスの栄光と挫折、友情にホロリとさせられたところで、映画は終わったと思っていたら、最後のクレジットの部分の横で、ダスティ・ホフマンが20年後のエヴァンスを演じて混ぜっ返していました。ハリウッドは内部を描いても、見せるのです。
2005.04.13
コメント(4)

先日別のサイトの方が紹介されていた「TOILET BOOK」、欲しかったのが近所の本屋さんに売っていました。『建築する身体 ARCHITECTUAL BODY』荒川修作+マドリン・ギンズ寸法 幅114mm×長さ30m (2枚重ね)このトイレットブックの本文は、小社書籍「建築する身体」のエッセンスを、26文字×117行にまとめ、繰り返し印刷したものです。の、註を虫メガネで読みました。ちゃんと切り取り線(ミシン目)もついています。定価350円也 (株)春秋社「命」って建築できるの?生き延びるためのトイレットペーパーなどなどのキャッチワードや能書きが、カバーに印刷されていますが、さっぱりチンプンカンプンです。でもついつい手が出る、逸品です。さて、生き延びるためには、このペーパーを如何にして、何に使うのが最適でしょう。まずは色彩から楽しみました。
2005.04.13
コメント(2)
昨日の朝から雨降りつづいています。 花の雨やがて音たてそめにけり 成瀬桜桃子身体に感じる地震も昨日から三度、ありました。今日は室温12度、ストーブ焚いています。曇りガラスの向こうに名残りの気配がして、雨音。昨日、歯医者さん行って来ましたです。二年くらい前に「瘤取り爺さん」ならず、「瘤つき婆さん」みたく頬が腫れる素になった、札付きの奥歯です。隣に親知らずも横向きに埋もれているのが、レントゲン写真で見えます。まだ寝ているのよね、親知らず。歯根とかその周りも、レントゲン写真では異常が見えないとのことなのですが、何しろ痛いし治療しても再発するし、今回は首・鎖骨あたりの鈍痛と響きあうように関連痛が走るので、二年前の予定通り抜歯することになりました。抜歯すれば、昨年来より悩まされている首から鎖骨、鳩尾にかけての重苦しいのが治るかもしれない。と、密かに期待しているのですが、さてどうなることやら。もう陰でも「藪」なんて言いませんので、先生よろしくお頼みいたします。
2005.04.12
コメント(0)
今年は急に気温が上昇して、桜の花もパッと咲いてしまって、咲くと同時に散りはじめている感じ。桜はいつものように美しいのだが、生暖かくてなんだか妙に気に食わない。そんな気持ちの季語ってあるかしらと、ただ一冊だけ所持している平井照敏編・新歳時記をぺらぺら捲ってみた。あるわけないのかもしれませんけど。気分に近い季語を書いてみます。春強風、春の疾風(はやて)、春荒れ…不安なおちつかぬ気持ちをそそる。春塵、馬糞風…春が来た喜びの裏側にある不快なものだが、感慨のこもるものである。春愁…はっきりした理由の無い、人間の持つ本来の哀感である。 春嵐屍は敢えて出でゆくも 石田波郷 春塵や病めば後るゝことばかり 泉 春花 山椒魚の春愁の顔見とどむる 後藤秋邑思いっきり花の暗さを歌った句を探してみたい、変な宵です。なぜならば、歯が痛いからです。明日は歯医者さんに行ってきます。
2005.04.10
コメント(0)
先日テレビ「ホントはこわい家庭の医学」で、『主人在宅ストレス症候群』というのをやっていた。定年退職して毎日家に居る夫に対して、妻にかかるストレスから起こるという病気です。主婦のストレスに光が当たるということは、それだけ世の中が平和でゆとりが生まれてきた証拠なのかも知れません。ひと昔前は“女三界に家無し”と言われるほど、ただただ我慢して耐えることが当たり前の時代でした。男女平等も戦後のことだし、私たち戦後生まれは先輩方に「女がモノを言える、良い時代に生まれたのですよ」と、教えられたものです。ストレス(精神的抑圧)といえば、いたるところにころがっていて、いろんなストレスが問題になってきましたが、「家庭」というのはやはり一番核となる場所ゆえに、最も保守的な空間であるせいか、主婦のストレスに「病名」がつくのも遅かったように思います。我が家でも、6年前に夫が早期退職を余儀なくされて“主人在宅”家庭になりましたので、テレビの自律神経失調症に罹った主婦の気持ちよくわかります。しかし我が家では“主人在宅ストレス症候群”にかかったのは夫の方だったのでしょうか? (笑)小さな手術をしたり、腎結石を患ったりした挙句、“在宅主婦”とのバトルに負けてくれてか、求職活動は怠らず。退職後勉強をし直して、目下非常勤でですが仕事を続けています。病気の原因をすべて「ストレス」に持っていくのは、あまり良いこととは思いません。どんな病気も苦しく人を不安にしたり孤独にしたりするゆえに、原因を誰かへのストレスにしてしまうこともあると思うのです。病気が原因の「ストレス」もあるわけで、まるで「ストレス」のドウドウめぐりです。(笑)しかしながら、家族間のストレスは家族の誰が持っていても不思議のないもので、つまりは微妙なバランスの綱渡りをしているものなのでしょう。ゆるやかな崩壊はゆるやかな心中と似ているかも知れません。
2005.04.09
コメント(4)
「ライフライン」ビクトル・エリセ監督時計の針が15:40ごろから始っていたことについてのメモ。1933 ドイツ・ナチス政府1939-45 第二次世界大戦1936 スペイン、フランス人民戦線政府樹立1936-39 スペイン内乱1939 スペイン、フランコ独裁政権樹立1940 ドイツ・ナチス、カトリック国ポーランドに侵入 ドイツ、フランス休戦条約 スペイン・フランコ政権、非交戦国(中立)を宣言 ラテンアメリカにおける植民地政策の再編成を図るそして、1940年にビクトル・エリセ監督は、スペイン北部バスク地方に生まれているそうです。10分の映画の中にはこれらの出来事が、普通の生活者や子供たちの姿に凝縮されて描かれていたと思います。手首に腕時計の絵を描いて時計の音を聞くしぐさをする少年や、ブランコにのる少女の足、ナチスの旗と和平の新聞、鳥、蛇、落ちた木の実、赤ちゃんを覗き込む黒猫。唄。映像に引き込まれてドキドキ緊張した10分間でした。なぜ映画が15:40から始っているのかが不思議だったので、少し調べてみました。見当違いかもしれませんが、歴史のお勉強になりました。(笑)
2005.04.06
コメント(8)
午後、つらつらとテレビのチャンネルを回していたら、またしてもヴィンセント・ギャロに遭遇した。「愛と精霊の家」という映画だった。The House of The Spirits /1993/ドイツ・デンマーク・ポルトガル原作:イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』監督:ビレ・アウグスト出演:メリル・ストリーブ、ジェレミー・アイアンズ、ウィノナ・ライダー、グレン・クロース、アントニオ・バンデラスなどの豪華な顔ぶれで、南米チリを舞台にしているのですが、ここにギャロが出ておりました。不気味で恐ろしかったです。そういう役なのですが、滲ませている雰囲気がいかにもギャロなのす。後半一時間くらいしか見ていないため、ビアンカ(ウィノナ・ライダー)との最初の出会いがわからないのですが、なんとも心がうずくような存在感でした。こんど再放送で、最初から見てみたいと思います。今風に言うと「濃い」系の俳優さんなのでしょうか。バンデラスとかも。私はどちらかというと、ジエレミー・アイアンズとかサム・シェパードのほうが見ていて楽ですね。(笑)*********************4月18日見ていなかった前半部分を見た。クララ(メリル・ストリーブ)は予知能力を持つ少女だった。ギャロとビアンカは異母兄妹だった。「嵐が丘」を思い出させる物語。ジェレミー・アイアンズも負けず劣らず「濃い」役柄だったので、上記の感想とはちと違っていました。映画は少し物語を端折りすぎのように思う。こういう映画は特に、切れ切れに見ないほうがよいです。でも、ギャロの印象は変わりませんでした。
2005.04.04
コメント(0)
「バッファロー‘66」が面白かったので、今日は同じヴィンセント・ギャロ監督の二作目を録画しておいてテレビで見た。*「ブラウン・バニー」THE BROWN BUNNY 2003/アメリカ・日本 監督:ヴィンセント・ギャロ 出演:ヴィニセント・ギャロ、クロエ・セヴィニー番組案内●『バッファロー‘66』のV・ギャロが満を持して送り出す監督第二作。傷心のバイクレーサーの旅の行方を、独創的かつ挑発的に描き、大きな物議を醸した衝撃作。〔R-15指定〕ロードムービーは大好きだし、カメラも物語の展開の仕方も好きだったのですが、最後のラブシーンが私にはいただけませんでした。だがこのシーンが無ければ、「ギャロの映画」ではなくなってしまうのでしょう。普段なら気の弱い私は目を背けるところです。途中で居眠りしたので、巻き戻しや早送りしたりしながら見終えました。カンヌでも他所でもバッシングと賞賛の嵐を巻き起こしたらしいです。今度はどんな映画を撮るのか、心配だったりします。
2005.04.03
コメント(2)
ブログを始めた最初の頃、同人誌「河」のことを書いたことがある。俳句、短歌、詩など、同人十人程度で、年に二回出している小さな詩誌である。(なんと私が最年少なのであります。)その同人の方の俳句が、今日の朝日新聞、大岡信「折々のうた」に掲載されていた。 鶯(うぐいす)やわたし眠くて半熟卵 榎本 愛子十数年ご一緒しているのだが、お会いしたこともなく俳句についても、素人の私にはよく解らなかった。それがここにも紹介されている昨年出版された句集「花時」を拝読して、その艶やかさに驚いたのであった。まとまって一冊の本になると、自ずと立ち上ってくるものがあるのだった。「海程」の同人の方である。喜ばれているのではないかと推察しながら、読ませていただいた。快挙であります。ところで「河」の〆切が過ぎているのに、私ときたらまだぐずぐずしていて、一年くらい休ませていただこうかしらなどと、迷っています。あああ。
2005.04.02
コメント(0)
ラ・トゥール展のカタログを読んでいました。美術展のカタログをこんなに熱心に読んだのは(読めたのは)はじめてです。それだけ再発見されてからの研究や熱狂の記述が面白かったということでしょう。この劇的な再発見の物語と科学的な研究、そして発見のたびに再構築されていく生成の途上であることを知るにつけ、<ダイヤのエースを持ついかさま師>の登場人物の目つきや姿が彷彿としてきます。現代の我々を見ているラ・トゥールの姿のように思われくるのです。ラ・トゥールは1593年ロレーヌ公国に生まれています。(奇しくも先日日記に書いた、ジャン=ピエール・ジュネ監督もロレーヌ地方出身です。)戦火と疫病(ペストや天然痘)の蔓延する時代に、「国王付画家」として成功を収めた画家であり、その絵は高額で買い上げられていたようです。貴族の身分の女性と結婚したことや、絵画の技がそれ自体高貴であることを理由に、税金の免除や社会的特権を得るよう、ロレーヌ公アンリ2世に請願書を送って許可されていること。ロレーヌに侵攻してきたフランスのルイ13世の忠誠宣誓書にサインしていること。フランス軍による略奪、蹂躙、放火によってラ・トゥールの工房も、絵画も多数焼失したであろうこと。家畜に対する税の支払いを拒んで、税収吏を蹴っていること。ラ・トゥールを非難する嘆願書が、ロレーヌ派の住民たちにより亡命先のロレーヌ公に提出されていること。巡査と農夫を殴って、その治療費を支払っていること。1652年胸膜炎で死亡していること。などが、古文書によって明らかになっているようです。(興味深かった部分を独断と偏見で、抜粋してます。)そして1915年まで何故忘れ去られた画家だったのか、その絵の魅力と共に興味がつきないところなのでしょう。画像はチケットをスキャンしたもので、<聖ヨセフの夢>です。一目見て、われを忘れてひきつけられる絵でした。
2005.04.02
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1


