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不肖・私にもバトンがまわってきました。(喜)私は音楽がなくても生きていける人だと思っています。でも嫌いだからではありません。1. Total volume of music files on my computer ((自分のパソコンにはいっている音楽ファイルの容量)不明です。2. Song playing right now (いま、聴いている曲)「PRAY~The Music From Heaven」というCD。マイケル・ナイマン、エニグマ、マイク・オールド・フィールド、マドレデウス、坂本龍一などの曲が収録されています。3. The last CD I bought (最後に買ったCD)「ケイト・ブッシュ/天使と小悪魔」4. Five Songs I Listen A Lot, or That Mean A Lot to Me (よく聴くまたは特別な思い入れのある5曲)■サムシン・エルス(as)キャノンボール・アダレイ(tp)マイルス・デヴィス(p)ハンク・ジョーンズ(b)サム・ジョーンズ(dms)アート・ブレーキーより、「枯葉」。初めて買ったジャズのレコードです。■MAKI/浅川マキの世界より、「赤い橋」北山修作詞・山本幸三郎作曲■TOM WAITS / THE BLACK RIDERより、「NOVEMBER」■タブラ・ラサ/アルヴォ・ペルトの世界(vn)ギドン・クレーメル(pf)キース・ジャレット、ベルリン・フィルハーモニー12チェリステンより、「フラトレス」「タブラ・ラサ」■ジプシーキングの歌った「ホテル・カリフォルニア」■番外編として、「怪傑ハリマオ」===今でも歌えます♪5. Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)このブログを覗いてくださる方で、興味を持たれた方へ。TBもよろしく!
2005.06.30
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「女帝議論のために/乱臣賊子としての日本人/限度超す皇室への期待/文化的・象徴的な面での自由を」(6/29・朝日新聞夕刊)今回は、一水会顧問の鈴木邦夫氏の論説です。鈴木氏はただの右翼ではなく、君が代・日の丸の学校教育への強制は反対している方だったと、記憶しています。一部引用してみます。*<尊王も不敬も紙一重>**<議論、決めるのは皇室>今から考えれば恥ずかしい書生論だ。しかし、今はもっと恥ずかしく、失礼な議論が罷り通っている。天皇制の議論もいいだろう。「皇室典範に関する有識者会議」もいいだろう。しかし、強制・押しつけはいけない。「国民の間でこれだけ議論しました。あとは陛下に決めて頂きたい」と、それでいいのではないか。内容は*も面白いのですが長くなるので、もっとも共感したところのみ抜書きしました。すずき・くにお氏は43年生まれ。早稲田卒。「一水会」顧問。著書に『天皇制の論じ方』『公安警察の手口』『新右翼』などがあるそうです。私はこの方には主義に関係なく、興味好感を持っています。
2005.06.29
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今日も暑かったです~洗濯物がカッと乾いたのをたたんでから、二時ごろパソコンをつけたのですが、そのときのパソコン部屋二階の気温は39℃!エアコン入れてもほとんど稼動せず、ウインの部分からしずくがポタリポタリと落ちてきます。たまりかねて、階下に退散してダウン。ひっくり返ってしまいました。暑いのが非常にこたえます。栄養ドリンクとか飲んじゃいました。深夜0時をまわって、ベランダにでるとさすがに涼しくて、ふと見ると南よりの東の空の低い位置に、橙色の大きな半月が出ています。急いでデジカメをとりに行き戻ってみると、黒い雲に覆われて見えなくなっていました。そして待望の雨がポツリポツリと降ってきました。ヤアー、やっと梅雨らしくなるゾオー、やれさ♪雨降りは好きなのさ。ついでにエアコンも調節してみて、壊れてはいないらしいけど、水がポタポタ落ちるのは直らないので、給湯器に続いてこんどはエアコン修理か?それはキビシイー。。。。
2005.06.28
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懐かしのわが家 寺山修司 昭和十年十二月十日に ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかゝって 完全な死体となるのである そのときが来たら ぼくは思いあたるだろう 青森市浦町字橋本の 小さな陽あたりのいゝ家の庭で 外に向って育ちすぎた桜の木が 内部から成長をはじめるときが来たことを 子供の頃、ぼくは 汽車の口真似が上手かった ぼくは 世界の涯てが 自分自身の夢のなかにしかないことを 知っていたのだ *1982年9月1日の朝日新聞に載っていたものです。 発表されたものとしては、最後の詩作品だそうです。 亡くなられたのが、1983年5月4日 47歳。何気ない日常の暮らしの一時に開いた新聞で、この詩を読んだとき、胸のつぶれるような、ある種恍惚感に近いような痛みを感じて自失しました。この詩から、寺山修司に向き合い始めたという、晩生もおくての読者です。映画は「田園に死す」を封切り当時映画館で見ましたが、ぜんぜん見事にわかりませんでした。でもこの詩の中にあるものは、まだ成長を続けているような気がします。
2005.06.27
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さかさま世界史「英雄伝」寺山修司(角川文庫)を遅ればせながら読んでいます。昭和四十九年一月三十日初版発行平成十七年三月二十五日改装初版発行のものですが、これが面白い!選ばれているのは、コロンブス/ベートーベン/エジソン/イソップ/ガロア/シェークスピア/二宮尊徳/ゲーテ/ダンテ/スタンダール/毛沢東/カミュ/ニーチェ/聖徳太子/カフカ/マルクス/紫式部/セルバンテス/トロッキー/孟子/キリスト/プラトン/リルケの23名です。カフカの章では、<袋小路を偽証する>という項が面白かった。*想像力は権力を奪うだけではなく、ときには権力を生み出す。一本の木と私たちの敵対関係を演出するカフカの呪術は、ときには「偽証」の罪を問われなければならないのに、マックス・ブロート以後、カフカの袋小路の実体を見きわめようとしたものは、誰もいないのだった。(*は引用)論じられている英雄たちがユニークで読者をそそる。私など未熟な読者が意識下にもっていたもやもやしたものが、寺山修司のボロクソでユニークでひねった視点によって、明らかにされていくような痛快さがある。私は生前の寺山修司は素通りしていたので、寺山ファンにはバカにされることと思うが、時期はずれに読むのもいいものだと思う。しばらく楽しめそうです。
2005.06.25
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今日は、ご紹介です。映像は、イメージが現実に裏切られた時、輝きだす。染みついた感性=体験にもとづく惰性を逆なでするために、僕は三脚を立てる。・・・映像作家原徹郎が「東京」をDVカムと一緒に歩いた記録。 (パンフより)213min.と長いですが(居眠り歓迎だそうです・笑)、興味のある方はぜひお出かけ下さい。原徹郎氏は友達のご主人です。画像が読みづらいので、日時を書いておきます。■八丁堀/リトルシアター■7月1日(金)(一回上映) 17:00(20:55終了) 7月2日(土) 12:30 17:00(20:55終了) 7月3日(日) 10:30 15:00(18:55終了)(開場はそれぞれ、上映の30分前)■¥1000均一
2005.06.24
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夫君が(こういう用法でいいのか?笑)カルチャーセンターの朗読の教室に通い始めて、4年が過ぎた。今日はその朗読の発表会が、教室であった。自分の選んだ文章の一節を朗読するだけのものなのだが、古文、小説、エッセー、詩、新聞記事など、多岐に渡り、発見があって楽しいものだった。18名の方たちの朗読を聞かせていただいた。初めて間もない方、20年近くやっていられる方、ボランティアで朗読を続けていられる方など、様々な方が居られるらしい。しかし身内の朗読を聞くっちゅうのも、けっこう疲れるものでした。聴講後、デパートの地下食で買い物。今夜は珍しく子供たちが揃うというので、焼肉用のお肉を物色。そこで私以外の皆が好物である牛タンをぜひ買わねばと、ショーケースを見てびっくら。なんと100g、税込み1260円なんですよ。私なら絶対買わないところ、経済観念限りなくゼロに近い夫君と一緒だったため、200g購入。我が家で購入する最後の牛タンになるやもしれないと、記念撮影しました。仙台では高騰により、名物の牛タンのお店が激減しているそうです。子供が計算したら、一枚当たり180円くらいになるということで、別にそんなにしてまで食べなくったっていいじゃん!と思う私であった。(写真に撮ると、ますます恐いものですね。)
2005.06.21
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○○農園様、ごめんなさい。私が早とちりしていました。父の日のささやかな品、ちやんと届いていました。相変わらずそそっかしくて、困りモンです。**********************楽天フリマで注文してあった、福永武彦画文集「玩草亭百花譜」(中公文庫)が届いた。今日は半日、一ページ一ページながめつつ、楽しんだ。明るく軽妙で飾りがなくありのままの草花の姿が写されている。盛りを過ぎたのも、枯れたのも、種や実、虫食いの葉とかも。「御馳走帳」なんていうのも収録されていて、お料理や食材の目録やスケッチ。これも面白い。画文中に時々登場する“細君”の貞子夫人の注やあとがきもとても好きだ。細君という生きた言葉を久し振りに読んだ気がする。とても良い言葉だと思うが、今の現代作家が使うとしたらどんな風な“細君”になるだろうか。武彦は、愛した信濃追分の小さな山小舎に「玩艸亭蝸々草舎」(がんそうていまいまいそうしゃ)と命名し、野草を愛(いつく)しみもてあそぶところの、かたつむりのような小さな小舎という意味だといつて、命名に得意になっていたそうです。また、解説の加賀乙彦氏によると、玩草亭の玩とは、両手をまるめて、その中で玉をころがして感触を楽しむ意だそうである。草を玉のように大事にして楽しむのだと。武彦はまた木下杢太郎の「百花譜」についても、刊行に立ち会っておられ、その刊行記念展覧会には、武彦の文章がパネルで掲げられたと言うことです。杢太郎の百花譜の絵葉書20枚ほどを持っているに過ぎなかったのに、福永武彦画文集につながることができて、嬉しく思います。教えて下さったいのうえさんに、感謝です!
2005.06.20
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田舎の父に、00農園から産地直送で注文していた父の日の贈り物が、届いていないことが判明。もう少しはやく気がつくべきだったのに、給湯器の故障でバタバタしていて、確認のはがきが来ていないことを忘れていた。今日は日曜で問い合わせが出来ないのだが、明日には注文が漏れていたのかどうかが、わかるだろう。父は威張っているくせに寂しがるので、何かを送ると結構喜んでくれるのである。しかして、我が家のほうは父の日も私と二人だけでは、冷たい妻は格別のこともせず(夫の日ではないことだし…)。野良猫たちがのっそり遊びに来たときだけ、会話が発生するという具合。しかして今や、主人がせっせと買ってくるお土産といったら、野良猫たちへのネコカン「魚正」・キャットフード「銀のスプーン・猫元気」がほとんどなのである。チロ・寅吉は何でも食べるようになった。のらもついに、主人に屈して「猫元気」は食べるようになった。主人が在宅主夫になって6年、野良猫たちの食生活や勢力分布も変化したから、可笑しなものだ。チロはまったくのオトーサン子で、くっついて歩いている。のらと寅吉は相変わらずゆうゆうとして、人に決して甘えない。白丸が行方不明なのが、寂しい。私が病気して家に入れなくなったら、怒ったような複雑な顔を残して、行ってしまった。どうしているかしら。ここのブログのBBSを覗いています。
2005.06.19
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六月といえば、ホタルブクロ。梅雨の季節に(が)、よく似合う。日陰に咲いていたのを切ってきました。トップページに入れた写真は、パソコン内臓ソフトで少し加工してあります。この地に住むようになって覚えた花の、ひとつです。昨日、給湯器はリニューアルされて使えるようになりましたが、遣り残しの工事が明日あって、それで完了です。どれどれ、という感じでシャワーさわやか。しかし臨時出費はさわやかならず。頭痛い。「カフカとの対話」(G・ヤノーホ)の本の中で、チェックしてあるところ。(*印)*私は眼の人間なのです。映画はしかし見ることを妨げます。動きの速度や画面の急速な転換は、人間に絶えず見過ごすことを強制します。視線が画面を捉えるのではなく、画面が視線を捉えてしまう。そして意識に氾濫をおこすのです。映画はこれまで裸のままでいた肉眼に、制服を着せることを意味します。この部分、映画好きの私はニンマリしてしまう。意識に自分好みの氾濫を起こすのは楽しいし、騒音から逃れられる制服なら着てみたい。*美への憧れが婦人たちを女優に変じてしまうのです。生活の現実というものが、詩人の夢の投影にすぎなくなっている。現代の詩人たちの七絃琴(リラ)の絃(いと)は、じつは果てしないセルロイドの帯なのです。セルロイドの帯にどっぷり漬かって、無になる馬鹿もいたわけです。いつかの私のように。 宵月を蛍袋の花で指す 中村草田男
2005.06.17
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昨日故障したガス給湯器は、修理がきかず買い換えることになった。今日は娘のところへ、もらい湯に。昨夜、昔のことを思い出していた。5-6才の頃まで、夏はたらいに水を汲んでおき、温かくなった日向水で行水していたのだ。外で遊んでかいた汗を石鹸つけて洗った後は、祖母が別のバケツに汲んでおいた水で、かけ湯をしてくれたものだった。私はお婆さん子だった。あの頃は外から見えない中庭で、大人も行水することが多かった。祖母のお腰(おこし=腰巻のこと)姿なんかを、ふいに思い出す。家にはお風呂がなくて、普段は近くの銭湯へ通っていた。銭湯が火事になるという、事件もあった。あの夜はじめて火の粉というものを知ったのだ。お風呂付の家になったのは、小学5年生位のときではなかったろうか。懐かしく思うところが、ところが、「たらい」と「行水」という言葉がすぐに出てこなかった。ベビーバスみたいなもの、湯浴みのこと、とか言ってみてやっと思い出せたのだ。考えてみれば50年前の私の、田舎の暮らしの一部である。こんなに生活の様式が変わって、死語となる言葉や、言葉は同じでも別の形をとってくるものなど、モノの流れも記憶だけを残しその記憶もあやうい。楔の一つも打ちたいところですが。ほとんど関係ないのですが、1945年(昭和20年)6月19日に、木下杢太郎の書いた「ゆきのした」の絵葉書を、アップしました。
2005.06.15
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ガス給湯器が故障。夕方、美しい半裸の男性が(笑)、バタバタと家の中を歩いていると思ったら、シャワーの途中でお湯が出なくなったと、あわてている。いろいろ試してみたが、エラー表示も出て、修理が必要になった。こちらはそろそろ17周年だから、故障も無理からぬことかも知れない。明日、ガス屋さんが来てくれることになった。蒸し暑い一日だったし、昨日は泊まり込みだった息子も帰ってくるのに、シャワーもシャンプーも出来ないとは、気の毒である。文明の節穴に落ちたような、困ったことである。昔はどうしていたんだっけ。娘の住むアパートにもらい湯に行こうか、なんて話している。あああ、どうしようもないわね。
2005.06.14
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テレビで再見しました。*「ファーストフード・ファーストウーマン」 FastFood FastWoman 2000/米・仏・伊・独合作監督:アモス・コレック出演:アンナ・トムソン、ジェイミー・ハリス、ヴィクター・アーゴ映画館で見たときとやはり印象が異なってくるが、とにかくアンナ・トムソンが大好きになった映画。同じ監督との最新作「ブリジット」を見に行くつもりだったのに、ネットで調べたら深夜の上映時間のみに変わってしまっていて、最終電車に間に合わなくて涙をのんだ。ムービープラスかwowowでの放映を待つしかない。残念無念でした。この二人はコンビですでに沢山の作品があるらしいのだが、知らなかった。この映画は、この監督にしては珍しいコメディらしいのだが、味付けがとても好きだ。老人たちの性が、嫌味なく若者も混交して描かれているところも新鮮だった。虚無感にファンタジーも加わって、やさしい気持ちになれるのでした。************一周年に思いがけず、沢山のコメントをいただき嬉しかったです。改めて御礼申します。怠け癖が出たら、叱ってやってくださいませね。
2005.06.13
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今日でブログ開設一周年です。パソコンオンチで右も左もわからぬのに、手に汗しつつエイッと始めたのが一年前。最初は広い荒野で迷子になったように、心細かったです。知識も体力もないのに細々と更新してこれたのは、読んでくださっている皆さんのお陰です。普段ではとても出会えなかった方たちと知り合いになれて、楽しい一年でした。深謝・多謝・大謝で代謝活発♪これからもよろしくお願いします。そうそう、アクセス数も記録しておかねば。14337これは私にとっては、嬉しい数字です。^^
2005.06.11
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<思想の言葉--宗教と悪>より 島薗 進(「思想」1995/5岩波書店)*宗教は善と悪を振り分ける。宗教に身を寄せる人はわが身を善の側に置き、他者に悪を投影し、担わせる。内外の悪の勢力を退治し、自己が属する善の力を維持、拡大せんがために他者を引き込み、同化し、抑圧し、追放し、排除し、血祭りに上げようとする。自己自身に向き合うときも、宗教は自らが掲げる救いの道に従うことで、因果応報--善の勝利と悪の克服が実現できると教える。善行は幸福を、悪行は不幸をもたらす。たとえ、今のこの世の生活で帳尻があわないとしても、生まれ変わりや死後の審判で正当な報いが実現する。このように善悪の複雑なからまりあいを解除整理した上で、悪の克服への素朴な信頼を鼓吹するのが宗教だ、と受け止められている。*だがそうなのだろうか。宗教が安定した社会秩序を維持する働きをするという議論に、ある程度の妥当性があるとしよう。また、苦難という「こうむる悪」の経験の圧倒的な力にいくらかなりとも想像力をめぐらせよう。どれほどのうめき声の中に地球は漂っていることか。そして苦難=悪を引き起こした責任が誰か(個人・集団)にあるという思いは避けがたいし、しばしば正当である。しかし正当な主張が実現されないことはむしろ多い。正義と力の配分は合致しない。他者が「犯す悪」を告発し続けても、どれほどの効果があろうか。多量の善でおおわれる社会が、人知人力で近づいてくるとはとても思えない。とすれば、いちおう無力な人間の現状を受け入れた上で、悪の克服にまつわる物語に耳を傾け思いを凝らすことがむしろ順当な態度となろう。宗教が悪の克服を説く背後には、悪の執拗で圧倒的な実在への峻烈な確認と問いかけが含まれていると考えた方がよい。 中略*しかし、もう一歩、踏み込んで事態をのぞき込むと、そこには進歩の神話の失墜という深いトラウマが見て取れる。冷戦時代には疑われつつも何ほどかの威信を保っていた自由と繁栄の、あるいは平等と連帯の「善の王国」のイメージは今や見るも無惨に色あせ、むしろ「暴力と排除の近代」の扇動者隠蔽者の言説と見えるようになった。競争前進のエートスを抱え込んだ学問の世界での近代批判は、ここに突破口を見いだそうとする。文明の進歩を語る神話的言説がいかに悪の源泉となったことか。「批判」や「脱構築」は「正当」そのものであろう。だが、その正当性の語り口はしばしば前進する啓蒙の平板さに通じている。悪との戦いの意図はまことにまっとうであるとしても、その所作がひきつったものに見えてしまうことがある。悪の露出と告発が高尚難解な装いをこらしても、内に平板な否定の音調を伝えていて、悪を孕んだ豊かな生のヴィジョンへとつながらない。 後略昔、心身がどん底状態にあったとき、信仰への道しるべを教わったことがある。しかし結局私は宗教への信仰には到らなかった。その後この文章に出会い、自分への理論付けがなされたように思った。全部を引用することはできないので、要となった部分だけを書いておきます。ふと思い出したので。
2005.06.11
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珍しくはないのですが、ムラサキツユクサです。花は一日でしぼみ、下のほうに垂れて種になります。この下に垂れる姿も好きなのでした。
2005.06.09
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プラスチックの水盤につけた鉢植えで育てているハナショウブが、今年は七個も花茎を出した。昨日その第一号の花が咲いた。朝にはつぼみがふっくらしているだけだったのに、一日かけて花びら(外花被)が一枚ずつ開いていき夕方に全開した。角のような内花被が江戸の和装を連想させる。今日撮影したうちの一枚を、トップページに入れてみました。台風の影響で雨が降りそうなので、せっかくのフレアーがしわしわになってしまううのではないかと心配ですが、雨に打たれた風情もよいかも知れません。(6/9)これは二番目の花、開花途中です。(6/10)
2005.06.09
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昨夜は見ました。サッカー♪ルールもよく知らないまま見ているのですが、サッカーのゴールというのは、まるで奇跡のようにふいに決まるので、その一瞬の瞬間が二度も見えて興奮しました。キャア・モオウ・アブナイ・オオオ・ワアー・エエエー・イイゾオー・拍手・などなど。柳沢の尻餅蹴りこみ、大黒の絵に描いたような走り技あり蹴りこみ、気持ちよかった!です。興奮の続きのまま、テレビを消せなくて、結局映画を見てしまいました。*「25時」25TH HOUR 2002/アメリカ監督:スパイク・リー出演:エドワード・ノートン、フィリップ・シーモア・ホフマン、バリー・ペッパー、ロザリオ・ドーソン、アンナ・パキン、ブライアン・コックス番組案内●麻薬売買で逮捕された男が、刑務所に送られるまでに過ごす25時間の心情を綴った異色のヒューマンドラマ。鬼才スパイク・リーが人気俳優E・ノートンを迎えて描く感動の力作。ホンネとタテマエに揺れながら、友情、親子、恋人、(犬も)に信頼を失わせなかった物語。ニューヨークの下町の生活も描かれているようだった。
2005.06.09
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4月から社会人となった息子が、久しぶりに連休。仕事は「想定外」の忙しさで、始発で出かけて最終電車で帰宅したり、泊り込みの日も何度かあった。最近の労働条件は、私などが働いていた時代に比べて厳しくて、腹立たしいことも多い。娘の場合も同じだ。いらぬ心配であればよいのだがと思いつつ、心配が先にたつ。いつまでもおバカな親であります。で、彼は今夜は、ほぼ二ヶ月ぶりとなるバンドの練習に出かけていった。好きなドラムを叩いて一息つけることでしょう。
2005.06.07
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4日は、オトーサンに付き合って後をついて歩いていたので、熊谷美術館のあと、池袋から新宿に出て、「地球の上に生きる2005 DAYS JAPANフォトジャーナリズム写真展」を見た。広河隆一、ナクトウエイ、エブリン・ホックスタインなどの作品や、DAYS国際フォトジャーナリズム大賞一位「津波によって亡くなった息子の死を嘆く父親」などの写真が展示されていた。写真も、雑誌や写真集で見るのと生の作品を見るのとでは、全く受ける迫力が異なるのだった。あたりまえですが。その後、新宿三越の7、8階に淳久堂が開店したというので、行ってみた。なかなか見やすいし、本の種類も豊富で、ゆっくり見てまわって何冊か購入。8階は専門書が置いてあるらしいのだが、さすがにぐったりつかれてそちらまで見てまわる余裕がなかった。本の並べ方が図書館みたいで、椅子も置いてあるし好感度5くらいでした。
2005.06.06
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熊谷守一の言葉より「地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです。」(九十六歳/1976年)こうして、生まれた赤蟻の絵が美術館の外壁を飾っているわけです。どうしても書き置きたくて追記しました。
2005.06.05
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熊谷守一美術館開館20周年展を観てきました。館内のスナップ撮影なら構わないと、おっしゃって下さったので、少し写して来ました。画廊喫茶・熊谷榧(カヤ)さん他、いろんな方たちの作品が置かれていて、面白い雰囲気を醸していました。 くるみ入りの手作りケーキです。器がてびねりで厚みがあるため、両手手のひらで包みたくなります。 熊谷守一の有名な作品「仏前」と「猫」です。 外から見た画廊喫茶。 フラッシュを焚かなかったので、あまりよく撮れていませんね。とほほ。展示されていた作品は、油絵のほかに、墨絵、書、ブロンズ、絵付け、手びねりなど60数点でした。初めて実物を見たのですが、油絵の筆目の発する細やかさに驚きました。「守一流」は、簡単なものではありませんでした。
2005.06.04
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なんだか眠る気がしない。でもサッーカー見る気もしない。起きているのも嫌なので、寝るぞ~寝るしかないのだよ~
2005.06.03
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5/30 朝日新聞夕刊より、気にかかっていたので、一部をメモ。女帝議論のために 血統より存続願う伝統 /「万世一系」というトリック/皇族の人権尊重を 橋爪 大三郎<共和制移行の選択肢も>* 天皇の血統が断絶して何が問題なのかと、私は言いたい。天皇システムと、民主主義・人権思想とが、矛盾していることをまずみつめるべきだ。そもそも皇族は人権が認められていない。結婚は「両性の合意」によるのでなく、皇室会議の許可がいるし、職業選択の自由も参政権もない。皇族を辞める自由もない。公務多忙で、「お世継ぎ」を期待され、受忍限度を超えたプレッシャーにさらされ続ける。こうした地位に生身の人間を縛りつけるのが戦後民主主義なら、それは本物の民主主義だろうか。皇位継承者がいなければ、その機会に共和制に移行してもよいと思う。** 日ごろ皇室を敬えとか、人権尊重とか主張する人びとが、皇族の人権侵害に目をつぶるのは奇妙なことだ。皇室にすべての負担を押しつけてよしとするのは、戦後民主主義の傲慢であろう。皇室を敬い人権を尊重するから、天皇システムに幕をおろすという選択があってよい。*** 共和制に移行した日本国には天皇の代わりに大統領をおく。この大統領は、政治にかかわらない元首だから、選挙で選んではいけない。任期を定め、有識者の選考会議で選出して、国会が承認。儀式などの国事行為を行う。また皇室は、無形文化財の継承者として存続、国民の募金で財団を設立して、手厚くサポートすることを提案したい。以上は、記事から後半部分のみ抜粋したものです。*~**までは特に共感して読みました。***の部分では、大統領・元首に関することがよくわからなかった。問題となる点も多く含まれると思い、ぜひメモしておきたかったものでした。
2005.06.02
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テレビで観た映画です。*「私が女になった日」 2000/イラン 監督:マルズィエ・メシュキニ 脚本:モフセン・マフマルバフ 第一話・ハッワ 第二話・アフー 第三話・フーラそれぞれ、イヴ・鹿・妖精 を意味するらしい、三話からなるオムニバス作品。監督は、「カンダハール」のマフマルバフの奥さん。マフマルバフはアフガニスタンに学校を作る活動を続けていられる。ハッワは9歳の誕生日を迎えた女の子。生まれた時間12:00を過ぎる午後からは(棒の陰がなくなったら)チャドルを被り、男の子とも話せなくなる。午後になるまで遊べる猶予の一時間、海辺でドラム缶の舟を作っている男の子とスカーフ(チャドル)とおもちゃの魚を交換。スカーフはドラム缶の舟の帆になるのだった。すれ違いで遊べなかった仲良しの男の子と、大急ぎで飴と梅のお菓子をわけあって食べあうシーンが、イラン映画には珍しいエロスを感じさせて強烈だった。そして男の子とさよならをして、それが私が女になった日。アフーは大勢の女性たちと自転車を猛烈にこいでいる。そこに馬で追いかけてくる男たち。最初は一人、次は二人、次は三人とどんどん増えてゆく。自転車なんて悪魔の乗り物だから、止して家に帰れと。帰らなければ離婚すると脅迫しているのだ。最後に兄弟の乗った馬が、アフーの前に立ちはだかるところで終わる。この第二話も、今まで見たイラン映画より男性中心社会が強く描かれていると思った。フーラはキシュ島の飛行場に降り立った、誰かの遺産をもらって大金を手にしたお婆さん、車椅子に乗っている。両手の指に買い物の数だけリボンをいっぱい結んでいて、お嫁入りの道具のように、家具全般を買い揃えていく。今まで何ももっていなかったからと。それを手助けするのはアルバイトの少年たち。買い物のたびに指のリボンははずされていくのだが、最後に一つ残ったリボン。それが何だったか、お婆さんは思い出せない。海辺に買った家具全部を並べてみても。そこにやってきたのは、二話で出ていた自転車の女性二人、自転車レースに参加していたこと、アフーは負けずに走りぬいたこと(離婚)が明かされる。沖にいる船に荷物を運ぶのは、一話にでてきた男の子たちが作っていた、ドラム缶のボート。チャンドルを帆にした何隻ものボートに、家具とお婆さんは乗って海上へ運ばれていく。青い波に揺られ揺られて。見送る女性たちの中に、スカーフを被ったハッワの姿も混じっている。そこで、これは少女から壮年、老年までのイスラム女性を描いた物語だったと、解るのだった。何が欲しかったのか、思い出せない、一つ残ったリボン。リボンは欠けたものだったのか、残ったものだったのか、心に残る。珍しく、映画の筋を書いてみた。映画を見ていない人にはつまらないと思いますが、オムニバス形式の筋をたどってみたかったのでした。--------------------------今夜は七時ごろから、三度も小さな地震があった。震源地は東京湾らしい。いよいよ関東にも大地震が来るか?
2005.06.01
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