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【6月10日】
ホテルに戻り、徒歩で15分程度の場所にあるスーパーマーケットに向かう。
ここはMさんの奥様が是非訪ねて土産物をスーパーで安く購入したいとの希望から。
日本のスーパーの野菜売り場と同様に見事に商品が整理され並べられていた。
これは何かと言う知らない野菜は並べられていなかったが、日本の野菜に比べて
大きいのが特徴か。
各種トウガラシが販売されていた。
巨大なスイカと赤キャベツ。
私はピッサチオとアーモンドの2種類を購入しただけでホテルに戻る。
トランクのパッキングを終えチェックアウト。12時にバスはホテルを出発し
昼食のレストランへ。
バスに戻り最後のイベントであるボスフォラス海峡のクルージングに向かう。
運転席横にはバスの運転手の安全運転宣言書が掲げられていた。
今回は1台の同一バスでトルコを周遊。200km以上の長距離移動の場合は必ず2人の
ドライバーが乗り込み交代運転。どこかの国の廉価バスツアーとは違っていたのだ。
併せてバスはGPS機能でツアー会社の本社で常時監視されており、スピードオーバーが
継続するとアラームがなり、本社から警告の電話が添乗員の携帯にかかって来る仕組みで
あるとの事。そしてバスがスタートする度に、添乗員からシートベルト着用の指示が出たので
あった。
そして我々のツアー専用のクルージング船でガラタ橋近くから出発。
アタチュルク橋。その奥に金角湾が続く。
この朝訪ねたガラタ塔が青空に向かって聳え立っていた。
ガラタ橋の下を通過。この時間も多くの釣り人が糸を。こんな大都会の中心の橋で
釣りが24時間出来るのは世界でもこのイスタンブール・ガラタ橋だけではないだろうか。
シュレイマニエ・ジャミイ。
旧市街地にあるイスタンブール最大にしてトルコ最大のモスクで、イスタンブールの
ランドマークになっている堂々たるモスクであった。
カラキョイ桟橋には豪華客船が停泊中。船名は 『LOUIS CRISTAL 』。
エーゲ海やトルコ湾岸を周遊する客船で全長:162m 全幅:25.6mであると。
新市街の斜面には多くの建物が。岸辺のピンクの印象的な建物も。
ドルマバフチェフ ・ジャミイ。
ドルマバフチェ・ジャーミィは、1853年、宮殿をトプカピからドルマバフチェに遷した際、
アブデュルメジト1世が自分の母のために建てたモスク。ボ スポラス海峡に突き出すように
建っているのだ。ドームの四隅の塔はドルマバフチェ宮殿と同じくバロック式、折れそうな
ほど細いミナレット(尖塔)は、アカ ンサスの葉をあしらったコリント式とのこと。
ドルマバフチェ宮殿近くの白き建物。
午前中冷や汗をかいたドルマバフチェ宮殿をボスフォラス海峡から見る。
初代トルコ共和国大統領のムスタファ・ケマル・アタチュルクは、イスタンブールに
滞在するときは、ドルマバフチェ宮殿のかつてはハレムだった一室で公務に当たり、
執務中に亡くなった。その部屋は現在も「アタチュルクの部屋」として、そのときのまま保管され、
公開されているのだ。彼の偉業を偲ぶために、ドルマバフチェ宮殿内の時計は、彼の死亡
した9時5分のままになっているとのこと。残念ながら見ることは出来なかったが・・・・・。
トルコ随一、つまり、トルコでもっとも宿泊料金が高いと言われている高級ホテル、
チュラーン・パレス・ケンピンスキー・イスタンブール。
ボスフォラス大橋が見えてきた。ヨーロッパ側。
アジア側。
真下を通過。
トルコ国旗とボスフォラス大橋。
イスタンブール エジプト領事館 。
山の斜面に多くの高級別荘が立ち並んでいた。
左手にルメル・ヒサル。ボスポラス海峡の要衝に位置するルメリ・ヒサルは見通しが良く、
風光明媚であることから、廃墟が修復されて一般に公開され、観光客で賑わっているが、
対岸のアナドル・ヒサルは、廃墟のまま放置されているのだ。
トルコ語でルメリとはヨーロッパ、アナドルとはアナトリア(小アジア)を意味し、ヒサルは要塞。
ルメリ・ヒサルはヨーロッパ側の要塞、アナドル・ヒサルはアジア側の要塞ということになるのだ。
そして海峡最狭部に架かる第2ボスポラス橋。
イスタンブルを征服し、「征服者(ファーティフ Fatih)」と呼ばれたオスマン帝国の皇帝、
メフメト2世に因んでファーティフ・スルタン・メフメト橋が正式名称。全長:1,510m。
日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業(現IHI)や三菱重工業などにより建設され、
1988年に完成。同年に開通した瀬戸大橋とは姉妹橋の関係にあるとのこと。
この手前で船はUターンし帰路へ。赤線が船旅のコース。