JINさんの陽蜂農遠日記

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2013.11.21
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カテゴリ: 国内旅行

この日の宿はJR播州赤穂駅横のビジネスホテル。

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駅前の歓迎表示塔の上には陣太鼓が。 

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駅前のロータリー内の植栽。 

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赤穂藩士大石内蔵助の銅像と義魂と刻まれた文字が。 

数百年の時を経てなお、日本人の魂の琴線に触れる男。

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JR播州赤穂駅の南から続いている、駅前通りと中央通りには、赤穂義士の

モニュメントが並んでいた。

約7~800mの区間であろうか、四十七士がずらっと道路を挟んで、左側に大石内蔵助、

右に大石主税。表門隊と裏門隊に分かれている模様。

絵が描かれているものや、文字だけのものと様々。

原 惣右衛門の辞世の句か。早駕籠に乗って大石瀬左衛門とともに赤穂へ出立し、

事変の第二報を伝えた男。

「かねてより君と母とにしらせんと 人よりいそぐ死出の山道」

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息継ぎ井戸。 

江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、元禄14年3月14 日の

夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで江戸を出発。赤穂城下に

着いたのは3月19日の早朝。 155里(約620km)の行程を4昼夜半を早籠に揺られ

続けた両人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれ、以来、

息継ぎ井戸と呼ばれているとのこと。 

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高さ4m程のからくり時計「義士あんどん」

午前9:00~午後8:00の毎正時になると、義士の音楽と共に扉が開かれ、

からくり人形が忠臣蔵名場面「松の廊下」「はやかご」「勝どき」などを再現。

ナレーション付きで4場面、3分ほどと。

時計台の三方には、赤穂市立歴史博物館所蔵の浮世絵複写が描かれていた。

時間は未だ8時前の為、スタートまで1時間。

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花岳寺に立ち寄る。

禅の曹洞宗に属し本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年に

建立された寺。 

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本堂。

元禄事変後は、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。境内には、四十七義士の墓・

宝物館・義士木像堂などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっているのだ。

赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財。新西国第31番、瀬戸内観音

第7番の霊場であるとのこと。 

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鳴らずの鐘。

案内板には『浪士切腹の報が赤穂に届いたので、町民は四十六士の死を悼み悲しみ

この花岳寺に集まり、この鐘を撞いてついてつきまくり「爾来音韻を失すること五十年」

と寛政九年再改鋳のこの梵鐘に銘記してある。音韻を失していた間を赤穂では

誰いうことなく鳴らずの鐘といっていた。この度の戦争で全国の寺々の鐘は供出を

命じ られたが、この鐘は「義士との由緒深きにより」供出を免れた赤穂市内唯一の梵鐘

である。』と。

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駅前に戻ると、自動販売機も赤穂浪士一色。 

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赤穂駅の階段の壁には赤穂浪士の姿が紹介されていた。 

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構内に「浅野内匠頭」の辞世の句が掲げられていた。

「風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」

大石蔵之助は主君のこの辞世の句を読んで、仇討ちを決意したと言われていると。

「風にさそわれて散る花も名残おしいだろうが、それよりもなお春が名残おしい私は

一体どうしたらよいのだろうか」と詠ったのであった。

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大石内蔵助の辞世の句。

『あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる』

討ち入りを果たして、この体は捨てる(死ぬことになった)けれども、念願は果たせ、

思い残すことは無く、とてもいい気分だ、この世に思い残すことは無いと。

「あら楽し?」の句は実は辞世の句ではなく、討ち入り後主君浅野内匠頭長矩の墓前に

吉良の首を手向けた際に詠んだ句とされているようだ。 

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そして浅野いや朝の早朝散歩を終え、ホテルで朝食を。






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Last updated  2021.10.24 16:30:29
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