PR
Keyword Search
Comments
Calendar
『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『大坂松並木』
「大坂」では天気の良い日に松並木から素晴らしい富士山が眺められることから、
多くの浮世絵の画題となった。昭和七(1932)年に坂の改修工事が始まり、
頂上を削り、下の方は十mほど土盛りをしてなだらかな長い坂に。
現在の「大坂」になるまでは数回の改修がおこなわれたと。
江戸時代の3代将軍徳川家光のとき、日照りが続いたので歩行者のために
街道筋に松を植えさせたと。その当時の名残が道路の中央部に今も残っているのだと。
「旧東海道 大坂松並木」の標柱にあった案内の浮世絵。
江戸時代のこの辺りは松の間に富士山が見える松並木だったと。
坂の下には戸塚宿と思われる家並みが見える。
大坂の上から江戸に向かいながら戸塚宿を見下ろしている様子を描いたものと。
よって、この浮世絵に富士山の姿はなし。
『東海道 六 五十三次 戸塚』
本図は、戸塚の宿を過ぎて汲沢村の辺りの山道を描くが、宿外れの坊示杭が右手に見え、
手前に松の大木がある。遠景の富士山に連なる丹沢山塊が、画面に奥行きを見せる。
広重の代表的な東海道シリーズの一つ。揃物名が隷書体で書かれているので、
俗に「隷書東海道」という。「保永堂版」東海道に次いでよく知られた揃物。
そしてこの絵の左側には急な『大坂松並木』を上る旅人の姿、そして右側には丹沢山塊と
その奥に白き富士山の雄姿が。
『汲沢(ぐみざわ)町第二歩道橋』の文字が。
昔は松並木であったが現在は広葉樹の並木が続いていた。
この辺りは戸塚山と呼ばれた丘の上。
下に戸塚の街並みが見えた。この辺が前述の浮世絵に描かれた場所か。
道路脇に区画された石碑が。
『東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の有名な場面「戸塚山中道行の場」はここ・・・。
勘平のモデルは浅野内匠頭の刃傷事件を赤穂に伝えた使者の一人菅野三平。
しかし、お軽と勘平は実在の人物ではないのだと。
『お軽勘平の碑建設実行委員会』と刻まれた石碑
横には「落人を見るかや野辺に若草の‥」の碑があり、この「お軽勘平戸塚山中道行の場の碑」を
解説したもののようだ。「落人」はWikipediaには「合戦に敗れて僻地に隠遁したもの、
およびその末裔を指す言葉」しか記載がない。しかし、goo国語辞書には
「歌舞伎舞踊「 道行旅路の花聟(はなむこ)
」(↼リンク)の通称」との記載もある。
「落人」解説碑からはこの「
お軽勘平
(↼リンク)戸塚山中道行の場の碑」を知ることは
直ぐに諦めたが、帰ってからWebで調べると、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で有名な
「戸塚山中道行の場」の場面の舞台なのだという。
『日本橋から46Km』と。
湘南江の島を描いた大型トラックが我々横を通過。
『原宿一里塚跡』。
原宿一里塚は11番目の一里塚であるが、国道1号線では日本橋から46Km余りの地点になる。
手前の10番目の一里塚跡は戸塚宿元町にあり、次の12番目の一里塚跡は遊行寺坂にある。
『浅間神社入口』の標柱。
浅間神社は永禄年間(1558年〜1570年)に創建されたといわれている。
その頃、富士信仰が盛んであり、それで村内の安全を祈願して勧請されたとされる。
東海道に沿って小道と参道が続いているが、参道の両側には常緑高木でブナ科のスダジイの
大木が連なる。驚くほど太い木もあり、樹齢600年を越えていると言われているのが納得できる。
原宿一里塚はちょうど浅間神社の横の東海道にある。
旅人は一里塚ではなく、ここの神社に立ち寄って庚申塔を拝み、休んだのかも知れない。
『庚申塔』。
境内には巨木が。
『スダジイ』であると。
普通、シイ(椎)という場合にはこの『スダジイ』であると。
公園樹、街路樹、庭木などとして植栽される。果実はアク抜き不要で食用となるのだと。
木材は木炭やシイタケ栽培のホダ木になる。
また、タンニンに富む樹皮を黄八丈の黒色部の染料に用いられていると。
拝殿。
朱色の鳥居と石祠。
階段横には老木が続く。
『大運寺』
相模風土記によれば、1596年の創建。 山号は唐澤山、芝増上寺の末寺で浄土宗の寺。
六地蔵。
将棋を指す僧侶の姿か?
宗祖の法然像。
『月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ』と法然上人の歌。
「月の光が届かない人里などないのですが、月を眺める人の心の中にこそ月(月の影)は、
はっきりと存在してくるのです。」と。
月の光は阿弥陀仏の救いのことで、それが届かない里はない。すべての里に届く。
したがって、阿弥陀様の救いは万人を対象としている。ただし、目で見て認識しない限り
月はないも同然である。見ることによってこそ月は存在するのである。
見れば必ず見る人の心にまで届くものです。見さえすればよいのです。
すなわち、念仏さえすればよいのです」と。
『手水舎』。
『本堂』。
ご本尊は木造阿弥陀如来立像で、両脇侍には、木造勢至菩薩立像と木造観音菩薩坐像。
阿弥陀如来立像は、作風、構造から南北朝時代の作とされ、宋元風の影響が認められる。
像高は146.0センチ、光背高が196.0センチ、台座高が63.0センチ。
寄木造、玉眼、肉身部は漆箔、着衣部の彩色は剥落している。
上品下生の来迎印を結ぶと。
『法然上人御幼名 せいし丸さま』
『二宮金次郎之像』。
更に原宿方面に歩を進める。
日本橋まで(から)48Km。
藤沢市との境界にある影取町を通過。
『道祖神』。
台座には「仲町」と刻まれていた。
日本橋まで(から)49Km。
・・・ その4
・・・に戻る
・・・ つづく
・・・
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.14
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.13
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.12