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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
拝殿。
末社であろうか。
再び旧東海道に戻り、歩いて来た方向を振り返る。
次に右手にあったのが『潮音寺(ちょうおんじ)』。
門前の石碑には『亀鶴観世音菩薩』と。
寺標には『臨済宗 妙心寺派 潮音禅寺』と。
『潮音寺』。
「弘仁年中、弘法大師伊豆修善寺に御修行の砌、この地を通りたもう処感応ありて
聖観音菩薩を刻み、一宇を建立安置したもう。祈願するもの利益をこうむる事恰も
響き音に応ずるが如く、有験の霊像なり。黄瀬川村に小野善司左エ門正氏なる長者あり、
一子なきを悲しみ祈願、満願一子を授く、亀鶴姫と名付く。7歳の春両親に死別、
18歳の時源頼朝公富士の牧狩の宴に再度召されたが応ぜず、この世を憂きことと思い、
黄瀬川の水上、百澤の瀧のほとりに立ち、
『み佛の深きめぐみぞ頼みたる 身は瀧きつ瀬のあわと消ゆとも』と一首の歌を残して
飛和泉に身を沈む。この時建久4年5月27日なり。姫は駿河の三美女と云われ賢女にして
亀鶴草紙などを残す。小野氏の遺財で碑を建て亀鶴観音堂を建立、明治12年廃寺、
当山に移転安置、その霊を弔う。」と。
『亀鶴姫之碑』。
ここには遊女「亀鶴」の伝説が残っていて、「亀鶴観音」の名で知られている。
亀鶴はの長者の子として生まれて、不幸にも父母と早く死に別れ、頼朝が富士の巻狩りの際、
その美貌を認めて招こうとしたが、一生独身を貫き通すという誓いを立てていたため、
滝に身を投じて死んでしでしまったと伝わっていると。
境内には多くの石碑、石仏が。
『高王白衣観音経』と刻まれた石碑。
乳飲み子を抱く顔はマリア観音?聖母子?の如くに。
潮音寺 『本堂』。
『東海山』と書かれた扁額。
『観音堂』。
観音堂は昭和20年の戦災で消失、平成3年800年忌に再建。
『六地蔵』。
亀鶴姫之碑後ろ側、屋根の下にたくさんの菩薩様が並んでいた。
『傍示石(ほうじせき)とは 杭や札を、
「従是西 沼津領」と。
潮音寺のすぐ先の駐車場に、従是西沼津領と書かれた傍示石が建っていた。
ここは現在、沼津市大岡字下石田と字木瀬川の境界だが、江戸時代には水野出羽守忠友が
城主であった頃の沼津領東端を示している。水野出羽守は安永6年(1777)に沼津藩主に
なっている。この時代、伊豆は天領で、韮山に代官屋敷跡である江川邸が残っている。
この江川代官が治める天領と沼津領の境界だったそうだ(水野出羽守忠友は、
10代将軍徳川家治の命により、代官江川太郎左衛門英征支配の天領の一部を引き継いでいる)。
広重の浮世絵にもあるように、この傍示石も初めは木製の傍示杭だったそうで、幕末になって
作り変えられたという。江戸時代の古地図にも石柱として描かれている。
傍示石は3面に同じ文字が刻まれており、沼津領に入ってくる人が見えるように
建っていたそうだ。つまり、文字のない面を西側の領内に向けていたのだ。
元文5年(1740)の「村明細帳」では、当院所在の久保には29軒の農家があったという。
当院はまさに沼津領の端っこだったのである。
「大久保忠佐の死後、1614年に三枚城は廃城になった。その後沼津は天領となり、
韮山の代官・江川太郎左衛門の支配下にあった。初代沼津潘主・水野出羽守忠友は1777年、
将軍家治の御側用人になり加増されて2万石の大名になった。この時忠友は沼津の地に
所領(1万2千石)を与えられ、将軍から築城を命ぜられている。
翌1778年2月8日に「従是西 沼津領」の杭が韮山代官所から運ばれ、東海道沿いの
黄瀬川村と下石田村の境界に建てられ沼津藩領が確定した」と。
赤
の部分が、天明5年(1785年)の沼津藩領であると。
更に狩野川の右の旧東海道・沼津市大岡地区を進む。
沼津市の汚水マンホールの蓋。
富士山・愛鷹山の風景と市の木クロマツと、市の花ハマユウをデザイン。
下部に「ぬまづ」「げすい」の文字。
カラーのマンホール蓋を探したが発見できず。
歴史マップ 沼津市大岡(江戸時代:下石田村)。
このあたりは富士隠れ坂という長い下り坂で, 掘り割りになっていたため
富士山が見えなくなってしまうことからついたという。
歴史マップの横には『東海道 駿府へ十五里』の碑が。
県道380号線から旧東海道への分岐点にあったのは、赤い屋根の小さな社と大きな石。
しかし案内板等はなし。
狩野川のコンクリート製の巨大堤防の下を進む。
左手の狩野川のコンクリート製の堤防の下、黒瀬橋の袂にあったのが『平蔵地蔵尊』。
歌舞伎や人形浄瑠璃の「伊賀越道中双六沼津の段」の中に、平作・呉服屋十兵衛・お米の
織りなす悲劇の場面がある。「伊賀越」は、歌舞伎や人形浄瑠璃における三大仇討ちとして
「忠臣蔵」「曾我」とともに、広く知られているものの一つであると。
『平作地蔵尊(へいさくじぞうそん)』。
「日本三大仇討の一
日本三大仇討の一 平作地蔵尊の由来
この地蔵尊はいつの頃創建されたか明らかでないが、有名な浄瑠璃 『伊賀越え道中双六』 に
出てくる沼津の平作にゆかりの深い地蔵尊としてその名を知られている。
地蔵尊の建てられている場所に昔一軒の茶屋があり主を平作と云い娘のお米(後の渡辺数馬の妻)に
茶店をやらせ、自分は旅人の荷担ぎを事として居りました。
そして仇河合又五郎の行方を知っている旅人十兵衛(二十数年前に別れた平作の子)に
娘お米の夫、渡辺数馬の為、平作は自害して、その居場所を聞き出す。
〈沼津千本の場面〉平作決心して自害し 『死に行く仏の供養として聞かせてくれ』 と申します。
十兵衛はその情に引かされ遂に明かします。 『仇河合又五郎の落ちゆく先は九州相良吉田で
おうたと人の噂』 と。浄瑠璃の名台詞で余りにも有名です。
平作のおかげで数馬の義兄荒木又右ヱ衛門の助太刀で首尾よく仇討の本懐を遂げることが出来、
平作爺さんの義侠心は後の人々の心を打ち、茶店のあったと云う場所に一つの碑を建て
地蔵尊を建立しました。現在この地蔵尊は延命子育地蔵(通称もろこし地蔵)として
長い間土地の人々の信仰を集め例祭は毎年七月三十一日に新しい精霊を迎えて
地元民の手で賑やかに行われております。」
説明板の絵画。
平作地蔵尊の横の石仏・石碑。
ここには静岡ではお馴染みの夢舞台東海道道標があった。
『沼津一里塚跡』。
まだ新しそうな一里塚。
「この一里塚は、清水町伏見にあるもの(現玉井寺および宝池寺地内)から計測すると
距離が不足であるが、本来は本町地内に作るものを宿場内であるために東方に寄せて、
日枝神社旧参道脇のこの地に築いたといわれています。
江戸時代の絵図には、反対側の狩野川の川べりにも一対の片方が描かれていますが、
現存していません。また、沼津市域では大諏訪と松長の境に三十一里目、原地内に
三十二里目の一里塚がありましたが、これらも現存していません。
ここには、終戦直後まで榎が威容を誇っていましたが、枯死したためにあらたに
植えられています。」
奉納 山王前自治会と刻まれた小さな石の社が。
『玉砥石(たまといし)』。
古墳時代のものであると。静岡県指定考古資料。
高さ−大砥石189cm・小砥石112cm。
「玉砥石は、今から千二、三百年前に玉類を磨くために用いられた砥石と伝えられています。
柱状の二つの大石にそれぞれ直線的な溝があり、ここに玉の原石を入れて磨いたと
考えられています。承平年間(931〜938)に書かれた和名類聚抄という書物には、
駿河国駿河郡(現在の駿東郡)に玉造郷の名が見えます。
この玉造郷は、一説では香貫地区一帯であったとされています。この説を支える根拠としては、
狩野川対岸にある玉造神社、玉砥石が使われていたと考えられる時代の大集落である
御幸町遺跡や藤井原遺跡があります。また、この付近には古墳が多く、各種の玉類を数多く
出土しています。しかし、香貫地区一帯が玉造郷であるという確かな証拠は、今のところ
得られていません。この玉砥石がいつから東海道の日枝神社参道脇のこの地にあるかは
明らかでありませんが、天明6年(1786年)尾張藩士高力猿猴庵による見聞図集には
それらしい大石が描かれています。玉砥石は静岡県下では他に発見されておらず、
貴重なものであることは確かであり、静岡県指定の考古資料となっています。」
そして『沼津日枝神社(山王宮)』を訪ねた。
山王通りの先に大きな表参道大鳥居が。
配置案内図。
境内に入ると石造りの二ノ鳥居が。
『松尾芭蕉の句碑』。
『都出て 神も旅寝の 日数哉(かな) 』。
この句は元禄4年(1691)の10月に沼津宿で詠まれたものであると。
手水舎。
拝殿。
「平安の昔、嘉保2年に美濃守「源氏綱」と延暦寺の衆徒並びに山王の神主との間に、
葛藤を起こした時、関白の二条師通に訴えしが、之を拒絶したことにより、山王の神威が
現れ関白は病気を患いて亡くなってしまう。母である北政所は恐れをなして領地であった
大岡庄に日吉山王の御神霊を分祀して八町八反の田をも寄進して供料に充て謝罪の礼を
効されたのが起源であり、これを記した「山王霊験記」は昭和2年国宝に指定されたのち
昭和25年重要文化財として現在に至る」 と。
『日枝神社』と書かれた扁額。
平安時代からの神社で山王社とも称され、人々には山王さんとして親しまれてきたと。
『高尾山穂見神社』。
『日枝天満宮』。
天満宮の例の牛が。
『社務所』。
『御神木 しいの木』。
この辺りは古くから「しいの杜」「くすのきの杜」と言われ、中でもこの「しいの木」は
樹齢450年と推定され、氏子を見守り続けているのだと。
その4
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・・・ つづく
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