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そして山門を抜けた右側には庚申塔の青面金剛像塔が三体。
庚申は、十干の庚(かのえ)と十二支の申(さる)の組み合わせで暦の上では60日に
一度回ってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして健康長寿を願う信仰。
この信仰は平安時代には宮中などにおいて宮廷貴族の間で庚申の御遊びがあり、
鎌倉時代には武家たちも守庚申を行って来たと。
青面金剛像塔は、主尊の青面金剛以外に、背面には日月や、台座には猿、鶏、
邪鬼、腕の数は、二臂から八臂まであり、腕が持つ 持物は、
三叉戟、棒、法輪、羂索、弓矢、剣、杖、蛇など様々の姿を。

左:駒形板碑 六手合掌青面金剛+三猿 年不詳。
三猿は三匹の猿が、それぞれ目、耳、口を両手でふさいでいる彫刻。
いわゆる「見ざる聞かざる言わざる」。
孔子は論語の中で孔子は「礼節にそむくことに注目してはいけない。
礼節にそむくことに耳を傾けてはいけない。礼節にそむくことを言ってはいけない。」と、
三つの戒めを言っているのです。

中央:駒形板碑 六手剣人青面金剛+三猿 年不詳。

右:駒形板碑 六手合掌青面金剛+三猿 年不詳。
三猿は三匹の猿が、それぞれ目、耳、口を両手でふさいでいる彫刻。
いわゆる「見ざる聞かざる言わざる」。
孔子は論語の中で孔子は「礼節にそむくことに注目してはいけない。
礼節にそむくことに耳を傾けてはいけない。礼節にそむくことを言ってはいけない。」と、
三つの戒めを言っているのです。














































「北条義時夫妻の墓
北条義時は時政の次子で、源頼朝夫人政子はその姉である。幼少より江間の館に育ち、
江間小四郎と称した。頼朝の旗揚げ以来、父 時政 兄 宗時とともに従い大功があった。
鎌倉三代将軍実朝の不慮の死により、源氏の正統が絶えると京都より頼朝の姉の曽孫に当たる
藤原頼経を迎えて自らわ執権となり勢威を極めた後鳥羽上皇はその専横を憤り、承久三年
(1221年)院宣を下して義時を討とうとされた。
義時はその子 泰時、弟 時房に大軍を率いて京都に攻め上がらせ、官軍を大いに破り、帝を廃し
後鳥羽、順徳、土御門の三上皇を配流した。これが世にいう承久の変である。
義時は承久の変後三年、元仁元年六月十三日急死した。時に六十二才であった。
長子泰時らは、北条氏発祥の地にあるこの寺に墓を建て追善の碑とした。
なおこの墓は向かって右が義時、左が後妻佐伯氏娘の墓である。」







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