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※フォークパークは午後5時30分に閉園します。】
Bunratty Castle(バンラッティ城)内の受付デスク!?
「Bunratty Castle Medieval Banquet
BOOK TODAY or ONLINE
WWW.BUNRATTYCASTLE.IE 」
【バンラッティ城 中世の饗宴
ご予約は本日またはオンラインにて
www.bunrattycastle.ie】
カフェや軽食レストラン
「 Mr. O'Regan’s Café
」 の内部
。

「Bunratty Castle・ボンラッティ城」に向かって進みながら、
「
Folk Park・
フォーク・パーク
」の見学へ。
アイルランド西部の伝統的な 漁船「クラック(Currach)」
と、 漁に使う網や籠などの漁具
が
展示されていた。
Currach(アイルランド語:Curach)は、アイルランドの沿岸地域、とくに西部やアラン諸島で
使われてきた伝統的な帆・櫂の漁船である と。

レーキ(Rake)
右側(緑と赤) ロータリーレーキ 用途 :
牧草を整列させて集める・土壌をならす
(Rotary Rake)
または 特徴:回転する爪で草や土をかき集める構造
ハロー(Harrow)

アイルランド 司祭館・医師の家か?

鍛冶屋の作業小屋(Blacksmith’s Forge)。
荒く切り出した石積み造りの壁には、 複数の鉄製車輪
が立てかけられていた。
自然エリアで飼育されている 鳥たち(家禽)
。
白い体で 尾が長い鳥(写真右)は 白色インドクジャク(White Indian Peafowl)。
「カシェン川の漁師の家(The Cashen Fisherman’s House)」。
外壁が鮮やかな青色に塗られた建物
。
アイルランドの農村部では、家の外壁を青や白で塗ることがよくあった。
特に 青色は、魔除けや幸運の象徴
とされ、家の中に「妖精(fairy)」や邪悪なものが入り
込まないようにする信仰的意味合いがあったのだ と。

「 The Cashen Fisherman’s House
This simple two-roomed house is a replica of a salmon fisherman’s house from
the Cashen river, which is located on the south side of the mouth of the Shannon.In the old days of wooden sailing ships, and ship wrecks, shore dwellers depended
largely on flotsam and jetsam for their timber. Most of the timbering of this house
and its like would have been of driftwood, which often came in huge planks and
beams. This is evident in the wooden chimney canopy and the solid bedroom furniture,
made by a local carpenter-boat builder. The ceiling is of whitewashed canvas to cover
the bare roof inside.
Smuggling was a feature of life for these fishermen in the old days and many of the hardy fishermen were familiar with the ports of north western France and the Channel Islands.
Claret and brandy were the local drinks, rather than beer and whiskey.The garden is meagre but potatoes and vegetables were grown for family consumption.」
【 カシェン川の漁師の家
この質素な2部屋の家は、シャノン川河口の南側に位置するカシェン川のサケ漁師の家を再現した
レプリカです。木造帆船が使われていた時代、海難事故などで流れ着いた木材(漂流物)に、
沿岸の人々は大きく依存していました。この家の木材の多くも、巨大な板や梁として
打ち上げられた流木だったと考えられます。それは、木製の煙突フードや、地元の船大工によって
作られたしっかりとした寝室の家具からも見て取れます。天井には、むき出しの屋根を覆うために
石灰で白く塗られたキャンバス布が使われています。
当時の漁師たちの生活には密輸がつきもので、たくましい彼らの多くは、フランス北西部や
チャンネル諸島の港をよく知っていました。地元で飲まれていたのは、ビールやウィスキーでは
なく、クラレットワインやブランデーでした。
庭は貧弱ですが、家族で食べるためのジャガイモや野菜が育てられていました。】
「 カシェン川の漁師の家(The Cashen Fisherman’s House)
」の内部
中央に黒い暖炉(open hearth)。
寝室内部
。
壁には宗教画や家族写真と思われる額縁が3点掲げられており、アイルランド人家庭の深い
カトリック信仰と家族への愛情を象徴していた。
キッチン・ダイニングスペースに見られる典型的な「 ドレッサー(dresser)
」の様子。
案内地図をネット
から。
そして石門を入ると「 Bunratty Castle(バンラッティ城)
」の 正面、北面が現れた
。
バンラッティ城は非常に堂々とした建造物で、地面からそびえ立つ巨大な石柱のごとし。
ノルマン様式のモット・アンド・ベイリー構造は、1250年に木造の天守閣と共に初めて
建設された。その後、1276年にこの土地は別のノルマン人(トーマス・デ・クレア)に与えられ、
防御力を高めるため、木造の天守閣は石造に建て替えられました。
しかし、1287年、デ・クレアがイングランドに滞在していた際にアイルランド軍が攻撃し、
バンラッティは破壊された。デ・クレアは再び城に戻り、再建と要塞の増築を行った。
城はデ・クレアの息子リチャードの手に渡ったが、彼は1318年の戦死を喫した。
リチャードの妻は彼の死を知るとバンラッティから逃亡し、城(と町全体)を焼き払った。
この地はリムリックへの水路に近い戦略的な立地であったため、1353年にはこの地域の守護を
任された別のノルマン人の領主によって3つ目の城が築かれましたが、完成後まもなく
アイルランド人に占領されました。この城が破壊されたのか、それとも改築されただけなのかは
記録に残っていないが、現在の城は1450年頃にマクナマラ一族の族長によって築かれたことは
分かっていると。
城は(おそらく政略結婚を通じて)所有者を変え、数百年にわたりオブライエン家の邸宅として
使われた。19世紀初頭、数百年にわたり所有していたスタッダード家は、当時の流行に従い、
より快適なマナーハウスへと移転した。その後、城跡は荒廃するまま放置されていたが、
1950年代に民間人が購入し、公共事業局が修復作業を行い、1960年代に一般公開された と。
西側にあった 中世〜近世の砲台(大砲)
展示エリア。
中〜後期の鋳鉄製カノン砲(Cannon)
で、 木製砲架(gun carriage)に搭載
された状態で
展示されていた。
長く細身の砲身は、 17世紀〜18世紀の「ロングガン(long gun)」に近い形式
。
丸い鉄輪付きの移動式砲台である点が、城や要塞の防御に加え、場合によっては港湾防衛にも
転用されていたことを示唆か。
現在の 観光客の入場口 (仮設の木製階段がある箇所)は、北側に
。
アーチ状の場所が城内入口
。
バンラッティ城(Bunratty Castle)の 正面(北側)を見上げて
。
中央の大きく張り出した構造物は、「マッショリオン(machicolation)」と呼ばれるもので、
敵が城壁に接近したときに上から石や熱湯を落とすための開口部。
窓の配置や壁面の防御構造も、15世紀後半の塔型城(tower house)の典型的な特徴。
左右の上部には防御用の 胸壁(バトルメント / crenellations)
が見える。
正面(北側)の木製階段
をズームして。
この木製階段は、現代の来城者が安全に館内へ入るために設置された構造物。
中央の踊り場から左右に階段が分かれており、上部の入口ポーチ部分(マッショリオン下)へと
導いています。
右手のアーチ型の石造入口からはおそらく地下または1階部分に入れますが、通常見学ルートは
階段上から入るよう案内されていた。
手前にある緑色の看板には「Last admission to castle 4:15pm」と。
「 BUNRATTY CASTLE
The earliest fortress at Bunratty (1251) was a “bretesche” or wooden tower erected
on a moat. This was followed in turn by De Clare’s stone castle (1277) and
De Rokeby’s castle (1353).The present O’Brien castle, built 1425, had undergone many alterations during four
centuries of occupation, but in the restoration works (1956/58) all additions later
than 1619 (the date of the decorated ceiling in the chapel) were removed and the
15th century crenellations restored.Admiral Penn was besieged here in 1646 and it is generally believed that his son,
William Penn, founder of Pennsylvania, then an infant, was at the castle.」
【 バンラッティ城
バンラッティにおける最初の要塞は1251年に築かれた「ブレテシュ」(堀に建てられた
木製の塔)でした。その後、1277年にデ・クレア卿による石造りの城、1353年に
デ・ロクビー卿の城が続きました。現在のオブライエン家の城(1425年築)は、約400年にわたる使用の間に数多くの改築を
受けました。しかし1956〜58年の修復工事において、礼拝堂の装飾天井が設けられた1619年
以降のすべての増築部分は取り除かれ、15世紀当時の胸壁(城壁の上部のギザギザした構造)が
復元されました。
1646年にはペン提督がこの城で包囲されており、後にペンシルベニア州の創設者となるその息子
ウィリアム・ペン(当時はまだ幼児だった)が、この城にいたと一般に信じられています。】
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・・・
・・・ つづく
・・・